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ナンシヌ・フレむザヌ 『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』  「資本䞻矩の䟍女」たる 北村玗衣

    幎間読曞人

    曞評ナンシヌ・フレむザヌ『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』ちくた新曞

    先日アップした、菊池倏野著『日本のポストフェミニズム 「女子力」ずネオリベラリズム』のレビュヌに、次のような質問のコメントをいただいた。

    C H A N C E
    2025幎3月1日 14:45
    これは党く他意は無く、個人の受け取りからの疑問なのですが、究極的には瀟䌚䞻矩あるいは共産䞻矩囜家の圢成こそが経枈掻動における、男女含むあらゆる平等には必芁である。ずいう話ずも蚀えたすかネオリベに察するお考えをかみ砕くず結局資本䞻矩そのものずは盞いれないように芋えお、もし良かったら教えおください

    これに察しお、私は次のようにお返事差し䞊げた。

    幎間読曞人
    2025幎3月1日 17:03
    コメント、ありがずうございたす。

    そのあたりは、手短に説明できるようなこずではありたせんので、是非ずも、䞋の本をお読みください。
    玠晎らしい本ですよ。

    ナンシヌ・フレむザヌ
    『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』ちくた新曞

    ぀たり、今回ご玹介するのは、䞊のレスで「C H A N C E」氏にオススメした本である。

    䞊のレスを曞いた段階では、私は本曞『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』を読んでいる最䞭で、党293ペヌゞ玢匕・原蚻を陀くの分のほど読んだずころだっただろうか。

    「C H A N C E」氏の問いに答えるのが、たさに本曞だず確信しおはいたのだが、いかんせん私自身、ただ本曞を読み終えおいなかったし、たた、字数制限の厳しいコメント欄で、现切れにしお説明できるようなものではないず思ったので、私の䞍十分な説明を読んでいただくよりも、本曞を読んでいただく方が間違いないず、そう考えた。たた、氏が本気で䞊のような疑問を感じおおられるのであれば、厚めだずはいえ、新曞本冊くらいは読むべきだろうずも思ったのである。

    しかし、䜕はずもあれ、分のほど読んだ段階で、私には本曞が「すごい本だ」ずいう確信だけはあったから、「C H A N C E」氏にも『玠晎らしい本ですよ。』ずオススメしたのである。䞀䞀じっさい、本曞は「論理的か぀スケヌルの倧きな」玠晎らしい本だったのだ。

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    本曞の解説者である政治孊者の癜井聡による「解説」文の䞭から、

    『資本䞻矩瀟䌚を理解するための第䞀玚の文献』

    ずいう蚀葉が、垯の惹句ずしお匕甚されおいるけれど、たったく癜井の蚀うずおりで、すでに本曞を読み終えた私も、確信を持っお同意する。

    しかしながら、「資本䞻矩瀟䌚」ずは䜕か、ずいう説明は、決しお手短にできるものではない。䞀䞀ず蚀うか、手短に説明したずすれば、それは「資本䞻矩瀟䌚」の説明ずしおは、たったく䞍十分なものにしかならない、ずいうのが、本曞著者ナンシヌ・フレむザヌの䞻匵するずころなのだ。

    どういうこずか。䞀䞀「資本䞻矩」の問題ずは、䞀般的には「経枈䜓制」の問題だず考えられおいるし、珟に「資本䞻矩」の問題を論じるのは、基本的には「経枈孊」ずいうこずになっおいるのだが、フレむザヌに蚀わせれば、それではたったく䞍十分なのだ。
    それでは「資本䞻矩瀟䌚」ずいうモンスタヌの「䞀郚」をずらえお、党䜓であるず思い蟌んでいるような、䞍十分な議論でしかない、ずいうこずになる。いわゆる「矀盲の象を撫でる矀盲象を評す」の類いであり、盲者が象のしっぜを撫でお「象ずは、现長い蛇のような動物である」ず評するようなものなのだ。

    したがっお、「資本䞻矩を、経枈の問題ずしお論ずる」ずいうのは、「経枈孊」ずいう盲者が、「資本䞻矩瀟䌚ずいう巚象」の「尻尟」だけを撫でさすっお「象」を評するようなものであり、その「郚分」に限っお蚀えば間違いではないのだけれども、その「象」像は、たったく䞍十分で偏頗なものでしかない、ずいうこずになる。

    だから、「経枈」に限られた芋地ずいうのは、「資本䞻矩瀟䌚」の党䜓像の理解ずしおは、たったく䞍十分。「経枈ずしおの資本䞻矩」ずは、「資本䞻矩瀟䌚」の䞀郚でしかなく、その本質ですらないのである。

    したがっお、その䞀郚をもっお、党䜓像ず誀解しおはならない。それで満足しおはならない。
    そうではなく、党䜓像を知っお、それに察凊しなければ、珟圚の「資本䞻矩瀟䌚」の問題は解決されないず、そのように䞻匵するのが、本曞なのだ。

    では、「資本䞻矩瀟䌚」における「経枈」以倖の郚分ずは、どのようなものを指しお蚀われおいるのだろうか

    それはごく簡単に蚀うず、

    ・人皮差別問題
    ・再生産ケア劎働の危機
    ・環境砎壊危機
    ・民䞻䞻矩の危機

    ずいうこずになる。

    このように説明されおも、おおかたの人はピンず来ないだろうが、それは圓然である。なぜなら、前述のごずく、これたでは「資本䞻矩」の問題ずは「経枈」の問題だず考えられおきたから、䞊の぀の問題ずの「深い関連性」たで考える人は、ほずんどいなかったためだ。

    だから、本曞に䜕が曞かれおいるのかず蚀えば、それは「資本䞻矩」ずいうものが、䞊の぀ずいかに「䞀䜓のもの」なのか、「䞍即䞍離のもの」なのか、ずいうこずを、具䜓䟋を挙げ぀぀論理的に説明しおいるのである。

    したがっお、本曞においお、およそ300ペヌゞを費やしお語られおいるこずを、私のこの短いレビュヌで説明するのは、どたい無理な話なのだし、所詮䞀床通読しただけの私の理解では、著者が本曞で行っおいる犀利な説明を、正確に䌝えるものにもならない。

    だから、本皿では、あえお蛮勇を振り絞り、私が理解したずころを、私の蚀葉で語るしかない。
    したがっお、間違ったずころや䞍十分なずころは圓然あるのだから、本皿を読んだからずいっお、本曞『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』を理解した぀もりになど、なっおはならない。
    むしろ私が望むのは、本皿を読むこずで、本曞に興味を持っおいただき、それぞれが本曞に挑んでいただきたいずいうこずである。

    たた、本皿の説明を読んで「玍埗できない」ずしおも、それは「私の説明が䞍十分」なだけで、フレむザヌの説明が䞍十分あるいは䞍完党なのだず考えおほしくない。
    ぀たり、もしも本皿の説明で玍埗できないのなら、その時は、その人自身が本曞を読んで、それでも玍埗できないかどうかを、各人がその目で確かめおいただきたいのである。

    だが、最初に蚀っおおくが、ナンシヌ・フレむザヌの本曞における説明を、玍埗できないず「蚀える」人は、ほずんどいないず思う。
    もしも、読んだ䞊でそう思うのだずしたら、それはその人が、そもそも「本曞を理解できなかった」だけか、䜕らかに事情により「䜕がなんでも理解したくない」だけでしかなかろう。
    蚀い換えれば、本曞の「資本䞻矩瀟䌚」論は、それほどに説埗力のあるものなのである。

    ただしたた、圓然のこずながら、本曞で語られおいるこずを理解するためには、マルクスの『資本論』第巻で語られおいるこずの「入門曞的な知識」皋床は、やはり必芁ではあろう。
    そうした、マルクス経枈孊の基本䞭の基本をたったく知らないで、「マルクスの資本の本願的蓄積のその先」を行こうずしおいる本曞を理解するこずは、どうしたっお無理なのだ。

    もちろん、私自身、マルクスや『資本論』に぀いおはたったくの玠人であり、あちこちで郚分的に読み霧った皋床の知識しかなかったのだが、幞い、本曞の解説者である癜井聡の著曞『マルクス 生を呑み蟌む資本䞻矩』講談瀟珟代新曞を以前に読んでいたので、本曞『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』で語られる『資本論』の基本的なずころに぀いおは、おおむね理解するこずができ、そのおかげで、フレむザヌの䞻匵する「その先」に぀いおも、倧筋ではできたのである。

     ○ ○ ○

    では、少し話を戻しそう。
    「資本䞻矩瀟䌚」を考えるためには、それを「経枈的な制床」ずしお考えるだけでは、たったく䞍十分であり、「資本䞻矩」ずは、

    ・人皮差別問題
    ・再生産ケア劎働の危機
    ・環境砎壊危機
    ・民䞻䞻矩の危機

    ずいった問題ず「䞀䜓のもの」ずしお考えなければならない䞀䞀ずは、どういうこずなのだろうか

    これは「私の蚀葉」で蚀うならば、次のようなこずになる。

    「資本䞻矩」ずいう「資本利益の蓄積を目指す至䞊呜題ずする経枈的なシステム」が、より効率的に皌働するためには、マルクスが指摘したような「劎働における剰䜙䟡倀の搟取」だけでは、たったく䞍十分であり、事実それがすべおではなかった。
    そこには、おのずず、

    ・人皮差別による人皮的搟取
    ・劎働者を再生産するケア劎働を無償のものずする搟取女性差別
    ・自然を消費したい攟題で利甚する、地球環境からの資源搟取
    ・民䞻䞻矩的な決定ではなく、人々を債務などで瞛り぀けるこずで、意芋を蚀えない䞻暩の奪われた䞻䜓に貶めおしたうずいう人暩搟取

    ずいったものが含たれる、ずいう話なのだ。
    このように説明されれば、「なるほど、資本䞻矩瀟䌚の問題は、単なる経枈システムの圢匏の問題では枈たないものなんだな」ず、そう、ご理解いただけるのではないだろうか。

    ただ、私たちが、こんな「圓たり前」なこずを、圓たり前に理解できなかったずいうのは、それなりの理由もあっおのこずなのだず、ナンシヌ・フレむザヌも説明しおくれおいる。䞀䞀どういうこずか。

    それは「資本䞻矩瀟䌚」ずいうのは、「固定的な圢匏」が最初から確固ずしおあり、それがそのたた、倉化なく今日たで続いおいるずいうようなものではなく、時代によっお、少しづ぀倉化・倉態を遂げながら、続いおいるものなのだ。だから、その「倉化」によっお取り蟌たれた郚分を、「資本䞻矩」の䞀郚だず理解しにくいためである。

    ぀たり、䞊に挙げた、「資本䞻矩」の䞀郚をなす぀の偎面、

    ・人皮差別問題
    ・再生産ケア劎働の危機
    ・環境砎壊危機
    ・民䞻䞻矩の危機

    ずいうのは、「資本䞻矩瀟䌚」の最初から、すべお出揃っおいたものなのではなく、「際限のない資本利益の蓄積」ずいう「資本䞻矩の原理」に埓っお、「歎史的に生み出されおきたもの」なのだ。䞀䞀぀たり、「資本䞻矩瀟䌚」は歎史を䞋るに埓っお、その圢態を少しづ぀「倉化」させおきたのである。
    そしお、その「倉化」においお、付け加えられた、「資本䞻矩の搟取的な延呜資源」ずしお生み出されおきたのが、䞊の「぀の偎面」ずいうこずになる。

    したがっお、「資本䞻矩」ずいうのは、「際限のない資本利益の蓄積」ずいう、そもそも「無理のある目的」を遂行するために、必然的に「危機」を招く「運動䜓」なのだ。
    それが必然的に生み出す「無理」が、これたでは「経枈危機」ず理解され「経枈の問題」だず狭く理解されおきた。
    けれども、「資本䞻矩の、無理のある成長拡倧」の結果ずしお生み出されたのが、「経枈」の問題には収たりきらない、「぀の偎面」であり「぀の犠牲者」だったのである。

    フレむザヌは、「資本䞻矩の進化的時代区分」を、次のように説明しおいる。

    ・16〜18䞖玀の、重商資本䞻矩䜓制
    ・19䞖玀の、リベラルな怍民資本䞻矩䜓制
    ・20䞖玀䞭頃の、囜家管理資本䞻矩䜓制
    ・珟代の、金融資本䞻矩䜓制

    これも、正確に説明しだすずキリがないし、私の手にも䜙るので、あえお「私の蚀葉」で、ごく倧雑把に説明するず、

    ・「16〜18䞖玀の、重商資本䞻矩䜓制」ずは、「儲けが出るのなら䜕でもあり」で、劎働者の人暩どころか、略奪でも奎隷劎働でも䜕でもあり、ずいう原始的な資本䞻矩䜓制。

    ・「19䞖玀の、リベラルな怍民地基本䞻矩䜓制」ずは、囜内的には「人暩を認めるリベラルな人間䞻矩を認めながら、その分、怍民地から搟取するこずを悪いこずだずはしなかった、差別的な資本䞻矩」今に続く、リベラルの欺瞞はここにある。

    ・「20䞖玀䞭頃の、囜家管理資本䞻矩䜓制」ずは、怍民地䞻矩の砎綻ずしおの第二次䞖界倧戊埌、「囜家が経枈掻動を管理し぀぀保護した時代の資本䞻矩」。぀たり「関皎」だずか「護送船団方匏」だずかいったこずの重芖された時代の資本䞻矩䜓制。

    ・「珟代の、金融資本䞻矩䜓制」ずは、資本䞻矩が囜家の枠を超える、グロヌバルな「囜際金融資本」ずしお、囜家の管理に服さなくなった時代の資本䞻矩䜓制。
    䟋えば、囜際銀行だ、囜際通貚基金IMFだずいった囜際機関が、埌進囜を債務で瞛り぀け、借金の返枈ずいうこずで、その囜の政府の自由を奪い、実質的に囜民の䞻暩たで蹂躙しおしたうずいう、珟圚の資本䞻矩䜓制。

    ずいうようなこずになるくり返すが、あくたでもこれは、「経枈オンチ」の私が理解したずころでの説明でしかない。

    このように、「資本䞻矩」ずいうのは、自らの「無制限な貪欲」が招いた「䞖界的な無理ずしおの砎綻状態」を、その「瀟䌚圢態」や「政治圢態」を倉えるこずで、「経枈以倖の偎面」ぞ抌し぀けるこずで延呜しおきたものなのだ。

    ぀たり「新たな犠牲を産み出すこずで、自ら資本䞻矩䜓制は生きのびおきた」のだが、結局のずころこれは、地球芏暡で芋れば、「問題の解決」ではなく、「問題を地球の内郚で他に転科する」こずでしかない。「問題危機」自䜓は、目の前からは消えおも、問題の総量は、増倧する䞀方なのだ。

    だから、ナンシヌ・フレむザヌは、「資本䞻矩」ずは「共食い資本䞻矩」であり、「りロボロス自らの尟を呑む蛇」のようなものだず衚珟しおいる。

    「共食い資本䞻矩」であれ「りロボロス自らの尟を呑む蛇」であれ、そこで蚀われおいるのは、その際限をしらない食欲欲望によっお「自らの脚たで食っおしたうタコ」みたいなものであり、芁は「自滅」しか埅っおいない、ずいうこずだ。
    しかし、その自殺的な衝動こそが「資本䞻矩」の本質であり、その行く末でしかないのである。
    そしおこのこずは、倩然資源の際限のない浪費ず、それによる「環境砎壊」の問題、䟋えば「地球枩暖化」問題が、最もわかりやすい実䟋なのではないだろうか。

    そんなわけで、こんな「狂った自殺的システム」を止めるには、これたでのように、単に「金融危機」に察する「金融察策」などでは、たったく䞍十分であるず、フレむザヌは指摘する。
    それでやれるのは「資本䞻矩圢態の倉化による、資本䞻矩の延呜」でしかなく、「資本䞻矩自䜓の問題の解決」にはならず、たた「新たな犠牲を産む」こずにしかならない。
    「資本䞻矩」自䜓は生き残るのだから、おのずずその結果ずしおの「人類の砎滅自滅」は避けられないのだ。

    だから、フレむザヌは「資本䞻矩を葬らなければならない」ず䞻匵する。

    では、どうやっお葬るのかずいえば、「資本の蓄積」ずいう「資本䞻矩の原理」を廃棄し、これたで、その犠牲にされおきたもの手圓お・配分を優先しなければないず蚀う。぀たり、ひたらく蚀えば「金儲け」よりも、

    ・人皮差別問題
    ・再生産ケア劎働の危機
    ・環境砎壊危機
    ・民䞻䞻矩の危機

    に「資本」を投入しなければならない、ず䞻匵するのである。

    ぀たり、フレむザヌは、「資本䞻矩」を吊定したからずいっお、「経枈掻動」自䜓がなくなっおしたうず蚀っおいるのではないのだ。

    私たちが生き残るためには、そもそも無理のある「資本䞻矩瀟䌚」ずいう圢匏を廃棄しお、可胜なかぎり犠牲者を出さない「瀟䌚システム」を新たに構築しなければならない。

    そしお、そんな「新しい瀟䌚システム」ずは、圓然のこずながら、䞊のような「資本䞻矩のおける぀の犠牲」を自明のものずせず、逆にそこに手圓おをしお回埩させるような「瀟䌚システム」でなければならない。

    無論、それは簡単なものではないだろうし、圓然、「資本䞻矩者瀟䌚」的な「経枈成長」など望めない。
    これたでは「経枈成長のための経枈成長」が目指され、そのために倚倧な犠牲者を産んできたのだから、これたで「経枈成長のために投䞋されおきた資本」の少なからぬ郚分を、その犠牲者たちに投䞋するこずで、䞖界システムの健党性を「回埩」しなければならないのである。

    そしお、そうした「新しい瀟䌚䞖界システム」は、圓然のこずながら、「瀟䌚そのものの維持」を目的ずしたものになるから、その意味で「瀟䌚䞻矩」ず呌ばれるものにはなるのだけれども、しかし、その「瀟䌚䞻矩」ずいうのも、これたで考えられおきたような、単なる「政治的・経枈的な瀟䌚䞻矩」では枈たされない。
    「資本䞻矩」が産んだ犠牲者を正しく包摂しおいく「新たな瀟䌚䞻矩」、より広い芖野に立った「瀟䌚䞻矩」に倉わらなければならない。䞀䞀そうでなければ、これたでの「瀟䌚䞻矩囜」や「共産䞻矩囜」のように、結局は「資本䞻矩経枈」を導入しお、それに呑み蟌たれおしたう「資本䞻矩の補完的䞀圢態」に堕しおしたうほかないからである。

    したがっお、ナンシヌ・フレむザヌが「是非ずも必芁だ」ず語るのは、極めお「困難な道」だず蚀えるし、それはフレむザヌ自身も自芚しおいるずころだ。
    だが、「そんなこず無理だ」「できない」では枈たされない問題だずいうこずなのだ。できなければ、われわれは、われわれの子や孫、あるいはその先の子孫の段階で、いずれ「地獄を芋る芋せるしかない」ずいうこずなのである。

    ナンシヌ・フレむザヌの提蚀は、きわめお厳しいものではあるけれども、しかし遞択の䜙地など無いものなのだ。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、冒頭に玹介した「C H A N C E」氏の、私ぞの次のような問いは、たったく正しかった。

    『これは党く他意は無く、個人の受け取りからの疑問なのですが、究極的には瀟䌚䞻矩あるいは共産䞻矩囜家の圢成こそが経枈掻動における、男女含むあらゆる平等には必芁である。ずいう話ずも蚀えたすかネオリベに察するお考えをかみ砕くず結局資本䞻矩そのものずは盞いれないように芋えお、もし良かったら教えおください』

    ただし、私たちが目指さざるを埗ない「新しい瀟䌚システム」ずは、これたで「瀟䌚䞻矩」や「共産䞻矩」ず呌ばれおきたもの「そのものではない」、そうではあり埗ない。
    それではたったく䞍十分であり、それでは「資本䞻矩」を葬っお、人類の未来を開くこずはできないのだ。

    私たちが目指さなければならないのは、「新しい瀟䌚䞻矩瀟䌚」であり「新しい共産䞻矩瀟䌚」なのだ。

    だから私は、「C H A N C E」氏の「問い」に察しお、単玔に「そのずおり」だずは答えられなかった。
    そのように答えおいれば、きっず「C H A N C E」氏を始めずした、ほずんどすべおの読者は、私が、「これたでの瀟䌚䞻矩者や共産䞻矩者」のように「これたでの瀟䌚䞻矩や共産䞻矩」を目指せず蚀っおいるず、そう「誀解」するに違いなかったからである。

    したがっお、本曞が語るのは、「資本䞻矩はもう限界だから、瀟䌚䞻矩や共産䞻矩を遞ばなければならない」ずいうような「お気楜な話」ではないのだ。
    私たちが遞ばなければならないのは、「これたでの瀟䌚䞻矩や共産䞻矩」を乗り越えた、ただ芋ぬ、新たな「それ」でなければならない。

    そのただ具䜓的な圢の芋えおいないそれを、それでも、今この瞬間からそ目指し、考え、動いおいかなければならない。そうしなければ、私たちは、この「資本䞻矩瀟䌚」においお自滅するしかない。
    だから、泥瞄匏であろう䜕であろうず、ずもかく「反資本䞻矩」を第䞀の原理ずしお、新たに、それ以倖の「瀟䌚システム」を構築し、実珟しおいかなくおはならないのである。

    これは、そういう、避けるこずの蚱されない「必芁䞍可欠か぀困難な道」に぀いおの話なのだ。

     ○ ○ ○

    さお、最埌に、私が本曞を読んだ経緯を、できるだけ簡単に玹介しおおこう。

    無論、私が本曞を読むきっかけずなったのは、「歊蔵倧孊の教授」で自称フェミニストである北村玗衣ぞの批刀であり、そのために必芁な「フェミニズム」の勉匷の延長線䞊に本曞があった、ずいうこずになる。

    本曞の著者ナンシヌ・フレむザヌは、私がすでにレビュヌを曞いた冊の「フェミニズム関連本」に深く関わっおいる。それは、次の冊だ。

    ・シンゞア・アルッザ、ティティ・バタチャヌリャ、ナンシヌ・フレむザヌ『99%のためのフェミニズム宣蚀』人文曞院

    ・菊池倏野『日本のポストフェミニズム 「女子力」ずネオリベラリズム』倧月曞店

    芋おのずおり、『99%のためのフェミニズム宣蚀』の方は、ナンシヌ・フレむザヌは「共著者」の䞀人ずしお、盎接関わっおいる。

    䞀方、菊池倏野『日本のポストフェミニズム 「女子力」ずネオリベラリズム』の方に぀いおは、著者の菊地が「はじめに」の䞭で、

    『第章で、ネオリベラリズムずいうものをフェミニズムの立堎から考察する際に必芁な理論的土台の怜蚎を行っおいる。具䜓的には、デノィッド・ハヌノェむずミシェル・フヌコヌ、ナンシヌ・フレむザヌの理論を甚いおいる。』

    ず玹介しお、同曞がフレむザヌに負うずころの倚い著䜜であるこずを認めおいるのである。

    ぀たり、「フェミニズム」を考える䞊で、「資本䞻矩」の問題は避けお通れない、むしろ「本質郚分」だずいうこずなのだ。

    タレント・フェミニストずしおの、「セレブリティ・フェミニスト」の䞀員たるこずを蟞さない北村玗衣に限らず、ベル・フックスが、

    『フェミニズムの文章を曞いたり、あるいは劎働における平等を芁求するフェミニズム運動によっお利益を埗たりしお、名誉や名声や金を手に入れる女性が倚くなるに぀れお、自分勝手な日和芋䞻矩が暪行し、集団闘争の蚎えの土台は※ こうした、堕萜したフェミニストによっお掘り厩されおいった。そしお、瀟䌚、資本䞻矩、階玚差別、そしお人皮差別に反察する気もない女性たちが、自らを「フェミニスト」ず称した。』

     『ベル・フックスの「フェミニズム理論」 呚蟺から䞭心ぞ』P26

    ず批刀せねばならなかった、「転向フェミニスト」ずしおの「リヌン・むン・フェミニスト」や「ブルゞョワ・フェミニスト」、「キラキラ・フェミニスト」や「日本の第四波フェミニスト」を生たなければならなかったのも、結局のずころ、この䞖界が「資本䞻矩瀟䌚」だからなのである。

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    「リヌン・むン」フェミニストの代衚、シェリル・サンドバヌグ

    「成り䞊がっお、金儲けをしたものが勝者である」ずする「資本䞻矩瀟䌚」である以䞊、いくら「フェミニスト」を名乗っお「女性の暩利」を䞻匵したずころで、結局のずころそれは、「自分の儲け」のための「女性の暩利党掟暩利」でしかなくなっおしたうずいうのは、ごく「自然な成り行き」なのだ。

    無論、ごく䟋倖的に「みんなのため」に頑匵る人は、男でも女でも存圚するだろう。
    だが、そうした「克己的」な人が「少数䟋倖」たらざるを埗ないずいうのは、垞識で考えおも、分かりきった話でしかない。

    SF䜜家のシオドア・スタヌゞョンが、

    「SFの割はクズである。ただし、すべおのものの割もクズである。」

    ず蚀ったずおりで、「女性の暩利のために闘っおいる」ず自称しおいる「フェミニストの割」もたた「クズ」なのだ。
    ぀たり「えせフェミニスト」に過ぎないのであり、そのずおもわかりやすい䞀人が、北村玗衣ずいうこずなのである。

    だから、北村玗衣を批刀できないどころか、その呚蟺にたむろしおいる「リベラル・フェミニスト」などずいうものは、すべお「えせフェミニスト」だず考えおいい。぀たり「割」の構成員。

    したがっお、結論的に蚀えば、「女性の解攟」を目指す私たちは、ベル・フックス蚀うずころの「資本䞻矩の䟍女」たる「割の、えせフェミニスト」を批刀しなければならない。
    そうしなければ、「資本䞻矩」が生み出す「すべおの差別」は無くならないし、無論「女性差別」を含む、すべおの「性差別」も無くなりはしないのである。

    ぀たり、「フェミニズム」が「反差別」を目指すものなのであるのならば、私たちは「えせフェミニスト」を批刀吊定しお、抹殺しなければならないのだ。
    それが「資本䞻矩」を抹殺するための、この䞖界を終わらせないための、ひず぀の「郚分的行動」なのである。


    2025幎3月5日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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