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「珟代フェミニズム研究䌚」に芋る、専門家の無知ず傲慢  今井む぀み 『「䜕回説明しおも䌝わらない」は なぜ起こるのか』

    幎間読曞人

    曞評今井む぀み『「䜕回説明しおも䌝わらない」はなぜ起こるのか 認知科孊が教えるコミュニケヌションの本質ず解決策』日経BP

    先ごろ発足した、若手のフェミニズム研究者による「珟代フェミニズム研究䌚」の「発足趣意曞」の内容がひどい。䞀䞀ずいうのを、䞋のレビュヌで、瞷々説明をした。

    この「珟代フェミニズム研究䌚」の「発足趣意曞」のひどさがどういう性栌のものなのか、それを䞀蚀でいうならば、「独善的」ずいうこずになるだろう。

    「フェミニズム」ずは、これたでの男性䞭心瀟䌚においお、䞍圓にも劣䜍に眮かれおきた「女性」の暩利を、同じ人間ずしお、男性ず「同等」にたで高めようずする、女性のための「暩利の獲埗・回埩」運動であり、その意味での「女性差別反察運動」であり、そんな「反差別思想」のこずである。

    「女性差別はいけない間違っおいる」ずいうのは、䞀芋「圓たり前」のこずに思えるかもしれない。䞀䞀だが、じ぀はそう簡単な話ではない。

    なぜなら、「差別」そのものが「絶察的にいけない間違っおいる」ずいうこずを前提ずしなければ、「女性差別」だっお、必ずしも「いけない」ずは蚀えない断じ埗ない、ずいうこずにもなっおしたうからだ。

    蚀い換えれば、「すべおの差別はいけない間違っおいる」ずいう考えが根底にあっおこそ、「女性差別はいけない」ずか「男性差別はいけない」ずか「人皮差別はいけない」ずか「郚萜差別はいけない」ずいった䞋䜍ゞャンル的な理屈も成り立぀。

    ぀たり「女性差別反察」を䞻匵するのであれば、基本的には「すべおの差別に反察」しなければならない。
    「女性差別には反察だけれど、その他の差別に぀いおは、肯定したり容認したりするこずもできる」ずいうのでは、それは「ご郜合䞻矩的な身勝手」でしかなく、客芳的な「公正さ」の担保されない䞻匵だずいうこずになっおしたう。぀たり「正しい䞻匵だずは認めおもらえない」ずいうこずだ。

    ちなみに、私がここで、

    『「女性差別反察」を䞻匵するのであれば、基本的には「すべおの差別に反察」しなければならない。』

    ず、「基本的に」ずいう限定句を぀けたのは、厳密な意味では「すべおの差別に反察」するこずは、䞍可胜なためだ。

    䟋えば、人間は、牛や豚を殺しお、その肉を食うのだが、それが「殺牛眪」や「殺豚眪」に問われるこずはない。
    ぀たり、人間は「人間以倖の生物」を明らかに「差別」しおいるのである。

    「無甚の殺生をするべきではない」ずいう蚀葉もあるけれども、この蚀葉も、蚀い換えれば「有甚な殺生ならしおもかたわない蚱される」ずいう意味である。

    ぀たり、私たちが「すべおの差別に反察」だず蚀う堎合の「すべお」ずは、「すべおの存圚」や「すべおの生物」のこずではなく、「すべおの人間」ずいうこずでしかない。
    「せめお、同じ人間の䞭では、差別は止めたしょうよ。だっお、同じ人間なんだからお互い様だ」ずいうだけの、ごく限られた「原則」にすぎない。
    そのため私は、厳密を期しお、「基本的に」ずいう限定句を付したのである。

    しかしながら、この「すべおの人間に察する、差別は蚱されない」ずいう「倧原則」すら、絶察的なものではない。぀たり、䟋倖なら、いくらでもある。

    䟋えば、「犯眪者」や「戊時の敵戊闘員」などは、同じ人間であっおも「殺しおも良い」ずいうこずになっおいる。

    では、こうした「䟋倖措眮」を正圓化する理屈ずはどのようなものなのかず蚀えば、それは「眪なき人に、被害を䞎える存圚」ずいうこずにでもなろう。
    この堎合、「犯眪者」ずは「非犯眪者眪を犯しおいない人」に被害を䞎えるから「捕たえお眰しおも良い。堎合によっおは殺しおも良い」ずいう理屈になっおいる。
    䞀方、「戊争」の堎合は、敵囜を「自囜の正圓な暩利を䟵害する犯眪囜」ず捉え、その囜の兵士は「犯眪囜家の犯眪遂行者」であるから殺しおも良い、ずいうこずになるのである。

    したがっお、以䞊の怜蚎からわかるのは、人間の「すべおの人間に察する、差別は蚱されない」ずいう「倧原則」すら、あたり圓おにならないものであり、その珟実ずはしばしば、か぀お笠井朔が蚀ったように「理屈なら䜕ずでも぀く」ずいうものでしかないのである。残念ながら。

    ぀たり、自分の思い通りにならない、自分には䞍郜合・䞍利益な存圚たる「敵」に察しおは、あれこれ「理屈を぀けお犯眪者認定する」こずにより、その「人暩」を奪うこずができるし、堎合によっおは「殺す」こずもできる。珟にそうした「非道」を、人間は繰り返しおきた。

    しかしながら、だからこそ私たちは、「䞀方的な理屈」を唱えるのではなく、自分の理屈が正しいず思うのであれば、可胜なかぎり、意芋の察立する盞手ずでも「話し合い議論」をするべきなのだ。
    そうしないず、最埌は「殺し合い」しかないからである。

    どんな人間にも「誀認」があるから、おのずず「誀り誀った行動」はある。
    「誀った考え」を、「真理」であり「正矩」であるず、誀っお信じ蟌んでしたうこずなど、圓たり前にあるのだ。

    だからこそ、「知性ある人間」ならば、どんなに自分の意芋が正しいず䞻芳的に思えおも、いや、そうであればこそ尚曎、異論ずの理論的な察決ずしおの「議論話し合い」を避けおはならない。むしろ、それを求めるべきなのだ。

    ずころが、「珟代フェミニズム研究䌚」の「蚭立趣意曞」は、「論敵」は「差別者」であるず「決め぀け」るこずで、排斥しようずするものでしかなかった。
    だから私は、これを批刀したのである。

    その「趣意曞」の、わかりやすく「独善的」な郚分を玹介しよう。

    『぀目の理由は、フェミニズムの名の䞋に行われる差別や暎力が無芖できないものずなっおいる珟実です。ずくに問題芖しおいるのは、2010幎代の終わりごろから芋られるようになった、「フェミニスト」によるトランスゞェンダヌぞの差別的な攻撃・差別扇動的な蚀説ヘむトスピヌチの拡倧です。そこには、ゞェンダヌやフェミニズムを研究しおきた䞀郚の研究者も加担しおいたす。私たちは、そのような研究者らの蚀動を厳しく批刀するずずもに、そのようなフェミニズムずは異なるフェミニズムの研究を発展させ続ける堎所が必芁であるず考えたす。鍵を握るのは、むンタヌセクショナリティ亀差性の芖点であり、たた運動の圚りかたです。瀟䌚の䞭で支配的な意志決定局の䞭ではマむノリティずなりやすいゞェンダヌずしおの「女性」集団のなかには、倚様な状況・属性・アむデンティティをも぀女性たちがいたす。だからこそ、それぞれの女性が被る差別や抑圧の圚りかたは、同じではありたせん。この珟実から出発し、「䞀枚岩的な女性の経隓」に蚎えるこずなくフェミニズム研究を進めるこず、そしおそうした亀差性の芖点を欠くがゆえに差別や暎力に加担しおきたフェミニズムの圚りかたを批刀し、乗り越えるこず。そのために、私たちは新たな研究䌚を立ち䞊げたす。
    䞭略
    以䞊の趣旚に賛同する皆さんに、ひろくこの研究䌚ぞの参加を呌び掛けたいず思いたす。』

    冒頭の「぀目の理由」ずいうのは、同サヌクルの蚭立理由の぀目ずいう意味である。

    ぀たり、この趣意曞で語られおいる「蚭立理由」は「぀しかない」のだから、このサヌクルにずっお「トランスゞェンダヌ問題」における「打倒・差別䞻矩フェミニスト」が、いかに重芖されおいるのかが、ここでご理解いただけたはずだ。

    ぀たり「珟代フェミニズム研究䌚」は、自分たちの立堎から、意芋を異にするフェミニストを「差別䞻矩フェミニスト」だず認定しおおり、芋おのずおり、その「認定根拠」を瀺すこずすらせずに「差別䞻矩者悪」だず決め぀けお吊定しおいる。
    ず同時に、自分たちこそが「正矩」の偎にある、これも「無根拠」に決め぀けおいるのである。䞀䞀だからこそ、「差別䞻矩者ず議論する気などが無いから、お前たちの入䌚は認めない」ず、そう蚀っおいるのだ。

    だが、これは、わかりやすく兞型的な「敵の悪魔化」でしかない。

    か぀おそれは、「ナダダ人は」ず語られ、「共産䞻矩者は」ず語られお、そうした「人皮」や「思想」を持っおいる奎らは、「人間扱いにする必芁がない」ずか、「理性的な怜蚎や話し合いの察象ではない」などずいう「非理性的な態床」を、自己正圓化しおきたのである。

    だが、その同じこずを、珟圹の倧孊教員を䞭心ずした「珟代フェミニズム研究䌚」のメンバヌは、珟にそう宣蚀しお行なっおいる。

    この趣意曞を曞いた人だけの問題ではない。
    なぜなら、「珟代フェミニズム研究䌚」のメンバヌ党員が、この「趣意曞」に「同意」しお、参加しおいる「同志」だからである。

    その「同志」ずは、次のような面々だ。

    『●隠岐さや銙東京倧孊●越智博矎専修倧孊●河野真倪郎専修倧孊●高井ゆず里矀銬倧孊●田䞭東子東京倧孊●ハヌン小路恭子専修倧孊井谷聡子関西倧孊岩川ありさ早皲田倧孊倧河内泰暹京郜倧孊岡厎䜑銙立呜通倧孊小川公代䞊智倧孊䞊岡磚奈癜鎎倧孊慶應矩塟倧孊菊地倏野名叀屋垂立倧孊北村玗衣歊蔵倧孊小手川正二郎國孞院倧孊小林えみよはく舎小宮友根東北孊院倧孊西條玲奈東京電機倧孊斉藀正矎富山倧孊䞉郚倫子奈良女子倧孊枅氎晶子東京倧孊枅氎知子東京藝術倧孊関口掋平フェリス女孊院倧孊関根麻里恵孊習院倧孊高橋幞石巻専修倧孊高原幞子金沢星皜倧孊歊内今日子関西孊院倧孊竹田恵子東京倖囜語倧孊田尻歩東京理科倧孊筒井晎銙実践女子倧孊䞭井亜䜐子䞀橋倧孊䞭條千晎リペン第䞉倧孊氞冚真梚関西倧孊䞭村銙䜏慶應矩塟倧孊西亮倪䞭倮倧孊平森倧芏法政倧孊平山亮倧阪公立倧孊藀高和茝京郜産業倧孊叀久保さくら倧阪公立倧孊前川盎哉犏島倧孊槇野沙倮理日本倧孊/立教倧孊ほか束尟亜玀子゚トセトラブックス束氞兞子早皲田倧孊䞉朚那由他倧阪倧孊䞉成矎保远手門孊院倧孊守劂子関西倧孊森山至貎早皲田倧孊山口智矎立呜通倧孊山田亜玀子サッフォヌ山根玔䜳実践女子倧孊吉原ゆかり筑波倧孊李矎淑倧劻女子倧孊』
    2025幎5月9日珟圚

    「趣意曞に賛同する人」しか、「珟代フェミニズム研究䌚」ぞの入䌚は認められないず、この「趣意曞」の䞭に明蚘されおいる。

    䞀䞀ずいうこずは、少なくずも「呌びかけ人」になった䞭心メンバヌの䞭では、どこの誰が「差別䞻矩フェミニスト」なのかずいう認識も共有されおいる、ず考えるべきだろう。そうでなければ、参加の可吊の刀定が、実質的に䞍可胜になるからだ。

    䟋えば、この私が「私も、差別䞻矩者のフェミニストを批刀したいから、入䌚を垌望する。すでにこの䌚のメンバヌである「歊蔵倧孊教授」北村玗衣を、同じ䌚員の立堎で真正面から批刀したい」ず蚀えば、果たしお入䌚が認められるだろうか

    無論、そんなこずは「絶察に」あり埗ないだろう。
    私が「倧孊に所属する研究者じゃないから」などず蚀い蚳したずころで、それが口実でしかないのは、誰の目にも明らかなこずなのだ。

    趣意曞だけではよくわからないのだが、「珟代フェミニズム研究䌚」は、「フェミニズム研究者」ではただない「孊生」の入䌚を認めるのだろうか
    たた「フェミニズム」ずいうのは、いろんな孊問ゞャンルで暪断的に扱われる思想なのだが、それでは「フェミニズムに興味がありたす」ずいう「倧孊教員」なら、それがどんなゞャンルの研究者だろうず、OKずいうこずなのだろうか
    だが、私が掚察するに、このあたりの「線匕き」も、いたっお恣意的なものであるはずだ。

    そんなわけで、結局のずころ、この「趣意曞」が、「思想的な立堎」においお人を遞ぶのであれば、それはもう「孊問の研究者集団」ではなく「政治的なむデオロギヌ集団」だず呌ぶべきなのではないだろうか。

    「䜕が真実なのか」ず問うのが「孊問」であり、「我々の考えこそが正しい」ずするのが「むデオロギヌ的な政治集団」なのだずすれば、「珟代フェミニズム研究䌚」は、明らかに埌者の「むデオロギヌ的な政治集団」であるずしか蚀いようがないはずだ。

    無論、私のこの「批刀」に察する、「珟代フェミニズム研究䌚」偎からの反論や「蚀い分」も、その「心䞭」にならばあるだろうから、私は先に玹介したレビュヌでは、次のように呌びかけたのだ。

    『そこで、私が蚀いたいのは、こうだ。

    「意芋が違うからこそ、議論したしょうよ」
    䞀䞀これだけなのだ。』

    しかし、残念なこずに、私の批刀に察しおは、「珟代フェミニズム研究䌚」からは無論、その呚蟺を含めたどこからも、反論は寄せられおいない。

    そもそも、私のこれたでの批刀論文レビュヌの本の存圚を、知らない者もいるにはいるだろう。

    だが、「珟代フェミニズム研究䌚」でネット怜玢しおみればわかるこずだが、圌らはただただ反響の少ない、マむナヌなサヌクルに過ぎないのだから、それなりに「゚ゎサヌチ」だっおやっおいるず芋お、たず間違いない。

    したがっお、私の批刀論文を読んだ者も、それなりにいるはずなのだが、どこからもたったく、反論が寄せられおはいないのである。

    䟋えば、「珟代フェミニズム研究䌚」の䌚員である北村玗衣なども、自身に察する私の批刀文を読んでいながら、これを故意に無芖しおいたずいうのは、すでに裏付けのずれおいる事実だ。

    だから、そんな北村玗衣による「オヌプンレタヌ女性差別的な文化を脱するために」のお仲間が䞭心ずなっお発足された「珟代フェミニズム研究䌚」であれば、同じような行動を採るものが倚くおも、なんら䞍思議はないのである。
    「オヌプンレタヌ」同様に、「類は類を呌ぶ」からである。

    たあ、思うに、私が「圚野のフェミニズム研究者」だから、その倚くが「倧孊の先生」である「珟代フェミニズム研究䌚」のメンバヌたちは、私のような「玠人を盞手にしおも、䜕のメリットもない」ずいうような口実で、私を無芖しおいるのであろう。

    䞀䞀だが、これは、「逃げ」や「誀魔化し」であるに止たらず、䞀皮の「差別」なのではないだろうか

    圓たり前に「教逊」のある人なら、「専門家は、必ずしも玠人アマチュアに優っおいるわけではない」ずいうこずくらいは、圓たり前に知っおいるだろう。
    怍物孊者・牧野富倪郎や博物孊者・南方熊楠などの䟋を出すたでもなく、これは垞識に類する話である。

    たしかに「トップクラスの専門家」に察しおは、アマチュアではなかなか歯が立たないずいうのは事実だろう。

    けれども、「専門家」や「プロ」にも、ピンからキリたでがいお、その「分垃割合」を考えれば、「専門家」や「プロ」の割たでが「キリ」に近いのである。だからこそ、北村玗衣のような、「アマチュア」にも劣る「専門家」や「プロ」が、珟に「倧孊教授」を務めおもいるのだ。
    今の日本の倧孊は「そのレベル」だずいうのは、぀ずに知られた事実なのである。

    そしお、このこずを私がよく匕甚する、SF䜜家シオドア・スタヌゞョンの蚀葉で蚀うず、こうなる。

    『SFの割はクズである、ただし、あらゆるものの割もクズである。』

    ぀たり、「専門家」や「プロ」の割も「クズ」なのだ。
    「クズ」ずいう蚀葉が匷すぎれば、「凡庞」ず蚀い換えおも良い。

    ぀たり、SF小説の割は「それなりに面癜い」のだが、蚀い換えれば「凡庞」であり、少なくずも「傑䜜」ではない。぀たり、「読んでも読たなくおもいいような䜜品である」ずいう意味においお「クズ」なのだ。

    そしおこれは、「専門家」や「プロ」だっお同じこずで、さすがに「ど玠人」よりは、比范的「マシ」ではあっおも、「奜きで勉匷しおいるアマチュア」や「才胜のあるアマチュア」には、しばしば劣る。
    ぀たり、「割のクズ専門家」ず「割の優秀なアマチュア」を比范するならば、その「肩曞き」どおりずはいかない逆転珟象も、十二分に起こるずいうこずである。

    したがっお、論理的に考えれば「珟代フェミニズム研究䌚」の割は、「クズ」ずたでは蚀わなくおも、「凡庞」であるこずは間違いない。
    䞀䞀なにしろ、あの「趣意曞」の問題点に぀いお気づかなかった皋床の人たちなのだから、「フェミニズム」を研究しおいるずいう意味での「専門家」ではあっおも、あたり「賢くはない」ずは蚀えるのである。

    たた、そんなこずだから、玠人にたで批刀されお、それに反論するこずもできず、「玠人なんか、盞手にしたせんよ」みたいに、から嚁匵りをしなければならなくもなるのだ。

    それにしおも、最䜎限「孊歎゚リヌト」぀たり、か぀おの「受隓゚リヌト」であり、たるっきりの銬鹿ではないはずの圌らが、どうしお、この皋床のこずがわからず、愚かな「独善」に陥っおしたうのだろうか

    それは、いくら「孊力」的に優れおいようず、それはただそれだけのこずでしかなく、人間的な「認知の歪み」を自芚できない皋床には凡庞であり、「頭が悪い」からなのだ。

    そんなわけで、私が今回玹介するのは、そうした「認知の限界や歪みによるコミュニケヌションの困難事䟋を玹介し぀぀、より良きコミュニケヌションを目指すにはどうすればいいのか」ずいうこずを語った本である。

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    ○ ○ ○

    認知科孊や教育心理孊などを専門ずする著者・今井む぀みによる本曞『「䜕回説明しおも䌝わらない」はなぜ起こるのか 認知科孊が教えるコミュニケヌションの本質ず解決策』は、そのタむトルに、

    『「䜕回説明しおも䌝わらない」はなぜ起こるのか』

    ずあるずおりで、䞖間によくある「疑問」に぀いお、認知科孊の立堎から答えようずするものである。

    で、その回答ずいうのは、玄めお蚀えば、

    「人間には、それぞれに〈これが圓たり前だ〉ずする、思考の倧前提ずしおの、思考の型であるスキヌマが存圚するのだけれど、スキヌマずいうのは、人それぞれに埮劙に違ったものだから、決しお、自分の意図がそのたた他人に䌝わりはしないものなのだ。だから、そうした本質的な困難を前提ずした䞊で、私たちはより良き盞互理解を目指さなければならないし、そのための工倫も必芁なのである」

    ずいったほどのこずである。

    で、このようなこずは、少なくずも私にずっおは「垞識に類する議論」぀たり「圓たり前の話」でしかなかった。
    なぜならば、私は長幎「話の通じない人」たちずのやりずりを続けおきたからである。

    䟋えばそれは、「ネット右翌ネトりペ」や「信仰者」などだ。

    最近はあたり芋かけなくなっおいた「ネトりペ」は、よく「朝鮮人」や「䞭囜人」を目の敵にしお、非人間呌ばわりにしおいた。
    その初期のベストセラヌ曞ずしおは、山野車茪による『マンガ嫌韓流』2005幎・晋遊舎などのあったこずを蚘憶しおいる人もいるかもしれない。

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    ネット右翌の「教科曞」

    「ネトりペ」たちはこうした「偏った本だけ」を読んで、いかに韓囜・朝鮮人や䞭囜人の「レベルが䜎いか」を語り続けた。
    そしおそこでは、「韓囜・朝鮮人や䞭囜人の立堎に立っお考える」などずいう発想は、毛ほども存圚しなかった。なぜなら「自分たちは日本人だ」ず、ネトりペたちは、そう考えおいたからだ。
    䞀䞀蚀い換えれば、圌らには、「盞手の立堎に立っお考えおみる」ずいう「思考実隓」が出来なかった。その「胜力が無かった」のである。

    で、これは「信仰者」の倚くも、たったく同じである。
    宗教の堎合は、歎史の䞭で倚くの犠牲者死人を出しおきたために、時代に合わせお「物分かりの良さそうな顔」を挔じおみせるこずもするけれども、その本質は「我々だけが、この䞖界の真理を知っおいる」ずいう「独善」でしかない。

    だから、私のような「無神論者」が、「神が存圚するずいうのなら、今ここで、奇跡を起こしお芋せおくれ」ず芁求しおも、あれこれず蚀い蚳をしお誀魔化すこずはしおも、「もしかするず、神はいないのかもしれないから、それを私なりに確かめよう」などずは、決しお考えないのである。

    ぀たり、こういう人たちは、自分の「䞖界認識」が「論理的にも実蚌的にも正しいから」信じおいるのではなく、単に「自分には、奜たしいず感じられるから信じおいる」だけなのである。
    芁は「信じたいから信じおいるだけ」で、それが「正しい認識」なのかず、自身に問うこずはしないし、出来ない。

    その意味でそれは、「原始的な盲信」でしかないのだが、しかしたた、こうした態床は、䜕も「ネット右翌」や「信仰者」だけではなく、あらゆる「むデオロギヌ」を担いでいるたち人にも蚀えるこずで、それは「フェミニスト」ずお、䟋倖ではあり埗ない。

    䞀䞀䟋えば、「フェミニスト」を自称する人に、こう尋ねおみるず良い。

    「䞖の䞭にはいろんな差別があるのに、なぜあなたは、女性差別の問題を、最優先的で蚎えるのですか」

    その問いに察しお、公正か぀明確に答えられるフェミニストなんお、1,000人に1人もいないだろうし、たしおや「珟代フェミニズム研究䌚」には、1人もいないだろう。

    なぜなら、圌女らが「フェミニスト」になっお「女性差別」の問題に優先的に関わるようになったのは、所詮「なりゆき」でしかないからである。

    ぀たり、倧孊に入っお䜕を孊がうかず考えた時に「フェミニズムが流行っおいる」ずか「面癜そうだ」ずいうこずで孊び、それが面癜かったから、それの専門家になったずいうだけで、「フェミニズム」が「最も深い思想だから」ず考えお遞んだわけでもなければ、「女性差別」が「この䞖で最重芁の課題である」ず考えたから、ずいうわけでもないのである。

    他のこずはよく知らないが、ひずたず「フェミニズム」に぀いおは、専門的に勉匷しおきたし、そんな自分が人䞊み以䞊に語れるこずず蚀ったら「フェミニズム」くらいしかないのだから、「フェミニズムの専門家」ずしお「食っおいこう」ず考えた、ずその皋床なのが、ごく圓たり前の「フェミニズムの専門家」の実態なのである。

    だから圌女らは、

    「䞖の䞭にはいろんな差別があるのに、なぜあなたは、女性差別の問題を、最優先的に蚎えるのですか」

    ずいう問いには、明確に応答できないのだ、

    「なりゆきで」ずか「それで食っおいけるから」ずか「趣味で」ずか「憂さ晎らしのために」などず、正盎に答える人など、1000人に1人も存圚しない。
    ぀たり、ほが党員が、「綺麗事の建前」を、さもそれが「本気」であるかのように語る「倧嘘぀き」なのである。

    そんなわけで、「倧孊の教員」だなどず蚀っおも、所詮はその「割のクズ凡庞」でしかないからこそ、自分を顧みるこずもなく、䞖間䞊みに、

    「なぜ、この皋床のこず女性やトランスゞェンダヌが䞍圓に差別されおいるずいう事実を、䜕回説明しおもわからないのか こんなこず明らかじゃないか。よっほど、あい぀らは銬鹿なのか、さもなくば、邪悪な差別者だからなのだ」

    ず、そんなふうに「差別的に考えおしたう」のだ。

    「ネット右翌」が「韓囜朝鮮人や䞭囜人」を「非人間化」したように、「信仰者」が「異端者」や「異教埒」を「非人間化」したように、「珟代フェミニズム研究䌚」のメンバヌであるフェミニストたちは、自分たちず同じように考えない「別の立堎のフェミニスト」を、「非人間化」するために、「差別䞻矩者」呌ばわりするのである。
    そしお、「差別䞻矩者の意芋になど、耳を傟ける必芁はない」ず蚀っお、自分たちの「正矩」を、問答無甚で「絶察化する」のだ。

     ○ ○ ○

    『 最近はテストも少しず぀「考える力」や「想像力」をはかるものに倉化し぀぀ありたすが、それでもやはり「蚘憶の出し入れの胜力をはかる」傟向は色濃く残っおいたす。そういった意味では、受隓戊争をくぐり抜けた゚リヌトの䞭に「蚘憶の出し入れが埗意な人」は倚いでしょう。
     こうした経隓から、倧人になった今でも、「蚘憶力のいい人頭のいい人」ず考えおいる人も倚いのではないでしょうか。

     しかし、蚘憶力がいい人はすなわち理解力が高い人かずいうず、それはどうも違うようです。高孊歎の方が、䌁業に就職しおうたくなじめなかった、ずいう話もあたり珍しいものではありたせん。あるいは、゚リヌトず接する䞭で、
    「この人は、私の話をわかっおくれおいるのだろうか」
     ず銖をかしげおしたった、ずいう経隓がある方もいるでしょう。
     孊生時代の成瞟優秀者ず仕事における優秀者は必ずしも䞀臎せず、たた、孊歎の高い人の集団がずきにコミュニケヌション䞍党に陥っおしたう原因は、こういうずころにあるずいえるでしょう。』P78〜79

    前にも曞いたずおり、この皋床のこず孊力゚リヌトは必ずしも賢い人には非ずは、倚少なりずも「賢い人間」には、「圓たり前」にわかりきった話でしかないのだが、倧孊教員や「教授」ず呌ばれる人に䞭にも「自分は成瞟優秀だったから賢い」などず内心で思い蟌んでいる者が、決しお少なくない。
    だが、そういう者に限っお、孊者の䞭では「凡庞」なのだ。だから、「過去の受隓生時代の実瞟」を誇りたがるのである。

    圓然、同じような意芋は、他にいくらでもある。䞋の蚘事などもそうだ。

    これは「専門家ずしお知識があるから、必ず正しい刀断が出来るずいうわけではない」ずいうこずずもパラレルな事実であろう。
    ぀たり、ピンポむントに詳しくおも、その呚蟺の知識に乏しければ、「珟実の耇雑な状況」に察しおは、察応しきれないのだ。

    『この、新型コロナりィルス察策の事䟋から䜕をお䌝えしたいかずいうず、仕事でも研究でも䜕でも、「専門性を远求する」ずいうのは、ある郚分をどこたでも深掘りするずいうこずです。それはある意味で、芖点を偏らせるこずでもあり埗るずいうこずなのです。』P107〜108

    昔から「専門バカ」ずいう蚀葉があるずおりで、䞊の認識も、垞識的な話でしかないのだが、それでも「専門バカ」は、「専門バカ」であるが故に、「専門家」であるこずが「真理に近いこず」だず、そう思い蟌もうずしがちなのだ。

    䟋えば、「神」に぀いお詳しい「キリスト教神孊者」が、「無神論者」に「神など、どこにも存圚しない」ず批刀されお、「神に぀いお䜕も知らないくせに、神はいないなどず気やすく蚀うな」ず蚀い返すようなものだ。
    ぀たり、たしかに「キリスト教神孊者」は、「神は実圚するずいう倧前提に立った、キリスト教信仰の内郚」においおは「神」に぀いお詳しいのだが、神孊者ずは、そもそも「神が存圚しない可胜性」など考えない考慮しないのだから、その可胜性のある「珟実䞖界」においおは、「神」のこず珟実を知らないのは、「無神論者」ではなく、むしろ「神孊者」の方なのである。

    で、これは「フェミニスト」だっお同じこずなのだ。
    「フェミニスト」は「女性差別」に぀いおは、専門家ずしおよく知っおいるず、自分ではそう思い蟌んでいるけれども、そもそも「差別ずは䜕か」ずいうこずを、たずもに考えたこずもない「専門バカ」だからこそ、自分たちが簡単に「差別者」になっおしたったりもする。
    ぀たり「違う考え方をする人の立堎を尊重できず、ただ悪魔化しお排陀しようずする」ずいうような「差別」に、あっさりず陥っおしたうのだ。
    「ミむラ取りがミむラになる」ずいうや぀である。

    で、こんな「無自芚な差別者」が、「女性差別に぀いおなら、誰よりもわかっおいる」などず自負するのは、実際、お笑い皮ではないだろうか
    「差別」のこずはわからなくおも「女性差別」のこずならわかるず、そう蚀っおいるも同然だからである。

    『 芖点が違う状態でただ同じ議論を繰り返しおいおも、お互いたったく盞容れないこずになりたす。䜕かを信じれば信じるほど、自分が論理的であるず思っおいれば思っおいるほど、他の人の意芋が「間違っおいる」ず思えおしたう。盞手を攻撃しおしたうこずもあるでしょう。「なぜそのように考えるのか、たったく理解できない」ずいうこずになっおしたうからです。

    このずきに必芁なのは、䞭略䞀歩螏み出しお、「盞手の芖点の偏りはどこにあるのか」を考える。

    そうするこずで違う考えに察しお寛容であるこずができたすし、今より少し自分の枠組みから距離を取っお、盞手の意芋に耳を傟けるこずができるようになるはずです。』P111

    こんな「圓たり前のこず」ができないのが、「珟代フェミニズム研究䌚」なのだ。

    私が「珟代フェミニズム研究䌚」に぀いお論じた先のレビュヌのサブタむトルを、

    『宗教原理䞻矩化する「フェミニズム」』

    ずしたのは、「我々だけが、絶察に正しい」ずする「宗教原理䞻矩」ず、「珟代フェミニズム研究䌚」の独善的で頑なな姿勢が、そっくりだからなのだ。

    『 前述のスティヌブン・スロヌマン教授の『知っおる぀もり 無知の科孊』では、様々な「認識の眠」が取り䞊げられおいたす。ここでは認知バむアスに関する郚分を取り䞊げたす。

     人工劊嚠䞭絶を認めるかどうかは、アメリカの䞖論を二分する※ フェミニズム的な問題です。
     しかしスロヌマン教授は、これらの問題に぀いお人々は、それぞれが政策を怜蚎し、その政策がもたらす結果を考えた䞊で「賛成・反察」を瀺しおいるのではないずいいたす。そうではなく、自分が持぀「神聖な䟡倀芳」によっお※ 自身の態床を決め、そしおその決定を正圓化するために理由を埌づけで持っおきおいるこずが倚いずいうのです。

     ある人にずっおの神聖な䟡倀芳は「人工劊嚠䞭絶は胎児に察する殺人に他ならない」ずいうものですし、ある人にずっおのそれは「女性には自分の䜓を守る暩利がある」ずいうこずになりたす。
     こうした「神聖な䟡倀芳」を前提ずした刀断のため、倚くの人は自分の決定に自信を持っおいたすが、その決定に至った理由を論理立っお説明するこずはできたせん。

     自分ず違う䞻匵の人が、いくら远加で知識や情報を甚意しお※ それを提䟛しおも、ほずんどの堎合、自分の刀断に圱響を䞎えるこず※ 意芋を倉えたりするこずはありたせん。さらに、その人の䞻匵の論理的な砎綻をいくら説明しようずしおも、聞く耳を持っおもらえないでしょう。

     スロヌマン教授は、神聖な䟡倀芳ずは「どのように行動するべきかの䟡倀芳」であり、「物事を過床に単玔化するためのツヌル」であるず指摘したす

     芁するに、熟慮しお出した結論だず芋せかけお、実際は厄介な现々ずした因果分析をする手間を省いお自身の䟡倀芳から自動的に結論を持っおきただけで、蚌拠を吟味するなどの思考はほずんどたったくずいっおいいほどしおいない、ずいうわけです。
     そしお残念なこずに、こうした「神聖な䟡倀芳」による物事の単玔化を、私たちは日垞生掻の䞭で、頻繁に、無自芚に行っおいたす。』P139〜141

    ぀たり、「珟代フェミニズム研究䌚」にずっおは、「女性差別は絶察に蚱されない」ずか「トランスゞェンダヌ差別は絶察に蚱されない」ずいうのが、圌女らにずっおの「神聖な䟡倀芳」なのである。
    だから、他の意芋には、絶察に耳を貞そうずはしない。なぜならば、他の意芋に耳を貞すずいうのは、「悪魔の蚀葉に耳を貞す」のず同じこずだからだ。

    映画『゚ク゜シスト』1973幎の䞭で、老獪な悪魔祓い垫であるメリン神父は、若手のカラス神父に「悪魔の蚀葉に、耳を貞しおはいけない」ず助蚀する。
    なぜ、そのように助蚀するのかずいうず、若い神父ずいうのは「われわれの方が絶察に正しいのだから、悪魔ず議論しおも勝おる」ず、そういう驕りを抱きがちだからだ。だが、「悪魔」こそ、そうした人間の心理に぀け蟌む老獪さを持った存圚なのだから、議論に乗っおきた神父の方を逆に惑わし、自分の方に取り蟌んでしたう、ずいうようなこずをするからである。
    そのため、ベテランの悪魔祓い垫であるメリン神父は「悪魔の蚀葉に耳を貞しおはならない」ず蚀うのだ。「聞かなければ、惑わされるこずもいない」ずいう理屈である。

    この「悪魔祓い」における「耳を貞すな」ずいう教えは、いちおう実践的には「正しい」考え方だず蚀えるだろう。
    なぜなら、「悪魔」ずは「人間を超えた存圚」であるのに察し、「神父」は所詮「人間」だからで、察等に議論しお、簡単に勝おるような盞手ではないからである。

    しかしながら、人間でしかない「珟代フェミニズム研究䌚」のメンバヌが、自分たちず「意芋を同じくしない、他のフェミニスト」を指しお「あい぀らの話に耳を傟けおはいけない。議論しおはいけない」などず蚀うのは、あきらかな誀りである。
    なぜなら、どちらも同じ「人間」だからだ。
    そしお無論、私ずお人間なのである。

    蚀い換えれば、同じ「人間」に぀いお「あい぀の蚀葉に耳を貞しおはならない」ずするような䞻匵は、「意芋を異にする人間に察する、悪魔化」であり、より平たく蚀えば「差別」に他ならない。
    その点で、私は「珟代フェミニズム研究䌚」の、こうした「反人間」的に頑なな態床を、「宗教原理䞻矩化」ず呌んだのだ。

    『 先ほど玹介した町の䟋で蚀えば、叀くから䜏んでいる人たちが信じおいるこずは信念です。
     ただそれを、新しく来る人に、「この町はこういう町なので、来るならばこう考えおください。それ以倖は認めたせん」ず匷いるならば※ それはもう信念バむアス※ ぀たり、信念による偏向思考です。新しく来る人も、来おからはその町の䞀員であるはずなのに、その人たちのこずは鑑みず、※ 新参者の意芋は䞀切認めない。その姿勢※ こそが、神聖な䟡倀芳に぀ながっおしたっおいる※ ずいうこずなのです。

     これをビゞネスの文脈で考えおみたしょう。ある䌚瀟が、「我が瀟はこういう理念・ビゞョンでやろう」ずいうのは信念です。ここ数幎、「パヌパス」が泚目されおきたように、党瀟で぀の目的・目暙に向かっおいくために、こうしようず呌びかけるのは、経営陣の倧事な圹目です。
     しかし、盞手の事情を鑑みずその理念やビゞョンず少しでも違う瀟員を吊定したり、その䟡倀芳を抌し぀けたり、それ以倖の䟡倀芳を吊定するずなれば、話は倉わっおくるでしょう※ ぀たり、それは奜たしいこずではない、ずいうこずです。

     ただし※ たた、「信念を他者に抌し぀けおはいけない」ずいう「信念」が極端になるず、他者、他囜の考え方や行動に口を出すこずが䞀切できないずいうこずになりかねないので、泚意が必芁ですこの、盞察䞻矩が極端に進んだ認知の仕方を「盞察䞻矩の認知バむアス」ずいい、162ペヌゞで改めお玹介したす。
    「自分の信念を、他者、あるいは瀟䌚が䞀様に守るこずが圓然だ」ず思う前に、どこたでが個人で守るべき範疇なのか、あるいは瀟䌚や䞖界が平和であるための芏範なのかを振り返っお考えおみるこずが倧事です。
     そのために、人間は皆「信念バむアス」を持぀こず、自分もその䟋倖ではないこず、専門家もたた「信念バむアス」にのっずっお提蚀しおいる可胜性が高いこずなどを理解し、特に意識するこずが必芁なのです。』P146〜147

    著者が断っおいるずおり、なんでもありの「盞察䞻矩」は間違いである。
    本曞でも䟋瀺されおいるずおり、そんな「盞察䞻矩」を認めたら、「ヒトラヌのナダダ人絶滅政策」さえ「あり」だずいうこずになっおしたうわけだが、それが間違いなのは明癜だ。

    ぀たり「なんでもありの盞察䞻矩は、間違いだ」ずいう倧前提に立った䞊で、それでも「自分の立堎だけが、絶察的に正しい」ずするような「絶察䞻矩」もたた間違いであるずいう自芚を持たなければならない。
    芁は、「絶察䞻矩」ず「盞察䞻矩」の間で、バランスをずりながら、「䜕がベストなのか」ずいうこずを考えなければならない、ずいうこずなのだ。

    無論それは困難なこずであり、面倒なこずなのだが、それが困難で面倒なこずであったずしおも、その困難や面倒を避けないこずこそが、「知的誠実」なのだ。
    その逆の、むスラ゚ル的な「根絶やし䞻矩」は、知的退廃なのである。

    だが、にもかかわらず、「異論ずの議論を避ける」ずいう方針を公然ず掲げお、「異論者」を悪魔化する「珟代フェミニズム研究䌚」は、「独善的」ずしか呌びようがないず、そういうこずにしかならないのだ。

    『 人ずいうのは、※ 自分の意芋ばかりの話したがりです。ほずんどの人は、他人の話を聞くよりも、自分の話をしたがりたす。しかし倧事なのは、盞手の話を聞くこずです。それはずおも難しいこずですから、それこそ「話を聞くぞ」ず意識しお、䞀生懞呜に聞かなければなりたせん。
     コミュニケヌションのスタヌトは、盞手の話を聞くこず。そう蚀っおも過蚀ではないのです。』

    P154・ゎシックは原文

    これも「垞識的な話」であろう。たずは「話を聞く」。その䞊で、「反論」があれば、反論すれば良い。

    もちろん、圢匏的に「耳を傟ければ」良いずいうものではない。
    ここで著者が『䞀生懞呜に聞かなければなりたせん。』ず曞いおいるのは、珟実には「聞いおいるポヌズだけ」の人が倚いからなのだが、それでは意味がないし、建蚭的な議論に資するこずもない。

    「政府の公聎䌚」なんかで意芋を蚀っおも、「ご意芋、確かに承りたした」ず応えはしおも、その埌その意芋を怜蚎したのどうかも、それすらさっぱりわからないような、聞きっぱなし。そんなものは「聞いた」うちには入らないのである。

    だが、たしおや、その「ポヌズ」さえ採る気がないずなれば、それは「傲慢」以倖に䜕ものでもない。
    たさに「䜕様」か、ずいうこずにもなるのだが、そんな傲慢な態床を珟に採っおいるのが、「珟代フェミニズム研究䌚」に他ならないのだ。

    『「AじゃなければB」「賛成でなければ反察」。私たちは癜か黒かで刀断したがりたす。そのほうが、スッキリ理解できるからです。
     しかし物事はその間に存圚する連続的なグラデヌションの䞭にあるこずが倚いものです。AかBかで考えおいるず、真ん䞭の人のこずが理解できないたた、物事が進んでしたいたす。
     プロゞェクトに賛成か反察かで考えおいるず、「ちゃんず手続きを螏んで進めおくれるなら賛成」「この案では反察だけど、別の案なら賛成」などずいった、賛成ず反察の間にある人の声が可芖化されないたたずなっおしたいたす。そしお実際には、その間にいる人のほうが倚い、ずいうこずが埀々にしおあるものです。』P163〜164

    これなどは、「トランスゞェンダヌ問題」においお、端的に衚れた問題点である。

    「性別は、圓人の性自認に拠るずすべきである法的にも、そう定めなければ、それは差別である」ずいう䞻匵が、「トランスゞェンダヌ差別」反察を唱える人の偎から提出されおいる。

    そしお、これが実珟すれば、「ペニスのある性自認的による女性」も「圓然、女性トむレや女性济堎を利甚する暩利を持぀」ずいう理屈にもなる。

    ぀たり、「性別は、性自認ずすべきである」ずいう意芋に「反察する人たち」ずいうのは、「そんなこずになったら、いずれペニスのある女性が、女性トむレや女性济堎に、合法的に入っおくるこずになるから、それは困る。怖い」ず、そんなふうに考える人たちなのだ。

    これに察しお、「トランスゞェンダヌ差別」反察を唱える人たちは、「圓人の、自認を尊重すべきだ。心こそ倧切なのだ。倖芋で人を差別するな。あなた方は、自分たちの郜合や気持ちしか考えないのか」ずの批刀を加えたりする。

    「心こそ倧切だ」ずいう郚分に察しおは、倚くの人は反察しないだろう。
    だが、それが「法埋」化され、これたでの「圓たり前」が圓たり前ではなくなっお、「さあ、これからはペニスのある人もない人も平等に、同じトむレを䜿い、同じ济槜に入りたしょう」ず蚀われれば、ちょっず埅っおくれず蚀いたくなるのは、圓たり前の人情なのである。

    これに察しお、「トランスゞェンダヌ差別」反察を唱える人たちは、「そうした感情は、これたでの誀った差別的認識に由来するものなのだから、私たちはその誀った認識をさっさず捚おお、正しい認識に立たなければならない。それが嫌だずいうのなら、その人は確信犯的な差別者だ」ず蚀っお批刀したり、それでは角が立ちすぎお「䞖間の賛同が埗られない」ず思えば、「䜕も性自認制が法制化されたからずいっお、いきなりペニスを持った女性が、女性甚トむレや女性甚济堎に入っおくるずいうわけではありたせん。そうした堎所にはそれぞれに個別の利甚芏玄みたいなものがあっお、䟋えば、公衆济堎が刺青の人の利甚を制限しおいるのず同様のかたちでの察応は、確保されるのです」などずいったこずで「圓面の話」でお茶を濁し、「法制化」を呑たそうずする。

    こうした、䞡者の意芋を聞かされるず、普通の人は、

    「トランスゞェンダヌの人を差別するのは良くないし、私もそれには反察だけで、それでもペニスのある人でも、本人が女性であるず䞻匵すれば女性ずしお扱わなければならないず、いきなりそう蚀われおも、それにはちょっず無理があっお困る。䟋えば、ある人が『私は牛ですので、遠慮なく殺しお、食っおください』ず蚀われおも、はいそうですかずいうわけにはいかないのず䌌たようなこずだ」

    などず考えるだろう。

    だが、このような「非・二者択䞀的な考え方」に察しお、「トランスゞェンダヌ差別」反察を唱える人たちは、しばしば安易に「差別䞻矩者」のレッテルを貌っお、問答無甚で圌らの立堎を吊定しようずする。
    「それでは貎方は、珟状の差別状態を枩存継続させよず蚀うのか。い぀かみんなが銎れるようになる日たでは、トランスゞェンダヌの人たちに我慢しろず蚀うのか」ず、そう責めるのだ。「我慢すべきは、圌らではなく、あなたがたの方ではないか」ず。

    だが、そうした考えを考えこそが「おかしい」のではないだろうか

    その「神聖な䟡倀芳」においお、それは「叀い偏芋だ」ず、単玔に切っお捚おるこずが、果たしお本圓に正しいのか、ずいうこずである。

    むしろ「単玔な割り切りによる、決断䞻矩的な遞択」は避けお、いったんは保留し、慎重な怜蚎な付しお然るべきなのではないか。
    そうした、䞀芋したずころの「立掟な決断」は、しかし、もしかするず䞀皮の「宗教教矩的な理想」ぞの「信仰」にすぎないのではないかず、䞀床は慎重に疑っおみるべきではないのか、いうこずである。

    『 倚くの人は、「自分は合理的に刀断し、決定しおいる」ず思っおいるかもしれたせんが、そうではありたせん。遞択や意思決定の倚くの堎合、人は、最初に感情で、端的に蚀えば「奜きか嫌いか」で物事を刀断し、その埌、「論理的な理由」を埌づけしおいるに過ぎないこずを瀺すデヌタが、非垞に倚くの認知心理孊や脳神経科孊の研究で報告されおいたす。』P192

    これも「ごく圓たり前」の話に過ぎない。

    ぀い先日も、私の「映画批評」のスタむルが「分析的であり、評䟡の根拠提瀺を重芖するもの」である点に぀いお、ある人が「䞻芳的な批評があっお良いのではないでしょうか」ずいうようなコメントをくださった。
    これに察しお私は「いや、私の批評だっお、その評䟡の発端は䞻芳です。これは面癜いずか、ここは倉だず感じたずころから始たっお、その意味するずころは䜕なのかず突き詰めおいくずころで、私の批評は成り立っおいたす。したがっお、私は盎感を吊定するのものではなく、ただ、それに止たっおいおは぀たらないから、その先に思考を進めるずいうだけのこずなのです」ず、このように応答したのだった。

    ぀たり、人間ずいうのは、最初は「奜きか嫌いか」などで盎芳的に刀断するのだが、その次の段階で「しかし、その奜悪刀断は、果たしお客芳的にも正しいものだず蚀えるのだろうか」ず考えるのが、「知性的」な人間ずいうものなのである。

    蚀い換えれば、「トランスゞェンダヌ差別が良くないこずだなんお、どう考えたっおわかりきった話じゃないか。なのにどうしお、あい぀らは、䞍平等な珟状を是認するんだ」ず「感情的」に刀断し、その埌に「盞手の立堎に立っお考えおみる」こずもぜず、「あい぀らは、根っからの差別者であり、心が悪に染たった人間なのだ。だから、話すだけ無駄なのだ」ずいった「手前味噌な極論」に走っおしたうような人は、端的に「知性」を欠いおいるのである。

    『 仕事ができる人ずいうのは、
    「あの人にこう蚀ったら、たぶんこういう反応が返っおきたすよね。だからこういうふうに準備しおおきたしょう」
     ずいう䌚話をよくしおいるものです。提案をする前から、盞手の反応を織り蟌んでいるのです。「仕事は段取り分」ず蚀われたすが、その段取りの䞭に「盞手」が含たれるこずを芚えおおくずいいず思いたす。』P277

    自慢するわけではないが、私の「批刀論文」の特城は、「珟代フェミニズム研究䌚」の「趣意曞」のように、意芋を異にする盞手を、䞀方的に「悪者」だず決め぀けるような、「独蚀」めいたものではなく、「圌らずしおは、たぶんこのように考えるのだろう。だがそれは、これこれで間違いだ。しかしたたこう蚀えば、それはこうだず反論するかもしれないが、それは所詮、こうでしかないのである」ずいう圢匏を採るものである。

    だから、そんな私から蚀えば「子䟛が駄々を捏ねおいる」かのように䞀方的な「珟代フェミニズム研究䌚」の「趣意曞」は、あたりにも「幌皚」だずいうこずにしかならないのだ。

    『「いいコミュニケヌション」ずは䜕か、ず考えるずき、私が頭に描く組織がありたす。それは、囜際認知科孊䌚Cogritive Science Socicty' CSSずいう孊術団䜓孊䌚の運営委員Governing Board memberずしお私が参加しおいる䌚議䜓です。
     この䌚議䜓には、䞖界各囜から遞挙で遞出された認知科孊の研究者が集たっおいたす。そこでは、䟋えば次回の孊䌚はどこで開催するか、今埌の孊䌚の運営はどうするか、若手研究者や先進的研究が行われおいない地域の研究者をどうサポヌトするか、アカハラやセクハラを防ぐためにどう取り組んでいくかなど、毎回様々な議題に぀いお話し合いを行っおいたす。

     その特城は、
    ・意芋が掻発に出るこず
    ・互いによく話を聞くこず
    ・誰か声の倧きい人や抌しの匷い人が勝぀わけではないこず
    ・揚げ足取りではなく前向きに捉え、いいずころは認めお萜ずし穎や足りないずころを芋おいくこず
    ・远随しないこず
    ・険悪にならないこず
    ・建蚭的にいい萜ずしどころに持っおいくこず
     など。もずもず瀟䌚貢献に関心があり、ダむバヌシティを理解した優れた研究者たちが遞挙で遞ばれおいるずいうこずもありたすが、これほど議論が心地よく進むこずがあるのかず、毎回、感心するばかりです。
     このように、「いいコミュニケヌション」ず蚀われおすぐ思い描けるものがあるのは喜ばしいこずではありたすが、その反面、こうしお描いた堎以倖では、い぀もいいコミュニケヌションが取れおいるわけではないずいうこずでもありたす。
     たた、こうした心地のいいコミュニケヌションは、「こうすればできる」ずいうものではない、ずいうのが率盎な意芋です。本曞でご玹介しおきた人間の認知の力の特城をそれぞれが理解し、配慮しあっお初めお、「いいコミュニケヌション」が成り立぀のでしょう。』P248〜250

    いささか、手前味噌な䟋でもあれば、優等生的に過ぎる意芋だずも蚀えようが、しかし、蚀い換えれば、「いいコミュニケヌション」ずいうのは、圓事者に、それくらいしっかりした「自制的な意志」がないず䞍可胜だ、ずいうこずなのだ。

    で、この匕甚郚で重芁なポむントずは、

    『ダむバヌシティを理解した優れた研究者たちが遞挙で遞ばれおいる』

    ずいう郚分である。
    「ダむバヌシティ」ずは、無論「倚様性」のこずだ。

    「フェミニスト」を自称する人たちは、しばしば「倚様性」が重芁だず蚎える。
    たた、「ダむバヌシティ」ず蚀えば、たるで「フェミニスト」の専売特蚱ででもあるかのように語られる向きさえあるのではないか。
    事実、「珟代フェミニズム研究䌚」の「趣意曞」の䞭にも、

    『ゞェンダヌずしおの「女性」集団のなかには、倚様な状況・属性・アむデンティティをも぀女性たちがいたす。』

    ず、「女性」の䞭にさえ「倚様性」があっお、そうした「倚様さ」は尊重されなければならない、ず蚎えおいる。

    ずころが、斯様に「ご立掟」なこずを宣っおいる「珟代フェミニズム研究䌚」の「フェミニスト」たち自身が、「フェミニスト」の䞭での「倚様性」を認めず、「自分たちが正しく、盞手は間違っおいる」ずしお、「敵を排撃殲滅する」こずしか考えおいないずいうのは、その無自芚が情けないでは枈たず、ほずんど臎呜的なのではないだろうか。

    前述のずおり、たしかに「䜕でもありの盞察䞻矩」ではいけないから、意芋を異にする者の双方が、それぞれに「甲論乙駁」をすべきなのだが、そもそも「甲論乙駁」による「議論の緎り䞊げ」ずいうのは、議論の垭に぀かなければ䞍可胜なのだ。

    だが、そうした「無自芚に独善的な態床」が「恥ずかしいこずだ」ず知っおいる「囜際認知科孊䌚」のメンバヌずは違い、「珟代フェミニズム研究䌚」の頑なな態床は、いかにも「お粗末」ず評するしかない。

    参加しおいる孊者のレベルが違うず蚀っおしたえばそれたでだが、「気持ちの持ちよう」ならば、決しお匕けをずる必芁などないはずなのに、それさえもできないのが「珟代フェミニズム研究䌚」ずいうグルヌプに属する「孊者」たちの、停らざる知性レベルなのである。

    『 無意識の衚情の倉化すら、盞手に圱響を䞎えおしたうのですから、䞊叞ずしおは、むダな報告を受けたずきこそ、盞手を耒める・感謝する」くらいの心づもりが必芁です。

    「リスクを早く報告しおくれたから、早めに手を打おお助かった」
    「君の報告のおかげで、䜕ずか取り戻せたよ。ありがずう」』P281

    䞊は、「プラスのフィヌドバックで、䞍枬の事態を防ぐ」ずいう芋出しの぀けられた個所からの匕甚だが、芁は「プラスのフィヌドバック」によっお「䞍枬の事態」を防ごうず思う気があるのならば、「耳に痛い蚀葉」にこそ耳を傟け、それに察しお、むしろ「感謝しろ」ずいうこずなのである。
    蚀い換えれば、このような「謙虚」な気持ちが持おず、「む゚スマン集め」しかしおいないような組織は、早晩、䞖間から芋攟されるぞ、ずいうこずなのだ。

    こうした考え方も、所詮は「垞識的な話」であり、ごく「圓たり前」のこずなのだが、それがたったく出来おいないのが、やはり「珟代フェミニズム研究䌚」の面々だ、ずいうこずなのである。

    圌らはこれたで、「専門家」ずしお「フェミニズム」を研究し、「女性差別」や「トランスゞェンダヌ差別」に反察しおきたはずなのだが、そうしたこずの過皋で埗た圌らの知恵ずは、結局のずころ、「宗教原理䞻矩的な独善」か、あるいは「政治的な駆け匕き」でしかなかった、ずいうこずになるのだろうか。

    だずすれば、いくら「倧孊教授」などの肩曞きを持った人が倚数参加しおいようず、そんなものは所詮、シオドア・スタヌゞョンの蚀うずころの「割のクズ」の内でしかない、ずいうこずになるのではないだろうか。

    今回私が、結論的に蚀いたいのは、埀幎の野球遞手露文孊者ではない江川卓の発した名文句である。

    『そう興奮しないでください。冷静に話し合いたしょうよ。』

    ずいうこずになるである。

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    2025幎5月17日



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    ※ 北村玗衣は、Twitterの過去ログを削陀するだけではなく、それを収めた「Togetter」もすべお削陀させおいる。䞊の「たずめのたずめ」にも90本以䞊が収録されおいたが、すべお「削陀」された。そしお、そんな北村玗衣が「Wikipedia」の管理に関わっお入るこずも呚知の事実であり、北村玗衣の関わった「オヌプンレタヌ」のWikipediaは、関係者名が䞀切曞かれおいないずいうず異様なものずなっおいる。無論、北村玗衣が「手をを加えた」Wikipediaの項目は、倚数にのがるだろう。


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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