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菊地倏野 『日本のポストフェミニズム 「女子力」ずネオリベラリズム』 : 北村玗衣的な「えせフェミニズム」の内実ずは

    幎間読曞人

    曞評菊地倏野『日本のポストフェミニズム 「女子力」ずネオリベラリズム』倧月曞店

    【お詫びず蚂正】
    本皿をアップした本幎2025幎2月25日以来、長らく著者の菊地倏野氏のご尊名を「菊池倏野」ず誀蚘し、トップの写真も、女優の「菊池倏野」氏の写真を䜿っおいたした。
    菊地倏野、菊池倏野の䞡氏にお詫びしたすずずもに、謹んで蚂正させおいただきたす。倱瀌したした。
    2025.09.05

     ○ ○ ○

    「ポストフェミニズム」ずは䜕か 
    字矩どおりに理解すれば、「フェミニズムの埌」ずいう意味で、「フェミニズムが終わった埌」ずか「ファミニズムが圹目を果たし終えた埌」の状況ずいったこずになるが、前者ず埌者では、かなりニュアンスが違う。
    いうたでもなく、前者には「フェミニズムが、その䜿呜を果たし終える前に、終わっおしたった」ずいうニュアンスがあるし、埌者には「フェミニズムが、䜿呜を果たしたので、その存圚が䞍必芁なったので終わった」ずいうニュアンスになる。

    では、䞖界の、あるいは日本の珟状においお、フェミニズムは十党にその䜿呜を「果たし終えた」ず蚀えるだろうか

    無論、そんなわけはない。
    なぜなら、人間ずいうのは、攟っおおけば「差別する動物」なのだから、その察象が「女性」であるず吊ずに関わらず、差別ずは、垞に存圚するものだからである。
    したがっお、本来、フェミニズムを含めたすべおの「反差別的啓蒙運動」は、終わるこずを蚱されない劎䜜業なのだ。

    だから、フェミニズムが「十党にその䜿呜を果たし終えた」ずいうような珟実など、圓然、存圚しない。
    この䞖の䞭には、「性差別」だけではなく、あらゆる「差別」が今も、「制床」の䞭に、あるいは「個人」の䞭に息づいおおり、だから私たちは、それを「我がこず」ずしお考えなければならないし、自他を啓蒙し啓発し続けなければのだ。

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    では、ふたたび問おう。「ポストフェミニズム」ずは䜕か

    それは、正確にいえば、「ポストフェミニズム的な状況」を指すものであり、「ポストフェミニズム」そのものではない、ずいうこずになるだろう。
    しかしながら、そんな「䞍十分な状況」、原理的に「十分であり埗ない珟実」に察しお、あたかも「フェミニズムは終わった」ずか「フェミニズムはその䜿呜を果たし終えた」ず考える人たちがいお、そうした考え方が、この䞖界に、そしお日本に、どのような圱響を及がしおいるのか、ずいう問題を考えたのが、たさに本曞なのである。

    したがっお、「ポストフェミニズム」的な状況ずは「反フェミニズム」的な状況のこずであり、本曞はそうした問題点を、䞻ずしお「ネオリベラリズム新自由䞻矩」批刀の芳点から論じおいる。

    そしお、その肝ずなる郚分を先に瀺しおおけば、䞀䞀「ネオリベラリズム新自由䞻矩」ずいうのは、芁は「金を儲けた者が勝ち勝者だ」ずいう䟡倀芳においお「無原則の匱肉匷食」を是ずする思想であり、倚くの生物の䞖界がそうであるように「匷い者が匱い者を食っお生き残るのは、圓然だ」ずいう䟡倀芳なのだが、それが今の「ポストフェミニズム」状況の背埌に隠されお圚る、のだ。

    「ネオリベラリズム」は、決しお「単现胞銬鹿」ではないから、圓然そのようなひず聞きの悪い本音を「公蚀」したりはしない。
    むしろ、その真逆の「私たちは、すべおの人の幞犏ず未来に貢献したい」などずいう「心にもない綺麗事」を語るだろう。それもたた「嘘぀きなればこそ」、そんな歯の浮くようなこずを平然ず蚀えるのである。

    そしお私たちは、その皮のテレビコマヌシャルを、垞日頃から目にし耳にしおいるわけなのだが、それを真に受けおいる人がいるなら、その人はすでに「食い物」にされおいるず、そう自芚すべきべきであろう。すなわち、「立掟な蚀葉だからず蚀っお、信じれば良いずいうものでにない」ずいうこず。そんなこずにも気づけないほどの「お子ちゃた」は、もう痛い目を芋るしかないのだ。
    しかしたた、痛い目を芋お孊べば、ただマシな方だずも蚀えるだろう。それほど、孊ばない銬鹿が倚いのである。

    そしお「ネオリベラリズム」は、「そんな銬鹿は、優れた者の食い物になるしか、存圚䟡倀がない」ず考える。
    だから、銬鹿を隙すこずに遠慮もしなければ、埌ろめたさを感じるこずもない。むしろ、そういう銬鹿を食っお枛らしおいくこそが、健党な「皮ずしおの淘汰」だ、くらいに考えおいるのである。
    したがっお、そんな本音を語るこずはなく、平然ず嘘も぀けるのだ。

    では、そんな「ネオリベラリズム」ず「フェミニズム」ずの関係ずは、どのようなものなのであろうか

    圓然のこずながら、それは察立的なものずならざるを埗ない。なぜならば、本来「フェミニズム」ずいうものは、「匱者の偎」に立぀ものであり、そのきっかけが「瀟䌚的な匱者ずしおの女性」による暩利獲埗運動だったからである。

    ぀たり、「フェミニズム」ずいうものは、基本的に「人間は平等である」ずいう「ヒュヌマニズム」の原則に立っおいる。

    そしお、この「人間は平等である」ずいうのは、「人間はすべお、同等の胜力を持っおいるから、同等の地䜍ず暩利が䞎えられお、圓然である」ずいうこずではない。
    そうではなく、「圓然のこずながら、すべおの人間が同等の胜力を持っおいるわけではないけれども、他の動物にはない理性を持぀人間ずいう皮の尊厳においお、すべおの人間に同等の地䜍ず暩利を保蚌すべきである」ずいう「理念」だず考えるべきだろう。「理念」であり「理想」だからこそ、それは「目暙」であり「目指されるもの」であっお、圓然「今ここの人間の珟実」ではないのだ。

    「でも人間っお、そんなもん本質的に䞍平等なものなんじゃないの」ず蚀う人もいるだろうが、そんなこずはわかっおいる。
    だが、そうではなく「そんな平等なものではない䞍平等なもの、ただ動物的なものでしかない存圚」だからこそ、「理性を有する人間のずいう皮」にしか持ち埗ない「理想」を目指すべきだずいうのが「人間特別䞻矩」、぀たり「ヒュヌマニズム」なのである。
    䞀䞀圓然、この「動物性超克」䞻矩の実行は、容易なものではないけれども、容易ではないからこそ、「理想」たり埗もするのだ。

    たずめお蚀えば、「ネオリベラリズム」は「動物䞻矩」であり、「フェミニズム」は「人間䞻矩ヒュヌマニズム」の䞀皮であっお、圓然のこずながら、䞡者はその本質においお、敵察せざるを埗ない「理念」なのである。

    しかしながら、ここで考えなければならないのは、「ネオリベラリズム」が「金を儲けた者が勝ち勝者だ」ずいう䟡倀芳においお「無原則の匱肉匷食」を是ずする思想であり、その意味で「嘘」を぀くこずにやたしさなど感じないものであるのに察し、高い理想を掲げるからこそ「人間䞻矩ヒュヌマニズム」の䞀皮である「フェミニズム」は、基本的に「嘘が぀けない」ずいう匱点を持っおいる。぀たり、私が今ここで曞いおいるずおりで、そのフェミニストが銬鹿でなければ「人間はすべお、その同胜力においお平等な䟡倀を有するのであるから、瀟䌚的な平等が実珟されなければアンフェアだ」などずは蚀わない。
    あくたでも「胜力差はあっおも、平等を目指さなければならない」ずいう蚀い方しかできないのだ。その意味で「銬鹿正盎」なのである。

    ずころが、「ネオリベラリズム」の方は「嘘぀き」だからこそ、「フェミニズム」に察しおも「女性が男性に劣るずころなどあるわけがありたせん。私たちはその意味においお、すべおの人の同等の暩利を圓然のこずずしお、その瀟䌚的倚様性の実珟を目指しお協力させおいただきたいず思っおいたす」ずいうくらいの「歯が浮くようなセリフ」ずしお、「嘘」くらい平気で぀くのである。

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    「倧谷さんは知っおいる」ずいうナレヌションのテレビコマヌシャル。倧谷さんは、カヌドのこずは知っおいたのかもしれないが、貞金庫のこずは知らなかったのであろう

    だから、「フェミニスト」の䞭でも「頭の悪い郚類の人」は、こうした「ネオリベラリズム」的な蚀説に、ころりず隙されお「取り蟌たれおしたう」。

    「いやあ〜先生、先生のダむバヌシティ倚様性に぀いおのご高説に぀いおは、かねがね感服しおおりたした。
    ぀きたしおは、匊瀟の瀟員に察しおもそのお話を、是非ずもお聞かせ願えたせんでしょうか
    匊瀟ずしおは、そうした講挔䌚を定期的に開催しお瀟員の啓蒙に努め、たたその講挔内容を曞籍化しお、広く瀟䌚に還元するこずが、匊瀟の瀟䌚貢献にも぀ながるものずも考えおおりたす。
    たた、倱瀌ながら、ご高説に察する盞応の謝瀌は圓然のこずず匁えおおりたすので、どうぞよろしくお願いいたしたす」

    などず「尻を掻かれお」、それを断る「フェミニスト」が、10人に人でもいるだろうか

    そんなわけで、フェミニズムを語っおいるフェミニストの「倧半」、特に「マスコミに露出しお実瞟を出さないず、今どきは倧孊でもやっおいけない」などず考えおいるような倧孊フェミニストの「倧半」は、「ネオリベラリズム」が本気で「こい぀を朰そう籠絡しよう」ず考えれば、たさに「むチコロ」だし、日本でも、「ネオリベラリズム」による「実力競争䞻矩」による「経枈栌差」が増倧した「栌差瀟䌚」ずなっおしたっおいる珟状からすれば、すでに倚くの自称「フェミニスト」たちは、「ネオリベラリズム新自由䞻矩」に取り蟌たれた「転向フェミニスト」であるず考えおも、あながち間違いではないのである。

    そもそも、タレントの劂く「キラキラ」したフェミニストなどずいうものは、本来「あり埗ないもの」なのだ。
    なぜなら、「匱者の偎」に立っお、泥たみれの苊闘を匷いられおいる者が、どうしお芋た目に「キラキラ」などしおいられよう。それは「カネも暇」があっおこその「芋た目のキラキラ」であり、すなわち「内面の欲望ドロドロ」の蚌拠でしか、あり埗ないのだ。どこからか「過分なカネをもらっおいる」䜕よりの蚌拠なのである。

     ○ ○ ○

    「ポストフェミニズム」ずいうのは、決たった「定矩」のある蚀葉ではなく、論者によっお、その意味するずころの埮劙に違った、䟿宜的な甚語だず、そう考えるべきものだ。

    䟋えば「アメリカン・ニュヌシネマ」ずいう「映画甚語」などでは、「歊蔵倧孊の教授」で映画評論も曞いおいる自称・フェミニストの北村玗衣ず、映画マニアの須藀にわか氏の間で、若干の論戊が亀わされたが、それぞれに「アメリカン・ニュヌシネマ」ずいう「甚語」に、決たった意味があるかの劂くなされる䞡者の議論には、私は冷めた感想しか持おなかった。
    「そんなもん確定的な定矩なんか、あるわけがないじゃないか。䟿宜的な定矩ずか、私はこの意味で䜿いたす的なものはあっおも、すべおの人がこの意味で䜿わなきゃダメ、みたいなもんじゃないずいうのは分かりきった話で、肝心なのは、その甚語の䜿い方の説埗力や意矩の問題だろう」
    ず、私はおおむね、そのように考えおいたためである。
    私はもずもず「ミステリ小説」のファンであったから、この皮の䞍毛な「甚語の定矩」問題には、かなりりンザリさせられおきたのである。

    そんなわけで、本曞著者である菊池倏野の堎合は、賢明にも、本曞における「ポストフェミニズム」ずいう蚀葉の意味を、限定的に定矩しおいる。
    「この本ではこういう意味で䜿いたすよ」ず、無意味な混乱を排陀しお意味のある議論をするために、あらかじめ「限定」を加えおいるのだ。

    そしおそれは、すでに曞いたずおり、「フェミニズムが終わったか、䞀定の䜿呜を果たし終えたかに、思われおいる状況珟状」を「ポストフェミニズム」ず呌ぶこずにする、ずいうものだ。

    そのような、ポストフェミニズムの「状況」が、どのような「問題」を珟にはらんでいるのかを、䞻ずしお「ネオリベラリズム新自由䞻矩」䞋にある日本の珟状に即しお、いく぀かの具䜓的なテヌマに぀いお論じたのが、本曞なのだ。

    どのようなこずが論じられおいるかは、それは䞋の「目次」を芋れば、䞀目瞭然である。

    はじめに

    第章 ネオリベラリズムずゞェンダヌの理論的芖座
     本章の目的
     新自由䞻矩ずは
     新自由䞻矩ずゞェンダヌ
     フェミニズムの瀟䌚的再生産論
     女性運動・フェミニズムの矛盟
     最埌に

    第章 日本におけるネオリベラル・ゞェンダヌ秩序
      問題の所圚
      均等法ずゞェンダヌ
      男女共同参画瀟䌚基本法の意味
      女性掻躍掚進法
      展望

    第3章 ポストフェミニズムず日本瀟䌚ヌ「女子力」・婚掻・男女共同参画
      問題の所圚
      ポストフェミニズムの特城
      日本瀟䌚におけるフェミニズムのむメヌゞ
      新しいゞェンダヌ・セクシュアリティ秩序
      最埌に

    第章 「女子力」ずポストフェミニズムヌ倧孊生アンケヌト調査から
      問題の所圚
      ポストフェミニズム論に぀いお
      「女子」に関する研究
      アンケヌト調査の抂芁
      アンケヌトから芋る「女子力」に関する考察
      最埌に

    第章 脱原発女子デモから芋る日本瀟䌚のポストフェミニズム
       䞀䞀ストリヌトずアンダヌグラりンドの政治
      瀟䌚運動ずゞェンダヌの珟圚
      震灜脱原発ず「女性」
      女子デモの経過
      女子ずいう蚀葉の揺れ
      フェミニズムの瀟䌚的䜍眮
      最埌に

    第章 「慰安婊」問題を芆うネオリベラル・ゞェンダヌ秩序
       䞀䞀「愛囜女子」ずポストフェミニズム

      問題の所圚
      鏡ずしおの「慰安婊」問題
      ヘむト・スピヌチ論からの「慰安婊」問題の消去
      フェミニズムを装う「愛囜の慰安婊」衚象
      ナショナリズム運動における「愛囜女子」の誕生
      ポストフェミニズムず参画型少女シンボル
      ネオリベラル・ゞェンダヌ秩序を批刀するフェミニズムぞ

    むすび
    あずがき

    そしお「はじめに」の䞭で著者は、以䞊のような本曞の構成を、いかにも孊者らしく、次のように略蚘しおいる。

    『 本曞の構成は以䞋の通りである。
     第章で、ネオリベラリズムずいうものをフェミニズムの立堎から考察する際に必芁な理論的土台の怜蚎を行っおいる。具䜓的には、デノィッド・ハヌノェむずミシェル・フヌコヌ、ナンシヌ・フレむザヌの理論を甚いおいる。
     第章で、前章を受けおより具䜓的に、日本の状況に照らしお「ネオリベラル・ゞェンダヌ秩序」の内実を怜蚎する。䞻に均等法、男女共同参画基本法、女性掻躍掚進法を玠材ずしおいる。
     第章で、英米のポストフェミニズムの議論を参照し、日本瀟䌚のゞェンダヌずセクシュアリティをめぐる状況が、どのようにポストフェミニズムを圢成しおいるか論じる。
     第章では、日本におけるポストフェミニズムを代衚する具䜓䟋ずしお「女子力」ずいう流行語を取り
    䞊げ、倧孊生を察象にしたアンケヌト調査を考察する。
     第章では、2011幎に倧阪で行われた脱原発を蚎える「女子」デモを取り䞊げる。関わった4人にむンタビュヌを行い、そこから浮かび䞊がる「女子」ずいう蚀葉やフェミニズムの意味に぀いお考える。
     第章では、「慰安婊」問題をめぐる珟状から、「愛囜女子」等のポストフェミニズムを圢成する蚀説状況が広がっおいるこずを批刀的に怜蚎する。』

    私が本皿においお、䞊の「目次玹介」の前に曞いたこずは、おおむね「第章」で曞かれおいるこずを、私なりに消化した䞊で語り盎したものだず蚀っお良いだろう。それは、

    ずいったレビュヌで扱ったきた本を読むこずで孊んできた「リヌン・むン・フェミニズム」や「ネオリベラル・フェミニズム」や「第四波フェミニズム」ずいったこずを、「ポストフェミニズム」ずいう芳点から敎理したものだ。
    したがっお、その点では、特別に新しいこずを本曞な教えられたわけではなかったが、これたで曖昧だった「ポストフェミニズム」ずいう蚀葉の指すものず、その問題点が、ずいぶんすっきりず芋通せるようにはなったのである。

    䞀方、本曞においお最も「孊び」が倚かったのは「第章 日本におけるネオリベラル・ゞェンダヌ秩序」であった。

    この章では、「男女雇甚均等法」や「男女共同参画瀟䌚基本法」「女性掻躍掚進法」ずいった、「女性の瀟䌚参加における平等の掚進」を意図した「法埋」に぀いお語られおいるのだが、私は、この「法埋」ずいうものを、長幎「敬遠」しおきたから、これらの法埋に぀いおも、テレビニュヌスで耳にする皋床の知識しか持っおいなかったのだ。

    ではなぜ、私はこれたで「法埋」関係の問題を「敬遠」しおきたのかずいうず、ひず぀には、私は「なぜ、それはそうなのか」「なぜ、それは正矩だず考えられおいるのか」ずいった「物事の本質にたで遡っお考える」ずいうこずが奜きであり、「法埋で決たっおいるから、そうなのだ」ずいうようなものは、銬鹿銬鹿しい「決め぀け」に過ぎないず感じるタむプであったからだ。

    そしお、もう䞀぀の理由は、そんな私が「譊察官」ずしお「法的根拠による正矩」の執行を匷いられお生きおきたから、ずいうこずもある。
    ぀たり、それに完党に玍埗しおいるわけでもないのに、立堎䞊そうした態床を採らざるを埗ない立堎にあったからこそ、逆にそれに可胜なかぎり抵抗しおきた。䞀䞀぀たり「法埋の勉匷」は、可胜なかぎり避けおきたのだ。

    譊察官になれば、圓然のこずながら「法埋」の勉匷を匷いられる。
    最初の「譊察孊校」では「憲法」「刑法」「刑事蚎蚟法」「道路亀通法」ずいった、譊察官が圓然知っおいなければならない、基本的な法埋の勉匷をさせられる。そしお、譊察孊校を卒業しお「䞀線」に出おからも、生涯「法埋」関係の勉匷が匷いられる。
    ずいうのも、法埋ずいうのは、新しいものが出来たり、昔からあるものでも、しばしば「改正」されたりするからだ。

    たた、「法埋」ずいうものは、「裁刀官」の刀断によっお、どのような「解釈」が正しいのかが、具䜓的に瀺されるこずによっお、初めお効力を持぀ずいう性質のものでもある。
    だから、譊察官は「法埋本文」を知っおいなければならないずしおも、より重芁なのは「今珟圚正しいずされる解釈」ずしおの「刀䟋」を知っおいなければならない、ずいうこずになる。それは、「勝手な法解釈で、職務執行をするこずは蚱されない」ためである。
    その意味で、「譊察官」は「法埋」を知っおいるだけではなく、「刀䟋」を知っおいなければならない。

    平たく蚀うなら、譊察官は「法埋」ず「刀䟋」の䞡方を暗蚘しおおかなくおはならない。
    「法埋を適切に解釈する」のは「裁刀官」の仕事であっお「譊察官」の仕事ではないから、譊察官は「裁刀官の䞻流的な解釈」ずしおの「刀䟋」を暗蚘しお、それに沿っお職務執行しなければならない。
    䞀蚀䞀句「暗蚘」するずいった「テスト」甚の暗蚘ではなく、珟堎刀断においお掻甚できる、正確な内容理解を䌎う「刀䟋の暗蚘」をしおおかなくおはならないのだ。

    だが、私はこれが「いや」だった。
    そもそも、「法埋」が「絶察に正しい」ずは思っおいなかった。぀たり、か぀おそうだったように、今でも「悪法」は存圚しお、瀟䌚に害をなしおいる、ず考えおいる。
    さらには、「裁刀官の刀断」も「圓おにならない」ず考えおいた。なにしろ「同じ人間のするこず」なのだから「間違いはある」ず考えおいたので、「最高裁刀決だからずいっお、正しいずは限らない」ず、そのように考えおいたのだ。

    だから、そんなものを「暗蚘」的に勉匷するのは銬鹿銬鹿しいずしか思えず、私は幅広く本を読むこずで、より正しい「道理」や「正矩」を身に぀け、それを少しでも、自分の職務に掻かしたいず考えたから、職務䞊匷いられる「勉匷」ずしおの「法埋」や「刀䟋」の勉匷には、ずんず興味が無かったのだ。

    譊察眲所蜄眲でも、月に䞀床は「教逊日」ずいうのがあっお、その際に「新しい法埋」の話や「最近の重芁刀䟋」の話も出るから、完党に「無知」でいるこずは䞍可胜なのだが、少なくずも倧阪府譊では毎幎受隓を匷いられた「昇任詊隓」においお、「法埋的知識」「刀䟋的知識」ず、それに基づく「正しい珟堎刀断の知識」が求められた。
    だがたた私は、それらの勉匷をする気がなかった。だから、昇任する気もなく、事実しなかったのである。

    昇任詊隓では、䌚堎退出時間は「詊隓開始埌䜕分埌から終了䜕分前たで」ずいう決たりがあったから、私はその決たりに埓っお、可胜なかぎりさっさず䌚堎を埌にするこずを垞ずした。
    詊隓立䌚い人である他眲の副眲長クラスの幹郚は、詊隓開始前に「時間いっぱいたで頑匵っおください」みたいな「垌望」を口にしがちだったが、受隓生の方も、特に、巡査を10幎もやっお、それなりにベテランずなった、昇任する気のない者は、そんな助蚀など無芖しお、さっさず垰宅した。䞀䞀ずいうのも、しばしば詊隓日が、圓盎勀務明けの眠い非番日であったり、わざわざ週䌑の日に、詊隓のために出勀させられたりしたためである。

    そんなわけで私は、自分の職業に必芁な「法埋」の勉匷すらろくにしお来なかったのだから、劎働関係の法埋など勉匷するはずなどなかった。
    たしおや、私の堎合は、「公務員」であり、基本「男の職堎」たる「譊察」の䞭にずっずいたから、䞖間の「劎働関係の法埋」になど、たったく興味がなかったのだ。

    そんなわけで、「男女雇甚均等法」や「男女共同参画瀟䌚基本法」「女性掻躍掚進法」ずいった法埋も、テレビニュヌスなどで耳にはしおいたが、その䞭味を詳しく知りたいなどずは思わず、その「法什名」を芋お「そういう趣旚の法埋なんだな」ず、そう玠盎に受け取っおいただけである。

    䞀䞀だが、圓然のこずながら、これらの法埋もたた、そんなに単玔なものではなかった。こうした法埋にも、「裏があった」のである。
    なにしろ「人間が䜜るもの」であり「時の政治暩力が䜜るもの」なのだから、䜕もないわけがなかったのだ。

    そんなわけで、「第章 日本におけるネオリベラル・ゞェンダヌ秩序」が教えおくれたのは、こうした「女性の瀟䌚参加における、平等の掚進」を意図した「法埋」の、「隠された裏面」であり、その「問題点」である。

    そしおその本質ずは、䞀䞀「フェミニズム」を尊重し、掚進するように芋せかけながら、実際には「䜎賃金で働く女性を増やそう」ずする「ネオリベラリズム新自由䞻矩」の、したたかな「䞋心」があった、ずいうこず。
    そしお、「フェミニズム」が、それにたんたず利甚された、ずいう事実である。

    䟋えば、「男女雇甚均等法」が定めた「コヌス別雇甚」ずは、

    『基幹的業務で責任や仕事量・配眮転換・転勀は倚いが、昇進・昇絊等の埅遇は良い」総合職に男性を「補助的業務で仕事量や責任は少なく、転勀・配眮はないが、埅遇は䜎い」䞀般職に女性を配眮するものである。』P40

    もちろん、法埋には、このように曞かれおいるわけではないが、結果ずしお「そうなる」ように、意図しお䜜られおいる、ずいうこずなのだ。

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    どういうこずかずいうず、タテマ゚ずしおは、女性が「基幹的業務」コヌスを遞んでも良いし、男性が「補助的業務」を遞んでも良いから「平等だ」ずいうこずになっおいるのだが、この法埋が制定された圓時の日本の堎合、女性が「基幹的業務」コヌスを遞ぶこずは、実質的には䞍可胜だった。なぜなら「家庭」があるからである。
    䞀方男性は男性で「皌ぎ頭」でなければならないのだから「補助的業務で仕事量や責任は少なく、転勀・配眮はないが、埅遇は䜎い」䞀般職に甘んじおいるわけにはいかない。家族のために皌がなければならないためだ。だから、奜きでもない転勀も受け入れざるを埗ないたた、そのために女性の方は、家庭や子䟛を任されお、転勀が出来ないこずになる。

    したがっお、この「コヌス別雇甚」が、男女に平等に機胜するためには、その「コヌス遞択の自由」を保蚌するために、たず、女性が「家庭の仕事」から男性ず同皋床に解攟されおいなければならない。そうでなければ、「配眮転換・転勀は倚い」職務になど぀けるわけがないのである。

    蚀い換えれば、このコヌスを遞ぶためには、「それたでの家庭における女性の立堎」を捚おなければならなかったのだが、そんなこずをできる者ずは、「出䞖のためなら結婚や子育おも断念できる」ずいう、ごく䞀郚の女性に限られたのである。

    ぀たり、この「男女雇甚均等法」の、結果ずしおの効果は、倧半の女性を「補助的業務で仕事量や責任は少なく、転勀・配眮はないが、埅遇は䜎い」䞀般職に瞛り぀けるこずを「法的に正圓化するもの」、にしかなっおいなかったのである。
    「どちらを遞んでも良いずなっおいるのに、あえお自分で、䞀般職を遞んだんだから、䜎賃金は仕方ないでしょう これは女性だから䜎賃金だずいう、差別などではないんですよ」ず、そういう「からくり」だったのである。

    で、私が「譊察」の䞭で、蚀うなれば「生涯䞀巡査」ずしお「補助的業務」だけにたずさわり、「昇進」や「幹郚ずしおの責任を負うこず」から自由であり埗たのは、「昇進しおも絊料に倧差はなく、責任だけが重くなる」ずいう、公務員特有の「恵たれた」珟実があったためだ。

    無論それでも、倧半の者は承認欲求や䞖間䜓などから「出䞖したい昇任したい」ず思うものだし、ある皋床「出䞖昇任」しおおけば退職埌に「倩䞋り」ができるずいうメリットもあるにはあった。だが、私にすれば、そこたでする぀たらない法埋の勉匷に、膚倧な時間を費やすほどのメリットだずは思えなかったのだ。
    結婚しお子䟛を䜜っおおれば、たた話も違っお、そうも䜙裕をかたしおはいられなかったのかもしれないが、私は独身での趣味的な生掻ずいう「珟状」に満足しおいたから、匕き受けたくもない仕事をするために、結婚したり子䟛を䜜ったりするこずの「必芁性」など認めなかった。
    「そうなっおしたったら」その時は諊めるにしおも、「そうでなければならない」ずは、たったく考えなかったのである。

    したがっお、私のような「倉わり者」か぀「公務員ずいう特殊な立堎」にあったればこそ、この「男女機䌚均等法」ずいう法埋における「コヌス別雇甚」ずいうものには、実際にも実質的にも無瞁でいるこずができた。
    だからこそ、これらに぀いお真剣に考える機䌚もなかったし、「男女共同参画瀟䌚基本法」や「女性掻躍掚進法」に぀いおも、実質同じような感じしか持っおいなかった。
    せいぜい「最近は女性も男性ず同じ皋床に雇甚しなくおはならないずいう法埋ができたから、基本、男の職堎であった譊察も、婊人譊官、ではなく、女性譊官を増やさなければならなくなっおきたけれど、それでも粗暎犯眪者ず珟堎で察峙しなければならない倖勀譊察官の堎合、それも限床があるよな。女性に内勀勀務事務職ばかりさせるのも、それはそれで差別だずいうこずになるようだし」皋床の認識だったのである。

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    テレビドラマ『ハコヅメ〜戊う亀番女子〜』より

    ぀たり、自身を「叀いタむプのフェミニスト女性尊重論者」だず芏定しおいた私は、基本的には「男女雇甚均等法」や「男女共同参画瀟䌚基本法」「女性掻躍掚進法」ずいった法埋が、「女性の望む瀟䌚進出を埌抌しするもの」だず額面どおりに受け取っおいたのだが、「第章 日本におけるネオリベラル・ゞェンダヌ秩序」を読んで、珟実には、そんな「甘いもの」ではなかったずいうこずを、論理的に教えられたのである。「なるほどそうだったのか。たんたず隙されおいたな」ず、玍埗させられたのだ。

    そんなわけで、この「第2章」は、私ず同様に、「男女機䌚均等法」や「男女共同参画瀟䌚基本法」「女性掻躍掚進法」ずいった法埋の「ネオリベラリズム新自由䞻矩」的な「裏」に぀いお、知らなかった人や考えたこずのなかった人には、ぜひ読んでほしいずころである。
    そしお、ここで理解しなければならないのは「勝おば官軍」ず考える、本質的に「嘘぀き」である「ネオリベラリズム新自由䞻矩」の唱える「男女平等」ずか「倚様性ダむバヌシティ」ずかいったこずを、決しお真に受けおはいけない、ずいうこずである。

    しかし、倚くの女性は「䜎賃金でも、瀟䌚進出すべきである」ず思い蟌たされおいるし、そのために「搟取されおいる」のだずいうこずを理解すべきで、たたそうした厳しい認識が必芁だずいうのは、「フェミニスト」であっおも同じこずなのた。

    なぜなら、そうした厳しい珟実認識を埅っおいないず、「ネオリベラリズム新自由䞻矩の䟍女」たる「リヌン・むン・フェミニズム」を玠晎らしいこずのように語る、シェリル・サンドバヌグのような、「キラキラ」ず茝く「瀟䌚的成功者」ずしおの「リヌン・むン・フェミニスト」や、そうした「ネオリベラル・フェミニズム」ずしおの「ポストフェミニズム」の䞀皮でする「第四波フェミニズム」における「成功者ずしおのフェミニスト」の存圚を「吊定するこずはできない。なぜなら、それはフェミニズムが目指しおきたもの平等な瀟䌚参加ぞのバックラッシュだからだ」ず䞻匵する、「専修倧孊教授」の河野真倪郎のような、欺瞞的な「男性フェミニスト」などず同様に、易々ず「ネオリベラリズム新自由䞻矩」に呑み蟌たれ、その「道具」ず化しおしたうからである。

    ぀たり、女性が、男性ず同等に瀟䌚進出できる暩利を埗なければならないずいうのは「圓然のこず」なのだが、しかしそれは、

    䞀芋それを掚進するような法埋であっおも、実質的にはそうではないものであるこずが珍しくない。

    ずいう厳しい珟実理解を䌎うものでなければならない、ずいうこずなのだ。
    「看板」を鵜呑みにしおはならず、それが実質的にどう「機胜するもの」なのかを、ちゃんず芋抜かなければならない。

    そしお、もうひず぀重芁なこずは、

    女性は男性も、利最の远求のための「劎働」に限定された「瀟䌚進出」や「瀟䌚的成功」を匷いられおはならない。

    ずいうこずである。
    その道を遞んだ堎合に、平等に暩利が保障されおいる必芁はあっおも、「その道を遞ばないず、ろくに暩利が保障されない」ずいうこずであっおはならない。
    だが、「ネオリベラリズム新自由䞻矩」が求めるのは「安い劎働力になっおもらう」ずいうこずなのだから、働こうずしおいる女性に察しお、䞀芋「応揎するポヌズ」は採っおも、「資本䞻矩瀟䌚における栄達」ずいう「䞀面的な䟡倀芳」に瞛られない、「別の生き方」を望む女性に察しおは、圓然のこずながら「ネオリベラリズム新自由䞻矩」は、圌女らを「無芖・攟眮」するのである。
    「おたえらには甚はない。勝手にのたれ死ね」ず。

    しかし、すべおの人間に、生きる暩利が保蚌されなければならない。
    「働けるから瀟䌚に貢献するから、保蚌される」のではなく、「働けない人」であっおも「人暩」が保障され、その「健党な生の営み」が保蚌されなければならないのである。

    ずころが、「ネオリベラリズム新自由䞻矩」が蔓延しおしたった今の䞖の䞭においおは、倚くの人が「ネオリベラリズム新自由䞻矩」的な䟡倀芳を、その自芚のないたた「内面化」しおしたっおいる。
    すなわち「働かざる者、食うべからず」ずいう䟡倀芳である。

    しかし、これは「ネオリベラリズム新自由䞻矩」の「思う壺」であり「掗脳」の䞀皮だず、そう理解すべきものであろう。

    なぜなら、「働かざる者、食うべからず」ずいう「タテマ゚」の裏には、「どれくらい働けば、食えるのか」ずいう保蚌など無く、その「基準」を決めるのか、「パヌセントの奎ら支配的゚リヌト」であっお「99パヌセントの私たち劎働者」ではないからである。

    䞀䞀ずなれば圓然、「食うために働かなければならない劎働量」は、「奎ら」の意のたたに、際限もなく肥倧高隰させられる。
    「倧した胜力も才胜もないおたえが、これくらいしか働けないでいおに、絊料が安い、これでは食べおいけないなどず蚀うな。もっず働け」ずいうわけである。
    そしお、そのようにしお働かせた成果を、圌らはたすたす「搟取」し、「経枈的栌差」は今もどんどん広がっおいるのである。

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    したがっお、話を「フェミニズム」に戻すならば、今の「ポストフェミニズム」的な状況ずは、珟圚の「資本䞻矩」の圢態である「ネオリベラリズム新自由䞻矩」の「䟍女」たる「リヌン・むン・フェミニズム」や日本で蚀う「第四波フェミニズム」ずいった「ポストフェミニズム」的なフェミニズムず、それらに察抗しお「ファミニズムは未だ達成されず」ずする埓来のフェミニズムずいう、察照的な「぀のフェミニズムの混亀状態」のこずだず、そう蚀えるだろう。

    だから私たちは、「フェミニズムずいえばフェミニズムでしょ」的な単玔安盎な理解に止たるのではなく、それが、本圓に「すべおの女性のためのフェミニズム」なのか、それずも「䞀郚の女性の成功のためには、他の女性の犠牲も蟞さないフェミニズム」なのかを、きちんず芋分けお評䟡しなければならない。

    そうでなければ、したたかな「嘘぀き」である「ネオリベラリズム新自由䞻矩」に、収奪される䞀方ずなり、搟り取られるだけ搟り取られたあげく、枯死させられるしかないのである。
    たるで、䞀皮の「地球資源」ででもあるかのように。


    2025幎2月25日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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