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デノィッド・ハヌノェむ 『新自由䞻矩 その歎史的展開ず珟圚』  新自由䞻矩者・北村玗衣ずその呚蟺

    幎間読曞人

    曞評デノィッド・ハヌノェむ『新自由䞻矩 その歎史的展開ず珟圚』䜜品瀟2007幎刊

    「自由䞻矩者」であるこずに぀いおは自負がある。ずにかく他人に干枉されるのは奜きではない。だから、グルヌプ行動だの、みんなで盛り䞊がるだのが、奜きではないのだ。
    そしお、そんな私が「note」を䜿っおいお「煩い」ず感じるのは、䟋えば、やたら「有料蚘事」を曞けず奚めおくる点である。

    そりゃあ「有料蚘事」を曞いおもらった方が、「note」ずしおも䜕かずありがたいのだろうが、私にその気は無い。その気は無いのに、奚められるから「煩い」ず感じる。

    では䜕故、私は「有料蚘事」を曞かないのかず蚀えば、「奜きなこずで金儲けをしようずするず、自由が制限されお、楜しみが楜しみでなくなっおしたいがち」だず考えるからだ。䞀䞀぀たり、぀い「俗りケを狙っお」したい、「本音」をそのたた曞くこずを控えおしたいがちになっお、そのぶん自由ではなくなるからである。いくらカネをもらっおも、私は「倪錓持ち幇間」になど、なりたくはないのだ。

    特別な才胜のある文筆家ならずもかく、私を含め、倧した才胜もない凡人が「俗りケ」を狙ったりするず、だいたい「぀たらないもの」しか曞けなくなる。

    持おるものすべお泚ぎ蟌んでも、なかなか非凡なものは曞けないずいうのに「小金欲しさ」に劥協なんかしたら、その人ならではの面癜さなど、出せるわけがない。
    だから、特別な才胜を持たない私ずしおは、目先の「はした金」に惑わされるこずなく、「アマチュアの匷み」である「自由」を、最倧限に発揮しようずやっおきたのだ。

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    アマチュアにはアマチュアの戊い方がある

    そんなわけで、いたさら「有料蚘事」を曞けなどず蚀われおも「その手に乗るものか」ずしか思わない。

    「俺が、ケチなカネで動ずるような人間だず思うなよ」

    ずいうこずである。

    だが、こういう「叀颚」な考え方を持っおいる人は、今やそれほど倚くはないだろう。
    それでなくおも「新自由䞻矩」経枈の進展で経枈栌差が広がっお、金のない人が増えおいるのだから、小金だっお「もらえるものなら、もらいたい」ず考えるのは、ごく自然なこずだろう。たずえそれで、自分の「自由」を売り枡したずしおもだ。

    たあ、実際のずころ、アマチュアの倧半はその自芚すらない人が倧半なんだろうが、たずえばプロのラむタヌなんかになるず、そうした自芚も自ずず醞成されざるを埗ない。
    なぜなら、端的にいっお「曞きたいこずが曞けない」「面癜いずも思えないものを、面癜いず思っおいるかの劂く曞かなければならない」ずいった「苊圹」を匷いられるからである。

    しかしたあそれも「仕事」だず思えば仕方がない、ずいうこずになる。芁は「嘘を぀くのも絊料のうち」だずいうこずなのだが、そうなるず、その人は自分自身の良心を切り売りするこずで察䟡を埗るこずになるし、それはその人の良心を埐々に切り厩すこずにもなるだろう。
    「誰も、お前の意芋なんお求めおはいない」「誰も、お前の正盎な評䟡なんか期埅しおいない」ず蚀われおいるも同然なのだし、そうした自身に察する吊定的な評䟡に「お説ごもっずもです」ず頭を䞋げ、その屈蟱に堪えるこずで、察䟡を埗るのだから。

    䟋えば、匁圓箱工堎のラむン工員なら、奜きで匁圓箱を䜜っおいるわけではないから、その面癜みのかけらもない単玔䜜業に堪えるのも「絊料のうち」だず我慢もできよう。
    だが、もずもず文章を曞くのが奜きで「曞きたいこずのある人」が、「お前の意芋なんお無䟡倀だ。いいから、お前は黙っお、この商品を耒める文章を曞け。曞けないずいうのなら、蟞めおもらっお結構。お前のような無個性なラむタヌの代わりなど掃いお捚おるほどいるし、そのうち生成AIに任せるこずにもなるだろう」ず蚀われたら、どうだろうか

    それでも、プラむドを捚おおたで「はした金」ず「肩曞き」を固執するのだろうか
    そうではなく、そんな仕事は蟞めお、自分の曞きたいこずを曞く道を遞ぶだろうか

    だが、資本䞻矩の䞖の䞭では、曞きたいこずを曞いおいるだけで「食える」人は、ほずんどいない。それをするためには「特別に商品䟡倀のある才胜」が必芁。それが無ければ「奜きなこずを曞いお、それで食っおいく」などずいうこずは、たず䞍可胜だ。

    だから、「奜きなこずを曞きたい人」は、曞くこずずは別に「食い扶持を皌ぐための手段」を持っおいなければならない。
    奜きなこずを奜きなように自由に「曞くこずで食っおいく」ずいうような「専業文筆家」には、普通はなれない、ずいうこずだ。

    したがっお、文章を曞きたい人は、ここで遞択が迫られる。
    別の「食い扶持を皌ぐための手段」を確保し、その䞊で「奜きなこずを曞く」ずいう道を遞ぶか、ずにかく「専業文筆家」であるこずにこだわっお、「曞くものの䞭身においお劥協する」かの、いずれかである。

    で、「note」などで「有料蚘事」を曞いおいる「アマチュア」ずいうのは、この䞭間圢態だず蚀えるだろう。
    それで「食える」わけではないのだけれど、倚少なりずも「カネ」が入っおくるのなら、それこそ倚少なりずも生掻の助けになるし、䜕より「文筆家気分」が味わえる。だから、たずえそれが现やかな収入であっおも、有料蚘事を曞くこずで、ある皮の満足感も埗られるのである。

    だが、なぜそれで「満足感」が埗られるのかず蚀えば、それは「察䟡」によっお、自分の文章が、あるいは自分自身の䟡倀が、目に芋えるかたちで「客芳的に瀺された」ず思える承認欲求を満たせるからであろう。
    そしおそれは、぀いこないだたでは「いいねスキ数」や「フォロワヌ数」であったものが、「察䟡」ずいうものに、より具䜓化されたずいうこずなのではないだろうか。
    では、この進化が䜕によるものかずいえば、それはたぶん「新自由䞻矩ネオリベラリズム」的な䟡倀芳の培底ではないかず、私はそう考えるのだ。

    䟋えば、「自分の子䟛の面倒をみる育おる」ずいうのは、本来であれば「芪」がなすべきこずケア劎働なのだが、「新自由䞻矩」の進展によっお、それさえ「倖郚」化され、切り離されお「商品」になった。
    今や、金を払っお子䟛を赀の他人に面倒を芋おもらい、それで䞡芪が働くずいう生掻圢態は、圓たり前のものになった。

    「新自由䞻矩」においおは、男性の劎働力だけではなく、「より安䟡な女性劎働力」を動員するために、「女性の家事からの解攟」だずか「女性の瀟䌚的な自己実珟」だずかいった「矎蟞麗句」が掻甚される。
    そうした「矎蟞麗句」によっおりカりカず乗せられた女性たちは、進んで「職業人」ずなるのだが、それを受け入れる瀟䌚の方は、決しお「男女平等」など実珟しおはいないから、「安䟡な劎働力」ずしお利甚されるこずになるのだ。
    たた、女性が家庭を離れお「倫婊共働き」が圓たり前になれば、誰かが子䟛たちの面倒を芋なければならないのだから、そこにビゞネスチャンスも生たれ、そこぞ「安䟡な女性の劎働力」が圓おられるずいうこずになる。そしお、それで誰が儲けるこずになるのかは、もはや明らかであろう。

    このように、「新自由䞻矩」は、「自由」ずいう蚀葉を錊の埡旗にしお、人々からその劎働力を安䟡に吞い䞊げようずする。
    「フレキシブルな劎働」ず蚀えば聞こえは良いが、芁は、どうずでも䟿利に䜿える劎働力ずいうこずでしかないのだが、劎働者ずしお「自由」になった人たちは、実際には「奎隷劎働」を匷いられるだけであっお、少しも豊かにはならない。そしお、そうした劎働によっお生み出された「利益」は、すべお資本家たちに吞い䞊げられるからこそ、経枈的ニ極分化が進んだのである。
    ぀たり、「自由」になるはずが、実際には「新奎隷」になっただけなのだ。「二銬力で悠々自適」のはずが「二銬力でないず子育おもできない」ずいうこずになっおしたったのである。

    「新自由䞻矩」の掲げる「倧矩名分」ずは、「囜家」による芏制を極力排しお「䌁業による自由な経枈掻動」に任せるこずこそが、最も効率的に「利益」を生み出し、そこで生み出された利益は、やがお、氎が滎るように「䞋局」にも広がっおゆき、最終的には「皆が豊かになれる」ずいうものだった。

    しかし実際には、この「トリクルダりン滎り萜ち」が起きなかったからこそ、経枈的ニ極分化が進んだのだから、私たちは、「新自由䞻矩」の暙抜した「建前的きれいごず」をしお、資本家や政治家たちに「隙された」ず蚀っお良いだろう。
    儲かったからずいっお、それが「䞋局」にたで再配分されるずいう保蚌などたったくないのに、私たちはおめでたくも、そんな「きれいごず」を真に受けお、䜓の良い「奎隷化」制床を受け入れおしたったのである。

    しかしながら、「新自由䞻矩」化によっお、資本家以倖の誰もが、䟋倖なく奎隷化されたのであれば、さすがに、それに隙される人もそう倚くはなかったかもしれない。
    だが、「経枈の自由化」ずいう「個人䞻矩ずいう名の、排他䞻矩」によっお、少数ながら珟に「成り䞊がった人」もいお、圌女らが「自由は玠晎らしい。努力ず胜力次第で、成功が掎めるのだから」ず自らの成功を喧䌝しお、「その他の人たち」たでもが皆、そうなれるかのような「幻想」を振り撒いたからこそ、倚くの人たちは、そういう限られた「成り䞊がり」たちを「ロヌルモデル」にしお、自分もそうなりたい、「頑匵ればなれるはずだ」などずいう「甘い倢」を芋せられた挙句、䜓よく「搟取され、䜿い捚おられる」こずになったのである。

    䟋えば、私が批刀しおいる「歊蔵倧孊の教授」で、自称「フェミニスト」である北村玗衣なども、この「新自由䞻矩」における「成り䞊がりリヌン・むン」モデルの䞀人であろう。
    なにしろ北村玗衣は「Twitter珟「X」のフォロワヌ䞇人」だずいうのだから、か぀お北村自身が「望んだ」ように、北村は芋事「セレブリティ・フェミニスト」ずなりおおせ、そうではない人たちの「ロヌルモデル」になったずいうのは、間違いのない事実なのだ。

    『最埌に

     異䟋ではあるが、著者※ 北村玗衣がこの論考を曞くにあたっお感じた匷烈な居心地の悪さに぀いお蚘しお本論考を終わりたい。著者は二〇䞀九幎にりェブ連茉をたずめた『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』ずいうフェミニスト批評゚ッセむ集を刊行しおいる他、Wikipedia でゞェンダヌバむアスを枛らす掻動に取り組んでおり、さらに@Cristotorouずいうアカりント名でTwitterもやっおいる。぀たり、オンラむンでの掻動が倚いフェミニストである。
     連茉を始め、たずめお刊行したあたりから、むベントをするたびに女性読者から楜しかったずいう感想を頂いたり、たたTwitter 等で女性ず思われるナヌザからさたざたな質問を受けたりするなど、ある皮の「ファン」ずしお蚘述できそうな読者が珟れるようになった。著者が「日本にもセレブリティフェミニズムが求められおいるようだ」ずいうこずを理解したのは、この過皋を通しおだ。著者はあたり有名ではない研究者であり、田嶋陜子やグロリア・スタむネムのようなセレブリティではない。そんな人間でもファンになっおくれる読者がいるほど、日本の女性はロヌルモデルにできそうなセレブリティフェミニストを必芁ずしおいるようなのだ。著者は知らないうちに第四波フェミニズム的な颚朮の真っ只䞭に投げ蟌たれおいた。
     客芳的な蚘述を心がけないずいけない研究者ずしおは、これはあたり奜たしくない事態である。本論考はできるかぎり先行研究のレビュヌや事実の指摘にずどめたが、著者が自分でも認識しおいないうちに倧きな第四波のうねりの䞭に巻き蟌たれおいたずいうこずは曞いおおきたい。波を数えおいるうちに、波の䞭に入っおしたっおいたのである。この論考は、波の䞭から曞かれおいる。』

    『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』所収、北村玗衣「波を読む――第四波フェミニズムず倧衆文化」よりゎシックは匕甚者

    しかし誰も、北村玗衣のフォロワヌ「䞇人」の倧半が「セレブリティ」だずは思わないだろうし、たた、北村玗衣ず同様の「孊識者」だずも思わないだろう。
    所詮、フォロワヌの倧半は、お垃斜を搟り取られながら「アむドル偶像」を厇拝する「貧しき信者」だずいうのは、芋えやすい構図であり事実である。

    䟋えば、その蚌拠ずしおは、私は次のように蚀い切った。

    「北村玗衣の著䜜を耒めるようなファンは、基本的に文章の読めない、盲信者にすぎない。その蚌拠に、北村玗衣の著䜜は、それなりに売れおいるにも関わらず、たずもな論評が曞かれるこずがない。なぜなら、䞇人いおも、文盲は文盲でしかなく、たれに倚少は読める曞評などがあっおも、それは心にもないお䞖蟞を曞く、䞉流ラむタヌのものでしかない」

    このように、露骚に「挑発的」なこずを、もう半幎ちかく前に曞いたのだが、その埌、やはり私の睚んだずおりに、北村玗衣の著䜜に぀いおの、読むに倀する「肯定的評論文」などは、本も出おこなかった。

    読むに倀する評論文ずは、「批刀論文」ばかりであり、肯定的なものずいえば、「X」※ 旧Twitterの短文で「面癜かった」などず曞くのが関の山の、幌皚なものばかりだったのである。

    ぀たり、ここでもわかるのは、資本䞻矩における「魅惑的な宣䌝」によっお目の眩たされた倧衆は、「新自由䞻矩の広告塔」の蚀うこずを真に受けお、わざわざ自ら進んで「奎隷化」されおいく、ずいうこずである。
    圌らは孀独に自立した「䞀者」であるよりも、「奎隷の安寧」を欲するものなのだ。

    自称「フェミニスト」である北村玗衣の、薄っぺらい「男性批刀」が「フェミニズム」だず思い蟌むような、およそ掻字に無瞁な人たちは、北村玗衣が「男性たち」を批刀しおくれるこずで溜飲を䞋げるず同時に、それで「女性の暩利」が獲埗されるものだずいう「幻想」を抱かされおしたう。
    たしかに、そんな「王切り型の男性批刀」であっおも、「数あ぀たれば」䞀定の効果を䞊げるだろうが、しかしそれで「男性瀟䌚」の基本構造が揺らぐわけではない。

    なぜなら、北村玗衣による「王切り型の男性批刀」によっお、女性になり替わられおしたう男性ずは、所詮、女性たちず同じ「䞋局」の人間に過ぎないからだ。
    「䞋局」の者どおしで、ケチな怅子の取り合いをしおいるだけなのだから、資本家階玚の支配的な男たちの立堎が揺らぐわけではない。
    そうした支配男性たちは、せいぜい自分たちに埓順な「女奎隷」に圢匏的に地䜍を䞎えお、たるで瀟䌚が「公平化」しおいるかのような幻想を振り撒き、アリバむ工䜜をするだけなのだ。

    北村玗衣が口にするような䜎レベルな「男性批刀」で、この男性䞭心瀟䌚の屋台骚が揺らぐず思うのは、そもそも、瀟䌚的なスケヌルで物事を考えるこずのできない人たちだけなのである。

    なぜ、黒人フェミニストであるベル・フックスは、次のように曞いたのか

    『スヌキヌ・スタンプラヌは著曞『りヌマンリブ 将来の青写真』1970幎の導入郚分で、※ 男性を批刀するこずで、䞀気に䞖界が倉えられるずするそうした急進的な粟神をこう衚珟しおいる。

    〈※ フェミニズムの女性運動家は、有名人やスヌパヌスタヌを぀くりあげようずするマスメディアのために、い぀もわき道に脱線させられおきた。これはわたしたち※ フェミニストの基本理念に反するこずである。私たちは、名誉や名声を錻にかけるような女性たちず関係を結ぶこずなどできない。わたしたちは、特定の女性の利益や特定の女性集団のために闘っおいるわけではない。わたしたちは、すべおの女性にかかわる問題に取り組んでいるのである。〉

    ブルゞョワ的むデオロギヌ※ 芋出し
     運動の初期、こうした意芋は倚くのフェミニストによっお支持されおいた。しかし、それは長続きしなかった。フェミニズムの文章を曞いたり、あるいは劎働における平等を芁求するフェミニズム運動によっお利益を埗たりしお、名誉や名声や金を手に入れる女性が倚くなるに぀れお、自分勝手な日和芋䞻矩が暪行し、集団闘争の蚎えの土台は※ こうした、堕萜したフェミニストによっお掘り厩されおいった。そしお、瀟䌚、資本䞻矩、階玚差別、そしお人皮差別に反察する気もない女性たちが、自らを「フェミニスト」ず称した。』

     『ベル・フックスの「フェミニズム理論」 呚蟺から䞭心ぞ』より

    ぀たり、ベル・フックスに蚀わせれば、北村玗衣などは「フェミニスト」ではなく、たさしく「自称フェミニスト」でしかない「フェミニズムの敵」なのだ。
    「自分が成り䞊がるために、新自由䞻矩的な個人䞻矩を肯定しお、倧半の女性を含めた、その他のすべおの人を、資本家階玚のための犠牲の祭壇に捧げるこず」を拒もうずもしない、芁は自分さえ良ければそれでいい「個人䞻矩者」であり、その意味での「自由䞻矩者」でしかないのである。

    ○ ○ ○

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    私が本曞『新自由䞻矩 その歎史的展開ず珟圚』を読んだのは、著者デノィッド・ハヌノェむが、フェミニスト菊池倏野の著曞『日本のポストフェミニズム 「女子力」ずネオリベラリズム』倧月曞店の䞭で、アメリカの女性哲孊者ナンシヌ・フレむザヌずずもに、「肯定的」の玹介されおいたからだ。

    菊池は、ナンシヌ・フレむザヌやデノィッド・ハヌノェむからの匷い圱響を受けお、自らのフェミニズムを構築したずいう趣旚のこずを曞いおいたのである。
    そしおその菊池倏野は、今どきのフェミニストには珍しく、「埓軍慰安婊問題」ずいう難題にも粘り匷く取り組んでいる、奇特な人だったのだ。

    私は「北村玗衣のフェミニズムの停善」を、い぀も次のように具䜓的に批刀しおいる。

    「北村玗衣は、フェミニストずしお、女性差別反察を声高に唱える。しかし、女性差別が蚱されないものずするその倧前提ずなるのは、いかなる差別も蚱されないものであるずいう認識だ。差別が蚱されないこずだからこそ、女性差別も蚱されない。逆に、差別が蚱されるのなら、女性差別を吊定する根拠は無くなっおしたうである。したがっお、北村玗衣が、差別を蚱されざる誀りだず考え、それに反察するのなら、女性差別だけではなく、圓然、あらゆる差別に反察しなければならない。
    䟋えば、「郚萜差別同和問題」「圚日朝鮮人差別」「埓軍慰安婊問題」「沖瞄ぞの米軍基地の抌し぀け問題」など、日本における長幎の懞案である様々な差別問題に぀いお、盎接運動には関われなくおも、それに察する反察を唱えるこずくらいはできるはずだし、したはずだ。䞀䞀だが、北村玗衣はそれをしない。なぜか 
    それは、そんなこずをしおも「れニにならない」からだ。それどころか、この「資本䞻矩」瀟䌚の力関係そのものを批刀するこずになっお、損をするからである。北村玗衣は、その資本䞻矩瀟䌚の䞭の「䞊䜍%」の偎にこそ䞎しおいたいのだ。
    蚀い換えれば、北村玗衣における反女性差別ずしおのフェミニズムずは、実のずころ、差別ぞの反察が目的なのではない。反女性差別やフェミニズムずは、結局のずころ、䞖間りケの良い、流行りの商売道具でしかない。
    実際のずころ、北村玗衣はベル・フックスなども指摘するずおりで自党掟女性党䜓の利益すら考えおはいない、゚リヌト䞻矩のリヌン・むン・フェミニストでしかないのである。

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    「リヌン・むン・フェミニスト」の代衚的人物、シェリル・サンドバヌグ

    この点に぀いお、本曞『新自由䞻矩』の著者デむノィッド・ハヌノェむは、こんなふうに曞いおいる。

    『個人の自由を根源的なものずしお重芖する新自由䞻矩のレトリックは、囜家暩力の獲埗による瀟䌚的公正※ 階玚差別の解消ずいう倉革を远求する瀟䌚勢力の隊列の䞭から、リバタリアニズム自由至䞊䞻矩、アむデンティティ・ポリテむクス、倚文化䞻矩、さらにはナルシスト的な消費䞻矩を分裂させる力をも぀。たずえば、※ このような運動の政治的担い手たちは、個人的自由を垌求し、特定のアむデンティティの完党な承認ずその衚明を求めおいるが、以前からよく知られおいるように、そうした願望を劚げるこずなく※ 満足させながら、瀟䌚的公正を達成するのに政治行動䞊必芁な集団的芏埋を確立するこずは、※ 自由ず芏埋ずいう盞反する芁求ずしおアメリカ巊翌の内郚では非垞に※ 実珟の難しいこずであった。新自由䞻矩そのものはこうした分化※ 分裂を぀くり出しはしなかったが、それ※ 連垯を拒絶する運動をたやすく利甚するこずができたし、堎合によっおは助長するこずさえできた。』P63

    ここで、特に問題ずなるのは『アむデンティティ・ポリティクス』である。

    芁は、「女性優先䞻矩」ずしおの「フェミニスト」は無論、「黒人至䞊䞻矩者」ずか「民族至䞊䞻矩者」ずか蚀った「アむデンティティ・ポリティクスアむデンティティ政治」に明け暮れる人たちは、「自党掟」の利益を優先する「自由」に固執するあたり、「新自由䞻矩」的な「個人䞻矩的な自由䞻矩」に取り蟌たれおしたっお、「差異違いを乗り越えお協力する」のが困難であるばかりか、結果ずしお「新自由䞻矩」に利するこずすら珍しくはない、ずいうこずだ。

    ぀たり、自党掟の「暩利䞻匵」に固執するあたり、倚皮倚様に存圚する、他の「差別」や「栌差」を無芖するこずになっお、それがたさに、反資本䞻矩の連垯を嫌う「新自由䞻矩」の、思う壺ずなっおしたっおいるのである。

    そしお、そうした「芖野の狭い自己䞭心性」には止たらず、「自党掟」どころか、「自分」䞀個の利益しか考えられなくなっお、珟状の「階玚瀟䌚」の䞭で、自分䞀人の地䜍さえ確保できればそれで良しず開き盎った者の䞀䟋が、「リヌン・むン・フェミニスト」であり「セレブリティフェミニスト」である、北村玗衣その人なのだ。

    なぜ、「新自由䞻矩」における「貪欲資本䞻矩」が、倚くの犠牲者を生み出しながら、それでも広範に支持されおしたうのか

    それは「新自由䞻矩」が、少なくずもその「建前」においおは、「自由」を暙抜し、それを前面に抌し立おおみせるからである。

    私たちの倚くは、「貪欲」には反察しおも、「自由」に぀いおは支持せざるを埗ないだろう。䞀䞀だがそうなるず、い぀の間にか、支配階局の、匱者を犠牲にしおでも「貪欲である自由」たで、認めなければならなくなるずいうのが、「新自由䞻矩のレトリック」なのだ。
    ぀たり、

    「なぜ、貧しい者に再配分しなければならないのか 皆が自由に競争した結果の差異ならば、それを受け入れるべきなのではないか。そんな萜䌍者に脚を匕っ匵られるからこそ、この瀟䌚ず経枈は停滞するのだから、囜家による匷制的な富の再配分課皎ず犏祉などずいう、䞍自由きわたりない囜家の介入はやめお、すべおを自由な実力䞻矩の競争に委ねるべきだ。そうすれば、瀟䌚ず経枈は掻性化しお、富は蓄積されるだろうし、それが回り回っお、瀟䌚党䜓が豊かになるはずなのだ」

    ずいう理屈なのである。

    したがっお、「囜家暩力の介入には反察」だずか「自由であるべき」だなどず蚀えば、たしかに聞こえが良いし、それ自䜓に反察する者は巊翌も含めお少ないだろう。
    けれども、「新自由䞻矩」の掲げる「自由」のレトリックずは、「他人を奎隷にする自由」たで含たれおいるずいう事実を、決しお芋萜ずしおはならないのだ。

    「自由」ずは、決しお良いこずばかりではないし、少なくずも「正しい自由」ずは「野攟し」や「䜕でもあり」ずいうこずではない。
    そこには、「他者ぞの配慮」ずいう「ささやかな䞍自由」が、必ず備わっおいなければならない。匱者のために必芁な「連垯」を実珟するためには、それぞれが「他者」を思いやっお「譲る」ずいう䞀定の「䞍自由」も、絶察に必芁なのだ。

    こうした「自由」ずいうものの考え方ずしお、ディッド・ハヌノェむは、次のように曞いおいる。

    『 ブッシュ倧統領は、むラクに察する先制的予防戊争を遂行する䞊で他のいっさいの理由に※ 正圓な根拠がないこずがわかった時、むラクに自由を䞎えるこずだけで戊争は十分に正圓化されるずいう考えに蚎えた。むラク人は※ アメリカのしかけた戊争によっお自由になった、それだけが真に重芁なのだず。だが、ここで想定されおいるような類の「自由」に぀いおは、ずっず以前に文化批評家のマシュヌ・アヌノルドが思慮深い蚀葉を残しおいる䞀䞀「自由はずおも乗り心地のいい銬だが、それに乗っおどこに向かうのかが問題だ」。ならば、むラクの民衆は、歊力によっお䞎えられた自由の銬に乗っおどこに向かうこずを※ アメリカの広める新自由䞻矩から期埅されおいるのだろうか
     この問いに察するブッシュ政暩の回答は、二〇〇䞉幎九月䞀九日にむラクの連合囜暫定圓局CPAのポヌル・ブレマヌ代衚が発衚した四぀の呜什の䞭にはっきりず瀺されおいる。そこには以䞋の諞措眮が含たれおいた䞀䞀「公共䌁業䜓の党面的民営化、むラク産業を倖囜䌁業が党面的に所有する暩利、倖囜䌁業の利最の本囜送金を党面的に保護するこず〔‥‥‥〕、むラクの銀行を倖囜の管理䞋に眮くこず、内囜民埅過を倖囜䌁業に開攟するこず〔‥‥‥〕、ほずんどすべおの貿易障壁の撀廃」である。これらの※ 新自由䞻矩に奜郜合な呜什は、公共サヌビス、メディア、補造業、サヌビス業、亀通運茞、金融、建蚭など経枈のすべおの領域に適甚された。』P17

    芁は、むラク戊争は「むラクに自由を䞎えるため」ずいうのを倧矩名分にしおなされたが、その結果ずしおむラク人に䞎えられた自由ずは「アメリカ䌁業に自由にされる自由だった」ずいうこずである。

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    だから私たちも、マシュヌ・アヌノルドの、

    「自由はずおも乗り心地のいい銬だが、それに乗っおどこに向かうのかが問題だ」

    ずいう思慮深い蚀葉を、よくよく噛み締めなくおはならない。

    「自由」ずは、「誰かの自由」ではあっおも、それはしばしば「それ以倖の人の䞍自由」でしかないこずも少なくない。
    たしおや、もずもず「自由」を持たない剥奪されおきた人々は、そうした新自由䞻矩的な「自由」の拡倧ために、かえっお「䞍自由」を匷いられやすい立堎にある、ずいうこずを忘れおはならない。
    この点に぀いおは、ハヌノェむは次のように曞いおいる。

    『新自由䞻矩的な堕萜を遂げた自由の抂念は、カヌル・ポランニヌの指摘によれば、「所埗・䜙暇・安党を高める必芁のない※ それらをすでに十分持っおいる人にずっおは、自由の充足を意味するが、財産所有者の暩力から避難堎所を手に入れるために、民䞻的な暩力を利甚せんず虚しい詊みをするかもしれない※ 窮乏に瀕しおいるような人にずっおは、ほんのわずかな自由しか意味」しない。』P256

    ぀たり、新自由䞻矩的な「自由」ずは、「すでに持おる者」には「享受できる自由」だが、「持たざる者」にずっおは「盞手にされない配慮されなくなる自由」かもしれない、ずいうこずである。
    自分の「自由」ではなく、盞手の「自由」が優先されおしたうずいう怖れが倚分にある、ずいうこずなのだ。

    䟋えば、その具䜓䟋ずしお、次のような指摘がなされおいる。

    『 叞法を利甚する暩利は、建前の䞊では平等だずいうこずになっおいるが、実際にはきわめお高額の費甚がかかるものずなっおいる過倱行為に察する個人の蚎蚟であれ、WTO芏則に違反したずしおある囜がアメリカを蚎える堎合であれ。ちなみに埌者の堎合、䞀〇〇䞇ドルにたで費甚が跳ね䞊がるが、これは、貧しい小囜の幎間囜家予算に匹敵する。そのせいで、叞法の䞋す刀決は、しばしば金のある偎に有利になるよう偏向したものずなる。叞法刀断における階玚的偏向は、ただ確固たるものになっおいなくおも、少なくずも広く蔓延しおいる。』P110

    北村玗衣のこずを倚少でも知っおいる人が、この文章を読めば、即座に思い出すのが「北村玗衣による、山内雁琳に察する名誉毀損民事賠償蚎蚟」であろう。
    この文章の「アメリカ」を「北村玗衣」に、「アメリカを蚎えるこずのできない貧しい囜」を「山内雁琳」に眮き換えおみれば良い。
    どうしお山内雁琳が、北村玗衣を反蚎できないのかず蚀えば、端的にそんな経枈的・時間的な䜙裕など、山内には無いからである。

    たた、貧乏人には䞍利なものだからこそ、元「維新の䌚」の束井䞀郎が、タレントの氎道橋博士を提蚎しお、勝蚎するこずもできたのだ。
    「スラップ裁刀」ずいうものが珟に存圚するのは、民事裁刀が、そもそも貧乏人には䞍利にできおいるからなのである。

    この「北村玗衣vs山内雁琳」裁刀では、原告の北村玗衣偎が人だか人だかの「倧匁護団」で、山内雁琳偎のたった䞀人の匁護士を盞手にしお、勝蚎した。

    これはたさに、たった䞀人の呉座勇䞀を叩くのに、千数癟名の眲名を集めた「オヌプンレタヌ女性差別的な文化ず脱するために」を公開しお、ネットリンチにかけたのず、同じパタヌンだず蚀えよう。芁は、数を頌んでの、問答無甚の袋叩きである。

    それにしおもなぜ、匁護士の数が「察」などずいう䞍均衡が可胜なのかずいえば、それは無論、北村玗衣が「地方新聞瀟の瀟䞻の嚘」であるばかりでなく、身分の保蚌された「倧孊のテニュア教授」であり、䞀方の山内雁琳は「䞀介の倧孊助教」であったからだ。
    この裁刀の「高裁刀決」埌に確定においお、担圓裁刀官が「助教ず助教授の区別も぀いおいない」ず方々から批刀的に指摘されたのは、身分の安定した「助教授」ず、そうではない「助教」では、賠償金の支払い胜力においおも、雲泥の差があるからである。

    ぀たり、この裁刀では、山内雁琳が「裁刀費甚のためのカンパ」を広く求めたこずが「さらに悪質である」ず刀断されお、賠償金額が類䟋を芋ない200数十䞇円ずいう高額になったのだが、裁刀官は、山内の「支払い胜力」に察する理解もなければ、「なぜカンパを求めなければならなかったのか」の理解も無いたた、「裁刀費甚のカンパを募るなどずは、なんず無反省な」ずいう皋床の理解で、北村玗衣偎の「山内のカンパ運動は、裁刀利甚の悪質なビゞネスモデルずなるものである」ずいう䞻匵を鵜呑みにしお、懲眰的に高額の賠償金支払いを呜じたものなのである。

    したがっお、圓該裁刀官に、自芚的な「階玚的偏向」があったずたでは蚀わないが、しかし、いかにも身分の保蚌された階玚の人間らしい「䞖間知らず」においお、無自芚な「階玚的偏向」があったずは蚀えるのではないか。

    山内雁琳の「助教」ずいう「䞍安定な身分」に察する理解があれば、高額の賠償金支払い刀決など出さなかったのではないか、ずいうこずだ。

    たしかに、山内雁琳の「ツむヌト」には「䞋劣なもの」も含たれおはいただろう。
    ただ、この裁刀で「争点」ずされたのは「たった11個の蚀葉」だずいう事実からすれば、「それ以倖の倧半」は、それほどのものでもなかった、ずいうこずにもなろう。
    北村・山内䞡者の「やりずり」は、片方が数十皋床の発話による、小䞀時間ほどの短いものなどではなかったのである。

    だが、裁刀は「北村玗衣vs山内雁琳」の「蚀い争い」党䜓に぀いお刀断したのではなく、あくたでも原告である北村玗衣偎が持ち出した、山内雁琳の「11個の蚀葉」だけに぀いお、その蚀葉が「名誉毀損に該圓するか吊か」を刀断したものにすぎない。

    それを、その点だけにおいお「勝蚎」したからずいっお、さも「北村玗衣には䜕の非もなく、䞀方的にすべお山内雁琳が悪かったのだ」ずばかりに蚀い募る、北村玗衣偎の匁護団や北村の取り巻きたちの蚀い草は、端的に蚀っお「郚分の事実を、党䜓の事実」だず蚀い募る「悪質なプロパガンダ」でしかなく、「正矩」に反する蚀論だず蚀うべきであろう。

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    勝おる方の匁護しかしなければ、『正矩は勝぀』ずは蚀えるだろう

    北村玗衣の匁護士たちだずお、北村が日頃、どのような「物蚀い」をしおいるのか、たんざら知らないわけではないはずだ。
    にもかかわらず、北村玗衣が䞀方的に「可哀想な被害者」であるかの劂く「停る」のは、䞀皮の「ペテン」である。

    北村玗衣の蚀動が、他人の神経をわざわざ逆撫でするようなものだずいうのは、すでに䜕床も瀺したずおりで、私個人も盎接䜓隓した、呚知の事実である。
    私は、北村玗衣による「事実無根の誣告」によっお、「note」蚘事を公開停止にされるずいう実害を被っおいるから、そのこずだけでも確信を持っお「北村玗衣の日頃の蚀動は、䜎劣だ」ず蚀えるし、それは北村玗衣が、ネット䞊から自身の「過去の発蚀」を次々ず削陀しおいる事実からも裏付けられる事実なのだ。

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    䞊を、䞋のように蚀い換えお「管理者通報」するのが、北村玗衣流
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    か぀おは、こんな調子だったが、ログの倧半は削陀されおいる
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    それでも、そんな北村玗衣が「䞀方的な被害者」だず北村偎の匁護士が蚀い募るのは、叞法における「匁護」ずいう圹目を超えた、過剰に政治的な行動であり、叞法の倫理に反するものだず蚀えよう。

    私が「心の垫」ずしお仰いだ䜜家、故・倧西巚人は、次のような蚀葉を残しおいる。

    果たしお「勝おば官軍」か。
    果たしお「政治論争」の決着・勝敗は、
    「もず正邪」にかかわるのか、
    それずも「もず匷匱」にかかわるのか。

    私は、私の「運呜の賭け」を、
    「もず正邪」の偎に賭けよう。

    倧西巚人「運呜の賭け」より

    北村玗衣の匁護団を構成した匁護士たちは、「共産党系」だず蚀われおいる。
    私自身が確認したわけではないが、北村玗衣がその゚ッセむで「祖父は戊時䞭、治安維持法で譊察に逮捕された。」ず曞いおいるくらいなのだから、そうした぀ながりから、「共産党系の匁護士」が北村玗衣の匁護を匕き受けおも、なんら䞍思議はない。
    それにそもそも、金さえ積たれれば、基本的には、仕事ずしお、匁護を匕き受けもしただろう。

    しかし、仮にも「反䜓制」であり、「匱者」の芋方であるべき「共産党系の匁護士」が、金持ちの北村玗衣の偎に぀き、たるで「階玚的偏向」でもあるかのように、金持ちではない山内雁琳をに敵察するのは、垞識的に考えお「おかしい」のではないかず、そう思う人も少なくはないだろう。

    だが、事実はそうではない。
    なぜなら「共産党」の䞭にさえ「階玚的偏向」は、歎史的に存圚するからである。

    前蚘の倧西巚人もたた、元は共産党員だったのだが、圓時の共産党指導郚が瀺した路線に批刀的であったために、䞀方的に党を陀名された人なのだ。
    他の陀名者に、䞭野重治がいたこずの方は、もっず有名であろう。

    もちろん「今の共産党」ず「昔の共産党」は違うず、共産党員ならそう蚀うのだろう。
    だが、政治的むデオロギヌの劂䜕にかかわらず、そもそも人ずいうものの倧半は「階玚的偏向」を持っおおり「長いものには巻かれ」るし「よらば倧暹の陰」ずいうこずにもなりがちなのだ。
    それは、政治的むデオロギヌの劂䜕にかかわらず、SF䜜家のシオドア・スタヌゞョンが、次のように蚀うずおりだからである。

    『SF小説の割はクズである。だが、あらゆるものの割もクズである。』

    だからこそ、「賊軍が勝぀」こずなど、いくらでもあるのだ。
    それは、歎史が蚌明しおいる事実なのである。

    だが、それでも自分の「運呜の賭け」を「もずより正邪を問う立堎の偎」に賭け埗るかどうかが、䞀人ひずりの「良心」に問われおいるのである。


    2025幎4月20日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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