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竹内掋 『教逊䞻矩の没萜 倉わりゆく゚リヌト孊生文化』  宗教原理䞻矩化した「フェミニズム」

    曞評竹内掋『教逊䞻矩の没萜 倉わりゆく゚リヌト孊生文化』䞭公新曞・2003幎

    本曞は、2003幎に刊行されお、かなり評刀になった本だったず蚘憶する。私がいた手にしおいる叀本も、初刷からヶ月䜙りで増刷された「第刷」だ。

    私は本曞を、刊行圓時には読たなかったが、同じ著者の『メディアず知識人 枅氎幟倪郎の芇暩ず忘华』2012幎は読んでいる。たぶん、この頃、キリスト教関係で「進歩的知識人」ずいうものに興味を持ったからではないかず、かなり朧げな蚘憶があるのだが、蚘憶違いかもしれない。ずもあれ、今回『教逊䞻矩の没萜 倉わりゆく゚リヌト孊生文化』以䞋『教逊䞻矩の没萜』ず略蚘を読んだこずずは、盎接の関係はない。
    ただ、昚幎のベストセラヌ曞である、䞉宅銙垆著『なぜ働いおいるず本が読めなくなるのか』集英瀟新曞の「参考文献」に、本曞が挙がっおいるのを芋お、「ああ、こんな本があったな」ず、蚘憶が蘇ったずいうこずはあった。

    そんな私が、前蚘の䞉宅曞を読んでからでも、おおかた幎にもなろうかずいう今になっお、思い出したように本曞を読んだ理由ずは、ここ半幎ほど批刀しおいる、「歊蔵倧孊の教授」で自称フェミニストの北村玗衣その人は無論のこず、その呚蟺のフェミニストである倧孊教授たちに、軒䞊み「教逊が無い」ず、そう感じたからである。

    無論、圌らはいずれも、私より10〜20歳も幎䞋だから、そのぶん教逊が無いのは仕方がない。そのぶんだけ本が読めおいないのは仕方がない、ずいうこずである。
    曞物が「教逊」資源のすべおではない、ずしおもだ。

    しかし、ひず昔前なら、「倧孊教授」ずもなれば、そら恐ろしいほど本を読んでいたものだ。たた、それが圌らの「仕事」でもあったのだから、ある意味では、それくらいであっお圓然でもあったのだ。

    ずころが、䞊に挙げた、北村玗衣、河野真倪郎、田䞭東子ずいった、「いたどきのフェミニスト倧孊教授」ずいうのは、その著曞を読んでみるず、「䞀般教逊」の無さを、ひしひしず感じさせお、実に「薄っぺらい」。

    たたに、倖囜の研究者の名前やその著曞名を挙げ、専門家ぶっお芋せはするのだが、そこで玹介される本ずいうのは、ごく近幎、海倖で話題になったような、ごく「手近な」ものでしかない。぀たり、そのゞャンルの研究者なら「読んでいお圓然」ずいったレベルのものでしかないのだ。
    しかも、そうした「海倖の、今どきの暩嚁」の嚁を借りお、それを知ったかぶりに利甚しおいるだけ揎甚ずすら蚀い難いで、匕甚者の方には、原著者のようなラディカルさなどはカケラもなく、いかにも日本人的な「教逊の茞入業者」でしかないのだ。

    『 わたしは、前著『倧孊ずいう病』で、戊前の東京垝倧経枈孊郚の教授たちの抗争ず軋蜢を分析したが、そのずき、圓事者である教授たちの孊問的業瞟である論文に぀いおも、『経枈孊論集』や『経枈孊研究』などあたっおみた。「リカアドオの貚幣理論ず貚幣制床論」のような欧米の経枈孊者の孊説研究か、「仏囜の再保険官営業の顛末」ずいった。欧米の経枈事情の玹介ないしは受け売りずいっおよいような論文が倧半を占めおいる。日本経枈に぀いおの実蚌的研究は少ない。䞭間階玚の研究でさえ、しばしば、欧米の䞭間階玚理論の玹介や実蚌的研究の玹介である。こうした孊颚の匊に぀いおは、圓時の官孊教授でさえ次のように蚀っおいる。以䞋略』

    『教逊䞻矩の没萜』P165〜166

    しかも、専門分野のこずですらそんな調子だから、「それ以倖」の教逊なんおものは、あるはずもない。
    圌女らの著曞を読んでいるず、昔の孊者の著䜜には圓たり前に感じられた「教逊の厚み」ずいったものが、たったく感じられないのだ。

    もちろん、その方が「通俗曞」ずしお「俗りケ」はしやすいのだろうが、それにしおも、それを狙っお、故意に軜薄に曞いおいるのではなく、「玠の軜薄」だずいうのがわかるずころが、読んでいおじ぀に蟛い。
    ぀たり、玄めお蚀うず、このフェミニスト倧孊教授たちには、「䞀般教逊」ずいうものが、恥ずかしいほどに無いのである。

    だから、北村玗衣などは、文孊研究者である小谷野敊から、やんわりずながらも率盎に、その「無教逊」を指摘されたりしおいる。

    『※ 北村玗衣著『批評の教宀』には日本の䜜品※ ぞの䟋瀺的な蚀及が少なすぎる。シェむクスピアず英文孊少し、あずは最近の映画ズラヌっおのは若い読者にはいいのかしれんが。なお※ 志賀盎哉の小説「クロヌディアスの日蚘」におけるおかしな点は、把敊子が論文に曞いおいたので先行研究をあげおおくべきだったろう。』

    北村玗衣『批評の教宀』に察する、文孊研究家・小谷野敊による、Amazonカスタマヌレビュヌより

    ここで小谷野が蚀っおいるのは「若い先生だから仕方がないのかもしれないが、たずもに日本文孊など読んだこずがないのが、芋え芋えなんだよね。圓然、志賀盎哉も読んでいないんだろう。たあ、奜きな映画なんかをたくさん芋お育ったから、専門に関わる英文孊以倖は、たずもに本を読んでいないのだろうな」ず、そういうこずなのである。
    そしお、この北村玗衣理解は、完党に圓たっおいる。それは、北村玗衣の他の著曞を読めば、おのずずわかるこずなのだ。

    しかし、ここで問題ずすべきは、こうした「無教逊」が、北村玗衣ただひずりの個人的なものではなく、䞊に挙げた河野真倪郎や田䞭東子にも止たるものですらなく、私が読んだ範囲でではあるにせよ、「今どきのフェミニスト倧孊教員」党䜓に蚀えるこずだずいう点なのだ。

    北村玗衣、あるいは河野真倪郎、田䞭東子は、いずれも「オタク」出身、たたは珟圹のオタクだから、そちらの情報収集に忙しかったせいで、あたり「䞀般教逊」を身に぀けないたた倧孊教員になったのかも知れない。
    䞀䞀だが、この皮の「無教逊」は、䜕も「今どきのフェミニスト倧孊教員」だけに限られる話でもないのではないか。

    たしかに、昚今の流行に乗り、文系孊者ずしおは䟋倖的に目立っおいる「フェミニスト倧孊教員」だからこそ、わかりやすくその「無教逊」ぶりたでもが、目に぀いたのかもしれない。
    だが、そうではなく、圌女らが、「今どきの無教逊」者を、象城的に䜓珟しおいるのかも知れないず、そんな疑いも、あながち吊定できないのである。

    そこで私は、本曞『教逊䞻矩の没萜』を思い出した、ずいうわけなのだ。
    「そうか。もしかするず、教逊䞻矩没萜埌の䞖界だからこそ、今では倧孊教授ですら無教逊になっおしたった、ずいうこずなのかも知れない」ず、そんなふうに考えたので、ひずたず本曞で、倧孊教授である著者・竹内掋が䜕を曞いおいたのかを、確認しおみるこずにしたのである。

    それに、そもそも私は、本曞を「参考文献」に挙げおいた、䞉宅銙垆の『なぜ働いおいるず本が読めなくなるのか』の内容が、「薄っぺらい」ず批刀しおいた。
    所詮同曞は、「自分は本奜きだけれど、仕事が忙しいから本が読めないだけだ」ず、そう自己匁護したい、䞖にごたんずいる「䞉流読曞家」の自己正圓化に媚びた本でしかない。だからこそ、ベストセラヌにもなったのである。

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    だからこそ、『なぜ働いおいるず本が読めなくなるのか』を耒めた読者の99%たでは、同曞の元ネタである本曞『教逊䞻矩の没萜』その他の参考文献たで読もうずは考えなかったはずだ。぀たり、「䞊柄みの結果」だけ埗られれば、それで満足しおしたう、その皋床の「読曞」しかしおいない、ずいうこずだ。
    たた、そういう読者だからこそ、䞉宅銙垆が巻末に挙げた「参考文献」の量や質に、単玔に感心もできるのだろうが、たずもな本を曞こうず思えば、あのくらいは読んでいお圓たり前なのである。

    前述のずおり、䞉宅の䞻匵ずは所詮「俗情ずの結蚗」による読者りケを狙ったものでしかない。その点で、参考資料の扱い方も恣意的でなものでしかないのだから、そんな著䜜は、無論「研究曞」ではなく、単なる「通俗曞」にすぎない、ずいうこずにもなるのである。

    ずもあれ、䞉宅銙垆の『なぜ働いおいるず本が読めなくなるのか』を耒めた読者の倚くは、「自分が欲しい結論」だけが欲しい人たちであっお、「この結論は、果たしお劥圓なものなのか正しく挔繹されたものなのか」などずは、決しお考えない人たちなのだ。
    だからこそ、䜕冊読んでも「䞀般教逊」が身に぀かない。
    欲しいものだけを「ピックアップ」しおいれば、「䞀般教逊」が身に぀かないずいうのは、理の圓然なのである。

    しかしながら、こうした「安盎な読曞」が奈蟺から出おきたものかず問えば、そこで即座に思い浮かぶのが、むンタヌネット瀟䌚における「フィルタヌバブル」や「゚コヌチャンバヌ」「サむバヌカスケむド」などの問題系であろう。
    芁は、むンタヌネットによっお、膚倧な各皮情報が容易に入手可胜になるず、かえっお人々は、そうした膚倧の情報の䞭から、自分奜みのものばかりを手に入れるこずになっお、情報の偏りが極端になる、ずいうような事態である。
    情報を入手するのが容易ではなかった昔のように、ずにかく色んな情報をかき集めお、その䞭から取捚遞択しようなどずは、しなくなったのだ。だからこそ、「知識のオタク化モノトヌン化」ずも呌ぶべき事態が、䞀般化しおしたったのである。

    「フィルタヌバブル」ずは、「情報の傟向的限定のためのフィルタヌずなる泡の䞭に、ひきこもっおしたった状態」のこずであり、「゚コヌチェンバヌ」や「サむバヌカスケむド」も、おおよそ、同様の「情報の偏り」状況を瀺した蚀葉なのだ。

    したがっお、北村玗衣、あるいは河野真倪郎、田䞭東子ずいった「フェミニスト倧孊教授」ずいうのは、もずもず「オタク」的に「趣味的な偏り」があったずころに、「むンタヌネット」䞖代ずしお育ったずいう環境芁因が重なっおいるのだから、そりゃあ「無教逊職業的に求められる専門知識ず、趣味のオタク的な知識しか持たない」ずいうこずになるのも、圓然の結果なのだ。
    決しお圌らは、珟代瀟䌚における「䟋倖的な無教逊者」なのではなく、「無教逊時代を象城する無教逊な倧孊教授」だず、そう考えた方が適切なのである。

    それに今は、そんな「無教逊」で「薄っぺらい」倧孊教授やその手になる著䜜の方が、「無教逊」で「薄っぺらい」䞀般読者りケするずいいうのも、圓然の結果であろう。
    「䞭身よりも売れるこずが重芁」な高床消費資本䞻矩経枈新自由䞻矩経枈䞋にあるこの時代においおは、こうした「薄っぺらい教授」の方が「商品」にもなりやすいから、北村玗衣を教授にした「歊蔵倧孊」なども、北村のテレビ出挔を広報したりなどしお、少子化時代の孊生集めに邁進いるのではないだろうか。

    無論これは、぀い先日のテレビニュヌスで名の挙がっおいた「東京倧孊」だっお同じこずなのである。

    か぀おの垝倧的に、身分の保蚌されなくなっおしたった今の東倧教員が、利害関係業者から䟛応接埅をうけたりするのず同様、そういう䟛応接埅を受けられないゞャンルの孊者、䟋えばフェミニズム孊者が、孊問的な探究を傍に眮いおでも「俗りケ」を狙うずいうのは、食い扶持を皌ぐためには、ある皋床は臎し方のないこずなのかもしれない。


    ○ ○ ○

    さお、ここたでは肝心の竹内掋著『教逊䞻矩の没萜』の䞭身に぀いおほずんど觊れお来なかったが、いちおう簡単な玹介だけはしおおこう。

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    本曞に曞かれおいるのは、か぀おの日本に蔓延った「教逊䞻矩」の歎史的経緯ずその没萜、である。
    ここで肝心なのは、竹内が批刀的に描いおいるのは、「教逊䞻矩」であっお、「教逊」そのものではない、ずいう点だ。

    『本曞の察象は、教逊そのものよりも、教逊䞻矩ず教逊䞻矩者の有為転倉のほうにある。近代日本瀟䌚を埌景にしながら、教逊䞻矩(者)の軌跡を蟿るこずで、゚リヌト孊生文化のう぀りゆく颚景を描き、教逊䞻矩ぞの鎮魂曲ずしたいのである。』P26

    蚀うたでもないこずだが、「教逊」は、あるに越したこずはない、のだ。
    ただし、そこで問題ずなるのは、その「必芁な教逊ずは、どういうものなのか」ずいう点なのである。

    䜕ずなれば、ある意味では、「すべおの情報」は「教逊」ずなり埗るものだからである。

    孊術的あるいは芞術的な情報の取埗ずその理解ずいったこずは無論、野球遞手の名前や成瞟などの知識だっお「教逊」であり、「映画のタむトルや映画䜜家の個性」や「電車の名前やその性胜」ずいった情報を持っおいるこずも、「教逊」の内であるずいうのは、論を俟たない。

    だが「人生は有限であり、したがっおすべおの情報を埗るこずはできない」から、どんな情報を優先的に取埗すべきなのか、ずいう問題が生ずる。

    ぀たり、「教逊」が必芁だずいうのは共通認識ではあれど、「教逊」ずしお備えるべき「情報等」の「優先順䜍」が、自ずず問われおくるのである。

    䟋えば、自称フェミニストである北村玗衣の堎合だず、教逊ずしお、たず第䞀に必芁なのは「家父長制瀟䌚におけるゞェンダヌバむアスの存圚に察する認識」だ、ずいうこずになる。
    珟代瀟䌚に生きおいる以䞊「男が女を抑圧しおいるずいう事実に぀いおの認識を持っおいなければならない」ず、それを最優先のものずしお蚎える立堎であり、そのためには「フェミニズム」的な知識が、是非ずも必芁なのだ、ずいうこずである。

    そしお、北村玗衣の堎合、そうした「ゞェンダヌバむアス」の、次にしばしば語られるのが、「映画」の話ずいうこずになるから、その「䟡倀芳ギャップ」に、驚かされるのだ。

    ぀たり北村玗衣の堎合は、「口のきき方」などの「最䜎限の瀌節」などは無論「間違えたら蚂正する」ずか「迷惑をかけたら謝眪する」などずいう「最䜎限の瀟䌚的倫理」すら、「映画の知識」よりも、優先順䜍が䜎いのである。
    䞀䞀そしおこれが、あながち冗談ではないずころに、北村玗衣の「トンデモぶり」があるのだ。

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    たしかに、「ゞェンダヌギャップ」に関する知識は重芁だ。
    だが、そうした「瀟䌚的な問題」を第䞀番に挙げるのであれば、その次のものずしお「映画」の話を持ち出す前に、他にもっず重芁な「瀟䌚問題ががあるだろう」
    ず、そう考えるのが、普通の人間だろう。
    だが、北村玗衣ずそのファンは、そうは考えない。なぜなら、それ以倖には興味も無ければ、圓然「知識教逊も無い」からである。

    北村玗衣が、最も重芁な「教逊」ずしお「女性差別に関する知識」を挙げ、しかしその次に「映画」の知識をひけらかすずいう、そんな䞡者間に存圚する極端な逕庭に察し、私が批刀を差し向けるのは、その「ギャップ」に「隠されたご郜合䞻矩」を、芋ないではいられないからである。
    なぜ、そんな「䞍合理な飛躍」が認め埗るのか、ず。

    䟋えば、真っ先に「女性差別」ぞの問題意識を重芁芖する人が、次に「埓軍慰安婊問題」だずか「圚日朝鮮人差別問題」だずか、「郚萜差別問題同和問題」だずか「沖瞄ぞの米軍基地抌し぀け問題沖瞄差別」などを挙げたのなら、それはごく「自然なこず」だず感じられるだろう。そこには「問題意識の䞀貫性」が認められるためだ。

    ずころが、北村玗衣の堎合は、「女性差別問題」の次に来るのが「映画の話」なのだから、その「趣味的にご郜合䞻矩的な飛躍的チョむス」に「おいおい、ちょっず埅およ」ず蚀いたくなるのは、しごく圓然のこずではないだろうか。

    たた、北村玗衣呚蟺のフェミニストたちも、北村玗衣ほど極端ではなくおも、䌌たような「ご郜合䞻矩的チョむス」を平気でおこなう。

    それは「女性差別はいけない」の次に来るのが「人皮差別はいけない」「階玚差別はいけない」あるいは「トランスゞェンダヌ差別はいけない」ずいった、䞻にアメリカのフェミニストによっお緎り䞊げられた「むンタヌセクショナリティ亀差性」を、そのたた日本に盎茞入するこずはしおも、「埓軍慰安婊問題」「圚日朝鮮人差別問題」「郚萜差別問題同和問題」「沖瞄ぞの米軍基地抌し付け問題沖瞄差別」ずいった「日本固有の問題」は、完党無芖を決め蟌むずいう、そんな「ご郜合䞻矩的」遞別なのだ。

    こうした「えせフェミニスト」たちは、どうしお「身近な差別」の問題を飛び越しお、「アメリカ産の問題」に飛び぀くのだろうか

    䞀䞀それは、圌女らの「反差別」の䞻匵ずは所詮、「フェミニズムの本」だけを読んで圢成されたものにすぎないからである。

    芁は「孊校でのお勉匷」によっお埗られた「問題意識」でしかないから、「フェミニズムの本」、特にフェミニズムの本堎であるアメリカやフランスの本に出おこないような「身近で日本的な問題」は、その「暩嚁䞻矩」においお「二の次」にされおしたう。
    「そんなこず流行らない」「そんなこず論じおも、カッコよくない」ず、所詮はその皋床の問題意識なのだ。

    「フェミニズム先進囜であるアメリカ」の「フェミニズム本」に茉っおいるこずを、そのたた唱える口真䌌するこずで、自分たちも「䞖界の最先端問題を論じおいるのだ」ずそう思い蟌んでいるのだか、そんなお易い勘違いしおしたうのは、それが「田舎の䞉流知識人」の性さがだからである。

    では、どうしお、こんなに薄っぺらい「受け売り」しか出来ないのかずいえば、それは、これらの「倧孊フェミニスト」たちが、基本的に「無教逊」だからなのだ。

    倧孊でお勉匷しただけの「フェミニズム」に、倖囜の研究者の成果を継ぎ足すだけで「食っおいこうずしおいる」だけ。
    他の「教逊」をほずんど持たないから、「フェミニズム」を「盞察化」するこずも、他分野の知芋を接ぎ穂しお、新たな展開を生み出すこずも出来ない。

    たただからこそ、唯䞀の手札である「フェミニズム」を、ひたすら「最重芁だ」ずアピヌルするしかない。
    そうしないず「食いっ逞れる」怖れがあるから、「我が仏は尊し」ずいった、「宗教的な独善䞻矩」にも走っおしたうのである。

    そしお、その端的な䟋が、北村玗衣呚蟺の、元「オヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」参加メンバヌたちが、最近立ち䞊げたずいう、フェミニズム研究のサヌクル「珟代フェミニズム研究䌚」だ。

    この「珟代フェミニズム研究䌚」の蚭立「趣意曞」には、次のような「トランスゞェンダヌ差別」絶察反察の文蚀がある。

    『぀目の理由は、フェミニズムの名の䞋に行われる差別や暎力が無芖できないものずなっおいる珟実です。ずくに問題芖しおいるのは、2010幎代の終わりごろから芋られるようになった、「フェミニスト」によるトランスゞェンダヌぞの差別的な攻撃・差別扇動的な蚀説ヘむトスピヌチの拡倧です。そこには、ゞェンダヌやフェミニズムを研究しおきた䞀郚の研究者も加担しおいたす。私たちは、そのような研究者らの蚀動を厳しく批刀するずずもに、そのようなフェミニズムずは異なるフェミニズムの研究を発展させ続ける堎所が必芁であるず考えたす。鍵を握るのは、むンタヌセクショナリティ亀差性の芖点であり、たた運動の圚りかたです。瀟䌚の䞭で支配的な意志決定局の䞭ではマむノリティずなりやすいゞェンダヌずしおの「女性」集団のなかには、倚様な状況・属性・アむデンティティをも぀女性たちがいたす。だからこそ、それぞれの女性が被る差別や抑圧の圚りかたは、同じではありたせん。この珟実から出発し、「䞀枚岩的な女性の経隓」に蚎えるこずなくフェミニズム研究を進めるこず、そしおそうした亀差性の芖点を欠くがゆえに差別や暎力に加担しおきたフェミニズムの圚りかたを批刀し、乗り越えるこず。そのために、私たちは新たな研究䌚を立ち䞊げたす。』

    冒頭の「぀目の理由」ずいうのは、同サヌクルの蚭立理由の぀目ずいう意味である。぀たり、この趣意曞で語られおいる「蚭立理由」は「぀しかない」のだから、このサヌクルにずっお「トランスゞェンダヌ問題」における「打倒・差別䞻矩フェミニスト」が、いかに重芁なのかがご理解いただけよう。蚀うなればこの研究䌚は、自分たちが「差別䞻矩フェミニスト」だず認定したフェミニストを、フェミニズム業界から孀立させ、排陀するための、業界政治的な組織だずも蚀えるのである。

    ずもあれ、この「趣意曞」においお泚目すべき問題点ずは、「トランスゞェンダヌ差別は、絶察的に間違っおいる」ずするその根拠ずしお、

    『「䞀枚岩的な女性の経隓」に蚎えるこずなくフェミニズム研究を進めるこず、そしおそうした亀差性の芖点を欠くがゆえに差別や暎力に加担しおきたフェミニズムの圚りかたを批刀し、乗り越えるこず。』

    ず曞いおいるように、芁は、䞀芋「倚様性」の重芖を蚎えおいながら、結局は「意芋を異にする立堎のフェミニスト」に぀いおは「差別者」だず決め぀けるこずで、その排陀撲滅を目指しおいるずいう、「矛盟」である。

    蚀うたでもないこずだが、「トランシゞェンダヌ差別」に限らず、「あらゆる差別」は蚱されない。
    したがっお、「倚様性」が必芁だずいうこずも、論を俟たない。

    しかしながら、この趣意曞は「自分たちは倚様性を尊重する」ず蚀い぀぀、トランスゞェンダヌぞの差別に加担しおいるず自分たちが䞀方的に認定するフェミニストたちの存圚を「絶察に容認しない」ず、ほずんど「統合倱調」的なこずを、平気で曞いおいるのだ。

    さらに「趣意曞」の別のずころでは、

    『以䞊の趣旚に賛同する皆さんに、ひろくこの研究䌚ぞの参加を呌び掛けたいず思いたす。』

    ずも、曞いおいる。

    ぀たり、この「趣意曞」に賛同する人だけしか「入䌚は認めないよ」ずいうこずなのだが、それを『ひろくこの研究䌚ぞの参加を呌び掛けたいず思いたす。』ず結ぶのは、論理的敎合性の面から蚀っおも、いかがなものか。

    端的に蚀っお、この「趣意曞」は、「入䌚条件」を厳しく制限するものであり、「我々の䞻匵に共感し支持する者以倖の入䌚は認めない」ずする、きわめお「せたい」呌びかけでしかないのだから、それを「ひろく」呌びかけおいるず衚珟するのは、頭の悪い「論理矛盟」か、「欺瞞的に悪質なレトリック」でしかない。

    こうした「趣意曞の自己矛盟」に぀いお、䞎那芇最は、先に玹介した蚘事の䞭で、

    『この趣旚文の著者の知胜の皋床は盞圓に䜎いず断じおかたわない。』

    ず曞いおいるが、私は、必ずしもそうずは断じ埗ないず思う。

    なぜなら、この「趣意曞」の著者は、
    「今どきのフェミニズムファンは、きわめお知的レベルが䜎いから、この皋床のこずを曞いおおけば、それでコロリず隙されるだろう」
    ず、そこたで考えお、こんないい加枛なものを曞いたずいう可胜性だっお、いちがいには吊定はできないず、そう考えるからだ。

    ぀たり、圌女ら珟代フェミニズム研究䌚員の曞く文章ずいうのは、意図的に「知的レベルの䜎い局」を狙っお、自芚的に、論理矛盟も気にせずに曞かれおいる、きわめお今颚の、ドナルド・トランプ的な「フェむク」である可胜性だっお吊定できないからである。

    なにしろこの蚭立「趣意曞」は、同研究䌚の䞭で「これで良し」ず承認されお出おきたものなのだから、これが意識しお曞かれたフェむク文曞でないのなら、その䌚の呌びかけ人や賛同者は、みんな文章の読めない「バカ揃い」ずいうこずになっおしたうからである。

    だが、同研究䌚の䞭にも、人䞊みの知性を持っおる人だっおいるだろう。
    なにしろ倧半は、倧孊の教員なんだから䞀䞀ず、私は斯様に、奜意的に解釈しおいるのである。

    実際、北村玗衣のような぀たらない孊者の、぀たらない本でも、それなりに売れるのは、そもそも掻字の本をほずんど読たず、北村玗衣をネットアむドルのごずく厇めおいる「知的レベルの䜎いファン」が倚いからに他ならない。

    北村玗衣には「X旧ツむッタヌのフォロワヌが䞇人匷」もいるのだが、私が垞々指摘しおいるずおり、北村玗衣の著䜜に察し、名のある人による曞評が曞かれたり、無名の曞評家による䞭身のある曞評が曞かれたりするこずなど、絶えお無いのだ。

    そもそも、䞇ずは蚀わないが、北村玗衣の著䜜が䞇冊も売れおいれば、もっず版を重ねおいるはずだし、Amazonのカスタマヌレビュヌも、もっず曞かれおいるはずなのだが、そういうものがさっぱり目に぀かないのは、やはり今颚に「お垃斜」ずしお、「本尊」の著曞を買い、それを専甚神棚に食っおいるようなファンしかいないからなのではないだろうか。

    ずもあれ、北村玗衣をロヌルモデルずしお、自分たちも、資本䞻矩的な勝ち組に「リヌン・むン」したい成り䞊がりたいず願っおいる蓋然性のきわめお高い「珟代フェミニズム研究䌚」䌚員たる倧孊教員たちの狙う「客局」が、圓然のこずずしお、北村玗衣ファンレベルなのであれば、そこぞ投げ䞎えるべきものは「論理的な文章」である必芁ないし、むしろ、なたじ論理的な文章など曞けば、「お客様」たちは぀いお来れないず、そう考えるのも圓然のこずでしかないのだ。

    したがっお、もしかするず、「客局の知的レベル」ぞの呚到な配慮においお、あの「でたらめで幌皚な趣意曞」が曞かれた、ずいうこずなのではないだろうか。
    「趣意曞」の曞き手は、単に「頭が悪い」のではなく、そこたで呚到に「陰険姑息なだけ」なのかもしれないず、私はそのように考えたい。

    䞀䞀でないず、私の批刀盞手ずしお、あたりもチンケで、「手応えのない小物」ずいうこずになっおしたうからである。
    私が批刀盞手ずしお期埅しおいるのは、ショッカヌの「戊闘員ザコ」クラスではなく、せめお「怪人」か「幹郚怪人」クラスなのだ。そうであっおほしい。

    たあ、メむンで批刀しおいる北村玗衣自䜓が「ギヌ ギヌ」蚀っおる「戊闘員」クラスの胜力しかないずいうのも事実なのだが、私が北村玗衣を盞手にしおいるのは「いきがかり䞊の理由」があっおのこず。䜕も奜きで、あんなチンピラを盞手にしおいるわけではないのだ。
    「担圓者」になっおしたったからには仕方がないず、そう思っお、指導担圓者になっおやっおいるだけなのである。

    閑話䌑題。

    竹内掋著『教逊䞻矩の没萜』で確認できたこずをたずめお蚀えば、シオドア・スタヌゞョンが「SFの割はクズである。ただし、あらゆるものの割もクズである」蚀ったずおりで昔の人も、基本的には「割が銬鹿」だったから、圓時の知識人が「これがオススメ」だずいう本を、盲信的にありがたがっお読み、それを読んでいる自分たちを「教逊ある人間だ」ず北村玗衣ファンのごずく勘違いしおいた、ずいった事実である。

    そしお、重芁なのは、圌ら「教逊䞻矩者」たちは、「教逊」そのものが倧切なのではなく、結局のずころは、「教逊ある私ずいうステヌタス」぀たり、今の蚀葉で蚀うず、「瀟䌚的な承認」が欲しかっただけだった、ずいう事実なのだ。

    圓時の、公認された「教逊曞」さえ読んでいれば、呚囲の人たちが「すごいですね」ず感心しおくれるから、それに自慢に錻をひく぀かせお読んでいただけで、時代が移っお「浮かれた」高床経枈成長期やバブル経枈期になるず、そういう「修逊曞的な重い教逊」は、瀟䌚的に重芖されなくなっおしたう。
    皆が「もっず実甚的な知識」あるいは「もっず趣味的な知識」を求めるようになるず、途端に、旧来の「教逊䞻矩」の没萜、ずいうこずになったのだ。

    䞀䞀ず、おおよそこういう話なのである。

    しかしながら、高床経枈成長期やバブル経枈期になるず、か぀お求められた「修逊的な教逊」ではなく、「実甚的な知識」あるいは「趣味的な知識」が求められるようになったずいうのだから、実際のずころ「教逊䞻矩」は、かたちを倉えながらも、じ぀は今も存続しおいる、ずいうこずになる。
    ただ、求められる「教逊」の䞭身が、昔に比べるず「お手軜になった」ずいうこずに過ぎないのだ。

    画像
    北村玗衣の第著曞『お砂糖ずスパむスず爆発的な䜕か』。サブタむトルには「フェミニスト批評入門」ずある。本幎、某補版ずしお「ちくた文庫」入りしたが、さすがに「ちくた孊芞文庫」ではなかった

    だから、いた珟圚だっお「アニメの教逊」もあれば「鉄道の教逊」もあるだろう。
    そしお、そうした「趣味的な教逊」のひず぀に「フェミニズム的教逊」もあっお、それらはすべお「教逊」であり、いずれも無いよりはあったほうが良いものではあるのだが、やはり問題は、その「優先順䜍」であり「事の軜重」だずいう話になっおしたう。

    しかしながら、それを「客芳的」に順䜍づけするのは、䞍可胜だ。
    なぜなら、昔のような「絶察的な暩嚁」はもはや存圚せず、いたや、人それぞれの䟡倀芳や人生芳の方が尊重される。䟋えば、「フェミニズム的知識」なんかよりも「鉄オタ的知識」の方がよほど重芁で「人生を豊かにしおくれる」ず、そう考える人も少なからずいお、それはそれで、十分に「䞀理」あるからである。

    そんなわけで、「䟡倀芳の倚様化」した珟圚、さらにそこぞ「むンタヌネット瀟䌚」における「フィルタヌバブル」や「゚コヌチャンバヌ」「サむバヌカスケむド」などの条件たで重なっお来おは、人々はたすたす、小さなグルヌプぞず分断されお、盞互に話が通じなくなる。

    「倚様性が倧事」だず叫んでいる䞀方で「この趣意曞に異を唱えるような差別䞻矩者は、絶察に認めないし、話議論もしたくない」ずかいうような、凝り固たった䞍寛容な「原理䞻矩的フェミニスト」なんかも珟に生たれおきお、密かに「戊闘員」集めをし、組織の拡倧による「業界芇暩」を図っおいたりするのだ。

    斯様、たこずに困った䞖の䞭なのだが、そこで私が蚎えたいのが、䞀䞀「教逊䞻矩」的な「暩嚁䞻矩的教逊」に凝り固たるのではなく、ひずたず「ひろく」教逊を求めお、自分の䞭で「䟡倀芳の盞察化」や「自己内察話蚎論」ができるようにしたしょうよ、ずいうこずなのである。

    オタク的に凝り固たっお、そうした「せたい教逊」しか持たないなら、その人はそれを捚おるこずはもずより、軌道修正するこずすらできなくなっおしたう。
    それを、䞀郚でも捚おたら、「完党無欠だったはずの教矩」が、その絶察性を倱っおしたう。たしおや、その「教矩」をぜんぶ捚おおしたったら、途端にその人は「空っぜ」になっおしたうためだ。
    だからこそ、いた手の䞭にある「ひず色の手札」にこだわっおしたうのだが、これは「宗教」の堎合ず、たったく同じこずなのだ。

    「ここたで、この信仰に人生を賭けおきたからには、今曎この信仰を捚おるわけにはいかない」ず、そうなっおしたう。

    実のずころ、心の䞭では「神様なんお、いないんじゃないの」ずか「あの聖者ぶった教祖様だっお、セックスもすればりンコもタレる人間だろう」ずいうような、劥圓な疑いを抱いおいたずしおも、それでも、これたで信じおきた「信仰教矩」を投げ捚おるこずは出来ない。
    自分の考えを根本から改めるための勇気ず、改めた先の基瀎ずなる別の「教逊」がたったく無いために、䜕がなんでも、今あるものにしがみ぀いお、「神は実圚する」ずか「教祖様には性欲も食欲もない」などず、無理にでも、そう思い蟌もうずしおしたうのである。

    そしおこれは、「フェミニズム」においおも、たったく同じこずなのだ。

    「教逊」が無いからこそ、今どきのフェミニストの蚀うこずは「䞀色」であり、きわめお「せたい」。
    それは、「倚様性」ずは、およそ真逆なものになっおしたっおいるのだ。

    昔よく蚀われた「民䞻䞻矩」の「基本」原理であり、その「理想」を語る蚀葉ずしおの、

    『私はあなたの意芋には反察だが、それを䞻匵する暩利は呜がけで守る。』

    ずいうノェルテヌルのものずされる蚀葉は、いったい、どこぞ行っおしたったんだろう

    今どきの「フェミニスト」には、およそこうした発想が無く、あるのは「われわれこそが唯䞀正しい。ゆえに、批刀は蚱さないし、論敵ずの議論も必芁ない」ずいう「狂信的な独善䞻矩」だけなのである。

    い぀から、「反差別」を口にする人たちは、こんなに「独善的」で「゚リヌト䞻矩的」な「差別䞻矩者」になっおしたったのだろうか

    そこで、私が蚀いたいのは、こうだ。

    「意芋が違うからこそ、議論したしょうよ」
    䞀䞀これだけなのだ。

    けれどもやはり、「教逊」の無い人は、議論などしたくないだろうな。

    なぜなら、教逊が無いず、盞手がどんな角床から批刀しおくるのか、それを予枬するこずも、およそ「䞍可胜」だからである。

    敵は、「人間」ではなく、人間以倖の「駆逐すべき䜕か」だず、「珟代フェミニズム研究䌚」の䞭心メンバヌは、そう思い蟌んでいるようなのだが、しかしこれこそが、ナチスドむツ的な「差別の原理」であり「排陀の原理」であったこずを、私たちは、今䞀床、思い出すべきなのではないだろうか。

    2025幎5月12日



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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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