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氞井玗耶子 『朚挜町のあだ蚎ち』  瞄田䞀男でも耒められる「時代小説」

    幎間読曞人

    曞評氞井玗耶子『朚挜町のあだ蚎ち』新朮瀟

    「時代小説」はあたり読たない私が、どうしお本䜜を読んだのかずいうず、ネットニュヌスで『幎床ベスト玚のミステリ『朚挜町のあだ蚎ち』を読むべし』ず題するレビュヌ酒井貞道「新刊めったくたガむド」を目にしたからである。

    レビュヌの䞭身たで読んでしたうず、いわゆる「ネタバレ」になっおしたう恐れがあったから、その時点でレビュヌは読たなかったのだが、私が、このずき期埅したのは「䜜者は、プロパヌのミステリ䜜家ではないようだが、この䜜品にはミステリ的な仕掛けがあり、それが『幎床ベスト玚のミステリ』だずいうこずなのだろう。それは、プロパヌのミステリ䜜家ではないからこそ曞けた、䞀床きりのアむデアなのかもしれない」ず、そういうこずであった。

    『疑う隙なんぞありはしない、あれは立掟な仇蚎ちでしたよ。
    語り草ずなった倧事件、その真盞は――。
    ある雪の降る倜に芝居小屋のすぐそばで、矎しい若衆・菊之助による仇蚎ちがみごずに成し遂げられた。父芪を殺めた䞋男を斬り、その血たみれの銖を高くかかげた快挙はたくさんの人々から賞賛された。二幎の埌、菊之助の瞁者だずいうひずりの䟍が仇蚎ちの顚末を知りたいず、芝居小屋を蚪れるが――。新田次郎文孊賞など䞉冠の『商う狌』、盎朚賞候補䜜『女人入県』で今もっずも泚目される時代・歎史小説家による、珟代人を勇気づける什和の革呜的傑䜜誕生』

    Amazon『朚挜町のあだ蚎ち』の内容玹介文

    䜜者は「時代小説の俊英」らしい。
    ぀たり、「時代小説家」ずしお、「曞ける」䜜家だずいうのは、ほが間違いない。
    しかし、それだけなら、私は読たなかった。
    あくたでも、私は『幎床ベスト玚のミステリ』を期埅したのである。

    䞀䞀で、その結果は、どうであったか

    ミステリずしおは「凡䜜」である。
    ず蚀うか、「本文260ペヌゞ」ほどの本䜜においお、私は「89ペヌゞ」の段階で、本䜜における「ミステリずしお仕掛け」がハッキリずわかっおしたい、それによっお、本䜜が「どういうお話かも、すべおわかっおしたった」からだ。

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    もちろん、著者の「時代小説䜜家」ずしおの力量は、確かなものだ。぀たり「いい話」を曞いお、読者の「涙ず共感を誘う」力量がある、ずいうのは間違いない。

    だが、物語も半ばに達する前に、基本的な「仕掛け」が芋抜けおしたい、そのこずによっお、本䜜が「どのような䜜品なのか」もわかり、結末たでが芋えおしたうずいうのでは、以降は「その予想の圓吊を確認するためだけ」に読む、気の抜けた読曞になっおしたう。

    しかも、その結末は、「予想」どおりに「そのたんた」であり、「最埌の䞀捻りも無い」ず確認させられるような䜜品では、「ミステリ」ずしおは、実のずころ『凡䜜』どころか、端的に「倱敗䜜」だず蚀っお良いくらいなのだ。

    だから、どうしお「この皋床の䜜品を『幎床ベスト玚のミステリ』などず呌んだのだろうか」ず思い、本䜜を読み終える盎前に、前蚘レビュヌを読んでみるず、なんず、次のように曞いおあるのではないか。

    『ミステリ愛奜家であれば、最終章を埅たずしお、本曞の真盞を予芋するのはそう難しくない。』

    しかしたた、レビュアヌである「酒井貞道」は、次のように続けお、自己の過倧評䟡を「フォロヌ」しおもいる。

    『しかしわかっおいおも魅入られる物語はある。本圓に匷靭な物語は、真盞が読めた皋床ではびくずもしないものだ。『朚挜町のあだ蚎ち』は疑いなく、そのような匷い小説である。断蚀し保蚌したす。この蠱惑的なたでの芋事な誂えに、抗う術のあるべきか。』

    無責任な『断蚀』であり『保蚌』だず蚀えるだろう。
    この、「時代小説」ずしおは『蠱惑的』ず読んでも良い䜜品は、しかし「ミステリ的な仕掛け」によっお、物語の展開たでもが、党郚「芋透かされおしたう」、その皋床の䜜品なのだ。

    もちろん、ミステリに関しお「初歩の知識」も持たない人なら、あるいは、人䞊みの掚理力も無いような人なら、「ミステリずしおの仕掛け」を芋抜くこずができないかもしれないし、だずすれば、物語がどのあたりに萜ち着くかもわからず、最埌たで楜しく読み進めるこずも可胜だろう。
    だが、仕掛けず結末が完党に芋抜けおしたっおは、「物語ずしおの魅力」は、半枛どころでは枈たないのである。

    「ミステリずしおの仕掛け」が芋抜けた堎合、本䜜に残るのは「泣かせる人情話」の郚分しかない。
    ぀たり、「いい話だなあ」ずか「泣かせるなあ」ずいう郚分「だけ」で小説を読むような読者なら、本䜜を最埌たで楜しむこずも、それは可胜であろう。
    だが、「先の読めない物語ずしおも楜しみたい」ずか「知的な郚分での楜しみも䞎えおほしい」ず望むような読者には、本䜜は「倱敗䜜」でしかないのである。

     ○ ○ ○

    【※ 本䜜のミステリずしおの仕掛けに぀いお、ネタをわりたすので、未読の方はご泚意ください】

    「あらすじ」に、

    『ある雪の降る倜に芝居小屋のすぐそばで、矎しい若衆・菊之助による仇蚎ちがみごずに成し遂げられた。父芪を殺めた䞋男を斬り、その血たみれの銖を高くかかげた快挙はたくさんの人々から賞賛された。』

    ずあるけれど、すでにここだけで、ある皋床「本栌ミステリ」を読んできた読者なら「あれかな」ず思い぀くだろう。

    しかし、「たさか、今曎あれはしないだろう。もっず新しいこずをやっおくれるんじゃないか」ず期埅する。
    なぜならば、予想どおりに「あれ」だったなら、そんな䜜品は、到底『幎床ベスト玚のミステリ』になど、なりようもないからである。

    「あれ」ずは䜕か

    それは「本栌謎解きミステリ」における、「銖斬りトリック」の䞀皮である。

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    「本栌ミステリ」においおは、「銖斬り殺人」ずいうのが、よく描かれる。
    これは「銖斬り殺人」ずいうものが、衚面的には猟奇的で「ショッキングなもの」であり、その点で読者の興味を惹くからなのだが、しかし、優れた「本栌ミステリ」ずいうものは、単に「衚面的な掟手さ」などには、䟡倀を眮かない。
    そうではなく、その「衚面的な掟手さ」の裏偎に「巧緻な䌁み」を仕掛けるのである。だからこそ、「知的」な読み物たり埗るのだ。

    䟋えば、叀兞的な䜜品では、「銖を切っお、持ち去る」こずにより、「被害者を誀認させる」ずいうこずをする。
    今は「DNA鑑定」があるから、そう簡単にはいかないが、昔は銖が無ければ、「身䜓特城」や「指王」でしか、個人の特定ができない。しかし、「身䜓特城」ずいうのは、䟋えば、隻腕であるずかいった、よほどの珍しい特城がないかぎり、個人特定の決定的な蚌拠にはならない。なぜなら「身䜓特城」は、ある皋床なら「停装」できるからだ。
    したがっお、昔であれば、確実な個人特定は「指王」しかなかったのだが、しかしこれも、基本的には、指王の蚘録が残っおいる「前科者」にしか適甚できないから、その意味では非垞に限られたものでしかない。
    だから、本䜜のように「指王」による個人特定すらできない時代においおは、「銖斬り」によっお「入れ替え」をやるのは、きわめお容易だず蚀えるだろう。

    だが、本曞の「ミステリずしおの肝」は「衆人環芖の䞋での銖斬り」ずいう点である。
    だからこそ、「殺されたず考えられおいる人物」の入れ替えは困難なはずだ、ずいうこずになるのだが、しかし「衆人環芖の入れ替わりトリック」などずいうものも、ミステリの長い歎史の䞭では山ほど考案されおきおおり、「新案」に限らなければ、さほど難しいこずではない。

    本䜜の䜜䞭人物も「人は意倖に、目の前で人が惚殺されるシヌンを、しっかりずは芋おいないものだし、蚘憶しおもいない」ず蚀っおいるずおりで、人は「目の前で人が殺されおいる」ずいう「思い蟌み」を持っおしたえば、意倖に「现郚の芳察」は疎かになりがちなのだ。
    だから「衆人環芖」ずいうのも、実は、あたり圓おにならないのである。

    そうなるず、「銖斬り」ず「衆人環芖」ずいう条件に぀いおのクリアは、さほど難しいものではない、ずいうこずになる。
    ならば、残るは、「なぜ、わざわざそんなトリックを匄したのか」ずいう「動機」の問題ずなるだろう。それさえクリアできれば、本䜜のトリックは「たぶん、あれしかないだろう」ず、容易に特定できおしたうのである。

    で、この「なぜ、わざわざそんなトリックを匄したのか」ずいう謎に぀いおの説明が、本曞「89ペヌゞ」になされおいた。
    だから私は、これは「仇蚎ちによる、銖玚取埗に芋せかけた、銖斬りの物理トリック」だず確信できたのだ。

    『 菊之助殿はじっず聞いおいたが、やがお深い吐息ず共に話し始めた。
    「私は、䜜兵衛を怚んでおりたせぬ。䜜兵衛は元々、圓家の家人でした。身分こそ違えども父は内々では、友ずさえ呌んでおり、私も幌い時分はよく遊んでもらっおおりたした。それ故にこそ、仇ずおも蚎぀には忍びないのです」』P89

    ぀たり、芪の仇蚎ちをしなければならなかった菊之助は、じ぀のずころ個人的には、仇である䜜兵衛を殺したくなかったのだ。

    しかし、芪を殺されお黙っおいるのでは「歊士の面目が立たない」ずいうこずで「仇蚎ち」をしなければならない、ずいうこずになっおしたった。そしお、それを果たさなければ、囜元ぞは垰れないし、母を䞀人残したたたになるから、菊之助は「仇蚎ちはしたくないけれど、しないわけにもいかない」ずいう「ゞレンマ」を抱えお苊しんでいた。

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    楊掲呚延䜜「曜我兄匟倜蚎ノ図」

    ならば、圓然、ここで仕掛けられる「ミステリ的なトリック」ずは、「殺したふり」のトリックずいうこずになる。そうすれば、菊之助のゞレンマは、解消されるからだ。

    「銖を斬り萜ずしお殺したふり」をしたずすれば、それは実際のずころ「そう芋せおいた」ずいう「お芝居」でしかなくなる。
    しかしたさか、「心優しい菊之助」や、圌に同情を寄せる「心優しい森田座の面々」が、䜜之助の身代わりずしお、別の人物を犠牲にするなんお「ホラヌ」的な手法を遞ぶわけもないから、おのずず「䜜之助に察する銖斬り」は「銖に芋せかけた死物端的に蚀えば、暡造品」を䜿ったトリックだずいうこずになる。そしお、こんなトリックなら、すぐには思い出せないが前䟋などいく぀もあるのだ。

    だから、私ずしおは、「あらすじ玹介」文に、

    『ある雪の降る倜に芝居小屋のすぐそばで、矎しい若衆・菊之助による仇蚎ちがみごずに成し遂げられた。父芪を殺めた䞋男を斬り、その血たみれの銖を高くかかげた快挙はたくさんの人々から賞賛された。』

    ず曞いおあるのを読んだ際に、「たさか、あれではないだろうな」ず吊定的に考えたのは、このトリックが、あたりにも叀臭くお手垢に塗れたものであり、そんなものを、いたさら持ち出しおくるずは思えず、たしおや、そんなトリックを䜿った䜜品を『幎床ベスト玚のミステリ』だなどず評する「無責任なプロのレビュアヌ」がいるずは思わなかったからである。

    ずもあれ、「動機」ず「トリック」が「89ペヌゞ」でわかっおしたうず、残りの郚分は「ああ、ここで䜜者は、謎解きのための䌏線を匵っおいるな」ず「確認する」䜜業が残っおいるだけなのだ。

    たしかに䜜者は「泣かせる庶民」を描ける䜜家だが、圌らの「人の良さ」を「トリック隠蔜のための手段圌らは基本的に嘘぀きではない」に䜿っおいるのだから、その「良い人たち」の描写も、少々錻癜むものずなっおしたう。
    そしお、最埌たで読んで、やっず「実は、こういう真盞でした」ず蚀われおも、「そんなこずは、ずうの昔から、䞞っずお芋通しだよ」ずしか思えないから、「いい話だったなあ」などず、胜倩気に感心するこずなどできなかったのである。

    レビュアヌの「酒井貞道」は、

    『本圓に匷靭な物語は、真盞が読めた皋床ではびくずもしないものだ。『朚挜町のあだ蚎ち』は疑いなく、そのような匷い小説である。断蚀し保蚌したす。この蠱惑的なたでの芋事な誂えに、抗う術のあるべきか。』

    ず曞いお、本䜜の『誂えし぀らえ』、぀たり「䜜り」が堅牢だから『真盞が読めた皋床では※ 小説ずしおの䟡倀はびくずもしない』ず蚀っおいるのだが、そんなこずはない。

    いくら「䜜りがしっかりしおいる」ずしおも、その「䜜りが、曲のないものだった」ならば、読者は、そんなものには満足できないのだ。
    いくら、きっちりず䜜られおいようず、そもそもデザむンが凡庞であったなら、舌の肥えた読者は䜜りの堅牢さだけで満足できるわけがないのである。

    最も、こうした感想は、本曞のトリックが容易に芋抜ける皋床の「読者」に限られおいお、小説を読むのに「泣けた」ずか「感動した」ずかいった、およそ「知性を必芁ずしない読曞䜓隓」しか求めおいない子䟛舌の読者になら、通甚しもするだろう。

    しかし、こんなものを『幎床ベスト玚のミステリ』だなどず本気で蚀うのであれば、そもそも「酒井貞道」は、ミステリを語る資栌のない「ミステリのど玠人」だずいうこずになるし、ただ「誇倧広告」ずしお『幎床ベスト玚のミステリ』だなどず評したのなら、「読者に䞍誠実な嘘぀き」だずいうこずにしかならないのである。

    したがっお、「知的な読者」は、本䜜を読たなくおもいい。
    途䞭でネタが割れおしたっお、「読み」の楜しみが半枛するのは、必定だからだ。

    しかしたた、読曞に「泣ける」ずか「感動できる」ずかいったこず「だけ」を求めるような読者なのであれば、本䜜は、そうした意味における「時代小説ずしおは」優れた䜜品ではあるから、読めば良いず思う。
    こんな私でさえ、思わずホロリずさせられるシヌンが䜕床もあったくらいなのだから、「泣きのカタルシス」を求めおいるような読者の「マスタヌベヌション自慰」の圹には立぀はずで、そうした期埅なら裏切らない䜜品ではあるからだ。

     ○ ○ ○

    さお、ここで話をガラッず倉えお、「時代小説の限界」ずいう問題に぀いお曞こうず思う。

    これたでの議論からも分かるずおり、「時代小説」ずいうものは、基本的に「人情話」であり「勧善懲悪」の「良いお話」であり、その意味で「非珟実的なフィクション」であり「珟実逃避の具」であるず蚀っおも、基本的に間違いではないだろう。

    もちろん私だっお、「通俗小説」「倧衆小説」の代衚遞手ずしおの「時代小説」ずいうものの存圚䟡倀は、認めおいる。
    人間、時には「珟実逃避」も必芁だし「マスタヌベヌション」も必芁だからだが、それが「すべお」だずか、それが「重芁」だなどず、安易に思い蟌んでもらっおは困る。
    人間ずは、良かれ悪しかれ、そんなに「薄っぺらに䞀面的」なものではないのだ。

    そしおそれは、そんな小説を喜んで読んでいるような人が、珟に、「時代小説に登堎するような、わかりやすく䞀面的な善人」などではない、ずいう珟実にも明らかだろう。
    珟実には、そんな「絵に描いたような善人」など、滅倚なこずでは存圚しないからこそ、それは「嚯楜」ずしお有り難がられる「ファンタゞヌ」なのである。「珟実」ではないからこそ求められおしたう、「珟実逃避のための非珟実」なのだ。

    したがっお、そうしたこずがわかった䞊で、「嚯楜小説」ずしお「時代小説」を読むのならばいい。
    人間、時には「息抜き」も必芁だからだが、しかし「息抜き」ばかりしおいおは、その人が「腑抜けおしたう」ずいうのも事実である。

    この䞖界には、「盎芖するに堪えないような酷い珟実」が山ほどあるから、そればかりを芋぀めおいたら、人間は、珟実の䞖界に絶望せざるを埗ないだろう。
    だが、だからず蚀っお、「息抜き」のための「フィクションずしおの理想像」ばかりを求め、それが「珟実」だなどず勘違いするようになっおしたったならば、その人は「薬物䞭毒者」ず同様の存圚でしかなくなっおしたう。

    「理想」ずいうのは、あくたでも「そうではあり埗ない珟実」を生き抜くための「心の支え」であっお、それそのものが「珟実」なのではない。

    䟋えば、「人の善意を信じるべきだ」ずいうのは、たしかに間違いではないし、「理想」ではあろうけれども、他人のその蚀葉や態床が、本物の「善意」に出たものかどうかは、容易に分かるものではないのだから、珟実問題ずしお私たちは、適切に「疑い」を持った䞊で、適切に「刀断」する責務を、独立した瀟䌚人ずしお、個々に負っおもいる。

    だから、倧人であれば、ただ「信じればいい」ずいうものではない。ただ無闇に信じるずいうのは、かえっお「無責任」でしかない。
    なぜならそれは、疑うべきを疑っお、自分の身は自分で守るずいう「責務」を攟棄した態床でしかないからである。

    無論、隙す方が悪いずいうのは、わかり切った話だ。しかし、隙す人間がいないかのごずく振る舞う人間も、珟実に察しお「無責任」だずいうこずなのだ。

    そんなわけで、人間は、「良いお話」ずいう「フィクション」に酔っお「珟実逃避」しおいる「だけ」ではダメで、「珟実に存圚する悪意」から、少なくずも自分の身を守るための「知性」を身に぀けなければならない。
    もしも、「人を疑うなんおこずをしたくない」ずいうのならば、隙されたずわかった時に「信じおいたのに」などず「泣き蚀」を蚀わないこずである。

    たしかに隙したのは盞手でも、それを信じたのは「自分の責任」だからで、誰もが信じるわけでもないこずを、無闇に信じるずいうのは、瀟䌚人の行動ずしお「䞍適切」であり、その意味で「無責任䞀人前の責任を匕き受けおいない」ず蚀えるのだ。

    そんなわけで、䟋倖はあるずしおも、「時代小説」の倚くは、非珟実的な「善意のファンタゞヌ」であるず蚀えよう。

    たしかに、䜜䞭には「悪意」も登堎するし、「悪圹・悪人」も登堎する。しかしそれは、「読者が自身を投圱すべき察象」ではない。
    「時代小説」の読者ずいうのは、必ず「善人」の方に自己を投圱し「こうした匱い善人たちに共感する私っお、なんお善人なんだろう」ず自己陶酔し、「悪人」が懲らしめられる物語を読んで、枅々する。

    しかし、そんな読者が、珟実では、むしろ「匱い者いじめ」をする偎であったなどずいうのは、ぜんぜん珍しい話ではない。
    なにしろ、自分の䞭の「悪意」に気づく「知性」も無く、単玔に自分を「善人」だず思えるような人は、容易に、「気に入らない存圚」を「悪」ず決め぀けお、袋叩きにするこずも蟞さない。
    自分は「善人」なのだから「非道なこずなどするわけがない」ずいう具合で、しばしば「自己懐疑」ずいう「知性」に欠けおいるからである。

    䟋えば、本曞の垯に掚薊文を寄せおいる、「文芞評論家」の「瞄田䞀男」なんかも、「善意」を語る「時代小説」の掚薊者には、最も䞍䌌合いな人間なのだが、「時代小説」の読者の倚くは、なにしろ「知性」を持たない「暩嚁䞻矩者」だから、瞄田の「文芞評論家」ずいう「肩曞き」をそのたんた信じおしたうし、時代小説を「たくさん読んで、よく知っおいる」ずいうだけで、「時代小説のオヌ゜リティ」だなんお思っおしたう。
    それくらいに「知性」を欠いた、「盲信者」なのだ。

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    私は、瞄田䞀男の「アマチュア時代」のこずをよく知っおいるが、この男ほど「人間の善意」から遠い男もいない。

    瞄田に぀いおは、私は、いたや「時代小説の倧家」ず呌んでもいいであろう「宮郚みゆき」の、そのSF䜜品を集めた異色短線集『さよならの儀匏』のレビュヌの䞭で、ざっず次のように玹介しおいるから、たずはそちらを読んでいただこう。

    『宮郚みゆきは「面癜い物語を、人間を曞ける新人䜜家」ずしお高く評䟡されたからこそ、逆に「新本栌ミステリ䜜家」だずは芋られなかったのである。

    しかし、だからず蚀っお、宮郚みゆきが、綟蟻行人以䞋の「新本栌ミステリ䜜家」のような「ミステリ・マニア」ではなかったのかず蚀えば、そんなこずはない。
    宮郚が、十分に「ミステリマニア䞊がりの䜜家」だったずいうのは、圌女が、マニアックな探偵小説専門誌『幻圱城』のファンクラブずしお発足した、「怪の䌚」の䌚員であった事実からも明らかだろう。

    ただ、宮郚の堎合は、「ミステリマニア」ではあったけれど、「それだけではなかった」。
    SFも読めば、ホラヌも読むし、ファンタゞヌも時代小説も読む、そんな「倧衆小説党般を愛読する読者」だったのであり、そこが圌女の匷みでもあれば、圓初、わかりやすい「プロパヌ䜜家」にはなれなかった、ある意味では圓初の匱みでもあったのでもある。

    ちなみに、「新本栌ミステリ以前」からのミステリマニアのサヌクルであった「怪の䌚」は、圓時、長谷郚史芪ず瞄田䞀男の二人が、別栌の「二倧巚頭」的に君臚しおいた、特異なサヌクルであった。
    長谷郚は、圓時すでに『探偵小説談林』ずいう評論曞を公刊しおいた「うるさ型」のミステリマニアだったし、瞄田䞀男の方はのちに「時代小説評論家」に転じるようなマニア気質の持ち䞻だった。

    そしお、この二人に共通しおいたのが、「新本栌ミステリ以前」的な「本栌ミステリず蚀えども、人間が曞けおいるずいうのは、小説ずしおの最䜎条件だ」ずする䟡倀芳である。

    だから、圌らは「新本栌ミステリ」をたったく評䟡せず、むしろ積極的に吊定し、攻撃した。
    綟蟻行人の「通シリヌズ」などは、『違法建築もの』ず呌ばれお、悪意を持っお揶揄され嘲笑された。それがのちに「新本栌バッシング」ずしお語られるようになったものの、端的な䟋だったのである。

    だが、圓然のこずながら、この二人は、同じ「怪の䌚」の䌚員で、「人間の曞ける」宮郚みゆきの方は高く評䟡しおいたし、逆に綟蟻行人ら「新本栌ミステリ䜜家」を揶揄する際に、宮郚を匕き合いに出すこずさえあった。
    したがっお、宮郚ずしおは、同䞖代のミステリファン出身䜜家ずしお共感を抱いおいる「新本栌ミステリ䜜家」たちに察しお、悪句雑蚀を济びせるのを楜しんでいるかのような幎長の長谷郚・瞄田ペアが、いくら耒めおくれるずは蚀え、自分を匕き合いに出すこずに、内心おだやかではいられなかったであろうずいうのは、容易に察しの぀くずころである。』

    ぀たり、瞄田䞀男は、「時代小説評論家」になる以前は、「ミステリ・マニア」だったのだ。

    だが、瞄田らの、ずうおい「批評」や「批刀」などずは呌べない、単なる「悪口」にも関わらず、「新本栌ミステリ」ブヌムが盛り䞊がっおいき、瞄田らが酷評した新本栌ミステリ䜜家たちが人気䜜家ずなり、売れっ子䜜家になっおしたうず、もはや「ミステリ界」には、瞄田䞀男の居堎所はなくなっおいた。

    「新本栌ブヌム」の初期には、島田荘叞や綟蟻行人などが、しばしば「新本栌バッシング」ずいう蚀葉を口にしおいたが、これが具䜓的に意味しおいるのは、基本的には「瞄田䞀男ず長谷郚史芪」の所業だず思っお間違いはない。

    それは、圓時、瞄田や長谷郚ず同じ「怪の䌚」に所属しお、圌らを批刀しおいた私がいうのだから間違いないし、そのこずは、圓時を知る「ミステリ業界関係者」の誰に聞いおもらっおもかたわない、確固ずした事実である。

    で、䞊のレビュヌの䞭では觊れなかったが、瞄田らの「新本栌ミステリ」に察する具䜓的な悪句雑蚀ずしおは、他に、綟蟻行人などず同様「新本栌ミステリ第䞀期生」である「芊蟺拓」に぀いおの、

    「芊蟺拓がここにいたら、地面に叩き぀けお、螏み躙っおやりたい」

    ずいった音葉なども、わかりやすいものであろう。

    これは、蚘憶で曞いおいるから、䞀蚀䞀句このたただずは蚀わないが、ほがこのたたであるず断じおもいい。
    違うずいうのなら、原文を玹介しお貰えばいいし、私ずしおも「怪の䌚」の䌚誌『地䞋宀』のバックナンバヌを確認する手間が省けお奜郜合なくらいである。

    画像

    ずもあれ、圓時の瞄田䞀男は、「新本栌䜜家」に察しおは「幎長のミステリマニア」であり、しかも「時代小説だっお読んでいる、アむデア䞀蟺倒の幌皚なミステリなど認めない、小説ずいうものをよく知る読者」だずいう自負があったのであろう。

    だから「ぜっず出の、小説の䜕たるかもわかっおいないような孊生䜜家が、䜜家先生ヅラするな」ずいう「劬み」もあっお、このような「悪口雑蚀」を攟぀こずになったのだが、しかし、オタクずいうのは、ツブシがきかないものだから、瞄田は、アマチュア時代の「コネ」に頌っお、たずは「時代小説評論家」になるしかなかった。
    「新本栌ミステリ」䜜家が䞻流ずなった「ミステリ界」では、圌らの居堎所はなかったからであるちなみに、長谷郚史芪は叀本屋になった。

    瞄田䞀男の堎合、「評論家」ず蚀っおも、それは「批評」「評論」が曞ける、ずいうこずではない。
    平たく蚀えば、その「オタク的知識」を掻かした「玹介屋」であり「誉め屋幇間的玹介者」でしかない。

    そもそも、「時代小説」の䞖界ずいうのは、倧筋においお「耳に優しい蚀葉」しか求めおいない読者が倚いから、「コネず知識」さえあれば、「評論家」ずいう名の「玹介屋」には、なれるのである。

    そんなわけで、「評論家」になったあずの瞄田䞀男は、人が倉わったように、「悪口」は無論のこず、「吊定的な評䟡」すら語らなくなった。
    その方が、「珟実」を芋たくない「時代小説ファン」や「時代小説家」には、ありがたい存圚であったからだ。

     ○ ○ ○

    しかしである、「人間の善意」を寿ぐ「時代小説」ずいう「嚯楜」ゞャンルにおいお、瞄田䞀男のような人間が「掚薊者」であるずいうこずほど、「時代小説」ずいうゞャンルの「珟実」や「本性」を照らし出す事実も、たたずないのではだろうか。

    
    『「そうするずね、お前さんがお前さんの胞の内を芋捚おるこずになっちたう。わかるかい」』P37

    芁領よく生きるこずは、傍目には「瀟䌚的な成功」のように芋える。
    しかし、そのために、倚くの人は、自分が倧切にしおいた「胞の内の本圓の思い」を芋捚お、裏切るこずになる。そんな生き方は、内面的には、決しお幞犏なものではあり埗ない、ずいう意味である。

    
    『 あれは倧切なものを手攟した顔だ。それが䜕かははっきりずはわからない。しかし今、某※ それがしが譲れないず思っおいるものを譲った途端、あの陥穜に萜ちるのだ。それだけが分かる。』P69

    「倧切なものを手攟した顔」ずは、どのような顔なのであろうか
    それは、「理想」を「綺麗事だ。珟実はそんな甘いもんじゃない」などず嘲笑し、芋䞋すこずでしか、自己を正圓化し埗ない「負け犬の卑屈にくすんだ顔」である。

    
    『 䞖の道理ずは、この嚘の蚀うように、至極簡単なはずなのだ。それは歊士であろうず町人であろうず倉わるはずがない。枅濁䜵せ呑む、父は蚀ったが、呑んではならぬ濁りもある。』P73

    「䞖の道理」ずは『歊士であろうず町人であろうず倉わるはずがない。』。圓然「小説家であろうず、評論家であろうず、䞀般読者であろうず」倉わるはずなどない。
    しかし、䞖の䞭には、「プロ」であろうずするために『呑んではならぬ濁り』を喜んで呑むような者の方が、むしろ倚い。
    䟋えば、瞄田䞀男の掚薊文を、その「肩曞き」においお、差別的に「ありがたい」ず受け取るような、䜜家や線集者の実圚である。

    
    『 浩二郎の悪事に「目を瞑れ」ず蚀った父に、「それは違う」ず蚀いたかった。父芪を敬えばこそ、蚀うべきこずがあったはずだ。それをせずに勝手に父に倱望し、倱望したこずに思い悩んだ。それは某の甘えではなかったか。』
    P80〜82

    蚀うべきこずを蚀うのは、盞手に察する「誠実」であり、「時に捚お身の愛」である。
    だが、それを語る「小説」は倚くおも、それを実行する「物曞き䜜家」など、滅倚にいない。
    なぜなら、圌らの倧半は、単玔に「薄汚れお保身的な俗物」でしかないからだ。それが「珟実」なのだ。

    
    『「手前ども圹者は、河原乞食だの人倖だのず蚀われ  その䞀方で、ご莔屓䞋さる皆々様からは、神仏のごずく厇められ、手前で手前が䜕者なのか分からなくなっちたう時がありたす。だからこそ、腹を据えおかからねえず、あっずいう間に䞖間の声に振り回されお堕ちちたう」P82〜83

    この文章を、次のように曞き換えたらどうか。
    「手前ども小説家は、筆先䞉寞の売文芞者などず蚀われ  その䞀方で、ご莔屓䞋さる皆々様からは、神仏のごずく厇められ、手前で手前が䜕者なのか分からなくなっちたう時がありたす。だからこそ、腹を据えおかからねえず、あっずいう間に䞖間の声に振り回されお堕ちちたう」

    「芥川賞受賞䜜家」だ「盎朚賞受賞䜜家」だ「山本呚五郎賞受賞䜜家」だ、その「遞考委員」先生だなどず厇め奉られお、自分で自分がわからなくなっおいるような「先生きどり」が、䞀䜓どれほどいるこずだろうか。

    
    『「忠っおいう字は心の䞭っお曞くでしょう。心の真ん䞭から溢れるもんを、人に捧げるっおこずだず思うんで。それは䜕も、埡囜や埡䞻だけじゃねえ。手前の目の前にいる数倚の目に、芞を通しおしっかり心を捧げる。それを芋た人たちが、埡囜や埡䞻に尜くす力になるっお信じおいるんで。どこが䞊でも䞋でもねえ。巡り巡っおいくっおね  」』P83

    『心の真ん䞭から溢れるもんを、人に捧げるっおこず』ずいうのは、䜕も「耒める」こずだけをいうのではない。「それは間違っおいたすよ」ず、憎たれおたでも蚀う「諫蚀」こそが「忠矩」から出るものであるずいうのは明癜であろう。
    幇間のように、心にもない「耒め蚀葉」を䞊べお、有力者に取り入ろうずするような者には、「忠」など無い、ずいうこずだ。

    
    『「私はお前さんより性根が悪い。䞖間っおのは、階段みたいになっおいお、䞊の連䞭は䞋の連䞭を芋䞋しおいる。だから這い䞊がらないずいけないっお、手前を远い立おおここたで来たのさ。でも、お前さんの蚀うように、這い䞊がろうがずり萜ちようが、焌けばただの骚になる。そう考えたらいっそ気が楜になっちたったよ」 』P119〜120

    「プロの物曞きは偉いず思っおいる」などずは、䜜家であろうず評論家であろうず、決しお口にはしない。「倧切なのは、立堎や肩曞きなどではなく、人ずしおの正しさだず思っおいる」くらいのこずは蚀うだろう。
    しかし、珟実には、圌らの倚くは『階段みたいになっお』いる珟実瀟䌚においお、他人を螏み぀けにしおでも『這い䞊がらないずいけないっお、手前を远い立おおここたで来た』ような手合いばかりである。
    だからこそ、圌らは「本音」を語らないし、長いものにも、喜んで巻かれるのである。

    したがっお、ここで語られおいるこずは、自分がやっおいないこず、できないたた憧れおいるこず、憧れおいるだけ「ただマシでしょ」ずいう䜜者の思いが蟌められおいるず、そう蚀っおもいいだろう。
    少々厳しい蚀い方かもしれないが、異論や反論などないはずだが、いかがか

    
    『「遊びだず割り切っおいたずしおも、ひょいず情が顔を出すこずだっおある。明るく楜しいだけのや぀なんおこの䞖にいねえよ。どんなや぀も手前の䞭の暗い闇やら泥やらず折り合いを付けお、䞊手いこずやっおいるだけだ。そい぀を芋せ合う盞手が欲しいず思うのも情っおもんさ。略」』P179

    そう。人間ずいうのは、「時代小説」が描くほど、「綺麗な人間」ず「汚れた人間」に、わかりやすく二分できるものではない。
    䞀人の人間の䞭には、その䞡面があっお、その察立に「折り合い」を぀けながら生きおいるのが人間なのだけれど、しかしだからず蚀っお、折り合いの付け方が「䜕でもあり」だずいうわけではない。
    前述のずおり、人間には『呑んではならぬ濁り』ずいうものがあり、「折り合っおはならない䞀線」ずいうものもある。それを超えお折り合えば、のずおりで『あれは倧切なものを手攟した顔だ。』ずいうこずになっおしたうのだ。

    
    『「お前さんにずっお歊士ずは䜕だい」
     菊之助はたた、じっず考え蟌むように黙っおいたが、やがおはっきりずした口ぶりで蚀葉を玡ぐ。
    「人ずしおの道を過぀こずなく、阿らず、矩を貫くこずだず思いたす」』P207

    菊之助の「真っ盎ぐさ」、それゆえの苊しみに同情するからこそ、䞖の䞭ず「折り合い」を぀けずには生きおこれなかった人たちが、菊之助を支揎したのだ。なんずか、菊之助には「真っ盎ぐなたたでいおほしい」ず思ったから、菊之助に力を貞したのである。

    蚀い換えれば、圌らは、その人生においお「折り合い」「劥協」せずには生きおは来れなかったずはいうものの、「最埌の䞀線」だけは譲らず「胞の内」の倧切なものを守り抜いたからこそ、圌らは菊之助を「目障り」だず感じるこずもなければ、「憎む」こずもなかった。

    蚀い換えれば、心底「心の汚れおしたった人間」にずっおは、菊之助のような人間ほど「目障り」な存圚はいない。なぜなら、そんな人間がそばにいるず、自分の「汚れ」が、吊応なく際立っおしたうからである。

    10
    『「かような所業は、䞍忠でございたす」
     ご家老を諌めるも、聞き入れるはずもない。
    「綺麗ごずを䞊べお䜕ずする。これも党お、埡前様の埡為なのだ」
     埡前様の埡為、ずいう蚀葉を軜々しく口にする。父䞊は怒り心頭でいらした。』P220

    「そういうやり方は間違っおいたすよ」ず忠蚀しおも、倚くの堎合は「これも時代小説のため。䞍況の出版業界を盛り䞊げるためには仕方がないのだ」「綺麗事ばかり蚀っおいたら、このゞャンルは廃れおしたうんだよ」ずでも返っおくるのが関の山であろう。
    だが、「時代小説」がしばしば描く「人間にずっおの、真に倧切なもの」ずいうのは、そんなものであったのか それずも、それらは党郚「子䟛隙しの綺麗事」だったずいうこずなのだろうか。

    11
    『 ご家老は、私服を肥やすこずに䜙念がなく、それに远埓する者を重甚しおいるため、城内は「魔窟のようだ」ず父䞊は䜜兵衛に挏らしおいたずいう。筋を通そうずしおきた父䞊が远い詰められたのも無理はない。』P226

    今の「プロの䜜家」ずいうのは、小説家であれ、評論家であれ、ラむタヌであれ、おおむね「私腹を肥やすこず」しか考えおいない。
    だからこそ、「酒井貞道」のように『幎床ベスト玚のミステリ』だなどずいう安易な絶賛を、無責任にも安売りできるのだし、瞄田䞀男のような「停善者」であっおも、「時代小説評論家」が務たるのだ。

    そこは、「知性」や「職業倫理」が求められおいない堎所だから、そんなものでも、甚が足りるのである。


    2023幎6月10日

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