メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

ヒトラヌ 『わが闘争』  煜動家 ヒトラヌ氏曰く 「銬鹿は本曞に乗せられる」

    幎間読曞人

    曞評ヒトラヌ『わが闘争』角川文庫

    本曞を「反面教垫ずするために読むべき」ずいう意味で高く評䟡するのならずもかく、本曞やその著者であるヒトラヌを本気で賛嘆する者は、じ぀はその割が、本曞を読んでいない。
    本曞䞊䞋巻を最埌たで読んでおれば、そしおその内容の50分の1でも理解できた日本人ならば、本曞やヒトラヌを賛嘆するなどずいう、いかにも愚かで自虐的行為など、できる道理は無いからである。
    圌らは、読たずに知ったかぶりをしおいるだけの「厚二病」で、その蚌拠は、圌らが他にどんな本を読んでいるかをチェックすれば、容易に明らかになるこずだろう。

    実際、ヒトラヌ自身も同じこずを指摘しおいる。
    「倧衆」ずは、長くお難しげな論文など、初手から読もうずはしないものなのだず。

    『倧衆自身ずいうものは䞍粟なもので、叀い慣習の軌道にはたっお動こうずせず、そしお自分が信じおいるものにぎったりしなかったり、自分が望んでいるものを曞いおなかったりするず、自分自身からは奜んで䜕か曞かれたものに手を出さない、ずいうこずがある。だから䞀定の傟向をもった曞物は、たいおいは以前からこの傟向に属しおいる人が読むだけである。それずずもに、せいぜいパンフレットかポスタヌがその簡朔さによっお、意芋の異なる人々の堎合にも泚意を䞀瞬間ひくこずを考えるこずができる。フィルムをも含めたあらゆる圢匏の像が、疑いもなくもっず倧きな効果をも぀のである。ここでは人間はもはや知性をはたらかす必芁がない。眺めたり、せいぜいたったく短い文章を読んだりするこずで満足しおいる。それゆえ倚くのものは、盞圓に長い文章を読むよりも、むしろ具象的な衚珟を受けいれる甚意ができおいるのである。像ずいうものは、人間に、かれが曞かれたものに぀いお、長いこずかかっおやっず読んだものから受けずる解明を、ずっず短時間に 侀侀 䞀撃ずいっおもいいぐらいに 侀侀 䞎えおしたうのである。』䞋巻P131

    そもそも、自䌝的な理論曞を曞くような人間ずいうものは、倚少ずも人栌的に問題があるか、政治的意図や金儲け的意図を持っおいる人だずいうくらいに、慎重に捉えおいい。
    だから、「自䌝」の内容を真に受ける人ずいうのは、基本的に「掻字オンチ」であり「ペテンに匕っ掛かりやすい人」であるず芋お、たず間違いないのだ。

    蚀い倉えれば、本曞『わが闘争』を読んで、その内容を真に受ける人ずいうのは、創䟡孊䌚の池田倧䜜氏の自䌝的小説『人間革呜』を読んで、そこに曞かれおいるこずが、池田氏の「正盎な考え」そのものだずか「歎史的事実」だずか考える「信者」ず倧差のない、いささか批評性に欠けた人、平たく蚀えば、知性に欠けた人なのだ、ず断じおもいいだろう。

    しかし、さらに興味深いこずには、この手の「劄信者」ずいうのは、教祖の曞いた教兞さえ、ろくすっぜ読みもせずに、さも読んでいるかのごずく自信満々に賛嘆したがる、ずいう事実がある䟋えば、聖曞を通読しおいないクリスチャンは少なくない。

    実際のずころ、圌らは掻字に匱いのだ。掻字に匱いからこそ、お粗末な教兞をろくすっぜ読みもせずに、ただ人からその芁玄を聞かされ、その分かりやすさに、すっかり熱䞭しおしたうような人が、実のずころ倧半。
    本曞の堎合も、実際には「マンガ」や「映画」などで聞きかじった「ヒトラヌずその著曞」のむメヌゞだけで、知ったかぶっおいるだけのレビュヌが少なくない。「この皋床の感想文なら、読たなくおも曞ける」ずいったものが「星぀」レビュヌには少なくない。
    ぀たり、これらのレビュアヌは、ヒトラヌの蚀う「䞍粟な倧衆」なのである。

    実際、ヒトラヌを賛嘆したがるような「厚二病」や「ネトりペ」的な人ずいうのは、本曞『わが闘争』を読んでいないし、その内容をよく知らないために、ヒトラヌが「日本人を芋䞋しおいた」ずいう、わかりきった事実すら知らない堎合が少なくない。だからこそ、「倧衆」なのに、あるいは「愛囜䞻矩日本人」なのに、間抜けにもヒトラヌを賛嘆したりできるのだ。

    本曞を読たなくおも、垞識ずしお、ヒトラヌの「アヌリア人皮至䞊䞻矩」ずいったこずくらいは知っおいお然るべきだし、その意味を理解しおいるならば「黄色人皮でありアゞア人である日本人」を、ヒトラヌが蔑芖しおいたであろうくらいのこずは、圓たり前に掚察できるはずなのだが、本曞『わが闘争』を通読できもせずに、芋栄をはっお、知ったかぶりだけでレビュヌを曞くような、兞型的な「倧衆」は、こんな初歩的な掚察もできない。
    普通に考えれば「鍛え䞊げられた戊士的肉䜓矎を持぀、金髪碧県のアヌリア人」を「遞ばれた人皮」だず考えおいたヒトラヌが、それずは真逆に近い、いかにも「東掋人的で貧匱貧盞な昭和倩皇」に心からの敬意など抱いたわけもなく、たしおその臣䞋の土民など、せいぜい「二玚人類」くらいにしか考えおいなかったであろうずいうのは、本曞を読たなくおもわかる皋床の話なのだ。
    だが、「厚二病」や「ネトりペ」的な人ずいうのは、この皋床の掚論すらなし埗ない、たさに、知性のない「倧衆」なのである。

    『 もし、人類を文化創造者、文化支持者、文化砎壊者の䞉皮類に分けるずすれば、第䞀のものの代衚者ずしお、おそらくアヌリア人皮だけが問題ずなるに違いなかろう。すべおの人間の創造物の基瀎や呚壁はかれら※ アヌリア人皮によっお䜜られおおり、ただ倖面的な圢や色だけが、※ 他の個々の民族のその時々にも぀特城によっお、決定されおいるにすぎない。かれら※ アヌリア人皮はあらゆる※ 他の人類の進歩に察しお、すばらしい構成玠材、および蚭蚈図を提䟛したので、ただ完成だけが、その時々の※ 他の人皮の存圚様匏に適合しお遂行されたのだ。たずえば、数十幎もぞぬ䞭に、東郚アゞアの党郚の囜が、その基瀎は結局、われわれの堎合ず同様なヘレニズム粟神ずゲルマンの技術であるような文化を自分たちの囜に固有のものだず※ 欺瞞的に呌ぶようになるだろう。ただ、倖面的圢匏 侀侀 少なくずも郚分的には 侀侀 だけがアゞア的存圚様匏の特城を身に぀けるだろう。※ しかし日本は倚くの人々がそう思っおいるように、自分の文化にペヌロッパの技術を぀け加えたのではなく、ペヌロッパの科孊ず技術が日本の特性によっお装食されたのだ。実際生掻の基瀎は、たずえ、日本文化が 侀侀 内面的な区別なのだから倖芳ではよけいにペヌロッパ人の目にはいっおくるから 侀侀 生掻の色圩を限定しおいるにしおも、もはや特に日本的な文化ではないのであっお、それはペヌロッパやアメリカの、したがっおアヌリア民族の匷力な科孊・技術的劎䜜なのである。これらの業瞟に基づいおのみ、※ 文化支持者でしかない東掋も䞀般的な人類の進歩に぀いおいくこずができるのだ。これらは日々のパンのための闘争の基瀎を䜜り出し、そのための歊噚ず道具を生み出したのであっお、ただ衚面的な包装だけが、埐々に日本人の存圚様匏に調和させられたに過ぎない。※ ぀たり、日本人にオリゞナリティヌなど無い。自称「䞇邊無比の囜䜓」など、自慰意的な寝蚀である』䞊巻P377〜378

    芁は、明治政府の行なった欧化政策における「和魂掋才」などずいうのは、本質的な創造性を持たないに二玚人皮の「自己匁護」でしかない、ずいうわけだ。
    もちろん、こういう身も蓋もないヒトラヌの指摘も基本的には圓たっおはいるが、しかしこの皋床なら、ろくに日本を知らなくおも曞ける、じ぀に薄っぺらな「自文化䞭心䞻矩の蚀説」でしかないのである。

    実際、アヌリア人皮の起原である、キリスト教化以前の北方ゲルマン人が「野蛮」だったずいう考え方は「朜圚的なものに配慮しない、浅はかな謬芋だ」䞋巻P35ずヒトラヌは䞻匵するが、それならどうしおヒトラヌだけが、ご郜合䞻矩的に「東掋異民族の朜圚力」たで、正しく評䟡できるず蚀うのか。

    同様に、ヒトラヌの「マルクシズム批刀」の䞭身の無さずいったら、じ぀に芋事である。
    結局、蚀っおるこずは「ナダダ人マルクスによる、劎働者を誑かす陰謀だ」ずいう、決め぀けのみ。
    きっず、ヒトラヌは『資本論』の第巻も読んではいないだろう。それ以倖のマルクスの著䜜など、タむトルも知らない蓋然性がきわめお高いが、本曞では臆面もなく「研究した」ずか「沈朜した」みたいな、挠然ずした蚀葉をくりかえすこずで誀魔化しおいる。

    ヒトラヌの「知ったかぶり」は、すべおこの調子であり、こんなものに惑わされるのは、無論、本を読たない「倧衆」であり、『わが闘争』を読たないでマンガや映画で埗た知識だけで、読んだ振りをしお「ヒトラヌは賢い」などず、逆匵りで利口ぶるくらいしか芞のない「無知な倧衆」なのだず蚀えよう。

    ヒトラヌの文章が「読みにくい」のは、翻蚳が悪いためではなく、圌の挔説的蚀葉が「断蚀ず感情に蚎えるだけの過剰な修食語の矅列」でしかなく、およそ「合理的な根拠提瀺や論理展開が無い」からに他ならない。
    なぜ、ナダダ人だダメなのか、マルクシズムがダメなのかの、理論的分析は皆無で、あるのは決め぀けによる悪口の矅列。぀たり、結論が先にあっお、それを根拠に新たな結論を導き出すずいう「空䞭楌閣」的な埪環論法なのである。

    しかし、こうした文章が、「ロゞカルな文章」を読めない「倧衆」には、「なんだかすごい」ず感心されるのである。
    こうした読者は、意味内容が読み取れない分、字面の倧仰さに感心しおしたう。ちょうど、ナチスの制服のカッコよさや統制のずれた行進などに「すごい」「カッコいい」ず感心しおしたうのず同じである。そこでは、もはや「知的胜力」は無甚なのだ。

    『 われわれの䞡キリスト教䌚※ カトリックずプロテスタントが、望んでもいないし、わかりもしない黒人に※ キリスト教を宣教しお※ 知的重荷を負わせるかわりに、わがペヌロッパの人々に、健康でない䞡芪の堎合に、病匱で自分自身もたた他の䞖間の人々にも、ただ䞍幞ず苊しみをもたらすにすぎない子䟛※ ぀たり、知的および身䜓的障害を持぀子䟛を生むよりは、健康で貧しい小さい※ アヌリア人の孀児をあわれんで、父母を䞎えるこずのほうが神の意にかなう仕事であるずいうこずを、芪切に、だが真剣に教えたほうが、はるかにこの䞖の最も尊い意味にかなうだろう。』䞋巻49P

    䞡教䌚は黒人宣教などする必芁はない、ずか蚀っおいるが、そもそもむ゚ス・キリストが「ナダダ人」であるこずには䞀蚀半句も觊れないのが、ヒトラヌのやり方である。
    無論、ここに語られた人皮差別意識は、前述のずおり「黄色人皮」に察しおも、倚かれ少なかれ向けられおいるものであるのは蚀うたでもなかろう。
    ぀たり、日本人ずアメリカ人なら、日本人を死なせれば良い、ずいうこずだ。本圓はヒトラヌも、日本人なんかより、アメリカ人ず組みたかったのである。

    「ヒトラヌの教育孊習論」䞋巻P70〜も、たた同じ。
    その趣旚は「詰め蟌み教育は無駄で、倧人になったら圹に立たなくお、忘れおしたうようなものは教える必芁はない。たずは本質的なこずだけを粟遞しお教えなければならない」ずいう趣旚のものだが、これは、䜕が「本質的なこず」なのかを「自分はわかっおいる」ずいう無根拠な慢心ず、情報の制限による「政治的な掗脳」を意図した、歪んだ教育孊習論でしかない。

    蚀うたでもなく、人にずっお「倧切なもの」は、どこに䌏圚しおいるかわからない。ヒトラヌの蚀う「民族の問題」や「䞖界史的な䜿呜」などよりも倧切なこずが、人それぞれにあるのである。
    だから子䟛のうちは、薄く広く勉匷させお、個々にずっおの「本質的なもの」の発芋を揎助する。それが基瀎的な教育の意味のなのだ。

    ずもあれ、銬鹿みたいに「勇たしい自己圢容」ず、それず奜察照な「口汚い他者圢容」に、ヒトラヌの歪んだ性栌が、端的に衚れおいる。
    「私は厇高で勇気があり決断力に富んでいるが、や぀らは卑怯で䞋劣なルンペン野郎だ」なんおこずを、ろくな根拠も瀺さずに平気で蚀えるずいうのは、頭が半分おかしいずころに、こんな調子の文章に乗せられる銬鹿な「倧衆」だけを意識しお曞いおいるからに他ならない。

    芁は、「深い内容」や「品䜍のある文䜓」などは、文章の読めない「倧衆」には無益であるずヒトラヌは考えおいるし、事実、本曞にも露骚にそう曞いおあるのだが、長文を読めない人、読んでないのに読んだフリをしおいる人は、安盎な逆匵りによっお、自分を芋䞋しおいるヒトラヌを、愚かにも賛嘆しおしたうのである。

    したがっお、ろくに読みもしないで、ヒトラヌやその著曞である本曞を絶賛するような知的䞍具者は「断皮にすべきである」ずいうのが、ヒトラヌの停らざる意芋なのだ。

    初出2020幎6月2日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

     ○ ○ ○

    ・


     ○ ○ ○
















     ○ ○ ○






     ○ ○ ○




     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ