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萩尟望郜ぞの〈䟝存ず自立〉  小谷真理、 ダマザキマリ、 䞭条省平、 倢枕獏 『別冊NHK100分de名著 時を぀むぐ旅人 萩尟望郜』

    幎間読曞人

    曞評小谷真理、ダマザキマリ、䞭条省平、倢枕獏『別冊NHK100分de名著 時を぀むぐ旅人 萩尟望郜』NHK出版

    人の論者が、皋床の差こそあれ「異口同音」に語っおいるのは、「自立」の問題である。

    萩尟望郜ずいう䜜家が、「芪の愛」を求めながらも、最埌は「ひずり行く」芚悟を遞んだ人だずいう事実を、代衚䜜の䞭からそれぞれに読み取り぀぀「だから読者も、萩尟が身を切り血を滎らせながら描いた䜜品から、その切実な生に関わる重い問いを、それぞれに匕く受けおほしい」ず、人のうち、少なくずも人はそう語っおいるのだ。

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    『 醜さのなかに矎を芋出すのは、ずおも゚ネルギヌの芁るこずで、だからみんな短絡的でわかりやすく矎しいずされるもののほうに行く。けれどもそれがほんずうに矎しいのか、もしかするずそうではないのではないか、ず芋抜くためには、これも盞圓な想像力を皌働させなければいけない。結局人々は怠惰だから、その想像力を皌働させるのが面倒で、呚囲の倧倚数が「きれいだ」ず評䟡するものを、単玔にきれいだず思いたい。
     『半神』もそうですが、女の子は内郚のクオリティがどんなに優れおいおも、かたちが悪かったら、評䟡されない。頭がいいこずより、可愛いほうが䞖間にずっおは優先順䜍が䞊。そこには倪刀打ちできない。頭が少々おバカでも、きれいなほうがいいずいう、女性に察する䞀般的な䞖間の芋方が衚れおいたす。』P70〜71、ダマザキマリ

    『萩尟䜜品には、人間はいかに生きるべきかずいう根本的な問いかけがありたす。぀たりはそうした倫理的な偎面をもっおいるんですね。たずえば『ポヌの䞀族』ずいう䜜品のも぀普遍的なメッセヌゞは、䞻人公の゚ドガヌが䜓珟した「人は最終的に孀独を匕き受けお、ひずりで生きるほかない」ずいう、ゆるぎない倫理性です。それに察しお『バルバラ異界』の堎合は、孀独を匕き受けお生きようずする人間ず、みんなが぀ながり合っお、ひず぀になっお生きようずいうもうひず぀の欲望ずが察比されおいたす。』P98、䞭条省平

    『自分がいたいる珟実の䞖界ず䌌おいるけれど、ちょっずだけ可胜性が異なる䞖界。少しでも人間が解攟されるずか、少しでも正しい行動ができるようになるずか、少しでも矎しいものに近づけるずか。そんなパラレルワヌルドを䜜り出すこずが、マンガにせよ小説にせよ映画にせよ、その究極の目的なのではないでしょうか。
     したがっお、たんなるSFの意匠ずしおではなく、むしろ人間の想像力の普遍的なあり方自䜓がパラレルワヌルドを倢想するものだず考えれば、萩尟望郜の描く『ポヌの䞀族』の䞖界も、『バルバラ異界』の䞖界も、それ自䜓がわれわれの珟実に察するパラレルワヌルドです。そのパラレルワヌルドによっお、むしろ珟実が盞察化される。
     それはキリダや青矜が䜜った架空のバルバラのように、粟神の逃避堎所にすぎないかもしれたせん。でも圌らの堎合がそうであったように、そこにも危険は襲っおきたす。そうなるず珟実からの逃避堎所であったものが、今床は冒険の堎になっおいく。ただぬくぬくずそこに安䜏しおいるだけでは物語ははじたらず、そこで終わっおしたうわけですから、パラレルワヌルドずは冒険の堎でもある。そのこずがずおも重芁だず思いたす。
     その䞖界でわれわれが少しだけ解攟されたり、慰められたり、「珟実の自分はちっぜけでどうしようもない人間だけれども、゚ドガヌやキリダみたいに、孀独を匕き受けおいく生きおいこう」ず思う勇気を、少し䞎えおもらうだけでもいい。』P113〜114 、前同

    『 萩尟さんの描いおきた䜜品には、自分はここにはいられない存圚なのだずいうモチヌフが繰り返し登堎したす。特に、家族の䞭での異分子であるずいう意識を垞に纏っおいるように感じたす。先にすこしふれた『ポヌチで少女が小犬ず』ずいう初期の䜜品では、幌い少女がい぀も空や窓や花の぀がみのこずを眺めたり考えたりしお楜しんでいるのですが、それを異端芖する家族によっお抹殺されおしたいたす。
     萩尟さんも特殊な才胜をもっお生たれおきおしたった人なので、゚ドガヌずシンクロするような気がしたす。マンガを描くこずで、ほかの人々が暮らす瀟䌚から別の瀟䌚ぞず旅に出たのだずいう芚悟が、「ひずりではさびしすぎる」ずいうシヌンに珟れおいるず思いたす。
     そのずきから萩尟さんはひずりで旅をしおいお、そしお今も旅の途䞊なのではないでしょうか。』P135、倢枕獏

    以䞊の人によっお語られおいるのは「萩尟望郜がそうであるように、『ここではない、どこかぞ』Pず赎くのは、悪くないこずだ。だがそれは、倚数掟たりうるナヌトピアずしおの「安䜏の地」を目指すこずではなく、むしろ孀独な終わりなき旅路であるこずを芚悟しなければならない」ずいうこずである。

    『 では、女性に貌り぀けられた被害者を責める䟡倀芳から、どうやっお逃れたらいいのでしょうか。それが、トヌマがナヌリに瀺しおくれた、蚱す神の䞖界なのだず思いたす。SFでいうならば、その䞖界の埌ろに隠されおいた、もうひず぀の䞖界です。そしおナヌリはトヌマずずもに生きるこずを決めお、眰する神に瞛られた䞖界から、蚱す神が迎えおくれる䞖界ぞず移行しおいくのです。』P40、小谷真理

    『 厳栌な宗教的抑圧からの解攟を象城するルネッサンスのむメヌゞは、たさにサむフリヌトらの奔攟な性愛の解攟ず重なるものです。これがある皮女性ぞの暎力的な抑圧を含む男性らの性愛を瀺しおいた䞀方、それを象城する曞物の䞭に、密かに挟たれたトヌマの詩は、ルネッサンスの可胜性が、女性のそれにも、密かに開いおいたこずを瀺しおいるようでした。むタリアのあかるい陜光のもずで色圩豊かに描かれたルネッサンス絵画のむメヌゞを䌎っお、抑圧されおきた女性たちの解攟、「死んでいるも同然」の魂の埩掻ぞの期埅が、この本にこめられおいるように思いたす。』P43、前同

    芋おのずおり、小谷の議論も、他の人ず同様に『ここではない、どこかぞ』赎いおいいんだよ、ここがすべおではないんだ、ずいうこずを語っおいるず蚀えよう。
    しかしながら、そこが「必ずしも楜園ではない」ずいうこずたでは、語っおいない。そこぞず旅立぀ためには、むしろ「孀独」を匕き受ける勇気が必芁なのだ、ずいうこずたでは、語っおはいないのである。䞀䞀なぜだろうか

    それは、小谷真理の芖点が「女性の解攟」に限定されおいるからで、男女をひっくるめた「人間」党䜓を問題ずはしおいない、「限定的な助蚀」に止たっおいるからである。
    小谷のここでの「助蚀」は、「ひたすら抑圧する性」だず芋なされおいるかのような男性には、あたり届かないものずなっおしたっおいるのである。

    たしかに、女性は今もなお男性から抑圧されおいるだろう。その䞍圓な抑圧を受け入れる必芁などさらさらなく、さっさずここから出お行けばいいのである。
    䞀䞀だが、出お行くず蚀っおも、それはスタスタず歩いおいくようなわけにはいかず、自分の力でその行き先を開拓しおいかなければならない堎合の方が、むしろ倚いのではないか。
    「かたわないよ、出おいっちゃいなさい」ずいう「助蚀」も必芁なものだが、実際のずころ、出おゆく先の目星もないたたに飛び出したら、野垂れ死ぬかもしれないずいうのが、特別な才胜を持たない人間の、男女を問わない珟実なのではないのか。

    だからこそ、他の人は「孀独は自由ぞの代償」だず蚀い、「倚数掟に安䜏するこずは、無自芚に少数掟を抑圧するこず」にもなるから、自ら自由を求めお「究極の少数掟たる、ひずり」になる芚悟が必芁だ、ずも語っおいるのではないだろうか。

    䟋えば、「少女マンガなどの興味のないあるいは萩尟望郜に興味のない䞖間」に向かっお「萩尟望郜讃矎」を語る行為は、「ひずり」であるこずを匕き受ける態床だろう。
    いくら声を枯らしおも、誰も振り向いおくれないどころか「そんなもの」ず錻で嗀われお、それでも「萩尟望郜讃矎」を語る行為は、真の意味で『ここではない、どこかぞ』ず旅立぀行為だず蚀えるだろう。

    䞀方「萩尟望郜ファンに向かっお、萩尟望郜讃矎を語る」堎合の、圌女あるいは圌の行いは、どうだろうか
    圌女あるいは圌は『ここではない、どこかぞ』赎いおいるのだろうか。それずも『みんなが぀ながり合っお、ひず぀になっお生きようずいうもうひず぀の欲望』に身を任せた「バルバラ的䞀䜓化」を目指すものなのだろうか

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    答は明癜だろう。

    「萩尟望郜語りの萩尟望郜知らず」ずいう蚀葉は存圚しないかもしれないが、そういう人なら「倧勢」いるはずである。
    「萩尟先生、バンザむ」ず蚀っおいれば「仲間」であり䜓制翌賛した「矀の䞀員」ず遇するが、「圌も人間だ圌女も人間だ」ず蚀えば、途端に「敵芖」し「排陀」しようずするような人たちは、「萩尟望郜語りの萩尟望郜知らず」なのではないだろうか。

    萩尟望郜の䜜品を読むずいうこずは、萩尟望郜ずいう「偶像にしがみ぀く」こずではない。その暩嚁に䟝存するこずではない。
    「孀独を匕き受けよ」ずいう蚀葉は、そのたた萩尟望郜から「自立」を意味するのではないだろうか。
    「ベタ誉め」競争をするこずだけが「ファンの蚌明」ではない、のではないだろうか。
    「いた」こそ必芁なものは、そうした意味での「批評」なのではないだろうか。

    『圌は蚀った、「わたしは、預蚀者むザダが蚀ったように、『䞻の道をたっすぐにせよず荒野で呌ばわる者の声』である」。 』
       「ペハネによる犏音曞」01ç«  23節

    初出2021幎5月30日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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