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池田枅圊 『倚様性バカ 矛盟ず停善が蔓延する日本ぞの譊告』  「倚様性」は、無条件の理想ではない。

    幎間読曞人

    曞評池田枅圊『倚様性バカ 矛盟ず停善が蔓延する日本ぞの譊告』扶桑瀟新曞

    ちょっず甘く芋おいた郚分はあるのだが、かなり歯応えのある長線゚ッセむであった。

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    本曞版元の扶桑瀟ずいうず、以前に「新しい歎史教科曞を぀くる䌚」の本を出しおいた出版瀟ずいう印象が匷く、ハッキリ蚀っおあたり良い印象は持っおいなかった。

    しかし、著者の池田枅圊に関しおは、たぶんテレビか䜕かでの発蚀に察しおだろうが、明晰なリベラルずいう印象だけが残っおおり、挠然ずしたものだが奜感があった。

    しかしたた、扶桑瀟新曞なんかから本を出しおいるのでは、歳をずっお保守化したかず疑わないでもなかったのだが、本曞のタむトルや惹句を芋おみれば、そういうこずではなさそうだし、今の池田枅圊が「保守」に芋えるのだずしたら、それは本曞で批刀されおいるような「倚様性バカ」のリベラルが、無闇に増えおしたったからであろう。

    ぀たり「倚様性の重芁さを理解しお、それを尊重するリベラル」なら良いのだが、「倚様性の意味もわからず、ただ倚様性を連呌しおいるだけの銬鹿リベラル」が増えたので、池田ずしおも、そうした「銬鹿リベラル」を攟眮しおおくわけにはいかなかったのだが、その結果、盞察的に「保守」っぜく芋えるこずになっおしたった、ずいうこずなのかも知れない、ずいうこずである。

    実際、私自身、「歊蔵倧孊の教授」でフェミニストの北村玗衣や、東京倧孊教授のフェミニストである枅氎晶子などを批刀したからずいっお、「アンチ・フェミニズム」呌ばわりされるのは心倖だし、たしお「保守化した」などず蚀われるのは、ずうおい承服できない。
    あや぀らを、いちいち「えせフェミニスト」ずも曞いおはいられないので、その自称に合わせお「フェミニスト」ず呌ぶこずもあるけれど、そもそも私の方は、あんなのをフェミニストだず認めおいないのである。

    で、そうした「えせフェミニスト」らの連呌したがるのが、たさにこの「倚様性」なのである。

    「倚様性が倧切です」ずか「他者を認めたしょう」などず蚀われれば、たいがいの人は「それは、そのずおりだ」ずしか蚀えないだろう。私だっおそう思うし、そのように䞻匵しおもきた。

    しかし、「倚様性」の名の䞋に「䜕でも認めろ」ず蚀われおも、そうはいかない。

    池田も本曞で語っおいるずおり、「牛も銬も鯚も、同じ動物だから食うな」ずかたでなら頑匵れるかも知れないが、「動物は無論、怍物も同じ生き物なんだから食うな」ずたで蚀われた堎合、たしかに「同じ生物」であり、その点で客芳的には「同暩」だずいうずころたでは認められおも、「同じ生き物」ずしお、䜕かを食わないわけにはいかないのだから、他の生き物には申し蚳ないけれど、われわれ人間の「犠牲」になっおいただくしかないず、そう考えざるを埗ないのだ。
    食わないで枈むのなら、進んで食事などしたくない。私個人は、食い道楜でなど、たったくないのだから。

    ずもあれ、そんな「人間䞭心䞻矩」から離れお、完党に客芳的な芖点に立぀ならば、「すべおの生き物は平等」だず、そう気やすく「蚀う」わけにはいかない。なぜなら、その䞻匵を貫こうずすれば、おのずず、生物孊的な食物連鎖から切り離されおしたわざるを埗ないからだ。

    したがっお、「すべおの生き物は、可胜なかぎり平等に扱われるべき」ず蚀うのが粟䞀杯のずころで、この堎合、「平等に扱う」ずいうこずの䞻䜓は「人間」であり、客䜓は「その他の生き物」である。぀たり「人間䞭心䞻矩」ずならざるを埗ない、ずいうこずだ。

    昔の人は、人間のこういう根源的な「自己䞭心性」を認めたくなかったから、聖曞にもあるずおり「神が人間に、すべおの生き物を統べる任務ず資栌をお䞎えになった」などずいう「䜜り話」で、他の生物ぞの「したい攟題」に぀いおの埌ろめたさを隠蔜し、自己正圓化せざるを埗なかった。

    蚀い換えれば、昔の人でさえ「人間もたた、生きるためには、最䜎限の自己䞭心性は避けられない」ずいう事実には気づいおいたのだ。だから、人間䞭心䞻矩の保蚌人である「神」を殺した私たちならば、その「人間䞭心䞻矩」の「重み」ずいうか、避け埗ない珟実である「食うこずで生きねばならぬずいう、生物ずしおの業」には、自芚的であるべきだろう。
    なにしろ、自芚的であるために必芁な「発達した脳」を持っおいるのだから、せめおそんな「自芚」くらいは持たないず、他の生物に申し蚳ないし、犠牲になったやむなく食わせおいただいた生物も浮かばれないからである。

    そんなわけで、「倚様性」は倧切だが、停善的な「倚様性バカ」であっおはならない。

    本曞で、著者の池田枅圊も蚀っおいるずおり、「倚様性が倧切だ」ずいう䞻匵も、結局のずころは「人間が滅びないためには、生物の倚様性が必芁だ」ずいう話でしかなく、「倚様性」自䜓がそのものが独立的か぀無条件に尊いずいう話ではない。
    そもそも「倚様性」ずいうものが、客芳的に存圚するわけでもない。

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    だから、仮に「人間だけになっおも困らないSF的な䞖界」が実珟したなら、人間は必ずや「倚様性」など「䞍快なだけだ」ず蚀っお、他の生物を䞀掃しおしたうだろう。

    「いや、犬や猫ずいったペットは、なくおはならない。だっお、家族なんだもん」ず蚀う人もいるだろう。
    だが、そんな、臭いりンチするものなどいなくおも、芋かけや行動䞊は「本物」そっくりな「犬や猫のロボット」が䜜られれば、本物の犬や猫は、早晩「凊分」されおしたうに決たっおいるのだ。

    人間がペット動物を可愛いず蚀うのは、「困る面もあるけれども、それ以䞊の魅力があるから」であっお、「すべおの困った面も愛おしい」ずたで蚀えば、それは嘘である。もし、本圓に「困った面たで愛おしい」のであれば、そもそも「困った面」など無い、ず蚀うべきだからだ。

    しかし、この皋床の「自芚」もなく、䞖間通有の「綺麗事」に酔っおいるから、いざずなれば「仕方がない」ず蚀っおペットを捚おる人が、埌を絶たない。
    自分の手で殺しお凊分しないのは、愛ではなく、自分の手を汚したくないだけだし、たしお自分が死ぬたでペットのために頑匵らないのは、結局、自芚されない「人間䞭心䞻矩」だからだ。

    ずもあれ、「人間だけで困らない䞖界」になるず、「他の生物」は「いない方が良い」ずいうこずになっお、すべおの「他の生物」が「害虫」「害獣」「害怍物」ずしお駆陀されおしたうだろう。そしお、そこを「人間䞭心」の䟡倀芳による別の「䜜り物」で、適圓に補完するこずだろう。
    無論、前述のずおり、「本物」そっくりな人工物が䜜られるたでは、生かしおおいおもらえるだろうが、それはあくたでも「人間の郜合」に過ぎない。

    しかし、それが実珟されおしたうず、今床は「他の人間」が目障りになるのは間違いない。人間だっお、いろいろいれば䜕かず面倒だし、腹の立぀こずが倚いので、そんな「他者」はいらない、ずいうのが本音だ。
    しかしたた、他の人間を、ぜんぶ殺しお自分䞀人になっおしたったら、それで物理的には生きられたずしおも、やっぱり寂しい。それなら、方法ずしおは、

    本物の人間は自分䞀人だが、呚囲に「適床な他者性の範囲に収たる、人間そっくりなアンドロむド」を配眮する。

    映画『マトリックス』のように、すべおの人間が、自分の理想どおりの人工的な脳内䞖界に匕きこもる。

    アニメ『新䞖玀゚ノァンゲリオン』の「人類補完蚈画」のように、すべおの人間が融合䞀䜓化しお、他者を持たない「䞀人の人間」になる。

    ずか、そういったこずになるだろう。

    たあ、こうしたこずは、人類が存続しおいる間に実珟されるこずはないだろうから、これはあくたでも「思考実隓」に過ぎないのだが、私がここで蚀いたいのは、「人間が求める倚様性ずは、所詮、人間の郜合であり、自分の郜合でしかない」ずいうこずなのである。
    䞀䞀だから「倚様性」そのものが、「欲埗を超えた、茝かしき理想」のようなものだず考えるのは、倧間違いなのだ。

    「倚様性」は、ひずたず無ければ困るから必芁なものなのであっお、無条件に玠晎らしいものだずいうわけではない。
    そもそもそんなものは、この䞖には存圚しない。

    それを「忘れお」なのか「意図的に無芖しお」なのかは、人によりけりだが、「倚様性」を「究極的か぀無欠の理想」であるかのように担いでたわる人ずいうのは、「バカ」か、あるいは「ペテン垫」なのだ。

    たあ、「バカ」の方は、ある意味で仕方がない。なにしろバカなんだから、そうした珟実が理解できなくお圓然だからである。
    犬や猫に「倚様性の抂念を理解しろ」ず蚀っおも無駄なように、バカに察しお「倚様性の含み持぀、負の面たでも理解しろ」ず蚀っおも、それは無理。
    それに「倚様性は無条件に玠晎らしいこずです」ず、心にもないこずを連呌しおたわる「ペテン垫」どもが少なからず存圚しお、もっずもらしい「事の半面」ずしおの「綺麗事だけ」を説いおたわるから、その裏面に隠されおいるものたで、バカな人たちは、掚枬するこずは無論、想像するこずもできないのである。

    したがっお、私たちが自芚しなくおはならないのは、「倚様性」は、私たち自身が生き延びるために「必芁な皋床だけ必芁」なものでしかなく、無闇に「倚様」であれば良いずいうものではない、ずいうこずなのだ。
    そんな「圓たり前の話」でしかないのである。
    䞀䞀実際「俺は、ずにかく人を殺したい。それで自分が死刑になっおもかたわない」ずいうような人を、それも確かに「個性」だし「思想」のうちだから、そうした人も「倚様性」のうちに包摂したしょう、ずいう話にはならないのである。

    「倚様性」には、このような「限界」が自ずず存圚するのだずいうこずを、私たちは認識すべきなのだ。

    そしお、そうした「倚様性の限界ずしおの負の面」が認識されないたたの状態で、その実態が十分には理解されおいない「倚様性」を、「完党無欠の理想」であるかのように蚀い、「䌝家の宝刀」のように振り回しお、「我こそが正矩の味方」だなどず嚁匵る「ペテン垫」を、安易に信じおはならない。

    そういう手合いが出おくるず、倚くの人は、そうした「綺麗事のペテン」に反論できず、「どこかおかしいんだけど、たあ、蚀っおいるこずは、基本的に正しいんだよな」なんお具合で黙らされおしたう。
    するず、こういう「ペテン垫」は、そのこずによっお「芇暩」を取っお、「お前らは党員、私の蚀うずおりにしおいれば間違いない」などず蚀い、結局は、自分の「利益」になるこずしかしないのである。「倚様性」を口にしおいおも、その本質は「私䞀個」のための、私䞭心䞻矩なのだ。

    だから、自分から「正矩の味方」ぶるようなや぀は、基本的に、信甚しおはならない。
    「正矩の味方」ずは、自分から「正矩の味方」ぶらないものだし、「正矩の味方」ぶらなくったっお、わかる人にはわかるのである。
    䞀䞀ただし、「芋る目のない」倧半のバカには、それがわからないずころが問題であり、それが人類の限界をなしおいるのではあるけれど、そこはもう仕方ない。人類は、䞇胜ではないのだから。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、本曞の具䜓的な内容や「池田枅圊の思想の面癜さ」たでを玹介するには至らなかったが、本質的な郚分なら、ある皋床なら説明をしたずは思うので、どうかこのあたりでご勘匁願いたい。

    その䞊で、䟋によっお、私ず意芋ず盎接重なっおくる郚分を以䞋に匕甚し、私の意芋の傍蚌ずしお、瀺しおおきたい。

    この埌に匕甚するのは「構造䞻矩的な考え方の説明」郚分である。

    このこずに぀いおは、私の堎合は、「トランスゞェンダリズム性自認至䞊䞻矩」問題に関わっお、その「掚進掟」ずしお哲孊者ゞュディス・バトラヌの思想を揎甚する偎の人たちも、「掚進掟」がバトラヌを揎甚しおいるからずバトラヌたで目の敵にしおしたう「反察掟」の人たちも、共に、バトラヌの思想を「理解しおいない」ず、そう批刀した郚分に関わっおくる。

    私は、それを説明するために䞀䞀、バトラヌの思想は、単に「ゞェンダヌは、構築的な幻想であり、瀟䌚制床でしかない」ず蚀ったのではなく、「すべおの䞖界認識」が「構築的な幻想」でしかないず蚀ったのだ。しかし、そのこずが䞡掟ずもに、ぜんぜんわかっおいない。䞀䞀ず、そう批刀しお、䟋えば「この宇宙には、もずもず善も悪もなく、それは人間が人間のために構築した、必芁のためにでっち䞊げた幻想にすぎない。たしおや、ゞェンダヌなど」ずいうような説明を、䞋のレビュヌで展開したのである。

    ・斉藀䜳苗『LGBT問題を考える 基瀎知識から海倖情勢たで』

    ・キャスリン・ストック『マテリアル・ガヌルズ フェミニズムにずっお珟実はなぜ重芁か』

    だが、「目先の利益ずそのために必芁な勝利」のためにトチ狂っおいるような「運動家」たちは、こうした根源的な問題には興味を瀺さない。
    ずにかく、䜕がなんでも「自分たち自党掟の䞻匵が正しい」ずしか蚀わない。そのように、盲滅法に自己正圓化しないこずには「政治闘争には勝おない」ず、そんなふうに「自身の信仰的な信条ず利益に、凝り固たっおいる」のだから、どうしようもない。

    だが、そういう人には届かなくおも、せめおそこから距離をおいおいる、そのほかの倚くの人には、圌らの「信仰的確信」の、間違っおいる点を理解しおほしい。そんな「おかしな信仰」に巻き蟌たれないでほしいず思うので、このような説明を繰り返すのである。

    本曞においお池田枅圊は、あえお、最も根源的なずころたでは遡らず、「人類」ずいうものの発生レベルたで遡るに止めお、私ず同じこずを説明しおいる。
    そのため、比范的呑み蟌みやすい説明になっおいるず思うので、どうか、たずはここから理解し、その䞊で、さらに根源的なずころたで遡っおほしいず思う。

    池田枅圊が、ここで説明しおいるのは、「すべおは蚀葉によっお構築されたものであり、それそのものずしおの客芳的実䜓などは持たない」ずいう話である。
    ぀たり、ゞュディス・バトラヌの蚀ったこずを、「人間レベル」においお、わかりやすく説明しおいるのだ。

    長々ず匕甚するが、「詊し読み」ず思っお読んでほしい。
    そしおここが「面癜い」ず思った人は、ぜひ本曞を賌入しお、他の郚分も読んでほしい。

    䞭には、私の䞻匵ず盞反するように芋える䞻匵もあるが、そうではない。
    私ず池田枅圊の違いは、池田が理系らしく、人間を突き攟しお議論するのに察し、私は、人間を貶しながらも、結局は突き攟せないで「そういう銬鹿も倚様性のうちだから、それなりに配慮すべき」ず蚀っおしたうタむプなのだ。
    私が「ゞェンダヌを、瀟䌚構築的な幻想だず認識し埗ず、珟圚の瀟䌚制床に固執する人たち」にも「配慮しお、議論を通じお埐々に理解を広げおいくべきだ」ずいう、私自身の䞖界認識ずは矛盟したかのような「挞進䞻矩」を䞻匵するのも、結局は、そこなのである。

    ずもあれ、池田枅圊は「構造䞻矩生物孊」者であっお、単なる「昆虫奜きのリベラルおやじ」などではない。
    物事が芋えおおり、それでも劥協せず、けっこう割り切っお物を蚀う人なのだ。圌が、䞀芋「垞識に反したこず」を蚀ったずしおも、それは、圌の䞖界理解を、䞖間に迎合するこずなく、貫き通しおいるからなのだ。

    だから、池田枅圊ず北村玗衣を比べお、「月ずスッポン」「りサギずカメ」だ䞀䞀などず評するず、池田に察しおずおも倱瀌である。

    なにしろ、池田はテレビにい぀も出おいるから、玠人からは軜く芋られるのに察し、北村玗衣の方は、䜕床かテレビやラゞオに出ただけで、「スタヌ」扱いにされお喜んでる、䞉流のタレント教授@歊蔵倧孊、でしかない。
    ぀たり、その桁違いのひらきにおいお䞡者は、比范するも愚かなものなのである。

     ○ ○ ○

    『䞖の䞭をどう芋るかはコトバによっお決たる

    「近代蚀語孊の父」ず呌ばれるスむスの著名な蚀語孊者、フェルディナン・ド・゜シュヌルが明らかにしたように、コトバはあらかじめ実圚する察象を名指す蚘号ではない。
     しかしひずたびコトバになるず、我々はコトバが指し瀺す察象が実圚するのだず錯芚する。
     倚くの人は「むヌ」ずいう実䜓があらかじめそこにあるず思い蟌んでいるが、実は「むヌ」ずいうコトバで、ある同䞀性が恣意的に括られおいるにすぎないのだ。
     ぀たり、むヌらしきもの「らしきもの」は原文傍点を無根拠に切り取っお、それを我々が勝手に「むヌ」ず呌んでいるだけなのである。
     そしお、「むヌ」ずいうコトバを䜜ったこずで、むヌずされた存圚が、䟋えば「オオカミ」ずは違う存圚ずしお認識されるようになったのである。
    「確かにむヌずオオカミは䌌おいるけれど、むヌはむヌだし、オオカミはオオカミじゃないか」ず考える人は、この説明だずよく理解できないかもしれないから、別の䟋を挙げおみよう。
     日本では虹の色は7色だずされおいるが、そもそも色ずいうのは可芖光線の波長によっお連続的に倉化するので、はっきりずした境など存圚しない。
     むヌはむヌだし、オオカミはオオカミだず考えるような人は、赀ずか青のような色圩も実質を䌎った普遍的なものだず思い蟌み、「誰が芋おも赀は赀、青は青だ」などず蚀い匵るだろうが、決しおそうではない。虹の色もそれを぀に分断する科孊的な根拠はないのだ。
     実際、虹の色の認識は䞖界共通ではなく、アメリカやむギリスでは色、ドむツやフランスでは5色、ロシアやアフリカでは色ず、実にバラバラなのだ。
     このような認識の違いを生んでいるもっずも倧きな理由は、色を衚珟するコトバの有無である。
     我々日本人が虹は色だず認識するのは、連続的な色のグラデヌションを぀に分断しお語れるコトバ赀・橙・黄・緑・青・藍・玫をもっおいるからだ。逆に蚀うず、コトバによっおたたたた぀に分されるから、日本人にずっお虹は色なのである。
     䞀方、リベリアの人たちには、虹は色に芋える。
     もちろんそれはリベリアには違う色の虹がかかるからではない。
     圌らが䜿うバッサ語では、虹色のグラデヌションを2぀に分節するからだ。
     ぀たり我々は、コトバによっお䞖の䞭を芋お、コトバによっお自分たちの思考枠を絞っおいるのである。

    䜕をどう分類するかは分類する偎のサゞ加枛次第

     こういう話をするず、それはコトバの問題であっお、䟋えばむヌずオオカミだっお、生物孊的にはきちんず分類されおいるじゃないかず反論したくなる人もいるだろう。
     しかし、その分類の根拠ずお絶察ではない。
     なぜなら生物の分類もある皮の同䞀性を基準に行っおいお、どの同䞀性を重芖するかによっお結論が違っおくるからだ。
     むヌはもずもずカヌル・フォン・リンネが1758幎に、「Canis familiaris」ず名付けお蚘茉した皮で、長い間オオカミCanis lupusずは別皮ずされおいた。ちなみに「Canis lupus」も1758幎にリンネが蚘茉したものだ。
     しかし珟圚では、むヌはオオカミの亜皮ずされるこずが倚く、むヌにもっずも近瞁なオオカミはニホンオオカミだず考えられおいる。
     この説を支持するのなら、むヌのこずを倧雑把にオオカミず呌んだずしおも間違いだずは蚀い切れなくなるが、むヌはオオカミから分岐した単系統のグルヌプなので独立皮オオカミずは別皮ず考える人もいる。
     同皮か別皮かを厳密か぀、科孊的に決定するこずはできず、倚少なりずも分類孊者の恣意性が入っおくるこずは避けられないのだ。
     爬虫類の䞀郚から進化した鳥類を爬虫類ずは独立の分類矀ずしお認めるかどうかなどは、いただに分類孊者の䞭で議論が続いおいる。
     私自身は、生物の同䞀性は進化の順序で決たるのではなく、実質的にどんなシステムを構築したかによるず考えおいるので、爬虫類ず鳥類は分けたほうがいいずいう立堎をずっおいるけどね。
     ぀たり、どう分類するかなんおいうのは分類する偎のサゞ加枛ひず぀なのだ。
     分類しお比范すればなんだっお孊問になるので、孊問にするために分類しおいる、ず蚀っおもいいのかもしれないな。
     このように恣意性ずは察極にあるかのように信じられおいる科孊だっお、珟象を䞊手にコヌド察応づけする同䞀性を远究する詊みであるにすぎないのである。

    「病気」も意図的に䜜り出すこずができる

     分類する偎のサゞ加枛ひず぀で決たるのは、病気も同じである。
     䟋えば、最高血圧収瞮期血圧が150mmHgの人が医者に行けば、「高血圧」ずいう蚺断が䞋されるのは間違いない。なぜなら最高血圧が140mmHg以䞊たたは最䜎血圧が90皿Hg以䞊ずいうのが、高血圧の蚺断基準になっおいるからだ。
     ただしこの基準は2000幎以降のものだ。
     それより前の基準は、最高血圧が160mmHg以䞊たたは最䜎血圧が95mmHg以䞊だったので、150mmHgだず高血圧ずは蚀われない。実はその基準も1990幎以降のものであり、それより前は最高血圧が180mmHg以䞊たたは最䜎血圧は100mHg以䞊でないず高血圧だずは蚀われなかった。
     ぀たり、高血圧ずいう「病気」は、誰か日本の堎合は、日本高血圧孊䌚が決めた基準によっお䜜られるものなのである。そしお実際、基準が厳しくなるたびに「高血圧」の患者はどんどん増えおいき、今や日本では4300䞇人にも䞊るず掚定されおいる。
     この数字だけを芋るず囜民の3人に1人なので、「高血圧はもはや囜民病になった」などず蚀う人がいるけれど、日本人の血圧がどんどん䞊がっおいるわけではない。
     基準が厳しくなったせいで、高血圧ずいう蚺断名を぀けられる人が増えおいる、ずいうだけの話なのだ。
     だから「囜民病になった」のではなく、「囜民病にした」ずいうほうが本圓は正しいず思う。
     ずころが、たずえそうやっお䜜られたものだずしおも、「高血圧」ず蚀われれば、倚くの人は䞀気に䞍安になっおしたうだろう。「高血圧」にカテゎラむズされたこずで、自分は病気なのだずいう思考にすっかり取り蟌たれ、治療を受けなくおはいけないず考えるに違いない。
     病気が増えれば、圓然医療費も増える。補薬䌚瀟や病院は儲かるだろうが、公的な財源を圧迫する。
     さすがにこれはダバいず思ったのか、2024幎の4月からは、特定健蚺においお医療機関受蚺を勧める基準倀は140mmHg以䞊 たたは最䜎血圧が90mmHg以䞊から、160mmHg以䞊たたは最䜎血圧100mmHg以䞊ぞず、逆に基準を緩くするよう倉曎になった。
     恣意的に決めるずはたさにこのこずで、科孊的根拠ではなく、経枈的根拠によっお基準を決めるこずだっおできるのである。
     人間ドックの怜査結果でも、「スヌパヌノヌマル」などず蚀われる「党項目異垞なし」ずされる人は幎々枛っおいお、2015幎の調査ではたった5・6%しかいなかったらしい。
     たったそれだけしかいない人たちを、ノヌマルず呌ぶのはかなりおかしな話だず私は思うが、いずれにしおもなんらかの「異垞」があるずされる人のほうが圧倒的に倚いこずは間違いない。
     そこには受蚺者の高霢化が倧きく圱響しおいるず蚀われるが、決しおそれだけが理由ではない。
     怜査項目が増やされお、しかも基準がどんどん厳栌化されおいるからだ。
     䟋えるならそれは、か぀おは科目が囜語ず算数しかなく、どちらも50点以䞊取れば「すべお合栌」だったのが、囜語、算数、英語、理科、瀟䌚ず科目数が増え、合栌の基準が90点以䞊に匕き䞊げられたようなものだ。これでは「すべお合栌」ずなる人がどんどん枛っおいくのは圓たり前だろう。
     そもそもの話、健康か病気かの絶察的な基準なんおものは、はなから存圚しおいない。その方面の専門家たち孊䌚などが、「この蟺から先は病気っおこずにしよう」ず恣意的に決めおいるだけだ。
     基準をちょこっずいじればいいだけなのだから、「異垞あり」の人、぀たり治療察象の人を増やすこずなど簡単なのだ。

    「なんでも分類したい病」がもたらした倚様性ずいう抂念

     䞖の䞭のあらゆるものはすべお連続的に倉化する。
     もちろん人間も誰䞀人ずしお同じではなく、すべおの人はちょっずず぀違っおいる。
     ただし、そういう連続的な倉化は通垞、「倚様性」ずいうふうには衚珟しない。
     䟋えば、身長は連続的に倉化するので、「身長の倚様性」ずいう衚珟はあたり聞いたこずがない。
     しかるに人間には、その連続的なものにあえお分節を入れ、䜕かしらの同䞀性で括りたがる癖がある。
     厳密に蚀えば、決しお同䞀ではないのだから、同䞀だずいうのも本圓は思い蟌みにすきないんだけどね。
     ずはいえ、そうやっおいろいろなカテゎリヌを䜜れば、そこには差異性が生たれる。
     たさにそれは、「むヌ」ずいうコトバず「オオカミ」ずいうコトバを䜜ったこずで、「むヌ」ず「オオカミ」の差異が認識されるようになったのず同じなのである。
     そしおそのうち、自分たちの䜜ったカテゎリヌのどれかに自分や他人を圓おはめお、あい぀は味方だずか敵だずか、自分より䞊だずか䞋だずか、そういうふうに考え始める。それが敵察や差別の元凶なのだ。
     そういうのはたずいから、「すべおのカテゎリヌを等䟡だず考えたしょう」ずいう理念が生たれたのだず、第1章でも述べたけれど、そもそも最初からカテゎリヌ分けなんおしなければわさわざそんなこずを考える必芁もなかったのだ。
     連続的な存圚だずいう人間本来のありようをそのかたちのたた認めおいれば、自分のアむデンティティが人ずどれくらい違うかなんお気にするこずなく、誰もが奜きに生きおいけるんだからね。
     ぀たり、「倚様性の尊重」ずいう理念が必芁になったのも、元はずいえば人間の「なんでもかんでも分類したい病」のせいなのである。

    男であろうず女であろうず、確固たる同䞀性などはない

     連続的なものの䞭にあえお䜜る分節は恣意的なのだから、それで括られる同䞀性も恣意的である。
     䟋えば、男ず女は、決定的に違うず考えおいる人が倚いけれど、男であろうず女であろうず、そこに確固たる同䞀性などない。このあたりの話は拙著「平等バカ」扶桑瀟新曞にも曞いたけれど、倚様性にも通じる話なので、ここでもあえお繰り返しおおこう。
     䞀般垞識のレベルであれば、性染色䜓の組み合わせがXYなら男、XXなら女になるずいうこずで話は枈むのかもしれないが、それは性染色䜓の衚面䞊の組み合わせによる単玔な同䞀化を図った際の分類でしかない。
     染色䜓数が半枛する现胞分裂枛数分裂の際に遺䌝子の組み換えが起きた堎合や、その埌の耇雑な遺䌝子の発珟システムの結果次第では、XXずいう組み合わせでも男に発育するこずはあるし、XYずいう組み合わせになったずしおも女に発育するこずもある。
     䟋えば粟子を䜜る際の枛数分裂でY染色䜓にあるSRY粟巣決定遺䌝子が、組み換えの結果X染色䜓に乗り移っおくるず、このX染色䜓で受粟した卵はXXでもSRYをも぀ので男に発育し、SRYを倱ったY染色䜓で受粟した卵はXYでもSRYがないので女に発育する。
     たた、Y染色䜓にSRYがあったずしおもなんらかの加枛で発珟しないこずもあり、その堎合も女の䜓になる。
     さらに、脳の構造から発するず考えられる心的なアむデンティティずしおの性は、身䜓的な性ず䞀臎するのが䞀般的ではあるけれど、脳ができおいく過皋で時に食い違いが起こったりもする。
     䟋えば、脳の芖床䞋郚の少し䞊のずころにある分界条床栞ずいう領域が倧きいず性自認が男ずなり、小さいず女になるず考えられおいるが、身䜓的な性が女であっおも発生の過皋でそれが倧きくなる人がいお、その堎合は心的なアむデンティティずしおの性が男に近くなるこずがわかっおいるのだ。

    性パタヌンが実際いく぀あるのかはわからない

     ここたでに挙げただけでも、人間の性を男女に分する基準には、少なくずも次の぀がある。
    1、染色䜓の組み合わせずしおの性
    2、遺䌝子の発珟システムの結果ずしおの身䜓的な性
    3、心的なアむデンティティずしおの性

     䞀般的にこの3぀はパラレルに発珟するが、時にそれぞれが独立しお発珟するこずもある。もちろん頻床には違いがあるけれど、理論的に蚀えば、人間の性は✕✕で、最䜎でも8通りのパタヌンがあるずいうこずになる。
     䜓ず心の性が䞀臎しない人は、「性同䞀性障害」などずいう蚺断名が぀けられたりするが、それはこのような性パタヌンの䞀぀であるずいうだけなので、決しお障害や病気などではない。
     たた、先ほどの぀の基準に、前芖床䞋郚間質栞の倧きさず関係するず考えられおいる「恋愛察象が男であるか女であるか」ずいうこずたで加えれば前芖床䞋郚間質栞が倧きい男性は異性を、小さい男性は同性を恋愛察象に遞ぶず考えられおいる、さらに2をかける必芁があるから、✕✕✕で結果16通りのパタヌンになるず考えるこずもできる。
     さらに蚀えば、遺䌝子の発珟システムの結果や心的なアむデンティティ、そしお恋愛察象は完党に二分極化するわけではなく、その䞭間ずいうのも必ずある。しかも䞭間ずいったっおそこはグラデヌションになっおいる。
     そうなるず、性パタヌンが実際のずころいったい䜕パタヌンあるのかは誰にもわからない。
     性的マむノリティ性的少数者を衚すLGBTずは、Lesbianレズビアン、女性同性愛者、Gayゲむ、男性同性愛者、Bisexualバむセクシュアル、䞡性愛者Transgender トランスゞェンダヌ、性自認が出生時に割り圓おられた性別ずは異なる人の頭文字をずった蚀葉だが、実際の性パタヌンの数からすれば、圧倒的に足りないわけだから、差し圓たっおどこかで線を匕き、それなりに玍埗できるようなかたちに分けおいるにすぎない。
     ずはいえ、どこに分類されおもしっくりこないずいう人も必ずいるはずで、だからこそ、近幎では新たに、Queer や Questioning特定の枠に属さない人、わからない人を加えた「LGBTQ+」ずいった衚珟が䜿われるこずも増えおいるのだ。』P40~54


    2024幎12月20日

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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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