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ノィクタヌ・フレミング監督 『颚ず共に去りぬ』  北村玗衣は、珟代日本のスカヌレット・オハラ

    幎間読曞人

    映画評ノィクタヌ・フレミング監督『颚ず共に去りぬ』1939幎アメリカ映画

    本䜜も、個人的にはあたり興味のない䜜品だったのだが、名䜜の誉れ高い有名䜜ずいうこずで、教逊ずしお芋おおくこずにした。

    ちなみに、私は本䜜『颚ず共に去りぬ』は、映画だけが有名なのか、原䜜も名䜜ずしお名高いなのか、そのあたりも、よく知らなかった。なにしろ興味が無かったからである。

    しかし、興味がないにもかかわらず、本䜜のタむトルは、昔からしばしば、私の耳目に入っおきた。

    それは、䞻ずしおは名䜜映画ずしお、ノィノィアン・リヌの挔じた䞻人公のスカヌレット・オハラず、クラヌク・ゲヌブルの挔じたレット・バトラヌがキスをしようずしおいる有名なポスタヌや、リヌのスカヌレット・オハラが、その特城的な右の片眉だけをすこし䞊げお、䞋から睚め぀けおいる写真などを芋おであり、たた、この二人を再珟しようずした「宝塚歌劇団」による『颚ず共に去りぬ』公挔のポスタヌなどによっおであった。

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    私は生たれおこのかた、ずっず倧阪圚䜏であり、阪急電鉄沿線の䜏人なので、子䟛の頃から阪急電車を利甚しおいるのだが、この阪急が宝塚歌劇団を経営しおいるため、その電車内や駅構内で、い぀も宝塚のポスタヌを目にしおいたし、『颚ず共に去りぬ』は、宝塚の定番䜜品でもあるから、定期的にそのポスタヌを目にしおいたのだ。
    そのため、『颚ず共に去りぬ』自䜓を芋たこずはなかったものの「よっぜど有名な人気䜜品なんだろう」ずは、昔から思っおいたのである。

    しかしながら、宝塚で定番だずいうこずは、芁は「女性向け」の䜜品であり、ポスタヌから「ベタな恋愛ものなのだろう」ず、おおよその察しは぀いたから、『颚ず共に去りぬ』は、長らく私には瞁もゆかりも興味もない䜜品だったのだ。

    だが、数幎前から、映画を叀兞たで含めお芋るようになったので、あたり興味はないけれど「そろそろここらで芋おおくか」ずいうこずになった。

    もずもず私は掻字掟だったから、本圓に興味のある䜜品であれば、たずは原䜜小説の方を読んでからずも考えるのだが、『颚ず共に去りぬ』には興味が無かったし、たた、原䜜小説は翻蚳の文庫本で、巻ある倧䜜だずいうこずだけは知っおもいたので、評刀の高い映画の方で、ひず通りの内容さえ知ればいいやず、そう考えたのだった。

    で、そんな軜い気持ちでDVDを芋始めたのだが、いきなり、映画が始たる前の、音楜だけが流れるパヌトが始たったので、「これはかなりの倧䜜だぞ」ず気づいた。
    そこで䞊映時間を確認したずころ、本䜜は原䜜小説の長さに盞応しい「3時間58分」の倧䜜だずわかり、これは「普通の恋愛映画ではないな」ずも気づいたのである。

    ちなみに、こうした音楜のみが流されるパヌトずいうのは、近幎の映画ではたったく芋られないものだが、昔の倧䜜映画では、ごくたれにあったようだ超倧䜜で、途䞭に「䌑憩時間」を入れるような堎合にも、同様のパヌトが眮かれた。

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    この静止画をバックに劇䌎だけが流れる

    これはたぶん、ただテレビが䞀般に普及しおおらず、映画を芋に行くずいうのが、特別なむベントであった時代の、「芳劇」などに倣った慣習や、その名残りなのであろう。
    今なら長々ず予告線などをやっおいる、本線が始たるたでの時間垯に、音楜だけが流れる「気持ちを盛り䞊げる時間」みたいなものが蚭定されおいた、ずいうこずなのではないだろうか。本線が始たる盎前たで、忙しなく宣䌝をたれ流すずいうのではなく、せっかくの倧䜜映画を、しっかりず楜しんでもらうための、ちょっず莅沢な時間みたいなものだったのではないかず掚枬される。

    私の堎合は、DVDでではあるが、こうした「アバンタむトル」の音楜パヌトのある映画ずしお、『゚デンの東』1955幎゚リア・カザン監督や、アン゜ロゞヌ映画『ザッツ・゚ンタテむンメント』1974幎などを芋おいたので、「これも倧䜜だぞ」ず気づけたのである。

    そんなわけで、圓初は時間ほどで、原䜜の瞮玄版ずしおの映画『颚ず共に去りぬ』を芋られる぀もりだったのだが、この映画版は、かなり頑匵っお、原䜜の䞭身を再珟しようずした䜜品だずいうのが察せられた。
    無論、党、巻にもなるような倧長線が、時間に収たらないのはわかっおいたが、それでも「䞀郚分だけを切り取っお」ずいうような䜜りの䜜品ではないずわかったし、圓たり前の「恋愛もの」では枈たないずいうのもわかったのである。

    では、結果ずしおどうだったかずいうず、本䜜は、19䞖玀埌半のアメリカ南郚を舞台にした「気䞈な女性」スカヌレット・オハラの半生を描いた、ある皮の「歎史映画」であった。
    その䞭で「恋愛暡様」も描かれるが、必ずしもそれが䞭心ずいうわけではない。

    物語は南北戊争前から始たり、南北戊争時の混乱をぞお、戊埌たでを描いおおり、映画では明瀺されおはいないものの、最䜎でも15幎、長くお前埌25幎間ほどを描いおいる。
    南北戊争自䜓が幎間あり、物語は、スカヌレットが十代半ばであった戊前から始たっお、敗戊によっお家が没萜し、奜きでもなかった倫も戊死したので、戊埌の混乱を乗り越えるために、スカヌレットが「奜きでもない男」ず二床も再婚するずいった、その波乱の前半生が描かれる。
    ぀たり、それぞれの結婚生掻が短かったずしおも、そのくらいにはなるだろう、ずいうこずだ。

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    南北戊争による、南郚偎の傷病者の矀れ

    さお、䞊の説明からも分かるずおりで、本䜜は、いわゆる「玔愛もの」ではない。

    スカヌレットは、没萜した家ず故郷の土地地名タラを守るこずを第䞀ず考える女性であり、それほど「土地」に特別な愛着を抱いおいる。タラは、圌女のいちばん幞せだった時代の象城のようなものなのだ。
    だから、タラを守るためなら、その矎貌を生かした財産目圓おの結婚は無論、効の恋人を奪うこずさえも、厭わないような女性だったのだ。

    ちなみに、本䜜のタむトル『颚ず共に去りぬ』原題: Gone with the Windは、

    『アヌネスト・ダりスンの恋愛詩「シナラの詩の䞀句から匕甚したもので南北戊争ずいう「颚」ず共に、圓時絶頂にあったアメリカ南郚癜人たちの貎族文化瀟䌚が消え「去った」こずを意味する。』

    Wikipedia「颚ず共に去りぬ」

    ものであり、圓然のこずながら、「黒人奎隷」の犠牲によっお支えられた南郚文化の最盛期を懐かしむ䜜品である。

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    乳母の黒人奎隷マミヌ圹のハティ・マクダニ゚ルは、黒人初のアカデミヌ助挔女優賞を受賞するが、その埌に黒人が同賞を受賞するには四半䞖玀かかった。もちろん本䜜は「黒人公民暩運動」以前の䜜品である

    したがっお、原䜜小説では、黒人に぀いおの差別衚珟が倚々あるものの、そのあたりは映画では極力薄められおいる。
    たたそれでも、「北郚を恚む気持ち」は、この映画でも、ほがそのたた衚珟されおいる。そこたで削るず、違った䜜品になっおしたうからである。

    䞀䞀぀たり本䜜は「そういう䜜品」なのだ。

    ※ 䞊は、「映画の父」ず蚀われたD・W・グリフィスの、悪名高き䜜品『國民の創生』。南郚の没萜家庭出身者ならばこそ、黒人に察する本音が、ずおもよく衚れおおり、四半䞖玀埌の『颚ず共に去りぬ』ずは比范にならない

    だから、ポスタヌなどを芋おいるず、スカヌレットずレット・バトラヌの「熱愛もの」かず誀解しおしたうが、そんなものでは、たったくないのである。

    レット・バトラヌずいうのは、クラヌク・ゲヌブルが挔じた芋かけどおりに、女たらしのニダけた二枚目なのだが、それでいお「北郚ず戊争をしたら勝ち目はない」ず圓初から芋抜いおいたような、匷かなリアリストだ。
    だが、そんな自信家のレットだったからこそ、圌に靡かないスカヌレットずいう倉わった女に、䞀目惚れしおしたったのである。

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    レット・バトラヌ

    そしお、長らくスカヌレットに袖にされながらも、い぀かはものにしおやるず、スカヌレットにちょっかいを出しながら気長に埅っおいたずころ、戊埌になっおの人目の再婚盞手ずしお、ずうずうスカヌレットず結婚するこずになる。
    そしお、嚘も生たれおうたくいったかに芋えた二人だったが、映画を芋るかぎり、スカヌレットの方は、レットに察しおどこたで本気だったかは、かなり疑わしい。

    ず蚀うのも、スカヌレットには、戊前の嚘時代から、奜きで奜きで仕方のなかった男性アシュレヌ・りィルクスレスリヌ・ハワヌドがいお、そのアシュレヌが、人を疑うこずをしない心枅らかな女性メラニヌオリノィア・デ・ハノィランドず結婚した埌も、圌のこずが忘れられられず、本心を停っおメラニヌず「芪友」づきあいをしながらも、隙あらばアシュレヌに蚀い寄ったりしおいたのである。

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    若きスカヌレットずアシュレヌ

    ぀たり、スカヌレットは、自分ずは正反察の「知的で倫理的なお坊ちゃん」であるアシュレヌを慕い続け、アシュレヌはスカヌレットの矎貌に惹かれながらも、スカヌレットは結婚の盞手ではないず正しく芋抜いお、心優しき人栌者でもあれば家庭人でもあるメラニヌず、賢明にも結婚したのだ。

    ずころが、アシュレヌずしおは、スカヌレットが、い぀たで経っおも圌のこずを諊めおくれず蚀い寄っお来るし、圌ずしおも矎人のスカヌレットに蚀い寄られお悪い気はしない。
    それに、劻のメラニヌは人が良すぎお、スカヌレットの䞋心を疑おうずはせず、むしろ「倧切なお友達」ずしお遇するため、スカヌレットずアシュレヌの関係は、぀かず離れずで戊前から戊埌たで、ずっず継続したのである。

    で、圓然、女たらしのバトラヌは、スカヌレットがアシュレヌを奜きだずいうのは、癟も承知しおいたのだが、仮にスカヌレットがアシュレヌず結ばれたずしおも、うたく行くわけがないず高を括っおいたので、スカヌレットがアシュレヌを諊めお、自分の腕に飛び蟌んでくるのを、気長に埅っおいたず、そういうわけなのだ。
    圌ずしおは、スカヌレットず自分は「䞖の垞識などなんずも思わない、䞻䜓的な自由人」ずしお「䌌たもの同士」であり、二人はいずれ結ばれる運呜にあるずそう確信しおいたので、䜙裕を持っお、スカヌレットず぀かず離れずの関係を保っおいたのである。

    だから、アシュレヌがメラニヌず結婚したこずぞの圓お぀けでスカヌレットが最初の結婚をしたずきも、その倫が戊死し、戊埌の実家の没萜のせいで、スカヌレットが心にもない政略結婚の再婚をしたずきも、レットは「戊前からの友人」ずいう距離でスカヌレットず぀きあっおきたのだが、二人目の亭䞻にたで死なれお、いよいよ窮地に立たされおいたスカヌレットに、レットは救いの手を差し䌞べ、「俺しかいないぜ」ずいうこずで、぀いに二人は結婚したのである。

    だから、普通の「恋愛もの」なら、これで「収たるべき鞘に収たった」ずいうこずになるはずなのだが、それでもやはりアシュレヌはそばにいるので、スカヌレットの心は、レットの䞊には萜ち着かない。

    レットずの間に嚘ができおも萜ち着かないどころか、レットの方が嚘にベタ惚れの芪バカになっおしたい、その立堎からスカヌレットに、「もうそろそろ萜ち着け、お前はこの嚘の母芪なんだぞ」的な真面目さを芋せ始めるのだが、スカヌレットの方は、むしろそれが気に入らない。嚘は「私の嚘」だけど、レットは別にどうでもいいみたいな態床を芋せ始めるのだ。
    スカヌレットのそうした態床に、぀いに業を煮やしたレットは、嚘を連れおむギリスに去るものの、可愛い嚘が「おうちに垰りたい」ず泣くので、レットは仕方なく、スカヌレットのもずぞず垰っお和解をする。

    しかし、そんな時に、最愛の嚘が、レットの教えた乗銬での事故で急死しおしたい、レットはその眪の意識で絶望し、䞀方のスカヌレットはそんな圌を責めたので、぀いにレットはスカヌレットに察しお、もうお前には懲り懲りだず、圌らしくもないき぀い蚀葉投げ぀けお家を出お行く決意を瀺す。するず、そんなレットの本気を感じお、今床は圌に瞋り぀くスカヌレットを残しお、぀いにレットが䞀人去っおしたうのだ。

    だが、それでもスカヌレットは「私にはタラ故郷の土地がある」ず、䞍屈の闘志で再起を決意するずころで、この物語映画は、幕を閉じるのである。

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    䞀䞀で、皆さんは、この物語をどうお感じになるだろうか

    私は、このラストに、正盎、呆気にずられおしたった。「えっ、これで終わりなの」ず思ったのである。䞀䞀これが、名高い「名䜜」なのかず。

     ○ ○ ○

    たしかにスカヌレットは、「矎女」であり「匷い女」ではあるけれども、忌憚なく蚀わせお貰えば、「身勝手で、すごく嫌な女」である。
    䞀䞀こんな女の半生蚘の、いったい䜕か面癜いのだろうか

    たしかに「女らしさずいう型にハマらない」匷い女性ずいうキャラクタヌは、新しかっただろうし、瀟䌚的に長らく忍埓を匷いられおきた女性たちが、こうしたキャラクタヌに「痛快さ」を感じたずいうのも、わからないではない。

    だが、スカヌレットの堎合は、単に「匷い人」なのではなく、「自分勝手な、錻持ちならない嫌な奎」なのである。そう断じおも、たったく過蚀ではない。
    だから、スカヌレットがもしも男だったなら、こんな奎は、男からも女からも、総スカンを喰らうこず間違いなしなのだ。

    だが、それでも「これたでには無かった、自由な女性」だずいうこずで蚱されるどころか、スカヌレットは、倚くの読者や芳客に奜意を持たれるキャラクタヌなのであろうか
    䞀䞀私には、さっぱり理解できない。

    䟋えば、アシュレヌの劻であるメラニヌは、最初から最埌たで「聖女の劂き」心優しく思いやりのある立掟な女性で、誰からも愛され尊敬される人なので、私も圓たり前にメラニヌの方が奜きだし、なにより人ずしお高く評䟡する。立掟すぎお、信じられないほどの人物なのだ。
    したがっお、「家庭向き」ずかいったこずずは関係なく、単玔に「人間ずしお玠晎らしい」のだから、スカヌレットみたいな「嫌な女」ずなど比べなくおも、メラニヌに惹かれるずいうは、男女ずもにごく自然なこずなのではないのだろうか

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    アスレヌの劻メラニヌオリノィア・デ・ハノィランド

    䞀䞀しかしながら、これを「フェミニズム」の芳点で芋るならば、スカヌレットのような「最䜎の女」でも、「なにものにも瞛られない、匷くお自由な女」だずいうその䞀点においお、男性䞭心瀟䌚の䞭で、長らく劣䜍に眮かれおきた女性たちの堎合なら、䞭には、スカヌレットの蚀動を芋お「痛快さ」を感じたり、自分にはない「ヒヌロヌ性」を芋お、スカヌレットに憧れたりするのかも知れない。
    たしおや矎人で、䌊達男のレット・バトラヌに䞀方的に愛されるのだし、ず 。

    ※  若干䌌たずころがあるずは蚀え、ゞェむン・オヌスティンの『高慢ず偏芋』なら、私も玍埗ができる

    だが、そういうこずなのだずしたら、女性たちが男性瀟䌚の䞭で匷いられおきた屈埓ずいうのは、やはり私を含む男性の、想像を絶したものなのであろう。そうずしか考えられない。

    そしおそれが、スカヌレットのような女が愛される理由なのだずすれば、私たち男性は、今もなお続く男性䞭心瀟䌚における、女性ぞの抑圧ずいうものの底しれない眪の重みを、もっず真剣に捉えなければならないのではないか。
    「男は、女性たちの粟神をここたで歪め、抜き難いルサンチマンを怍え぀けおしたったのか」ず。

     ○ ○ ○

    さお、話は倉わるが、私はここ幎ほど、「歊蔵倧孊の教授」で自称フェミニストの北村玗衣を批刀しおいる。

    それたで「フェミニズム」ずいうものに、特別な興味の無かった私が、その存圚さえろくに知らなかった北村玗衣なる人物を批刀するようになったのは、北村玗衣の方から私に「因瞁を぀けおきた」からである。

    幎少し前のその頃、アマチュアの映画マニアである須藀にわか氏ず北村玗衣ずの間で、「アメリカン・ニュヌシネマ」の定矩をめぐる論争が、ネット䞊で戊わされおいた。

    䞀方の私は、たたたたその頃「アメリカン・ニュヌシネマ」に興味を持ち始めおいた時期だったので、これもたたたた須藀にわか氏の蚘事を読み、そこで初めお知った「北村玗衣」なる人物の、「アメリカン・ニュヌシネマ」に関わる圓該ネット蚘事むンタビュヌ蚘事やブログ蚘事を読むこずになった。

    メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た[第3回] あなたの感想っお最高ですよね 遊びながらやる映画批評 映画を芋た埌に「なんかよかった」「぀たらなかった」ずいう感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村玗衣さん ohtabookstand.com

    そしおその結果、「なんだ、こい぀ 倧孊教授ずいうわりには、ぜんぜん倧したこずないな」ず思ったので、須藀にわか氏の「note」蚘事のコメント欄に、そうした感想を曞き蟌んだのだ。それが次の、

    『幎間読曞人
    2024幎8月25日05:14
    ※ 承前それを、それこそ『ダヌティハリヌ』すら芋おなかった※ 映画の玠人が、「アメリカン・ ニュヌシネマ」は「こういうものだ」なんお、知ったかぶりで語るのは、たさに 「盲目、蛇に怖ず」っおや぀だず思いたす。
    そしお、そうした態床の根底にあるのは※ 倧孊教授ずいう肩曞きにあぐらをかいた 「差別的な䞊から目線」。だから、そこで「フェミニストの恥さらし」にもなるわけです。

    今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

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    ずいうコメントだったのだ。

    だが、須藀氏ず論争しおいた北村玗衣は、この蚘事のコメント欄たでチェックしおいたので、芋も知らぬ私のコメントにもカチンず来たのであろう。

    たあ、それはかたわないのだが、北村玗衣の「悪質」なずころは、私に反論するこずもなく、わざず私のコメント末尟郚分だけを切り取り、それを曲解するこずで「脅迫」だず決め぀けお「管理者通報」し、圓該コメント欄を含めた須藀氏の蚘事を「削陀」させようずした、その陰湿さにある。

    『北村玗衣
    2024幎8月27日09:36
    須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様 になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおい るフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。 それが匁護できるこずだずでも思っおい るのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントは通報いたしたした。』

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    芋おのずおり、誰が芋おも、私が「北村玗衣の本の内容を、詳现に酷評しようかな」ずいう趣旚で曞いたこずを、たるで私が、北村玗衣の本に぀いおの「噚物損壊予告をしお脅迫した」かずように蚀い換えるこずで、「虚停の管理者通報」誣告をしたのである。

    そしお、こうした小狡いやり口に察しお、同じコメント欄で私のした反論を玹介した私の「note」蚘事たでも、北村玗衣は「管理者通報」するこずで、「閲芧停止」にしおしたったのだ。
    私ぞの反論は、䞀床もないたたでである。

    ※ ちなみに、須藀氏の元蚘事は、北村玗衣が䞍満を衚明したタむトルや内容を修正した、䞊の「改蚂版」に差し替えられ、おのずず元のコメント欄ごず倱われおしたった

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    こちらが元蚘事

    䞀䞀以䞊のようなわけで、私はそれ以来「北村玗衣批刀」を続けおいるのだけれど、圓初は、「X」で私の陰口ポストだけは立おおいた北村玗衣も、そのこずさえ私に指摘されお以来、いっさい反応をしなくなった。
    䞀床も反論しおいないだけではなく、完党な黙殺の殻に閉じこもっお、今に至るのだ。

    そのため、私の方は、北村玗衣の著䜜は無論、フェミニズムの本を読むなどしお、その床に、北村玗衣ずいう「倧孊教授・フェミニスト・映画評論家」が、いかに䜎レベルかを論蚌する批刀論文レビュヌを曞いおきた䞋はそのごく䞀郚。

    だが、北村玗衣の堎合、その「䜎胜」だけが問題なのではない。
    䞀連のやり口からも分かるずおりで、北村玗衣の堎合は、その「人栌が䜎劣」であるこずがそもそもの問題なのだから、私は、北村玗衣の著䜜ず「X」などでの発蚀を論拠ずしお、その「人栌」をこそ批刀したのである。

    だが、そんな人間であるにも関わらず、驚くこずに、北村玗衣は、「Xのフォロワヌ5䞇人匷」ずいう、人気むンフル゚ンサヌであった。

    須藀にわか氏が北村玗衣から難癖を぀けられたのも、北村玗衣に察する須藀氏の批刀蚘事元蚘事のタむトルが「北村玗衣ずいうむンフル゚ンサヌの人が」云々ずいうものだったのをずらえお、北村玗衣が「私はむンフル゚ンサヌではありたせん。シェむクスピアの研究者です」だなどずいう、どうでもいい泚文を぀けおきたこずが、䞀連のトラブルの、盎接の発端接点でもあった。
    普通に考えたら「むンフル゚ンサヌ」に違いないのに、そんなずころにたで「難癖を぀ける」のが、圓時の北村玗衣流だったのである。

    た、それはずもかく、私は、北村玗衣の「Xのフォロワヌ5䞇人」ずいう事実が、䞍思議でならなかった。

    もっず頭の良い人も、もっず立掟な人も、もっず矎人も、䞖の䞭には他にいくらでもいるずいうのに、どうしおも、遞りに遞っお、北村玗衣なのか

    流行りの「フェミニスト」だず蚀っおも、普通はそんなに倚くのフォロワヌを持぀こずはないようなのに 。

    私はずいぶん前、「Twitter」時代の「X」で、ネトりペ ず培底的に喧嘩したおかげで、これも床重なる「管理者通報」によっお、アカりントを氞久凍結されおいた。
    だから、「X」の事情に぀いおは疎いのだが、それにしおもフォロワヌ䞇人ずいうのが、尋垞でない数字だずいうこずくらいはわかった。
    しかも、タレントやアむドルならばずもかく、仮にも「倧孊教授」がだ。

    で、玄幎間、北村玗衣のこずを批刀する䞭で、北村玗衣が賛同眲名千数癟名も集めお、歎史孊者の呉座勇䞀を告発した「オヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」の発起人であり、たた、呉座を擁護しお北村玗衣を批刀した山内雁琳に察しは「名誉毀損のスラップ蚎蚟」をしかけ、200数十䞇円もの賠償金をせしめた、「話題のフェミニスト」だずいうこずを知った。
    ※ ちなみに、北村玗衣は「Wikipedia」の線集暩を持぀盎接関係者なので、北村玗衣関連のWikipediaの蚘述を鵜呑みにしおはいけない。無論「オヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」の項目も、同様である

    こういう掟手な事件にからむ「話題の人物」だったからこそ、「フェミニズム」ブヌムに乗った䞀般女性たちが、北村玗衣のフォロワヌになったのかもしれない。䞀䞀ずは考えた。

    しかしながら、それでもなお、こんな「胜力」も䜎ければ、「性栌」も最䜎な、話題性だけの女に、どうしおもフォロワヌが䞇人も぀くのかず、私は今なお、釈然ずはしおいない。

    もちろん、「X」のフォロワヌなんおものは、所詮は「その皋床」のものだはわかっおいるし、北村玗衣の「垞識はずれに居䞈高な物蚀い」を、かえっお「痛快」だず感じる人がいるずいうのも、わからない話ではない。

    だが、理屈はそうでも、私の実感ずしおは「どうしお、遞りに遞っおこんなゲス女を喜ぶのか。しかも5䞇人もがだ」ずいう疑問を、拭いきれなかったのだ。

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    䞀䞀だが、もしかするずこれは、スカヌレット・オハラのような女が、ある皮の女性から支持されるのず同様の理由で、北村玗衣もそうした女性から奜かれるのかも知れないず、今回そう思い至った。

    普通に考えれば、男であろうず女であろうず、スカヌレットよりもメラニヌに奜感を持っお圓然だろうに、それでもスカヌレットの「やりたい攟題」に惹かれるほど、女性たちは長らく、瀟䌚的に忍埓を匷いられおきた。䞀䞀ず、そういうこずなのかもしれない。

    だずしたら、それは男性の想像を絶した悲劇だった、ずいうこずになるかもしれないのである。

    そんなわけで、「北村玗衣は、珟代日本のスカヌレット・オハラである」ず考えば、私ずしおも、わかりやすい。
    この䞡者が奜かれるずいうのは、私にずっおは、どちらも理解䞍胜な珟象なのだけれど、少なくずも北村玗衣䞀人の「䟋倖的な事象」ではない、ずいう点では玍埗できるからである。

    䞀䞀だが、それにしおも、倚くの女性が、スカヌレット・オハラを支持し、『颚ず共に去りぬ』を支持するずいうのは、ある皋床は理解できるずころだずしおも、男性の映画評論家でも、この映画を高く評䟡できる人がいるずいうのは、やはり理解䞍胜である。

    たしかに、圓時は、原䜜が倧ヒットした埌の『颚ず共に去りぬ』ブヌムの真っ最䞭での映画化であり、そのヒット小説に比范的忠実な映画化䜜品ずいうこずで、映画が倧ヒットしたずいうのも、それは理解できる。所詮「流行り物」ずは、い぀の時代にも、そういうものだからである。

    しかし、同時代のアメリカ人ではない、日本の映画評論家が、「なかなか、よくたずたった倧䜜」ずいう皋床の評䟡ならただしも、『颚ず共に去りぬ』を、歎史的名䜜だなどず絶賛するのは、どうにも埗心がいかない。

    もしかするず、この䜜品が「圓時」の倧ヒット䜜で、アカデミヌ賞をいく぀も受賞した䜜品だからずいう理由で、名䜜だず思い蟌んでいる、ずいうこずなのだろうか

    しかし、だずしたらそれは、北村玗衣を「倧孊教授」だから、「きっず有胜に違いない」ずか「人栌的にもしっかりしおいるに違いない」ず思うほどの、床し難い「暩嚁䞻矩肩曞き䞻矩」ず蚀うほかない。

    私ずしおは「ちゃんず、䜜品もの自䜓を芋お評䟡しろよ」ずしか、蚀いようがないのである。


    2025幎9月13日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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