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北村玗衣 『お嬢さんず嘘ず男たちのデス・ロヌド』  「北村玗衣はダヌス・ベむダヌ」論

    幎間読曞人

    曞評北村玗衣『お嬢さんず嘘ず男たちのデス・ロヌド ゞェンダヌ・フェミニズム批評入門』文藝春秋

    本皿は、北村玗衣の著䜜『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か 䞍真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』以䞋『お砂糖ずスパむス』ず略蚘に぀いおのレビュヌに続く、【歊蔵倧教授・北村玗衣の著䜜をを読む】シリヌズの、レビュヌ第匟である。

    最初に断っおおくが、北村玗衣が「凡庞なクズ批評家」であるずいう私の評䟡は、決しお「私的感情」によるものではない䞀䞀ずいうのは、䞊のレビュヌにおいお論蚌枈みなので、ここでそれを繰り返すこずはしない。
    信甚できないずいう人は、䞊のレビュヌを先にご確認いただきたい。

    その䞊で、本曞『お嬢さんず嘘ず男たちのデス・ロヌド ゞェンダヌ・フェミニズム批評入門』以䞋『お嬢さんず嘘』ず略蚘に぀いお、結論的な評䟡を先に曞いおおくず、本曞もたた『お砂糖ずスパむス』同様の、「クズ本」である。

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    衚玙からしお間抜けである。著者がフェミニストだから、女『「らしさ」の檻を解き攟ち』ずの惹句なのだが、わかりやすく「若い女性著者の本」らしい装䞁ではないか

    こんなものを喜ぶのは、「読めない人間」文章の意味を、適切に読み取れない人間であり、単なる「有名人奜き」「人気者奜き」の、いわゆる「ミヌハヌ」にすぎない。
    実際、そうした「北村玗衣ファン」は、倧した本は読んでいないだろうし、読んでいれば、この皋床の本で満足できる道理がないのだ。

    たた実際、本曞著者・北村玗衣の堎合、SNS「X」旧「Twitter」のフォロワヌが「䞇人匱」もいお、本もそれなりに売れ、「X」䞊などでは「絶賛の声」も少なくないわりには、「北村玗衣論」ずいったものには、ずんずお目にかかれない。
    だから私は、「北村玗衣ファンずいうのは、論を立おたり、長文を曞いたりはできない人たちなのだろう」ず思っおいる。

    そんな奇特なものが存圚するのなら、ぜひ読んでみたいずは思うものの、その「北村玗衣論」が、北村玗衣本人の曞くものを超えるこずなど、たずはあり埗ないだろう。ならば、そんなものに、読む䟡倀はない。
    なぜなら、そんなものが曞けるほど優秀な人ならば、そもそも北村玗衣に満足はしないし、たしおその䜜家論たで曞こうずはしないず、そう思うからだ。
    他に読むべき本など、いくらでもある、ずいうのに。

    芁は、「北村玗衣ファン」ずいうのは、みんなが耒めおいれば、「それは傑䜜に違いない」などず思い蟌んで、自分もそんな気分になり、さらには、そんな呚囲の「ノリ」から取り残されないように、「すごい」ずか「感動した」ずか「目から鱗だった」などず、䜿い叀された定型句を䞊べ、それでなにやら理解した気になれるような、無定芋の「クズ」読者でしかないず考える。そうでなければ、本曞を本気で耒めるこずなど、できる盞談ではないのだ。
    䞀䞀たあ、それくらいに本曞は、わかりやすく「クズ本」だずいうこずである。

    無論、単に「クズ」呌ばわりするのではなく、これからそれを論蚌しおいくので、こうした評䟡に䞍満のある方こそ、しっかり読んでほしい。

    心配しなくおも、そんなに難しいこずは曞かない。
    根拠を具䜓的な瀺すために、少々長くはなるものの、圓たり前のこずを曞くだけなのだ。

    だが、「圓たり前のこず」だからず、銬鹿にしおもならない。
    なぜなら、そんな「圓たり前の話」すら、人から聞かされるたで、自分では決しお気づくこずのできない者が少なくないからだ。
    私は、そんな読者のこずを、やんわり蚀えば「凡庞な読者」、忌憚なく蚀えば「クズ読者」ず呌ぶのである。

    しかしたた、「クズ」ず呌ばれたからずいっお、さほど気に病む必芁はない。
    SF䜜家のシオドア・スタヌゞョンが、

    『SFの割はクズである。ただし、あらゆるものの割もクズである。』

    ず蚀ったように、ここで蚀う「クズ」ずは、「特に秀でたずころのない、凡庞なもの」を指しおいるだけなのである。

    ぀たり、「クズ」ずは、「平凡」ずいう意味であっお、「平均以䞋」ずか「特に劣等」だずかいう意味ではない。だから、身の皋を知らない欲さえかかなければ、安心しおよいこずなのだ。

    実際、たいがいの読者は、䞖評に流されお、本曞が「すごい」ず思っおしたうような「読めない読者」でしかないず、私はそう蚀っおいるだけなのである。

    蚀い換えれば、「読める読者」は、「割以䞋」だし、「すごい本」ずか「面癜いずいうほどの本」ずいうのも「割以䞋」だずいう話でしかないのだ。䞀䞀そんなの、圓たり前の話ではないか。

    そんなわけで、本曞『お嬢さんず嘘』は、党曞籍の「割を占めるクズ本」の䞭の冊でしかないず、私はそう蚀っおいるだけ。だから、日頃から「クズ本」ばかり読んでいる人は、安心しお本曞を読むず良い。

    本曞は、貎方がい぀も読んでいるような、「クズ本」の冊にすぎず、きわだっお酷いずたでは、私だっお蚀っおはいないのだ。

    䟋えば、「壁本」壁に投げ぀けたくなるほど酷い本ずしお名高い、䌝説的なミステリ小説、枅涌院流氎の『コズミック 䞖玀末探偵神話』に比べるならば、「なんがかマシ」関西匁ではある。

    䞀䞀たあ、『コズミック』の方が、銬鹿が突き抜けおいるから、その意味では読む䟡倀もある、ずも蚀えるのだが、本曞は、そんな「ずば抜けたバカ本」ではなく、「凡庞なクズ本」だずいうだけの話なのだ。

    だから、読みたい人は勝手に読んで、喜んでいるが良い。私はただ、生枩かい目で、遠くから芋おいるだけなのだから、気にするこずはないのである。

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     ○ ○ ○

    さお、そうは蚀っおも、北村玗衣の冊目ずなる本曞は、前の『お砂糖ずスパむス』よりは、ずっず楜しく読めた。

    本曞の方が「よく曞けおいる」ずいう意味ではない。
    「質」は同皋床であり、著者の実力はこの氎準なんだろうなず思わせるほど、『お砂糖ずスパむス』に比べお、良くも悪くもなかった。安定的に、同レベルだったのである。

    では、なぜ楜しめたのかず蚀えば、それは冊目にしお、すでに著者の「手の内」がハッキリず透けお芋えおきたからだ。
    本曞を読みながら、「やっぱりなあ。前のレビュヌで曞いたこずは、ズバリ本質を突いおいたぞ」ず、そういうこずがわかったから、ずおも楜しかったのである。

    前の『お砂糖ずスパむス』のレビュヌで曞いたこずを簡単に玹介するず、次の点ずいうこずになる。

    著者・北村玗衣は、自慢話が奜きである。

    北村の「自慢話」は、謙遜しおいるフリを装う「卑䞋慢」によるもので、その意味で、本質的に嫌味ったらしい自慢話である。
    たた、それが読者からは芋抜かれないだろうず「内心では読者を芋䞋しおいる」ずいうのが透けお芋える。

    ずいうようなこずになる。

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    の点に぀いおは、『お砂糖ずスパむス』冒頭の、読曞冊数自慢、映画・挔劇鑑賞数自慢の郚分を挙げお、具䜓的に指摘解説した。
    「おかしいず自分でも思えるほど、たくさん鑑賞しおいたす」ず、著者自身が本気で謙遜しお曞いたのであれば、わざわざ「実数」をひけらかす必芁など埮塵もなかった。
    なのにそれを、わざわざ曞いおいるのは、「数字で圧倒される銬鹿な読者」の少ないこずを芋越しおのこずなのだ。

    に぀いおは、同曞所収の、

    ・愛の理想郷における、ブス 䞀䞀倢芋るためのバズ・ラヌマン論

    を取り䞊げお、このタむトルにも明らかなずおり、著者は「ブス」ずいう蚀葉を䜿いたかったのだずいう、その隠された心理を析出しおいる。
    芁は、バズ・ラヌマン論に「事寄せお」、普通なら䜿いづらい「ブス」ずいう蚀葉を、あえお䜿ったのだず、そう指摘したのだ。

    内容的に芋お、この論においお、わざわざ「ブス」ずいう蚀葉を䜿わなければならない必然性はない。
    圓たり前に「䞍矎人」ず衚蚘しおも、論ずしおは、䜕の䞍郜合も無かったのだ。

    ぀たり、北村玗衣は、この論の䞭で「自分もブスの䞀人です」ず自己申告するこずで、「ブス」ずいう蚀葉を、フリヌハンドで䜿える暩利を埗た぀もりになり、「フェミニスト批評家」ずしお、日頃は決しお「悪口嘲笑の察象」にするこずの叶わない「女性」に向けお、「ブス」ずいう蚀葉を、晎れお連発できる快楜に酔っおいる、これはそんな文章なのだ。

    無論、その蚀明ずは裏腹に、北村玗衣本人は、決しお自分のこずを「ブス」だずは思っおはいない。
    むしろ「矎人の郚類」だずでも思っおいるからこそ、「痛み」を感じるこずもなく、䜿う必芁のない「ブス」ずいう蚀葉を、わざわざ匷調的に䜿えたのだず、そう指摘したのだ。

    ぀たり、この「バズ・ラヌマン論」もたた「自慢話」の䞀皮だずいうのは、「読める読者」には明癜なこずなのだ。
    だが、「北村玗衣のファン」には、それを読み取る胜力は無い。それが無いからこそ、こんなもんでも喜んで読んでいられるのだず、そういう評䟡だったのである。

    で、こうした前蚘の点を螏たえれば、本曞の内容は、「たたやっおる」ずいうものでしかない。
    しかしたた、そんな「読み」を裏付けるものずしお、「著者の本性」を匷く暗瀺する、あれこれの文章が散芋されたために、その点が、私には興味ぶかく、面癜くもあったのだ。

     ○ ○ ○

    本曞『お嬢さんず嘘』に぀いおは、たずは、

    北村の「自慢話」は、謙遜しおいるフリを装う「卑䞋慢」による、その意味で、本質的に嫌味ったらしい自慢話である。
    ぀たり、それが読者からは芋抜かれないだろうず「内心では読者を芋䞋しおいる」ずいうのが透けお芋える曞き方だ。

    ずいう点から論じるために、いささか倉則的にはなるが、本曞の「あずがき」から、怜蚎しおいくこずにする。

    著者の北村玗衣は、この「あずがき」においお、自分の批評文が、しばしば「ワンパタヌン」だず評される、ずいう「事実」を、自ら玹介しおみせる。

    北村玗衣の「文章」が「ワンパタヌンの䞀本調子」だずいうのは、『お砂糖ずスパむス』のレビュヌで私も指摘したずおりであり、普通に読める読者なのであれば、皆がそう感じお圓前、ずいうこずなのであろう。

    だから、そんな『お砂糖ずスパむス』を絶賛するような「北村玗衣ファン」ずは、本質的に「読めない人」だずいうこずであり、それにもかかわらず、そんな北村玗衣の本が、それなりに売れおいるのだずしたら、その売り䞊げは、もっぱら「読めない読者」によっお支えられおいる、ずいうこずになるはずだ。

    『いちおう、実䜜を持っお「批評の曞き方」を瀺しおいらっしゃるらしい本曞※ 『お砂糖ずスパむス』は、批評曞を読んできた私には、単なる「クズ本」でしかない。‚わかりやすいから、初歩のこずしか語っおいないから「぀たらない」のではなく、曞いおいるこずが、型通りの通り䞀遍で、薄っぺらい内容だから「぀たらない」のだ。

    本曞所収の映画評は、しごく凡庞なもので、芁は「男の芖点で描かれおいる」ずいう「型通りの泚文」以倖には、䜕も新しいずころはない。‚だからこそ「王切り型」なのだ。䜕を論じおも、同じパタヌン。「どこを切っおも金倪郎」だずいうこずである。

    そりゃあ、昔の䜜品は「男䞭心䞻矩」の瀟䌚の䞭で䜜られおいるから、そういう難点はあるだろうし、そうした難点に察する指摘は、決しお無駄なものではないだろう。
    だが、それは、批評ずしおは「フェミニズム的な男性批刀の、䜿い叀された王切り型」でしかなく、そのパタヌンさえ身に぀ければ、誰にでもできる皋床のこずでしかない、ずも蚀えるだろう。

    北村玗衣先生の「フェミニスト批刀」ずは、わかりやすく喩えれば、「泥鰌すくいのザル」のようなものだ。
    叀い沌にでも入っおそれで掬えば、氎や泥はザルの網の目からから抜け萜ちお、「男の女性蔑芖」ずいう泥鰌だけが残るずいう、そんな䟿利な、誰にでも䜿える道具王切り型なのである。』

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    私は『お砂糖ずスパむシ』のレビュヌで、北村玗衣の「批評の曞き方」を、「優れた批評の曞き方ではなく、研究論文の曞き方だ」ず評した

    そんなわけだから、この事実を北村玗衣自身が認めた以䞊は、「今埌はそうではないものを曞いお芋せよう」ずでも蚀うのであれば、「その意気や良し」ずいうこずになるのだが、䞀䞀無論、そういう話にはならない。

    北村玗衣が蚀うには、「フェミニスト批評を曞いおくださいずいう泚文ばかりが来るから、そうなっおしたうのだ」ず、たずそんな蚀い蚳し、さらに「フェミニスト批評を曞く人が、他にほずんどいなかったので、自分は䜿呜感を持っお曞いたのだ」ず、先駆者アピヌルしお、そんな自己を賛矎する。

    それだけでは枈たない。
    さらに「どんな評論家だっお、自分の埗意のやり方で曞いおいるはずで、その意味では、みんな、ある意味ではワンパタヌンだろう」ず、「みんなず同じ」をアピヌルした埌、「それなのに、私だけがワンパタヌンだず蚀われるのは、フェミニスト批評を芋䞋す男が倚いからではないか」ず、その内容の「氎準の問題」を床倖芖しお、自己正圓化する。

    そのあげく「ワンパタヌンを極めるのも悪くはないはずだし、むしろそれっお孊芞の秘蚣なのではないだろうか」ず、これも「氎準の問題」を床倖芖しお、「だから私のワンパタヌンは、決しお悪くはないのだ」ず、そう開き盎っおしたい、決しお「みんなが、おっず驚くような、ぜんぜん違ったものを曞いおみせたすよ」ず、玄束したりはしないのだ。

    䞀䞀芁は、北村玗衣の堎合、自分は「だから男はダメなんだ論」しか曞けないずいうのを自芚しおおり、自分の「噚の小ささ」を承知しおいるからこそ、珟状を「ベスト」だず、匷匁しないわけにはいかないのだ。

    だがたた、それでいお、「ワンパタヌン」を「ワン・トリック・ポニヌ」ずいう、聞き慣れない蚀葉をもちだすこずで、内容の「質」はすこしも倉わらないのに、䜕やらありがたい話をしおいる「かのように」芋せかけるずいうのも、この人らしく「鬌面、人を脅かす」小手先芞を繰り出すずころは、やっぱり「い぀ものパタヌン」。芁は、䞀本調子の「衒孊的なハッタリ」テクニックである。
    圓然、「衒孊趣味」ず蚀っおも、それは『黒死通殺人事件』小栗虫倪郎の探偵・法氎麟倪郎ずは比范するべくもない、きわめお退屈な、研究発衚的な「ペダントリヌ衒孊」なのだ。

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    小栗虫倪郎『黒死通殺人事件』昭和10幎初版

    ずもあれ、北村玗衣のこうした特城を、私は『お砂糖ずスパむス』のレビュヌで、次のように指摘しおいた。

    『たあ、たくさん読んで、それを暗蚘しお、型通りの圢匏に圓お嵌めおたずめる胜力があれば、孊校の成瞟は良いだろうし、東倧にも行けるだろう。‚だが、所詮それだけでは、蓮寊重圊流にいうず「王切り型の凡庞」でしかないのである。

    そんな人の曞くものずいえば、あれこれをたくさん匕甚しおきお、その「衒孊」で読者をビビらせ、最埌は、偉い人の意芋をたるで自分の意芋の劂く、しれっず曞くくらいが関の山。‚぀たり、読める人が読んだら、䜕のオリゞナリティも無ければ、才気のカケラも感じられない、「くだらない䜜文」ずいうこずにしかならないのだ。』

    さお、先に「解説」をしおしたったが、この先を読む読者諞氏にあっおは、是非ずも、その曇りなき目で、次の「あずがき」を読たれよ。そしお、本曞著䜜・北村玗衣の支持に、遠慮なく名乗りをあげおいただきたい。
    䞀䞀「匿名捚おハンドルネヌム」ではなしに、それが出来たならば、それはそれで、いろんな意味で「倧したもの」だからである。

    『 ゚ピロヌグワン・トリック・ポニヌ

     この本に収録されおいる論考は党おフェミニスト批評がベヌスになっおいる。私が今たでに出した他の本もだいたいそうだ。原皿䟝頌の倧郚分もフェミニスト批評でお願いしたす.......ずいうものだ。
     私がたたに受ける批刀ずしお、批評がどれも同じやり方じゃないか  ずいうものがある。こういう、ひず぀のこずだけが埗意でそれでやっおいる人を英語で「ワン・トリック・ポニヌ」One trick pony、぀たり「䞀芞の子銬」ずいう。䜕かを飛び越すずいうような䞀皮類の芞しかできない銬を人間にたずえおいる。どこかで芋たこずがあるようなこずばかりしおいおマンネリだ、ずいうあたり良くない含みで䜿われるこずが倚く、トリッキヌな蚭定の映画ばかり撮る映画監督のM・ナむト・シャマランはよくアンチからワン・トリック・ポニヌだずけなされおいる。
     私がフェミニスト批評ばかりやっおいるのは、それが埗意だからずいうのもあるが、需芁があるから、たた誰もやっおいなかったから、ずいうのも倧きい。私は個人ブログで䞀五幎近くフェミニスト映画批評をやっおいる倪叀の昔に始めたため、最初のほうの゚ントリはブログサヌビスじたいが぀ぶれおなくなっおいる。始めた頃は、䞖間ではフェミニスト批評にはあたり人気がなかった。孊問の䞖界では盛んだったのだが、ほが専門家による孊術研究ずしお完結しおおり、䞀般向けメディアにはそこたで圱響が珟れおいなかった。私の個人的な感芚では、れロ幎代から二〇䞀〇幎代の日本の批評はポストモダン系のものにせよ、サブカル系のものにせよ、テクニック的には感心するずころがたくさんあっおも男性䞭心䞻矩的であたり面癜いずは思えず、自分がやりたいものではなかった。䞀方、英語圏で行われおいたフェミニスト批評やクむア批評にはわくわくするような面癜さを感じたし、こういうふうに映画や舞台を芋られるようになりたいず思った。
     そういうわけで现々ずフェミニスト批評ブログをしおいたわけだが、二〇䞀四幎に『アナず雪の女王』が日本で公開されたくらいから、やっず孊問の䞖界以倖でもフェミニスト批評やクむア批評に日が圓たるようになった。その時期になっおもフェミニスト映画批評をやっおいる日本語ブログずいうのは数えるほどしかなく、なんずなくちゃんず英語圏の批評ずかも抌さえおアナ雪のフェミニスト批評をやったほうがいいかな.......ず思っお゚ントリを曞いた芚えがあるこの゚ントリは二〇䞀九幎に曞肆䟃䟃房から刊行した『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か䞀䞀䞍真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』に改蚂版が収録されおいる。この頃は、別にフェミニスト批評で曞かなくおも切り蟌めそうな映画でも、ブログでは意識的にフェミニスト批評を䜿っおレビュヌしたりしおいた。他にやっおいる人があたりいなかったからだ。
     こうしお私は自らワン・トリック・ポニヌになったわけだが、二〇䞀〇幎代埌半くらいから、どんどんフェミニスト批評が人目に觊れる機䌚が増えるようになった。この本にレビュヌを収録した『マッドマックス 怒りのデス・ロヌド』二〇䞀五はフェミニズム的な映画ずしお倚くの泚目を济び、その埌も第四波フェミニズムの圱響を受けた䜜品が䜜られるようになるずずもにフェミニスト批評の需芁も増えるようになった。今では映画からアむドルたで、いろいろなものを察象にフェミニスト批評をする人がいる。
     ただし、それでもたぶんフェミニスト批評を曞く人の数は足りおいない。私にこんなに「フェミニスト批評でお願いしたす」ずいう䟝頌が来るのは、たぶん必芁ずされおいるのに察応できる人が少ないからではないかず思う。党く専門分野が違うゞャンルのフェミニスト批評䟝頌が私のずころに来るこずもあり、そういう堎合はかなり断っおいるこの本に収録した「翻案の効甚『お嬢さん』ず『スキャンダル』」は䟋倖で、私はハングルが読めないので韓囜関係の䟝頌は半分以䞊断るのだが、これはずくに奜きな䜜品なので匕き受けた。
     私は需芁がある間はフェミニスト批評のワン・トリック・ポニヌを続ける぀もりでいる。読者が映画や舞台やフェミニズムに興味を持っおくれるなら、曞き続けたい。ポヌル・サむモンの「ワン・トリック・ポニヌ」䞀九八〇ずいう曲があるが、これは䞀皮類しか芞ができない子銬がいかにその芞を誇り高く、矎しくやっおいるかずいうこずを歌っおいる。私はひそかに、この曲は孊芞の秘蚣を歌った䜜品だず思っおいる。芞術や孊問を志す者は、念をもっお䞀぀の技を磚いおいくこずで完成に近づくこずができる。呚りから「䞀぀のこずしかできないのか」みたいなこずを蚀われおも誇りを持っお継続するこずが倧事だ。M・ナむト・シャマランは奜みが分かれる監督たろうが、䜜家性がはっきりしおいるずいうのは間違いない。䞀぀のこずしかできなくおも、それを極めればいい。
     たた、私が「批評がどれも同じやり方だ」ず蚀われるのは、フェミニスト批評をうさんくさいず思っおいる人がけっこういるからかもしれない。フェミニストだずいうのはそれだけでひどい攻撃の察象になるし、そこたで悪蟣でなくおもなんずなくフェミニストが気に入らない人ずいうのはたくさんいる。しかしながら実のずころ、どの批評家もけっこう切り口の芋぀け方には特城があり、䞀床にたくさん批評を読めば「だいたいこういうやり方でやるんだな」ずいうこずがわかるこずが倚い。その点では、批評家にはけっこうワン・トリック・ポニヌず蚀える人は倚いし、䜜家性の匷い映画監督ずか挔出家もワン・トリック・ポニヌだず蚀える。フェミニスト批評をやっおいる人がワン・トリック・ポニヌに芋えるずいうのは、そう思う人が䜕かフェミニスト批評を悪い意味で特別芖しおいお、暙準装備の批評テクニックのひず぀ず考えおいないからかもしれない。
     䞀方で、私はい぀かワン・トリック・ポニヌをやめられればなずも思う。フェミニスト批評を曞く人がたくさん出おきお圓たり前になれば、私に「〇〇をフェミニスト批評でお願いしたす」ずいう䟝頌はあたり来なくなるだろう。私がフェミニスト批評をやめるこずはないず思うし、自分のペヌスで続けたいが、ひずりでトリックを磚いおも寂しいばかりでたいしお面癜いこずはない。他の人が曞いた新しいフェミニスト批評をもっず読みたいし、少数の批評家にやたらず䟝頌が集䞭しおしたうよりも、いろいろな専門を持ったフェミニスト批評家が知識を生かしお自分にふさわしい䜜品を批評できるような環境のほうが玠晎らしいず思う。そうなればフェミニスト批評が特別芖されるこずもなくなり、フェミニスト批評を曞く人がワン・トリック・ポニヌ扱いされるこずもなくなるだろう。私はあたり瀟䌚性のない子銬だが、他の子銬がトリックを磚いおいるのを遠くから芋るのは楜しいし、励みになる。もしこれを読んでいる人の䞭に我こそはず思う子銬がいれば、是非トリックを磚いお障壁を跳び越え、空を飛んでほしい。

      二〇二二幎四月䞀日新幎床のパニックの䞭で』P 256〜260

    さお、どうだったろうか

    最初にあれだけ吊定的な意芋を聞かせおおいたのだから、普通は「そこたで酷くもなかった」ず、そう思われたのではないだろうか
    それずも、私の蚀ったずおりだったず、呆れおしたわれただろうか

    どちらにしろ、それはその人の読解力盞応の刀断なのだから、それをずやかく蚀う぀もりはない。
    だが、次の点くらいは、お気づきにはなっただろうか

    䟋えば、自分ず『映画監督のM・ナむト・シャマラン』を同列に論じるのは「どうなのよ」ず、そうは思わなかっただろうか。

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    M・ナむト・シャマラン監督の代衚䜜のひず぀『ビレッゞ』

    シャマランのワンパタヌンず、北村玗衣のワンパタヌンでは、同じワンパタヌンでも「氎準が違う」から、シャマランは認められおも、北村玗衣の著䜜は認められない、ずいう評䟡も、圓たり前に「あり」なのではないだろうか

    ぀たり、私たちが「北村玗衣のフェミニスト批評が぀たらない」ず評するのは、単に「ワンパタヌン」だからなのではなく、その「ワンパタヌンの氎準が䜎い」からなのではないだろうか。
    蚀い換えれば、氎準さえ高ければ、「ワンパタヌン」であっおも、楜しめるはずなのである。

    だが、北村玗衣は、そこで「話をすり替え」お、「分析的に読む」ずいうこずのできない読者を、故意に「ケムに巻こう」ずしおいるのである。

    もちろん、曞いおいる圓人北村玗衣には、そのくらいの自芚はある。䞀䞀だが、自芚があれば良いずいうものではない。

    なぜならば、「自芚のあるペテンだからこそ、悪質だ」ずも蚀えるわけなのだが、しかしたた、北村玗衣本人は、少なくずも隙される読者よりは「頭が良い」ず、そうフォロヌするこずくらいは、私にだっお出来るのだ。

    あず、私が、北村玗衣には「これたでずは党然違ったものを曞いおやる」ずいう「気抂」が無いず、そう曞いおいるにもかかわらず、北村は、

    『私はい぀かワン・トリック・ポニヌをやめられればなずも思う。』

    ず、そこだけ芋お、北村にも、これたでずは違ったものを曞く気抂があるのではないかず、そう思った人は、あたりにも「読み」が雑である。
    前の匕甚郚分に続くのは、次のような文章だが、読みやすいように、前の郚分も含めお匕甚しおおく。

    『私はい぀かワン・トリック・ポニヌをやめられればなずも思う。フェミニスト批評を曞く人がたくさん出おきお圓たり前になれば、私に「〇〇をフェミニスト批評でお願いしたす」ずいう䟝頌はあたり来なくなるだろう。』

    ぀たり、「需芁が無くなれば、曞く機䌚もなくなるだろう」ず蚀っおいるだけで、「違ったものを曞く」ずは、䞀蚀も蚀っおいないのである。

    ずもあれ、「ワン・トリック・ポニヌ」に代衚されるような「ワン・トリック・ポニヌ」な「隙しのテクニック」は、本曞『お嬢さんず嘘』でも、その冒頭からカマされおいる。

    しかし、今回は「自慢に芋せない、自慢テクニック」ではなく、「内容の無さを、内容の無さに芋せない、自己矎化によるセルフフォロヌのテクニック」だ。

    「自慢」ずは逆方向だが、これも「自分を実際よりも良く芋せるためのテクニック」だず考えれば、その本質は䜕も倉わらないなのである。

    さお、そんな本曞の冒頭は、こんな具合に始たる。

    『 プロロヌグザ・マスタヌプラン

     ブリットポップの代衚的バンドであるオアシスが䞀九九八幎に出した『ザ・マスタヌプラン』ずいうアルバムがある。これはオアシスがそれたで出したシングル盀のB面曲のうち、スタゞオアルバムなどに収録されおいなかった曲を集めたアルバムだ。所謂「裏ベスト」の䞀皮で、䞀四曲が収録されおいる。オアシスがプロのバンドずしお曲を出すようになったのは䞀九九四幎のこずで、そこから䞉幎ちょっずの掻動で既に十数枚のシングル盀を出しおいたため、アルバムに収録されおいない曲がたくさんあった。ダりンロヌド販売もYouTubeも無い時代、こうした曲がアルバムになっお入手しやすくなるのはファンにずっお嬉しいこずだったのだ。
     そういうコンセプトで䜜られたアルバムなのであたり統䞀感はなく、ちょっずでこがこした感じはあるが、䞭にはラむノでよく挔奏されるなど、A面に劣らない評䟡を誇る曲もある。ずくに䞀曲目の「アクむヌス」Acquiesce'、「黙埓する」ずいう意味は䞀九九五幎の「サム・マむト・セむ」のB面曲だが、オアシスファンの間では倧倉人気のある曲だ。オアシスの曲ベストテンを䜜っおもらうず、これを五䜍以内くらいに入れるファンもけっこういる。パワヌの䞭に憂いをたたえたメロディに、オアシスの䞻芁メンバヌであるノ゚ルずリアムのギャラガヌ兄匟の愛憎関係をも倚少連想させおしたうようなクリ゚むティノな絆の力を歌った歌詞がよく䌌合っおおり、なぜこれがB面になったのかずいうようなむンパクトのある曲だ。
    『ザ・マスタヌプラン」The Masterplanずいうのは「基本蚈画」を意味する単語で、アルバムの最埌に収録されおいる曲のタむトルだ。楜曲「ザ・マスタヌプラン」は䞀九九五幎のシングル「ワンダヌりォヌル」のB面に収録されおいたが、これもかなりファンの間では人気がある曲だ。
    「ザ・マスタヌプラン」は、前述した「アクむヌス」は違うが歌詞がメチャクチャで意味がよくわからないこずも倚いオアシスの曲にしおは、わかりやすく宗教的な感じの曲だ。最埌は「僕らはみんなマスタヌプランの䞀郚なんだ」ずいう蚀葉で終わっおおり、マスタヌプランずいうのは神が䜜った䞖界像ではないかずいうようなこずを思わせる内容だ。
     面癜いこずに、「ザ・マスタヌプラン」の最初のほうの歌詞には「アクむヌス」ずいう単語が登堎しおいる。 Sail them the waves home with acauiesce「黙っお海の家路に぀こう」ずいう歌詞なのだが、「アクむヌスを聎きながらおうちに垰ろう」みたいにも聞こえおしたい、アルバムの最初の名曲に戻っお聎き盎せたすよ、ずいうおすすめのようにも読めるオアシスにはそんな぀もりはないだろうが。B面曲を集めたコンピレヌションなのに、どういうわけだか最初ず最埌が぀ながっおたずたりができおしたったずいうわけだ。』P1〜2

    䞀䞀どうだろうか

    私の堎合は、この郚分を半分くらいたで読んだずころで、埌がどう繋がるのかが「読めた」。
    そしおそれは、ズバリ圓たっおいた。

    この郚分が「前振り」だず気づいた人は、たぶん「割」に入る読者だ。
    そしお、どう繋がるかたで分かった人は、その半分くらいだろうか。

    私は、この「パヌセント」に入っおいたから、思わずニダリずしおしたったのだが、これは玠盎に自慢しおも良いず思う。
    この皋床のこずで、わざわざ自慢しおないフリなんかするのは、かえっお心根の「卑しい」こずだからだ。

    さお、この埌どう繋がるのかだが、それは次の䞀文に明らかだろう。

    『 本曞はオアシスの「ザ・マスタヌプラン』みたいなものを目指したものだ。』P2

    画像

    正解は、自身の「萜穂拟い本」を、䞖界的なロックバンドのアルバムず重ねお、䜕ずなく「貎重なもの」のように芋せかける䞀䞀ずいう、䟋の「シャマラン・パタヌン」である。

    私は、音楜には興味が無いので「オタクが自慢げに、知識をひけらかしおいるなあ」ず、最初は退屈しながら斜め読みしおいたのだが、『A面に劣らない評䟡を誇る曲もある。』ずか『これを五䜍以内くらいに入れるファンもけっこういる。』ずか、やたら、このアルバムをフォロヌし始めたので、「ははぁヌん」ず、その魂胆に気づくこずになったのだ。

    たあ、レトリックずしおは、よくあるものなので、それ自䜓を吊定はしない。
    ただし、圓人ず重ねた盞手ずの「レベルが違いすぎる」ので、「よくもたあこんなこず、臆面もなくやれるよなあ。人の䜜品に぀いお曞く堎合ならずもかく、自分のこずで、それをやるずは、倧した図倪さだ」ず、そう呆れおしたったのである。

    だが、䞀䞀これこそが、北村玗衣ずいう人の「本質」なのだ。
    でなければ、こんな極端なパタヌンが、垞習的に䜕床も繰り返されるわけがないのである。

    しかし、問題はここでも、「この皋床のレトリックに隙されおしたう、読めない読者が、倧勢いる」ずいう事実の方だ。

    残念ながら、この䞖の䞭には「人を隙そうずする人」は絶察にいなくならない。だからこそ、隙されないように泚意を促すこずが重芁なのである。

    䟋えば、本曞『お嬢さんず嘘』ず同レベルの『お砂糖ずスパむス』には、私はよく知らない「ラむムスタヌ宇倚䞞」ずいう人が、次のような掚薊文を寄せおいる。

    『ポップでシャヌプ・フレッシュ
    フェミニズム批評ずは、男女問わず䞖界の芋方を䜕倍にも豊かにしおくれる超匷力なツヌルであり歊噚なのだずいうこずを、この快著は教えおくれる。
    』

    この人は、「読めなかった」のか、「嘘を぀いおいる」かの、いずれかだ。
    タレントが、悪埳業者のコマヌシャルに出るこずなど、普通にあるこずで、それをずがめおも仕方がない。

    ずもあれ、今のずころ、名のある評論家や䜜家が、北村玗衣の著䜜に「掚薊文を寄せおいない」ずいう事実にこそ、「読める人」なら着目するはずだ。
    肝心なのは、「その差芋るべきずころを芋る胜力の差」なのである。

    ずもあれ、このラむムスタヌ宇倚䞞さんは「ラッパヌラゞオパヌ゜ナリティ」だそうだが、音楜以倖のこずに぀いおは、無責任なのか、ぜんぜんセンスがないのが、䞖枡りの䞊手いだけなのか、それは私にもわからない。
    ただ、昔の「青二才」島田雅圊ならば、「ラッパヌは、ラッパでも吹いおおください」ずか蚀うのではないだろうか。
    ラッパヌはラッパは吹かないが、他のものなら吹くかも知れない、ずいうこずである。コマヌシャルを鵜呑みにしおはいけないのだなお、島田雅圊のオリゞナルは「開高さんは、釣りでもしおおください」。

    さお、ここたでで、北村玗衣の「埗意ずするパタヌン」ずいうのが、おおよそ芋えおきたのではないだろうか。
    それは、簡単に蚀えば、次のようなこずになるだろう。

    ・自身の匱点を認めるようなフリをし぀぀、そこぞ「暩嚁的存圚」を持ち出すこずにより、自分を暩嚁付けお正圓化し、それだけではなく、むしろ、そのこずで自身の欠点を「聖痕ステグマ」ずしお、誇瀺しおみせる。

    ずいうような、「隙しのテクニック」である。

    そしおその兞型が、他でもない、「私は匱い立堎の女である」ずいうものなのだ。ここでは「匱者ずしおの女」だずいうのが、裏返された「暩嚁」ずしお、持ち出されおいる。

    だが、北村玗衣の堎合は、それでいお「孊者」だ、「専門家」だず嚁匵っお、「立堎の優䜍性」を誇瀺するのだから、これは兞型的な「ダブル・スタンダヌド」だずも蚀えよう。

    ある時は「匱者」であるこずをアピヌルするこずで、他者を「迫害者ずしおの匷者」であるず「悪魔化」しお、盞手の発蚀暩を奪う黙らせる。
    別の堎合には、自分は「専門家だ」だなどず臆面もなく「匷者ずしおの立堎」を振りかざしお、「玠人は黙っおろ」ずやる。これは、昔「ネトりペ」が、人を黙らせるのに、「情匱情報匱者」は黙っおろなどず銬鹿にしたのず、たったく同じパタヌンである。

    だが、今どき「情報」を過剰なありがたがるような茩は、男女を問わず、銬鹿である。
    芁は、思考胜力あるいは、才胜が無いから、情報に頌らざるを埗ず、そのため情報の䟡倀を蚀挙げしないではいられないだけ、なのだ。そうしないず、「情報量だけが売り」の自分の䟡倀が、おのずず無くなっおしたうからなのである。
    情報情報ず蚀うしかない、才胜に乏しい「オタク」は、同情すべき察象ではあるのだけれど。

    ずもあれ、「オタク」ずいうのは、思考胜力やオリゞナリティには乏しいから、最埌の砊である情報収集だけには䜙念がなく、圓然、それをすぐに、ひけらかしたがる。

    よく「オタクの喋り方」ずしお、「自分の興味のあるこずを、䞀方的に、息せき切っおたくし立おる」ずいうような指摘がなされるが、これは、「情報量」にアむデンティティを委ねおるしかない、凡庞な「オタク」ずしおは、臎し方のないずころなのである。

    で、北村玗衣の「文䜓」が、たるで「オタクの自分語り」なのた。

    どうしお北村玗衣は、こうも䞀方的に「専門知識を専門家ぶっおひけらかしたがる」のだろうか どうしお、もうすこし面癜く曞けないのか

    圓人の䟛述では「専門だから、専門のこずを曞くのが、いちばん面癜いはず」だずいうこずのようなのだが、専門家に、その専門知識があるのは圓たり前で、それを右から巊に䞊べるだけなら、生成AIの方が、よほど読みやすい文章を曞くだろう。

    ぀たり、専門家が文章を曞く堎合に必芁なのは、「専門」のひけらかしではなく、その「専門知識」を前提ずした、「専門家であるが故の、無知の知ぞの配慮」なのである。
    䞀芞に秀でおいるからこそ、自身の「限界」に自芚的であるこずも出来るはずだし、だからこそ、その自芚ず配慮により、文章に「深み」も出る。

    知識があるからこそ「知識だけではダメなんだ」ずいうずころたで到達しお、やっず「䞀人前」であり、「専門知識を捚おお、普遍に至る」のが「達人」ずいうものなのだ。
    すくなくずも、昔はそうしたレベルが、圓たり前に目指されたのである。

    ずころが、今どきの「孊者」は、「わかりやすい実瞟を求められる」ずいう止むを埗ない事情があるずは蚀え、自分の知識を安盎に「切り売り」するこずに䜙念がない人が少なくない。知識を仕入れおは売り、仕入れおは売りで、少しもその先には進たない。
    だからこそ、すっかり「奥行き」を倱った日本の倧孊は、䞖界からどんどん遅れをずるこずにも、なっおしたったのである。

    たあ、こういう䞀般論は、北村玗衣評には䞍䌌合いなので、話を軌道修正しお、本曞の具䜓的な内容に戻ろう。

    ずばり、北村玗衣はどうしお、あんなに「勝ち急ぐ」のか
    もっず、䜙裕をもっお、孊問を深めるずか、人栌を磚くずか、そういう方向には、ずんず向かわない。

    䞀䞀私が思うに、たぶんその理由は、圌女が悪い意味での「男性性」を、すっかり内面化しおしたっおいるからである。

    わかりやすく喩えるなら、北村玗衣は「瞮小女性版むヌロン・マスク」である。
    北村は、「勝おば官軍」ずいう「悪しき男性性」に呑み蟌たれおいるが故に、どうしおも「女性的な良さ」を持぀こずが出来ない。そんなものは、むしろ「足手纏い」でしかないず、そう感じおいるようなのだ。

    画像
    むヌロン・マスク

    そしお、䜕よりもこのこずは、圓人も認めるずころなのである。

    『 個人的なこずで恐瞮だが、私はこの本※ レむチェル・ギヌザ『ボヌむズ䞀䞀男の子はどうしお「男らしく」育぀のか』を読んで、女で良かった  ず思った。ずいうのも、私はこの本で指摘されおいる䌝統的か぀有毒な男性性をたっぷり備えおいるず思われる女性だからだ。私は非垞に人間が嫌いで、所謂コミュニケヌション力が欠劂しおいる。他人の感情を読み取ったり気遣ったりするのは苊手である。そのわりにケンカが倧奜きで、人ず争うこずが党く苊にならない。もし男の子ずしお育おられ、この本で述べられおいるような䌝統的な男らしさを吞い䞊げお倧人になっおいたずしたら、たぶん所謂アンガヌマネゞメント怒りのコントロヌルの問題を抱えるようになっおいただろう。音楜の才胜がない※ 玠行の悪いレッド・ツェッペリンみたいになっおいたかもしれない考えるだに悲惚だ。今、比范的健康に暮らせおいるのは、たぶん女の子ずしお育おられたおかげだ。
     女の子ずしお育おられた人間にはいろいろ瀟䌚的に䞍利なこずも起こるが、䞀方で暎力的、支配的であるこずが良いずいう䟡倀芳を怍え付けられお倧人になる機䌚はめったにない。穏やかさずか優しさが矎埳だずいうこずを教えられる。』
    P129

    教えられお育っおも、そうはならなかった実䟋が、ここにある。

    この匕甚郚分を読んで「おいおい」ず思ったのは、北村玗衣の「玠行」や「生な珟実」を知っおいる人であろう。
    䟋えば、北村の勀務先である、「歊蔵倧孊」の同僚の皆さんずか。

    しかし、そうした「珟実」に接する機䌚の無かった人は、あれを読んで「女の子ずしお育たられたから、玠行が悪くならなくお枈んだんだね」ず、そう誀解しおしたうように、あれは曞かれおいる。
    䞀䞀芁は、故意に読者を「ミスリヌド」しおいるのであり、これが芪から教えられたずいう「女性の矎質」でなどないこずは明癜で、むしろ、これこそが、「悪しき男性性」なのである。

    䞀芋、自分を䞋げおいるように芋せかけお、実は実際以䞊に自分を良く芋せかけるずいうのは、これたで芋おきたずおり、北村玗衣の「ワンパタヌン」である。

    では、ここに衚れおいる北村玗衣の欲望ずは、どのようなものなのかず蚀えば、それは、暩勢を埗るための「他者に察するコントロヌル欲求」である。
    簡単に蚀えば「他人を意のたたに操りたい支配したい」そのこずで「暩勢を手に入れたい」ずいう、欲望だ。
    そしお、蚀うたでもなくこれは、倧倉「男性的な欲望」だず、そう蚀えるのである。

    フェミニズム的に蚀えば、これは「悪しき男性性」ずいうこずになるのだが、この欲望が、北村玗衣の堎合には、その䞭心を占めおしたっおいる。
    そのために「良き女性性」は抑圧排陀されお、女性版むヌロン・マスクになっおしたっおいるのだ。

    もちろん、今の北村玗衣は、むヌロン・マスクほどの力は無いから、そういう本質を、始終むき出しにするわけにはいかない。
    そのため、著曞などでは「あんがい私は、女性的で謙虚」みたいに芋せおいるのだが、しかし、秘められた「欲望たれ流し」になりやすい「むンタヌネット」環境になるず、すくに次のような物蚀いになっおしたうのだ。

    『北村玗衣
    2024幎8月27日 09:36

    須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントは通報いたしたした。』

    画像

    この、異様なたでの「䞊から目線」は、䜕ずしたこずなのだろう。

    北村玗衣は、本曞でもっずもらしく「マンスプレむニング」ずいう蚀葉を玹介しおいるのだが、この蚀葉が、たんた自分に圓おはたるずは思っおいない。

    䞀䞀ず蚀うか、正確には、たんた自分に圓おはたるからこそ、この蚀葉は「男に぀いおだけ䜿甚すべき専門甚語」だず、男性的な「専門家の暩嚁」を振りかざしお、「蚀葉の定矩」を人にたで匷芁しようずするのである。
    この人は、「他人の自由」に぀いおは、たったく尊重しようずはしない人なのである。

    ずもあれ、「マンスプレむニング」ずいう蚀葉が、ゞェンダヌずしおの「女性」にたで䜿われるようになった堎合、真っ先に「マンスプレむニングなや぀だ」ず名指されるのは、自分自身だずいうのを盎感しおいる。
    だからこそ北村玗衣は、先手を打っお「この蚀葉は、孊説的に蚀っお、男性に適甚される蚀葉です」ず、そんな「予防線」を匵らないではいられない。
    なにしろ、本人も認めお、呚囲も認めおいるずおり、北村玗衣の「小狡い喧嘩っ早さ」は、定評のある「事実」なのだ。
    本人がそう語っお、呚囲が「えっ」ず驚くような話では党然ない、公然呚知の事実なのである。

    ずもあれ、北村玗衣による、この「マンスプレむニング」の「定矩」ずいうのが、きわめお「誘導的」なものであるように、北村の「蚀葉」ずいうのは、おおよそ「蚀葉の衚向き」ずは裏腹の「誘導目的」を、その裏に隠し持っおいる。
    日ごろ口にするこずを、玠盎に曞いおいるのではなく、むしろ「日頃の本音」を、セルフフォロヌ的に「隠蔜」するものずしお、その著䜜があるのだず、そう考えるべきなのだ。

    本曞で蚀えば、「前曞き」郚分で、ロックバンド「オアシス」のこずを曞き出したのも、「オアシス」のこずが曞きたかったからではなく、「オアシス」の「暩嚁」を自著に重ね、自著の実態を「隠蔜」するためでこそあった。

    たた、「あずがき」で、自身の「ワンパタヌン」ぶりを曞いたのも、謙虚に自身の匱点をを認めるためではなく、それに「他の暩嚁」䟋えばゞャマラン監督を重ねるこずで正圓化し、やはり、その実際を「隠蔜」するためであった。

    『お砂糖ずスパむス』で、バズ・ラヌマンを論じたのは、普通では䜿えない「ブス」ずいう蚀葉を、心眮きなく䜿うためであった。
    「私はブスではない」ず思いながら、「ブス」ずいう蚀葉を䜿えるのは痛快だず、そう感じおいたのだ。その本音を「隠蔜」しおいたのだ。
    だが、北村玗衣がそこで感じおいた「痛快さ」は、じ぀は、女子を「ブス」呌ばわりしお喜んでいるような、床し難い「銬鹿男」の心性そのものだったのである。

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    北村玗衣はレオナルド・デカプリオのファンで、この『華麗なるギャツビヌ』が奜き
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    『華麗なるギャツビヌ』のヒロむンを挔じた、キャリヌ・マリガンは、兞型的な矎人ずいうわけでもなかったが、圓然「ブス」ずいうわけではなかった

    北村玗衣は、衚向きは「男」を批刀しながら、しかし、自分の䞭の「男」だけは、野攟しにし続けおいるのだ。

    いやむしろ、そんな自分の䞭の「男」を甘やかすためにこそ、「女」の立堎に固執しおいるのだ。
    そのためにこそ、「男女二元論」は固守されねばならず、その䞊で自分は「女」の立堎に立たなければ「損」だずいう、そんな男性䞻矩的に「実利的な打算䞻矩」に、北村玗衣は染たりきっおいる。
    だからこそそこには、「女性らしさ」ずしお理解されおいた、芪から教えられたはずの、女性的な「人間的矎埳」ずいうものが、存圚しない。
    フェミニストを暙抜する北村玗衣にずっおは、「優しさ」や「思いやり」などずいったものは、「男が女に抌し付けおくるもの」ずしお、圓たり前のように吊定され、拒吊されおしたうのである。

    北村玗衣のこうした「男性的な実利的打算䞻矩」に発する「他者コントロヌル欲望」ずいうのは、たずえば、次のようなずころにも芋お取れる。

    ク゚ンティン・タランティヌノ監督䜜品『ヘむトフル・゚むト』の「仕掛け」を論じた郚分だ。

    『 序盀でマニックスりォルトン・ゎギンズずスミザヌズが行方䞍明のチェスタヌに関する話をするくだりはりォヌレンが郚屋に入る盎前に起こったので、りォヌレンは盎接聞いおいない。しかしながらりォヌレンは入宀埌すぐ呚りを芋回し、スミザヌズやゲヌゞマむケル・マドセンの顔を芋おから、埡者でずっず郚屋にいたO・B・ゞャク゜ンゞェヌムズ・パヌクスを呌び寄せお話しかけた埌、老軍人に察しおバトン・ルヌゞュの戊いに参加したスミザヌズ将軍かず問うおいる。ここで、おそらくりォヌレンは郚屋にいる知らない人々が誰でなぜここにいるのかO・Bに尋ねお情報を匕き出しおおり、そこで自分ず同じ戊闘の堎にいたスミザヌズに話しかけようずしたず思われる。息子の名前などスミザヌズがマニックスに話した内容はO・Bから聞いたずしお、りォヌレンが回想シヌンで觊れおいるチェスタヌの新情報ずしおは「黒髪」があるが、これは癜髪のスミザヌズの眉やひげにわずかに残る黒い毛から掚定した圓おずっぜうだろう。
     りォヌレンがチェスタヌを裞にしおワむオミングの雪の山䞭を䜕時間も歩かせ、オヌラルセックスを匷芁した埌に殺したずいうサディスティックな物語は非垞に芝居がかっおいる。フラッシュバックでりォヌレンがチェスタヌを匷姊しながら笑う堎面ず、この話をスミザヌズに語るりォヌレンが笑う堎面が重なるのは、物語が珟圚のりォヌレンの創造物であるこずを瀺唆する。䞀方で、この回想に登堎する芁玠の倚くはその日りォヌレンが目にしたものでできおいる。極寒の雪山はミニヌの店に着く前に経隓したこずだ。りォヌレンは凍えたチェスタヌが毛垃を欲しがっおいたず蚀うが、この少し前にO・Bが歊噚をしたうために猛吹雪の倖に出お、寒さで死にかけたず怒りながら小屋に戻り、雪たみれで毛皮の毛垃にくるたっお暖炉の前に倒れる堎面がある。毛垃の話は、おそらくこのO・Bの行動をヒントにしたものだ。さらに回想堎面のチェスタヌはスノヌシュヌを履いおいるが、これも0・Bが毛垃に突進する堎面で倧きく映っおいる。O・Bが暖たろうず䜓を䞞めた盎埌、心配しお食事をすすめるモブレヌの動きをりォヌレンが䜕か考えおいるような顔で気にするショットがあるが、おそらくりォヌレンはここでO・Bやモブレヌの行動をよく芋お、埌で䜜話する際に参考にしたず考えられる。
     この堎面の盎埌に、りォヌレンが持っおいた゚むブラハム・リンカヌンからの手玙がニセモノだずいうこずをマニックスが暎く。手玙に感心しおいたルヌスカヌト・ラッセルはりォヌレンに「話すこずは䜕ひず぀信甚できねえ」ず蚀うが、これは正しい。りォヌレンは、癜人の譊戒をずくためにはこうした技が必芁なのだず説明する。りォヌレンが人皮差別的な瀟䌚で生きるためのさたざたなトリックを巧劙に䜿いこなしおいるこずは明らかだ。手玙がニセモノであるこずを芋砎ったマニックスは、チェスタヌの話に぀いおもりォヌレンが嘘を぀いおいるず指摘しおいる。マニックスは人皮差別䞻矩的な困った男だが、ハッタリを芋抜くのは埗意だ。おそらくマニックスが正しい。
     りォヌレンが語る、黒人男性による癜人男性の匷姊殺人の物語が虚構だずするず、それは䜕を意味するのだろうか。たずえ嘘だったずしおも、男性がレむプされたのではないかずいう疑いが提瀺されるだけで、その男性の男らしさは傷぀けられ、被害者は支配階玚から転萜する。『ヘむトフル・゚むト』で描かれる男同士の関係性の䞖界においおは、被害者の支揎や加害者にならないための啓蒙などはそっちのけで、性暎力がもっぱら被害者の名誉の問題ずしお扱われる。黒人男性を性的プレデタヌずしお悪魔化するのはアメリカ史においおしばしば芋られるこずで、䞀九䞉䞀幎のスコッツボロ事件をはじめずしお、癜人女性に察する性犯眪で黒人男性が冀眪で投獄されたり、リンチされたりするこずはたびたびあった。ここでりォヌレンが嘘を぀いおいるずしたら、わざず人皮差別的なステレオタむプを利甚し぀぀、それにひねりを加えお癜人男性の男性性を砎壊しようずしおいるこずになる。
    『パルプ・フィクション』は男性間性暎力をなかったものずするこずで男らしさを守ろうずする様子を描いおいる。䞀方、『ヘむトフル・゚むト』は発生しなかった男性間性暎力を提瀺するこずで癜人支配階玚の男らしさを攻撃する。この二䜜はどちらも、男らしさがちょっずした疑念で厩れるさたを描いおいる。ここたで露骚な描写が必芁かは考えるべきだが、タランティヌノ映画における男性間性暎力は、男らしさの虚構性を巧劙に暎いおいる。男らしさずいうものは、文字通りスカスカのパルプ・フィクションでできおいるのだ。』
    P141〜143

    画像

    『ヘむトフル・゚むト』に぀いおの现かい理解は、ここでは必芁ない。
    芁は、この䜜品には「叙述トリック」が䜿われおいる、ずいう評者・北村玗衣の指摘が、ポむントなのである。

    私は、ただこの䜜品を芋おいないから、正確な評䟡はできないが、たず間違いなく、この指摘は圓たっおいるだろう。
    「凡庞なフェミニスト批評家」である北村玗衣にしおは、極めお䟋倖的に「いい線いっおるじゃないか」ず、そう思う。

    だが、勘の良い人ならば、私がなぜここを匕甚したかは、すでに明らかだろう。
    「北村玗衣ファン」は、気づかなかったずしおもだ。

    『りォヌレンがチェスタヌを裞にしおワむオミングの雪の山䞭を䜕時間も歩かせ、オヌラルセックスを匷芁した埌に殺したずいうサディスティックな物語は非垞に芝居がかっおいる。』

    『物語が珟圚のりォヌレンの創造物であるこずを瀺唆する。』

    『毛垃の話は、おそらくこのO・Bの行動をヒントにしたもの※ 䜜り話だ。』

    『この堎面の盎埌に、りォヌレンが持っおいた゚むブラハム・リンカヌンからの手玙がニセモノだずいうこずをマニックスが暎く。手玙に感心しおいたルヌスカヌト・ラッセルはりォヌレンに「話すこずは䜕ひず぀信甚できねえ」ず蚀うが、これは正しい。』

    『りォヌレンは、癜人の譊戒をずくためにはこうした技が必芁なのだず説明する。りォヌレンが人皮差別的な瀟䌚で生きるためのさたざたなトリックを巧劙に䜿いこなしおいるこずは明らかだ。手玙がニセモノであるこずを芋砎ったマニックスは、チェスタヌの話に぀いおもりォヌレンが嘘を぀いおいるず指摘しおいる。マニックスは人皮差別䞻矩的な困った男だが、ハッタリを芋抜くのは埗意だ。おそらくマニックスが正しい。』

    『りォヌレンが語る、黒人男性による癜人男性の匷姊殺人の物語が虚構だずするず、それは䜕を意味するのだろうか。たずえ嘘だったずしおも、男性がレむプされたのではないかずいう疑いが提瀺されるだけで、その男性の男らしさは傷぀けられ、被害者は支配階玚から転萜する。』

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    マヌキス・りォヌレン圹のサミュ゚ル・L・ゞャク゜ン

    『ここでりォヌレンが嘘を぀いおいるずしたら、わざず人皮差別的なステレオタむプを利甚し぀぀、それにひねりを加えお癜人男性の男性性を砎壊しようずしおいるこずになる。』

    『『ヘむトフル・゚むト』は発生しなかった男性間性暎力を提瀺するこずで癜人支配階玚の男らしさを攻撃する。この二䜜※『パルプ・フィクション』ず『ヘむトフル・゚むト』はどちらも、男らしさがちょっずした疑念で厩れるさたを描いおいる。』

    『タランティヌノ映画における男性間性暎力は、男らしさの虚構性を巧劙に暎いおいる。男らしさずいうものは、文字通りスカスカのパルプ・フィクションでできおいるのだ。』

    芁は、タランティヌノは「匷い男に憧れながらも、珟実の自分は、もずもずは単なる映画オタクだし、有名映画監督になっおからも、セクハラ・プロデュヌサヌであるハヌノィ・ワむンスティヌンには頭が䞊がらず、女優たちを守るこずたでがなかった。そこで『ヘむトフル・゚むト』では、䜜䞭の癜人に、自己を投圱しお、それを自眰的に描いお、自分を慰めた」ず、倧筋でこういう読みだ。これは、たぶん圓たっおいるだろう。

    だが、すでにお気づきの方も倚かろうが、問題はそこではない。

    このタランティヌノ論で、泚目すべきなのは、

    『※ 黒人がわざず人皮差別的なステレオタむプを利甚し぀぀、それにひねりを加えお癜人男性の男性性を砎壊しようずしおいる』

    ずいった、北村玗衣による指摘であり、ここで解説された「方法論」は、容易に、「黒人」を「女性」、「癜人」を「男性」に読み替えるこずが可胜だずいう点である。
    評者の北村玗衣は、ここで、こうした「ペテンによる正矩の実珟」に察しお「肯定的」だずいう事実が重芁なのだ。

    ぀たり、平たく蚀えば、「男の女性に察する差別的支配を打ち砕くためであれば、嘘くらい぀いおもかたわない」ず、北村玗衣はそう考えおいる、ずいうこずだ。

    あるいは「わざず、男の女性差別的なステレオタむプを利甚し぀぀、それにひねりを加えお男性の男性性を砎壊する」ずいうのも「あり」だず、ここで蚀っおいるに等しいのである。

    実際、その男性が、そんなこずを蚀っおいなくおも、「いかにも蚀いそうな嘘をでっち䞊げおこれを拡散し、その男性の男性性を砎壊し、瀟䌚的に葬る」こずも、悪くはない、ず。

    ぀たり、女性を解攟するためには、男性を、「個人」を問題ずしお批刀するのではなく、「男なんお、みんな同じ」ずいう「男女二元論」的に雑なスタンスで、悪い男も良い男もぜんぶ匕っくるめお、葬り去らなければならないし、そのためには「無いこず無いこず」を喧䌝しお、男を「ハメる萜ずし入れる」のも、可胜であれば、「あり」だずいう、フェミニスト批評家の「本音」が、ここには吊定しがたく露呈しおいるのである。

    そしおこれは、私が、北村玗衣の著曞『お砂糖ずスパむス』を論じた際に指摘しおおいた「疑い」の正しかったこずを、裏付けるこずにもなっおいる。

    『須藀にわか氏が北村玗衣先生を批刀するきっかけずなったむンタビュヌ蚘事、

    ・メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た

    では、北村玗衣は「ミステリヌ小説を読んで、論理的に緻密に䜜られたものに慣れおいる私ずしおは、『ダヌティハリヌ』のようなご郜合䞻矩的な䜜りでは、ぜんぜん楜しめなかった」ずいう趣旚のこずを話しおいたのだ。‚぀たり、そんな「ミステリマニア」であるず自慢したがる北村玗衣先生ならば、それこそ、初歩の「叙述トリック」くらいは、駆䜿しお圓然なのではないだろうか。

    そう蚀えば、本曞『お砂糖ずスパむス』にも「信甚できない語り手」ずいう「叙述トリック」にかかわる「ミステリ業界甚語」ぞの蚀及もあったし。』

    ぀たり、北村玗衣が、タランティヌノの『ヘむトフル・゚むト』を論じお、暗に「共感」をしおしおいるのは、「男をキャンセルする※ 瀟䌚的に葬るためならば、でっち䞊げも蚱される」ず感じおいる、ずいうこずであり、そんな「女性のための党掟利益的な正矩」が「正矩」の名に倀するものなのかずいう重倧な疑問はいったん眮くずしおも、少なくずも、そうした立堎に立぀のであろう北村玗衣に぀いおは、やはり「信甚できない語り手」だず、そう考えおおく方が良い、ずいうこずである。

    なにしろ、北村玗衣は、この「タランティヌノ論」で、決しおタランティヌノを批刀しおはおらず、むしろ暗に擁護しおさえいるのだ。女性を守れなかった、ヘタレ男のタランティヌノを、い぀になく擁護しおいるのである。

    そしお、そんな異䟋の凊遇をする理由ずは、所詮「タランティヌノが奜きだから」ずいうこずのようなのだ。
    「男」の䞀人であるタランティヌノを、䟋倖的に擁護する根拠など、同皿では語られおいないのである。

    さお、次に泚目すべきは、北村玗衣が倧ファンである「スタヌ・りォヌズ」シリヌズを論じた郚分だ。

    『 ※ 『スタヌ・りォヌズスカむりォヌカヌの倜明け』を芋お我ながら非垞にショックだったのは、ずりあえず『スタヌ・りォヌズ』シリヌズのファンを蟞めようかず思い始めたずいうこずだ。私はそんなに熱心な『スタヌ・りォヌズ』のファンではないず思うのだが他のファンを芋おいるず、自分のレベルではそう蚀えないず思う、それでもゞェダむを自称しおいるくらいは奜きだこのあたりはファンダムに長く䜏みすぎお感芚がおかしくなっおいるのかもしれないが。もちろん、たずもな倧人は自分がゞェダむであるなどずは蚀わないので、私がゞェダむを自称しおいるこずじたいがおかしいのだが、『スタヌ・りォヌズ』ファンダムでゞェダむを自称する人は珍しくない。私は高校生の時から「スタヌ・りォヌズ』シリヌズが倧奜きで、䞀生続くものだず思っおいた。他の䜜品に぀いおは幎をずっお飜きたり、うんざりしたりするこずもあるかもしれないず思っおいたが、『スタヌ・りォヌズ』ず、私が研究察象にしおいるシェむクスピアのふた぀だけは、死ぬたでオタクをやめられないものだず思っおいたのである。ずころが、やめたくなった。』
    P227〜228

    これくらい、「スタヌ・りォヌズ」シリヌズが倧奜きな北村玗衣が、『スカむりォヌカヌの倜明け』のどこを、そこたでダメだず評䟡したのかは、ここでは重芁ではない。

    画像

    䞀䞀ここお泚目すべきなのは、「スタヌ・りォヌズ」シリヌズを「ダメにした元凶」ずしお、北村は「ファンダムが、力を持ちすぎた」ずいう理由を挙げおいる点である。

    『 しかしながら、この批評家受けが良く、さらに䞀郚のファンからも奜評だった『最埌のゞェダむ』は、䞀郚のオヌルドファンから猛烈に評刀が悪かった。Change.orgではこの䜜品を『スタヌ・りォヌズ』キャノンから倖せずいう眲名が立ち䞊がり、BBCには「史䞊最も意芋が割れる映画」ず呌ばれた。ずくに賛吊䞡論だった新しいキャラクタヌであるロヌズを挔じたノェトナム系の女優ケリヌ・マリヌ・トランは、人皮差別的、性差別的、容姿差別的なオンラむンハラスメントを受け、SNSを閉鎖するに至った。映画レビュヌ集積サむトであるロットントマトズではいわゆるレビュヌボミングレビュヌサむトで倧量の人が䜜品にネガティノな評䟡を぀けるこずの察象になり、䞍正プログラムなどによる評䟡操䜜も疑われた。レビュヌボミングに぀いおは、『ノァヌゞ』のアディ・ロバヌト゜ンが指摘しおいるように䜜品に性差別や人皮差別に察する批刀的芖点が含たれおいるこずが原因かもしれず、たずもなファンよりはろくに映画も芋おいない人々のいたずらが䞻である可胜性もある。しかしながら、『最埌のゞェダむ』が血統䞻矩や男性䞭心䞻矩に批刀的で、それが保守的なファンに奜たれおいなかったらしいずいうこずは指摘できるだろう。
    『スカむりォヌカヌの倜明け』は『最埌のゞェダむ』でオヌルドファンに奜かれなかったずころを培底的に元のシリヌズに寄せおいる。『フォヌブズ』のスコット・メンデル゜ンは『スカむりォヌカヌの倜明け』を、若者や子どもたちではなく「自分たちが䞀番重芁な䞖代だず信じおいた時代を懐かしむノスタルゞックな倧人に向けた」䜜品だず述べおいる。おそらくこの分析は完党に正しい。「スカむりォヌカヌの倜明け』は若いファンの趣味にあいそうな登堎人物をたくさん出しおいるにもかかわらず、プロット䞊は昔からのファンに媚びおいるだけだ。
     ディズニヌが䜜っおいるずいうこずを考えれば、こうなっおしたった経緯はわかる。珟圚のディズニヌはお客にりケるこずを垞に考えおいる極めお商業的な䌁業で、保守的でもある。『最埌のゞェダむ』で意芋が割れたのを芋お、もう少し穏圓な方向性に修正したかったのだろう。
     もちろん、ファンの顔色ばかりうかがっおいた制䜜陣のせいにするこずはできる。クリ゚むタヌ偎には明らかに責任がある。しかしながら私が非垞にむダな気分になったのは、なんだかんだで『スカむりォヌカヌの倜明け』はファンの意芋を取り入れたせいでひどい出来になった、ずいうこずだ。私が䜏んでいる『スタヌ・りォヌズ』ファンダムの人々は、『最埌のゞェダむ』のような新しい詊みを受け入れられず、クリ゚むタヌの実隓粟神や独創性を評䟡するよりもお銎染みの語の繰り返しを望んだ。それに制䜜陣がなびいた。ファンダムがマむンドトリックを悪甚したも同然だ。
     これは぀たり、我々は垝囜になったずいうこずだ。オタクどもは虐げられた反乱軍の぀もりでいるが、実は既に力を持っおいお、垝囜なのではないか.......ずいう疑いに぀いおは、深局孊習の専門家であるピヌト・りォヌデンや䜜家のリンカヌン・ミシェルが既に明快に衚明しおいるWarden: Michel。りォヌデンやミシェルは、SFやファンタゞヌがのけ者にされ、コンピュヌタや科孊が奜きな者がガリ勉ずしお蔑たれおいた頃の被害者意識をオタクがそのたた匕きずっおいるず指摘した。こういうコンテンツが珟圚では䞻流になっお、オタクがシリコンバレヌやハリりッドで倧成功しお暩力を持぀ようになっおいるのに、オタクのほうはいただに反逆者気取りで、自分が持っおいる力に察する自芚が足りないずいうわけだ。りォヌデンずミシェルはどちらも垝囜empireず反乱軍rebelずいう蚀葉を䜿っおいるが、これは『スタヌ・りォヌズ』を連想させるし、おそらく曞いおいるほうも読み手がSFオタクの基瀎教逊である『スタヌ・りォヌズ』のこずを思い出しおくれるだろうず考えお䜿っおいるだろう。
     りォヌデンやミシェルの䞻匵ずは少し文脈が違うが、今や『スタヌ・りォヌズ』のファンダムは垝囜のように振る舞っおおり、新しいクリ゚むティノな詊みを認めなくなった。ルヌカスがシリヌズを始めた頃にできたファンダムには、たあいろいろ問題もあったのだろうが、独創的でそれたではバカバカしいず思われおいたような斬新なアむディアを受け入れる土壌がもっずあったはずだず思う。ずころが、創造神であるルヌカスもいなくなり、今のファンダムは気に入らない䜜品や女優にストヌムトルヌパヌを送り蟌み、䜜品にも悪圱響を䞎える始末だ。
     このせいで私はしばらく研究ができなくなった。私はシェむクスピア研究者だが、専門は受容史であり、ファン研究のアプロヌチをずっおいる。ここ䞀〇幎間、コンテンツはファンがいるから成長できるのであり、ファンはクリ゚むタヌ同様、䜜品の向䞊に貢献する䞍可欠な存圚だずいう信念を持っお研究しおきた。しかしながら、『スカむりォヌカヌの倜明け』のせいで、私が䜏んでいるファンダムはストヌムトルヌパヌだらけの垝囜だずいうこずに気付いた。自分が研究しおいるものを肩じられなくなった。』
    P230〜233

    察しの良い方なら、なぜ私が、ここを匕甚したかも、もはや明癜だろう。
    だが、「北村玗衣ファン」は、この皋床のこずも読み取れない。

    ぀たり、゚ンタメ䜜品の「ファンダム」ずは、所詮その皋床の知的レベルのものだ、ずいうこずであり、そうでありながら、倧倉な「力圱響力」を持っおいるず、北村玗衣は、ここでそのように指摘しおいるのである。

    ちなみのこの節の芋出しは、

    『垝囜ず化したファンダム』

    ずいうものであり、無論、北村玗衣はここで「垝囜ず化したファンダム」を批刀しおいる。

    芁は「頭の軜いファンたちが、数の力で「スタヌ・りォヌズ」シリヌズを歪めおしたった」ず、そう批刀しおいるのだが、しかし、ここで批刀されおいるのは、倧奜きな「スタヌ・りォヌズ」シリヌズが、北村玗衣の「奜たぬ方向ぞず歪められた」ずいう点にあっお、「ファンダム」の力自䜓を吊定しおいるわけでは、たったくない。

    『ファンはクリ゚むタヌ同様、䜜品の向䞊に貢献する䞍可欠な存圚だずいう信念を持っお研究しおきた。』

    ずいった蚀葉に明らかだろう。
    なにより、北村自身が、そんなファンの䞀人なのだから、あくたでも問題は、その「フォヌス力」の䜿い方なのである。

    北村玗衣自身も曞いおいるずおり、熱心な「スタヌ・りォヌズ」ファンは、自身を「特別な力ずしおのフォヌス」を持぀「正矩の階士たるゞェダむ」に重ねがちだ。
    そしお、その「フォヌス」を、「正矩」のため䜿うのは「正しい」ず、そう単玔に、「勧善懲悪」的に考えおいる。

    画像
    ゞェダむの階士たち

    だが、北村玗衣がここでも曞いおいるように、珟実には、その「フォヌス力」を、必ずしも「正矩ずは蚀い難いこず」に䜿っおしたう堎合も、決しお珍しくはない

    「スタヌ・りォヌズ」ずいう物語の䞭でも、もずもず「ゞェダむの階士」であったはずの、アナキン・スカむりォヌカヌが、その「フォヌス」に迷い、「自らの正矩」のために「フォヌス」を䜿ったがために、かの「ダヌス・ベむダヌ」ず化しおしたった。
    ぀たり、圓人ずしおは、良かれず思い、「正矩」を為した぀もりなのだが、客芳的には「悪」ずしか蚀いようのないものになっおしたった。
    芁は、「闇堕ち」しおしたった、のである。

    画像
    アナキン・スカむりォヌカヌ

    そしお、これは珟実にこそ「ありふれた話」で、なんらかの「信念」や「むデオロギヌ」を掲げた人ずいうのは、しばしば「闇堕ち」しおきたずいうのが、人間の歎史的事実なのである。

    したがっお、私たちが「スタヌ・りォヌズ」のような「寓話」から、正しく読み取り、孊ばなければならないのは、「力」は「正矩」ではない、ずいうこずであり、だからこそ、力は慎重に䜿われなければならない、ずいうこずなのである。

    そしおここで蚀う「正しさ」ずは、個々の「むデオロギヌずしおの正矩」を蚀うのではない。
    なのに、「傲慢の眪」に捉えられ、自己盞察芖を怠り、確信犯的に「他害の眪」を犯しおしたったのが、か぀おアナキン・スカむりォヌカヌであった黒階士、ダヌス・ベむダヌなのである。

    そんなわけで、北村玗衣がタランティヌノの『ヘむトフル・゚むト』を論じた際に、「黒人が癜人の差別的支配を跳ね陀けるためならば、嘘も蚱される」ず、ほずんど無自芚に瀺しおいたその考え方は、明らかに「独善」による誀りである。
    ぀たり、この段階ですでに、北村玗衣は、半ば「闇堕ち」しおおり、蚀うなれば「ダヌス・ベむダヌ化」しおいたず蚀えるのだ。

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    ダヌス・ベむダヌ

    『今や『スタヌ・りォヌズ』のファンダムは垝囜のように振る舞っおおり、新しいクリ゚むティノな詊みを認めなくなった。ルヌカスがシリヌズを始めた頃にできたファンダムには、たあいろいろ問題もあったのだろうが、独創的でそれたではバカバカしいず思われおいたような斬新なアむディアを受け入れる土壌がもっずあったはずだず思う。』

    䟋えばこれは、

    「今や」孊䌚や論壇では、「ファンダムずしおのツむフェミたち」が「数の力」で、男たちを黙らせおおり、たいぞん窮屈な蚀論状況になっおしたっおいる、ずいう状況ず、盞䌌的なものではないだろうか

    『クリ゚むタヌの実隓粟神や独創性を評䟡するよりもお銎染みの語の繰り返しを望んだ。それに制䜜陣がなびいた。ファンダムがマむンドトリックを悪甚したも同然だ。』

    『たあいろいろ問題もあったのだろうが、独創的でそれたではバカバカしいず思われおいたような斬新なアむディアを受け入れる土壌がもっずあったはず』

    ぀たり、「むデオロギヌ的な正矩ずしおの王切り型」を業界に匷芁したこずで、「柔軟さ」や「誀ちに察する寛容さ」がすっかり倱われお、情け無甚の「厳眰䞻矩」による「硬盎」が蔓延っおしたった。

    䞀床でも誀ちを犯した者は、袋叩きにされ、その瀟䌚的な立堎たで奪われお、二床ず立ち盎れないずころたで远い蟌たれお、その「声」たで奪われる。
    蚀うたでもなくこれが、「非寛容」をその本質ずする、「キャンセルカルチャヌ」なのだ。

    そしお、こうした「キャンセル重芖の戊法」を、自芚的に遞択しおいるのが、他でもない、「蚎蚟」だの「管理者通報」だのこそがお埗意の、北村玗衣その人なのである。

    北村が関わった、「呉座勇䞀」裁刀や「山内雁琳」裁刀で、北村玗衣は、いったい䜕をやっただろうか

    それは、次のような報告にも明らかなずおりで、察立する「意芋の䞭身」の正邪を問うものでは䞀切なく、所詮は「誹謗䞭傷」したずかしないずかいう倧人げない「口げんか」に「叞法刀断」を持ち蟌み、「法暩力」の力を借りおるこずで盞手を「瀟䌚的に痛め぀け」お、その「声を奪う黙らせる」こずでしかなかった。

    ・北村玗衣は呉座勇䞀に「奎隷契玄」をさせたず思っおるのか和解ず公序良俗違反

    ・「北村玗衣・山内雁琳」蚎蚟の地裁刀決を正しく読む

    「蚀論人」ずしお問題にすべきは、「裁刀」での「勝った負けた」ではなく、「意芋芋解の是非優劣」であるべきなのに、そこはたったく問題ならず、いや、意図的にそうはせず、圓然、「蚀論人ずしおの議論・論争」をするこずもなく、「裁刀」に蚎えお、「囜家暩力」の力を利甚するこずで盞手を「朰す」、ずいうこずの「実効性」だけが、そこでは自芚的に遞ばれおいるのだ。

    だから、「女性のため」に闘っおいるずいう「倧矩名分」が立぀のなら、『ヘむトフル・゚むト』の「黒人による癜人退治」ず同様に、「嘘」や「隠埮な暎力ずしおの圧力」なども蚱されようし、たしおや「蚀論には蚀論で」などずいう「きれいごず」など、男に益するものでしかないず、䞀顧だにもされなくなっおしたう。

    か぀お「アメリカでは、裁刀に勝぀ためなら、事実などどうでも良いずいうやり方になっおいるが、日本人の感芚ずしおは、それはあたりにも卑しい」などず蚀われたりもしたが、それがそのたた、今の私たちの目の前で、よりによっお、「教育者」により挔じられおいるのだ。

    ずもあれ、このような「キャンセル・カルチャヌ」的な暎力性を、いったん内面化しおしたえば、

    『今のファンダムは気に入らない䜜品や女優にストヌムトルヌパヌを送り蟌み、䜜品にも悪圱響を䞎える始末だ。』

    ずいう「批刀」でさえも、「ならば、自分が正矩のために、男たちに察しお、ストヌムトルヌパヌを送り蟌み、自分たちの、正矩の垝囜を築けば良いではないか」ずいうこずになっおしたう。

    無論これが、䞎那芇最が指摘するずころの「ファンネル・オフェンス」に他ならないのである。

    ・ファンネル・オフェンスの諞問題前回の蚘事を䞀郚蚂正したす

    北村玗衣は、どうしおこんな「非情」なこずが出来るのだろう

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    「X」での「北村玗衣vs須藀にわか」論争に登堎した、北村に加勢する「ストヌムトルヌパヌ」軍団

    それはたぶん、北村玗衣自身も認めるずおりで、圌女が「内面的には男」だからである。

    先に私は、北村玗衣のこずを「女性版むヌロン・マスク」だず評したが、その心は「結果を出すためには、手段を遞ばない」ずいう、その冷培な「リアリスト」ぶりを指しおいた。

    たた、私は、北村玗衣の「管理者通報」によっお削陀されお閲芧䞍胜になった「note」蚘事「北村玗衣ずいう人」の䞭で、北村のこずを「女性版・小谷野敊」ず評したが、これは北村・小谷野の䞡者が、「蚀論」ではなく「裁刀」を奜む、ずいう共通点があったからだ。
    そしお、この二人に共通するのは、「異性嫌悪」である。

    もちろん、䞡者共に、結婚なり同棲なりをしおいるようなのだが、個別的な愛着関係のない「䞀般的な異性」に察しおは、こずさらに「ヘむト」な発蚀を奜む、ずいう共通点がある。

    これは、どういうこずなのかずいえば、たぶんそれは、むヌロン・マスクも含めお、圌/女らは、匷い「暩力志向」の持ち䞻であり、おのずず「匷暩䞻矩」ずいう「悪しき男性性」を、色濃く持っおいるからであろう。

    圌/女らは、ダテに「肩曞き」を求めたのではなく、その「肩曞き」に䌎う「暩力」をこそ、求めおいたのである。
    だから、䜿える「力」は䜿っお圓然、ずいう考え方であり、「実力行䜿の前に、たず話し合いを」などずいうこずには金茪際ならない、のだ。

    かのシモヌヌ・ド・ボヌノォワヌルが蚀ったように、「人は女ずしお生たれるのではなく、女なる」のだずいうのは、圓然、「女」ずは「瀟䌚的な䜜られた存圚フィクションだ」ずいうほどの意味であり、確かにそうした偎面が倧いにある。
    たた、北村玗衣が、本曞の「男たちのデスロヌド」の章に所収の「男の子はいかにしお「男らしさの檻」に入れられるのか」の郚分で論じたずおり、男も男ずしお䜜られるずいう偎面がある。

    ぀たり、人間ずはもずもず、「男でもなければ、女でもないものず」ずしお生たれおくるのだが、それが生たれた瞬間に、その「性噚の構造」によっお、無理やり「男女に二分」される。
    そしおその埌は、その「二分された性別」にしたがっお、くり返しくり返し「らしい人間」ぞず「矯正教育」されるこずで、「男ず女の二元論」いう制床、「男は男であり、女は女である」ずいう「擬制」が、パフォヌマティブ行為遂行的に構築されるのである。

    蚀い換えれば、「性噚の構造」の違いだけで、自動的に「男ず女ぞ二分され、それで男女別に完成する」ずいうわけではないのだ。

    思考実隓ずしお、仮に、人間の男女の子䟛が、性別を持たないロボットによっお、䞀切の分け隔おなく、同様に育おられたずしたなら、たぶんこの二人は、私たちが知っおいるような、ハッキリずした、「男らしい男」や「女らしい女」には育たないだろうず、そう容易に掚枬できよう。

    ぀たり、「解剖孊的女性」である北村玗衣が、むヌロン・マスクや小谷野敊のような「悪しき男性性」を持っおいたずしおも、それは䞍思議なこずでも、䞍自然なこずではないのだ。たしお、恥ずべきこずでもないのである。

    ただし、「解剖孊的な性別」にかかわりなく、「悪しき男性性」や「悪しき女性性」を持っおいる者は、そうした「悪しき属性」を批刀改善されなければならない。

    しかし、「悪しき男性性を持っおいる、小狡い女性」や、その男女逆パタヌンならば、圓然、自身の「解剖孊的な特性ず分類䞊の暩利」をフルに利甚しお、その「悪しき属性」を満足させようずするだろう。

    そのためには「手段を遞ばない」から、平気で「嘘」も尜くし、敵方に『ストヌムトルヌパヌ』を送り蟌みもするだろう。

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    「善なる男性性あるいは女性性」を持぀者であれば「そんな卑怯な真䌌は止しなさい」ず蚀うだろうが、圓然のこずながら、反倫理的な「悪しき属性」は、そんな「きれいごず」など錻で嘲笑っお、敵を眠に嵌めるこずも蟞さないだろう。

    なぜなら、それが圌/女にずっおは、「正矩」に他ならないからである。

    したがっお、「解剖孊的な女性でありながら、か぀悪しき男性性」を持っおいる者たたは、その男女逆パタヌンほど、タチの悪いものもいない。その「内面」を「倖芋」で、意図的に「隠蔜」しお、時ず堎合により、芁領よく䞡性を䜿い分けるからである。

    だから、こうした人物を批刀する堎合に、必芁な配慮ずは、 その批刀察象が、自明な「男あるいは女」ではなく、蚀うなれば「ヒト個䜓」ずしお、批刀するずいうこずであろう。

    実際、われわれは倚くの堎合、論敵の「解剖孊的性別」を、確認するわけではない。
    「名前」や「服装」や「身䜓的な倖芋」ずいった、極めお曖昧な特城で「たぶん男だろう」ずか「たぶん女だろう」ず刀断し、それでいおそれが、たるで自明な事実ででもあるかのように信じお、議論したり䌚話したりしおいるのだが、実際のずころその堎には、「男性的な内面性を持぀女性」もいれば「女性的な内面性を持぀男性」もいるのだ。

    無論それだけではなく、「䞭間的な存圚」さえもいお、それはそれで、皆が「同等に尊重されなければならない」ずいうのは、論を埅たないのである。

    だずすれば䞀䞀、私がここで「私は女性である。解剖孊的には男性だが、心は女性であるから、女性ずしお尊重しおほしい」ず蚎えるならば、あるいは「党郚が女性であるずたでは蚀わないが、半分は女性だから、女性ずしおも尊重しおほしい」そう蚎えるならば、その蚎えは、尊重されるべきなのではないだろうか

    それずも、「マッチョな男性」や「自身の、女性の立堎を自明芖するフェミニストの女性」は、私を「半分だけなら、半分だけは認めおやる」ずでも蚀うだろうか

    あるいは、もっずオヌ゜ドックスに「半々なら、バケモノだ」ずか「倉態クィア」だずか蚀っお、私を嘲笑うのだろうか
    あるいはたた「停物の女性」あるいは「停物の男性」扱いにしお、差別するのだろうか

    しかし、私が「男か女か」など、所詮は「文化的に構築されたフィクション」でしかなく、本質的な問題ではない。

    その意味では、私は「男でもあれば女でもある」し、「女でもなければ男でもない」存圚ずしおの「ヒト個䜓」でしかなく、そんな私が芋る、他の人々もたた、その「自認」や「倖圢」に関わりなく、「ヒト個䜓」であるこずだけは間違いないだろうから、私は「ヒト個䜓」ずしお、他の「ヒト個䜓」を、「人ずしお、人栌的に立掟か吊か」で評䟡したいのだ。
    「男だから」「女だから」ず評䟡するのではなく、「人個䜓ずしお、どうか」ず、そんなふうに評䟡したいのである。

    そしおこれは、たぶん「ヒト個䜓」ずしお、瀟䌚的に付䞎された各皮の「文化的な属性」のせいで差別され、虐げられおきた人たちに共通の思いなのではないだろうか。
    ただ「ヒトずしお、圓たり前に尊重しお欲しいだけ」なのだず。

    だから、私は北村玗衣の「悪しき男性性に由来する、手段を遞ばぬ暩力志向」を認めるこずはできない。

    具䜓的に蚀えば、私が、

    『幎間読曞人
    2024幎8月25日 05:14

    それを、それこそ『ダヌティハリヌ』すら芋おなかった玠人が、「アメリカン・ニュヌシネマ」は「こういうものだ」なんお、知ったかぶりで語るのは、たさに「盲目、蛇に怖ず」っおや぀だず思いたす。
    そしお、そうした態床の根底にあるのは「差別的な䞊から目線」。だから、そこで「フェミニストの恥さらし」にもなるわけです。

    今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    ず曞いたものに぀いお、それの䞀郚を恣意的に「切り取り」、さらに「改倉」たで加えお、

    『北村玗衣
    2024幎8月27日 09:36

    須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントは通報いたしたした。』

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    ず、「管理者通報」しお、私から「発蚀暩」を奪おうずした、男女を問わぬ「アンフェアな行い」を、蚱すわけにはいかない。


    『今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    ずいう蚀葉を、自芚的に、

    『幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメント』

    ず曞き換えるこずで、人を「陥れようずするような、卑劣なやり方やその考え方」を、男女の別なく、蚱すこずは出来ないのだ。

    北村玗衣が「歊蔵倧孊の女性教授」であり、私が「名もなき無職の老人男性」だずしおも、そうした「瀟䌚的あるいは解剖孊的な属性」の違いによっお軜んじられ、差別されるこずを、私は容認し埗ない。

    なぜならこれは、私䞀個の問題ではなく、差別される、すべおの人の問題だからである。

    だから私は、本曞に秘められた「悪しき男性性」を吊定するし、そんな北村玗衣の「悪しき男性性」をも批刀しないではいられない。

    実際のずころ私は、本曞著者である北村玗衣の「解剖孊的な性別」さえ知らないのだが、そんな「非本質的な文化的フィクション」など、いずれにしおも、どうでもいいこずなのだ。

    私が求めるのは「ヒトずしおの正しさ」であり、その意味での「ヒトずしおの矎しさ」なのである。
    「匱肉匷食の暎力性」には頌らない、人ずしおの理性であり倫理であり、そしおそれを䜓珟する「蚀葉」をこそ、私は求めるのだ。



    2024幎9月23日

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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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