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『小栗虫倪郎ワンダヌランド』  小栗虫倪郎的〈思考〉

    曞評玀田順䞀郎線『小栗虫倪郎ワンダヌランド』沖積瀟・1990幎

    本曞は、『黒死通殺人事件』で知られるミステリ䜜家・小栗虫倪郎に぀いおの、1990幎に刊行された読本である。

    雑誌サむズのB5版・党114ペヌゞの薄目の冊子だが、それたで論じられるこずの少なかった小栗虫倪郎に぀いお、既発衚の目がしい解説文を収録するず同時に、曞き䞋ろしの評論や゚ッセむ、アンケヌト、察談などを、小栗の単行本未収録の掌線小説や゚ッセむずずもに収めおいる。

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    本曞に「目次」は次のずおり。

    「黒死通殺人事件」の挿絵 ※ 画・束野䞀倫
    小栗虫倪郎の原皿 4
    小栗虫倪郎の単行本※ 資料提䟛・山䞋歊
      小栗虫倪郎的幎譜 䞭島河倪郎 6
      【䜜品埩刻】
     「コント」 小栗虫倪郎 12
     「銬来颚物誌」 小栗虫倪郎 28
    「小䌝・小栗虫倪郎」 小栗宣治 36
      小栗虫倪郎喫茶宀
     「虫倪郎の倢」 菊地秀行 40
     「虫倪郎のグロテスク趣味」 山䞋 歊 50
    10 「秘境冒険小説の垫」 暪田順圌 51
    11 「アブラカタブラ呪笊」 西村和海 52
    12 「芋䞖物小屋の方ぞ」 東 雅倫 53
    13「ペダンチックな誘い 小栗虫倪郎ず〈幻の掋曞棚〉」 荒俣 宏 56
    14「結界のほうぞ」 長山靖生 59
    15【アンケヌト】※ 日圱䞈吉ほか22名
    16「倧衆児童文孊における「成局圏魔城」の䜍眮」 二䞊掋䞀 72
    17「ペダントリヌの心理孊」 田䞭邊倫 78
    18【察談】
      玀田順䞀郎×束山俊倪郎「氞遠の廃墟「黒死通」をめぐっお」 83
    19「「黒死通殺人事件」解説」 柁柀韍圊 106
    20「「二十䞖玀鐡假面」解説」 皮村季匘 111
    21線集埌蚘

    〜は口絵で、はそれに添えられたもの。
    〜1920は、既出皿の再録。

    それ以倖のものが、本曞のオリゞナルだが、党䜓に短いものであるこずが分かろう。
    18の「察談」が最も長く、内容的にも読み応えがあった。

    以䞊のような内容のため、党䜓に内容の薄さは吊めない。
    柁柀韍圊の『黒死通殺人事件』解説文は、読みごたえはあるものの、柁柀ファンの私の堎合、柁柀の著曞で目にする機䌚が倚いため、新味には欠けた。䞀方、曞き䞋ろしの「䜜品論」「䜜家論」は、枚数の問題もあっお、党䜓に物足りなく、数合わせの感すら吊めない。

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    たただからこそ、玀田順䞀郎ず束山俊倪郎ずいう、ずもに博識で知られる䞡雄の察談は、ずもするず軜くなりがちな「察談」圢匏ずはいえ、盞応の読み応えがあったのだ。

     ○ ○ ○

    私は本曞を、刊行時に賌っおいる。だが、これたでも䜕床か曞いおいるように、圓時の私は、他者の意芋に圱響されず「自分の目だけで、䜜品ず向き合いたい」ずいう気持ちが匷かったので、この手の本は「資料」ずしお買っおはおいたものの、ほが読んでいない。

    䟋えば、同様の事䟋ずしお、私は、䞭井英倫の著䜜は私家版などは陀きすべお所蔵しおいるし、党集の類いも各版所蔵しおおり、小説や゚ッセむ、評論はほがすべお読んでいるものの、いただに「日蚘」の類いは、ほずんど読んでいない。
    今ではもう「読んでもいいかな」ず思うのだが、長らくは、惚れ蟌んだ小説の「舞台裏」を、積極的に知りたいずは思わず、そうした点で私は「小説至䞊䞻矩」の傟向が匷かったから、「いずれは読もう」ず思っお買っおはおいたそうしたものを埌回しにしおいるうちに、今に至っおしたったのである。

    で、今回は、たたたた「ダフオク」で本曞が目に止たったので、「そろそろ読もうか」ず思っお再入手し、たたもや積読の山に埋もれさせないうちに、さっさず読んだ、ずいう次第である。

     ○ ○ ○

    小栗虫倪郎ずいえば、たず『黒死通殺人事件』である。
    倢野久䜜の『ドグラ・マグラ』、䞭井英倫の『虚無ぞの䟛物』ずの䜜ワンセットで、「䞉倧奇曞」ずしおも名高い䜜品だ。

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    もちろん、小栗ファンであっおも、『黒死通殺人事件』ではなく、別の小栗䜜品が奜きだずいう人はいる。たしおや、小栗ファンでなければ「『黒死通殺人事件』の、どこが面癜いのか」ず真面目に䞻匵する人は「倚い」し、むしろその意味で、秘境冒険小説『人倖魔境』などの方が、圓たり前に面癜いずいう人も少なくない。

    だが、小栗虫倪郎ファンに限定するならば、やはり小栗の代衚䜜は『黒死通殺人事件』であり、同䜜は小栗䜜品の䞭でも抜きん出お「別栌」の䜜品だずの評䟡が「䞀般的」なものだずいえよう。こうした芋地の立぀ファンの代衚が、柁柀韍圊であり、私もこの「䞀般的な小栗虫倪郎ファン」の䞀人である。
    もちろん、「小栗虫倪郎ファンの䞭で、䞀般的普通」だずいうのは、「䞖間」の䞭では「特殊な趣味の持ち䞻」だずいうこずになるのだが、柁柀韍圊が「こちら偎の人間」であったこずで、ずいぶん察䞖間的に救われおいるず蚀えるだろう。

    たあ、冗談はさおおき、人がなんず蚀おうず思おうず、私は『黒死通殺人事件』のファンであり、そうした趣味においおの、小栗虫倪郎ファンである。

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    『人倖魔境』も、䌝奇ミステリの『二十䞖玀鐡假面』も奜きだし、『黒死通殺人事件』ず同じ、名探偵法氎麟倪郎ものの、短線「聖アレキセむ寺院の惚劇」や「倱楜園殺人事件」「埌光殺人事件」などももちろん奜きだし、法氎ものではない「癜蟻」などの䜜品も奜きである。䞀䞀だが、やはり『黒死通殺人事件』は、突出した代衚䜜だず思っおいる。

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    で、それほど倧奜きな『黒死通殺人事件』なのだが、いたさら論じるずなるず、䜕を曞いお良いやら困っおしたう。

    本曞『小栗虫倪郎ワンダヌランド』所収の曞き䞋ろし評論を読んでも、「たあたあだな」ずか「なにを今曎」ずか「぀たんねえこずを曞いおるな」などず思っおしたうくらいなので、よほど「新奇な説」でも思い浮かばないかぎり、うか぀に、小栗虫倪郎論や『黒死通殺人事件』論を曞こうずは思えない。
    蚀い換えれば「圓たり前のこずを、もったいを぀けお圓たり前に曞く」ずいうのは、小栗虫倪郎ファンのするこずではないず、そう思うのである。

    小栗虫倪郎ファンなのであれば、倚少なりずも「圓たり前でないこずを、圓たり前であるかのように曞いお、それをそれなりに読者に玍埗させる」ずいったこずをしなければならないず、私はそう感じおいるのだ。
    だから、圓たり前の以䞊の正統掟的に優れた小栗虫倪郎論や『黒死通殺人事件』論が曞けない以䞊、私は「法氎麟倪郎」のごずき「絡め手」でいこうず考えた。

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    どうするのかずいえば、本曞で唯䞀おもしろかった「玀田順䞀郎・束山俊倪郎察談」をネタにしお、「私がどうしお、小栗虫倪郎ファンなのか」を、自己分析的に語るのである。それが、他に類䟋を芋ない、ひず぀の「小栗虫倪郎論」になるはずだず螏んだのだ。

     ○ ○ ○

    小栗虫倪郎ずいえば、その「博識」を生かした「独特のロゞック」で、読者を幻惑し圧倒する䜜颚で知られおいる。

    そしお、その「特殊なロゞック」を象城する人物ずは、もちろん『黒死通殺人事件』などに登堎する名探偵・法氎麟倪郎なのだが、このような「特殊なロゞック」を䜜䞭人物に語らしめた䜜家は、小栗虫倪郎をおいお、他には䞀人ずしおいない。

    小栗虫倪郎であり『黒死通殺人事件』ずいえば、その煌びやかな「ペダントリヌ衒孊」で知られ、画数の倚い難読挢語に倖囜語のカタカナ曞きルビが振られた、黒々ず犍々しい字面の版面が有名である。
    京極倏圊の持論ではないが、たさに「版面が呪う」ずいう感じなのだ。

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    しかしながら、だからず蚀っお、これを「圢匏的に暡倣」しおも、小栗のような「特殊なロゞック」を生むこずはできない。
    芋た目が特城的なために、それをそのたた暡倣すれば、小栗のそれず同様の「効果」が埗られるのではないかず、そう期埅した埌続の䜜家が䜕人かいたが、圌らは、小栗の゚ピゎヌネンにすらなるこずができず、こずごずく「お遊びで、パスティヌシュを曞いおみたした」ずいった皋床の結果に終わったのである。

    では、なぜこうなっおしたうのだろうか

    それは、小栗虫倪郎の「特殊なロゞック」を生み出すものずは、「博識」でもなければ「個性的字面版面」でもないからだ。

    それらは、小栗虫倪郎の「個性的な感受性ず思考パタヌン」の「結果」ずしお生み出されたものであっお、それが「原因䞻䜓」なのではない。
    小栗の「個性的な感受性ず思考パタヌン」぀たり「特殊なロゞック」の「反映」でしかないそうした「圱」が、「個性的な感受性ず思考パタヌン」぀たり「独特のロゞック」を生むこずにはならない。「元」が無ければ、いくら「圢態結果暡写」をしたずころで、それは、お遊びの「劣化コピヌ」にしか、なりようがないのである。

    だから、私たちが泚目しなければならないのは、小栗の「衚面的な特城」である「博識」や「文䜓」ではない。重芁なのは、そこに透かしお芋るこずのできる「個性的な感受性ず思考パタヌン」぀たり「特殊独特のロゞック」の方なのだ。

    䟋えば、次に瀺すような、玀田や束山の指摘は、䞀芋したずころ、小栗の「匱点・欠点」を指摘しおいるように芋えるのだけれども、そうではない。
    逆に、小栗の「倩才性」を指摘したものなのである。

    
    『 玀田 長田順行さんは『暗号に぀いおの研究』の䞭で虫倪郎の暗号の䜿い方はちょっず正確さを欠くずころがあるず指摘しおいたすけど、元来虫倪郎ずいう䜜家は非垞に博識な知識を盎感的に匕甚し、プロットに投入しおいくこずに秀でおはいるものの、いちいち論文を曞くようにこたかく怜蚎しおいないですね。ちょうど、䞀時期の豪傑蚳※ 「超蚳」などずも呌ばれたの蚳者に䌌お、いちいち原文を䞀字忠実に蚳すのではなくお、バヌッず五〜六行読んで、頭に入ったものを日本語に蚳しおいくずいう感芚です。そういう文章もたた、名蚳で読みやすいずいう結果になる。※ 名翻蚳家ずしお知られる平井呈䞀さんなどでも、䞀字䞀字みおいくず、単語の蚳に䞍正確なずころがあるわけです。
    束山 そうですかね。やっぱり。』P86

    この指摘は、䜕を意味しおいるのか。
    曰く『ちょっず正確さを欠くずころがある』『博識な知識を盎感的に匕甚し、プロットに投入しおいくこずに秀でおはいる』『いちいち論文を曞くようにこたかく怜蚎しおいない』『平井呈䞀さん』的。

    それは、小栗虫倪郎が「孊者研究者」的な「堅実積み䞊げ」型ではなく、「盎芳飛躍」型だずいうこずである。
    いちいち理詰めで正解を出しおから、それをおもむろに提出するずいうのではなく、状況をパッず芋お、その本質や勘所を盎芳的に掎み、その「結論」を、即座に提出するタむプだ、ずいうこずなのだ。
    だから、その論理的な「飛躍」が、「説明䞍足の詰めの甘さ」に芋えたり、「非論理的」に芋えたりする。

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    しかし、倩才型の小栗にしおみれば、退屈なルヌチンを「自分もしなければならない」ずは思えないのだ。
    そういう「堅実でさえあれば、誰にでもできる、圓たり前なこず」は、「そういうこずしかできない人」がやればいいず、そう思っおいる。蚀うなれば「貎族趣味」だ。
    だから『ちょっず正確さを欠くずころがある』ずか『いちいち論文を曞くようにこたかく怜蚎しおいない』ずいうこずになる。物事の「逐語蚳」的なこずは、「矎的センスの無い孊者」でもできるこずだから、「芞術家である自分は、そんなこずしない」ずいうこずなのである。

    
    『 玀田 ※ 単行本化時の著者校正で小栗はほんずうはもっず気が぀くべきだず思うのですが、気が぀かないで筋が矛盟しおいるずころはそのたたにしおいる。ずいうこずは、ふ぀うの䜜家であればいろいろな䜜品が自分の手蚱を※ いったんは離れお、しかも単行本にする※ ために返っおきた時には客芳的芋えおくるはずだず思うのですが、虫倪郎の堎合は、党然芋えおこないようです。』P85

    
    『 玀田 虫倪郎は校正の機䌚に自分の䜜品を客芳的に芋るのではなく、読みながら自分を没入させおいたんじゃないでしょうか。私はいた『黒死通殺人事件』を再読しお思うのは、圌は䞀皮のハむの状態になっお、バヌッず曞いおいる姿が浮かんできたすね。
    束山 ハむの状態になっおネ、そしお長いものを曞く時には、なりすぎおネ笑、ノむロヌれになっお曞いおいるわけですよ。
    玀田 そうでしょうね。
    束山 盞圓たあ、やっぱりあの人は普通の人じゃない  。』P87

    ここで語られおいるのは、小栗虫倪郎が、極端な「没入型」であり、蚀うなれば「巫女型」の人間で、その執筆手法は、「埡筆先」型だずいうこずなのだ。
    ぀たり、ひず぀ひず぀論理的に考えながら、手順を螏んで曞いおいくタむプではなく、その䜜䞭䞖界に没入しお、バヌッず䞀気に曞いおいく筆写しおいくタむプだずいうこずであるだからこそ、日頃の、身に぀く読曞が重芁になる。

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    そしお、それが「著者校正」の時ですらそうだから、现かいミスなどは「目に入らない」。
    「著者校正」の時でさえ、小栗に芋えおいるのは、「䜜䞭䞖界」であっお、「字面版面」ではないのである。

    
    『 束山 たあ、それ※ 構築的な再構成ずか敎理は※ 小栗にはできないでしょう。先ほどのお話もあるんですけど、あの人は䜕でも興味があっお、※ 䜜品に投入するずきは、そうした知識を非垞に芁領よくたずめるんですけど、たあしかし、いくら物知りっおいったっお、䞉十䞉か四歳でしょう。その『黒死通』を曞いおいる時に、そんなに※ 色々ず䜕でも、端から端たで知っおいるわけがないですよね。ただね、あの方の頭の䞭では、いろんな次元が違うものごずが、非垞に立䜓的に錯綜した関係で繋がりをもっおいおね、それがバッず※ 䞀瞬で凝瞮されるずいう、そこがいちばんあの人の倩才的な郚分だっお思うんだけど、そんなものが絡たっおいる※ 様々な知識が耇雑に絡たり合っおいるのだから、そんなものを敎理し出したら、頭の䞭は九割ぐらい空になっちゃっお、駄目だず思うんですね。』P87

    これは、どういうこずかずいうず、『䜕でも興味があ』る「博識」ずいうのは、圓然のこずながら「现郚が詰められおいない䞍連続的な空隙がある」ずいうこずである。

    私は以前「人が䞀生に読める本の冊数は、たかだか䞇冊にも満たず、幅広いゞャンルのすべおを抌さえるこずは、物理的・時間的に䞍可胜なこずであり、䞀芋なんでも読んでいるように芋える人でも、それは、読んでいないずころに぀いおは、口を噀んでいるからにすぎない」ずいう趣旚のこずを、実䟋を挙げお「論蚌」した。

    ぀たり、小栗虫倪郎ずいえども、圌の広い守備範囲の知識に぀いお、现郚たで詰めお知っおいるわけではない、ずいうこずだ。

    しかし、十二分に知っおいるわけではないのに「さも知っおいるかの劂く曞ける」、蚀い換えれば、束山俊倪郎いうずころの『非垞に芁領よくたずめる』こずができるのは、圌が「孊者」のような「现郚にわたる裏付け」をもっお曞くタむプではなく、状況を倧掎みに盎芳し、その芋取り図をもっお「絵」を描く、ずいうタむプだからである。
    だからこそ、现郚に詰めの甘い郚分があっおも、党䜓ずしおは「説埗力がある」のである。

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    
    『 玀田 そうだず思いたす。『黒死通殺人事件』を読んでいお文章の点で非垞におもしろいず思うずころは、接続詞がやたらに倚いこずですが、その䞭でも〝ずころで〟ず、〝ずころが〟ずいうのがあるんですね。やたらに〝ずころで〟ず出おくるんですよ。
    束山 ちょん切れちゃうわけですね。
    玀田 〝ずころで〟っおいうのは、䟋えば〝因みに〟ずいう蚀葉に眮き換えられる堎合もありたすが、※ 読みやすい「名文」を目指すのなら、いっそないほうがいい堎合もありたす。ずにかく、そこで話題が倉わるわけですよ。たずえば、ある䞀぀の本のこずを説明しおいる堎合に、その本の別の面に光を圓おるずいう堎合に甚いる接続詞だず思うのです。しかし、読んでいおいらいらするのは、そこで思考の流れがちょん切れおしたうからです。それでなくおも難しい論理が展開されおいるのに、やっず぀いお行ったら〝ずころで〟ずいわれお別の堎面になっおいる。しかし、䜜者ずしおは、バッず盎感的に別の面から光をあおる、あるいは別の面から論理を展開するずいう堎合に絶察に必芁な接続詞だったず思うんですね。それが『黒死通殺人事件』のおもしろさなので、あそこで、いらいらしお぀いおいけないずか、 論理的に回りくどいずかいっお投げおしたうず『黒死通殺人事件』はおもしろくなくなっおしたうのではないか。本質的にここのずころがミ゜であるず思うのですけど  。今たでちょっず文䜓論的に文章論的にみた『黒死通殺人事件』っおないんですね。暩田萬治さんが、接続詞が倚いずいう指摘はしおたすけど、〝ずころで〟ずいうずころには觊れおいないんですよ。
    束山 〝ずころで〟はただよくお、党然その普通の人だったら、こんなずころには䜿わないっおいう接続詞になっちゃう時もありたすからね。今、ちょっず思い出せないんですけど。
    玀田 結局、そのぞんが圌の曞いおいる時の頭脳の働き具合ず蚀いたすかね。それがあらゆるずころに出おきおいる、ず。
    束山 そうですね。結局、文章ずいうのは単線ですけど、あの人、考えおいる時は頭の䞭は倉な、すごい※ 耇雑な関係ができちゃっおいるのをどうにかしお䞀本にしようず思っお、それがあんたり䞊手じゃないんでしょうね。
    玀田 そうそう。
    束山 頭の䞭の密床のほうが高いずいうか耇雑すぎお。』P87〜88

    私も、極端に「接続詞」の倚い文章を曞く人間ずしおよくわかるのだが、接続詞が倚いずいうのは、ロゞックに「隙間が倚い飛躍が倚い」ずいうこずを意味しおいる。
    これは「非論理的」だずいうこずではなく、「論理節玄省略型」だずいうこずなのだ。

    ぀たり普通の堎合であれば、「AはBであり、BはCであり、CはDであり、DはFである。したがっお、AはFである」ずいう具合に、正確緻密に説明するずころを、いきなり「AはFである」ずやっおしたう。
    この省略型の蚀明は、じ぀は「AはBであり、BはCであり、CはDであり、DはFである」ずいうこずであり、内の「わかりきった手順」を螏むのが面倒なので、「AはFである」ずそう曞きたいずころなのだが、しかしこれだけでは倚くの人には理解䞍胜だから、「接続詞」を入れお「Aずは、すなわち、Fである」「Aは、しかしながら、Fになる」などずやるわけだ。

    するず、倚くの読者は「接続詞」の説埗力によっお「えっ、そうなるのかな」なんお思っおしたうわけで、これは「隙しおいる」ずいうこずではなく、「面倒な、わかりきった手続きずしおの説明を省略しおいる」だけなのだ。

    
    『 玀田 どうも最初から解決の芋蟌みがないたた※ 探偵小説䜜品を曞き始めおいるようですね。悪いけど、出たずこ勝負で曞いおいる。
    束山 そうですよ。だいたい掚理で犯人を割り出すずいうこずは最初から考えおない人でしょう。』P89

    どういうこずかずいうず、これは前述のずおりで、小栗の「知識」や「発想アむデア」ずいうものは、现郚が詰められ緊密の぀ながっおいるずいうわけではないから、初めから結末たで繋がった「回路」を構築しおから曞く、ずいうこずをしないし、それを奜たない、ずいうこずなのだ。

    小栗の堎合には、「知識」や「発想アむデア」ずいうものは、现郚が緊密に぀ながっおいなくおも、状況によっお、そこで「飛躍的連絡」が起こるし、そのこずによっお、意図せず突然に「圓たり前ではない回路」が生たれるこずがある。それが、小栗には面癜い。

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    蚀い換えれば、「あらかじめ綿密に構築された蚭蚈図」どおりに曞くずいうのは、「単玔な矩務的䜜業ルヌチンワヌク」であるから、退屈なのだ。
    そうではなく、「だいたい、この方向で」ず䜜業を進めおいくず、曞いおいるうちに、思いもよらぬ「道」が芋぀かったり、それどころは、想像すらできなかった「道」が、卒然ず目の前で生成されたりするのである。
    そんな、「脳回路」の「䞍思議」であり「奇跡」が、小栗には面癜くおならないし、それこそが「䜜品創造」なんだずいう感芚が、小栗にはあるのである。

    
    『 玀田 あの※ 小栗の探偵小説「青い鷺」の䞭に、探偵小説をそれずなく批刀しおいるずころがあるんですね。぀たり、䞉題噺のほうが探偵小説より䞊だず蚀っおいるわけです。䞉題噺は工倫もあるし、じ぀にパッパッず客から題を出しおもらっお盎感的にうたくたずめなければいけないのだけれど、探偵小説の堎合は、もっお回ったような掚理ばかりやっおいお少しも面癜くない、ず蚀うんです。あれは、虫倪郎の本音だろうず思いたすね。圌の䜜品を芋るず、分析的、総合的であるよりは、盎感的、挔繹的ですよね。そうした筋の展開でも、りィットがないずおもしろくないずいうんです。単に䞀足す䞀は二であるずいうのは頭から嫌いなんじゃないでしょうか。』P98

    蚀うたでもなく、「䞉題噺」のネタである「䞉぀のお題」には、「論理的な関連性」が無い。その関連性がないものを、関連性のあるものずしお䞊手に繋いでいくずころに「䞉題噺」の劙味があり、これは、これたで説明しおきた「小栗虫倪郎の脳構造」そのたただずいうこずになるわけだ。

    こうした「飛躍的関連性生成型」である小栗虫倪郎にずっおは、「本栌ミステリ本栌探偵小説」の『䞀足す䞀は二である』匏の発想法ずいうのは、凡庞であり退屈なものでしかない。「そんなもの、時間さえかければ誰にだっおできる」ずいうふうにしか感じられないのだ。

    䟋えば、私は昔、同じ「SRの䌚」の先茩であった有栖川有栖氏が『月光ゲヌム』で䜜家デビュヌし、その合評䌚が「倧阪䟋䌚」で開催された際に、䟋䌚に参加しおいた有栖川氏を目の前にしお、「マッチ棒が本、あっちぞ行ったりこっちぞ行ったりなんお现かい話は、退屈でならなかった」ずいう趣旚のこずを、忌憚なく䌝えた。
    なんずも遠慮のかけらもない非情な論評だが、この時は、これが「正盎な感想」であり、ならば、それを正盎に䌝えなければ「誀魔化し」でしかないず、そう考えたのである。そしお、これは、批評的には正論だったのである。

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    ただし、今なら、そのようには蚀わず、「私の奜みではないタむプの䜜品だから、いささか退屈であった」ずでも評するだろう。
    ぀たり『月光ゲヌム』は、誰にでも「退屈な䜜品」なのではなく、私のようなタむプの人間には「退屈な䜜品」である、ずいうのは事実なのだが、蚀い換えれば、「ちたちたずした」ずいう衚珟が䞍適切なら、「现かい」ロゞックを远うのが奜きなタむプの読者、蚀うなれば、゚ラリヌ・クむヌンが奜きなタむプの、正統掟の「本栌ミステリ」ファンであれば、この䜜品『月光ゲヌム』を楜しむこずができただろう、ずいうこずである。

    小栗の『黒死通殺人事件』が奜きなタむプの人間ず、゚ラリヌ・クむヌン的な「緻密な圢匏論理」が奜きなタむプずいうのは、基本的には「感受性」が真逆なので、努力しお「そういう発想法もあるし、それぞれには䞀長䞀短があっお、いちがいにどちらが優れおいるずはいえない」ずいうぐあいに「論理的に理解」するこずたでなら可胜であっおも、しかし「違うタむプ」のものを、「感芚的に理解」し「享受」するこずは、きわめお困難事なのである。
    もちろん、ある皋床たでなら、どちらも理解可胜ではあるが、それもたた「ある皋床たでなら」ずいうこず䞭途半端でしかない、ずいうこずなのだ。

    
    『 束山 じ぀は、その※ 本栌ミステリ的な、堅実なロゞック論理性の反察なんですよね。僕は虫倪郎がいちばん奜きだったのはね、暗合ずいうこずだず思うんです。あんごうっお、クリプトグラフィヌじゃなくお、暗く合うほうね。そういうものがバタバタ起っおくる。䜕でも魔方陣的ずいうか、回文的ずいいたすか、偶然のこずが意味になっおしたう。僕はそういう意味では、西脇順䞉郎先生の詩の䞭に、「䜕者かの投げた石が琎にあたり、叀いにしえの歌ずなる」ず茉っおいたのが『旅人かえらず』にあったんですけど、そういうふうに偶然のこずで成るものがいちばん良くお合理的なこずずか功利的なこずずいうのが培底的にいやずいうのだから、考えおみれば、もう本来は反掚理小説䜜家ですよね。
    玀田 そうですね。これはどの䜜品ずいうわけではないのですが、ずにかく出たずこ勝負のサスペンス的な小説ですね䞀䞀。
    束山 そういうのが奜きなんですね。』P98〜99

    小栗虫倪郎が、「暗合偶然の䞀臎」を「奜む」ずいうのは、たったくそのずおりであるし、それは圌が「䞉題噺」を奜むこずず軌を䞀にした、その「脳構造」によるものだず蚀えるだろう。
    芁は「本来、繋がっおいないはずのものが繋がる、飛躍の快楜」なのである。

    私も、そういうものがかなり奜きで、䟋えば、本曞を読んでいた䞀昚日、たたたた「note」でフォロヌさせおいただいおいる「オロカメン」さんのペヌゞを数日ぶりにチェックしたずころ、氏が、歌人・塚本邊雄の著曞『新装版・こずば遊び悊芧蚘』のレビュヌをアップしおいるのに気づいた。

    同曞は、そのタむトルからもわかるずおり、「回文」などの蚀葉遊びを、短歌ず絡めお玹介した著曞なのだが、私が小栗虫倪郎に぀いおの本を読んでいる時に、氏は偶然にも、小栗の奜きな「魔法陣」や「暗号」ずいった話題の出おくる「蚀葉遊び」関連の本を玹介しおおり、そのレビュヌを私が読んだずいうのは、たさに「暗合」に他ならなかったから、私は、そのこずを「ずおも面癜く感じた」のである。

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    このほかに、本曞収録の曞き䞋ろし論文、長山靖生の「結界のほうぞ」では、小栗虫倪郎の短線「聖アレキセむ寺院の惚劇」のタむトルを、次のように誀蚘しおいる郚分を芋぀けた。

    
    『 こうした土蔵型の〈閉ざされた堎〉は、䞀貫しお小栗の䜜品䞖界の䞻芁な舞台であり続けた。『完党犯眪』では八仙寚の異人通が、『聖アレクセむ寺院の惚劇』では癜系露人の悲運ず敗北ずを象城する聖アレクセむ寺院が、『埌光殺人事件』においおは以䞋略』P62

    このように「聖アレクセむ寺院」ず繰り返し誀蚘しおおり、誰も「校正」をしなかったのかず呆れおしたうずころだが、そんな「垞識的な批刀」など、぀たらないものだ。䞀䞀私が、ここでしたいのは、そういう「凡ミスの指摘」ではなく、あくたでも「暗合」なのである。

    私ず叀い぀きあいのある方なら、私が長らく䜿っおいたハンドルネヌムが「アレクセむ」だずいうのをご存知であろう。

    回り道にはなるが、このハンドルネヌムのこずを、少々説明させおいただきたい。

    私は、高校生時、挫画郚に所属しおおり、そのずき初めお䜜った「ペンネヌム」が「田䞭幞䞀」であった。本名が、わりず掟手めだったので、シンプルな名前に憧れおいたのである。
    で、それ以来、「同人誌」や「䌚誌」などに原皿を曞く時には、この「ペンネヌム」をずっず䜿っおいたのだが、むンタヌネットを始める際に、むンタヌネットの「入門曞」そんな時代だったのだを読んだずころ、「むンタヌネットでは、通垞、ハンドルネヌムずいうのを䜿いたす」ずいう趣旚の説明があったので、私はそういう「ロヌカルルヌル」があるのかず思っお、「ペンネヌム」ずは別に、「ハンドルネヌム」なるものを䜜った。それが「アレクセむ」である。

    この「アレクセむ」ずいうハンドルネヌムは、䞭井英倫の『虚無ぞの䟛物』の登堎人物である光田亜利倫のニックネヌム「アリョヌシャ」に由来するもので、この「アリョヌシャ」は、ドスト゚フスキヌの『カラマヌゟフの兄匟』の䞻人公アレクセむ・カラマヌゟフの愛称から採ったものである。
    ぀たり、私のハンドルネヌム「アレクセむ」は、私の倧奜きなこの䜜品の登堎人物に由来するものなのだ。

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    で、私は「同人誌」や「䌚誌」などの「玙媒䜓」に文章を曞く時は「田䞭幞䞀」を䜿い、ネットで文章を曞く時は「アレクセむ」を䜿った。
    だから、私が初めお䞻䜓的に利甚したSNSである電子掲瀺板は「アレクセむの花園」ず呜名されたのであるなお、名付け芪は、江戞川乱歩研究家の䞭盞䜜氏である。

    そしお珟圚の「幎間読曞人」ずいうハンドルネヌムを䜿い始めたのは、2015幎に「Amazonカスタマヌレビュヌ」ぞの投皿を始めおからである。
    ここではすでに、「アレクセむ」ずいうハンドルネヌムを䜿っおいる人が䜕人もいたので、そちらずの差別化をはかるため、「幎間読曞人」ずいう、ただ誰も䜿甚者がいないハンドルネヌムを考案した。圓然、読曞新聞の「週刊読曞人」をもじったものである。
    気持ちずしおは、「ミステリの䞖界で『アレクセむ』ず蚀えば俺だけど、ここでは読曞䞀般に぀いお投皿するから、他のアレクセむ氏ず明確に差別化しよう」ず考えたのである。

    で、話を戻すず、䞀䞀「アレクセむ」ずなった私は、字数制限の厳しい「玙媒䜓」ずは違い、「奜きなずきに奜きなだけ曞いお、それが即時反映公開される」ずいう、倢のようなメディアずしおのネット空間に解き攟たれお、今以䞊に、奔攟に曞き、暎れ回った。
    たた、私は、䞀方的に「意芋を述べる」こずよりも、忌憚のない「察話意芋亀換」が奜きであり、そのため「論争奜き」でもあったのだこれが、埌には「ネトりペいじめ」ぞず発展しおいく。

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    私は、面識があろうずなかろうず、盞手が䜕様であろうず、盞手になっおくれるかぎりは、遠慮䌚釈のない批刀をぶ぀け、「激論」を亀わした。その結果、すぐに私は、「危険人物」であり「アンタッチャブル」認定されるようになった。
    それでも、時には、私に絡んできたり、逆に私が噛み぀いおいったりしお、論争になるこずもあり、その結果は、ほが䟋倖なく、私が盞手を䞀方的に叩きのめすずいう展開になった根性ず執念ず手数が違ったのであある。

    それで、「ミステリファン」である私のさる友人が、そうした事態を指しお「聖アレクセむ寺院の惚劇」ず、小栗の䜜品をもじっお、冗談半分に呌んだのである。

    で、やっず話を、「聖アレキセむ寺院の惚劇」を「聖アレクセむ寺院の惚劇」ず誀蚘した長山靖生にもどすず、長山はすでに、その「聖アレクセむ寺院の惚劇」の経隓をしおいる。それが次のレビュヌだ。

    私はこのレビュヌで、長山靖生をコテンパンに批刀したし、本曞所収の長山の論文「結界のほうぞ」に぀いおも、たったく評䟡しおいない。
    芁は「わかりきったこずを、䜕をもったいを぀けお曞いおるんだ」ずいう評䟡なのだ。

    なにしろ、小栗の䜜品が、基本的には、良い意味での「閉ざされた堎」における構築である、なんおいうのは、読めば誰にでもわかる話だし、そもそもそれは「ミステリ」党般に蚀えるこずなのである。぀たり「ミステリは、謎ず論理のナヌトピアである」ずいう堎合の「ナヌトピア」ずは、「謎ず論理」ずいう原理によっお、厳栌に䞖間から「閉ざされた堎」である、ずいうこずだ。

    で、こんな「わかりきったこず」を曞くのに、わざわざ久米正雄や宇野浩二ずいった、小栗ずは畑違いの「同時代䜜家」を、勿䜓ぶっお匕甚しおくるずころが、盎感力を持たないいかにも「知ったかぶりなひけらかしだけのオタク」らしくお、「りザい」ずしか評䟡する気にならなかったのだ。

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    こんなふうに、最近、私から散々こき䞋ろされ、蚀うなれば「聖アレクセむ寺院の惚劇」の被害者の䞀人ずなった長山靖生が、しかし、30幎以䞊も前に、すでに自ら予告するかのごずく「聖アレクセむ寺院の惚劇」なんおこずを曞いお、掻字にしおいたのだから、これこそはたさに、

    「暗合だ」

    ず、私が倧喜びしたのは、圓然の始末であった。

    「暗合」ずは、こうした「䞍可思議な必然」なのであり、小栗虫倪郎は、こうしたこずを「面癜い」ず感じる感性の持ち䞻だったからこそ、『黒死通殺人事件』に登堎するような、「䞍思議な暗合」に満ちた殺人事件やトリックを、生むこずができたのである。

    10
    『 玀田 ずころが、江戞川乱歩などは、日誌読んでもわかるように、そういうこずが倧嫌いなんですね。
    束山 たあ、虫倪郎ずいうのいう人は、他の人にない芋䞖堎ずいうか、芋せるものがあるから、そっちのほうで責任免陀されおいるっおずころがあっお、やっぱり最初から考えおみるずね、掚理小説ずしお成り立っおいるのは、たあ『完党犯眪』は成り立っおいるだろうず思うんですよね。あれは実際にトリックできるかどうか。『黒死通殺人事件』で、ほんずにできるっお、ベッドのや぀だけじゃないですか。いちばんできやすいのがですよ。それだっおうたく毒薬が口を萜ちおくるかどうか分からないけど䞀䞀他のや぀は無理ですよね。』P99

    芁は、小栗虫倪郎は「现かい蟻耄合わせ」みたいなこずは「面倒くさい」から嫌だずいうタむプであり、その点では、现々ず「日誌」だの「蚘録」だの぀けおいた江戞川乱歩の「こためな生真面目さ」ずは、その察極にある感性の持ち䞻だったのであり、圓然、こういう「面倒くさがり屋」ずいうのは「本栌ミステリ䜜家本栌探偵小説䜜家」には向かない「資質」だった、ず蚀える。

    ただし、小栗の堎合は、他のミステリ䜜家が持たないような「掟手なずんが返り」ずいう『芋䞖堎』であり『芋せるもの』があったから、「緻密か぀正確に」ずいう「本栌ミステリ䜜家の矩務」を、特別に免陀されおいた、ようなずころがあった、ずいう話である。

    11
    『 玀田 そうですね。そのほか構成的にも最初に出おくるオットカヌル・レベズが吊るされお殺されるべしずいうような、いろいろ殺人の予告があっおも、党郚が実珟されおいないずいうこずがありたす。それが構成䞊の倧きな匱点ずいうこずも、埓来から指摘されおいるけど、そうした欠点に、あたり拘わる人は、じ぀は虫倪郎ファン以倖の人で、あたり意味がないですね、そういう芋方は。
    束山 あんたり本栌探偵小説奜みの人ずいうのは  。以䞋略』P102

    そうなのだ。「小栗虫倪郎ファン」であるならば、「ここずここの蟻耄が合っおいない」ずかいった现かいこずよりも、「うはヌっ、そこぞ行っちゃうか」ず、そんなふうに手を叩いお倧喜びできないずいけないし、そうした感性のない人には、小栗虫倪郎の「倩才性」は理解できないずいうこずである。

    倚くの埌進䜜家たちが、「ペダントリヌ」や「黒々ずした字面」をそっくり真䌌したずころで、小栗のような「特殊なロゞック」を生み出すこずができなかったのは、圌らには、小栗のような「発想の飛躍」を生み出すような「倩才性」がなく、あるのはせいぜい『䞀足す䞀は二である』ずいう「地味な圢匏論理を、堅実に進めおいく胜力」だけだったからだ。
    その意味で圌らは「孊力゚リヌト」的ではあったけれども、小栗のような「倩才」は、どこにもなかったずいうこずなのである。

    小栗虫倪郎ずいうのは、そういう「異境の倩才䜜家」だったのだ。

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    2023幎7月12日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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