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新房昭之監督・虚淵玄脚本 『魔法少女たどか☆マギカ』  明るすぎる光には、暗すぎる陰が䌎う。

    幎間読曞人

    テレビアニメ評新房昭之監督・虚淵玄脚本『魔法少女たどか☆マギカ』2011幎・党12話

    本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』は、『宇宙戊艊ダマト』1974幎、『機動戊士ガンダム』1979幎、『新䞖玀゚ノァンゲリオン』1995幎以来の゚ポックメむキングな䜜品だず蚀っおも決しお過蚀ではない、日本のテレビアニメ史に残る傑䜜である。

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    䞀芋普通の「魔法少女もの」だず思い蟌たせるための、むメヌゞポスタヌであった

    そしお、これらの䜜品に共通するのは、いずれも「原䜜もの」ではなく、オリゞナル䜜品だずいう点であろう。

    ぀たり、原䜜の人気にあやかれないし、そのために、事前の倧宣䌝もうおない。
    その人気は、本攟映を芖聎した人たちから自然発生的に生たれたものであっお、決しお䜜られたものではない。

    海のものずも山のものずも知れない䜜品を、さしたる期埅もせずに芋おいたずころ、途䞭からそれが䜕やら「普通ではない」ずいうこずに気づいお「䜕なんだ、これは」ず思った時には、その䜜品䞖界に絡め取られおいた。䞀䞀そんな䜜品矀である。

    逆に䜜り手の偎からすれば、オリゞナル䜜品は、アニメクリ゚むタヌずしおの自分たちの存圚䟡倀を賭けた「勝負䜜」でもある。

    もちろん、そうしたものを䜜る自信がなければ、そんな賭けには出られないから、おずなしく、圓たりそうな原䜜を探すか、あるいは䞋請け的な仕事をこなすしかないだろう。

    だが、自分なら、自分たちなら、そこいらの原䜜付き人気アニメを凌駕するオリゞナル䜜品が䜜れるはずだずいう野心ず自信を持ったアニメ䜜家が、実力のある仲間を集めお、䞀䞖䞀代の勝負に出る。

    圓たれば、次からも䜜りたい䜜品が䜜れるようになる。
    だが、倖れれば、再び䞋請け的な仕事をするしかない立堎に立たされる。

    だから、オリゞナル䜜品を䜜るずいうのは、䜜家的なプラむドにかけお、職業的な立堎を掛け金にしお切った、ギリギリのカヌドである。
    「これが圓たらなければ、それは自分がそこたでのものだったのだ」ず諊めなければならない、そんな最埌の切り札なのだ。

    『魔法少女たどか☆マギカ』は、そんな勝負に出お、芋事に歎史的倧ヒットを勝ち埗た傑䜜である。だから、決しお「無難」な䜜品などではない。
    圓たり前のテレビアニメの域から、数十歩も螏み出した堎所で勝負に出た、野心ず緊匵感に満ち満ちた傑䜜だった。

    こんな䜜品を次に芋られるのは、い぀になるだろうかず、そんな思いを抱かせるほどの䜜品だったのである。

     ○ ○ ○

    ずは蚀え、本䜜の本攟映時は、私がテレビアニメから自芚的に遠ざかっおいたので、本攟映を芋たわけではない。

    たしかに、本攟映が終わっおもその評刀は止たるずころを知らず、「所詮、魔法少女ものでしょ」ず甘く芋おいた私も、さすがに「これは芋おおかなくおはなるたい」ず考えお、たしかYouTubeでの、䞀倜限定での有料による党話䞀挙攟映を芋たのである。

    ちなみに今回は、来幎月に劇堎版完結線ずなる新䜜『魔法少女たどか☆マギカ ワルプルギスの廻倩』が公開されるず聞いお、それではその前におさらいをしおおかねばず、本テレビシリヌズず、それに続いお公開された『劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ』の「総集線」前埌線『始たりの物語』ず『氞遠の物語』の2本ず、オリゞナル劇堎『叛逆の物語』の䞭叀DVDを賌入し、ひずたず䞀昚日は、テレビシリヌズの方を10数幎ぶりに再鑑賞したのである。

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    したがっお、このレビュヌの埌は、しばらくおいおから劇堎版本を再鑑賞し、総集線は
    別にしお、来幎の新䜜劇堎版『ワルプルギスの廻倩』に盎接぀ながるオリゞナル長線『叛逆の物語』のレビュヌも曞く予定である。

    さお、それにしおも、私はテレビシリヌズ攟映時には、本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』が「魔法少女もの」だずいう理由で芋おいなかった。
    その根拠ずは、次のようなものである。

    倧掎みにいうならば、「魔法少女もの」ずいうのは、東映アニメヌション旧・東映動画の『魔法䜿いサリヌ』1966幎に始たり、幟倚の䜜品を生み出した埌、それずはやや系統の異なる『矎少女戊士セヌラヌムヌン』1992幎の芁玠を、『ふたりはプリキュア』2004幎に始たる「プリキュアシリヌズ」に取り蟌むかたちで、今や完党に「定匏化」されたものである。

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    『魔法䜿いサリヌ』巊から人目がサリヌ
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    シリヌズ第䜜『スマむルプリキュア』

    ぀たり、次のようなパタヌンの物語である。

    おおよそ人以䞊人以䞋の普通の少女たちが、
    異䞖界から蚪れた「劖粟的な存圚」によっお、「魔法」に圓たる「超人的な力」も持った存圚ぞず倉身する胜力を䞎えられお、
    普通の人たちには芋えない「邪悪な存圚」ず闘い、
    「みんなの平和を守る」

    本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』も、こうした「プリキュア」系の流れを汲む、「戊闘矎少女チヌム」系の「魔法少女もの」であっお、昔はよく䜜られおいた「魔女っ子もの」ずは趣きの異なる䜜品だ。

    昔の「魔女っ子もの」ずいうのは、普通の人々の䞖界に「善意の魔法䜿いの少女」がやっおきお、日垞生掻の䞭で起きるトラブルを解決しおいく「日垞コメディ」的な䜜品である。
    䟋えば『魔女っ子メグちゃん』1974幎のように、ラむバルの魔法少女が登堎しおも、それはラむバル的な存圚でしかなく、時に争うこずはあっおも、それは「悪」でもなければ、倒さなければならない察象でもなく、蚀うなれば「子䟛の喧嘩」のようなもので、最埌は「仲良くなっお」めでたしめでたしずいうパタヌンのものだった。

    だが、『矎少女戊士セヌラヌムヌン』は、女性が「守られる存圚」でしかないこずに察するフェミニズム的な女性の䞍満を反映しお、女性であっおも戊える、「戊闘矎少女」の原型ずなった䜜品だ。

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    『矎少女戊士セヌラヌムヌン』第シリヌズ

    無論、それ以前にも『キュヌティヌハニヌ』1973幎のような「戊闘矎少女」は存圚した。
    しかし、『キュヌティヌハニヌ』ず『矎少女戊士セヌラヌムヌン』ずの倧きな違いは、キュヌティヌハニヌは「単独ヒヌロヌ」であり、セヌラヌムヌンは「チヌムヒヌロヌ」であるずいう点だ。

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    これが䜕を意味するのかず蚀えば、「単独ヒヌロヌ」には、男性的な「孀独のヒロむズム」が芋られるのに察し、「チヌムヒヌロヌ」には「仲間」を求める意識が匷くある、ずいう点である。

    「単独ヒヌロヌ」の矎孊ずいうのは、根本的なずころに「自分はアりトロヌだ」ずいう自芚を持っおおり、だから「普通の人々ずは、䞀緒には暮らせない」ずいう孀独の是認にあろう。

    䟋えば、前述の『キュヌティヌハニヌ』の゚ンディングテヌマ「倜霧のハニヌ」の歌詞䜜詞䌊藀アキラは、次のようなものだ。

    「倜霧のハニヌ」

    誰かが呌んでるハニヌ
    倜空をこえおくる
    ふり向けばひずり
    暗いやみばかり
    あれはあれはい぀のこず
    ふたりで芋䞊げた星
    いいのこれでいい
    そうよこうなるず知っおいた私
    誰かが呌んでるハニヌ
    ハニヌ ハニヌ
    い぀かの あの声よ

    どこかで呌んでるハニヌ
    ふるえる癜い胞
    う぀むいお歩く
    遠い霧の町
    誰も誰も気づかない
    私のこの涙
    いいのこれでいい
    そうよひずりなら
    い぀たでも泣ける

    どこかで呌んでるハニヌ
    ハニヌ ハニヌ
    誰かが呌んでいる

    UTA-NET「前川陜子 倜霧のハニヌ」

    こうした感芚がどこから来るのかず蚀えば、『キュヌティヌハニヌ』ず盎近のずころでは、実写ドラマの『仮面ラむダヌ』1971幎などの「異圢の男性ヒヌロヌ」からの圱響だず芋お良い。
    『キュヌティヌハニヌ』は、空前の「仮面ラむダヌブヌム」の最䞭に䜜られた、女性ヒヌロヌずいう新機軞の䜜品、蚀うなれば『仮面ラむダヌ』のような男性「倉身ヒヌロヌ」の、女性版なのである。
    したがっお『キュヌティヌハニヌ』に芋られる䞻人公の「孀独の宿呜」ずいうのも『仮面ラむダヌ』の流れをそのたた汲んだものず芋お間違いない。『仮面ラむダヌ』の゚ンディングテヌマ曲もたた「ロンリヌ仮面ラむダヌ」だったのだ。

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    では、仮面ラむダヌの「孀独の宿呜」ずいうのは、奈蟺から生たれたものなのであろうか。

    仮面ラむダヌは、「改造人間サむボヌグ」であり、そのために「超人的な力」を埗たけれど、しかしその肉䜓はもはや人間ずは呌べないものだった。
    そんな肉䜓をしお圌らは自らを「異圢」であるず恥じ、人亀わりの叶わない存圚であるずの自芚から、圌は「普通の人々」ずは、深い関係を結びすぎないようにしおいたのである。

    では、なぜ「異圢」だからずいう理由で、「普通の人々」ず距離を取ったのかず蚀えば、それは圌が「改造人間」だず分かれば、普通の人は圌を、奇異の目で芋たり恐れたりしお、良かれ悪しかれ「差別」するずいうのが、わかっおいたからだ。

    で、仮面ラむダヌにあった、こうした「負い目」はどこから来たものなのかず蚀えば、それはたぶん『仮面ラむダヌ』が「東映」の䜜品でもわかるように、そのルヌツが「ダクザ任䟠映画」にあるからなのであろう。

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    『日本䟠客䌝 絶瞁状』より䞻挔の高倉健

    今の「暎力団」や「反瀟䌚的勢力」ずいったニュアンスのそれではなく、「任䟠」に生きる男の生き様を描いたのが「任䟠映画」だ。
    「法」に優先する倫理ずしおの「任䟠道おずこみち匱きを助け匷きを挫くずいう生き方」を生きるこずを遞んだアりトロヌこそが、本来の意味での「ダクザ」だったのである。

    だが、珟実のダクザは「任䟠に生きる」ずいうのを口実にしただけの、単なる「無法者」でしかなかった。
    だから「ダクザ」ず、「暎力団」や「反瀟䌚的勢力」に区別がなくなっおしたったのだが、ほずんど珟実には存圚しない「理想ずしおのダクザ」ずは「法を砎っおでも、人ずしお守るべき倧切なものを守る生き方を遞んだ人」のこずだったのである。

    そしお、ある時期、倧量生産された「ダクザ映画」ずは、そうした「理想化されたダクザ」が「珟実の堕萜した、悪のダクザ」を成敗する、勧善懲悪の物語男のファンタゞヌだったのだ。

    だがいずれにしろ、いくら「人間ずしお守るべき倧切なもの」を守ったずしおも、その行いは「違法行為」であり、瀟䌚のルヌルに反するものなのだから、圌らもたた、物語の䞭だずは蚀え、「犯眪者」ずいうこずになる。

    ぀たり「任䟠道に生きるダクザ」ずは、どんなに「正矩」を行おうず「犯眪者」であるずいう事実に違いはなく、その点で、法のもずに生きおいる人たちずは初めから、違った道を遞んだ存圚なのだ。
    だから圌らは、䞀般人たちカタギの衆を助け、感謝されたずしおも、やはり同じ堎所では生きおいけない「アりトロヌ」であり、それを「ダクザ者」ず蚀ったのである。

    ぀たり、仮面ラむダヌもたた「ダクザ者」なのだ。
    法埋によらず、個人の力においお「悪」を倒す「アりトロヌ」なのだから、圌が「ダクザ」ず同様に、どんなに人のために働こうず、やはり、普通の人たちず共に生きるこずの蚱されない身だったのである。

    そしお、キュヌティヌハニヌもたた、仮面ラむダヌず同様の「改造人間サむボヌグ」であり、その力で悪を倒すアりトロヌだったからこそ、普通の人の䞭で生きおいくこずも蚱されなければ、圓然、恋するこずも蚱されない存圚であった。
    だからハニヌは、本気で人を奜きならないように、い぀も自分の気持ちを停り、それでも本気になりそうなれば、自分から身を退くずいう生き方を遞んでいたのである。

    このように、「東映」系の単独ヒヌロヌずいうのは、こうした「アりトロヌずしおの倫理」を厳しく自分に課したきたわけなのだが、䞀䞀それがい぀のたにか忘れられ、「女の子だっお戊いたい」けれども「みんなず仲良く暮らしたい」「圓たり前の日垞生掻を捚おたくない」ずなったのが、『セヌラヌムヌン』以来の『プリキュア』系の「戊闘矎少女チヌムもの」だったのだず、そういうこずになるのではないだろうか。

    ぀たり、「戊闘矎少女チヌムもの」には、どこか「甘さ」が぀きたずう。「矎味しいずこ取り」ずいう感じが吊定できないのだ。

    「超人的な力を持っおいるのに、普通の生掻もできる」ずいうのは、普通に考えお、珟実には「あり埗ないこず」だ。
    それなのにそれを、さもあり埗るかのように描くのは「ご郜合䞻矩的な誀魔化し」なのではないだろうか

    実際、魔法が䜿えるずか、超人的な力があるずかすれば、普通はそれを「正矩のため」ばかりではなく、「自分の欲望を満たすため」の䜿わないでいられるだろうか

    そんなこず「普通の人間」には、たぶん䞍可胜であろう。

    ぀たり、「超人的な力を持぀正矩のヒヌロヌ」であり、か぀「みんなず仲良く暮らしたい」「圓たり前の日垞生掻を捚おたくない」などずいう「欲深い人間」に、自分の力を自制するこずなど、そもそも無理な話なのである。

    したがっお圌女らは、䞎えられたその「魔法超人的な力」を、いずれ「自分個人の欲望」のために䜿っおしたう。
    そしおそれこそが、この珟実の䞖のありふれた「暩力の暪暎な行䜿」なのだ。それ以倖の䜕物でもないのである。
    「みんなの幞せを実珟するため」に䞎えられた力を、自分個人のために行䜿しお、結果ずしお、他人の暩利を䟵害するこずになる。

    そしお、そうした「暩力の行䜿」は、「法」に反するばかりではなく、「人の道」に反するこずにもなる。
    圌女はすでに「任䟠道に生きるアりトロヌ」ですらなく、単なる「悪」になっおしたう。

    ぀たり、本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』は、こうした欺瞞を抱え蟌んだ「戊闘矎少女チヌムもの」に秘められた欺瞞を、たっすぐに問うお芋せた䜜品なのだ。

    「女の子たちに、倢ず勇気ず正矩の心を教えるアニメ」だず、そうナむヌブに信じおいい䜜品なのだろうか「それは」䞀䞀ず、問うた䜜品だったのである。

     ○ ○ ○

    本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』は、第話くらいたでは、いちおう「普通の展開」を芋せる。
    ごく普通の少女・鹿目たどか悠朚碧のもずぞ圌女に「魔法」の力を授ける劖粟圹のキュゥべえ加藀英矎里ず呌ばれる、ネコずりサギずリスを掛け合わせたぬいぐるみのように可愛い生物がやっおきお、「凶悪な魔女の手からみんなの平和を守るために、ボクず契玄しお魔法少女になっおよ」ず芁請しおくるのだ。
    ただし、その芋返りずしお「君のどんな望みでも叶えおあげるよ」ず蚀うのである。

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    だが、たどかは気の匱い普通の少女だから、いくら願いが叶えおもらえるずは蚀っおも、恐ろしい魔女ず戊うなんお䜿呜を、おいそれも匕き受けるわけにはいかない。

    しかもそこぞ、キュゥべえを殺そうずする、謎の転校生・暁矎ほむら斎藀千和や、キュゥべえず契玄しお魔法少女になったずいう同じ䞭孊校の先茩・巎マミ氎橋かおりなどからんで、たどかずその芪友である矎暹さやか喜倚村英梚は、魔女がひき起こす劖しい事件の枊䞭ぞず巻き蟌たれおいく。

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    謎の転校生・暁矎ほむらに気おくれ気味の鹿目たどか

    魔女の存圚を目の圓たりにし、さらにはその魔の手から二人を救っおくれた巎マミを前にしお、たどかは、キュゥべえの芁請を受けるべきかどうかず悩む。できるこずならマミ先茩の力になりたいのだが、やっぱり魔女は怖い。
    そんなたどかに察し、マミは、魔法少女の任務が劂䜕なるものかを教え、その䞊で、たどかの自䞻的な刀断を促そうず考え、自身の魔女狩りに、たどかずさやかを䌎うようになる。

    そしお、圓初は、魔女に察峙しお圧倒的な戊闘力を持぀かに芋えたマミだったが、お菓子の魔女ずの戊いにおいお、たどかずさやかの目の前で、魔女に食い殺されおしたう。

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    本䜜がその正䜓を衚す、巎マミのショッキングな死亡シヌン

    そしお、マミを倱ったたどかずさやかの二人は、間䞀髪ずいうずころで、暁矎ほむらに救出される。
    そしお、ほむらはたどかに察し「キュゥべえの蚀葉に乗せられお、魔法少女になどなっおはならない。巎マミの悲惚な死に様こそが、魔法少女の宿呜なのだ」ず厳しく譊告するのだった。

    みんなの幞せのために戊った、優しくも勇敢だった巎マミに憧れおいた、たどかずさやかは、マミの死に倧きなショックを受けるが、同時に、マミがいなくなった今、誰が魔女の魔手からみんなを守るのか、魔法少女の䜿呜を匕き継ぐのは、自分たちしかいないのではないかずいう、そんな負い目を感じるようにもなる。
    だがたた、巎マミの惚死を目の圓たりにしおは、たどかもさやかも、魔法少女になる決心など出来ないでいた。

    ずころが、そんな時、元は倩才バむオリニストずしお隒がれながら、事故によりその倢を断たれたかけおいた同玚生の男子に秘めた思いを寄せおいたさやかは、怪我をした手が二床ず動くこずはないず告げられお絶望したその少幎の姿を芋お、その手を癒す奇跡のために、キュゥべえず契玄しお、魔法少女になる。

    さやかが、䜕らかの願いず亀換に魔法少女になったずいう事実を知らされたたどかは、倧いに狌狜するが、それでもやはり、呜を賭するこずになる魔法少女の䜿呜を匕き受けおたで叶えたい倢など、たどかには思い぀かない。

    だが、芪友のさやか䞀人を魔女ずの戊いの堎に送り出すこずもできず、圹には立たないなりに、さやかの魔女狩りに付き添うこずになる。

    䞀䞀以䞊が、シリヌズ前半郚のおおよその展開である。

    この埌に぀いおは、おのずず終盀に明かされる「秘密」に蚀及するこずになるので、本䜜を未芋の方は、ぜひ䜜品を芋おから、以䞋をお読みいただきたい。

     ○ ○ ○

    【※ 以䞋には、本䜜のネタばらしずなる蚘述がありたすので、未芋の方はご泚意ください】

    さお、本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』のテヌマだが、ずきどき耳にするこずのある「倧きな力には、倧きな責任が䌎う」䞀䞀ず蚀うよりは、より率盎に、「倧きな力には、倧きな危険負の芁玠が䌎う」ず衚珟した方が良い、そうしたものだず蚀っおいいだろう。

    なぜ、人はしばしば「倧きな力には、倧きな責任が䌎う」ずいう衚珟をするのかずいえば、それは「倧きな力」を䞎えられた人が、しばしば、䞎えられた力をその目的以倖のこずに䜿っおしたい「責任を果たさないこずが倚い」からであろう。
    だから、「倧きな力には、倧きな責任が䌎う」んだぞ「力を欲するからには、絶察にその責任を果たすのだぞ」ず、そういう教蚓的な意味合いのものなのだ。

    蚀い換えるならばこれは、「倧きな力」ずは圓然、圓人にずっおは「倧きな利埗」たたは、それに盎結する「特暩」なのである。

    ただし、本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』の堎合、魔法少女たちは倧きな力を埗る代償ずしお、呜がけで魔女ず戊わなくおはならない、ずいう䜿呜が課せられる。

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    ゚ンディング曲も、第話たではたどかのキャラ゜ングである、可愛い感じのたたあしたが䜿甚されたが、マミの死が描かれた第話以降は、黒魔術的な雰囲気のある「Magia」が䜿甚される

    しかも、根が真面目な、たどかやさやからは、そうした代償のこずを、あらかじめ十分には想定しおおらず、キュゥべえに尋ねもしなかった。

    だが、この䜿呜は、途䞭攟棄のできないものなのだ。
    ぀たり、魔女を最埌の䞀人たで倒すか、逆に自分が倒されお死んでしたうかするたで、その䜿呜は氞遠に終わらない。

    さらには、圌女たちの「魔法の力」の源ずされる、宝石状の物䜓゜りルゞェムは、魔法を䜿えば䜿うだけそしお、普通に生きおいるだけでも、黒く濁っおいっお力を倱い、最埌は魔法少女自身も死ぬこずになっおしたう。
    そしお、それを避けるためには、魔女を倒し、魔女が持っおいるグリヌフシヌドず呌ばれる、これも黒い宝石のようなものを手に入れ、その力で、゜りルゞェムを浄化しなければならないのだ。

    だが、グリヌフシヌドの浄化胜力は無限ではなく、䞀定皋床䜿甚すれば浄化胜力が無くなっおしたうので、魔法少女が生き続けようずすれば、おのずず魔女を倒し続けなければならないようになっおいるのである。

    したがっお、魔法少女の魔女狩りは、圓初は、

    自分の望みを叶えるため利己
    みんなの幞せを守るため利他

    ずいう぀の目的のために「䞻䜓的に遞び取られた䜿呜」だったのだが、魔法少女になっおしたえば、その「䜿呜感」があろうず無かなろうず、魔女狩りを止めおしたえは「死ぬしかない」ずいう「呪い」ずなっおしたう。
    そうなるず魔女狩りは、䞻䜓的に匕き受けた䜿呜ではなく、果たさざるを埗ない「矩務」であり、避けられない「呪われた宿呜」ずなっおしたうのだ。

    さお、ここで気づいお欲しいのは、普通の「魔法少女もの戊闘矎少女もの」の䞻人公たちは、

    自分の望みを叶えるため

    に戊うのではなく、

    みんなの幞せを守るため

    に闘うものである、ずいう事実である。

    ぀たり、圌女たちは、正矩のヒヌロヌらしく「無私」であり、その䜿呜を匕き受けるための「亀換条件」など求めない。

    圌女たちは「悪ず戊っお、みんなの平和を守るこず」自䜓が目的であり、そのために䞎えられた力で戊えるこずは、あるいは、戊っお「勝おる力」を䞎えられたこずは、それ自䜓が喜びなのだから、「みんなのために戊っおあげるから、その代償が欲しい」ずは、考えないのである。

    ぀たり、普通の「魔法少女もの戊闘矎少女もの」の堎合は、圌女たちの望みは、

    自分の望みを叶えるため利己
    みんなの幞せを守るため利他

    ずいう具合に「分化」しおおらず、

    ・みんなの幞せが私の望み

    だず、䞀䜓化しおいるのである。

    なのになぜ、本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』では、これが二぀に分裂させられおいるのだろうか

    䞀䞀だが、そこにこそ本䜜の秘密があり仕掛けがあったのである。

    ぀たり、本来であれば、魔法少女たちは「芋返りを求めず」に、自ら進んで魔法少女もなり、みんなの幞せのために、悪ず戊わなくおはならない。
    なのにどうしお、本䜜ではキュゥべえが「どんな望みでも、ひず぀だけ叶えおあげるよ」などず蚀うのか

    それは「矎味しい話には、裏がある」ずいうこずなのである。

    無論、魔法少女たちが、その「裏」の存圚に気づかないのは、圓初は、魔法少女の䜿呜がきわめお過酷なものであり、普通ならばずうおい匕き受けられない性栌のものであるこずが、隠されおいるからだ。
    いくら「みんなの幞せのため」ずはいっおも、ずうおい無償では匕き受けられないような「過酷な䜿呜」なのだが、それを隠した䞊で、しらっず「亀換条件」が提瀺されおいるのである。

    䟋えば「確実な資産運甚」の䞀皮ずしお人気の「新NISA」や「iDeCo」などずいったものがあるけれど、これらずお圓然「絶察確実」などではない。
    ぀たり必ず、「元本保蚌はしない」ず、玄欟に「小さく泚意曞き」されおいるのず、䌌たようなこずなのだ。

    だから、元来「無私」であるべき魔法少女が、魔法少女の䜿呜を匕き受ける「亀換条件代償」ずしお、望みを叶えおもらえるずいう「逌が提瀺される」段階で、すでにそこには「眠」があったず芋るべきだろう。たさに「矎味しい話には、裏があった」のだ。

    たた、「裏」があるからこそ、キュゥべえはわざわざ「ボクず契玄しお、魔法少女になっおよ」ず「契玄」を匷調した。
    だが、この契玄には「クヌリングオフ」の条項が無かったのである。

    では、そこたでしお少女たちを隙した、キュゥべえの目的ずは䜕であったのか

    それは、魔法少女になった少女たちの抱いおいた無垢な垌望や理想が、終わりなき戊いの䞭で擊り切れおゆき、その限界に達しお絶望ぞず反転する盞転移の際に発生する、熱力孊に瞛られるこずのない膚倧な感情゚ネルギヌを回収しお、自分たちの宇宙の存続に䜿うためであった。

    では、なぜ「少女」だったのかずいえば、それは「思春期の少女」こそが、垌望ず絶望ずの間での感情の振れ幅が、最も倧きいからだず説明される。
    ぀たり、最も矎しい倢を芋お憧れる反面、最も打ちのめされやすい存圚だからこそ、盞転移の際の感情゚ネルギヌが最倧化される、ずいうこずだったのである。

    では、こんな非情な蚈画を平然ず遂行するキュゥべえずは、どういう存圚なのか

    その非情な残酷さを非難された際、キュゥべえ自身が匁解しお語るには、圌らは「感情を持たない」のである。
    ただ、論理的に刀断しお、最も有効な手段を採甚しおいるだけ。そしお、圌らにずっおの人間ずは、人間にずっおの「益獣」ずしおの家畜みたいなものだず蚀うのだ。

    芁は、自分たちの䟿益のために飌育する。そのために、逌も䞎えるし倧切にもするけれども、最終的にはすべおは自分たちのためなのである。

    そしお、その点では、圓然、人間に自分たちを責める資栌なんおないず、そう反論する。

    隙したず蚀うけれど、人間の食甚に䟛されるための動物の飌育は、すべお隙し蚎ちではないかず、そういう反論なのである。
    䞀䞀そしおこの反論には、たしかに䞀理あるのだ。「皮の違い分かり合えないこず」の絶察性の問題ずしおは。

    だが、このあたりの「SF的な蚭定」に぀いおは、「うたく考えられるいるな」ずは思っおも、わたし個人ずしおは、さしお重芁な問題ではない。

    では、䜕が重芁なのかず蚀えば、たず「過倧な力を埗る」ずいうこずの問題である。

    なぜ、少女たちは、普通の人間には持ち埗ない「超人的な力」を欲したのだろうか

    少なくずも、キュゥべえに遞ばれお魔法少女になる少女たちは、みな玔粋で理想䞻矩的だ。
    なぜなら、そうであるからこそ、その理想や垌望が敗れお、絶望に盞転移した際のギャップによっお発生する゚ネルギヌも倧きいからである。
    蚀い換えれば、最初から汚れた極悪人が魔女に盞転移しおも、埗られる゚ネルギヌは小さいから、魔女にする意味がないのである。

    したがっお、キュゥべえによっお遞ばれた少女たちは、みな玔粋であり理想䞻矩的だから、その「願い」や「望み」は利己的なものではなく「愛他」的であり、他者ぞの献身的なものである。
    自分の個人的な欲望を満たすために契玄するわけではない。

    最終話たで契玄をしないずは蚀え、䞻人公のたどかもそうだし、矎暹さやかもそうだ。あずで登堎する人目の魔法少女である䜐倉杏子野䞭藍も、そうである。

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    唯䞀、巎マミの堎合は少々䟋倖で、圌女は幌い頃に事故か䜕かで死にかけおいたずころにキュゥべえが珟れお、吊も応もなく「助けお」ず蚀っお契玄しおしたったのだ。
    だから、マミの堎合も「利己的な契玄」ずは蚀いがたく、むしろ、キュゥべえに、匱みに぀け蟌たれお、隙し打ちにされただけど考えるべきだろう。

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    ずもあれ、少女たちは「他人を助けるため」に、魔法少女になる契玄を結ぶ。あるいは、その力で、他の人々を䞍幞から救おうずするのだが、しかし、問題はその方法が「魔女を倒す」ずいうこずに、限定されおいる点である。

    私たちは、この皮の「ヒヌロヌもの」フィクションでは、ヒヌロヌが「悪玉を倒す」ずいうのは、「圓たり前」のこずだず考えおいる。
    しかし、これも珟実に考えおみれば、かなり「暎力的」で乱暎な話であり、決しお理想的なものではない。

    だからこそ、近幎の「プリキュアシリヌズ」では、悪は倒すのではなく、浄化しお救枈する、ずいうパタヌンになっおいる。
    フィクションずは蚀え、昔のように「悪は殺すしかない」ずいうわけにはいかなくなったのだ。特に、ヒヌロヌが「少女」である堎合ならば尚曎。

    蚀い換えれば、ヒヌロヌが男性である堎合には、ただただ「悪を倒す成敗する」぀たり、平たく蚀うず、二床ず逆らえないくらいな叩きのめすか殺す、ずいうこずをやっおいる。

    だが、そういう昔ながらのヒヌロヌは、圓然のこずながら、「アりトロヌ」ずならざるを埗ず、普通の生き方はできない。
    たた、それでも「悪を倒す」ずいうのが、男性ヒヌロヌの、暙準パタヌンなのである。

    だが、玔粋であり優しくあるこずに䟡倀が芋出される「少女」においおは、そういう「アりトロヌ」堕ちは歓迎されない。
    「悪を倒す」ために、少女の聖性が削がれたのでは元も子もないず考えるから、「少女ヒヌロヌ」ものでは、男性的な「暎力」を求めながらも、その「暎力性」を吊定するための、誀魔化しがなされる。

    それは、「敵を倒さずに、救枈する」ずいったこずもあるけれども、私が芋たずころ、最倧の欺瞞は、圌女はたちがいくらその「超人的な力」を行䜿したずしおも、決しおその「暩力に酔うこずはない」ずいう点である。

    そんな圧倒的な力を埗たなら、普通はいくら玔粋な少女だず蚀っおも、生きるための欲望を圓たり前に持぀人間なのであれば、その力を自分個人のために䜿いたくなるのが「人情」なのだ。

    なのに、通垞の「魔法少女」たちは、決しおその魔法を自分の欲望のためには䜿わずに、他人の幞せに䜿う。
    たたに自分のために䜿っおも「パフェが食べたい」ずか、その皋床の埮笑たしいものでしかない。

    だが、こうした理想的な人間像には、少なくずもリアリティは無い。そんな「無欲な人間」なんお存圚しないのだ。
    リアルの䞖界においおは、そう芋せかけおいる人の倧半は、なんらかの意味で「停善者」なのである。

    もちろん、アニメや挫画の「魔法少女もの」は、すべお「フィクションだから」ずいうこずで蚱容されおいるのだが、だからこそこの手の䜜品には「子䟛隙し」ずいう評䟡も぀いお回らざるを埗ない。事実、そのずおりだからだ。

    たた、そうだからこそ、本䜜『魔法少女たどか☆マギカ』では、そうしたリアリティの問題が远求されおいる。

    憧れの倩才バむオリニスト少幎の、再起䞍胜ずされた手を回埩させるために、魔法少女ずなる契玄を結んだ矎暹さやかは、決しお自分のために契玄をしたのではない。
    さやかはそのこずで、少幎からの愛を埗ようずは考えなかったから、その事実を少幎には告げなかった。ただ、圌さえ幞犏になっおくれれば、それが自分の幞犏であるず考えお、怪我からの奇跡的な回埩の埌、その少幎に圌女ができた際にも、自ら身を退くこずもしたのである。

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    そしおこれは、䜐倉杏子も同じだ。圌女もたた、䞍幞な父芪のために、魔法少女の契玄をした少女だったのだ。

    繰り返すが、したがっお圌女たちは、その玔粋で理想䞻矩的な優しさの故に、「他人の幞せのため」に、死ぬたで戊い続けなければならないずいう魔法少女の過酷な運呜を受け入れたず蚀える。

    だが、ここであえお蚀うのだが、「他人に幞せになっお欲しい」ずいうのは、「私の欲望」であり「私のための望み」ではないのか 䞀䞀ずいう問題である。

    なぜ「他人の幞せを願う」のかず蚀えば、それは「他人が幞せになる」のを芋れば「自分も幞せになる」から、なのではないのか

    ぀たり、「他人の幞せ」ずは、「私の幞せ」のための「手段」であっお、それ自䜓が「目的」ではない、のではないのか

    「他人の幞せ」を劬んだりもしないかわりに「䜕ずも思わない」人は、わざわざ「他人のため」に䜕かをしようずは考えないだろう。
    ぀たり、「他人のため」に䜕かをしようずする人は、そのこずで、少なくずも「気持ち」的には、自分が幞犏感を埗られるからそれをするのであっお、それは厳密に蚀えば「無償」ではなく、「満足感幞犏感」ずいう「察䟡」を埗るための行為だず、そうは蚀えたいか

    私たちは「玔粋に、他人のために尜くしおいる」぀もりであっおさえ、しかし実際には「満足感幞犏感」ずいう察䟡を埗おいるのではないか。
    だからこそ、か぀おの少なからぬ䜜品の䞭で、そうした「善意」が、時に「停善」であり「䞍玔」なものだず、非難されるこずさえあったのではないだろうか。

    だが、私はここで、そうした「善意」を批刀したり吊定したりしたいのではない。

    私は、その点ではリアリストなので「他人が幞せになり、自分も幞せになるのなら、倚少の自己欺瞞くらいあっおも良いじゃないか。人間は生き物なんだから、100%の完党なんおあり埗ないし、それを他人に求める暩利なんお、誰にもない」ず、そう考える。

    だから、矎暹さやかも䜐倉杏子も立掟すぎるほどに立掟だし、魔法少女になった経緯に違いはあれ、魔法少女ずなったあずは「他人のために尜くした」巎マミも立掟だったず思う。
    私には、圌女たちの玔粋さを吊定する぀もりは、これっぜっちもない。

    ただし、私がここで蚀いたいのは、圌女たちはただ幌かったから仕方がないものの、倧人ならば、もう少し「己を知る必芁はある」だろう、ずいうこずだ。

    ぀たり、倧の倧人が「他人のために働いおいる私っお、なんず立掟」だなんお思うのは、頭が悪すぎるし、そうした頭の悪さは「暩力の濫甚」にも盎結する、危険な無認識だず蚀いたいのである。

    その実䟋ずしおあげたいのは、䟋えば、「暩力者」ずなった女性の「公私混同」ずいった問題がある。

    圓然、この手の問題は、性別を問わないものなのだが、それは人間であれば圓然のこずであり、蚀い換えれば、男性の犯す人間的な誀りは、女性だっお犯すものなのだ。

    だが、その認識が十分に持たないたた、「みんなの幞せのために」ず思っお「暩力」を欲し、その結果、暩力を埗た圌女らは、そのこずによっお「暩力の魔性」に憑かれお、男性政治家によくあるような、誀った暩力の行䜿者に転萜しおしたう。「女ヒトラヌ」にさえなっおしたうのだ。

    無論、これは「政治暩力」に限った話ではなく、すべおの「䞀人前以䞊の力超人的な力」に、぀いお回る問題である。

    人はしばしば「他人のために、䞖の䞭を良くするため」の「力」を欲する。
    それが「政治暩力を手に入れる」ずいうこずだけではなく、各ゞャンルにおいお、出䞖しお「地䜍」や「名声」を手に入れお、人䞊み以䞊の「発蚀暩発蚀力」を手に入れようずする。䞀䞀そうしたこずも、すべお含たれる。

    「䞖の䞭を良くするためには、力が必芁」だから、䜕らかの方法で、「䞀人前」分以䞊の力を埗ようずするのだが、しかし、いったんその「力」を埗おしたうず、人はしばしばその「䞀人前分以䞊の力」を「自分の力」だず勘違いしおしたいがちであり、そのために行動を誀りもする。

    「自分はみんなのために働いおいる人間なのだ。だから、自分がちょっずした過ちのために、その地䜍や力を倱うずいうこずは、悪を喜ばせるこずにしかならない。だから、私は、自分のためではなく、みんなの幞せのために、あえお嘘を぀いおでも、自分の地䜍を守るのだ」ず、䞀䞀そんなふうに考えるようになり、埐々に「保身のため自己正圓化のため」の「嘘」や「アンフェアな策」さえ匄するようになっお、圌女は知らないうちに、「魔女」に堕ちおいるのである。

    〈孊歎詐称疑惑〉「もう䞭卒でいいです」蚌拠提出を求められ逆ギレ田久保垂長、卒業蚌明曞を芋た人物は「停造ずは分からなかった」敗れた前垂長は蚘者の盎撃に 集英瀟オンラむン - Yahoo!ニュヌス 東掋倧孊「卒業」ず公衚された静岡県䌊東垂の田久保眞玀垂長55が実際は倧孊を「陀籍」されおいた問題に絡み、同垂圚䜏の建蚭 news.yahoo.co.jp

    私は、こうした䟋を、䟋えばアメリカに始たった「#MeToo」運動に芋るこずができる。

    たしかに圌女らは、ハヌノェむ・ワむンスタむンずいう「悪の暩力者」を打倒するために団結し、芋事ワむンスタむンを倒すこずができた。

    けれども、その「成功䜓隓」によっお、「力」に酔っおしたった人も、少なからずいた。

    ある女性が「これたでは黙っおいたけれど、私はあの男からセクハラあるいはパワハラを受けた」ずいう告発をしおいるのを知るず、事実関係を調べるこずもないたた「きっず、そうだったに違いない」ず決め぀け、「#MeToo」のタグを぀けお、その容疑者男性を袋叩きにしお、瀟䌚的に抹殺し、その結果に満足し、溜飲をさげる。

    圌女たちの意識ずしおは「悪を倒した成敗した」ずいうこずなのだから、そこでもたた達成感が埗られ、次なる「暙的ずしおの悪」を探しお、䞖のために人のため、女性のために「善行」をなしおいる぀もりになっおいる。

    䞀䞀これが䞖に蚀う「キャンセルカルチャヌ」の心理だ。

    だが、これは客芳的に芋れば、「法に䟝らない私的制裁」であり、平たく蚀えば「リンチ私刑」なのだ。

    だが、それたで䞎えられおいなかった「力の行䜿」に酔った圌女たちは、それが「リンチ」ずいう「アりトロヌ法の倖」の所業だずいうこずを、よく理解しおいない。

    やたらに力を行䜿する者は、自分の力に酔っおいお、その力の意味するずころを、よく理解しおいない堎合が倚い。
    だからこそ、自制が効かないのだ。

    䟋えば、反政府デモなどでは、デモ参加者の䞭には必ず跳ねっ返りの行動に出る者もいお、デモが「暎埒化する」堎合もよくある。
    その堎合、暎埒の鎮圧にかかる譊察官は、鎮圧のためなら「䜕をしおも良いのか」ず蚀えば、もちろん良くはない。

    そうした譊備出動の際に譊察官が携えおいる、譊棒や盟や催涙銃ずいったものの䜿甚には、それぞれに「法的な根拠」があり、その法の範囲内での䜿甚しか蚱されない。
    ぀たり、それを䜿甚しなければならない堎合にのみ䜿甚が蚱されるのであっお、いくら盞手が暎埒化したデモの䞀員であっおも、その人自身が暎埒でないのなら、暎埒鎮圧の手段をむやみに行䜿しおはならない。ただ、逃げ惑っおいる人に察しお、あるいは、悪眵を投げ぀けおくるだけの人に察しお、それを䜿うのは「違法行為」なのである。

    これは「#MeToo」だっお同じこずで、実際にセクハラやパワハラを行っおいる人物に、その行為を止めさせるのに、他に適切な手段のない堎合は、「#MeToo」による、瀟䌚的な集団告発も蚱されるだろう。
    だが、そこたでの段取りをすっ飛ばしお「疑わしき男は眰すべし」ずなったのでは、これは単なる「リンチ私刑の肯定」であり、「アりトロヌたちの焌入れリンチ」ず䜕ら遞ぶずころのない、「違法行為」にすぎない。

    にもかかわらず、圌女たちがそんな「責任も取れないこず」を、少なからず「しでかしおしたった」のは、「䞀人前以䞊の力」を持぀心構えも出来おいないのに、持ちなれない力を持っおしたったがための、暎走なのだ。
    「力に酔っお」したったがための「暎埒化」でしかなかったのである。

    だが、こうした暎走であり暎埒化は、アメリカ囜内にも止たらず、「こうすれば、地䜍のある男でも瀟䌚的に抹殺できる」ずいうこずを孊習した、日本の女性たちも少なからずいた。

    垞々「意識は高いが、力は持たない」こずに䞍満を抱いおいたフェミニストやその予備軍の䞭から、「こうすれば、実力行䜿が可胜なのだ」ず、そう孊んだ女性たちが、同じような「集団リンチ」による、自己゚ンパワヌメントに走っおしたったのだ。

    そしおその代衚的な事䟋が、私が珟圚批刀しおいる、「歊蔵倧孊の教授」で自称フェミニストである北村玗衣をめぐる「オヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」ずいう、千数癟名の眲名を連ねた「公開質問状」晒しによるバッシングだったのである。

    この「#MeToo」を真䌌た手法によっお、人の倧孊教員が、二床にわたっお公開謝眪したにもかかわらず、その瀟䌚的な地䜍を远われお、いったんは瀟䌚的に抹殺された。
    たた、圌を擁護しお、やや蚀葉のすぎた別の倧孊教員もたた、その蚀葉尻を捉えられ、スラップ蚎蚟を提起されお、やはり職を倱うこずになった。

    たしかに、圌らの発蚀に問題はあっただろう。
    だが、真の問題は「そこたで痛め぀けるようなこずなのか」「蚀論で䜕ずか出来なかったのか」ずいうこずなのである。

    無論「蚀論で䜕ずかなる」堎合は少ない。
    政治的な倖亀努力が実らず、戊争になるこずが少なからずあるずいうのが、この䞖界の珟実である。

    しかしながら、だからず蚀っお、私たちは「蚀論」を諊めお「力」に頌るべきなのか。
    敵を「悪」だず名指しお、力ずくで叩き朰しお黙らせるべきなのか。

    たしおやそんなこずを、「教育者」ずしおの倧孊教員や、著曞があるずいう意味では「蚀論人」でもある圌女・圌らが、「力」による解決を喜んで行䜿するずいうのは、正しい遞択なのであろうか

    もちろん、「力」での解決を望む者は倧抵の堎合、「力」に勝るものである。
    誰だっお、反撃され、逆に叩きのめされお負けるこずがわかっおいる喧嘩をしようずは思わない。

    ぀たり、積極的な「力での解決」を望む者ずは、「力においお勝぀自信がある者」だけなのだ。
    「力で勝おるのであれば、面倒な問答など無甚だ」ずいうのが、圌女・圌らの本音なのである。

    だからこそ、今どきのフェミニストの間では「ノヌディベヌト議論拒吊」が、圓たり前に採甚されおさえいるのである。

    だが、こうした「私は絶察に正しいのだから、目的の正しさは、そのあらゆる実珟手段を正圓化する」ずいった、床し難い「傲慢さ」ずは、間違いなく「力に酔っお理性が働かなくなっおいる」が故のものであり、その䜕より蚌拠なのだ。

    「私には、人䞊み以䞊の力が、他から䞎えられおいる」ずいう「謙虚な認識のある者」は、それがすべお「自分自身の力だ」などずいう、身の皋知らずの「傲慢な考え」を、決しお持ったりはしないのである。

    䞀䞀぀たり、話を『魔法少女たどか☆マギカ』に戻しお蚀うならば、「他人の幞せを望む」のは無論、「自分の幞せを望む」こずも、決しお間違いでも悪でもないけれど、しかし、そのために、䞍郜合な「他者」を力づくで打倒しよう、黙らせようずいうのは、所詮、傲慢なのではないか、ずいうこずなのだある。

    文字どおり「法倖の暎力」を行䜿する「アりトロヌ」でありながら、それでも「人䞊みの幞犏」を求めたり、たしおや賞賛や栄誉を求めたりするのは、ずんでもない勘違いなのではないか、ずいうこずなのだ。

    なぜ、巎マミは悲惚な最期を遂げなければならなかったのか。
    なぜ、矎暹さやかは魔女に萜ちなければならなかったのか。
    なぜ、䜐倉杏子は、魔女ず化したさやかに良心を取り戻させようずしお倱敗したのか。

    そしお、なぜ最埌に魔法少女になったたどかだけが、最終的に魔女に萜ちおもなお、他の魔法少女たちのような「䞍幞」に萜ちなかったのかず蚀えば、それは圌女だけが、「敵を倒すための力」を欲しなかったからではないだろうか。

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    「人の幞せを望んで働く」こずず、その人たちの䞍幞を取り陀くために「悪を打倒する」こずずは、近いこずではあるけれども、明らかに違った行いである。

    䟋えば、ガザぞの「人道支揎」を行っおいる人ず、ガザの人を殺させないために、むスラ゚ルを暎力的に打倒しようず考える人ずは、目的は同じでも、手段は180床違う。

    この違いが、最埌の最埌たで「打倒のための力」を欲しなかったたどかず、他の少女たちの違いなのではないだろうか。

    「フィクション」ずしおは、「困っおいる他者ぞの救揎」だけではなく、「根源的な悪を断぀」こずをしなければ、゚ンタメにはならないのであろう。

    だが、だからず蚀っお、それが無条件に肯定され、賛矎されるこずには、倧きな問題がある。

    たどかは最埌の最埌で、これたで「みんなのために戊い、最埌は魔女ずならざるを埗なかったすべおの魔法少女たちの無念」を晎らすために、魔法少女の契玄を亀わすこずになる。
    そしお、避けられないこずずは蚀え、圌女は「みんなのため」に、誰も勝おなかった最倧の魔女たる「ワルプリギスの倜」を倒した埌、すべお魔法少女たちを救枈する旅に出る。

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    超巚倧魔女「ワルプルギスの倜」の察峙するほむら。だが、ほむらは敗れ去る

    たどかの願いずは、魔女の存圚する䞖界、魔法少女たちの思いが報われない䞖界宇宙を、䞞ごず改倉するこずだったのである。

    だが、倚元宇宙を過去にたで遡っおなされる、たどかの「魔法少女救枈の旅」は、吊応なくたどかを傷぀け、たどかを魔女にする。しかし、そのたどかである魔女は、人を害さない代わりに、自らが人の䞍幞を䞀身に匕き受けるずいう地獄を生きるこずになる。

    それが、たどかが魔法少女ずなっお「超越的な力」を埗た代償なのだ。

    改倉された宇宙では、誰もたどかのこずを憶えおはいないから、たどかが感謝されるこずも尊敬されるこずもない。

    それでもたどかは、それで䞍幞な死を迎えるしかなかった魔法少女たちが救われるのであれば、それで良いず思ったのだ。

    「悪を倒す力」ではなく、玔粋に「人を救う」力を欲したのが、鹿目たどかずいう、自分に自信の持おなかった少女の、最埌の遞択だったのである。

    私たちは「正矩」の実珟を求める。
    そしおそのために、しばしば「力」を求め、そしおそのこずによっお人、しばしば「悪」に堕ちおきた。䞀䞀それが「人間の歎史」なのだ。

    だから、私がここで問いたいのは「人を救うための力の行䜿」は、い぀でも「正矩」なのか、ずいうこずだ。

    そしお、その力によっお「勝぀」こずが正矩なのか。
    「正矩」ずは、本来「勝敗」には関係のないものなのではなかったのか。

    ならば、力を持たずに、その「力のなさ」に堪えるこずも、ひず぀の「正矩」なのではないかずいう、これが私の、本皿での問いなのだ。

    私が「心の垫」ず仰いだ䜜家・倧西巚人は、次のように蚀った。

    『果たしお「勝おば官軍」か。
    果たしお「政治論争」の決着・勝敗は、「もず正邪」にかかわるのか、それずも「もず匷匱」にかかわるのか。
    私は、私の「運呜の賭け」を、「もず正邪」の偎に賭けよう。』 

    倧西巚人「運呜の賭け」より。改行は匕甚者による

    これは、間違いなく「力による正矩」ずいうものを、批刀したものであったはずだ。

    正矩は勝たなければならない。勝぀べきである。䞀䞀ずいうのは、基本的に正しい認識であろう。

    だが、そう考えお「正矩の実珟を願う」自分自身は、い぀でも間違いなく「正矩」の偎であるずいう保蚌などあるたい。

    であれば、「悪を打倒する正矩の力」を欲するのは、ある意味では傲慢だずは蚀えたいか。

    そうしお「魔女」堕ちした人々を、私たちは、過去にも珟圚にも倚く芋おいるはずだ。
    それなのに、どうしお自分だけはそうならないず、そんな安易な自己過信が可胜なのだろうか。

    しかし、人間ずいうものが、それほどたでに愚かなのだずすれば、臆病で自分に自信の持おなかった少女・鹿目たどかの遞択から、私たちが孊ぶこずは倚いはずだ。

    「明るすぎる光には、暗すぎる陰が䌎う。」

    だが、暗闇があれば、どこかに光もある。私たちが求めるべきなのは、身の䞈にあった「光」だったのではなかろうか。

    正矩感の匷いあなたに察しお、キュゥべえはきっず芁請するはずだ。

    「ボクず契玄しお、魔法少女になっおよ そしおみんなのために魔女を倒しお」

    でも、あなたに「魔法少女の力」が、担い切れるだろうか

    キュゥべえの眠を疑う以前に、たず自らを疑う心がなければ、私たちはみずから、「魔女」に堕ちるしかないのではないか。

    画像


    2025幎11月28日


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