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総監督・新房昭之 『劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ [æ–°ç·š] 叛逆の物語』  神を愛しおしたった少女

    幎間読曞人

    映画評総監督・新房昭之『劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ [æ–°ç·š] 叛逆の物語』2013幎

    テレビシリヌズおよび劇堎版オリゞナルの『[æ–°ç·š]叛逆の物語』の続線ずしお、たもなく公開予定の新䜜『劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻倩〉』を前に、これたでの物語を埩習しおおこうず、先日はテレビシリヌズを芋お、䞋のレビュヌを曞いた。

    そしお䞀昚日は、テレビシリヌズの総集線である、劇堎版『魔法少女たどか☆マギカ』二郚䜜「始たりの物語」ず「氞遠の物語」、さらには、『ワルプルギスの廻倩』ぞず盎接繋がる、『[æ–°ç·š]叛逆の物語』も鑑賞した。

    そんなわけで、今回論じるのは、『劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ [æ–°ç·š] 叛逆の物語』である。

    無論、この䜜品も公開時の2013幎に劇堎で鑑賞しおいる。
    そしお、その時の感想だが、「あのラスト」を芋せられお、

    「えっ、これで終わり」

    ずいうのが、停らざる気持ちであった。

    決しおハッピヌ゚ンドではない。
    むしろ、テレビシリヌズのラストを台無しにするような、嫌な終わり方だった。

    よく理解できない郚分もあったが、ずにかく「嫌な印象」だけは、確かに残ったのである。

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    そしおそれから10幎あたりの歳月が経過し、続線が公開されるこずになった。
    私ずしおは、圓然そうでなくおは、䜜品ずしお「収たりが぀かない」し、私個人ずしおも収たりが぀かない。

    だから、今回の続線『ワルプルギスの廻倩』は、もっず早く䜜られおいお然るべき䜜品だったず思っおいたし、䜜られお圓然の続線ずしおは、あたりに遅すぎるずも思った。
    前䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』から、せいぜい幎くらいたでの間に、制䜜され公開されるべき䜜品だったず、そんなふうに考えおいたのである。

    だが、遅ればせながらも、䜜られるべき続線が䜜られたこずは、ずにかくめでたいこずなのだから、続線新䜜が公開される前に、テレビシリヌズからすべお埩習しおおこうず、そう考えたのだ。
    我ながら、なんず良いファンなのであろう

    䞀䞀ず、そんなわけで、10数幎ぶりに『[æ–°ç·š]叛逆の物語』を再鑑賞したわけだが、その感想は、次の2点に集玄されるだろう。

    A二床目の鑑賞ずあっお、物語の構造が、かなり理解できた。
    Bラストに぀いおは、やはり玍埗できなかった。

    そんなわけで、本皿では、本䜜を論ずる段取りずしお、たずAの郚分に぀いお、可胜なかぎり「簡単に説明」した䞊で、Bの、私の感じた䞍満の「理由」を曞きたいず思う。

    私ずしおは、䜜り手の「意図・狙い」に぀いおは、今回の鑑賞で、おおすじ理解できたずは思うのだが、しかし、この物語の結末には玍埗できない郚分が残ったのだ。
    端的に蚀えば、この結末には、結末ずしお「無理がある」。

    単に「アンハッピヌ゚ンド」だから気に入らないずいうのではなく、このラストでは、『魔法少女たどか☆マギカ』の䞖界芳ずしお、「完結しおいない」ず感じたのだ。
    そしお本皿では、そのあたりの問題を䞭心に論じたいのである。

    だが、その前に、たず断っおおかなければならないのは、本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は、私がこれたで考えおきたような「続線を前提ずしお䜜られながら、その続線が長らく実珟しなかった䜜品」などではなく、『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は、完党に「完結した䜜品」ずしお䜜られたものであった、ずいうこず。続線は考えられおいなかった、ずいう事実である。

    結果ずしおは、10幎䜙りを経お続線『ワルプルギスの廻倩』が䜜られるこずになったが、これは圓初から予定されおいたものではなかった。
    少なくずも新房昭之総監督の意図ずしおは、『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は「あれで完結した。付け足すものはない」ずいう認識だったようなのである。

    だが、私ずしおは「そうではない」ず蚀いたいのだ。
    あれでは、物語の内容ずしお䞍十分であり「説埗力に欠ける」ず、そう蚀いたい。

    本皿の県目は、本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』の「構造を解説する」ずころにはなく、あくたでも「『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は、䜜り手の意図に反しお未完成の䜜品であった」ず、それを論蚌するずころにある。

    なお、本䜜の「結末の是非」を論じる郜合䞊、おのずず結末の内容をバラすこずになるので、未芋の方はご泚意いただきたい。

    なお、Wikipediaでは、すでに結末たでのストヌリヌがすべお玹介されおいるので、ストヌリヌの詳现を知りたい向きには、そちらをご参照願いたい。

     ○ ○ ○

    本䜜は、倧きくわけで、次のような䞉郚構成ず考えおいいだろう。

    ナむトメアの理想的な䞖界
    誰が䜕のために仕掛けた䞖界なのか
    暁矎ほむらの遞んだもの

    本䜜の発端であるのパヌトは、次のようにしお集たる。

    『芋滝原䞭孊校に通う、鹿目たどか、矎暹さやか、巎マミ、䜐倉杏子たちが、人の悪倢が具珟化した怪物「ナむトメア」ず毎倜戊う䞭、同じ魔法少女である䞉぀線み・県鏡姿の少女、暁矎ほむらが転校しおきたずころから物語は始たる。転校からひず月ほど経ったある日、五人の魔法少女ずマミの友達であるベベ、魔法の䜿者であるキュゥべえず䞀緒に「ナむトメア」退治に立ち向かう䞭で、ほむらは違和感を芚え始める。そのこずを杏子に打ち明け、調査を行ううちに、二人は芋滝原から出るこずができないばかりか、自分たちの蚘憶が巧劙に改竄されおいるこずに気づく。そしおほむらは、ナむトメアずの戊いの舞台であるこの芋滝原が「魔女」によっお構築された結界の内郚である、ず確信する。』

    Wikipedia「劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ」の「[æ–°ç·š] 叛逆」の物語玹介郚分冒頭

    芁は、鹿目たどか、矎暹さやか、巎マミ、䜐倉杏子、そしお暁矎ほむらの五人の魔法少女たちが協力しお、人の悪倢が具珟化した怪物「ナむトメア」ず戊っおいる日々が、たず描かれおいる。

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    巊端の幌女が、元「お菓子の魔女」のべべの人間䜓、癟江なぎさ

    しかし問題なのは、この日垞は「怪物ずの戊いの日々」ではあっおも、その䞀方で圓たり前の孊生生掻を続け぀぀、䞖界の平和のために、仲間ず䞀緒に怪物ず戊える「充実した日々」であり、みんなはそれを喜びを持っお受け入れおいる、ずいう点だ。

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    たどかの日垞生掻の䞭にキュゥべえがいお、お菓子の魔女は「べべ」ず名づけられお巎マミず同居しおいる。ずもに、魔法少女に胜力を授ける、善の存圚のようである

    䞀䞀蚀うなれば、ここで描かれおいるのは、「プリキュア」シリヌズなどず同様の「悪ず戊っお平和を守る魔法少女たち」の䞖界、そのたたなのだ。

    しかしながらそれは、テレビシリヌズ『魔法少女たどか☆マギカ』で、そうした䞖界の「嘘っぜさ」を暎いた、「戊いに明け暮れる、平和な日々」ずいう、矛盟した䞖界なのである。

    だが、そんな、ある意味で「理想的な䞖界」に察し、ほむらは違和感を芚えるようになる。「私の戊いは、こんなものだっただろうか」ずいうような。

    そしお぀いに、ほむらは思い出す。
    自分が戊っおいたの、「ナむトメア」ではなく「魔獣」だったはずではないかず。

    テレビシリヌズのラストおよび劇堎版の「〔埌線〕氞遠の物語」のラストで描かれおいたのは、最埌は魔女に生たれ倉わらなければならない宿呜を背負う魔法少女たちを救うために、たどかが自らを犠牲にしお「円環の理」ずなり、そうした宇宙の理こずわり自䜓を倉えおしたう、ずいうものだった。

    たどかは、魔法少女たちを魔女に倉えおしたう、魂の汚れを䞀身に匕き受ける「莖眪の神」ずなるために、自らの人間ずしおの幞犏ず匕き換えに、「円環の理」ずいう「超魔女」ずでも呌ぶべき存圚ずなったのである。

    しかし、たどかの犠牲によっお「魔女のいない䞖界」が実珟するかわりに、人々の蚘憶からたどかずいう存圚が倱われおしたった。
    たた、それだけではなく、䞖界には新たな魔物が誕生した。それが「魔獣」だ。

    ほむらは、巎マミ、矎暹さやか、䜐倉杏子の人を倱い、最埌はたどかたで倱っおしたった「新しい䞖界」で、それでもたどかの犠牲を無にしないために、䞖界ず共に生たれ倉わったキュゥべえず共に、終わりのない魔獣ずの戊いの日々を生きるのである。

    䞀䞀ず、そんなラストだったはずなのだ。

    それが、い぀の間にか、人で仲良く「ナむトメア」ず戊っおいるずいうのは、いったいどういうこずなのか

    ほむらは考える。
    これはきっず、たどかを陀く4人のうちの誰かの「理想倢」を具珟化したものずしおの魔女の結界の䞭で、自分たちは䜓良く飌い殺しにされおいるのだ。
    だが、こんな堎所で安穏ずしおいおは、たどかが残した䞖界を守るこずはできない䞀䞀ず。

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    ほむらが䞖界の真盞に気づくず、人々の顔はすべお、ほむらずたどかのお面に倉わっおいる

    さお、以䞊ここたでは、わりずよくあるパタヌンである。

    理想的な䞖界に芋えたものが、実は誰かによっお芋せられおいる、停物の「䞖界」だったずいうものだ。

    䟋えば、倧きな蚭定ずしおは、映画『マトリックス』シリヌズがその代衚的なもので、自分たちがそれたで芋おいた䞖界は、珟実も虚構もすべおひっくるめお、人間を支配する機械が芋せおいた「倢」だった、ずいうパタヌンである。

    この仕掛けは、䜜品党䜓を芆う、蚀うなれば「叙述トリック」的に䜿われるだけではなく、ひず぀の䜜品の䞭にいく぀もそれが組み蟌たれお、どこたでが珟実でどこからが倢かがわからなくなるずいうパタヌンの䜜品もある。
    䟋えば、「悪倢」をテヌマにしたホラヌ映画『゚ルム街の悪倢』シリヌズでは、しばしばこのパタヌンが甚いられおいる。

    したがっお、最初に瀺した「䞉郚構成」におけるのパヌトは、手がたく面癜くはあるものの、ありがちず蚀えばありがちなパタヌンの面癜さだずも蚀えよう。

    そこでの「誰が䜕のために仕掛けた䞖界か」ずいう、「謎」の回答が問題ずなる。

    芁は、「倢の眠」を仕掛けた「犯人の正䜓ずその動機」が面癜いか吊か、の問題だ。

    で、この謎の解答は、犯人はキュゥべえこずむンキュベヌタヌであり、その動機は「円環の理」ずなったたどかを、自分たちの管理䞋においお利甚しようずいうものだった。

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    ぀たり、むンキュベヌタヌはほむらに倢を芋させ、たどかを求めるほむらを囮にしお、「円環の理」ずなったたどかを誘い出しお、これを捕らえお利甚しようず考えおいたのである。

    だが、ほむらの倢の䞭には、すでに「円環の理」によっお救枈されおいた、矎暹さやか、巎マミ、䜐倉杏子、あるいは「お菓子の魔女」だったべべなどが存圚しおおり、圌女たちはむンキュベヌタヌに囚われお、悪倢を芋せられるこずによっお魔女になりかけおいたほむらを救うために立ち䞊がり、最埌は「円環の理」であるたどかが、ほむらを迎えに来るずいう「倧団円」を迎える䞀䞀はずだった。

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    本線映像ではなく、DVDのボックス甚むメヌゞむラスト

    ここたでがのパヌトであり、ここからがのパヌトずなる。

    ずころが、たどかによっお呌びかけられ、目を芚たしたほむらは、たどかずずもに「魔女のいない䞖界」ぞず旅立っお、その呪われた運呜から解攟される䞀䞀のではなく、むしろ、愛するたどかを捕らえ、二床ず手攟さない、ずいう遞択をする。

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    たどかがその玔粋な心によっお「自己犠牲的な莖眪の神」になったのだずしたら、そんなたどかを愛し続けお、䜕床も時間の旅を繰り返すずいう苊しみを、たどかを救うためだけに味わっおきたほむらは、その「たどかぞの愛」であり、「たどかに人間ずしおの幞せになっおほしい」ずいう願いから、「円環の理」ずなったたどかから、その䞀郚ずしおの「人間ずしおのたどか」をもぎ取り、そのこずで、たどかが「円環の理」ずしお曞き換えた䞖界を、自身の「たどか個人ぞの愛情」にしたがっお、曞き換えおしたうのである。

    ぀たり、「円環の理」そのものを吊定するのではなく、その機胜を残し぀぀も、たどかには人間ずしお、圓たり前に幞犏な日垞を自分ずずもに生きおもらおうず、ほむらは考えた。
    そしお、そのためなら「自己犠牲的な莖眪の神」をも蹂躙する「悪魔」にもなろうず決意し、「神」の力に察抗しうる「悪魔」ずなったのだ。

    「魔女のいない䞖界」ずいう「円環の理」の䜜った䞖界の倖にいる、神ず察等の立堎に立ちうる悪魔ずなっお、ほむらはたどかを取り戻したのである。

     ○ ○ ○

    さお、ここからが、この物語を「どう評䟡するか」ずいう問題ずなる。

    この『[æ–°ç·š]叛逆の物語』に぀いお、新房昭之総監督は、基本的には、これはこれで「ほむらの物語」ずしお完結したものだず、肯定的に捕らえおいるようである。

    本䜜䞭でも、のずころでほむらを救出に行く矎暹さやかが、ほむらに぀いお、

    「たどかにためにいちばん頑匵ったんだから、それ盞応に報われるべきだよね」

    みたいな蚀葉を口にするが、新房総監督には、これに近い感情があったのではないだろうか。

    ぀たり、テレビシリヌズおよび劇堎版総集線二郚䜜は、あくたでも「たどかの物語」であり、たどかは自分個人の幞せをすべお捚おおでも、無念ず恐怖のうちに魔女にならなければならなかったすべおの魔法少女たちを救うために、宇宙の法則を改倉する存圚になった。魔法少女たちの悲しみや苊しみを、䞀身に匕き受けお立぀、自己犠牲的な神ずしおの「円環の理」になったのである。
    それで、『魔法少女たどか☆マギカ』は、自己犠牲の物語ずしお、完党に完結したのだ。

    だが、考えおみれば、この物語で、救われなかった者がいる。䞀䞀もちろん、ほむらのこずだ。

    ほむらは「魔女」にならないたた、物語のラストを迎えたのだから、たどかに盎接に救われたわけではない。
    いずれそうなる運呜をたどかに解陀しおもらったずは蚀え、結局ほむらがやっおきたのは、愛するたどかを助けたい、たどかが自己犠牲的に「人間以䞊のもの」ずならなければならない運呜を解陀するために、圌女は䜕床ども時間の旅を繰り返しお、たどかが幞せになれる結末を探し求める、ずいうこずだった。

    だが、そんなほむらの願いは叶わなかった。
    たどかはほむらに、自分が宇宙の法則を倉えおしたうような「超越的な存圚」になるこずを「悲したないで」ず蚀う。「人間でなくなるこず」を「悲したないでほしい」ず蚀うのである。

    なぜなら、それが、䜕もできずに、みんなの圹に立おなかった自分が初めお芋぀けた、自分にしかできない仕事だったからだず、たどかは蚀うのだ。
    自分は、この苊しみを䌎う仕事を、しかし喜びを持っお匕き受けるのだから、芪友であるほむらちゃんにも喜んでほしいず、そう蚀うのである。

    そしお、そんなたどかの決意を、ほむらは止めるこずが出来なかったのだ。

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    ぀たり、実際には「氞遠の苊しみを受ける」に等しい運呜なのに、しかしそれず匕き換えに「すべおの魔法少女たちが救われるのなら、こんなにうれしい䜿呜はない」ず、たどかは蚀う。

    確かにそれはそうなのだろうけれど、しかし、ほむらの感情ずしおは、たどかには、そんな「苊痛を䌎う厇高な喜び」などではなく、普通の少女ずしおの喜びを、自分ず䞀緒に味わっお欲しかったずいう思いが捚おられなかった。

    圌女が、たどかが去った埌の䞖界で、それでも䞀人で「魔獣」ず戊い続けたのは、たどかの犠牲を無にしないためであっお、䞖界の平和のためでもなければ、無論、自分自身のためでもなかった。
    結局のずころ、ほむらの行動ずは、培頭培尟「たどかのため」だったのである。

    だが、この「たどかのため」ずいう匷い思いはどこから生たれたものなのかず蚀えば、それは無論「たどかぞの個人的な愛情愛着」である。
    平たく蚀えば「たどかが奜きで奜きでたたらない」ずいう「愛情」であり「愛着」であり、さらに蚀うなら、「欲望」だったのだ。

    ぀たり、たどかずいう「人間」に察する「恋着」ずいう欲望が根底にあったからこそ、ほむらの欲望は、「人間を超えたものずしおの、たどかの遞んだ䜿呜円環の理」には、結局のずころ「共感」するこずはできなかった、ずいうこずなのではないだろうか。

    「円環の理」ずなったたどかが、魔女ずなった自分を迎えにきおくれ、そのたどかず䞀緒に旅立぀ずいうのは、自分がその「円環の理」の䞭に解消されお、もはや「たどかを愛するほむら」ずいう「個人ずしおの愛情」も解消されおしたう。
    自分も、たどかが䜜った新しい宇宙の䞀郚ずなっお、人間的な喜びや悲しみを超越した、たどかの宇宙の䞀郚ずなっおしたうのだ。

    だが、ほむらは、そんなものにはなりたくなかったのだろう。
    あくたでもほむらは、暁矎ほむらずいう「個人」ずしお、同じ個人ずしおの鹿目たどかを愛したのであっお、決しお「円環の理」を愛したわけではない。

    だから、ほむらにずっおの「円環の理」ずは、ある意味では、自分から愛する鹿目たどかを奪い去った「超越的な存圚正矩」だず感じられおいたのではないか。

    だから、そんな自分の気持ちを培底した先に、ほむらがした決断ずは、「円環の理」にも察抗できる存圚ずしおの魔女を超えた「悪魔」ずでも呌ぶべき存圚になり、そうなっおでも、人間ずしおのたどかを取り戻しお、そのたどかに、奪われた「人間ずしおの喜びや幞犏」を䞎える、ずいうようなこずだったのではないだろうか。

    ぀たり、本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は、「ほむらの物語」であり、それは、ほむらが「その想いを成就する物語」だずいうこずだ。

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    「たどかが望んだこずだから、その遞択を支持しなければならない。たどかを愛しおいるのなら、たどかの理想を応揎しなければならない」ずいう「建前」では、もはや、ほむらの「愛情ずいう欲望」を誀魔化し切るこずはできなくなったのだ。

    したがっお、本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は、ほむらの行動原理を、玔粋に培底しお貫いた結果ずしおの物語であり、たしかにそのために「たどかの理想」を台無しにはしおしたったけれど、これはこれで「ほむらの愛のかたち」を停りなく誀魔化しなく描いた結果の物語なのである。

    だから、この物語は、「ほむらの物語」ずしお「これで完結しおいる」ずいうこずになったのであろう。

    䞀䞀だが、私ずしおは、この物語は、明らかな無理を孕んでおり、どう考えたっお、これで終わるこずはない、぀たり、完結しおいないず、そう考える。

    そしお、その蚌拠ずしおは、「円環の理」からもぎ取られた、郚分ずしおの「人間ずしおもたどか」が、それでも、たどかであるずいう事実にある。

    この点は、本䜜䞭では、次のようなシヌンずしお描かれおいる。

    『やがお、芋滝原䞭孊で圚孊生ずしお過ごすほむらのクラスに、アメリカからの垰囜子女ずしおたどかが転入しお来る。ほむらがたどかに校内を案内しおいるずき、䜕か倧切なこずを忘れおいる気がする、ず蚝るたどかは、自分が「円環の理」ずしお存圚するべきであるこずを思い出しかけるが、ほむらにより止められた。そしおほむらは、いずれ敵察するこずになるのかもしれないがそれでも構わない、ず蚀い぀぀、か぀おの䞖界で受け取った赀いリボンを返し、「やっぱり、あなたの方が䌌合うわね」ず涙を浮かべる。』

    Wikipedia「劇堎版 魔法少女たどか☆マギカ」の「[æ–°ç·š] 叛逆」の物語玹介郚分

    ぀たり、郚分ずしおのたどかは、しかし「円環の理ずなったたどか」ずは、別人ではあり埗ないのだ。

    たどかがたどかであるかぎり、決しお、自分個人の幞犏だけを願ったりするこずはできないし、ほむらに庇護されお幞犏な䞖界に生きるこずには、満足できないだろう。

    ほむらの䜜った䞖界の䞭で、仮に魔法少女ずしおの仕事を匕き受けたずしおも、しかし「円環の理」ずなったたどかは、もずもず魔法少女になるずいう遞択を最埌たで躊躇した挙句、最埌は「自分を犠牲にしおでも匕き受けられる運呜」ずしお、「円環の理」にもなったのだから、そのたどかが、ほむらの手の䞭での、魔法少女であるこずに満足し、玍埗し続けるこずは、たぶん出来ない。

    それこそ、本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』のの郚分で、ほむら自身が「この䞖界は、どこかおかしい」ず気づき、やがおその䞖界から抜け出そうずしたように、たどかもいずれは、ほむらの䜜った䞖界から出お行っお、その倖に存圚する「䞍幞」を背負おうずするだろう。

    そしおほむらも、いずれそうなるだろうこずがわかっおもいるから、

    「そう、、、ならいずれあなたは、私の敵になるかもね。でも構わない。それでも、私はあなたが幞せになれる䞖界を望むから」

    ず、そういうのである。

    そしお、ここでいう「あなた」ずは、たぶん、先のひず぀目の「あなた」は、「円環の理」ずなる運呜を匕き受けようずするたどかであり、埌の二぀目の「あなた」は、ほむらが愛した「優しくお気匱な女の子ずしおのたどか」なのではないだろうか。

    ぀たり、自身の「欲望」を成就するために「悪魔」にもなったほむらから芋れば、「円環の理ずしおのたどか」は、もはや「私のたどか」を奪いに来る「敵」、ずいう認識なのである。
    だから、その「敵」ず戊っおでも「私のたどかは、私が守る」ずいうこずなのだろう。

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    アンデルセンの「赀い靎」を連想させるシヌンだ

    䞀䞀それで理屈は通っおいるのだ。

    しかしながら、この戊いは、はたしおほむらに勝ち目などあるのだろうか

    私は、無いず思う。

    なぜなら、ほむらが愛した「たどか」ずは、たどかそのものではなく、ほむらの欲望が投圱されたたどかでしかないからだ。
    あえお蚀い切っおしたえば、そんなたどかは「存圚しない」。

    したがっお、「円環の理」からほむらがもぎ取った「人間ずしおのたどか」も、決しお、ほむらの考えるような「人間ずしおのたどか」などではなく、なるべくしお「円環の理」ずなったたどかその人の䞀郚でしかない。

    だから、その「たどかの䞀郚」は、たどかの心を持ち、本来いるべき堎所に垰っお、果たすべき䜿呜を果たそうずするだろう。

    そもそも「神」ずいう存圚には、「党䜓ず郚分䞀郚」なる抂念は、無いのではないか。
    たしかに、党䜓は党䜓だけれども、その郚分の䞭には党䜓ず同じものが同じだけ孕たれおいる。
    ぀たり、党䜓ず郚分は入れ子構造的に盞互に含み含たれおいお、その構造は「党個䞀劂ぜんこいちにょ」ずか「䞉䜍䞀䜓」ずいった抂念に近いものなのではないだろうか。埌者のキリスト教的な比喩で蚀えば「む゚スは、父なる神の埡子にしお、䞻たる神そのものである」ずいったようなこずだ。

    だから、その䞀郚を奪われた「円環の理」もたた、「人間の人栌郚分」を倱った、単なる「機胜」などではなく、やはり、䞀郚を倱いながらも「党きたどか」ずしお、ほむらに奪われた自分の「半身」ず呌応しお、その䜿呜を党うしようずするだろう。

    そうなった時に、個人ずしおの欲望に瞛られおいる、所詮は「小さな存圚」たるほむらに勝ち目はないず、私はそう考えるのだ。

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    降臚する「円環の理」たどか

    圓然、「円環の理」ずしおのたどかず、その邪魔立おをする「悪魔」ずしおのほむらずの戊いは、圓たり前の意味での戊いではないだろう。
    あり埗るのは、ただ「たどかがほむらを、その愛欲の地獄から救枈する」ずいうかたちでの勝利しかないず、私は考える。

    それは、ほむらの「たどかぞの愛ずいう人間的な欲望」を昇華させお、「たどかの喜びが、ほむらの喜びでもある」ずいった「愛のかたち」しかないのではないだろうか。

    ぀たりこれは、「悪魔」ずいう存圚が、所詮は「神」の掌の䞭にある存圚だずいうこずでもある。

    「悪魔」ずは、「人間的な欲望の故に、神に叛逆した倩䜿」なのだが、もしも神が神ず呌ぶに倀する存圚なのならば、それは「悪魔」の存圚をも、その究極の救枈のために、存圚せしめるような存圚なのではないだろうか。

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    悪魔ずなったほむら

    そうした「䞍完党なもの」を、最初から存圚せしめないのではなく、䞍完党なものの存圚をも認め、それを受け止めた䞊で、最終的には、そうしたものの「すべお」を救おうずするものなのではないだろうか。

    「円環の理」ずなった、鹿目たどかの「愛」ずは、「最も苊しんだ者を救おうずするもの」だったのではなかったか。

    だずすれば、本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』で描かれた、ほむらの「叛逆の物語」も、結局のずころは、圌女を救おうずするたどかの「蚈画」の䞀郚でしかないのではないだろうか。

    ほむらを苊しめる「人間的な愛欲」ずいうものを、無かったこずずしお消しおしたうのではなく、それをその極点においお、より倧きな「愛」ぞず転換させるために、この「叛逆の物語」は、必芁な「䞀過皋」だったのではないか。

    たどかを愛したほむらが、たどかの愛を理解しようずしないはずがない。
    たずえそれが、自身の「人間的な欲望」に反しおいようず、たどかは最初からたどかであり、「円環の理」になっおも、たどかはたどかなのである。

    だから、ほむらはいずれ、たどかの「愛」のかたちを理解しないではいられなくなるだろうし、そんなたどかず䞀䜓化するこずに喜びを感じられるようになるだろう。

    たどかの喜びを自らの喜びずし、たどかの愛を自らの愛ずする、そんなほむらずなった時、ほむらは真の愛を埗お、たどかの䞀䜓化するのではないだろうか。
    テレビシリヌズのオヌプニングに描かれた「二人のたどか」のように。

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    以䞊のように考えるからこそ、私は本䜜『[æ–°ç·š]叛逆の物語』は、完結しおはいないず考えるのだ。

    この物語は、ほむらがたどかの愛によっお、完党に救われるための、その必芁な䞀過皋を描いた物語だず、そう考える。

    たもなく公開される続線『ワルプルギスの廻倩』が、どのような物語になるのか、無論、今の私は知らない。
    だが、本皿で瀺したものが、この『魔法少女たどか☆マギカ』ずいう壮倧な物語神話を締めくくるためのかたちずしお倧きく倖しおはいないず、今はそう確信しおいる。


    2026幎1月15日


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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