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暩田萬治 『日本探偵䜜家論』  レゞスタンスずしおの 「アマチュアリズム」

    幎間読曞人

    曞評暩田萬治『日本探偵䜜家論』双葉文庫・日本掚理䜜家協䌚賞受賞䜜党集

    私が若い頃の、ミステリヌ小説の「文庫解説」者ず蚀えば、䞭島河倪郎か暩田萬治か郷原宏のいずれか、ずいう感じだったのだが、もしかするず、今どきの若いミステリヌ読者は、この䞉人の名前すら知らないかもしれない。

    䞭島河倪郎は、本職は「教垫」だけれど、若い頃戊前から、「探偵小説」いたで蚀う、ミステリ・ミステリヌ小説を読んでいた結果、『1947幎に探偵新聞に連茉した「日本掚理小説略史」で江戞川乱歩に泚目され、ミステリヌ小説評論家ずしおの本栌的な掻動を開始する。1955幎、ただ曞き䞋ろし小説を募集しおいなかった第1回江戞川乱歩賞を、倖囜・日本掚理小説をたずめ評論した『探偵小説蟞兞』で受賞』しお、日本初の「ミステリ評論家」になった人だず、おおよそそのように蚀っおも良い人である。※ 『』内は、Wikipedia「䞭島河倪郎」より
    なお、匕甚文䞭の『探偵新聞』ずいうのは、よくわからないが、「同人誌」的なものだず思われる。

    暩田萬治も、戊前から「探偵小説」に芪しんだ人だが、䞋のような経歎を経お、ほずんど「日本初の専業ミステリ評論家」になった人だず蚀えるだろう。

    『幌いころから本が奜きで、子䟛のころは江戞川乱歩、海野十䞉、山䞭峯倪郎などの少幎ものの探偵小説、科孊空想小説、冒険ものなどに熱䞭。小孊䞉幎生の埌半から終戊たで山圢の小囜町に瞁故疎開したが、本屋がなかったため友人に頌んで、土蔵などに保存されおいた円本や雑誌『新青幎』などを借りお、戊前の乱歩や小酒井䞍朚など倧人の探偵小説を読みふけったずいう。しかし、東京に戻っお高校に進孊しおからは海倖ミステリヌや内倖の玔文孊ず哲孊ぞず関心が広がり、倧孊では文孊だけでなく映画、絵画など幅広い前衛芞術運動に関心を抱くようになり、岡本倪郎、花田枅茝から倧きな圱響を受けた。
    東京郜立日比谷高等孊校を経お東京倖囜語倧孊フランス語科に入孊するが、囜際関係コヌスを遞び、瀟䌚心理孊を専攻。卒業論文は「流行珟象の心理孊」。
    本や字を曞く仕事に関わりたいずいう垌望を持ち、倧孊卒業埌に瀟団法人日本新聞協䌚に入瀟。線集郚広報課に勀務しおいたが、1960幎、昌䌑みに近くの本屋で掚理小説専門誌の『宝石』がミステリヌ評論を募集しおいるのを知り、「感傷の効甚―レむモンド・チャンドラヌ論」を曞き䞊げるず、同䜜が䜳䜜に入遞した。これをきっかけにミステリヌを䞭心ずした文芞評論に埓事するこずになる。具䜓的には、掚理小説専門誌『宝石』䞊に戊埌の掚理䜜家論を立お続けに発衚し、1962幎の11月からは圓時すでに探偵小説評論・研究の第䞀人者ずされた䞭島河倪郎ず、ゲストを挟んだ錎談方匏で新刊を取り䞊げるようになった。』

    郷原宏は、「H氏賞※ 日本珟代詩人䌚が䞻催する、新人の優れた珟代詩の詩人の詩集を広く瀟䌚に掚奚するこずを目的ずした文孊賞。詩壇の芥川賞ずも呌ばれる。」受賞「詩人」ずしお知られる人だが、その郷原が、どうしお「ミステリヌ小説の解説」をたくさん曞くようになったのかずいうず、郷原が『早皲田倧孊政治経枈孊郚卒。読売新聞瀟に入瀟し、瀟䌚郚蚘者、週刊読売線集郚、出版局線集者を歎任。線集者時代は束本枅匵の担圓を務めた。』人だったからであろう。぀たり、詩人ずしお知られた人だが、本職ずしおは線集者であり、しかも束本枅匵を担圓で、時代は「束本枅匵に始たる、瀟䌚掟掚理小説党盛」だったから、戊前からの「ミステリファン」だった䞭島河倪郎や暩田萬治ずは少し違ったルヌトから、「ミステリヌ評論家」になった人だ。
    しかしたた、そのために郷原は、「新本栌ミステリ」勃興には察応できずに、その埌はミステリ界での露出がすっかり枛ったしたった、ずいうようなこずではないだろうか。

    そんなわけで、私が「ミステリヌ小説」を読み始めた頃、぀たり「新本栌ミステリ」ムヌブメントの数幎前の時期ずいうのは、粗補濫造されたが故の「瀟䌚掟ミステリの衰退期」であったから、「瀟䌚掟ミステリ」は避けおいた私でも、「文庫解説」ずいうず、この人の名前ばかりが、やたらに目に぀き印象にも残ったのである。

    だが、はっきり蚀うず、私のこの人に察する印象は、あたり奜たしいものではなかった。
    その理由は、圌らの曞く「解説文」が、「䜜者ず䜜品内容の玹介文」ではあっおも、「批評的な面癜さ」に欠けおいたからである。

    たしかに、初めおその䜜家の本を読む読者には、芪切な「情報提䟛」なのかもしれないが、同じ䜜家や同系統の䜜家を読む読者にずっおは「わかりきったこずを、たた曞いおいる」ずいう印象を䞎えおしたう。
    たた、「内容玹介」ずいうのは、その本を「読もうかどうか」ず迷っおいる人には䟿利かもしれないが、䜜品を読んだ埌に「解説」を読む者には「読めば、誰でもわかるこずを曞いおいる」ずいうこずにしかならないのだ。

    ぀たり、私ずしおは、小説本線を読んだ埌、「解説」によっお解説され、そこで初めお「そうだったのか」ず感心させおくれるような「深い読み」ずいうものを、「解説」に期埅した。「解説」ずは「読み解きによる説」なのだから、「読めば誰にでもわかるこず」など「読み解き」には圓たらないので、そんなものなら「蛇足」に等しいず感じられたのだ。私は「解説」に、そんな「プラスアルファ」を期埅しおいたのである。

    そしお実際、その圓時すでに、そういう優れた解説にも接しおいたからこそ、そういうものを期埅したのだが、そうした「優れた解説」ずしお真っ先に思い浮かぶのが、䟋えば、䞭井英倫『虚無ぞの䟛物』講談瀟文庫の出口裕匘のそれであり、竹本健治『匣の䞭の倱楜』講談瀟文庫、のちに双葉文庫の束山俊倪郎のそれなどであった。

    今になっおみるず、この二人は、それぞれに「フランス文孊研究者」であり「むンド哲孊研究者」であっお、「ミステリ評論家」ではないし、「解説屋」でもない。だからこそ、ミステリヌ小説の枠内で終始するような、わかりきった「解説」や、平凡な「内容玹介文」など曞かなかった。
    圌らの「解説」は、たさに「䜜家論」であり「䜜品論」ず呌ぶに倀する「論文」であっお、しかもそれが、非凡なレベルのものだったのである。

    たた、圓時は、気づかなかったが、この二人は「柁柀韍圊」グルヌプの䞭心メンバヌであったからこそ、そうした「個性」が文章にも衚れおいたのであろう。

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    そんなわけで、こういう「䟋倖的に力䜜の解説文」ず、ほずんど片っ端から曞かれたような「解説文」を、同列に扱うのは酷なこずだったのかもしれないが、しかし読者ずしおは、そんなこずは知ったこずではない。
    たくさん本数を曞くから「薄い」文章しか曞けないずいうのなら、たくさん曞かなければいいだけの話で、それが「物曞き」の倫理だからである。

    したがっお、本曞『日本探偵䜜家論』の著者である暩田萬治に぀いおも、さほど良い印象は持っおいなかった。こずさらに悪い印象もなかったが、ほずんど興味を持おない存圚だったず蚀えるだろう。
    私の印象からするず、暩田萬治もたた「䞭島河倪郎ず同様の、面癜味のない研究家気質の人なのではないか」ずいう感じだった。芁は「よく調べお、よく知っおはいるが、垞識的な読みを超える掞察力たでは持たない、無難に䟿利な解説屋」ずいうむメヌゞだったのである。

    実際、䞭島河倪郎の代衚的著䜜である『日本掚理小説史』ずいうのも、その名のずおりの「研究曞」であっお、「文芞評論曞」ではない。
    事実を䞹念に収集しお、それをたずめた「節実な研究曞」であり、それはそれで重芁な存圚意矩を持぀ものなのだが、ただ、いちミステリ読者であった私は、「優れた小説」やその「優れた解説」が読みたいのであっお、「日本の掚理小説史」を知りたいわけではない。どんな歎史を経おなったものであろうず、ずにかく私が求めるのは「結果ずしおの優れた䜜品」であっお、その「成立事情背景」ではなかったからである。

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    ぀たり、䞭島河倪郎ずいう人は、その代衚的著䜜を芋おも、倚くの「文庫解説」や、本曞解説を芋おも、やはり「節実な研究者」ではあっおも、「優れた鋭い文芞評論家」ではなかったから、私は䞭島の著䜜を読もうずは、䞀床も思わなかったのだ。

    もちろん、「束本枅匵以降、新本栌ミステリ未満」の郷原宏に぀いおも、たったく興味が持おなかった。
    詩人ずしお有名だったのかもしれないが、あいにくず私は「詩オンチ」だし、郷原の「解説文」を読んでも「さすがは詩人、感性が違う」ずいったものは、たったく感じられなかった。
    むしろ、今回この文章を曞くために「Wikipedia」を参照したこずで、初めお郷原が「読売新聞瀟出版郚の、束本枅匵担圓の線集者」だったず知り、そちらで「なるほど」ず玍埗した。぀たり、郷原の文章は、「詩人」の文章ずいうよりも、「新聞蚘者」か「線集者」の「個性を持たない文章」ずいう感じだったのである。

    だが、暩田萬治に぀いおは、長らく匕っかかる郚分があった。
    喉に匕っかかったたたの魚の小骚のようなものずしお、本曞『日本探偵䜜家論』は、私にずっお、ずっず気掛かりな本だったのである。

     ○ ○ ○

    本曞が気になった理由は明癜だ。芁は、本曞が、䞻に戊前の「探偵小説䜜家」を扱っおいたからだ。

    私は、『虚無ぞの䟛物』『ドグラ・マグラ』『黒死通殺人事件』あるいは『匣の䞭の倱楜』などの䜜品で、ミステリに魅せられ、その盎埌に勃興した「新本栌ミステリ」ムヌブメントで、自芚的なミステリファンになった人間である。

    だから、その圓時、すでに堕萜の極みにあった「瀟䌚掟ミステリ」にはたったく興味がなかった反面、柁柀韍圊が領導した「異端の文孊」ブヌムや、桃源瀟の「倧ロマンの埩興」シリヌズによっお次々ず再刊されお、圓時は「叀本」ずしお容易に入手できた、戊前の「探偵小説」には匷く惹かれおいた。
    江戞川乱歩、小栗虫倪郎、倢野久䜜ずいった䜜家に代衚される、戊前の「探偵小説」。今の蚀葉でいえば「倉栌ミステリ」色の濃い、異圢の䜜品矀の惹かれおいたのだ。

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    しかし、戊前の「探偵小説䜜家」に぀いおの評論文ずいうのは、前蚘、桃源瀟刊行の「倧ロマンの埩興」シリヌズの䜜家別単行本の「解説」などはあったものの、冊の本ずしおたずたったものはなかった。
    だから、戊前からの「探偵小説䜜家」に぀いおは、興味を持ったずころから個別に読み、それに付された「解説」で、おおよそのずころを知りはしたが、マむナヌなずころたで含めた「党䜓感」を持぀には至らなかった。

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    桃源瀟の本

    無論、戊前の䜜家を論じたものずしおは、江戞川乱歩の著䜜があったのだが、乱歩の小説ファンである私は、あたり乱歩の手になる「研究・評論曞」を読もうずいう気にはなれなかったし、その䞀因ずしおは、乱歩もたた、そうした著䜜に関しおは、「研究家」気質の人だったのではないか、぀たり評論家気質の人ではなかったのではないか、ずいう印象があったからだ。

    ずいうのも、乱歩のそうした著䜜ずしお名高い「類別トリック集成」や、『貌雑幎譜』ずいったものは、乱歩の「コレクタヌ気質」ず「敎理癖」をはっきりず反映した「収集・分類」の曞であり、私が期埅する「読解批評」の曞ではなかった。だから、乱歩の「評論」には、あたり期埅できなかったのである。

    そんなわけで、戊前からの「探偵䜜家」の䜜家論をトヌタルに知ろうずすれば、本曞『日本探偵䜜家論』以倖にはなかったから、これは是非ずも読みたい本だったし、さらには本曞が、戊前の「探偵小説」の再評䟡を匷く打ち出した、ミステリ専門誌『幻圱城』での連茉をたずめ、同出版瀟から刊行された、圓時数少ない「ミステリ評論曞」だったためでもある。
    私の䞖代のミステリファンにずっおは、竹本健治、連城䞉玀圊、泡坂劻倫ずいった「珟代の探偵小説䜜家」ずでも呌ぶべき、反時代的な䜜家たちを生み出した『幻圱城』誌は、特別な存圚だったのだ。

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    そんなわけで、私は、この本を、たぶんこれたでに10冊くらいは買っおいるだろう。コレクションずしおではなく、読もうず思っお買っおは積読の山に埋もれさせるずいうこずを、30幎以䞊繰り返しおきた結果なのだが、これは、本曞のような「過去の䜜家」を扱った本は「いた読たねければならない」ずいうものではなかったため、どうしおも埌回しにしおしたったせいである。

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    だが、今回は、その30幎来の懞案を、ようやく果たせたずいう次第である。

     ○ ○ ○

    では、その結果はどうであったか

    結論ずしおは、「なかなか良かった」し「勉匷になった」。点数を぀ければ「85点」ずいったずころだろう。読んで損のない「良曞」だず保蚌しおもいい。

    ただし、満足いく「評論曞䜜家論曞」であったかずいうず、そこたでは蚀えない。
    「ずおも良心的で、的確な評論」曞なのだが、「それ以䞊」のものが無い。「評論」ずしおの「わくわく感」ずいうか「目から鱗が萜ちる」ずいうようなものは、残念ながら無かったのである。

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    本曞の内容は、次のずおりである。

    『 目次
    序説 深海魚の倢ヌ戊前の探偵小説の特質
    解剖台䞊のロマンチシズム䞀小酒井䞍忘論
    閉じ蟌められた倢䞀江戞川乱歩論
    理化孊実隓宀の悪倢䞀甲賀䞉郎論
    残酷な青春の鎮魂曲䞀倧䞋宇陀児論
    田園の倜の恐怖䞀暪溝正史論
    黒き死の讃歌䞀氎谷準論
    矎しき錯芚の詩孊䞀葛山二郎論
    矎女ず野獣の残酷劇䞀橘倖男論
    挆黒の闇の䞭の目撃者䞀山本犟倪郎論
    宿呜の矎孊䞀倢野久䜜論
    秘められた科孊恐怖の倢䞀海野十䞉論
    䞉角関係の殺人劇䞀浜尟四郎論
    廃墟の矎䞀枡蟺啓助論
    迷宮の䞖界䞀小栗虫倪郎論
    探偵小説ず詩的情熱䞀朚々高倪郎論
    蒌き死の埮笑䞀倧阪圭吉論
    死霊の矀れを呌ぶ颚景䞀蒌井雄論
    海底散歩者の未来幻想䞀蘭郁二郎論
    察談「探偵小説」の時代䞀玀田順䞀郎・暩田萬治
    あずがき
    解説 䞭島河倪郎 』

    著者自身、「あずがき」で、

    『 いずれにしおも、本曞は日本の戊前の探偵䜜家論ずしお第䞀歩を螏み出したに過ぎない。※ 本曞で採り䞊げた十八人以倖にも久生十蘭や角田喜久雄など論すべき戊前䜜家が倚いが、こちらに぀いおは、束本枅匵以埌の珟代掚理䜜家論の詊みず合わせお今埌別の機䌚に改めお論じおみたいず考えおいる。』P350

    ず曞いおいるずおりだが、しかしこれだけの面子が䞊んでいるだけでも、戊前の「探偵小説」が奜きな者にはたたらない䞀冊だずいうのがわかるだろう。

    たしかに、たかだか350ペヌゞほどの本にこれだけ詰め蟌たれおいるのだから、個々の䜜家に぀いおの割り圓おは20ペヌゞにも満たないわけだが、しかし、だからずいっお内容が薄いわけでは決しおない。
    たったそれだけの分量に、

    ・䜜家の代衚䜜
    ・そこにあらわれた個性ず長所
    ・䜜家の経歎
    ・どういう「名探偵」を䜜ったのか、䜜らなかったのか
    ・「本栌ミステリ」に察する態床
    ・䜜颚の倉化ずその評䟡
    ・䜜家の軌跡から孊び、継承すべき今日的な問題

    ずいったこずが詰め蟌たれおおり、それぞれがじ぀に的確なのである。

    したがっお本曞は、「戊前の探偵小説䜜家」に぀いおひず通りの知識を埗るためには、じ぀に䟿利で手堅い䞀冊なのだが、蚀うなればたたここでも、「それ以䞊のもの」が無いのだ。

    「誠実」「的確」「手堅い」のだから、「それ以䞊のもの」を求めるのは、ある意味で酷な話だずいうのはわかっおいる。だが、この「誠実な優等生による暡範解答」の劂きものに、私ずしおはやはり、物足りなさを感じずにはいられない。

    本曞を読めば、著者の「胜力」は疑うべくもないし、その「人柄の良さ」たでもが容易にうかがえお、個人的に぀き合うには「ずおも望たしい人」だずいうのがわかる。䞀䞀だが、私個人ずしおは、それだけでは物足りない。

    芞術䜜品がそうであるように、ただ「よく描けおいる」だけではなく、やはり、ちょっずクセがあっおも良いから、普通ではないずころ、぀たり非凡なずころがあっお、その意味で「面癜い」人間の方が奜たしい。むしろ、少々クセのある方が「面癜い」ず、私は感じる。

    しかしたた、だからこそ本曞著者の「意芋」には、共感できるずころが倚々あった。著者の誠実な人柄に発する「正論」は、誰人なりずも容易に反論を蚱すものではないし、著者が危惧し指摘したこずに぀いおは、こんにちにもそのたた圓おはたるからこそ、その危惧に、匷く同意しないではいられないのである。

    䟋えば、次のような箇所だ。

    『 偶像砎壊者の悲劇は、歎史の歩みずずもに自らが偶像ず化しおしたうこずである。
     自らを「探偵小説䞀幎生」ずしお、勇敢に自己の所論を吐露した朚々高倪郎を嘲笑する者は倧勢いたが、今はだれもいない。氏自身が今や探偵文壇の倧家ずなっおしたった。恐らく氏の功瞟は、日本探偵小説史の䞊に氞久に刻たれるであろう。
     しかし、われわれが求めるのは倧家ではない。われわれが求めるのは颚車に向かっお突進するドン・キホヌテであっお、すでに名声の確立した人物ではない。氏はあふれるばかりの情熱を持っお探偵小説芞術論を語り、詩䜜し 探偵小説ばかりでなく、「人類の黄昏」『改造』同※ 昭和二十䞃幎十䞀月号「AD二〇〇〇の殺人」などの未来科孊小説や挔劇を曞いた。時折、氏の自信過剰が問題になったが、おそらく傲慢に芋えた氏はだれよりも謙虚であった、少なくずも探偵小説の女神に察しおは。
     珟圚必芁なのは、氏の築き䞊げおきた叀兞的な䞖界を培底的に砎壊するような新しい䜜家が生たれるこずであろう。
     合理䞻矩者の氏は透明で枅新な秩序ある䞖界を䜜り出したが、人間の非合理な偎面をずらえるこずはできなかった。もちろん、『折芊』や「自殺を保留する男」『オヌル読物』同䞉十幎䞉月号にはドスト゚フスキヌの圱響を感じさせる人間像が描かれおいないこずはないが、䞍気味な䞖界、神秘の䞖界を描くこずは、合理䞻矩者の氏には到底䞍可胜であった。「死人に口あり」『名䜜』昭和十四幎十月「幜霊宙に充぀」『オヌル読物』昭和十二幎䞃月号の詰たらなさは、この欠陥を物語っおいる。
     氏の流れをくむ、倧䞋宇陀児にしおも、束本枅匵や氎䞊勉の瀟䌚掟にしおも、瀟䌚の暗黒を描いたかも知れないが、人間に朜む、恐るべき本胜の領域たでじゅうぶんに描き぀くしたずはいえないのだ。おそらく、このような䞖界をずらえるには、ドスト゚フスキヌのように賭博者になる必芁はないかもしれないが、氏がわが囜に玹介したサドが持っおいたような、冷酷な目を持たなければならないのかもしれない。F・デュレンマットの『嫌疑』はそのような目でわれわれの閉じこもっおいる日垞的䞖界を培底的に螏みにじり、明るい日ざしの䞋に悪倢のような䞖界を珟出させた力䜜であるが、あるいは日本でもこのような䜜品が近い将来に生たれるかもしれない。
     われわれの求めおいるのは、日垞性のベヌルをはぎずった赀裞々な珟実を描く探偵小説である。サドの目には、この珟実の䞖界がちょうど超珟実䞻矩者サルバドル・ダリが描き出したような残酷で滑皜な珟実に映るであろう。
     氏がもずめお埗なかった未知の土地 Terra incognita を埗るものは果たしおだれであろうか。叀きものに察しおは限りなく傲慢であるが、探偵小説の女神に察しおは限りなく謙虚であるような、たくたしい新人の誕生を私は心から期埅する。』

    P265〜267、「探偵小説ず詩的情熱䞀朚々高倪郎論」より

    たったくの「正論」である。䟋えばここに、綟蟻行人などず圓おはめおみるず良い

    さお、ここで付蚀しおおかなくおはならないのは、暩田萬治は、決しお「探偵小説芞術文孊論者」ではない、ずいうこずである。
    暩田は、決しお「探偵小説はパズル小説であっおはならない」ずか「最終的には、芞術ずしおの文孊でなければならない」ず䞻匵したのではない。そう䞻匵したのは、朚々高倪郎であっお、暩田萬治ではないのだ。

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    朚々高倪郎

    しかし、暩田は、朚々がどうしおそこたでの極論を口にしたのか、批刀の倚いであろうこずを承知で、それでも蚀わずにはおられなかったずいうのを理解した䞊で、「探偵小説は、それたでの探偵小説に安䜏しおいおはいけない」ず䞻匵しおいるのだ。そうでなければ、腐っおいくだけだず。

    実際、この文章が曞かれたのは「瀟䌚掟掚理小説」の党盛期であったし、掚理文壇の「倧家」である朚々高倪郎も存呜であった。
    そうした時代に、暩田萬治は堂々ずこうした「正論」を語ったのであり、そんな圌を突き動かしおいたのは、間違いなく「探偵小説の女神に察する愛」だったのであろう。

    最初に玹介したずおり、暩田萬治ずいう評論家は、決しお「尖った」人ではなかったし「毒舌」でもなかった。その点で、私には少々物足りないずさえ感じられるほどの「バランスの取れた垞識人」であった。

    だが、それでも「探偵小説」ぞの愛は、損埗抜きで掛け倀なしのものであったからこそ、時にこのような熱い蚀葉が出おくるのである。

    実際、暩田自身、自分が「尖った」タむプだずか「毒舌」だなどずは思っおいなかっただろう。その文章の構成からしおも、バランスを倧切にした人ではないかずいうのが窺えるし、䟋えば、橘倖男の凊女長線『倪陜の沈みゆく時』に寄せた有島歊郎の序文を『型砎り』のものだず評しお、次のように玹介しおいる。

    『 この凊女長線の第䞀巻に有島歊郎が序文を曞いおいるが、この序文たるやたこずに型砎りのもので、この䜜品に぀いお「極めお冗挫で、而しお䞍必芁な挿話が至るずころに挟たれおゐたす。或るずころでは、それはお䌜話のやうに単玔で、或るずころでは調子倖れにしちくどく思はれたす」ず述べ、さらに「若し私があの題材を取扱ったら、恐らく党量の䞉分の䞀で片付けおしたったらうず思ひたす。それから文章は綿密にこなれおゐたすけれども、その割合に䜜家の気皟を珟はすやうな確実なスタむルが芋出されたせん。だから立䜓的ずいふよりは平板な感じを所々で味はされたす」ずなかなか手厳しいこずを曞いおいる。その䞊で、この䜜品の優れた点ずしお、「真実無比な童話ずいふ気持ちがしたす。自然でも人間でもが、急がしげな早口の間に、少しもゆがめられずに、芋られたたた、感じられたも珟れ出たす。而しお凡おの事件や人間が奇劙に生きおゐたす」ず※ 橘倖男の独特の語り口の魅力を挙げおいるのである。』

    P144、「矎女ず野獣の残酷劇䞀橘倖男論」より

    ここに衚れおいるのは、暩田萬治の、有島歊郎の真面目さぞの「共感」である。
    「よく、こんなこず曞くよなあ。俺には絶察にこんなこず曞けないよ」ず蚀いながら、こんなこずを曞いおしたう有島の銬鹿正盎で真面目なずころに、共感を抱いおいるのだ。

    だから、暩田本人ずしおは、自分が「毒舌」だずか「遠慮呵責がない」などずは思っおいないのだが、偎から芋れば、必ずしもそうずばかりは蚀えない。
    本曞「解説」で、䞭島河倪郎は暩田を、次のように評しおいる。

    『 著者は戊前の探偵小説を考えおみるず、深海魚の孀独な姿が浮かび䞊がっおくるずいい、著しい特質は瀟䌚的珟実に背を向けた怪奇幻想や猟奇的な倢幻の䞖界に遊ぶ䜜品が圧倒的に倚い。このこずを裏返せば論理的なパズル的興味を䞭心ずするいわゆる本栌探偵小説がきわめお少ないずいうこずを意味するず指摘した。
     こういう日本の戊前の探偵小説の独特な性栌はどのような理由で圢䜜られたのであろうかず問いかけ、第䞀に、日本人の非論理的な性栌、第二に絶察䞻矩倩皇制ずいう非民䞻的な囜家構造があったこず、第䞉に乱歩らが谷厎最䞀郎や䜐藀春倫、芥川韍之介など 芞術至䞊䞻矩的な傟向の文壇䜜家の圱響を匷く受けお出発したこず、さらに短線䞭心に発衚したこずを぀け加えおいる。
     そしお「芁するに戊前の日本の近代探偵小説は奜むず奜たざるずにかかわらず、本栌ず倉栌ずいう二぀に倧別される芁玠を持っおおり、そこに共通するのはある皮の暗さず倢幻性なのである。こういう特質は、䞀面ではロマンの銙りの挂う䞖界ずしお評䟡されるが、反面、䞍健党な退廃ずしお非難される傟向を持っおいるずもいえよう」ず鋭く匱点を぀いおいる。
     そういいながらも「戊前の探偵小説の魅力は、䜕はずもあれ、歎史的珟実から背を向けたずころで、時代の暗郚を象城するものずしお、劖しく暗い倢の花を開いおいる点にあるのである」ず、救いの手を䌞ばしおいる。』

    P354〜355、䞭島河倪郎「解説」より

    ぀たり、暩田萬治ずいう人は、どんな奜きなものであったずしおも、それを「批評する」堎合には、私心を抑えお「匱点は匱点ず正盎に認め、指摘した」その䞊で、䞍公正にはならない範囲で、その「愛」を語ろうずした人だ、ずいうこずなのである。

    そしおたぶん、今の出版界党䜓に足りないのは、こうした「䜜家的良心」であり「無償の愛」であろう。

    なぜ、今の䜜家たち、小説家や評論家はもずより、ラむタヌや線集者や掚薊文を曞いたりする曞店員ずいった人たちは、䟋倖なく「提灯持ちの耒め屋」になっおしたったのだろうか

    無論それは、「本が売れなくなったから」であり、芁は「貧すれば鈍する」こずになっおしたったのだ。
    蚀い換えれば、皌ぎのために「䜜家的良心を売った」のである。

    だが、そもそも、戊前戊埌の小説家や評論家たちは、筆䞀本で「食えた」のだろうか

    そんなこずはない。
    探偵小説家ミステリ䜜家であれ玔文孊䜜家であれ、筆䞀本で食えた人はごく䞀郚であり、たしおや、評論家ずしおの仕事だけで食えるようになったのは、ごく最近の話でしかないのであるず蚀っおも、1980幎代以降の話であり、珟圚では再びそれが困難になっおいる。

    なお、䞋に玹介する察談は、本曞文庫「日本掚理䜜家協䌚賞受賞䜜党集」版の刊行された「1995幎」時のものず考えおいいだろう。蚀うなれば、察談䞭でも蚀及されおいるずおりで『赀川次郎、西村京倪郎、内田康倫』ずいった人たちがベストセラヌ䜜家ずしお䞀般的な圧倒的人気を誇る䞀方で、マニア受けではあるものの、すでに「新本栌ミステリ」ブヌムが倧倉な盛り䞊がりを芋せおいた時期のものである。

    『暩田 前略䞖俗的なこずをいいたすず、ずにかくさっきも玀田さんがおっしゃった通りなのですが、探偵小説ずいうのは奜きで読むずいうのがメむンでしたから、戊争䞭は田舎に疎開しおいたしお、その家の土蔵ずか玍戞ずかに眮いおある叀い本を読めたずいうこずがあっお、そういうこずが掚理小説に察する関心ずいうものに繋がっおいったず思うんですね。ですけど掚理小説の評論をやるずいっおも、少なくずも私が始めた頃は、党くコマヌシャルベヌスにのるものではなかったですね。
     掚理評論が少しは経枈的な意味で採算が取れるようになったのは昭和五〇幎代以降じゃないでしょうか、そんな気がしたすね。ずいうのは、文庫本が非垞に倚く出始めお、解説だずか、新聞の曞評欄などが拡充され出したのが、遅いずころでは、昭和六〇幎代にかけおでしたね。そういうわけですから、それたでの昭和䞉五幎から䞀五幎くらいの間は完党持ち出しだったわけですよ。最近では、掚理評論をやっおいる新保博久さんずか、山前譲さんなどがおりたすけれども、生掻が物凄く楜ずいうこずではないずいうのが実態ですね。ただ、それだけで食べられる時代がきたずいうのは、むしろ驚きですね、ちょっず話が脱線したしたけどね。
    䞭略
    玀田 私は暩田さんが「感傷の効甚」※ 公募評論賞受賞䜜である、レむモンド・チャンドラヌ論を、お曞きになった昭和䞉五、六幎ころ、あの時代のこずは昚日のように芚えおいたすね。今からは考えられもしない時代だったんですね。同人誌的ずいっおは、圓時の読者には申し蚳ないんですが、私はそういう気持ちで曞かせおもらっおたんですよ。圓時、虎ノ門に『宝石』の線集郚がありたしお䞀䞀。
    暩田 いやいやあそこも思い出がありたすよね。
    玀田 電灯の぀いおいない穎蔵のような暗い階段があっお、その階段の手すりを持぀ず向こうに泳ぐんですね、危ない階段だなず思っお䞊っおいっお、線集長に䌚っお雑談をしお垰っおくる。『ヒッチコックマガゞン』ずいう雑誌にもコラムを曞いたり  。
    暩田 小林信圊氏が線集長やっおたしたね。埌に䜜家になりたすけども䞀䞀。
    玀田 ほんの時たた、今原皿料が出おいるからず蚀っお、小切手をくれるんですよ。小切手なんお圓おにしお行っおいるわけじゃないから、貰うこずに違和感を抱いおいたこずさえあったな䞀䞀。
    暩田 ただ戊埌の掚理専門誌の『宝石』、戊前の『新青幎』、それから島厎博さんの『幻圱城』、この䞉぀の雑誌ずいうのは䜕ず蚀っおも日本の探偵小説、掚理小説を語る堎合に名前を忘れるわけにはいかない。そういう意味でやはり私は文孊の瀟䌚孊ずいうのかな、芁するにいろいろなゞャンルを育おるものずしお出版ゞャヌナリズムの存圚が実に倧きいず思いたすね、今はもう掚理小説の研究評論を茉せる堎ずいうのはほずんど皆無ですね。
    『文芞』、『文孊界』、『新朮』ずか、『矀像』、こういうもの※ 玔文孊誌が創䜜ず䞊んで研究評論ずいうものが茉るし、賞も䞎えおいるわけだけだけど、゚ンタヌテむンメントの雑誌では批評ずいうものはやらなくなっおしたった。 解説ず玹介ずいうようなものが軞であっお、掚理小説を研究する堎所ずいうのがすごくなくなっちゃっおいる様な気がするんですよね。
    玀田 たた以前の評論研究の角床や䞻題ずいうものは、珟圚の掚理小説の状況では圓おはめにくいですね。
     䟋えば、類別トリック集成のようなものが考えられたすけれども、珟状ではトリックの独創性その他がどうもあたりみられなくなっおいるから、そこたで情熱を燃やしお集成するのは難しいし、かりに出来たずしおもデヌタベヌス的なものになりたすよね。そうするず評論の本質から倖れおしたう。その他、瀟䌚的、文明的な䞻題を探そうずしおもあたりにもその倧衆珟象ずしおの掚理小説になっおしたっおいるから網のかけ方がちょっず戞惑うずいいたすか、玔粋な文孊的衚珟になりにくいずいう蚳ですよね。
    暩田 おっしゃる通りですね。いたの日本の掚理小説のブヌムは、赀川次郎、西村京倪郎、内田康倫ずいうベストセラヌ䜜家に象城されおいるわけですが、本圓に掚理小説の奜きな人は、たた別の䜜家の䜜品を読んでいるずころがある。
     日本のベストセラヌ䜜家はそれなりにミステリヌの愛奜者を拡倧した功瞟があるわけですけど、問題は新人䜜家などの扱いですね。この点アメリカず日本の出版ゞャヌナリズムの構造ずいうのは違うんじゃないかなずいう気がするんです。向こうの出版ゞャヌナリズムずいうのはハヌドカバヌで出版する堎合、゚ヌゞェントがシビアですよね。それで売れるずわかるず、今床本圓に䞀〇䞇ずか䞀〇〇䞇ずかいう単䜍でペヌパヌバックを出すずか、映画化暩をずるずいうような手続きになる。これは蚀葉の問題で、囜際的に読者局が広いからずいうようなこずもあるんでしょうけれど、そういう䜓制になっおいく。しかしそこたで出おいくのが非垞に倧倉で、いわゆるフルタむムラむタヌ※ 専業䜜家ずいうのが少ないず思うんですね。ずころが日本じゃね、䞀冊䜕凊かで曞いたらもうすぐにマガゞンラむタヌ※ 雑誌連茉持ち䜜家ずいうこずで食っおいけるような状態になっおいる。それほど生掻レベルが高いずたではいかなくおも䞀䞀。そこで䜜品のレベルずいう問題がやはりある様な気がしたすよね。
    玀田 こういう䞖界に入っおくるずいう、入り口の所で、あたりトレヌニングが行われおいないずいうこずを、感じるこずがありたすよね。今売れおいる䜜家の䞭にも、最初の䜜品は非垞に文章的に問題があったり密床が䜎かったりするこずがある。曞いおいるうちにややよくなっおくるずいうのはそれだけ苊心もされるでしょうし、線集郚の方でも手を入れるなどしおいるからです。しかし、昔はいろんな意味でもトレヌニング堎があったず思うんですよ。デビュヌするたでが倧倉だったから、それたでの間に蓄積したず思うんですね。
     蒌井雄の『船富家の惚劇』など、本質的にはアマチュアの䜜品ですよね。圓時はだいぶ文章を幌いずか蚀われたけれども、今から芋ればかなりこれはよく曞けおいる。
    暩田 本圓ですよ、私もそう思いたす。私は最近぀くづくず思うんですけども、江戞川乱歩ずか、倢野久䜜だずか、小栗虫倪郎だずか、そういう䜜家は、自分の䞖界、スタむルをもっおいお、それはもう本圓に自分の生き方ず切り離せないものずしおあったず思うんですよ。だから乱歩が鳥矜の造船所に勀めおいた時に、抌入れに入っちゃっお、呌びにきおも䌚瀟に行かなかったわけですね。そういう生掻をしおいお、『屋根裏の散歩者』ずか、䞀぀の閉所愛奜ずいうのかな、そういう嗜奜が䜜品の䞭に入ったり、圌の人間ずしおの本質ずいうようなものが䜜品の䞭にはっきりず際立った圢ずしお出おくるず思うんですね。
     そういう特城は文芞評論ずしお捉えうる芁玠が非垞に匷いず思いたすよ。だからそういうものがあったから逆に蚀うず戊前の探偵䜜家ずいうのは、割ず論じやすい郚分があったんじゃないかず思う蚳です。江戞川乱歩ずいう人は谷厎最䞀郎ずか、宇野浩二などの圱響を匷く受けおいるし、暪溝正史も谷厎、宇野らの圱響を受けたず蚀っおたすね。䞀番倧きいのは谷厎最䞀郎の存圚だろうね。乱歩にしおも暪溝にしおも自分の奜きな䜜家ずか、他の䜜家の文孊的なものを自分の䞭に取り蟌みながら自分の䞖界を䜜っおいった。そういう確固たるものを持った䜜家が今残っおいるんだず思うんですよね。
     今ブヌムの担い手である䜜家が、これからどのくらい読み継がれおいくんだろうず、ふず思うずきがありたすね。甲賀䞉郎なども、昔は随分読たれたず思うんですけど、戊埌はほずんど読たれおいたせんね。やはり、文孊的な芁玠があっお、掚理小説も読み継がれるんじゃないでしょうか。』

    P322〜325、玀田順䞀郎・暩田萬治「察談「探偵小説」の時代」より

    このやり取りの䞭では、いく぀かの問題提起がなされおいる。

    たず、ここでわかるのは「小説家にしろ評論家にしろ、それを曞くこず自䜓が喜びだから、専業䜜家にはなれなくおも、喜んで曞いおいた」ずいう事実である。

    それが、高床経枈成長埌の文庫本ブヌムなどによっお、小説家も評論家も、にわかに食えるようになった。評論家の方は、それで悠々自適ずたでは蚀えないにしおも、ひずたず「専業䜜家」になるこずが可胜になった。䞀䞀これが、色々な意味で「倧きい」ずいう話だ。

    今の若い人は、あたりよく知らないかもしれないが、玀田順䞀郎ずいう人は、ミステリはもずより、恐怖小説ホラヌや、SFを含む幻想文孊、それから広く曞物や出版物に぀いおの該博な知識においお、本圓にあちこちで芋かける連茉を持っおいた「評論家」であった。

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    玀田順䞀郎

    しかし、そんな人ですら、最初は『同人誌』に曞くノリで原皿を曞いおいた。぀たり、原皿料をもらうなんおこずは念頭になく、ただ「奜きだから曞く」ずいう気持ちで曞いおいたのだ。
    たただからこそ、たたに原皿料がもらえるず、なんだか『違和感を抱いおいたこずさえあった』のである。「曞かせおもらえ、それが雑誌掲茉されお、広く読んでもらえるだけでありがたいこずなのに、そのうえ原皿料をもらえるなんお、なんだか申し蚳ないな 」ずいう感芚だったずいうが、私には容易に掚察できる。

    だが、そういう「アマチュアリズム」に立っおいたからこそ、圌らは「出し惜しみ」するずいうような「ケチな」ずころはなかった。
    ずにかく、人に読んでもらえ、感心しおもらえれば、それが玔粋に「うれしかった」から、圌らは、原皿料が安くおも、時には原皿料が出なくおも、だからずいっお「手を抜く」ずいうようなこずはなかったのである。

    ずころが、今はどうであろうか

    今では、「远悌文集」に寄せる文章でさえ、平気で原皿料を受けずっお恥じない時代なのである。
    「俺はプロの物曞きなんだから、圓然だろう」ずいうわけだ。

    私も䜕床か玹介しおいるように、この察談が行われた時代30幎匱前ずは違っお、「出版䞍況」の珟圚は「冊本を出したら雑誌連茉が持おる」などずいう、甘い時代ではなくなっおしたった。
    蚀い換えれば「デビュヌするこずはできおも、䜜家を続けおいくこずは困難な時代」になっおいる。

    私がレビュヌを曞いた、吉田芪叞『䜜家で億は皌げたせん』や、平山瑞穂『゚ンタメ小説家の倱敗孊 「売れなければ終わり」の修矅の道』で、くどいくらいに語られおいるのは「䜜家ずいうのは、基本的に儲かる仕事ではないし、苊劎の倚い仕事で、決しお楜でもなければ楜しいばかりでもないから、そんなむメヌゞを持っおいるのなら、それを改めなければならない。その䞊で、それでも䜜家になりたいずいうのなら、芚悟を持っおおなりなさい」ずいう助蚀である。

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    しかし、こういう「助蚀」がくどいくらいになされるずいうのは、それだけ倚くの人が「䜜家文筆業者」ずいうものに「倢の職業」的なむメヌゞを抱いおいるずいうこずであり、なぜそうなるのかずいえば、ひず぀には「玠人さんは、華やかな偎面しか芋ない」ずいうこずがあろう。
    ぀たり、最近の話題で蚀えば、ゞャニヌズ事務所所属の人気タレントの華やかな掻躍の郚分は芋おも、ずいぶん昔から蚀われた「ゞャニヌさんに尻を掘られる」ずいった偎面からは、あえお目をそらす、ずいったようなこずだ。

    だがたた、そればかりではなく、䞊の察談で語られおいるずおり、バブル期ぞず向かう経枈的奜況によっお、出版業界も「冊本を出したら連茉が持おる」くらいに、䞀時は盛り䞊がっおいたずいう事実があり、その頃のむメヌゞがいただに残っおいるずいうこずだ。

    䟋えば、いったんは豊かになった経隓を持぀日本においおは、䜜家䞀人を売り出す宣䌝するにしおも、「有名䜜家だが貧乏」ずいうこずでは売りにくいから、たいした皌ぎはなくおも「䜜家先生」らしい、たいそう立掟そうなむメヌゞで宣䌝をするこずになる。
    たた、䜜家の方も、そういうむメヌゞを持っお䜜家になったので、䜜家になった自身の珟実は、そんな立掟なものではなくおも、意地でも芋栄を匵っお「䜜家先生」らしい「むメヌゞ」を保ずうずするだろう。
    䜜品自䜓は倧したこずなくおも、「䜜家である」ずいう事実を持っお「人々の矚望の的でありたい」ずいう「欲望」くらいは満たしたいのである。

    だが、そうしたこずが盞たっお、実際には、倚くの䜜家が「平均的サラリヌマン以䞋」の収入しかないにも関わらず、なんずなく「それなりに皌いでいお、しかも矚望の的でもある」ずいう、虚構のむメヌゞが流垃されおしたう。
    その結果、倚くの人が「専業䜜家」ずいうものの珟実を知らないたた、それに憧れおしたうずいう事態が再生産されお、今に続いおいるのだ。

    だが、こうした問題は、䜕も「䜜家の埅遇」問題で枈むこずではない。
    むしろそちらは、前述のずおり「圓人の芚悟」の問題だから、倧した問題ではないずも蚀えるのだが、真の問題は、そのように䜜家文筆業者ずいうものが「実態を欠いた虚業」ずなっおしたったがために、小説家であれ、評論家であれ、ラむタヌであれ、圌らの倚くは、その「肩曞き」に固執するしかなくなり、「䜜家的良心」を倱うこずになっおしたっおいる、ずいう珟実なのである。

    ぀たり、昔のように、最初から「金にはならない」ず分かったうえで、それでも「奜きだから」ず思っお曞いおいる人は、損埗抜きで䞀生懞呜に曞くかわりに「曞きたくないこずは曞かない」ずいう矜持を持っおいた。
    倧切なのは「曞きたいこずを曞くこず」であっお「専業䜜家であるこず」ではない。そんなものには、倧した魅力を感じないし、䟡倀もおいおいなかったのである。

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    ずころが珟圚は、「専業䜜家」であるこずの方に䟡倀をおいおいるから、「売れるためなら䜕でもする」「魂だっお売る」のが「プロの䜜家」だずいうこずになっおしたった。
    したがっお、自ずずその文章は『自分の䞖界、スタむルをもっおいお、それはもう本圓に自分の生き方ず切り離せないもの』になっおいる、ずいったようなものではなくならざるを埗なくなったのだ。

    ずにかく「泚文に応じお」「曞きたくないこずでも曞く」こずで「専業䜜家」であり続け、自身の存圚䟡倀を固守しおいるのだから、「文章䞊ではご立掟なこずを曞いおいおも、それは実の䌎わない綺麗事であり、嘘でしかない」ずいうこずになっおしたう。
    だからこそ、それを読たされた方も「なるほど、そのずおりですね」ずは思っおも、そこに「胞を打぀力や熱さ」のようなものを感じるこずができなくなっおしたう。

    玔文孊であろうず、゚ンタメ小説であろうず、それはたったく同じこずで、倖芋䞊は「それらしい圢」をずっおはいるけれども、そこに曞かれおいるのは、所詮「筆先䞉寞の小理屈」でしかなく『本圓に自分の生き方ず切り離せないもの』なんおものではないから、読者の方も、その圢匏を確認し、その衚面を搔いなでにしお消費するだけになっおしたうのである。

    ぀たり、今の「䜜家文筆家」の倚くがダメになっおしたったのは、「出版䞍況」のために「保身に走った」からではなく、じ぀は、業界総䜓ずしお、いったんは甘い汁を吞っお「莅沢ず芋栄を身に぀けた」その䞊で、今ではそれを、実質的に倱いかけおいるからこそ、かえっおそれにすがり぀いおいる未緎のため、ずでも蚀うべきなのである。

    蚀い換えれば、玔文孊であれ゚ンタメ倧衆文孊であれ、それだけで「食う」のは難しくずも、「奜きだから」それをやっおいたずいう「アマチュアリズム」の時代であったなら、「䜜家であるこず自䜓」は、倧した意味も䟡倀も持ち埗なかった。むしろ「ダクザな家業」だずさえ芋られおいたのだ。

    だから、そんな圌らにずっお重芁なのは、「良い䜜品を曞く残す」こずだったのであり、その劚げずなるような「金儲けや瀟䌚的地䜍ぞの固執」などずいうものはなかったし、それに固執するこずは、むしろ恥ずべきこずだった。
    そうした姿勢を、圌らは「䜜家的良心あるいは、筆極道など」ず呌んだのである。

    䟋えば、本曞でも、玹介されおいるように、江戞川乱歩の代衚䜜は、初期の短線に集䞭しおいる。そしお、そういう時期の乱歩は「専業䜜家」ではあり埗なかった。

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    江戞川乱歩

    だが、いったん人気が出お、原皿䟝頌が次々ず舞い蟌んでくるず、乱歩はその泚文に応じるこずができなくお、姿を暗たすこずたでする。
    これは「ずおもそんなペヌスでは、これたでのような、自分でも玍埗できる䜜品など、曞けるわけがない」ずいうこずを、乱歩自身がよく知っおいたからで、圌の「䜜家的良心」ずしお、そこから逃げ出さざるを埗なかったずいうこずなのだ。

    だが、奥さんに䞋宿を経営させ、その䞊がりで䜕ずかしようずしおも、そんなこずには限界がある。かずいっお、もずもず、いろんな職業を枡り歩いお、安定的な勀め人になんかなれなかった乱歩ずしおは、今曎、勀めに就くわけにもいかず、最埌は、節を屈しお「通俗長線」を曞き飛ばすこずになり、それがたた売れに売れたのだが、かえっおそのこずでも、自己嫌悪に苊したなければならなかったのである。

    ぀たり、江戞川乱歩ほどの偉倧な倩才䜜家であったずしおも、本意ではない䜜品を曞き飛ばしたこず、それでも売れっ子䜜家であったずいうこずは、むしろ恥ずべきこずでしかなく、そこたでしお「専業䜜家であり続けるこず」ずいうのは、困難なこずではあっおも、そもそも、そのこず自䜓には、意味や䟡倀など無いこず、人に自慢できないこず、だったのである。

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    映画化された『蜘蛛男』

    ずころが、今の時代には、「専業䜜家になれれば良い」「売れっ子になれれば良い」ずいうこずでしかない䜜家文筆業者が、むしろ「圓たり前」になっおしたっおいる。
    埌䞖に残らないどころか、幎ももたないような読み捚お䜜品であろうが、ひずたず「売れたもん勝ち売れれば官軍」ずいう、あたりにもさもしい心持ちの䜜家ばかりになっおいる。
    本曞で語られた「戊前の探偵小説家」たちが、今の状況を芋れば、いったいどのように思うこずだろう。

    無論、圌らの䞭にも、「専業䜜家」になったがために、初期䜜品以倖は、今やたったく芋向きもされなくなった䜜家が少なからずいる。
    乱歩のような「䜕を曞いおも、乱歩じるし」ずいったような、匷烈な個性を持った䜜家など「少数䟋倖」であり、それこそ奇跡的にしか存圚せず、かの小栗虫倪郎だっお、倧阪圭吉だっお、「通俗性を意識しだした」぀たり「広く売れお、専業䜜家ずしお食っおいくこずを意識した」途端に、か぀おの茝きを倱っおいったのである。

    だが、乱歩の「通俗長線」が、初期の傑䜜短線よりも「売れた」ずいう事実、あるいは、瀟䌚掟ミステリが「粗補濫造」されるこずによっお「瀟䌚掟ミステリブヌム」を成立させたずいう珟実は、決しお、過去のものではない。

    珟圚だっお、本圓に「新しいもの」を曞こうずするような䜜家なんおいないに等しいし、「自分にしか曞けないものを曞こう」ずするような䜜家なんお、ほがいない。
    芁は、「本圓に斬新だずか、個性的だずかいった䜜品は、売れないでしょう」ずいうこずなのだ。

    だから、誰も圌もが「瀟䌚掟ミステリ」が流行ったずいえば、それもどきを曞き、「新本栌ミステリ」が流行ったずいえば、倉な通で連続殺人が起こっお名探偵が登堎するような叙述トリックものを曞き、「ラノベ」が流行ったずいえば、そのノリを取り入れた結果、「特殊蚭定ミステリ」が流行るこずにもなる。

    「特殊蚭定ミステリ」ずいうのは、「ミステリ」や「SF」や「ファンタゞヌ」や「キャラクタヌ小説」などのゞャンル的芁玠を、矎味しいずこ取りで片っ端から取り蟌んだメタ・ゞャンルずしおの「ラノベ」から、その成果を逆茞入ものであり、そうした時代の趚勢から生たれたものなのである。

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    で、たた䞀䞀それが流行れば、猫も杓子も「特殊蚭定ミステリ」を曞く。
    綟蟻行人の「通」に止たらず、元来は、SFやファンタゞヌの舞台であったずころに、本栌ミステリの「ロゞック」を持ち蟌んで、いかに「目新しい舞台でミステリをやるか」ずいうのが、わかりやすい売りになっおしたう。

    ぀たり、これらの珟象は、結局のずころ「いた䜕が流行っおいるのか䜕が売れるか」ずいうこずでしかないのだ。

    「自分が曞きたいものなのか吊か」ずか「自分にしか曞けないものなのか吊か」なんおこずなど、もはや県䞭にはない、所詮はサラリヌマンでしかない線集者はもずより「専業䜜家であり続けるこず」自䜓に意矩を芋出しおいるような䜜家たちは、「優れた䜜品」よりも「売れる䜜品」を目指しお曞き、たた、そんな䜜品が、流行り物が奜きな「流行り物が面癜い」ず感じる皋床の胜力しかない「読者倧衆」に、それなりに売れおしたう。

    これは、乱歩の通俗䜜品が売れに売れたのず䌌たような状況だ。
    「䞀般倧衆」ずは、い぀の時代だっお、その皋床の審矎県しか持たないものでしかないし、「売れっ子䜜家」ずいうのも、その皋床の「䜜品」しか曞かない䜜家のこずなのだ。

    いた、『赀川次郎、西村京倪郎、内田康倫』が、いったいどれだけ売れおいるか、読たれおいるかを、少し考えおみればいい。
    圌らを銬鹿にするわけではないけれども、しかし、圌らの䜜品で、残る可胜性があるのは、せいぜい初期䜜品の数冊ほどであろうずいうのは、もはや衆目の䞀臎したずころであり、蚀い換えれば、ベストセラヌ䜜家になった埌の䜜品は、もはや誰も顧みるこずのないものになっおしたっおいる。

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    だから、珟圚、芥川賞や盎朚賞などを受賞し、「売れっ子䜜家」ずしお線集者や䞀般読者からチダホダされおいる䜜家も、10幎先、いや5幎先ですら、どうなっおいるか、たったく保蚌のかぎりではないし、たた、客芳的には、その皋床の䜜品しか曞いおいない、ずいうこずなのだ。
    所詮、圌らは、出版業界を「回す」ための「消費財」であり「燃料」に過ぎない。圌らや、圌らの䜜品自䜓が、埌䞖に残る必芁などないのである。

    しかし、そうしたこずの結果、䜜品点数だけはどんどん増えおいっおも、長くの残る䜜品はいっこうに曞かれないずいうこずになり、文孊の䞖界は貧困化を深めおいく。

    だが、それで、本圓にいいのだろうか こんな「粗補濫造の自転車操業」の䞭で曞かれる䜜品に、満足しおいおいいのだろうか。

    それで満足できる人は、道端に捚おおあるゎミでも䜕でも拟っお食べればいい。
    だが、私は、こず小説に関しおは「安かろう矎味かろう」では満足できないから、なんずか昔のような、『本圓に自分の生き方ず切り離せないもの』の衚珟された䜜品を読みたいし、そうした䜜品が生たれおほしいず思う。

    そしお、そのためにいた必芁なのは、「アマチュアリズム」の埩暩なのではないだろうか。
    「売れるため」ではなく「他にはない優れた䜜品を描きたい」から、損埗抜きで曞くずいう「アマチュアリズム」の埩暩である。

    それでなくおも、今は誰だっお、その䜜品をむンタヌネットにアップするこずができるのだから、「売れ筋」の䜜品ばかりではなく、「反時代的」に優れた䜜品が曞かれるならば、たずえ「専業䜜家」にはなれなくおも、その䜜品だけは、埌䞖に残すこずだっお、たんざら䞍可胜ずいうわけではないだろう。
    「売れ筋」ではなくおも、本圓にすごい䜜品なら、それを評䟡する人は必ず出おきお、それを䞖に出そうず思うものだからで、仮にその「発芋」が、䜜者の死埌になっおもである。

    以䞊曞いたこずは、無論「小説家」だけの話ではない。䞊の「察談」の時代ですら、すでに暩田萬治が、

    『゚ンタヌテむンメントの雑誌では批評ずいうものはやらなくなっおしたった。 解説ず玹介ずいうようなものが軞であっお、掚理小説を研究する堎所ずいうのがすごくなくなっちゃっおいる様な気がするんですよね。』

    ず蚀ったような状況だったのだから、たしお「出版䞍況の珟圚」ずなれば、なおさら「専業䜜家ずしおの批評家」などずいうものは成立しなくなっお、今ではそのかわりに「泚文どおりに䜕でも耒めあげる、倪錓持ちずしおのラむタヌ」たちが、その穎を埋めおいる。
    だが、これも近い将来、「チャットGPT」のようなAIが、ずっお倉わるこずになるだろう。その皋床のものだずいうこずである。

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    暩田萬治

    ずもあれ、もはや圌らには、暩田萬治や玀田順䞀郎が持っおいたような「ゞャンル小説ぞの無償の愛」などずいうものは無いし、読者に察する「誠実」ずしお「䜜品や䜜家の欠点は欠点ずしお、公正に指摘する」なんおいう「䜜家的良心」も、すでにしお倱われおいる、ず蚀っおいい。
    今の出版業界は、おおむね「停者や䞉流䜜家が、お互いに耒め合うこずで、なんずかその虚名を保っおいるだけの、匵子の虎」にすぎないず、そう蚀っおも良いだろう。

    そしお、その「悪圱響」は、これも「流行り物の猿真䌌」しかできないような「ど玠人」が、自分の文章で、少しでも「収益」を埗ようなんお考える「さもしい䞖界」ずしお、ここ「note」でも党面展開しおいる。

    曞きたいこずを曞くのではなく、「小銭皌ぎ」が可胜になるような、䞖間に迎合した流行り物の、自分を持たない文章を、「アマチュア」が「プロごっこ」ずしお、嬉々ずしお曞いおいるのである。
    䞀䞀これは、資本䞻矩的堕萜もここに極たれりずいう、恥ずべき「醜景」なのではないか。

    無論、本圓に生掻に困っおいお、小銭でも皌げるものなら皌ぎたいずいうような人たで貶そうずは思わない。
    だが、「文芞の歎史」に泥を塗るだけでしかない「ど玠人の専業䜜家ごっこ」に察しおは、嫌悪以倖の䜕ものも感じ埗ない。

    映画にもなった『䞉䞁目の倕日』ではないが、私は䜕も「昔は、貧しかったけれど、心は豊かだった」などず、こずさらに「過去」を矎化しようずは思わない。

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    しかし、なたじ「経枈倧囜」であるこずを経隓しお、ピノキオの錻を高々ず䌞ばしたために、私たち日本人は「金では買えない」倚くのものを、倱っおしたったのではないだろうか。

    そしお、そうしお倱ったものが、本曞の䞭では「反時代的な暗い光」を攟っおいるのではないか。

    いったんは莅沢を知り「瀟䌚的承認を埗お、チダホダされる快感」を知っおしたった私たちは、もう、か぀おのような、぀たり、「戊前の探偵小説家」のような、「初期の江戞川乱歩」のような、「同人誌気分で原皿を曞いおいた玀田順䞀郎」のような、あるいは「持ち出しで原皿を曞いおいた暩田萬治」のような気持ちで、愛するもののために「無償の愛」を捧げるこずが、出来なくなっおしたったのではないだろうか。䞀䞀今の私たちに䜜れるのは、ただ「商品」だけ、になっおしたったのではないか。

    最初の方でも曞いたずおり、私は、本曞の著者である暩田萬治を、「批評家」ずしおは、さほど高く評䟡しおはいない。
    けれども、圌の「ミステリ」に察する「誠実」な向き合い方は、もう今では芋るこずのできなくなった「皀有な宝石」ずしお、その点においお、高く評䟡したいず思わずにはいられないのである。

    われわれはもはや、深海魚のささやかな茝きさえ、倱っおしたったのであろうか


    2023幎5月28日

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