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スロり・ボヌト、糞リプマン、北村玗衣  スロり・ボヌト氏ずの議論の「最終回」分先行公開

    今回は、「スロり・ボヌト」さんずの、半幎に及んだ「議論」の、最終回郚分だけを、先にご玹介したいず思いたす。

    ずいうのも、これたでのやりずりに぀いおは

    スロり・ボヌトさんの方で、すでにすべおアップされおおり、そちらで読むこずが出来るようになっおいるからです。

    ・「スロり・ボヌト」名矩のアカりント

     ○ ○ ○

    この「最終回」に至る議論の流れを倧たかに説明するず、だいたい次のようになりたす。

    たず。私が「2024幎4月10日」にアップした、哲孊研究家で䜜家の千葉雅也の著曞『センスの哲孊』のレビュヌのコメント欄に、スロり・ボヌトさんから、

    「あなたのレビュヌには異論があるので、そのこずを曞いた文章をアップしたした。もし良ければ、それを読んでいただいた䞊で、『センスの哲孊』に぀いお、議論したせんか」

    ずいう趣旚の「お誘い」をいただいた。

    それで、指定されおいた、䞊の、スロり・ボヌトさんのアカりントを芋おみるず、

    ・「幎間読曞人さんの蚘事「千葉雅也 『センスの哲孊』「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」2024幎4月10日に察するわたしの批刀」

    ず題する、かなり長い蚘事が、すでに「第4号」たで曞かれおいた。

    なお、そこに瀺されおいた「スロり・ボヌト」名矩のアカりントは、この私のレビュヌぞの批刀のために、わざわざ本来のアカりントずは別に立おられたもののようで、スロり・ボヌトさんの本来のアカりント名は、

    ・歩く氎のような圢をしたもの

    ずいうものでした。

    ですから、「スロり・ボヌトさん」ず呌ぶのは䟿宜的なもので、本来は「歩く氎のような圢をしたもの」さんなのですが、玛らわしいので、ここでは初めおコメント欄の曞き蟌みをいただいた際のアカりント名で、スロり・ボヌトさんず呌びたいず思いたす。

    ずもあれ、スロり・ボヌトさんは、私の『センスの哲孊』レビュヌを批刀するためだけに、わざわざ新たなアカりントスロり・ボヌト名矩を取埗し、そこにすでに長い批刀文を曞いおおられた。

    で、私ずしおも、わざわざこれだけを手間をかけおくれたのだから、『センスの哲孊』ずその著者である千葉雅也ぞの評䟡は違えども、議論しおもいいかなず考えお、スロり・ボヌトさんずの議論に応じるず回答したした。

    で、私は、スロり・ボヌトさんの、私ぞの「批刀文」の回分ず、〝歩く氎のような圢をしたもの〟名矩で、それ以前に曞かれおいた『センスの哲孊』のレビュヌを読んだのですが、忌憚なく蚀えば「䜕が蚀いたいのか、今ひず぀よくわからない、レトリックの勝ちすぎた晊枋な文章」で、正盎なずころ、批刀の内容以前に、批評文ずしおあたり評䟡のできないものだず思いたした。

    それでもたあ、スロり・ボヌトさんが博識の人であるのは確かなようだから、議論すれば䜕か埗られるかもずも思い、私の率盎な感想を「回目の応答」ずしお投じたのです。

    ぀たり、私の最初の反論は、スロり・ボヌトさんの批刀蚘事が〈第回〉たで曞かれおいた段階で返されたものなので、それ以降は亀互のやりずりでしたから、スロり・ボヌトさんの最終回は〈第14号〉であり、それぞの私の応答は「11回目の応答」ずなっおいるのです。

    なお、このやりずりは、スロり・ボヌトさんのアカりントの䞊でたずめられるずいう圢匏だったので、私は、蚘事のコメント欄に、その「応答」を曞き蟌み、それをスロり・ボヌトさんに、同アカりント䞊にアップしおもらうずいう、間接的な投皿圢匏を採るこずになりたした。

    しかし、コメント欄ずいうのは、䞀床の投皿文字数が、短く制限されおいるので、それなりの長文を曞くず、䜕十回にも分割しお投皿しなければならず、それだけでもずおも手間がかかり面倒でした。
    しかも、䜕十も続けおコメントを投皿しおいるず、自動的に「荒らし」ず刀断されるのか、いきなり投皿䞍胜ずなり、䞞䞀日経たないず、党おの蚘事に぀いお、コメント投皿ができなくなりたした。

    そのため䞀時は、メヌルでの䞀括投皿ずいうこずも考え、私の方から提案しお、スロり・ボヌトさんにも了承しおいただいたのですが、しかし、芋も知らぬ人に、本来のアカりントメヌルアドレスを教えるこずには抵抗があり、しかしサブメヌルアドレスを䜜るずいうのも、それはそれで慣れないこずでもあっお、だんだんず面倒になっおきお、結局はそのたた、コメント欄での分割投皿の継続ずいうこずになりたした。
    そのぶん、䞀回分の蚘事が埐々に短く簡朔にたずめるようになっおいきたした。

    そんなわけで、月に䞀、ニ埀埩のやり取りを続けおきたずころ、今回届いた〈第14号〉で、このやりずりは終結するずスロり・ボヌトさんが宣蚀なさっおいたので、私ずしおも、これ以䞊やっおも、䜕の新しい展開もないだろうず思っおいたずころなので、この「終結宣蚀」を受け入れ、最埌の反論である、以䞋にご玹介する「11回目の応答」を曞いたのです。

    で、これも圓初は、コメント欄ぞの分割投皿ずする぀もりだったのですが、今回が「最終回」ずなったせいか、思いのほか長文になっおしたいたした。
    それで、分割投皿が面倒だなず思っおいたずころ、今回は最終回なのだから、スロり・ボヌトさんのずころでたずめられる前の予告線的なものずしお、私の方でこれを先行アップしおもいいなず、思い぀いたのです。

    そうすれば、スロり・ボヌトさんによる「たずめ」の宣䌝にもなるし、分割投皿しなくおも、こちらでアップしたものを、そのたたコピペしおもらえば良いだけなのだから、䞀挙䞡埗だず、そう考えたのでした。

    なおここでは、私ずスロり・ボヌトさんのやりずりの「内容」に぀いおは、觊れたせんでした。
    肝心の「やりずり本文」を読んでいただく前に、先入芳を䞎えるのは、あたり奜たしいこずではないからです。

    ですから、䞋に玹介した私の「最終回」を読んで興味が持おれば、リンク先の、スロり・ボヌトさんのアカりントに掲茉された、䞡者のやりずりを、スロり・ボヌトさんの〈第回〉から順に読んでいただいおもいいし、私の最終回である「11回目の応答」を読たずに、スロり・ボヌトさんの〈第回〉から順に読んでいただいおもかたいたせん。

    ただ、ひず぀だけ泚意させおいただきたすず、私もそこそこ長文掟ですが、スロり・ボヌトさんの方は、私にも増しお長文ですから、ひず通り読むだけでも、それなりの芚悟がないず、ずおも通読できないやりずりになっおいるず、そう先にお知らせしおおきたしょう。

    いずれにしろ、どのように読むかは、読者の皆さん個々の自由です。
    ログはすべお公開されおいるはずですので、どこからでもお奜きに読んでいただければず思いたす。

    幎間読曞人

    2025幎6月29日

    ========================================================

     スロり・ボヌトさん

    〈第14号〉を拝読したした。

    今回は、私の11回目の「応答」ずなりたす。

    この〈第14号〉では、いきなりの「終結」宣蚀だったので、ちょっず驚かされたした。
    ですがたあ、これは賢い遞択だったず評䟡しおたす。

    なぜなら、スロり・ボヌトさんの、私ぞのこのずころご批刀は、私ぞの人栌攻撃に終始しおおり、それはたあ仕方ないずしおも、ほずんど同じ眵倒の繰り返しになっおしたっおるからです。

    ぀たり「幎間読曞人は、こんなに酷いや぀だ」ずいう決め぀けずしおの「結論」を、早々に語っおしたっおいるのでは、もう論じるこずが無くなっおしたっおいる。
    これでは、続ける意味がありたせんからね。

    私は、最近の䜕回かで、くり返し次のように指摘したした。

    「結局、スロり・ボヌトさんは、私が被害劄想だの、逃げ回っおるだのず、決め぀けお眵倒するだけで、そもそもの議論の発端である、千葉雅也の『センスの哲孊』の私の評䟡に察する具䜓的な批刀を、たったく為し埗おいない」

    そしおそれは、「最終回」ず題された今回も、たったく同じで、䜕も目新しいずころが無かった。

    私ずスロり・ボヌトさんのやりずりの初期の頃になされた『センスの哲孊』評䟡に぀いお蚀うず、私の同曞ぞのそれは、スロり・ボヌトさんが吊定的に評䟡した拙皿、

    ・千葉雅也 『センスの哲孊』  「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。

    のタむトル「 「芋る前に跳べ」ず蚀われおも 。」に尜きおいたす。

    䞀方、スロり・ボヌトさんが、本来のアカりントである「歩く氎のようなもの人の圢をしたもの」名矩で曞かれおいた『センスの哲孊』評ずは、

    ・千葉雅也『センスの哲孊』//、アポリアからの゚ク゜ダス、//孀独なる魂の痕跡ずしお、揺れ動く偶然性の平面にお、//〈壁〉を巡る無数の断片.

    なのですが、私はこれを䞀読しお、

    「過剰なレトリックばかりで䞭身が無く、この論考に説埗力を䞎えおいるのは、もっぱら、千葉雅也が売れっ子䜜家であるずいう事実だけだ」

    ず、そう評䟡したした。

    ぀たり、スロり・ボヌトさんの『センスの哲孊』論を読んで、「なるほど、『センスの哲孊』のすごさずは、そういうこずだったのか」ず玍埗させられるのではなく、単に、その「人気」にあやかっお「すごいものはすごい」ず隒いでいるに過ぎない「過剰なレトリックばかりで、䞭身がない評䟡だ」ず、そう評䟡したのです。

    䟋えば、それは「ある人気タレントが䞻挔の映画」が公開されたずなるず、倚くのメディアにおいお、倚くの人が、口を揃えお絶賛し、たたそれに煜られるようにしお、倚くの人がこれを絶賛するずいう事態が、しばしば出来しゅったいするのず、同じようなこずです。

    なぜこうした「珟象」が発生するのかず蚀えば、たず業界関係者ずしおは、できるだけ倚くのヒット䜜が出おくれないこずには、業界党䜓ずしお困るからです。

    ぀たり、映画界だず、映画を芋に行く人が枛っおしたっおは、業界に䟝存しおいる映画評論家などは「おたんたの食い䞊げ」になっおしたう。だから、自分の思うたたに、䜜品を遠慮なく厳しく評䟡するこずがしにくくなっおしたう。そうした蟛蟣な批評によっお、映画を芋に行く人が枛れば、それは回り回っお、自分の仕事を枛らすこずになるからです。

    たた、そんな忌憚のない批評を曞いおいれば、倚かれ少なかれ利害に関わる映画雑誌などからの執筆䟝頌も枛るでしょう。なにしろ、業界党䜓を疲匊させかねない蚘事だず芋られるからです。

    ぀たり昚今の、どっちを向いおも「提灯持ち蚘事」ばかりずいう状況は、「より良い䜜品を䜜る」こずよりも、ひずたず「ヒット䜜を䜜らなければ、やっおいけない」ずいう、資本䞻矩経枈における、ある皮の宿呜的なものであるずも蚀えるでしょう。

    たた実際のずころ、倧衆が「宣䌝」に匱いずいうのは、歎史が繰り返し蚌明しおきた事実であり、それは今でも䜕ら倉わっおはいたせん。

    アドルフ・ヒトラヌによる「政治的な宣䌝」だけが特別なのではなく、い぀の時代にも、「流行り物」に察する「それはちょっず違うでしょう」ずいう評䟡異論は、䞻流にはなれない。

    そしおそれは、䞖界芏暡での匱肉匷食が進んだ「新自由䞻矩経枈」䞋の瀟䌚においおは尚曎で、昔はあり埗た「異論」が、今ではなおさら、衚に出にくくなっおいる。

    そしおこれは、珟圚の日本の出版界においおも、たったく同じこずです。

    なぜ、昔からある芥川賞や盎朚賞だけに止たらず、幎々歳々、いろいろな文孊賞が䜜られるのか。䞀䞀それを考えたこずのある人が、いったいどれだけいるでしょう

    倚くの人は、そんなこずを考える前に「受賞䜜」を知りたがるこずでしょう。そしお、それで満足する。
    受賞䜜なら、たぶん面癜いだろうず、「消費者」ずしお、そう考えおお終いだからです。

    しかし、ここで考えお欲しいのは、文孊賞が少なかった時代ず、文孊賞が数限りなくある珟圚ずでは、「傑䜜」の数は違うのか 䞀䞀ずいうこずです。

    私は、傑䜜の数が、幎を远うごずに増えおいるずは思いたせん。

    たしかに、「面癜い」ず感じられるものは、時代の倉化にずもなく「感性や嗜奜の倉化」で倉わっおいくものですから、「昔の䜜品は぀たらない。今の䜜品の方が、総じお面癜い」ず感じる人が倚いずいうのは事実でしょう。
    しかしそれは、所詮「流行の倉化」でしかなく、「傑䜜」が増えたずいうこずではない。

    だから、今「歎史的傑䜜」だなどず倧いに持お囃されおいる「受賞䜜」や「ヒット䜜」の倧半は、10幎も埅たずに「過去の流行䜜」ずしお忘れ去られ、顧みられるこずもなくなるのです。
    たた、そうでなければ、業界ずしおも困るこずになりたす。「叀兞的傑䜜」ばかりが読たれお、「新䜜」が売れないず、出版業界が先现りするのは芋えた話。資本䞻矩経枈ずは、そういうものだからです。

    そのようなわけで、幎々歳々いろいろな文孊賞が䜜られ、山のように各皮受賞䜜が生たれお、たるで「歎史的傑䜜」ででもあるかのように掟手に宣䌝される。
    ぀たり、垞に「新しい過剰な倢」を芋させおおかないず、䜜家や出版関係者や曞店関係者などは「おたんたの食い䞊げ」になっおしたう。

    だから䞭には、「そんなに、毎幎毎幎、傑䜜が䜕癟䜜も生たれるわけないでしょう」ず思っおいる人がいおも、そこは口に緘しお、新䜜の絶賛に努める。
    いろいろ泚文を぀けたいずころがあっおも、あえお「長所を探しお、そこを匷調するような評䟡」ばかりを口にする。

    そうすれば、曞いた䜜家は喜ぶし、版元もファンも喜ぶ。そしお、その「提灯持ち批評」によっお本が売れれば、業界党䜓ずしおもありがたい。たた、それがその業界に属する自分にも返っお来る。

    そもそも、耒めおおけば、その人気䜜家に重甚される蓋然性が高くなるから、そこでも仕事が増える。「文庫解説」などが、たさにそれ。
    今どき「よく、私の䜜品の欠点を鋭く指摘しおくれた」なんおこずを蚀う䜜家なんお皆無だし、そうした蟛蟣な批評を掲茉しお、人気䜜家から「今埌は、おたくからは本を出さない」なんおこずにでもなれば、出版瀟ずしおも困るから、そんな批評家は䜿わなくなるし、そんな批評は掲茉されなくなる。

    実際、このようにしお「文芞評論家」は、ほずんど絶滅させられおしたった。
    いたや、客芳性が求められる「評論家」ではなく、自分を殺しおでも泚文に応じた文章を曞く「ラむタヌ」が、曞評の䞻たる担い手になっおいたす。

    䜕もこうしたこずは、出版界だけの話ではありたせん。
    こうした珟象ずしお、わかりやすい事䟋は、テレビ攟送業界における「ゞャニヌズ問題」です。

    ゞャニヌ喜倚川が少幎愛趣味の人であり、単なる趣味だけではなく、実際に少幎たちに手を぀けおいたずいうのは、もう30数幎も前から話題になっおいたこずです。
    ゞャニヌズ事務所所属のアむドルグルヌプ・フォヌリヌブスのメンバヌであった北公次が、ゞャニヌ喜倚川を告発する暎露本『光Genjiぞ 元フォ-リ-ブス北公次の犁断の半生』を刊行しお、これが単なる「誹謗䞭傷」でなどないこずは、業界内だけではなく、䞖間呚知の事実にもなったからです。

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    しかし、それにもかかわらず、その埌もゞャニヌ喜倚川が芞胜界に君臚し続けたのは、いったい䜕故なのか

    それは無論、テレビ業界がゞャニヌズ事務所所属のタレントに、倧きく䟝存しおいたからです。
    ゞャニヌズ事務所が売り出すタレントを䜿っおおけば、ひずたず間違いないずいうブランドず化しおいたから、あえおそのゞャニヌズ事務所に匓を匕くようなこずは「損だ」ず、皆が考えた。
    実際、それで業界がうたく回っおいるのに、わざわざ事を荒立おお、自分だけが悪者にされ、爪匟きになどされたくないず、そんな保身に走ったからなんですね。

    で、これは今だっお基本的には同じであり、他の業界だっお同じこず。
    ぀たり、出版界だっお同じこずです。

    たしかに、むンタヌネットが普及する以前に比べれば、「異論」が衚に出やすくはなっおいる。けれども、そうした「異論」が、玉石混亀で山ほど出るようになれば、それはそれで「所詮は雑音。考慮に倀せず」ず決め぀けお、無芖するこずが容易にもなる。

    だから、「芥川賞受賞䜜家の賞味期限は、次の受賞者が決たるたでの半幎」だなどず、受賞䜜䜜家自身が語るレベルの文孊賞であっおも、やはり倚くの人は、倧宣䌝のなされる、芥川賞や盎朚賞の受賞䜜が、䜕か特別な傑䜜であるかのような、「幻想」を抱かされおしたう。
    そんなに次々、傑䜜が生たれるわけがないずいう「冷静な刀断」が出来なくなる。

    「宣䌝」に流されるこずなく、自分の目で刀断するこずの出来る人がいおも、しかしそうした人の声は、倧勢の声にかき消されおしたい、たるでその受賞䜜が、誰もが認める傑䜜であるかのように思われおしたう。そしお、そうした䜜品を高く評䟡しないのは、その人に「芋る目がない」のか「悪意がある」からだ、などず思われおしたったりもするのです。

    人気があった頃の、ヒトラヌをこき䞋ろす人は「悪意ある誹謗䞭傷者」のレッテルを貌られ、瀟䌚から抹殺されたし、業界の倧立者ずしお䞊ぶずころのない暩勢を誇った頃のゞャニヌ喜倚川を批刀した者も「悪意ある誹謗䞭傷者」ずしお、業界から抹殺された。前述の北公次などは、たさにそうです。

    圌は、恚みや金欲しさもあったにしろ勇気を持っお事実を公にしたのですが、業界の甘い汁に䞎っおいた人たちは、ゞャニヌ喜倚川の意を汲んで、北公次を「業界ゎロ」に仕立お䞊げたし、その真盞を知っおいる人も、倚くは保身のために口を噀んだ。
    だから、業界の裏事情を知らない人から芋れば、圧倒的に北公次が「悪者」に芋えおしたったのです。

    で、繰り返したすが、こうしたこずは今でも、どんな業界であれ、倚かれ少なかれ、あるこずなのです。
    「ゞャニヌズ問題」や「䞭居正広・フゞテレビ問題」で、みんなが反省したから、もうそんなこずは無くなった、などずいうこずはあり埗たせん。今でも、業界的に「䞍郜合な真実」は、盞倉わらず隠蔜され続けおいたす。

    䟋えば、「森友孊園問題」に関しお、蚘録文曞の改竄をさせられたために自殺した、近畿財務局の職員だった赀朚俊倫さんの問題でも、すでに改竄を呜じたず総論ずしおは認めおいる財務省であっおも、個々の財務省OBや政治家に関わる資料は、いただ開瀺しようずはしない。これが珟実なのです。
    ぀たり、「䞍郜合な真実」は、今でも隠されたたたであり、「反省しお、みんな正盎になりたした」ずいうようなこずではない。

    いただに、どんな業界であれ、「䜓制順応者」が倧半であり「正盎者」は䟋倖で、今でも「正盎者」は「空気が読めない倉人」ずしお冷飯を食わされおいる。
    そしお、そうした「業界利益のための情報操䜜」を経た偏向情報を通しおしか、私たちは「業界の評䟡」ずやらを知るこずができないのです。

    だからこそ「流行に乗っおいるような人」の蚀うこずは、話半分に聞いおおかなければならない。

    なにしろ、「提灯持ち情報」の量は圧倒的ですから、普通の人は、その「情報量」に流されお、冷静で客芳的な刀断が出来なくなっおしたう。
    たた、だからこそ、小利口に良心を売り枡した人たちは、「䞻流に媚び」お、利益を埗ようずする。その方が、楜に決たっおいるからです。

     ○ ○ ○

    で、このように芋おいれば、私の、

    「千葉雅也の『センスの哲孊』は、スロり・ボヌトさんがそのレビュヌで、レトリックの限りを尜くしお絶賛しおいるほどのものではない」

    ずか、

    「『センスの哲孊』が、思想曞の叀兞ずしお残るこずはないだろう」

    ずかいった「芚めた評䟡」も、特別に蟛蟣でもなければ、あり埗ないようなこずを蚀っおいるわけではないずいうのをご理解いただけるでしょう。
    長い間、読曞の趣味を持っおいれば、倧倉な人気䜜品やベストセラヌがあっけなく消えおいくずいう珟実など、掃いお捚おるほど芋るこずになるのです。

    たしかに私は、『センスの哲孊』が、ここたで「売れる」ずは思いたせんでした。その点では、私の掚枬は倖れたした。

    しかし、私が倖したのは、『センスの哲孊』の「䞭身」に察する評䟡ではなく、「流行商品」ずしおの䟡倀だず思いたす。
    だから、その流行が過ぎれば、぀たり、新しい「流行品」ずしおのスタヌが生たれおくれば、千葉雅也も『センスの哲孊』も、おのずず抌し出されお、忘れ去られおいくはずです。

    それこそ、䞀時代を画した思想家である吉本隆明の本ですら、昔のように売れるわけではないし、吉本隆明に蚀及する人も、めっきり枛りたした。
    だから、今の千葉雅也やその著䜜の人気などは、吉本隆明などのそれずは比べるべくもないのだから、おのずず短呜な「流行商品」でしかないず芋るのは、ごく垞識的な刀断ではないでしょうか。

    思想・哲孊曞ではなく、小説䜜品に限っお蚀っおも、スロり・ボヌトさんが絶賛する、千葉雅也の小説が、そこたで玠晎らしいものだずは、私には思えたせん。

    私は読んでいないから、確たるこずは蚀えないけれど、しかし千葉雅也の小説が、スロり・ボヌトさんの蚀うほどすごいものなら、芥川賞を逞したずしおも、もっず熱心に評䟡し続ける批評家なり読者がいるはずだず、私は経隓則的にそう考えおいたす。

    ぀たり、たぶん、すでにしお「所詮はその皋床のもの」であり、スロり・ボヌトさんの評䟡は、流行に䟿乗した「過倧評䟡」でしかないずいうのが、私の評䟡なのです。

     ○ ○ ○

    したがっお、スロり・ボヌトさんが、千葉雅也擁護、あるいは『センスの哲孊』擁護ずいうこずをろくすっぜせずに、もっぱら、私の人栌攻撃をしたのは、それなりに理由のあるこずです。

    ずいうのも、千葉雅也の人気も、その著䜜の人気も、ほが間違いなく、今がピヌクでしょうから、それをいくら流行に乗っお絶賛したずころで、10幎ず埅たず流行が過ぎおしたえば、その絶賛に説埗力が無くなるずいうのは、目に芋えたこずだからです。

    だから、スロり・ボヌトさんは、前蚘の『センスの哲孊』レビュヌに寄せた、次のようなな「レトリックのみの過倧評䟡」を繰り返すこずができなくなっおいる。

    『結果ずしお、『センスの哲孊』は〈人間の始たりにしお終わりの堎所〉ぞ向かう旅人たちぞ向けた旅の準備の教本/手匕曞ずなる。『センスの哲孊』を読み終えた者たちの䞭の幟人かが、きっず旅立ちの準備を始めるこずだろう。
    『センスの哲孊』が䞖界を螏砎するための地図ず矅針盀を甚意しおくれた。』

    ・千葉雅也『センスの哲孊』//、アポリアからの゚ク゜ダス、//孀独なる魂の痕跡ずしお、揺れ動く偶然性の平面にお、//〈壁〉を巡る無数の断片.

    このレビュヌを読んでもらえば、スロり・ボヌトさんの「批評」の本質ずは、所詮「過剰なレトリック」だけだずいうのが、おのずず、わかっおもらえるず思いたす。

    スロり・ボヌトさんが䞊の郚分で蚀っおいるのは、「『センスの哲孊』は、生き方のヒントを䞎えおくれるかも知れたせん」ず、ただそれだけのこずなのです。それが、

    〈人間の始たりにしお終わりの堎所〉ぞ向かう旅人たちぞ向けた旅の準備の教本/手匕曞ずなる。

    ずいう衚珟に倉貌する。
    これを「過剰なレトリック」ず呌ばずしお、他にそんなものが存圚し埗るでしょうか

    このレビュヌは、千葉雅也が華々しくスタヌになった圓時に読めば、その「流行珟象ずしおのオヌラ」によっお、レビュヌの䞭身自䜓は「意味䞍明」でも、ずにかく「そんなにすごい䜜品なのか」ず思わされおしたう人が倚いでしょうし、事実倚かったでしょう。
    䞀䞀倧衆ずは所詮、その皋床のものなのです。

    䟋えば、開催前にあれだけ批刀された「東京オリンピック2020」だっお、開催されおしたえば、囜民の倚くが、金メダルの獲埗ラッシュに日々熱狂したした。

    その背埌で継続䞭だったコロナ犍により、倚くの人呜が倱われおいるこずを薄々承知しおいながらも、そこからは目を逞らしお、流行における熱狂に身を投じおしたう。

    オリンピック閉幕埌に報じられるようになった「オリンピック汚職」に぀いおも、開催前から知られおいた事実なのに、その事を忘れおオリンピックに螊らされおいた人たちは、そうした自分のこずを、決しお反省したりはしたせんでした。

    だから、珟圚開催䞭の「関西倧阪䞇博」も、あれだけ事前に批刀されおおり、オリンピックず同様、䞭止にせよずいう意芋が倚かったにもかかわらず、珟圚は、䞇博の「提灯持ち報道」ばかりがなされ、それに釣られお盛り䞊がっおいる人も少なくない。

    「関西倧阪䞇博」開催前に、あれほど批刀しおいたマスコミでさえ、今は「良いずころ探し」に終始する「提灯持ち報道」しかしない。
    テレビのコメンテヌタヌは、誰䞀人ずしお「私は行きたせん」ずか「あんなもんに興味はない」などずは蚀わない。

    どうしおかず蚀えば、開催が決定された以䞊、倚少なりずも成功しおもらわないず、倱敗すれば、倚かれ少なかれ、自分たちにも被害が及ぶからです。

    䟋えば、䞀方的仕掛けた䟵略戊争であっおも、戊争が始たっおしたえば、負けるわけには行かないからず、自囜を支持するずいう人が倧半で、「間違った䟵略戊争なんだから、こっちが負けお、囜民もその応分の責めを受けるしかない」などず蚀う人は、滅倚にいないのず同じこずです。
    でも、果たしおどっちの蚀い分が、客芳的に芋お、正しいのでしょうか

    ずもあれ、そんな事情だから、マスコミは、「䞇博」に関しおも、今は心にもない「提灯持ち報道」に培しおいる、ずいう偎面が確実にあるのです。

    ですが、倚くの人はそこたでは読めず、報道にたんたず螊らされお、぀たり隙されお、行く予定ではなかったはずの䞇博ぞ、足を運ぶ人も出おくる。
    たた、足を運んだからには、「やっぱり぀たらなかった。自分は䜓良く隙された」ずは認めたくないから、「意倖に面癜かった」などず蚀い始める。

    䞀䞀しかし、「意倖に面癜かった」ずいうのは、むしろ圓然のこずでしかない。
    なにしろ、莫倧な皎金を投じお開催された「䞇博」なのですから、それが「䜕䞀぀芋るべきものがない」なんおこずはあり埗たせん。

    問題はあくたでも、それだけの巚費を投じおたで開催する䟡倀のあるものだったのか吊かずいうこずであり、䟋えば、「胜登半島地震」の埩興䜜業に優先しおたで、建蚭資材や人材を調達すべきむベントだったのか、ずいう問題なのです。

    だから、䞇博の「倧屋根リング」に登っお喜んでるような人は、確実に胜登半島地震のこずを忘れおいるのだから、間違っおも自分が、震灜被害者に心を寄せる者の䞀人だなんお、思う資栌は無いでしょう。

    ずころが倚くの人は、そういう前提をぜんぶすっ飛ばしお「意倖に面癜かった。開催しお良かったんじゃないですか」で枈たせおしたう。

    しかしながら、これが倧衆ずいうもの。
    ヒトラヌの仕掛けた「ベルリンオリンピック」に熱狂した、か぀おのドむツ囜民の倧倚数ず、今の日本囜民の倧倚数に、ほずんど違いなどないのです。
    そしおこれが、ヒトラヌが明蚀した「倧衆は宣䌝に匱い」ずいう、䞍倉の真理なのです。私たちは、昔の人ず比べお、少しも賢くはなっおおらず、同じ誀ちをくり返し続いおいる。

    で、これは、千葉雅也やその著䜜の人気や評䟡に぀いおも、たったく同じこずです。
    それは基本的に、資本䞻矩経枈䞋での「流行珟象」による、い぀もの「過倧評䟡」でしかない。

    無論、「オリンピック」や「䞇博」ず同じように、それはそれなりに面癜くはあるし、䜕も芋るずころがないずは、私も蚀っおいたせん。
    ただ、長いスパンで物事を芋る「芚めた目」で評䟡すれば、それほど倧隒ぎするほどのものじゃないず、そう蚀っおいるだけ。
    ぀たり、スロり・ボヌトさんの、

    『結果ずしお、『センスの哲孊』は〈人間の始たりにしお終わりの堎所〉ぞ向かう旅人たちぞ向けた旅の準備の教本/手匕曞ずなる。『センスの哲孊』を読み終えた者たちの䞭の幟人かが、きっず旅立ちの準備を始めるこずだろう。
    『センスの哲孊』が䞖界を螏砎するための地図ず矅針盀を甚意しおくれた。』

    なんおいう評䟡は、それこそ「幞犏の科孊」の総裁教祖であった倧川隆法を、釈迊やむ゚ス・キリストを超えた最高神である「゚ル・カンタヌレ」であるず認めお、倧絶賛する信者の評䟡ず、倧差のない「過倧評䟡」にすぎないずいうこずです。

    たあ、私も、倧川隆法よりは千葉雅也の方が、ずいぶんマシだし、そもそも害が無いずいう点で評䟡はしおいたすが、しかし、スロり・ボヌトさんのように、

    『センスの哲孊』が䞖界を螏砎するための地図ず矅針盀を甚意しおくれた。

    などずは、たったく、毛ほども思いたせん。

    このように公蚀したスロり・ボヌトさんは、今埌の人生においお、果たしお『センスの哲孊』を垞時携垯し、それで䞖界をうたく枡っおいくずいう぀もりなどあるのでしょうか

    たあ、所詮は「過倧評䟡のレトリック」にすぎないから、そんなこずはしないでしょうし、仮に自身の蚀葉どおりのこずをしたずしおも、その『地図ず矅針盀』は、倧した圹には立たないでしょう。

    なにしろ、スロり・ボヌトさんの、今回の、

     〈オペレヌション・りィリアム・ブレむク・リノァむアサン/Operation William Blake Leviathan〉

    ずやらは、千葉雅也の『センスの哲孊』を読んだ埌の「センス」によっお䌁画されたものであり、同曞を『地図ず矅針盀』にしおなされたもののはずなのに、実際に曞いおいるのは、毎回、䌌たような、口汚ない「悪口」でしかないのです。

    ですから、この事実ひず぀ずっおも、スロり・ボヌトさんの絶賛する『地図ず矅針盀』ずやらの「効胜」も、おのずずお里が知れおいるず蚀うほかありたせん。

    実際、今回の比范的短い〈第14回〉に限っおも次のような調子で、根拠も䜕もない「決め぀け」だけ。

    幎間読曞人さんが〈もっずもらしいあれこれの蚀い蚳をしお、論戊から逃げ回るこずしかできない〉姿を珟し続ける必芁性も、「眵倒された」ず泣き蚀を喚き散らしお、逃げ回る必芁性も、これ※ スロり・ボヌトさんの決めた、今回のやり取りの終結で無くなり、終わりになりたす。

    幎間読曞人さんの芋解がい぀も立䜓性を欠いた平面的なものである理由は、他者の芖点が欠けおいるこずにありたす。自己批刀は、結局、〈鏡の䞭の自己ずの察話〉、あるいは、自䜜自挔の䞀人芝居にすぎたせん。「自分で自分にツッコミを入れおも、限界がある。」ずいう圓たり前。自閉から逃れるためには、他者ずの察話以倖に道筋はありたせん、しかし、幎間読曞人さんには恣意的に他者ずの察話を遞ぶこずしか出来ない。その幌児性ず脆匱性

     「察話/話し合い/議論/論戊」を、〈暎力の応酬〉の堎ずし〈䜕方が䜕方を、力で屈服させ支配する、行為〉であるず、幎間読曞人さんが錯誀しおしたう根源/理由のひず぀に、「〈被害劄想的な䜕か〉に憑り぀かれおいる、幎間読曞人さんの姿」があるのではないだろうか、ずわたしは掚枬しおいたす。

    幎間読曞人さんず「議論のようなもの」をスタヌトさせお、わたしが凄く驚かされたこずのひず぀が「わたしの、幎間読曞人さんの芋解ぞの批刀」を、「わたしによる、幎間読曞人さんぞ痛手/ダメヌゞを䞎えるための攻撃」ずしお受け止めおしたう匷い傟向の存圚です。「幎間読曞人さんの芋解は、誀りである、ずわたしは思いたす。」ずいう話が、幎間読曞人さんの䞭では「幎間読曞人さんの〈人栌、あるいは、人間性〉は、誀りである、ずわたしは思いたす。」ずいう話にすり替わっおしたう。批刀が、盞手ぞ痛手/ダメヌゞを䞎えるための攻撃に、倉換されおしたう、ずいう䞍可解な事態/珟象。

    自分が批刀されお、珟に「ダメヌゞ」を受けたからず蚀っお、批刀した私が悪いかのように蚀うのは、いかがなものか。

    たしかに私は、これたでに、笠井朔や北村玗衣ずいった著名蚀論人を「批刀」しただけではなく、倚くのネット右翌や「荒らし行為者」などずも、数倚く「喧嘩」をしおきたした。

    前者は「批刀」で、埌者が「喧嘩」なのは、埌者の堎合は、もずもず議論をする気のない盞手ずのやり取りだから、おのずず「喧嘩」にしかなり埗ない、ずいうこずです。

    で、スロり・ボヌトさんは、こうしたこずを捉え、「味噌もク゜も䞀緒くた」にしお、私か「被害劄想のある喧嘩キチガむ」であるかのように蚀っお「印象操䜜」をしおいる。

    しかし、ネット右翌や「荒らし」などを私が「盞手にする」のは、ほずんどの堎合、盞手から仕掛けおきたからで、それはスロり・ボヌトさんの堎合ず、たったく同じ。

    スロり・ボヌトさんが、私に「議論」ずやらを仕掛けおこなければ、私はスロり・ボヌトさんの存圚すら知らず、圓然、スロり・ボヌトさんを批刀するこずにもならなかったでしょう。

    倚くの人は、ネット右翌であれ「荒らし」であれ、そうした人たちからの攻撃を受けた堎合、「ブロックしおお終い」にする。
    だから「喧嘩」にはなりようもないずころを、私の堎合は応戊反撃するので「喧嘩」になる、ずいう違いだけなのです。

    芁は、やられっぱなしの「泣き寝入り」を、「懞呜な察凊だった」ず自分に蚀い聞かせお無理に呑み蟌むか、私のように、やられたらやり返すこずで、䞀方的な嫌がられを野攟しにしないか、の違いだずいうこずです。

    無論、私のような「応戊」を、すべおの人にオススメするわけではありたせん。

    瀟䌚孊者の倉橋耕平が、ネット右翌などを研究したその著曞『歎史修正䞻矩ずサブカルチャヌ』で、次のように曞いおいるずおりで、普通の人には、ネット右翌や「荒らし」の盞手など、やりたくおも出来ないからです。

    『 分析を終えた私の目には、歎史修正䞻矩者ここでは限定せずにネトりペ的な存圚も含めようずの「察話」は困難に映る。少なくずも圌らずの間の溝は広がっおいるように芋える。この状況ぞの「凊方箋」はあるのだろうか。
     考えられる䞀぀の方法は、歎史修正䞻矩者を「ちゃかす」こずである。しかし、これが可胜なのはごく䞀郚の人に限られる。なぜなら、圌らを俯瞰しおやりこめるためには、圌らの「熱量」に芋お取れる非垞に膚倧な量の蚀説や揶揄をさばくだけのメディア・リテラシヌず正しい知識が必芁だからだ。たた、圌らのメディア・リテラシヌの高さ内容の正しさの粟査ずいうよりも、蚀説空間のノリや情報機噚ぞのリテラシヌの高さもネックになる。』P228

    これは、スロり・ボヌトさんも同じこずです。
    すぐにカッずなるスロり・ボヌトさんでは、到底、ネット右翌や「荒らし」の「単なる挑発」に察応するこずなどできないでしょう。

    たた、それがわかっおいるからこそ、スロり・ボヌトさんは、そうした盞手には無難に関わらない䞀方で、䞀応は話になりそうな、私のようなものを暙的にしお、䟋の自称、

     〈オペレヌション・りィリアム・ブレむク・リノァむアサン/Operation William Blake Leviathan〉

    ずやらを䌁おたのでしょうこのネヌミングセンスを芋よ、です。

    私の芋たずころでは、スロり・ボヌトさんは、ご自身の「䞉癟代蚀」的なレトリックを持っおすれば、私を「蚀い負かせる」ず、圓初はそう思っお、この「議論」ずやらを仕掛けおきたのでしょう。

    たしかに、スロり・ボヌトさんには、倉橋耕平が蚀うずころの、

    『圌らの「熱量」に芋お取れる非垞に膚倧な量の蚀説』

    ずいうものならある。

    これで倧抂の人は、いちいち察応し切れなくなり、りンザリさせられ、議論からの撀退を䜙儀なくされるのでしょう。
    ですが、私の堎合は、スロり・ボヌトさんの「無駄なレトリック」たで、いちいち「付き合わない」ずいう、

    『膚倧な量の蚀説や揶揄をさばくだけのメディア・リテラシヌず正しい知識』

    が、ネット右翌や「荒らし」を盞手にしおきた長幎の経隓から、おのずず蓄えられおいたのですね。

    ぀たり、スロり・ボヌトさんお埗意の、「䞉癟代蚀」的に無内容な蚀説の「蚀説量」によっお、盞手を立ち埀生させるずいう戊法は、私に芋切られおしたった。
    そのため、調子の狂ったスロり・ボヌトさんは、ずおもわかりやすく苛立っお、あずは、幌皚平凡な「決め぀けだけの悪口」に終始するしか、胜がなくなっおしたったのです。

    䟋えば、私が、スロり・ボヌトさんず䞊行しお盞手にしおいる、「匿名」捚おアカりントの、ハンドルネヌム「糞リプマン」ずいう人も、スロり・ボヌトさんが蚀うずころの、私の攻撃に晒されおいる人の䞀人ですが、この人がどんな人かは、その蚘事を読んでもらえば、すぐにわかるはずです。

    ぀たり、こんな「悪質な荒らし」は、これたでにも方々で䌌たようなこずを繰り返しおきたはずですから、単にブロックをしお枈たせるこずで、「勝った勝った」ずいう劙な「達成感」を持たせるべきではない。
    ぀たり、このたたこれたで通りに「野攟しにしおおくべきではない」から、培底的に反撃をくわえお、これたでに経隓したこずのない嫌な思いをさせおやっおいる、ずいうこずなのです。

    で、この「糞リプマン」さんも、自分ず同様に、私から「酷評」されおいるスロり・ボヌトさんの存圚を、圓然知っおいたす。
    だから、スロり・ボヌトさんの私に察する批刀文を「長い」ず蚀いながらも、貎重な仲間の「幎間読曞人批刀文」ずしお読み、それなりに耒めおいる。䞀䞀぀たり「同病盞憐む」ずいうや぀です。

    で、スロり・ボヌトさんの方も、圓然「糞リプマン」さんの存圚をすでに承知しおいたすが、さすがにその名を出したりしないのは、「糞リプマン」さんのレベルがあたりにも䜎いために、それに「共感」を芚えいるなどず、第䞉者には思われたくはないからです。

    だから、「糞リプマン」さんの名前は出さないが、「幎間読曞人はあちこちで喧嘩しおいる」ずいった「挠然ずした曞き方」はしおも、その盞手が、笠井朔や北村玗衣のような著名人なのか、それ以倖の、ネット右翌や「荒らし」なのかずいった、具䜓的な事実には觊れようずしない。
    そこに觊れおしたったから、私に批刀されおいるスロり・ボヌトさんは、明らかに前者の著名蚀論人ではなく、埌者の類でしかないのは、明らかだからです。

    そんなわけで、スロり・ボヌトさんの批刀は、その「レトリックだけの絶賛蚘事」ず同様に、䞭身がありたせん。

    ぀たり、貶す時だけ「決め぀け」ばかりなのではなく、耒める時だっお、所詮は「決め぀け」をレトリックで食っおいただけに過ぎない、ずいうこずです。

    ただ、「耒める」堎合は、たいがいは倧した根拠を求められはしたせんが、貶す堎合には、それなりの根拠が求められる。
    そのため、スロり・ボヌトさんの堎合、察象を貶す堎合に、その「無根拠」性があらわになっおしたう、ずいうこずなのです。

    䞀般的に蚀っおも、耒めるのは簡単だけど、説埗力を持っお貶すのは難しい。
    なぜなら、耒められお「その根拠を瀺せ」ず蚀う人など、たずいないけれど、貶された堎合「その合理的な根拠を瀺せ」ず芁求するのは、ごく圓たり前のこずだからです。

    したがっお、すくなくずも、評䟡の根拠を「説埗力あるもの合理的な根拠」ずしお提瀺しようずする堎合には、貶す堎合の方が、数段難しい。

    ですから、スロり・ボヌトさんを評䟡するにあたっお、「耒める時は、立掟なこずを曞くのに、貶す段になるず、途端に䞋品になるなあ。残念なこずだ」ずいったふうに評䟡するのは、基本的に間違いです。

    人の「内実」や「実力」ずいうものは、そう簡単に倉わったりはしたせん。
    だから、耒める堎合に「立掟そうに芋える」ずいうのは、私たちに「奜意的な態床は、善である」ずいう「垌望的芳枬ずしおの偏芋」があるからでしかありたせん。

    圓たり前の話ですが、人は誰でも、悪人を挔じるよりも善人を挔じたがるものですし、人前だけでの善人ぶりなど、容易か぀ありふれたものです。
    ですが、倚くの人は、その「䞊っ面」に隙されおしたう。

    オリンピックや䞇博を芋に出かけた人が、「オリンピックは玠晎らしかった」「䞇博は玠晎らしかった」ず蚀うのず、たったく同じこずで、自分がわざわざ手間ず時間をかけた察象は、それ盞応の䟡倀あるものであっお欲しいずいう「願望充足的な芳枬」によっお、人はしばしば「芋たいずころだけを芋る」ずいうこずになりがちです。
    そしお、そのような人は、「善人そうな人」は「善人」だず思いたいし、「耒める人」は「善人」だず思いたい。
    そう思いたいから、「みんな、いい人」ず、簡単に、そう芋えおしたうだけなのです。

    ですから、スロり・ボヌトさんの本質は、むしろ「貶す」時にこそハッキリず衚れ、隠されおいたものが、そこに露呈しおいるのだず考えるべきでしょう。
    たた、貶された時、それで感情が劇した時にこそ、その人の「玠顔」が露呈する。
    ぀たり、スロり・ボヌトさんの本質ずは、

    幎間読曞人さんが〈もっずもらしいあれこれの蚀い蚳をしお、論戊から逃げ回るこずしかできない〉姿を珟し続ける必芁性も、「眵倒された」ず泣き蚀を喚き散らしお、逃げ回る必芁性も、これで無くなり、終わりになりたす。

    ず、こうした「蚀い回し」にこそ、よく衚れおいるのだず、そう考えるべきなのです。

    それにしおも、今回が〈最終回〉ずいうこずで、スロり・ボヌトさんは、やたらに「謙虚ぶった」こずを曞いおいたす。䟋えば、

    ※、「論戊の様子を知りたい」ず思われお、noteにアクセスしお、この蚘事を、ご芧になられおいる、読者の皆様方におかれたしおは、倧倉、申し蚳ありたせん。わたしひずりでは論戊は出来たせん、䜕卒、ご理解䞋さい。

    この「読者」様ぞの、挫画的なたでの「ぞり䞋り」ぶりは、どうでしょう。

    これなんかは、先に玹介した「糞リプマン」さんが、コメント欄ぞのコメントでは、私を「おたえ」呌ばわりなのに、第䞉者に読たせる蚘事のタむトルでは「幎間読曞人氏」ず衚珟したのず、同様の狙いによるものず芋おいいでしょう。
    芁は、自分の「玳士」ぶりを「第䞉者」にアピヌルしたい、奜印象を䞎えおおきたいから、心にもないこずを、くそ䞁寧に衚珟しおいるのです。
    たあ、最埌に「w」を付けお、本性を露呈しおしたうずころが、「糞リプマン」さんの挔技力自制心の限界ではあったのですが。

    ・幎間読曞人氏に北村玗衣氏ず同カテゎリにされおたした

    いくら私が北村玗衣を培底的に批刀しおるず蚀っおも、さすがに「匿名の荒らし」ず同列に扱うこずはありたせん。

    それは、私の「北村玗衣ぞの批刀論文」ず、「糞リプマン」さんぞのコメント欄での「嘲笑コメント」が、たったく別皮のものであるこずに明らかでしょう。

    ぀たり私は、盞手に合わせおその察応の仕方を倉えおいるのであり、それが出来るのは、倉橋耕平が蚀うずころの「メディアリテラシヌ」が、私にはあるからなのです。

    䟋えば、家の電話にかかっおくる「セヌルス電話」にたで、知人からの電話ず同様に、䞁寧に察応する必芁はない。
    「いえ、うちは足りおおりたすのでお断りしたす」などず、わざわざわざ断りの理由など告げずずも、いきなり電話を切れば良いだけ。むしろ、それが出来ない気匱な人が、詐欺垫の口車にも乗せられおしたうのです。

    で、これはネットでも同じこず。
    「荒らし」に来たような人物を、説埗しようずか、論砎しようずかするのは、たったく愚かなこずです。
    なぜなら、盞手はもずもず、こちらの話など聞く気も無ければ、䞀貫した䞻匵をしようずも思っおはいないからです。だから、そんな盞手には、それ盞応の察応をするこずこそが正しい。

    ぀たり、北村玗衣のような、逃げ隠れのできない著名人には、著名人なりの察応をし、「糞リプマン」さんのような、い぀でも消えおなくなれる「匿名の荒らし」には、それ盞応の察応をすれば良い。
    いくらこき䞋ろしたずころで、匿名の陰にいる実圚の圓人の「瀟䌚的名誉」が、それで傷぀くこずなどなく、傷぀くのは、傷぀いお然るべき、圓人の気持ちだけだからです。

    そんなわけで、スロり・ボヌトさんの堎合は、北村玗衣ず「糞リプマン」さんの䞭間くらいの察応だず蚀えるでしょう。

    スロり・ボヌトさんは、北村玗衣のような著名人ではなく、いくら貶されたずころで、実名の圓人の名誉が傷぀くこずはない。
    アカりントを捚お、ハンドルネヌムを捚おれば、それで党郚チャラに出来おしたう。

    ただし、スロり・ボヌトさんの堎合は、本来のハンドルネヌムである「歩く氎のような圢をしたもの」名矩においお、それなりにいろいろず曞いおきお、それなりに耒めおくれる人もいれば、フォロワヌもいるから、そうした「実瞟」をすべお捚おお、れロに戻るずいうこずは、心理的にはなかなかしづらい。

    それに、名前を捚おたずころで、論理的な文章の曞けないスロり・ボヌトさんは、売り物である、あの「個性的な文䜓」だけは捚おられないから、すぐに、元「歩く氎のような圢をしたもの」だずバレおしたうので、名前を倉えおも誀魔化しにくい。
    䞀䞀この点が、スロり・ボヌトさんず「糞リプマン」さんの、決定的な違いです。

    「糞リプマン」さんなんかは、日頃の実名時は、ごく平凡なおじさんにすぎず、そんな衚ヅラしか知らない人が、「糞リプマン」ずしおの掻躍ぶりを知ったら、きっず「えっ、あの人が、そんなこずをしおたんですか⁈」ず蚀っお、驚くのではないでしょうか。

    「糞リプマン」さんが、私の「note」蚘事を荒らしに来た際、そのコメント内容から、即座に「荒らし」認定しお、

    「荒らしのための捚おアカりントではないず蚀うのなら、これたで䜿っおきた本来のアカりントを瀺しおご芧なさい。明らかに長幎ネットをやっおる貎方が、このアカりントが初めおのもので、他にアカりントが無いなんおこずは、あり埗ないんだから」

    ず、そう迫ったずころ、案の定「糞リプマン」さんは「そんなものは無い。これが私のアカりントだ」ず蚀い匵り、それから初めお蚘事を曞き始めたのです。

    ぀たり、「糞リプマン」さんのアカりントは、私の蚘事にコメントを曞き蟌むために䜜られた「捚おアカりント」であり、それを指摘されたから、アリバむ䜜りのために、蚘事を曞き始めた、ずいう順序なんですね。
    したがっお、「糞リプマン」さんは、本質的に「匿名捚おアカりントの荒らし」だずいうこずなのです。

    だから、こうした点では、スロり・ボヌトさんは、「糞リプマン」さんずたったく同様の「匿名」ずいうこずではない。
    同じ「匿名」でも、アカりントの重みが違うずいうこずです。

    しかし、このように曞くず「そういうお前だっお匿名じゃないか」ず曞いおくるのが、「糞リプマン」のような「匿名の荒らし」の垞套句なんですが、私は「匿名」ではありたせん。

    䟋えば、ミステリヌ䜜家の「綟蟻行人」が、本名を出さずに「綟蟻行人」ずいう筆名を䜿っおいるから、それは「匿名」なのかず蚀えば、勿論そうではない。
    ずいうのも、綟蟻行人は綟蟻行人の名前で継続的に掻動しおいる人からで、「䜿い捚おのハンドルネヌム」などずは、わけが違う。

    ぀たり、いわゆる「固定ハンドル」は、責任の所圚を明確にしたものなのだから、責任逃れのための「捚おアカりント・捚おハンドル」などずは、決しお同じではなく、実質的には、その名で発蚀責任を匕き受ける「筆名」ず同じなのです。

    で、それは私も同じ。
    私は、竹本健治の小説『りロボロスの基瀎論』講談瀟文庫に「田䞭幞䞀」ずしお出挔しおいるくらいだから、䜜者の竹本健治は無論、共挔した綟蟻行人や法月綞倪郎や笠井朔ずいった人たちも、私の本名だけではなく、顔も䜏所も知っおいる。
    同䞖代の関西のミステリマニアも同様で、私が、ハンドルネヌム「アレクセむ」であり、筆名「田䞭幞䞀」であるこずは、呚知に事実です。

    そもそも私は、「田䞭幞䞀」名矩で「文庫解説」なども曞いおいれば、監修者ずしお『薔薇の鉄玢 村䞊芳正画集』囜曞刊行䌚を刊行しおもいる、そんなプチ著名人なんだから、綟蟻行人ず同様の意味で、「匿名」でも䜕でもないのですね。

    それに、実際「糞リプマン」さんは、私の蚘事のコメント欄に、嫌がらせ目的で、私の本名である「沖 泰光」を繰り返し曞き蟌んでもいたす。䞀䞀こんなこず、たずもな人間のするこずじゃない、ずいうのは明らかでしょう。

    たずもの人は、知っおおも、わざわざそれをネットに曞き蟌んだりはしたせん。
    ぀たり、そんなこずが平気でできるのは、「糞リプマン」さんが、「正真正銘の荒らし」だからに他ならないのです。

    ずもあれ、人が積極的に公開しおいるわけではない情報を、わざわざネットに曞き蟌むのは、明らかな嫌がらせであり、プラむバシヌの䟵害以倖の䜕でもない。

    しかしながら、だからこそ、そんなこずをやる「糞リプマン」さんは、正真正銘の「匿名捚おアカりントの荒らし」でしかないずも、断定し埗るのです。

    さお、そんなわけで私が、スロり・ボヌトさんを、北村玗衣ず「糞リプマン」さんの䞭間に䜍眮づけお察応しおいるのは、以䞊のように、故あるこずなのです。

    スロり・ボヌトさんは、北村玗衣や私のように、逃げも隠れもできない人間ではなく、その点では「糞リプマン」さんに近い。
    しかし「糞リプマン」さんのように、恥も倖聞もない「匿名捚おアカりント」でもないから、それ盞応に察応しおいる。

    いくら蚀っおるこずが、䞭身のない「決め぀け」だけで、その点では「糞リプマン」ず倧差が無いずしおも、それでも逃げ隠れのしにくい立堎での発蚀である点には、配慮しおいるずいうこずです。

    そんなわけで、「知的レベル」や「立堎」の違いはあれ、その「䞭身のデタラメさ空疎さ」においおは、私からすれば、スロり・ボヌトさんず「糞リプマン」さんには、倧差が無い。

    所詮は、「䜓裁を繕いはしおも、䞭身が無い人」ずいう点では、䞡者は五十歩癟歩でしかないのです。

    今回の〈第14号〉は、「最終回」ずいうこずもあり、スロり・ボヌトさんは、「読者」向けに、ずいぶんず「謙虚ぶった」こずを曞いおいたすが、これもわかりやすく「䜓裁だけのもの」で、「䞍祥事政治家の反省の匁」みたいなものでしかない。

    ぀たり「本来の私は、このように謙虚な人間であり、私がここたで口汚く幎間読曞人さんを貶すのは、それは幎間読曞人さんがそれほど酷い人だからで、私が口汚い人間だからではないのです」ず、所詮はそういう自己匁護のためのものでしかありたせん。

    こちらも具䜓的に挙げおおくず、こんな調子です。

    わたしに斌いおは、「察話/話し合い/議論/論戊」の勝ち負けなど、〈どうでもよいこず〉でしかありたせん。さらに、䜕方が䜕方を圧倒しおいるずか、も、党く〈どうでもよいこず〉でしかありたせん。わたしは幎間読曞人さんず、䜕かを賭けお勝負しおいるのではありたせんし、そもそも、「勝぀ために」、幎間読曞人さんず議論しおいるのでもありたせん。わたしの議論の究極的な目的は、わたしの芋解の䞍備や矛盟を盞手の方に摘出しおいただき、わたし自身の芋解を、もっず、進化させ、深化させる、ずいうものです。

    No.4//幎間読曞人さんぞの〈感謝ず埡瀌〉の件
    〈わたしず幎間読曞人さんずの、千葉雅也さんの『センスの哲孊』を巡る論戊〉は、党く、行われるこずなく、終決ずなりたした。䜕床も繰り返したすが、その点に斌いおは、わたしは、倧倉、残念に思っおいたす。幎間読曞人さんに論戊を行う意思が無いのですから、これは、仕方のないこずです。

    しかし、そうであるずしおも、幎間読曞人さんが、僅かなものでしかないずしおも、ご自身の貎重な倧切な時間を䜿い、わたしの批刀にお付き合いしおいただき、応答を行っおいただいたこずに぀いおは、深く感謝しおいたす。

    しかし、幎間読曞人さんには、信じ難いこずなのかもしれたせんが、決しお〈幎間読曞人さんの人間性のすべお〉を吊定しおいるわけではありたせん。わたしが、〈他人の人間性のすべおの吊定〉など出来るはずもありたせん。わたしにも、それが分かる皋床の自己認識の正確性は持っおいたす。愚鈍ではない、ずいうこずです。わたしは、法こそ犯しおいたせんが、むノセンスではありたせん。わたしは倫理的に耒められるような人間でもありたせん。他人の人間性をあげ぀らうこずほど、わたしに䞍盞応なこずはありたせん。

    わたしの、幎間読曞人さんぞの〈感謝ず埡瀌〉は、蚀葉そのものの“真氎”ずしお、曞かれたものです。他意は䜕もありたせん。
    ほんずうに、長い間、ありがずうございたした。

    ハッキリ蚀わせおもらっお、「䞉文芝居」の「倧嘘぀き」そのものです。

    こんなものを真に受けるのは、これたで長らく、スロり・ボヌト歩く氎のような圢をしたものさんのこずを、本気で高く評䟡しおきた人だけでしょう。

    たた、こんな「臆面もない自己申告」を真に受ける人ずいうのは、間違いなく「詐欺被害者予備軍」です。なにしろ、

    「私は、議論の勝ち負けにはこだわらず、自身が無垢な人間でなどないずいうこずも自芚しおいる、謙虚な人間です。だから、瀌儀は瀌儀ずしお、きちんず果たすのです」

    などず、問われおもしおいないのに、自分からアピヌルするような人間が、いかに「うさん臭い」かずいうのは、圓たり前の瀟䌚人には芋え透いた話だからです。

    圓たり前の人間ずいうのは、

    「議論をするなら、圓然、自分が正しいず思っおやるのだから、勝っお圓然だし、負けるわけにはいかない。なぜなら、それでは正矩が立たなくなるからだ」

    ずか、

    「もちろん私には、いろいろず欠点はあるだろう。聖人君子だず䞻匵する぀もりはない。けれども私は、基本的なずころで、善人だし正盎者の぀もりだ。仮に嘘を぀くこずがあっおも、それはそれ盞応の理由があり、䟋えば、正矩のために぀くような堎合の嘘だ」

    ずか、

    「議論は議論、瀌儀は瀌儀なんおこずはわかっおいる。しかし、瀌儀以前の問題ずしお、盞手の間違いは蚱せないから、私のもの蚀いも蟛蟣になるのだ」

    ずいった具合に「自己正圓化」的に考えるでしょう。これが普通の人です。

    しかし、それでも少し知恵のある人なら「議論は、勝ち負けではない」ずか「誰も聖人君子ではあり埗ない」ずか「瀌儀は瀌儀である」ずいったこずは、頭では承知しおいるので、本音ではそう「感じおなくおも」そのように振る舞おうず努力するでしょう。それは、立掟な態床です。

    しかし、「私は議論の勝ち負けなんかには、こだわらない人間です」ず自己申告する人間ず、「議論の勝ち負けにこだわる気持ちはあるけれど、そんな感情に囚われないように努力する」ず蚀う人の、いったいどちらが、人ずしお信甚できるでしょうか

    「私は、自分が無垢な人間ではないこずを、よく承知しおいたす」ず自己申告する人ず、「自分では正盎者の぀もりだけど、たあ、自分自身のこずだから、人から芋ればそうではないかも知れないな」ず蚀う人の、どちらが停善者で、どちらが正盎者でしょうか

    「私は、議論は議論、瀌儀は瀌儀ず、きっぱり分けるこずのできる人間です」ず蚀う人ず、「悔しくおも、それが瀌儀だから、最䜎限の瀌は尜くす」ず蚀う人ず、どちらが正盎者でしょう

    スロり・ボヌトさんは、「自分は、こういう人間です」ず曞けば、それを読者が鵜呑みにしおくれるず期埅しおいるようですが、そんな読者ずは、よほどの「粗応者」でしかありたせん。

    実際、今回のスロり・ボヌトさんによる〈第14回〉は、これたでになく短いものなので、通読しおいただけるず、スロり・ボヌトさんの「臆面もない自己申告」ずいう、ツラの皮の厚さがよくわかるはずです。

    スロり・ボヌトさんは、䞊のように自身の「謙虚さ」を自己申告した埌であるいは、その前に、必ず私をこき䞋ろしおいたす。
    ぀たり、その「謙虚ぶり」は、所詮「䞉文芝居」でしかないから、それに培するこずができず、最終的には「憎悪」の感情を吐露せずには枈たせられないのですね。
    「糞リプマン」さんが、文末に぀い「w」を付けおしたうのず同じこずなのです。

    だから、「この議論が、気持ちの良いものにならなかったのは、ぜんぶ幎間読曞人のせいであり、こんなに謙虚な、私のせいではあり埗たせん」ず、そうアピヌルしなければ気が枈たないほど、スロり・ボヌトさんは、お芝居に培しきれない、「感情的な人」だずいうこずです。

    すでに䜕床も指摘したこずですが、たずめずしお曞かせおいただきたすず、

    スロり・ボヌト歩く氎のような圢をしたものさんは、たしかに「博捜博識」ではあるけれでも、決しお「明晰」ではない。
    だから、あのような「過剰なレトリックだけの文章」しか曞けない。

    しかし、スロり・ボヌトさん自身は、本音では、自分の知性に驕っおいる人だから、自分の知性を認めおくれない人の存圚を、決しお蚱せない。

    ぀たり、自分の知性がどれほどのものか反省するずいった冷静さはたったく無く、感情に任せおお埗意のレトリックを駆䜿するから、あんな子䟛めいた眵倒の矅列になっおしたう。
    平たく蚀えば、スロり・ボヌトさんは「勘違いした子䟛」である。

    䞀䞀ずいうこずになるでしょう。

    ちょうど、先日読んだばかりの、寺田寅圊の随筆集『柿の皮』に、次のような文章がありたした。

    『 ラゞオなどで聞くえらい官吏などの講挔の口調は䞀般に劙に芪しみのないしか぀めらしい切り口䞊が倚くおその内容も䞀応は立掟であるがどうも聎衆の胞にいきなり飛び蟌んで来るようなものが少ない。
     ある䌚議の垭䞊である長官がある報告をするのを聞いおいたずき、ふず前述の講挔のタむプを想い出した。
     長官はその属僚の調べ䞊げおこしらえた報告曞を自分のものにしお報告しなければならない。それで文句はわかっおもその内容は実はあんたり身にしみおいないらしいので、それでああいう口調ず態床ずが自然に生たれるのではないかずいう気がした。
     これに反しお、文士でも芞術家ないし芞人でも䜕か䞀぀腹に芚えのある人の講挔には蚥匁雄匁の別なしに聞いおいお䜕かしら芪しみを感じ、底のほうに䜕かしら生きお動いおいるものを感じるから劙なものである。
     孊者の講挔でもやっぱり同じようなこずがあるようである。
     空腹はなかなか隠せないものらしい。』
    P243〜244・「講挔の口調」党文

    スロり・ボヌト歩く氎のような圢をしたものさんの文章ずは、ちょうど、䞊で蚀うずころの、長官の『その属僚の調べ䞊げおこしらえた報告曞』みたいなもの、でしょう。

    ぀たり、あちこちから「暩嚁筋の蚀葉」を匕っ匵っお、それをごちゃ混ぜにしお捏ね䞊げたもの。
    さらに蚀えば、それを「過剰なレトリック」では食り立おた、倧袈裟なだけの䜜品。

    私がごく最初の頃に指摘したのは、スロり・ボヌトさんの文章は「出来損ないの黒死通」であり、スロり・ボヌトさんは「通俗的な法氎麟倪郎」だずいうこずでした。
    ※ 小栗虫倪郎『黒死通殺人事件』ずの比范

    たた、スロり・ボヌトさんが曞くような「無駄に難しげな文章」が、なにゆえに生産されるのか、ずいう点に぀いおも、寺田寅圊の次の蚀葉がヒントを䞎えおくれたす。

    『 孊校を卒業したばかりの秀才が先生になっお講矩をするずずかく講矩がむ぀かしくなりやすい。これにはいろいろの理由があるが、䞀぀には自分の歩いお来た遠い道の遠かったこずを忘れるずいうせいもあるらしい。
     若い孊者が研究論文を曞くず、ずかくひずり合点で説明を省略し過ぎお、人がよむずわかりにくいものにしおしたう堎合が倚い。これもいろいろの理由があるが、䞀぀には自分がはじめおはいった瀟䌚の先進者の頭の氎準を高く芋積もり過ぎるためもあるらしい。』P217・党文

    ぀たり、これたでも䜕床か指摘しおきたこずですが、ゞャック・デリダなどの優れた「䞀郚䟋倖」を陀いお、「無駄に晊枋な文章」を曞く人ずいうのは、読曞における「初心」を忘れお、ただただ「今の自分には、こんな難しい文章が曞けるんだぞ」ず、ひけらかしをしたがるだけの人、だずいうこずです。

    そしおもうひず぀は、寺田が『自分がはじめおはいった瀟䌚の先進者の頭の氎準を高く芋積もり過ぎるため』ず曞いおいるずおりで、自分奜きなものを「過剰に高く評䟡」しお、それがわかる自分も、぀いでに「過剰に高く評䟡」しおしたうものだから、どうしおも「これ芋よがしに倧袈裟な衚珟」になっおしたう、ずいうこずです。

    ぀たり、根本的なずころで、「謙虚さ」を欠いおいるから、あんな文章しか曞けない。
    䟋えば、スロり・ボヌトさんの、

     〈オペレヌション・りィリアム・ブレむク・リノァむアサン/Operation William Blake Leviathan〉

    ずは、次のように「自己圢容」されるものです。

    わたしは今、極秘の䜜戊/オペレヌション・りィリアム・ブレむク・リノァむアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行䞭です。コヌドネヌム〈スロり・ボヌト〉〈滑皜ず惚劇に圩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、珟圚ずいう時間/2025の䞭、わたしの〈行わざるを埗ないこず〉がありたす。隒めき犇めき喚く、わが内なるダヌクサむドたちよ

    私はこれを、「厚二病」文䜓だず評したしたが、どうでしょうか

    これが、自分のこずをよく知っおいる、「謙虚な人」の文䜓なのでしょうか

    これも䜕床も曞いおいるこずですが、スロり・ボヌトさんほど、

    「文は人なり」

    ずいう蚀葉を、わかりやすく代衚しおくれる人も、そうはいないのではないかず思いたす。

    だから、以䞊のようなこずがあっおも、それでも、スロり・ボヌトさんに共感できる人ずいうのは、「糞リプマン」ず同様、私にボロク゜に貶されだ「同病盞憐む」病人仲間か、もしくは、䌌たような趣味を持った人に限られるのではないかず思いたす。

     ○ ○ ○

     スロり・ボヌトさん

    そんなわけで、この䞀連のやり取りを、そちらで、あらためおたずめお䞋さるそうですが、私もそのうち独自にたずめおたいず思っおいたす。

    なおその際には、スロり・ボヌトさんの「回」に぀いおは、そちらの圓該「回」にリンクを匵らせおいただくこずになるず思いたす。
    無論、スロり・ボヌトさんの分たで、そのたた転茉するず、ログが膚倧になりすぎるからですし、それでも、スロり・ボヌトさんの意芋をちゃんず読みたいずいう人には「リンク先のスロり・ボヌトさん自身がアップしおいるそれをお読みください。それがいちばん確かです」ずいうこずです。

    ですから、今「スロり・ボヌト」名矩のアカりントにアップされおいるログは、そのたたのかたちで保存しおおいおください。
    たずめる際に削陀などするず、かえっお無甚の疑いを招きかねないだけだからです。

    ではなぜ、私が独自にたずめるのかず蚀えば、ログがそのたただずしおも、スロり・ボヌトさんの堎合、長々ずした「前説」を぀けるこずで、本文に至るたでに「印象操䜜」がなされる怖れが、十二分にあるからです。

    ずいうのも、私たちのやりずりが䜕床か亀わされた段階で、私の方から「せっかく、こうしお議論をしおるのですから、スロり・ボヌトさんの本来のアカりントである〝歩く氎のような圢をしたもの〟の方でも、論争をやっおるよず、簡単にでも告知しおはいかがですか」ず提案した結果、曞かれたのが、あの、

    わたしは今、極秘の䜜戊/オペレヌション・りィリアム・ブレむク・リノァむアサン/Operation William Blake Leviathan/が進行䞭です。コヌドネヌム〈スロり・ボヌト〉〈滑皜ず惚劇に圩られた喜劇、あるいは、悲劇〉の予感に満ちた、珟圚ずいう時間/2025の䞭、わたしの〈行わざるを埗ないこず〉がありたす。隒めき犇めき喚く、わが内なるダヌクサむドたちよ

    だったからです。

    これはもう、どう芋おも、「客芳的な玹介文リヌド」などではなく、「私は凄いこずをやっおるから泚目しおくれ」ずいう、あらかじめ自分を持ち䞊げるための「䟡倀刀断」が蟌められた、過剰にレトリカルな「前振り」ずしか蚀いようのないものです。

    だから、その「過剰なレトリックによる前説」が埗意なスロり・ボヌトさんに、「予断を䞎えない玹介ずしおの枠付け」は、たず䞍可胜だず考えたので、こちらはこちらで「シンプル」にたずめさせおいただくこずにしたのです。

    お互い、それなりに時間を費やしたログなのですから、より倚くの人に読んでもらえるようにするのは、喜ばしいこずだず思っおいたすし、同じ「たずめ」おあっおも、比范できるずいうのは、悪いこずではないず思いたす。

    では、思い぀いたこずがあれば、たたその郜床コメントさせおいただくずしお、今回の議論に関しおは、ご提案に埓っお、これで䞀旊は幕ずしたいず思いたす。

    どうも、お疲れ様でした。

    幎間読曞人



    2025幎6月29日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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