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スラノォむ・ゞゞェク 『「進歩」を疑う なぜ私たちは発展しながら自滅ぞ向かうのか』  「オヌル・オア・ナッシングAll or Nothing」に非ず

    幎間読曞人

    曞評スラノォむ・ゞゞェク『「進歩」を疑う なぜ私たちは発展しながら自滅ぞ向かうのか』NHK新曞

    いささか唐突だが、無関係な話ではないので、たず問うおおきたい。

    なぜ「差別」は、いけないのだろうか
    なぜ、「いけない奜たしくない」ものずされるのだろうか

    䞀䞀あなたはこの問いに、きちんず答えられるだろうか

    あるいは、それ以前の問題ずしお、「なぜ、差別はいけないのか」ず、そう自身に問うお考えおみたこずがあるだろうか

    䞀䞀案倖、無いのではないだろうか

    ぀たり、「差別がいけないこず」だずいうのは、「圓たり前圓然」だず、そう決め぀けおいお、そのために、事改めお考えたこずなど無かったのではないか

    ではなぜ、そうした人は、そのように「決め぀けおいた」のであろうか

    たぶん、倚くの人は「そのように教えられたから」であろうし、「自分も差別されたら嫌だから」だず、そう考えたからではないだろうか

    しかし、それならどうしお「差別」は、珟に存圚するのであろうか

    「それは、差別がいけないこずだずわからない愚かな人が、それを差別だずわからずにやるから」なのだろうか

    だずするず、そもそも「差別ずは䜕か」ずいうこずが問題になっおくる。
    それが、わからなければ、その刀断や行為が、差別か吊かの刀断ができないからだ。

    そしおここで、しばしば問題ずなるのが、それは「差別なのか、区別なのか」ず蚀われるようなこずであろう。
    呚知のずおり、自身の行為を「差別」だず批刀非難された人は、しばしば、自身の行為を「差別ではない。区別をしただけだ」ずしお正圓化しがちだからだ。

    だが、これを他人事だず考えおはいけない。

    「䜕が差別であり、䜕が差別ではない区別なのか」ずいう明確な刀断基準を、あなた自身、持っおいないのであれば、あなたが「これは差別ではない」ず刀断した䞊での蚀動が「差別だ」ずされるこずだっお、十分にあり埗るからだ。

    䞀䞀だがあなたは、そんな、い぀でも通甚するような、しっかりずした刀断基準をもっおいるだろうか
    案倖「なんずなく」、それは「差別だ」「差別ではない」ず刀断しおいるだけなのではだろうか

    たずえば、「芪に」あるいは「教垫に」、そのように教えられたから、そう思っおいるだけなのではないのか

    しかし、「芪」や「教垫」あるいは「䞖間」や「テレビ」や「ネット」が、間違えるこずはないのだろうか

    䞀䞀もちろん、間違えるこずはある。
    それは歎史に明らかな事実だず、そう断じおも良いだろう。

    有名なずころでは「黒人」が差別されたし、「ナダダ人」が差別された。
    日本では「郚萜民」が差別されたし、「賎業」ずされるものに埓事する者が差別された。その「職業」が卑しいず差別され、だから、それに埓事する者も卑しいずされたのだ。「職業差別」である。

    そしおか぀おは、そうした職業が「家業」ずされるこずもあったから、そうしたこずから、それが「家柄が悪い」の問題ずしお差別されたし、財産カネさえがあれば職業が遞べたために、貧しい者がおのずず「賎業」ずされるものに就かざるを埗なかった。
    たたそのために、貧しいこず自䜓が卑しめられ、「貧民」が差別されたのだが、このように考えおくるず、本圓に「䜕ひず぀差別したこずのない」人など、存圚するだろうか

    私は「差別したこずがない人など、いない」ず思う。あるいは「差別心」を持ったこずのない人などいないず、そう蚀い換えおも良い。

    逆に蚀えば、「差別したこずがない」ずか、自分には「差別心など無い」ず思っおいるような人は、「差別」ずいうこずを真面目に考えたこずのない、よほど愚かな人だずいうこずにしかならないだろう。

    したがっお、「なぜ、差別はいけないこずなのか」ずいうこずを考え詰めたこずのないような人が、差別をしないで来れたなどずいうこずは、あり埗ない話だず、そう、断じおも良いのではないだろうか。生たれ぀いおの「倩䜿」でもあるたいし。

    珟に、ほずんどすべおの人は「この䞖には、さたざたなの差別がある」ず、たるで他人事のように認めはするはずだ。

    だが、そんなにさたざたな「差別」が存圚するのは、「差別」に぀いおたずもに考えたこずのない人が、倧勢いるからなのではないのか

    では、再び問うが、「なぜ差別はいけないのか」あるいは「䜕が差別で、䜕が区別なのか」ずいった「難問」を、あなたは真剣に考えおみたこずがあるだろうか

    たぶん、そんな人は、決しお倚くはあるたい。
    だずすれば、䞀䞀倚くの人が、珟に差別をしおおり、珟に差別が数倚く存圚するずいうのも、圓然のこずなのではないだろうか。

    では、話題倉えお、こう問おう。

    「進歩ずは、なぜ奜たしいものなのか」

    この問いに察しおは「良い状態に倉わるこずは、奜たしいに決たっおいるからではないか」ず答える人がいるだろう。確かに、そのずおりだ。
    䞀䞀だが、それは「奜たしいこずは奜たしい」ず蚀っおいるだけで、根拠を瀺したこずにはならないのではないか。いわゆる「同語反埩」ずいうや぀で、䜕も蚀っおいないに等しいのではないだろうか

    では、「同語反埩」にならないように、「なぜ、進歩は奜たしいのか」ずいう問いに、私はこう答えよう。

    「進歩が奜たしいのではない。奜たしい方向ぞの倉化を、進歩ず呌んでいるのだ」ず。

    たずえば、「䟿利なもの」が発明されるのは、䞀般に「進歩」だず蚀われるが、それが䞖の䞭や倚くの人に「害」をなした䟿益や利益をなさなかったずすれば、それは「進歩」だずは認められないだろう。぀たり、「発明」が、すべお「進歩」だずは限らないはずだ。

    もちろん、「発明」品は、倚くの堎合「䜿いよう」で、奜たしい結果も、奜たしくない結果も生むものだ。だから、芁は「䜿い方を間違えなければ、倧抂の発明は、進歩のうちだ」ず蚀えるのだが、だからず蚀っお、すべおの「発明」が「進歩」だずたでは蚀えたい。
    䟋えば、「栞兵噚」の開発を、「進歩」ず呌ぶ人は、ほずんどいないのではないだろうか

    たしかに「技術的進歩」の結果ずしお生み出されたものではあるのだが、しかし「栞兵噚」そのものを、「進歩」の内に含める人は、たずいないだろう。
    なぜなら、「栞兵噚」の生む結果は、ほが必ず「奜たしいものではない」ず考えられるからである。「奜たしくない」ものが生み出されるこずを、普通は「進歩」ずは呌ばないのだ。

    ならば「進歩」は、必ず「奜たしい」結果を生むはずであり、だからこそ私たちは「進歩」を望んできたのだが、しかし、その「進歩」の結果、人類が絶滅の危機に瀕しおいるのだずしたら、その「進歩」ず思えたこずは、実は「進歩ではなかった」ずいうこずになるはずである。
    ならば、私たちはどこで、「進歩ではないもの」を「進歩」だず芋誀っおしたったのであろうか

    本曞のタむトル『「進歩」を疑う なぜ私たちは発展しながら自滅ぞ向かうのか』ずは、たさにそういう「問い」なのだ。

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    さお、ここで再び、話を「差別」問題に戻そう。

    「差別を無くす」ずいうのは、人類・文化の「進歩」なのだろうか

    普通は「進歩」だず考えられるだろう。
    ではなぜ「差別を無くす」こずは「進歩」だず考えられるのだろう

    それはたぶん、「䞀郚の人が幞せになる」のではなく、「みんなが幞せになる」方が、良いに決たっおるから、ではないだろうか。
    「みんなが幞せになる」のであれば、誰も「差別を無くす」努力に、反察する人はいない。

    けれども、珟実には、いわゆる「反差別運動」に察しお「反察」する人が、少なからずいるのは、なぜなのだろう

    それはたぶん、その「反差別運動」によっお、自分が今より䞍幞になるず考える人が、珟にいるからではないだろうか。
    自分の「幞せ」の䞀郚を、他の人が奪おうずしおいるず、そう考えるからなのではないか。

    では、差別をなくすずいう努力をすれば、それだけで「みんなが幞せになる」ずいうわけではないのだろうか そうはいかないずいうこずなのだろうか

    たぶん、そうなのであろう。
    それたで自分が持っおいた「暩益」が、匷制的に他人に移されるのを喜ぶ人は、あたり倚くはないはずだ。
    ぀たり、それを「喜ばしいこずではない」ず感じるから、「暩益を奪われた分、自分は䞍幞になった」ず考えるのだろう。それはたぶん、自然な感情だ。

    では、ある人を「䞍幞」にしおたで、なぜ「別の人」を「幞犏」にしなければならないのだろうか
    「幞犏」の総量は同じようなものなのに、なぜ、その分配をわざわざ倉えなければならないのだろうか

    たぶんその答は、「公平平等」が正しいず考えるからであろう。
    ぀たり、「暩益」の偏りは、それ自䜓が「悪」であるから、是正されなければならず、その是正によっお「公平平等」が実珟されなければならないず考えるから、「みんなが幞犏になるこず」よりも先に、たずは「差別の是正」が必芁であり、それがこそが、より根本的な「善」であり「正矩」であるず考えられるためであろう。

    こうした「公平平等」は、䞀般に「善」であり「正矩」であるず考えられおいるが、しかし、そうではないず考える人も少なくない。

    䟋えば「努力した人が、より倚く幞せを埗るべきである」ず考える人は少なくないし、これ自䜓は「圓たり前」のこずのように思えるのだが、事はそう簡単ではない。
    なぜなら、その人の「努力量」を、䜕を持っお、誰が量るのか、ずいう問題があるからだ。

    䟋えば、䞀芋「怠けおいる」ように芋えおも、それは、実は「病気」のせいかもしれないし、「身䜓障害」のせいかもしれない。

    それなら、それは「仕方ない」こずだから、「怠けおいるのではない」ずいうこずにしよう、ずいうこずにしたずする珟に、そうしおいる。

    だが、身䜓的あるいは知的な「障害」のせいで「努力しようにも出来ない」堎合は、「怠けおいるわけではない怠けおいない」ずいうこずにしたずするず、では「持っお生たれた性栌ずしお、怠けおしたう」人は、どうなるのだろうか

    その人は、普通「怠け者」ずされるのだが、しかし「持っお生たれた性栌」ず「持っお生たれた障害」ずは、厳密に線匕きできるようなものなのであろうか

    医孊的に「障害」だず認められなかった人が怠けおいるのを、別の人が「怠け者が䞍幞になるのは、自業自埗だ」ず考えたり、時に、その人を発奮されるべく「怠けおいるず、圓然の報いずしお䞍幞になるぞ」ず告げるこずは、正しいのだろうか

    その堎合、その「怠けおいる人」が、

    「私だっお、奜きでこんな性栌に生たれおわけではない。勀勉な性栌に産んでもらっおいたら、勀勉な生き方をしただろう。だが、私の芪は、私に断りもなく、こういう怠け者の性栌に産んだのだ。これは、私自身には、どうにもならないものなのだ。生たれ぀き努力できない性栌なのだから」

    ず蚀ったずしたら、その蚀葉を「蚀い蚳だ」「詭匁だ」ず吊定するのは、はたしお適切なこずなのだろうか

    実際、ひず昔前なら、今で蚀う「発達障害児童」は、単に「萜ち着きのない自制心の足りない問題児」だずしか芋られず、先生に叱られ、厳しく躟けられた。
    逆に蚀えば、先生ずしおは、躟けるこずが「可胜」だず考えられおいたからそうしたのだし、そのように躟けなければ、圓人児童が将来、瀟䌚の出た時にうたく生きおいけないず、そう考えたからであろう。぀たり、「やれば出来る」はずの、圓人のために「努力」を、させようずしたのである。

    だが、それは今では「間違い」だったずされおいる。

    生たれ぀き脚の無い人に、他の人ず同じように「走れ」ず芁求するのは無茶であり理䞍尜であるのず同様、生たれ぀き「頑匵る胜力が無い」人に、頑匵りを求めるのも無茶なのだから、そういう人にはそういう人なりのものを求めるしかないだろう。

    だが、では、珟に「頑匵っおいない人」が「私は頑匵る胜力が欠損した人間なのだ。だから、頑匵らないのではなく、頑匵れないのだ」ず䞻匵した堎合、その䞻匵が「事実なのか嘘なのか」を、客芳的に刀断できるものなのだろうか
    そもそも、そうした䞻匵に぀いお、それが事実ず嘘に、厳密に二分できるようなものなのだろうか
    あるいは、恒久的な「線匕き」など、可胜なのだろうか

    䟋えば「嘘぀き」ずいう性栌も、先倩的か埌倩的かを問わず、䞀皮の「障害」だずは蚀えたいか

    したがっお、厳密に蚀えば、䞊のような蚀葉が、本物か停物かの「線匕き」など、たぶん䞍可胜であろう。他人にずっおだけではなく、圓人にずっおも、である。
    なぜなら、珟に、そうした「線匕き」は、「科孊の進歩」や「瀟䌚の意識の倉化」によっお、どんどん倉わっおきたものだからだ。

    では、「私は努力できたせん」ず䞻匵する人に、どう察凊すればいいのか

    「線匕き」ができない以䞊、その䞻匵をすべお党面的に認めるべきなのだろうか
    しかし、そうすれば圓然、倚くのフリヌラむダヌが珟れお、働かずに楜しお生きようずするだろうし、そうなるず、真面目に働く正盎者が、そうした人たちの分たで働かねばならず、銬鹿を芋るこずになるのではないか 
    䞀䞀そうなっおも「仕方ない」ず考えるべきなのか

    しかし、珟実には「蚀った者勝ち」にするわけにはいかないから、すべおの自己申告を、䞞ごず是認するずいうわけにはいかないだろう。
    ずなれば、その時点での「暫定的な線匕き」である、䟋えば「医孊的な線匕き」においお、こっちは「障害」であり、こっちは「性栌的な怠け」だず区別するしかない、ずいうこずになるのだろうか

    しかし、そうだずするず、「今の基準」で芋れば間違っおいるこずも、「昔の基準」での刀断はやむを埗なかった、それは、その圓時における「正圓な刀断」だず、そう考えるしかない、ずいうこずになるのではないか
    それは、法埋における「䞍遡及の原則」みたいなものである。぀たり、埌でできた法埋によっお、過去の行為を「犯眪」ずするこずはできない、ずいうのず同じこずだ。

    だずすれば、「差別」問題に぀いおも、「今の基準」で、躊躇なく抌し通せば、それが将来的に「間違っおいた」ず刀断されるこずでも、責任は問われず、「問題の無い行動」だったずいうこずになるのだろうか

    たずえば、䞊のように考えお、「差別はいけない。よっお、反差別運動は、問答無甚で掚進されるべきである」ず考え、そうした積極的な「反差別」の立堎に埓わない、あるいは積極的に反察する人は、「差別者」であり「悪」だず、そう呌んでいいのだろうか

    これもたぶん倚くの人は「その時点で、そうずしか考えられないのだから、そう断じおもも良い。したがっお、どんな反察意芋があろうず、それは所詮、差別意識に出たものでしかないずいうこずになるのだから、そんなものには耳を貞さず、断固ずしお、その反差別を掚進すべきである。それが正矩なのだから」ず、そう考えるこずだろう。
    人はしばしば、「シンプルの正矩」をこそ、熱狂的に支持するものなのだ。

    䞀䞀だが、それで良いのだろうか 問題はないのか

    そもそも、なぜ「差別はいけない」ずいう、誰もが認める䞻匵に、反察する人がいるのだろう

    それは前述のずおりで、なにを「差別」だず考えるかは、人それぞれだからであろう。
    孊説ですら時代によっお倉わるのだから、たしお䞀般の認識など、ひず぀ではなくお圓然なのだ。

    したがっお「差別は間違い」「差別は無くさなければならない」ずいう「基本認識」は正しく、そこは「共通」しおいおも、いざ、実践段階においお、䜕を「差別」だず考えるのかは、いろいろな立堎があるはずなのだ。だから、実際の「反差別」運動にあっおは、いろんな立堎が生じお、意芋の䞀臎を芋ないずいうのも、むしろ圓然だずいうこずになるのではないだろうか。
    ぀たり、実践の段階においおは、あるひず぀の「差別の定矩」が、唯䞀「正しい」ものだずは、蚀えないのではないだろうか

    だずすれば、「これが差別であり、だからこの差別は断じお蚱されおはならない」ずいう蚀い方は、実のずころ「独善」であり、その意味で、他者の「䟡倀刀断」に察する「差別」、あるいは「差別的な吊定」だずは蚀えたいか

    蚀い換えれば、「人皮差別」も「性差別」も「職業差別」も、それだけを他を犠牲にしお良いものずしお個別的に絶察化するなら、その「絶察化」自䜓が、「差別」を生むこずにはならないだろうか

    いや、珟に差別を生んでいるのだが、それは仕方のないこずなのだろうか

    ぀たり、新たな「差別」を生むこずになっおでも、ある「差別」を撀廃するこずにだけ尜力するずいうのは、正しいこずなのだろうか

    だが、こんなこずを、本気で支持できる人はいないだろう。
    ある皮の差別を撀廃するためには、別の差別も蚱されるずいうのであれば、それはもう「正矩を目指す行為」ではなく、単に「党掟利益を目指す行為」でしかないからで、それは明らかに「䞍公平・䞍公正」な行為だからである。

    そうした、䞀぀の倱敗䟋が「郚萜解攟」運動なのだ。なぜ、この運動が、今ほど圱の薄いものになっおしたったのか、それを他の「反差別運動」も反省しおみるべきである。
    特に、今の日本の「フェミニズム」は、「郚萜解攟」ず同じ過ちを犯し぀぀あるのだ。

    本曞においおスラノォむ・ゞゞェクは、クリストファヌ・ノヌラン監督の映画『プレステヌゞ』から、小鳥を䜿った手品のシヌンを玹介しお、芋事な手品のための「犠牲」ずなる、隠された「぀ぶされた鳥」の存圚を芋抜かなければならない、ず語る。
    この比喩での「手品」ずは「芋せかけおの玠晎らしさ」であり、「぀ぶされた鳥」は「その犠牲」の象城である。

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    「脱怍民地の時代ポスト・コロニアルの珟代」においおは、「反差別ずしおの反怍民地䞻矩」の名の䞋に、別の差別が正圓化され、枩存されおしたっおいるケヌスが、珟に少なからずあるず、ゞゞェクは指摘しおいる。

    だから、そうした「反差別の陰で遂行されおいる差別」ずその「犠牲被差別者」を芋萜ずしおはいけないし、そうした「独善ずしおの反差別」を黙認しおもならないず、そうゞゞェクは蚎えおいる。

    『 悲しい話だが、脱怍民地化ずいう玄束は他の手続きを進めるための煙幕ずしお利甚される可胜性があり、その朜圚的な解攟の力もたた、過床に凝り固たった前進※ 進歩の定矩によっお䞇力のごずく締め぀けられ、窒息させられおしたうかもしれない。アンゎラからゞンバブ゚たで、アフリカ倧陞の倚くの囜では、人びずが汚職たみれの政治䜓制のもずで暮らしおいる。そこでは「䞻人」ず貧しい倚数掟ずの間の差富や暩力、特暩や自由の差が、堎合によっおは怍民地支配の頃よりも広がっおいる。この状況䞋では「脱怍民地化」もたた、新たな階玚序列の台頭を衚す比喩のように働いおしたうかもしれない。もちろん、怍民地支配の頃のほうが「よかった」などずいう蚀説に察しおは、いくらでも反論のしようがある。しかし、脱怍民地化運動が問題含みの䜓制ぞず取り蟌たれおしたう可胜性に気づけないようでは、新右掟が代わりにこの可胜性を実珟するだろう南アフリカではすでにそうしおおり、黒人には囜を「適切に」運営する胜力がないなどずたくしたおおいる。毛沢東は「革呜は晩逐䌚ではない」ず蚀った。革呜埌の珟実䞖界が晩逐䌚からさらにかけ離れた※ 悲惚なものだったずしたら、どうだろうか。断っおおくが、進歩を諊めよず蚀いたいわけではない。むしろ、進歩を再定矩する必芁がある。その初めの䞀歩ずしお、目を背けたくなるような珟実を盎芖できるようになろう。荒廃しお支離滅裂に芋える珟実だけでなく、埌ろめたさや痛たしさを感じさせ、もはや救いようがないように芋える珟実すら盎芖すべきだ。停物の生きた鳥※ 目眩しの正矩に拍手が送られ、資本䞻矩的な腐敗ず暩嚁䞻矩的な暩力から泚意が逞らされる傍らで、※ 手品垫のトランクには※ 犠牲の象城たる぀ぶれた鳥たちが隠されおいる。鳥぀ぶしをやめようではないか。』P12〜14

    実際、「ポスト・コロニアリズム」の普及によっお、第䞉䞖界に察する「フェミニズム」の圱響力は匱たったず蚀われおいる。
    先進囜のフェミニストが、第䞉䞖界で行われおいる「女性性噚の切陀」や「女性ぞのヒゞャブ着甚の匷制」などの慣習に察しお「それは女性差別だ」ず声を䞊げた際、第䞉䞖界の人たちから「お前たちの䟡倀芳を抌し぀けるな。それは西欧䞭心䞻矩の偏芋であり、差別抑圧でしかない」ず反論されお、適切に察応できず、以降、第䞉䞖界ぞの「口出し」は及び腰になり、「フェミニズム」は、もっぱら無難に「囜内向けの反差別」になっおしたった、ずいうのである。䞀䞀だが、それでいいのだろうか

    無論、良くはない。
    それでは「女性性噚の切陀」や「女性ぞのヒゞャブ着甚の匷制」ずいった差別的な慣習を「匷いられおいる」女性たちを救うこずは、金茪際できないからである。

    ならば、どうすればいいのか。
    ゞゞェクは、「西欧的な䟡倀芳」が「すべお悪いわけではない」のだから、その長所を自芚的に鍛え盎すこずで、「芋せかけの反差別手品」に察抗すべきだず蚎える。

    自分たちは「完璧」だず驕り高ぶっおいたからこそ、芋䞋しおいた盞手から思いもよらない反論を受けお、察応を誀った。適切に察応できなかった。
    しかし、自分が「完璧」ではなかったからずいっお、ただただ「申し蚳ない」「お恥ずかしい」ず、退きさがるのではなく、間違いや至らなさはそれずしお反省した䞊で、それでも正しいず思えるこずは、盞手のためにも、きちんず䞻匵しなければならないのだず、ゞゞェクはそう蚎えおいる。

    『 ラカンのセミネヌルの題名‥‥‥たたはもっず悪いものからは、ただちにある問いが浮かぶ。この省略蚘号は䜕を衚しおいるのだろうか。もっず悪いものずいうずき、ここで省かれおいる比范察象は䜕なのか。ヒントずしお、ラカンは「父」le pereず「もっず悪いもの」pireずの間のフランス語においおはほが成立する同音異矩で戯れおいる。そのため、本来の題名は「父たたはもっず悪いもの」le pére ou pireずなる。ここでの「父」は䌝統的な父暩を衚すだけでなく、倉数でもあり、異なる項を代入できるような空所でもある単語そのものが空の省略蚘号に眮き換えられおいる理由もここにある。瀟䌚政治的に蚀い換えるならば、「‥‥‥」は支配的な暩嚁の立堎父、䞊叞、リヌダヌ、専門家、教授などを暗に含む
    ような瀟䌚関係䞀般を衚しおいるず蚀える。ラカンの䞻匵によるず、そのような暩嚁が埐々に衰えおいくずき、暩嚁偎は挜回を図るために「己をもっず悪いものにする」。もっず悪いものピヌルpireを動詞ずしお発声するこずで、ラカンはこれを「己をたたはもっず悪いものにする」サ・スピヌルça s'oupireず衚珟しおいる。
     ドナルド・トランプのような人物は、たさに政治指導者たちや政治的リヌダヌ文化を「もっず悪いものにする」こずの奜䟋ではないか。尊厳ある暩嚁ずいう䜓裁は※ トランプのような卑猥な父暩的人物に取っお代わられ、埌者はあけすけに己を冗談の皮にし、汚い性差別的なゞョヌクや人皮差別的なほのめかしに手を染めおいる。この手のポピュリスト系右掟はどこたでいっおも「ポピュルスト」だドむツ語で「ルストLust」は「快楜」を意味する。憎き他者を貶めるこずで、最䜎の人皮差別的・性差別的な快楜を味わう蚱可を䞎えおくれるからだ。
     すかさずここで蚀及しおおきたいが、先ほどの「サ・スピヌル」己をもっず悪いものにする、たたはもっず悪いものぞず近づくの意倖な同音異矩語で、私のスロベニアの蚀語には「セ・りピラ」抗うがある。ポピュリスト系の新右掟は、ディヌプ・ステヌトず䌁業暩力の組み合わせからなる新たなグロヌバリスト系゚リヌトずいう悪者を蚭定し、これに抗うあるいは抗おうずするらしい。
     ここたで来れば明癜だが、ラカンは抜本的な※ 反差別的な倉革に察しおよくある保守的な※「やりすぎちゃいけないよ」的な譊告を発しおいるわけではない。぀たり、「父暩を匱䜓化させおしたっおは、事態はもっず悪いものになっおしたう」ず※ 単に、そう蚀っおいるわけではないのだ。むしろ、「もっず悪いものにする」こずこそ、叀い暩嚁を存続させるための※ 差別者たちの、故意の必死な悪あがきに他ならない※ のだずいうこずを芋抜かなければならない。それは、もっず悪い方ぞの倉化なのではなく、逆戻りなのだ。』P95〜96

    『 新右掟の蚈略は4぀のモチヌフを䞻軞ずしおいる。自然環境にかんする「過剰な」懞念ぞの反察、移民ぞの反察、LGBTQの暩利ぞの反察、そしお情熱的な愛囜䞻矩の掚進だ。しかし、ル・ペンの※ ムスリムに察しお批刀的でありながら、䞭道ぶった蚀い方を借りるず倚くの「ムスリム原理䞻矩者」もたた「過剰な」グリヌン掻動や環境保党に反察し、LGBTQの暩利に反察し、自分の民族的・文化的アむデンティティを脅かす倚文化䞻矩者に反察しおいる。぀たり、※ ル・ペンのような新右掟系ポピュリストたちは、敵芖の察象であるはずのムスリム原理䞻矩者たちず※ 方法論的には実は結蚗しおいるず結論づけるしかない。
     これは停善以倖の䜕ものでもない。しかし、リベラルな倚文化䞻矩新右掟ずムスリム原理䞻矩の共通の暙的もたた停善を含んでいる。しかもそれは、西掋の倚文化䞻矩が実は他者に察しおそこたで開かれおいない※ 寛容ではなかった、ずいう意味だけではない。ここには超自我※ 自己抑制的な犁止が働いおいる。぀たり、他者に開かれおいるように振る舞えば振る舞うほど、※ 自分は、十分に開かれおはいないずいう眪悪感もたた増倧する。西掋のリベラルな巊掟の人たちの停善は、自分の眪を認め続けるような停の※ ぀たり自己満足的な自己批刀的な態床に起因しおいる。ここたで来れば明らかだず思うが、「もっず悪いものにする」こずは新右掟の専売特蚱ではない。この枠組みに埓うず、西掋のリベラルな巊掟による眪悪感に駆られた終わりなき自己批刀もたた、停善の論理に自らからめ捕られおしたっおいるずいう意味で、䞀皮の「もっず悪いものにする」行為ずしお解釈できる。』P 98〜99

    ここで䜕が語られおいるのかず蚀えば、芁は「それはそれ、これはこれ」だずいうこずなのだ。

    ぀たり「反省すべきは反省しなければならないが、かずいっお党面的に間違っおいたず恥じ入るずいう極端さも、それはそれで完璧䞻矩者の傲慢でしかない」ずいうこずである。

    たしかに、西欧の叡智は、第䞉䞖界に察しお無知で傲慢であったのだから、そこは反省しお改めなければならないが、だからず蚀っお、西欧が第䞉䞖界に察しお「䜕も蚀う資栌が無い」ずいうこずにはならない、ずいう話なのだ。

    だから、ゞャック・ラカンの蚀う『父性』ずいうのも、「父性」ずは、これたでに倚くの誀りの元凶ではあったけれども、しかし、良いずころが䜕もなかったずいうこずでもないし、「父性」など無くしおしたえば良いず蚀えるようなものでもないのだ。
    もしもそうなれば、「悪いもの」を排陀した぀もりで、「もっず悪いもの」を招き入れるこずにもなりかねない、ずいう話なのである。
    「To throw out the baby with the bathwater颚呂の湯ず䞀緒に赀ん坊を流しおしたう」ずいう事態だ。

    ぀たり、独善的な「脱怍民地䞻矩」の結果、怍民地時代よりもさらに酷い非西欧的に野蛮な独裁政暩が誕生しお、より過酷な差別や搟取が行われるこずになった、ずいうような事䟋が、たさにこれなのである。

    私は先日曞いた、シモヌヌ・ド・ボヌノォワヌルの『第二の性』に぀いおのレビュヌにおいお、「歊蔵倧孊の教授」で、自称フェミニストである北村玗衣に぀いお、北村が「男性䞭心瀟䌚」の䞭で「リヌン・むン」する成り䞊がろうずする「男性によっお男性化された女性」だず評した。

    『北村玗衣は、わかりやすく、いただに「男に䜜られた女」の兞型だず蚀える。』

    その䞊で、そうした「男性に䜜り倉えられお男性化しおしたった、男性の被害者たる女性」ずしおの北村玗衣ぞの、男性ずしお採るべき態床を、次のように衚明した。

    『䟋えば、私が北村玗衣を批刀するのは、北村玗衣が「女性だから」でないのは無論、「フェミニスト」だからでもない。
    事実、むしろ私の方こそが、真性のフェミニストであるず䞻匵しお、私は「停フェミニスト」である北村玗衣の、その「停」性を批刀しおいるのである。

    たた実際、私がこれたで批刀しおきた盞手は、笠井朔をはじめずしお、その倧半は「男性」である。‚ではなぜ「男性」が倚かったのかず蚀えば、それは、これたでの瀟䌚が男性䞭心瀟䌚であったからであろう。打倒すべき悪の䜍眮も、おのずず男性が占めおいたのである。

    だが、男女平等が進めば、私の批刀察象も男女同数に近づくだろうずいうのは、理の圓然である。

    だから女性は、男性から「手加枛なし」に批刀されるこずを、むしろ喜ぶべきなのだ。‚男ず女は、察等に批刀し合えおこそ、それもたた「男女平等」の、あるべき姿なのである。

    ボヌノォワヌルが本曞『第二の性』においお、「これたでの女性」の問題点を厳しく指摘しおいるのも、それは、女自身が倉わらなければ、瀟䌚を倉えるこずなど出来るわけがないず、そう考えおいるからなのである。

    そしお私が北村玗衣を批刀するのも、それは、北村玗衣その人が、「リヌン・むン・フェミニストセレブリティ・フェミニスト」であるこずからもわかるずおりで、いただ「男に歪められた女」のたた、だからなのだ。

    北村玗衣もたた、「男の眠」から救われなければならない女性であり、北村玗衣を救うこずが、男である私に課せられた䜿呜であり、男の端くれずしおの、眪滅がしなのだ。

    だから、手抜きなど蚱されはしないのである。』

    ぀たり、私はここで、女性を抑圧するものずしおの「男性」性を吊定した䞊で、匱き者に救いの手を差し䌞べようずする「男性」性だけは、捚おるべきではないず䞻匵しおいるのである。
    そしおこれが、ラカンが蚀うずころの、䞡矩性を有するものずしおの『父性』的なものの、「残すべき䞀面」なのである。

    私たちが、「先進囜の䜏人」であれ「男性」であれ、あるいは「第䞉䞖界の䜏人」であれ「女性」であれ、心埗えおおかなければならないのは、ある「ひず぀の属性」が、すべおではない、ずいうこずである。
    話は、そう単玔ではないからだ。

    したがっお、「それはそれ、これはこれ」ず、たお分けお考えなければ、「悪いもの」を排陀しようずしお、「もっず悪いもの」を呌び蟌む結果になっおしたうぞ、ずいう話なのである。

    『トランプのポピュリズムは、少なくずも郚分的には、自由民䞻䞻矩犏祉囜家の倱敗ぞの反動だ。よっお、リベラル䞭道掟が掚進する措眮の䞀郚劊嚠䞭絶を支える法埋、人皮の平等などは支持できる・すべきだが、長期的にはリベラル䞭道掟こそが危機の根因であるずいう点も忘れおはならない。この話は、アントニオ・グラムシむタリアの哲孊者の『獄䞭ノヌト』からの有名な䞀節ぞず぀ながる。「叀いものが死にゆく䞭、新しいものは誕生できずにいる。その空癜を幟倚の病的症候が埋めおいる。この事実こそが危機の本質である」。珟代の戊いは、右掟ポピュリズムからキャンセルカルチャヌたで、ほずんどがリベラル䞭道掟の病的症候にすぎない。』

    なぜ「フェミニズム」が、しばしば「男性」に評刀が悪いのか

    それは無論、男性の身勝手ずいうこずがあったし、それは吊定できない事実なのだから、そこは反省しお、改めなければならない。

    だが、それだけなのか それがすべおだず、単玔に考えたり、䞻匵するのは、危険な誀りなのではないのか

    叀いものを叀いからず蚀っお䞞ごずお払い箱にすれば、それだけで自動的に「良きもの」がやっお来るずいうほど、珟実は単玔ではない。

    じじ぀私たちは、「より良き」を目指しお発展しながら、自滅ぞ向かっおいる。

    ぀たり、単现胞な「正矩」の濫甚は、い぀だっお危険なものなのであり、「正矩」ずいう刃物を䜿うには、盞応の知性ず目配りのきいた配慮が求められるのである。


    2025幎9月7日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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