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宏掋 『神になりたかった男 回想の父・倧川隆法』  カリスマ䟝存は終わらない

    幎間読曞人

    曞評宏掋『神になりたかった男 回想の父・倧川隆法』幻冬舎

    今幎2023幎3月2日、宗教法人「幞犏の科孊」の創蚭者にしお、組織トップの「総裁」であった倧川隆法が、66歳の若さで亡くなった。
    死因は公けにされおはいないが、珟代医孊を吊定しおいた倧川隆法は、䜓調を厩したにもかかわらず入院治療を受けるこずもなく、自宅療逊を続ける䞭で倒れ、䞍垰の人ずなったずいう。
    これに぀いお、倧川隆法の長男で、本曞著者である「宏掋」は、隆法がコロナに眹患し、それを悪化させたあげくの死ではなかったかずいう掚枬を瀺しおいる。

    若い人は知らなくお圓然だが、「幞犏の科孊」は䞀時期、たいぞん勢いのある「新新宗教」の教団であった。

    私自身は、小孊生の頃に䞡芪ずもども家族人で「創䟡孊䌚」に入䌚しおいたので、他宗を批刀折䌏する創䟡孊䌚の䌚員らしく、「幞犏の科孊」の登堎に、比范的早い時期から䞀定の興味を持っおいた。「教祖は東倧卒の゚リヌトだそうで、集䌚を各地で開いお信者を増やしおいるそうだ。でも、教祖は、父ちゃん坊やみたいな頌りなさそうなダツなんだけど、どうしおあんなのに隙されるかなあ」ずいうような印象を持ち、そう評しおもいた。「貫犄」ずいうこずで蚀えば、創䟡孊䌚の圓時の池田倧䜜䌚長には比べるべくもない、およそカリスマ性に欠ける人物に芋えたのである。

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    もちろん、倧川隆法を評䟡する䞊でのポむントは、圌の「東倧卒」ずいう、異色の孊歎である。なにしろ、それたでの「新宗教」の教祖ずいえば、さほどの「孊歎」を持たない者の方が、むしろ倚かったからだ。

    敗戊埌の日本瀟䌚に、雚埌の筍のごずく生たれたずいう「新宗教」は、敗戊で倚くのものを倱った庶民を励たすものずしお誕生した、「貧乏人ず病人のための宗教」だず蚀われた。たた、地瞁を持たない地方出身者に、コミュニティを提䟛するものずしお成長した、ずも蚀われた。創䟡孊䌚も、そうした「新宗教」教団のひず぀であり、その兞型であったず蚀えよう。

    「新宗教」の「教祖」の倚くは、幎霢的にいっおも、ただ倧孊ぞの進孊率の䜎かった戊前生たれの人たちだし、それは信者も同様だった。
    たた、戊前の「倧卒者」ずいえば、今ずは違っお「䞀郚の知的゚リヌト階局」だったから、基本的には「無宗教」が圓たり前だった。戊争で負けたのも、囜民倧衆が「倩皇は珟人神だ」などずいう「宗教」プロパガンダを鵜呑みにしたからだ、ずいう認識もあったはずだ。だから、䞖間からも䞀目おかれおいた知的゚リヌトたる「孊士さん」が、宗教をやるなどずいうのは、およそ倖聞も悪く、圌らの高いプラむドが蚱さない、恥ずかしいこずでもあったのであろう。

    ずころが、時は移り、日本が急激な経枈埩興を果たしおのち、「バブル経枈期」1986幎12月〜1991幎2月ず呌ばれる、経枈的に豊かな時代に突入する。
    するず、戊埌の「新宗教」に頌った「貧しい庶民」はいなくなり、「䞀億総䞭流」ずいわれる䞭で「経枈的には䜕䞍自由はないが、心が貧しい」ず感じるような人たちがおおぜい出おきお、「自分探し」を始めた。

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    「自分探し」平成で定着 「解攟」の尟厎豊から「探求」のミスチルぞ

    「私は、なんのために生たれおきたのか」「私は、なんのために生きおいるのか」「目先の享楜に明け暮れ、がんやりず生きおいるだけの、こんな私でいいのだろうか」「自分らしさっお䜕だろう 生きるに倀する、本圓の自分っお䜕」などずいったこずを考え始めた。経枈的な豊かさだけでは埗られない「心の充実」あるいは、その豊かさを求めるようになったのである。

    もちろん、今ずなっおみれば、䞀皮の「莅沢病」だずも蚀えるだろうが、圓時の人たちにずっおは真剣な問題であったし、人々は、それを「心の時代」だず呌んだ。「経枈に支えられた物の豊かさ」ではなく、「内面の豊かさこそが倧切なのだ」ず、䞀応はごもっずもな考えを持぀ようになった。
    そしお、そんな新時代にふさわしい、「新しい宗教」が求められるようになったのである。

    そういう、いかにも意味ありげな「莅沢な発想」を持おる人が倧量発生しおきた「経枈的に豊かな時代」では、すでに「倧孊進孊率」は、限りなく100パヌセントに近づいおいた。高望みさえしなければ、どこかの倧孊にはもぐりこめるようになり、すでに「倧卒者」は「知的゚リヌト」でもなんでもなくなっおいた。逆に「倧卒」でない者は、よほどの銬鹿か、倧孊ぞも行けぬ貧乏人だずいう印象を持たれるような時代ずなっおいた。
    たた、だからこそ、「倧孊進孊」ずは「倧孊ぞ行きさえすれば良い」ずいうものではなかった。「䞀流倧孊」に行かなければ「知的゚リヌト」ずは認められない、そんな時代になっおいたから、「受隓戊争」が加熱したりもしたのである。

    蚀い換えれば、「倧孊進孊」が圓たり前になった時代だからこそ、「東倧卒」ずいう肩曞きは、人々の憧れになった。
    昔なら、庶民ずは無関係だったものが、きわめお身近なものずなり、それでいお倚くの人には手の届かない「憧れの察象」ずなったのである。

    したがっお、「幞犏の科孊」や「オりム真理教」ずいった「新新宗教」の堎合は、戊埌の「新宗教」の信者たちずは違い、お金もあれば、それなりに孊歎もある人たちが、それに満足するこずができなくお、「より豊かな粟神䞖界」を求めお入信しおいったのである。たただからこそ、教祖は「東倧卒の゚リヌト」だずか「チベットで修行しおきた行者」だずかいった「特別な人」ずいうこずになったのだ。「バブル経枈期」に盞応しく、「宗教教祖」も「ブランド化」しおいたのである。

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    オりム真理教の教祖・麻原地晃

    だが、本曞の「解説」で、『宗教問題』誌の線集長である小川寛倧が指摘しおいるように、珟圚、ほずんどの「新宗教」が信者を挞枛させおいるのに察し、より埌発の「新新宗教」のほうは、完党に消えおしたったものが少なくないずいう。
    これは、「豊かな時代」に生たれた「バブル宗教」だからこそ、日本瀟䌚が経枈的に行き詰たるず、それに応じおそうした教団もダメになっおいくずいうのは、いわば必然的なものではあったのだろう。今や人々は、「心の豊かさ」以前に、たず「圓たり前の経枈生掻」を確保するのに忙しくなったのである。

    そしお、「幞犏の科孊」もたた、2010幎代に入るず凋萜の兆しが差し始め、他ならぬ「次期総裁」ず目されおいた本曞著者の離反など、いろいろなこずが重なり、危機的状況が埐々に深たっおいった。そしお、そんな䞭で぀いに、肝心のオンリヌワン教祖が、あっけなく急逝しおしたったのである。

    本曞では、倧川隆法の長男であった著者が、「家族ずしお芋た倧川隆法」像を玹介するずずもに、著者なりの「倧川隆法」論を語っおいる。
    芁は、倧川隆法は「コンプレックスをバネにしお、宗教で成り䞊がった男」だったずいう倧川隆法理解を、自身の䜓隓から導き出しおおり、ずおも説埗的な分析ずなっおいる。

    ただし、こうした「倧川隆法像」は、本曞著者の前著である『幞犏の科孊ずの決別 私の父は倧川隆法だった』でも描かれおいたこずで、内容的に重耇する郚分も少なくない。

    しかしながら、本曞の堎合は、前著にはなかった「教団運営のカラクリ」の玹介があり、それは手厚いものではないにしろ、興味ぶかい読みどころずなっおいる。本曞は、前著を読んだ私が読んでも、じゅうぶんに面癜かったのだ。

    ちなみに、私は、瀟䌚人になった埌に、創䟡孊䌚を退䌚しおいる。
    原因は、自民党ず連立政暩を組んでいた、䞎党・公明党が、アメリカの「むラク攻撃戊争」2003幎〜2011幎を支持し、それを組織母䜓である創䟡孊䌚が、明確に批刀しなかったからだ。
    戊埌の焌け野原に生たれた創䟡孊䌚の「売り」は、長らく「絶察平和䞻矩」だったのだが、「暩力」に近づいた結果、その基本方針を投げ捚おたのを目の圓たりにしお、私は「この宗教は、明らかに間違っおいる力が無い」ず刀断し、創䟡孊䌚を去ったのである。
    そしお、その埌の私は、「宗教ずは䜕なのか」ずいう問題を、趣味の読曞を通しお考え続けた結果、比范的早い時期に、確信的な「無宗教の無神論者」であり「積極的な宗教批刀者」ぞず転じたのであった。

     ○ ○ ○

    さお、肝心の本曞『神になりたかった男 回想の父・倧川隆法』だが、䞊に曞いたずおり、「宗教」に肯定的であれ吊定的であれ興味を持぀者には、たいぞん興味ぶかく面癜い読み物ずなっおいる。

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    本曞における「倧川隆法論」的な郚分は、家族ずしお長幎身近に接しおきた者にしか曞きえないものだし、じゅうぶんな説埗力がある。
    著者をしお「芪である倧川隆法から離反した人物なのだから、その蚌蚀を鵜呑みにすべきではない」ずの意芋も圓然あるわけだが、問題は、本曞著者の語っおいるこずが、十二分の「説埗力を持っおいる」ずいう事実である。

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    巊・父 倧川隆法、右・長男 宏掋

    前著でも、そうだったが、本曞を読めば、著者が父芪を「憎んでいるわけではない」ずいうのが、はっきり䌝わっおくる。
    むしろ著者の、父・倧川隆法ぞのスタンスは、「憎しみ」ではなく、「哀れみず悲しみ」だずいうのがわかる。それはたるで、「犯眪に走った出来の悪い息子を語る芪」のような「やるせなさ」に満ちたものなのだ。芪子の立堎が、たるで逆なのだが、そうした距離感だからこそ、どこか痛々しくも、リアルなのだ。嘘を感じないのである。

    私はこれたでに「創䟡孊䌚批刀本」などもいくらかは読んでいるが、そうしたものの「創䟡孊䌚憎し」ずいう語りず、本曞著者の語りずは、たったく異質で、本曞著者の冷静か぀「哀しいナヌモア」を湛えたその文䜓から、語られた内容の嘘停りのなさが、はっきりず䌝わっおくるのだ。

    このあたりに぀いおは、前著でも同じで、私は前著のレビュヌで、次のように曞いおいる。

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    『著者の宏掋は、「アンチ・幞犏の科孊」などずいう、「宗教オタク新興宗教りォッチャヌ」ではない。
    圌は、ただ「宗教ずいう無根拠な束瞛」から自由でありたかった「普通の人」なのだ。
    できれば、「宗教」になどずは深く関わりを持たない「普通の人生」を送りたかった人に過ぎない。だが、圌の「生たれ」が、それを蚱さなかった。

    だからこそ、圌にずっおの「幞犏の科孊」批刀ずは、「アンチ・幞犏の科孊」のような「趣味的に積極的」なものではなく、嫌々なされる、嫌々でもなさざるを埗なかった、極めお消極的な「過去の枅算」にすぎない。

    それをしないこずには、い぀たでたっおも「宗教の暗い圱」を匕き摺らなくおはならないから、しかたなくやっおいるのが、圌の「幞犏の科孊」批刀で、それはたさに『私の父は倧川隆法だった』ずいう「生たれの宿呜」からの『蚣別』行為だったのである。』

    この印象は、本曞を読んだ今でも、基本的には倉わらなかった。ただ、倧川隆法の生前に曞かれた前著に比べれば、やはり「ひず息぀いた」ずいう感じはある。
    いたの著者にずっおは、「運呜の父」である倧川隆法その人は、すでに批刀の察象ではなくなっお、哀れみの察象ずなったからであろう。

    したがっお本曞に぀いおは、「幞犏の科孊」論や「倧川隆法」論ずいった、限定的で個人的な問題を扱った本ずしおではなく、著者の「幞犏の科孊」には限定されない「宗教批刀者」ずしおの偎面に぀いお、以䞋に玹介したいず思う。
    著者は、宗教の内郚で育った人らしく、その批刀は、䞀芋軜そうに芋えお、確固たる芯を持っおいる。それは、「宗教」の眪悪を、他人事だずは決しお思えない人の、「宗教批刀」なのだず蚀えるだろう。

    『 宗教じゃなくお「オンラむンサロン」

     ※ ここたでの内情玹介を読んでいったいどこが宗教なんだ、ず思った人は鋭い。そもそも、幞犏の科孊は宗教団䜓じゃなかったからだ。
     幞犏の科孊は蚭立されたのは1986幎だけれど、宗教法人の認可が䞋りたのは1991幎。では初期の幞犏の科孊が䜕の団䜓だったのかず蚀うず、「孊習䌚」ずか「孊習の堎」ずいう䜍眮づけだった※参照資料名を省略。
     「人生の倧孊院」ずいう蚀葉を掲げおいたこずもあるし、初期は入䌚するためにテストが必芁だった。そしお、「研修䌚」ずか「セミナヌ」ずかをやっおいた。
     この感じ、今のネット業界に詳しい人ならピンずくるかもしれない。
     そう、「オンラむンサロン」にそっくりなのだ。

     今のネットの䞖界では カリスマ的な人がネット䞊にサロンを䜜るのが流行っおいる。それがオンラむンサロンだ。䜜るのはたいおい有名ブロガヌずか、自己啓発界の倧物ずか、ちょっず人ずは違うこずが蚀えお知的な感じがする人が倚い。
     その人の呚りに、知的に背䌞びしたい䌚員が集たっおオンラむン䞊やリアルで定期的に勉匷䌚なんかをやっおいる。普通は䌚費があるし、トップが曞いた「note」なんかの文章を高く買う䌚員も倚いらしい。
     このシステム、初期の幞犏の科孊によく䌌おいる。
     もちろんほずんどのオンラむンサロンはたずもではあるけれど、知的な向䞊心がある人たちを盞手に「教祖様」がビゞネスをする点は同じだ。ネットがなかったから、リアルで集たり、SNSがなかったから本を買うずいうこずで隆法の蚀葉を孊んでいたずいう違いはあるけれど。
     そしお隆法の本を鵜呑みにすれば、なんずなく知的な感じを装うこずができるずいうわけだ。「東倧法孊郚卒」の孊歎がモノを蚀ったこずも間違いないし、なによりも幞犏の「科孊」ずいう名前の付け方が、圓時の方向性を物語っおいるず思う。』P110〜111

    このあたり、私の物の芋方ずたったく同じである。
    すなわち、「宗教」の本質は、いわゆる「宗教」に限られるものではなく、芁は「暩嚁に察する䟝存」である、ずいう考え方だ。

    だから私は、本曞解説者の線集する、宗教ゞャヌナリズム誌『宗教問題』を採り䞊げたレビュヌで、次のように曞いおいる。

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    『個人的に、いちばん興味深かった蚘事は、真鍋厚の「オンラむンサロンは新時代の宗教か」で、昚今流行の「オンラむンサロン」が、「非宗教」ではあっおも、「新宗教」的な色圩の極めお濃いものである点を、鋭く指摘しおいる。
    私も、「SFプロトタむピング」ずいう手法を売り物にしおいる「ビゞネス・コンサルタント」で、SF䜜家でもある「暋口恭介」を批刀する曞評の䞭で、真鍋文の次の郚分を匕甚しおいる。』

    ずし、䞋の真鍋文を玹介した。

    『「オンラむンサロン」の歎史は浅い。ここ10幎ほどで急速に普及しおきたむンタヌネットを介した月額制のコミュニティサヌビスだ。ゞャンルは、ビゞネスや起業、スキルアップ、矎容、ファッション、恋愛など倚岐にわたる。代衚的なオンラむンサロンずしおは、西野亮廣゚ンタメ研究所、PROGRESS䞭田敊圊 onlain community、HIU堀江貎文むノベヌション倧孊校などがある。
     オンラむンサロンの利甚者数は堅調に増加しおおり、ICT総研によれば、日本囜内におけるオンラむンサロン利甚者の総数は2019幎末で25䞇人、20幎末で53䞇人ず幎で倍増しおおり、今埌も成長を続けるずの芋方である。利甚者数は21幎末で74䞇人、25幎末には145䞇人に達するず予枬しおいる。幎間の利甚総額䌚費の幎間合蚈は20幎で74億円、21幎で98億円、25幎には183億円に達する芋蟌みだ。「2021幎オンラむンサロン費甚に関する調査。
     オンラむンサロンのプラットフォヌムを含めお、その垂堎動向が䞖間の耳目を集める䞀方で、コミュニティサヌビスずいう圢態に特有のトラブルも倚い。』

    『宗教問題』2021幎秋季号、P28〜29

    『 筆者は以前、オンラむンサロンが人々を蚎求する芁玠は、䞻に「コミュニティ」「物語性」「自己啓発」の぀のキヌワヌドに求められるず分析した「オンラむンサロンに金を払う人が満たす心の奥底」2020幎9月3日付、東掋経枈オンラむン。具䜓的に説明するず、「〝遞民感〟をくすぐる集団ぞの垰属」「魅力的な物語ぞの持続的な参加ず貢献」「成長や成功が期埅できる圹割ず任務」ず衚珟できるだろう。』前同P29

    『 珟圚流行っおいるいく぀かのオンラむンサロンに共通する傟向ずしお興味深いのは、実践䞻矩的な色圩を匷く打ち出しながらも、リヌダヌのキャラクタヌずその「物語性」を重芖しおいるずころだ。
     䞖間ずの軋蜢を抱えるカリスマ的な人物が、新芏事業を起こしたり、芞術䜜品を぀くるずいった困難な課題に挑戊し、人々は自己の資源を投入しお䞋支えするずずもに、コミュニティの䞀員ずしおその物語を生きるこずができる。ここにおいおずりわけ泚目すべきなのは、オンラむンサロンの䞻催者に立ちはだかる「倖敵の存圚」だ。
     これも新宗教の教団にありがちな詊緎ずそっくりである。マスコミだけでなく、゜ヌシャルメディアでたたかれるこずが倚いカリスマ的な人物は、むしろその苛烈な攻撃が教えの正しさを蚌明しおいるように思われるがゆえに、支持者の忠誠心はより匷固なものずなり自分たちの正圓性を確かなものにする。これはむ゚ス・キリストの時代から連綿ず続くお銎染みの構図である。
     毀誉耒貶の激しいオンラむンサロンの䞻催者は、時に勃興期の新教団を率いる若き教祖のように振る舞ったりもするが、そのこずに驚くほど無自芚であったりする。圌らは叀の䌝道ずいう文脈ではなく、双方向性によっお評䟡が垞に可芖化され、収益に盎結する゚ンタヌテむンメントの芳点から理解を深めおいるのであり、掗緎されたビゞネスモデルに仕立お䞊げようずしおいる。䟋えば西野亮廣は、オンラむンサロンの将来像をどう考えるかず聞かれお、次のように答えおいる。
    「これたでは䞖間的に知られおいる人の声が倧きかったですが、今埌はファンを持っおいる人が匷くなるず思いたす。自分のファンをいかに぀くるかずいう点で、倧事なのは物語です。僕のオンラむンサロンでも、うたくいこうが倱敗しようが、挑戊しおいるずきに䌚員が増えたす。挫画やドラマず䞀緒で、回䞊がっお、ピンチや倱敗があっお䞋がっお、そこから再起する。このN字圢を自分の人生でもやらないずいけたせん。完璧な事業蚈画曞を䜜っおも、あたりファンは生たれたせん。あえお負けやピンチを䜜るこずも倧切なんです」「西野亮廣、知名床よりファン倧切 オンラむンサロンの秘蚣を語る」2019幎8月17日付、犏井新聞オンラむン
     ここで蚀及されおいる「あえお負けや倱敗を぀くるこず」は、自䜜自挔でも構わないこずを瀺唆しおいる。リアリティ番組がやらせに満ち満ちおいおも、少しも人気が衰えないこずからもその嚁力は立蚌されおいる。10分ごずにクリフハンガヌ盛り䞊がるシヌンを組み蟌む海倖ドラマのように、真に重芁なこずは「物語を興ざめさせないこず」なのだ。負けやピンチが蚈画されたものか刀別できないほどの迫真性を持ち、危機感を共有するメンバヌが進んで出費や奉仕に努めるこず、それが゚ンタヌテむンメントずしおの圧倒的な匷床を生み出すのである。』
    前同P31〜32

    以䞊の匕甚蚘事を読んだ人の少ない郚分が「自分には関係ない」ず思うかもしれない。

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    「オンラむンサロンの先駆け的存圚「堀江貎文サロン」」2014幎の蚘事より

    だが、話は「オンラむンサロン」に止たるものではなく、䟋えば、いた流行の「掚し掻」などは、完党に同皮の「宗教的な䟝存」だず蚀えるだろう。
    事実、宗教における「教祖」にあたる、掚し掻での「掚しの察象」に、過剰なたでに金銭を泚ぎ蟌むこずを、「浪費」ずは呌ばないで、「お垃斜」ず呌んだりしおいる。

    「掚し掻」をしおいる人たちにすれば、「宗教ず䞀緒にするな」ず蚀いたいずころだろうが、その「掚し察象」に興味のない者から芋れば、垞識の範囲を逞脱した「お垃斜的浪費」を支える心理ずいうのは、「宗教的䟝存」そのものである。

    こうした、「掚し掻」ずいう新名称で為されおいる、きわめお資本䞻矩瀟䌚的な「宗教的䟝存」の察象物ずは、なにも「宗教教祖」や「アむドル・タレント」などには限らず、䟋えば、野球遞手の「倧谷翔平」だずか、「オリンピック玚のアスリヌト」、あるいは将棋の「藀井聡倪」などに察するものであっおも、本質的には、たったく同じこずであろう。

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    たしかに、その「信者」が、わざわざアメリカたで芳戊に行こうが、グッズを賌入しようが、それがそのたた「掚し察象」その人の懐に転がり蟌むずいうわけではない。
    しかし、倚少の䞭間搟取はあるにせよ、それが最終的には、「掚し察象」その人の懐に収たる「お垃斜」である、ずいう本質は、䜕も倉わらないし、その認識もあっおの、過剰な「浪費」あるいは「出資」の぀もりなのではないだろうか。

    芁は、自分ずは瞁もゆかりもない「有名人」に、ほずんど䞀方的に「貢ぐ」こずによっお、自分ずその「掚し察象」ずを結び぀けお、自分がその察象に「貢献しおいる」ず感じるこずで、䜕も持たない「空虚な私」を満たすのが、「掚し掻」ずいうものの本質なのではないか。

    よく口にされるものだが、「掚し察象」の掻躍ぶりを芋お「勇気をもらった」ずかいうのは、圓然、圓たり前の意味での「勇気」ではなく、「空虚な私」の心を「他人の掻躍」に䟝存するこずで、虚構的か぀欺瞞的に、䞀時的に満たした気になったずいうこず、぀たり「気散じ」の䞀皮に過ぎないのではないだろうか。

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    「勇気」は、あちこちで売られおいる

    「神」や「仏」は実圚しなくおも、「お垃斜」を出すずいう「珟実的行為」によっお、それらず関係が生たれたような気になる。実䜓のない「虚構の暩嚁」を䞀郚「買い取る」こずで、「空虚な自分」を充填し、「䜕者かになれた」ような「錯芚」を芚える。
    そんな「幻想」に䟝存しお「珟実逃避」するのである。

    で、これは察象が「実圚する人間」であっおも同じこずだ。

    ただ、テレビで芖お応揎しおいるだけでは、そんなものは「瞁がある」ずは蚀えないし、そう「信じる」こずもできない。だが、人䞊はずれお金銭を「貢ぐ」ならば、自分は「信仰察象」ず個人的に結ばれおいるずいう「錯芚」を抱くこずができる。
    いくら金を䜿おうが、実際には「瞁もゆかりもない他人」でしかないのに、「貢ぐ」こずで「掚し察象」に擬䌌的に憑䟝しお、「空虚な私」ずいう珟実からの逃避トリップするこずを「買う」のである。

    本曞の著者・宏掋は、こんなこずも曞いおいる。

    『 承認欲求を満たす䞻婊たち

     ※ 惰性で信者を続けおいるような、少なくない䌚員たちずは察照的に、熱心な信者さんもいる。
     僕の感芚では比范的富裕局の䞻婊が倚かったず思う。旊那さんが信者で、぀られお入信したパタヌンも倚いように芋受けられた。
     熱心ずいっおも、教矩の内容はほずんどわかっおいない人が倚かった。たぶん、教えの内容そのものには興味がなかったんだろうず思う。
     じゃあなぜ信者をやっおいるのかずいうず、「幞犏の科孊」ずいうコミュニティに所属するこずに喜びを感じおいるからだ。それこそ、今のオンラむンサロンで、「自分は××先生のサロンに入っおいるんだけどさ」ずいうこずにプラむドを感じるようなタむプ。
     だから、そういう䞻婊は隆法のファンであるこずが倚かった。圌女たちにずっおの幞犏の科孊は、倧川隆法ファンクラブみたいなものかもしれない。
     むメヌゞずしおは、旊那さんがしっかりず皌いでいるから生掻に困らないのけれど、どこか虚しさを感じおいお、行き堎のない承認芁求を抱えおいる䞻婊  ずいう感じ。子育おが終わった䞻婊が、生きがいを求めおいきなり生花教宀を開いちゃう、みたいなアレだ。

     幞犏の科孊は、そういう人たちにコミュニティを提䟛できる。
     たずえば、支郚単䜍でのむベントがけっこうあっお、信者さんが絵画教宀を開いおいたりするから、そこで生きがいを芋出す人も倚いようだ。むベントを開かなくおも、教団がいろいろなむベントをやっおいるので、そこで「家庭の私」ずは違う、むキむキした自分を自分を芋぀けられる。
     そうこうしおいるうちに、幞犏の科孊なしでは生きられなくなっおいく。以䞋略』P141〜142

    もちろん、ここでの「䞻婊信者」ずいうのは、「バブル経枈期」に信者ずなった、比范的経枈的に恵たれた人たちで、経枈的な豊かさだけではなく、「心の豊かさ」をも求めた結果なのだず蚀えるだろう。
    しかし、「信仰」そのものにそれを求めず、教団に「所属するこず」に救いを芋出しおいるずころが、䜕ずも皮肉に思えるが、むしろこちらの方が、リアリティがある、ずいうこずなのかも知れない。

    しかし、こうした人たちに比べるず、珟圚「掚し掻」にのめり蟌んでいる人の倚くは、必ずしもそこたで「経枈的に豊か」だずいうわけではないのでないか。
    「専業䞻婊が暇を持お䜙しお」ずか「子䟛を育お䞊げお暇になり」ずかいったこずではなく、「経枈栌差」が広がる䞭で、経枈的䞋局に属する人が、結婚を含めた「自分自身の瀟䌚的な成功や倢」を諊めた䞊で、その倢を「他人」に蚗すべく、「掚し察象」に貢いでいるなんおこずも、決しお珍しくはないはずだ。

    ぀たり、経枈的に䜙裕があった䞊で、さらに「心の豊かさ」を求めおいるずいうのではなく、むしろ「経枈的にも明るい展望が持おない」からこそ、せめお「掚し掻」によっお、「この珟実」から逃避したいずいう人が、身分䞍盞応な「お垃斜」を、自分から「貢いでいる」ずいう状況があるのではないだろうか。

    圓人ずしおは、それで満足なのだろうし、「自分の金を䜕に䜿おうず勝手だし、奜きでやっおいるのだから、攟っおおいおくれ」ず蚀いたいだろうその気持ちはわからないでもない。私自身、趣味にバカほど金を遣っおきた人間だから、五十歩癟歩だずいう気もしないでもない。

    ただ、趣味に「無駄遣い」するのず、䟋えば「統䞀協䌚に、なけなしの金を献金する」のずでは、どこか本質的に違うように思うのだ。

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    「寄付は勝手」では枈たなかった・統䞀教䌚倚額献金問題

    䟋えば、「趣味の無駄遣い」は、たったく自分のための無駄遣いで、「他人」にずっおは無意味に等しいこずだずいうのは、金を遣う圓人も、よくわかっおいる。
    ずころが、宗教や掚し掻の「お垃斜」ずいうのは、なにやら「瀟䌚貢献」しおいるがごずき「勘違い幻想」がそこにあっお、そこで「救われおいる」気になっおいるのではないかずいう、疑いを芚えるのだ。

    趣味で無駄遣いしたのなら、埌で「無駄遣いしたなあ。私は銬鹿なこずをしおるなあ」ず玠盎に反省するこずもできるが、宗教や掚し掻の「お垃斜」ずいうのは、熱が芚めた時には、どこか「隙された䜓良く螊らされた」みたいな感じが残るのではないだろうか。しかしそれは、「掚しのためにやっおいる」ずいう意識勘違いが、どこかに必ずあるからであろう。

    たあ、このあたりの機埮は、私自身十分に捉えきれおいないずころなので、この皋床の説明しかできないが、いずれにしろ、「オンラむンサロン」や「掚し掻」に、法倖な金銭を泚ぎ蟌んでいる人ずいうのは、偎から芋れば、それは「宗教狂い」ず倧差のないものにしか芋えないし、その根底にあるのは、本曞でも指摘されおいるずおりで、「承認欲求」の、䟝存的なかたちでの䞀時的な解消、であるように思えおならない。

    だから、「オンラむンサロン」や「掚し掻」を、単玔に「宗教的䟝存」ず、区別しおはならないず思う。

    そんなわけで、私や、本曞著者の宏掋が、こうした人たちこずを問題にするのは、「宗教団䜓の䞭の空気」を経隓的に知っおいるために、「オンラむンサロン」や「掚し掻」ずいったものにただよう、隠埮な「䞍健党さ」を、より匷く感じるずいうこずなのではないだろうか。

    「宗教」にのめり蟌んでいる人によく芋られる、過剰にむキむキした人ずいうのは、やはり、どこか狂っおいるずたでは蚀わないが倉なのである。䞍自然なのだ。

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    圌女たちの「掚し」は、ヒトラヌだった

    そんなわけで、本曞は、単に「倧川隆法」ずいう、いち人物の「コンプレックスに苛たれた人生の物語」を描くだけのものでもなければ、「幞犏の科孊ずいう、いち教団の物語」だけでもないように、私には感じられた。

    そんな衚面的なこずではなく、本曞から読み取るべきは、他人事ではなく、私たち自身の問題であり、私たちの今の瀟䌚党䜓の問題なのではないか。
    それが、倧川隆法であり、幞犏の科孊ずいう宗教団䜓が象城する、今日的な意味なのではないだろうか。

    本曞を、単なる「のぞき芋趣味の満足」の具で終わらせるのではなく、「読者自身ずこの瀟䌚の問題」ずしお読むならば、思いもよらぬほど、意矩ある読曞ずするこずもできるのではないか。

    著者・宏掋の、真の狙いや願いも、そういうずころにこそあるのではないだろうか。


    2023幎10月19日

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