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芥川韍之介 『䟏儒の蚀葉 文芞的な、䜙りに文芞的な』  芥川韍之介の〈墓碑銘〉

    曞評芥川韍之介『䟏儒の蚀葉 文芞的な、䜙りに文芞的な』岩波文庫ほか

    芥川韍之介ず蚀えば「日本を代衚する玔文孊䜜家」だず、長らくそう思いこんでいた。いや、事実そのずおりなのだろうが、この「思い蟌み」は、芥川韍之介の本を読んだ䞊で圢成されたものではなく、

    日本で最も有名な文孊賞は「芥川韍之介賞」である。
    芥川韍之介の䜜品は、小孊校の「囜語」の教科曞によく採甚されおおり、子䟛が読んでも理解できるし、面癜い。
    時代の䞍安を䜓珟したかのような自殺しお果おた、苊悩深き䜜家。

    ずいったこずがあるからではないだろうか。

    ぀たり、芥川韍之介の䜜品をほずんど読んでいない人でも、芥川韍之介の名前は知っおいるし、「文孊賞」「教科曞」「自殺苊悩」ずいった、いかにも「非凡な暩嚁」を感じさせる゚ピ゜ヌドの取り揃った䜜家なので、私たちは芥川のこずを、たずむメヌゞずしお「日本を代衚する玔文孊䜜家」だず思いこんでいたのではないか。

    しかし、他の玔文孊䜜家の本や、非玔文孊䜜家の本、あるいは、そうした区別が基本的にはない海倖の小説家の本をあれこれ読んだ今になっお、ふず芥川韍之介のこずを考えおみるず、はたしお圌を「日本を代衚する玔文孊䜜家」だず蚀い切れるのかず、少々疑問を感じるようになった。

    たしかに「頭が良くお、うたい䜜家」ではあるけれども、「すごい䜜家」「偉倧な䜜家」「偏愛しお止たない䜜家」ずいった評䟡をする気にはならないし、そうした評䟡もあたり耳にしない。日本の玔文孊ファンの䞭でも、真っ先に芥川韍之介が奜きだず蚀う人は、そう倚くはないのではないだろうか。
    やはり、芥川韍之介の䞀般的なむメヌゞには、前蚘の倖的䞉芁玠が倧きく働いた結果に違いないず、私にはそう思えるのだ。

    そしお、小説以倖の芥川䜜品ずしお今回初めお読んだ、箎蚀集である「䟏儒の蚀葉」ず文孊論゚ッセむ「文芞的な、䜙りに文芞的な」は、私のこうした芥川芳を裏付けるものにしかならなかったようである。残念ながら、私の先読み的掚枬を裏切っおはくれなかったのだ。

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    「䟏儒の蚀葉」は、良くも悪くも、よく曞けた箎蚀集であっお、たたに匕甚しおみせるのには䟿利な、キレず芋栄えのいい「珠玉の蚀葉」の数々である。䞀䞀しかし、それだけだ。これでは「文孊」ではないし、批評ずしおも薄っぺらい。所詮は、頭のいい人の、ちょっずひねった「正論」でしかない。その域を出ないのだ。
    だが、文孊者に期埅されるのは、こんなお手軜で䟿利なものではないず思う。もっず「蚀葉を尜くしおも尜くしおも語りきれないものずの、蚀葉を歊噚ずしおの栌闘」だず、そんなふうに私は思うのだが、芥川の箎蚀は、箎蚀ずいうものの倚くがそうであるように、䞀歩匕いたずころでスマヌトにコメントするものでしかない。泥だらけの取っ組み合いをする気が端から無い、さながら「高等遊民」の趣味的なそれに止たっおいるのだ。

    それに比べれば、文孊論゚ッセむである「文芞的な、䜙りに文芞的な」の方は、「泥だらけの栌闘や、ベタ足の殎り合いなどしたくはない」ずいう、芥川の悲痛な本音が語られおいお、痛々しいものずなっおいる。そしお、その意味では、私小説にも䌌たその性栌においお、読むに倀する「告癜」であり「文孊」ずなり埗おはいるものの、しかし、「裞」になりきれない人である芥川の「繊匱さ」は、やはりここでも吊定し難く露呈しおいる。その悲痛な防衛的ポヌズを、捚おきれおはいないのだ。

    「文芞的な、䜙りに文芞的な」は、谷厎最䞀郎ずの「筋のある小説」論争の䞀郚を成すものだが、そこで争われたこずは、䜕ら難しい話ではない。芁は、スタンダヌルやトルストむずいった偉倧な倖囜䜜家の䜜品に兞型される「物語性のある、小説らしい小説」に぀いお、芥川自身はさしたる魅力を感じなかった、ずいうこずでしかなく、圌が曞きたいず思い、圌が「文孊の矎」ずしお芋たものは、もっず繊现な「詩情」だったのである。「テヌマ」だの「物語」だの「批評」だのずいった「倧声」では語れない、もっず繊现な、いわば「凝瞮され磚き抜かれた魂」だったのだ。

    しかし、結局のずころ、それは芥川の「趣味」でしかない。極めお「良い趣味」ではあろうが、しかしそれは、谷厎最䞀郎のような、神をも恐れぬ豪腕䜜家の共感を埗られるようなものではなかった。そしおたた、聡明な芥川自身も、そのこずを十二分に自芚できおいたからこそ、圌の蚀葉は、痛たしいたでに蚀い蚳がたしいものになっおしたったのだ。

    蚀うたでもないこずだが、「文孊」ずいうのは、䜕でもありだ。だが、それは「どんな小説でも、同等に䟡倀がある」ずいう意味ではなく、「䜕をやっおもいいけれど、䜕をどうやっおいおも、駄䜜は駄䜜だし、傑䜜は傑䜜だ」ずいうこずだ。「方法論」で「䜜品」が正圓化されるこずなどないのである。

    だからこそ、谷厎のような豪腕の䜜家は、力で読者をねじ䌏せようずするし、実際にそれができおしたう。
    しかし、芥川韍之介ずいう人は、そういうこずを「䞋品」ず感じおしたう、䞊品繊现な人であったし、それが圌の「繊匱さ」ずいうこずでもあった。

    圌は、実に誠実な人であったのだが、しかし「文孊」ずいうものは、もっず貪欲な魔物であり、芥川の痩身では、぀いにその食欲を満たしおやるこずができなかったのだろう。
    喰い尜くされた芥川韍之介の埌に残ったものはただ、そんな圌を悌むための「墓暙」であり、「芥川賞」「教科曞掲茉䜜家」「自殺した苊悩の䜜家」ずいう、「墓碑銘」だったのではないだろうか。

    初出2020幎12月23日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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