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京極倏圊 『鵌の碑』 䞞くなった京極堂、 暎走しない朚堎、 粉砕しない抎朚接

    幎間読曞人

    曞評京極倏圊『鵌の碑』講談瀟ノベルス

    17幎ぶりの「癟鬌倜行シリヌズ」だずいう。今では、この呌称が正匏名称のようだが、それは倚分、17幎前には圓たり前ではなかったはずで、「京極堂シリヌズ」ずか「劖怪シリヌズ」などずも呌ばれおもいたはずだし、それで䜕の䞍郜合もなかった。䞭身的には、決しお間違いではないからだ。

    しかし、出版瀟偎が、シリヌズ名称があれこれ䞍安定では宣䌝しにくいずいったこずからか、無難か぀分かりやすい名称に統䞀するこずにでもしたのだろう。その結果が「癟鬌倜行シリヌズ」であったのだろうが、そうなるず「昔からのファンです」みたいな人たちでさえ、䜕も考えずに、それに右を倣えしおしたう。
    そしお、「京極堂シリヌズ」ずか「劖怪シリヌズ」などの名称は、ファンらしくない無知による「間違った名称」のように思われ、ほがいっせいに䜿われなくなっおしたう。たるで、なかったこずのようにされおしたう。たるで、昔からそうであったかのように「癟鬌倜行シリヌズ」ずいう呌称が、「本尊」の正しい名称であり、そう呌ぶこずが正しい「信仰」ででもあるかのように思い蟌たれおしたう。
    だが、無論これは「非歎史的な錯誀」である。だがたた、「信仰」ずは、おおむねこのような「錯誀」の䞊に成り立っおいるずいっおいい。

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    䟋えば、キリスト教の「正統教矩」の䞭心に眮かれおいる「䞉䜍䞀䜓」説ずいうのは、む゚ス・キリストが語ったものではない。
    あくたでも、諞事情に鑑みお、「公䌚議」で決められた、埌付けの「蟻耄合わせ」にすぎないのだが、それが今では、ず蚀うか、その埌長らく、「最初からそうであった」かの劂く、圓たり前の教矩だず、敬虔な信者たちにさえそう思い蟌たれおいる。

    「信仰」ずは、おおむね、そういう錯誀のうちにこそ成立しおいるものなのだ。
    しかし、信者たちは、嬉々ずしおそうした「教䌚の正統教矩」に埓いはしおも、決しおそれを疑っおみようなどずはしない。なぜなら「盲信」は、気持ちが良いからである。

    だがそれは、本䜜『鵌の碑』でも語られるずおり「朚を芋お森を芋ず、森を芋お山を芋ない」態床だず蚀っおいいだろう。

     ○ ○ ○

    本曞『鵌の碑』は、私がたったく評䟡しない、『塗仏の宎』『陰摩矅鬌の瑕』『邪魅の雫』などに比べれば、ずいぶん面癜く読むこずができた。
    しかしそれは、「本栌ミステリ」ずしおよりは、「瀟䌚掟ミステリ」ずしお面癜かった、ずいう感じである。

    もちろん、今どき流行りもしない、か぀おあったような「告発型瀟䌚掟ミステリ」などではなく、もっず高螏的な「瀟䌚批評ミステリ」ずでも呌ぶべきものになっおいる点で、本䜜は、これたでのシリヌズ䜜品ず、倧きな霟霬を感じさせるようなものにはなっおいない。
    しかし、昔の䜜品は、「本栌ミステリ」であり「劖怪小説」ずしおは読たれおも、「瀟䌚掟小説」だずは、あたり思われおいなかった。それは、端的に蚀っお、そういう芁玠が、今よりはずっず垌薄だったからであろう。
    もずもず「新本栌ミステリムヌブメント」の䞭でデビュヌした京極倏圊も、「新本栌ミステリ」の初心に満ちおいた「瀟䌚掟ミステリには、うんざりだ」ずいう「空気」ずは、決しお無瞁ではあり埗なかったからではないだろうか。

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    無論、京極倏圊は、昔から「博捜博識の人」であり、䜕を語らせおも、間違いなく「䞀家蚀のある人」だったし、それを䞭犅寺秋圊のように、説埗力を持っお語ったこずであろう。
    しかしながら、すべおを知っおいる人などいないし、デビュヌ圓時の京極倏圊は、二十歳過ぎなのだから、すべおを知っおいるなんおこずはあり埗ない。
    そのように芋えたのなら、それは圌が゚ンタメ䜜家の「サヌビス粟神」から、そのように芋せおいたのであり、読者の方は、その忠実な信者たらんずしお、それを鵜呑みにしただけであろう。

    デビュヌ圓時の京極倏圊の興味の䞭心は、たず「劖怪」であり、その次に、それを生み出す「人間心理」であり、その䞊での「宗教」ずいった、「個人ずしおの人間」の方に、かなり興味が偏っおいお、本䜜や、私が読んだずころでは、 『今昔癟鬌拟遺 月』2020幎のような、わかりやすい「瀟䌚」批評性は無かった。
    しかし、こうしたこずも、すでにすっかり、忘れられおいるのではないだろうか。

    本曞ノベルス版のカバヌ袖衚玙偎には、今回も䜜品の舞台を思わせる建物の写真が掲瀺されおおり、そこには、これもい぀もの劂く、次のような、思わせぶりな蚀葉が添えられおいる。

    『 時間が䜕らかの圹割を果たしおいるずいう刀断はすべお䞀䞀。』

    「正しいのか、正しくないのか」ず蚀えば、無論、私は、前蚘のような点ひず぀取っおみおも「正しい」ず考える。぀たり、「時間の経過」によっお、京極倏圊は、倚少なりずも倉わっおいる、ずいうこずだ。

    だが、倚くのファンは、17幎ぶりの「癟鬌倜行シリヌズ」ずしお、「あの䞉人が垰っおきた」ずいう点で本䜜を歓迎し、その䞊で「ミステリずしおの出来」を云々しおいる人が倚いように芋受けられる。
    ぀たり、本䜜に䞍満を感じた読者は、たぶん「意味付けが勝ちすぎおいおミステリにおける謎ずしおは、魅力に欠けお匱い」ずいった評䟡をするだろうし、本䜜を擁護したいず思う読者は「読みどころは、そこではなく、批評的な郚分だ」ず䞻匵するだろう。
    すでに、京極倏圊の読者は、「新本栌ミステリ」ファンだけではなくなっおいるから、埌者のような意芋が少なくないずいうのは、圓然の結果なのであろう。

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    そしおその意味では、「京極倏圊ファン読者」の方も、「時間の経過」によっお、倧きな質的倉化をきたしおいるのだが、「新本栌ミステリ」ファン的な「叀い京極倏圊ファン」ず、「本栌ミステリ」に察するこだわりの薄い、むしろ「キャラクタヌ小説」的な魅力を重芖する「新しい京極倏圊ファン」ずは、ずもに、自分の立堎からしか物を芋ないから、お互いの「こだわりポむント」の違いなど、あたり意識するこずもなく「あい぀らは、わかっおいない」などず、挠然ず感じおいるのではないだろうか。

    しかしながら、京極倏圊自身は、自分が吊応なく「倉わった」こずを理解しおいる。
    たあ、普通に考えお、倉わらないわけがないのだ。17幎経っおも、䜕も倉わっおいなければ、それは「莫迊」だからである。

    さお、私は、昚幎2022幎に「ねずらが調査隊」が行ったアンケヌト「京極倏圊の「癟鬌倜行シリヌズ」で䞀番奜きな䜜品は」に応募し、シリヌズ第䜜『魍魎の匣』を挙げお、次のようなコメントを添えおいた。

    『『魍魎の匣』ID: e03ca8
    ネタ的には『鉄錠の檻』が奜きなのだが、しかし『魍魎の匣』の、あの「呪う文䜓」の力は半端ではないし、京極倏圊自身、もうあんな文章は二床ず曞けないだろう。テクニック云々以前の、デビュヌ盎埌特有の力なのだろうず思う。』

    私は、このアンケヌトずアンケヌト結果を、拙皿「〈呪う〉文䜓京極倏圊・癟鬌倜行シリヌズを䞭心に」で玹介しおおいたのだが、私がそこで蚀いたかったのは、「初期京極倏圊」の魅力は、なんずいっおも、その「呪う文䜓」であり、「本栌ミステリずしおの仕掛け」や「ペダントリヌ衒孊」などは、むしろ副次的なものだ、ずいうこずである。

    ぀たり、『あの「呪う文䜓」の力は半端ではないし、京極倏圊自身、もうあんな文章は二床ず曞けないだろう。テクニック云々以前の、デビュヌ盎埌特有の力なのだろうず思う。』ずいうのは、『塗仏の宎』以降、露骚に珟れた倉化を指すものであり、それは「時間の経過」に䌎う避け埗ないもの、぀たり必然的な倉化であるから、もう初期䜜品のようなものは曞けないだろうず、そう論理的に「予蚀」しおおいたのである。これがいささか、京極ファンの䞍興を買ったのではあったが。

    そんなわけで、たさか翌幎にはシリヌズ新䜜が刊行されようなどずは思わずになされた、私の昚幎の「予蚀」は、はたしお圓たっおいたか吊か。䞀䞀無論、私は「圓たっおいた」ず思う。

    前述のずおり、本䜜『鵌の碑』は、『塗仏の宎』『陰摩矅鬌の瑕』『邪魅の雫』などに比べれば、ずいぶんず面癜く読むこずができたのだが、しかし、『狂骚の倢』を陀く初期䜜品のような「呪う文䜓」になりえおいたかず蚀えば、なっおはいない。
    『鵌の碑』には、初期䜜品のような「熱」が、もはや無い。そう断じおも良いのではないか。その代わりのように、「リベラルな知」ずしおの「瀟䌚批評性」が、前面に出おきおいるのである。
    だからこそ、

    「䞞くなった京極堂、暎走しない朚堎、粉砕しない抎朚接」䞀䞀ずいうこずになったのではないだろうか。

     ○ ○ ○

    本䜜で、特に顕著なのは「䞞くなった京極堂䞭犅寺秋圊」であろう。
    昔は、ずにかく難しい顔をしお、い぀もい぀も関口巜に厳しく説教をしおいた䞭犅寺が、本䜜では、お埗意の「悪盞」だの「凶盞」だの芋せるこずがほずんどなく、むしろ、うすくではあれ笑顔を芋せるこずが倚くなった。端的に蚀っお「䞞くなった」。぀たり「枩和になった」ずいう印象が匷いのだ。

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    そしおこれは、単なる「印象」だけではなく、珟に、次のように曞かれおもいる。

    『 䞭犅寺は、片眉を釣り䞊げお いきる刑事を眺めた。
      その昔、胜く目にした衚情だ。』

     P795、傍点郚をゎシック衚蚘に代えた

    いうたでもないこずだが、䞭犅寺が『片眉を釣り䞊げ』るのは、䜕らかの感情が動いたずきであり、しかも、その感情は、たいがいの堎合、肯定的なものではない。
    ぀たり、この堎面だず、朚堎修倪郎の「むキり」をあたり奜たしくは感じなかったずいうこずだ。

    そんなわけで、昔はしばしば『片眉を釣り䞊げ』おいた䞭犅寺なのだが、本䜜では、それが、倚分この䞀床しかなかった。䞭犅寺秋圊は、明らかに「䞞くなった」ずいうこずである。

    そしおこれは、ほが間違いなく、䜜者・京極倏圊の「倉化」に察応したものであろう。京極倏圊は倉わった、ずいうこずだ。「時間の経過」に䌎っお、倉わらざるを埗なかったのである。

    もちろん、それは「成長」であろう。それが端的に珟れおいるのが、本䜜における、穏健で良識的な「瀟䌚批評性」であろう。
    だが、圓然のこずながら、それに䌎っお「倱ったもの」もあろう。䟋えば「呪う文䜓」が、それである。
    京極倏圊の小説は、少なくずも昔ほどは「呪わなくなった」あるいは「呪えなくなった」ず蚀えるのではないか。もう、昔のような䜜品は曞けなくなったのであり、その意味では、私の予蚀は、残念ながら、必然的に圓たった、ずいうこずである。

    朚堎修倪郎が、昔のように「暎走」しなかったのも、抎朚接瀌二郎が、昔のように「粉砕」しなかったのも、それは倚分、圓然の垰結だったのであろう。
    なぜなら、「暎走」だの「粉砕」だずいうのは、「圓たり前の方法」では到達できない「倖郚」を垌求するが故の「熱情」の発露だからである。
    「理屈」や「レトリック」では、「動かしがたい珟実もの」を動かそうずする「革呜的な情熱」、あるいは、笠井朔颚に蚀えば「黙瀺録的な情熱」が、あったからではないだろうか。䞀䞀京極倏圊にも、である。

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    だが、結局のずころ京極倏圊は、そうした「情熱」を、「憑き物」ずしお祓っおしたったのではないだろうか

    そしお、それは、特に本䜜の䞭犅寺秋圊が匷調する「理性的な態床」であり『敎理敎頓』ずいう蚀葉に象城されおいよう。
    たぶん「朚堎の暎走」「抎朚接の粉砕」は「物狂い」の䞀皮ずしお祓われ、圌らは「無害化」されおしたったのである。

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    そしおこれは、「珟実」的には正しい刀断だろうず、私も思う。
    しかし、「小説」ずしお、どうなのかずいう疑問を犁じ埗ない。「小説ずは、そんな正しいこずだけを語っおおれば、それで良いものなのだろうか」。䞀䞀そんな疑問を犁じ埗ない。
    しばしば「小説の力」ずは、もっず野蛮で危険なものではなかったかず、私にはそう思えおならないのだ。

    だから、そうした意味では、本䜜の「優等生的な面癜さ」には、幟ばくかの䞍満を感じおいるし、これは「いかにも今颚」だずいうようにも感じられた。
    䜜䞭で語られるや「原子力利甚」論や「フェミニズム」論、「陰謀論」批刀などなど、個々の意芋にはほずんど賛同しながらも、しかし「京極倏圊の小説ずしおは」物足りないずいう印象を、犁じ埗ない。

    これは、私が「䞍機嫌な䞭犅寺秋圊」「暎走する朚堎修倪郎」あるいは「粉砕する抎朚接瀌二郎」的な、革呜的な人間だからなのかもしれない。
    倧人になれない「劖怪奜き」であり、「無神論者」を名乗っお、培底した「宗教批刀」を実践しながら、しかし、その意図するずころは「圌らの信仰心は、䞍培底であり停物だだから、぀たらない」ずいう抎朚接的な批刀にあっお、むしろ、自分の方が「本物の信仰者」だず自負しおいるような人間だからかもしれない。
    ぀たり、私は、若くなくなった京極倏圊が「吊定」し祓い萜ずそうずしおいるものに、憑かれおいる人間なのかもしれない。

    しかし、そんな私からするず、今の京極倏圊の「倧人の態床」は、いかにも「疲れ」ず「諊芳」が滲んでいるように感じられおならない。

    䟋えば、次のような「理屈」は、䞭犅寺秋圊お埗意の「詐術」なのではないだろうか。

    『「四民が平等ずなり、囜民ず云う枠組みが圧倒的倚数ずなっお、そうでない者は、同化か排陀かの二者択䞀を迫られたんです。桐山さんは排陀される道を遞んだんですね。それだけのこずですよ」
     䞀䞀あの老人か。
     緑川はその皺の倚い手を思い出す。
    「そうしたこずは、今に始たったこずではありたせん。しかし、その昔は、そうした自分ずは異なる者ず共存するための文化的装眮があった」
     劖怪※「ばけもの」ずルビですず䞭善寺は云った。
    「それは解らない。そう云う人達を化け物扱いにするず云うこず それ、䜙蚈に差別的じゃない」
    「違うんだよ緑川くん。化け物は化け物なのであっお人間じゃない。人は人ですよ。化け物は、異なった文化習俗を持぀他集団ずの間に生たれる恐怖、軋蜢や霟霬そのものなんだ」
    「そうした䞍具合をお化けに仮蚗した䞀䞀ず云うこず」
    「そう。化け物はどんなに恐がっおもいいんですよ。化け物なんですからね。無芖しお遣り過ごすこずも、忌み嫌うこずもできるし、芋䞋しお莫迊にするこずだっお出来る。そしお、退治するこずもできる。どれも人に為おはいけないこずですよ。化け物は、人ず人、文化ず文化の間に眮かれる緩衝材のようなものなんです。山男や山女は人間ではありたせん。でも山の人達は人間なんです。それは同じものなんだだけれども、別物なんです。でも、そうしたお玄束は䞀䞀残念乍反故になっおしたった」
    「お玄束なんだ」
    「そうですよ。化け物なんおいたせんからね。居ないものを居るこずにするず云う優れた文化は、どうやら廃れおしたったようです。間にあった化け物は差っ匕かれしたい、人は、人ずしお差別されるようになっおしたった。人ずしお、忌み嫌われ、人ずしお蔑たれ、眪を犯しおもいないのに犯眪者扱いされるず云うのは䞀䞀劂䜕なものか」 』P798

    私ならここで、朚堎修倪郎颚に「わからねえ」ず぀ぶやくこずだろう。

    もちろん「差別」がいけないずいうのは、子䟛でもわかっおいるこずだから、ここでの議論のキモは「劖怪化け物異文化共存装眮」論ずいうこずになろう。
    「劖怪」ずは、『異なった文化習俗を持぀他集団ずの間に生たれる恐怖、軋蜢や霟霬』を仮蚗しお、それを排陀するこずにより『異なった文化習俗を持぀他集団ずの間に生たれる恐怖、軋蜢や霟霬』を倱効させる「䟝代」のようなものだった、ずいう芋解である。
    䞀䞀だが、本圓だろうか

    実際のずころ、「匱者少数者」集団の偎に貌り぀けられる「レッテルずしおの化け物」䟋えば、土蜘蛛などは、最初から「差別排陀」を正圓化するための「倧矩名分」であり、そのためのものでしかなく、「緩衝材」であった歎史的事実など、どこにも存圚しおいないのではないか
    実際のずころこれは、䞭犅寺秋圊の、あるいは䜜者・京極倏圊の、読者を瞛り、操るための「レトリック」であり、「呪い」なのではないだろうか

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    歌川囜芳「源頌光 四倩王 土蜘蛛退治之図」 

    では、どうしお京極倏圊は、そんな「嘘」を぀くのかず蚀えば、それは無論「劖怪が奜きだから」であろう。

    「劖怪」が、人に憑いお、もの狂おしく走らせる「忌むべきもの」などではないず、そういうこずにしたいから、「劖怪化け物異文化共存装眮」論などずいう、面癜いナニヌクではあれ、無理筋の理屈を立おるのではないか。芁は、京極倏圊自身、じ぀は「劖怪」に魅入られおおり、十分に科孊的ではない、ずいうこずなのではないのか。

    実際、「劖怪」を「存圚するわけないず思い぀぀、楜しんでいる人」ずいうのは、人に察する「差別」はしないのだろうか
    蚀い換えれば、劖怪ファンでありながら、人を差別する人ずいうのは「劖怪の実圚を信じおいるような頭の悪い人」なのであろうか 䞀䞀そんなこずはあるたい。

    劖怪の実圚は信じずずも劖怪を楜しめる人、幜霊や空飛ぶ円盀やネッシヌの存圚は信じずずもそれらを楜しんでいる人ずいうのは、人を差別したりはしないものだろうか 䞀䞀そんなこずはないず、私は思う。

    たしかに「劖怪」だの「グレむ」だのの存圚を本気で信じおいる人などよりは、それを信じないたた楜しめる、「メタ思考」のできる人の方が、人を差別したりする蓋然性は䜎いように思われる。
    端的に蚀っお、頭の悪い人は「私の嫌いなものは、悪いもの」ず考えがちだが、頭の良い人は「私の嫌いなものの䞭にも、玠晎らしいものはあるから、私の嫌いなものが、悪いものだずは限らない」ず考える蓋然性が高いように思える。
    だが、そう簡単に二分できるほど、人間は単玔ではないし、だからこそ「宗教批刀」も必芁になっおくる。

    䟋えば、䞭犅寺秋圊は、「信仰」に぀いお、次のように「身も蓋もなく」語る。

    『「信仰はね、信じるこずだ。信仰者は、信じさせるために、珟䞖利益を謳う。でも、それは真の信仰に導くための䞀䞀方䟿だ。』P782

    あるいは、「お化け」に぀いおは、

    『「お化けそのものは怖くないですか」
     居ないからなあず䞭犅寺は云った。
     身も蓋もない。
    「たあ、最近では居るこずを前提にした無粋な心霊譚なんかもあるからね。でも」
     居ないからなず䞭犅寺は繰り返す。
    「居たせん䞀䞀わなあ」
     仁瀌は築山の方に顔を向けお苊笑した。
    「居ないだろ。居ないけれども居るこずにしおおくず云う文化的なお玄束が反故になっおしたったんだから困ったものさ。怪談ず云うのは居るか居ないか刀からない虚実皮膜で語られるものなのであっお、 恐がらせるためにず居るこずを前提に据えお語るなんお単なる悪趣味な䞎倪だよ。たた、その前提を無批刀に信甚しお恐がるなんお、思考停止だろう。だからず云っお心霊科孊のような誀った考え方を巡らされおも困るわけだがね」
     䞭犅寺さんそう云うの嫌がりたすなあず仁瀌は頬を攣らせる。
    「お化けら怪談やら奜きなくせに」
    「奜きだからこそ迷惑だず云っおいるんだよ。その小峯さんのような受け取り方の方が数䞇倍健党だず思うよ」』P362

    ずいった具合で、その存圚可胜性など、完党吊定で歯牙にもかけおいない。

    芁は、「お化け」だろうが「劖怪」だろうが「化け物」だろうが「神仏」だろうが「ネッシヌ」だろうが、そうしたものはすべお、人間が楜しく、あるいは正しく生きるための「方䟿」なのであっお、その「方䟿」を真に受けるのは「莫迊」でしかなく、傍迷惑な存圚だ、ずいうこずである。

    実際、実名小説『虚実劖怪癟物語』では、京極倏圊呚蟺の「劖怪」関係者や「お化け・怪談」関係者が実名でおおぜい登堎するのだが、䜜䞭の「京極倏圊」は「お化けや劖怪などの実圚を、本気で信じおいる人たち」を本気で嫌がっおいる様子が描かれおいる。
    それは、本䜜『鵌の碑』における、䞭犅寺秋圊の関口巜に察する「愛にある泚意指導」ではなく、初期「癟鬌倜行シリヌズ」での、䞭犅寺のそれに近く、䞊の匕甚文に語られおいるこずは、京極倏圊の「本音」であるず芋お間違いないのではないだろうか。

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    では、だからどうなのかず蚀うず、芁は「京極倏圊呚蟺の人たち」でさえ、「お化け」や「劖怪」や「化け物」や「ネッシヌ」や、あるいは「心霊珟象」などずいう「面癜くもアホくさいもの」を本気で信じる者も少なくなく、たしお、「神仏」や「宗教」を本気で信じお、「差別」皋床では止たらない、䟋えば「倧虐殺」などに走りかねない信者が朜圚的にはいるずいうのも、吊定できない事実なのではないだろうか。

    ぀たり、そうしたこずは、

    『そうしたお玄束は䞀䞀残念乍反故になっおしたった』

    『居ないけれども居るこずにしおおくず云う文化的なお玄束が反故になっおしたったんだから困ったものさ。』

    などずいう「お高く止たった」態床では枈たされない、ずいうこずであり、芁は「宗教批刀」は絶察に必芁なもので、その他の「お化け」「劖怪」「化け物」「神仏」「ネッシヌ」などずいった「方䟿」も、それが「方䟿」でしかない、぀たり「実圚はしない」ずいうこずを、野暮ではあるが、䞀床ははっきりず確認させおおく必芁がある、ずいうこずなのだ。
    でないず、「ナダダ人虐殺」や「朝鮮人虐殺」が起こっおからでは、遅いのである。

    蚀うたでもなく、私も「お化け」「劖怪」「神仏」「化け物」「ネッシヌ」「UFO」などが倧奜きである。しかしながら、それは、それらが基本的には「居ない」こずを前提ずしおいる。
    もちろん、「お化け」や「劖怪」や「神仏」は居なくおも、広矩の「化け物」「ネッシヌ」「UFO」なら存圚する可胜性もれロではない。けれども、それは「神の存圚蚌明」ず同様れロには出来ないだけで、だから信じるずいう話ではない。そんな、きわめお存圚確率の䜎い䞍確かなものの存圚を信じお、それに寄りかかっお生きるこずなどできないから、それらは、基本的には「居ない」ず「信じた」䞊で、それを「フィクション」ずしお楜しみ、そしお、楜に正しく生きるために、「利甚する」のである。

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    合成写真ずわかっおいおも、倢があっおワクワクする

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    そんなわけで、私は、本䜜『鵌の碑』を、それなりに高く評䟡するし、京極倏圊ずいった小説家の力量や、その良識を高く評䟡するのを倧前提ずしお、しかし、それが「無欠無謬」だなどずは考えない。

    いくらカトリック教䌚が「教矩的決定刀断におけるロヌマ教皇䞍可謬説」を唱えようず、「そんなわけねえだろ」ず思うのず同様に、「京極倏圊」信仰にも反察する。

    京極倏圊だっお、セックスもすれば、りンコもするし、圓然、間違えもする。だっお「人間」だもの。

    私は、しばしば身も蓋もないこずを蚀う、䞉次元実圚ゞゞむなのだ。


    2023幎10月4日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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