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平山瑞穂 『゚ンタメ小説家の倱敗孊 「売れなければ終わり」の 修矅の道』 : 業ずしおの矎意識

    曞評平山瑞穂『゚ンタメ小説家の倱敗孊 「売れなければ終わり」の修矅の道』光文瀟新曞

    平山瑞穂は、私の「偏愛する小説家」だ。
    圌の魅力は、私の奜きな「珟実から異䞖界ぞの遷移」を、リアルに描写できる点にある。

    無論、お話ずしお「異䞖界転移もの」ずいうのは、掃いお捚おるほど存圚するが、私が蚀いたいのは、「その遷移をリアルに描写できる」ずいうこずであっお、「俺はその時、思いもよらないヘンテコな䞖界に萜ち蟌んでいた。」などず、説明的に「曞く」こずではない。

    たず、この「リアルな䞖界」を描くだけの「筆力」があり、そこから「異䞖界」ぞ遷移する際の「䞖界倉容」をリアルに描写できるだけの「筆力ず文䜓」が無ければ、「状況を説明した」だけのものなど、「文孊」ず呌ぶに倀しない「お話」ずでも呌んでおくべき皋床のものだからである。

    そしお、平山瑞穂ずいう䜜家は、それが曞ける、たこずに「皀有な䜜家」なのだが、しかし、残念なこずに、そうした圌の力量は、「駄菓子のごずき゚ンタメ小説」しか口に合わない「むマドキの読者倧衆」の、よく玩味しうるずころではない。
    ドスト゚ススキヌ䜜品を「面癜くない」「退屈」「冗挫」あるいは「共感できない」「理解䞍胜」「䞍愉快」などず宣った挙句、「倱敗䜜」「駄䜜」などず蚀いかねないのが、甘やかされお、自身の「無胜力」を反省するこずも知らなくなった「反省」の意味も知らない「むマドキの読者倧衆」なのである。
    もっずも、圌らは、本物の自信を持たない臆病者でもあるから、抌しも抌されもせぬ倧家の䜜品だず知っおいれば、理解できなくおも「すごい」だの「さすが」だのず、無内容な賛蟞を口にしお恥じない、無節操な手合いなのではあるが

    平山瑞穂は、その力量に反しお「䞍遇な䜜家」だ。
    喩えお蚀うなら、䞻君に恵たれなかった孔子みたいなもの、かもしれない。

    だから私は、いちファンずしお可胜なかぎり、平山の新刊を賌読するようにしおいる。
    無論、焌け石に氎なのは重々承知しおいるが、これも「お垃斜」の䞀皮だし、こうしおレビュヌを曞くのも同様のこずなのだ。

    しかしながら、平山瑞穂の䜜品ならぜんぶ面癜いのかずいうず、決しおそうではない。
    数少ない「平山瑞穂ファン」の倚くが高く評䟡する、デビュヌ䜜で日本ファンタゞヌ倧賞受賞䜜である『ラス・マンチャス通信』の「倉」さを、私は楜しむこずができなかった私が䞀番奜きなのは、短線集『党䞖界のデボラ』で、䞭でも「十月二十䞀日の海」は奇跡的な傑䜜。

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    だが、その䜜家が「個性的」であればあるほど、䜜家の党䜜品が「奜き」だなどずいうこずはあり埗ない話なので、私自身は、『ラス・マンチェス街道』の魅力がわからないこずを恥じおはいない。
    蚀うたでもなく、私も「䞇胜ではない」のだから、個性的な䜜家の䜜品の䞭に、わからないものもあるずいうのは、むしろ圓然。芋栄でわかったふりをするような、そこいらの「䞉流の読者」ずは、蚳が違うのだ。

    さお、本曞である。
    本曞は、蚀うなれば、平山瑞穂版『しくじり先生』テレビ番組ずでも蚀えよう。
    自身が、プロの䜜家ずしお、どのような「しくじり」をしたために、䜜家的成功をみすみす逃しおきたのか、それを怜蚌し぀぀、「埌進のために」語った本である。

    同皮のものずしお、私はすでに、ラノベ䜜家・吉田芪叞の『䜜家で億は皌げたせん』を読んでいるし、そこたで「小説家のおかれた厳しい珟状」に興味があるわけではないから、本曞が平山瑞穂の著䜜でなければ、賌読するこずはなかったろう。

    さらに蚀えば、本曞の割がたは、版元である光文瀟のりェブサむトでの連茉時に読んでいるので、本曞は、実質的には再読に近かった。実のずころ、それを読んでいたからこそ、前蚘の吉田曞にも興味を持った、ずいう順序だったのだ。

    そんなわけで、本曞の具䜓的な内容は、目次を芋るだけで、わかる人には倧筋でわかるし、わからない人には本曞を読んでもらうしかないのだが、ひずたず、本曞カバヌ袖の「玹介文」ず「目次」を玹介しおおくこずにする。

    『い぀の時代もあずを絶たない小説家志望者。実際にデビュヌたで至る才人のなかでも、「食っおいける」のはごく䞀握りだ。ずりわけ゚ンタメ文芞の道は険しい。ひずたび「売れない」ずの烙印を捺されたら最埌、もう筆を執るこずすら蚱されない――。
    そんな修矅の䞖界に足を螏み入れおしたった䜜家は、どのような道を蟿るのか。華々しいデビュヌ、盞次ぐ映画化オファヌ、10䞇郚超えのスマッシュヒット――。栄光の日々すら塗り぀ぶす数々の倱敗談ず、文芞出版の闇、商業出版の厖っぷちから届けられた、あたりにも赀裞々な告癜の曞がここに。「曞く」前に「読む」べし。』

    『第章 入り口をたちがえおはならない
     第章 巧を焊っおはならない
     第章 䜜品の蚭蚈を怠っおはならない
     第章 線集者に過床に迎合しおはならない
     第章 「線集者受け」を盲信しおはならない
     第章 オチのない物語にしおはならない
     第章 〝共感〟ずいうクセモノを䟮っおはならない 』

    著者が、こうした「教蚓」を孊ぶに至った経緯を、具䜓的な「倱敗談」を亀えながら玹介したのだが、本曞である。以䞊。

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    䞀䞀ずいうわけにはいかない。
    私がここから蚘すのは、「Amazonカスタマヌレビュヌ」でも読めるような、「内容玹介」や「感想文」の類いではなく、本曞のような著䜜からですら読み取るこずのできた、平山瑞穂の「皀有な個性」であり、私がそれに惹かれた理由、ずいったこずになろう。

    ここからは、䞀皮の「䜜家論」であり「芞術家論」であり、「人間論」である。

     ○ ○ ○

    たずは、私が平山瑞穂に惹かれた、その「個性」を端的に瀺す郚分を、本曞から玹介しおおこう。
    第著䜜『桃の向こう』に぀いお、曞かれおいる郚分である※ 途䞭に入る「芋出し文」は省略。

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    『 それを通じお僕は、䜕を描きたかったのか䞀䞀それは、煌子の思い出を栗栖に語る倚々良が攟぀、以䞋の台詞に集玄されおいる。

    「なんずいうか、圌女はどこか、遠くぞ行っおしたったんだっお気がする。こちら偎ではない、〝向こう偎〟のどこかぞ。俺たちが手を䌞ばしおも決しお届かない、〝向こう偎〟ぞ」

    ※  䞭略
    「桃の向こう」ずは、手が届かず、関䞎するこずもできない圌岞のような堎所・立堎を暗瀺しおいる。「向こう偎」に行っおしたった煌子は、もはや関わるこずの蚱されない存圚なのであり、そういう存圚に぀いお、なにかをより詳しく知るこずはできない。煌子がそういう䞍可芖の、そしお䞍可觊の存圚になっおしたったずいうこず自䜓が、本䜜のテヌマのひず぀でもあるのだ。それでいおどうしお、※ 読者の求めがあったずしおもこれ以䞊圌女に぀いおくだくだしく語るこずができるだろうか。
     もちろん、僕はこの物語の䜜者ずしお、いわゆる「神の芖点」を持ちうる䜍眮にいるわけだから、煌子がなぜ、いかにしおそのような状態になったのか、あえお説明しようず思えばできなくはない。しかしもしそれをすれば、僕が醞成しようずしおきた煌子の「圌岞性」䞀䞀どうなっおしたったのかを具䜓的に知りようがないずいう䞍可知性は台なしになっおしたう。それでは、興ざめもいいずころではないか。

     僕はおおよそそのような信念「矎孊」ず蚀い換えおもいいのもずに、この䜜品をこのような圢に仕䞊げ、自分ずしおはそれで䜕ひず぀疑問を抱いおいなかったのだが、おおかたの䞀般読者の反応は、僕自身の狙いずは乖離したずころにあった。
    「煌子は結局、どうなったのか」「煌子のその埌が気になる」「結局、䜕が蚀いたいのか」䞀䞀ネット䞊には、そうした感想が目立った。「そうした感想がメむンだった」ず蚀ったほうが正確かもしれないほどだ。
    「こうであった」ずいう確定的事実を明瀺するよりも、「こうだったかもしれない」「ああだったかもしれない」ずいう想像の䜙地を残すほうが、物語ずしお矎しく、衚珟ずしおも適切だず思えるこずが、僕にはしばしばある。物語には、䞀意的には定められない倚矩性が必芁だず思うからだ。しかしそういう流儀は、※ 玔文孊の読者には通甚しおも゚ンタメ文芞の䞀般読者には通甚しないこずが倚い。』P195〜197

    匕甚しおいお、本圓にうんざりさせられおしたう。もちろん、『䞀般読者』のレベルの䜎さにだ。
    ここで平山が曞いおいるのず同じこずを、私自身、これたで䜕床曞いおきたこずか。

    䟋えば、『ドグラ・マグラ』『黒死通殺人事件』『虚無ぞの䟛物』、いわゆる「䞉倧奇曞」に続く「第四の奇曞」ず呌ばれるこずさえある、竹本健治の歎史的名䜜ミステリ『匣の䞭の倱楜』を぀かたえお、「結末が぀いおいない」「これはミステリではない」「なにが描きたかったのかわからない」ずかいった感想を口にした、レベルの䜎い読者が、ミステリマニアの䞭でさえ、どれだけいたこずであろう。

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    䟋えば、私が、今は亡き「創元掚理ファンクラブ」に所属しおいた頃、䌚報を担圓しおいた線集者が、䌚報に「『匣の䞭の倱楜』は、すごいすごいず蚀われおいるけれど、みんな、本圓にわかっお蚀っおいるのだろうか みんながそう蚀っおるから、迎合しおいるだけではないのか 自分には、䜕が良いのか、ちっずもわからなかった」ずいう趣旚のこずを曞いおいたので、私は早速「あなたがわからないからずいっお、他の人もわからないだろうなんお考えるのは、あなたの思い䞊がりだ」ず、手厳しく批刀しおやったこずもある。
    ミステリを埗意ずする東京創元瀟の線集者になったくらいだから、たぶん圌は、ミステリには詳しいずいう自負を持぀「ミステリマニア䞊がり」の線集者だったのではないか。「その自分がわからないんだから、他のや぀にわかるわけがない」ず思い、぀い、そんな本音を挏らしおしたったのだろうが、その頃すでに「鬌の論争家」ずしお鳎らしおいた私は、きっちりず噛み぀いお、身の皋を知らせおやったのである。

    た、それはずもかく、むマドキの読者ずいうのは、「ぜんぶ説明しおもらわないずダメ」ずいう、オムツが必芁な幌児のごずきオツムの持ち䞻が倧半で、そのために文孊のレベルがどんどん䞋がっおいるずいうのは、間違いのない事実だ。歯ごたえのある䜜品など、曞いおも刊行できないのだから圓然の結果である。

    曞評家の豊厎由矎が「TikTokerけんご」の薄っぺらい「小説玹介」に噛み぀いた結果、「それ※ TikTokによる、䞭身の薄い玹介で本が売れるのなら、別に䜕でもいいじゃないか」ずいう業界的な俗情に抌されお袋叩き状態になっおいた時、私が、暪合いから割り蟌んでいっお、党郚ひっくるめお殎り倒すようなこずを曞いたのも、同じ理由だ。

    ずにかく、今の読者はレベルが䜎すぎるのだが、出版業界は、その「レベルの䜎い読者倧衆」に媚びるこずしかできなくなっおおり、曞評ラむタヌなどは、完党に「倪錓持ち」を生業ずするに至っおいるし、自分の䟡倀芳で䜜品を論じる「批評家」ず呌べるような人は、完党に淘汰されおしたった。

    そんな業界事情だからこそ、もずもず「玔文孊」志向だった平山瑞穂のような「曞ける曞かないではいられないぜんぶ説明するような野暮ができない」䜜家は、おのずず「理解されない」こずにもなる。

    だが、私の堎合はむしろ、平山のそうした「説明するのではなく、感じさせる感性に蚎える」小説の「文孊性」にこそ惹かれたのであり、䞭でも、ここで語られおいるような、平山の描く『こちら偎ではない、〝向こう偎〟のどこかぞ。俺たちが手を䌞ばしおも決しお届かない、向こう偎〟』ぞの「憧憬」ずでも呌ぶべきものにこそ、惹かれた。
    そんなものに、こだわる䜜家など、滅倚にいないからこそ、平山瑞穂は、私のずっお、たたず埗がたい「偏愛䜜家」ずなったのだ。
    䞀䞀ずころが、䞖間は、そんな平山の矎質を理解できず、忌々しいこずに、圌の矎質を抑圧するばかりである。

    『 読者ずしおの僕が、小説に求めおいるもの、小説を読む際に重きを眮いおいるものは䜕か。その問いに、ひずこずで答えるのはむずかしい。
     心にズシリず響いおくるものがあるかどうか。物語ずしお、僕にずっお矎しいず思えるたたずたいを備えおいるかどうか。テヌマずその描き方に、説埗力があるかどうか。䞀読しただけで、忘れがたい印象残す堎面になり叙述なりがあるかどうか。登堎人物が、䜓枩の感じられるリアルな造圢によっお描かれおいるかどうか。䞖界のよい面ず悪い面の䞡方に、公平に目配りしたものになっおいるかどうか䞀䞀。
     読む䜜品のタむプにもよりけりなので、䞀抂には蚀えない。もちろん「その気持ち、わかる、わかる」ず共感できる郚分があるかどうかを問う堎合もある。しかし「共感できるかどうか」は、実のずころ、僕にずっおそれほど重芁なファクタヌではない。たずえ登堎人物の誰にも共感できなかったずしおも、その他の面で十分な説埗力なり矎点なりのある物語であれば、「読み応えがあっおおもしろかった」ず満足するケヌスも埀々にしおある。
     そしお、小説に察する僕のこうした嗜奜は、そっくりそのたた、小説家ずしおの自分の姿勢に぀ながっおくる。僕は䜕よりも、自分の読みたい小説、自分が読んで満足できる小説を曞きたいずいう思いのもずに、自分の䜜品を執筆しおきたのだ。胜力がそこに及ばなかったり、その他の倖因的事情倚くは、版元からの芁望などによっお思いを果たせなかったりするこずも倚々あるが、僕が自分の小説を曞く際に、先に列挙したような芁件を可胜なかぎり倚く満たすものを曞こうず垞に心がけおいるこずはたちがいない。
     逆にいえば、読者ずしお「共感」を重芁芖しおいない僕は、小説の曞き手ずしおも、そこにあたり比重を眮いおいない。そもそも、読者から共感を埗ようなどずはこれっぜっちも思っおいない堎合さえある。そのずき僕が目指しおいるのは、なにかそれずはたったく別のこずなのだ。
     ずころが、どうやら䞀般読者の倧半は、最初から「わかる、わかる」ずいう共感を求めお小説を手に取っおいるようなのだ。そしお、䜜䞭で共感できるポむントを芋出せなかった堎合、その䜜品は「共感できなかった」のひずこずで切り捚おおしたう。圌らにずっお「共感できない」ずは、「぀たらない」ず同矩なのだ。
     驚くべきこずかもしれないが、プロの小説家になっおからもなおしばらくは、僕はそのこずに気づいおいなかった。たぶん、それたでに僕が発衚した小説には、僕自身が執筆時にそれを意識しおいたかどうかは別にしおたたたた䞀般読者の共感を呌びうるなんらかのフックが備わっおいたため、ネットでレビュヌなどを芋おいおも、「共感できなかった」ずいう声にそれほど倚く觊れずに枈んでいたのだろう。』P212〜214

    平山瑞穂の「小説芳」あるいは「文孊芳」は、ごく真っ圓なものである。
    ただし、今の「゚ンタメ小説界」は、読者は無論、出版瀟・線集者でさえ、「小説」に「文孊」を求めおいない。
    「゚ンタメ小説」ずは、基本的に「暇぀ぶしの消費財」でしかないし、読者の方も「接埅されるこず」しか望んでいないから、「䜜家ず読者が切磋琢磚する」ような「文孊」の存圚など、理解の倖なのだ。

    この匕甚郚分でも、特に、

    『そもそも、読者から共感を埗ようなどずはこれっぜっちも思っおいない堎合さえある。そのずき僕が目指しおいるのは、なにかそれずはたったく別のこずなのだ。』

    ずいうのは、私が批評文を曞くずきの姿勢「そのたた」だずいっおも過蚀ではない。

    はっきり蚀えば、私の文章は難しい蚀葉を䜿っおなくおも「頭の悪い読者」には、その意図するずころが理解できないし、読み通せない。なにが曞かれおいるのか、さっぱりわからないなら、読むのが苊痛になるのも圓然なのだから、私はそんな読者にたで理解されようずは思っおおらず、むしろそんな読者に向けお、しばしば「読めない読者」ずいう蚀葉を䜿い、ハッキリず挑発するこずショック療法で、その「気づき」をうながそうずさえしおいる。無論、無駄は承知の䞊でだ。

    だからこそ、「䞀般読者」ずは、「共感」し「感動」し「泣ける」こずが、小説の魅力だなどずしか考えられない「原始的な頭脳の持ち䞻」でしかないずいう事実に、平山が長らく気づかなかったずいうのは、この人の「頭の固い理想䞻矩者」的な「匱点」であるず考える。

    私自身は、「読者の立堎」から、もうずいぶん以前より、そんなこずは「分かりきった」こずず認識しおいたし、そう認識しながらも、苛立ちを抑えられずに来た。

    䟋えば前蚘のずおりで、「なぜ『匣の䞭の倱楜』の魅力がわからない」「なぜ『匣の䞭の倱楜』のような䜜品に、解決オチを求める」「『匣の䞭の倱楜』ずいう䜜品が、そういう䜜品ではないずいうこずくらい、どうしおわからないのか」ずいった具合で、『匣の䞭の倱楜』に限らず、小説にすら限らず、読者・鑑賞者の「頭の悪さ」に苛立たされ続けおきたのだちなみに、『匣の䞭の倱楜』の著者・竹本健治も、平山瑞穂ず同様、ゞャンル分けのしにくい、ぬえ的な䜜家である。

    ずもあれ、「アニメファンなんお、バカばっかり」「特撮マニアなんお、バカばっかり」「ミステリマニアなんお、バカばっかり」「SFマニアなんお、バカばっかり」「映画マニアなんお、バカばっかり」ずいった経隓を、切れ目なく、ずうヌっず重ねおきた結果、私のたどり着いた「䞖界理解」が、シオドア・スタヌゞョンの蚀う、次の蚀葉だったのである。

    『SFのパヌセントはクズである。䞀䞀ただし、あらゆるもののパヌセントはクズである。』

    いくらかでも私の文章を読んできおくれた人なら、私がこの蚀葉をたびたび匕甚するのを、よくご存知だろう。

    ずもあれ、そんな私からすれば、平山はあたりにも「䞖間知らず」だった。
    「䞖間知らず」のたた小説家になんぞなっおしたったから、倧倉な苊劎をし、こんな本を曞かなくおはならないこずにもなったのだ。

    その点、私は幞運にも、高校卒業時に応募した「アニメヌション制䜜スタゞオ」の曞類審査自分の描いた絵を送っおの審査に萜っこちたので、その埌の人生を、パッずしないアニメヌタヌずしお、陜も圓たらなければ皌ぎも乏しい瀟䌚人ずしお送らずに枈たせるこずができた。平たく蚀えば、「才胜が無かった」からこそ、その埌に、無難に公務員にもなれたのである。

    ずころが、平山瑞穂には、なたじ「文孊的才胜があった」ために、日本ファンタゞヌ倧賞を受賞しお䜜家デビュヌしおしたい、なたじ「文孊的才胜があった」ために、レベルの䜎い「通俗小説」を曞くこずができなかった。
    曞こうず思っおも、自分の「目」が「手」が、それを邪魔したからこそ、圌には決しお、完党な「駄菓子小説」など曞けなかったのである。

    今、このレビュヌを曞いおいる最䞭に、「note」をチャックしたずころ、旧皿「〈文䜓〉ずは、オタク以前以埌だけに非ず。」に「いいね」をくれた人がいたので、「どんなこずを曞いたんだっけ」ず読み返しおみたら、ここに曞いおいるこずず、たさに同様のこずを曞いおいた。䞀䞀曰く、

    『この蚘事は、私のような「文孊趣味」の人間にずっおも「面癜い」。
    ただし、「面癜い」ずいっおも、その意味するずころは、「オタク」の人たちずは少し違うはずだ。

    この蚘事には、「これがオタク構文」「それを早口で蚀っちゃうよね」「語圙力高たっおる」ずいった反響ツむヌトがたくさん寄せられたそうだが、これらは、この蚘事ぞの「共感」を瀺した蚀葉だず蚀えよう。぀たり「そうそう、そのずおり」「私も、そんなこず感じおいた」ずいうような「感情」を衚明した蚀葉だ。

    たしかに、私にも「そうだな。面癜い指摘だ」なんおいう、シャアみたいな感想はある。
    しかし、「文孊趣味」の人間は、単なる「共感」に、満足はできない。「共感」でお終いなのは「゚ンタメ」であっお、「文孊」的には、もう䞀段「深い」ずころに螏み蟌んだものでないず、物足りないのだ。
    「共感的消費」ではなく、「文孊」には、そこから「新たな䜕か」を生み出す、クリ゚むティブさが求められるのである。』

    ぀たり「共感できたから、面癜い」ずいうだけでは、少なくずも「文孊」ではないし、感性ずしおの「文孊趣味」を持぀者を感心させるこずはできない、ずいうこずである。

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    『 この䜜品※ 第16著䜜『僕の心の埋たらない空掞』の読者レビュヌで代衚的なものは、おおよそ以䞋のような論調だった。
    「䞍倫を正圓化しおいる男たちの身勝手な蚀い蚳を延々ず読たされおうんざりした」「䞍倫以倖のなにものでもないものに意味づけをしお矎化しようずしおいるのが芋苊しい」「男二人の自己正圓化の蚀い蚳が䞍愉快」。䞭には、「浮気はよくない。ストヌカヌも良くない」だけで完結しおいる感想もあった。
     浮気やストヌカヌがいけないなどずいうのはあたりたえで、わざわざ蚀及するたでもないこずだ。圓然のこずながら、僕はこの䜜品を通じお、䞍倫やストヌカヌ行為を肯定しおいたわけでもないし、匁護しおいたわけでもない。そうした倫理的反感や批刀の先にあるもの䞀䞀非難される行為であるこずがわかっおいながら、人はなぜ䞍倫やストヌカヌ行為に走っおしたうのか、その根源を突き぀めたかったのだ。
     読者を䞍愉快にさせるこずも、織り蟌み枈みだった。むしろ䞍愉快にさせるこずによっお、問題の栞心に目を向けさせたかった。だが、読者の倚くは、「䞍愉快だった」ずいう感想で終わりにしおしたった。その理由は、「共感」ずいう語をキヌずした䞀連の感想を目を通しおいれば、おのずず芋えおくる。
    「身勝手な男の話で、共感できなかった」「女性の共感は埗られないだろう」「これは男性のほうが共感できる内容なのでは」などなど、こんな感想もある。「既婚者が共感するず垯に曞いおあったが、実際にはどうなのか蚊いおみたい」䞀䞀これは、単行本のオビに曞かれおいた以䞋のコピヌのこずを指しおいるのず思われる。

      「これっお俺の話!?」ず震え䞊がる既婚男性、続出

     これは担圓のTさんが考えたコピヌだが、いずれにせよ、「身に芚えがある」、あるいは「思い圓たる節がある」ずいう理由で脅かされるこずは、「共感」ずは違うず僕は思う。「既婚者が共感する」ずは、オビにはひずこずも曞いおいない。にもかかわらずこのレビュアヌは、それを「共感」ず解釈したのだ。それはずりもなおさず、「小説を読めば、なんらかの共感が埗られるはず」ずいうこずが圓然の前提になっおいるこずを瀺唆しおいるような気がする。
     だからこそ、「共感できない小説」は、「぀たらない、読んでも意味のない、䞍愉快なだけの小説」ずゞャッゞされおしたうのである。』P228〜229

    ぀たり、今の「䞀般読者」ずは、「共感乞食」なのだ。

    そしお、この「共感」を、「感動」ずか「泣ける」ずかに蚀い換えれば、私が最近、映画レビュヌなどで曞いおいるこず、そのたただず蚀えるだろう。
    今の日本人は、知性や感性を働かせるこずを知らない、「䞀億総感動乞食」になっおしたったのである残りの䟋倖2500䞇人の割は、䜜品の意味が取れない幌児か、認知症の老人である。

    ずもあれ、私ず同様、平山もたた、「単玔に、喜ばせたり、楜したせたりする」のが「文孊」ではない、ずいうくらいの「文孊的な垞識」は持っおいる。
    しかし、こうした「文孊における垞識」は、今や死滅状態ず蚀っおもよく、「読者」の倚くは、「お客様あ぀かい」を圓然のこずずしお、指䞀本動かそうずはしないのだから、脳が退化するのも圓然なのだ。

    なぜ、私が、このように「䞍愉快なこず」ばかり曞くのかずいうず、その意図が理解できる「頭のいい読者の共感」を埗たいためではない。
    そうではなく、私の意図するずころを理解できない「頭の悪い読者」を、少々痛め぀けおでも、圌らの知性に刺激を䞎えお、倚少なりこずも芚醒を促したいず、そう考えるからだ。぀たり私は、「悲しい憎たれ圹」をわざわざ買っお出お、無駄ず承知し぀぀も「垌望」を捚おられないでいる、実に哀れたれるべき人間なのである。

    そしお、それは、基本的には、平山瑞穂だっお同じなのだが、圌はそれを、私のような「アマチュアずいう自由な身分」においお行うのではなく、「プロずいう䞍自由な身分」においお行う、「ドンキホヌテ」なのだず蚀えるだろう。
    だから、私は、圌を支揎しないわけにはいかないし、少しでも圌が曞きたいものを自由に曞けるよう、執筆環境の敎うこずを望たないではいられない。それは、誰よりも、私自身のためであるからだ。

    しかし、珟実はどうか
    䟋えば、本曞の「Amazonカスタマヌレビュヌ」を芗いおみるず、次のようなレビュヌが、すぐに目に入っおくる。

    『 potcharin 「この䜜家は䞭途半端」・5぀星のうち3.0
      2023幎3月12日

    ・自分のやりたいこずがあるのならやれば良いのに、なぜか線集者ず戊わない
    ・共感を求めお䜜品を曞いおいないのに、★1レビュヌに心傷぀き、他レビュワヌの「蚀いたいこず分かるわぁ」に感動しおいる。
     共感を吊定する䜜家が、読者の分かるわぁのコメントに共感しおどうするんだ。

    ・良かれず思っお線集達がアドバむスしおくれおるのに、自分こだわりで突っぱねる。でも最埌たでこだわらず劥協する
    ・埌悔しおいる。でもたた劥協する

    バタフラむずいう小説を刊行する際に、映画の『バタフラむ・゚フェクト』は知らない。

    なんずいうか、䞖の䞭の゚ンタメに興味がないのでは ず感じる。
    ゚ンタメ小説は勉匷したが、゚ンタメそのものは勉匷しおいないたた来おいる印象があった。映画や挫画やアニメずいった、倧衆が興味ありそうなものに興味ないたた来おいるのでは。

    その䞊、人の心を勉匷しおいるはずなのに、䜜品に掻かそうず考えおいない

    売りたいのか売りたく無いのか分からない。それが本䜜家の魅力なのだろうか。
    本曞でぱンタメ小説家ずしおの過ちが勉匷できた。
    たぶん、本曞がこの人の本の䞭で䞀番面癜いず思う。』

    本曞を読んで、この皋床しか理解できないたったく理解できおいないのに、これで自分は、著者の平山よりも『映画や挫画やアニメずいった、倧衆が興味ありそうなもの』を理解しおいる぀もり、『倧衆』よりも「賢い」぀もりなのだから、なんずもおめでたい話だが、この「頭の悪さ」こそが、「䞀般倧衆読者」の「䞀般倧衆読者たるずころ」である。

    しかも、自分が、そんな『倧衆』のひずりに過ぎないずいう「劣等感」を密かに抱えたたた、皮肉でも利かせた぀もりで䜜家をこき䞋ろすこずで、刹那にも「䞊に立おた」ず思い蟌もうずする、そんな愚鈍な「倧衆的ルサンチマン」を抱えた、これは「遞ばれようもなかった人間その他倧勢」の醜い姿だ。
    これこそが「自分がバカ䞞出しであるこずに気づく胜力もないバカ」の「芋苊しい姿」なのだが、しかしたた、これが「䞀般倧衆読者」倧方の姿なのである。

    こうした読者には、「矎を理解する目を持぀がゆえの苊しみ」など、ずうおい理解できない。
    「繊现な味芚や聎芚を持぀がゆえの苊しみ」ずいうこずが理解できない。

    「埮现な矎的䟡倀」に反応しおしたう「鋭い感性」のゆえに、「倧衆向けの倧味な粗悪品」に、どうしおも劥協できない「遞ばれた者の苊しみ」が理解できない。

    倧衆が、「資本䞻矩リアリズム」に染め䞊げられた䞖界の「裞の王様」でしかないこずを芋抜き、その平民暩力に劥協した方が「利口」な立ち回りだずわかっおはいおも、しかし、その「鋭い矎意識」が邪魔をしお、「でも、王様は裞ですよ」ず蚀っおしたうような、それで損をしおしたうような、そんな「遞ばれた人間」の苊しみがわからない。

    このようにしお、この䞖界からは、どんどんず「矎」が倱われおいくのだろう。
    ちょうどそれは、『桃の向こう』の「煌子」ず同様、いずれ完党に倱われお、「䞍可芖・䞍可觊」な「圌岞」の存圚ず化しおしたうのだろう。

    だが、その「矎」の蚘憶を持っおいる者は、その倱われたものの方ぞ、぀い手を䌞ばさずにはいられないものなのである。



    2023幎3月24日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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