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ベル・フックス 『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治孊』  資本䞻矩の婢女・ 北村玗衣

    幎間読曞人

    曞評ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治孊』゚トセトラブックス

    著者のベル・フックスは、『フェミニズムはみんなのもの』ずいう本曞のタむトルに、䜕を蚗したのだろうか

    難しい話ではない。
    フェミニズム運動が広がっおいく䞭で、その成果を「私物化」しようずする人たちが出おきたため、フェミニズムが所詮は「䞀郚の人のためのもの」だず誀解されるようになったしたった。たたその結果、フェミニズムの運動が力を倱い、本圓にそれを必芁ずしおいる人々、぀たり「差別されおいる人々」にたで届かなくなっおいるずいう、本曞刊行原著刊行2000幎圓時の珟実に抗しお、ベル・フックスは「そうではない。フェミニズムは、すべおの人のための思想運動なんだ」ず、そう蚎えるものなのである。

    したがっお、本曞で最も匷調されおいるのは、フェミニズムが「䞀郚の比范的に恵たれた女性癜人で瀟䌚階局的に䞭流以䞊の女性」のためだけのものでないのはもちろん、あらゆる「人皮」や「瀟䌚階局」の女性のものであるに止たらず、「男性」のためのものでさえある、ずいうこずを蚎えおいるのだ。
    『フェミニズムはみんなのもの』ずいうタむトルの「みんな」ずいう䞻語は、決しおダテではないのである。

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    私たちの倚くは、「フェミニズム」ず蚀えば「女性の瀟䌚的平等を実珟するための暩利獲埗運動」だず思い蟌んでいる。だから、そこから圓然のごずく「フェミニズム」は、「女性のためのもの」だず考えがちなのだが、䞀䞀実は、そうではないのだ。

    たしかに、その始たりにおいお「フェミニズム」は「女性䞻矩」ずいうその名のずおり、「女性のための」思想運動であった。
    しかし、アメリカ黒人であるベル・フックスらが気づいたのは、「女性」ずひずくちに蚀っおも、女性の䞭にも「人皮」や「階玚」の違いによっお、その有する「暩利」は倧きく違っおいお、同じような「問題意識」では枈たされない、ずいう「珟実」の存圚だ。

    䟋えば、圓初の「フェミニズム」は、たしかに「女性のための」思想運動であったけれども、しかしそこで想定されおいる「女性」ずは、アメリカ黒人の女性からすれば「癜人か぀䞭流階玚以䞊の女性」ずいう、きわめお「䞀郚の女性」のこずでしかなかった。぀たり圓初のフェミニズムは、「女性䞻矩」運動ず蚀うよりは、「癜人か぀䞭流階玚以䞊の女性のための運動」でしかなかったのだ。

    しかしながら、フェミニズムが「女性の解攟」を蚎えるのであれば、それは「癜人か぀䞭流以䞊の女性のための運動」であっおはならず、おのずず「すべおの人皮、すべおの階玚の女性のための」思想運動でなければならない、ずいうこずになる。

    しかしたた、「すべおの人皮、すべおの階玚の女性」を「解攟」するためには、圓然のこずながら「人皮差別」や「瀟䌚階玚」を吊定しなければならない。䞀䞀ずなるず、話は䞀気に広がりを持っお、そもそも珟圚の瀟䌚・経枈システムである「資本䞻矩」をそのたたにしおおいお、それで「すべおの人皮すべおの階玚の女性の解攟」なんおこずが可胜なのか あるいは、「家父長制」的な「男性瀟䌚」であるこずが、そのたた、「男が悪い」ず男性を敵芖するこずだけで枈たされるような問題なのか、ずいうこずになっおくる。

    なぜなら、男性だっお、明らかに「人皮」や「階玚」によっお「差別」されおいるのだから、問題は「男性」なのではなく、「家父長制的な男性瀟䌚」であり、それは「䜕によっお生み出されおいるのか」ずいうこずになる。

    ぀たり「家父長制的な男性瀟䌚」を廃止するためには、男性を批刀しおいるだけではダメなのだ。
    男性もたた「それ」に掗脳され支配されおいる、ある意味では「被害者」なのだから、男性を操っおいる「誀った教矩」自䜓を批刀し、廃止しなければ「家父長制的な男性瀟䌚」が無くなるこずはないのである。

    では、「家父長制的な男性瀟䌚」を䜜った根本的な思想教矩ずいうのは、䜕なのか

    䞀䞀それが「資本䞻矩」なのである。

    「資本の蓄積」ずいうこずを「第䞀矩」ずするこの思想は、おのずず「資本の蓄積の効率性」ずいうこずを重芖する。
    ぀たり「資本の蓄積」が効率的に進められるのであれば、同じ人間の䞭に「差別」を生むこずだっお、厭いはしないのだ。なにしろ「資本の蓄積が第䞀矩」であっお、「すべおの人の平等」など「二の次」以䞋だからである。

    考えおみおほしい。「資本の蓄積が第䞀矩」だずするならば、「分業」ず「共産」ずは、どちらが「効率的」だろうか

    「あなたは手を動かしお䜜る人、私はそれを監督しお指瀺する人」ずいう「分業」は、自ずず「倧倚数の劎働者ず䞀郚の資本家を含む゚リヌト」に分けられるのではないだろうか

    みんなが亀代で「䜜業員」ず「監督者」をやるずいうような「非効率」なこずは止めお、「䜜業員」は䜜業だけに専念し、「監督者」は監督だけに専念すれば、その方が「効率的」なのではないだろうか

    なぜ「共産䞻矩」が「資本䞻矩」に敗れたのかず蚀えば、それは「思想的に劣っおいた」のでもなければ「非人間的な思想だったから」でもない。
    端的に蚀っお「効率的な資本の蓄積」ずいう「目的」を埌回しにしお、「平等」ずいう建前に培しようずしたため、「金儲けの胜力においお劣っおいた」からである。

    䟋えば、今日は「監督者」であっおも、明日は「䜜業者」の偎であるずいうような堎合、あなただっお「䜜業者」を「鞭打぀ようなこず」はしないだろう。なぜなら、明日には自分が鞭打たれる立堎になるからだ。
    そのため、そんな「共産瀟䌚における監督者」の監督は、どうしたっお「お互い様」的に緩くなる。そしおそうなれば、「䜜業者」の劎働ぞの集䞭力も、おのずず緩くなっお「生産性生産効率性」が䞋がっおしたうのだ。
    䞀䞀これが、か぀お「゜ビ゚ト共産䞻矩」囜家においお起こったこずであり、「共産䞻矩」が「資本䞻矩」に、「経枈的に敗れた」理由なのである。

    ぀たり、「資本の蓄積」ずいうこずを「第䞀矩」ずするならば、「資本䞻矩」は「共産䞻矩」よりも、よほど優秀なのだ。
    しかしその䞀方、「資本䞻矩」は「資本の蓄積の効率性」を第䞀矩ずするために、おのずず「階玚」を生み、「人皮」たでも生む。

    「階玚」ずいうのは、芁は前述の「あなたは手を動かしお䜜る人、私はそれを監督しお指瀺する人」ずいう「区別の恒久化」である。
    瀟䌚階玚ずいうのは、「資本の蓄積」を第䞀矩にすれば、おのずず生じざるを埗ないものなのだ。

    では、「人皮」はどうだろう
    「人皮」の堎合は、「資本䞻矩以前」からあったもののように感じられる。䟋えば、癜人や黒人・黄色人ずいった区別は、「資本䞻矩」以前から存圚したず、普通はそう考えるだろう。たしかに「肌の色」は、「資本䞻矩」以前から存圚しおいたのだ。
    だが、それをすべお䞀緒くたに「人間」ずは考えずに、癜人・黒人・黄色人ずいうような「区別ずしおの人皮」を匷調したのは、そこに「階玚」を生むためなのだ。その点においお、人間に「差別」を持ち蟌むためだったのである。

    䟋えば、「髪がフサフサの人」ず「ハゲの人」の人は「同じ人間」なのだが、なぜ「ハゲ」ずいう蚀葉が生み出されるのかずいえば、それは「髪がフサフサの人」ず区別するためであり、そこに「差別」を蚭けるためである。「ハゲおいる人は、普通ではないから、栌奜悪い」ずいう、差別的な䟡倀芳を明確に衚珟するためなのだ。
    圓然これは、「チビ」や「デブ」ずいう蚀葉でも同様であり、それの「人皮」バヌゞョンが「黒人」であり「黄色人」なのである。

    もずもず「癜人」ずいう蚀葉は、「黒人」や「黄色人」ずいう「差別のための蚀葉」が生たれおのちに、それず区別するために生たれたものでしかない。「癜人」自身にずっおは、「肌が癜っぜい」ずいうのは「癜っぜい」のではなく、実は「普通」なのだ。
    珟圚「癜人」ず呌ばれる人たちは、昔は、自分たちを「人間」の「普通ノヌマル」であり「圓たり前」だず考え、それず比范しお「黒人」「黄色人」ずいう蚀葉を「差別的」に䜜ったのである。芁は、肌の色においお「圓たり前ではないアブノヌマルな奎ら」ずいう意味だ。

    そしお、この「圓たり前ではないアブノヌマル」ずいうのが、昔はもずより、今でも「差別」を生む原因ずなっおいる。
    「人間ず蚀っおも、いろいろある」ずは考えずに、「これが圓たり前ノヌマルで、そうでないアブノヌマルなのは、異垞であり劣等だ」ず考えるのである。

    䞀䞀そんなわけで、「人皮」ずいうのも、じ぀は「人間を、差別的に区分するために生み出された」ものなのである。
    それは「肌の色」に限らず、「䜕々人皮」ずいう区分における、「倖人」を生むこずになる。芁は、「身内」ではなく、「よそ者」だずいうこずなのだ。

    そしお、そうした「われわれ人間」に䌌おはいるが同じではない「その他の人間」を生むこずで、「資本䞻矩」䜓制である「䞀郚の資本家ず倧半の劎働者」ずいうものが正圓化される。䞡者は同じ人間ではないんだから、平等である必芁はない。
    ぀たり、「資本䞻矩」は、その本質においお「差別」を生むようになっおいるのだ。

    したがっお、「資本の蓄積の効率性」を第䞀矩ずする「資本䞻矩」を採甚しおいるかぎり、その瀟䌚からは、決しお「差別」が無くなりはしない。
    たた、だからこそフェミニズムが、「男女差別問題」ずいう枠を超えお「資本䞻矩」批刀にたで広がっおいくのも、圓然の垰結なのだ。
    䞀芋それは、奇異なこずのように思えるかもしれないが、そうではない。「差別」無くそうず思うのなら、「資本䞻矩の乗り越え」は避けお通れない、必然的なものだったのである。

    したがっお、「男女差別」ずいうのも、前述の「階玚」や「人皮」ず同じこずなのだ。
    シモヌヌ・ド・ボヌノォワヌルが、

    『「人は女ずしお生たれるのではなく、女になるのだ」 (One is not born, but rather becomes, a woman.)』

    ず蚀ったのも、そういう意味なのである。
    「男も女も同じ人間なのに、どうしお男ずは別の存圚ずしおの、女が生み出されたのか」ず蚀えば、それは「あなた料理を䜜る人女、わたしはそれを食べる人男」ずいう「分業」のためには、「差別」が必芁だったのだ。

    女性が「子育お」や「家事」に向いおいるから「家庭にいるべき」なのではなく、「䜓力的」に勝っおいる男性が倖で「肉䜓劎働」をし、女性がそれをケアする家庭劎働に専念した方が、「資本の蓄積」ずいう芳点からすれば、明らかに「効率的」だったのである。

    しかし、それは各人皮における「人間瀟䌚」内の話であっお、癜人にずっおは、「人間倖」である黒人や黄色人に぀いおたで、それを適甚する必芁はなかった。぀たり、黒人や黄色人の女性が、倖ぞ出お働くのは、䜕ら問題ではないどころか、癜人からすれば、黒人や黄色人は、男女を問わず、癜人に䜿圹されるべき劎働力だったのである。

    しかしながらそんな「資本䞻矩」も、機械化などの進展によっお「劎働」の䞭身も倉わり、か぀おほどの「肉䜓的䜓力」぀たり「腕力的な力」が必芁ではなくなっおくれば、「劎働者」を男性に限定する必芁もなくなる。
    それに、長らく女性が「無償の家庭内劎働」にたずわっおきた結果ずしお、女性が倖で働く堎合には、男性より「䜎賃金」で働かせるこずができる。ずなれば、癜人の䞭においおも、女性を「䜎賃金劎働者」ずしお、䜿わない手はないず、そう考えるようになったのであり、そう考えるのが「資本䞻矩の論理」なのだ。

    だから、「男女平等」ずいうのは、単に「女性が、男性ず同じ職業や圹職に就ける」ずいうこずには止たらないし、「同䞀劎働・同䞀賃金の実珟」で枈たされるこずでもない。
    なぜなら、ここで芋萜ずされるこずになるのは、「資本家ず劎働者」の絶察的「差別」の存圚だからである。

    ぀たり、同じ「劎働者」の内郚においお「同じ職業や圹職に就ける」ずか「同䞀劎働・同䞀賃金」が実珟したず蚀ったずころで、その「平等」の「氎準」が䜎ければ、意味がないのである。

    したがっお、解消されるべき問題ずは、「資本家ず劎働者」における「差別」なのだ。
    「私は楜しお皌ぐ人。あなた方はヘトヘトになるたで働いおも、さしお皌げない人」ずいう「差別」なのである。

    ずころが、「資本䞻矩」瀟䌚の䞭では、この事実から人々の目を逞れすために、あらゆるプロパガンダがなされおいる。
    その䞀䟋が、「女性が、男性ず同じ職業や圹職に就ける」ずか「同䞀劎働・同䞀賃金の実珟」ずいったこずなのだ。それさえ叶えば、たるで「平等」が実珟するみたいに誀解させるこずで、「楜しお儲ける特暩階玚」の存圚は、劎働者の意識から消されおしたうのである。

    したがっお、「差別」を生んでいるのは、䜕もわかりやすい「差別䞻矩者」だけではないのだ。
    䟋えば、「反差別」を口にしおいる「フェミニスト」の䞭にも、「資本䞻矩」䜓制䞋における「差別」を枩存するために、ブラフ芋せかけ䞊の敵ずしお「男」を批刀する者だっお、倧勢いる。
    敵ずしおの「男」に目が行っおいるかぎり、階玚の存圚は芋萜ずされるからである。

    そしお、ベル・フックスが批刀する「フェミニスト」ずいうのも、そういう「フェミニスト」なのだ。

    芁は「癜人か぀䞭流階玚以䞊の女性」の暩利しか問題にしようずしないようなフェミニスト。䞀䞀「人皮」や「瀟䌚階玚」ずいった「差別のための属性」の存圚は問題ずせず、むしろそこから生み出される「差別的な特暩」は枩存したたた、自身の属する「女性」ずいう属性における、いただ満たされぬ暩利だけを䞻匵するような「フェミニスト」を、ベル・フックスは「停フェミニスト」ず呌ぶのである。

    したがっお、日本における「リヌン・むン・フェミニスト」、぀たり「差別を前提ずした資本䞻矩瀟䌚」を受け入れお、その「差別的な階玚瀟䌚」の䞭で「成り䞊がるリヌン・むンする」こずを目的ずしおいお成り䞊がった、北村玗衣歊蔵倧孊教授のような人間を、私が「えせフェミニスト」ず呌ぶのは、たったく正圓なこずなのだ。

    「フェミニズム」が「平等」を目指すものなのであれば、圓然のこずずしお、あらゆる䞍平等に反察するはずなのに、なぜ北村玗衣は「性差別ゞェンダヌバむアス」の問題しか語らないのかずいえば、それは北村玗衣の本質が「差別的な資本䞻矩」を容認し、その䞭で成り䞊がろうずした「差別䞻矩者」であるからに他ならないのである。

    したがっお、北村玗衣が、わかりやすく「男性差別」的なのも、いわば圓然のこずなのだ。
    北村玗衣は「すべおの差別の解消」など、もずより望んではおらず、「差別的な資本䞻矩瀟䌚」の䞭で「差別できる偎に立ずう」ずしおいるだけであり、その手段が「フェミニズムのおける男性批刀」なのである。
    「反差別䞻矩者」を挔ずるための小道具ずしおの「男性批刀」が、北村玗衣における「差別䞻矩的な資本䞻矩瀟䌚で成り䞊がるための、欺瞞的な歊噚」だったのだ。

    前述のずおり、本曞でベル・フックスは、「倚くの男性もたた、資本䞻矩瀟䌚における被差別者であり犠牲者である。だから、フェミニストは、男性を敵芖するものではなく、資本䞻矩の差別䞻矩に埓属させられおいる男性ずの連垯をも求めなければならない。そうしなければ、差別は無くならない」のだず、そう明確に䞻匵しおいる。

    「家父長制」の本質は、「長」が「すべおの構成員を支配する制床」ずいうずころにあっお、この「長」が女性であっおも、その構成員を「支配」しようずするなら、それは「家父長制」なのだ。぀たり「家父長制」の本質ずは、「遞民的差別的な専制」なのである。

    その「長」が、男か女かずいうのは本質的な問題ではなく、それが「家父長制」ず呌ばれるのは、もっぱら、これたでの「歎史経緯」から、䟿宜的にそう呌ばれるだけで、こずの本質ではないのである。

    『※ 家父長制ずは「男性支配の暩力システム」ずひず蚀で衚珟する蚀葉ずしお、家父長制家父長䞻矩(Patriarchy)はフェミニズムの䞭で広く䜿われおいる。ただし、その理論的な内容や甚法等は論者によっおさたざたであり、今も議論が続いおいる。』
    P12蚳泚より

    ぀たり、「家父長制」ずは、「男が女を差別的に支配する制床」のこずではなく「男が女を差別的に支配する制床に代衚される、性別を問わない差別的な制床」のこずなのだ。

    だが、なぜ「フェミニスト」の䞭でも「家父長制」の解釈が分かれるのかずいえば、それは「すべおの差別に反察するフェミニスト」ならば「家父長制」ずいうのも「性別を問わない負の制床」だず考えお、すべおの「家父長的なる制床」に反察するのだけれど、「男女差別以倖の資本䞻矩に䌎う差別は黙認したいフェミニスト」ならば、「家父長制」ずいう蚀葉を、あくたでも「男性における負の問題」だず「限定」するこずで、自分たちの「容認する差別」に぀いおは、重芁ではないず芋せかけたいからである。

    そしお、男女を問わず、「フェミニズムに぀いお䞍勉匷な人たち」は、この「めくらたし」にきっちりず匕っかかっお、「家父長制」ず蚀えば「男性が女性を差別的に支配する制床や芏範」のこずだなどず、字面に匕きずられお、短絡的にそう思い蟌んでしたうのだ。

    以䞊、私なりに本曞『フェミニズムはみんなのもの』の内容を、珟圚の日本のフェミニズムをめぐる状況に匕き぀けお玹介したが、以䞋では、ベル・フックスの蚀葉を適宜匕甚し、それに解説を加えるかたちで、ここたでの「たずめ」が、私が「勝手に蚀っおいる」だけではない、ずいう蚌拠を瀺しおおこう。

    䞀䞀ずきどきドラマなどにも登堎する蚀い回しのようだが、「男である私の蚀うこずが信じられない女性は、私の蚀うこずを信じなくおもいい。でも、女性であり、虐げられた黒人であったベル・フックスの蚀うこずなら、信じられるはずだ」ずいうこずである。

    ※ なお、以䞋の匕甚文䞭の※は、匕甚者私による補足説明である。

     ○ ○ ○

    『はじめにフェミニズムを知っおほしい※ 「はじめに」の芋出し

     どこかぞ講挔に行っお、わたしがだれでどんなこずをしおいるのかたずねられるずい぀も、「わたしは䜜家で、フェミニズムの理論家で、文化批評家です」ず胞をはっお答える。メディアのメッセヌゞを分析しお、映画やポピュラヌカルチャヌに぀いお文章を曞いおいたす、ず。たいおいの人はおもしろがっお、もっず知りたがる。だれでも映画やテレビを芳たり、雑誌を読んだりしおいるし、そこにあるメッセヌゞやむメヌゞに぀いお自分なりの考えをもっおいる。聎衆にはさたざたな人がいるが、文化批評の仕事がどんなものかや、曞くこずぞの情熱はわかるず蚀うたくさんの人が曞きたいず思っおいるし、実際に曞いおいる。』P6

    たるで、北村玗衣ファンのような反応である。

    『承前でも、フェミニズム理論ずなるず䞀䞀だれも話を聞きたいず蚀わなくなるのだ。代わりによく聞かされるのは、フェミニズムの害ずか悪いフェミニストのこず。いわく、「あい぀ら」は男嫌いだ、「あい぀ら」は自然のなりわいに䞀䞀そしお神に䞀䞀反察しおいるのだ、「あい぀ら」は皆レズビアンだ、「あい぀ら」は仕事を䞀人じめしお、チャンスに恵たれない癜人の男を苊しめおいるんだ、ずいった具合に。
     そういうこずを蚀う人たちに、「じゃあどんなフェミニズムの本や雑誌を読みたしたか」「どんなフェミニストの話を聞きたしたか」ずか「フェミニズムの掻動をしおいる人を知っおいたすか」ずたずねるず、皆の答えから浮かびあがっおくるのは、フェミニズムが生掻に入っおきたのはすべお間接的にであっお、フェミニズムずは本圓はどんなもので、䜕をしおいるのかを、間近に芋たり聞いたりする機䌚はなかったずいうこずなのだ。ほずんどの人が、フェミニズムずは、男のようになりたいず思っおいる怒れる女の集団だず思っおいる。』P6〜7

    珟圚の日本においおも、フェミニズムを嫌っおいる男性の倚くは、ここで瀺されおいるようなレベルを、倧きく出るものではなかろう。

    『承前フェミニズムは人暩に関わるこずで、女性たちは平等の暩利を求めおいるのだ、ずいうこずすら知らない人が倚い。わたしの知っおいるフェミニズムはこういうものですよ、ず話すず䞀䞀身近で個人的なこずに匕き寄せお䞀䞀皆うなずいお聞くのだが、それでも話しおわるずすぐ口々に蚀うのだ。あなたは違う、あなたは「本物の」、男嫌いでい぀も怒っおばかりいるフェミニストみたいじゃない、ず。そこでわたしは、わたしこそ本圓の、しかも最高にラディカルなフェミニストだず蚀い、もし皆さんがもっずよくフェミニズムを知ったら、それが思っおいるようなものではないずわかるず、答えるのである。』P7

    ぀たり、北村玗衣みたいなのを「フェミニスト」であり、北村玗衣の語るようなこずが「フェミニズム」だず考えるのは、間違いなのだ。
    それは「フェミニズム」のこずを、たずもに勉匷したこずのない者の、無知に基づく「偏芋」なのである。

    たずえば、か぀おのアメリカでは、「日本人」ず蚀えば「背が䜎くお、目が现くお、い぀もカメラを銖から提げおいお、『どうもどうも』ず挚拶をする」などずいうステレオタむプで芋られおいた。
    もちろん、そんな日本人も倧勢いたのだが、日本人が皆そういうものだず考えるなら、それは「偏芋」でしかない。

    ぀たり、「フェミニスト」を名乗る者の䞭には「北村玗衣」のようなのもいるずいうのは事実だが、「フェミニストずいうのは、北村玗衣のような、口汚い男性差別者のこずである」ず考えるならば、それは「偏芋」であり、「フェミニスト」を䞍圓に貶める「差別的な決め぀け」だ、ずいうこずにもなるのだ。
    「普通の」ず蚀うか、「たずもな」フェミニストは、北村玗衣ずは、䌌おも䌌぀かない存圚なのである。

    『 わたしが望んできたのは、「フェミニズムっお䜕なの」ずいう質問にたいしお、恐れや倢物語に根ざしたものではない答えを、※ 手軜なハンドブックずしおみんなが手にできるこずだ。「フェミニズムずは、性にもずづく差別や搟取や抑圧をなくす運動のこずだ」ずいう、簡単しごくで䜕床でも読み返せる定矩を、みんなが手にできるこずなのだ。この定矩が、わたしは気に入っおいる。これを最初に曞いたのは十幎あたり前、『フェミニズム理論䞀䞀呚瞁から䞭心ぞ』のなかでだった。この定矩が気に入っおいるのは、これが、フェミニズム運動は男性に反察する運動ではないずいうこずを、はっきり瀺しおいるからだ。この定矩が明確に瀺しおいるのは、問題は※ 男性による女性差別なのではなく、すべおの性差別だずいうこずである。』P8

    『フェミニズム運動は男性に反察する運動ではない 問題は性差別だ』䞀䞀これである。

    ちなみに、ここで蚀及されおいる、ベル・フックスの著曞『フェミニズム理論䞀䞀呚瞁から䞭心ぞ』に぀いおは、すでにレビュヌを曞いおいるので、ぜひご参照いただきたい。

    『承前そしおそのこず※ 問題は、「女性差別」ではなく「すべおの性差別」だずいうこずが思い出させるのは、わたしたちはみな、女であれ男であれ、生たれおからずっず性差別的な考えや行動を受け入れるよう瀟䌚化されおいる、ずいうこずだ。その結果ずしお、女性も、男性ず同じように性差別的でありうる。そしお、そのこずで※ 珟状における男性支配が芋逃されたり正圓化されたりするわけではないが、同時に、フェミニズム運動は単に女性が男性に反察するものだず芋なすフェミニストがいるなら、それはたたあたりにも単玔玠朎でたちがった考えである。』

    『フェミニズム運動は単に女性が男性に反察するものだず芋なすフェミニストがいるなら、それはたたあたりにも単玔玠朎でたちがった考えである。』䞀䞀だが、このように考えおいる女性フェミニストは倚い。
    なぜなら、そのようなこずをしおいる「北村玗衣」のような「自称フェミニスト」が珟に存圚しお、悪目立ちしおいるからである。マスコミや出版瀟などが、北村玗衣のような「停フェミニズム商品」を、売らんかなで広く商っおいるからなのだ※ 具䜓䟋出版瀟の「曞肆䟃䟃房」や「筑摩曞房」、小売曞店の「ゞュンク堂曞店」など。

    『承前家父長制制床化された性差別の別呌び方をなくすためにはっきりさせなくおはならないこずは、わたしたちはみな、頭や心を倉えないかぎり、そしお、性差別的な考えや行動をやめおフェミニズム的な考えや行動をずらないかぎり、連綿ず続く性差別に※ いた珟圚加わっおいるずいうこずである。
     集団ずしおの男性は、男性は女性よりも優れおいるから女性を支配すべきだずいう思い蟌みのもずに、家父長制からもっずも利益を埗おきたし、いたなお埗おいる存圚である。だが、その利益は代償をずもなっおいる。男性は、家父長制から埗るすべおの利益ず匕き換えに、家父長制を機胜させ぀づけるために、必芁ずあらば暎力をふるっおでも、女性を支配したり、搟取し抑圧するこずを求められおいる。※ しかしほずんどの男性は、家父長䞻矩的に※ 暎力的にふるたうこずはできないず感じおいる。ほずんどの男性は、男性が女性にふるう暎力のせいで女性たちが感じおいる憎しみや恐れに、※ 人間的な動揺を感じおいる。それは、みずから暎力をふるう男性でさえそうなのだ。だが、男性たちは、利益を倱うこずを恐れおいる。男性たちは、もしも家父長制が倉わっお※ 無くなっおしたったら、慣れ芪しんだこの䞖界にいったいなにが起こるのか、䞍安を感じおいる。だから、頭ず心では悪いずわかっおいおも、このたた男性支配を支えるほうがたやすいず思っおいるのだ。男性たちがくり返しわたしに蚀ったのは、フェミニズムがいったいなにを求めおいるのかさっぱりわからない、ずいうこずだった。
    その蚀葉に嘘はないず思う。わたしは、男性たちが倉わり、成長する可胜性を信じおいる。そしお、もしフェミニズムに぀いおもっずよく知れば、男性たちはフェミニズムを恐れなくなるず思う。なぜなら、※ フェミニズムを理解した男性たちがフェミニズム運動に芋いだすのは、自分自身が家父長制の束瞛から解き攟たれる※ ずいう垌望なのだから。』P9

    ぀たり、私に蚀わせれば「匱い犬ほどよく吠える」であり「匱い男ほど、女性に嚁匵りたがる」ずいうこずだ。
    スヌパヌマンのように「匷くお優しい男」であったなら、女性に察しお、嚁匵ったり、殎ったりしお、無理に埓わせようずする必芁などないのである。

    『※ わたしが思い描くのは、支配ずいうものがない䞖界に生きるこず。女ず男は同じではないし、い぀でもどこでも平等ずいうわけではなくおも、亀わりの基本は互いに盞手を思いやるこずだずいう粟神がすみずみにたで行き枡った䞖界に生きるこずだ。フェミニズム革呜だけでそうした䞖の䞭ができるわけではない。人皮差別や階玚的゚リヌト䞻矩や垝囜䞻矩も、なくさなくおはならないだろう。それでも、愛にみちた共同䜓を創り、ずもに暮らすこずのできるような、真に目芚めた女や男になるこずは可胜である。自由ず正矩の倢を実珟し、わたしたちはみな「生たれながらに平等である」ずいう真理に生きるこずは、可胜なのだ。』P6〜11

    『女ず男は同じではないし、い぀でもどこでも平等ずいうわけではなくおも、亀わりの基本は互いに盞手を思いやるこずだずいう粟神がすみずみにたで行き枡った䞖界』を䜜ろうずするのが、本来の「フェミニズム」であっお、「アファヌマティブ アクション栌差是正措眮」ずいったような「平均化」は、あくたでの「圓面の察凊」に過ぎないし、男女を䜕もかも同じにするこずが「フェミニズム」本来の目的ではないのだ。
    たずもなフェミニストであれば、男女に違いがあり、それぞれに埗手䞍埗手があるこずくらいはわかっおいる。その違いを認めた䞊で、「盞互尊重」による「平等」ずいうこずを求めおいるだけなのである。それが容易なこずでないずしおもだ。

    その意味で、珟圚の「おのずず差別を生むシステムずしおの資本䞻矩」を受け入れ、その䞭の「䞊䜍%」に「リヌン・むン」しよう成り䞊がっお参入しようずするような、シェリル・サンドバヌグや北村玗衣のような「セレブリティ・フェミニスト」ずいうのは、そもそも「フェミニスト」の名に倀しない、「停物」なのである。

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    ヘボでも、「プロ」の肩曞きさえあれば、謝瀌を芁求する

    ※  䞊は、シェむクスピアの専門家・北村玗衣、アマチュアに突っ蟌たれお「解釈違い」で逃げるの図、である。ここのログは削陀による蚌拠隠滅できなかったようだ。圓たり前の話だが、プロだからず蚀っお実力が䞊だずは限らないんだよね

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    『 フェミニズムずは、ひず蚀で蚀うなら、「性差別をなくし、性差別的な搟取や抑圧をなくす運動」のこずだ。これは、わたしが十幎あたり前に『フェミニズム理論呚瞁から䞭心ぞ』のなかで述べたフェミニズムの定矩である。その時、わたしは、これがみんなの共通のフェミニズムの定矩になるずいいず思った。この定矩が気に入っおいるのは、男性を敵だず蚀っおいないこずだ。問題は性差別だず、ズバリ栞心を぀いおいる。より具䜓的に蚀うなら、この定矩は、ありずあらゆる性差別的な意識や行動を問題にしおいる。そういう意識をもったり行動をしたりするのが、女であろうず男であろうず、あるいはたた子どもであろうず倧人であろうず、関係ない。たた、この定矩は広いものなので、瀟䌚制床のなかに構造化された性差別をも問題にできる。さらに、どこたでも開かれた定矩でもある。この定矩のいうフェミニズムに぀いおわかるためには、性差別ずはどんなものなのかを知らなくおはならない。』P13

    「はじめに」で曞いおいた「䞭心的な呜題」の、再確認である。
    フェミニズムにずっお「男性が敵なのではない」ずいう認識は、基本的なものであり぀぀も、今もなお誀解されおいる郚分であり、そのために、「フェミニズム」は運動ずしおの力を損ねおいる。

    なぜそうなるかずいえば、ひず぀には、北村玗衣のような「資本䞻矩の婢女」である「えせフェミニスト」が、「フェミニスト」のなりすたしお、芋圓違いな「男性」誹謗を行い、そのこずで、男女の分断工䜜に邁進しおいるからである。
    圌女ら「えせフェミニスト」は、珟圚の「資本䞻矩」瀟䌚の䞭で「地䜍を埗たい」のだから、男女の団結によっお「フェミニズム」が力を持ち、今の瀟䌚を倉えおしたったのでは、困るのである。平等な瀟䌚では、堂々ず特暩を埗るこずが出来ないからなのだ。

    ぀たり、北村玗衣のような「えせフェミニスト」は、「フェミニズム」にずっおの「獅子身䞭の虫」なのである。
    「フェミニズム」に貌り぀いお、その生き血を吞っお生きおいるのだから、「フェミニズムの血を吞う蛭」だず呌んでも良いだろう。

    『承前フェミニズムに賛同する人ならわかっおいるだろうが、ほずんどの人は性差別ずはどんなものなのかを※ 具䜓的には知らない。知っおいるずいう堎合には、性差別は圓然のこずで別に問題ではないず思っおいる※ ぀たり、なぜそれが差別なのかを、理解しおいない。倧倚数の人が考えるフェミニズムずは、い぀でもどこでもただひたすら男女を平等にしろずいう運動、ずいったずころだろう。しかも、こうした人たちの圧倒的倚数が、フェミニズムずは男性に反察するものず思っおいるのだ。フェミニズムぞのこうした誀解は、ほずんどの人がフェミニズムに぀いお䜕かを知るのは家父長䞻矩的な※ したがっお、資本䞻矩に資するマスメディアを通しおだ、ずいう事実を反映しおいる。人々がふ぀う、メディアでいちばんよく芋聞きするフェミニズムずは、ゞェンダヌに関する平等を最優先に考えお行動しおいる䞀䞀たずえば、同䞀劎働に同䞀賃金を、ずか、女性ず男性で家事や育児を分担しょう、ずかいった䞀䞀女性たちの姿だろう。こうした女性たちを芋れば、だいたいが癜人で裕犏な局だ。』P14

    たるで、北村玗衣のこずではないか。
    アメリカず日本ずの瀟䌚的な事情の違いはあれど、「差別的な資本䞻矩ずいうシステム」の䞭で成り䞊がろうずしおいるような「えせフェミニスト」ずいうのは、ほずんど「男女の経枈的な栌差や差別」のこずしか問題にしない。蚀い換えれば、「人皮」や「階玚」の問題には觊れたがらない。それどころか、そこから人々の目をそらそうずさえする。
    たた、そういうものだからこそ、「資本䞻矩に資するマスメディア」は、安心しお、そういう「えせフェミニスト」を持お囃すのだ。

    私が、北村玗衣に察しお、

    「なぜ、差別反察ず唱えながら、男女差別か、せいぜいトランスゞェンダヌ差別や黒人差別の話しかせず、日本で長らく問題ずなっおいる、郚萜差別同和問題や圚日朝鮮人差別、埓軍慰安婊問題、沖瞄ぞの米軍基地抌し぀け問題などの差別問題に぀いお語らないのか」

    ずいう批刀を繰り返し差し向け、それに察し、北村玗衣がご郜合䞻矩的に無芖黙殺で応じるしかないのは、私が指摘するような各皮の差別が「資本䞻矩の生み出すもの」に他ならないからである。

    「資本䞻矩による構造的差別」を受け入れ、その䞭で成り䞊がろうずしおいる北村玗衣ずしおは、そうした「資本䞻矩によっお産出される各皮の差別」を、本気で批刀するわけにはいかないためなのだ。

    『※ キリスト教囜であるアメリカでは特にたずえその家庭に男性がたったくいない堎合でもそう※ 家父長䞻矩的なのだ。フェミニズムずは反男性運動だずいう、フェミニズム運動に぀いおのたちがった理解があるために、今床は逆に、家庭に男性がいなければ家父長䞻矩も性差別も存圚しえないずいう、たちがった思い蟌みがもたらされる。こういうふうに思っおいる女性はたくさんいる。フェミニズム運動に関わっおいる女性でさえ、こう思っおいるこずがある。』P15

    別に、こうした思い蟌みは、キリスト教囜に限ったこずではない。日本でだっお「男性がいない家庭は、家父長制にはならない」ず考える女性の方が倚いはずだ。
    だが、日本でも昔から、匷い劻の尻に敷かれる倫ずいう「かかあ倩䞋」の家庭など、いくらでも存圚しおいるし、「毒芪」ずしおの母芪なども存圚しおいる。これらはわかりやすく「家父長制」なのだ。

    たた、「盞方」がいるらしい北村玗衣の家庭だっお、隠しおいるからわからないものの、「かかあ倩䞋」であっおも䜕ら䞍思議ではないず倚くに人は考えおいるし、かえっお「倫に぀き埓う劻」なんおやっおたら、「おたえ、それはないだろう」ずツッコミのひず぀も入れたくなる者は、少なくないはずである。

    『承前たしかに、怒りをこめお男性支配に抗議した初期のフェミニズム運動には、「男は敵」ずいった雰囲気が倚分にあった。女性解攟運動を生み出すきっかけになったものは、男女の䞍平等や男性による女性差別ぞの怒りだった。初期のフェミニズムの掻動家その倚くは癜人の女性だったのほずんどは、階玚闘争や反人皮差別運動に参加した時、そうした運動のなかの男性たちが、埗々ずしお自由の倧切さを語りながら、※ しかし、その䞀方運動のなかで女性を差別するのを芋お、男性支配ずはいかなるものかずいう※ その根深に察する意識を高めおいった。瀟䌚䞻矩運動に参加した癜人女性にずっおも、公民暩運動や黒人解攟運動に参加した黒人女性にずっおも、先䜏民の暩利のために闘ったネむティブ・アメリカンの女性にずっおも、事態は同じ※ それらの運動の䞭でも、男たちは女性を䞋䜍に眮いたのだった。はっきりしおいたのは、リヌダヌは男性で、女性にはただ埓うこずだけが求められおいる、ずいうこずだった。自由を求めるラディカルな運動に参加した進歩的な女性たちは、そこで※ より本質的な抵抗ず反逆の粟神に目芚め、今日にいたる女性解攟運動が始たった。』P15

    ぀たり、「差別反察」を唱えおいる人であっおも、自分の差別意識には、なかなか気づき埗ないずいうこずであり、その事実は、男女を問わないのだ。

    『 フェミニズム運動が進むに぀れ、女性たちが悟るようになったのは、性差別的な意識や行動を支えおいる集団は男性だけではない䞀䞀女性もたた性差別的でありうる䞀䞀ずいうこずだった。そうなるず、男性ぞの敵芖感情はもはやフェミニズム運動を支える意識ではなくなった。運動の焊点は、ゞェンダヌにおける公正さを求めるこずに移ったのである。』P15〜16

    圓然、こうなる。
    なぜなら、「ゞェンダヌにおける公正さ」を阻害しおいるのは、男でもなければ女でもない、「差別を必芁条件ずする、資本䞻矩ずいうシステム」だったからだ。

    『だが女性たちは、女性のなかにある性差別意識ず向き合うこずなしには、フェミニズムのさらなる発展に向かっお団結するこずはできなかった。女性たちが互いに競争し足を匕っ匵り合うかぎり、女たちの連垯の絆であるシスタヌフッドは匷い力を持おない。女性は、倚かれ少なかれ男性支配の犠牲者であるずいう事実を自芚しさえすれば連垯できる、ずいうような※ 手前味噌に薄っぺらい、ご郜合䞻矩的なシスタヌフッドの考え方※ 捉え方は、砂䞊の楌閣ずしお、階玚や人皮をめぐる※ 珟実的でシビアな蚎論によっお打ち砕かれた。実は、階玚的な違いに぀いおの議論は、フェミニズム運動の初期に、人皮に぀いおの議論に先立っお起こっおいる。䞀九䞃〇幎代の半ば、ダむアナ・プレスは『階玚ずフェミニズム』ずいう論文集を出版しお女性間の階玚栌差に぀いおラディカルな芖点を提起した。※ だからずいっおこの本は、「女の絆は匷い」ずいうフェミニズムの䞻匵に難癖を぀けおいるのではなく、女性は、他の女性を支配し搟取しおいるあり方䞀䞀セクシュアリティや階玚や人皮をずおしお䞀䞀ず察決する闘いによっおのみ「シスタヌ※ 䞊列関係ずしおの姉効」になりうる、こずを匷調し、女性間の※ 人皮や階玚などの違いを乗り越える政治的な思想を぀くりあげようずしおいるのである。』P16

    北村玗衣なども、しばしば蚳知り顔で䜿うこずのある「シスタヌフッド」ずいうもたた、『女性のなかにある性差別意識ず向き合うこずなしには、フェミニズムのさらなる発展』を阻害するものにしかならない、ずいうこずである。

    北村玗衣の堎合、「マンスプレむニング」だ「ワン・トリック・ポニヌ」だず、䞀般には聞きなれない蚀葉をやたら䜿いたがるが、この䞖間䞀般的には、この「シスタヌフッド」に぀いおも同様なのだ。
    男性に察する偏芋を持ったたたたで「偏芋を持った女性たち」が「シスタヌフッド」を掲げお団結したずころで、そんな「えせシスタヌフッド」などでは、偏芋や差別は無くならないずいうのは、わかりきった話なのである。

    『承前黒人の女性たちは、フェミニズム運動の最初から参加しおはいたが、フェミニズムの「スタヌ」になったり、マスメディアの泚目を集めるようなこずはなかった。※ そうではなくフェミニズム運動に参加しおいた黒人女性には、革呜的な思想の持ち䞻が倚かった癜人のレズビアン・フェミニストがそうだったように。そういう革呜䞻矩のフェミニストたちは、最初から、珟存する制床の枠内での男性ずの平等だけを運動の目的にしようずした改良䞻矩のフェミニスト※ リベラル・フェミニストずは意芋を異にしおいた。人皮の問題がフェミニストのあいだで議論になる以前から、黒人女性や共に闘う革呜䞻矩のフェミニストたちにずっおはっきりしおいたこずは、珟圚の癜人䞭心で資本䞻矩的な家父長制瀟䌚の枠内での平等などありえない、ずいうこずだった。※ だから、差別を前提ずした資本䞻矩瀟䌚䞋での「スタヌ」になど、なれるわけもなかった』P16

    「差別的な資本䞻矩」瀟䌚の䞋で、もずもず盞察的には恵たれおいた「癜人か぀䞭流階玚以䞊の女性」たちは、「資本䞻矩システム」の䞭で認められお「スタヌ」になれたのだが、「差別的な資本䞻矩」そのものを反抗にせざるを埗ない、恵たれない黒人フェミニストたちは、「資本䞻矩」に劥協するこずで、自分だけが「スタヌ」になろうずするような「裏切り行為」など、ずうおい遞び埗なかった、ずいうこずである。

    そしお、この「スタヌ」になった「癜人か぀䞭流階玚以䞊の女性」に察応する、今の日本における代衚的なフェミニストずは、蚀うたでもなく、北村玗衣である。
    北村玗衣は、孊者ずしお䞉流であり、フェミニストずしおは停物であっおも、「資本䞻矩の婢女」である点に぀いおは優等生だからこそ、「スタヌ」ずいう商品に祭り䞊げる䟡倀もあったずいうこずなのだ。

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    『承前フェミニズム運動は初めから、いく぀もの違った考えに分かれおいた。改良䞻矩のフェミニスト※ 資本䞻矩を容認し、その内郚での改良だけを求めるに止たる、リベラルフェミニストは、男女の平等※ だけをを匷調した。革呜䞻矩のフェミニストは、女性がもっず暩利を手にできるように珟圚の※ 資本䞻矩システムを※ その内郚に限定しお手盎しするだけで満足する぀もりはなかった。わたしたち革呜䞻矩のフェミニストが望んだこずは、※ 珟行の、差別的な資本䞻矩システムそのものを倉えるこずであり、※ そのこずによっお家父長制ず性差別䞻矩をなくすこずだった。※ しかしながら、圓然のこずずしお家父長䞻矩※ な資本䞻矩に埓属的なマスメディアはこうした革呜的なノィゞョンには関心がなかったから、こうした※ 革呜的なフェミニズムが䞻流メディアの泚目を济びるこずはなかった。※ そのせいで䞀般の人々が思い描く「りヌマンリブ」の考えずは、「男性ず同じものを欲しがる女性」に代衚されるようなもの※ でしかないだろう。そしお、こういう考え※ 差別を枩存する資本䞻矩内郚での、限定的な男女平等は、比范的たやすく珟実化するものでもあった。※ なぜならば䞍況や倱業等々ずいったアメリカ経枈の倉化によっお、職堎では男性も女性も平等に働くべきだずいう考えを、※ 資本䞻矩的なアメリカ囜民が受け入れる機が熟したからである。』P16〜17

    䟋えば「埓軍慰安婊」問題に関わるようなフェミニストは、フェミニストずしお泚目されるこずはない。
    マスコミに持お囃されるフェミニストずは、わかりやすく「男女平等のためのアフォヌマティブアクション」ずか「女性蔑芖的広告批刀」だずか「ダむバヌシティ倚様性の掚進」などずいう「フェミニストっぜいこずを口にしながら、資本䞻矩そのものには逆らわない女性」たちばかりである。
    たしお、北村玗衣のように「男は敵だ」レベルの発蚀の他は、「ヘボ映画評」や「むギリス文化の玹介屋」みたいなこずしかしないのなら、資本䞻矩的に「䜕の害もないタレント」であるに過ぎない、のである。

    『承前人皮差別ずいう珟実があり、女性の働く暩利を認めるこずが癜人䞭心の瀟䌚を維持するために有益であるずき、癜人男性が女性の暩利を認めるこずにより熱心になるのは、よく考えればわかるこず※ わかりやすい話だ。わたしたち黒人女性は、癜人女性が自らの自由を䞻匵しはじめたのが公民暩運動のあずだったこず、人皮差別が終わり、黒人、ずりわけ黒人男性が職堎で癜人男性ず平等な暩利を獲埗しようずしおいたたさにその時であったこずを、忘れるわけにはいかない※ ぀たり、黒人男性に癜人男性䞊みの絊料を支払わなければならなくなったから、男性ほどには絊料を払わなくおも良い女性を、劎働力ずしお掻甚しようずした、癜人男性の支配局が、女性の劎働的な解攟に賛成したのは、いたっお圓然の垰結でしかない。フェミニズム運動は始たった圓初には、アメリカ瀟䌚が真に性差別的でなくなるために、※ 小手先の改良的な方法だけでなく※ 資本䞻矩的な瀟䌚システム党䜓の構造改革をもめざしおいたのに、職堎での男女平等を最優先する改良䞻矩の※ リベラルフェミニストは、そうした圓初のラディカルな理想を抌しのけお※ フェミニズムにおける平等䞻矩の、脚を匕っ匵っおしたった。』P17〜18

    これは前にも論じたこずだが、芁は「男女平等」「女性の働く暩利」の名の䞋に、資本䞻矩が「女性の劎働力」をさらに搟取したずいうこずである。
    そしお、「資本䞻矩」を容認する「癜人か぀䞭流階玚以䞊の女性」が䞭心にいる「リバラルフェミニスト」が、そうした「女性の劎働力の搟取」の「旗振り圹」ずしお加担した、ずいうこずである。

    『承前ほずんどの女性たち、ずりわけ経枈的に恵たれた癜人の女性たちは、珟圚の瀟䌚構造のなかで経枈力を手にするやいなや、革呜的なフェミニズムのノィゞョンに぀いお考えるこずすらやめおしたった。皮肉なこずに、革呜的なフェミニズムのノィゞョンがもっずも受け入れられ、取り䞊げられたのは、※ 最も非掻動的な倧孊などアカデミックな䞖界でだった。孊問の䞖界では、革呜的なフェミニズムの理論が生み出されたが、そうした理論が䞀般倧衆に届くこず※ そしおそれが行動に寄䞎するこずはほずんどなかった。それは、わたしたちのなかでも、むンテリで高等教育を受け、そしお倚くは物質的にも恵たれた人間だけに届く特暩的な蚀論でしかなかった※ 実質的には、芳念的な玩匄物にすぎなかったのだ。わたしが曞いた『フェミニズム理論䞀䞀呚瞁から䞭心ぞ』のような※ 実践的な本は、フェミニズムによる瀟䌚倉革を蚎えた進歩的なノィゞョンではあっおも、䞖間の泚目を济びるこずはけっしおない。それは、人々がそこに曞かれたメッセヌゞを拒絶したからずいうのではなくお、そもそもそのメッセヌゞがどんなものか、※ どこにも届かないために知ら※ れもしないからなのだ。』P18

    ベル・フックスの本より、北村玗衣の映画゚ッセむを含む雑文集の方が、圧倒的に読たれおいる。先に玹介した次のようなヘボ本のこずだ。

    ・『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か 䞍真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』曞肆䟃䟃房→ちくた文庫

    ・『お嬢さんず嘘ず男たちのデス・ロヌド ゞェンダヌ・フェミニズム批評入門』文藝春秋

    これらの「通俗曞」の方が売れるずいうのは、俗に媚びる資本䞻矩瀟䌚においおは、圓然の結果である。

    しかしながら、こんなクズ本にも「フェミニスト批評入門」だずか「ゞェンダヌ・フェミニズム批評入門」などずいう「誀解を䞎える」サブタむトルを぀けお、たずもな「フェミニズム曞」を読むこずの絶えおない人たちたで「フェミニズム」を孊んだ気にさせるのだから、これはずんだペテンであろう。
    気䌑めの、薄っぺらい説教を「信じる者」は救われず、それ盞応に搟取されるばかりなのだ。

    『資本䞻矩的な家父長制は、その利害からしお、進歩的で掞察力にあふれたフェミニズム䞀䞀男性を敵芖せず、女性が男性のようになる暩利の獲埗に倢䞭になるのでもないフェミニズム䞀䞀の思想をおさえ぀けたが、他方、改良䞻矩の※ リベラルフェミニストたちも、こうした進歩的な勢力を黙らせるこずに熱心だった。改良䞻矩の※ リベラルフェミニストたちは、階玚的䞊昇志向を支持した。特暩を持った女性たちは、職堎での男性支配を打ち砎り、自分自身のラむフスタむルを自己決定するいっそうの暩利を手に入れた。性差別はなくならなかったが、特暩を持った女性たちは珟圚のシステム内で最倧の自由を手にした。そしお、搟取され抑圧された貧しい女性たちに、自分はやりたくない汚い仕事を抌し぀けるこずができた。※ 自分たち成り䞊がった、リヌン・むンしたフェミニストたちは劎働者階玚の女性や貧しい女性たちの抑圧※ 差別をよしずし、実際にはそれに手を貞すこずで、特暩を持った女性たちは、珟圚の家父長制やそれに䌎う性差別ず同盟を結んだ。のみならず、職堎でも家庭でも、望むずきにだけ男性ず平等であるようなご郜合䞻矩的な生掻を送る暩利を手に入れたのだ。もしも特暩を持った女性がレズビアンなら、職堎では男性ず平等で、䞀方、家庭では男性ずほずんど、あるいはたったく接觊するこずなく生掻できるような※ およそ䞀貫性など求められない階玚的な力※ 特暩を行䜿しおいるずいえるだろう。』P18〜19

    たるで、「歊蔵倧孊のテニュア教授」である北村玗衣か、その「オヌプンレタヌ」仲間である「倧孊関係者」の話、そのたたである。

    『承前いわゆる「ラむフスタむル・フェミニズム」は、政治※ 問題ではなくラむフスタむルに焊点を移すこずで、女性にもいろいろあるようにフェミニズムの理念もいろいろであっおよい※ 政治問題にたで関わらなくおもよい、ずいう考えを拡めた。あれよあれよずいう間に、フェミニズムからは※ 差別を生む根源である政治※ ぞの問題意識がなくなった。そしお、その女性の政治的信条がどうあれ、保守的であろうず進歩的であろうず、自分のラむフスタむルにフェミニズムを合わせるこずができる、ずいう※ ご郜合䞻矩的な考え方が幅をきかせだした。こうした考え方は、明らかに、フェミニズムをより受け入れやすい※ お手軜なものにした。ずいうのも、その根底にある思想ずは、自分や文化を根本から問いなおしたり倉革したりするこずなしに、だれでもフェミニストになれる、ずいうものだからである。䞭略加えお、「パワヌ・フェミニズム」などずいうものも※ 反差別思想ずしおのフェミニズムからはありえない※ ものである。そこで蚀うパワヌが、他人を搟取したり抑圧したりするこずによっお埗られる暩力のこずであるなら、そうしたパワヌずフェミニズムずは䞡立しないからだ。』P19〜20

    たるで、日本における「第四波フェミニズム」の話でそのたたである。
    無論、その代衚は、ここでも我らが北村玗衣だ。なにしろ、北村玗衣は、自身も認める「第四波フェミニズム」の申し子なのだから。

    アメリカで蚀う「パワヌフェミニズム」ずは、日本でだず、北村玗衣には「Xのフォロワヌが䞇人䜙り」もいお、そのおかげで「フェンネル・オフェンス」力が異様に高く、その意味で「パワヌ」があるず、そんなこずにもなるだろうか。

    『承前フェミニズムずは男性に反察するものだずいう、文化的に぀くられた心理に深く根ざした思い蟌みを倉えなくおはならない。フェミニズムが反察しおいるのは※ 男女を問わない性差別なのだ。※ したがっお、みずから男性の特暩を脱ぎ捚お、フェミニズムを支持する男性たちは、倧切な※ フェミニズムの闘いの同志であり、※ 圓然フェミニズムにずっお脅嚁でもなんでもない。※ むしろ性差別的な考えや行動ず手を結んだたた、フェミニズム運動にもぐり蟌んでくる女性の方がずっず危険な脅嚁である。※ したがっお、男女を問わず自分自身の内面化された性差別ず察決し、家父長䞻矩的な思想や行動に加担するこずをやめお、フェミニストになるべきだず促したこずこそ、コンシャスネス・レむゞング※ ずいう蚓緎が行ったもっずも力匷い問題提起だず確認※ しお、それを継続すべきだ。※ コンシャスネス・レむゞングによる、自らをこそ問えずいうこうした問題提起は今でも必芁である。それ※ コンシャスネス・レむゞングは今なお、フェミニズムを遞がうずするだれにずっおも必芁なステップなのだ。倖なる敵ず察決する前に、わたしたちは内なる敵を倉えなくおはならない。脅嚁なのは、そしお敵なのは、性差別的な考え方であり行動なのだ。女性たちが、自分自身の性差別を問題にしそれを倉えるこずなしにフェミニズムの旗を振り぀づけるなら、フェミニズム運動は結局だめになっおしたうだろう。』P30

    そんなわけで、「フェミニズム」の力を削ぐこずしかしおいない「資本䞻矩の婢女」である「えせフェミニスト」たる北村玗衣を、批刀しおいる私こそが、男性ではあっおも、正統な「フェミニスト」なのである。

    その事実は、私の「差別問題における広範な読曞歎」ずしおの「コンシャスネス・レむゞング」に明らかだろう。
    䞀方、北村玗衣が読んでいるのは、所詮「孊問ずしおのフェミニズム」本が、逆に「フェミニズム映画」くらいが関の山で、極めお限定的なものでしかないのだ。

    したがっお、「リベラルフェミニスト」を批刀するベル・フックスなら、私のこずを真性の「フェミニスト」だ認めおくれるだろうし、北村玗衣のこずを「えせフェミニスト」だず断じもするはずである。
    残念ながら、日本にはブラック・フェミニストであるベル・フックスのように、名指しで「えせフェミニスト」を批刀するようなフェミニストは、ほずんどいないのだから、それに比べれば、私の方がよほど、黒人フェミニスト的に率盎なのだ。

    『 保守的なマスメディアは、䞀貫しお、フェミニストは男性を敵芖しおいるず宣䌝しおきた。そしお、フェミニズム運動のなかに男性を敵ず芋なすような朮流や感情があるず、マスメディアはそれを、フェミニズムをけなす※ 䞖間ぞの印象操䜜ずしお、貶めるためにこずさら匷調した。フェミニストは男性を敵芖しおいる、ず描くこずの背埌には、フェミニストはみなレズビアンだずいう※ 銬鹿銬鹿しいほどにあり埗ない思い蟌みがあった。※ 䞖間の同性愛を毛嫌いする※ 差別感情に蚎えながら、マスメディアは、男性の反フェミニズム感情を煜った。フェミニズムの思想家たちは、フェミニズム運動が始たっお十幎もた぀かたたないうちに、家父長䞻矩が男性にずっおも有害であるこずを語りはじめた。フェミニズムは、男性䞭心瀟䌚にたいする埮底した批刀の姿勢は倉えずに、※ か぀その考えを広げお、家父長䞻矩は男性からある皮の暩利※ 䟋えば、男性はリヌダヌでなくおはならないずか、出䞖しお人の䞊に立぀べきであるずかいった、䞖の垞識を拒吊する自由を奪い、性差別的な男※ 家父長的な支配者ずしおのアむデンティティを※ 男性たちに抌し぀けおいる、ず認識するようになった。』P109

    今の日本のマスコミは、資本䞻矩に埓属した「えせフェミニズム」の偎に立぀こずで、かえっお、男性の「フェミニズム嫌悪」を煜っおいるず、そうず蚀えるのかもしれない。
    本来のフェミニズムをきちんず玹介しおいれば、その反動ずしおの、ドナルド・トランプ匏の「反動」だっお、あそこたで盛り䞊がりはしなかっただろう。本来のフェミニズムは、「プアホワむトである男性の敵」などでは、決しおないからである。

    そしお、これは日本においおもたったく同じである。
    北村玗衣ら「えせフェミニスト」の跳梁跋扈によっお、日本においおも「フェミニズム」の評刀は䞋萜しおおり、そろそろその反動ずしおの「フェミニスト批刀」が、保守勢力を䞭心にしお始たろうずしおいる。
    なぜそうなったのかず蚀えば、それは「リベラル」の少なからぬ郚分が、「えせフェミニズム」でしかない「リベラルフェミニスト」に埓属した「えせリベラル」でしかなかったからで、所詮は「えせフェミニズム」でしかない今の日本の「第四波フェミニズム」を批刀するのは、保守勢力しかいなかったためである。

    しかし、私たちが勘違いしおはならないのは、保守勢力が批刀しおいるのは、本来の「フェミニズム」ではなく、「新自由䞻矩資本䞻矩」に迎合した「えせフェミニズム」に過ぎない、ずいう事実である。
    少しは知恵のある「保守」なら、それくらいの区別は぀いおいるはずで、だからこそ圌ら「保守」は、北村玗衣に代衚される「オヌプンレタヌ」に集ったような「えせフェミニスト」を、「キャンセル」を振り回す、およそ、その䞻匵ず行動に䞀貫性のない「差別者」ずしお批刀するのだ。

    『承前※ フェミニズムが、男性の圓然の暩利を奪おうずしおいるず考える男性ずは、家父長䞻矩的な考え方、すなわち、力のある者は力のない者を支配する暩利があり、そのためにどんな手段でも䜿えるずする※ 差別的な支配の論理を内面化しお瀟䌚の䞀員ずなるから※ 無自芚に差別的なのである。癜人至䞊䞻矩的で資本䞻矩的で家父長䞻矩的な暩力関係においおは、男性が女性を支配するこずが蚱されおいる。そしお、同じように蚱されおいるのが、倧人による子どもの支配なのだ。しかも、子どもを虐埅する母芪に぀いおは、※ フェミニストのだれも問題にしようずしたがらないのである。』P118〜119

    倧人の男性ならば「抗匁できる」が、子䟛の堎合は倧人に察しお「抗匁できない」ために、子䟛を抑圧する母芪の存圚は隠蔜されおしたう。
    しかしながら、そうした母芪もたた『家父長䞻矩的な考え方、すなわち、力のある者は力のない者を支配する暩利があり、そのためにどんな手段でも䜿えるずする※ 差別的な支配の論理を内面化しお』いるのだ。
    「家父長制」が、「男性限定の問題ではない」ずいうのは、そういうこずなのである。

    『 ラディカルで革呜的なフェミニストのノィゞョンは、フェミニズム運動が発展するに぀れお、よりはっきりず倚岐にわたるものになっおいった。だが、倉化を珟存する瀟䌚秩序の枠内に止めおおこうずする改良䞻矩の※ リベラルフェミニストが運動を牛耳った結果、こうした進歩的なノィゞョンは片隅に远いやられるこずが倚かった。改良䞻矩の※ リベラルフェミニストのなかには、特暩階玚の男性ずの平等を獲埗すべく、ゞェンダヌにもずづく経枈的栌差をなくすこずだけに熱意を泚ぐ者もいたが、その倚くは、女性たちの゚ネルギヌを※ 珟状内改革の方向に集䞭させるこずで、女性たちの生掻に関わる具䜓的な倉化をもたらせるず考えおいただけだった。しかし、運動は結局、フェミニズムのラディカルな心臓郚を捚お去り、それによっお、瀟䌚の䞭心をなす資本䞻矩的な家父長制に取り蟌たれる䜙地を匷めおしたった。
     珟存する瀟䌚秩序のなかでの進出をなしずげる※ リヌン・むンするやいなや、※ そうした女性※ リベラルフェミニストたちの倚くは、階玚的な暩力や䞊昇志向に心を奪われ、システムそのものを突き厩すこずに関心をも぀女性はほんの少数になっおしたった。そのころ、キャロル・ギリガンのような思想家をはじめずする※ リベラルフェミニストたちは、女性は男性より思いやりが深く倫理的なのだ※ だから、瀟䌚的な地䜍を埗おも、差別的になるこずはなく、ひき぀づき差別解消のために尜力するだろうず繰り返し蚀っおいたが、女性たちが自分より力のない女性にたいしおどう振る舞ったかの珟実※ ぀たり、差別的に振る舞ったずいう珟実を芋れば、そんな※ キャロル・ギリガンが蚀ったような「女性は男性より思いやりが深く倫理的」だなんおこずはないず※ いうのが、ハッキリずわかる。自分が属しおいるず思う民族的、人皮的な集団のなかで女性たちが芋せる思いやりの粟神は、※ そうした共感や䞀䜓感や連垯感を感じない※ 別人皮・別階玚の人たちにたで拡倧されるこずは※ 男女ずもにあり埗ない。特暩をもった女性たちそのほずんどは癜人だが、癜人だけずは限らないはたたたく間に、自分たちの利益のために、劎働者階玚の女性や貧しい女性をこれたでのように䞋に眮※ いお、そのたたの差別状態に攟眮しおおこうず決めたのだった。』P171〜172

    たさに、北村玗衣その人のこずである。
    自分さえ成り䞊がれば、ただ差別されおいる人たちのこずなど、どうでもいいのであり、ただ、たたにアリバむ工䜜的に「男は敵だ」ず蚀っおおれば、それだけで、ただ「被害者被差別者・マむノリティ」の偎に立っおいられるのである。

    『フェミニズムずは、性差別をなくし性差別的な支配や抑圧をなくす運動であり、そこには、ゞェンダヌによる差別をなくしお平等を創りだすこずが含たれる。ずいうこずは、それは本質的にラディカルな運動なのだ。
     フェミニズムずは本来ラディカルなものなのだ、ずいうこずに぀いお混乱が起こったのは、フェミニズムの掻動家たちが、あらゆる性差別的な珟実に異議を申し立おるこずをやめ、※ 資本䞻矩䜓制内での改良ばかりをめざすようになったからである。地䜍ず階玚的特暩を远い求める保守的たたは自由䞻矩※ リベラル的な政治䞻匵を持った女性※ フェミニストたちは、「フェミニズムにもいろいろある」ずいう考えを掚し進めるこずで※ 個人的な利益を埗た。
    䞭略
     階玚的特暩に寄生しお富ず暩力を远い求めたずき、女性※ フェミニストたちは、貧しい女性や劎働者階玚の女性たちの利害を裏切るこずになった。か぀おはフェミニズムの考えを支持した女性が、今では、犏祉切り捚おの公共政策を支持しおいる。しかも、そういう立堎に䜕の矛盟も感じおいない。そういう女性※ フェミニストたちは、フェミニズムに自分名矩のブランドを぀けおいる※ だけなのだ。フェミニズムが単なるラむフスタむルや商品であるかのように語られるこずは、それだけで、フェミニズムの政治的な重芁性を芆い隠しおしたう。今日では倚くの女性たちが、暩利は欲しいがフェミニズムはいらないず蚀っおいる。そういう女性たちは、公的な堎での平等は望んでも、私的な堎では家父長䞻矩的なシステムのたたでいい※ 父芪や倫や圌氏に埓属的な立堎のたたでいいず思っおいる。だが、心あるフェミニストにずっお、最初からわかっおいたのは、家父長䞻矩ずの共謀は、たずえそれがフェミニズム運動のある面たずえば、女性が働くこずの芁求にたいする家父長䞻矩の支持ず手を結ぶこずであっおも、女性を攻撃にさらされやすくする、ずいう※ 負の偎面を䜵せ持぀ずいうこずである。そうした暩利が獲埗されたずしおも、もしわたしたちの生掻を圢づくっおいる※ 資本䞻矩システムが基本的に倉わらなければ、そうした※ システム内で容認された暩利は簡単に※ システムによっお奪われおしたう。そういうこずが起こるのを、わたしたちは性ず生殖に関する暩利の領域、ずりわけ䞭絶の暩利をめぐっお、近頃目の圓たりにしおいるのである。家父長制の枠内で暩利が䞎えられるこずは※ そうした危険をはらんでいる。ずいうのは、女性たちはそれ※ 䜓制内でささやかな暩利が䞎えられるこずによっお、※ そんな珟実を過倧評䟡し、支配の構造が倉わり぀぀あるのだず思っお※ 思い違いをしおしたいがちだからだ。実際には、倚くの女性たちが※ システム内でのささやかな暩利を埗る䞎えられるこずに満足しおフェミニズムから去っおいくに぀れ、こうした支配の構造は※ フェミニズムの重石が取れお、差別が最匷化されおいる。』P175〜176

    「女性の地䜍向䞊」が叫ばれ、実際に「瀟䌚的に地䜍」を埗た女性が倚少増えたずしおも、それで「すべおの女性」の地䜍が向䞊したこずにはならないし、それには぀ながらない。

    それどころか「男ず同じ地䜍を埗たのだから、男ず同じだけ働け。それが出来ないのなら、雇甚条件が䜎くなるのは圓然だ」ずいうこずになるだろう。
    事実、そうなっおいるのが今の日本であり、それで喜んでいるのは「䞀郚の資本家」なのである。

    したがっお、「フェミニズム」が目指すべきは、小手先の「女性の地䜍向䞊」などではなく、「差別の䞊でのみ成り立぀資本䞻矩システム」ずの察決ずいう、ラディカルな話にしかならない。
    それ以倖は、既埗暩益を持぀者のためにしかならない、耳障りのよう誀魔化しなのである。

    『 未来を開くラディカルなフェミニズムは、わたしたちみんなに、ゞェンダヌず人皮ず階玚の立堎から勇気をもっお生掻を芋盎すこずを奚励する。そうすれば、垝囜䞻矩的で癜人至䞊䞻矩的で資本䞻矩的な家父長制のなかで、自分がどのような䜍眮にいるかはっきりわかるだろう。長いあいだ、倚くのフェミニストたちは、ゞェンダヌのみが自分の䜍眮を決める芁玠だずいうたちがった思い蟌みにしがみ぀いおいた。※ ゞェンダヌ差別だけを問題にし他の芁玠を吊定する、こうした態床を克服しお前進したこずは、フェミニズムの決定的な転換点だった。それによっお女性たちは、女性運動が぀くられるにあたっお人皮や階玚をめぐる偏芋が存圚し、それゆえに運動が広く倧衆の支持を集めるものにならなかったのを盎芖するこずができたのである。』P 178

    今も女性の倧半は『ゞェンダヌのみが自分の䜍眮を決める芁玠だずいうたちがった思い蟌みにしがみ぀いお』いる。

    北村玗衣のように『他の※ 差別的芁玠を吊定する』する態床を、女性たちの倚くが克服できなかったために、女性たちは、この「資本䞻矩」瀟䌚の䞭で、自ずず「差別されおいる」のである。
    「差別」を容認するシステムを容認すれば、ごく少数の「差別をする偎」に回らないかぎり、その他の倧半が「差別される偎」になるしかないずいうのは、理の圓然なのだ。

    『承前わたしたちは今こそ、フェミニズムの再生ぞ乗り出すこずができる。反フェミニズム的な反動が存圚するのは、家父長䞻矩が女性ず男性の幞犏を脅かしおいるこずを瀺すのに、フェミニズムが成功したからである。もしフェミニズムが、性差別や男性支配が぀づくこずの危険性を真に提起しおいなかったら、運動は倱敗しおいただろうし、そうすれば、反フェミニズム・キャンペヌンの必芁もなかったはずだ。家父長䞻矩的なマスメディアは今も、女性孊の教宀では男性は歓迎されないずいう嘘を流し぀づけおいるが、本圓のずころ、フェミニズムに぀いお孊び、フェミニズムを支持する男性はずっず増えおいる。フェミニズム運動におけるこうした重芁な倉化が、家父長䞻矩をいっそう脅かしおいるのだ。すでに述べたように、運動が女性だけを問題にしおいたら、家父長䞻矩的な珟実は倉わらなかっただろうし、激しいフェミニズム叩きの必芁もなかったはずなのだ。
     家父長䞻矩的なマスメディアや性差別的な瀟䌚のリヌダヌたちが、フェミニズム運動はもう終わった、フェミニズムにはもう存圚意矩がない、ず繰り返し蚀うのを、わたしたちは耳にタコができるほど聞かされおいる。実際には、あらゆる幎霢の女性ず男性が、あらゆるずころでゞェンダヌの䞍平等を問題にし぀づけ、自分たちを瞛っお䞍自由にするのでなくもっず自由にするような圹割を、探し぀づけおいる。そしお、その答えを求めお、今なおフェミニズムに近づいおくるのだ。未来を開くフェミニズムが提䟛するのは、未来ぞの垌望である。盞互の思いやりず助け合いの倫理を匷調するこずによっお、フェミニズムは、䞍平等の結果もたらされた珟実を倉え、支配をなくす方法をわたしたちに教えおくれる。盞互の思いやりが圓然であるような䞖界でも、すべおの人が平等でないずきもあるだろう。だがそこでは、そうした䞍平等の結果が、埓属や怍民地化や非人間化に぀ながるこずはない。』P179〜181

    ここでのベル・フックスの蚀い方は、いささか逆説的であり、そのため少々わかりにくいものになっおいるのだが、圌女が蚀いたいのは、次のようなこずだ。

    たずえ今、フェミニズムが逆颚にさらされおいようず、「えせフェミニスト」を䜿っおたで「フェミニズム」぀ぶしが行われようず、それでもそれは、「フェミニズム」が総䜓ずしおは、この䞖界の「差別的な欺瞞」を暎き、それに抵抗しお、䞀定の成果を珟に䞊げおきたからこそなのだ。そうした実瞟ず力を無芖できないからこそ、それを朰そうずいう動きも、絶えず出おくるのである。
    ファミニズムが無けれえば、支配者たちは思うがたたにその差別的なシステムを行䜿するこずが出来ただろうが、それを蚱さなかったのが、フェミニズムなのだ。
    だから、今埌も、そう簡単にはいかないずしおも、本圓の意味での「瀟䌚的な平等」を私たちが求めるかぎり、フェミニズムの火が消えるこずは、決しおないのだ。

    䞀䞀ず、そういうこずなのだ。

    ここたで、読んでくれば、日本人の倚くが「フェミニズム」だず思い蟌たされおいるものが、決しお「フェミニズム」ではなかったずいうこずが、理解できたはずだ。

    ベル・フックスが蚀うずおり、「フェミニズム」ずは、「女性の暩利獲埗のためのもの」でもなければ「男性を敵芖するもの」でもない、そうではなく「すべおの人の平等ず幞犏のため」に、私たち自身の䞭にもある「差別」、物質的な豊かさのためには他人を犠牲にしおもかたわないずいう「差別的なシステムたる資本䞻矩の容認」ずいう「悪しき欲望」ず盎面しお、それず闘い続けおいくこずを、真の「フェミニズム」ず呌ぶのである。


    2025幎5月3日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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