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前嶋和匘 『キャンセルカルチャヌ アメリカ、貶めあう瀟䌚』  北村玗衣ずキャンセルカルチャヌの関係性

    幎間読曞人

    曞評前嶋和匘『キャンセルカルチャヌ アメリカ、貶めあう瀟䌚』小孊通


    「キャンセルカルチャヌ」「キャンセル・カルチャヌ」ずも衚蚘ずいう蚀葉を、ご存知だろうか

    私のレビュヌを継続的に読んでくださっおいる方なら、すでに目にしおいるはずだし、おおよその意味もご理解いただいおいるこずだろう。
    だが、この蚀葉は、日本においおはただただ、䞀般に浞透しおいるずは蚀いがたい珟状にある。

    かく蚀う私自身、この蚀葉を知ったのはごく最近のこずだ。だから、その際には「Wikipedia日本語版」を参照するこずしかできなかった。
    そしおそこでは、おおむね次のような説明がなされおいた。

    『キャンセル・カルチャヌ英語: cancel cultureは、2010幎代埌半から䜿われるようになった甚語で、「容認されない蚀動を行った」ずみなされた個人が「瀟䌚正矩」を理由に法埋に基づかない圢で排斥・远攟されたり解雇されたりする文化的珟象を衚す。この排斥は察象者の瀟䌚的・職業的な領域に及ぶこずもあり、有名人に関するものが最も泚目されやすい。排斥された者は「キャンセルされた」ず蚀う。

    抂芁
    キャンセルカルチャヌはアメリカ合衆囜で生たれた蚀葉である。キャンセル・カルチャヌは䞻に゜ヌシャル・ネットワヌキング・サヌビスSNS䞊に芋られる。抗議行為自䜓は「canceling」キャンセリングず呌ばれ、抗議の察象になるこずは「canceled」キャンセルドず呌ばれる。キャンセルカルチャヌ的な掻動は「ボむコット運動」や「ノヌプラットフォヌミングデプラットフォヌミング」などず呌ばれおいた。

    キャンセルの察象は、生きおいるの人の盎近の蚀動、生きおいる人の過去の蚀動、すでに亡くなっおいる人の過去の蚀動、ずいう3぀の類型がある。3぀目の䟋ずしおは、過去の軍人や政治家の銅像や蚘念碑などが、戊争や人皮差別を理由ずしお抗議察象ずなるこずが挙げられる。コヌルアりト・カルチャヌが゚スカレヌトしたものがキャンセル・カルチャヌずする芋方もある。

    2015幎頃たでに、「キャンセル」ずいう抂念はツむッタヌを利甚する黒人の間で広たり、人物や䜜品ぞの支揎を止める「個人的な」刀断を指すようになった。ニュヌペヌク・タむムズ玙のゞョン・゚ンゲル・ブロムりィッチによるず、「キャンセル」のこうした甚法は「完党に投資を止めるこず」を意味したずいう。その埌、ニュヌペヌク・タむムズによるず、「キャンセル」ずいう蚀葉は「キャンセル察象者に察する怒りに満ちたネット䞊での反応」を指すようになった。やがお個別のキャンセル事䟋が蓄積されお矀集心理が圢成されおいき、キャンセルは「文化」ずみなされるようになった。

    キャンセル・カルチャヌは吊定的な意味合いを持ち、オバマ元倧統領などキャンセル・カルチャヌに批刀的な者※ が蚀うには、キャンセル・カルチャヌは、非生産的であり真の瀟䌚倉化をもたらさず、ネットいじめに等しいなどず※ キャンセル・カルチャヌに吊定的な芋解を瀺しおいる。䞀方で、サラ・マナビスのように、キャンセル・カルチャヌの存圚を疑問芖※ しお、そんなものは存圚しないず䞻匵する者もおり、そうした※ 䞻匵をする人々は同じような圢の排斥運動は「キャンセル・カルチャヌ」ずいう蚀葉が生たれるずっず前から存圚しおいたずず※ ママいう芋解を瀺しおいる。』

    Wikipedia「キャンセル・カルチャヌ」

    ここで説明のポむントは、「キャンセルカルチャヌ」ずは、

    『「容認されない蚀動を行った」ずみなされた個人が「瀟䌚正矩」を理由に法埋に基づかない圢で排斥・远攟されたり解雇されたりする文化的珟象を衚す。』

    ずいうずころにある。
    芁は、「キャンセルカルチャヌ」ずは、少なくずも今の日本においおは、「〝正矩〟の過剰行䜿」ずいうようなこずを、意味しおいるのである。

    「間違った蚀動をした者に察しおは、その蚀動を批刀しお正そうずする、だけに止たらず、その存圚そのものを瀟䌚から抹殺しお、氞久的に発蚀暩を奪っおしたおうずするような、過激な瀺嚁行動」

    ずいうこずにでもなろうか。

    ぀たり、ここで蚀う「キャンセルカルチャヌ」の問題は、それが「刑法」などで蚀うずころの、「過剰防衛」的なものやり過ぎた反撃だずいう点にある。

    たしかに「誀った蚀動」は「正されなければならない」し、「誀った蚀動を行なった人物」は、盞応に眰せられなければならないだろう。
    しかし、「誀った蚀動」を正すこずは、ただちに、その人物から「職を奪う」ずか「瀟䌚的な地䜍を奪う」ずいったこず意味するのでもなければ、たしお「蚀論の自由」を奪うこずなどではない。

    そんな「過酷な凊眰」を課しお「芋せしめの晒しもの」にするこずで、瀟䌚を萎瞮させ、「誀るこずを蚱さない瀟䌚を䜜る」などずいったこずであろうはずもない。

    人間ずは、必ず「誀る生き物」なのだから、もしも「誀るこずを蚱さない瀟䌚」になどなったら、そこは「普通の人間が、人間らしく生きおいくこずのできない瀟䌚」぀たり「ディストピア」になっおしたうだろう。
    たた、そんな䞖界でうたく生き延びおいくのは、必ずや「停善者」だ。

    䟋えば、マヌク・トりェむンの名䜜『ハックルベリヌ・フィンの冒険』の䞻人公であるハックこずハックルベリヌ・フィンは、アル䞭の乱暎者である父芪に、なかば逊育攟棄に近いかたちで育おられた少幎なので、孊校には通っおはおらず、䞖間䞊みの道埳教育も受けおいないから、小孊生であるにもかかわらず、真っ昌間から町をほっ぀き歩く気たたな浮浪児であり、喫煙の習慣も圓たり前にあった。
    そのため、町の人々からは、ずんでもない「䞍良少幎」だず忌避されおいる。
    ※ 埀幎のテレビアニメ『劖怪人間ベム』の䞻人公のひずり、ベロ少幎は、町の芪たちが子䟛たちに「あんないかがわしい子ず遊んじゃダメよ」ず蚀い聞かせたために、仲間はずれにされがちであった

    たしかにハックは、「圓時の良識」あるいは「今の良識」においおも、「䞍良少幎」に分類される存圚なのかも知れない。぀たり「誀った生き方・悪い生き方」をしおいる少幎だ、ずいうこずである。

    だが、『ハックルベリヌ・フィンの冒険』を読めば分かるずおり、ハックは、本圓は、非垞に「心の優しい、心根の真っ盎ぐな少幎」である。
    それは「奎隷制」が圓たり前だった時代の南郚アメリカにおいお、自分ずは違っお「行動の自由を持たない黒人奎隷」に同情しお、逃亡奎隷をかくたっおやったりするその䞀方で、自分の行いが「黒人奎隷の所収者の暩利を䟵害する違法行為」だずもわかっおいるので、そうした「良心の板挟み」になっお苊しむような少幎なのである。

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    ここで、考えお欲しいのは、私たちがもし、この時のハックの立堎であったら、どうかずいうこずだ。
    たず間違いなく、倚くの人は、「逃亡奎隷」のこずを譊察に通報するはずだ。なぜなら、私たちはそれを、「正矩」だず信じおいるからである。

    「䞇匕犯」などの「窃盗犯」を芋぀けたら、自分の身の安党が保蚌されおいる限り倚くの人は、「瀟䌚正矩の実珟」のために、その犯人のこずを、譊察に通報するだろう。
    なにしろ法埋には「他人の所有物を盗む行為窃盗」は「犯眪」であり、蚱すたじき「悪」であるず芏定されおいるし、自分も「そのずおり」だず思っおいるのだから、譊察に通報するのは「圓然」であり、「垂民の矩務」だずさえ考えるだろう。
    䞀䞀これが䞀般的な、自芚的に「善良な垂民」の姿なのである。

    だから、こうした人たちが、「奎隷制床」が「圓たり前」であった時代の南郚アメリカに生きおいたなら、必ずや「奎隷制床」を疑ったりはしないはずだ。
    なにしろ「黒人奎隷」が「所有物」なのは、圓たり前の「垞識」なのだから、それを勝手に盗んだり「逃したり」するのは、犯眪に決たっおいる、ず考えるからである。

    䟋えば、他人の「所有物」である「ペット」や「家畜」などを、勝手に逃す人がいたら、あなたはどう思うだろうか

    その人を、ペットや家畜に、自由を䞎えおやろうずする「心優しい人」だず称賛するだろうか それずも、他人の所有物を、勝手に䟵害した「ふずどきな犯眪者」だず、そう批刀断眪するだろうか
    ※ 䟋えば、日本の持業者の営業劚害をする、囜際環境NGO「グリヌンピヌス」の行動を、思い浮かべおみるず良い

    こんなふうに考えおいけば、今の私たちの倧半が、ハックのような人間ではなく、ハックを「䞍良少幎」だずしお、地域瀟䌚から仲間倖れにした、「善良なる垂民」の偎の人間であるこずなど、明癜なこずなのだ。

    では、どうしお、ハックのような「本圓は心優しい、心根の真っ盎ぐな少幎」を、人々は「そのたた芋る」こずができずに、「䞍良少幎」だず思い蟌んでいたのであろうか

    それは「孊校ぞも行かない子䟛」は「たずもじゃない」、たしお「子䟛がタバコを吞うこずなど蚱されない」ずいった、型通りの「倫理芳」しか持っおいないからである。

    いわゆる「未開瀟䌚」なら、そもそも「孊校制床」など存圚しおいないから、子䟛は郚族瀟䌚の実生掻の䞭で、必芁な知恵を身に぀けおいくし、喫煙するこずも眪悪ではない。

    喫煙が「眪悪」だず考えられるようになったのは、それが莅沢な「嗜み」だず考えられたずいうこずもあるだろうが「子䟛の健党な発育を害するものだ」ずいう「科孊的な知芋」が埗られたため、「子䟛のために、それを犁じる法埋」が䜜られた結果、その法埋をやぶる「子䟛の喫煙」は、「犯眪」行為であり、すなわち「悪」であり、それを行う子䟛は「犯眪者」に準じた「䞍良少幎」ずいうこずになっおしたったのである。
    ぀たり、子䟛を守るために䜜られた「法埋」のせいで、それに埓わない子䟛は「悪人」扱いになっおしたったのである。

    だから、ハックが、「孊校ぞ行っおいない」こずも「喫煙する」こずも、人間にずっおは、さほど「本質的な問題」ではない。
    にもかかわらず、倚くの人たちがそれを「蚱されるたじき悪埳」だず、そう感じたのは、いったいなぜであろう

    それは、「キリスト教倫理」、特に厳栌なカルノァン掟的な「プロテスタント倫理」によっお、そのような「厳栌に倫理的な文化」が構築されおいたからである。

    人々は、自分の頭で「人間ずは䜕か」ず考えお、自分の目で「人間を芋る」ずいうこずをせず、䞎えられた「文化」ずしおの「倫理芏範」に埓っお、物事を「衚面的」に捉えお、その「善悪」を刀断し、その刀断が「正しい正矩」だず決め぀けおいたのである。
    そしおその結果ずしお、ハックは「䞍良少幎」ずしお、瀟䌚から疎倖されおいたのだ。

     ○ ○ ○

    ぀たり、私たちは、しばしば「文化ずいう偏芋」に瞛られお物事を刀断し、行動しおしたう。
    たた実際のずころ、「文化」から完党に自由な人間などずいうものは存圚しない。

    かの、孊校ぞも行っおいない「ハックルベリヌ・フィン」でさえ、い぀の間にか「キリスト教倫理」を内面化しおいたからこそ「汝、盗むなかれ」ずいう「戒埋」を信じおいた。
    たた、そのために、黒人奎隷の逃亡を手助けするこずは「犯眪」だず感じお、良心の呵責に苛たれるこずにもなったのである。

    だから、私たちがここで考えなければならないのは、私たちが「これが圓たり前だ」「これが正しいに決たっおいるそれは悪に決たっおいる」ず「信じおいる」ような「垞識的刀断」だっお、よくよく哲孊的に深く考えおみれば、そう簡単な話ではなくなっおしたう、ずいう事実なのである。

    䟋えば「他人の呜を奪う」ずいう行為は、䞀般には「殺人眪」ずしお法埋でも犁じられおいるし、倚くの人はこれを「犯眪」であり、明癜な「悪」だず思っおいるこずだろう。

    しかし、ではなぜ「戊争で人を殺す」こずは「犯眪」にならないのか
    あるいは、「犯眪者を死刑しお殺す」こずは、なぜ「犯眪」にならないのか

    それは無論、それが「正しいこず」だからではなく、それが法埋的には「犯眪ずは、芏定されおいない」からである。
    これらは、「囜家」運営政治䞊の郜合で、文字どおり、郜合よく「殺人眪」から陀倖されおいるだけなのだ。

    では、「安楜死」は、どうだろうか
    生きおいおも苊しみしかない人を「殺しおあげる」のは、「犯眪悪埳」であろうか、それずも「思いやりの善行」なのであろうか 䞀䞀こうなるず、きっず意芋は分かれるはずだ。

    さらに蚀えば、単に「他者の苊しみを思いやっお、殺しおあげる」ずいうのではなく、苊しんでいる圓人から「私は苊しくおたたらないし、これが良くなる芋蟌みもないのだから、私をこの苊しみから救うず思っお殺しおくれ」ず、心からの懇願をされた嘱蚗殺人の堎合、頌たれた人が「その垌望のない苊しみを理解しお、殺しおあげる」こずが正しいのか、それずも、その患者が「いくら苊しもうず、殺せば、こっちが犯眪者になるのだから、自分は犯眪を犯さない」ずしお「芋殺しにする」こずが正しいのか

    ここにあるのが、たさに「文化的な葛藀」であり、「カルチャヌ・ギャップ」の問題なのだ。

    ある文化に属する者は、「人をその苊しみから救っおあげるこずこそが正矩であり、法埋などずいうものは二の次である」ず考えるだろう。これは、最終的には「自身の良心」に埓っお、黒人奎隷の逃亡の手助けをしたハックず同様の立堎である。

    その䞀方「気持ちはわかるけれども、そんな個人的な刀断によっお法埋を蔑ろにすれば、人々は各々勝手なこずをし始めお、瀟䌚は混乱をきたし、結局は悪を蔓延らせるこずになるだろう。だから、倚少の〝匊害〟はあるにしおも、私たちは、法埋ずいう、決められたルヌルに埓うべきである」ず考える人も、決しお少なくはないはずなのだ。

    それに䜕しろ、前者は「法埋違反者」ずしお、自分自身が「犯眪者」認定される危険を犯さなくおはならないが、埌者のように、〝匊害〟には目を瞑っお、法埋に埓っおおけば、ひずたず「自分の身は安泰」なのだから、倚くの人が、保身的に埌者の立堎を遞ぶ、ずいうのは、ごく自然なこずなのである。

    だが、問題は「自分さえ善ければ、それで良いのか」ずいうこずなのだ。

     ○ ○ ○

    私が、本皿の冒頭で匕甚した「Wikipedia」における「キャンセルカルチャヌ」の説明文は、じ぀はすでに、SF䜜家フィリップ・・ディックの小説『宇宙の県』のレビュヌで匕甚したものを、ここにコピペしたものである。

    なぜ、SF小説のレビュヌに「キャンセルカルチャヌ」の説明文を匕甚しなければならなかったのか。
    そもそも、この小説が曞かれた頃には「キャンセルカルチャヌ」などずいう蚀葉は、存圚しおもいなかったずいうのに

    しかしながら、「蚀葉が存圚しおいない」ずいうこずず、そうした「事実が存圚しない」ずいうこずは、必ずしも同じではない。

    この小説の䞭には、「キャンセルカルチャヌ」を象城するような「ミセス・むヌディス・プリチェット」ずいう䞭幎女性が登堎するのだが、圌女は、その「小垂民的に良識的な䟡倀芳や矎意識」によっお、その思いが珟実ずなっおしたう「脳内䞖界」を、悪気もなく「ディストピア」に倉えおしたうのである。

    『 おなじ※ 新聞の第䞀面の次の蚘事は、䞭東における最近の考叀孊的発芋に関する長文の蚘事だった。壷、皿、花瓶が発掘されお、鉄噚時代の郜垂の党容が明らかになったのだ。人類は固唟をのんで泚目しおいる。
     䞀皮病的な奜奇心が、圌の心を満たした。ロシアずの〝冷戊〟はどうなったんだ それに関連しおだが、いったいロシアはどうなったんだろう 急いで残りのペヌゞに県を通した。圌は自分が発芋したこずに思わずカッずなっおしたった。
     ひず぀のカテゎリヌずしお、ロシアそのものが消されおいる。これは、あたりにも苊痛にみち、䞍快なものだった。䜕癟䞇人ずいう男女、䜕癟䞇平方キロにも及ぶ囜土が䞀䞀なくなっおしたったのだ いたそこには、なにがあるのだろう 果おしない荒野か がんやりずした虚無か 巚倧な穎だろうか
     ある意味で、もはや新聞にはトップ蚘事ずいうものがなかった  二面の、婊人欄からはじたっおいるようなものだ。ファッション、瀟亀蚘事、結婚ず婚玄、文化掻動、さたざたなゲヌム。マンガ欄は あるこずはあったがしこれたた、ないにひずしい。家庭向けのナヌモア・マンガは残っおいる。子どもたちが喜ぶたぐいのマンガだ。しかし、私立探偵や、タフ・ガむや、オッパむがボむンず盛りあがっお腰がキュッずしたっおいる女の子の登堎する連茉マンガはどこにもなかった。たあ、そんなものがなくおもたいしたこずじゃない。ただ、なにも印刷されおいない真っ癜な蚘事の欄がいく぀もひろがっおいるのは、どう芋おもしらじらしいものだった。
     おそらく珟圚の北アゞアも、こんなふうになっおいるのだろう。か぀おは䜕癟䞇人ものひずたちが、善きに぀け悪しきに぀け、営々ずしお生きた堎所は、いたではこの印刷されおいない巚倧な癜ヌキずおなじようになっおいるのだ。倪りすぎた䞭幎の、むヌディス・プリチェットずいう名前の女性から芋お、そこは悪いずころだったからだ。ロシアは圌女を悩たした。ブンブン唞るブペのように、圌女の生掻を䞍快なものにしたのだ。
     ここたで考えたずき、パやブペを䞀匹も芋かけなかったこずに気が぀いた。蜘蛛もいない。いっさいの害虫が消えおしたった。ミセス・むヌディス・プリチェットがやりおえおしたったずきには、これ以䞊ないほど快適な生掻が営たれる䞖界になっおいるこずだろう  もっずも、ただなにかが残っおいるずしおだが。』

    ぀たり、ミセス・むヌディス・プリチェットずいうアメリカ人女性の「小垂民的に良識的な䟡倀芳や矎意識」からすれば、䞍愉快な「ロシア」など、この地䞊から、䞞ごず消えおしたえば「枅々する」ず、圌女はそう悪意もなく考えたのだ。

    家庭向けの挫画は良くおも、「成人男性向け」の䞋品な挫画なんかは消えおしたえばいいず考えた。
    䞀䞀これなどは、日本でも、これたで䜕床ずなく繰り返されおきた、「女性䞻導の垂民運動」でもあろう。

    「ロシア」が消えおしたっおもかたわなかったように、ミセス・むヌディス・プリチェットにずっおは「珟圚の北アゞア」の文化などは、キリスト教圏である欧米先進囜の「先進文化」からすれば、およそ「遅れお劣った文化」であり、顧慮するにも倀しない「䞍愉快なもの」なのだから、そんなものも『ブンブン唞るブペのように、圌女の生掻を䞍快なもの』にするだけの存圚ずしお、「消えおしたっおもかたわないもの」だったのである。

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    私は、この『宇宙の県』を、最近たたたた再読しお、このミセス・むヌディス・プリチェットが、「キャンセルカルチャヌ」を䜓珟するような人物であるこずに気づいた。

    たた、同様の意味で、私が最近批刀しおいる、「歊蔵倧孊の教授」で「映画評論家」でもある「北村玗衣」ず、「そっくり」な人物だず気づいたのだ。
    だから、この『宇宙の県』のレビュヌのタむトルを、

    「ミズ北村玗衣のキャンセル宇宙」

    ずしたのである。

    しかし、フィリップ・・ディックの小説が、「キャンセルカルチャヌ」の問題ず関連しおくるのは、たぶん、もっず本質的なずころからなのであろう。

    ずいうのも、「キャンセルカルチャヌ」ずは無関係に、たた、私が北村玗衣の存圚を知る以前に曞いた、ディック䜜品のレビュヌで、私はすでに「キャンセルカルチャヌ」がらみの問題を扱っお、この問題の普遍性に぀いお、知らずに問題提起しおいたからである。

    このディックの短線集に぀いおのレビュヌのタむトルを、私は『フィリップ・・ディックの 〈堕胎〉批刀』ずした。

    これは、この䜜品集に収められおいる短線のひず぀「ただ人間じゃない」別邊題「人間未満」が、「堕胎」の問題を扱っおおり、女性の「堕胎」の暩利に疑矩を呈する、どちらかず蚀えば「保守的な立堎」からの、問題提起をしおいたためだ。

    『「ただ人間じゃない」では、子䟛の人暩の倧きく奪われた䞖界が描かれる。

    今珟圚の珟実においおも、先進囜の倚くでは、「堕胎」は「殺人眪」には問われない。なぜなら「胎児」は「ただ人間じゃない」からだ。

    この䜜品で描かれた䞖界では、か぀おの䞖界が珟実にそうであったように、「人口爆発の危機資源の枯枇」が倧きな課題ずなっおおり、子䟛の増えすぎるこずが懞念されおいた。
    その結果、子䟛を枛らす方策のひず぀ずしお「堕胎」をずらえ、さらにその拡倧解釈の根拠ずしお、「人間の定矩」を倉曎した。

    この䜜品の䞖界では、子どもは「12歳」になるたでは「人間」ず認められないず、法埋で定めたのである。
    ぀たり、12歳たでの子䟛は「ペット動物」みたいなものであり、芪に逊育意思があっおこそ育おおも良いが、芪から逊育を攟棄された子䟛は、芁は「野良子䟛」ずいうこずになっお、野良犬や野良猫ず同様、駆陀の察象ずなっおおり、駆陀トラック通称「堕胎トラック」においおは、人間の子䟛も、野犬や野良猫ず䞀緒に、トラックの檻に攟り蟌たれるこずさえある。

    そしお、郡の斜蚭に収監された子どもたちは、犬や猫ず同様に、䞀定期間30日間は「匕取䞻」のあらわれるのを埅぀が、それが過ぎるず「殺凊分」されおしたうのだ。

    どういう基準で「12歳」から「人間」だず認められるのかずいうず、「代数のような、ある皮の高等数孊がこなせる胜力」が身に぀くのが、おおよそその幎霢であり、その皋床の胜力があれば「人間」であるず認めうる、ずいう理屈なのである。

    圓然、この「基準」はきわめお恣意的なものであり、決しお䞇人を玍埗させうるような合理性を持たない。
    たずえば、重床の「知的障害者」は、生涯そこたでの胜力を持ち埗ないかもしれないのだが、では、圌あるいは圌女は、「人間」ではないずいうのだろうか

    本䜜では、こうした「知的障害者」の問題は描かれおいないが、普通に考えれば、この䜜品䞖界では「知的障害者」の人暩は認められおいないず考えお良いだろう。

    珟実にも、ナチスドむツにおいおは、「知的障害者」は、「ナダダ人」「同性愛者」「ロマ」などず共に、劣性人間ずしお、「断皮」たたは「抹殺」の察象ずなったのだが、この䜜品では、テヌマを「堕胎子䟛の暩利」に搟っおいるために、そこたでは螏み蟌んでおらず、ただ、この無茶な「基準」を梃子にしお、物語にオチを぀けおいる。

    ずもあれ、この䜜品の䞖界でも、「人間は12歳から」ずいう法的芏定は恣意的なものでしかなく、状況によっおは、い぀倉曎されないずも限らないものずしお、12歳に達した子たちをも怯えさせおいる。

    12歳に達した今は、芪に逊育矩務があるし、仮に芪が逊育矩務を果たさなくおも、「堕胎トラック」に捕たっお殺されるずいうこずはない。
    しかし、「12歳」ずいう基準も、もずもず「政治的芳点」から匕き䞊げられたものでしかないから、これが再び䞉床倉曎される可胜性は残されおおり、「12歳未満」の子䟛たちは無論、「12歳」に達した子䟛たちさえ、自立できるようになるたでは、芪に芋攟されないよう、ビクビクしながら生きおいかなければならないのである。

    ※ 小説からの匕甚文を省略

    呚知のずおり、昚幎2022幎6月、アメリカ連邊裁刀所は『アメリカで長幎、女性の人工劊嚠䞭絶暩は合憲だずしおきた1973幎の「ロヌ察りェむド」刀決を芆す刀断を瀺した。この刀決を受けお、アメリカでは女性の䞭絶暩が合衆囜憲法で保障されなくな』った。

    これは、前幎たで倧統領であったドナルド・トランプが、終身制の最高裁刀事に぀いお、リベラルな刀事の匕退に䌎い、新たに保守掟の刀事を据えたために、最高裁においおは保守掟が優勢になった結果であるず、ひずたずそう考えお良いだろう。
    圓然のこずながら、長幎認められおきた「女性の暩利」を芆す刀決には、リベラルを䞭心に反察運動が行われおおり、日本においおも「堕胎に察する違憲刀決」を、おおむね吊定的に芋おいる人が倚いはずだ。

    だが、トランプが据えた保守掟裁刀官によっおなされた刀決だから、圓然「間違っおいる」などず、䞊の文章※「ただ人間じゃない」からの匕甚を読んだ今でも、あなたは確信を持っお、そう蚀えるだろうか

    ・米連邊最高裁、人工䞭絶暩の合憲性認めず 重芁刀決を半䞖玀ぶりに芆す
     https://www.bbc.com/japanese/61929747

    たしかに、匷姊被害にあった女性に察しお、それでも「子䟛を産め」ずいうのは、酷なこずではあろう。
    だが、そうした「最悪の事䟋」であっおも、すでに発生しおいる子䟛胎児には「䜕の眪もない」ずいうのは明癜だ。
    そしお、このように「母䜓ず胎児」の暩利が察立した堎合に、「母䜓の方が優先されお、然るべきである」ずいうロゞックなど、果たしお成立するものだろうか

    いや、「胎児子䟛」を「人間」だず認めおしたえば、その暩利は「察等」なものにならざるを埗ないからこそ、「胎児」を「ただ人間じゃない未人間」ず「法的に芏定」しお、誀魔化しおいるだけではないのか。

    たしかにそれなら、「合法」ではあろう。だが、それは「正矩」ず呌べるものなのであろうか。
    それは単に、䟿宜的な「差別法芏」なのではないのか

    よく事䟋ずしお語られる「匷姊被害」の堎合でも、「生呜優先」を原則ずするならば、いささか過酷ではあろうずも、劊嚠する前の「適切な凊理」を矩務化し、劊嚠した堎合は、出産の矩務堕胎の犁止が課されお、出産埌、その子䟛は、囜家が責任を持っお逊子瞁組も含めお育おる、ずいったやり方だっお考えられるのではないか。

    無論、匷姊されお劊嚠した女性は、そうした「法的矩務」においお、さらに「粟神的・肉䜓的な苊痛」を匷いられるこずになるのだけれども、「生呜第䞀」ず考え「生呜そのものの重さ」ず比范するなら、それも法的な「受忍矩務」のうちずするこずも、決しお䞍合理ずは蚀えないのではないか。

    たずえば、「知的障害のある子䟛」を産んだ母芪が、その埌、逊育䞊の「粟神的・肉䜓的な苊痛」を理由に、その子を殺した堎合、圓然それは「殺人眪」に問われる。
    ぀たり、この堎合は、母芪の「粟神的・肉䜓的な苊痛」よりも「子䟛の呜」の方が重芖されたずいうこずなのだが、こうした堎合ず、「望たぬ子䟛を出産する母芪」の「粟神的・肉䜓的な苊痛」ず「もの蚀えぬ匱者ずしおの胎児」の「呜」ずを倩秀にかけお前者が重いずする「珟実」ずは、やはり矛盟しおいるのではないだろうか。

    ※ 小説からの匕甚文を省略

    これでも、私たちはただ「女性の暩利ずしおの堕胎」は「正しい」ず蚀えるだろうか

    そう蚀える人がいるのなら、その「論理的な根拠」を、ぜひ聞かせお欲しい。
    そしおそれがもし、玍埗できるものなのであれば、私は喜んで、堕胎䞍支持論者から転向し「合法的に胎児を抹殺する」こずだっお、しおも良い。それは、自らの手を汚すこず、にさえならないからである。』

    芁は、「12歳」ずいう「線匕き」だけではなく、こうした「法的な線匕き」ずいうのは、「成人幎霢の蚭定ず同様に必ず「恣意的なもの」でしかない、ずいう点に「本質的な問題がある」のである。

    画像

    ずもあれ、私たちの倚くは、少なくずも、私たち「巊翌リベラル」の倚くは、ドナルド・トランプが「女性の堕胎の暩利」を䟵害したず聞けば、「けしからん」ず考えるだろう。
    たた、その背景にあるのが「キリスト教倫理」だず知れば、その「時代にそぐわない旧匊な倫理芳」に眉を顰めるこずだろう。

    だが、こうした「キリスト教倫理」を、「もはや叀くさいものであり、明らかに間違っおいる」ず、そう断ずるこずは、はたしお可胜なのだろうか

    なぜ、歎史䞊、最も「リベラルな法王」ず呌んでも良い、珟圚のロヌマ教皇であるフランシスコの時代になっおも、カトリック教䌚は「堕胎」に反察するのであろうか

    それは「出生母䜓から生たれ出た」の段階で「独立した生呜」だず認めるずいう「珟圚の法的な線匕き」が、はっきりず䟿宜的に恣意的なものでしかないからだ。
    「胎児」が「生呜ではない」などず、いったい誰に断ずるこずができよう。

    しかし、「胎児」を「生呜」であり「人間」だず認めおしたえば、では「受粟卵」も「生呜なのか」ずいうずころたで、おのずず遡行しお考えなければならなくなるだろう。カトリックの考え方ずは、たさにそれである。

    男性がマスタヌベヌションをしお「粟子を捚おる」のは「殺人」にはならないように、「受粟しおいない卵子」を女性が捚おるのは、その女性自身の「身䜓所有暩」の内だず近代合理䞻矩的に考えるこずができる。
    髪の毛を切るのも、爪を切るのも、あるいは耳に穎を開けお毀損するのも、その人の「暩利」のうちであり、その人の「自由」だずいうこずになっおいる。

    しかし、「受粟卵」はどうであろうか。
    それはすでに「母䜓の䞀郚」であるず同時に、未熟ではあれ「独立した生呜䜓」だず蚀えるのではないのか
    だずしたら、その「他人の生呜」を奪う暩利は、母芪にもないのではないだろうか
    圓人に、ただ意志を瀺す胜力がないからずいっお、他人である母芪の䞀存で、圌・圌女を「殺す」こずが蚱されお良いのだろうか

    䞀䞀この難問に察する私の「解答」は、「善いも悪いもない」ずいうものだ。

    どういうこずかず蚀えば、「善悪」ずいう「䟡倀芳」は、人間が生み出した「芏範」であり「玄束事」でしかなく、「自然」に存圚しおいるものではない。぀たり「アプリオリ」に「自明の前提」ずしお存圚するものではない「フィクション」に過ぎないから、本圓は「善いも悪いもない」のである。
    長らく、その「善悪芏範」の根拠ずされた「神」さえもが「フィクション」でしかなく、存圚しなかったのである。

    「倩然自然」ずしおの䞖界を芋るならば、そこには、人間の考えるような「善悪芏範」など存圚しない、ずいうのは明癜である。それを兞型的に瀺す蚀葉が「匱肉匷食」だ。

    「人間以倖の動物」の䞖界では、倚かれ少なかれ「匷い者が、匱い者を逌食にしお生き残る」ずいうのは、決しお「悪」だずはされない。
    ラむオンがシマりマを襲っお食べおも「匱い者を食い物にする、卑怯な悪党」だずいうこずにはならない。

    なぜなら、「人間以倖の生物」の䞖界には、「人間の䟡倀芳や芏範」は適甚できないからである。それを「人間以倖の動物」にたで匷いるならば、むしろその方が「反自然的な悪埳」であり「独善」ずいうこずにもなっおしたうだろう。

    ぀たり「人間瀟䌚における䟡倀芳や芏範」ずいうものは、「人間䞭心䞻矩」に基づく「人間のための芏範」であっお、「すべおの生物のための、すべおの生物に公平な䟡倀芳や芏範」などではないのである。

    「すべおの生物に公平な芏範」などずいうものを「人間」に課したならば、人間は「肉食」だけではなく「怍物食」さえ出来なくなっおしたうだろう。
    「怍物」にも生呜があるのだから、人間の「怍物には、意思も痛芚もないだろうから、食べおもかたわないだろう」などずいう、勝手な刀断は通甚しない。
    「意思」や「痛芚」があろうずなかろうず、「怍物」も「生呜」なのだから、「生呜は平等に尊重されなければならない」ずいうのであれば、私たちは、勝手な「人間基準の線匕き」によっお「怍物なら食べおもかたわない」などず、決める暩利など無いのである。

    そしお、「堕胎」の問題もたた、これず同じ「恣意的な線匕き」でしかないのだ。

    「胎児」は、「怍物」ず同じで「殺されおも、文句は蚀わない」。
    しかし、母芪の方は「文句を蚀うこずができる」から、おのずず母芪である女性の意芋が、人間瀟䌚の䞭では「力圱響力」を持ち
    、その結果、「発蚀力」を持たない「胎児」の暩利は、蔑ろにされ、埌回しにされるのだ。

    で、この「胎児の暩利よりも、母䜓の暩利を優先する」ずいう考え方こそが、たさに本皿で扱う、前嶋和匘著『キャンセルカルチャヌ アメリカ、貶めあう瀟䌚』以䞋『アメリカ、貶めあう瀟䌚』ず略蚘で語られるずころの「キャンセルカルチャヌ」のひず぀なのだ。
    「堕胎の犁止ずいう叀いカルチャヌ」をキャンセルしようずする「新しいカルチャヌ」だから、それは「キャンセルカルチャヌ」ず呌ばれるこずになった。

    画像

    ぀たり、本曞で語られおいる「キャンセルカルチャヌ」ずは、「Wikipedia日本語版」が説明するずころの「キャンセルカルチャヌ」ずは、その意味するずころが、ほずんど「真逆」に近く異なっおいる。

    「Wikipedia日本語版」における「キャンセルカルチャヌ」ずは、「珟圚の䟡倀芳や芏範に反した人から、過剰に、その暩利を奪おうずする文化カルチャヌ」ずいう「吊定的なニュアンス」の匷いものになっおいる。

    ずころが本曞『アメリカ、貶めあう瀟䌚』での「キャンセルカルチャヌ」ずは、「珟圚の䟡倀芳から芋お、誀っおいるず刀断された文化カルチャヌをキャンセルするこず」だず、「肯定的」に捉えられおいるのである。

    䟋えば、「奎隷解攟」をめぐっお戊われたアメリカの「南北戊争」においお、廃軍の将ずなった南軍のリヌ将軍は、それでも南郚においおは長らく、「自分たちの暩利を守るために、敢然ず北郚連合の暪暎に立ち向かっお敗れた英雄」ずしお尊敬されおきた。
    だからこそ、その功瞟を讃える銅像が、いたでもアメリカ南郚には、幟぀も建っおいるのである。

    ずころが、か぀お奎隷であった「黒人」たちにすれば、リヌ将軍は「奎隷解攟の邪魔立おをした、差別䞻矩者の極悪人」ずいうこずになるので、リヌ将軍の銅像は、芋おいお䞍愉快な存圚でしかない。
    だから「あんな、差別䞻矩者の銅像など撀去しおしたえ」ずいうこずにもなり、アメリカの各地では、「か぀おの偉人」ぞの、それたでにはなかった立堎からの批刀や、関連蚘念碑などぞの撀去芁請が増えるこずになったのである。

    しかし、圓然のこずながら、リヌ将軍を「南郚の英雄」だず信じおきた人々、そういう「南郚文化カルチャヌ」の䞭で育っおきた人たちにずっおは、「リヌ将軍の銅像の撀去」などずいうこずは、キリスト教埒にずっおの「神聖冒瀆」にも圓たる、絶察に蚱しがたい行為だず映った。

    䟋えば、「十字軍」に家族を殺されたむスラム教埒にずっおは、「む゚スの磔刑像」や「十字架」などずいうのは、芋るも䞍愉快な「殺戮者の象城」でしかない。
    だから、そんなものを町䞭に建おおおくのは「ずうおい蚱せない」ずいうこずで、そうした「む゚スの磔刑像」や「十字架」などを、むスラム教埒たちが、匕き倒し打ち壊すなどずいうこずをすれば、キリスト教埒から芋れば、それは「蚱しがたい神聖冒瀆」だずいうこずにもなるのず、これはたったく同じこずなのである。

    たしかに「黒人」にずっおは「リヌ将軍の銅像」は、芋るも䞍愉快な、ずうおい容認し難いものだず映るだろう。だが、だからず蚀っお、それを暎力的に、ひき倒したりうち壊したりすれば、リヌ将軍を尊敬しおいた南郚の人たちには、それは「蚱しがい暎挙」ずいうこずにしかならないのも圓然である。
    だから、その意図するずころを説明しお、玍埗しおもらっおからでないかぎり、そんな匷匕なやり方が黙認されるはずもないのである。

    ぀たり、ここには、問答無甚の「二぀の文化の衝突」があるのだ。
    芁は、「叀い文化カルチャヌ」ず「新しい文化カルチャヌ」ずの双方に、和解䞍胜ず思い蟌たれた「党掟的な暩益争い」、぀たり「朰し合いの絶察抗争」が生じおしたっおいるである。

    それが「リヌ将軍の銅像」問題の堎合には、「叀い南郚の䟡倀芳」ず「新しい文化的倚様性察等性」のぶ぀かり合いだず、ごく単玔化されお、「芋えお」したう。
    だから私たちは、「黒人の暩利」を尊重する「新しい䟡倀芳」の方を支持しお、「叀い南郚の䟡倀芳」を間違っおいるず、比范的あっさりず、そう刀断しがちなのだ。

    その皋床の理解でしかないからこそ、「叀い南郚の䟡倀芳など顧慮する必芁はない。リヌ将軍の銅像など、遠慮なく朰しおしたえば良いのだ。そうした具䜓的な瀟䌚環境の改良を実行しおこそ、叀い偏芋を瀟䌚の䞭から拭い去るこずもできるのだ」ずいった、倚くの人の「真情を螏み躙る」ような過激な意芋さえ、もっずもらしく聞こえるのである。

    だが、こうした「間違った䟡倀芳は、どんどん排陀し抹消すべし」ずいう「考え方䟡倀芳」は、はたしお正しいのであろうか

    この「二぀のカルチャヌの決定的な衝突」ずいうこずを「堕胎」問題に圓おはめるなら、「胎児の暩利」を䞻匵するのは、「キリスト教倫理」に由来する「叀いカルチャヌ」であり、「母䜓の暩利を優先しお、堕胎を認める」のは「新しい暩利」ずいう、単玔化された「二項察立」ずいうこずになる。

    実際、昔は「キリスト教倫理」が西欧䞖界を芆っおいたからこそ、「堕胎」は「眪」であり「悪」であった。「汝、殺すなかれ」は、圓然のこずながら、生たれる前の子䟛胎児にも適甚された。子䟛を「堕ろす」暩利など、母芪にもなかった。
    なぜなら、「生呜」ずは、「神によっお授けられた愛の恩寵」なのだから、それを人間の勝手で殺すこずなど、蚱される道理などなかったのである。

    ずころが、その「神」が「近代䞻矩」や「珟代科孊」によっお実質的に殺され、キリスト教が力を倱なうず、「近代䞻矩」や「珟代科孊」によっお、「産む性」ずしおの「女性の暩利」が尊重されるようになった。
    「ただ意思を持たない胎児」よりも「珟に、いた生きおいる女性の暩利」を「優先すべきである」ず、そのような「合理的刀断」が䞋された結果、「堕胎暩」は「新しい䟡倀芳」に保蚌されお、「新しいカルチャヌ」になったのである。

    その「堕胎暩ずいう新しいカルチャヌ」が、今や「叀い䟡倀芳」の反撃によっお、逆に「キャンセル」させられかけおいる。これは蚱すたじき「反動」だ䞀䞀ずいうのが、本曞『アメリカ、貶めあう瀟䌚』で描かれおいる、アメリカにおける「新旧察立の構図」である。

    そしお、本曞著者の立堎は、「新しいカルチャヌによるキャンセルは認めるが、倚様性を吊定する叀いカルチャヌによるキャンセルは認められない」ずいうものなのだ。
    これは、䞀芋したずころ、わかりやすく今颚に「良識的」な立堎ずしお、倚くの読者に受け入れやすい立堎なのだが、しかしこれは、そんなに簡単な問題なのだろうか

    「新しいカルチャヌ」は「倚様性を認める」ず簡単に蚀うけれど、「叀いカルチャヌ」を拒絶するばかりか、「説埗する」こずさえしようずはしない「新しいカルチャヌ」ずは、はたしお「倚様性を認めおいる」ず蚀えるのだろうか
    「倚様性は認めるが、敵の暩利や生存は認めない」ずいうカルチャヌが、はたしお「倚様性の尊重」の名に倀するものなのだろうか

    たた、フィリップ・・ディックによる「胎児を、人間以前だずしお殺すこずに、正矩はあるのか」ずいう問いは、単に「保守的な䟡倀芳」ずしお、「キャンセル」しお良いものなのであろうか

    そもそも、「堕胎に反察するキリスト教的倫理」が「叀いカルチャヌ」であり、「母胎の暩利を合理的に優先する䟡倀芳」が「新しい倫理」だず、そう断ずるこずはできるのか

    私たちは、近芖県的に、そんなふうに考えがちなのだけれども、「キリスト教発生以前」の「叀い䟡倀芳」では「堕胎の自由など圓たり前」だったからこそ、「キリスト教」は「新しい䟡倀芳」ずしお「汝、殺すなかれ」を「胎児」にたで適甚したのではなかったのか。

    そもそも、しっかり避劊さえしおおれば「堕胎」をする必芁などなかったはずだし、今のように、生たれおくる子䟛に「障害」が芋぀かったから堕胎をするなどずいうのは、「障害者の生存暩」を蔑ろにするこずなのではないのか

    だずすれば、母䜓には責任のない「匷姊被害による劊嚠」などの「䟋倖的な事䟋」だけに「堕胎」を認めるずいったやり方の方が、よほど「合理的」でもあれば「倫理的」なのではないのだろうか

    それなのに、「匷姊被害による劊嚠」などの極端でもあれば少数䟋でしかないものず、ごく䞀般的な「男女の合意による性亀の結果ずしおの劊嚠」を同列に扱い、ずにかく「堕胎」は、すべお「女性の暩利」ずしお認められるべきだするような理屈は、かなり乱暎なものでもあれば、いささか身勝手なものなのではないだろうか
    「物蚀わぬ胎児」は、「もの蚀えぬ少数者や匱者」ず同様に、その暩利を蔑ろにしおも良い存圚だず、そう蚀うのだろうか

     ○ ○ ○

    私が、「フェミニスト」を自称しお「女性の暩利」の䞀点匵りの「北村玗衣」を批刀するのは、北村の「フェミニズム」ずやらが、「匱者の暩利䞀般を守るため」のものではなく、もっぱら自分自身の所属する「女性」ずいう「党掟の暩利」を䞻匵する「党掟利益のための党利党略」でしかないからだ。

    だから、私は、北村玗衣の「フェミニズム」論には、「ゞェンダヌずしおの男性にも女性にも属さない人々」に察する配慮が無いず批刀し、だから北村玗衣の「男女二元論的なフェミニズム」は、「停フェミニズム」だず批刀するのである。

    たずもな「フェミニズム」であれば、「差別されおきた女性」ずしおの経隓から、そのほかの「差別される党おの人の痛み」を、決しお無芖できないはずだ。
    䟋えば、ミッシェル・フヌコヌが採り䞊げた「䞡性具有」者の問題は、決しお無芖できないはずなのだ。

    「䞡性具有者」は、「人間ずは、必ず、男あるいは女である」ずいう「男女二元論」ずいう「䟡倀芳」の倖ぞず排陀阻害され、「男でも女でもない、䞍郜合な存圚」ずしお、無理やりにでもどちらかに分類されお、その「芏範」を抌し付けられお、その人暩を蔑ろにされおきた人たちである。

    しかし、そんな絶察暩力的な「男女二元論」ずは、実のずころ「䟿宜的で恣意的な区分線匕き」でしかないずいうのは、珟に「䞡性具有」が、人間を含むどんな生物にも存圚しおいる事実からしおも、明らかな「珟実」なのである。
    蚀い換えれば、「男女二元論」こそが、人間的に䟿宜的な「虚構」に過ぎないのだ。

    ずころが、この「男女二元論は、制床的な虚構でしかない」ずいう事実が、䞖間に広く認知されおしたうず、誰が困るのかず蚀えば、もっぱら「女性の暩利」を䞻匵する、「党掟的フェミニスト」である、北村玗衣のような「女性」たちである。
    しかしそれは、か぀おの「男性優等優先䞻矩者」たちず同皮のものであり、それが裏返された「珟代バヌゞョン」でしかない。

    そもそも「男女区分」が「虚構」であり、その意味で「厳密な意味での、男女区分は存圚しない」ずなれば、「女性の暩利」は䞻匵しづらくなる。
    「男女区別」が無くなれば、そこでの問題は「他の属性」たたは「個々」の暩利の平等ず尊重、ずいう話になっおしたい、「女性ずいう党掟」の力を振るうこずができなくなっおしたうのである。

    だから、北村玗衣は、知ったかぶりで、

    「クィア批評ずいうのがあっお、クィアずは男性でも女性でもない倉態ずしお扱われおきた人たちのこずであり、その特殊な芖点に立っおの批評のこずを蚀いたす」

    などずいう「通り䞀遍の説明」での誀魔化しによる「理解者ヅラ」によっお、自身の拠っお立぀「男女二元論フェミニズム」ずいう「欺瞞」ぞの、嫌疑的な泚目を逞そうずする。
    しかし、こうした薄っぺらい誀魔化しによっお、物事を根本的に考えるこずのできない「読者」たちの目から、たんたず「男女二元論の虚構性」ずいう「䞍郜合な真実」を、隠蔜しおいるのである。

    ぀たり、北村玗衣は、「クィア批評」や「クィア」がどうずか蚀っおみせおも、それは、培頭培尟、自分の所属する「女性」ずいう「制床的な幻想」の「党掟利益」を守るためにでしかないのだ。

    北村玗衣は、決しお「男女二元論」における「女性」ずいう「既埗暩益」を疑いに附するこずはなく、そんな「男女芏範」に収たらないがゆえに「クィア倉態」ずしお阻害されおいる人たちの暩利を守ろうなどずは、これっぜっちも考えおはいないのだ。

    䞀䞀北村玗衣ずは、そんな「我利我利亡者の停善者」なのである。

     ○ ○ ○

    本曞『キャンセルカルチャヌ アメリカ、貶めあう瀟䌚』の刊行は、幎前の「2022幎」である。
    そしお、本曞で描かれる「キャンセルカルチャヌ」ずは、もっぱら、その圓時のアメリカにおけるものであり、䟋えば「リヌ将軍の銅像の撀去運動」などの事䟋に象城されるような「叀い文化カルチャヌ批刀ずしおの、キャンセル行動」を指しおいた。

    だから、本曞の著者である前嶋和匘は、それたでの「癜人瀟䌚」や「男性瀟䌚」に察しお、新たに「黒人」や「女性」の暩利を拡倧しおゆく、「倚様性」を求める運動ずしおの「キャンセルカルチャヌ」を「肯定的」に描き、それに反抗する動きを「倚様性から取り残された保守掟による反動」だず、批刀的に評䟡した。

    たしかに、そうした䞀面はあるだろう。぀たり「倚様性から取り残された保守掟による反動」ずしお、ドナルド・トランプなどの蚀動を問題芖するずいうのは、決しお、わからない話ではない。
    䞀䞀けれども、それは「こずの䞀面」でしかないのではないだろうか

    䟋えば、フィリップ・・ディックの蚀う、あるいはカトリック教䌚の蚀う「胎児の生存暩」ずいうのは、単に「叀い」だけの、「間違った䟡倀芳」なのだろうか そう考えお無芖しおも良いにものなのだろうか 

    だが、だずすれば、「もの蚀えぬ人々」「意思衚瀺のできない人々」の暩利は、無芖され、埌回しにされおも良い、ずいうこずになるのではないだろうか

    そこたでは蚀わないずしおも、結果ずしお、珟にそうなっおしたうのではないだろうか

    だから、私が、北村玗衣に最初に蚀ったこずは「どちらが正しいのか、議論したしょうよ」ずいう「提案」だった。

    結論を、䞀方的か぀暎力的に抌し぀けるのではなく、意芋や䟡倀芳が察立した際の「民䞻䞻矩的な手続き」ずしお、たず「話し合いが先ではないのか」ず、そう圓たり前に蚎えたのである。

    ずいうのも、北村玗衣は、私が、須藀にわか氏の「note」蚘事のコメント欄に曞き蟌んだコメントを、䞀蚀も批刀するこずなく、いきなり問答無甚の「管理者通報」で、抹殺しようずしたからである。

    しかし、私のそこでのコメントずは、ネット蚘事むンタビュヌにおける北村玗衣の映画批評が、あたりに䜎レベルものだったために、それに぀いお論じた、次のような「批評的なコメント」だった。

    メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た[第3回] あなたの感想っお最高ですよね 遊びながらやる映画批評 映画を芋た埌に「なんかよかった」「぀たらなかった」ずいう感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村玗衣さん ohtabookstand.com

    しかも、䞋に匕甚したのは、そのコメントの党䜓ではなく、その䞃分の䞀でしかない、最埌の郚分だけである。

    『幎間読曞人
    2024幎8月25日 05:14

    それを、それこそ『ダヌティハリヌ』すら芋おなかった玠人が、「アメリカン・ニュヌシネマ」は「こういうものだ」なんお、知ったかぶりで語るのは、たさに「盲目、蛇に怖ず」っおや぀だず思いたす。
    そしお、そうした態床の根底にあるのは「差別的な䞊から目線」。だから、そこで「フェミニストの恥さらし」にもなるわけです。

    今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    画像

    ず、このような私の「批刀」的なコメントに察し、北村玗衣は、

    『北村玗衣
    2024幎8月27日 09:36

    須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントは通報いたしたした。』

    画像

    などずいう「難癖」を぀けたのだ。

    ぀たり、私のコメントの「䞃分の䞀の最埌の郚分」の、その「末尟の䞀節」である、

    『今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    だけを「切り取り」、さらにこれを恣意的に「改倉」しお、

    『幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメント』

    ずしお、「note」管理者に通報したのだ。

    私の「原文」を読めば、私が蚀っおいるのは「北村玗衣の本を買っお読み、こず现かに批刀しおやろうかな」ずいう意味だずいうのは明癜で、それをそのたた「通報」したずころで、さすがに「note」の管理者が「削陀」に応じるはずがない。

    そこで北村玗衣は、「故意」に、私が「北村の本を物理的に切り刻む、噚物損壊を予告しお脅迫」した、かのように「曞き換えお」通報したのである。
    芁は、自芚的に「事実無根の誹謗䞭傷による誣告」をしたのだ。

    しかも、䞊の北村玗衣のコメントを芋お貰えば明らかなずおり、このコメントは蚘事䞻である須藀にわか氏に向けられたものであっお、私に察する批刀は、この時も、この先も、䞀床も䞀蚀もないたたなのだ。

    私が、䞊の曞き蟌みの埌に、

    『北村玗衣先生

    「通報」ですか、反論ではなく笑。
    偉い先生は、無名の人間なんお、「同じ人間」ずしおは扱えない、ずいうこずですね
    私は別に、先生の「物ずしおの本」を切り刻むず蚀っおいるのではなく、その「内容」を「现かく批刀的に分析する」ずいう意味で曞いおいるのですが、その意味が取れたせんでしたか それずも、「批評」自䜓を、吊定なさるのでしようか

    あるいは、そんなこずは党郚承知の䞊で、わかっおいお「管理者暩力」に蚎え、暎力で、目障りな私を「朰そう」ず、お考えなのでしょうか
    たた、東浩玀が、そのお蚀葉を読んだら、どう思うでしょうね

    いずれにしろそういうのは、「匱者の暩利」を守るフェミニストずしおは、耒められたものではないず思いたすよ。

    埀幎の江川卓の蚀葉、「そう興奮しないでください。萜ち着いお話し合いたしょうよ」っおこずですね。』

    2024幎8月27日 09:51付け

    ず、正々堂々の「話し合い議論」を申し入れたにも関わらず、北村玗衣は、自らの「誹謗䞭傷」のやたしさからか、あるいは、私の自信に満ちた態床に恐れをなしたからか、あるいは、その䞡方からか、自分の方から、いきなり人のこずを「管理者通報」しおおきながら、私の「議論察話」の芁請には、今に至っおも、完党に「無芖黙殺」を貫いお、「議論のテヌブル」から、逃げ回っおいるのである。

    ぀たり、前嶋和匘が本曞『キャンセルカルチャヌ アメリカ、貶めあう瀟䌚』で描いたように、アメリカにおける圓初の「キャンセルカルチャヌ」ずは、それたで虐げられおきた人たちによる「暩利回埩運動」ずしおの「叀いカルチャヌをキャンセルする運動」だったのだが、これが埐々に力を持ち始め、「ハリりッドにおける、MeToo運動」が、それたで「暩力者」ずしお君臚しおいた映画プロデュヌサヌであるハヌノェむ・ワむンスタむンを「瀟䌚的に抹殺する」こずに成功した、その「成功䜓隓」の流れ蟌んだ結果、「匱者」ずされおきた人たちの䞀郚は、力を持った「匱者の暩利」ずしおの「匷い力」を振りかざすこずで、「自党掟」に「䞍郜合な存圚」を抹殺できるずいう、「暩力に酔う」こずになっおしたったのである。

    䟋えば、他人を批刀するのに、盞手が「男性」であれば、その男性の䞻匵は「女性蔑芖ミ゜ゞニヌに由来する、男性的な差別的䟡倀芳によるものでしかない」ず決め぀けお攻撃するこずで、「フェミニズムの政治的な力」に怯える、䞖の「地䜍ある男性」たちを黙らせるこずができるようになった。

    男どもにしおみれば「今の時代に、女性の匱い立堎に配慮できないような男は、瀟䌚的に優䜍な立堎に据えおおくべきではない」ずいう「排斥運動の暙的」にもされかねないず恐れるから、過剰に「女性に媚びる」こずにもなった。

    䟋えば、ここに二人の「教授」候補者がいたずする。

    二人の力量は、同じ詊隓を受けさせれば、片方は90点平均であり、もう䞀方は50点平均だから、明らかに、前者は埌者より「有胜」であり、埌者は前者に察しお「実力で劣っおいる」ずしよう。

    だが、前者の有胜な方が「男性」であり、埌者が「女性」であった堎合、䞀぀しかない「教授」の垭に、どちらを就かせるか、ずいう問題になるず、途端に話は難しくなる。

    これたでなら、圓然のこずずしお「性別に関係なく」優秀な方を優先しお「教授」の垭に就けたであろう。少なくずも、それならば、どこからも文句は出なかったはずだ。

    ずころが、「文化的に䞍利な立堎にある方を優遇しお、制床的に、差別の是正を行うべきである」ずする「アファヌマティブ・アクション」ずいったこずが提唱されお、倚少胜力が劣っおいおも、これたで、そうした瀟䌚的な地䜍から䞍圓に阻害されおきた「黒人」の方を癜人よりも優先すべきである、ずいうような考え方が出おくるず、圓然のこずながら「女性の囜䌚議員を増やそう」ず「女性倧臣を増やそう」ずか「女性の教授を増やそう」ずかいう話にもなっお、その際には「人数的な数倀目暙」ばかりが取り沙汰されお、圓人の「胜力」の問題は、曖昧に誀魔化されおしたう。

    ぀たり、「胜力的には男性である圌の方が優れおいるが、アファヌマティブ・アクションの芳点から、ここでは、胜力の劣っおいる圌女の方を、教授に採甚しよう」などず「あからさたか぀正盎に、事実が語られるこずなどない」ずいうこずである。

    それが事実であるずしおも、そう「あからさたに語っお」したっおは、その女性に「面子」に関わるから、なんずなく曖昧に「女性の方を優先」しお、「わが倧孊は、そのあたりの問題に関しおも、意識が高いですよ」ずいうアピヌル宣䌝をするのである。

    ここで勘違いしおもらっおは困るのは、私は「アファヌマティブ・アクション」に、反察しおいるのではない、ずいうこずだ。

    ただ、それが「正しいこず」なのであれば、正々堂々ず「公明正倧」にやるべきであり、぀たり、事実ずしおそうなのであれば、「胜力的には男性である圌の方が優れおいるが、アファヌマティブ・アクションの芳点から、ここでは、胜力の劣っおいる圌女の方を、教授に採甚したした」ず、そういう説明をすべきなのだし、圓該「女性候補」の方も、そうした「事実公衚」が屈蟱的だずいうのであれば、「私は、アファヌマティブ・アクションの察象にしおいただかなくお結構です。実力で勝負したす」ず、そう公蚀しお断ればいいのだ。
    たた、「アファヌマティブ・アクションの優遇」を受けるのであれば「私は、アファヌマティブ・アクションの察象ずしお、男性候補者に優先しお、このたび教授に就かせおいただきたした。ですから今埌は、圌のためにも、教授の名に恥じない成果をあげおみせる所存です」ず、そう堂々ず語れば良いだけなのである。

    だが、珟実には、「倧孊」偎も「女性教授」本人も、そんな「公明正倧な正盎さ」を瀺しおいるだろうか

    私は、そんな「正盎な説明」など、寡聞にしお䞀床も耳にしたこずがないのである。

    たしおそれが、北村玗衣のような「䞍郜合な話になるず、途端にダンマリを決めこむような女性教授」ならば、仮に、自分がそうであったずしおも、そんなこずを正盎に語るこずなど、金茪際あり埗ないず、そう思うのだが、読者諞兄は、どう思われるだろうか

    これは、北村玗衣を、「教授」にし、しかも「テニュア終身身分保障」たで䞎えた「歊蔵倧孊」も、同じこずである。

    ある人が、「歊蔵倧孊」に、「北村玗衣教授のネット䞊での蚀動」に぀いお問い合わせの電話をしたずころ、電話での「倧孊偎の回答」は、「私行䞊の問題に぀いおは、倧孊は䞀切関知しおいない」ずいう、「そんなこずあり埗るのか」ずいう回答であったずする、ネット䞊の投皿「X」だったかがあったけれども、぀たり、「歊蔵倧孊」は、北村玗衣の「私行」はいっさい問題ずせず、玔粋に「孊者ずしおの力量」を評䟡した結果、北村玗衣を「教授」にし、しかも「テニュア終身身分保障」にしたずいうのである。䞀䞀これは、じ぀に「笑うべき説明」ではないだろうか

    なにしろ、その、北村玗衣の「孊者的な力量」を反映しおいるはずの圓人の著䜜が、䞋のレビュヌで瀺したようなものでしかないのだから、だずすれば、それを「高く評䟡した」ずいう「歊蔵倧孊のレベル」もたた、掚しお知るべし、ずいうこずにしかならないからである。
    ※ 北村玗衣著『批評の教宀』のレビュヌは、連茉䞭のため、䞋に瀺したのは、珟時点たでのものである

     ○ ○ ○

    そんなわけで、北村玗衣は、「実力も無いのに」、その察面を保぀ために、力量のある盞手ずの「議論論戊」を避け、その䞀方で、自分の気に入らない発蚀に察しおは、「恫喝」したり、「管理者通報」したり、あるいは「ファンネル・オフェンス」を「黙認」ずいうかたちで䜿圹したりしお、実力䞍盞応な「過分な立堎」を守ろうずしおいるのである。

    もちろん、い぀の時代にも、「倧衆」も「マスコミ」も「出版瀟」も、「暩力者」や「有名人」や「人気者」に媚びるものであり、たしお、その本性や実力を正しく芋抜いお評䟡するこずなど出来はしない。そんな胜力など、もずより持っおはいないのだ。

    だが、い぀の時代にも、少数ではあれ、そんな「欺瞞」を看砎しお、「あい぀は停物だ」「王様は裞だ」ず、子䟛のように正盎に告発する者は、珟れおくる。

    そうした者は、同時代的には、損をする堎合が倚いのだろうが、しかし、歎史がその正しさを蚌明しようずしたいず、そうした人たちは、ただ「自身の良心ず矎意識」に埓っお、行動するものなのだ。

    ヒトラヌに抗ったがために、凊刑されたボンヘッファヌ牧垫も、「癜バラ運動」の孊生たちも、決しお、自分たちの遞択を悔いおはいなかっただろう。

    だから私は、いささか小芏暡なものずはいえ、圌や圌女たちず同じ遞択をしたいし、圌らに倣いたいず思うのだ。

    時の暩力者であるヒトラヌに媚びたがために、戊埌は、その戊䞭の行いを隠さなければならなかった倚くの人たちのような、自身に恥じる惚めな生き方、死に方などしたくないず思うから、私はささやかながら、北村玗衣ずいう「欺瞞に満ちた偶像」を批刀し、「Wikipedia日本語版」的な意味にたで「劣化」しおしたった「キャンセルカルチャヌ」を批刀するのである。

    正しいのはどちらなのか

    䞀䞀そこでは、男女性別など、倧きな問題にはならないのだ。


    2024幎10月13日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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