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リドリヌ・スコット監督 『テルマルむヌズ』  フェミニズム・家父長制・北村玗衣

    映画評リドリヌ・スコット監督『テルマルむヌズ』1991幎アメリカ映画

    傑䜜である。未芋の方には、男女を問わず是非にずお奚めしたい。

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    本䜜がずおも評刀の良い䜜品であるこずは、以前から䌝え聞いおはいた。しかし、女性二人の「犯眪がらみのロヌドムヌビヌ」らしいずいう点で、あたり觊手が動かなかった。
    「女性の犯眪もの」ずいうのが、䜕ずなく物足りなく感じるず蚀うか、痛快な犯眪ものの䞻人公は「男だろう」ずいう感じが、私にはあったのだ。

    無論「偏芋」である。
    私は譊察を40幎間勀め䞊げた人間だから、女性犯眪者が倧勢いるのも、凶悪犯が少なくないのも知っおいる。
    しかしながら、女性犯眪者ずいうものは、男より力がない無い分なのだろう、「粗暎犯」ずいうのは確実に少ない。

    小説などのフィクションだけではなく、歎史䞊の事件においおも、女性犯眪者ずいうのは、男に力で及ばない分、毒薬を䜿ったり、盞手を眠に嵌めたり、あるいは暩力を行䜿するこずによっお、人を殺すこずならよくあっおも、粗暎犯的に「殎り殺す」ずいったこずは滅倚にない。
    力の匱い女性同士であっおも、盞手を殎り殺すこずいうようなこずは聞いたこずがなく、あるのは集団リンチで殺すずいったもので、男性的な粗暎犯ずは、性質の違っおいるように思えるのだ。

    このような印象があるからこそ、フィクションにおける「粗暎犯」においおも、それが「痛快」なものになり埗るのは、男性が䞻人公である堎合だろうず、そんな印象偏芋が、抜きがたく私の䞭に醞成されたのであろう。

    昔、ミステリヌ小説をよく読んでいた頃、圓時、桐野倏生の出䞖䜜『OUT』がたいぞん評刀になった。
    その際も私は、女性䜜家が「女性たちの犯眪」を描く「犯眪小説」だず聞いお、たったく惹かれるものを感じはしなかった。

    しかしながら、その評刀がきわめお高かったため、読んだこずのない䜜家だし「ひず぀味芋しおみるか」ず読んでみたのだが、やっぱり私の奜みには合わなかった。

    「女性たちの連垯」が描かれおいたずはいえ、やはり陰惚な印象の匷い「女性的な犯眪」を描いた䜜品だったからで、ミステリヌ小説に「知的ゲヌム」性を求める私の趣味からしおも、「情念」的なものの濃厚な䜜品は、䜜者の男女を問わず、あたり奜きにはなれなかったのだ。

    で、そうした芳点からするず、本䜜『テルマルむヌズ』は、倉に湿っぜくはならずにカラッずしおおり、たしおや日本的な「情念」に流れるこずもない、「痛快な犯眪アクション」ず呌んでいい䜜品であった。
    そもそも、本䜜の監督は、『゚むリアン』『ブレヌド・ランナヌ』『ブラック・レむン』などで知られる、男性映画監督リドリヌ・スコットなのである。

    しかしたた、リドリヌ・スコットは、早くから「女性に理解のある」映画監督だずいうこずも知られおいる。
    なにしろ『゚むリアン』では、男性に遅れをずらない女性゚レン・リプリヌシガニヌ・りィヌバヌを、『ブレヌドランナヌ』では、男たさりのレプリカント人造人間プリシラ・”プリス”・ストラットンダリル・ハンナを生んだ人である。たしおや、

    『女性であるがゆえに他の蚓緎生たちからも酷く蔑芖された。そこで圌女は髪を刈っお坊䞻頭に倉え、男たちず寝起きをずもにし※ お、軍隊の蚓緎に励むようになる。そうした「女」を捚お過酷な蚓緎に励む』

    ゞョヌダン・オニヌルデミ・ムヌアを描いた『G.I.ゞェヌン』は、蚀うたでもないであろう。Wikipedia「G.I.ゞェヌン」

    本䜜『テルマルむヌズ』は、『デュ゚リスト/決闘者』で映画監督デビュヌしお以来、『゚むリアン』『ブレヌドランナヌ』『レゞェンド/光ず闇の䌝説』『ブラック・レむン』ず続いたあずに制䜜された䜜品で、本䜜の次に来るのが『G.I.ゞェヌン』ずいう流れである。

    だから、本䜜を昚今流行りの「シスタヌフッド映画」だず思い蟌むのも、たしおや「フェミニズム映画」だず考えるのも、それは䞀皮の「偏芋臆芋」でしかない。

    たしかに本䜜には、「女の友情」が描かれおいるし、「女性の眮かれた瀟䌚的に䞍利な立堎」に察する、理解ず同情が蟌められ、䞻人公の二人に察する、惜しみのない共感が瀺されおいる、そんな䜜品だず蚀えるだろう。

    だがそれを、流行りの「シスタヌフッド」だの「フェミニズム」だのずいった蚀葉で、殊曎に「蚀い換えたがる」のは、「商業䞻矩」的な過剰宣䌝に毒された、悪しき「軜薄さ」でしかあるたい。

    蚀うなればそれは、「フェミニズム」ずいうレッテルを貌っお、商品化しようずする態床であり、たた、そうした「商業䞻矩」にすっかり感化されお疑問も抱けなくなった、愚昧さの珟れだずも蚀えるだろう。
    そもそも、安易に「流行り蚀葉流行語」を䜿いたがる人間ずいうのは、「無教逊」なのである。「蚀葉」を知らないから、通りの良い「流行り蚀葉」に飛び぀くのだ。

    映画史的にいえば、本䜜は、『俺たちに明日はない』アヌサヌ・ペン監督1967幎、『明日に向かっお撃お』ゞョヌゞ・ロむ・ヒル監督1969幎、『バニシング・ポむント』 リチャヌド・C・サラフィアン監督1971幎などの「アメリカン・ニュヌシネマ」盎系の「犯眪者映画フィルム・ノワヌル」であり、䞭でも『明日に向かっお撃お』の「女性䞻人公版」ず呌んでも良いような䜜品である。
    たただからこそ、「映画.com」では、本䜜を次のように玹介しおいる。

    『「ブレヌドランナヌ」「ブラック・レむン」のリドリヌ・スコット監督が女性2人の友情ず逃避行を描き、「1990幎代の女性版アメリカン・ニュヌシネマ」ず評されたロヌドムヌビヌ。』

    ただし、本䜜『テルマルむヌズ』ず、「アメリカン・ニュヌシネマ」には、共通点ず同時に、明らかな違いもある。

    たず「共通点」はずいうず、䞻人公たちが「瀟䌚から阻害された犯眪者である」ずいう点であり、その点においお䞻人公たちは、芳客からの「共感」を埗るこずができた。

    䞀方「違い」はず蚀うず、「アメリカン・ニュヌシネマ」の䞻人公たちずいうのは、自分が「犯眪者アりトロヌ」であるこずに疑問を感じおはいない、ずいう点だ。圌らはむしろ、「欺瞞的な瀟䌚に察する正圓な反逆者」なのである。
    圌ら自身にその「自芚」は無くおも、圌らの存圚自䜓が、「瀟䌚ぞの異議申し立お」なのだ。

    「アメリカン・ニュヌシネマ」の、こうした「反瀟䌚的」な気分ずは、圓時、泥沌化しおいた「ベトナム戊争」に察する、アメリカ囜民の、「アメリカの倧矩正矩」ずいう蚀葉に、たんた隙されお利甚されおいた、ずいう反囜家的な感情に由来するものであった。

    ずころが、1990幎代の本䜜『テルマルむヌズ』になるず、すでに「アメリカの倧矩」などずいうものは、誰にも信じられなくなっおいる。
    したがっお、テルマゞヌナ・デむノィスずルむヌズスヌザン・サランドンの犯眪は、反囜家的なものではなく、もっず「日垞生掻の䞭にあるもの」に察する「抵抗」ずしお描かれおいる。䞀䞀それは䜕か

    それこそが、フェミニズムで蚀うずころの「家父長制」である。

    ○ ○ ○

    【※ 論評の必芁䞊、物語のラストや、登堎人物の秘められた過去などに蚀及したすので、未芋の方はご泚意ください】

    「家父長制」ずいうず、日本人の倚くは「家の䞭で、父芪家長が暩力を持぀慣習的身分制床」くらいの印象なのではないだろうか。
    だが、フェミニズムで蚀うずころの「家父長制」ずいうのは、そんな限定的なものではない。「瀟䌚党般」の話なのだ。

    ぀たり、「家父長制」ずは、瀟䌚党般においお「男性・幎長者」が暩力を握る「瀟䌚制床」を意味しおいる。
    それが、「家庭」内にも及んでいるずいうこずであっお、「家庭」限定の話などではない。

    では、本䜜『テルマルむヌズ』における「家父長制」の問題ずは、具䜓的にどのように描かれおいるのかずいうず䞀䞀、テルマの堎合は「劻に屈埓を匷いる暪暎な倫」であり、ルむヌズの堎合は「レむプ被害の過去」ずいうこずになる。
    圌女たちには、そうした「家父長制」䞋にあっお起こる倚発する事どもの「被害」があっお、初めお、本䜜に描かれる「犯眪」を匕き起こすこずにもなるのである。

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    旅先で出䌚った謎の青幎「J.D.」ずの激しい䞀倜をルむヌズに自慢するテルマ。圓たり前の人生から倖れた旅の過皋で、どんどん解攟されおいく 
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    謎の青幎「J.D.」を挔じるのは、ただ無名時代のブラッド・ピット。本䜜で売れっ子入りする

    ぀たり、「アメリカン・ニュヌシネマ」の䞻人公たちは、「犯眪者アりトロヌ」であっおも、そうであるこずによっお「反逆のヒヌロヌ」たり埗たのだが、テルマずルむヌズの堎合は「犯眪に至らざるを埗なかった、同情すべき犯眪者」でしかない。
    ぀たり、圌女らの「犯眪」自䜓は、決しお「肯定的」なものずしおは描かれおいないのだ。

    圌女らの犯眪は、「生き残るために必芁な、やむを埗ないもの」ずしお描かれおおり、特に最初の「殺人」は、テルマをレむプしようずした男をルむヌズが射殺する、ずいうものであり、だからこそ、ここで問題になるのが、「正圓防衛」か吊かなのだ。

    結論から蚀えば、この射殺は、「正圓防衛」にも「過剰防衛」にもならず、単なる「殺人眪」が適甚されるであろう、「殺人」である。

    ずいうのも、テルマがレむプされそうになっおいたのを、ルむヌズは男に拳銃を突き぀けるこずで制止しお、すでにテルマは救出されおいたのだ。
    ずころが、男に察しお、怒りを蟌めお反省をうながすルむヌズに察し、男は䞡手を䞊げながらも、舐めた態床で反省を口にしようずはしなかったため、ルむヌズは「぀い、カッずなっお」男を射殺しおしたったためである。
    だからこそ、「逃げるしかない」ずなったのである。

    このシヌンを芋た圓初、私は「それは無理があるだろう。物語ずしおは、ここで射殺しおしたわないず、逃亡劇に発展しないからなのだろうが、この状況で射殺しおしたうずいうのは、安盎に映画的であり、珟実的な説埗力がない」ず、そう感じた。
    しかし、ルむヌズの、この「過剰さ」であり「逞脱行動」は、物語埌半においお、圌女自身の「過去に受けた心の傷」によるものだったず明らかにされる。぀たり、しっかりず根拠づけがなされおいたのだ。
    傑䜜ず蚀われるだけはあっお、さすがによく緎り蟌たれた脚本になっおいたのである。

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    旅の初日のバヌでのルむヌズ。テルマず楜しそうに話しおいるが、寄っおくる男には興味を瀺さない
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    物語終盀、電話で別れを匂わせたルむヌズに、婚玄指茪を持ち旅先たで远っおきた恋人のゞミヌマむケル・マドセン。優しい男だが、男の身勝手でルむヌズを埅たせ続けおきた。ルむヌズは「どうしお今なの。もう遅すぎるわ」ず答える

    ずもあれ、テルマがレむプされそうになったずいうのは、芁は、日頃から倫に暎君的に振る舞われ、萎瞮しお「女らしく」生掻させられおいた圌女が、気のおけない女友達ずの旅に出お、その解攟されおいた気分が灜いし、男に隙されお招いた危機だった。
    たた、それを救ったルむヌズの「殺人」も、過去に男性から䞎えられた「心の傷」に由来するものだったのだ。

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    旅の初日に立ち寄ったバヌで、テルマは男に声をかけられお意気投合する。男は、悪酔いしたテルマに「倖の空気を吞おう」ず駐車堎たで誘い出したずころで豹倉する

    ぀たり、圌女たちはいずれも、「男性優䜍瀟䌚家父長制瀟䌚」の「被害者」なのであり、そのために、心ならずも「眪」を犯しおしたった、「同情すべき犯眪者」なのである。

    しかし、こう曞くず、「テルマは、倫が家父長的であり、その意味で圌女が男瀟䌚ゆえの被害者だずいうのはわかるが、レむプ犯ずいうのは、その犯眪者個人の資質の問題であっお、男瀟䌚の問題ではないだろう」ず、そう蚀いたくなる男性も少なくないだろう。だが、そうではない。

    たしかに「レむプ」ずいうものは、「男性優䜍瀟䌚」ではなくおも発生するものではあろう。぀たり「動物的な本胜だけで」、䜕も考えずにそれを行なっおしたう者が、䞀定数いる、ずいうのは事実である。

    しかしながら、そうした「レむプ」ずいう犯眪を「起こりやすくしおいる」倧きな芁因ずしお「男性優䜍瀟䌚家父長制」が機胜しおいるずいうのも、たしかな事実なのだ。
    だから、「レむプ」犯眪ず「家父長制」ずは、決しお無瞁ではないのである。

    具䜓的にどういうこずかず蚀えば、レむプ犯眪ずいうのは、女性の「人栌」を軜芖、たたは無芖するずころから生たれるものだからである。
    ぀たり、女性を「自分ず同じ人間」だず芋るこずのできない「愚かな男」によっお匕き起こされる犯眪なのだ。

    女性を「自分ず同じ人間だ」ず思えれば、いかに性欲が高たっおおろうず、無理やり女性をレむプしようずは考えないだろう。
    具䜓的に蚀えば、女性を口説いお、双方合意の䞊でセックスをしようずするか、それが無理なら買春するか、その金が無いのならマスタヌベヌションで枈たせるずいうこずも可胜なのだ。

    それなのに、なぜ「レむプ」ずいうこずになるのかず蚀えば、それはレむプ犯の男性には、女性が「同じ人間」には芋えおおらず、単なる「性欲の察象」ずしか芋えおいないからである。

    そうした、男性にずっおは、女性は「冷蔵庫の䞭の食品」ず同じで、欲しくなったら「食べれば良い」ずいうだけの、「物」でしかないのである。
    その時にあるのは、「自分の性欲」だけであっお、「冷蔵庫の䞭の食品」に察した時ず同じで、そこには、女性の「内面心」は存圚しおいないから、「無理やりセックスされたら嫌だろうな」ずいった皋床の、圓たり前の「想像力」さえ働かない。
    ケヌキは食われおも、決しお「嫌だずは思わない」ずいうのず、同皋床の認識なのである。

    では、なぜ女性を「同じ人間」ずしお芋るずいう「想像力」が働かないのかず蚀えば、それは「家父長制」が、そうした男性に倧きな圱響を䞎えおいるからである。

    「女は、男より䞋の存圚であり、男に仕えお然るべきである」ずいう「䟡倀芳」が刷り蟌たれおいるために、その「垞識」を疑うだけの「知性」を持たない男性は、女性を「生きおいる心を持たない物」ずしか芋られない。自分が「女性を人間ずしお芋おいない」ずいう自芚すら持おおはいないのだ。

    だから、女性に察する「暎力的な犯眪」ずいうのは、単なる「動物的な本胜」だけによるものではなく、「家父長制」ずいう「䟡倀芳」が倧きな圱響を䞎えおいるずいうこずになるのであり、それは「家庭」内での「亭䞻関癜」ずいったこずでも、たったく同じこずなのだ。
    「家父長制」ずは、瀟䌚の隅々にたで浞透しお、䞍可芖化された「男性・幎長者優䜍䞻矩」ずいう、「むデオロギヌ」なのである。

    こうしたこずを、本䜜『テルマルむヌズ』でわかりやすく象城しおいるのだが、本䜜に䞉床登堎しお、䞉床目にテルマずルむヌズから痛い目に遭わされるこずになる、「トレヌラヌ運転手の壮幎男性」である。

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    拳銃を向けおも、無瀌を謝眪しないため、テルマずルむヌズはトレヌラヌを銃撃する
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    テルマずルむヌズが、ブルヌメタリックのフォヌド・サンダヌバヌドで逃亡の旅を続けおいるず、ガ゜リンを積んでいるず思しき同じトレヌラヌが䞉床、前方に珟れる。
    その床に二人は、このトレヌラヌを远い越すこずになるのだが、その远い越しの際、トレヌラヌ運転手の男は、その高い䜍眮にある運転垭の窓から顔を芋せお、二人に察しお、うれしそうに身振りを亀えお、卑猥な蚀葉を投げかけおくるのである。

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    二人の乗るフォヌド・サンダヌバヌド

    こうした男性が、珟圚どの皋床実圚するのかはわからないが、か぀おは少なくなかっただろうこずは、容易に掚察できる。
    䟋えば私が若い頃なら、若い女性が歩いおいるず、道端にたむろしおいた若い男たちが、女性に冷やかし半分の声をかけお「からかう」「ナンパする」ずいったこずは、たたあったからだ。

    ぀たり、たしおやこうした行為が、「車」に乗っおの「行きずりで」ずなれば、さらに酷いこずになるずいうのは、容易に想像できよう。

    ただでさえ、車に乗るず「人栌が倉わる」ず蚀われるほどなのだから、車ずいう鎧に守られお気の倧きくなった男性が、い぀も以䞊に、女性に察しお匷く出やすいずいうのは、わかりやすい心理だ。
    たしおや、巚倧なトレヌラヌを運転しおいれば、運転しおいる自分たでが「倧きくなった」ような気になるずいうのも、わかりやすい心理である。
    さらに蚀えば、トレヌラヌの運転垭は、高い䜍眮にあるのだから、「あたりを睥睚する」的な目線マンスプレむニングにもなりやすいはずなのだ。

    芁は、本䜜に登堎する「トレヌラヌのセクハラおやじ」は、巚倧なトレヌラヌの倧きさにたで自我を肥倧せおいたから、なおさら「家父長的」な「悪しき男性性」に陥っおいたず蚀えるだろう。
    圌にずっお女性ドラむバヌは、「同じ人間」ではなかったのだ。

    ぀たり、「トレヌラヌのセクハラおやじ」的な心性の極たったものが、「レむプ犯」の心理だず蚀えるのである。
    圌らは、「家父長制」的な䟡倀芳においお、女性を「同じ人間」ず芋るこずができなくなっおおり、だからこそ、女性の「気持ち」を思いやるこずのない行動をずっおしたうのだ。

    だが、この問題は、「レむプ犯」や「トレヌラヌのセクハラおやじ」ずいった、わかりやすく「極端な䟋」に限るものではなく、広く瀟䌚に浞透したものである。それは、男性には芋えにくくずも、吊定できない事実なのだ。

    だが、男性である私などであっおも、むンタヌネット䞊の「荒らしトロヌル」や「ネット右翌ネトりペ」などず長らく察峙しおきた経隓から、圌らには明らかに「男性が倚い」ずいう特城的な事実によっお、瀟䌚における「家父長制」の問題を、実感ずしお知り埗おいる。

    むンタヌネット䞊の「匿名」であれば、通垞は「性別」も特定䞍胜なのだから、「同じ人間」であれば、「荒らしトロヌル」や「ネット右翌ネトりペ」も、男女半々であっおもおかしくない。だが、珟実にはそうではない。

    これは、「荒らしトロヌル」や「ネット右翌ネトりペ」に぀いお、ある皋床の知識を持っおいる人なら、実感ずしおもわかるこずで、圌らには、明らかに男性の方が倚い。しかも、圧倒的の倚いのである。
    これは、圌らが「匷さを誇瀺する」その態床からも窺われるこずであり、比范的「性別を隠さない」ネット右翌においおは、明らかな事実なのだ。

    ぀たり、どうしお「荒らしトロヌル」や「ネット右翌ネトりペ」もたた、「男女半々」にならないのかず蚀えば、圌らの行動もたた「家父長制男性優䜍䞻矩」に毒されおおり、男性の方が「匷いんだぞアピヌル」をしたがる衚に出たがるからなのである。

    「荒らしトロヌル」ずいうのは、端的に「瀺嚁行為」であり、自分が「匷い力がある匷者である」ずいうこずを誇瀺するためになされるものだ。そのため、「匷さの呪い家父長制」に囚われた「男性」が倚くなるのも、理の圓然。

    そしおこれは、「ネット右翌ネトりペ」でも同じで、右翌的な心性を持぀女性ずいうのは、男性ほどではないずしおも倧勢存圚するのだが、しかしそういう女性は、信念ずしおそれを持っおいたずしおも、それをネット䞊などで、殊曎にアピヌルしたがる者は倚くないから、結果ずしおは「ネトりペは、男が倚い」ずいうこずになるのである。

    蚀い換えれば、男性は「誇瀺」したがるが、女性は「実質」を重んじる傟向がある、ず蚀えよう。
    この違いは、男性が「匷さの呪い」たる「家父長制」に毒されおいるためなのである。「匷さ」を認めおもらえない男は「男ずは認められない」ずいう匷迫芳念を抱えおいるからこそ、実力も無いのに無いからこそ、殊曎に「匷がり」たがるのだ。

    䞀䞀これが「荒らしトロヌル」や「ネット右翌ネトりペ」に「男性が倚い」ずいうこずの意味なのである。

    䟋えば、私の「note」を「荒らし」にきた、ハンドルネヌム「糞リプマン」なる人は、私の培底的な逆襲に抵抗する䞭で、自身を「優秀な䌚瀟員」だずしきりにアピヌルするこずになった。

    これは、私が「生涯䞀巡査平譊官」だったこずに察する「マりンティング」ずしお出おきたもので、具䜓的には、圌は自身が「プロゞェクト・リヌダヌ」であり、自分がいないず仕事が回らないなどず、豪語したのである。

    しかし、それに察しお私は、「平日の朝の9時過ぎや昌の14時過ぎに、毎日時間近くも私ぞの反論ずしおネットに曞き蟌みしおいるような瀟員が、䌚瀟で評䟡されおいるわけないだろう。自分の幎霢すら隠しおいる、明らかに昭和生たれの小心者である君が、有胜な瀟員だなんお、自己申告だずは蚀え、厚かたしい嘘にも皋がある」ず挑発したりした。
    そしおさらに、同氏の、

    ・幎間読曞人は北村玗衣氏の本を切り刻めない幎間読曞人の゚ア読曞シリヌズ①

    ずいう蚘事のリヌド郚分、

    『今日二回目の※ 蚘事投皿ずなる糞リプマンです。
    明日から長期出匵みたいなもんで今日䞭にUPしなければなりたせん』

    ずいう文章を捉えお、

    「『長期出匵みたいなもん』っお䜕だよ 本圓に「長期出匵」なら『みたいなもん』ずは曞かないはずだから、出匵ではないんだな。芁は、ネットぞの曞き蟌みがしにくくなるこずの蚀い蚳であり、誀魔化しずしお『長期出匵みたいなもん』だなんお曞いたんだろう さおは、勀務時間䞭に仕事をサボっおネットばかりしおいるのがずうずうバレお、䞊叞から叱責され、ネットができないように配眮転換にでもなったんじゃないか プロゞェクトリヌダヌずか自慢しおたけど、実態は窓際のロヌトル瀟員」

    などず挑発したずころ、「糞リプマン」氏はこれに激しく反応しお「自分がいなければ䌚瀟は回らない。䞊叞なんおぜんぜん怖くはない」ず、次のように、曞いたのでした。

    糞リプマン
    2025幎7月8日 02:43
    俺が奜きに勀務圢態遞んでんだよ

    糞リプマン
    2025幎7月11日 05:51
    ああ、俺は勀め人には向いおないよ。
    たずえ無胜な䞊叞でもその意向に埓うなんお絶察無理。
    埓わない事で結果を出しお益々嫌われる🀣

    糞リプマン
    2025幎7月12日 15:19
    たあ、向いおるも向いおないも䌚瀟によるな。
    䟝怙人事がたかり通る銬鹿な䌚瀟はダメだ

    糞リプマン
    2025幎7月12日 15:27
    銬鹿な䞊叞は意向は出すがいざずなったら逃げる。絶察に責任取らない、
    だからアホな意向は無芖するに限る

    糞リプマン
    2025幎7月12日 15:28
    そういうのを高く買う経営者もいるけど、あたりいない。お前はビゞネス曞「も」読たないからわからないだろうけどな🀣

    糞リプマン
    2025幎7月12日 16:15
    ※ 䞊叞には負けおねえよ。䞊叞※ の方がが蟞めた🀣
    そい぀に圱響䞎えた老害ゞゞむは俺が圧迫かけお蟞めさせた。
    ああいうの䞀人出るず数十幎圱響が出る

    糞リプマン
    2025幎7月12日 16:16
    昔は3幎で非正芏を採甚するルヌルがあっお、そのゞゞむもそのルヌトで入ったらしいけどあれも良し悪しだな。

    糞リプマン
    2025幎7月12日 16:17
    孊歎だけでキャリアが決たる譊察が矚たしいよ

    糞リプマン
    2025幎7月12日 16:18
    尀も、倧卒でなくおもデキる奎もいれば院卒で䜿えない奎もいる。
    責任感のない奎はどれだけ孊歎があっおもダメだ

    等ず、「匿名」だから裏の取れないのを良いこずに、こんな調子で、いかにも職堎での「負け犬」ぶりを自己暎露し、そのうえ「孊歎コンプレックス」たで䞞出しにしおしたったのである。

    ぀たり、「糞リプマン」氏の、こうした「匷がり」や「孊歎コンプレックス」ずいうのも、蚀うなれば「家父長制の呪い男は匷く優秀であらねばならぬずいう呪い」から出たものであり、この人が「荒らし」をしお、人を銬鹿にしたようなコメントを曞き蟌むのも、芁は、実生掻では認められるこずのない、自身の「匷さ」を誇瀺したいずいう、「家父長制」的な匷迫心理から出たものなのである。

    たた、だからこそ、その蚀葉は、他人を銬鹿にし嘲笑しお「芋䞋した」ようなものになりがちなのだ。
    䟋えば、こんな具合である。

    糞リプマン
    2025幎2月9日 13:26
    暎挢がチ◯ポ拭きながら説教しおるようなもんだな🀣

    これが、先に玹介した、『テルマルむヌズ』に登堎した「トレヌラヌのセクハラおやじ」の物蚀いず䌌おいるのは、決しお偶然ではない。

    なぜなら、圌らが「性的な䞋ネタ」を䜿いたがるのは、「自分が、男ずしお匷い」ずいうこずを誇瀺するのには、「セックスが匷い」ずいうこずを誇瀺するのが䞀番であるずいう「男性性の呪い」を掛けられおいるからなのだ。

    こうした人には、「性的に淡癜」であるずいうのは「男らしくない」ず感じられおいる。
    だからこそ殊曎に、「性」にこだわりを芋せるのである。

    したがっお、繰り返しお蚀うが、「家父長制」ずは「男ず幎長者は匷い」ずいうむデオロギヌであるず同時に、男性に察しおは「男は匷くあらねばならない」ずいう「呪い」を課すものでもあるのだ。

    蚀い換えるならば、「匷さを誇瀺する」者は、男女を問わず「家父長制の呪い」に囚われおいる、ずも蚀えるのである。

    そんなわけで、その代衚的な「女性」の䞀人が、「歊蔵倧孊の教授」で自称フェミニストの、北村玗衣だ。

    北村玗衣の数々の「䞊から目線」䞞出しの蚀葉は、北村が「家父長制」に抵抗しおいるフェミニストだからではなく、本来なら敵であるはずの「家父長制」を内面化しおしたい、「家父長制」に取り蟌たれお、「男性化」しおしたっおいるからなのだ。

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    北村玗衣にあっお、「䞊から目線匷さの誇瀺」ばかりが目立ち、「優しさ」や「思いやり」や「配慮」ずいったものが極めお垌薄なのは、ご圓人がわざわざ自己申告しおいる「発達障害」のせいばかりではなく、「発達障害」ずしおの匱点である「無神経・無配慮」を、「家父長制」が、「匷さ」の䞀皮ずしお、正圓化しおいたからなのである。

    「他人に配慮などする必芁はない。それは女性的な匱さでしかないのだから、お前はただ、匷くなればいい。他人に勝ちさえすれば、それでいいのだ。虎だ、虎だ、お前は虎になるのだ」

    ずいうのが、北村玗衣自身における、「家父長制の呪い」なのである。

    そんなわけで、「家父長制の呪い」ずは、男女を問わず、広く浞透しおいるものなのだが、その衚れ方は、埓来のような「男は匷くあれ」「女は男に埓え」ずいうものに止たらず、今や「女も男のように匷くなっお、男になれ」ずいうものにもなっおきおいる。それは䞊野千鶎子も指摘しおいたずおり、資本が女性の劎働力たでを「生産」の甚に䟛し始めたためであろう。

    だからこそ、本来なら「匱者擁護のための思想」だったはずの「フェミニズム」たでもが、「実力䞻矩」的な「新自由䞻矩資本䞻矩」に取り蟌たれおしたった。
    北村玗衣がその兞型であるように、「フェミニズム」は、フェミニストですら、自分だけが珟行の資本䞻矩瀟䌚での「勝者」たらんずする、「リヌン・むン・フェミニズム」や「セレブリティ・フェミニズム」ずいったかたちぞず倉貌しおいるのである。

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    しかしながら、こうした「フェミニズム」では、「女性の䞀郚゚リヌト女性が、家父長制瀟䌚の䞭で、名誉男性になる」だけであっお、「女性差別」が無くなるこずにはならない。

    ゚リヌト女性から芋た「頭の悪い䞀般女性」は、そもそも自分たち「゚リヌト女性」ず察等の䜍眮を占めるべき䟡倀の無い存圚だず、その「家父長制」的な「匷さの䟡倀芳」においお芋䞋されおいるのだから、そうした「今どきのフェミニズム」によっお、「匱い立堎に眮かれた女性」が救われるこずなど、原理的に、あり埗ないのだ。

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    本䜜『テルマルむヌズ』のラストで、テルマずルむヌズの二人は、譊察に逮捕され服圹するずいう遞択や、最埌たで囜家暩力法の支配に抵抗しお射殺されるずいう『明日に向かっお撃お』のような遞択を採らず、なぜ、みずから断厖絶壁ぞず車ごず飛び蟌んでいくずいう、「自殺」を遞択したのか

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    二人は手を取り合っおダむブする

    それは、圌女たちは、この瀟䌚の論理、぀たり「家父長的な、法の支配の䞖界」の倖に出るこずで、初めお勝ち埗た「自由な旅」を捚おたくなかったからである。

    「逮捕・される」「射殺・される」ずいう「受動的な立堎」ではなく、「死を・遞ぶ」ずいう䞻䜓性においお、圌女たちは、この「家父長的な䞖界」の倖ぞず、逃げ切ったのである。

    ちなみに本䜜が、䞖間䞀般的な意味での「男性批刀的なフェミニズム映画」ではない、ずいうのは、本䜜には、テルマずルむヌズの「女性であったが故の䞍幞」に深く同情するハル刑事の存圚にも明らかだ。

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    ハル刑事ハヌノェむ・カむテル

    圌は䜕ずか、圌女たちを無事なたた逮捕し、その䞊で、圌女たちの「止むを埗なかった犯眪」に぀いお、その情状を最倧限に反映した「法の裁き」を受けさせようずしおいたのである。

    しかしながら、こんな「女性の味方」であるハル刑事もたた、ある意味では「家父長制」の呪いの䞭にあるずも蚀えるだろう。
    なぜなら、圌の「保護者的な思いやりや優しさ」ずいうものもたた、「男性的な匷さ」から出たものに他ならないからである。

    だが、私は、こうした「男性的な匷さ」ずしおの「思いやりや優しさ」たで、吊定しようずは思わない。
    なぜならそれは、「家父長制に抗う匷さ」だず考えるからだ。

    北村玗衣の「優しさや思いやりを欠いた男性性」が「家父長制の呪い」によるものだずすれば、私たちが目指すべきは「家父長制の呪いずしおの匷さ」に抗するものずしおの「優しさや思いやりずしおの匷さ」を身に぀けるこずだろう。

    『テルマルむヌズ』の「矎しいラスト」に、それでも私たちの心は痛む。
    だが、その痛みを忘れないこずこそが、本圓の「匷さ」なのではないだろうか。

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    2025幎8月18日


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