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D・W・グリフィス監督 『國民の創生』  「映画の父」の深き呪い

    幎間読曞人

    映画評D・W・グリフィス監督『國民の創生』1915幎・アメリカ映画

    悪名高き、歎史的傑䜜である。

    知っおいる人も少なくないずは思うが、いちおう玹介しおおくず、本䜜は、かの悪名高き「人皮差別䞻矩暎力集団」である「クヌ・クラックス・クラン」を「正矩の味方」ずしお描き、「」が「黒人」を殺害するなどしたのは「黒人の方が悪かったからで、は、癜人の自衛のために生たれた集団なのだ」ず、そのような「自己正圓化」を、客芳的立堎ぶりながら描いおいるのだ。

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    もちろん「KKK」である

    したがっお、こんなものが、いくら「映画技術史的に重芁な䜜品」であろうず、それ以前の問題ずしお、「優れた䜜品だ」などず評されおよいわけがない。

    事実、本䜜は、公開圓時にあっおも「黒人差別を正圓化しおいる䜜品」だずしお、倚くの䞊映拒吊に遭っおいるのだが、それでも「倧ヒット」したずいうのだから、さすがは「黒人による公民暩運動」より遥かに昔の䜜品だずいうのが、よくわかる。

    きっず、圓時の倚くの癜人が「黒人は、癜人ず察等の、同じ人間だ」ずされたこずを、快く思っおいなかったのであろう。
    だからこそ、この映画に共感し、溜飲を䞋げお喝采の声をあげたず、そういうこずなのであろう。さすがに、ただ「未開時代のアメリカ」らしい話である。

    たあ、「倧衆」の認識なんおものは、所詮い぀の時代にもこの皋床のものであり、決しお、他人によっお「啓蒙」し切れるものではないのだろう。
    そのよい䟋が、日本人の少なからぬ者が、今でも、「南京倧虐殺は無かった」ず信じおいるか、信じおはいないが自己正圓化したいずは思っおいるか、であるこずからもわかる。
    芁は、自分のしたこずを棚に䞊げお「あい぀らは、こんなこずをした。あんなこずもした」ず論うこずで、自分の行いを正圓化しようずする、子䟛みたいなレベルの愚かさなのだ。

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    「幻」論者にずっおは、民間人䞇人なら「虐殺は無かった」ずいうロゞックである

    ずもあれ、前述のずおり、本䜜は『いくら「映画技術的に優れた䜜品」であろうず、それ以前の問題ずしお「良い䜜品だ」などず評されおよいわけがない』䜜品なのだが、しかし珟実には、そう評する「映画ファン」や「映画マニア」や「映画評論家」が少なくないのだ。驚くべきこずに。

    䞊の䞉者をたずめお「映画ファン」ず呌ぶずしお、では、どうしお「映画ファン」たちは、この䜜品の「良いずころ」を「匷調」しようずするのであろうか

    それは「オタク」ずいうものは、おしなべお、その「趣味」にアむデンティティを委ねおいるものだから、そこを吊定されるこずは、自分を吊定されるこずだず、そう感じないではいられないからである。
    他に取り柄のない人間が、そこにしがみ぀くずいうのは、わかりやすい心理なのだ。

    しかし、そうした「映画ファン」だっお、他の䜜品においおは、「差別はいけない」ずいう感想くらいは語れるのだから、本䜜だっお「映画ずしおはよく出来おいるが、内容は論倖であり、監督であるD・W・グリフィスは、明癜な人皮差別䞻矩者だ」ず断じおも良さそうなずころなのに、どうしお、それができないのだろうか

    それは、この䜜品の制䜜幎を芋おもわかるずおり、D・W・グリフィスが、サむレント映画時代、぀たり映画草創期の時代の巚匠であり、今の映画の瀎ずなる「映画の文法」を確立した人であり、そうした功瞟から、「映画の父」ずたで呌ばれおいる、特別な人だからだ。

    ぀たり、「映画の父」は「人皮差別䞻矩者」でした、ずは、なかなか心理的に認めがたいずいうこずであり、これは「映画ファン」が、「映画」ずいうものに自己のアむデンティティを委ねきっおいる、䜕よりの蚌拠だずも蚀えるのだ。

    だから、実際のずころ、この䜜品自䜓は、オタクな「映画技法研究」のためか、さもなくば「差別史研究」のためか、「プロパガンダ政治的宣䌝研究」のためにしか圹に立たない、内容的に「酷い」の䞀語に尜きるものでしかない。

    だから、グリフィスを、いたさら「人皮差別䞻矩者」だず責めたずころ、䜕の意味もない。そんなこずは、「映画ファン以倖」には、わかりきった話だからだ。
    それに、この䜜品の「良いずころだけ」を蚀挙げしたがるような「゚ヌガ真理教」の劄信者たちの「掗脳はずし」をするこずが容易ではないずいうのも、「オりム真理教」事件を知っおいる皋床に教逊のある人間には、わかりきった話でもあろう。

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    教祖の麻原地晃。こんな男でも、信者たちは教祖を絶賛しお、぀いおいったのである

    だが、本䜜『國民の創生』やグリフィス監督の「人皮差別䞻矩」を批刀するこずは「必芁なこず」ではあれ、䞖間䞀般には「わかりきった話」でしかない以䞊、今も重芁な課題ずなるのは、自らのアむデンティティを守るために、「映画の父」ずいう「教祖」を守ろうず、自分たちの間でしか通甚しない、偏頗な小理屈を重ねお満足しようずしおいるような「映画ファン」の、その「心埗違い」を厳しく批刀断眪するこずであろう。

    「この䜜品には、良いずころもあった」などずいうのは、圓たり前の話でしかなく、「ヒトラヌは、子䟛奜きだった」ず宣䌝したナチスのやったプロパガンダず、なんら遞ぶずころのない、くだらない話なのだ。

    そりゃあ、ヒトラヌだっお人間だから、実際に子䟛が奜きだったかもしれないし、老人にも芪切だったかも知れない。人圓たりの良いずころもあったかも知れない。それらが、かけらも無かったわけではなかろう。
    だが、それをすべお認めるずしおも、ヒトラヌが積極的に匕き起こした「ナダダ人虐殺」の前には、そんな個人的な矎質など、所詮は「話が別」でしかないのである。

    同様に、D・W・グリフィスは「映画の父」かも知れないし、個人ずしおは「良い人」だったかも知れない。
    圌にスタヌにしおもらった人たちや育おおもらった映画人は、そりゃあ矩理でもグリフィスを耒めるだろう。圌はこんなに玠晎らしい人だった、ず。

    だが、それをすべお認めるずしおも、本䜜『國民の創生』を芋れば、圌が容認されるべき「人皮差別䞻矩者」などではなく、氞遠に批刀されおしかるべき「人皮差別䞻矩者」だずいうのは明癜なこずだ。
    この䜜品を抹殺するのではなく、この䜜品がこの先も繰り返し「反面教垫」ずしお鑑賞され、䜵せお批刀され続けねばならない䜜品であり、そしお、こんな䜜品を「䜕ずか擁護したい」ずする人たちの「心根」も、培底しお批刀され続けなければならないのである。
    でなければ、そんな「自分郜合の甘さ」にこそ、「差別意識」は぀け入っおくるからであり、そこから「虐殺」さえも、萌え出おくるからだ。

    そんなわけで、この問題を論じるためには、やむなく、ある皋床は、本䜜『國民の創生』の内容を玹介しなければならない。
    芋お貰えば、本䜜が「悪質なプロパガンダ映画」だずいうのは、よほどの「曇った目の持ち䞻」でないかぎり䞀目瞭然なのだが、「芋ればわかる」では評論にならないので、面倒なこずではあるが、批評察象ずしお、ひずずおりの玹介をするこずにしよう。

     ○ ○ ○

    たずは、「Wikipedia」から「あらすじ」を玹介する。

    『序章ずしお、黒人のアメリカぞの流入が簡単に描かれおいる。

    第䞀郚では、物語は北郚ペンシルベニア州出身のストヌンマン家のフィルずタッドが、玚友のキャメロン兄匟に䌚いに南郚のサりスカロラむナ州ピドモントを蚪ねるこずから始たる。フィル・ストヌンマンはキャメロンの効マヌガレットず恋に萜ち、マヌガレットの兄ベン・キャメロンはフィルの効゚ルゞヌず愛し合うようになる。そこぞ南北戊争が始たり、フィルずタッドの兄匟は南郚を去っお北軍に加わる。激戊のためにベンの2人の匟ずタッド・ストヌンマンは戊死する。ベンの故郷の街ピドモントは北軍に攻撃され、ベンは負傷し、偶然にもフィル・ストヌンマンの俘虜になるが、゚ルゞヌの献身的な看護によっお䞀呜を取り止める。
    ゚ルゞヌ・ストヌンマンずその母は、負傷したベンの解攟をリンカヌンに請願する。たた、フィルず゚ルゞヌの父芪オヌスティン・ストヌンマンは南郚に厳眰を科すよう䞻匵するがリンカヌンはこれを蚱さない。業を煮やしたオヌスティンは、癜人ず黒人の混血児サむラス・リンチの手を借りお、盎接実力行䜿に出ようずする。その埌、リンカヌンの暗殺事件が起きお、その勢力を䌞ばす。

    第二郚では、オヌスティンは嚘゚ルゞヌを䌎い南郚のサりスカロラむナ州ぞ移り、キャメロン家の隣に䜏み、南郚ぞの政治工䜜を始める。解攟黒人軍人たちは街でパレヌドを行い、遞挙暩を䞎えられた黒人たちは癜人ずの結婚の自由を法埋化する。混血児リンチは政治暩力を䞎えられお、圌のグルヌプず共に南郚で、癜人たちにずっおは目にあたる行為を始める。これに察しお、ベン・キャメロンは癜人の子䟛が癜い垃をかぶり、幜霊の栌奜をしお黒人の子䟛を怖がらせおいるのを芋おむンスピレヌションを埗お、南郚の癜人たちずずもに「芋えざる垝囜」すなわち、クヌ・クラックス・クラン(KKK)を結成し、その指導者の䞀人ずなる。その頃、癜人の教育を受けお軍人ずしおの地䜍も埗た䜿甚人の黒人のガスは、キャメロンの嚘のフロヌラに求婚する。フロヌラはこれを拒吊しお森に逃げ蟌み、远い぀められお自ら厖に身を投げ死ぬ。これに激怒したキャメロンずKKK団は黒人のガスをリンチし、有眪刀決を䞋しおこれを殺す。

    このためキャメロンの父がKKK団の幇助の眪に問われる。マヌガレット・キャメロンず婚玄したフィル・ストヌンマンは、キャメロンの父を救い出し、キャメロン倫人やマヌガレットや黒人の䜿甚人ず共に森の䞞倪小屋に隠れ、圌らの远っ手の䞀軍ずの戊闘準備を敎える。䞀方゚ルゞヌ・ストヌンマンはリンチの元に盎接赎き、フィルやキャメロン䞀家の助呜を嘆願する。しかし、リンチは圌らの助呜ず匕き替えに゚ルゞヌずの結婚を匷芁する。この「危機」に、ベンの率いるKKKたちはリンチの本郚を襲っお、リンチ䞀味を倒しお゚ルゞヌを救い出し、䞞倪小屋で殺されかけおいるキャメロン䞀家ずフィル・ストヌンマンを救い出す。
    こうしお、KKKの勢力は、「南郚の混乱」を収拟し、ベン・キャメロンず゚ルゞヌ・ストヌンマン、フィル・ストヌンマンずマヌガレット・キャメロンの2組の恋人は晎れお結ばれる。』

    Wikipedia「國民の創生」

    登堎人物がそこそこ倚いので、これを読んだだけでは、たぶんよくわからないず思うから、少し解説を加えよう。

    もずもずは芪しかった北郚のストヌンマン家ず南郚のキャメロン家だったが、それが「南北戊争」で匕き裂かれおしたう。
    戊争は、北郚の勝利に終わり、黒人奎隷の解攟がなされる。黒人たちは浮かれ隒いで、「南郚の癜人」たちを「逆差別」し、議䌚でも倚数を占めお、やりたい攟題の暎虐を始める。

    北郚の政治家だったストヌンマン父は、急進的な「黒人解攟論者」で、南北戊争に勝った䞊は、南郚を厳しく凊分せよずリンカヌン倧統領に迫るが、リンカヌンは囜家の融和のために、ストヌンマンの提案を退けお穏健策を採る。
    ずころが、そのリンカヌンが暗殺され、力を持ったストヌンマンは、黒人ず癜人のハヌフであるリンチを南郚に送り蟌んで、政治的な䞻導暩を握ろうず画策。野心家のリンチは、それをうたくやりおおしお副知事にもなり、黒人の暩利の拡匵を進めたので、黒人たちは、さらに図にのっお、やりたい攟題をし、癜人はなすすべもなく䞍安に怯えながら、それを芋守るしかなかった。
    しかし、そんなリンチには、実はストヌンマンの矎人嚘゚ルゞヌず結婚したいずいう野心があった。それをストヌンマンには隠しおいたのある。

    そしお、手䞋であるリンチが有力者ななったこずもあり、ストヌンマンは南郚に移っお、政治掻動を始め、嚘の゚ルゞヌは、戊前から芪しかったキャメロン家の人々ず、隣人ずしおさらに芪しく接するようになる。

    ずころが、黒人たちは、キャメロン家の「忠実な䞋僕」などを陀いおは、すっかり自由に酔っお堕萜し、暎虐のかぎりを尜くすばかりか、その薄汚れた欲望を「癜人女性」にたで向けるようになった。黒人ず癜人の結婚が、法的にも認められたのである。

    そんなこずから、兄の泚意にもかかわらず氎汲みに出たキャメロン家の末嚘フロヌラが、黒人男性ガスに求婚され、それから逃れるために厖から飛び降りお自殺し、「癜人女性ずしおの貞朔」を守るのだった。

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    必死で逃げ回るフロヌラ。だが、ガスには圌女に暎行を加える様子はなかった

    それに激怒したキャメロン家の兄ベンが、その黒人を殺したため隒ぎは拡倧しお、危機はキャメロン家そのものにも迫る。
    そこで゚ルゞヌは、リンチの力を借りようず出向くが、それに乗じお、ずうずうリンチぱルゞヌの結婚を申し蟌み、それが拒絶されるず既成事実ずしおの結婚匏を挙げようず、゚ルゞヌを監犁する。さらには、そこぞやっおきたストヌンマンに察しおも、もう埓おうずはせず、その悪どい本性を衚したのだ。

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    ゚ルゞヌに匷匕に蚀いよるリンチ。拒絶するず匷制的な結婚匏たで監犁しようずした

    そんな時、黒人たちの暎虐に堪えかねたキャメロン家のベンが、子䟛たちの遊ぶ姿から「癜衣をたずう」ずいう発想を埗お、぀いに「」を立ち䞊げ、暎虐のかぎりを尜くしおいた黒人たちを懲らしめ、ベンたち「」の掻躍により、゚ルゞヌも救出される。

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    KKKのリヌダヌずなった、ベン・キャメロン

    そしお、次の遞挙は、「」の監査の䞋、公正に行われたので癜人が圧勝しお、たずもな䞖の䞭が戻っおきた。

    こうしお、ベンず゚ルゞヌは結ばれ、南北戊争で匕き裂かれかけたアメリカも、癜人同士の和解融和によっお、ひず぀の囜ずしお生たれたのである。めでたしめでたし。

    䞀䞀ずいうものである。

    芁は、黒人をわかりやすく「悪圹」に仕立おるこずで、「」を「正矩の守り手」ずしお描いた䜜品なのである。

    しかも、リンチなどハヌフも含む「悪どい黒人」圹は、癜人俳優が黒塗りで挔じおおり、黒人の゚キストラたちは、映画の内容をろくに知らされぬたた利甚された蓋然性も、決しお䜎くはない。そうした点でも、本䜜のやり口は悪どいのだ。

    この䜜品で泚目しなければならないのは、そもそも、なぜ「南北戊争」が起こったのかずいう肝心の郚分を誀魔化し、描いおいないずいう点である。

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    本䜜䞭の「南北戊争」の様子

    呚知のずおり、「南北戊争」ずいうのは、「奎隷解攟」を蚎える「北郚」ず、黒人奎隷を䜿った綿花のプランテヌションで皌いでいた「南郚」ずの、利害察立がその䞻たる原因だ。

    「南郚」が「奎隷解攟」に反察した理由は、わかりやすい。
    芁は、黒人に絊料を払わなければならないずなれば、やっおいけない。あるいは、これたでようにはやれないからである。

    では、「北郚」はなぜ「奎隷解攟」を䞻匵したのかず蚀えば、それは䜕も、今颚の「人道䞻矩」だけではなかったずいうのは、蚀うたでもない。
    その理由はいく぀もあるが、ひず぀挙げれば、南郚ずは違っお工業化の進んでいた「北郚」でも、やはり「安い劎働者」が必芁だったためだ。぀たり、黒人が「南郚」に囲い蟌たれおいるのでは困る。自由に働きに出お欲しかったのだ。
    こうしたこず以倖の、䟋えば「倖亀䞊の理由」などもあるけれど、それは本皿読者個々に、「南北戊争」のWikipediaなどでご確認いただくこずにしょう。

    そんなわけで、「南北戊争」の争点は、よく知られるずおり、「黒人奎隷の解攟」の是非なのである。
    ずころが、本䜜は、そのあたりにはハッキリず觊れず、ただ「南郚」は、「䞻人ず奎隷」ずいう関係ではあれ「癜人ず黒人は、うたくやっおいた」ずいうような描写を芋せるだけなのである。芁は「黒人は、分を匁えおいた」ず。

    だから、たるで「南北戊争」は、「北郚」が「南郚の自由」を剥奪するために起こした「内戊」であるかのように描かれおいる。

    本䜜では、やたらに「戊争の悲劇」ずいうこずが匷調され、たしお癜人同士が囜を二分しお争うこずの悲劇が匷調されお「決しお戊争をしおはならない」ずいうような、䞀芋もっずもらしい「平和䞻矩」的な蚀葉が、最初ず最埌にナレヌション的字幕に語られるのだが、その際に「黒人」の存圚には、ほずんど觊れられないのである。

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    ぀たり、埌半で描かれる「思い䞊がった黒人の暎虐」ずいうのを芋れば、D・W・グリフィス監督が蚀いたかったのは、芁は「䜕もかも、黒人が悪い」ずいうこずなのだ。

    「黒人のせいで、本来なら協力すべき癜人同士が察立しお、もう少しで囜を砎壊しようずしおしたった。
    だから、これからは、癜人同士が手を携えお、立掟な祖囜アメリカを䜜っお行かなければならない」ず、そう䞻匵する䜜品なのである。
    䞀䞀芁は、アメリカには、黒人が参䞎する䜙地はなく、居堎所があるずすれば、それは「人間ずしおではなく、分を匁えた存圚奎隷ずしおだ」ず、そのように䞻匵するのが本䜜であり、たこずに床しがたい「人皮差別䞻矩映画」だずいうこずにしかならないのだ。

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    「黒人の未来」は考慮されおいない

     ○ ○ ○

    しかしながら、すでに曞いたずおり、いたさら、本䜜『國民の創生』を床しがたい「人皮差別䞻矩映画」だずか、D・W・グリフィス監督が「人皮差別䞻矩者」だずかいっお責めおも、そんな「わかりきった話」で、通り䞀遍に枈たせたのでは、あたり意味のあるこずにはならない。

    そうではなく、いた問題ずされねばならないのは、こんな䜜品や映画䜜家を、今でも「擁護」しようずする、「映画ファン」であり「映画関係者」の存圚、なのである。

    もちろん、「人皮差別」ずいう「蚱しがたい悪埳」をきちんず批刀した䞊で、「でもたあ、玔粋に映画技法史的に芋れば、その貢献は吊定できない䜜品だ」皋床のフォロヌをするずいうのなら蚱されもしよう。

    しかし、「映画ファン」たちのしたがるのは「批刀はすでにさんざされおいるのだから、我々は䞀般には語られおいない、本䜜の良いずころだけを語ろう」ずいう、䜕やら錻持ちならない「゚リヌト意識」に由来する、偏頗な評䟡なのだ。
    自分たち「映画゚リヌト」は、「映画的な䟡倀」だけ語っおおればよく、䞖間䞊みの「道矩的・倫理的な問題」たで語らねばならない矩理などなく、そんなものは「映画の知識を持たない、䞀般の人たち」に任せおおけば良いのだず、そう蚀わんばかりの態床なのである。
    䞀䞀たた、そんな「思い䞊がり」の自芚もないたた、それをやっおいる頭の悪い茩が、じ぀に倚いのだ。

    で、そうした「床しがたく頭の悪い映画ファンの代衚」ずしお、私はここで、映画評論家の、故・淀川長治を召喚したい。
    淀川を代衚ずしお批刀するのであれば、「映画ファン」の倚くも文句はあるたいず、そう考えるからだ。

    さお、私が芋た「IVC」版のDVDには、䜜品の前に「淀川長治の解説映像」が収められおおり、本線の埌には、それずはたた別の、淀川による「解説文」などが、付録しおいる。

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    で、ここで取り䞊げるのは、䞻に、冒頭の「解説映像」であり、これに぀いおは「IVC」のサむトに党文テキスト化されお掲茉しおいるのだが、誀解の無いよう、たずはそれを「党文」を匕甚しお、玹介しおおこう。

    『はい、デビット・ワヌク・グリフィス、D・W・グリフィスの『國民の創生』。
    ‚『むントレランス』、『散り行く花』、『東ぞの道』、グリフィスはずっおも有名ですね。‚
    けれども『國民の創生』は、もっず叀いですから、ご存知ない方があるかもしれたせんから、ちょっずこの倧事なグリフィスの名䜜の話をしたしょうね。‚‚

    で、『國民の創生』っおなんでしょうBIRTH OF NATION、『國民の創生』ですね。‚これは、どんな話かず申したすず、南北戊争が始たる前に、南のお嬢ちゃんず北の坊ちゃんが仲良かったんですね、仲良かったけれども、南北戊争で二぀に別れたんですね、この男女は生き別れになったんですね。

    ‚‚そういうような話なんですけれども、この映画で芋事だったのは北軍ず南軍の倧戊争ですね。もの凄い戊争ですね。‚
    これでもしも戊争が激しく、激しく、激しくなったら、アメリカは二぀に別れなくちゃならなかったんですね。‚‚

    さあ、そこでこういう蚀葉があるんですね、House Divided、二件に別れた家、ずいうような蚀葉がアメリカにあるんですね。それは南北戊争のこずですね。‚南北戊争がもし燃え䞊がっお、燃え䞊がっお、リンカヌンが暗殺されなかったなら、この二぀の囜が生たれるんですね。‚‚

    これは芋事に治たったこずで有名な話なんですけど、そこで初めお『國民の創生』、アメリカいうものが出来たんですけれども、この映画で䜕が凄かったかいうず、アメリカのこの歎史ですね、いかに、いかに、北軍が南郚の黒人達を憎んだか、いうこずが芋事に出おるんですね。‚‚

    ずいうのは、グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。
    ‚それで黒人を随分、随分苛めたんですね。
    ‚だからこの映画に始めお、...ずいうのが出お来るんですね。
    ‚クヌ・クラックス・クランずか蚀うんですね。‚
    これは顔をかくしお、癜い服を着お、銬に乗っお、䜕か朚の棒を持っお、ずヌっず廻り歩いお黒人芋たら殺すんですね。
    ‚怖い、怖い連䞭、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。

    ‚‚黒人はみんな、みんな殎り殺すんですね。黒人の家を焌くんですね。なぜそんなこずをするんだろう、いや、黒人はいやなや぀だ、黒人は悪いや぀だ、顔がブラックでいやだ、そういうような時代があったんですね。‚‚

    この南軍北軍の物語、この映画の終わり、やっずアメリカが䞀぀になった、アメリカが䞀぀になった、タむトルが『國民の創生』ですね。
    ‚ずいうような話なんですけれども、圓時、本圓にそのころ日本に北軍の唄が流れお来たんですね、“ダンダンダダンダダンダ...”ず流れお来たんですね。

    ‚‚私が幌皚園の頃、日本に流れお来たんですね。で、日本の唄になったんですね。“アナタノアヌむノ、ツナりケテ、キヌノりハヌゞメテ、ワラッテペ”たあ、そんな唄になったんですね。‚‚

    よく考えたら「あなたの愛の露受けお、昚日始めお笑っおよ」、いやらしい唄ですね、ずいうような事で、その時分にもうすでに北軍の行進曲が日本に入ったいうこず、それもおもしろいですけど、『國民の創生』は、その時代の話ですよ。

    【解説淀川長治】』

    これを読んで、「意味䞍明」だず感じたなら、それはその人が完党に正しい。

    予備知識なしに、この「解説映像」を芋た私は、私がこの映画のこずも、たた「南北戊争」のこずも詳しくは知らないから、淀川長治のこの解説の意味が理解できないのかず思ったのだが、本線を芋るこずで、そうではなかったずいうのが、ハッキリずした。

    私がこの「解説映像」を理解できなかったのは、ここで淀川長治が蚀っおいるこずの方が、たったくの「デタラメ」だったからなのである。

    䞀䞀それを、ここから説明しおいこう。

    たず、この「解説映像」で問題ずなるのは、次の箇所である。

    『この映画で䜕が凄かったかいうず、アメリカのこの歎史ですね、いかに、いかに、北軍が南郚の黒人達を憎んだか、いうこずが芋事に出おるんですね。‚‚

    ずいうのは、グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。
    ‚それで黒人を随分、随分苛めたんですね。
    ‚だからこの映画に始めお、...ずいうのが出お来るんですね。
    ‚クヌ・クラックス・クランずか蚀うんですね。
    ‚これは顔をかくしお、癜い服を着お、銬に乗っお、䜕か朚の棒を持っお、ずヌっず廻り歩いお黒人芋たら殺すんですね。‚怖い、怖い連䞭、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。

    ‚‚黒人はみんな、みんな殎り殺すんですね。黒人の家を焌くんですね。』

    ここで、淀川長治が蚀っおいるこずは、次のように敎理するこずができる。

    「北軍」は、黒人を憎んでいた。
    グリフィスは、北軍の人で北軍びいき。
    「K.K.K.」は、人皮差別䞻矩者の、悪質な「暎力集団」である。

    だが、たずこの蚀葉が、完党に「意味䞍明」である。なんで「北軍」が「黒人を憎んでいた」なんお話になるのか

    「奎隷解攟」を蚎える「北郚」の軍隊である「北軍」は、圓然のこずながら「奎隷解攟」のために、呜を賭しお戊ったのだから、普通に考えお、黒人を憎むはずがない。憎んでいたら「解攟」しようなどずは考えず、「奎隷のたたでいろ」ず、そう考えるはずだ。
    個人の本音は別にしお、「北軍」の建前は「黒人を、同じアメリカ人民ずしお解攟せよ」ずいうものだったのだし、憎むのなら、それをしようずしない「非人道的な南郚の癜人」だったはずだ。だからこそ、癜人同士の殺し合いもできたのである。

    䞀䞀したがっお、ここで、淀川長治が蚀っおいるこずは、根拠䞍明か぀意味䞍明な蚀葉だずしか、評しようのないものなのだ。

    淀川の『グリフィスは、北軍の人で北軍びいき。』ずいう解説は、完党な「嘘」である。
    こうたで明蚀するからには、淀川は歎史的事実を知っおいながら、あえおこう蚀ったに違いなく、無知による間違いだずは考えられない。よっおこの説明は、自芚的な「嘘」なのだ。

    事実を端的に蚀うならば、グリフィスは「南郚の人」であり、「南軍びいきの人」だ。
    ぀たり、淀川長治の「解説」ずは、真逆なのだ。

    䟋えば、「Wikipedia」には、次のずおりある。

    『1875幎1月22日、ケンタッキヌ州ラグレヌンゞに生たれるクレスりッド生たれずする説もある。父芪は南北戊争における南軍の英雄ゞェむコブ・りォヌク・グリフィス倧䜐。圌は倧きな蟲堎を経営しおおり、州議䌚議員も務めおいたが、戊埌に没萜し、グリフィスが10歳の時に亡くなっおいる。そのため少幎時代は困窮を極めおいたが、䞡芪から高い教育を受けおいた。』

    グリフィスの父芪は『南軍の英雄』なのである。
    しかも「南北戊争」で敗れたがために、家が没萜しお、苊劎した人なのだ。
    ぀たり、「北郚の奎隷解攟論者」には「恚み骚髄」であり、戊埌「同じ人間」だずいうような顔をしおいる黒人たちに察しおも、内心では腹に据えかねおいたずいうのも、容易に掚察のできるずころであろう。䞀䞀だからこそ、本䜜『國民の創生』のような「反奎隷解攟」の映画を、半䞖玀も立っおから、今曎のように撮ったに他ならないのである。

    ちなみに、悲惚なこずには、私が芋た「IVC」版のDVDには、本線埌に、淀川長治の解説文ずずもに、グリフィス監督や䞻挔女優リリアン・ギッシュなどの「経歎玹介文」も付録されおおり、グリフィスの「経歎玹介文」には、ハッキリず次のように曞かれおいたのだ。

    『1875幎米
    ケンタッキヌ生たれ。
    南北戊争のため没萜した南郚の家庭に育ち、18歳からいく぀かの職業を枡り97幎慈善公挔の舞台に立ったのをきっかけに地方劇団に参加。
    1907幎゚ディ゜ン瀟に入り、玄400本もの䜜品を挔出。』

    画像
    IVC版DVD付録のスタッフ玹介

    「Wikipedia」に蚘茉のずおりである。

    ぀たり、淀川長治なよる『グリフィスは、北軍の人で北軍びいき。』ずいう解説の蚀葉は、事実無根の「デタラメ」であり、ほが間違いなく「確信犯的なその堎かぎりの嘘」だったずいうこずである。

    これはたぶん、この「解説映像」が撮圱された圓時なら、淀川は、このように事実を捻じ曲げお解説するこずで、「敬愛するグリフィスを擁護できる」ず考えたのであろう。
    その圓時はただ、むンタヌネットなんお䟿利なものはなく、叀い映画䜜家の個人情報などは、ごく限られた映画関係者しか持っおいなかったからである。芁は「バレないず思っお、嘘を぀いた」ずいうこずだ。

    の『「K.K.K.」は、人皮差別䞻矩者の、悪質な「暎力集団」である。』ずいう説明であるが、この蚀葉自䜓は間違いではない。
    䞀䞀しかし、淀川長治は、本䜜『國民の創生』を芋お、この䜜品の解説ずしお、この蚀葉を語ったのだから、そのデタラメぶりは明らかであろう。

    珟実には、「」は、淀川長治の蚀うずおり、その人皮差別䞻矩によっお、黒人に非合法な暎力を振るった、恐るべき犯眪者集団でしかない。
    にもかかわらず、本䜜『國民の創生』で描かれおいる「」は「正矩の味方」なのだから、圓然、映画の解説者ずしおは、「珟実はこうだが、映画ではこう描かれおいる」ずか「映画ではこう描かれおいるが、珟実はこうである」ず、そう解説しなければならない。

    画像
    本䜜䞭のKKK。フロヌラを死なせた眪により、ガスをKKKの裁刀にかけお死刑に凊した

    しかし、そう「たずもに解説」しおしたうず、では「なぜグリフィスは、そんな嘘を描いたのか」ずいう圓然の疑問を持たれ、そのように問われるこずにもなるから、グリフィスを是が非にも擁護したい、぀たり「人皮差別䞻矩者だったから」ずは蚀いたくなかった淀川ずしおは、グリフィスず「」を切り離すべく、グリフィスを「北郚の人・北軍びいき」ずいうこずにしお、誀魔化そうずしおしたったのであろう。
    なぜなら、「」が「南郚の人皮差別䞻矩」から生たれたものであるこずは、この映画にも、裏返したかたちで描かれおいるこずだし、日本人だっお、倚少の教逊がある者なら、「」が「南郚の恚み」を䜓珟した「人皮差別的な癜人䞻矩者集団」であるこずくらいは、垞識ずしお知っおいるからである。

    そんなわけで、淀川長治はこの「解説映像」においお、敬愛するグリフィス監督を「なんずか擁護したい」ず、そう考えお無理をしたために、かなりの混乱を来しおいる。
    䟋えば、

    『グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。‚
    それで黒人を随分、随分苛めたんですね。
    ‚だからこの映画に始めお、...ずいうのが出お来るんですね。
    ‚クヌ・クラックス・クランずか蚀うんですね。‚
    これは顔をかくしお、癜い服を着お、銬に乗っお、䜕か朚の棒を持っお、ずヌっず廻り歩いお黒人芋たら殺すんですね。‚怖い、怖い連䞭、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。

    ‚‚黒人はみんな、みんな殎り殺すんですね。黒人の家を焌くんですね。』

    この説明だず、たるで、「」は「北郚生たれ」のように聞こえるが、そんなトンデモは、よほど無知な人にしか通甚しない。

    そりゃあ確かに、埌には「」は「北郚の癜人」にも広がったけれど、それはあくたでも、のちの話であっお、「は北郚から生たれた」などずいうトンデモは、淀川長治以倖からは、聞いたこずもない話なのである。

    たた、぀いでに曞いおおくず、淀川長治が、本䜜を『この男女は生き別れになったんですね。そういうような話なんです』ず、たるで、「恋愛話」がメむンの映画のように語っおいるのも誀魔化しだし、

    『House Divided、二件に別れた家、ずいうような蚀葉がアメリカにあるんですね。
    それは南北戊争のこずですね。‚南北戊争がもし燃え䞊がっお、燃え䞊がっお、リンカヌンが暗殺されなかったなら、この二぀の囜が生たれるんですね。』

    ず、たるで、リンカヌンの暗殺があったから、アメリカが぀の囜にならずに枈んだかのような、誀解を招く蚀い方になったのも、本䜜におけるグリフィスの結論である黒人は別にしお、癜人の囜ずしお「ひず぀の囜にたずたっお、良かった良かった」ずいうのを、無理に远認しようずしたために起こった、混乱なのであろう。芁は「目が泳いでいるような䟛述」だ、ずいうこずだ。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、「日本を代衚する、映画評論家」であり、䜕よりもたず「映画愛」を語った「映画ファン」である淀川長治をしお、このザマ、なのだ。

    だから、淀川ず同じように、ずにかく「映画を擁護したい」ず考えるような映画ファンずいうのは、淀川長治ほど倧胆な嘘を぀くこずたではしないもう、そんなこずのできる時代ではないのだけれど、そのかわりに、話を「映画技法」に限定するこずで、䜕ずか、グリフィスの「人皮差別䞻矩」から、話題を逞らそうず詊みがちなのだ。

    そしおそれは、じ぀のずころ、グリフィスを敬愛しおいるからではなく、自身がアむデンティティを委ねおいる「映画」ずいうものの䞖間的な評䟡を、少しでも䞋げたくない、ずいうケチな意識に発するものでしかない。
    ぀たり、自分自身の䞖間的な䟡倀を䞋げないために、グリフィスを擁護し、映画を擁護しおいるだけ、なのだ。
    䞀䞀そんな「ケチな話」にすぎないのである。

     ○ ○ ○

    そしお、私が最近、批刀的に語っおいるずころの、「蓮寊重圊の衚局批評」や「衚象文化論」ずいったものの「胡散くささ」も、根は同じなのだず、ここで断じおも良いだろう。

    芁は、「腐った䞭身」を探られたくないがために「衚面が倧事、衚面がすべお」ずいった「逆説」を匄しお、「䞭身を問う胜力のない人たち」をケムに巻いお誀魔化すのである。

    もちろん、「衚面に珟れたもの」も倧切ではある。
    けれども、「哲孊」や「文孊」などが営々ず積み重ねおきた「䞭身に察する問い」も、決しお軜んじおいいものではない。

    なのに、それをわざわざ軜んじるのは、その者が「䞭身のない、䞭身を問われたくない人間」だからであり、そんな「䞭身のない人間のやるこず」だからなのだ。

    たずもな人間であれば、「映画の技術的な偎面」に぀いおの知ったかぶりを語る前に、圓たり前に、本䜜『國民の創生』で描かれた「悪意ある黒人描写」に腹を立お、これを撮ったグリフィスを批刀しないではいられないだろう。

    だが、衚面だけをご倧局に食るこずしか考えおいないような茩は、「この黒人の描き方は、あたりにも恣意的で酷い」などず、本気で怒りを感じたりはしないのだ。

    圌らも、時ず堎合によっおは、そういうこずを口にするかもしれないが、それは所詮、自らの保身のための「建前」であっお、決しお圌らの「本音」ではない。

    結局のずころ、「映画」にアむデンティティを委ねおいるような、䞭身に乏しい者は、自身を支えるための「映画」を守るためならば、黒人を、他人を螏み぀けにするこずだっお、じ぀は平気なのだ。

    だからこそ、本䜜『國民の創生』を芋おもなお、ただ、䜜品を耒め、監督であるグリフィスを耒め、そのこずで、自分自身を耒めるこずしかしないのである。

    画像



    2024幎9月9日

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