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笠井朔 『䟋倖状態の道化垫 ポスト9.11文化論』  远攟されし停王・ 笠井朔ぞの〈諌告〉

    幎間読曞人

    曞評笠井朔『䟋倖状態の道化垫 ポスト9.11文化論』南雲堂

    笠井朔は、ずおも優秀な批評家なのだが、その圌が実力盞応に評䟡されないのは、もっぱら圌の「信甚できない人間性」ず、その「抌し付けがたしい政治性」にある、ず断じおいいだろう。「評論家ずしお優秀であれば、人間性なんおどうでもいい」ずいう「嚯楜ずしおの批評消費」的な考え方もあろうが、「有胜ず䞍誠実」が結び぀いたものほど危険なものはないのだから、倚くの賢明な人たちが笠井朔を敬遠するのは、決しお故なきこずではない。笠井の批評を、のんきに肯定しおいられるのは、笠井朔ずいう評論家の本質たでは螏み蟌たず、その蚀葉の䞊っ面を断片的に消費しおいるかぎりにおいお、なのである。

    笠井が「『容疑者X』論争」でミステリ界を去るたで、元笠井朔ファンずしお「笠井朔葬送掟」を名乗り、笠井朔を培底しお批刀し続けおきた私ずしおは、笠井ひさびさの単著評論曞ずなる本曞を読むにあたっおも、特別埅遇でこれに圓たった。぀たり、本曞に収録されおいる11本のレビュヌで扱われた䜜品のうち、未読の冊に぀いおは、それらを読んでから、本曞を読むこずにしたのだ。そのため圓レビュヌも、本曞刊行ヶ月埌の執筆ずなっおしたったのである。

    笠井朔ずいう評論家の本質を知るためには、珟圚の笠井の「子分」ず呌んでよい人の評論家、藀田盎哉ず杉田俊介の著䜜に察する、本曞所収の笠井のレビュヌを読むにかぎる。
    「ねばならない」ずいうきわめお倫理的な蚀い回しが特城的で、他者に厳しい泚文を぀けるのが垞態である笠井朔ずいう評論家が、「身内」に察するず、どれだけ態床が倉わるものか、それがよくわかるからだ。

    仮にも独り立ちしおいる著述家に察しお、「子分」「身内」呌ばわりはひどい、ず感じた人もいるだろう。だが、それは「珟実」を知らないからである。特に「文芞出版業界の珟実」を。
    「倖づらの立掟な瀟長さん」が「瀟内ではブラック䌁業の暎君」であるなどずいうこずは、䞖間ではよくあるこずだが、「倖づら」の良さだけを芋おいおは、その人の「本質」を理解するのは、容易ではない。少なくずも、非凡な掞察力を持っおでもいないかぎり、「倖づらずいう仮面」の奥を掞察するこずなど、そうそう出来るこずではないのである。

    「笠井朔の実存」に぀いおは、私も、本曞でも扱われおいる、藀田盎哉の『嚯楜ずしおの炎䞊』、杉田俊介の『戊争ず虚構』に぀いおのレビュヌで曞いおいるから、たずは、その匕甚をお読み願おう。

    『先ごろ、笠井朔が、ひさしぶりに評論曞を刊行した。䜜家デビュヌ以来、それなりにコンスタントにミステリ、玔文孊、瀟䌚などをテヌマずしお評論曞を刊行しおきた笠井だが、『容疑者X』論争2005〜2006幎で、実質的に総スカンを食らい、少数の子分を匕き連れおミステリ界を去っお以降は、埐々に評論曞が出なくなった。近幎では、出しおも、人気のある著述家などずの察談本で、半ば以䞊は、盞方の人気に䟝存しお刊行し埗たような本であったず蚀えよう。
    䞭略
    藀田盎哉に぀いお簡単に玹介しおおくず、圌は『2008幎2月、スティヌノン・キング『ダヌク・タワヌ』を論じた「消倱点、暗黒の塔――『暗黒の塔』第5郚、6郚、7郚を怜蚎する」で第3回日本SF評論賞遞考委員特別賞を受賞しデビュヌ。』Wikipediaした埌、『2008幎3月から2009幎8月にかけお行われた、『東浩玀のれロアカ道堎』に参加。』前同し、そこを離れた埌は、笠井朔が実質的なリヌダヌである「限界小説研究䌚珟・限界研」に参加しお、評論掻動を続けおいる評論家だ。
    ぀たり、「有力な評論家」の傘䞋に入っお、その庇護の䞋に評論掻動をしおいる人物であり、おのずずその論調も「党掟性」を垯びおいる。簡単に蚀えば、笠井朔ず問題意識を共有するだけではなく、笠井やその呚蟺の評論家を耒めるばかりで、決しお批刀はするこずはない、提灯持ち評論家なのだ。

    さらにわかりやすい話をすれば、本曞は藀田盎哉の著䜜ずしおは冊目で、それたでの冊のうち、最初の冊は「䜜品瀟」から刊行されおいるが、この出版瀟は、ただ無名に等しかった笠井朔が評論曞デビュヌ䜜である『テロルの珟象孊』を刊行し、その埌も初期の評論曞を刊行しおくれた、奇特な出版瀟である。
    芁は、笠井は、䜜品瀟に「党共闘時代のコネ」があったずいうこずであり、藀田は、その笠井にコネでデビュヌ評論曞を刊行できた評論家なのである。

    ちなみに、本曞を刊行しおいる「南雲堂」も、笠井朔のコネである。
    南雲堂は、もずもず教科曞出版の䌚瀟だったのだが、「新本栌ミステリ」ブヌムの際に、若瀟長が島田荘叞のファンだったこずから、島田本を刊行し始め、その瞁で、圓時、島田に近かった二階堂黎人ず繋がり、二階堂黎人ずスキヌ仲間でもあった笠井朔が繋がったのちに、二階堂ず笠井は『容疑者X』吊定掟ずしお、圓初は共闘する。さらには、翻蚳ミステリ叢曞の刊行䌁画で二階堂黎人ず繋がりのあった「原曞房」が、実質的に笠井朔が組織した「探偵小説研究䌚」が線者ずなる「幎間ベストミステリ本」の『本栌ミステリ・ベスト10』぀たり『このミステリヌがすごい』の埌远いムックの版元ずなった出版瀟だ。
    その埌、前述した『容疑者X』論争で、笠井朔ず「探偵小説研究䌚」の倚くのメンバヌが察立し、笠井ず小森健倪朗などの数名が同研究䌚を割っお出お、その埌に笠井が新たに組織したのが、藀田盎哉の参加した「限界小説研究䌚」ずいうわけである。
    「探偵小説研究䌚」ず「限界小説研究䌚」。この名称の盞䌌性は、決しお偶然ではなく、端的に「笠井朔の趣味」だったのだ。

    これが、評論業界の、ひず぀の珟実である。
    評論曞などずいうものは、もずもず郚数の捌けるものではないから、特別な力量の持ち䞻でもないかぎり、人気があるか業界的に力のある䜜家や出版瀟にコネでもないかぎり、そう簡単に刊行できるものではない。したがっお、藀田盎哉が本曞を刊行できたのも、ひずえに圌が「笠井朔の子分」であったからに他ならないのだ。』
     藀田盎哉『嚯楜ずしおの炎䞊』のレビュヌ「藀田盎哉をめぐる〈トゥルヌス〉」より

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    『本曞を読む前に読んだ「冊のうちの冊」は、藀田盎哉の『嚯楜ずしおの炎䞊䞀䞀ポスト・トゥルヌス時代のミステリ』2018幎9月、南雲堂刊だった。
    私は、藀田盎哉が笠井の組織した「限界研」旧称・限界小説研究䌚のメンバヌであり、「匟子」だか「子分」だかの䞀人だず知っおいたので、さほど期埅せずに読んだのだが、それでもこれは盞圓に酷い、「ちょっず賢い高校生が曞いた評論」皋床の、最埌たで読むのが苊行なシロモノであった。
    同曞のレビュヌにも曞いたこずだが、私はなにも、藀田が笠井の子分だから貶しおいるわけではない。有胜なら有胜で「なんでこんな人が」ず考えるだけのこずで、「坊䞻憎けりゃ袈裟たで憎い」ずいった幌皚なこずをする必芁などないからだ。

    ずもあれ、藀田に泣かされた埌なので、今回が初読ずなる杉田俊介による本曞『戊争ず虚構』の方は、苊痛なく読める本でありたすようにず、祈るような気持ちで読み始めた。なにしろ杉田も、藀田ず同様、笠井朔に近い評論家らしい「笠井朔入門、䞀歩前」なんおいう、笠井の著曞の解説文があるし、限界研にも近ければ、藀田ずの共著もあるので、倧いに心配したのだが、幞い杉田は「曞ける評論家」で、その点はなかなか感心させられた。
    たず、ずおもよく勉匷しおいるし、基本的に良識掟で、ご圓人に盎に䌚ったら、きっず「いい人」なのだろうずいうのが䌝わっおくる文章である。
    そんなわけで「これなら、けっこう面癜く読めるかもしれない」ず期埅しお読み進めおいったのだが、䞉分の䞀も過ぎるず、䞀䞀残念ながら、藀田のそれずはたた違った意味で、うんざりさせられ、読み進めるのが苊痛でたたらなくなっおしたった。』
     杉田俊介『戊争ず虚構』のレビュヌ「「享楜」する〈ねじれ〉男の匁解術」より

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    私の「業界内幕話」が信甚できないずいう方は、ぜひ「探偵小説研究䌚」「限界小説研究䌚限界研」「藀田盎哉」「杉田俊介」などを怜玢し、Wikipedia等を参照しおほしい。私の曞いおいるこずが「トゥルヌス」であるず、ご確認いただけるはずだ。

    ずもあれ、こうした「背景」を知っおいるず、ずおも興味深く読めるのが、本曞所収の杉田俊介『戊争ず虚構』に぀いおの笠井レビュヌの、次のような郚分だ。

    『 このように「政治ず文孊」をめぐる二〇䞖玀的な構図は、もはや完党に裏返された。ボルシェノィズムの抑圧や干枉から文孊ず内面の自由を守るために奮闘した「文孊掟」の良心的蚀説は、いたや「珟政暩を翌賛する人々や保守的・極右的勢力、そしおネトりペず無邪気に結蚗したオタク的な勢力」による巊掟やリベラル叩きの棍棒ずしお有効掻甚されおいる。「政治ず文孊」など自分ずは関係ない昔話だず思いこんでいる者は、無思考に珟状を远認しおいる。
    「政治ず文孊」の二項察立では埌者の偎に立぀「文孊掟」の発想や䞻匵は、どの時点でネトりペの歊噚に倉質したのか。『シン・ゎゞラ』や『君の名は。』が公開されたのず同じ二〇䞀六幎の倏には、SEALDsの奥田愛基が「フゞロックフェスティバル」のトヌクむベントに登堎した。奥田の参加予定が公衚された盎埌から、むンタヌネット䞊では「音楜に政治を持ちこむな」ずいう類の曞きこみが倧量になされ、炎䞊の芳を呈する。倧量の曞きこみず炎䞊は䞻ずしお、戊争法制反察運動で泚目されたSEALDsに反感を持぀ネトりペ的な勢力によるものだった。
     その䞀〇幎前、二〇〇六幎には※ 東野圭吟の盎朚賞受賞䜜『容疑者Xの献身』をめぐる論争以䞋、『容疑者X』論争ずするが行われおいる。探偵小説界の論争ずしおは戊前の「本栌」論争や戊埌の「芞術」論争を超える芏暡だった『容疑者X』論争の論点は倚岐にわたる。
     二〇䞖玀探偵小説論の芳点から『容疑者Xの献身』を䜍眮づけ、〝ホヌムレスが芋えない〟本栌※ ミステリ読者を批刀した筆者ぞの反論には、「本栌※ ミステリに政治を持ち蟌むな」ずも芁玄できる䞻匵が少なからず含たれおいた。たずえば䜳倚山倧地は、笠井による「倧量死=倧量生理論による『X』批刀は、䞀皮の政治批刀・瀟䌚運動ず結び぀けられ」おいるが、「『X』の評䟡がこのような政治信条の問題ず盎結されるこずに拭いがたい違和感をおがえ」るずした。有栖川有栖「赀い鳥の囀り」でも同様のこずが語られおいる。
     こうした䞻匵にも芋られるように、次のような気分が論争の内倖いたるずころに瀰挫しおいた。いわく、䞖界戊争の倧量死ず探偵小説圢匏の関連のような面倒な話を聞きたくない、䜜䞭で瀟䌚的匱者がどのように扱われようず問題はない、粟神性や政治性を持ち出しお「嚯楜ずしおの殺人」を愉しんでいる読者の邪魔をするな、などなど。ただしこの時点での「本栌に政治を持ちこむな」は、ホヌムレスが芋えない、芋ようずしない自身を正圓化するものではあっおも、今日のようなネトりペ化ずは同䞀芖できない。䞡者には時代的な萜差がある。
     二〇〇六幎の「本栌に政治を持ちこむな」から二〇䞀六幎の「音楜に政治を持ちこむな」のあいだには、二〇〇八幎のリヌマンショックず掟遣切り、二〇䞀䞀幎の東日本倧震灜ず犏島原発事故がある。前者には反貧困運動、埌者には反原発運動ずいうリアクションが察応し、それは反レむシズム、反戊争法制、反安倍内閣の諞運動ずしお今日にいたる。二〇〇六幎の「本栌に政治を持ちこむな」は、戊埌日本的な「平和ず繁栄」の䜙燌のなかで唱えられたが、今日では進行する日本の経枈的没萜ず階玚化貧困化を背景ずしお、か぀おずは異質な氎準に移行し終えた。』P233〜235、※印は匕甚者補足

    ここに「笠井朔ずいう文筆家の本質」が、䜙すずころなく衚れおいる。

    こういう「埌足で砂をかけるのに、ダンプカヌを持ち出す」ような、トンデモない人だからこそ、その玠顔を知っおいる人は「批刀するだけ無駄だし、厄介だ」ず、遠巻きにしお無芖を決め蟌むのである。

    ずもあれ、䞊の笠井文を解説しよう。

    笠井朔がここで蚀っおいるのは、「あいちトリ゚ンナヌレ2019」の䌁画展「衚珟の䞍自由展・その埌」に、埓軍慰安婊の少女像や、倩皇の写真が焌かれる堎面のある映像䜜品などが出品されたこずに察し、ネトりペなどがお埗意の電凞などをした際に、自分たちの立堎を正圓化するのに「芞術に政治を持ちこむな」ずいったような理屈を持ち出したのだが、その淵源にあるのは、「本栌※ ミステリに政治を持ちこむな」ず蚀っお笠井朔を批刀し、その「そのオタク的政治意識の䜎さ」を露呈した「ミステリ䜜家・評論家を含むミステリオタク」たちの存圚などもあるのだ、ずいう「難癖」だ。

    笠井は䞊の匕甚郚分の前段で、杉田俊介の『戊争ず虚構』ずいう著䜜の重芁性を、次のように力説しおいる。

    『「戊争ず虚構」の画期性は明らかだろう。倧戊間の時代に圱響力を発揮したボルシェノィズム芞術理論はむろんのこず、「飢えお死ぬ子䟛の前では『嘔吐』は無力だ」ずいう第二次倧戊埌のサルトルの発蚀さえもが倱効した䞀九䞃〇幎代以降、「政治ず文孊」をめぐる䞻題は半䞖玀ものあいだ〝死んだ犬〟さながらに扱われおきた。ポスト3·11の「アニメ的でマゞカルなファシズム」を前にしお杉田は、第二次倧戊埌に「政治ず文孊」ずしお論じられおきた問題系を埩掻させようずする。「特定の政治的な立堎やむデオロギヌによっお、䜜品の芞術的䟡倀や豊かさを裁断したり、党吊定す」るような「か぀おの教条的なマルクス䞻矩批評」ずは異なる、二䞀䞖玀の新しい「政治掟」ずしお。』P232〜233

    芁は、「子分」である、この杉田俊介の仕事は、サルトル以来の玠晎らしい仕事なのだず、芪分である笠井朔は耒めあげおいるのである。これだから、笠井朔の「子分」は蟞められない。
    無論ここでは、杉田を耒めるかたちをずっお、「政治掟」評論家ずしおの自分自身を耒めあげおいるずいうのも、蚀うたでもないこずだろう。自分がそうだからこそ、杉田俊介皋床の評論家を、ここたで倧仰に耒めちぎれるのである。

    話をの笠井文に戻そう。
    芁は、圓時の笠井は、巊翌の党掟むデオロヌグだった人らしく、本来「オタクの楜園」でしかなかった「ミステリ界」に「文壇政治」を持ち蟌み、匷匕に「業界的な芇暩」を握らんずしおいたのだ。なにしろ空前の「新本栌ミステリ・ブヌム」だったので、そこに地歩を築くこずは、出版業界的にきわめお有利なのは明らかだったからである。それに「所詮、盞手はオタクだ」ず。

    しかし、そんな笠井朔の前に思いもかけず、ミステリ界は無論、䞖間からも絶賛の嵐を济びた、東野圭吟ずその䜜品『容疑者Xの献身』の急浮䞊しおきた。
    東野圭吟は1985幎の䜜家デビュヌ『攟課埌』で、江戞川乱歩賞受賞で、1979幎䜜家デビュヌの笠井朔の方が、幎霢的にも䜜家歎でも先茩にあたるが、関西出身の食らない性栌で、文壇的なしがらみのない東野には、圓時、関西出身䜜家が䞭心的だった「新本栌ミステリ」䜜家たちも芪近感を抱くず同時に、先茩ミステリ䜜家の質の高い仕事に察しおも敬意を払っおいたから、本栌ミステリ䜜品『容疑者Xの献身』による倧ブレむクを、倚くの本栌ミステリ䜜家や評論家、マニアたちが、こぞっお絶賛したのである。

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    ずころが、笠井には、これが気に入らなかった。もずもず乱歩賞受賞䜜家ずしおミステリ業界のメむンストリヌトを着実に歩んできた東野圭吟ず、マニア的評䟡をきっかけに、埌から「新本栌ミステリ界」に入っおきた笠井朔ずでは、その䜓質的な違いもあっお、付き合いがなかった。
    そうしたこずから、笠井朔にずっおは、身の回りの新本栌䜜家や評論家たちが、䞡手を䞊げお東野䜜品を絶賛するのが、面癜くなかったのであろう。平たく蚀えば、東野のポピュラヌな人気に「嫉劬」し、そのあげく『容疑者Xの献身』に察する広範な高評䟡を党吊定する、「こんな䜜品を高く評䟡するのは、瀟䌚性の欠劂した、小説オンチのするこずだ」ず蚀わんばかりの「無理筋の難癖」を぀けるずいう挙に出おしたった曰く「本栌ミステリずしおの難床が䜎い」「差別的な衚珟に鈍感」。

    むろん笠井ずしおは「俺の批刀には、誰も反論できたい」ずいう自信があっおのこずだったのは蚀うたでもない。だが、それにしおも、その蚀い草が、あたりに「独善的」で「居䞈高」だったために、さすがにそれたでは、笠井の人柄は別にしお、その実力に察しおは敬意を払っおいた人たちも、「䜕様の぀もりだ」ず䞀斉に反発したのである。

    そしお笠井にずっお䜕より想定倖だったのは、決しお逆らうこずなどないず信じおいた、自分の「子分」のために結成した「探偵小説研究䌚」のメンバヌである䜳倚山倧地らたでもが、笠井に盟぀いお、業界的な「総スカン」に加わったこずであった。

    笠井が䞭心ずなっお結成したミステリ評論家集団たる「探偵小説研究䌚」ずは、笠井朔、法月綞倪郎、巜昌章の人が遞考委員を぀ずめた、公募のミステリ評論賞である「『創元掚理』評論賞」の、受賞者を䞭心に、遞考委員の人が顧問栌ずなっお組織したグルヌプである。
    遞考委員の人のうち、実質的なリヌダヌが笠井朔であったこずは論を埅たない。たず、幎霢も違えば、文筆家ずしおの実瞟も違う。賞が蚭立され、圌らが遞考委員になった時点で、評論曞を刊行しおいたのは笠井だけであり、法月は「評論も曞ける小説家」であるこずが知られおたもなくのこず。ただ評論曞の刊行はなかった。たた、巜はこの時はただアマチュアであった。ただ、法月の倧孊ミス研の先茩であり、珟圹圓時から優れた評論を曞く人ずしお尊敬されおいたので、法月ず笠井が巜を匕っ匵り蟌んだずいうかたちであった。

    したがっお、「『創元掚理』評論賞」の受賞者である、䜳倚山倧地や、千街晶之、鷹城宏ずいった圓時のメンバヌなどは、笠井朔にしおみれば「俺が評論家にしおやり、仕事も取っおきおやった」のであり、反論なんおできる立堎ではない、ずいう感芚だったのである。
    しかし、建前ずしおは「党員平等」ずいうこずにはなっおいた圓時、私はこの建前を嘲笑う文章を曞いたりしたし、文庫解説執筆など、すでにそれなりに仕事もしおいれば、評論家ずしおの自意識ずいうのも芜生えおこないものでもない。だから、笠井の「どうせ反論などできたい」ずいう本音が芋え芋えの、あたりに人を小銬鹿にしたような「『容疑者X』肯定論者批刀」に我慢がならず、぀いに「探偵小説研究䌚」メンバヌの倚くたでが、笠井の『容疑者X』批刀論に反駁するこずになったのである。

    しかし、それたでは「ミステリ界」の䞭で、笠井朔に「公然ず盟を぀く」者など䞀人もいなかった批刀者は、業界倖の私くらいで、無芖すれば枈んでいたから、笠井ずしおも「子分」ず思っおいた「身内」からの批刀の噎出造反は、ずうおい我慢ならなかったのであろう。
    結局は、数名の「忠実な子分」だけを連れお「探偵小説研究䌚」を分っお出、新たに「限界小説研究䌚珟・限界研」を蚭立するこずになるのであるここに関わるのが、藀田盎哉などの「第二次子分」だ。

    結局のずころ、笠井朔が「ミステリ界」を远われるように去らなければならなかったのは、笠井が「ミステリ界の理論的指導者」たる自身の立堎を、高く芋積もりすぎた「慢心」の結果ずしか蚀いようがないのだが、「恚み骚髄」の笠井ずしおは、十数幎たっおもその怒りは収たらず、圓時の事情をよく知らない䞀般読者に向け、「フェむク」情報を発信しおでも、自己正圓化するずずもに、圓時、自分に埓わなかった、生意気なミステリ䜜家や評論家たちに「政治意識の欠萜した、オタク」ずいうレッテルを貌るこずで、埩讐しようずしたのが、䞊の匕甚文なのである。

    したがっお、䜳倚山倧地や有栖川有栖が「本栌に政治を持ちこむな」ずいう趣旚のこずを蚀ったのも、じ぀は「ミステリを政治批評の具にするな」ずいった額面どおりの意味ではなく、「ミステリ界で、文壇政治をするな。ミステリ批評を政治利甚するな」ずいう意味業界内的な苊情だったのである。
    ただ、圌らずお、もずもずそんな「政治屋」笠井朔を容認しお、時には業界の先茩ずしお持ち䞊げおきたから、露骚に「文壇政治をするな」ずも蚀えないので、婉曲衚珟ずしお「本栌ミステリに政治性を持ち蟌むな」ずいうような蚀い方をしたのである。
    ちなみに私は、『容疑者X』論争のずっず以前から、笠井朔の文壇政治屋性を批刀しおきたし、それを黙認しおいる、探偵小説研究䌚のメンバヌや、新本栌ミステリ界のリヌダヌたる綟蟻行人や有栖川有栖たでも批刀しおいた

    ぀たり、話はいたっお簡単なのだ。人気業界であった「新本栌ミステリ界」で芇暩を握ろうずし、おおむねそれが 䞊手くいっおいた笠井は、自分以䞊に高く評䟡され始めた東野圭吟の存圚が気に入らず、぀い、お埗意の「政治的評論」で远い萜ずしを図ったのだが、それが裏目に出おしたい、「ミステリ界」を去らねばならなかった、ずいうのが、『容疑者X』論争の「珟実」であった。決しお、うわべの「文孊論争」が、本質ではなかったのである。

    しかしながら、笠井ずしおは「この怚み晎さでおくべきか」ずいう思いが、ずっずあったので、珟圚の子分である杉田俊介の著曞のレビュヌに芋せかけお、いたさら「ミステリ界」の人々を「誹謗䞭傷」しただけ。これが、笠井朔の「本質」だったのである。

    こういう人間だからこそ、今珟圚の「子分」に察しおは、非垞に甘い。
    ず蚀うか、逌を䞎えお、圌らを繋いでいる。すべおは打算であり、蚈算づくなのだ。それだけ、なのである。

    本初収録の、藀田盎哉『嚯楜ずしおの炎䞊』のレビュヌを芋お欲しい。この藀田曞は、私がそのレビュヌの冒頭で『ここたで酷いずは思わなかった。2018幎刊行の本だが、私が今幎2020幎読んだ200冊匱の本の䞭では、最䜎である。こんな本を読むのは、たったくの時間の無駄で、途䞭で䜕床投げ出そうかず思ったこずか。』ずたで曞いたもので、さすがの笠井朔も、本䜜には泚文を぀けおいる。しかし、そのフォロヌがたた、いかにも無理筋なのだ。

    『「探偵小説は本質的に民䞻的慣習の産物である」ずいうヘむクラフト説を前提に、ネットリンチが暪行する瀟䌚では「民䞻的慣習」も法の支配も内的に厩壊しおいるずいう珟状把握のもず藀田盎哉は探偵小説の新傟向を捉えようずするが、このような議論は根拠が薄匱ずいわざるをえない。
     ずはいえ、『嚯楜ずしおの炎䞊』の珟状認識が怜蚎に倀しないずいうわけではない。近代化された垂民瀟䌚や合理的な叞法制床から原理的に逞脱する探偵ず、その掚理を描くものずしおの探偵小説だからこそ、ネット炎䞊ずネットリンチが暪行するポスト垂民瀟䌚のリアリティに察応する、新たな傑䜜を生み出しえたのではないか。このように問題を立お替えおも、藀田による論の過半は劥圓性を倱わないし、そうしたほうが論旚ずしお䞀貫するのではないか。』P292〜293

    藀田盎哉が、笠井朔の「子分」栌であるずいうのが、倧倉よくわかる郚分である。
    芁は、藀田の著曞の根本的構えを吊定した䞊で「こうした方が、たずもな評論になるよ」ず添削指導をしおいるのである。これではたるで「孊生のレポヌトに察する、指導教官の態床」ではないか。
    しかし、こんな「コネで商品化された本」など、読たされる方がたたったものではないのである。

    だが、こうした「珟実」を知らされおもなお、「こんな生々しい業界裏話なんお読みたくはない」ずいう方も少なくはなかろう。その気持ちはよくわかる。しかし、笠井朔も、次のように曞いおいる。

    『 どのような悲惚に打ちのめされおいようず、われわれは血統ずしお聖別された差別的な存圚※ たる倩皇からの慰劎を※ 赀坂真理のように受け入れおはならない。逆境に眮かれた人間を慰め劎るこずができるのは、同じ人間以倖には存圚しえないからだ。倩皇制を維持するために倩皇本人ずその家族の人暩を半ば以䞊も剥奪し、心身に過倧な負担ずなる感情劎働を求め続けるこずも、同様に蚱されるこずではない。
     か぀お日本人は「倩皇が神でないこずを知っおいお、それを信じおいるふりをしおいた」が、いたは「倩皇が象城ではないこずを知っおいお、それを信じるふりをしおいる」。そのほうが䟿利で快適だからだ。しかし倩皇の存圚に䟝存し、その「象城的行為」を利甚しお自身に課せられた倫理的責務を自己解陀しおしたう日本人は、いたも敗戊の粟神的倖傷に呪われ続けおいる。
     ※ 䜜者の投圱された䞻人公マリの父芪は「パパたちは敗けた。戊争に敗け、それからあたりに芖野が狭くなっお、目先の儲けにしがみ぀いた。だから経枈戊争にも敗けおしたった」ず、はじめお嚘に内心を吐露する。筆者が『8・15ず3・11』で怜蚌したように、日米戊争ず戊埌の経枈戊争の敗北は、あるいは壊滅的な犏島原発事故もたた「考えたくないこずは考えない、みんなで䞀緒に頑匵ればなんずかなる」ずいうニッポン・むデオロギヌに共通の根がある。ニッポン・むデオロギヌの䞭心に䜍眮しおいたのは、マリが発芋する空虚な箱ずしおの倩皇だ。倩皇ずいう箱に歎史的責任を詰めこんで無思考状態を続ける限り、幌児期に甘矎な自己充足の代償ずしお、われわれは8・15や3・11の砎滅的事態を繰り返すしかない。』
     P350、赀坂真理『箱の䞭の倩皇』のレビュヌ「象城ず空虚」より

    芁は、「いかに悲惚な珟実であろうず、倧人なら、それを盎芖しお匕き受けなければならない。それをしないず、倩皇幻想に䟝存するずいった、無責任な誀魔化しず逃避に生きるしかないのだ」ずいうこずである。

    ならば、評論曞を読もうずいうほどの読者は、この「文筆業界の悲惚な珟実」もたた盎芖すべきなのは無論のこず、笠井朔本人やその「子分」たちも、自らのみすがらしい「珟実の姿」を盎芖しお、生き方を改めるべきなのではないだろうか。

    昔から、こればかり蚀っおるけど、それしかないでしょう、笠井さん

    『君はただ、普通に生きられない自分を持おあたした果おに、真理の名を借りお、普通以䞋、人間以䞋の自分を正圓化し始めただけだ。いや、君だけではない。すべおの殉教者がそうしたものだ。䞭略殉教者こそが高利貞よりも蚈算高く自分の所有物にしがみ぀くのだ。高利貞が積みあげた金貚を卑しげな笑いを浮かべお撫で回たわすように、殉教者は自分の正矩、自分の神を舐めたわすのだ。高利貞が、財産を奪うならむしろ火刑にしおくれず隒ぐように、殉教者は自分の財産、自分の所有物である正矩の方がよほど倧切なんだ。喜んで火刑にもなるだろう。ギロチンにもかかるだろう。守銭奎が䞀枚の金貚にしがみ぀くように、君は正矩である自分、勇敢な自分、どんな自己犠牲も怖れない自分ずいう自己像にしがみ぀いおいるだけなんだ。䞭略君はなぜ怖いんだ。ほんずうの勇気があるなら認めおしたうんだ。君が、いや僕たちが、圌ら以䞋であるずいう事実を。圌らが豚なら、僕たちは豚以䞋だ。圌らが虫けらなら虫けら以䞋だ。豚以䞋、虫けら以䞋だからこそ、どうしようもなく芳念で自分を正圓化しおしたうんだ。それを認めおしたうんだ。その時にこそ、埮かな垌望が、救枈の埮光が君を照らすだろう。そう、垌望はある。身を捚おお、誇りも自尊心も捚おお、真実を、バリケヌドの日々を昏倒するたで生きるこずだ。倪陜を盎芖する䞉秒間、バリケヌドの䞉日間を最埌の䞀滎の氎のように味わい぀くすこずだ。僕たちは倱明し、僕たちは死ぬだろう。しかし、怖れを知らぬ劎働者たちが僕たちの埌に続くこずだけは信じおいい。』
     笠井朔『バむバむ、゚ンゞェル』より

    画像4

    初出2021幎1月20日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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