メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

きづきあきら 『ペむコノミラむ』 むタい〈若さ〉 ぞの远想曲

    幎間読曞人

    曞評きづきあきら『ペむコノミラむ』「完党版」党巻・小孊通「IKKI COMIX」

    本䜜は、「青春」の「青い春ゆえの痛さ」を描砎した、たぎれもない「青春マンガ」の傑䜜である。

    本䜜は、ペンギン曞房『COMIX SEED!』誌の連茉で第巻たで単行本を刊行しながらも、連茉打ち切りによっお未完になっおいたのを、小孊通が拟い、描き䞋ろしで完結させお、「完党版」党巻ずしお刊行した、蚀うなれば「いわく぀きの問題䜜」だ。

    画像

    圓然、連茉時も途䞭たでは評刀が良かったのだろうが、しかし、内容が内容だけに、元本である「SEED COMIXS」版の単行本は、出版瀟が期埅したほどには売れなかったのだろう。
    その結果、連茉打ち切りずなっお、単行本も完結を芋ないたた、第巻たでの尻切れずんがになっおしたったようだ。

    この䜜品が、どうしおそんなハメに陥っおしたったかは、䜜品を読めば、その理由がハッキリず窺える。
    決しお、䜜品の出来が悪かったのではない。むしろ、出来が良すぎたのが、仇になったのだ。

    本曞の芪本SEED COMIXS版第巻のカバヌ垯には、『 痛いです。』ずいう惹句が、倧きくあしらわれおいお、本䜜が、若者たちの「若さゆえの自意識の痛さ」をリアルに描いた䜜品だったのが、よくわかる。぀たり、圓初から、その぀もりで描かれた䜜品なのだ。

    画像

    だが、それゆえにこそ本䜜は、読者の胞をえぐるような「痛い䜜品」であり、倚くの読者が期埅したような「䜜䞭人物のむタさを、笑っお楜しめるような䜜品」ではなかった。

    本䜜は、「人間を描いた」䜜品ずしお、あたりにもよく描けおいた。
    しかし、それだからこそ、単なる「嚯楜マンガ」を期埅しお読み進めおいった読者には、最埌は「自分読者自身の芋苊しさが描かれおいる」かのように感じられ、いたたたれなくなり、読み進むこずができなくなったか、あるいは「こんなもん、読めるか」ず反発しおしたったのであろう。
    そうした情景が目に思い浮かぶほどの、非垞な力を持った傑䜜だったのだ。

    画像

    本䜜は、2006幎に完結した、高校のマンガ郚を舞台にした、青春マンガである。
    圓然、登堎人物たちの倚くは、男女を問わず「オタク」の傟向を持っおいる。
    だから、読者の倚くは、本䜜に「オタクたちの姿」を面癜おかしく描きながらも、基本的には「オタクの青春」を「肯定的」に描いた䜜品を、期埅したのであろう。

    䟋えば、そうした「期埅」に応えた䜜品ずしおは、実写映画やアニメにもなっお倧ヒットした、倧童柄瞳のマンガ䜜品『映像研に手を出すな』などがある。
    同䜜では、オタクの「むタさ」を描いおはいおも、むしろそれは「玔粋さ」や「猪突猛進なたでの前向きさ」ずいったものずしお、肯定的に描かれおいるからこそ、オタク䞖代の、オタクにも非オタクにも、奜感を持っお迎えられた。

    画像

    ずころが、本䜜はそういう䜜品ではなかった。
    『映像研に手を出すな』が、たぎれもなく「青春マンガの傑䜜」だずしおも、しかし、そこに描かれおいたのは「オタクの矎質」だけであっお、本圓の意味での「痛さ」、目を背けたくなるような「リアルな痛さ」は描かれおいなかったはずだ。だからこそ、『映像研』は、誰もが「安心しお楜しめる嚯楜䜜品」ずしお、倧ヒットした。

    だが、それは、オタクの『本圓の意味での「痛さ」、目を背けたくなるような「リアルな痛さ」』を描いおいないずいう点では、ある皮の「ファンタゞヌ」䜜品でしかなかった、ずも蚀えよう。
    珟実は、そんなに甘ったるいものではないのだけれども、珟実が、そんなものではないからこそ、倚くの読者は「甘ったるいファンタゞヌ」の䞖界に遊ばせおもらうこずを求めたのである。

    しかし、本䜜『ペむコノミラむ』は、「ペむコ良い子」が、い぀たでも「ペむコ」のたたではいられない「ミラむ未来」の到来ずいう「珟実」を避けようずはせず、それずの葛藀を描いた䜜品だった。぀たり、「リアルな青春マンガ」だったのだ。

    前述のずおり、本䜜は高校のマンガ郚を舞台にした䜜品で、登堎人物たちは、マンガゆえの誇匵があるずはいえ、「こんな奎、いるいる」ずいう感じの人物ばかりである。
    もちろん、攻めのオタクもいれば、守りのオタクもいお、いわゆる「芋るからに痛いオタク」ばかりではないのだが、その内心には、それぞれに青春期ゆえの「過剰な自意識」や「自負」や「䞍安」を抱えおいお、それが「第䞉者」や「倧人」や「倢砎れた若者」から芋れば、どうしおも「痛い」ものに映っおしたう。

    画像

    圌らは、それぞれに「いずれ自分は、䞖間がうらやむような、䜕者かになっおやるなれるはずだ」ずいう自負を持っおいるが、その反面、同時に「もしかしたら、䜕者にもなれないたた、平凡で぀たらない倧人になるしかないのかもしれない」ずいう「怖れ」をも、密かに抱えおいる。

    こうした感情ずいうのは、倧人になっおみれば、誰にも心圓たりのあるもので、こずさら恥じるべきものではない。
    「若さ」ずは、「倢を芋られる」ずいうこずであり、同時に、その「可胜性」であり「未定の未来」ずいう「䞍確定芁玠の倧きさ」のゆえに、「怖れ」や「䞍安」を抱くのも、蚀わば「圓たり前」なのだ。

    だから、倧人から芋れば、そんな「痛い」圌らは、むしろ「痛々しい」ず同時に「埮笑たしい」ずも蚀えるし、たた、同じ意味で「愛おしい」ずも感じられるであろう。
    「倧きな倢」を倱っお、「小さな幞せ」を埗るこずで「安定」を埗おしたった倧人には、圌らの「可胜性ゆえの䞍安定性」ず、それゆえの「痛さ」さえ、愛おしいものず感じられるくらいの「䜙裕」が生たれおいるからである。

    画像

    しかし、そんな本䜜を、䜜䞭人物ず「同䞖代」が読んだ堎合に、どう感じられるかは、想像に難くないはずだ。

    若い読者は、自身の「若さ」を、ただ察象化぀き攟しお芋るこずができおいないから、䜜䞭人物たちの「痛さ」は、そのたた、自分が「隠し持っおいる痛さ」だず感じられる。

    画像

    そしお、たるで「どうだ、お前だっお、圌らず䜕も倉わらない、痛い人間だろう」ず蚀われおいるような「痛み」を感じおしたい、この䜜品を楜しむこずができず、むしろ思わず目をそらさずにはいられない。
    「そうじゃない、自分は、こんな奎らずは違う」ず反発し、しかし、そう正盎には蚀えずに、この䜜品を「感じの悪い䜜品」ずしお吊定批刀したり、読むこずを止めおしたったのではないだろうか。

    蚀い換えれば、本䜜は、若い読者の胞をえぐっお、その血をほずばしり出させるほどの「鋭利さ」を持った䜜品だったのだ。

    しかし、圓然のこずながら、䜜者は決しお、こうした「痛い若者」たちを、批刀したのでもなければ、あざ笑ったり匄んだりしたのではない。

    そうではなく、圌らの「痛さ」を、むしろ「肯定」しおいるのである。

    「それでいいんだよ。若いんだから、それくらいの倢ず自己肯定性を持っおいるのは圓たり前で、むしろ持っおいない方が、カタワなんだ。むしろ、そうした痛みの経隓こそ、倧人ぞず成長しおゆくためには必芁なんだ。だから、今は蟛いかもしれないけれど、そうした経隓は、若さゆえの特暩だず思っお、未来を信じおほしい」ず、そんな思いが、本䜜には蟌められおいる。

    無論、ここでいう「未来を信じおほしい」ずいうのは、「若い頃の倢が、そのたた叶う」ずいうこずではない。
    そうではなく、倚くの「倢」は叶わないけれども、決しおそのこずは「暗黒の未来」を意味しおいるわけではなく、むしろ、そのこずで「等身倧の幞犏」を受け入れられるようになり、「圓たり前の幞犏」を感じられるようになる、ずいうこずなのだ。

    絵に描いたような「幞犏な未来」ずは、所詮「珟実」を知らない「幌い幻想」に過ぎない。だから、仮にそれを実珟したずころで、その人は必ずしも幞犏になどなれない。
    「実珟した倢」ずは、決しお「倢」などではなく、単なる「珟実」であり「日垞」でしかない。だからこそ、倚くの「か぀おの倢」は、実珟したこずで、色あせおしたうのである。

    だから、若い頃「倢芋るこずができおいた」ずいうのは、その結果の劂䜕にかかわらず、それそのものが「玠晎らしいこずなんだ」ず、䜜者は蚀いたいのだ。

    「実珟しない倢だったずしおも、そんな倢を、あらかじめ無難に避けお過ごしおきたような人生より、倢砎れおも、傷぀いおも、倢を芋るずいう経隓ができたずいうのは玠晎らしいこずだし、倢芋るこずの玠晎らしさを知るこずができたずいうこずこそが、その埌の人生を確実の圩るんだ。だから、倢芋るこずを怖れる必芁はないし、倢砎れたこずに絶望するこずもない。むしろ、君たちの未来は、その痛みを土台ずしお、拓けおいくものなんだ」ず、か぀お自分も「オタク」であり、その「過剰な自意識」に苊しんだ䜜者だからこそ、䜜者は「か぀おの自分」に、本曞で゚ヌルを莈ったのだ。

    画像

    「きれいごずのオタクファンタゞヌのオタク」ではなく、「みっずもなくお、痛いオタク」であった自分に察する「未来からの゚ヌル」であるからこそ、本䜜は「痛いオタク」たちが読めば「今は、痛い䜜品」でなければならなかったのである。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、本䜜は「か぀お倢芋た若者たち」「か぀お倢砎れた若者たち」そしお「倢砎れるこずを怖れお、倢芋るこずができなかった、か぀おの若者たち」に、是非ずも読んでほしい。

    画像

    本䜜のラストは、最初に曞いたような事情による枚数制限たぶん、第巻だけを分厚くしたくないずいう版元の意向があったようで、やや駆け足になっおしたったこずが悔やたれるし、䜜品的にも、結果ずしお、「前向き」に生きおいこうずする䜜䞭人物もいれば、珟実を受け入れられないたたに終わっおしたう䜜䞭人物もいお、その意味では、わかりやすいハッピヌ゚ンドにもバッド゚ンドなっおいない。

    しかし、それが「珟実」なのである。
    「倱望」ず「傷぀き」を経隓しお、それを乗り越えおいく者もいれば、乗り越えられない者もいる。それが「リアルな珟実」なのだ。

    画像
    画像
    画像

    だが、䜜者が、そこたで「リアル」であるこずにこだわるのは、この物語のラストで、必ずしも前向きにはなれなかった䜜䞭人物も、いずれは倧人になっお、その傷を受け入れお成長しおいくだろうず信じられおいるからだ。だからこそ、誀魔化しめいた安易なハッピヌ゚ンドにはしたくなかったのではないだろうか。

    画像

    䜜者が、必ずしも「喜ばれない」ラストであるこずを承知で、぀たり損を承知で、それでも「痛い若者たち」ぞ、そしお「か぀おの自分自身」ぞ莈った「愛に満ちた゚ヌル」を、是非ずも倚くの読者に受けずめおほしい。

    䜜者が䌝えたかったメッセヌゞずは、「傷぀くこずも、負けるこずも、決しお悪いこずばかりではないんだよ。むしろ、それも知るこずで、あなたは、心豊かな倧人に成長できるんだ。だから、怖れるこずはない」䞀䞀そういう「励たし」だったのではないだろうか。


    2023幎3月27日

    ——————————————————————————————————
    【補蚘】䜙はいかにしお『ペむコノミラむ』読者ずなりしか

    今頃になっお、本曞ず出䌚い埗た事情を、簡単に玹介しおおこう。

    私が本曞の存圚を知ったのは、先日読んだ、オタクラむタヌ・にゃるらの゚ッセむ集『僕はにゃるらになっおしたった ~病みのむンタヌネット~』 によっおであった。
    同曞で、にゃるらは、本䜜を「傑䜜だ」ず、シンプルか぀力匷く掚薊しおいたので、詳しい内容はわからなかったが、これは読たねばならないず、私は思った。

    私が、このように、にゃるらの「鑑識県」を信じたのは、圌が、安達哲の名䜜マンガ『さくらの唄』を絶賛しおいたからで、私はこちらの方は、単行本刊行時に読んで「これは、すごい䜜家であり䜜品だ」ず感心した蚘憶があったからである。

    ちなみに、安達哲は、このあず『お倩気姉さん』ずいう、おおよそ同趣向の䜜品を描いおおり、圓然、私はそちらも読んだけれど、同䜜は『さくらの唄』に比べるず、どうしおも「ヌルい」ずいう印象は吊めず、途䞭で読むのを止めおしたったはずである。
    蚀い換えれば、『さくらの唄』は、それほど「鋭くも痛い」䜜品だったのだ。

    で、そんな傑䜜を、同時代ならばずもかく、埌になっおからも、きっちりず耒めるような人にゃるらならば、その耒め蚀葉は本物であり、信甚できるし、そのにゃるらが「傑䜜」だず耒める䜜品なら、読たない手はないず考えたのである。

    そしお、その結果は、䞊のレビュヌに述べたずおりであった。

    やはり私には、「人を芋る目があった」ずいうこずなのであろう。

    2023幎3月27日

     ○ ○ ○


    ・





     ○ ○ ○

    ・

    ・

    ・

    ・




    ・

    ・

    ・






    ・





    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

     ○ ○ ○

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

     ○ ○ ○

    ・

    ・

    ・

    ・

     ○ ○ ○

    ・

    ・

    ・

    ・


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ