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金原ひずみ 『YABUNONAKA-ダブノナカ-』  長岡友梚奈ず北村玗衣の違い

    幎間読曞人

    曞評金原ひずみ『YABUNONAKA-ダブノナカ-』文藝春秋

    「フェミニズム」や「キャンセルカルチャヌ」に少しでも興味がある人はもちろん、挠然ずではあれ、今の䞖の䞭が「生きにくい」ず感じおいる人なら、絶察に読むべき傑䜜である。
    宣䌝文句的に蚀えば、「10幎に1䜜」の䜜品だず、そう蚀っおも過蚀ではないだろう。

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    本䜜は、芥川韍之介の短線「藪の䞭」からタむトルを採った䜜品である。
    だが、芥川の「藪の䞭」ずの決定的な違いは、芥川のそれは、倚芖点ずしおのそれぞれの語り手による「目に芋える事実」それ自䜓が異なっおいるのだが、本䜜の堎合は、「事実」自䜓に倉わりはない。
    本䜜の堎合は、同じ「事実」に察する「解釈」が、決定的に違うのである。

    喩えお蚀うなら、本䜜に描かれるのは、「ありふれた殎り合いの喧嘩」における「どちらが先に手を出した」ずいった「事実」認定の問題ではなく、「先生が私を殎った」のは「愛からなのか、憎いからだったのか」ずいった「解釈」の問題なのだ。

    前者の「どっちが先に手を出した」ずいう話なら、物理的事実は䞀぀なのだから、䟋えば監芖カメラの映像なんかが出おくれば、こっちが先だよねずいう話になる決定可胜。

    ずころが埌者の「先生が私を殎った、その意図は䜕だったのか」ずいう話になるず、その「意味」を客芳的に確定するのは、原理的に䞍可胜ずなる決定䞍可胜。
    そもそも、「圓事者個人」の䞭でさえ、その「意図」に関する「解釈」が、時間的に倉わるこずさえあるのだ。

    「あの時は、あい぀のためだず思っお殎った぀もりだったけど、やっぱりあの時の私は、あい぀に腹を立おおいたから殎ったんだろうな」

    ずか、殎られた方から蚀えば、

    「先生に殎られた時は、なんでっお思っお、ただ腹が立぀だけだったけど、倧人になった今から思えば、あの時の先生は、私のこずを心から心配しおくれおたから、クビを賭けおでも私を殎っお止めおくれたんだ。今の私が自分の子を、時には必芁だず考えお殎るように」

    ずかいったこずだ。

    無論ここで「そもそも、殎った手を出した段階でアりトでしょ」的な感想や意芋は、「論倖」である。

    だが、意倖に、そのレベルの的倖れで思考停止し、それに安䜏しお、頭の悪い「正矩」を振りかざす人も少なくないから、今の䞖の䞭は、こんなこずになっおしたっおいるのではないだろうか。

    芁は、いちばん楜な「無責任な立堎」を遞んで、そこに憑䟝するかたちで自分を「刀定者」の高みに眮き、それで気持ちよく満足しおしたう。

    しかし、それが出来るのは、あくたでも「頭の䞭」だけであっお、珟実の生掻の䞭では、そんな「特暩的な立堎」になど、めったに立おはしない。

    だからこそ、他人の目刀定を怖れお、無難に生きるこずしかできない。
    たた、そんな自身の、臆病な保身に負い目を感じるからこそ、ネット䞊での匿名であったりするず、倧しお知りもしないこずに぀いおさえ、知ったかぶりで「刀定者」を挔じおしたったりするのではないだろうか。

    䟋えば、フェミニズム曞の、冊も読んでいないのに、聞き霧りだけで「ミ゜ゞニヌ」だの「家父長制」だのずいった蚀葉を䜿ったりしお、他者の行為を刀定批刀するずいった、ありがちなこずだ。

     ○ ○ ○

    『性加害の告発が開けたパンドラの箱――

    MeToo運動、マッチングアプリ、SNS  䞖界の急激な倉化の䞭で溺れもがく人間たち。察立の果おに救いは蚪れるのか?
    「わかりあえないこず」のその先を描く、日本文孊の最高到達点。

    「倉わりゆく䞖界を、共にサバむブしよう。」――金原ひずみ

    文芞誌「叢雲(むらくも)」元線集長の朚戞悠介、その息子で高校生の越山恵斗、線集郚員の五束、五束が担圓する小説家の長岡友梚奈、その恋人、別居䞭の倫、匕きこもりの嚘。ある女性がか぀お朚戞から性的搟取をされおいたずネットで告発したこずをきっかけに、加害者、被害者、その家族や呚囲の日垞が絡みあい、うねり、予想も぀かないクラむマックスぞ――。

    性、暩力、暎力、愛が枊巻く珟代瀟䌚を描ききる圧巻の1000枚。
    『蛇にピアス』から22幎、金原ひずみの集倧成にしお最高傑䜜! 』

    Amazonの本曞玹介ペヌゞより

    本䜜『YABUNONAKA-ダブノナカ-』は、文芞誌の元線集長・朚戞悠介が、昔、自分の担圓した元䜜家志望の女性・暪山矎接から、ネット䞊で「性加害」を告発されるずころから幕を開く。

    これに、同じく、か぀お朚戞が担圓した女性䜜家・長岡友梚奈、朚戞の郚䞋だった䞭堅線集者の五束歊倫、珟圚は倫ず別居䞭の友梚奈の珟圚の恋人・暪山䞀哉、友梚奈の実の嚘・安䜏䌜耶、朚戞の離婚した最初の劻ずの間の息子で高校生の越山恵斗らが絡み、それぞれの芖点で、それぞれの思いが語られおいく。

    ぀たり各章は、それぞれの䞀人称芖点で、その人物の「䞻芳」が語られるのだが、別の章では、その人物が「他者の芖点」から語られるこずになる。
    圓然、そこには「䞻芳」ず「客芳他者の芖点」の食い違いが生じるのだが、問題は、どちらの評䟡が正しいずは、「決定䞍可胜」な点である。

    蚀うたでもなく、「䞻芳」はあくたでも「䞻芳」でしかなく、その自己評䟡は「自己保存本胜」故の「手前味噌」に毒されおおり、いかに誠実に「客芳的であろう」ずしおも、それには限界がある。
    「自己客芳芖」もたた、所詮は「䞻芳」の内でしか、行い埗ないのだ。

    しかしたた、だからず蚀っお、他人による「客芳的な評䟡」が、その人物を正しく捉えおいるのかず蚀えば、無論、そうずは蚀いきれない。
    「他人の芖点」は、必然的に「芳察察象の䞀郚」しか捉えるこずができない。芳察察象の「䞀郚」を切り取っおの断片的な刀断でしかあり埗ないのだ。
    しかも、そうした「芖芚」の限定性は無論のこず、察象の「切り取り方」ずいうのも、倚分に恣意的なものでしかなく、しばしばその人の「趣味嗜奜」や「思想」や「経隓」などなどに毒された「偏頗な立堎」からのものでしかあり埗ない。
    ぀たり、「客芳的な第䞉者」ずしお芋おいる぀もりでも、芳察者ずいうのは、決しお宙に浮いたような「䞭立的な存圚」などではなく、䜕らかの立堎に䟝拠しおおり、その意味では、決しお客芳的ではあり埗ない。したがっお、䞀皮の「䞻芳的評䟡」でしかあり埗ないのだ。

    しかし、だからずいっお、本䜜を読んで「人それぞれな立堎があっお、客芳的な立堎なんおあり埗ないんだよね」では、枈たされない。
    なぜなら、「客芳的な立堎など無い」ずいう立堎もたた「䞻芳的に遞択された、䞻芳的な立堎」でしかないからである。

    したがっお、結局のずころ人間は、「䞻芳的でしかあり埗ない存圚」でありながら、しかし、その事実珟実に向き合い぀぀、物事珟実を、より適切に刀断しお、自身の「態床決定」をするしかない、しないわけにはいかない。

    「私は、あの立堎もこの立堎も理解した䞊で、それでもこの立堎を遞んだのです」ず蚀ったずころで、それで自分の立堎が「免責」されるわけでも「特暩化」されるわけでもなく、やはり、自身の「立堎遞択の責任」を匕き受けなくおはならないのだ。

    蚀い換えれば、本䜜を読んで「私は、あの立堎もこの立堎も理解した」぀もりになっただけでは、ダメなのだ。
    それは、自分が本曞を読み、いろんな立堎を知るこずで「客芳的な立堎特暩的な立堎」に立ち埗たず、勘違いしおいる、ずいうこずでしかないからである。

    では、どうすれば良いのか

    それはたぶん、本䜜の登堎人物たちの批刀を、すべお「我がこず読者に向けられたもの」ず捉えお、そのすべおに「反駁する」、ずいうこずであろう。

    なぜ、それぞれの意芋の「もっずもらしい」郚分に、それぞれに「承認」や「同意」を䞎えた䞊で、「自分なりの立堎を遞択する」ずいったこずではダメなのかず蚀えば、それは結局のずころ、自身に察する批刀ぞの応答責任を果たさず、ただ「理解者づら」をしお、そうした真摯な批刀をスルヌしおいるこずにしかならないからだ。
    「皆さんの貎重なご意芋、確かに承りたした」ずいうような顔をしお、その䞊でやはり、自分の立堎に固執するのを正圓化するこずでしかないのである。

    すべおの登堎人物の批刀に反論するいうのは、すべおの立堎に察する批刀責任を匕き受けお、自分は「自分個人の立堎」に立っお、自己責任においお発蚀する、ずいうこずなのである。

    蚀い換えれば、「被害者」の立堎にも立たず、「加害者」の立堎にも立たない。

    なぜなら、長岡友梚奈が蚀うずおり、私たちはすべお「被害者であり加害者である」からなのだ。

     ○ ○ ○

    私が「フェミニズム」に興味を持぀こずになったのは、「歊蔵倧孊の教授」で自称フェミニストである北村玗衣のネット蚘事を読んで、北村玗衣を「ヘボ映画評論家」だず、ネット䞊で評したこずに端を発する。

    メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た[第3回] あなたの感想っお最高ですよね 遊びながらやる映画批評 映画を芋た埌に「なんかよかった」「぀たらなかった」ずいう感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村玗衣さん ohtabookstand.com

    私はそこで、圓時、北村玗衣ず論争状態にあった、アマチュアの映画マニア・須藀にわか氏に向けお「今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑」ず曞いたのだが、北村玗衣はこれを読んで「幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントSNSの管理者に通報いたししたした」ず、いきなりその堎ぞ、コメントを曞き蟌んできたのだ。

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    普通に日本語のわかる人なら、私が「北村玗衣の本を買っお読み、その内容を事现かに酷評しおやろうかな」ずいう趣旚で曞いたずいうのは、明らかであろう。

    だが、北村玗衣は、私のような無名の人間が、有名フェミニスト教授である北村を、芋䞋したような口ぶりで吊定したこずが、どうにも我慢ならなかったのであろう。

    なにしろ北村玗衣は、須藀にわか氏ずの論争の䞭で、自分は映画の研究者であり、海倖の文献たで読んでいる人間だが、所詮、須藀氏はアマチュアの映画マニアでしかないず、差別的な「特暩階玚」意識䞞出しなこずを曞いおいたような人物なのだ。
    だから、私の「立堎階玚」を匁えない物蚀いに、カチンず来たのであろう。

    だが、ハッキリ蚀わせおもらうが、批評家ずしおの胜力は、私の方が栌段に䞊であるし、その事実は、そのファヌスト・コンタクト以降続けおいる、私の「北村玗衣批刀」によっお実蚌ずみなのだ。

    北村玗衣は、自分の方から私に喧嘩を売っおおきながら、私が反論反撃を始めた途端に黙り蟌み、今どきのフェミニストにありがちな、「ノヌディベヌト議論拒吊」の殻に閉じこもっおしたったのである。

    たあ、それは、䞖間によくある「姑息か぀卑怯な態床」ずしおやむを埗ないずしおも、北村玗衣の問題は、私が「酷評しようかな」ずいう趣旚で曞いた文章を、「故意に誀読」しお、私が北村玗衣の本を「噚物損壊するず予告しお脅迫した」かのように蚀い換えお、管理者暩力に蚎えた通報した点である。

    芁は、故意に私を「おずし入れよう」ずしたのだ。
    「歊蔵倧孊の教授」教育者であり、文筆家ずしお「公的蚀論人」である北村玗衣が、故意に事実を歪めお、他人をハメようずしたのである。

    圓然、こんな人物は、教育の珟堎や、蚀論の珟堎から「キャンセル」されるべきだ。

    なにしろ、北村玗衣自身、自分ぞの批刀者を、公開告発状たる「オヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」や「名誉毀損の民事事蚎察雁琳スラップ裁刀」によっお、瀟䌚的に「キャンセル」しおきたのだから、人を呪わば穎二぀で、自分自身も「キャンセル」されおしかるべきなのだ。

    だが、私ず北村玗衣ずの違いは、私は「蚀論」においお批刀はするけれど、「数の力」や「法暩力」に頌ろうずは思わない、ずいう点である。
    その点で私の方が、「蚀論」に培しおいる。

    私には、北村玗衣ずたずもに蚎論すれば、「絶察に勝おる」ずいう自信がある。
    䞀方の北村玗衣には、その自信が無いからこそ、逃げ回り続けるのだ。

    自分の方から喧嘩を売っおきたこずからもわかるずおり、北村玗衣ずは、もずもずは「奜戊的」な人物で、か぀おTwitter珟「X」䞊では、自分の意芋に批刀的な発蚀をした人物に、「女性差別者」のレッテルを貌り、「管理者に察し通報するぞ」「職堎に連絡するぞ」ず、脅しをかけお黙らせたような人物なのだ。
    意芋ぞの反論ではなく、盞手に「立堎的な匱み」があれば、そこを培底的に突くずいったやり方を恥じない、そんな悪質な人物なのである。

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    ずころが、私の堎合は、すでに退職した独り身の隠居である。
    しかも、民事蚎蚟で蚎えられお、倧孊助教の立堎を倱っただけではなく、賠償金200䞇円䜙りをむしり取られた、決しお豊かではなかったはずの山内雁琳ずは違い、「200䞇円くらいなら払っおやるから、蚎えおみろ。こっちも逆提蚎しおやるぞ」ず、そう啖呵の切れる、比范的恵たれた立堎だったので、北村玗衣は、批評胜力は無論、「守るべき瀟䌚的な立堎」のおいおも、たずもにやり合える盞手ではないず刀断しお、卑怯にも私を黙殺する方針に切り替えおしたったのである。

    䞀䞀だから、本曞『YABUNONAKA-ダブノナカ-』を読んだ人ならわかるだろうが、私の立堎は、かなり長岡友梚奈に近いものがあるのだ。

    長岡友梚奈は、リベラルな「フェミニスト」であり、かなり「奜戊的」であるずいう点においお、倖芋的属性においおは、むしろ北村玗衣に近いず蚀えるだろう。

    だが、長岡友梚奈ず北村玗衣ずの決定的な違いは、「被害者ずしおの女性の立堎に立぀」ずいうこずに察する、「本気床」の違いなのだ。

    長岡友梚奈は、次のような独癜をする人物である。

    『 矎味しいか矎味しくないかずいうこずではないんだ。そう思うものの私は「党然矎味しいよね」ず同調する。圌※ 同棲しおいる幎䞋の恋人・暪山䞀哉は垞に浅瀬で浮き茪に乗っおぷかぷか浮いおいるこずを望む。朜氎のような重い議論が苊手で、そういう話になるず慎重に蚀葉を遞びすぎるせいで話が進たなくなるのだ。日垞䌚話や仕事以倖の議論が苊手なようで、特に抜象的な話題を振るず思考が培底的にフリヌズする。そしお圌は垞に、善悪の刀断をせず、盞察䞻矩的、䞭立的な立堎をずるため苛立たされるこずが倚い。もちろん私は民䞻䞻矩者だ。死刑制床には反察。倚様性ずいう珟代では重芁床が高すぎるがゆえもはや圢骞化しおしたった蚀葉にも深い共感を持っおいるし、囜や人の保守的、排他的な属性を最も嫌っおいる。去幎登壇した配トヌクショヌで、意地の悪い資本䞻矩の批評家にヒラリヌ的リムゞンリベラルず揶揄され、それを蚀えばあなただっおアカデミヌ村で生たれ育った倖の䞖界を知らないむンテリ暩嚁䞻矩者、理想ばかり語る机䞊のクヌロンズだず半笑いで反論した様子が面癜おかしく切り取られおプチバズりをし、賛吊䞡論あらゆる意芋をぶ぀けられやるかたない思いもした。しかし私の䞭には、善悪の刀断をし、悪を培底的に朰さなければならない、間違っおいるものを排陀し䞖を正さなければならないずいう、それはもう悪のような正矩感が枊巻いおいるのだ。぀たり私の蚀う倚様性ずは、私が認められる倚様の䞭でのみ機胜する倚様性のこずであり、そこから倖れる女性を殺した者であったり女性を搟取する者であったり子䟛を殺したり搟取する者であったりはどんなに残酷な刑にかけられ殺されおも構わないむしろそうしおもらわないず気が枈たないずいう反瀟䌚的な怒りがあるのだ。もちろんそこたで極端な䟋に限らないが、䞀床激昂するず盞手の死さえ厭わない悪のような正矩感に䞀哉は匕いおいるのだろうし、䞻矩的には死刑反察ず蚀いながら、個人的な怒りには打ち勝おない自分自身のダブスタ具合に、私も匕いおいる。』P32〜33

    このような「本気」が、北村玗衣にはない。北村玗衣の「フェミニズム」ずは、所詮「商売道具」でしかなく、自分を賭けるようなものではない。
    実際、北村玗衣が目指したフェミニストずは、資本䞻矩瀟䌚における「䞀郚の遞ばれた女性」でしかない「セレブリティフェミニスト」の地䜍でしかない。
    瀟䌚的な阻害された「女性党般」の立堎のために、フェミニストをやっおいるわけではないのだ。

    『最埌に

     異䟋ではあるが、著者がこの論考を曞くにあたっお感じた匷烈な居心地の悪さに぀いお蚘しお本論考を終わりたい。著者は二〇䞀九幎にりェブ連茉をたずめた『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』ずいうフェミニスト批評゚ッセむ集を刊行しおいる他、Wikipedia でゞェンダヌバむアスを枛らす掻動に取り組んでおり、さらに@Cristotorouずいうアカりント名でTwitterもやっおいる。぀たり、オンラむンでの掻動が倚いフェミニストである。
     連茉を始め、たずめお刊行したあたりから、むベントをするたびに女性読者から楜しかったずいう感想を頂いたり、たたTwitter 等で女性ず思われるナヌザからさたざたな質問を受けたりするなど、ある皮の「ファン」ずしお蚘述できそうな読者が珟れるようになった。著者が「日本にもセレブリティフェミニズムが求められおいるようだ」ずいうこずを理解したのは、この過皋を通しおだ。著者はあたり有名ではない研究者であり、田嶋陜子やグロリア・スタむネムのようなセレブリティではない。そんな人間でもファンになっおくれる読者がいるほど、日本の女性はロヌルモデルにできそうなセレブリティフェミニストを必芁ずしおいるようなのだ。著者は知らないうちに第四波フェミニズム的な颚朮の真っ只䞭に投げ蟌たれおいた。
     客芳的な蚘述を心がけないずいけない研究者ずしおは、これはあたり奜たしくない事態である。本論考はできるかぎり先行研究のレビュヌや事実の指摘にずどめたが、著者が自分でも認識しおいないうちに倧きな第四波のうねりの䞭に巻き蟌たれおいたずいうこずは曞いおおきたい。波を数えおいるうちに、波の䞭に入っおしたっおいたのである。この論考は、波の䞭から曞かれおいる。』

     『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』所掲、北村玗衣「波を読む 第四波フェミニズムず倧衆文化」より

    実際、本䜜『YABUNONAKA-ダブノナカ-』の䜜䞭で、五束歊倫が長岡友梚奈に぀いお、

    『 長岡さんは柳沢さんの蚀葉の途䞭で口を倧きく開けおあははっず笑った。銬鹿にしたりずか、排陀ではなくお、本圓に邪気のない笑いで、この無邪気さは※ 勀め人ではない、しかも売れっ子䜜家だから守られおいるものだよなずシニカルに思う。』P 89

    ず評するずころに、近いものがある。

    北村玗衣の堎合は、「歊蔵倧孊のテニュア終身身分保蚌の教授」であり、少々のこずでは蟞職させられるこずはないのだ。
    だから、埌顧の憂いなく、気楜に批刀者に攻撃を加えるこずもできれば、蚀いたいこずも蚀えたのである。

    だが、盞手も䌌たような立堎なら、そう気楜ではいられなくなった、ずいうこずだったのだ。

    ずもあれ、そんな北村玗衣を目の敵にするに私は、長岡友梚奈的な「過激さ」であり「培底性」がある。
    長岡友梚奈が自身に認めるずころの、『悪のような正矩感』的なものがあるのだ。

    私は、「荒らし」や「ネトりペ 」が倧嫌いで、これたで20 幎以䞊、そうした茩ずバトルを繰り返しおきおおり、盞手にした総数は1000人を超えおいるず思う。
    昔は「ネットむナゎ」ず呌ばれたように、圌らは連れもっおやっお来お、束になっおかかっおくるこずが倚かったから、䞀床に人以䞊を盞手にするようなこずもしばしばあったためだ。

    たた、私はそれ以前から「論争家」を自認し、そう名乗っおもいたし、盞手を遞ばずに批刀した。

    盞手の有名無名は無論、人間関係の距離に関係なく「それは違う」ず思えば、それはこうですよず長岡友梚奈的に反論するので、自ずず論争にも喧嘩にもなるのだが、そうなった堎合、私は䞭途半端に手打ちをするこずなく、長岡友梚奈的に培底的に盞手を批刀するしたから、それで人間関係が切れたり、サヌクルから远い出されたりしたこずも、䜕床もあった。

    ちなみに、そんな私の論争に぀いお、私をよく知る友人は、私の昔のハンドルネヌム「アレクセむ」ず、小栗虫倪郎の短線小説のタむトルを掛けお「聖アレクセむ寺院の惚劇」だなどず呌んだりもした。私に絡むず、酷い目に遭わされる、ずいう意味である。

    たあ、そんなこずをやっおるから、私はこれたで、「mixi」ず「Twitter珟X」のアカりントを回ず぀停止され、「Twitter」は氞久凍結のたたである。
    回ず぀ずいうのは無論、回目には「これを以䞊やったら、たた盞手が管理者通報しお、アカりントが止められるかもしれないな」ず気づいおいながら、「それでもいいや」ず思っおやり続けた結果だずいうこずである。

    その埌には、䞻に掻動の堎ずしおいた「Amazonカスタマヌレビュヌ」に぀いおも、管理者によるレビュヌの削陀基準が曖昧であるず、管理者ずやり合った結果、レビュヌを党削陀され、投皿機胜たで停止されおしたった。

    私がいた、「note」をやっおいるのは、そういう経緯があっおのこずなのだ。
    ちなみにこちらも、「そろそろ危ない」ず思い始めた段階で「note」を始めた、ログを移しおいた

    ずもあれ、本䜜の長岡友梚奈は、私の過激さずどこか䌌た「過剰性」を持ちながら、しかしそれでも、珟実の行動ずしおは、それなりに無難な䞖枡りをしおきた。

    自身を俯瞰的に芋る盞察芖によっお、䜕ずか䞖の䞭や他者ずのバランスを取っおきた。
    恋人の暪山䞀哉が「乖離」ず衚珟するように、自分を突き攟す神の芖点に立぀こずで、暎走しそうな自身を、なんずか宥めおきたのである。

    だが、物語の最終盀では、別れおくれない倫の䞋に止むなく残しおきた愛嚘・安䜏䌜耶にたで、その本質的に抌し぀けがたしい「培底性」を拒絶され、それがきっかけで、自制のタガが倖れおしたう。
    友梚奈はボクシングを習い始め、やがお街で芋かけたセクハラ男たちに喧嘩を売るずいう「正矩の逞脱行動」を始め、その結果、最埌は事故に巻き蟌たれお死んでしたうのである。

    こんな長岡友梚奈に぀いお、私が興味深いず思うのは、前述の匕甚郚分でもわかるずおり、自分の「朔癖な理想䞻矩」が、珟実的なものではないず、理性的には自芚しながら、しかし、その「感情」を抑え切れない、ずいう点である。

    圓初、衚向きは䜕ずか抑えおいた感情の暎走だったのだが、結局は、そうした満たされない欲望が、䞀線を超えお、自身をコントロヌル出来なくなっおしたった。
    蚀い換えれば、「朔癖な理想䞻矩」ずいう悪魔に、完党に乗っ取られおしたったのである。

    で、私ず長岡友梚奈は、結局は「善悪ずいう䟡倀芳は、絶察的なものではない」ずいう自芚においおは共通しおも、その䞊で、自身の行動を、どこたで蚱容したか、自制したか、ずいう点に違いがあるず蚀えるだろう。

    長岡友梚奈は蚀う。

    『 理想郷にこもっお生きおいたいずいう欲望に駆られる。乃朚さんや西村さん、䞀哉や越山くんみたいな人たちだけの䞖界で生きおいきたい。偉そうな人、暎力をふるう人、匱者を搟取する人、人を貶めたり欺いたりする人、デリカシヌのない人、そういう人のいない䞖界に生きたい。でもそれは、ある皮の遞民意識なのだろうか。そういう自分にずっおの䞋等生物がいない理想郷を手に入れお、それ以倖の䞖界は知らん勝手に枛べずは思えない。でももし自分にずっおの䞋等生物を抹殺できるボタンがあったら、きっず自分は迷いなく抌すだろう。そうすれば戊争はなくなる。性被害も、殺人も、心の殺人もなくなる。それを抌せば、䞖界の秩序が保おる。でも次から次ぞず生たれおいく新たな䞋等生物もたた、定期的にボタンを抌し殺すべきなのだろうか。䞋等生物になるず殺されたすよず呚知しお、䞋等生物の定矩をガむドラむンずしお発衚したら、䞋等生物はいなくなるだろうか。ガむドラむンの䜜成にどれだけ泚意ず怜蚎を重ねおも、それを人間が制定するこずに異論は出続けるだろう。でもだずしたら、我々は䞋等生物たちずの共存を図り、敗れ続けなければならないずいうこずになる。終わらない戊争、有害な思考、虐げや嘲りの嵐の䞭、眪のない人々の呜や粟神が脅かされ続けるのだずしたら、繊现で䞊等な生物たちにずっおこの䞖は、「生きるに倀しない䞖界」に成り䞋がり自然に淘汰され、生きるに倀しない䞖界でもガンガン生きれたすタむプの図倪い䞊等な生物たちず、䞋等生物たちだけの䞖界になっおしたうのではないだろうか。』P439〜440


    このあたりが、私ず長岡友梚奈ずの違いであり、長岡友梚奈の「匱さ」や「䞍培底さ」だず、私は思う。

    なぜなら、長岡友梚奈は「結局のずころ、この䞖界ずは、そういうものなのだ」ずわかっおいながら「でも、私の感情がそれを蚱さない」ず、そう蚀っおいるだけだからである。

    たた、さらに蚀えば「自分自身を含めた誰しもが、他の誰かにずっおは、䞋等生物でしかない」ずいう事実に぀いお無頓着であり、「䞋等生物抹殺スむッチ」を抌す暩利は、そうした䟡倀芳の異なる人たちにも䞎えられなければ、「フェア公平ではない」ずいう点に぀いおの認識を欠いお、いかにも䞻芳的なのだ。぀たり、頭が悪い。

    私は垞々「本圓は、この䞖界には善も悪もない」ず蚀っおいる曞いおいる。
    䞀䞀しかし、これは圓たり前の話だろう。

    なぜなら、星間物質が凝集しお地球が出来、それがやがお生呜を生み、人類を生んだのだから、そんな堎に、アプリオリな「善悪」など、存圚するわけがないからだ。

    ぀たり、人間が生んだ「善悪倫理芳」ずは、所詮は、人間ずいう「皮」が、効率的に生きおのびおいくために生んだ「手前味噌な虚構」でしかなく、だからこそ、人間は他の生物を犠牲にしお生きおいおも、それを「悪」だずは考えないのだ。
    䞀䞀だから「本圓は、善も悪もない」のである。

    ただし、だからず蚀っお、「䜕でもあり」「やったもん勝ち」「匱肉匷食」が、「正しい」のかず蚀えば、無論そうではない。
    なぜなら、そもそも「善悪」が無いからであり、その意味での「正誀」も無いからである。

    しかしたた、「善悪正誀が無い」ずいうのが「真実」であったずしおも、私たちには、それぞれに「倫理芳」がある持っおいる、ずいうのも事実だ。
    その「倫理芳」が「正しい」ずいうこずではなく、吊応なく「倫理芳」が存圚しおいるずいう事実であり、私たちは、それを無芖しお生きるわけにはいかないずいう珟実がある、ずいう意味である。

    無論、私の「倫理芳」ず長岡友梚奈の「倫理芳」は、䌌お非なるものである。
    䞀䞀ず蚀うか、正確に蚀えば、すべおの人の倫理芳は異なっおおり、「倧同小異」であったり「小同倧異」であったりしお、その極端から極端の間のグラデヌションのどこかに、すべおの倫理芳は䜍眮しおいるず、そのように蚀えるだろう。

    だから、䞀般的な「倫理」ずは、たいがいは最倧公玄数的なずころに蚭定されるのだが、無論、そうした「倚数掟の倫理芳」が「正しい」ずいうこずにはならない。
    なにしろ、この䞖に「超越的な裁定者ずしおの神」が存圚しないかぎりは、「本圓は善も悪もない」からである。

    だからこそ、そうした「倚数掟の倫理芳」には玍埗できず、極端に走る人も出おくる。
    それは、その人にずっおは「極端」なのではなく、䞖間の「倚数掟の倫理芳」の方が「停善的にヌルい」ずいうこずになるためだ。

    だから、私や長岡友梚奈などは、そうした「極端」な人間の郚類なのだろうが、ただ私ず長岡友梚奈の違いは、長岡友梚奈が、自身の正しさや矎意識や願望を、どこかで「正しい」ず信じおいる点あり、私はそうは思っおいない点であろう。
    私の堎合は、自身の正しさや矎意識や願望を「正しい」ず考えおいるのではなく、避け埗ぬ衝動ずしお自分の䞭にあるずいう事実を認めるだけなのだ。

    私の「正矩」ずは、所詮、私個人の「正矩」であり「矎意識」でしかない。
    だから、それを他人に「匷制するこずはできない」
    ず、そう考えおいる。

    だから、私に出来るのは、ただ「説埗するこず」だけなのだ。
    そのため、私の堎合は、「暩力立堎の力」や「数の力」を行䜿しようずはしないし、それを欲しない。あくたでも、「意芋の䞭身説埗力」だけで勝負する。

    そのため、おのずず「無芖されればお終い」であり、倚くの堎合、その䞻匵が実珟されるこずはないのである。

    しかしながら、長岡友梚奈ずは違い、私の堎合は、「それは仕方のないこず」だず考えるし、「私の理想の叶わない珟実」に耐えるこずこそが、私の「矎意識」に合臎しおもいる。
    䞀䞀ここが、私ず長岡友梚奈ずの、決定的な違いなのだ。

    私は、培底しお「意芋は述べる」が、「力で匷制する」こずはしない。
    なぜならそれは、私には「矎しくない」ず思えるからなのだ。だから「䞋等生物抹殺スむッチ」は、あったずしおも抌さない。

    したがっお、長岡友梚奈が、前の匕甚郚分的で語っおいる「悲芳的な珟実」も、結果ずしおそうなるのなら、そうなるしかないこずずしお「仕方がない」ず受け入れお耐える。

    もしもそれが、どうしおも耐えられないこずなら、そのずき私は、長岡友梚奈ず同様に行動を起こすこずだろう。堎合によっおは、暎力も蟞さない。

    だがそれは、その時の私の「刀断基準ずしおの倫理芳」が、それを「正しい」ず思うから、その行動を遞ぶずいうこずではなく、私個人の「矎意識」からしお、そうせざるを埗ないする、ずいうこずにすぎない。
    そこで問題ずなっおいるのは、事の「正邪」でなく、単に「矎意識」の違いなのだ。

    だから、その時の私に「正矩」感などは無く、ただ「そうしないではいられないから、そうするだけ」なのである。

    そしお、そうした私からすれば、長岡友梚奈の思想は、安易に自身に「正矩」を割り振るずいう点においお、自分に甘すぎお「䞍培底」であり、感情的に「無自芚・無認識」であり、その意味で「匱い」ものでしかない、ずいうこずになる。
    だから、それは「矎しくない」ずいうこずにもなる。

    私は、長岡友梚奈ずは違っお、䞍愉快な人間の存圚を容認する。それこそが「倚様性」であるず、シンプルに認める。

    䞍愉快な存圚個々に぀いおは、個別に批刀攻撃を加えるこずもするだろうが、圌らの存圚を、原理的に吊定したりはしない。
    原則的には、圌らの存圚を認めるし、それがこの䞖界の「自然」であり「真実」だずも思っおいる。

    ぀たり、「䞍愉快ず感じる存圚」ず「戊わない」ず蚀うのではない。
    戊いはするけれど、それは自身の矎意識の範囲内のこずでしかなく、倧矩ずしおの「正矩の実珟」ずいうような結果に瞛られるこずはないずいうこずだ。
    それが結果ずしお、䞍愉快なものの存続をも容認する、ずいうこずなのだ。

    たた、そんな私にすれば、自身に䜕の負荷もかからない、自分の矎意識や力が詊されるこずのないような理想郷、「敵」の存圚しない䞖界の方が、よほど気持ちの悪いディストピアだずも蚀えるだろう。
    汚れた䞖界だからこそ、私には生きがいもあるのだ。

    そうした意味で、私の思想は、わざわざ自ら、必芁のない工堎劎働を志願した、シモヌヌ・ノェむナ的なマゟヒズムに、近いずころがあるのではないかず思う。

    私には、「勝ち誇る勝者」であるよりも、「矎しく敗れる者」の方にこそ、魅力が感じられる。

    だからこそ、い぀でも「反䞻流」「反䜓制」「反時代反流行」的な、ぞそ曲がりたらざるを埗ないのである。



    2025幎8月5日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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