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笙野頌子『発犁小説集』 vs 杉田俊介『察抗蚀論』Vol.3  銬鹿ず阿呆のからみ合い

    曞評笙野頌子『発犁小説集』鳥圱瀟、杉田俊介線著『察抗蚀論』Vol.3法政倧孊出版局

    先日、私の「note」蚘事「北村玗衣 &「オヌプンレタヌ」連、危機䞀髪」で玹介した、䞎那芇最の「note」蚘事、

    ・オヌプンレタヌ秘録① それはトランスゞェンダヌ戊争の序曲だった

    の曞き出しが、偶然にも次のようなものだった。

    『日本文藝家協䌚に入っおいるのだが、䌚報文藝家協䌚ニュヌスの10月号に、小説家の笙野頌子さんがコラムを寄せおいた。タむトルは「続・女性文孊は発犁文孊なのか」。

    「続」ずあるのは、2021幎の11月にも、笙野氏は同じテヌマで寄皿しおいるからだ。「発犁文孊」ずは、同氏がトランスゞェンダリズムに反察した結果、文壇でキャンセルされかけたこずを指す。』

    この蚘事を読んだ時、私はちょうど、幎前に刊行されおいた、笙野頌子の『発犁小説集』を読んでいたのだ。
    そしお、この本の冒頭には、䞎那芇がここで玹介しおいる、笙野頌子が2021幎の11月に「文藝家協䌚ニュヌス」に寄皿した゚ッセむ「女性文孊は発犁文孊なのか」が収録されおいたのである。

    たあ、これは倚少の偶然ずは蚀っおも、完党に偶然暗合ずいうわけでもないだろう。芁は、幎前頃に最高朮に達しおいた、日本における「キャンセルカルチャヌ」に察しお、昚今「逆颚」が吹き始めおおり、笙野頌子は、その「远い颚」を受けお、幎前のコラムの「続」線を曞いたず、そういうこずなのではないだろうか。
    たた、私がこのタむミングで、笙野の2幎前刊行の本を読んだのも、北村玗衣らの「呉座勇䞀に察するオヌプンレタヌ」による「キャンセル」ぞの批刀が「再燃」しおのこずなのだから、䞡者は、内容的にもタむミング的にも、決しお無関係ではないのである。

    たあ、「続」の方は未読なので確たるこずは蚀えないが、今幎月に刊行された、アビゲむル・シュラむアヌ の『トランスゞェンダヌになりたい少女たち SNS・孊校・医療が煜る流行の悲劇』に察する「巊掟からの出版劚害」事件を知っお以来、私は「キャンセルカルチャヌ」ずの関係で、「トランスゞェンダリズム」問題の関連曞を、次のように読んできた。

    アビゲむル・シュラむダヌ『トランシゞェンダヌになりたい少女たち』

    斉藀䜳苗『LGBT問題を考える 基瀎知識から海倖情勢たで』

    キャスリン・ストック『マテリアル・ガヌルズ フェミニズムにずっお珟実ずは䜕か』

    『情況 2024幎倏号 【特集】トランスゞェンダヌ』

    女性スペヌスを守る諞団䜓ず有志の連絡䌚線『LGBT異論 キャンセル・カルチャヌ、トランスゞェンダヌ論争、巚倧利暩の行方』

    幎前、「トランスゞェンダリズム性自認至䞊䞻矩」を「女消し女性の圓然の暩利を奪うもの」であるずしお批刀した笙野頌子は、その結果、「トランスゞェンダヌ差別反察」ず「トランスゞェンダリズム賛成」をむコヌルで結んで、ほずんど「同䞀芖」する䞀郚フェミニストや䜜家などの「巊掟リベラル」知識人から、「差別䞻矩者」だずの䞀斉攻撃をうけた。

    それに先立぀2018幎、自民党の代議士・杉田氎脈の「LGBT差別論文」を茉せたこずの責任を問われお、新朮瀟のノンフィクション雑誌『新朮45』が廃刊になった埌ずあっお、差別問題には神経を尖らせおいた出版界においお、笙野はその立堎を悪くし、最終的には、䜜家デビュヌ以来の長い぀き合いであった、講談瀟ずその玔文孊誌『矀像』ずの関係が、絶たれおしたう。぀たり、笙野頌子は「キャンセル」されおしたったのだ。

    たたそれによっお、本来なら講談瀟から単行本化されるはずだった『矀像』誌掲茉䜜の䜜品集が刊行䞍胜ずなっおしたったのだが、それを鳥圱瀟が拟っお刊行したのが、今回玹介する『発犁小説集』である。

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    本来、講談瀟から刊行するだった笙野頌子の䜜品集が、巊掟からの集䞭攻撃がひず぀の原因で刊行䞍胜ずなり、それを鳥圱瀟から刊行せざるを埗なかったずいう事情は、ほずんど同じ経緯で、今幎2024幎月に、アビゲむル・シュラむダヌの『トランスゞェンダヌになりたい少女たち』が、版元を「KADOKAWA」から「産経新聞出版」ぞず倉えるいうかたちで再挔された。

    しかし、今回の『トランスゞェンダヌになりたい少女たち』に関しおいえば、刊行が決たっおいた「KADOKAWA」に察しお出版停止を求める眲名や電凞などの盎接的な攻撃があったのみならず、「KADOKAWA」が出版が取り止めにした埌、これを救うかたちで「産経新聞出版」が同曞の刊行を匕き受け、さらに「出版劚害には屈しない」ずいう態床を鮮明に打ち出したこずに察しお、今床は出版瀟に察する圧力だけではなく、曞店に察する「攟火予告」などもあっお、玀䌊囜屋曞店やゞュンク堂曞店などが、同曞の販売を控えるなどしたため、さすがにこれは「巊掟のやりすぎであり、キャンセルだ」ずの批刀が高たった。
    そしお、前蚘のずおり、本来は巊掟の『情況』誌が、「トランスゞェンダヌ」特集を組むなどしお、こうした「キャンセルカルチャヌ」の問題を、幎前の「キャンセルカルチャヌ特集」以来、再び取り䞊げお問題化するこずにもなったのである。

    『情況 2022幎春号【特集】キャンセルカルチャヌ』

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    そんなわけで、私ずしおは、先般の『情況 2024幎倏号 【特集】トランスゞェンダヌ』 に、

    ・「曞面むンタビュヌ笙野頌子 女消しに抗しお、䞖界暩力に異議を」

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    ずしお寄皿しおいた笙野が、『矀像』誌に、実際に「どんなものを曞いたために、キャンセルされたのか」ずいうのかを確かめるため、今回『発犁小説集』を読むこずにした。

    䞊の蚘事「女消しに抗しお、䞖界暩力に異議を」を読んでいるから、笙野の「反トランスゞェンダリズム」の䞻匵内容自䜓は知っおいる。
    だが、笙野はそれを、自身の「小説䜜品」に、どのようなかたちで反映させたこずによっおキャンセルされたのか、そのあたりを確認しおおかないず、笙野の䞀方的な蚀い分だけで、講談瀟が䞍圓な「キャンセル」をしたずは断じられないず、そう考えたからである。

    さお、『発犁小説集』の内容だが、「目次」よりも巻末の「初出䞀芧」の方が、圓時の事情がわかりやすいず思うので、ここでは「初出䞀芧」を瀺しおおこう。
    なお、ヘッドナンバヌは、私がここで振ったものである。

    01「女性文孊は発犁文孊なのか」文藝家協䌚ニュヌス二〇二䞀幎十月号

    02「九月の癜い薔薇ヌヘむトカりンタヌ」矀像二〇䞀八幎䞀月号
    03「返信を、埅っおいた」矀像二〇䞀九幎䞀月号
    04「匕きこもりおコロナ曞く」矀像二〇二〇幎十月号

    05「難病貧乏裁刀料匟プラチナを売る」季刊文科84 二〇二䞀幎春季号
    06「質屋䞃回ワクチン二回」矀像二〇二䞀幎十二月号
    07「叀酒老猫叀時蚈老婆」季刊文科86 二〇二䞀幎秋季号

    08「ハむパヌカレンダヌ1984」曞き䞋ろし

    䞊の八぀の収録文に、「行開け」を入れお、぀のパヌトに分けたのは、次のような事情からである。

    たず、最初の01ず最埌の08は、講談瀟ず瞁が切れ、鳥圱瀟からの刊行が決たった埌に曞かれた、「たえがき」ず「あずがき」にあたるものだずいうこずを瀺しおいる。
    ぀たり、埌から曞かれた「事情説明文」であり、問題ずなる本線䜜品は02〜07ずいうこずになるわけだ。ただし、本曞収録にあたっお、それぞれに、著者による「自䜜解説」などの短文が付録されおいお、本曞刊行の経緯が、詳しくわかる䜜りになっおいる。

    たた、この䜜品集の本䜓ずも呌ぶべき02〜07を二぀に分けおいるのは、次のような事情のためだ。
    02〜04たでは、講談瀟の『矀像』に曞かせおもらったものである。
    䞀方、05〜07の方は、『矀像』では自由に曞かせおもらえなくなっおいたずころ、それたでもたたに゚ッセむなどを寄皿しおいた、鳥圱瀟の文芞誌『季刊文科』が自由に曞かせおくれるずいうので、曞かせおもらったのが、埌半の05ず07、そしお「政治向きの話は曞かず、私小説䜜家らしく貧乏話だけを曞く」ずいうこずで『矀像』に曞かせおもらい、結果ずしお、最埌の同誌寄皿䜜品ずなったのが06ずいうこずになる。

    ぀たり、02〜04の2018幎から2020幎にかけおの時期は、身蟺雑蚘を曞く「私小説家」ずいうこずで、笙野頌子はただ、その時々に興味を持っおいるこずを、比范的曞きたいように曞いおいた。
    その䞻たる内容が「トランスゞェンダリズム批刀」であるず同時に「安倍晋䞉政暩批刀ずコロナ犍における自粛生掻」ずいうこずになる。
    ぀たり、圓時の安倍政暩の政策批刀やコロナ察策ぞの批刀、そしお、自身の「共産党支持」を䞭心ずした政治掻動などを前面に抌し出したものを、笙野は曞いおいたのだ。

    だが、「安倍政暩批刀ずコロナ犍における自粛生掻」の方は、ただしも、「トランスゞェンダリズム批刀」に぀いおは、圓時は無論、今でさえ、ただただ䞀般の理解など無かったこず圓然、線集者の理解も薄かっただろうもあっお、笙野頌子の䞻匵を「トランスゞェンダヌ差別」であるず批刀する者も、文筆家の䞭に少なくなかった。
    そんなわけで、講談瀟ずしおは、「トランスゞェンダリズム批刀」の方を、あたり奜たしいものず思っおいなかっただろうこずは、容易に掚枬できよう。

    たた、「政暩批刀」ずいうのも、床が過ぎお、「政治性」が前面に出たものであったから、講談瀟・『矀像』線集郚ずしおは「そんな、私小説に芋せかけた政治文曞ではなく、小説らしい小説を曞いおほしい」ずいうのが、たぶん「本音」だったはずだ。

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    『矀像』2022幎10月号。この段階で、トランスゞェンダリズム支持の評論家・氎䞊文や、オヌプンレタヌ発起人の䞀人・䞉朚那由倚の名前が芋える

    そこで、笙野に察するそのような「芁請」なり䜕なりがあっお、笙野頌子が『矀像』に曞くものは、「貧乏話」が䞭心ずなっおいくのだが、無論、笙野ずしおはそうした劥協は䞍本意なこずだったので、版元ずしおは小さいが、鳥圱瀟の『季刊分科』で奜きなこずを曞かせおもらうこずにもなる。

    そしお、このよう経緯で曞きためられた䜜品が単行本化される時機になったものの、講談瀟偎が、笙野頌子ずこれ以䞊぀きあうメリットはないず刀断しお、『矀像』掲茉䜜品の単行本化を断ったために、笙野頌子は、それを鳥圱瀟に持ち蟌み、『季刊文科』掲茉の䜜品ず合わせお刊行したのが、この『発犁小説集』であるず、おおよそこのような経緯であった。

    こうした、いささか耇雑な背景があっお、それぞれの䜜品の内容的な傟向が決たっおいるため、そのあたりの事情を説明するために、01ず08が加えられ、さらにそれぞれに「自䜜解説」的な短文が付け加えられたのである。

    では、個々の「私小説」䜜品は、「小説ずしお」どうなのかずいうこずなのだが、はっきり蚀えば、『矀像』線集郚が「もう勘匁しおくれ」ず蚀いたくなった気持ちは、理解できるものであった、ず評し埗よう。

    02〜04のあたりに぀いおは、かなり「曞き盎し」の指瀺がなされたそうだが、その結果がこれだずすれば、初皿などは、完党に「政治゚ッセむ」に近いものだったのだろうず、容易に掚察できるからだ。
    無論、最初から、そのようなものを求めお原皿䟝頌したのであれば、それでもかたわないのだが、『矀像』が求めたのは、あくたでも「小説」であり「玔文孊」なのである。

    この点に぀いお、笙野頌子は、自分の曞くものは「身蟺雑蚘的な私小説であり、その意味で玔文孊である」ず䞻匵しおいるわけで、それも理屈ずしおは間違いではないにしおも、そうした䞻匵は、原皿を䟝頌した線集郚の意向を、故意に無芖するための匷匕な「方䟿」で、䞀皮の「詭匁」だずさえ蚀えるものだ。だから、『矀像』が、そしお講談瀟が、笙野頌子に距離を眮こうずしたずいうのも、「文孊」の問題ずしおさえ、理解できないものでもなかった。
    芁は「小説ずしお぀たらない、政治文曞もどきなら、もういらない」ずいうこずだったのであろう。

    そんなわけで、『矀像』線集郚の意向を匷く受けお、もっぱら「貧乏話」に培した、06の「質屋䞃回ワクチン二回」などは、たしかに「私小説」ずしお楜しめるものに、なっおはいる。だが、圓然それでは、笙野の方が䞍満だった。

    したがっお、笙野頌子が、結果ずしお講談瀟から「切られる」に至ったのは、笙野を「差別者」ずしお攻撃した「アラむ」ず呌ばれす「トランスゞェンダリズム支持者」たちの圧力が圱響したずいうのも事実だが、決しおそれだけではなかった、ずも蚀えるだろう。

    蚀うたでもなく、「文孊」ずは、人間生掻の党般を扱うものだから、「政治」的なものも、そこに含たれおいお圓然だ。
    その兞型が、か぀おの「プロレタリア文孊」や戊埌の「巊翌文孊」なのだが、しかし、そうした「むデオロギヌ文孊」が流行らなくなっおひさしく、しかも「いくら玔文孊でも、ある皋床は売れおもらわないず」ずいう感じになっおきた出版䞍況の珟圚、著者の政治性を、「私小説」の名の䞋に、むき出しに衚珟しようずした笙野頌子が、版元にうずたれるのは、ある意味、仕方のないこずだったずは蚀えるだろう。

    「文孊」や「私小説」が、建前ずしおどうであろうず、「商品䟡倀のないもの」そしお「掲茉責任を問われかねない䜜品」たで、雑誌掲茉したり、単行本化したりたではできないず、そう出版瀟偎が刀断したずしおも、それをいちがいに責めるのは酷なのではなかろうか。

    実際のずころ、「䜜家ず出版瀟」の「持ち぀持たれ぀の関係」からすれば、「期埅する䜜品を曞いおくれなくなった笙野頌子」ずの関係を絶ったからこずをしお、それを「キャンセルであった」ず単玔化しお語るこずは、笙野頌子自身を含め、その事情説明者の、極めお「政治的な挔出的身振り」ずしか、私には思えない。
    なお、笙野自身は、講談瀟偎の事情も圓然察しおいるから、講談瀟に長幎の感謝こそ述べおも、露骚な恚み蚀を曞いおいるわけではない。ただ、結果ずしお、自分は「キャンセル」されたず䞻匵しおいるだけである。

    ずもあれ、私の堎合、笙野頌子に぀いおは、デビュヌ圓時から、その存圚を知っおおり、䜕冊かの初期䜜品ず論争本を読んで、「ナニヌクな䜜家」だず評䟡しおはいたものの、奜きな䜜家ずいうほどではなかった。
    その「神がかり」的に「独善的」な態床が、小説家らしいず蚀えば小説家らしいずは蚀え、「客芳的理性を、あたりにも蔑ろにしおいる」ずいう印象があり、しかもそれが、笙野の「地そのもの」ではなく、意図的に挔じられおいる郚分があり、そこが「蚈算高さ」ずも感じられお、そうした郚分で、いささか「胡散くさい」ずも感じられおいたのだ。

    事実、こうした「評䟡」は、笙野頌子ず「トランスゞェンダリズム」ずの察立関係を知る以前に曞いた、笙野の『䌚いに行っお 静流藀嚘玀行』2020幎・講談瀟に぀いおのレビュヌ2021幎月を「〈文孊者〉ずいう アリバむ」ず題したこずからも、おおよそご理解いただけよう。私はそこで、次のように曞いおいたのだ。

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    しかしながら、笙野頌子ず件の創䟡孊䌚員さんを比范すれば、ただしも創䟡孊䌚員さんのほうに、同情の䜙地がある。なにしろ、その人はそれを本気で信じおいるんだから、そんな「劄信」が傍迷惑だずは蚀え、「信じおしたっおいるんだから、しかたないよなあ 」ず思う郚分もあるからだ。

    ずころが、笙野頌子の堎合は、そうではない。
    笙野の堎合は、「文孊」や「文孊者」、あるいは「私小説」や「私小説䜜家」に、確定した「本質」や「存圚そのものむデア」が存圚するなどず、「劄信」しおいるわけではない。むしろ、そんなものは存圚しないず理解しおいながら、それが圚る方が奜郜合だから、さもそれがあるかのように「挔技」しおいるだけなのだ぀たり、倧川隆法みたいなものだ。
    その意識的な挔技ずは、䟋えば、次のようなものなのである。

    『䞀䞀 論争などする時、私は自分を玠盎で単玔な人間にするように語りを䜜り蟌む、そうするず自然ず論争はしやすくなる。キャラが固たるなどずは絶察に蚀わないが、ひず぀の論点に絞っお蚀葉を繰り出せるのだ。』P270

    芁は「論争時に芋せおいる私の姿は、意識的に単玔化されたものであっお、本圓の私は、あんな単现胞ではないよ」ずいう意味である。

    そしお、事実そのずおりなのだが、しかし、この「堎面に応じお、自身に利するようにキャラを䜜る」ずいうのは、なにも「論争」時に限った話ではない、ずいうこずなのだ。
    ぀たり、「ふざけた」時も「キチガむめいた」時も、そしお「真摯で誠実」な時も、笙野はそれを意識的に「挔じおいる」のであり、これは笙野が、「文孊」や「文孊者」、あるいは「私小説」や「私小説䜜家」に、確定した「本質」や「そのものむデア」が存圚するず「劄信しおいるふり挔技」をもしおいる、ずいうこずを意味するのである。

    では、なぜ笙野頌子は、「文孊」や「文孊者」、あるいは「私小説」や「私小説䜜家」に、確定した「本質」や「存圚そのものむデア」が存圚するず「劄信」しおいる、「挔技」などするのであろうか。

    それは、抜き難いその劣等感を鎧い、脆匱な自我を守るものずしお、「文孊」や「文孊者」、あるいは「私小説」や「私小説䜜家」ずいった「特暩階玚ずしおのレッテル」は、非垞に䟿利なものだからである。

    ぀たり、笙野頌子が「反トランスゞェンダリズム」を語る際に、ゞェンダヌにおける「男女二元論」を自明芖し、「曖昧なゞェンダヌずしおのトランスゞェンダリズム」を吊定しお「解剖孊的な男の身䜓を持぀トランス女性は、女ではない」ず断じ、その䞊で、「トランス女性を女だず認めろ」ずする「トランスゞェンダリズム」は、女性の存圚ずいう事実を吊定する「女消し」だず、もっぱら「女性ずしおの党掟的利益の確保」を蚎えるのも、「ゞェンダヌ」ずいうこずに぀いお、誠実に思考した結果ずしおの吊定ず蚀うよりも、敵ずしおの「トランスゞェンダリズム」を議論の土俵に䞊らせないための、故意の「挔技」だず考えるべきなのだ。

    蚀い換えれば、笙野が「トランスゞェンダリズム」を「頭から吊定しお芋せる」のは、「そちらの蚀い分もわかるずころはあるが、しかし党面的には認められない」ずいうような、わかりにくい態床よりも、石頭なたでに「そんなデタラメ、誰も認められないですよ」ず断じる方が、無知な䞖間ぞの蚎求力があるず、そこたで考えお、功利的に「確信犯」を挔じおいるず、そう考え埗るのだ。
    そしお、そういう「小利口に政治的なずころ」が、「文孊ずしお二流」であるず、私は蚀いたいのである。

    笙野頌子が、「文孊者」ずしおではなく、「䞀人の人間個人」ずしお、あるいは「垂民運動家」ずしお発蚀するのなら、そうした「策」を匄しおも、たあ、よくあるこずだ、くらいにしか思わない。
    しかし、笙野頌子のように、文孊者であるこずを前面に抌し立おお、文孊衚珟ずしおそれを曞くのだずいう「猿芝居」は、いくら笙野頌子の収入源がそれしかないずはいえ、やはり、私には、悪しき「文孊利甚」ずしか思えない。
    だから私は、本曞『発犁小説集』や、そこに収められた䜜品を、優れた「文孊䜜品」だずは認め難いのである。

    蚀い換えれば、『発犁小説集』所収の文曞を、「小説」ではなく、「小説を隙った政治文曞」だずそう考えるならば、それはそれで、その内容はいかにも凡庞な「非理性的な怒声」でしかないずの評䟡にもなる。

    そんなわけで、このような぀たらない文章が倚少なりずも有り難がられるのだずしたら、それは、日頃は「文孊」など読たないような、「瀟䌚意識が高い぀もりの運動奜きの人たち」が、ただ「笙野頌子ずいう著名人の名前」を政治的掻動の看板ずしお利甚するために、有り難がっおいるだけ、だずしか思えない。
    芁は、曞かれおいる内容など、「凡庞」でもかたわないのだ。ただ「芥川賞䜜家・笙野頌子」ずいう名前さえ぀いおいれば「利甚䟡倀がある」ものずしお、ありがたく利甚させおもらう、ずいうだけのこずなのであろう。

    そしお、最悪なのは、笙野頌子自身が、そのこずに半ば気づきながらも、そうした「先生」扱いの神茿に、ありがたく乗っおいる点である。
    ぀たり、私ずしおは、文孊者ずしお「政治的な問題」ず向き合うのであれば、その「有名人」ずしおの立堎にあぐらをかくのではなく、もっず真正面から問題に向き合えず蚀いたいのだ。
    䟋えば、「束川事件」に取り組んだ、広接和郎のように。

    そんなわけで、私は『発犁小説集』を、本質的に「文孊ではない、゚セ文孊」だずしか評䟡しないし、「政治運動文曞」ずしおは「わざず知的レベルの䜎いずころで、倧袈裟に隒いで芋せおいる、目立぀こずが目的のプロパガンダ文曞」だずしか評䟡しない。それでおしたいである。

    䞀䞀ただ、そんな笙野頌子の『発犁小説集』を、刊行圓時に批刀しおいた評論家がいたずいうので確認しおみるず、それは、以前に「くだらない二流評論家」ずしお䜎評䟡を䞎えた、「限界研」の杉田俊介であるこずがわかった。
    そのため、どうせ倧したこずは曞いおいないだろうず思いはしたのだが、関連資料ずしお念のため読むこずにした。
    だがたた、その内容は、予想した以䞊にくだらない、「栌奜぀けのポヌズ」ばかりが錻に぀く、いかにも凡庞な評論文だったのである。

     ○ ○ ○

    杉田俊介の「トランスゞェンダヌフェミニズムメンズリブ 笙野頌子『発犁小説集』に寄せお」は、『察抗蚀論 反ヘむトのための亀差路』ずいう聞き慣れない評論誌の第号、特集「差別ず暎力の批評」の特集蚘事のひず぀ずしお曞かれたものである。版元は「法政倧孊出版局」。

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    第号の刊行が「2019幎12月」、第号が「2021幎3月」、圓該第号が「2023幎1月」の発行で、おおよそ幎回のペヌスで刊行されおいたようだが、号の刊行からたもなく幎になろうずしおおり、第号は出ないのか、倧幅に遅れおいるずいうのが窺える。

    ずもあれ、この「反差別」に特化した評論誌の刊行が始たったのが「2019幎」だずいうのは、芁は、その頃が「反差別」蚀論が、それ単品で商売になるほど盛り䞊がっおいたずいうこず事実を瀺唆しおいるず芋おいいだろう。それが、今幎2024幎には刊行されおいないずいうのは、これもたた、いかにも瀺唆的なこずなのではないだろうか。

    同誌の衚玙カバヌを芋るず、線集人の名前が人䞊べられおおり、その䞭では杉田俊介の名前だけがひずたわり倧きくなっおいるから、杉田が代衚線集人であり、本誌の代衚者だずいうこずであろう。
    実際、残りの人である「櫻井信栄・川口奜矎・藀原䟑貎」は、芋たこずも聞いたこずもない人たちで、著名ずたでは呌びがたい杉田俊介よりもさらにマむナヌな、杉田の呚蟺人物なのではないだろうか。

    本誌第号の20人ほどの執筆者の䞭で、私が知っおいる人物は、杉田の他には、川村湊、宀井光匘、蔓葉信博の人がいるだけで、党䜓に「同人誌」くささが匷く挂う。

    ちなみに、川村湊ず宀井光匘に぀いおは「Wikipedia」ぞのリンクを匵っおおくので、そちらを確認しおいただくずしお、蔓葉信博に぀いお簡単に玹介しおおくず、この人も、杉田俊介ず同じ、か぀お笠井朔が組織した「限界研」旧名称「限界小説研究䌚」のメンバヌで、芁は「笠井朔」に䞖に出しおもらった、サブカル系の評論家である。
    本号には、可もなく䞍可もない短めの評論文を寄せおいる。

    本誌の巻末近くには「クラりドファンディングの埡瀌ずご報告」ずいう、䞋のような文章が掲げられおいお、本誌が「同人誌」くささの理由も、これでおのずず氷解した。
    同時に「この頃は、特にクラりドファンディングが流行った時期であったな」ず、思い出させおもくれた。
    ぀たり、すでに第号には寄付が集たらなくなっおいる蓋然性が高い、ずいうこずなのではないだろうか。いたや、型通りに優等生的で、珟実を芋ない「反差別」蚀説は、岐路に立たされおいる、ずいうこずなのではないだろうか。

    『本誌の出版プロゞェクトは、2019幎に始たりたした。倧孊出版郚を版売ずし぀぀も、法政倧孊をはじめ、特定の団䜓や組織の埌ろ楯はずくにありたせん。財政的な支えを埗るため創刊「1号」では、倧手CAMPFIRE 瀟の提䟛するプラットフォヌムのうち「瀟䌚問題ず向き合う人のクラりドファンディング」である GoodMorning を通じお、2019幎11月7日に寄付の募集を開始したしたURLhttps://camp-fire.jp/projects/view/206457。結果、総勢222名の方々から支揎をいただき、総額は140侇155円に達したした。お預かりした資金は、2019幎末刊行の「1号」および2021幎2月刊行の「2号」の原皿料や取材費、最䜎限必芁な広告費などにすべお䜿甚したした。可胜ならば、匕き぀づき「4号」刊行の実珟のため、再びクラりドファンディングをおこなうこずを怜蚎䞭です。今埌もご関心ずご協力を寄せおいただきたすよう、お願い申し䞊げたす。』

    私に蚀わせれば、こういう事情だから、杉田俊介が筆頭線集人で、こんな批評誌も出せたんだなず腑に萜ちた、ずいうこずである。

    そんなわけで、今回は、杉田俊介の「トランスゞェンダヌフェミニズムメンズリブ 笙野頌子『発犁小説集』に寄せお」なのだが、これがずにかく酷い。

    前蚘のずおり、笙野頌子の『発犁小説集』も、その「わざずらしさ」をしお高くは評䟡しなかった私だが、杉田俊介の「カッコ぀け」ばかりの無内容ぶりは、笙野頌子のそれどころではなく、それがたた、以前、杉田俊介を論じお指摘したずおりのそのたただったので、かなりりンザリさせられた。

    杉田の堎合、䜕がダメなのかずいえば、やたら「評論っぜい、もったいぶった蚀い回しを倚甚しおいる」わりには、「䞭身が皆無」だずいう点である。

    前回論じた、杉田の単著『戊争ず虚構』では、「享楜」ず「ねじれ」ずいう、どこかで聞いたこずのある「借り物の蚀葉」が、もったいぶっお連呌されおいたのだが、今回も䌌たようなスタむルなのだ。

    たずえば、『戊争ず虚構』における「ねじれ」は、明らかに加藀兞掋からのいただきだずすれば、本曞における、

    『「男」の立堎からは、やはり女性差別ずトランス差別を同時に、耇雑に、倱語し぀぀考えるべきである。これである。』P365

    ずいった、勿䜓ぶった蚀い回しは、たぶん高橋哲哉や倧柀真幞の、悪しき猿真䌌であろう。
    芁は、そうした䞀流の人たちが、その個性から必然的に出おきた蚀い回しを、杉田俊介は、ただ「評論らしい蚀い回し」ずしお䜿っおいるかたちばかりに䜿っおいるだけで、オリゞナルにはあった䞭身が、そこには皆無なのだ。

    䟋えば、杉田のこの論考は、雑誌サむズのA5版段組で40ペヌゞ匱の、短くはないが長線ずも蚀えない長さのものなのだが、その䞭で、䜕床も「勿䜓ぶった確認」を繰り返すこずで、内容が「深い」ものであるかのような「錯芚」を読者に䞎えようずする、小手先芞を繰り出す。
    しかしたた、批評文を読み慣れた者には、そうした軜薄な「ポヌズ」が目立぀ばかりで、蚀っおいるこず自䜓は、極めお平凡か぀、䞀方的なものでしかないのだ。

    䟋えば、圓論考が冒頭に近い郚分で、早速、

    『 はっきり蚀えば、笙野はこれらの蚀葉で、たんに事実を吊認し、自らの䞍安ず恐怖心を増幅させお、グロヌバルな反トランス的な差別運動の朮流に無意識に加担し、無残な広告塔になっおいるだけである。そのようにしか芋えない。そのこずを確認した䞊で、笙野のトランス排陀的蚀説の急所を䞀蚀で射貫こう。笙野が䞀貫しお恐れるもの、それは䜕か。「女」を装する「男」の存圚である。぀たり笙野は、トランスゞェンダヌの人々の䞭に停装的な「男」が混圚する可胜性を匷く怖れおいる。』P359

    ず断じおいるのだが、この『急所を䞀蚀で射貫こう。』ずいうご倧局な蚀い回しが、この杉田俊介ずいう「評論家」の本質をあらわにしおいるのだ。

    どういうこずかず蚀えば、こんな笙野頌子自身が繰り返し語っおいる「圓たり前の話」を指摘しおいるだけなのに、こうも「ご倧局な蚀い回し」をするこずで、さも「すごく本質的なこずを指摘した」かのように芋せかけるずいう、そんな欺瞞的なテクニックばかりが倚甚されおいるのである。

    笙野頌子をはじめずした「反トランスゞェンダリズム」を䞻匵する人たちが、䞖間に「トランスゞェンダリズム」の危険性を蚎える堎合に、真っ先に持ち出すのは、「トランスゞェンダリズム性自認至䞊䞻矩」の䞻匵ずは、簡単に蚀っおしたえば、「性別は、圓人が自分をどう感じおいるかで決たるべきだ」ずいう䞻匵にその䌎う、珟実的問題だ。
    䟋えば、身䜓が解剖孊的には「オス」であっおも、圓人が「女ず思えば女」である、ずいういうのが「トランスゞェンダリズム性自認至䞊䞻矩」。
    さらに蚀うず、そうした認識が、圓人の䞭で倉われば「性別」も倉わるし、他には、性別が「どっちずも蚀えない」ず蚀う人は「男でも女でもない」ずいうこずにもなる。

    無論「圓人がどう思おうず、それは圓人の自由」なのだが、こうした「トランスゞェンダリズム性自認至䞊䞻矩」で問題ずなるのは、「圓人の性自認を、法的にも保蚌しお、その性別にそっお、瀟䌚制床を改めよ」ず䞻匵しおいる点が問題なのである。

    ぀たり、身䜓が男であろうず女であろうず、圓人が「私は男だ」「私は女だ」ず䞻匵すれば、それは「圓人の性的な自己認識性自認」に止たらず、「法的」にもそうだず保蚌され、そのような瀟䌚的埅遇を完党か぀平等に保蚌されなければならない、ずいうこずになるのである。

    すなわち、「性転換手術を受けおおらず、身䜓は男のたただが、性自認は女性だず思っおいるトランス女性」には、「女颚呂」や「女性トむレ」を䜿甚する「圓然の暩利」が保蚌されなくおはならない、ずいうこずになる。
    そしお、事実欧米においおは、そのような法制化がなされたために、「男が女子トむレに入っおきた」ずか「トランス女性を装った男が、堂々ず女子トむレに入っお、性犯眪を犯した」ずいうような事件やトラブルが、少なからず発生した結果、「身も心の女性ずいう埓来の女性」の偎からの、圓然の反発が匷たっおいるのである。

    ぀たり、笙野頌子のいう「メケシ女消し」ずは、実質的に「女性だけの堎所や暩利」が消されおゆき「女性が女性である」ず蚎えるこずさえ「差別的な認識」だずしお、䞍可胜になり぀぀ある状況に察する、「危機感」を語った蚀葉なのだ。

    実際、日本においおも、このような䞖界的な動向を受けお、女颚呂に女性を装っお入った男が逮捕された埌、自分は「トランス女性であるず䞻匵しお、その犯意を吊定した」ずいうような事件も発生しおいるのである。

    したがっお、笙野のような特別な運動家ではなくおも、「身䜓が男のたたの人物」が、女颚呂や女性甚トむレに入っおくるのは「困る」「怖い」ず考える、そんな「埓来の女性」が少なからずいるずいうのは、ごく圓たり前の話しでしかない。
    そもそも、「私は女性である」ず䞻匵するその人物が、本圓に自分を女性だず思っおいる「トランス女性」なのか、それずも「なりすたしのトランス女性」なのかは、他人には確認しようがないこずなのだ。
    だから、「性自認による性別の法的保蚌」などずいうものが、䞖間の理解を十分に埗ないたた通っおしたうず、「身も心も女性」である女性たちが「安心しお瀟䌚生掻が営めない」ず䞻匵するのは、ごく圓前なのである。

    そしお、杉田俊介も、たたもや「勿䜓を぀けながら」認めおいるように、笙野頌子も「性転換を望むトランスゞェンダヌ」の存圚やその人暩自䜓を吊定しおいるのではなく、「性自認至䞊䞻矩」の法制化による「トランスゞェンダヌ自認の悪甚」を問題ずしおいるのである。

    「自分の気持ちが指し瀺す性別を、法的にも認めおほしいずいう気持ちはわかるけれども、それを法的に認めおしたっおは、匊害が倧きすぎるから、それはやめおほしい。そういう制床ありきのやり方ではなく、もっず具䜓的で现やかな瀟䌚的配慮ずいうかたちで、トランスゞェンダヌの人暩は守られるべきだ」ず、そのように䞻匵しおいるだけなのである。

    『 少なくずも笙野は、「性同䞀性障害」の圓事者の苊痛に察しおは共感的であり、たずえば日本の二〇〇䞉幎の「GID特措法」に぀いおも限定的に評䟡しおいる䞉䞀頁。『発犁小説集」ずいうテクストを読む限り、趣味で女装する男性぀たりトランスノェスタむトのこず、あるいは囜内の法埋に則っお手術を受けたトランスゞェンダヌの人々のこずなどは特に批刀しおいない。蚀説の䞊で公正であるためにそれは確認しおおく笙野のトランスゞェンダヌ理解や抂念芏定が十分であるずは蚀えないずしおも、少なくずも笙野の䞻匵に察しお蚀論によっお批刀する堎合も、笙野の蚀説に察しお批刀者偎も公正であるべきだろう。』P359

    このずおりなのだが、この『蚀説の䞊で公正であるためにそれは確認しおおく』『笙野の蚀説に察しお批刀者偎も公正であるべきだろう』などず、批評家ずしお「圓然」のこずを、こずさらに匷調しお「私はこのように、フェアな人間です」ず倧芋栄を切らなければ気の枈たないのが、杉田俊介ずいう評論家の「抜きがたい䜓質」なのだ。

    実際、前述のずおり、この特別に長くもない論考においお、最初に倧仰に『急所を䞀蚀で射貫』いたわりには、

    『 ならば、あらためお、この躓きstumblingの堎所※ 論者である杉田が、身も心も男の異性愛者であり、その意味で女性を抑圧しおきた偎の存圚でもあれば、女性の気持ちが本質的にはわからない存圚であるずいう事実から、私たちは、この私は、䜕をどう考えればいいのか。倚数掟の異性愛のシスの「男」ずしお。
     ここからは、笙野頌子のテクストを傍らに眮き぀぀、「問題」そのものを理論的に考えぬいおみたい。』P363

    などず、勿䜓を付ける。
    ぀たり「私は、女性のこずを本質的には分かり埗ない男であるずいう珟実を謙虚に認め぀぀、それでもあえお、男ずしお女性を語るこずの困難を匕き受け、それず察峙しよう」ず、芁は「栌奜を぀けおいる」だけなのだ。

    こんなこず、論考䞭でわざわざ断るたでもなく、この論考を曞いおいる事実をしお、すでに圓然なこずなはずなのに、「私はこんな困難なこずをやっおるんですよ」ず、自分でアピヌルしないでは気が枈たないのが、杉田俊介ずいう男なのだ。

    そしお、このように、歌舞䌎のような倧芋栄を切った埌、すぐに『だがもちろん』ず、さらに付け加える。

    『䞀䞀だがもちろん、理論ずは、぀ねに、あくたで圓事者の苊難のためのもの、珟堎の苊難のためにあるものであり、あくたでも二次的なものであるべきものである。ずすれば、以䞋で展開される私の抜象的な議論は、アラむ的な立ち䜍眮からの逞脱を含むだろう。アラむの姿勢を守り、自分自身の問題を語らない、ずいう倫理からはみ出しおしたうだろう。そこには倚数掟男性による歪曲があり、集奪があり、盗甚があり、骚抜きがあるかもしれない。その点においお、珟圚の私には無限の躊躇があり、加害ぞのさらなる加担に察する怯えもたたある。そのこずを率盎に吐露しおおく。しかし、それでもなお、自分が考えさせられおしたった事柄に぀いお、フェミニズム䞀般にも回収し埗ないトランスゞェンダヌ理論の可胜性を「男」ずしおの自らの心身ず蚀葉に受肉し぀぀、理論の力を通しお、考えうるずころたで考えおみたい。行けるずころたでたず足を進めおみたい。』P363

    「批評的な理論ずは、評論家のためではなく、批評察象のためにある」などずいうのは、分かり切った話なのだが、それをわざわざ「私は、他人のために批評をやっおいたす」ず、こずさらにアピヌルしないでは気が枈たないのが以䞋同文。

    男である自分が語るのだから、そこには女性に察する『倚数掟男性による歪曲があり、集奪があり、盗甚があり、骚抜きがあるかもしれない。その点においお、珟圚の私には無限の躊躇があり、加害ぞのさらなる加担に察する怯えもたたある。』けれども「それでも私は、その困難を乗り越えおいこう」ず、頌たれもせずに「他人の䞍幞」をネタにしおおきながら、たるで「英雄気取り」なのである。

    たた、この埌も、こんな調子である。

    『 さお、䞀歩ず぀、少しず぀問いを進めお、ひずたずここたでは来た。
     この堎所からあらためお基本的に考えおみたいのは、トランスゞェンダヌずはそもそも䜕か、ずいうこずである。』P378

    『 少しばかりの迂回をしょう。
     恐るべき粟織さでトランス理論を蚘述するゲむル・サラモンは以䞋略』P382

    『 ここでもゆっくり、おずおずず、おそるおそる理論的な歩みを進めよう。』P389

    芁は、前述のずおり、最初に「笙野頌子の急所」ずやらを『䞀蚀で射貫』いた埌に、『少しず぀問いを進めお、ひずたずここたでは来』るず、今床は『少しばかりの迂回』をし、さらにその埌は、たた『ここでもゆっくり、おずおずず、おそるおそる理論的な歩みを進め』たすよず、この論考の「構成の説明」をしおいるわけだが、こんな「自己解説」が、どうしお必芁なのか。

    いうたでもなく『䞀歩ず぀、少しず぀問いを進めお、ひずたずここたでは来た。』ずかずいうのは、「私は堅実に、議論を進めおきお、今やその深いずころたで螏み蟌んだ」ず、そう自分でアピヌルするものだし、『少しばかりの迂回をしょう。』ずいうのも「私は、倚角的に問題を論じおいる」ずいうこずのアピヌルである。
    そしおさらに『ここでもゆっくり、おずおずず、おそるおそる理論的な歩みを進めよう。』ずいうのは、「私は、さらに深いずころぞず、その歩みを進めおいくので、読者諞兄は、私のこの困難な歩みに、どうか぀いおきおほしい」ずいう、これも「深いこずを語っおいたす」アピヌルの䞀皮だ。

    こんな具合で、杉田俊介の議論ずは、「A→B→C→D」ず曞けば枈むものを、このようにわざわざ「A→X→B→X1→C→X2→D」ず䞍必芁な「自己賛矎の蚀葉」を挟んでいくこずで、評論を読み慣れない読者には、その「䞍必芁な郚分」だけが印象に残るように仕向けお、䜕やら「深いこずを読たされた」気分にさせようずする態のもの、でしかないのだ。
    蚀うなれば、「車ずしおの性胜自䜓は倧したこずのない、デコトラデコレヌション・トラック」みたいなものなのである。

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    このデコトラは、車ずしおの実力も、トランスフォヌムもあるかもしれない

    だから、もう私がこの論考を読みながら、心底うんざりさせられ、これなら「神がかりの挔技掟・笙野頌子の方が、ただマシだ」ず思った気持ちも、ご理解いただけよう。
    そもそも、こんな「䞍必芁に勿䜓ぶっおいる文章」しか曞けない者に、たずもに䞭身のある批評文など曞けるわけがないし、そもそも䞭身のあるものが曞けるのなら、こんなに「勿䜓ぶったりはしない」のである。

    実際、杉田俊介の笙野評䟡ずいうのは、結局のずころ、次のようなものでしかない。

    『『発犁小説集』を通読しお感じられるのは、すでに觊れた「メケシ女消し」の暎力性に察する匷い怖れである。それはほずんど珟実吊認的で歎史修正的で陰謀論的な劄想の域に拡匵されおいく。傷情的なレトリックず特異な文䜓のリズムを駆䜿しお、笙野は曞く。「新䞖玀二十幎今䞖界䞭で、女ずいう蚀葉が犁止にされ぀぀ある。デマではない。ネットに海倖ニュヌスず動画がある。犁を砎った先進囜の女達が魔女ず怒鳎られ、デモで束明に远われ、殎られおいる。レズビアンの䞀家は皆殺しにされた。他、クビ、糟匟、圹職降板。䞍条理満茉の䞖界になっおいる」。「今、女ずいう蚀葉、抂念、䞻語や医孊的事実は眪なのである。䟋、「女性に陰茎はない」ず蚀ったら糟匟。レズビアンの陰茎䞍芁宣蚀に「矯正」芁求。間匕き、慰安婊、女児性噚切陀を「無暗に」可哀想ず蚀うずヘむトスピヌチ。月経劊嚠の保護を蚎えおも同眪可胜性」
    二䞃ヌ二八道。
     はっきり蚀えば、笙野はこれらの蚀葉で、たんに事実を吊認し、自らの䞍安ず恐柿心を増幅させお、グロヌバルな反トランス的な差別運動の朮流に無意議に加担し、無残な広告塔になっおいるだけである。そのようにしか芋えない。そのこずを確認した䞊で、笙野のトランス排陀的蚀説の急所を䞀蚀で察質こう。華野が䞀貫しお恐れるもの、それは䜕か。「女」をの装する「男」の存圚である。぀たり野は、トランスゞェンダヌの人々の䞭に内装的な「男」が混圚する可胜性を匷く揃れおいる。』

    芁は、笙野が「その神がかり的に倧袈裟な衚珟で、珟実を歪めおおり、結局は、䞖界的な保守反動の広告塔ずなっお、そのお先棒を担がされおいるだけだ」ずいう、非垞にわかりやすい図匏的評䟡にすぎない。

    しかしながら、笙野が曞いおいるのは、衚珟的には䞍必芁に倧袈裟ではあるけれども、基本的には「事実、あったこず」であり、決しお杉田が蚀うような『事実を吊認』したものではない。
    笙野は、やや倧袈裟に、挔技の入った語り口で、これらの「恐怖」を増幅しおアピヌルしおはいるが、決しお「ありもしないこずを曞いお、嘘を぀いおいる」ずいうわけではないのだ。

    むしろ、笙野が『事実を吊認』しおいるず蚀っお、そうした「事件やトラブル」が、さも「存圚しないかのように」語っおいる、杉田俊介の方が、明癜に「嘘぀き」なのである。

    ぀たり、笙野が『グロヌバルな反トランス的』な朮流に乗っおいるずいうのは事実だが、その朮流が、すべお『差別運動』だずするのは、「トランスゞェンダリズム掚進掟」である杉田俊介から芋た、埗お勝手な「党掟的な解釈」に過ぎない。
    杉田は、次のようにも曞いおいる。

    『 議論に入る前に、前提を䞀぀述べる。囜際的に宗教右掟・カルト、宗教団䜓が䞻導しおいるトランス差別の問題に぀いお。
     その珟実的勢力の問題を無芖しお、近幎激化するトランス差別の急速な拡散に぀いお考えるこずはできない。これは日本の䞎党政治家ず旧統䞀教䌚の癒着問題にずどたらず、グロヌバルでトランスナショナルな珟象である。宗教右掟、カルト宗教団䜓は、䟋えば、同性婚反察、女性の暩利拡倧倧反察、あるいは性的マむノリティ䞀般ぞの批刀、等々がすでに自分たちの勢力拡倧のための有効な戊略にならない、䞖界䞭の民衆を味方に぀けられない、ずいう珟実を思い知った。そのために、新たなマむノリティ圓事者の分断を戊略的に持ち蟌むこずにした。それが女性ずトランス圓事者の敵察性のフレヌムアップであり、あるいはLGBTの間の分断である。そのような反ゞェンダヌ運動の圧倒的な珟実を無芖するわけにはいかない。』P363〜364

    ぀たり、この『グロヌバルな反トランス的な差別運動の朮流』ずは、反動保守的な宗教勢力が、背埌で糞をひくものだずいう「陰謀論」を語っおいるのだ。

    もちろん、宗教がしばしば保守的なのは事実だし、その圱響力が絶倧だずいうのも事実なのだが、圌らの意図するずころが、単に『勢力拡倧のため』であり、打算のみであるかのように蚀うのは、あたりにも䞀方的であろう。

    圌ら「信仰者」の蚀うこずが、客芳的に、正しかろうが間違っおおろうが、宗教には、曲げるこずのできない「真理ずしおの教矩」があり、それが近代や珟代の知芋ずぶ぀かるなら、これに反察するのずいうのは、ごく自然なこずで、決しお「損埗打算」の問題ではない。圌らにずっおは、たさに「信仰・信念・理想」の問題なのである。
    したがっお、杉田俊介がここでしおいるのは、䞍誠実か぀通俗的な「印象操䜜」でしかないのだ。

    この評論文が曞かれた圓時、「旧統䞀教䌚」が䞖間的な批刀を济びおいたものだから、杉田俊介はここで、それず結び぀けるこずで、「反トランスゞェンダリズム」に、殊曎に悪印象を擊り぀けようず、このような倧仰な「陰謀論」を持ち出しただけなのである。
    杉田俊介ごずきサブカル評論家が、䞖界政治の裏偎たる「陰謀」を、そうも簡単か぀確信的に語れるずいうこず自䜓が、そもそも無理のある話なのだ。

    無論、「統䞀教䌚」が「トランスゞェンダリズム」に反察しおいるずいうのは事実だろう。だが、だからず蚀っお、「反トランスゞェンダリズム」を蚎える人たちが、皆「宗教保守掟に操られおいる」かのように蚀っお、「悪の勢力」呌ばわりの印象操䜜をするのは、明らかにアンフェアであり、批評ずしおも「䞍誠実」ずの誹りは免れない。
    あれほどし぀こく「私は誠実です」アピヌルをしたずころで、その内実は所詮このずおりなのである。

    たあ、自分で自分の「誠実さ」をアピヌルしおばかりいるような茩の蚀うこずなど、もずより信甚に倀しないずいう、これは、その分かりやすい実䟋だず蚀っおも良いのではないだろうか。

    結局のずころ、圓論考における杉田の結論ずは、次のようなものだ。

    『 するず理論的には、※ 私たちが問われおいる問いは次のようになる。
     堎所や時間や関係によっお、性のあり方が無限に倚元的に倉化し倉容しうるような※ 理解困難な他者を※ あえお受け入れ、信頌し、共存するこず。そうした※  容易には理解し難い他者の存圚の様態もたた平等に圓たり前※ の存圚である、ず認識する※ 呑み蟌むこず。プレデタヌ※ 女性に危害を加える捕食者ずしおの犯眪者をも※ 最終的には愛するこず。問われおいるのはそうしたこず※ 困難な理想である。笙野頌子は、性自認ずいう抂念が恣意的な意志に基づくならば、成りすたしや悪意の存圚を排陀できず、それは「女」にずっお極めお危険である、ず批刀した。しかし、※ 加害者である犯眪者をも含む他者ずずもに生きる䞀䞀他者の根源的なトランス性※ 男であるか女であるかは、他人にはわからないずいう性栌ず共に生きる䞀䞀ずいう倫理※ 理想は、原理的に、それが本人の意識や意志による性自認※ でしかないかもしれず、様々な芁因から䞍劂意に重局決定される※ 曖昧なアむデンティティであるかもしれない、それがどちらなのかわからない、ずいう根源的な性的決定䞍胜性をも※ 私たちは受け入れねばならない、ずいう※ 極めお困難な圓為※ なすべきこずを意味する。※ 困難な理想であるからこそそこに倫理がある。その人※ 理解困難な他者は、己の性自認を間違えるこずもありうるし、性的同䞀性の圢成に倱敗するこずもありうるし、それを事埌的に蚂正するこずもありうるのだ。他者性ずはプレデタヌ的な他者性であり、そしおそれ※ プレデタヌ的な犯眪者性はこの私※ たちの䞭にもある※ のだから、お互い様で、それを認め合うべきだ。
     それだけではない。ここは絶察に認めねばならない。他者ずは根源的に䞀䞀これもたたもはやトランスの人々に限られないこずを匷調したい䞀䞀なりすたす他者、隙す他者でもありうるのだ。性暎力や性犯眪をもゆるすべきだ、ずいう意味ではない。非合意な性的接觊は蚱されないし、誰もが他人から理䞍尜に心身を䟵襲されるべきではない。そのような※ 自らを守る性的暩利ず自由を䞇人が持぀はずだ。しかし、たさにその性的な暩利ず自由のためにこそ、自分の性を間違えお蚂正する他者、成りすたす他者、隙す他者の存圚を蚱容し、歓埅しなければならない。そこに正しい他者間違った他者の線匕きは根源的に䞍可胜なのだ※ 圌らは私たちでもあるのだから。
     「男」ずしおのこの私のセクシュアリティもたた、堎所や時間や関係によっお、偶然的に、無限に倚元に別様に倉化しうるのであり、たずえ今たで䞀床も倉容可胜性や性的違和を感じたこずがなかったずしおも、※ 誰もが、私ず同様にそう考えるべきなのである。ずすれば、この自分もたた誀る自己、蚂正する自己、成りすたす自己、隙す自己でありうる、ずいう恐怖を完党に抹消し、抑圧するこずは※ 圓然できない。そうした朜圚的に恐るべき倉容可胜性内なるプレデタヌを消し去るこずなく䜕床でもこの点に戻っおくるが、「男」たちは、暫定的な「男」の特暩的ポゞションを自芚的に匕き受けながら、ヘテロセクシズム的で家父長制的な※ 珟圚の法・制床・構造の倉革※ 革呜的な改倉にコミットしおいくべきである。』
    P391〜392、※ は匕甚者補足

    䜕も難しい話をしおいるのではない、ここで杉田俊介は、「自分を含めた誰もが、犯眪者になる可胜性を秘めた存圚ずしおの人間なんだから、すでに犯眪者なった人のこずを拒絶しおはならない」ず、本圓は、自分でも出来はしないずわかっおいる「芳念的な理想」を語っお、笙野頌子ら「反トランスゞェンダリズム」掟の「珟実䞻矩」を、無責任に吊定しおいるだけなのだ。
    遠くの理想を語るこずで、圓面の問題に察凊しようずしおいる人のこずを「浅はかで無考え」扱いにしおいるのである。

    だが、杉田俊介は、右の頬を打たれたら、巊の頬を差し出すのだろうか
    心臓をひず突きにされたら、その時に差し出す、別の心臓でも持っおいる぀もりなのだろうか

    䞊のように曞いたからずいっお、その日から杉田は、芋知らぬ他人が自分の家に勝手に䞊がり蟌んできお、勝手に飲み食いするこずを蚱すわけではない。
    自分が率先しお、垞識的な制床の革呜的な改倉を、具䜓的にするわけでもなければ、犯眪者を容認するわけでも、たしおや「歓埅」するわけでもない。

    ぀たり、杉田自身も、盞倉わらず「犯眪は防止されなければならないし、犯眪者は眰せられなければならない」ず考えおいる点では、笙野らず、䜕も倉わらないのだ。
    ただ、無責任にも躊躇なく、実行する気もない理想を、平気で語れるか吊かが、笙野ず杉田の違いでしかないのだ。

    ただ杉田俊介は、「ランスゞェンダリズム」の問題ずいうのは、今ここですぐ、自分に関わる問題ではないずいうのを芋おずっお、笙野たちに「犯眪者をも愛しなさい」ず、ご蚗宣をたれ、珟実問題から「話を逞らしおいる」にすぎない。

    笙野たちだっお、「陰茎のある男は、女じゃない」ずいった、いささか乱暎ではあれ「分かりやすい蚀葉」でアピヌルしおいたずしおも、「トランスゞェンダヌ」そのものを吊定しおいるわけではないのだ。
    ただ、みすみす新たな「犯眪者プレデタヌ」を生む蓋然性の高い「トランスゞェンダリズムは認められない」ず、そう蚀っおいるだけなのだ。

    䞀䞀蚀い換えれば、「犯眪が起こらない。女性が、トランスゞェンダリズムによる法改正の犠牲になるこずは䞀切ないず、そう杉田俊介が保蚌できるのならば、トランスゞェンダリズムも認めよう」ずいうこずなのだ。

    だが、無論、杉田俊介にそんなこずが「保蚌」できるわけもないし、このような法埋が斜行されれば、そんな新皮の「プレデタヌ」が生たれおきお、犯眪を犯すずいうのは、すで「先進囜」で珟実化され、実蚌されおいる事実なのである。
    たた、ある新しい暩利・暩益を認めるからには、それたでに認められおいた他の暩利を䞀郚制限するこずになるずいうのは、分かりきった事実なのだが、それを、芳念的なレトリックで煙に巻くずいうのは、人ずしお、そもそも䞍誠実なのである。

    それなのに、犯眪被害がこの先、どれくらい生たれようずも「私たちは犯眪者をも愛するように努力しおいかなければならないのだ」などず䞻匵しお芋せたずころで、それは「無責任」だずの謗りを免れないのだ。
    そんなものは「財源のない、ばら撒き政策」ず同様の、人気取りのための「欺瞞」にすぎないのである。

    そんなわけで、この杉田俊介のような人物が、善人ヅラをしお、「トランスゞェンダリズム支持者」である「アラむ」であるず名乗っおいるのだから、「反トランスゞェンダリズム」の人たちが、「アラむ」を「話にならない狂信者」だず考えお敵芖するのも、やむを埗ないずころなのだ。

    杉田俊介の圓論考に぀いおは、他にも蚀いたいこずが山ほどあるが、それをひず぀ひず぀拟い䞊げおいおは切りがないので、このくらいにしおおく。

    だが結局のずころ、「反トランスゞェンダリズム」の人たちを、狂信的な「男女二元論者」にしおしたっおいる元凶は、杉田俊介を含む、「トランスゞェンダリズム」を支持し掚進する偎の狂信性なのである。
    トランスゞェンダヌそのものには同情心を持っおいる人たちにさえ、「キチガむに察抗するには、キチガむになるしかない」、自分の身を守るためにはそれしかない、ずいう気持ちにさせおしたっおいるのだ。

    私が、「トランスゞェンダリズム掚進掟」ずその「反察掟」の問題に぀いお、最初に読んだ「反察掟」の理論曞である、斉藀䜳苗の『LGBT問題を考える 基瀎知識から海倖情勢たで』のレビュヌで、「トランスゞェンダリズム」の掚進掟ず反察掟の䞡者を、

    『銬鹿ず阿呆の絡み合い』

    でしかないず評したのは、やはり間違っおはいなかった。

    私が「性自認を認めるずしおも、それは今すぐここで、法的にずいう話ではない」ず泚文を぀けお、「トランスゞェンダリズム掚進掟」の匷匕なやり方をも批刀するずいう「䞡睚みの批刀」も、䞡者が共に「独善的」だから「どっちが勝っおも、きっず勝った方が、やり過ぎおしたうだろう」ずした「譊告」も、「笙野頌子ず杉田俊介」ずいう、それなりに名のある者同士のやり取りにしおこの皋床なのであれば、そうした危惧も圓然のこずだずいうのが、ご理解いただけようはずだ。

    問題は、こういう「ひずたず、自分たちの方が正しいのだから、倚少ハッタリでもいいから、こちらの正矩をアピヌルすべき」ずいうような態床を、双方の関係者が採っおおり、もはやそれが、自己暗瀺による「信仰」の域に達しおいる、ずいう点にある。

    もはや䞡者は、マむノリティたる「トランスゞェンダヌのため」ではなく、「自分の信仰のため」に、是が非でも盞手を倒さなければならないずいう、そんな「宗教戊争」を戊っおいるのだ。

    だから私たちがしなければならないのは、どちらが正しいずいう「間違った二者択䞀をしお、䞀方に加勢する」こずではない。
    そうではなく、双方が共に「誀った信仰」によっお、䞖界を䞍安定化させおいるずいう事実を、䜕床でも指摘し続けるこずなのである。

    本圓の意味での「本圓のこず」を、決しお語ろうずはしない、狂信的な「停善者」たちを、決しお野攟しにすべきではないのである。


    2024幎12月5日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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