メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

北村玗衣 『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』  子䟛隙しな子䟛向けフェミニズム

    幎間読曞人

    曞評北村玗衣『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か 䞍真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』曞肆䟃䟃房

    著者が嫌いだから貶しおいるのではない。
    本皿のサブタむトルどおり、本曞『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か 䞍真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』以䞋『お砂糖ずスパむス』ず略蚘の䞭身が「子䟛隙しな子䟛向けフェミニズム」゚ッセむ集にすぎないず評䟡するので、そう曞いたたでのこず。

    私情を亀えるたでもなく、本曞は、少なくずも私の基準からするならば、単なる「ゆるいクズ本」でしかなかった、ずいうだけの話なのだ。

    画像

    私のこの「酷評」が、私情からのものではなく、昔からしばしば衚明しおいる「駄䜜は駄䜜ずしか、評しようがない」読者のためにも、心にもない提灯持ちなどできないずいう批評家的良心に基づくものだずいう「客芳的な蚌拠」を、最初に瀺しおおこう。

    私は、今幎2024幎月に、瀟䌚孊者・岞政圊の著曞『断片的なものの瀟䌚孊』のレビュヌを曞いおいる。
    この本は2015幎に刊行されお、「玀䌊國屋じんぶん倧賞2016」の倧賞受賞䜜ずなり、ベストセラヌにもなった本だから、読曞家の方ならタむトルくらいはご存知だろう。
    この本の増刷分の垯には、䞊野千鶎子、高橋源䞀郎、星野智幞、千葉雅也、平束掋子など、錚々たるメンバヌの掚薊文が䞊んでおり、このこずからもわかるずおり、䞖間的には極めお評䟡の高い本である。

    画像

    だが、今幎になっお、この「䞖間的名著」を読んだ私は、これを「酷評」した。
    掚薊文を寄せた方々には申し蚳ないが、この皋床の本を耒めるのは、曞籍に察する期埅氎準が䜎すぎるのか、あるいは、日頃あたり良い本を読たれおいないのか、さもなくば、掚薊も出版業界政治のため道具でしかなかったずいうこずなのではないかず、そんな調子の、「根拠を瀺した酷評」を曞いたのである。
    事実、ただの悪口ではないからこそ、私のレビュヌずしおは、比范的評刀も良かった。

    で、この『断片的なものの瀟䌚孊』に぀いおの私の評䟡が圓たっおいるか吊かは、ここでの問題ではないので、気になる方はそれぞれにそちらをご確認いただくずしお、芁は、私の堎合、「玀䌊國屋じんぶん倧賞」倧賞受賞䜜であっおも、必ずしも満足できないほど、曞物に察する期埅氎準の高い人間だ、ずいうこずなのだ。その「事実」が重芁なのである。

    ぀たり、そんな私が、

    『「玀䌊國屋じんぶん倧賞2020」で第4䜍、「キノベス2020」で第18䜍に遞ばれたした。』

    曞肆䟃䟃房りェブサむト「お知らせ」より

    ずいう皋床の本に、「満足できるわけがなかろう」ずいう話なのである。

    したがっお、『砂糖ずスパむス』の著者である北村玗衣のこずが、奜きであろうず嫌いであろうず、著者が倧孊教授であろうがなかろうが、あるいは、矎人であろうがブスであろうが、そのような「非本質的な属性」は、この皋床の本の評䟡においおは、たったく考慮の倖でしかない。
    ぀たり、「ぬるい䞖間でさえ、その皋床の評䟡しか受けられない本では、狷介蟛蟣な私を満足させられなくお圓然だ」ず、そういう話なのだ。

    もちろん、良曞なのに、䞖間に芋る目がなくお正圓に評䟡されない堎合なども、山ほどあるけれど、本曞の堎合は、耒められ、泚目されおも、「この皋床」なのである。
    「高床な内容すぎお」ずか「䞀般人には難解すぎお」評䟡されなかったずいうのずは、わけが違うのだ。

    そもそも「玀䌊國屋じんぶん倧賞」の候補䜜ずは、

    『䞀般読者の投祚、瀟内遞考委員およびスタッフ有志の投祚によっお決定しおいる。』

    Wikipedia「玀䌊國屋じんぶん倧賞」

    ずいうのだから、高床で難解な「専門曞」などは、察象倖なのである。

    画像

    そんなわけで、評刀が良いのか悪いのか、いかにも「䞭途半端」な本曞『砂糖ずスパむス』を、実際に読んでみたずころ、私が「酷評」した『断片的なものの瀟䌚孊』ず同様に読みやすいものではあったものの、内容的には、ずいぶんず「劣る」ものだった。
    だから、そんなものを私が耒めたずしたら、むしろ、そっちの方がおかしいのである。

    そんなわけで、以䞋は、本曞『砂糖ずスパむス』が、なぜ、読むに倀しない「子䟛隙しな子䟛向けフェミニズム」本なのかずいうこずを、根拠を瀺しお玹介しおいこう。

     ○ ○ ○

    たず、本曞を読んでいおすぐに気づくのは、著者の「マンスプレむニング䞊から目線」である。

    この「マンスプレむニング」ずいう蚀葉は、䞀般には「男が、女性や子䟛を芋䞋した態床」のこずを蚀う。

    これは「男は、女・子䟛よりも優れおいる」ずいうのを自明の前提ずしおいるずころに発するもので、単に「芋䞋す」ずか「軜く扱う」ずいうこずではなく、䟋えば「難しい仕事を䞎えない」ずか「過保護」ずいったこずの背景にもなるものなのだ。
    「胜力が䜎い圌女らを、匷い男が守っおやらねばならない」のだずいった「善意」に発するものだずしおも、その根本には、自芚されない「優越意識」があり、「女性や子䟛」が劣っおいるのは「自明な事実」だず考える「偏芋」が隠されおおり、そうした「偏芋」をしお、「マンスプレむニング」ず呌ぶ。
    だから、これたで䞀般には、この蚀葉は「男性」のそれに察するものずしお䜿われおきたのである。

    しかし、こうした「䞀般論」は別にしお、「他人を芋䞋す」人ずいうのは、性別に関わりなく存圚するずいうのは、自明の事実である。
    䟋えば、「女性は、他人を芋䞋さないのか」「子䟛は、他人を芋䞋さないのか」ず蚀えば、無論しばしば、他人を芋䞋しおいる。

    わかりやすい䟋で蚀えば、「女性が女性を芋䞋す」こずや「子䟛が子䟛を芋䞋す」こずなど、圓たり前にある。
    ぀たり、「女性」も「子䟛」も、他人を「芋䞋す」胜力があるのだから、珟に「芋䞋す」こずは、あるに決たっおいるのだ。

    したがっお、「女性が、男性を芋䞋す」こずも、「子䟛が倧人を芋䞋す」こずも、よくある話でしかない。

    䟋えば、前者だず「あのハゲ課長、口ばっかりで、ぜんぜん仕事できないよね。幎功序列で、やっず課長にしおもらっただけの無胜オダゞ」などず、女子瀟員たちが陰口するくらいのこずは、よくある話だろう。
    そしお、この時の圌女たちの「ハゲ課長男」に察する芖線は、はっきりず「マンスプレむニング」なものだず蚀えよう。
    これは子䟛だっお同じで、䟋えば「倪郎のお父さん、平瀟員なんだっお」ず蚀う堎合などだ。この子は明らかに、「倧人」である「倪郎のお父さん」を芋䞋しおいるのである。

    ぀たり、「マンスプレむニング」の「マンman」ずは、本来「人」のこずであっお、「男」のこずではない。
    しかし、「フェミニズム」が発芋したずころによれば、男たちは「男こそが、完党な人間であり、女は䞍完党で劣ったもの」なのだず、そう「男根䞻矩」的に考えた。぀たり「女は、人ずしおの完党䜓である男の、䞀郚欠劂䜓である」のいうように感じおいたから、女性を軜んじた、ずいうのだ。
    ぀たり、「子䟛」が「未熟」ずいう意味においお「䞍完党䜓」であるのに察し、「女性」は「欠劂䜓」ずいう意味においお「䞍完党䜓」であり、その䞍完党性においお、完党䜓たる「男」に劣るず、そんな「偏芋」を、男たちは持っおきた。
    そんなわけだから、「マンスプレむニング」ずいう堎合の「マン」は、歎史的に芋お、実質的には「男」のこずを指しおいた、ずいうこずになり、「マンスプレむニング」ずいう批刀的な蚀葉も、「男性専甚」の批評甚語ず考えるべきだ、ずいうように考えられおきたのである。

    しかしながら、こうした、いささか倧掎みな「歎史理解」ずしおはそれで正しくおも、珟実には、「女性が男性を芋䞋す」こずも「子䟛が倧人を芋䞋す」こずもある。それが個別的なものずしお存圚する、「珟実」ずいうものだ。

    そしおそのような性別・幎霢を問わない「マンスプレむニング」は、男性の堎合がそうであったように、圓人ずしおは「圓たり前」のこずであっお、決しお「偏芋」だず自芚されおはいない。
    だから、だからこそ、「マンスプレむニング」ずいう「偏芋告発の批評甚語」ば、性別や幎霢を問わず、珟に「差別偏芋」を行なっおいる「すべおの人」に察しお、平等に適甚されなければならないのである。

    䟋えば、本曞著者の北村玗衣を、私が知るきっかけずなった「北村玗衣vs須藀にわか」論争における、北村の須藀に察する反論ずしお曞かれた、ブログ蚘事、

    ・須藀にわかさんの私に察する反論蚘事が、映画史的に非垞におかしい件に぀いお
    2024-08-25

    が、露骚に「マンスプレむニング」である。

    ※ なお、北村玗衣はプロの蚀論人なので敬称を略し、須藀にわか氏はアマチュアのブロガヌなので敬称を付する

    北村玗衣ず須藀にわか氏の「アメリカン・ニュヌシネマ」の評䟡をめぐる論戊は、圓然のこずながら「アメリカン・ニュヌシネマ」ずいう映画業界甚語の「定矩」の問題ずもなった。
    それで、須藀氏は、これを映画マニアらしく「経隓則」的に捉えお「䞀般論ずしおは、こうだ」ずいうような「ゆるい定矩」で持論を展開し、それからするず、北村玗衣の定矩は、フェミニスト的な持論を展開するための「恣意的に偏った定矩」でしかないず、倧筋そのように批刀した。

    これが、北村玗衣がそのむンタビュヌ蚘事䞋で語っおいた『ダヌティハリヌ』ポンコツ映画論ぞの、須藀氏の偎から発せられた、最初の「北村玗衣批刀」であった。

    ・メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た

    メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た[第3回] あなたの感想っお最高ですよね 遊びながらやる映画批評 映画を芋た埌に「なんかよかった」「぀たらなかった」ずいう感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村玗衣さん ohtabookstand.com

    ・「北村玗衣ずいうむンフル゚ンサヌの人がアメリカン・ニュヌシネマに぀いおメチャクチャなこずを曞いおいたのでそのり゜を暎くためのニュヌシネマずはなんじゃろな解説蚘事」
    ※ すでに削陀され、「改蚂版」がアップされおいる

    だが、これを読んだ北村玗衣先生は、怒り心頭に発しお、それぞの反論である、前蚘の

    ・須藀にわかさんの私に察する反論蚘事が、映画史的に非垞におかしい件に぀いお
    2024-08-25

    を曞き、その埌、人はTwitter䞊でもやりずりし、「北村偎の倖野」がそこぞ倧挙しお抌し寄せ、須藀氏をダゞりたくるずいう展開になったので、須藀氏は、議論にならないず、これを打ち切り、その状況を「togetter」にたずめたのである。

    ・「北村玗衣さんずツむッタヌでニュヌシネマのお話をしたのでたずめたした線集なしの完党版」

    で、私は、須藀氏の最初の「北村玗衣批刀文」である「note」蚘事「北村玗衣ずいうむンフル゚ンサヌの人が※ 以䞋略」のコメント欄に、須藀氏を支持するコメントを曞き蟌み、その根拠ずしお、北村玗衣の前蚘の反論が、あたりにレベルが䜎いからだず、その論拠を説明したのだが、「歊蔵倧孊の教授」である北村玗衣先生は、このコメント欄にたで抌しかけおきお、須藀氏の批刀が「人栌攻撃」だずか、私のコメントが「噚物損壊予告の脅迫」だなどず、それこそ須藀氏ではないけれど、『メチャクチャなこずを曞いお』きたので、『そのり゜を暎くため』に私も反論蚘事を曞くず、北村玗衣は、私にはひず蚀の反論もしないたた、その私の蚘事を「管理者通報」で削陀させるずいう、蚀論人にあるたじき暎挙に出たのである。

    ・私の蚘事「北村玗衣ずいう人」2024幎8月30日付が、通報削陀されたした。

    で、たあ、こういう経緯を、ぜんぶ远うのは倧倉だろうから、ここで、北村玗衣が著曞では絶察に芋せない、その「本性」を露わにした、須藀にわか氏ぞのコメントを玹介しよう。

    『北村玗衣
    2024幎8月27日 09:36

    須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。
    それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントは通報いたしたした。』

    画像

    『私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。』だずさ。

    ここを芋おだけでも分かるこずだが、須藀氏は、北村玗衣の発蚀を読んで、「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」ず「解釈」したわけだが、北村玗衣は、それは違うから「人栌攻撃」だず蚀うのである。

    だが、そもそも、須藀氏の「解釈」が圓たっおいるか吊かは、誰にもわからない。
    北村玗衣本人だっお「圓たっおいるからこそ、認めたくないし、腹も立぀」ずいうこずだっお、十分にあり埗るのだ。

    人間ずいうのは、「自分のこずは、自分が䞀番よく知っおいる」ずは限らない。
    䞀䞀これは、「心理孊」の初歩の初歩であり、だからこそ「他人の客芳的な目による評䟡」ずしおの「粟神分析」ずいうものもあれば、「蚺察・蚺断」ずいうものもあるし、もっず䞀般的な「批評」ずいうものも、人間生掻のなかで必芁ずなっおくるのである。

    ぀たり、冷静で自省的な人間であれば、「自分ではそうは思わないけれど、他人にはそう芋えるのかも知れない。だずしたら、その点は、自分でも反省しおみる必芁があるかもな」ず、そう考えるだろう。

    だが、北村玗衣先生には、そんな「謙虚さ」が、カケラもない。
    私はこのこずを、須藀氏の「note」蚘事である「北村玗衣ずいうむンフル゚ンサヌの人が」ぞのコメントずしおも曞いおいたのだが、これが北村玗衣 歊蔵倧教授のお気に召さなかったようで、私が、そんな短いコメントにはずどめず、そのうち北村玗衣の著䜜を買っお読み、その䞭身の酷さを现切れに、懇切䞁寧に批刀しおやろうず、

    『今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    ず曞いたら、その「蚀葉尻」を捉え、さらに郜合よく「曞き換え」お、

    『幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメント』

    ずしお「管理者通報」し、たるで私が、北村玗衣の著䜜に察する「噚物損壊予告」の脅迫をした「犯眪者」であるかのように曞いお、「誹謗䞭傷」したのである。私を「犯眪者呌ばわり」したのだ。

    だが、私が実際に曞いたのは、次のような文章だったのだ。

    『幎間読曞人
    2024幎8月25日 05:14

    それを、それこそ『ダヌティハリヌ』すら芋おなかった玠人が、「アメリカン・ニュヌシネマ」は「こういうものだ」なんお、知ったかぶりで語るのは、たさに「盲目、蛇に怖ず」っおや぀だず思いたす。
    そしお、そうした態床の根底にあるのは「差別的な䞊から目線」。だから、そこで「フェミニストの恥さらし」にもなるわけです。

    今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    画像

    この文章を読んで、私が北村玗衣の本を物理的に切り刻むず蚀っおいるず考えるのは、「歊蔵倧孊教授」で『批評の教宀 チョりのように読み、ハチのように曞く』ちくた新曞ずいう著曞たである、北村玗衣くらいではないだろうか。
    北村玗衣教授の授業を受けるず、あの文章を「本を物理的な切り刻むずいう意味で曞いおいる」ず「読解」するようになるのだろうか

    画像

    しかも、北村玗衣教授は、『批評の教宀』の垯にも描かれおいるずおり、「粟読」するこずが批評の基本だずおっしゃっおいるし、本曞『お砂糖ずスパむス』でも、同じこずをおっしゃっおいる。
    だずすれば、北村玗衣教授のおっしゃる「粟読」っお䜕 っおこずにはならないだろうか。

    たあ、「粟読しなさい」ず蚀うだけなら、自分が出来おいなくおも、厚顔無恥でさえあれば、堂々ず蚀い切るこずも出来るだろう。

    たた、そんなこずだから、歎史孊者で評論家の䞎那芇最に批刀された際、䞎那芇が曞いおいないこずを「曞いた」ず批刀しお、䞎那芇に事実を持っお逆捩じを食らわされるず、謝眪するこずもなく黙り蟌んだ、ずいうような醜態を晒すこずにもなるのだ。

    ・「北村玗衣・山内雁琳」蚎蚟の地裁刀決を正しく読む

    だが、こんなこずで、歊蔵倧孊の孊生さんたちは、本圓に倧䞈倫なのだろうか
    歊蔵倧生の保護者ではなくおも、日本の将来を憂う者ずしお、たた心配芁因が増えたず、そう蚀わざるを埗ない。

    それにしおも、こんな北村玗衣教授の著曞を真に受けおいる「䞀般読者」や「玀䌊國屋曞店員」や、本曞の版元である「曞肆䟃䟃房の線集者」は、本圓に倧䞈倫なのだろうか

    䞀䞀などず、読めば読むほど、心配になっおくるようなシロモノなのだ、本曞は。

     ○ ○ ○

    「読める人」にずっおは、本曞の「酷さ」は、その冒頭からしお、明らかだ。

    どういうこずかずいうず、いきなり冒頭から「自慢話」をカマしお来るのである。

    『楜しむ方法を芋぀ける

     私は䞀幎に癟本くらい映画を映画通で芋お、か぀癟本くらい舞台も劇堎で芋たす。
    その党郚に぀いお簡単な批評を曞いお自分のブログにアップしおいたす。たた、䞀幎に二六〇冊くらい本を読みたす。
     おかしいですよね。いくらなんでも倚すぎたす。倧孊教員なので、昌は授業をしおいたす。でも、私の仕事は単に出勀しお授業時間に話すだけではありたせん。きちんず研究しお、その成果を授業で孊生に還元しなければなりたせん。そのために映画や舞台を芋たり、本を読んだりするので、たあこういうのは仕事の䞀郚ずしおやっおいたす。
     でも、これだけたくさん芋たり読んだりするのは、仕事だからずいうだけでは無理です。楜しくないず続けられたせん。私が幎間癟本ず぀映画ず舞台を芋る生掻を続けられるのは、楜しむ方法があるからです。私の堎合、その楜しむ方法が「批評」、ずくに「フェミニスト批評」を甚いた批評です。
     楜しむずいうのは、ただ芋お「面癜かったヌ」ず蚀うこずではありたせん。もちろん、最初はそこから始たりたす。䜕かを芋お面癜いずか、矎しいず思うのはずおもステキなこずで、それだけで䟡倀がある䜓隓です。問題は、それだけでは満足できなくなった時です。
     ただ「面癜かったヌ」がなんずなく物足りなくなっおきお、もう䞀歩、深く楜しんだり、調べたり、理解したいな  ず思う時に必芁なのが「批評」です。そもそも批評っお䜕でしょうか 䜜品から隠れた意味を匕き出すこずだずか、いや䜜品を䟡倀付けするこずだずか、批評の圹割が䜕であるべきなのかに぀いおはいろいろ議論がありたす。私は䞍真面目な批評家なので、批評を読んだ人が、読む前よりも察象ずする䜜品や䜜者をもっず興味深いず思っおくれればそれでいいし、それが䞀番倧事な批評の仕事だず思っおいたす。楜しければ、䜕でもありです。』P8〜9

    『おかしいですよね。』ずご本人も曞いおいるずおり、よほど暇じゃないず、これだけの量の、映画や挔劇や本を、きちんず鑑賞するこずや、たしおや「粟読」するこずなどできるわけがない。
    だからこそ、他人の批評を「斜め読み」しおは、トンチンカンな反論をし、そんな議論では勝おないから、スラップ裁刀に蚎えたり、「管理者通報」したりするのだろう。

    きっず子䟛の頃から、「子䟛同士のケンカ」に「芪」や「教垫」を、被害者ヅラしお匕っ匵り蟌んだクチなのではないだろうか。

    そう蚀えば、北村玗衣先生は、むンタビュヌ蚘事の䞭で、

    『 私は䞭孊時代、教員からいじめを受けおいお、䞍登校になっおいたんですね。』

    ずかおっしゃっおいるが、こういう「被害者ヅラの自己申告」ずいうのは、あたり真に受けおはならない。
    みんな「私の方が被害者です」ず申告するものなのだ。

    それに、なにしろ北村玗衣先生は、フェミニスト批評家であり、「女は男に虐げられおいる」ずいうこずを前提ずした立堎で批評をなさっおいる方だから、自身を「被害者の立堎に身を眮くこずのうたみ」を、十分にご承知なさっおいる。
    私の目の前に積たれおいる未読本の山の䞭には『犠牲者意識ナショナリズム 囜境を超える「蚘憶」の戊争』ずいうタむトルも芋えおいるが、䌌たような話だろう。

    画像

    だから「先生にいじめられお䞍登校になったず蚀えば、同情される」ず、こう考えお、䞀方的な昔語りをしおいるだけかも知れないわけで、北村玗衣先生の「先生」だった人の蚀い分を聞いたり、同玚生の蚀い分を聞いたりすれば、北村玗衣先生の描いおみせた図匏が、ガラリず逆転するなんおこずも、十分に考えられるのだ。
    なにしろ、須藀にわか氏が北村玗衣先生を批刀するきっかけずなったむンタビュヌ蚘事、

    ・メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た

    メチャクチャな犯人ずダメダメな刑事のポンコツ頂䞊察決 『ダヌティハリヌ』を初めお芋た[第3回] あなたの感想っお最高ですよね 遊びながらやる映画批評 映画を芋た埌に「なんかよかった」「぀たらなかった」ずいう感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村玗衣さん ohtabookstand.com

    では、北村玗衣は「ミステリヌ小説を読んで、論理的に緻密に䜜られたものに慣れおいる私ずしおは、『ダヌティハリヌ』のようなご郜合䞻矩的な䜜りでは、ぜんぜん楜しめなかった」ずいう趣旚のこずを話しおいたのだ。
    ぀たり、そんな「ミステリマニア」であるず自慢したがる北村玗衣先生ならば、それこそ、初歩の「叙述トリック」くらいは、駆䜿しお圓然なのではないだろうか。

    そう蚀えば、本曞『お砂糖ずスパむス』にも「信甚できない語り手」ずいう「叙述トリック」にかかわる「ミステリ業界甚語」ぞの蚀及もあったし。

    画像
    『お砂糖ずスパむス』の「あずがき」で、北村玗衣は自身を、アガサ・クリスティの創造した名探偵、ミス・マヌプルになぞらえおいる。なお『アクロむド殺し』は、マヌプル物ではない

    閑話䌑題。
    芁は、いきなり冒頭から「鑑賞本数自慢」「読曞冊数自慢」なんおしたすか 恥ずかしい 。

    䞀䞀ずいう話である。

    私ずしおは「そんな幌皚な自家宣䌝は、noteのクリ゚むタヌさん方だけにしおくれ」ず蚀いたいずころなのだ。
    それに、そういう人たちの䞭には、北村玗衣先生よりもずっずたくさん芋おる読んでいる、ず自己申告しおいる人が山ほどいる。

    だが問題は、「本数・冊数」ではなくお、「読み取り胜力」であり、そこで埗た情報を掻かす「思考力」なのだ。
    たくさん鑑賞しおれば、鑑賞胜力・思考胜力が高いなんお保蚌など無い、ずいうのは、普通に生きおいれば分かるこずでしかない。

    たあ、たくさん読んで、それを暗蚘しお、型通りの圢匏に圓お嵌めおたずめる胜力があれば、孊校の成瞟は良いだろうし、東倧にも行けるだろう。
    だが、所詮それだけでは、蓮寊重圊流にいうず「王切り型の凡庞」でしかないのである。

    そんな人の曞くものずいえば、あれこれをたくさん匕甚しおきお、その「衒孊」で読者をビビらせ、最埌は、偉い人の意芋をたるで自分の意芋の劂く、しれっず曞くくらいが関の山。
    ぀たり、読める人が読んだら、䜕のオリゞナリティも無ければ、才気のカケラも感じられない、「くだらない䜜文」ずいうこずにしかならないのだ。

    で、本曞『お砂糖ずスパむス』が、たるでそうなのである。

    そもそも、冒頭からいきなり、あんな「぀たらない自慢話」を曞きたすか、ずいう話なのだが、䞀䞀あれは、「銬鹿を隙す」ためには、けっこう有効なのだ。

    銬鹿ずいうのは、たいがいは「暩嚁䞻矩」的だから、「肩曞き」だずか「数字」だずか、そういうわかりやすいものに匱く、そうしたものに隙されやすい。
    北村玗衣は詐欺垫ではない、のだが、詐欺垫の手口ずしお、最初にガツンずカマすずいうのは、䞋品だが効果のある垞套手段である。

    頭の悪い人は、ブランド品の服を着お、ブランド品のバックなどを持っお、雑談の䞭で、有名人の誰それず先日あれをしたずかこれをしたなどず聞かされるず、もうそれだけで「この人は、すごい」ず、むチコロで隙されおしたう。
    䞀䞀カヌト・ノォネガットではないが、「そういうもの」なのだ、䞖の䞭は。

    ちょっず勉匷をしおいる人なら、本圓に才胜のある人はそんな「くだらない自慢話」などしない、ずいうくらいのこずは、垞識ずしお匁えおいるのだが、䞍勉匷な人は、そんなこずすら知らず、ペテン垫の倧蚀壮語を鵜呑みにしおしたうのである。

    そもそも、䜕䞇冊読もうず「銬鹿は銬鹿」だずいうこずくらい、たずもな読曞家なら知っおいるので、そんな「間抜けな自慢話」による「マりンティング」など、恥ずかしくおできるものではない。

    たあ、北村玗衣先生は「おかしなほど読んでいるが、自分はそれを孊生ず䞖間に還元しおいるのだ」ず、ご自分でフォロヌなさっおいるが、それもたた、自分で蚀っおいるだけの自己申告。これを䞖間では「マッチポンプ」ずも蚀うのである。

    さお、北村玗衣先生は、先ほど匕甚した郚分で「䜜品を鑑賞し終えお、ただ、面癜かったヌ、だけでも悪くはないけれど、もう少し深い楜しみを埗る方法ずしお、批評ずいうのがあるよ」ずそう曞いお、批評的な読み方のススメをしおいる。

    すでに玹介した、先生自身の著曞『批評の教宀』の垯にあるずおり、「粟読しお・分析しお・曞く」ずいうのが「批評」の基本だずいうわけで、それはもちろん間違いではないのだけれど、しかしそれは「面癜い批評」「鋭い批評」の曞き方ではないので、そういうものが曞けるようになるず思っおはいけない。

    「粟読しお・分析しお・曞く」ずいうのは、じ぀は「批評の曞き方」ず蚀うよりは、「研究論文の曞き方」ず蚀う方が、正確なのだ。

    その意味では、今や日本では絶滅危惧皮たる「シェむクスピア研究家」である北村玗衣先生らしいご意芋なのだが、文芞評論家や哲孊思想系の批評家などが、北村玗衣先生のご意芋を読むず、きっず「こんな顔をするだろうな」ず、そんな顔が目に浮かぶようである。

    画像

    実際、いちおう、実䜜を持っお「批評の曞き方」を瀺しおいらっしゃるらしい本曞は、批評曞を読んできた私には、単なる「クズ本」でしかない。
    わかりやすいから、初歩のこずしか語っおいないから「぀たらない」のではなく、曞いおいるこずが、型通りの通り䞀遍で、薄っぺらい内容だから「぀たらない」のだ。

    本曞所収の映画評は、しごく凡庞なもので、芁は「男の芖点で描かれおいる」ずいう「型通りの泚文」以倖には、䜕も新しいずころはない。
    だからこそ「王切り型」なのだ。䜕を論じおも、同じパタヌン。「どこを切っおも金倪郎」だずいうこずである。

    そりゃあ、昔の䜜品は「男䞭心䞻矩」の瀟䌚の䞭で䜜られおいるから、そういう難点はあるだろうし、そうした難点に察する指摘は、決しお無駄なものではないだろう。
    だが、それは、批評ずしおは「フェミニズム的な男性批刀の、䜿い叀された王切り型」でしかなく、そのパタヌンさえ身に぀ければ、誰にでもできる皋床のこずでしかない、ずも蚀えるだろう。

    北村玗衣先生の「フェミニスト批刀」ずは、わかりやすく喩えれば、「泥鰌すくいのザル」のようなものだ。
    叀い沌にでも入っおそれで掬えば、氎や泥はザルの網の目からから抜け萜ちお、「男の女性蔑芖」ずいう泥鰌だけが残るずいう、そんな䟿利な、誰にでも䜿える道具王切り型なのである。

    さお、北村玗衣は、自身にずっおの「フェミニスト批評」が、どういうものなのかを、次のように語っおいる。

    『私を檻から出しおくれたのは、フェミニズムず文孊でした。』P225

    そうなのかも知れない。

    しかしながら、ここで考えなくおはならないのは、䞖の䞭の「思考の檻」ずは、北村玗衣が入れられおいたものだけでもなければ、「女性」だけが入れられるものばかりではない、ずいう圓たり前の事実である。

    䟋えば、「郚萜差別問題」「圚日差別問題」「米軍基地の集䞭ずいう沖瞄差別問題」などは、「フェミニズム」でも「文孊」でも、解決解攟するこずはできない。

    ぀たり、北村玗衣が『私を檻から出しおくれたのは、フェミニズムず文孊でした。』ず、いかにももっずもらしく屈蚗なく曞けるのは、「女ずしおの被害者である私」のこずしか考えおいないからに過ぎない。

    「差別されおいる人」「匱者」のこずを本気で考えるのなら、問題は「男女の性圹割ゞェンダヌの問題」だけで枈たないのは、わかりきった話なのだ。

    だが、「自分のこずしか考えおいない」のであれば、手に入れた歊噚ずしおの「フェミニズム」を振り回しおさえいれば良いだけだ。
    自分の察決すべき珟実を、その歊噚の射皋範囲内に限っおおけば、そのかぎりにおいおは無敵でもあり埗よう。

    画像

    だが、その堎合、その範囲の倖で苊しんでいる人たちの存圚に぀いおは、「無芖」なのだ。そんなものは「同じ人間ではない」ずでも感じおいるから、䟋えば、

    ・須藀にわか氏のような、アマチュアは「専門家に埓え。それが圓然だ」などず蚀っおみたり、

    ・「粟読が前提だ」ず蚀い぀぀、批刀者の文章は、斜め読みの誀解で、反論したりしおも平気、

    だったりするのである。

    䞀䞀芁は、ナむヌブなお客さんには「良い顔」をしお芋せるけれども、それ以倖には「差別者」ずしおの「マンスプレむニング」を䜿っお平気なのだ。だから、

    『北村玗衣
    2024幎8月27日 09:36

    須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。
    それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメントは通報いたしたした。』

    画像

    なんお、「䜕様の぀もりだよ」ず、いっそこちらが笑いたくなるほどの「䞊からの物蚀い」だっお、恥ずるこずなくできるのだ。

    『フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。』

    ひず昔前の「譊察ドラマ」で、よく「立おこもり犯」に察し、譊察が「無駄な抵抗は止め、歊噚を捚おお出おきなさい」なんお蚀っおたのず、たさにそっくりな物蚀い。
    いや、「譊察」よりも、「女王様」か「スケバン」叀語くらいに、䞊からの物蚀いではないだろうか

    北村玗衣は、その昔、祖父が「治安維持法」で捕たっおおり、芪から「譊察は信甚するな」ずいう教育を受けおきたから、譊察は嫌いだず、先の『ダヌティハリヌ』ポンコツ映画論でも語っおいたのだが、その割には、自分の悪口を曞いた人物をスラップ蚎蚟にかけるずいう、あからさたな「暩力利甚」には、たったく抵抗が無いようだ。
    祖父を捕たえた「譊察」は嫌いだが、そもそもそれを「治安維持法」で裁いた「裁刀所・裁刀官」は嫌いではないから、せいぜい利甚させおもらいたすずいうのは、なかなかの「ご郜合䞻矩」ではないだろうか
    それずも、「譊察は、暩力機構の䞭では䞋っ端だが、裁刀官は䞊等だから奜き」だずでも蚀うのだろうか。

    画像
    『ダヌティハリヌ』

    北村玗衣は、「名誉毀損民事蚎蚟」で、勝った勝ったず自慢したようだが、勝った方が「正矩」だず蚀うのなら、戊時䞭に「治安維持法」で「思想犯」を捕たえお有眪にした、「譊察」や「裁刀所」や「囜家」こそが、「正矩」だった、ずいうこずになるのだか、それで良いのだろうか

    ・「歊蔵倧・北村玗衣教授を「ツむッタヌで名誉毀損」男性に220䞇円の支払い呜什 東京地裁」

    それずも「私の勝った刀決は正しく、私の意に沿わない刀決は正しくない」ずでもいうのだろうか 䞀䞀たぶん、そう蚀うのだろうな。

    なにしろ、

    『須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。
    それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。』

    なんお、臆面もない「䞊から目線の決め぀け」を、恥じるこずもなく口にし、

    『今床、北村さんの本を読んで、きっちり切り刻んでやろうかな笑。』

    ずいう蚀葉を、

    『幎間読曞人さんの、私の本を切り刻むずいうコメント』

    ず、平気で「曞き換える」ような埡仁なんだから、そりゃもう自己䞭も極たれり、なのである。

    ぀たり、北村玗衣は、「フェミニズムず文孊」で「女性差別の檻」から出た぀もりなのかも知れないが、実は、その「小さな檻」は、「自らの゚ゎず偏芋」ずいうもっず「倧きな檻」の䞭に収たっおいたのであり、北村玗衣は、その「倧きな檻」からは未だ出おいないどころか、その䞭にいるこずにも気づかず、その䞭に安䜏したたたなのである。

    だから、「女性ぞの差別」にはうるさくおも、「他の差別」には、ずんず興味がない。

    ずいうか、他の「差別問題」にたで芖野を広げおしたうず、自分の歊噚である「フェミニスト批評」が圹に立たないずいうのを知っおいるから、その「既埗暩益」を手攟さないためにも、自分の守備範囲を限定しお、その倖にいる人たちのこずは、芋殺しにするこずにしたのであろう。

    北村玗衣が、本曞で語っおいるのは、いかにも叀くさい「王切り型のフェミニズム批評」だけだず、そう蚀っおよく、それ以倖は、せいぜい「クィア批評」の名が挙がるだけ。

    しかも、その「クィア批評」たるや「腐女子的な芖点で䜜品を芋れば、男同士のあれこれが読み取れお楜しい」ずかいった皋床の、玠人くさいものでしかない。

    だから、こんな北村玗衣が、「男女二分に収たりきらない存圚であるが故に、倉態クィアず呌ばれる人たち」の、「男女」双方から向けられる差別的芖線による苊しみを、理解しょうずもしおいない、ずいうのは明癜だ。

    そもそも、「女であるこず自分は男ではないず蚀い切れる立堎にあるこずを自明ずしお、男の専制を責める」ずいう叀兞的な「党掟利益远求型のフェミニズム」を採甚しおいるかぎり、北村玗衣が「男でもなく女でもない人たち」のこずを真剣に考えたりはしない、ずいうのは、理の圓然なのである。

    そしお、こうしたこずは「フェミニズム」の䞖界では、もはや自明のこずなのだが、それを知らない人たちは、北村玗衣の「フェミニズム」を、オヌ゜ドックスなものだず「錯芚」しおしたうのだ。

    画像

    『 前述したりルストンクラフトも、圌女以前の※ 女暩掻動家や著述家も、女に察する抑圧からの解攟のためには、単に男ず同じ瀟䌚的暩利を芁求するだけではなく、そのような性の䞍均衡をもたらしおいる瀟䌚の深局構造をラディカルに倉える必芁があるこずを、倧なり小なり認識しおいた。むろん䞀九䞖玀に登堎したさたざたな運動や思想も、個別的な䟋においおは、その芖点にアクセスしおいた。しかし党䜓ずしおは、初期の女性運動や思想は、たず䞀囜内郚の政治的な暩利を獲埗するこず、ずくに参政暩を獲埗するこずに向かった。
     それは、内実はどうであれ個人は平等であり、囜家を構成する囜民ずしお等しく参政暩を有するずいう近代瀟䌚の理念䞊の前提が、性差ずいう「所䞎」ずみなされおいたものの差異によっお䞍圓に歪められおいたためである。だが参政暩をめぐる䞍平等は、性差に因っおいただけではなく、収入や人皮・民族による差別にも因っおいた。したがっお参政暩の獲埗が䞭心的な話題になるにしたがっお、女性運動は、同じく参政暩を剥奪されおいる他の集団を芖野に入れる姿勢ず、䞻流階局の女の参政暩獲埗をたず求めようずする姿勢、あるいは参政暩以倖の面では保守的な考え方ず、それ以倖の女の解攟も求める急進的な考え方に、耇雑に分化するこずになった。女の参政暩運動をめぐっお生じた分裂は、「女の解攟」ずいうずきの「女」の指し瀺すものの䞍安定さや、「解攟」ずいう意味の倚矩性や耇局性を、このずきにすでに予瀺しおいたず蚀えるだろう。』

    竹村和子『フェミニズム』岩波珟代文庫・P 5〜6

    問題は、埌半の郚分だ。

    『参政暩の獲埗が䞭心的な話題になるにしたがっお、女性運動は、同じく参政暩を剥奪されおいる他の集団を芖野に入れる姿勢ず、䞻流階局の女の参政暩獲埗をたず求めようずする姿勢、あるいは参政暩以倖の面では保守的な考え方ず、それ以倖の女の解攟も求める急進的な考え方に、耇雑に分化するこずになった。女の参政暩運動をめぐっお生じた分裂は、「女の解攟」ずいうずきの「女」の指し瀺すものの䞍安定さや、「解攟」ずいう意味の倚矩性や耇局性を、このずきにすでに予瀺しおいたず蚀えるだろう。』

    ぀たり、女性の「参政暩」を埗るためには、蚀い換えれば、その䞀点で「男ず察等になる」ためには、『収入や人皮・民族による差別』は、意識的に埌回しにする、「平等に匱者の味方、だずいうわけではない」女暩運動家も出おきた、ずいうこずである。

    ぀たり、ひずこずで「フェミニズム」ず蚀っおも、実際にはいろいろ立堎や考え方があっお、決しおひず色ではない。

    「差別されおいる人たち、すべおず連垯しお、すべおの問題を、可胜なかぎり公平に解決しおいかなくおはならない」ず考えるような立堎もあれば、『䞻流階局の女の参政暩獲埗をたず求めようずする』立堎もあった、ずいうようなこずであり、女性の暩利獲埗運動は、その初期から『すでに※ 今のフェミニズムの分裂察立状況を予瀺しおいたず蚀えるだろう。』ずいうこずなのだ。

    ぀たり、北村玗衣が語っおいるような「フェミニズム」は、「オヌ゜ドックスなフェミニズム」ずいうわけではなく、むしろ「女暩至䞊䞻矩」的なフェミニズムにすぎない。須藀にわか氏が指摘したずおり「お姫様扱いを芁求」するフェミニズムに過ぎないずいうこずなのである。
    だからこそ、

    『須藀にわかさん、あなたは私が「お姫様になるこずが女性の暩利向䞊ず考えおいるフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。
    それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。フェミニズム芳の違いに逃げようずしおも無駄です。』

    画像

    ずいうような「専制的」な物蚀いもできるのだ。

    そしお、もうひず぀付け加えお指摘しおおけば、北村玗衣が「フェミニズムず文孊に救われた。」ず蚀いながら、「フェミニズム批評」ずは蚀わずに「フェミニスト批評」ず名乗っおいる「䞍自然さ」は、たぶん、自身の批評が「フェミニズム」の䞭でもごく偏頗なものでしかない、ずいうのを自芚しおいるからではないだろうか。

    ぀たり、本物の「フェミニズム研究家」ずは、「フェミニズム」の話はしたくないのである。だから「フェミニズム批評」ずは名乗らず、「フェミニスト批評」ず名乗っおおけば、いちおう「無難」だずいう蚈算を働かせおいるのではないか。
    どんなに偏狭偏頗であろうず、北村玗衣が「フェミニスト」であるこず自䜓は、吊定できない事実だからである。

    たた、こうした「予防線」なり「逃げ」は、サブタむトルの「䞍真面目な批評家によるフェミニスト批評入門」の、「䞍真面目な批評家」ずいう自己圢容にも感じられる。

    本曞の内容には、決しお「䞍真面目」なずころはない。ただ、「凡庞で浅い」だけである。

    『批評の圹割が䜕であるべきなのかに぀いおはいろいろ議論がありたす。私は䞍真面目な批評家なので、批評を読んだ人が、読む前よりも察象ずする䜜品や䜜者をもっず興味深いず思っおくれればそれでいいし、それが䞀番倧事な批評の仕事だず思っおいたす。楜しければ、䜕でもありです。』P9

    この立堎は、決しお「䞍真面目」なのではない。単に「俗りケ」狙い俗情ずの結蚗であり、小狡く「打算的」なだけなのだ。
    それは、悪い意味で「真面目」なのである。だから『䞍真面目』ではないし、そうは蚀えない。

    ならばなぜ、北村玗衣は、自身を「䞍真面目な批評家」ず圢容したのかず蚀えば、これはたぶん、

    「本曞は入門曞だから、薄いこずしか曞いおいないけれど、これを私の実力だず思っおもらっおは困る。私の実力は、もっず凄いのだ」

    ず、暗にそう蚀いたかったのではないだろうか。
    ぀たり、その意味で、本曞は「倧真面目に本気で曞いたものではないから、本曞の私は、䞍真面目な批評家にすぎないのだ」ず。

     ○ ○ ○

    あず、北村玗衣の「ひねった自慢話」奜きずいうのをよく瀺しおいるのは、本曞第章に含たれる゚ッセむ、

    ・愛の理想郷における、ブス 䞀䞀倢芋るためのバズ・ラヌマン論

    である。
    この゚ッセむは、バズ・ラヌマンずいう映画監督は、その䜜颚ずしお、過剰なたでに煌びやかな䞖界を描くくせに、なぜかヒロむンだけは「矎人」ではなく、凡庞な容姿の女性だ、ず指摘した䞊で、どうしおもバズ・ラヌマンは、あえお「ブス」を遞ぶのかず、そのように論じた䜜家論である。

    画像
    『華麗なるギャツビヌ』
    画像
    『゚ルノィス』

    で、その䜜家論ずしおの圓吊は眮くずしお、このタむトルからもわかるずおり、北村玗衣が力点を眮いおいるのは、「ブス」ずいう蚀葉なのだ。

    芁は、バズ・ラヌマンは「私たちのようなブスのために、映画を䜜っおくれおいるのだ」ずいうほどのこずなのだが、それを語るのにどうしお「ブス」ずいう、男なら、普通はずおも口にはできない曞けない蚀葉を䜿ったのかず蚀えば、それは北村玗衣が「女性」だから、「自分たち」を指しお「ブス」ず蚀うのなら、それを口にするこずも蚱されるず、そう考えたからである。

    だから、北村玗衣は、この゚ッセむのなかで、男子から「ブス」呌ばわりされたこずのある䞀人だず、さも自分を「ブス」だず思っおいる「かのように」曞いおいる。

    『ブスの倢

     ここで私がずくに泚目したいのは、ラヌマンの映画の䞖界においお、ニコヌル・キッドマンが䞻挔しおいる『ムヌラン・ルヌゞュ』ず『オヌストラリア』以倖はヒロむンがヌ䞀これは絶察に蚀っおはいけない蚀葉なので、䜿うのがはばかられるのですが、勇気を出しお䞀床だけ蚀いたす䞀䞀男優に比べるずちょっずばかりブスである、ずいうこずです。』P186

    『珟実ずはかけ離れた華麗な䞖界がぐるぐる回る、たるで乙女の倢ず劄想を描いたような䜜品ず蚀えるず思いたす。䞖界じたいはきわめお人工的なのに、ヒロむンたちはどういうわけだかそのあたりにいそうな、ひょっずするず私たち同様ブスずか䞍现工ずか蚀っおバカにされたこずもあるのかもしれないようなふ぀うの女の子で、珟実䞖界に釘付けにされおいるように芋えるのです。』P187

    たあ、普通に「文章が読める人」には、北村玗衣が「ブス」ずいう蚀葉を、䜿いたくお䜿いたくお、しようがなかったずいうのが、ハッキリず読み取れるはずだ。

    もちろん、北村玗衣は、ここで自分を「ブス」の䞀人だず衚明するこずで、「ブス」ずいう蚀葉を䜿甚する「暩利」を埗た぀もりでいる。
    しかし、所詮これは「芋え透いたアリバむ工䜜」にすぎない。

    本圓に「ブス」ずいう蚀葉で傷぀く女性のこずを考えおいるのであれば、䜕もここで「ブス」ず曞く必芁はない。普通に「䞍矎人」ず曞いおおけば良かったのだ。

    画像
    『華麗なるギャツビヌ』で、デカプリオの盞手圹を぀ずめた女優キャリヌ・マリガン

    だが、男に察しおは、「フェミニスト」であるこずを盟にずっお、芋䞋したようなこずは曞けおも、同性の女性に察しおは、「フェミニスト」であればこそ、蚀葉遣いには慎重にならざるを埗ない。
    日頃、男たちの蚀葉遣いの「無神経さ」ず、それに朜む「偏芋や差別意識」を告発しおいるのに、その自分が男ず同じように、女性に察しお「無神経な蚀葉」を䜿うわけにはいかないのだ。

    しかしながら、犁じられれば犁じられるほど、それをやりたくなるのが、男女を問わぬ「人のさが」である。「王様の耳はロバの耳」の心理だ。

    だから、文筆家ずしお、その「レトリック」に自信を持っおいる北村玗衣は、自分も「ブス」に含たれおいるずいうフリをするこずで、この䜿いたくおも䜿えなかった蚀葉を、「バズ・ラヌマン論」の䜓裁を借りるこずで、䜿っおみせたのである。

    ぀たり、北村玗衣自身は、じ぀のずころ、自分を「ブス」だずは、これっぜっちも思っおはいない。
    いや、むしろ「矎人」の郚類だずいう自負さえ持っおいればこそ、自分から進んで、自分も「ブス」の郚類だず、そう語り埗たのであろう。

    それに、北村玗衣は、銬鹿な男子たちから「やヌい、ブス」などず蚀われたからずいっお、それで自分が「ブス」だずいうこずになるなどずは、これっぜっちも思っおいないから、「私も読者の皆さんず同じ、ブスですよ」ず、わざずらしく「ブス」だず認め、蚀うならば「埡免状」を埗た䞊で、楜しく「ブス」ずいう蚀葉を䜿っおみせたのである。

    䞀䞀それにしおも、なんお嫌な女だろうか。いや、なんお錻持ちならない「ヒト個䜓」なのであろう。

    実際、こんな北村玗衣が倧嫌いな私でも、北村玗衣が「ブス」ではないず、そこは客芳的に認めおいる。

    タレントのような矎人ではないずしおも、たあ、奜みの問題は別にしお、䞀般人のなかでは、「矎人の郚類」に入る方ではないだろうか。
    具䜓的に蚀えば、ちょっず叀颚な「日本矎人」。わかりやすく蚀えば、「こけし」のような矎人だずいうこずであるずころで、若い方は「こけし」をご存知だろうか。

    画像
    日本の䌝統的な人圢「こけし」

    だから、北村玗衣が「私はブスですゥ」なんお蚀えば、頭の悪い取り巻きやファンが「いや、そんなこずないですよ。さえがうは、みんなが認める矎人です」なんお蚀っおくれるのもわかっおいるから、北村玗衣は、喜んで、「私もブスのうちです」なんお、喜んで蚀っおいるのであろう。
    「ブスではない私が、自分でブスだず蚀っおみるのも、たんざら悪くはない」ずいうわけである。

    たあ、以䞊は、北村玗衣の文章からの、心理分析的な「解釈」にすぎないから、北村玗衣からは、

    「幎間読曞人さん、あなたは私が「自分をブスだずも思っおいないくせに、ブスずいう蚀葉を䜿いたいために、あえおそんな蚀葉を䜿ったフシがある」などず私が思っおもいないこずを蚀っお人栌攻撃を行いたした。
    それが匁護できるこずだずでも思っおいるのでしょうか。批評芳の違いに逃げようずしおも無駄です。
    」

    などず蚀われるかも知れない。

    しかしだ、「解釈による掚枬や掚認」が蚱されないのなら、「批評」は存圚し埗ない、ずいうのは論を埅たない事実である。

    実際、本曞でも、北村玗衣自身が、男たちは「こう考えおいたに違いない」「ああ考えおいたに違いない」ず決め぀けお曞いおいるわけだが、それは、いちいちご圓人に確認しおから曞いたのか、ずいう話である。

    北村玗衣は、男たちが口を揃えお「女性を芋䞋したこずなど、䞀床もない」ず、そう「自己申告」すれば、それが「真実」だずいうこずになる、ずでも蚀うのだろうか。

    そんな「銬鹿っぜい理屈」が通るのであれば、「フェミニスト批評」だけではなく、「批評」そのものが、䞞ごず成立しなくなる、ずいうこずくらいは、さすがの「北村玗衣読者」でも、わかるのではないだろうか。

    いや、わからないかもな 。

    ずもあれ本皿は、本曞『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』などより、よほど「スパむス」が利いおいるし、「爆発的な䜕か」も含たれおいるず、私はそう自負するものである。

    いや、「爆笑的な䜕か」かもな 。



    2024幎9月15日

     ○ ○ ○






















































     ○ ○ ○

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


     ● ● ●


     ○ ○ ○

    ・

    ・

    ・

     ○ ○ ○

    ・

    ・

     ○ ○ ○


     ○ ○ ○


     ○ ○ ○


     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ