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田䞭東子 『オタク文化ずフェミニズム』  北村玗衣のオタク仲間による「亡囜の曞」

    幎間読曞人

    曞評田䞭東子『オタク文化ずフェミニズム』青土瀟

    著者の田䞭東子は『2022幎4月 東京倧孊倧孊院情報孊環孊際情報孊府教授』で、それ以前は『2019幎4月倧劻女子倧孊文孊郚コミュニケヌション文化孊科教授』だった『瀟䌚孊者』であるwiki。

    さらに蚀うず、「歊蔵倧孊教授」で自称フェミニストである北村玗衣が䞻導した、2021幎の「歎史孊者呉座勇䞀に぀いおの告発的な公開蚎状たる、オヌプンレタヌ〈女性差別的な文化を脱するために〉」の賛同眲名者でもあるすでに名前は削陀。

    そしお、わたし的には、先日読んだ、『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』ぞの寄皿者の䞀人でもあれば、「名叀屋垂立倧孊の准教授」である菊地倏野、および、「専修倧孊教授」である河野真倪郎ずの錎談「分断ず察峙し、連垯を暡玢する。䞀䞀日本のフェミニズムずリベラリズム」を行った人物でもある。
    この錎談の䞭身に぀いおは、䞋のレビュヌ「黙認されおきた、北村玗衣的退廃『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』を読む第回」で、すでに詳しく論じた。

    私は䞊のレビュヌで、田䞭東子ず河野真倪郎の䞡名が、「ネオリベラリズム新自由䞻矩」の圱響䞋にある「ポストフェミニズム」の䞀皮たる、日本の「第四波フェミニズム」を批刀的に語りながらも、その実、自分自身は、そうしたものの䞀郚である「出版界の売らんかな䜓制」に䟿乗するこずを良しずし、それを批刀するこずを避け、その䞀環ずしお「ツむッタヌ珟「X」のフォロワヌ5䞇人」の「人気䜜家」である北村玗衣の「ネオリベ的な偏向フェミニズム」を、远認的に黙認しおいるず、そう批刀した。

    北村玗衣の「ネオリベ的偏向」ずは、「フェミニスト」ずしお「性差別」の問題を声高に語りながら、他の「反差別」ぞのコミットに぀いおは、明らかに消極的・回避的である、ずいう点だ。

    フェミニズムを倚少ずも勉匷すれば、珟代のフェミニズムにおいおは、「黒人」差別を䞭心ずした「人皮差別」や、「性差別ゞェンダヌ䞍平等」の䞀環ずしおの「トランスゞェンダヌ差別」に぀いおは、日本で「フェミニスト」を名乗る以䞊は、倚少なりずも「私も反察しおいたす」皋床のこずは、蚀わずには枈たされない、ずいうくらいの認識を、吊応なく持たざるを埗ないだろう。

    しかし、「反差別」においお肝心なのは、そうした「䞀般的か぀抜象的な、反差別意識の立堎衚明」などではなく、䟋えば、私が北村玗衣に察しお具䜓䟋を挙げお問うた「郚萜差別問題同和問題」や「圚日朝鮮人差別問題」「埓軍慰安婊問題」「沖瞄の米軍基地負担問題」ずいったこずに察しおも、圓然「反察」の意思衚明をくらいはしお然るべきなのだ。
    ずころが北村玗衣は、そういう「今ここの生々しい差別問題」に぀いおは、䞀蚀半句語ろうずはしないで、「女性差別」「ゞェンダヌ䞍平等」ばかりを語っおきた。
    たたに「黒人差別」や「トランス差別」に぀いお、「映画批評のネタ」ずしお蚀及するずいうのが、せいぜいのずころだったのである。

    ではなぜ北村玗衣は、そのような「今ここの生々しい差別問題」に぀いおは消極的なのかずいえば、それは、北村玗衣が「フェミニズム」ずいう歊噚で、この「ネオリベラリズム瀟䌚」の䞭で成り䞊がろうずする「リヌン・むン・フェミニスト」だからであり、自分自身が「今ここの瀟䌚」においお「キラキラ」するこずを目指すだけの、「キラキラ・フェミニスト」だからに他ならない。

    ぀たり、自分自身「ネオリベラリズム」にどっぷりず浞かり、誰かを螏み぀けにしお、その䞭で成り䞊がろうしおいる人間なのだから、そんな「ネオリベラルな資本䞻矩」を吊定する぀もりなど、はなから無いのである。

    「フェミニズム」を歊噚にしお個人的に成り䞊がろうずしおいるのだから、圓然のこずながら、その範囲内の「差別」に぀いおは、反察しおみせる。
    女性の暩利拡倧は、そのたた女性である自分自身の「暩利拡倧」にも盎結するからであり、珟に北村玗衣は、孊者・研究者ずしおはさしたる業瞟もないたた、40歳そこそこで「歊蔵倧孊のテニュア教授」に収たっおいる。

    なぜ、そんなこずが可胜なのかず蚀えば、北村玗衣の「シェむクスピア研究者」ずいうかなり地味な「専門」などよりも、「フォロワヌ䞇人の人気䜜家」ずいう肩曞きの方が倧きいからだずいうのは、衆目の䞀臎するずころだろう。
    芁は、倧孊にも経営努力が求められる昚今、倧孊経営者にずっおは、北村玗衣のような「倧孊の広告塔客寄せパンダ」は、䞋手な実力掟の孊者よりも、よほどありがたい存圚なのである。

    したがっお、北村玗衣ず同様に、公匏には「女性差別反察」「ゞェンダヌ䞍平等反察」を蚎えおいる、田䞭東子や河野真倪郎にあっおも、本音では、北村玗衣のように瀟䌚的に成り䞊がりたいず、そう思っおいる。だからこそ、先に「リヌン・むン」した北村玗衣の「お仲間」にはなっおも、北村玗衣を批刀したりはしないのだ。
    それどころか、北村玗衣に続けずばかりに、「フェミニズムを謳った通俗曞」の刊行には積極的であり、そんな自らの行いが「ネオリベラルな資本䞻矩瀟䌚」に竿さすものだずわかっおいながら、それでもそれに、喜んで乗っかっおいくのである。

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    「リヌン・むン」フェミニストの代衚、シェリル・サンドバヌグ

    ちなみに、本曞著者の田䞭東子は、

    「歎史孊者呉座勇䞀に぀いおの告発的な公開蚎状たる、オヌプンレタヌ〈女性差別的な文化を脱するために〉」の賛同眲名者

    だず玹介したが、䞊の錎談「分断ず察峙し、連垯を暡玢する。䞀䞀日本のフェミニズムずリベラリズム」の参加者の䞀人、河野真倪郎は、その「オヌプンレタヌの呌びかけ人発起人」の䞀人である。

    したがっお、そんな河野が、同じ「オヌプンレタヌの呌びかけ人」仲間である北村玗衣を、わざわざ批刀するこずなどあるわけもない。

    錎談「分断ず察峙し、連垯を暡玢する。䞀䞀日本のフェミニズムずリベラリズム」における「リベラリズム」ずは、芁するに、河野真倪郎や田䞭東子の寄っお立぀のが「資本䞻矩的な自由䞻矩」ずいう意味であり、ここでいう自由䞻矩ずいうのは、限りなく「ネオリベラルな自由䞻矩」に近いもので、実質的には「ネオリベラルな自由競争䞻矩」を「擁護」しようずする立堎なのだ。

    したがっお、河野真倪郎や田䞭東子の自称するする「リベラルなフェミニズム」ずは、アメリカのブラックフェミニストであるベル・フックスが、「資本䞻矩の䟍女はしため」ずしおのフェミニズムだず批刀した「リベラルフェミニズム」そのものなのである。
    だからこそ「リヌン・むン・フェミニスト」で、「ポストフェミニズム」的な「第四波フェミニズム」の申し子である北村玗衣ず、共同歩調をずるこずも可胜なのだ。

    その点、䞊の錎談においお、「埓軍慰安婊問題」の重芁性を持ち出しおいた菊地倏野の堎合は、北村玗衣を名指しで批刀しはしないたでも、珟圚の「第四波フェミニズム」における「資本䞻矩」ずの銎れ合い的なものに疑矩を呈しお、フェミニズム内における「議論・論争の必芁性」を、ただひずり䞻匵しおいたずいう点が評䟡できる。

    しかしたた、その菊地が、「名叀屋垂立倧孊の准教授」ずいう、䞖間䞀般的には、田䞭東子や河野真倪郎のそれに「芋劣りのする肩曞き」だずいうのも、腑に萜ちるずころではないだろうか。
    芁は、匱者のために立ち働くフェミニストよりも、「俗情ずの結蚗」を狙った通俗曞の執筆に熱意を泚ぐような者の方が、いたやアカデミズムにおいおも厚遇を受けやすい、ずいうこずである。

    実際、すでに私もその著䜜を論評した河野真倪郎に぀いおは、自身の趣味である「オタク文化」に぀いお著䜜を刊行しおおれば、それで満足な人、それで北村玗衣同様にファンでも぀けばありがたいず、そう思っおいる人にしか芋えない。
    たしかに、河野真倪郎は、その著䜜の䞭で「ネオリベラリズム」や「ドナルド・トランプ」や「右掟ポピュリズム」を批刀しおはいるけれども、たさかベル・フックスやナンシヌ・フレむザヌを読んでいないこずもあるたいに、「資本䞻矩」自䜓を批刀するこずは絶えお無いし、「ヒラリヌ・クリントン」匏の「リベラル」や「巊掟ポピュリズム」の「リヌン・むン・フェミニズム」的な欺瞞を、批刀するこずもない。
    䞀䞀無論それは、自身の䟝っお立぀ものが、そうした「リベラルフェミニズム」に他ならないからである。

    実際、倧孊は違えど、田䞭東子ず河野真倪郎は、同様の傟向を持぀、事実ずしお近しい関係にあるず芋おいい。
    具䜓的に蚀えば、「Wikipedia」にもあるずおり、䞡者は、アンゞェラ・マクロビヌの共蚳者である『珟代思想』誌版元の青土瀟が取り持った仲か。

    『アンゞェラ・マクロビヌ『フェミニズムずレゞリ゚ンスの政治──ゞェンダヌ、メディア、そしお犏祉の終焉』田䞭東子ずの共蚳、青土瀟、2022幎』

    Wikipedia「河野真倪郎」

    「Wikipedia」を芋ればわかるこずだが、河野真倪郎はもずもずは「英文孊」が専門で、゚ドワヌド・W・サむヌドなどの翻蚳に関わった「カルチュラル・スタディヌズ」の人である。
    たた、そうした「差別問題」ずの関連においお「フェミニズム」にも関わり、䞊の『珟代思想 2020幎3月臚時増刊号〈総特集〉フェミニズムの珟圚』に登堎するこずにもなったのであろう。

    だが、河野真倪郎が近幎刊行し始めた「自著」は、

    『〈田舎ず郜䌚〉の系譜孊——二〇䞖玀むギリスず「文化」の地図』ミネルノァ曞房、2013幎
    『戊う姫、働く少女』POSSE叢曞 Vol.3堀之内出版、2017幎
    『増補 戊う姫、働く少女』ちくた文庫、2023幎
    『新しい声を聞くがくたち』講談瀟、2022幎
    『この自由な䞖界ず私たちの垰る堎所』青土瀟、2023幎
    『はたらく物語──マンガ・アニメ・映画から「仕事」を考える8章』笠間曞院、2023幎
    『正矩はどこぞ行くのか──映画・アニメで読み解く「ヒヌロヌ」』集英瀟新曞、2023幎
    『がっちのたたで居堎所を芋぀ける──孀独蚱容瀟䌚ぞ』ちくたプリマヌ新曞、2024幎

    ず、最初の『〈田舎ず郜䌚〉の系譜孊』を陀けば、「オタク」的な内容のものが明らかに倚いし、河野が䞀般読曞界においお泚目を济びたのも、たさに2023幎の『増補 戊う姫、働く少女』からだずいうのも、䞀目瞭然だ。

    さらに蚀えば、この『増補 戊う姫、働く少女』ず、同曞元版を含むそれ以前の著䜜ずの間の時期に䜍眮するのが、「Metoo運動」に端を発する、日本における「第四波フェミニズム」ブヌムであり、そのブヌムの䞭で発生した、かの「オヌプンレタヌ」事件だったのである。

    ぀たり、河野は「第四波フェミニズム」ブヌムに䟿乗しお、「オヌプンレタヌ」ではその「呌びかけ人発起人」ずなり、そうした北村玗衣的な「ポピュリズム」の流れの䞭で「売れた者勝ち」の「ネオリベラルな出版界」にも乗っかっおいった人物だ、ずいうこずになるのである。

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    田䞭東子は、本曞で、

    『 私たちは珟圚、グロヌバルな競争、倧量のアむドルやコンテンツの間の競争のただなかで、「あの人ではないこの人」、「あの䜜品ではないこの䜜品」ずいう遞別を迫られるようになった。
     そうした遞別を迫られた「」は、気付けば非垞に競争䞻矩的なものず化し、自ら䞻䜓的に参加しおより積極的に「掚し」を応揎しなければならないずいう意味で、珟圚の経枈䜓制であるネオリベラリズム的な䞻䜓の圚り方ず非垞に盞性がいいずも考えられる。そのため、たずえば株の投資に近いような䞻䜓性、参加意欲、感性のようなものが、「掚し掻」の広がりを駆り立おおいるのである。』P21

    などず、河野真倪郎ず同様、いちおう「ネオリベラリズム」を吊定的に語っお芋せはする。

    しかし、これも河野真倪郎ず同様で、「資本䞻矩」そのものに぀いおは、決しお批刀しようずはしない、そんな「ヒラリヌ・クリントン」匏に「リベラル」な「リヌン・むン・フェミニスト」でしかない。

    しかも、田䞭東子が、ナむヌブに「資本䞻矩」を信じ、「ネオリベラリズム」だけを問題芖しおいるずいうこずではなく、「ネオリベラリズム」の問題ずは、結局のずころ「資本䞻矩」の問題であるず承知しおいながら、そこたで批刀するず「リヌン・むン」できないからず、䞀般にも評刀の悪い「ネオリベラリズム」ずいう「郚分」だけを、トカゲの尻尟切り的に批刀しお芋せおいるだけなのだ。

    そしおその蚌拠ずは、田䞭東子がナンシヌ・フレむザヌの『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』を読んでいるずいう事実である。
    田䞭東子は、フレむザヌの䞭心的な問題意識をわざわざ避けお、ただ、知ったかぶりをしたいだけなのだ。

    『 ちなみに「搟取」ずいう蚀葉が䞖界䞭で知られるようになったのは、マルクスによっお曞かれた『資本論』ずいういたや叀兞ずなった本のおかげである。簡単に芁点をたずめるず、マルクスは、劎働者が自分たちの生産した剰䜙䟡倀分を支払われるこずなく資本家によっお掠め取られおしたうこずを、「搟取」ず呌んでいる。『資本論』にたで遡っお説明するず冗長になるため、ここではナンシヌ・フレむザヌずいうフェミニストの研究者が『資本䞻矩は私たちをなぜ幞せにしないのか』ずいう本でマルクスの『資本論』を読解しおいる箇所に蚀及しながら、搟取の構造に぀いお簡朔に説明しおみるこずにする。
     フレむザヌは、資本䞻矩が経枈システムであるこずを超え、利益第䞀の経枈を機胜させるための非経枈的な支揎を捕食する暩限を䞎えられた瀟䌚秩序になったず䞻匵しおいる。䟋えば自然や被支配民からの富の収奪、ケア劎働の収奪、公共財ず公的暩力、劎働者の掻力や想像力などを搟取し、その瀟䌚秩序の䞭であらゆる惚事が䞀぀に集たり、互いを悪化させ、私たちを飲み蟌んでしたったのだず指摘する。こうした珟象に぀いお、フレむザヌは「共食い資本䞻矩」ず名付けお批刀しおいるが、その際に、マルクスの『資本論』に䟝拠しながら、資本䞻矩による搟取の構造を四぀の特城に基づいお説明しおいる。』P57〜58

    ここで田䞭東子の曞いおいる、

    『 フレむザヌは、資本䞻矩が経枈システムであるこずを超え、利益第䞀の経枈を機胜させるための非経枈的な支揎を捕食する暩限を䞎えられた瀟䌚秩序になったず䞻匵しおいる。』

    ずいう説明は、ほずんど「嘘」である。

    なぜなら、フレむザヌの䞻匵するのは「資本䞻矩ずは、もずもず経枈ずいう範疇に収たるようなものではなかった」ずいうこずであり、『資本䞻矩が経枈システムであるこずを超え、利益第䞀の経枈を機胜』させるこずが問題だずいうような話ではない、からである。
    「超える超えない」の問題ではなく、資本䞻矩ずは、もずもず「経枈の範疇を超えたものだった」「マルクスでさえ、その認識が䞍十分だった」ずいう話なのだ。

    ナンシヌ・フレむザヌによる同曞に぀いおのレビュヌで詳述したこずだが、同曞のキモは、フレむザヌが、マルクスの蚀う「剰䜙䟡倀の搟取ずしおの資本䞻矩」の問題の、その「先」、「資本䞻矩」のマルクスが芋萜ずしおいた郚分を論じおいる点にあるのだが、田䞭東子はここで、フレむザヌを、マルクスの剰䜙䟡倀論を説明するための出汁に䜿っお「矮小化しおいる」のだ。

    なぜ、マルクスの剰䜙䟡倀論の説明を、玠盎にその入門曞にでも沿っおしなかったのかずいうず、それはたぶん、次のような事情によるのではないだろうか。

    そもそも、マルクスの『資本論』を読んでいない。
    いちおう『資本論』は読んでいるものの、自分の蚀葉で説明するのが面倒なので、フレむザヌの説明を揎甚し぀぀、暗に「私は、フレむザヌも読んでたすよ」ずいうアピヌルをした。
    フレむザヌの「反資本䞻矩」は、資本䞻矩瀟䌚に䟝存する「リヌン・むン・フェミニスト」の䞀人である田䞭東子には、䞍郜合なものだったから、婉曲に矮小化した。

    実際、北村玗衣・河野真倪郎・田䞭東子の共通点は䜕かずいえば、それは、人ずも「珟圹のオタク」である点だ。

    その事実は、それぞれの著曞に、自己玹介的に瀺されおいるこずだから、私が事あらためお玹介するたでもないだろうが、簡単に蚀えば、北村玗衣ず田䞭東子は、女性オタクずしおの「腐女子」出身であるし、河野真倪郎は「アニメオタク」であり「SF映画オタク」である。

    そしお、そもそも「オタク」ずは、「資本䞻矩的な高床な消費瀟䌚」であっおこそ可胜な、生存圢匏なのだ。
    だからこそ、その立堎で自己䞭心的に考えれば、ナンシヌ・フレむザヌが指摘しおいるずおり、「グロヌバルサりスに犠牲を匷いる」こずになっおも、「資本䞻矩経枈」を捚おるこずはできないのである。
    フレむザヌが望むような「フェアトレヌドの䞖界搟取・剥奪のない䞖界」になれば、「オタク」は今のような氎準での「過剰な消費生掻」など送れなくなるから、「資本䞻矩」そのものを批刀するこずは出来ないのだ。

    もちろん「オタク」であるこず自䜓が悪いわけではないのだが、しかし「オタク」ずいうものには、総䜓的に蚀っお、抜きがたい「問題」がある。それは、䞀䞀「自分たちのこずしか考えおいない䞖間がせたい」ずいう点だ。

    私は先日、「note」でフォロヌさせおいただいおいるダマダヒフミ氏の蚘事「癟人の䞀般人よりも䞀人のオタク」に「スキ」を抌した䞊でコメントし、ダマダ氏ず次のようなやりずりを亀わした。

    『幎間読曞人
     2025幎2月26日 01:55

    私の堎合は、昔からオタク嫌いでした。

    高校生の頃に、初めお同人誌に曞いた評論が「アニメファンはダメだ」ずいう趣旚のものでした。䜕ず比べおかずいうず、目立たないプラモファンに比べおです。

    で、瀟䌚人になっおから、䌝統あるミステリマニアのサヌクル「SRの䌚」に入るず「ミステリマニアはダメだ」ず内郚批刀を始め、瞁あっおSFファンのサヌクルに入るず「SFはダメだ」ずやりたした。

    ぀たりたあ、自分が奜きで所属しおいる堎所においお、倧勢を占める人たちずいうのは、圓然のこずかもしれたせんが、基本的に぀たんねヌ奎ばっかりだから、どうしおも批刀しおしたいたす。もっずしっかりやれず。

    珟圚は、フェミニズムに興味を持ったので、北村玗衣だけではなく、日本のフェミニストはもっずしっかりやれず叱咀しおいたす。
    すべおは愛ですね。

    倧奜きな䞭井英倫が※ その著曞である、私の倧奜きな『虚無ぞの䟛物』を「アンチミステリヌ」ず名付けたのも、自身を「反䞖界」の人間だずしたのも、決しお偶然ではないでしょう笑。

    


















     ダマダヒフミ
     2025幎2月26日 04:38

    そうですね。たあ自分オタクに批刀的なのですが、この文章は違う芖点から曞いおみたした。

    䞀般人から芋るず、自分も幎間読曞人さんもオタクに分類されるんじゃないでしょうか。

    䟡倀芳的には   玄人オタク䞀般人
    なんですが、玄人はいない事になっおいたすから。たたこれに関しおは違う芖点から曞こうず思いたす。

    


















     幎間読曞人
     2025幎2月26日 04:49

    いや、䞀般的な分類からすればオタクである、ずいうのは認めおいたす。
    いちいちその違いを説明するだけ無駄だから吊定はしないのですが、たあ、違うものは違うものずしお話をしないず意味がないので、オタク嫌いだず、そう衚珟せざるを埗ないんですよね。

    ですから、ダマダさんのここでの狙いは十分承知しおいる぀もりです。
    倖から「オタクはダメだ」ずいくら蚀っおも、腹を立おられるだけだから、オタクの䞭のアンチ・オタクずいう衚珟を遞ばれたんでしょう。

    もう、私の堎合は、オタクに理解しおもらおうずは思っおなくお、ただ事実は事実ずしお曞いおおく必芁があるから、そのたた曞いおいるずいう感じです。

    


















     ダマダヒフミ
     2025幎2月26日 04:59

    なるほど。了解臎したした。 』

    ぀たり、「オタク」ずいうのは、おおむね「お山の倧将」であり「䞖間がせたい」。
    たたそれでいお、「我賢し」ずいった錻持ちならなさがあっお、広く䞖間を知ろうずするような「謙虚さ」に欠ける。

    芁は、自分の奜きな「手持ちカヌド」だけで、䞖間党般を「説明」しおしたえば、「どうだ、私はオタクでも、決しおタコツボに閉じこもった存圚などではなく、䞖間のこずもちゃんずわかっおいるんだぞ」ず、そうした「ケチな自己顕瀺」をやりたがりがちなのだ。

    そしお、その兞型的な著䜜が、北村玗衣のそれであり、河野真䞀郎のそれであり、田䞭東子のそれなのである。

    そしおそれは、いずれも「倧孊教授」が曞いたものずは到底思えない、きわめお「薄っぺらい」ものでしかない。こんなものの曞き手が「倧孊教授」をやっおいるようでは、䞖界の䞭での「日本の倧孊」のランク付けが、極端に萜ち蟌んでいるずいう珟状も、なるほどず思わざるを埗ない。
    なにも、難しく曞けば良いずいうものではないけれども、少なくずも、私が若い頃にふれた倧孊教授の著䜜ずいうのは、もう少し「本気で孊問しおいた」ず思う。

    もちろん、圓時の倧孊教授だっお、ピンからキリたでいたし、キリの曞いた本ずいうのは、いくら頑匵っお孊問しお芋せおも、やはり、぀たらないものではあった。
    だが、今にように、ネオリベラルな「資本䞻矩ポピュリズム」にそのたた乗っかったような「薄っぺらい」本など、圓時の倧孊教授には「アカデミズムの犄を食む者の端くれ」ずしお、恥ずかしくお人前に出せなかったはずである。

    実際、田䞭東子による本曞『オタク文化ずフェミニズム』も、完党に「そのレベル」のものなのだ。

    たたに、孊者の名前を出したり、孊問的なゞャヌゎンを䜿っお芋せたりはしおいるが、そこで語られおいる内容自䜓は、そんな「専門性」をわざわざ持ち出すたでもない「薄っぺら」なものに過ぎない。

    それは、本曞に関する「Amazonカスタマヌレビュヌ」の評䟡にも䞀目瞭然で、専門家ではないレビュアヌから「薄っぺらい」ずいう趣旚の評䟡を受けおいる点では、先に玹介した河野真䞀郎の著曞ず、たったく同様なのだ。

    珟時点で、最も「圹に立った」ず、39人からの高評䟡を受けおいるカスタマヌレビュヌは、次のものである。

    『 Amazon Customer5぀星のうち1.0
     オタク文化を男性の文化ず決め぀け、性察立を煜りたい
      2024幎11月14日

    オタク文化を掚し掻に限定し、女を消費しおいるずいう前提の元、匷匕に展開する解像床の䜎い内容でした。
    元ずなるオタクの根拠が著者本人、すなわちn=1のサンプルずいう皚拙さが原因になっおいたす。
    掚しの韓流アむドルが性犯眪を起こした、私は傷぀きたしたのような話にも違和感がありたす。

    オタクずフェミニズムを安易に察立する手法はXのようなSNSでよく芋られるものです。
    元々オタク人口は女性の方が倚いず蚀われおもいたす。
    コミケの参加人数がわかりやすいです。
    たたアむドルファンはオタクの䞭では䞻流ではありたせん。消費文化でもありたせん。
    コンテンツを自ら䜜っおも来たした。
    女性やオタクをバカにしたものずだず思いたす。

    掚し掻やファン文化、アむドル文化に関する論考は曞籍も先行論文など倚々ありたす。
    わざわざ論理的に砎綻しおいるものを参考にする必芁はありたせん。
    なぜ筆者が「掚し掻」「アむドル」などのワヌドをタむトルに入れなかったのかずいうこずを考えお、この本を読むずいいず思いたす。』

    田䞭東子による本曞『オタク文化ずフェミニズム』の「解像床の䜎い内容」に぀いおは、いちいち解説するのも銬鹿銬鹿しいものなので、そこたではしないけれど、ご圓人が「それでは玍埗できない」ずおっしゃるのなら、北村玗衣や河野真倪郎の堎合ず同様に、なたすに切り刻んでご説明しお差し䞊げよう。

    だが、そんなこずをするたでもなく、田䞭東子自身による「はじめに」の、次のような蚀葉を匕甚玹介すれば、私が自らの手を煩わすたでもない著䜜だずいうのが、ご理解いただけるはずだ。

    『本曞は党䜓を通しお、珟象そのものを実蚌するこずを目的ずはしおいない。それよりもむしろ、重芁な問題、困難な状況が浮かび䞊がっおいるこずを批刀的に捉え、指し瀺すこずが重芁であるず考えおいる。したがっお、取り䞊げおいる珟象にかかわる新聞蚘事や雑誌蚘事、論文、最近ではSNSでの投皿などを集め、スクリヌンショットを保存しお目を通し぀぀も、その数をカりントしたり、キヌワヌドの数や関係性をコヌディングしおたずめたり、ずいうような手法は甚いおいない。
     そういう意味で、本曞は実蚌䞻矩的な研究に基づく曞籍ではない。しかし、返す刀で本曞の内容が批評であるかず尋ねられたら、それもたた違うず答えざるをえないだろう。本曞には幟人もの理論家や思想家、孊者や評論家の蚀葉や抂念や分析枠組みを匕甚し、珟象に圓おはめお考察をしおいる郚分もあるが、コンテンツや䜜品の批評を行っおいるわけでもないからだ。瀟䌚珟象を批評的に分解するこずを詊みおはいるものの、批評のための理論を粟緻化するこずを目的ずしお分析を行っおいるわけではないのである。
     ではどういう本なのか ず説明を求められたら、銖をひねりながら「あるオタクの研究者が、研究を目的ずしないたたオタ掻のフィヌルドに出お目にしたものを蚘述した蚘録のようなもの」ず答えるのが適しおいるような気がする。぀たり、「研究者」ずいう超越的な䞻䜓がオタク文化をフェミニズムの芖点から分析し、蚘述したのではなく、たたたた研究者の職にあるオタク女性が地面の䞊に立っお身の回りの出来事を分析し、蚘述したら、たたさかそれが瀟䌚を批刀的に提えるこずになり、フェミニズムが問題ずしおきた事柄にあおはたっおしたったのである。そういう意味で、本曞は䞻芳的に感情や感芚を亀えお曞かれおいるわけではないけれども、極めお䞀人称的な本であるこずは間違いないだろう。
     倩空から構えお論を振りかざすのではなく、地䞊から芋䞊げお叫んでいる。
     そんな本なのである。』

    このずおりである。
    芁は「孊術的な著曞ではなく」、したがっお『重芁な問題、困難な状況』だず自分が思っおいるこずを、説明もなしに「重芁な問題なのだ」ず決め぀け、オタクがオタク問題の重芁性をアピヌルしおいる本、だずいうこずだ。

    それは私が、ダマダヒフミ氏の蚘事ぞのコメントでのやりずりに関しお曞いた、次のような「オタクにありがちな問題性」である。

    『「オタク」ずいうのは、おおむね「お山の倧将」であり「䞖間がせたい」。それでいお「我賢し」ずいった錻持ちならなさがあっお、広く䞖間を知ろうずいう「謙虚さ」に欠ける。芁は、自分の奜きな「手持ちカヌド」だけで、䞖間党般を「説明」しおしたえば「どうだ、私はオタクでも、決しおタコツボに閉じこもった存圚ではなく、䞖間のこずもちゃんずわかっおいるんだよ」ず、そうした「ケチな自己顕瀺」をやりがち』

    こうした『錻持ちならなさ』が、最埌の郚分の、

    『 倩空から構えお論を振りかざすのではなく、地䞊から芋䞊げお叫んでいる。
     そんな本なのである。』

    ずいう「自己賛矎」的蚀葉に、ハッキリず衚れおいる。
    䞀䞀芁は「孊術」的でも「批評」でもないけれど、私田䞭東子は、そうした『倩空から構えお論を振りかざす』ずいう傲慢なやり方ではなく、みなさんず同じ「地に足が぀いた立堎」から、謙虚に䞀生懞呜、声をあげおいるのですずいう、搊手の自己賛矎ずは、仏教で蚀うずころの「卑䞋慢」なのである。

    しかし、そんなこずを本気で思っおいるのであれば「東倧教授なんお、さっさず蟞めちたえ」ずいうこずにしかならない。
    「孊者」「研究者」が、その地道な職務を軜んじおみせお、䞖間の「オタク」に迎合するこずで味方に぀けようなどずいう欺瞞的な「ポピュリズム」は、断じお看過すべきではない。端的に蚀っお、この停善的な物蚀いは「゚リヌト意識」に由来するものでしかなく、「䞀般のオタク」の知的レベルを䜎く芋お、銬鹿にしたずころから出たものなのだ。

    たしかに田䞭東子は、本曞においお、自身が「オタク」であるこずを認めお、「オタク」を擁護しおる。
    しかしそれは「オタク䞀般」を高く評䟡しおいるからではなく、自身が「゚リヌト・オタク」ではあれ、「オタク」であるこず自䜓は吊定できない事実だからだ。だからこそ、「自己正圓化」のために、これ芋よがしに「オタク」の偎に぀いお、「オタク」を擁護しお、人気取りをしおいるに過ぎないのである。

    ぀たりこれは、女だから女の偎に立぀ずか、日本人だから日本人の偎に立぀ずいった、自分自身のための、ケチな「党掟利益第䞀䞻矩」の䞀皮でしかない。

    䟋えば、「圚野」の著名な消費瀟䌚研究家である䞉浊展の「掚し掻」論に぀いお、田䞭東子は、「掚し掻をしおいる人」の偎に「寄り添う」かたちで、次のように論じおいる。

    『 拡倧される「掚し掻」論議

     最近では掚し掻批評のようなものも次々ず登堎しおいる。䞉浊展氏の『孀独ず぀ながりの消費論掚し掻・レトロ・叀着・移䜏』では、サブタむトルに「掚し掻」ずいう蚀葉が入っおいる。
    䞉浊氏は、趣味的消費が最近では非垞に増えおきたず䞻匵しお、次のように述べおいる。

    〈掚しの察象は、俳優、お笑い、スポヌツ遞手、地䞋アむドルなどなどに及び、あるいはアニメキャラクタヌ、ゆるキャラのぬいぐるみでもよい。
     掚し掻は、自分が誰かを掚す愛する・応揎するずずもに、掚しおいるタレントからの愛を求めるずころがある。掚し掻や応揎消費は自分が応揎するず同時に盞手から応揎されるずいう盞互感芚が倧事なのではないかず思われる。䞀〇ヌ䞀䞀頁※ 右は「10〜11頁」の挢数字衚蚘〉

     たた、䞉浊氏は孀独感ず消費を結び付け、「掚し掻ずは孀独者の宗教である」ずいうテヌれを掲げお掚し掻を批評しおいく。䞉浊氏によるず、掚し掻関連消費は、未婚女性ず既婚男性、二〇代パラサむトシングルの男女ず䞀人暮らし女性で倚い傟向にある、そしお、「孀独を感じる人のほうが消費額が倚い」四䞉頁ずのこずである。さらに、二〇代、䞉〇代の女性の䞭で、奜きなタレントやアヌティストのグッズ賌入、远いかけをする人が増えおいる、ずも述べおいる。調査に基づいお分析しおはいるものの、掚し掻をしおいる女性たちからは、「そうかもしれないけど、それが党おではないような‥‥‥」ず反発的な感情を抱かれそうなこずを躊躇なく曞いおいる。
     二〇代、䞉〇代の独身女性は孀独だから消費掻動に没頭しお心を満たしおいる、ずいう䞻匵はありきたりでいささかステレオタむプ的でもあり、むンタビュヌ調査などで消費掻動の内実を補足する必芁を感じる。』

    P30〜31、䞉浊文の匕甚郚分は、原文では䞀段萜ずしだが、ここでは〈〉で括った

    もちろん問題は、田䞭東子の、

    『ず反発的な感情を抱かれそうなこずを躊躇なく曞いおいる。』

    の郚分である。䞀䞀぀たり、田䞭東子なら「評䟡察象」に反発を招きそうなこずは曞かないず、そう蚀っおいるのだが、これが「東京倧孊教授である孊者」の蚀うこずなのかず、愕然ずさせられる。

    孊者ずいうものは、自身の研究結果に぀いおは、それが䟋え「䞖間」や「囜家」に受け入れがたい内容であっおも、むしろ信念を持っお、それをそのたた公衚するこずで、䞖間や囜家に貢献すべき存圚ではなかったのか

    「孊問的には、本圓はそうじゃないんだけど、そう正盎に蚀っちゃうず、䞖間から爪匟きにされそうだから」ず、「倩皇陛䞋は珟人神です」ずか「倪陜は地球の呚りを回っおいたす」などずいった調子で、「想定読者」である「掚し掻するオタク」たちに配慮・迎合しお「嘘さえ぀く」のが、田䞭東子ずいう「東倧教授」なのである。

    そしお、こういう欺瞞的な態床こそが、田䞭東子自身の蚀う『倩から構えお論を振りかざすのではなく、地䞊から芋䞊げお叫』ぶ、ずやらの実態なのだ。オタクに「寄り添う」こずの内実ずは、そんな「ペテン」でしかないのである。

    たただからこそ、「マヌケティング・アナリストである䞉浊展」よりも、肩曞きこそご立掟な「東京倧孊倧孊院教授」である田䞭東子は、「瀟䌚研究者ずしおの実瞟」では、䞉浊に遥かに及ばない「䞉流孊者」であるにもかかわらず、偉そうに、『倩空から構えお論を振りかざ』しお、次のように曞いたのである。

    『二〇代、䞉〇代の独身女性は孀独だから消費掻動に没頭しお心を満たしおいる、ずいう䞻匵はありきたりでいささかステレオタむプ的でもあり、むンタビュヌ調査などで消費掻動の内実を補足する必芁を感じる。』

    たったく、「瀟䌚孊者ずしおの実瞟も碌にないくせに、いったい䜕様の぀もりだ」ず蚊いおやりたいずころだが、本曞を読むかぎり、いかにも臆病で保身的な田䞭東子は、心の䞭で「私は倩䞋の、東倧教授です」ず、぀ぶやくだけなのであろう。

    ちなみに本曞には、こんな田䞭東子が、「リヌン・むン・フェミニズムのお仲間」である、北村玗衣に蚀及しおいる、次のような郚分がある。

    『 その他にも、「掚し掻」ずいう蚀葉の誕生以前から、類する掻動はあったのだずいう指摘もある。䟋えば、二〇二䞉幎四月二四日から八月六日たで早皲田倧孊の挔劇博物通゚ンパクで「掚し掻展ヌ゚ンパクコレクションからみる掚し文化」ずいう展瀺が行われた。゚ンパクの展瀺では、「集める」「共有する」「捧げる」「支える」ずいう掚し掻を構成する四぀のキヌワヌドが導き出だされ、゚ンパクの所蔵物から展瀺物が遞び出されおいた。この䌁画を担圓した早皲田倧孊の赀井玀矎氏は『週刊文春 WOMAN』二〇二䞉幎秋号で、歌舞䌎孊䌚䌚長で゚ンパク通長でもある児玉竜䞀氏ず察談しおいる。察談では、胜楜や歌舞䌎のスタヌシステムや盞撲のタニマチなども今でいう掚し掻ですよね、ずいった話が展開されおいる。英文孊者で評論家ずしおも著名な北村玗衣氏の著曞『シェむクスピア劇を楜しんだ女性たち』では、䞀䞃䞖玀から䞀八䞖玀半ば頃たでの時期に圓時の著名な䜜家や宮廷人から䞀読者、䞀芳客にいたる女性ファンがどのように挔劇文化を支えおきたかむングランドの瀟䌚文化的文脈ずずもに論じられおいる。぀たり、䞀䞃䞖玀から䞀八䞖玀頃のペヌロッパにもお芝居に熱狂したり、曞籍を集めたりず、掚し掻に類するようなファンの掻動があったずいうこずなのだ。』P32

    無論、問題は『英文孊者で評論家ずしおも著名な北村玗衣氏』ずいう郚分だ。

    たしかに、北村玗衣の著䜜『シェむクスピア劇を楜しんだ女性たち』は「昔のむギリスの女オタク」の掻動を研究した本だから、ここで玹介するこず自䜓は間違いではない。

    けれども『英文孊者で評論家ずしおも著名な北村玗衣氏』ずいう「衚珟」は、どうだろうか

    そもそも、北村玗衣は「英文孊者」ではなく「英囜文化の研究家」であり、その䞀端ずしお「英文孊」にも蚀及するだけのこずだし、その「文孊研究のレベル」は決しお高くはない。
    たた「評論家」ず蚀っおも、「文芞評論家」ずしおは無論、「英囜文化評論家」ずしおのレベルも䜎い。
    そもそも、北村玗衣の売りは「分析評䟡」ではなく、オタクらしい「知識の切り売り」的な、最新研究成果の「玹介」の郚分にあるのだ。

    䞀䞀したがっお北村玗衣は、「英文孊者」ずしおも「評論家」ずしおも「著名」ではない。
    北村玗衣が著名なのは、「フォロワヌ䞇人」に「タレント教授」ずしお「著名」なのだ。

    そしお、そんな北村玗衣を、このように「ペむショ」するのは、無論、田䞭東子が、北村玗衣ず同じ「オタク出身の研究者」であり「リヌン・むン・フェミニスト」であり「キラキラフェミニスト」を目指しおいる、北村玗衣の「お仲間」だからだ。
    「身内」を耒めおおけば、芋返りがあるかもしれないからで、だからこそ、この臆病者が、かの「オヌプンレタヌ」にも喜んで参加し、それが問題になっおからは、北村玗衣の意向に埓っお沈黙を守るずいう「埓順ぶり」を瀺しおいるのである。

    もちろん、珟圚の肩曞きずしおは、田䞭東子の方が北村玗衣よりも立掟なのだが、しかし、オヌプンレタヌに眲名するほど、以前から北村玗衣のこずを知っおおり、か぀、もずもずは本曞からもわかるずおりの臆病者である田䞭東子は、今でも北村玗衣に逆らうこずなどできないはずだ。
    なぜなら、「呉座勇䞀に察するオヌプンレタヌ」や「山内雁琳に察する民事蚎蚟」や「Twitter䞊での、ファンネル・オフェンスを䜿った、陰険な個人攻撃」やずいったこずに衚れた「北村玗衣の獰猛さ」を知っおいるからで、北村玗衣に媚びお、保身に走るずいうのは、ごく自然なこずだろうからである。

    たた、本曞の「あずがき」に、私の「読解劄想」を唆る、ずおも興味深い蚘述がある。

    『 それから本曞が出版されるたでには玆䜙曲折があった。玆䜙曲折、ずいうか、端的に私が怠惰だったずいうだけの話だ。※ 青土瀟の担圓線集者氞井さんは毎月のように連絡をくれ、打ち合わせのために䌚いに来おくれたし、原橋の修正を催促しおくれた。しかし、私の方ではどうにも螏ん切りが぀かず、「来月たでには原皿を盎したすから」などず蚀い蚳を繰り返し、䞎倪話をするばかりで、䜜業は遅々ずしお進たなかった。同幎代の芪しい研究者たちが次々ず著䜜を刊行しおいくのを眺めおは焊りを感じおいたにもかかわらず、䞀向に䜜業は終わらなかった。怠情であったせいもあるのだが、ここ数幎、私は校務やら孊䌚の仕事やらに激しく远われおいた。
     そしお䞉幎が経ち、この床どうにか陜の目を芋るこずになった。このように曞籍ずいう圢になり、みなさたのお手元に届けるこずができるようになったのは、ひずえに担圓線集者の氞井愛さんのおかげです。本圓にありがずうございたした。』

    P241「あずがき」より

    本曞の刊行䌁画が持ち䞊がっおから、田䞭東子は、延々幎間も線集者を埅たせたそうなのだが、本曞の刊行が2024幎9月なのだから、本曞の䌁画が持ち䞊がったのは2021幎ずいうこずになる。぀たり「第四波フェミニズム」が最高朮に達した頃だ。
    だから、線集者が、こんな本でも出したいず考えたのは、ごく自然なこずだ。「バスに乗り遅れるな」ずいうわけである。

    しかし、田䞭東子には田䞭東子なりず思惑があっお、延々ず幎も遅らせおしたったのではないだろうか

    ずいうのも、2021幎ず蚀えば、すでに「オヌプンレタヌ」ずその埌のゎタゎタが続いおいた頃だった。

    『オヌプンレタヌ公開から3ヵ月埌の2021幎7月21日、代理人を介しお亀枉䞭だった呉座勇䞀氏ず北村玗衣氏の亀枉が決着し、呉座勇䞀氏の謝眪文が北村玗衣氏のブログ䞊で公開されたした。呉座氏が公匏に謝眪するのは3月20日の1床目を含めるず、これが2床目になりたす。』

    こんな時期だったから、私が蚀うずころの「臆病」者である田䞭東子ずしおは、著曞を刊行するのに臆しおいたずは考えられないだろうか

    ぀たり、刊行たでに幎もかかったのは、「時効」の成立を埅っおいたのではないかず、そんな掚理も成り立぀わけなのだ。

    しかし、無論、その堎合には「時効」など存圚せず、正確には「ほずがりが冷めるのを埅っおいた」ずいうべきなのだが、私などは本曞の刊行盎埌に、北村玗衣の存圚を知り、「オヌプンレタヌ」のこずを知ったのだから、悪いこずはできないものだ、ずいうこずなのであろう。

     ○ ○ ○

    なお、私が「ブックオフ・オンラむン」で、叀本ずしお入手した本曞は、版元である青土瀟が、新聞瀟にでも献本したもののお流れのようで、「乞埡高評 青土瀟」ず刷られた短冊ず、献本甚のチラシが挟み蟌たれたたただったのだが、そのチラシには次のように曞かれおいた

    『謹啓時䞋益々ご枅祥のこずずお慶び申し䞊げたす。
    日頃お䞖話になっおおりたす小瀟では、このたび䞊蚘新刊を刊行いたしたしたので、ずりいそぎ献本申し䞊げたす。貎玙誌媒䜓におご高評賜れば幞甚に存じたす。
      * * * * *
    苊しさや葛藀もありながら楜しさや喜びも確かにある、

    その䞡矩的な実践の䞭で

    「芋る䞻䜓」はもはや男性だけではなくなり、「掚し掻」を通じお倚くの女性たちもたた「芋る䞻䜓」ずなり始めおいる。「オンナコドモ」のものずされおいた゚ンタヌテむンメントも、珟圚では批評の俎䞊に茉せられるものずしお、倚くの人が語り始め、巚倧なマヌケットずしお泚目を集めおいる。
    瀟䌚珟象ずもなっおいる「掚し掻」を、客芳的にたなざしながら、䞻芳的に寄り添いながらその珟圚地を描きだす。「掚し掻」論の決定版』

    だそうである。

    画像

    『客芳的にたなざしながら、䞻芳的に寄り添いながらその珟圚地を描きだす。』ず、「青土瀟の線集者」が本気で曞いたのなら、なんずも「読めない奎」だずしか評しようがない。

    それずも、これは「巚倧なマヌケット」に着目した「青土瀟ネオリベラリズム」ずしおの、「売らんかな」の「心にもない宣䌝文句」なのだろうか

    いずれにしろ、本曞『オタク文化ずフェミニズム』は、氎準以䞋の「クズ本」である。

    すでに、田䞭東子の「オタク仲間」である、河野真倪郎の著曞『正矩はどこぞ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒヌロヌ」』に぀いおも「クズ本」だずいう評䟡を䞋したが、批評的な氎準で蚀えば、ただしも河野曞の方がマシだったず、公平に評䟡しおおこう。

    たしかに、本曞『オタク文化ずフェミニズム』を読めば、「掚し掻」だの「2・5次元ミュヌゞカル」だの「男の嚘」だのに぀いおの知識は増えよう。だが、それずお「Amazon Customer」氏が、

    掚し掻やファン文化、アむドル文化に関する論考は曞籍も先行論文など倚々ありたす。
    わざわざ論理的に砎綻しおいるものを参考にする必芁はありたせん。

    ず曞いおいる皋床のものでしかなく、その筋の「オタク」であれば、「倧孊教授研究者」ではなくずも、知っおいるもいれば、曞けるレベルの内容でしかない。

    それにしおも、こんな人物が「東京倧孊倧孊院の教授」だずは、たさに日本も「オワタ終わった」ずしか蚀いようがない。

    昔、犏井晎敏の小説『亡囜のむヌゞス』が映画化された際、その宣䌝文句ずしお䜿われたたぶん䜜䞭のセリフは「よく芋ろ日本人、これが戊争だ」ずいうものであったが、それをもじっお蚀えば、たさに

    「よく芋ろ日本人、これが東京倧孊あるいは日本の倧孊の実態だ」

    ずいうこずになるだろう。
    たさに、知的・孊問的な「亡囜」の危機である。


    2025幎3月11日


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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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