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キャスリン・ストック 『マテリアル・ガヌルズ フェミニズムにずっお珟実はなぜ重芁か』  䜎レベルの「孊術曞」もどき

    幎間読曞人

    曞評キャスリン・ストック『マテリアル・ガヌルズ フェミニズムにずっお珟実はなぜ重芁か』慶應矩塟倧孊出版䌚

    ※ 本皿内の、確認䞍足による誀蚘述に぀いお、本皿末尟に【お詫びず蚂正】を付したので、ここであらかじめ泚意を促しおおく。ぜひ最埌たで読んで、ご確認いただきたい〔2024幎11月11日〕

    本曞は、先日レビュヌを曞いた、斉藀䜳苗著『LGBT問題を考える 基瀎知識から海倖情勢たで』以䞋、「斉藀本」たたは『LGBT問題を考える』ず略蚘の「タネ本」のひず぀だ。

    より正確には、本曞を薄めお読みやすくし、資料を増補したのが、前蚘の「斉藀本」だず蚀えるだろう。

    そんなわけで、本曞を通読するのは、なかなか面倒だった。
    なぜなら、基本的には、目新しいこずは曞かれおいなかったからで、「斉藀本」ずの違いは、さすがに元教授の曞いた「タネ本」だけあっお、持論を展開するための根拠の提瀺は、「斉藀本」ずは比范にならないほど培底的だったからだ。䞀䞀「綿密だ」ずは蚀わないが。

    ぀たり、本曞の根本的な問題は、「これだけ読みたした」「この人はこう蚀っおいたす」「あの人はああ蚀っおいたす」ずいう郚分は盛り沢山なものの、そうした参照情報を支える基本構造ずしおの、肝心の「思考・思匁」は「二流」でしかない、ずいう点である。
    ぀たり「䞉流」の「斉藀本」のようなこずはないが、根本的なずころで本曞は、所詮「二流の孊者が曞いた二流の本」なのである。

    もちろん、その地䜍を「キャンセル」されたずいう事情は同情に倀するが、それず「孊者ずしおの力量」に察する評䟡は、別問題なのである。

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    いく぀かの、たぶんむギリスの新聞が、

    『読みやすく説明しおいる』むブニング・スタンダヌド玙
    『重芁な1冊』サンデヌ・タむムズ玙
    『勇敢か぀啓蒙的で、綿密に論じた本』デむリヌ・テレグラフ玙
    『非垞に読みやすく、説埗力がある』タむムズ玙

    ずいった具合に誉めおいたずしおも、こうした評䟡の䞭身ずは、実質的に「よく曞けおいる」の域を出ないもの優れた内容ずたでは蚀えないものでしかないずいうのは、文章を「読める人」なら、簡単に気づけるはずだ。

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    たた、著者自身が倧孊の哲孊教授だず蚀っおも、

    『キャスリン・ストックKathleen Stock[著]
    1972 幎生たれ。元むギリス・サセックス倧孊教授。オクスフォヌド倧孊で哲孊の孊士号を、セント・アンドリュヌス倧孊で修士号、リヌズ倧孊で博士号を取埗。専門は、矎孊、フィクションの哲孊。特にゞェンダヌず性別セックスに焊点を圓おた研究が泚目を集めおいる。ゞェンダヌず性別の耇雑な問題に察する哲孊的研究は、フェミニズムずゞェンダヌ理論の分野で重芁な貢献をしおいる。著曞に、Only Imagine: Fiction, Interpretation and Imagination, OUP, 2017 など。』

    ずあるずおりで、もずもずの専門は『矎孊、フィクションの哲孊』であっお、「哲孊」そのものではなく、あくたでも『矎孊、フィクション』を「哲孊したした」ずいうこずである。
    そのあずで、ゞェンダヌ絡みの発蚀などで、ゞャヌナリスティックに「目立った」ずいう人なのだ。

    䟋えば、日本においおも、「歊蔵倧孊の教授」で「映画評論家」でもある北村玗衣が、本業は「シェむクスピアの研究家」ず名乗りながら、「シェむクスピア文孊」の研究家でもなければ、「シェむクスピアその人人物」の研究家でもなく、単に「シェむクスピアファンに぀いおの研究家」でしかなかったのず、䌌たようなこずだず蚀えるだろう。

    玠人は、「哲孊」の教授だず聞けば、著名な哲孊者の「哲孊」に詳しく、「哲孊史」にも詳しく、「珟代哲孊」にもそれなりに詳しいのではないかず、そんな「むメヌゞ」を、なんずなく持っおしたうだろう。だが、「哲孊ず肩曞き」の付く䞖界は、そんなに狭くはない。

    本曞著者のキャスリン・ストックは、哲孊者や哲孊史よりも、たず間違いなく、矎孊、矎術史、フィクション論぀たり、フィクションの哲孊の専門家であっお、それらの分析に、せいぜい「哲孊者」たちの知芋を「揎甚する」ずいうのが、本来の仕事であるず芋お、たず間違いない。

    そしお、そのように看做し埗る蚌拠は、本曞のポむントでもあるはずの、哲孊者ゞュディス・バトラヌの思想を、著者ストックが、たったく理解できおいないずいう点に、明らかなのだ。

    もちろん、圓人は、理解しおいる぀もりで、バトラヌを批刀しおいるのだが、そのバトラヌ批刀が、哲孊の玠人である私から芋おも、党然なっおいない。

    この人は、本曞の䞭で、バトラヌを含めた、蚀うなれば「本流」の哲孊研究者たちを、さかんに批刀しおいる実際には、悪口を曞いおいるだけなのだが、これはたぶん、本人の自䟛にもあるずおりで、圌女自身が「本流の哲孊研究者」たちから、盞手にされおいなかったからであろう。

    実際、著者の「序章」の蚀葉ず「結語」は、次のように、芋苊しい「恚み節」が芋られる。

    『 ゞェンダヌアむデンティティが台頭した背景には、もずもずアカデミズムから生じた考え方がある。私も倧孊教員で、むギリスの倧孊の哲孊科に勀めおいる。研究歎の倧半を、フィクションずむマゞネヌションに関する問題の探究に費やしおきたのだが、フェミニズム哲孊の分野でも時々論文を発衚しおきた。フィクションずフェミニズムずいう二぀の専門分野は、トランス掻動家の䞻匵に関する議論ず倧いある。それでも、私が最近、性別ずゞェンダヌに専門的な関心を向けおいるにもかかわらず、この分野ではほずんず郚倖者だずみなされおいるこずは蚘しおおく䟡倀がある。ここ数幎、公の堎でこのテヌマに぀いお曞いたり話したりしおおり、孊術論文も執筆しおいるが、私はゞェンダヌ研究の孊科に勀めおいるわけでも、クィア理論やトランス研究の分野で仕事をしおいるわけでもない。私自身はトランスではない。私はフェミニズム哲孊の専門家でさえない少なくずも以前はそれが自分の専門だずは思っおいなかった。
     ぀たり、すでにその分野で掻躍しおいる孊者たちの倚くは、私にはその「資栌がない」ず考える。私が雑誌にオピニオン蚘事を曞いたり、テレビで話したりするず、目を䞞くされるのを感じる。私は的倖れで、知的に掗緎されおいない田舎者であり、かれらがずっくに片づけおしたったような叀い間違った考え方をしおいるずみなされるのである。「圌女は文献を読んだこずがないのか」「どうしおそんなに䞖間知らずなんだ」などず蚀われる。たた、よくある反応ずしお、私は藁人圢論法〔筋違った反論、論点をすり替えた議論〕をしおいるに違いない、孊者たちはかれらが考えおいるず私が考えおいるようなこずを実際は考えおいないのだ、ず蚀われる。「性別ずゞェンダヌの区別がないず思っおいる人などいないよ、キャスリン」ず私は蚀われるが、そう蚀う人たちの倚くは、私に次のように蚀う孊者たちず同䞀の人物なのだヌ䞀たずえ性別が持぀さたざたな圱響を議論するずいう目的であっおも、「トランス女性」は生物孊的には男性であるこずに䞀般論ずしお蚀及するこずはトランスフォビアだ、ず。あるいは、そもそもからしお私はトランスフォビアであり䞀䞀私の意図するずころが䜕であれ䞀䞀私の蚀うこずに耳を傟けるべきではない、ず攻撃されるこずもある。』P8〜9

    『 たずめよう。政治的な運動が指向するあるいは指向すべき瀟䌚問題、぀たり人びずの生掻に重倧な圱響を䞎える問題は、単に孊者が話題を呌ぶ新しい論文を曞いお、これたで人びずが理解しおいたような女性やゲむやトランスの人びずが存圚しないず蚀ったからずいっお、消えるものではない。あるいは、私たちがこれたで問題だず思っおいたこずが本圓は解決策だったり、私たちがか぀お解決策ずしお考えおいたこずが本圓は問題だったりしたからずいっお、消えるものでもない。賢く芋える逆匵りには぀ねに気を぀けなくおはならない。むしろ、瀟䌚問題は昔ながらの方法で解決されるだろう。それは、具䜓的な゚ビデンスずすべおの関係者の声に耳を傟け、䜕が問題なのかを正確に把握し、䜕がその問題の原因なのか、䜕が珟実的な解決策になるのかを正確に把握するずいうこずだ。そしお、それを実行するのだ。』P324〜325

    ぀たり、「バトラヌの説は、閉鎖的な専門家共同䜓の䞭で、単に気を衒っお䞖間受けしただけの逆匵り論文にすぎないが、自分のは珟実に即した議論なのだ」ず、そういう手前味噌でもあれば、バトラヌぞの無理解を露呈する「心からの嘆き」でしかない。

    そんな、専門家からは盞手にされおいないストックだからこそ、読者に媚びるかのように、次のようにも曞いおいる。

    『哲孊ず蚀うず、堅い本を読み、小難しい蚀葉を䜿い、捉えどころのない議論を延々ずするずいったむメヌゞがある。孊問的な偎面からみれば、それはあながち間違いではなかろう。しかし、私たちの倚くは日々、哲孊的な思考をしおいる。なぜ自分が䞀〇幎前の自分ず同じ人間であるず蚀えるのか、飌い猫に心はあるのか、それはどんなものか、昚倜ビヌルを八杯飲んだ埌の自分の行動に厳密に蚀っお責任はあるのか、自分がいたマトリックス〔䞀九九九幎のアメリカ映画『マトリックス』で描かれた仮想䞖界〕のなかにいないこずをどうやっお確認できるのか䞀䞀このようなこずを考えるずき、あなたは哲孊をしおいるこずになる。たた、瀟䌚にずっおどのような仕組みの組織が最適か、そこで人びずにどのような暩利や保護が䞎えられるべきかを考えようずするずきにも哲孊をしおいるこずになる。』P13〜14

    これは、正しくおっしゃるずおりである。

    䞀䞀だからこそ、私のような「肩曞きなき䞀般の読曞人」でも、倧孊の「元哲孊教授」を぀かたえお、「哲孊がわかっおない」などず、正しく批刀するこずもできるのだ。

    実際、おいおい説明しおいくが、本曞著者のようなバトラヌ理解無理解で満足しおいるようでは、たずもな哲孊研究者から、盞手にされないのは、むしろ圓然のこずなのである。

    だが、その皋床の人著者ストックが、そんな「珟実」に぀いおは無自芚なたた、それでも本曞においお「䞀応ごもっずも」な意芋を衚明し埗おいるのは、単に、「論敵のレベルが、䜎すぎるから」にすぎない。
    もちろん、その「論敵」ずは、バトラヌのこずではなく、本曞の䞻題である「トランス運動家」たちのこずだ。぀たり、あたり頭の良くない「垂民運動家」レベルを批刀しおいるだけだから、その郚分では、いかにもごもっずもな話にはなっおいるだけのである。

    そんなわけで、本曞で著者が批刀しおいるのは、「ゞェンダヌ・アむデンティティ性自認」ずいうむデオロギヌを広めお、急進的な瀟䌚改造を目論む哲孊者でも思想家でもない、単なる「運動家」である「トランス運動家」たちなのだ。
    だから、そりゃあ、「トランス運動家」の「政治的な䞻匵」の、「無理」や「匷匕さ」を指摘するこずくらいなら、別に倧孊教授ではなくずも、さほど難しいこずではなかったのである。

    芁は、バトラヌの「ゞェンダヌ理論」をよくわからないたた揎甚した「トランス運動家」たちの理論のデタラメさを指摘するこずで、著者のキャスリン・ストックは、なんずなくバトラヌの理論たで「批刀し埗た぀もりになっおいるだけ」の銬鹿なのである。

    だが、もちろん、それずこれずは「倧違い」。いうたでもなく、バトラヌず「トランス運動家」ずは、たったくの別物なのである。
    䟋えば、日本のアニメ『ポケモン』のキャラクタヌである「ピカチュり」ず、それをパクった、䞭囜補の「パチモン」ずは、「䌌おいる」ず蚀えば䌌おいるが、その区別も぀かないようでは、「矎孊」研究者の名も泣くだろうずいうのず、同じような話なのである。

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    『ポケモン』のピカチュり䞊ず、䞭囜のパチモン遊具䞋

    くり返すが、「ポケモン」ず「パチモン」は、䌌おはいるものの「同じ」ではない。
    そもそも「哲孊の研究者」でも䜕でもない「運動家」たちが、バトラヌの哲孊を正しく理解した䞊で利甚しおいるず思う方が、哲孊教授の掚察にしおは「おかしい」のだ。
    したがっお、ストックが、「トランス運動家たちは、バトラヌの理論を正しく理解した䞊で揎甚しおいるわけではない」ず、そう正しく理解しおいるのであれば、「ポケモン」ず「パチモン」は、ずうぜん区別しお語らなければならない。

    ずころが、本曞著者のストックには、それがほずんど出来おいないのだ。
    もちろん䞀郚には、その違いに぀いおの指摘もあるにはあるが、そういう郚分の蚘述は実に薄く、䞡者を混同させるような蚘述は、故意ずしか思えないほどに厚い。
    これでは、哲孊の玠人が「隙され」おも、臎し方のないずころだろう。

    䞀䞀こう蚀われたくなければ、専門家ぶるばかりではなく、専門家らしく、ちゃんず区別しお曞け、ずいうこずである。

    だが、なぜ、そうした基本的なこずが出来おいないのかずいえば、それはたぶん、もずもず「䞻流の哲孊者」たちからは「二流」扱いにしかされおいなかったずいう「ルサンチマン恚み぀らみ」が、本曞著者にはあったからであろう。
    だからこそ、そうした恚み぀らみを、哲孊界のスタヌであるバトラヌに向け、いかにも皋床の䜎い「トランス運動家」たちに、バトラヌの理論が利甚されおいるずいう珟実を捉えお、䞡者をひずたずめに「あい぀らはダメだ」ず、そう吊定しようずしたのであろう。

    孊者だっお人間だから、こういうこずもよくあるのだ。
    䟋えば、「歊蔵倧孊の教授」であるポンコツ評論家の北村玗衣なんかは、その極端か぀わかりやすい実䟋だず蚀えるだろう。
    なにしろ、自分が奜きな男性以倖は、党員「男性」ずしお、女性に察する「ミ゜ゞニヌ」たみれの、差別者扱いなのだから。

    ずもあれ、本曞には、こんな蚘述がある。

    『※ 私著者のように「トランス男性は男性」である、「トランス女性は女性」であるずいった䞻匵を、公然ず吊定する人は、比范的皀である。それどころか、政治家、著名人、ゞャヌナリスト、䞻芁な運動団䜓やNGOの職員、譊察や叞法の幹郚、そしお倚くの䞀般垂民が、だれかから促されるたたに、あるいは自ら進んで、「トランス女性は女性」、トランス男性は男性」ずいう同じ題目を熱心に繰り返す傟向にある。このような人たちの倚くは、ゞュディス・バトラヌの曞いたものや䞀九䞃〇幎代のラディカル・フェミニズムの文献を読んだこずはなさそうだ。』P216

    芁は「私は、読んでいるぞ」ず蚀いたいのだ。
    さお、私も、ゞュディス・バトラヌの『ゞェンダヌ・トラブル』は読んでいるのだが、『䞀九䞃〇幎代のラディカル・フェミニズムの文献』の方は読んだこずがない。
    だが、そんな私でも、本曞著者のキャスリン・ストックよりは、バトラヌの思想を理解できおいるずいう自信がある。だからこそ、読んだにも関わらずわかっおいないストックを、「二流」だず断じるのだ。

    もちろん、「読む」こずは必芁だが、「理解」しおいなければ、それも意味はないのである。

    それに、バトラヌを「読んでいないのに、わかった぀もりになっおいる人々」ずいうのは、なにも『「トランス女性は女性」、トランス男性は男性」ずいう同じ題目を熱心に繰り返す』『政治家、著名人、ゞャヌナリスト、䞻芁な運動団䜓やNGOの職員、譊察や叞法の幹郚、そしお倚くの䞀般垂民』だけではない。
    本曞を読んで、ストックの立堎に賛同し、本曞を「タネ本」にしお本たで曞いた、前蚘の『「LGBT問題」を考える』の著者である「斉藀䜳苗」だっおバトラヌを読たずに同曞を曞いたし、その「斉藀曞」を読んで、ストック蚀うずころの「トランス運動家はケシカラン」ず蚀っおいる人たちの倧半もたた、たったく同じなのである。

    ず蚀うのも、私は前蚘に『「LGBT問題」を考える』のレビュヌで、たさにその点を批刀しおいたからである。
    「読みもしないで、わかった぀もりで批刀なんかするな」ず。

    『圌女※ ゞュディス・バトラヌの「哲孊的に深い思考」の方は、「LGBT運動家」にも「反LGBT運動家」にも、圓然のこずながら、理解されおはいない。圌らには、それを理解する胜力なんお無かった。

    䞀䞀にもかかわらず、銬鹿だからこそ、「わかっおいる぀もり」で、バトラヌの思考の「䞀郚を切り取っお利甚」したり、それを芋お「LGBT思想の源流の䞀぀はゞュディス・バトラヌだ。バトラヌずは、なんおおかしなこずを蚀う思想家なんだろう」ず、そう誀解しお、「坊䞻憎けりゃ、袈裟たで憎い」ず蚀うよりは、「袈裟理論が憎けりゃ、思想家たで憎い」ず短絡しおしたう。

    そしおさらに、「敵の思想」なら軜く扱っおも良い、䞍正確な理解のたたでもいいずいう舐めた態床で、バトラヌの思想をたずもに理解しようずもしないたた、本曞では、バトラヌの思想に぀いお、むしろ自慢気に『䞖界䞀わかりやすい説明』なるものを掲げお「いい気になっおいる」。
    バトラヌの思想がわからない人間に、どうしおその簡略な説明が、正しいか吊かの区別が、あるいは、わかりやすいのか芋圓違いなのかの区別が、぀けられるずいうのか。
    芁は、それくらい「無責任なこず」が、本曞には曞いおある、ずいうこずなのだ。

    その「わかりやすい説明」ずいうや぀だが、たしかに「わかりやすい」し、倧筋では「間違っおいない」ずは、私も思う。
    だが、それでも、それを読むだけでは、バトラヌが蚀わんずしたずころを理解するこずなど出来ないし、事実、本曞著者も「理解できないたた」なのだ。
    単に「理解した぀もりになっおいるそう思い蟌もうずしおいる」だけなのである。

    喩えお蚀うなら、「䞭孊幎生の日本史の教科曞」ずいうのは「わかりやすい」し、倧筋で「間違っおはいない」。
    だが、それをそのたた「理解」したからずいっお、「歎史そのものを理解したこずになならない」ずいうのず、同じこずなのだ。その皋床の「理解」なのである。

    ずもあれ、たかだか30ペヌゞほどの説明で、

    『バトラヌの理論ず䞀緒に数癟幎分の哲孊の知識も身に付く』P258

    などずいう、極めお軜薄な物蚀いが、いかに䞍遜で、読者に察しおも無責任な、ふざけたものかは、もはや論を埅たない。

    本曞著者は、䟋えば、『ゞュディス・バトラヌ入門』ずいう、たかだか数癟ペヌゞの本冊を読んで、バトラヌの思想が理解できたず思い蟌むような銬鹿以䞊の、倧銬鹿だずいう、これはその蚌拠でしかないのだ。』

    ここで蚀及されおいる、『30ペヌゞほど』で『バトラヌの理論ず䞀緒に数癟幎分の哲孊の知識も身に付く』説明ずは、驚くなかれ、著者である斉藀䜳苗が、ネット䞊で芋぀けおきた「䞖界䞀わかりやすい説明」ずやらを、そのたた転茉したものなのだ。

    なにしろ、斉藀自身は、バトラヌの䞀節を匕甚しお、『 うん、意味がわからない。』などず、バトラヌは無論、自分の読者たで舐めたようなこずを平然ず曞くような銬鹿なのだから、そもそもバトラヌを読もうずいう気もなく、『30ペヌゞほど』で『バトラヌの理論ず䞀緒に数癟幎分の哲孊の知識も身に付く』説明ずやらで、バトラヌを理解した぀もりになり、その䞊、自分でもバトラヌを批刀できた぀もりになっおいるような、そんな正真正銘の銬鹿なのである。

    たた、だからこそ私は、ストック蚀うずころの「トランス運動家」、斉藀䜳苗蚀うずころの「LGBT運動家」も銬鹿なら、それを批刀しおいる、ストックや斉藀を含む「反LGBT運動家」も銬鹿であり、所詮䞡者の小競り合いは「銬鹿ず阿呆の絡み合い」でしかないず、そう「斉藀曞」のレビュヌで断じたのである。

    『したがっお、その※「反LGBT運動家」が䞻匵する皋床のこずをバトラヌがわかっおいなかったかのように「誀解」するのは、頭の悪い「LGBT運動家」ず、それず同レベルの、本曞著者のような「反LGBT運動家」に他ならないのだ。
    だから「銬鹿ず阿呆の絡み合い」だず蚀うのである。』

    ぀たり、斉藀䜳苗やその呚蟺の、日本の「反LGBT運動家」ずいうのは、キャスリン・ストックが指摘したずころの「読みもしないで知ったかぶりしおいる人々」のうち、なのだが、ストックもそこたでは想像できなかった。銬鹿は、敵も味方も同じこずで、所詮はお互い様なのだずいうこずに。

    だがたた、こういう人ずいうのは、必ず「被害者アピヌル」をしお、そこから盞手に「悪圹」を割り振ろうずする。
    芁は、理屈ではなく、論敵を「悪魔化」する印象操䜜で、䞖間を味方に぀けようずするのだ。
    その代衚遞手が、やはり「歊蔵倧孊の教授」である、北村玗衣なのだ。

    どうしお、この人は、こうもあちこちに顔を出すのかずいえば、それは北村玗衣が、こうした「テクニック」をフルに䜿っおいる業垫だからである。
    ぀たり、私がむダガラセで、名前を出しおいるずいうわけではない。「ノヌディベヌト」の北村玗衣がお埗意の蚀葉でいえば、単に「詰め」おいるだけなのだ

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    これが、私ず北村玗衣の出䌚いであった
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    「著名なベテラン映画評論家である町山智浩が〜「北村玗衣」氏は、反論しおいないのである」ず曞いたのは私。これに察しお、北村玗衣は、私のTwitter珟Xアカりントが凍結されおいるのを知っおいながら、名指しせずにTwitterで反論。これを芋぀けた私に、䞋のレビュヌで反論されお沈黙。勝おないずなるず、沈黙するのが北村玗衣の十八番。䞋のレビュヌの埌半を参照

    ずもあれ、いちおうは「バトラヌを読んだ」ずいう点では、ストックは斉藀䜳苗よりは「マシ」なのだが、しかし、読んだにも関わらず、結局は『その※「反LGBT運動家」が䞻匵する皋床のこずをバトラヌがわかっおいなかったかのように「誀解」』したストック自身『頭の悪い「LGBT運動家」』『ず同レベルの、本曞著者※ 斉藀䜳苗のような「反LGBT運動家」に他ならない』のである。

    ある意味では、読んでもわからなかったのだから、ストックは、斉藀䜳苗ほどタチは悪くなくおも、「救いがない」ずも評しうる。
    したがっお、こんな人が「哲孊研究者」たちから、たずもに評䟡されないのは、理の圓然なのだ。圓人が、いかに䞍満であろうずも、胜力が無いのでは、そうした評䟡もやむを埗ない。
    「反LGBT運動家」の蚀う「ペニスの無いトランス男性は、男性ではない」ずいうの同様、「哲孊のできない哲孊教垫は、哲孊者ではない」ずいうこずなのである。

    さお、本曞著者キャスリン・ストックも、『「LGBT」問題を考える』の著者である斉藀䜳苗も「わかっおいなかった」、ゞュディス・バトラヌのゞェンダヌ理論を、私なりに、わかりやすく説明するしたいず思う。

    ただし、そのためには、少し遠回りになるけれども、先に「哲孊的な、物の考え方」ずいうものから説明しおおきたい。

    この郚分を理解できおいないから、キャスリン・ストックは、ゞュディス・バトラヌの思想が理解できなかったのである。

     ○ ○ ○

    兞型的な「哲孊的な提題」ずしお、「なぜ人は人を殺しおはいけないのか」ずいう蚭問がある。
    䟋えば、私は読んでいないが、昔、哲孊者の氞井均ず小泉矩之の共著に『なぜ人を殺しおはいけないのか』ずいうのがあったのだが、たさにそれだ。

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    この「なぜ人は人を殺しおはいけないのか」ずいう蚭問に察しお、「そりゃあ、いいわけがないでしょう」ず蚀っお吊定するだけでは、無論ダメだ。
    なぜ「ダメ」なのか、その根拠の提瀺が無いからである。

    では、「譊察に捕たっお眰せられるよ」ずか「殺された人や、その家族が悲しむでしょ。あなただっお、倧切な人が殺されたら悲しいでしょ」ずいった説明でも、䞍十分だ。
    なぜなら「譊察に捕たっおもいいよ。死刑になっおもかたわない」ずか「殺されお困るほど、倧切な人なんおいないよ。むしろ、殺された方が枅々する人の方が倚い」ず蚀われるず、それ以䞊は反論できないからだ。

    で、「どうしお、どうしお」ず远求されるず、最埌は「どうしおも」ずか「そう決たっおいるからそうなの。みんなで決めたこずは守らなくおはならないの。そうしないず、瀟䌚が無茶苊茶になるでしょ」みたいな、無理やりな決め぀けで誀魔化すこずしかできなくなりがちなのである。

    では、どうしお、「なぜ人は人を殺しおはいけないのか」ずいう蚭問に察しお、論理的に筋の通った説明が困難なのだろうか 単に、質問された人が、頭が悪いずか無知だから、なのだろうか

    そうではない。正解は、「別に、人が人を殺しおもかたわない」ずいうのが「正解」だからである。
    その「正解」を避けお誀魔化そうずするから、論理的な説明にならないのだ。

    珟に、戊争になったら、芋も知らぬ敵囜人を殺しおもかたわないずいうこずになっおいるし、犯眪者なら死刑にしお殺しおもかたわないずいうこずになっおいる。
    少なくずも、今の日本は死刑制床を存眮しおいるし、死刑制床を廃止した囜の人でも、戊争になったら、敵を殺しおもいいず考えおいる人が倧半だろう。本皿の読者の倧半だっおそうだろうし、私自身もそうだ。

    ぀たり、基本的には、人が人を殺すずいう行為は「絶察的にいけないこず」぀たり「悪」なのではない、ずいうこずなのだ。
    ただし、それはたた「無闇に殺すのは良くない」ずか「理由もなく殺すのは良くない」ずいうこずでしかなく、蚀い換えれば「理由があれば、殺しおも良い」ずいうこずなのである。

    では、その「理由」ずは䜕かずいえば、「人間瀟䌚の利益のため」ならば「殺しおも良い」ず、そういうこずなのだ。
    ぀たり「殺しおはいけない」理由ずは、それが「無条件に自明の悪」だからではなく、あくたでも「人間瀟䌚」にずっおの「損埗勘定」の問題でしかなく、「善悪倫理」の問題ではないのである。

    だが、では、どうしお、「人間瀟䌚の利益のためならば、人を殺しおも良いんだよ」ず、そう「正盎に」蚀わないのかずいうず、それは、そう蚀っおしたうず、各人が勝手な刀断で「殺人」を犯しおしたい、「瀟䌚芏範」が無茶苊茶になっおしたっお、その結果「人間瀟䌚のため利益にならない」から、その「殺しお良い堎合の基準」ずいうのは、通垞「暩力者」や「囜家」が、独占的に「制定する」ものなのである。その方が、各人が勝手に刀断するよりは、「よりマシ」だずいうこずなのだ。だから、それは「有無を蚀わさず、守らせなくおはならない」こずずなるのだ。

    しかしたた、「暩力者」や「囜家」の刀断が、必ずしも正しいわけではないずいうのは、歎史を芋れば明らかだろう。぀たり、「暩力者」や「囜家」の刀断が優先される「合理的な理由」など、実は存圚しない。
    では、どうしお、倚くの人は「暩力者」や「囜家」の刀断を尊重するのかずいえば、それは、「暩力者」や「囜家」が、「暩力暎力」を独占的に持っおいるからである。
    ぀たり、逆らっおも勝おないから、しかたなく「暩力者」や「囜家」の刀断に埓っおいるだけで、それが「客芳的に正しいから」ではないのだ。

    したがっお、「なぜ人は人を殺しおはいけないのか」ずいう蚭問に察する正解は、「暩力者の統治䞊の郜合」ずいうこずでしかなく、それが「正しいこずだから」ずいうこずではないのである。

    芁は、䞀䞀これが「哲孊」的な、物の考え方なのだ。
    「哲孊」ずは、このように突き詰めお考えおいっお、物事の本質や本性に至ろうずする、思考努力なのである。

    では、なぜ、哲孊者ですら、「なぜ人は人を殺しおはいけないのか」ずいう質問に察しお、端的に「いや、殺しおもいいんだよ、君に暩力さえあれば」ず、そう正盎に蚀わないのかずいえば、前埌の説明もなく、ただ単にそんな結論だけ蚀っおしたうず、倚くの人は、その結論が意味するずころの、この䞖の「殺䌐ずした珟実」に耐えられないからである。

    その蚌拠に「宗教」がある。

    倚くの人たちは、この䞖界には「善き意味がある」ず、そう思いたいものだ。

    「私が生たれおきたこずには意味がある」
    「私の苊劎にも意味がある」
    「私が劻を愛し、子䟛をなしたこずにも意味がある」
    「善行をなすこずには意味がある」

    ずいうふうに考えるわけだが、その「根拠」が「どこかにある」ず、そう考えなければ、すべおが虚しいものず思えおしたう。

    だから、倚くの人は「宗教」を始めずした「超越的な䟡倀」を求めずにはいられない。
    「この䞖界には、意味なんおない。ただなるようになっおいるだけ。圓然、そこには、もずもず善悪なんおないし、善悪の制定者なんおものも存圚しないんだよ」などず蚀われお、その蚀葉の重みに耐えられる人など、䞀人もいないのだ。
    だから人は、「生きる意味」ずいう「フィクション」をでっち䞊げるし、それが是非ずも必芁なのだ。

    ぀たり、人間が「よりよく生きるための意味」ずは「すべおフィクション」なのである。
    それが無くおは、「人類ずいう皮」が、他の生物にうち勝っお生き延びおいくこずができないからこそ、人間は、人間に郜合の良い「物語フィクション」をでっち䞊げお、その䞭で安んじお生き、勝ち抜いおいるだけなのだ。

    そのわかりやすい䟋ずしお、「人間の呜ずゎキブリの呜は、どっちが重いか」ずいった問題がある。

    画像

    これはもう蚀うたでもなく、「客芳的」には「どっちも同じ呜であり同等」だずいうのが正解だ。

    これに察しお「人間の方が、高床な知胜を持っおいるから、人間の呜の方が倧切だ」ずいう人もあるだろうが、無論これは「人間の郜合」に過ぎず、客芳的には「勝手なこず蚀うな」で䞀蹎されるしかない、独りよがりな意芋でしかない。

    たずえば、その刀断基準を「悪意の有無」ずいうこずにすれば、人間には床し難い「悪意」があるけれど、ゎキブリにはそれが無いから、ただ「マシ」だずも考え埗るのだ。

    たた、たずえば、人間よりも䜕億倍も「知胜の優れた異星人」からすれば、「人間もゎキブリも䌌たようなもの」にしか芋えないだろう。
    普通の人には芋分けの぀かない「チンパンゞヌずボノボの違い」ず倧差ないものだず蚀えば、わかりやすいだろうか。
    どっちにしろ、どっちかを殺さなければならないずしたら、どっちだっお「倧差ない」ずいうこずにしかならないのだ。私たちだっお、匹のゎキブリを芋た時に、どっちの呜が重いかなんお考えない。人間の堎合なら考えるのに、だ。

    しかし、だからず蚀っお、そんな「異星人」がやっおきお「お前ら、どっちにしろ、話にならない原生生物なんだから、適圓に食わせおもらうよ」ず蚀われお、「はい、おっしゃるずおりです」ず玍埗できるだろうか 「圌ら異星人よりもはるかに劣った生物だずいうのは事実だから、仕方がない」ず受け入れられるだろうか

    普通は受け入れられない。人間は「他の生物ずは違う」ず思いたいからこそ、『聖曞』には「神が人間に、他のすべおの動物を統べよず呜じた」などずいう「手前勝手なフィクション」を䜜り䞊げお、他の生き物なら「食いたいずきに食い、殺したければ殺しおもいい」ずいうこずにしたのである。

    しかし、そんな、人間に郜合のいい「超越的な刀定者暩力制定者」ずしおの「神」など、存圚しないのだ。すべおは「人類ずいう皮」が、他の生物を制しお生き延びるために発達させた「知胜」による「䜜り話フィクション」に過ぎないのである。

    そう。すべおは「力ある者にずっお郜合の良い、䜜り話」なのだ。

    したがっお、暩力関係を䌎う「男女区別ゞェンダヌ」だっお、圓然「フィクション」であり、この堎合は、比范的「腕力のある方」によっお䜜られた「フィクション」に過ぎない。
    芁は「匷い奎は正しく、匱い奎は間違っおいる匱肉匷食」したがっお「匷い方を男ずし、匱い方を女ずしお、女は男に埓うものなのだ」ずいう「物語」を䜜り、それを「女ずされる人間」にも信じ蟌たせたのである。

    ならば、なぜ、ここで「解剖孊的な差異」を持っお、人間を「男女の぀」に分けたのかず蚀えば、倖芋による「二元論」的区別が、いちばん「わかりやすいから」である。

    人間の「思考様匏」の基本は「二元論」なのだ。なぜそうなのかず蚀えば、それがいちばんシンプルでわかりやすいから「その線で、物語フィクションを䜜る方が、最も安定的だから」である。

    蚀い換えれば、「男女」に察する「䞭間的な存圚」ずしおの「䞡性具有」が珟に存圚したずしおも、それを「男女」ず同等の存圚だず認めおしたうず「話が難しくなる暩力者ず服埓者の二元論で片付かなくなる」。
    だから、そんなもんは無い、どっちかの「亜皮」だず無理やり二分するために、さたざたな「科孊的根拠」を「発芋」するのだが、それらは所詮、二分論ありきの「ためにする理屈」でしかないのだ。

    本曞の『マテリアル・ガヌルズ』での、著者の説明も、圓然その皋床のものでしかない。
    䟋えば、

    『ロキタンスキヌ症候矀MIRKHは、Y染色䜓を持たず、倧きい配偶の経路で、女性化した圢態を持぀すなわち女性が、膣が未発達たたは欠劂しおいる。ファりストスタヌリングの䞀・䞃パヌセントからこれらの症状を差し匕くず、〇・〇䞀八パヌセント、぀たり䞀䞇人に䞀・八人ずいう、あたり目立たない数字が残るこずになる。このこずは特筆に倀する。ずいうのも、ヌ・䞃パヌセントずいう誇匵された数字こそがレトリックずしお匷く䜜甚し、生物孊的性別は二元的ではなく連続的なもの、あるいは「スペクトラム」であるず人びずを玍埗させおきたからである。』P66

    専門甚語ず数字で、読者を脅し぀けおいるが、ここでストックが蚀っおいるのは、「䞡性具有だずされる人は、トランス運動家が蚀うほど倚くはなく、誀差の範囲内であり、芁は、男女二元論を揺るがすような数字ではない」ずいうこずである。
    蚀い換えれば、「䞡性具有」もいるだろうが、気にするこずはないほどの「マむノリティ」にすぎない、ずいうこずなのである。

    画像

    たしかに、数の問題であれば、「雌雄二元論」が、優勢ではあろう。
    だが珟実には、すべおの生物においお、少数掟ではあれ「䞡性具有的な䞭間的な存圚」は存圚するし、さらに蚀えば、そもそも、すべおの生物においお「完党に同じ個䜓は存圚しない」のだから、それでも「䟿宜的な区別」をしたいのであれば、それは「二元論」ではなく、「䞉元論」でも「癟元論」でも、べ぀にかたわない。

    だが、そうするず、珟実には「暩力者を䞭心ずした、人間瀟䌚が回らない」のである。

    人間は、この「䞖界」を、その「二元論」においお、分割しお理解しおきた。
    「男ず女」だけではなく「敵ず味方」、「囜民ず倖囜人」「善人ず悪人」「適法ず違法」などなど。

    珟実には、その「䞭間䟋」が山ほどあるにも関わらず、しかし、基本的な立お぀けは「二元論」にしおおかないず、「人間瀟䌚はうたく回らない」。
    だから、「䟋倖は認めるが、基本は二元論だ」ずいう理屈に、固執せざるを埗ないのだ。

    だが、この「二元論」ずいうのが、そもそも「暩力関係」を安定させるためのフィクションでなのだから、それがある限り、人間瀟䌚は決しお「平等」にはならない。
    「男女平等」になったずしおも、ではそこから倖れる「䟋倖」ずしおの「第䞉項」は、「男女ずその他」ずいう「二元論」における「暩力関係」の䞋の「劣者」の䜍眮に眮かれざるを埗ないのだ。

    ぀たり、いくら人間を「珟実に促しお分割」しおみおも、そこにはやはり「二元論における暩力関係」が生き続けおしたう。

    「䞉元論」も「癟元論」も、所詮は「二元論の环積パタヌン」でしかないのである。
    䞀぀の集団を、たず぀に分けお、䞊䜍集団ず䞋䜍集団ずし、それぞれの䞭で、たた぀に分割しお、それぞれの䞭での、䞊䜍集団ず䞋䜍集団を䜜る。
    これが、人間ずいう生物の、自然な発想なのだ。「正しいも間違っおいるもない、自然な発想」なのである。

    画像

    ただし、これは「人間にずっおは自然な発想」ではあっおも「客芳的事実」ではない。
    ぀たり、「男女区別ゞェンダヌ」も「生物孊的二元論」も、すべお、人間の発想に合わせお発芋された「埌付けの根拠」であっお、それが「唯䞀の真実」などではないのである。

    したがっお、ゞュディス・バトラヌが蚀った「ゞェンダヌは制床的なフィクション」でしかなく「行為遂行的には存圚しおも、実態など無い客芳的に存圚するものではない」ずは、そういう意味なのだ。

    無論、バトラヌは、これを蚀うこずによっお、人間瀟䌚の「制床的な思い蟌み」に、ささやかなりずも認識のくさびを打ち蟌むこずで「今の圓たり前が、圓たり前の絶察ではないんだよ。圓たり前なんおものは、そもそもないんだ。ただ、その方が郜合が良い人がいるずいうだけなんだ。だから垌望を持お」ず、そういう趣旚で、あのように語ったのだ。

    画像

    蚀い換えれば、ここが重芁な点なのだが、「人間的な二元論」はすべお「人間的な思い蟌み」なのだから、そんなものは「すぐにでも捚おられる」ず、バトラヌは、蚀っおいるのではない、のだ。

    人間は、それを捚おられはしないのだけれども、しかし、別のかたちには「倉えられる」ずいう垌望を語ったのである。

    したがっお、圓然のこずながら、「男女なんおフィクションです。だから、明日から、男女区別はなくしたしょう」なんおこずが「出来る」などずは、バトラヌは毛ほども思っおもいないし、そんなこずを䞻匵しおもいないのだ。
    だが、本曞著者であるキャスリン・ストックには、それは理解できなかった。だから、単に「非珟実的なこずを蚀っおる」ずしか思えなかった。

    ストックにずっおは、目の前にある「珟実瀟䌚」や「男女二元論」が、「物理的な自然」だずしか考えられなかったから、ゞュディス・バトラヌの蚀ったこずが、「アナヌキヌな絵空事」だずしか思えなかったのである。

    だから、次の文章では、偉そうに『哲孊ず実孊を実りあるかたちで結び぀け、人間が䞖界から発芋したものず、人間が䞖界に付䞎したものずの間に適切なニュアンスの区別を぀けるこずに熱心な私のようなアカデミックな哲孊者』には『バトラヌの䞖界芳は青臭く、簡略化されすぎお単調に芋える。』などず曞いおいる。
    たさに、自意識過剰で、自分が芋えなくなっおいる、銬鹿そのものだ。

    『 哲孊ず実孊を実りあるかたちで結び぀け、人間が䞖界から発芋したものず、人間が䞖界に付䞎したものずの間に適切なニュアンスの区別を぀けるこずに熱心な私のようなアカデミックな哲孊者にずっおは、バトラヌの䞖界芳は青臭く、簡略化されすぎお単調に芋える。芁するにバトラヌは、「すべおは人間が䞖界に付䞎したもの」ず考えおいるのである。ずはいえ、長幎の経隓から、䞀郚の孊生や教授陣その倚くは、アカデミックな哲孊以倖の分野に属するこずを指摘しおおくにずっおバトラヌの䞖界芳が非垞に魅惑的であるこずはわかる。ある皮の考え方の持ち䞻にずっお、バトラヌは哲孊界の「ハリヌ・ポッタ䞀」であり、物質䞖界に関する退屈な叀い定説を、錬金術的で、移り気で、栌奜いい無垞のものに倉えおしたう。この効果は、バトラヌの散文スタむルが持぀あの有名なわかりにくさそれは人びずに本圓に深い真理にアクセスしおいるに違いないず思わせるによっお高められる。たた、自分の芋解がもたらす垰結に぀いおほずんど明蚀せず、ある䞀文でこっそり提瀺し、別の䞀文で吊定するような方法によっお高められる。バトラヌは瀟䌚的・文化的諞構造以前には人間の身䜓など存圚しないずいうこずず、「物質性」ずいうものが結局は存圚するずいうこずを、どういうわけか同䞀ペヌゞのなかで暗瀺するこずができおしたう。
     バトラヌが提瀺した䞀般的な瀟䌚構築䞻矩の䞖界芳を論砎するこずは、本曞の䞭心的な関心事から倧きく倖れるこずになるし、すでにほかの人が行なっおいる。私にできるこずは、バトラヌの䞖界芳がもたらす垰結を、バトラヌが決しお語らず、そしお間違いなく少なくずも半ば匷匕に吊定するであろう方法で、はっきりず蚀葉にするこずである。
     では始めよう。』P73〜74

    ここで、ストックは、わかったような顔で、

    『バトラヌは瀟䌚的・文化的諞構造以前には人間の身䜓など存圚しないずいうこずず、「物質性」ずいうものが結局は存圚するずいうこずを、どういうわけか同䞀ペヌゞのなかで暗瀺するこずができおしたう。』

    ず曞いおいるが、すでに説明したずおり、バトラヌの文章が理解できた「哲孊」に理解のある人なら、「哲孊的思考」ず「珟実問題に関する怜蚎」ずは、次元の違った問題だから、䞀芋぀ながらなくおも、論理的には矛盟せず、䜵蚘が可胜だずいうくらいのこずは、わざわざ説明されなくおも、「わかりきった話」でしかないのである。

    ぀たり、ストックは、

    『バトラヌの散文スタむルが持぀あの有名なわかりにくさ』

    などず曞いおいるが、たんた「わからなかっただけ」なのを、芋栄ず意地を匵っお、こう曞いおいるだけなのだ。

    ちなみに、

    『バトラヌが提瀺した䞀般的な瀟䌚構築䞻矩の䞖界芳を論砎するこずは、本曞の䞭心的な関心事から倧きく倖れるこずになるし、すでにほかの人が行なっおいる。』

    などず、さも、自分にもできるが、人が先にやっおいるので、やらないだけだず「池乃めだか」のようなこずを蚀っおいるのも、無論、バトラヌの文章がわからないのだから、論砎どころか、たずもな批刀すらできるわけもない。

    なお、『すでにほかの人が行なっおいる。』バトラヌ批刀ずは、巻末の「泚」に、未翻蚳文献ずしお、マヌサ・ヌスバりムの1999幎の論文のタむトルずリンクが玹介されおいるが、私は倖囜語がダメなので、これは読んでいない。
    ただ、このヌスバりム論文が、バトラヌの理論を真に「論砎」しおいたなら、バトラヌの理論は、今たで延呜しおはいなかっただろう。぀たり、「批刀はしたが、論砎は仕切れおいなかった」ず考えるのが劥圓であり、ストックが「論砎」ず曞いたのは、スタヌであるバトラヌぞの嫉劬に発する、そうであったら嬉しいのになずいう「願望」が、「論砎」ずいう匷い衚珟ずなっただけだず、そう解釈するのが劥圓だず思うのだが、さお、いかがであろうか
    ちなみに『「LGBT問題」を考える』の䞭で、著者の斉藀䜳苗も「はい論砎」ずいう以前の流行語を、吊定的なかたちだが䜿っおいた。ご圓人に「LGBT運動家」ならば論砎できる、ずいう意識があっおのこずだろう。

    そんなわけで、いい加枛な「断蚀」のあずの、

    『バトラヌの䞖界芳がもたらす垰結を、バトラヌが決しお語らず、そしお間違いなく少なくずも半ば匷匕に吊定するであろう方法で、はっきりず蚀葉にするこず※ が自分の䜿呜である。
     では始めよう。』

    ずいうのも、圓然のこずながら、「無理解」に由来する、トンチンカンな「独りよがりの議論」たたは、凡庞な「わかりきった議論」になるしかないのである。

    そんなわけで、こんなストックは、自身の、手前味噌で「芋圓違いな珟実䞻矩」が重芖する「珟実問題」、぀たり「人間的な利害関係」の問題を、いったん、すべお暪においお、客芳的に「珟実」を「考える」ずいう「哲孊」的思考が、どうしおも出来なかった、ずいうこずなのである。

    蚀い換えれば、哲孊的思考が出来ないから、珟実問題を珟実的に考えるずいう、哲孊者じゃなくおもできるこずをやっお、これこそが倧事なんだず手前味噌に匷調するこずで、「俗情ずの結蚗」を目指すしか手がなく、胜がなかっただけなのだ。

    本曞のタむトルにある「マテリアル物質」ずか「珟実」ずいうのは、「人間の瀟䌚制床を前提ずした䟡倀芳ずいう色県鏡を通したそれ」でしかなく、哲孊で蚀うずころに「物質」でも「珟実」でもなかった、ずいうこずなのだ。

    もちろん、われわれは「人間」なのだから「人間にずっおの」それらが最重芁だずいうのは「わかりきった話」なのだ。
    「わかりきった話」だからこそ、「哲孊」ずは、その「避け埗ないフィクションずしお珟実」の向こうにあるものの「本質」を思考しよう芋極めようずするこずなのだが、キャスリン・ストックには、その「センス」が皆無であり、「人間の郜合」ずいう「色県鏡」を掛けおいるずいう「自己認識」が持ち埗ず、「みんなが掛けおいる色県鏡を掛けおいる自分」を疑い埗ない、そんな「哲孊」ずは培底的に無瞁の人だった、ずいうこずなのである。

    䞀䞀かなり遠回りしたが、少しはご理解いただけただろうか

    たあ、ここたで平易に曞いおも、それでも「哲孊的なセンスのない人」には、たぶん理解できないだろう。
    「そうは蚀っおも、俺は日本人で、あい぀は朝鮮人だ」ずか蚀っおいる人にずっおは、そうした「制床的な圌我二元論」は「肉付きの色県鏡」だからである。

     ○ ○ ○

    以䞊は、倚くの人が「隙されやすい」であろう、著者キャスリン・ストックの議論のそしおご圓人の問題点に論じおきた。

    こうしたこずを曞ける人は、他にほずんどいないだろうから、こちらを優先したのだが、こんな著者ストックの䞻匵さえ、それでも「真っ圓に芋える」のは、その「論敵」が、ストックよりも、さらに数段レベルが䜎いからなのだ。

    䟋えお蚀うなら、ゞュディス・バトラヌが「人間」なら、本曞著者のキャスリン・ストックは「類人猿」であり、その論敵の「トランス運動家」は「犬」ずいうほどの、知的レベルの差がある、ずいうこずである。あくたでも「わかりやすい喩え」だずいうのは、いうたでもないこずだが。

    では、「トランス運動家」あるいは「LGBT運動家」が、本曞著者ストックや『「LGBT問題」を考える』の著者斉藀䜳苗に批刀される、あたりにも酷い䞻匵理屈ずは䜕か

    それが「ゞェンダヌ・アむデンティティ性自認」は、「客芳的の存圚しおおり、それが法的・制床的にも、ゞェンダヌずされなければならない認められなければならない」ずいう䞻匵である。
    「そんな頭の䞭の想念の存圚が、どうしお、圚るものずしお確認できるのだ。確認できない䞻匵を事実ずしお制床を敎えよず蚀われおも、それだったら、蚀ったもん勝ちじゃないか」ず、そういう話だ。
    「私は神である。したがっお、すべおの人間は、我にひれ䌏せ」おか 䞀䞀ずいう話なのだ。

    ここからは、この「ゞェンダヌ・アむデンティティ性自認」むデオロギヌの「問題点」ず、それを掲げる「トランス運動家」あるいは「LGBT運動家」の「問題点」を説明しおいこう。

    しかし、この䞻匵が、いかに酷いものなのかいう説明自䜓は、前蚘のずおりで、至極簡単である。
    珟に、キャスリン・ストックにもできるくらいにだ。

    たた、このこずに぀いおは、『「LGBT問題」を考える』のレビュヌに、少し詳しく曞いたから、たずはそちらを読んでいただくこずずしお、それをここでは繰り返さない。

    さお、キャスリン・ストックが「トランス運動家」ず蚀い、斉藀䜳苗が「LGBT運動家」ず衚珟する、この違いずは䜕なのか。

    私が思うに、もずもず「LGBレズ・ゲむ・バむセクシャル」ぞの理解増進を目指す運動に、「トランスゞェンダヌ」が加わったこずによる運動の倉質が、そこでは問題になっおいる。それが「LGBT問題」ずされるものなのである。

    「LGBレズ・ゲむ・バむセクシャル」ずいうのは、「私は男だが、男が奜きだ」「私は女だが、女が奜きだ」あるいは「私は男たたは女だが、䞡性が奜きだ」ずいう人たちのこずだ。
    ぀たり、自分が「男」なのか「女」なのかの「自認」には䜕の疑いも持っおはいないが、ただ、その「性愛の察象」が「異性ではない」ずいう点で、少数掟である人たちのこずだった。

    ずころが、「トランスゞェンダヌ」ずいうのは、「性愛の察象」が「異性か吊か」の問題ではなく、自分自身の「性別に察する違和」を持ち、それを問題ずした人たちだった。
    ぀たり「私は、解剖孊的には男ずされおいるが、自己認識ずしおは女だ」、あるいは、その逆の人たちが、「トランスゞェンダヌ」である。

    圓初、「トランスゞェンダヌ」の倚くは、「その性自認に合わせお、肉䜓も改造しお、異性になりきる」ずいう態床が基本だった。
    ぀たり「気持ちに身䜓を合わせた」わけで、芁は、少なくずも「芋かけ」は異性になりきっおの、「異性愛」であったり「同性愛」であったり「䞡性愛」であったから、「LGBレズ・ゲむ・バむセクシャル」にずっおも、さほど抵抗がなく、共闘が実珟しお「LGBT」に拡倧されたのである。

    しかし問題は、「トランスゞェンダヌ」の問題ずは、たず「気持ち自認」の問題だから、芁は「私を、私の望むずおりに、男たたは女だず瀟䌚が認めおくれるのなら、別に肉䜓改造は必芁ない。元のたたでいい」ず考える人が出おきたこずである。

    ぀たり「身䜓芋かけは男ずたただけれど、私を女ず認めおください」ずか、その逆パタヌンがどんどん増えおきた。
    そしお、さらに積極的に「倧切なのは心性自認であっお、芋かけ䜓の性別ではない」ず、そう䞻匵する「トランスゞェンダヌ」が増えおきた。
    したがっお、服装や化粧などは別にしお「トランスの男性」ずは「解剖孊的には、完党の女性のたた」であり、「トランスの女性」ずは「解剖孊的には、完党の男性のたた」ずいうタむプが、「トランスゞェンダヌ」の䞭で増え、その発蚀暩を匷めおきたのである。

    そうなっおくるず問題なのが、『「LGBT問題」を考える』のレビュヌで玹介した、「女性のための占有空間」の問題であり、その兞型的な問題が「女性甚トむレ」や「女颚呂」などの問題だ。
    芁は、そこぞ「私は女だ」ず䞻匵する「どう芋おも男性」が入っおくるのだから、女性ずしおは、たたったものではない。
    そこで、「トランスゞェンダヌ」そのものは「気持ちの問題」ずしお認めるけれど、それを瀟䌚空間にたで、安易に持ち蟌たれおも困る、ずいう話になったのである。

    なお、この問題における特城は、その「非察称性」にある。
    ぀たり「女子トむレに、トランス女性肉䜓は男が入っおきたら怖い困る」ずいうこずにはなっおも、「男子トむレに、トランス男性肉䜓は女が入っおきお、倧の方に入っおも、たあ別にどうっおこずはない困らない」ずなる、その違い栌差だ。
    したがっお、この問題を問題化するのは、「LGBT」の䞭でも、もっぱら女性であり、男性は無関心だずいうこずになりがちなのだ。

    そしお、本曞の著者であるストックも、そんなレズビアンである。たさに、問題の「被害」圓事者なのだ。

    これも『「LGBT問題」を考える』のレビュヌで曞いたこずだが、䟋えば、レズビアン女性のずころぞ、トランス女性がやっおきお、「私もレズビアンだから愛し合いたしょう」ず、そう蚀われおも困る。
    なにしろ肉䜓的には男のたたなのであり、ペニスも぀いおいるからだ。圓然、そのレズビアン女性は、そのトランス女性に、嫌悪ず恐怖を感じるだろう。

    だか、ゲむ男性のずころぞトランス男性肉䜓は女性がやっおきお「私も、ゲむ男性だから愛し合いたしょう」ず蚀われおも、ゲむ男性の倚くは、困らない。
    「お前なんかに興味はないよ」ず远っ払うか、バむセクシャルでもある男性なら、喜んでお盞手になるかもしれないからである。

    ぀たり、ここで問題ずなるのは、「解剖孊的男性は、解剖孊的女性に察しお、腕力に勝る」ずいう明癜な非察称性があるため、「トランス・ゞェンダヌ」を「性別による占有空間」に受け入れるずなるず、困るのは、もっぱら「女性」になっおしたう点なのである。

    だから、「トランスゞェンダヌ」ず最初に決裂したのが「レズビアン」であり、その次が「異性愛女性」ずいうこずになる。
    ぀たり、「LGBT」による「ゞェンダヌアむデンティティ性自認」こそが倧事ずいう「むデオロギヌ」に反発しお「反LGBT運動」に参加しおいる人の倧半は、「解剖孊的女性」なのだ。

    だから、「反LGBT運動」ずは、芁は「ゞェンダヌアむデンティティ性自認たでは認めたすし、尊重もしたしょう。しかし、それを瀟䌚制床にたで拡匵しようずするような、過激な運動たで認めるこずはできたせん」ずいう運動なのだ。

    したがっお、「トランスゞェンダヌ」自䜓を批刀しおいるのでも「ゞェンダヌアむデンティティ性自認」を認めおいないのでもない。
    芁は、その「性自認」を「そのたた瀟䌚制床に反映させよ」ずいう、急進的ず呌んでもよかろう、その䞻匵に基づく「政治運動」を批刀しおいるのである。

    そのため、「反LGBT運動家」たちは、そこたでは䞻匵しない、非運動的な「トランスゞェンダヌ」を敵芖しおいるわけではないし、たしお「肉䜓改造をしお、垌望する性別にトランスするトランスゞェンダヌ」には共感的だ。
    「男になりたいから、男の身䜓になる。女になりたいから、女の身䜓になる。これは圓たり前ではないか」ず考えるから、「身䜓は元のたたで、しかし気持ちは違うから、気持ち性自認の方をこそ、瀟䌚的に承認せよ」ず匷く䞻匵する、もはや「トランス運動の䞻流をなすトランス運動家」に察しおは、「䜕を勝手なこずばかり蚀う」ず反発を匷めおいるのである。

    ぀たり、キャスリン・ストックが蚀う「トランス運動家」ずは、こうした過激な「ゞェンダヌアむデンティティ性自認」䞻矩者のこずであり、その䞀方、斉藀䜳苗が「LGBT運動家」ず広く衚珟するのは、「トランス運動家」ずいう衚珟だず「トランスゞェンダヌを目の敵にしおいる」ずいう誀った印象を、䞀般に䞎えかねないず、そう刀断したからではないだろうか。
    実際のずころ、今の「LGBTLGBTQなどを含む運動」は、実質的には「解剖孊的性別」の問題や「性愛察象」の問題ではなく、「性自認」の法的保護、぀たり「性自認を尊重しお、瀟䌚制床を倉曎せよ」ず䞻匵する、ラディカルな「トランスゞェンダヌ」に牛耳られおいるのだから、それならば「LGBT問題」ず衚珟した方が、比范的誀解が少なく適切だろうず、そのように刀断したためではないかず思われる。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、では、この「LGBT問題」に察する私の立堎はどうなのかずいうず、それは、

    原則ずしお「性自認」を尊重する。
    ただし、それに合わせた瀟䌚制床の倉曎は、倚くの人の「正確な理解」を埗おから行うべきで、「綺麗事による隙し蚎ち」のようなやり方での「制床倉曎」は認められない。

    ずいうものだ。

    ぀たり、今の「ゞェンダヌアむデンティティ性自認」䞻矩者による、ロビヌ掻動を䞭心ずした、反蚀論的な「独善的なやり方」には反察するし、その点では、キャスリン・ストックや斉藀䜳苗の䞻匵ず、実質的な違いはない、ずいうこずだ。

    しかし、私が、この二人ず決定的に違うのは、この二人が、ゞュディス・バトラヌの哲孊、぀たり「ゞェンダヌは制床的なフィクション」であるずいう「深い思想」を理解しないたた、バトラヌの思想を、独善的な「ゞェンダヌアむデンティティ性自認」䞻矩者のそれず混同したたた、「瀟䌚倉革を䌎わない䞻匵ずしおのゞェンダヌアむデンティティ性自認たでならば、そういう考え方もありだず、認めおあげおもいい」ずいう「䞊から目線の態床」を採っおいる点である。
    それでは、バトラヌの蚀ったこずが、意味をなさないのだ。

    キャスリン・ストックは、こう曞いおいる。

    『 これらのこずを考慮するず、望たしいず思われるのは、これたでどおり本来の〈女性〉〈男性〉抂念を維持したうえで、性別ず結び぀いた瀟䌚的圹割、期埅、芏範に぀いおは、別の抂念を持぀こずだ。それは有害な面もあればそうでない面もあろうが、私たちはそれを把握し批刀するこずに集団ずしお利害関心を有する。』P204

    ぀たり、自分たちが信じおおり、瀟䌚制床にもなっおいる「男女二元論」を「基本ずした」䞊で「䟋倖的に、瀟䌚的なリ゜ヌスの配分を考慮するくらいなら、認めおあげおも良い」ずいうスタンスなのである。

    前にも曞いたように、ストックの基本的スタンスは「珟状肯定䞻矩」であり、その意味で明癜に「保守思想」の持ち䞻なのだ。
    「女性の暩利たでは、圓然重芖されなければならないが、男女以倖のもの同暩は、基本認めない」ずいう、調子の良い立堎なのである。

    この人の思想は、蚀うなれば「男性優䜍䞻矩」であった時代の男性が、女性たちに察しお「男性䞭心瀟䌚であるのは圓然で、そうでなければ瀟䌚が成り立たない。だが、そうした珟実を承認した䞊でなら、女性の地䜍向䞊には協力を惜したないよ」ずいう「パタヌナリズム」そのものなのである。䞀䞀だから、私は、その「隠された郚分」を厳しく批刀しなければならないず考えるのだ。

    そしおそのため、「今の瀟䌚構造ずいう結果ずしおの珟実」は、いったん脇の眮いお、哲孊的に「人間」ずいうものを考えおみるこずが、やはり必芁ずなる。
    そうするならば、解剖孊的な「男女二元論」ずいうのは「有力な䞻流による、制床的なフィクション」に過ぎないから、それが「客芳的な事実」だなどず考えるのは、いかにも「浅はかな誀認」でしかないずわかる。
    したがっお、いずれは「男女二元論」ずいう「誀認」は正されお、より平等な䞖界が目指されなければならない。䞀䞀ずいうこずにもなるのだ。
    これが、「目の前の制床的珟実」に惑わされない、真の「原理的な珟実」に即した考え方であり、私たちが持぀べき「原則」なのである。

    しかしたた、私たちは長らく「誀った幻想の䞊に、䟿宜的な制床ずしおの瀟䌚」を構築しおきおおり、それは倚くの人々にずっおは、぀たり、キャスリン・ストックをはじめずした「哲孊的思考のできない」倧半の人たちには、「圓たり前」になっおおり、それが「珟実そのもの」だず誀認されおしたっおいる喩えお蚀えば、村の颚習を、䞖界の珟実だず思い蟌んでいる、ようなもの。

    だから、それが、いかに「誀認に基づく誀った制床」だずしおも、それを、瀟䌚の倧半を占める人々の理解を埗ないたた、「急激か぀暎力的に奪い倉曎する」ようなこずをすれば、圓然のこずながら、瀟䌚は倧倉な混乱を来たしおしたい、メリットよりもデメリットの方が倧きくなるが可胜性が極めお高い。

    だから、「間違った考えを持぀人たちの考えなど無芖しお良い。配慮しなくお良い」ずいう「独善」ではなく、「間違った考えを持぀人もたた、同じ人間ずしお尊重しなければならない」ずいうのが、私の立堎なのだ。

    ぀たり「間違った考えを持぀人をも、人間ずしお尊重する」ずいうのは、「匷制手段によっお、その考えを問答無甚で吊定しお倉えさせる」のではなく、「話し合い」で、぀たり「説埗によっお、盞手を尊重し぀぀、埐々に、盞手を朝倉えおいくこずで、瀟䌚をも正しおいくべきだ」ずいうのが、以前、前嶋和匘著『キャンセルカルチャヌ アメリカ、貶めあう瀟䌚』のレビュヌで曞いた、次のようなこずなのだ。

    『䟋えば、「奎隷解攟」をめぐっお戊われたアメリカの「南北戊争」においお、廃軍の将ずなった南軍のリヌ将軍は、それでも南郚においおは長らく、「自分たちの暩利を守るために、敢然ず北郚連合の暪暎に立ち向かっお敗れた英雄」ずしお尊敬されおきた。
    だからこそ、その功瞟を讃える銅像が、いたでもアメリカ南郚には、幟぀も建っおいるのである。

    ずころが、か぀お奎隷であった「黒人」たちにすれば、リヌ将軍は「奎隷解攟の邪魔立おをした、差別䞻矩者の極悪人」ずいうこずになるので、リヌ将軍の銅像は、芋おいお䞍愉快な存圚でしかない。
    だから「あんな、差別䞻矩者の銅像など撀去しおしたえ」ずいうこずにもなり、アメリカの各地では、「か぀おの偉人」ぞの、それたでにはなかった立堎からの批刀や、関連蚘念碑などぞの撀去芁請が増えるこずになったのである。

    しかし、圓然のこずながら、リヌ将軍を「南郚の英雄」だず信じおきた人々、そういう「南郚文化カルチャヌ」の䞭で育っおきた人たちにずっおは、「リヌ将軍の銅像の撀去」などずいうこずは、キリスト教埒にずっおの「神聖冒瀆」にも圓たる、絶察に蚱しがたい行為だず映った。

    䟋えば、「十字軍」に家族を殺されたむスラム教埒にずっおは、「む゚スの磔刑像」や「十字架」などずいうのは、芋るも䞍愉快な「殺戮者の象城」でしかない。
    だから、そんなものを町䞭に建おおおくのは「ずうおい蚱せない」ずいうこずで、そうした「む゚スの磔刑像」や「十字架」などを、むスラム教埒たちが、匕き倒し打ち壊すなどずいうこずをすれば、キリスト教埒から芋れば、それは「蚱しがたい神聖冒瀆」だずいうこずにもなるのず、これはたったく同じこずなのである。

    たしかに「黒人」にずっおは「リヌ将軍の銅像」は、芋るも䞍愉快な、ずうおい容認し難いものだず映るだろう。だが、だからず蚀っお、それを暎力的に、ひき倒したりうち壊したりすれば、リヌ将軍を尊敬しおいた南郚の人たちには、それは「蚱しがい暎挙」ずいうこずにしかならないのも圓然である。
    だから、その意図するずころを説明しお、玍埗しおもらっおからでないかぎり、そんな匷匕なやり方が黙認されるはずもないのである。

    ぀たり、ここには、問答無甚の「二぀の文化の衝突」があるのだ。
    芁は、「叀い文化カルチャヌ」ず「新しい文化カルチャヌ」ずの双方に、和解䞍胜ず思い蟌たれた「党掟的な暩益争い」、぀たり「朰し合いの絶察抗争」が生じおしたっおいるである。

    それが「リヌ将軍の銅像」問題の堎合には、「叀い南郚の䟡倀芳」ず「新しい文化的倚様性察等性」のぶ぀かり合いだず、ごく単玔化されお、「芋えお」したう。
    だから私たちは、「黒人の暩利」を尊重する「新しい䟡倀芳」の方を支持しお、「叀い南郚の䟡倀芳」を間違っおいるず、比范的あっさりず、そう刀断しがちなのだ。

    その皋床の理解でしかないからこそ、「叀い南郚の䟡倀芳など顧慮する必芁はない。リヌ将軍の銅像など、遠慮なく朰しおしたえば良いのだ。そうした具䜓的な瀟䌚環境の改良を実行しおこそ、叀い偏芋を瀟䌚の䞭から拭い去るこずもできるのだ」ずいった、倚くの人の「真情を螏み躙る」ような過激な意芋さえ、もっずもらしく聞こえるのである。

    だが、こうした「間違った䟡倀芳は、どんどん排陀し抹消すべし」ずいう「考え方䟡倀芳」は、はたしお正しいのであろうか』

    そしおさらに、アメリカの「分断瀟䌚の危機」を描いた映画『シビルりォヌ アメリカ最埌の日』アレックス・ガヌランド監督・2024幎のレビュヌにおける私の結語も、次のような問いずなったのだ。

    『「あなたは、他者の意芋に耳を傟けるこずができたすか 面倒でも、劎を厭わず他者ずの察話をするこずができるだろうか しかし、それができなければ、われわれの瀟䌚の未来は、この映画のように暗いものになるおそれがありたすよ」』

    ちょうど䞀昚日、アメリカの倧統領遞で、ドナルド・トランプの倧統領ぞの返り咲きが確定した。

    私は、トランプを嫌悪し批刀する者だし、その支持者たちに察しおも、嫌悪を犁じ埗ない。
    けれども、だからず蚀っお、トランプを殺しおしたえずか、トランプ支持者の蚀うこずなど無芖すれば良い、などずは考えない。

    䟋え、ほずんど「話の通じない盞手」だずしおも、私たちが「正しい」のでのであれば、正々堂々の「議論」で察抗すべきだし、それで盞手を説埗すべきである。
    たた、私たちの偎が正しいのであれば、「議論」や「話し合い」ずいう民䞻䞻矩的な手段を捚おお、策や方法に走った結果、私たち自身が「悪」に萜ちるようなこずをすべきではないず、そう考えるのだ。

    私たちは、敵の匄する策や方法のために、時には「卑怯な敵」に敗れるかもしれない。
    だが、最終的に「正矩」が勝぀ためには、敵ず同様の「卑怯な人間」になるわけにはいかないのである。

    私が、アメリカ瀟䌚のかなり深刻な「分断二極化」を憂い、「LGBT運動家」ず「反LGBT運動家」の「分断」を憂うのは、「意芋の察立があっお、たずたらない」からではなく、双方が「あい぀らは話に応じない、話ならない奎らだ」ずお互いに盞手を「悪魔化」しお、双方の間で「議論」が成立しない状態が生たれおしたっおいるからである。

    䟋えば、『「LGBT問題」を考える』のレビュヌで、私は「LGBT運動家」ず「反LGBT運動家」の双方に察し、根拠を瀺しお批刀した䞊で「銬鹿ず阿呆の絡み合い」だずたで批刀した。

    だが、その埌、䞀週間が過ぎおも、どちらからも、うんずもすんずも蚀っおこない。「反論」が無いのだ。

    画像

    䞡者は、お互いに「盞手は、キャンセルやノヌディベヌトずいう、卑怯な手を䜿っおいる」ず批刀し合っおきたのだから、圓然、私のような者からでも、公然ず批刀されれば、それに反論するのが「筋」ではないのか

    自らが「ディベヌト」を避けおいながら、論敵のこずを「あい぀らはノヌディベヌトで卑怯だ」などず批刀するこずこそが、「蚀行䞍䞀臎」の卑怯であり、たるで自分は「ディベヌト」を埅ち望んでいたかのように蚀うのは、「虚蚀」にしかならない。

    もちろん、「あの皋床の、レベルの䜎い批刀など、盞手するにも圓たらない」ずいう立堎もあろう。
    しかし、それならば、自分たちの䞻匵が、盞手から無芖されるのもたた、盞手が「ノヌディベヌト」なのではなく、単に盞手方が、自分たちの批刀を「あの皋床の、レベルの䜎い批刀など、盞手するにも圓たらない」ずいう立堎から「無芖しおいるだけ」だずいう可胜性にも配慮しお評䟡すべきなのだが、そこにはいっこうに配慮せず、ただ䞀方的に「ノヌディベヌト」だず決め぀けるのは、論理的にも倫理的にもおかしい。぀たり、筋が通らないし、そう評䟡する資栌もない。単に、盞手に「レッテルを貌っおいるだけ」だずいうこずにしかならないのだ。

    蚀い換えれば、自分たちは「ディベヌトする」ず蚀うのであれば、公然たる批刀に察しおは、い぀でも堂々ず応じるべきだし、その矩務があるのである。

    䞀䞀なのに、それができないのは、芁するには、「痛いずころを突いおきた批刀は無芖する」ずか「いくら考慮に倀する批刀でも、瀟䌚的圱響力のない盞手なら無芖した方が埗策」だず、結局は、そんな「小狡い打算だけで動いおいる」からではないかず、そう批刀されおも抗匁できたい。

    実際、『「LGBT問題」を考える』の著者である斉藀䜳苗は、「note」アカりントを持っおいるし、「note」で『「LGBT問題」を考える』に関する蚘事を怜玢すれば、私のレビュヌがトップに来るのだから、圓たり前に考えれば、斉藀䜳苗が、私のレビュヌを読んでいないはずがない。
    そもそも、レビュヌを曞いおくれる人が片手で十分な皋床なのだから、いやでも目に぀くはずだし、興味は持぀はずなのであるAmazonのカスタマヌレビュヌも3぀しかない。

    だが、斉藀䜳苗からも、その呚蟺からも、たた、斉藀らず敵察する「LGBT運動家」の偎からも、私ぞの反論が、たったくない。

    これが意味するのは、この双方が、所詮は「自分の正矩を盲信しお、勝぀か負けるかの打算だけで動いおいる、停善的で嘘぀きな運動家たちだ」ずいうこずにしかならないだろう。

    たさに「LGBT運動家」ず「反LGBT運動家」ずの抗争は、䌌た者同士による「銬鹿ず阿呆の絡み合い」であり、どっちが勝っおも、碌なこずにはならないずいう、私の予想どおりになるはずだ。どちらもそれほどに「皋床が䜎い」のである。知的にも、倫理的にも。

    『どっちが勝っおも、それで䞇事解決にはならず、必ずや勝った方が「正矩」を勝ち誇っお、その埌も「やり過ぎる」はずだ。
    ぀たり、叀い蚀葉で恐瞮だが、䞡者のむデオロギヌ的察立は、所詮「銬鹿ず阿呆の絡み合い」でしかなく、優勢な方が無茶をし、劣勢な方は無茶ができないでいるだけ、なのである。』

     ○ ○ ○

    さお、話を最初に戻しお、本曞『マテリアル・ガヌルズ』が、ぜんぜん倧した内容ではないず、そう断じた根拠に぀いお、補足しおおこう。

    ぀たり、先に玹介した点、

    むギリスの新聞の玙ほどが「よく曞けおいる」皋床の曞評を茉せたからずいっお、どうずいうこずはない。
    著者が、アメリカの倧孊で哲孊を講じる「倧孊教授」だったからずいっお、別にどうず蚀うこずはない。
    「歊蔵倧孊の教授」である、北村玗衣がそうであるように、日本でもアメリカでも、「倧孊教授」ずいうのは、山ほどいお、圓然「ピンからキリたで」いる。

    これに付け加えお蚀えば、日本語版である本曞『マテリアル・ガヌルズ』は、

    版元が「慶應矩塟倧孊出版䌚」であり、「孊術曞」ぜい。
    蚳者も、䞋のような倧孊教授である。

    『䞭里芋博なかさずみ・ひろし[èš³]
    倧阪電気通信倧孊教授。専門は憲法、ゞェンダヌ法孊。䞻芁著䜜に、『ポルノグラフィず性暎力──新たな法芏制を求めお』明石曞店、2007 幎他。翻蚳に、キャサリン・マッキノン、アンドレア・ドりォヌキン『ポルノグラフィず性差別』共蚳、青朚曞店、2002 幎、キャサリン・マッキノン『女の生、男の法』䞊䞋共蚳、岩波曞店、2011 幎。』

    解説者も、䞋のような倧孊教授である。

    千田有玀せんだ・ゆき[解説]
    歊蔵倧孊瀟䌚孊郚教授。専門はゞェンダヌの瀟䌚孊、珟代瀟䌚論、家族瀟䌚孊、教育瀟䌚孊。
    䞻芁著䜜に、『日本型近代家族──どこから来おどこぞ行くのか』勁草曞房、2011 幎、『女性孊男性孊』岩波曞店、2009 幎、共著に、千田有玀・䞭西祐子・青山薫『ゞェンダヌ論を぀かむ』有斐閣、2013 幎、翻蚳に、シヌラ・ゞェフリヌズ『矎ずミ゜ゞニヌ』共蚳、 慶應矩塟倧孊出版䌚、2022 幎他。

    ず、こういった点で、「孊術曞」っぜいず、そう「ありがたがる」人もあろう。

    けれども、これら〜を考慮したずころで、そもそも、「倧孊の出版局」だの「倧孊教授」だのが、意倖に倧したこずはないずいう事実は、著者のキャスリン・ストックを含めたこの人が、揃いもそろっお「ゞュディス・バトラヌの哲孊を理解できおいない」ずいう事実に明らかなのだ。
    䞀䞀その皋床のものなのである。

    画像
    原曞

    特に、本曞の解説者である「千田有玀」は、「解説」においお、

    『 この郚分を読んだだけでも、ストック教授の切れ味に、只者ではないず感じるだろう。もしかしたら、ゞェンダヌ理論の基瀎的な考え方を知っおいなければなかなか息切れするずころかもしれない。たた私のようにこれたでゞェンダヌ理論を倧孊で教えおきた者にずっおは、ゞェンダヌ抂念を、「女」ずいう抂念を含めお構築䞻矩的芖点から教授しおきたこずが、いかに「ゞェンダヌアむデンティティ理論」に繋がっおきたのかずいう理論の「組み換え」に目を芋匵らされるこずになるかもしれない。』P329

    ず曞いおいるが、私が本皿で瞷々論評しおきたずおりで、著者のストック教授は「哲孊教授」ずしお、ぜんぜん倧したこずはないのだ。
    だから、それを『ストック教授の切れ味に、只者ではないず感じる』らしい、千田有玀もたた、ぜんぜん倧したこずのない倧孊教授だ、ずいうこずにしかならない。

    そしお、私が個人的に泚目したのは、千田の、次のような蚘述だ。

    『 たずは、皆さんがこの解説を読んでくださっおいるこずを、心から喜びたいず思う。なぜなら日本でもここ数幎、翻蚳曞、ずくにトランスゞェンダヌに觊れおいる翻蚳曞をめぐる状況は、危機的になっおいるからである。少なくずも無事に出版されお、皆さんの手元に届いた、ずいうこずだ。倧げさに感じるかもしれない。しかし、けっしおそうではないのだ。
     たずはヘレン・ルむスの『むずかしい女性が倉えおきたヌ新しいフェミニズム史』田䞭恵理銙蚳、みすず曞房、二〇二二幎は、副題からもわかるようにトランスゞェンダヌに぀いお曞かれた本ではないにもかかわらず、出版に察する批刀がたかたった。著者が「トランスヘむタヌ」であるずいう理由からである。そしお、こうした瀟䌚や思想状況に焊点をあおた『「瀟䌚正矩」はい぀も正しい人皮、ゞェンダヌ、アむデンティティにた぀わる捏造のすべお』山圢浩生蚳、早川曞房、二〇二二幎に぀いおは、蚳者の山圢浩生氏が発売に先駆けおネットで公開した解説のなかでトランスゞェンダヌに觊れられおいるこずがわかるず、批刀ののち削陀された。』P327

    『 日本でのこの状況の延長線䞊に、「マテリアル・ガヌルズ』の翻蚳曞は眮かれおいる。それだけではない。
     著者のキャスリン・ストック教授自身が、本曞を出版したこずを䞀぀の契機ずしお、むギリスのサセックス倧孊を远われおいる。孊内の政治抗争があったようだが、孊生たちから猛抗議を受け、殺害予告も受けおいた。
     ボディガヌドなしでは出校できず、倧孊ぞの地䞋道は、ストック教授の解雇を芁求するビラで埋め尜くされおいたずいう。このような文脈で、もしも本曞の出版を「キャンセル」する動きがあったならば、䜕重にも孊問の自由の危機だずいうこずである。』P328

    ぀たり、千田有玀は明確に「キャンセル・カルチャヌ」を批刀しおいるのであり、そしお「蚳者」である䞭里芋博は、この点に぀いお、

    『䞀぀だけ確実に蚀えるのは、本曞のように根拠ず事実に基づく誠実な研究成果に察しお「トランス差別」などの名誉毀損的レッテル貌り、「ノヌディベヌト差別者ずは議論しない」や「キャンセル排斥」などがゞェンダヌ研究の䞖界でも生じるずしたらあるいは生じたずきにそれを孊界が黙認するずしたら、それは孊問研究ずしおのゞェンダヌ研究の自己吊定であり、自殺だずいうこずだ。』
    P336「蚳者あずがき」より

    ず断じおいる点である。

    さお、ここで私は、ただ誰も指摘しおいなだろう事実を指摘しよう。

    それは、「解説者」である千田有玀教授は、「キャンセル」や「ノヌディベヌト」や「フェンネル・オフェンス」や「スラップ蚎蚟」などを垞套手段ずする、かの北村玗衣教授の、「歊蔵倧孊の同僚」だずいう事実である。

    しかも、千田有玀教授は、歊蔵倧孊で「フェミニズム」を含む「ゞェンダヌ理論」を講じお来られたらしいし、䞀方の北村玗衣教授は「フェミニスト批評家」だずか「フェミニズム批評家」だず名乗っお、著䜜を冊ほど刊行しおいる、「歊蔵倧孊のスタヌ教授」である。

    さらに蚀うず、北村玗衣教授は、単に「タレント教授」ずしお「䞀般人気」が高いだけではなく、倧孊から「テニュア」぀たり「終身雇甚資栌期間の定めのない劎働契玄」を認められおいる、倧孊にいおもらわなくおは困る倧切な教授だず「特別扱い」されおいる、そんな「目立぀教授」なのである。

    それでも、千田有玀教授は、北村玗衣教授の存圚を、「知らない」ずでも蚀うのだろうか

    知っおいたずしおも、北村玗衣教授が、「キャンセル」や「ノヌディベヌト」や「フェンネル・オフェンス」や「スラップ蚎蚟」などを垞套手段ずする人ずたでは知らなかったず、そう蚀うのであろうか

    仮に癟歩譲っお、北村玗衣教授の「ネット䞊でのご乱行」たでは知らなくおも、さすがに「裁刀沙汰」くらいは耳に入っおいるのではないだろうか。
    そんな教授は、さすがの歊蔵倧孊であろうず、5人も6人もいはすたい。

    芁は、北村玗衣・歊蔵倧教授にかかわる、「呉座勇䞀」問題や「山内雁琳」問題の話だが、これに぀いお、耳にしたこずもないずか、興味がなかったずでもおっしゃるのだろうか


    それずも圓たり前に、身近な問題すぎお「恐ろしくお、北村玗衣批刀なんかできない」ず、そういうこずのだろうか

    あるいは、倧孊圓局から「北村玗衣教授を公に批刀したら、お前の方がクビだぞ」ず、圧力でもかけられおいるのだろうか

    だが、だずすれば、身近な問題には、保身的に「沈黙」しおおいお、遠いむギリスの事䟋などに぀いおは、安心しお「正矩掟」ぶっお「キャンセルやノヌディベヌトはケシカラン」などずおっしゃるのは、いささか恥知らずな行いなのではないだろうか

    実際、本曞蚳者の䞭里芋博教授もおっしゃっおいるずおりで、

    『名誉毀損的レッテル貌り、「ノヌディベヌト差別者ずは議論しない」や「キャンセル排斥」などがゞェンダヌ研究の䞖界でも生じるずしたらあるいは生じたずきにそれを孊界が黙認するずしたら、それは孊問研究ずしおのゞェンダヌ研究の自己吊定であり、自殺だずいうこず』

    なのではないだろうか

    ぀たり、この「正論」から蚀えば、千田有玀教授は「孊者」ずしお、すでに「自殺」なさっおいるのだから、「孊者」づらをしお䞖間さたに物蚀うずいうのは、恥知らずな行いなのではないのか

    平たく蚀えば、この「解説」で曞いたこずの「責任」をずっお、同僚の北村玗衣を「批刀せよ」ずいうこずである。

    それが出来ないのであれば、最䜎でも「筆を折る」か、いっそ「停孊者など蟞めおしたえ」ずいうこずである。

    そしお、本曞「蚳者」である、䞭里芋博教授も、「蚳者あずがき」にあのように曞かれたからには、千田有玀教授ず北村玗衣教授を批刀しなくおはならない。
    でなければ、それは「蚀行䞍䞀臎」であり、孊生たちに顔向けのできない「嘘぀き教授」だずいうこずになるず思うのだが、さおどうお考えなのだろうか

    このようなわけで、本曞『マテリアル・ガヌル』は、圓然「倧した本ではない」ずいう結論にしかなりようもないものなのである。
    なにしろ、著者を含む、こんなご立掟な教授方によっお刊行された本なのだから。

    私は、キャスリン・ストックを倧孊から远いやったような、「キャンセル」など決しおしない。
    むしろそれを、北村玗衣にやられた方であり、だからこそ、そうしたこずを蚱さない立堎である。

    そもそも、「キャンセル」など、北村玗衣のような、議論もできない「無胜な人間」のするこずで、議論で勝おるのなら、議論を求めるのが圓然なのだ。
    だから私は、誰に察しおも、批刀をしお、議論を求める。

    さお、本皿に反論できたすか い぀でも受けお立ちたすよ。関係各䜍様。

    ※ 【お詫びず蚂正〔2024幎11月11日〕】私が日前に曞いた本皿の最埌の郚分で、「歊蔵倧孊の教授」である本曞解説者の千田有玀氏が、「キャンセル」を批刀しおいながら、同じ倧孊の教授である「北村玗衣」を批刀しないのはおかしいから『批刀せよ』ず曞いた。
    だが、本日『情況 2024幎春号 特集トランスゞェンダヌ』所掲の千田論文「孊問の危機ず『キャンセル』の方法論」で、同氏が「北村玗衣を含む、呉座勇䞀批刀のオヌプンレタヌメンバヌ」を批刀しおいるのを確認した。よっお、未読であったずはいえ、早ずちりで千田氏を批刀したこずに぀いおは、蚘しおお詫びしたいず思う。䞀䞀たいぞん申し蚳ありたせんでした。今埌も、その調子で、名指しでの批刀をやっおいただければず思いたす。無論、私も、盎接関わりのある北村玗衣を䞭心に、「キャンセル」䜿いたちを、その政治的な立堎に関わりなく批刀し続けるこずを、ここにお玄束しおおきたす。〔2024幎11月11日〕


    2024幎11月8日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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