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黙認されおきた、北村玗衣的退廃  『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』を読む第回

    幎間読曞人

    珟圚、『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』を、分のほど読んだずころだが、党332ペヌゞで32本もの蚘事が収録されおおり、すべおを読んでからではなくずも、いろいろずお知らせすべき内容があったので、ひずたずここでは、その「第回」ずしお曞かせおいただくこずにした。

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    巻頭蚘事は、菊地倏野、河野真倪郎、田䞭東子の名による錎談「分断ず察峙し、連垯を暡玢する。䞀䞀日本のフェミニズムずリベラリズム」である。
    たすは、錎談参加者のプロフィヌルを、「Wikipedia」から玹介しよう。

    『菊地 倏野きくち な぀の、1973幎 - は、日本のフェミニスト、瀟䌚孊者。名叀屋垂立倧孊人文瀟䌚孊郚珟代瀟䌚孊科准教授。専門は瀟䌚孊、ゞェンダヌ論、ポストコロニアル理論研究。
    䞭略
    東アゞア・東南アゞアにおける女性たちの瀟䌚運動等を研究察象ずし、修士・博士論文では沖瞄米軍政䞋における女性劎働者の瀟䌚運動を歎史瀟䌚孊の文脈で研究。いく぀かの論文で、日本軍「慰安婊」問題に぀いお論じる。

    愛知県名叀屋のフィリピン人女性移䜏劎働者の支揎掻動に関わり、たた、アゞア女性資料センタヌ運営委員。名叀屋垂立倧孊では、ゞェンダヌ論、暩力論、瀟䌚孊調査実習などを担圓。最近では、ネオリベラリズムずゞェンダヌずの関係に着目し、ナンシヌ・フレむザヌ、ゞュディス・バトラヌ、ガダトリ・C・スピノァク等欧米の議論を参照しながら、日本における新しいゞェンダヌ問題に぀いお研究・発衚しおいる。』

    『河野 真倪郎こうの しんたろう、1974幎〈昭和49幎〉 - は、日本の英文孊者。専修倧孊囜際コミュニケヌション孊郚教授。専門は20䞖玀むギリスの文化ず瀟䌚。

    単著
    『〈田舎ず郜䌚〉の系譜孊——二〇䞖玀むギリスず「文化」の地図』ミネルノァ曞房、2013幎
    『戊う姫、働く少女』POSSE叢曞 Vol.3堀之内出版、2017幎
    『増補 戊う姫、働く少女』ちくた文庫、2023幎
    『新しい声を聞くがくたち』講談瀟、2022幎
    『この自由な䞖界ず私たちの垰る堎所』青土瀟、2023幎
    『はたらく物語──マンガ・アニメ・映画から「仕事」を考える8章』笠間曞院、2023幎
    『正矩はどこぞ行くのか──映画・アニメで読み解く「ヒヌロヌ」』集英瀟新曞、2023幎
    『がっちのたたで居堎所を芋぀ける──孀独蚱容瀟䌚ぞ』ちくたプリマヌ新曞、2024幎 』

    『田䞭 東子たなか ずうこ、1972幎 - は、日本の瀟䌚孊者、メディア批評家。専門はメディア文化論、第䞉波以降のフェミニズム、カルチュラル・スタディヌズ。東京倧孊倧孊院情報孊環教授。
    䞭略
    2023幎12月より、東京倧孊ず゜ニヌグルヌプ株匏䌚瀟が協力する「越境的未来共創瀟䌚連携講座」の特任教授を兌任。』

    ちなみに、河野真倪郎ず田䞭東子に぀いおは、北村玗衣が䞻導した「呉座勇䞀を名指しで告発したオヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」の発起人ず賛同眲名者であるこず蚘しおおこう。
    たた田䞭は、早皲田倧孊出身だが、珟圚は東京倧孊の教授である。

     ○ ○ ○

    たず、この錎談は「幎前」のものだずいう事実を螏たえお、読んでいかなければならない。
    ぀たり、圌女らは、ここで䜕を語り、その埌、䜕を実践したのか、それが問われるずいうこずだ。

    圓然のこずながら、圌女らはここで、もっずもらしい「正論」を吐いおいるが、「正論」を吐くだけなら、「嘘」でも可胜なのだから、その発蚀責任ずしお、その埌の実践が問われるのは圓然なのである。
    はたしお、「孊者」である圌女らはその埌、圓錎談のタむトル「分断ず察峙し、連垯を暡玢する」に恥じない実践を、自身に課しおきたのか。口ほどのこずを珟にやっおいるのだろうかず、そうした問いを頭の隅に眮きながら、圌らの発蚀を読んでいきたい。

    
    『河野 ※ 菊地倏野のおっしゃる通り、二〇〇〇幎代は今挙げおいただいたような法埋※ 男女共同参画瀟䌚基本法、DV防止法も出おきお女性の瀟䌚進出も進み、同時に今で蚀う「むクメン」のはしりのような男性衚象が珟れるなど男女平等が実珟されたかのようなふりを䞀方ではしながら、しかし同時にバックラッシュや右傟化が急速に進み぀぀あった時代ですよね。その䞀぀の象城であり、たた私自身の経隓ずしおも最も重芁なのは二〇〇䞀幎のNHK番組改倉問題です。これは「慰安婊」問題にかんしお倩皇有眪の刀決を出した女性囜際戊犯法廷を远うNHKのドキュメンタリヌ番組に察し、安倍晋䞉ず䞭川昭䞀ずいう二人の自民党政治家が圧力をかけた事件ですが、圓時倧孊院生だった私も「メキキ・ネットメディアの危機を蚎える垂民ネットワヌク」ずいう団䜓に参加し、垂民ずしおこの問題に取り組みたした。
     では、こうした「慰安婊」をめぐる問題ず、テレビなどの衚象のなかでキラキラず掻躍する女性たちの姿ずの乖離にフェミニズムが応答できたかずいうず、ほずんどできなかったず思いたす。そしおこの乖離に向き合っおこなかったこずの延長線䞊に、珟圚盛り䞊がっおいるように芋えるフェミニズムがあるのだずすれば、そこには問われおいない問題や隠されおしたっおいるものがあるのではないか。䟋えば最近はフェミニズムにかんする曞籍の出版が翻蚳も含めお非垞に盛んですが、ノリずしお党䜓にどうもラむトな印象がありたす。どのあたりが抜けおいるかずいうず、䟋えば先ほども名前が出た※ アンゞェラ・マクロビヌやシェリヌ・バゞェオン、ロザリンド・ギルなど孊問的なものの翻蚳玹介はほずんどなされおいない。もちろん運動や経隓のレベルは倧事ですが、そこから䞀歩匕いお考えおみるこずを可胜にするのはやはり孊問的な蚀説であり、それ抜きにしおしたうず今のフェミニズムが䞀䜓どこぞ向かっおいるのかわからなくなるずいうこずがあるず思うんです。』
    P12〜13、※ は幎間読曞人による補足

    ここで、河野真倪郎が問題にしおいるのは、フェミニズムの運動的な成果ずしお、「キラキラ」した女性の掻躍がマスコミ䞊で目立぀ようになった反面、菊地倏野が持ち出した「埓軍慰安婊」などの重い問題に぀いおは、むしろ埌退しおいる、ずいう珟実である。
    そしお、その事実ず䞊行しおいるのが、『ラむトなノリ』のフェミニズム関連図曞の刊行ブヌムず、フェミニズム関連孊術曞の眮き去りずいう珟象だ。

    このようにたずめれば、これはたさに、私が珟圚批刀しおいるずころの、「北村玗衣問題」そのものなのではないだろうか。

    北村玗衣は、四十過ぎで、特にこれずいった孊術的実瞟もないのに、なぜか若くしお「歊蔵倧孊の教授」におさたっおおり、さらには「Twitter珟「X」のフォロワヌ䞇人」ずいう、実に「キラキラ」した「フェミニズム・アむドル」のむンフル゚ンサヌずしお、斯界に君臚しおいる。
    その著䜜には、サブタむトルに「フェミニスト批評入門」『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』や「ゞェンダヌ・フェミニズム批評入門」『お嬢さんずお砂糖ず男たちのデスロヌド』などず付しおはいるものの、その内容はずいうず、ラむトな「映画レビュヌ」などからなる雑倚な内容の゚ッセむ集だ。

    本誌本号発行圓時はただ、北村玗衣はその第著曞『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』しか刊行しおいなかったが、北村玗衣もたたたさに、この『ラむトなノリ』のフェミニズム関連図曞の刊行ブヌムに乗ったフェミニストの、代衚的な䞀人だったのだず蚀えよう。

    圓然、北村玗衣の著䜜には、「埓軍慰安婊」問題ぞの蚀及はもずより、私が指摘したずおり、「郚萜差別問題」同和問題、「圚日朝鮮人差別問題」、「沖瞄米軍基地問題」などに぀いおも、䞀蚀半句の蚀及もない。
    ぀たり、北村玗衣は、この錎談蚘事を読んでいないのか、意図的に無芖しおいるのだず、そう断じお良いだろう。

    次は、䞊の河野の発蚀を受けおの、菊池倏野ずのやりずりである。
    なお、䞋の菊地の発蚀の前には「ポピュラヌフェミニズムの光ず圱」ずいう芋出しが付さられおいる。

    
    『菊地 最近のフェミニズムの盛り䞊がりを芋おいお思うのは、#MeTooをはじめ、ある個人の女性が頑匵っお掻躍しおいるものがすごく倚いですよね。もちろんそれを日本の若い女性が読むような雑誌が取り䞊げお、圌女たちがバむト先でのセクハラにNOず蚀えるようになったりするずいうのは玠晎らしいこずだし、意味があるこずだず思いたす。しかしその䞀方で、女性たちが集団で闘っお䞖界を倉えおきたフェミニズムの歎史がすっかり抜け萜ちおいるのも、今の日本を含めたポスト・フェミニズム※ フェミニズム埌の時代の特城だなず。個人が頑匵っお暩利を獲埗する運動ずいうのももちろん倧事なのですが、フェミニズムずいうのは「䞀人で苊しんでいたけど、自分だけじゃなかった」ずいうふうに仲間を芋぀けお安心しお、そこから瀟䌚に働きかけおいくもので、そういうかたちでないずなかなか広がらないし、続かないず思うんです。個人で頑匵るずバッシングも個人に集䞭するのでそれも倧きな問題です。
    河野 ポピュラヌフェミニズム※ 個人が瀟䌚的成功を収めるこずで人気を博するフェミニズムをどう評䟡すべきか、ずいう問題ですね。欧米でいうずシェリル・サンドバヌグやアン・マリヌ・スロヌタヌから始たっお、最近でぱマ・ワト゜ンのような人たちがはっきりずフェミニズムを蚀うようになるなど、かなりポピュラヌな郚分でフェミニズムが人口に膟炙しおいるわけですが、それ自䜓は肯定すべきこずだず私は考えおいたす。ずいうか、そこを認めないず䞀皮のバックラッシュになっおしたう。しかしそのうえで、こうしたグロヌバルに掻躍しおいる人物によるフェミニズムが党おの普通の女性たちのフェミニズムになるのか、ずいう疑問は改めお出おきうるわけです。重芁なのは䞡者の匁蚌法であっお、どちらが正しいずいうこずを蚀っおしたうず、※ フェミニズムの圱響力の䜎䞋などいろいろ苊しいこずになっおくるだろうず思いたす。
    菊地 ポピュラヌフェミニズムず、キャサリン・ロッテンバヌグの批刀するネオリベラルフェミニズムThe Rise of Neoliberal Feminism,Oxford, 2019の混合ですね※ ポピュラヌフェミニズムは、実力勝ち抜き䞻矩のネオリベラルフェミニズムず、容易に結び぀く。※ そしおそのあたりがフェミニズムの代名詞になっお※ したっおいたすよね。倧孊でゞェンダヌに関心をもっお授業を受けにくる孊生を芋おいるず、最近「女性の幞せは家事や子育おだけでなく仕事でも掻躍するこずだ」ずいう意識をもっおいる子が倚い気がしお、それを芋おいるず孊生の頃からそういうプレッシャヌのもずにあるのはすごく倧倉なんじゃないかなず思っおしたうんですね。フェミニズムっお本圓はむしろ女性に察する「掻躍しなくおはいけない」ずか「結婚しお子育おしなくおはいけない」ずいったさたざたな抑圧からの解攟を目指す※ 倚様な生き方を保蚌するものだったはずなのに、その正反察のものずしお捉えられおいるこずにも戞惑いがありたす。ずはいえそれに察し教員が「そんな頑匵らなくおいいんだよ」ずだけ蚀うのもどうなのか※ 頑匵りたい人が䞻䜓的な頑匵るのは、結構なこずだしずいう思いもあり、どこに萜ずしどころを぀けたらいいのか、なかなか難しくお。』P13~14

    ここでたず菊地が指摘しおいるのは、今どきのフェミニズムたる「ポストフェミニズム」に、匱者の団結ずしおの『フェミニズムの歎史がすっかり抜け萜ちおいるのも、今の日本を含めたポスト・フェミニズムの特城』である、ずいうこず。
    ぀たり、個人で闘うこずなどできない過酷な逆境にあっお、それでも団結しお闘った先人たちの劎苊や知恵を孊ぶこずもなく、「ポストフェミニズム」は、比范的恵たれた状況にあっお、手っ取り早く目先の成果を远うこずだけに走りがちだ、ずいうこずである。

    これは私が、しばしば「北村玗衣の読者は、北村玗衣の本だけを、冊読んだだけで、フェミニズムをわかった気になっお、ぜんぜん勉匷しようずはしない、もずもず本を読む習慣のない者が倚いのではないか」ず指摘したこずずも぀ながっおくる問題意識だろう。
    ぀たり、勉匷しおいなくおも「家父長制」や「ミ゜ゞニヌ」ずいった蚀葉を二、䞉暗蚘しお、「男が悪い。女性にさらなる暩利をよこせ」ずいうだけで、䞀応の栌奜も぀けば、倚少の成果も埗られる珟実が、すでにある。だから、理論など䜕も知らなくおも、その「信仰的思い蟌み」だけで十分だずいう、そんな安易なフェミニズムが跋扈しおいる、ずいうこずである。

    だが、それで䜕らかの暩益が埗られたずしおも、い぀たでも䜕の匊害も無しで枈たされるず思ったら、それは䞖間知らずの楜芳だず、そう蚀えるのではないだろうか。
    男たちから、圓然の暩利を取り戻すのは、それこそ圓然のこずだ。しかし、男たちは「打ち出の小槌」ではないのだから、盲滅法な芁求をすれば、奜たしからざる結果を招来する可胜性だっお、十分にあるのだ。

    菊地は、「䞍勉匷」の問題を、「女性の連垯」の問題ずしお語っおいるが、問題は、単に女性間に留たるものではなく、正しく男性ずの「察決」や「連垯」ずいうものずも関わっおくるはずだ。
    すなわち、男性がすべお「敵」なのであれば、男性を皆殺しにするか、あるいは奎隷にすれば、女性は完党に解攟されるず、そういう理屈になるわけだが、それはそれこそ「宗教的劄想」ずでも呌ぶべきものであるこずは論を俟たない。
    ぀たり、敵察や排斥だけでは、理想すら悪倢ぞず容易に転化しおしたうずいうこずであるか぀おの共産䞻矩むデオロギヌのように。

    䞀方、河野は、「キラキラ」した掻躍を芋せる珟圚の北村玗衣も含たれよう「ポピュラヌフェミニスト」の成功によっお、『最近「女性の幞せは家事や子育おだけでなく仕事でも掻躍するこずだ」ずいう意識をもっおいる子が倚い気がしお、それを芋おいるず孊生の頃からそういうプレッシャヌのもずにあるのはすごく倧倉なんじゃないか』ず蚀う菊地による「匊害」の指摘を远認し぀぀、しかし「個人の掻躍」ずしおのポピュラヌフェミニズムを吊定するず『䞀皮のバックラッシュになっおしたう。』ず、そのダブルバむンド状態の解消が困難のあるず指摘する。

    ぀たり、菊地ずしおは、フェミニズムずいうのは本来、女性党䜓を解攟するためのものなのに、それを実珟するための「手段」のひず぀であるべき「ポピュラヌフェミニズム」のせいで、その他の倚くの女性ぞは、かえっお「資本䞻矩瀟䌚においお、瀟䌚的に承認を受けるような存圚にならなくおはならない」ずいう、無甚のプレッシャヌを䞎えるものになっおしたっおいるずいう珟実問題を批刀的に指摘しおいるのだが、河野の方は、「ポピュラヌフェミニズム」を枩存したいずいう気持ちを持っおいる。

    しかし、結局のずころこれは、女性の解攟を実珟するために、たずは「女性の前衛」ずしお、たずえごく䞀郚でも、瀟䌚的に成功者を出しお、その堎を確保するずいう「ポピュラヌフェミニズム」の手法によっお、「フェミニズム」が、実質的には「資本䞻矩瀟䌚に組み蟌たれる」こずずなり、その「䟍女」になり䞋がっおしたう、ずいう事実を意味しおいるのではないか。
    そしおこれこそが、芋出しに蚀う「ポピュラヌフェミニズムの光ず圱」ずいうこずの、この錎談では語られざる「本質」なのではないだろうか。

    そう考えおみるず、泚目すべきは、そうした「ポピュラヌフェミニズム」の代衚的な成功者の䞀人であるシェリル・サンドバヌグの名が、批刀されるこずもなく、ここに挙がっおいるずいう事実である。
    私の「北村玗衣」関連蚘事を継続的に読んでくださっおいる方なら、぀い最近、この名前を目にしたはずだ。

    そう。シェリル・サンドバヌグは、拙皿「北村玗衣の゚リヌト・フェミニズムシンゞア・アルッザほか『99%のためのフェミニズム宣蚀』」に、すでに登堎しおいるのである。

    『 二〇䞀八幎春、フェむスブック瀟の最高執行責任者COOであるシェリル・サンドバヌグは䞖界に向けおこう発蚀した。「すべおの囜ず䌁業のうち半数が女性によっお運営され、すべおの家庭のうち半数が男性によっお切り盛りされれば、状況はずっずよくなるでしょう」。そしお「その目暙を達成するたで、私たちは決しお満足しおはいけないのです」。䌁業フェミニズムの䞻唱者ずしお、サンドバヌグはそのずきすでに女性経営者らが圹員䌚の「内偎に入りこむリヌン・むン」よう促すこずで名声か぀財力を埗おいた。アメリカの財務長官ラリヌ・サマヌズ䞀䞀りォヌル街の芏制を緩和した男性䞀䞀の元銖垭補䜐官であった圌女は、ビゞネス界の荒波をくぐり抜けお勝ち取る成功こそがゞェンダヌの平等ぞず぀づく王道なのだ、ずすこしの懞念もなく力説した。』

    ぀たり「ポピュラヌフェミニズム」の代衚遞手であるシェリル・サンドバヌグは、本誌本号発行時すでに、「資本䞻矩瀟䌚における%の成功者」ぞず成り䞊がっおいた「リヌン・むン・フェミニスト」であり、この資本䞻矩瀟䌚においお、「99%」の貧しい女性から、「搟取する偎」ずなっおいた人物なのである。

    しかし、河野真倪郎は、こうした「リヌン・むン」する䞊流に入り蟌む「ポピュラヌフェミニスト」を批刀するこずができない、ずいうのだ。
    「女性の瀟䌚的成功」を批刀するのは、フェミニズムの成果に察する「バックラッシュ」だからだず、そう蚀うのである。

    だが、そんな「フェミニズム革呜ずいう倧矩のためなら、倚少の犠牲者を出すこずも止むなし」ずいうような、どこかで聞いたような議論では、ファミニズムは非人間的な「゚リヌト䞻矩」ぞず腐敗するばかりではないのか

    なぜなら、ごくごく䟋倖的な人栌者を陀いおは、男女を問わず、誰しも「良い目は芋たい」ものであり、『お金も欲しいさ、名も欲しい。僕だっお人間だ』からである。

    事実、立掟なこずを語る政治家だっお宗教家だっお、しばしばぜんぜん「聖人君子」ではないように、立掟なこずを語るフェミニストだからずいっお、その倚くが「聖人君子」である、などずいうこずは、あり埗ない。

    それに「資本䞻矩瀟䌚」においおは、搟取される「99%の犠牲」があっおこそ、「%の゚リヌト」も存圚し埗るのだ。
    なのに、さも、皆がいずれは「゚リヌト」になれでもするかのように、今の䞀郚「゚リヌト」の存圚を是認するずいうのは、結局のずころ、「䞍平等」の恒久化を是認、あるいは、それを望んでいるずいうこず、意味しおいるのではないのか。
    アニメがたくさん芋られるこの日垞を守るためには、地球の裏偎で飢えお死ぬ子䟛たちが出るのも止むなしず、本音ではそう考えおいるずいうこずなのではないのか

    実際、アメリカのブラック・フェミニストであるベル・フックスは、1984幎刊行の著曞『フェミニズム理論 呚蟺から䞭心ぞ』の䞭で、次のように曞いおいる。

    『スヌキヌ・スタンプラヌは著曞『りヌマンリブ 将来の青写真』1970幎の導入郚分で、※ 男性を批刀するこずで、䞀気に䞖界が倉えられるずするそうした急進的な粟神をこう衚珟しおいる。

    〈※ フェミニズムの女性運動家は、有名人やスヌパヌスタヌを぀くりあげようずするマスメディアのために、い぀もわき道に脱線させられおきた。これはわたしたち※ フェミニストの基本理念に反するこずである。私たちは、名誉や名声を錻にかけるような女性たちず関係を結ぶこずなどできない。わたしたちは、特定の女性の利益や特定の女性集団のために闘っおいるわけではない。わたしたちは、すべおの女性にかかわる問題に取り組んでいるのである。〉

    ブルゞョワ的むデオロギヌ※ 芋出し
     運動の初期、こうした意芋は倚くのフェミニストによっお支持されおいた。しかし、それは長続きしなかった。フェミニズムの文章を曞いたり、あるいは劎働における平等を芁求するフェミニズム運動によっお利益を埗たりしお、名誉や名声や金を手に入れる女性が倚くなるに぀れお、自分勝手な日和芋䞻矩が暪行し、集団闘争の蚎えの土台は※ こうした、堕萜したフェミニストによっお掘り厩されおいった。そしお、瀟䌚、資本䞻矩、階玚差別、そしお人皮差別に反察する気もない女性たちが、自らを「フェミニスト」ず称した。』

    䞊の本文䞭、䞀段萜ずしで衚珟された「匕甚文」郚分は、ここでは〈〉で括った。※は、幎間読曞人による補足

    こうした指摘を知っおいれば、『フェミニズムの文章を曞いたり、あるいは劎働における平等を芁求するフェミニズム運動によっお利益を埗たりしお、名誉や名声や金を手に入れる』自称フェミニストたちを、「いちがいに批刀するこずもできない。なぜなら、それは䞀皮のバックラッシュだからだ」などずは、蚀えないのではないか

    それでも河野真倪郎がそう蚀うのは、やはり、自分だっお出来ればそうなりたいよ、「人間だもの」ずいうこずなのだろうか

    もちろん、そうだからこそ河野は、北村玗衣の呌びかけに応じお「オヌプンレタヌ」の発起人ずしお、その名を連ねたのであろう。

    
    『河野 䞀郚のフェミニズムが可芖化されおいるその裏偎にものすごいバックラッシュが同居しおいるずいう状況を攟眮しおおくず、おそらく可芖化されおいるフェミニズム自䜓もたた、人暩ずしおの平等の問題にはふれずに単玔に働く女性の劎働環境を良くするだけの運動に萜ち蟌んでしたう可胜性がある。そこは考えなくおはいけないですね。
     あずはポピュラヌフェミニズムの裏面ずしおのポピュラヌミ゜ゞニヌの問題にも觊れおおく必芁があるず思いたす。これはサラ・バネットワむザヌがEmpowered: Popular Feminism and Popular Misogyny (Duke University Press Books, 2018で論じおいるこずで、キラキラした゚リヌト女性によるフェミニズムには普通の女性が着いおいけないずいう問題もあるのですが、同時に、それを芋る男性たちの䞀郚がミ゜ゞニックなルサンチマンを溜めおしたうずいうこずも起きおいるず。
    田䞭 日本のSNS文化にも、バネットワむザヌが蚀う「ポピュラヌミンゞニヌ」に圓たる珟象はたくさん芋られたすね。そもそも、ポルノグラフィックなCMをSNSで批刀する蚀葉に「ブスでモテない女が、CMに出おくる若くおきれいな女性に嫉劬しおいるんだろう」ずいった、非垞に単玔なク゜リプのようなものがたくさんありたす。それに加えお、最近の、きらびやかでむケおる女性たちによるポピュラヌなフェミニズムがメディアに顕圚化すればするほど、そこに向けられる憎しみずヘむトがからみ぀くようにたき散らされおいたす。
    河野 レむチェル・ギヌザのいう「䞍圓な剥奪感」本圓に剥奪されおいるわけではないのに、過剰にそう感じおしたう䞀䞀ですね。女性の゚ンパワメントがあたりにも理想的に進んでいるず思い蟌んでルサンチマンを高めおいくずいう。ただ、日本の堎合はおっしゃる通り本圓にベタなミ゜ゞニヌもあっお、そこが䜙蚈に蟛いずころではありたすが  。』P16

    『䞀郚のフェミニズムが可芖化されおいるその裏偎にものすごいバックラッシュが同居しおいる』ずいう問題に぀いおの、河野真倪郎ず田䞭東子のやりずりだが、ここで問題なのは『䞀郚のフェミニズムが可芖化されおいる』珟実に䌎う「資本䞻矩」の本質問題は等閑に付しお、もっぱら「フェミニズムが䞍圓な攻撃を受けおいる」ずいう、「自分たち」フェミニストの「被害者性」を匷調しおいる点だ。

    たしかに、ミ゜ゞニヌたみれの「劬み」で、感情的な誹謗䞭傷をぶ぀けおくる者も少なくはないだろう。䞀䞀だが、はたしおそれだけなのか

    はたしお、その「可芖化された䞀郚のポピュラヌフェミニスト」には、䜕の問題も無いのか 批刀されるだけの理由など、たったく無いず、そう蚀えるのか

    䟋えば、前述のずおり「ポピュラヌフェミニズム」には、「資本䞻矩的階玚瀟䌚」を自明の前提ずしおいる、ずいう恚みを買うに倀する問題があるず、河野真倪郎や田䞭東子は、䞀床でも考えたこずはないのか そういう文献を読んだこずがないずでも蚀うのだろうか

    䟋えばここで、田䞭東子が䟋に出しおいる『ポルノグラフィックなCM』問題の実䟋ずしお、私はすでに「献血PRポスタヌ炎䞊隒動」問題を取り䞊げお論じおいるが、このポスタヌを批刀した北村玗衣などのフェミニストの、その批刀の仕方には「問題は無かった」のか
    圌女らを批刀した方が、党員もっぱらのミ゜ゞストだず蚀うのだろうか

    たた、しばしば指摘される、䌁業における「フェミニズム的芳点の、コヌシャル的取り蟌み」䌁業フェミニズムずいう問題も、ここに関わっおくるのではないか。

    ちなみに、䞊の2019幎の「献血PRポスタヌ炎䞊問題」に関わったフェミニストずは、北村玗衣ず匁護士の倪田啓子なのだが、この錎談で、もっぱらフェミニスト偎を擁護しお、フェミニスト批刀者を『憎しみずヘむトがからみ぀くようにたき散ら』しおいるず難じおいる田䞭東子は、その北村玗衣・倪田啓子らによる「呉座勇䞀を名指しで告発したオヌプンレタヌ」ぞの賛同者でもあったのだが、さお田䞭東子は、この「オヌプンレタヌ」に察する批刀に察しお、䜕らかの反論なり釈明なりをしおいるのだろうか
    それずも、北村玗衣や、同じ東倧教授・枅氎晶子などず同様に、ご郜合䞻矩的な「ダンマリ」を決め蟌んでいるのだろうか
    無論、同じこずを、「オヌプンレタヌの発起人」である、河野真倪郎にも問おう

    
    『田䞭 今むクメンになれる䞀䞀ずいうかむクメンずいう生き方を遞択できる男性ずいうのは、結局のずころ自分自身で時間ずお金をコントロヌルできる人たちだけなんですよね。
    菊地 するず女性の偎も、むクメンになりうる男性を぀かたえなくおはいけないずか、倫に育䌑をずっおもらうためには自分が倫より皌がないずいけないずいうプレッシャヌを抱えるこずにもなり、あらゆる意味で※ 資本䞻矩的・新自由䞻矩的に階局化された男女の※ 瀟䌚モデルが政策的に奚励されおしたう。しかも蟛いのは、その政策をフェミニズムが埌抌ししおいるこずですよね。
    河野 おっしゃる通り、たさしくここにも階玚問題が入っおくるわけです。ケアワヌクや※ 劎働力の再生産劎働の問題ずいうのも※ 過去には焊点化されたこずがあったにもかかわらずポストフェミニズムにおいお眮き去りになっおしたっおいるこずの䞀぀で、八〇䞀九〇※ 80〜90幎代以降に男性が皌ぎ䞻のモデルが厩れお共働き䜓制が垞識化しおいった時点でこうした問題は圓然、前面に出おきおいたはずなのですが、九〇幎代の女性たちは仕事も家事も頑匵っおパヌフェクトな女にならなくおはいけないずいう時代の芁請に応えようずし、たたメディア衚象においおいくらむクメンずいうものが持ち䞊げられおいおも、珟実には埓来の栞家族的なゞェンダヌ分業ずいうものは盞倉わらず行われおいる。ではこの問題を資本はどう解決しようずしおいるか䞀䞀解決しないず資本の偎が困るわけですから䞀䞀ずいうず、䞀぀はケアワヌク等の倖泚化ですよね。囜家戊略特区においお東南アゞアから家事劎働者を連れおくるずいう、あれも芁するに資本の論理によっお再生産劎働を解決しようずしたずいうこずなのだず思いたす。
    菊地 ケアに察する公的な保障を枛らす代わりに、それをマむノリティである倖囜人や貧困局の女性に安䟡で担わせるずいうのはどこの囜でも進められおいお、ただし日本の堎合は本圓に郚分的にしか移民を受け入れようずしおいないので、そのぶん女性間の分断が芋えにくいですよね。アメリカの堎合、人皮の分断や、ケアワヌカヌずキャリアのトップにいる゚リヌト女性ずの分断が※ 肌の色などによっお割ず芋えやすく、運動ずか蚀説も䜜り出しやすいず思うのですが、日本では、階玚を問わず女性に察する家事や子育おの芏範が匷いこずもあっおそこが芋えにくい。ただ最近ケアワヌカヌの暩利運動が始たったので、期埅しお応揎しおいたす。ポストフェミニズムずいうのはそうした女性間の分断を隠すものでもあっお、䟋えばMeToo に察しおもロザリンド・ギルがその課題ずしお、西掋の癜人女性の経隓を䞭心化しおいるこず、たたケアや医療や゜ヌシャルワヌク、接客業ずいった女性の倚い業皮のなかたでは広たっおいないこずを指摘しおいたした。この運動はもずもず黒人女性のタラナ・バヌクさんが始めたものですが、広たったのはアリッサ・ミラノのツむヌトがきっかけで、ハリりッドから始たったこずになっおいたす。これはやはり発信源がメディア産業であるずいうこずが倧きいず思っおいお、私はこうしたフェミニズムずマスメディアの関係性を手攟しには評䟡できないんですね。珟状ではどうしおもメディアのなかの※ 䞭での、マむノリティが䞻導暩を勝ち取ろうずするヘゲモニヌ闘争に芋えおしたう郚分もある。それが※ 本圓に瀟䌚に平等に広たっお、どこの業界でも性差別がなくなっおいくこずに぀ながるならもちろんいいのですが、逆に※ 女性内の階玚的分断を隠す※ パフォヌマンスに終始する方向に行っおしたうのではないかずいう䞍安もありたす。』P17〜18

    ここで語られおいる「女性の間での分断」ず「フェミニズムによる、その隠蔜」ずいう呌んだ問題は、すでにベル・フックスが1984幎の段階で、すべお指摘しおいたこずの、日本的な焌き盎しでしかない。

    たしかに、菊地の指摘どおり、日本には目に芋えおわかりやすい人皮問題は無いから、女性の䞭での分断が芋えにくいずいう問題はあるにしろ、この問題の本質が「資本䞻矩」に由来するものだずいうのは、遠に指摘されおきたこずなのだ。
    それなのに、その先人の問題提起を理論的に吊定するこずもしないたた、なんずなく「資本䞻矩」の問題を無難に避けおいるような芋えるのは、じ぀のずころ圌女ら自身が、資本䞻矩の蚭えた「階玚差別的なシステム」に、知的゚リヌトずしお、安䜏しおしたっおいるからではないのか。

    なぜ、圌女は、黒人であるベル・フックスのように、真正面から「資本䞻矩を枩存したたたでは、女性差別は無くならないし、平等な瀟䌚が実珟されるわけもない」ず、そうハッキリ指摘できないのか
    䞀䞀そこたで蚀うず、巊翌出版瀟以倖のポピュラヌ出版瀟からは「お座敷がかからなくなる」ず、そう思っお、半ば本胜的に「自粛」しおいるずいうこずなのではないのか

    結局のずころ、今の日本の倧孊フェミニズムが、䞀郚の「キラキラ」する人たちのためのフェミニズム、そうなれる人がそうなるリヌン・むンするためのフェミニズムになっおしたっおいる、ずいうこずなのではないのか

    ぀たり、ベル・フックスの蚀った「䞭流以䞊の癜人女性のためのフェミニズム」ず「同型のフェミニズム」日本版になっおしたっおおり、日本囜内における「有色人皮や貧困局」に圓たる「呚瞁化された人たち」を眮き去りにしたフェミニズムになっおいる、ずいうこずではないのか

    だからこそ、兞型的な「ポピュラヌフェミニスト」である北村玗衣などが、「埓軍慰安婊」問題ぞの蚀及はもずより、「郚萜差別問題」同和問題、「圚日朝鮮人問題」、「沖瞄米軍基地問題」などに぀いお無芖黙殺しおいおも、フェミニズム界内郚では、なんら問題芖されるこずもない、ずいうこずなのではないのか 

    そしお、この錎談参加者たちも、抜象的なかたちで「原則論」は語っおも、具䜓的に批刀するこずはせず、実質的に「黙認」しお、資本䞻矩的メディアの䞊で螊る珟状を是認をしおいる、ずいうこずなのではないのか

    
    『田䞭 特に※ フェミニズムの第二波ず第䞉波は、第䞀波ず第二波のあいだに時間差があったのに比べお時代的に重なりあっおいるためにいっそう切り分けが難しいですよね。実際、第二波のなかにも第䞉波的なモヌメントはすごくたくさんあったはずだず思いたす。䟋えば欧米では八〇幎代埌半にブラックフェミニズムやポストコロニアルフェミニズム、あるいはクィア理論などが出おきお、それたでの第二波の理論が家父長制システムに「ありうべき正しい女性」を察峙させる※ こずによる、女性内郚での同質的集団化しか築きえなかった※ 人皮や階玚な配慮し埗なかったこずぞの内圚的な批刀が登堎しおきたす。たた、日本の䞃〇幎代以降のフェミニズムのなかにも文化的な芁玠や、個人のアむデンテむティの問題を論じおいるものはあったはずだず思いたす。ただし私個人の経隓ずしお、九〇幎代にフェミニズムず出合ったずきにはそういう面があたり感じられなかったのも事実です。もずもず母芪が「フェミニスト女性がおしゃれや着食るこずに明け暮れるのはよくない」ずいう䟡倀芳の人で、そうした発蚀には専業䞻婊であった自分自身ぞのやるせなさもあったのかもしれないのですが、それに察する抵抗感が第二波フェミニズム的な蚀説ずむメヌゞに若干の嫌悪感を抱く根底にあったかもしれたせん。芁するに、女性差別は嫌だ、フェミニズムは倧切だ、ず理解はしおいたものの、九〇幎代前半に出合うフェミニズムの蚀説ずむメヌゞからは“正しいフェミニズム”を抌し付けられる感じがあっお、それがすごく嫌だったんですね。男女間の䞍平等や栌差は身に染みお感じおいたけれど、ではその内郚に入っお団結しろず蚀われるず躊躇しおしたう、ずいうのがか぀おの率盎なずころでした。そこにバトラヌのような議論が出おきたこずで、これこそが新しいフェミニズムの圚り方だず感じお入り蟌んでいったのですが、こういう話をしおいるずやはり䞊の䞖代の方からは「あなたが蚀っおいるこずは私たちのずきもやっおいた」ず蚀われるわけです。確かにそうだず思いたす。私たちの䞖代が九〇幎代前半に出䌚ったフェミニズムずいうのは䞻流の、男性䞭心的なメディアや出版業界のなかで「意味付䞎」されおいった※ 色付けされた非垞に狭められたむデオロギヌ※ 恣意的なむメヌゞであったこずは間違いありたせん。しかし問題は、むメヌゞ付䞎されおいき非垞に狭められおしたう䞭で消されたり、芋えなくさせられおしたった「か぀おあった倚様なフェミニズムの蚀説やむメヌゞ」が意倖に継承されおいないずいうこずで、今あえお「第䞉波」ずラベリングし、※ むメヌゞ的に狭められたものずしおの第二波から距離をずっおみるこずで、か぀おあったにもかかわらず今は途絶えおしたった倚皮倚様な運動や文化衚珟や生き方をうたく再発芋し、぀ないでいけるかもしれない。そういう意味で「第䞉波」ずいう呌称を甚いるこずの重芁性はあるず私は考えおいたす。』P21〜22

    田䞭東子がここで蚀っおいる『芁するに、女性差別は嫌だ、フェミニズムは倧切だ、ず理解はしおいたものの、九〇幎代前半に出合うフェミニズムの蚀説ずむメヌゞからは“正しいフェミニズム”を抌し付けられる感じがあっお、それがすごく嫌だった』ずいうのは、実のずころ、今の「反フェミ」の男連䞭が感じおいるこずず「たったく同じ」なのだが、田䞭はそのこずに「たったく気づいおいない」のではないだろうか

    ゞュディス・バトラヌは、「女性」ではなく「男性でも女性でもないもの性別で二分されない、本源的な人間そのもの」ずいう立堎を提瀺しお、ある意味でフェミニズムを、その「党掟性」から解攟したのだが、そのおかげで入れた「女性党掟」の内郚ではそのようにしお解攟されながらも、いざ男性に向かっおは、王切り型に「女性を振り翳す」こずには、䜕の疑問も感じないのであろうか
    もちろん、その自芚が無い、ずいうこずなのではあろうが。

    
    『田䞭 九〇幎代から二〇〇〇幎代半ばくらいたでの第䞉波フェミニズムの文化研究においおはただほずんど䜿われおいたせんが、新自由䞻矩ずフェミニズムの関係に぀いお批刀的に蚀及されはしおいたものの、匷い女性䞻䜓ずか個人の力による成功ずいう※ ポピュラヌフェミニズム的なものがあるおいど奜意的に分析されおいたこずは事実です。最近の議論のなかではそうした※ 新自由䞻矩に迎合的であった分析に察する反省や自己批刀も出おきおいるので、そのあたりも含めお批刀的に怜蚎し぀぀も、日本の文脈に合わせた第䞉波フェミニズムの導入の必芁はあるでしょうね。
    菊地 私が可胜性を芋おいる第䞉波の偎面を日本の文脈で考えるずすれば、やはり「慰安婊」問題が倧きくかかわっおくるず思いたす。日本のフェミニズムにずっお非垞に重芁な意味をも぀問題であるはずにもかかわらず、九〇䞀二〇〇〇幎代にかけおのフェミニズムはそこず十分に぀ながりきれおいなかった気がしおいお。䟋えば瀟䌚孊の文脈でいうず䞊野さんの『ナショナリズムずゞェンダヌ』青土瀟、䞀九九八幎が運動ずうたく぀ながれなかったこずの傷跡※ トラりマを※ 今のフェミニズム界にすごく感じるんです。※ だから、倱敗のトラりマを乗り越えおそこを぀なげるものずしお第䞉波ずいうモヌメントがあるのだずすれば、※ 慰安婊問題に限らず私は評䟡したい。しかし他方で、二〇〇〇幎代以降のバックラッシュを経おフェミニズムが※ むしろ防衛的になっおきおいるこずは※ 重倧な問題だず感じおいたす。぀たりフェミニズムの内郚で批刀をしあっおいおはいけない※ それをするず、フェミニズムが䞖間からの支持を倱っおしたうずいう※ 自己防衛的に自粛的な空気がここ二〇幎ほどあるず思っおいお、おそらく第二波・第䞉波ず分けるこずぞの疑問や、ポストフェミニズム※ 第二波フェミニズムの時代ずは違い、もはやフェミニズムが実珟された時代のフェミニズムずしおの第䞉波ず蚀うのは早いのではないかずいう意識もそこに関わっおいる気がするのですが、でもそれ※ 内郚批刀は控えるべきずいった、政治的な刀断による保身的なこずを蚀っおいるず逆にフェミニズムを狭くしおしたうんじゃないかずいう危機感があるんですね。䟋えばSNS䞊でポルノグラフィ的な衚珟が炎䞊するず「フェミニズムは衚珟の自由に反察しおいる」ずいう批刀ず「いや、フェミニズムは倚様な衚珟を認めおいるのだ」ずいう䞻匵ずにしばしば分かれたすよね。それはおそらくどちらも正しくどちらも間違っおいお、フェミニズムのなかには衚珟芏制掟も怜閲反察掟も䞡方いる※ ずいうこずが、芋えおもいないし、語り埗おもいない。そしお※ しかしそれら※ フェミニズムの䞭の倚様な立堎が喧々諀々やりあっおいる䞖界※ が実珟したならば、だからこそ※ フェミニズムはおもしろいず※ いうこずにもなるず思うんです。
    田䞭 SNS䞊のフェミニズムずアンチフェミニズムの議論を芋おいるず、双方ずもに想定しおいるフェミニストのむメヌゞが狭い気がしたすね。アンチフェミニズムの偎は、「プミニストミサンドリヌ※ 男性嫌悪の女性たち」ず決め぀けおいたすし、他方で、怜閲反察掟のフェミニストがポルノグラフィ衚珟にかんするSNSでの論争に口をはさむず、衚珟芏制掟のフェミニストの䞀郚から「男性に加担するアンチフェミニスト※ 裏切り者だ」ず※ Twitterなどで攻撃されおしたうこずもある。それら※ 王切り型のフェミニストずは異なるフェミニスト像を耇数芋せおいくこずは※ 瀟䌚の誀解を解くためにも重芁だず思いたす。
    菊地 これは倧越愛子さんがおっしゃっおいたこずですが、男性䞭心的なアカデミズムは暩嚁から暩嚁ぞず匕き継いでいく、系譜的でピラミッド的なかたちをも぀のに察しお、※ 本来フェミニズムの思想はさたざたな立堎が論争をしおいくその連続䜓であるず。特にゞェンダヌやセクシュアリティずいう非垞に耇雑な問題にかんしおいろいろな人がいろいろなこずを蚀っおいるずいうずころにフェミニズムの魅力がある※ はずだず思うので、過剰防衛で内郚批刀を塞いでしたうず、もっずよくない状況になっおしたう気がしおいたす。』P23

    田䞭東子が、

    『新自由䞻矩ずフェミニズムの関係に぀いお批刀的に蚀及されはしおいたものの、匷い女性䞻䜓ずか個人の力による成功ずいうものがあるおいど奜意的に分析されおいたこずは事実です。最近の議論のなかではそうした分析に察する反省や自己批刀も出おきおいるので、そのあたりも含めお批刀的に怜蚎し぀぀も、日本の文脈に合わせた第䞉波フェミニズムの導入の必芁はあるでしょうね。』

    ず、たるで他人事のように語りながらも、「倖囜の動向」を茞入的に『導入』しなくおは、ず語るのは、いかにも日本の孊者らしい物蚀いだず蚀えるだろう。

    そんなもの倖囜の先進性に促されるたでもなく、自分たちを取り巻く状況を盎芖しお、反省すべきは反省し、批刀すべきは批刀するだけでいいのに、それをやらないで来お、今になっお「倖囜で流行っおいるから、私たちもやらないずなあ」みたいなものでは、たずもな反省や批刀など、できるわけもないのである。

    たた、菊地倏野が蚌蚀するには、

    『二〇〇〇幎代以降のバックラッシュを経おフェミニズムが防衛的になっおきおいるこずは問題だず感じおいたす。぀たりフェミニズムの内郚で批刀をしあっおいおはいけないずいう自粛的な空気がここ二〇幎ほどある』

    『䟋えばSNS䞊でポルノグラフィ的な衚珟が炎䞊するず「フェミニズムは衚珟の自由に反察しおいる」ずいう批刀ず「いや、フェミニズムは倚様な衚珟を認めおいるのだ」ずいう䞻匵ずにしばしば分かれたすよね。それはおそらくどちらも正しくどちらも間違っおいお、フェミニズムのなかには衚珟芏制掟も怜閲反察掟も䞡方いる。そしおそれらが喧々諀々やりあっおいる䞖界だからこそおもしろいず思うんです。』

    ぀たり、倚くのフェミニストの間で「保身的な蚀論自粛」状態が続いおおり、フェミニズム内郚で批刀しあったり、喧々諀諀の議論をしたりはしない「党掟利益優先䞻矩」の状況が、珟時点ですでに「25幎」も続いおいるずいうこずなのだ。
    これでは自ずず、「フェミニズムにもいろんな立堎がある」などずいうこずを、䞖間は知りようもないではないか。
    ぀たり、今のフェミニズムが「硬盎的に教条的なもの」だずそう理解されおしたうのは、圓然の結果だ、ずいうこずである。

    田䞭東子は、菊地のこの指摘を受けお、

    『SNS䞊のフェミニズムずアンチフェミニズムの議論を芋おいるず、双方ずもに想定しおいるフェミニストのむメヌゞが狭い気がしたすね。アンチフェミニズムの偎は、「プミニストミサンドリヌの女性たち」ず決め぀けおいたすし、他方で、怜閲反察掟のフェミニストがポルノグラフィ衚珟にかんするSNSでの論争に口をはさむず、衚珟芏制掟のフェミニストの䞀郚から「男性に加担するアンチフェミニストだ」ず攻撃されおしたうこずもある。それらずは異なるフェミニスト像を耇数芋せおいくこずは重芁だず思いたす。』

    ず、たた他人事のように蚀っおいるが、自分は、フェミニズム内郚的に批刀されおでも、自分固有の意芋をハッキリず語っおいるずいうのだろうか
    「語るべきだ」ず語るこずず、それを自分が率先垂範するこずずは、倩地の開きがあるこずなのだが、それがわかったうえで蚀っおいるのか

    䞊での議論からわかるのは、倚くのフェミニストは、「女性の党掟利益」のため、「内郚的な結束」を匷調しようず、内郚批刀を避けお、無難に口を぀ぐんでいる、ずいう珟状だ。

    そのために、珟実に芋えおいる芋せられおいる「フェミニズム」は、「䞀枚岩的に䞀面的なもの」になっおしたっおいる。
    そのため、おのずず䞖間の理解も「䞀面的なもの」に止たらざるを埗ないわけなのだが、そうした䞖間の「止むを埗ない無理解」に察し、語るべきを語らず、説明すべきこずをしないフェミニストが、䞍平を挏らす資栌など、圓然、ありはしない。

    したがっお、党掟的な「事なかれ䞻矩」にならず、フェミニストの個々が、自分の立堎を明確に語り切っおゆき、フェミニズムの倚様性を態床で瀺しおいなかなければならないず、そのような「圓たり前のこず」が、ここお議論されおいるのだ。
    だが、はたしおこの人たちには、本気でそれをやる「芚悟」があるのだろうか
    それずも、「誰かが、それをやるべき」ずいった話にすぎないのか
    䞀䞀これもたた、䞖間によくある「やるやる詐欺」の䞀皮ではないず、責任を持っお蚀えるのだろうか

    では、フェミニズム内の倚様な意芋を、䞖間に知らしめおいくには、どうすれば良いのかずいう議論が、この錎談の最埌の郚分である。

    
    『河野 おっしゃる通りだず思いたす。特に今も䟋に挙げおいただいたTwitterなどのSNSずいうのは、フェミニストを十把䞀絡げに衚珟芏制掟ずみなすような非垞に単玔な蚀説がたかり通っおいる䞖界なので、どうしおも※ フェミニズムを守るために内郚批刀を塞いで※ 結束を固めようずしおしたうような※ 防衛的な論理が出おきおしたう。※ SNSでは、どうしおもそうなっおしたうのでだからこそ※ ここで考えなくおはいけないのが、※ SNSを避けるかたちでどこを䞻戊堎ずするかずいうこずだず思いたす。※ もちろん私自身は「SNSは仮想空間であっお珟実ずは関係ない」などず※ SNSは蚀論の堎ではない、などず蚀う぀もりはなく、そこで起こっおいるこずも※ 蚀論的な珟実であり、䜕らかの※ 蚀論的な察応をする必芁があるず思っおいるのですが、しかしSNSだけに足を取られおいるず、菊地さんのご指摘の通り※ 批刀攻撃に察しお保身的になるあたり自己批刀ができなくなっおフェミニズムがどんどん狭くなっおしたうこずは明らかですよね。
    田䞭 そこは本圓にSNSの欠陥で、曞いおあるこずの文脈を䞀切読みずるこずなく議論を吹っかけおくる人がいたり、お互いの䜿っおいる蚀葉のコノテヌションが噛み合っおいないにもかかわらずあたかも議論しおいるかのように論争が※ 䞍毛なかたちで展開しおしたったりするこずで、最も倧事な郚分であるフェミニズムをめぐる問題の耇雑さが党く顧みられずに、単玔化された喧嘩に終始しおしたいがちなんですよね。もちろんSNSずいうのは䜕かの宣䌝や、䌌おいる人たちず぀ながるためのツヌルずしおはずおもいいず思うのですが、蚎議を通じお思考を深め、䜕かよりよい解決を暡玢するずいったこずには党く適しおいない。
    河野 だから同時にSNSではない堎所をどう確保するのかが決定的に重芁になるず思うんですね。それは䟋えばこういう雑誌かもしれたせんし  。
    田䞭 二〇〇〇幎代は出版業界でもフェミニズムの䌁画がなかなか通らないずか、マスメディアも報道しないずいう状況がずっず続いおいたず思うのですが、ここ二幎くらいで颚向きがガラッず倉わった気がしたす。フェミニズム関連曞の出版ブヌムが起こり、その他のマスメディアにかんしおも、新聞瀟などに勀める女性の数は今すごく増えおいお、圌女たちが女性の問題を扱うような特集蚘事を曞き、それがSNSなどで拡散されるずいうこずがしばしば起こっおいる。そういう意味ではかなり可芖化されおきおいるのかなず。
    河野 私もいろいろな媒䜓にフェミニズムにかんする文章を曞いおいるなかで、意倖ず耇雑なこずを曞けるようになっおきおいるのは感じたす。『アナ雪2』論もそうで、最初は極力ラむトなものにしなくおはいけないず思い蟌んでいたのですが、実際はポストフェミニズムのような専門甚語も䜿っおいいず線集者の方に蚀われたんですね。それで思い切っお割ず耇雑なこずを曞いたのですが、それなりに楜しんでもらえおいるようです。これはりェブメディアの特性でもあっお、玙のメディアず違っお思わぬ読者局にたでどんどん拡散するのでむしろ自由に曞ける郚分がある※ のが、ありがたい。※ だからそういうものを利甚しおどんどん曞くずいうのも重芁かもしれたせん。今起こっおいる※ アクチュアルな珟実を背景にするこずで※ フィクションである物語がよりおもしろく豊かに読めたすよずいうこずを提瀺しおいく。※ それで、盎接的に虐げられおいる人たちを救うこずはできなくおもそれが自分にできるずりあえずの実践かなず思いたす。
    菊地 そうですね。ただ、それでもやはり倧事な郚分は芋萜ずされ※ 等閑に付され、誀魔化されお、埌回しにされおいる※ ずいう気が私はしおしたいたす。最近、旧優生保護法䞋で行われた匷制䞍劊にかんする運動にかかわっおいるのですが、あれも本来はゞェンダヌが倧きく関連しおいる問題ですよね※ だから、そこぞもフェミニストが、積極的に関わっおいっお然るべきでしょう。被害者には女性が倚く、たた䞍劊手術をされた際の心身ぞの圱響も女性のほうが倧きいわけで、障害女性圓事者や運動関係の人はそこの問題を蚀っおいるのに、マスメディアではなかなかそういう話にならない。子どもを生めなかったずか家庭を䜜れなかったずか、保守的な家族䞻矩的な捉え方でしか報道されないわけです※ し、マスメディアの動向に色目を䜿うフェミニストは、そういうものには反応しようずしない。玠敵で優れた女性が頑匵るかたちの※ マスメディア受けの良いフェミニズムは盛り䞊がっおいおも、マむノリティにずっおのフェミニズムは䟝然ずしお可芖化されないたたで、その最たる䟋が「慰安婊」問題でしょう※ が、はたしお、そんなこずで良いのでしょうか。あるいは先日、授業で#MeTooに぀いお議論した際も、倚くの孊生はそれを自分の※ ごく限られた経隓ず重ね合わせお高く評䟡するのですが、そこから※ 䞀歩螏み出しおフラワヌデモの話をするず、そもそもたず知らないし、知っおもそれは※ 銎染みのないこずなのでハヌドルが高いずなっおしたう。※ 恥ずかしかったり、倉わり者扱いされたくないのでそういうずころに参加しおいるのを※ 友人知人に芋られたくないず蚀うんですね。※ マスメディアなどによっお光が圓おられ可芖化されるフェミニズム※ 的な問題ずそうではないものずの※ 間で、その埅遇における差別的な分断が広がっおしたっおいる状況は確かにあっお、※ 事情に通じおいるはずの研究者ずしおはそこで※ スポットラむトの圓たる堎所からこがれ萜ちおしたうものこそを芋お※ そこを積極的にフォロヌしおいかなければいけない※ それこそが、フェミニズムの䜿呜ではないかず思っおいたす。
    田䞭 そこ※ マスメディア的に分断された郚分を架橋したいずいう思いは※ マスメディアを重芖する私にもありたす。䞀方では※ マスメディアの䞭にあるオタク掻動も続けおいるし、※ マスメディアな乗りにくい問題に関しお街頭に立おず蚀われれば※ 芁請があれば立っおマむクを握るずいうこずもしおいるのですが、日垞生掻のなかでみんなが※ フェミニストの誰もがそれらを䞡方できるず䞀番いいのでしょうね※ でも、それは珟実には難しい。運動は運動で、あたりのめり蟌むず運動するこず以倖は党お悪だずいうふうに先鋭化しがちですし、片やオタク文化は保守的で、あたりにも瀟䌚性や公共性がないず感じるこずも倚くありたす。※ しかし自分の快楜を突き詰めるこずず、瀟䌚的公正のためのツヌルに䜕かするこずを䞀人の人間のなかで矛盟せず䞡立させるこずは※ 原理的には、ある皋床は可胜なはずです。※ 珟実を無芖した、綺麗事の理想論のよう※ に聞こえるかも知れたせん。ですが、日本瀟䌚に欠けおいるのはそういう※ 困難な矛盟を、あえお匕き受けるずいう、芚悟の郚分なのかな、ずいう気がしおいたす。※ 私にそれが、どの皋床できるのかは、別にしお 』P23〜25

    この郚分での議論をたずめるず、河野真倪郎は、『TwitterなどのSNS』ではたずもな議論ができないから、䞻戊堎ずしお『雑誌』などの出版物や出版瀟のりェブサむトなど『いろいろな媒䜓』に求めおおり、これはけっこう悪くない、ずし、それを田䞭東子は、ここ数幎はフェミニズム関連曞籍の出版ブヌムだし、フェミニズムに぀いお曞かせおくれる『新聞瀟』なども増えお良かったず、肯定的に受ける。
    䞀方、これに察しお菊地倏野は、しかし、そうしたメディアが取り䞊げおくれるフェミニズムずは、もっぱら「キラキラ」系のそれであっお、マむノリティのそれは、なかなか取り䞊げおもらいない。だから、フェミニズムが、メディアな取り䞊げられるようになり、䞖間的に泚目されるようになっお、良かった良かったなどず、手攟しには喜べないず、そう泚文を぀ける。
    そしお、この泚文をうけお田䞭東子は、その䞡者、぀たり「キラキラ・フェミニズム」ず「マむノリティ・フェミニズム」を架橋する努力をしなければならないず、そう圓たり前の「理想論」で無難にたずめお、この錎談は幕を閉じる。

    私が、この最埌の議論の郚分で、匷烈な違和感を感じるのは、河野真倪郎が『TwitterなどのSNS』ではたずもな議論ができないず、そのように蚀う堎合に想定されおいる「SNS」ずは、もっぱらTwitter珟「X」のこずではないのか、ずいう点である。

    ず蚀うのも「Twitterでは、たずもな議論ができない」ずいうのは、なにも昚日今日にわかった話ではないからだ。
    なにしろ、あの短文による现切れの投皿で、意を尜くした説明などできるわけもないし、それがどんどん流れおしたい、読み返すこずすら面倒な圢匏なのだから、いきおい圓事者たちが。目の前の蚀葉ぞの「脊髄反射的」あるいは「売り蚀葉に買い蚀葉」ずなるずいうのは、最早わかりきった話なのである。

    けれども、SNSには、ブログのように長文を茉せるこずのできるものだっおいくらでもあるのだから、䜕もすき奜んでTwitterで喧嘩をしなくおも、Twitter以倖の、然るべきSNSの方がぞ意を尜くした「批刀論文」を曞けば、それで枈むこずではないのか。

    無論、これに察しおも、短文で芋圓違いなこずを蚀っおくる者はいるだろうが、それは無芖すればいいし、本気で議論する気があるのなら、意を尜くしたそれなりの長文で反論しおくる者だけを、真面目に盞手にすれば良いのだ。
    そうすればそれは、第䞉者にもその経緯ず内容の明らかな、フェアな公開「論争」ずなりうるのである。

    したがっお「SNSでは議論ができない」ずいうのは、TwitterSNSだずするような、事実にそぐわない理由でしかなく、結局は、ただ単に「議論を避けるための蚀い蚳」だずいうこずにしかならない。
    読者に察しお「私自身には議論する気はあるんだけど、その堎所がないからできないでいる」ずいうニュアンスを蟌めた、蚀い蚳のための、故意の「ミスリヌド」でしかないのである。

    たしかに、SNSにそうした長文の曞いたずころで、䞀銭の儲けにもならないだろう。
    けれどもそのかわり、誰に気兌ねするこずもなく、自分の考えを存分に展開できるではないか。なのになぜ、それをやらずに、出版瀟や新聞瀟やネットメディアからの「泚文」を埅぀こずしかしないのか

    それは結局のずころ、銭儲けにもならず、名前を売るこずにもならない意芋衚明に劎力を䜿う気などもずもず無い、ずいうこずなのではないのか

    議論が必芁だずか、フェミニズムの倚様性を瀺す必芁があるずか、公匏の堎では理想論を口にしたずころで、それをやるためには、出版瀟などにお膳立おしおもらい、「先生」扱いで、しかるべき原皿料をもらえるものでないず「バカバカしくおやる気にもなれない」ず、本圓は、そういうこずではないのか

    しかし、ベル・フックスが蚀ったように、そうした、金儲けしたり有名になったりするこずを、たず求めおしたうような者ばかりだからこそ、フェミニズムは長らく、内郚批刀もできなければ、その倚様な意芋の存圚を瀺すこずもできなかったのではないのか。

    自分にはその気があるが、誰もお膳立おしおくれないからやれないのだ、などずいうような茩が、実際に、そういう「先生」扱いを受けられるようになれば、その資本䞻矩瀟䌚における䞊䜍クラスに、どっかりず安䜏するこずにしかならないのではないのか 䞀䞀たずえば、北村玗衣がそうであるように。

    そんなわけで、この錎談からわかるのは、内郚批刀も論争も必芁だず口先では蚀っおいるフェミニストでさえ、それを積極的にやる気はなく、自分がやれないのは、やる環境を敎えおもらえないからだず、そんな莅沢を蚀っおいるためだ、ずいうこずなのでははいのか。

    「やらなければならない」ず、そう蚀うだけなら、やる気のない者でも蚀える。

    だが、本気でそう思うのなら、暪着にTwitterで、やっおたすアピヌルだけをするのではなく、金儲けにはならなくおも、ブログなどで、存分に䞻匵すれば良いのではないのか。「隗より始めよ」ずいうこずではないのか。

    今ほど、誰にでも、その私芋を公けにする機䌚が䞎えられた時代もないずいうのに、どうしお「発衚堎所がない」などず蚀えるのか

    結局のずころ、そうした人はすべお、凡庞に「新自由䞻矩フェミニズム」に毒されおいるだけなのではないのか。

    だからこそ、北村玗衣のような、害悪を撒き散らすだけの「えせフェミニスト」が、批刀されるこずもなく、のさばり続けおいるずいう珟実が、攟眮黙認されたたたになっおいるのではないのだろうか。


    ※  本皿をアップした、圓幎2月7日の段階では、河野真倪郎が「オヌプンレタヌの発起人」の䞀人であるこずを芋萜ずしおおり、その点に蚀及しおいなかったので、本日、本文にその点を補足した。2025幎2月9日

    2025幎2月7日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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