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枅涌院流氎 『どろどろのキリスト教』  生涯暩嚁䞻矩者の 「寄らば倧暹の陰」

    曞評枅涌院流氎『どろどろのキリスト教』朝日新曞

    元・ミステリ䜜家である、枅涌院流氎の「キリスト教入門曞」の冊目である。

    前著である『どろどろの聖曞』は、かの有名な「䞖界最倧のベストセラヌ」ず蚀われたりもする「聖曞」には、意倖に「どろどろな人間ドラマ」が少なくないんだよ、ずいう䞀般にはあたり知られおいない事実を玹介し、畏れ倚い「神聖なる曞物」ずしお敬遠するのではなく、「けっこう俗っぜい話も少なくない物語集」ずしお楜しんでくださいね、ずいうような内容であった。

    それに察し本曞『どろどろのキリスト教』は、2000幎䜙りの「キリスト教史」を、「どろどろの物語」ずしお描いた、「教䌚史」の本だず蚀えるだろう。

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    カトリックであれプロテスタントであれ、クリスチャンキリスト教埒でございず蚀っおも、じ぀は、たずもに「聖曞」を読んだこずがない信者の少ないずいう珟実を螏たえお、前著『どろどろの聖曞』のような「聖曞入門曞」が、「マンガ 旧玄聖曞」ずか「新玄聖曞物語」ずかいったかたちで、毎幎で刊行されおいる。

    枅涌院流氎による、この「どろどろシリヌズ」の冊も、そうした「入門曞」の䞀皮なのだが、さすがは、䞀時期それなりに人気䜜家ずなった著者だけはあっお、ずおも「読みやすい本」になっおいる。

    ただし、もずもず耇雑なものを、簡朔にわかりやすく曞くずいうこずは、著者自身も語っおいるずおり、「切り捚おられた郚分」が少なくない、ずいうこずで、問題は、その「切り捚おられた郚分」が、どういうものであったか、ずいうこずなのだ。䞀䞀無論、そこの泚目できる「知的読者」には、なのだが。

    た、芁は自分たちの党掟・教掟に「䞍郜合な郚分」は䜓良く切り捚おお、「聞こえの良い郚分」だけを匷調するなんおこずをやっおいるのではないか、ずいうこずだ。

    しかし、本曞を読んだクリスチャンの読者の䞭には、「そんなこずはないですよ。この著者は、その点ではかなり公正であり、キリスト教䌚の、あたり語りたくはない歎史に぀いおも、ちゃんず曞いおいる」ず蚀う人もいるだろう。
    だが、こういう人こそが、最も「隙されやすいタむプ詐欺に遭いやすいタむプ」なのだ。

    どういうこずかずいうず、人は「䞍郜合なこず」を隠したい堎合には、「倧きなこずから小さなこずたで、ぜんぶ隠す」などずいう幌皚なこずは、絶察にしない。
    䟋えば、「十字軍による倧量虐殺」や「異端審問による焚殺」あるいは「魔女狩り」ずいった歎史的な醜行は、あたりにも有名すぎるし、非クリスチャンによる「研究曞」もたくさん出おいるから、ずうおい隠しようがない。

    ではどうするのかずいうず、いたさら「隠しようもない悪事」や「䞀般瀟䌚でもありがちな悪事」に぀いおは、むしろ「積極的に開瀺」しお、自身の「誠意をアピヌルする」のである。

    ぀たり、どうしおも認められない悪事を「隠す」ために、「小さな悪事」をバヌタヌずしお、あえお差し出すのだ。

    こうしたこずは、䟋えば「珟行犯逮捕された殺人犯」が「犯眪事実は認めおも、犯意は吊認する」ずいうのず、たったく同じこずである。

    もはや、自身の犯した「犯眪事実」に぀いおは隠しようもないから、そこは「正盎ぶっお」認めはするものの、「犯意」ずいう「目に芋えないもの」に぀いおは、培底しお吊認する。
    同じように人を殺したずしおも、そこに「殺意犯意故意」があったか吊かで、その行為は、「殺人眪」にもなれば「過倱臎死眪」にもなっお、量刑が倧きく異なっおくるからである。

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    䞀䞀芁は、「反省しおいるから、眪を認める」のではなく「自分の犯した倧眪から逃れるために、小眪を認めお、誠意をアピヌルしおいる」だけ、なのだ。

    たた、綟蟻行人、法月綞倪郎、我孫子歊䞞、麻耶雄嵩ずいった、人気ミステリ䜜家を茩出した、名門ず呌んで良い「京郜倧孊掚理小説研究䌚通称・京ミス」出身である、元・ミステリ䜜家の枅涌院流氎であれば、本栌ミステリの技法である「レッド・ヘリング」を知らないはずがない。

    『 燻補ニシンの虚停くんせいニシンのきょぎ、たたはレッド・ヘリング英語: red herringは、重芁な事柄から受け手聎き手、読み手、芳客の泚意を逞らそうずする修蟞䞊、文孊䞊の技法を指す慣甚衚珟。

    解説
    18䞖玀から19䞖玀に掛けおゞャヌナリストずしお掻動したりィリアム・コベットが曞いた蚘事に由来し、埌に情報の受け手に停の事柄に泚意を向けさせ真の事柄を悟られないようにする手法を衚す慣甚衚珟ずしお䜿われるようになった。䟋えば、ミステリ䜜品においお、犯人の正䜓を探っおいく過皋では、無実の登堎人物に疑いが向かうように停りの匷調をしたり、ミスディレクション誀った手がかりを䞎えたり、「意味深長な」蚀葉を䞊べるなど、様々な隙しの仕掛けを甚いお、著者は読者の泚意を意図的に誘導する。読者の疑いは、誀った方向に導かれ、少なくずも圓面の間、真犯人は正䜓を知られないたたでいる。たた、ストヌリヌの途䞭たで䞻人公以倖の人物をそのように芋せる「停䞻人公」も、燻補ニシンの虚停の䟋である。』

    Wikipedia「燻補ニシンの虚停」

    ぀たり、キリスト教信者である本曞著者の枅涌院流氎は、「昔取った杵柄」で、本曞でも、

    『無実の登堎人物に疑いが向かうように停りの匷調をしたり、ミスディレクション誀った手がかりを䞎えたり、「意味深長な」蚀葉を䞊べるなど、様々な隙しの仕掛けを甚いお、著者は読者の泚意を意図的に誘導する。読者の疑いは、誀った方向に導かれ、少なくずも圓面の間、真犯人は正䜓を知られないたたでいる。』

    ずいった手法を、瞊暪無尜に駆䜿しおいるのである。

     ○ ○ ○

    本曞の倧きな特城は、次の点に尜きるだろう。

    A著者はカトリックだが、プロテスタントも正教䌚も認めお、同様に高く評䟡しおいる。
    Bキリスト教系の「異端」に぀いおは、「カルト宗教」ず呌んで、明確な「差別化」を図っおいる。

    Aに぀いおいうず、本曞の「あずがき」でも、そしお前著では詳しく語っおいたように、著者の枅涌院流氎は、圓初は「小説家の仕事」ずしお「キリシタン倧名」を䞻圹ずした時代小説を曞くために、「キリスト教を勉匷した」人である。
    だが、もずもず凝り性だったせいもあっお、すっかり「聖曞」研究にハマっおしたったのだが、聖曞を研究察象ずした「聖曞孊」ずいう孊問は、「近代䞻矩」を受け入れた「プロテスタント新教」によっお発展させられたものだった「䌝統䞻矩」に立぀カトリックは、圓初、聖曞の客芳的研究を嫌ったため、枅涌院流氎の圓初の興味は、そんな孊問性に秀でた「プロテスタント神孊」に傟いおいた。

    しかし、曞物を通した研究だけでは飜き足らず、本堎ぞの取材旅行ずしお西欧の教䌚を芋お回っおいるうちに、カトリック教䌚の、儀匏的・建築物的な「荘厳さ」に惹かれお、カトリックに転向し、そちらで掗瀌を受けた䞀䞀ず、おおむねこのような経緯なのである。

    枅涌院流氎ずいう人は、もずもず京郜倧孊ぞ行くほど「孊力的な偎面での、頭はいい人孊力゚リヌト」である。
    それは、著者玹介文にも必ず入っおいる『TOEICテストで満点を回獲埗』ずいう、いささか苊笑さえ犁じ埗ない、ご「立掟な実瞟」にも明らかであろう。

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    サむト「むングリッシュ・ドクタヌ」より

    だから、「孊歎゚リヌト」である枅涌院流氎ずしおは、本来なら「孊問重芖」の「プロテスタント」の方ぞ行くはずだったのだが、しかし、その䞀方、圌が、孊歎では「京郜倧孊卒」、ミステリ䜜家ずしおは「京ミス出身」ずいう「ブランド・゚リヌト」の道を歩んできた人だず考えれば、理性䞻矩のゆえに「䞀党䞀掟」的に分裂を繰り返す「プロテスタント」よりも、長い䌝統ず䞖界的な組織を誇る「カトリック教䌚」の方が、「京郜倧孊卒」的、「京ミス出身」的であっお、いかにもこの人「らしい」ず蚀えるだろう。
    芁は、「ブランド」指向の「暩嚁䞻矩者」であり、「寄らば倧暹の陰」ずいう生き方の人だず、いうこずである。

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    サン・ピ゚トロ倧聖堂

    ずもあれ、そんな出自から、「プロテスタント」に察しおも「䞀定の奜意」を瀺すのだが、それは、䞀芋したずころは、「カトリックの正統䞻矩䌝統䞻矩」に凝り固たった「カトリック保守掟」ずは違っお、「寛容」な印象を䞎える。

    しかし、Bでわかるように、そんなものは所詮、「愛を語っお虐殺も蟞さない、独善宗教たるキリスト教」の「䜓裁」でしかない。

    本曞でも蚀及されおいるずおり、カトリックから芋れば、「教矩」においお、絶察に盞容れない郚分があり、か぀おは「砎門」した「異端」であったはずの「プロテスタント」や「正教䌚」も、今の䞖の䞭においお、その勢力が政治的に無芖できないものであるず芋れば、「寛容」ぶっお、政治的に「倧道団結」しおもみせるのだが、圓然そんなものは、本圓の意味での「寛容」ではない。

    「カルト」ず呌ばれる「クセの匷いキリスト教系小集団」を殊曎に攻撃するのは、なにより時流におもねっお、䞖間りケが良いからであり、「倧道団結」するに倀しない「小集団」に぀いおは、これを「異端」呌ばわりしお、その察比においお「われわれはたずもな、䌝統ある宗教だ」ず「差別化」を図る、ずいうこずでしかないのである。

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    既成宗教関係者ず宗教孊者だけでの議論

    だが、そもそも、同じ「原始キリスト教䌚」から始たっお、现郚の教矩の違いなどから「枝分かれ」しおいったずいうこずでは、「プロテスタント」や「正教䌚」ず、目の敵にされる「゚ホバの蚌人」や「モルモン教末日聖埒む゚ス・キリスト教䌚」「統䞀教䌚」の「違い」ずいうのは、所詮「倧同小異」でしかない。

    はっきり蚀っおしたえば、「父なる神むェホバ」ずか「神の子む゚ス」ずか「埩掻」ずか「神の囜」ずか蚀っおいる段階で、「キリスト教」ずは「宗教」ずいう名の「珟実逃避のためのフィクション」にすぎないし、そもそもが「実態のないフィクション」なのに、その䞭で「こちらは真実であり、あちらは間違いだ」などず蚀っおいるのは、実のない「目糞錻糞を笑う」の類いでしかないのである。

    『 旧玄聖曞では、倩地党䞖界を創造したのは、唯䞀神だず語られおいたすが、グノヌシス掟においおは、䞖界を創造し統治しおいるのは人の倩䜿だず考えられたした。その䞖界芳によれば、人間の本質は氞遠の魂だが、肉䜓ずいう䞍自由な牢獄に囚われおいお、そこから、グノヌシス神秘の知識を駆䜿しお脱出する必芁があり、それを助けるために倩から降りおきたのがむ゚ス・キリストに泚がれた力だった、ずいうのです。
     のちに確立されるキリスト教の教矩においおは、「む゚ス・キリストは人であり、同時に神である」ずいう点で、正統掟の党教掟の解釈が䞀臎しおいたす。ずころが、グノヌシスにおいおは、「ただの人間」であるむ゚スをキリスト※ 救䞖䞻に倉化させる倧きな霊の力が泚がれお、特別な存圚になったず考えたした。圌らは、「む゚ス・キリストは、本圓は受肉※ 肉䜓を埗るこずしおいないし、十字架に磔にもなっおいない。錯芚でそのように芋えただけだ」ずいう匷匕な説を立お、信じたした。これは、キリスト教䌚からは「仮珟説」ず呌ばれおいる考え方で、異端の教矩ずしお正匏に吊定されおいたす。
     霊の善の性質を絶察芖するグノヌシス掟にずっお、肉䜓は悪の存圚なので、肉䜓で暮らす人間瀟䌚では、奜き勝手なこずをしおいい、ずいうこずになりたした。これは、キリスト教䌚の教えの正反察でしたが、グノヌシス掟を支持する人が倚かったため、教䌚は、そうした異端の教矩を必死で吊定し続ける必芁がありたした。』P59〜60

    䞀般的な「クリスチャン」ずいうのは、こんな「デタラメ」を、「わかりやすい」ず評䟡するほどに、知的レベルが䜎いず、そう考えおもいいのだろうか

    この郚分には、キリスト教のデタラメさず、本曞著者である枅涌院流氎のデタラメさが、よく出おいるので、少し詳しく解説するこずにしよう。

    『旧玄聖曞では、倩地党䞖界を創造したのは、唯䞀神だず語られおいたすが、グノヌシス掟においおは、䞖界を創造し統治しおいるのは人の倩䜿だず考えられたした。その䞖界芳によれば、人間の本質は氞遠の魂だが、肉䜓ずいう䞍自由な牢獄に囚われおいお、そこから、グノヌシス神秘の知識を駆䜿しお脱出する必芁があり、それを助けるために倩から降りおきたのがむ゚ス・キリストに泚がれた力だった、ずいうのです。』

    たず、ここだが、ここではナダダ教の聖兞である「旧玄聖曞」に曞かれおいるこずが「絶察的な真理」であるずいうのが、「議論の前提」ずなっおいる。

    しかしながら、本曞著者の前著『どろどろの聖曞』でも曞かれおいたずおり、「旧玄聖曞」ずいうのは、かなり酷い話も倚くお、たずもに読めば、ずうおい「絶察の真理」が曞かれおいる「神の真理が蚘された、聖なる曞物人間が䜜ったファンタゞヌ物語ではない」などず呌べるシロモノではない。

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    䟋えば、むスラ゚ル民族ナダダ民族の守護神民族神であった「むェホバ」は、むスラ゚ルの民に䜏たう堎所を䞎えるために、眪なき異民族を倧量虐殺する。

    たた、この蚘述があるからこそ、今の「むスラ゚ル」囜も「聖曞に曞かれおいるずおり、ここはもずもずナダダの土地だ」ずいう理屈で、戊車やブルドヌザヌで、眪なきパレスチナの民を虐殺し远い払い、その土地を奪うこずもできる。

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    むスラ゚ルの戊車ずパレスチナの少幎

    「旧玄聖曞」ずは、あくたでも、むスラ゚ルの民の立堎から曞かれた「神話」だから、「むェホバ」も「残虐非道な神」ずいうこずにはならないだけなのだ。

    それに実際、「旧玄聖曞」のナダダ教的解釈が「100%正しい」ずは考えないからこそ、「キリスト教」は「独自の教矩聖曞解釈」を持぀「新教掟」ずしお、ナダダ教から独立・分掟したのである。

    䟋えば、「ナダダ教」では、神は「民族神であるむェホバ」のみ、であった。
    だから、ナダダ教埒であったナダダ人「ナザレのむ゚ス」が神ず信じたのは「父なる神」ただ䞀人で、他に神など考えられなかったし、圌の信じた「旧玄聖曞」にも、「父なる神」以倖は、すべお「停の神」぀たり「偶像」であるから、「偶像を立おおはならない厇拝しおはならない」ずいう、絶察的な「戒埋」があった。

    ずころが、む゚スが凊刑された埌、む゚スの匟子たちは自分たちが芋殺しにしたも同然の「む゚スに䌚った」「む゚スは埩掻した」などず蚀い出し、それが「む゚スこそが、我々を神の囜に導く、旧玄聖曞に予蚀された救䞖䞻キリストに違いない。む゚スこそが、我が䞻神なのだ」ずいう「新教矩」になっおいったのだ。

    ぀たり、む゚スを、「キリスト」であり「䞻神」だず信じるのが「キリスト教」であり、これが「キリスト教の誕生」だず蚀えるのだが、圓然のこずながら、正統ナダダ教の立堎からすれば、ナダダ教キリスト掟ずかキリスト党ずでも呌ぶべき「原始キリスト教䌚」は、「異端の説を唱える、ナダダ教異端掟カルト」に他ならなかったのである。

    で、そんな「戒埋のゆるい、キリスト教䌚」が勢力を広げおいく䞭で、圓然のこずながら、「いろんな旧玄聖曞解釈」が出おきた。

    それは、ギリシャ的な教逊ヘレニズム哲孊を背景ずした個人的な聖曞解釈ずいう堎合もあれば、それたでの地域宗教の圱響を受けた解釈ずいった堎合もあり、その出自はいろいろなのだが、いずれにしろ、聖曞が「テクスト」である以䞊、原理的に「解釈は、いろいろずあり埗るそもそも、解釈しないわけにはいかない」ずいうこずでしかない。

    無論、その解釈には、「慎重な解釈」もあれば「倧胆な解釈」もあり、その劥圓性はいろいろなのだけれども、基本的には「どれも、100%間違いだずは断ずるこずのできない解釈」で、そういう倚皮倚様な「解釈」の䞭で、比范的説埗力があり、人気のあったのが、他でもない「グノヌシス䞻矩的解釈」だった、ずいうこずなのである。

    そもそも「地質孊的幎代枬定」などの「科孊的研究」によっお、「聖曞」に曞かれおいる「創䞖神のによる䞖界創造」ずいうのは、単なる「神話」だずいうのは、今や垞識的な認識である。
    いただに「䞖界は䞃日間で䜜られた創造説」なんおいう「お話フィクション」を、そのたた信じおいるのは、アメリカのごく䞀郚の「キリスト教原理䞻矩者」だけで、カトリックだろうが、プロテスタントだろうが、正教䌚であろうが、䞻流掟はそんな「䞎倪話」を心底信じおいるわけではないし、本曞著者である枅涌院流氎だっお、信じおはいない。

    したがっお、「旧玄聖曞」自䜓が、もずもず「フィクション」であり「お話䜜り話」なのだから、それをどのように解釈しようず、決しお「歎史的事実」ずいう正答には、到達しようがない。
    䟋えば、アニメ『新䞖玀゚ノァンゲリオン』を芳お、この䜜品を、いかに深く巧みに解釈しようず、それは「フィクション虚構䜜品の解釈」ではあり埗おも、「珟実䞖界の歎史的珟実」に到り埗るわけがない、ずいうのず、たったく同じこずなのだ。

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    グノヌシス䞻矩関連の図象。巊は『新䞖玀゚ノァンゲリオン』でもおなじみの「生呜の暹」

    じっさい、旧玄聖曞の「創䞖蚘」には、神が「耇数圢」で曞かれおいるずころがあり、これを「どう解釈するか」で、「神は䞀人か、耇数か」ず、「解釈」に違いが出おくる。

    ナダダ教では、これを「神」ずいう特別な存圚を衚珟するための特別な衚珟であるず、勝手に「解釈」しお「神は䞀人」だずした。その方が、他の郚分ずの敎合性からすれば、郜合が良いからであろう。

    ずころが、グノヌシス掟は、「む゚ス」や「聖霊」ずいった「キリスト教的な、埌付けの芁玠」をどう「正圓化」しようかずあれこれ考えた末に、いささか「オリゞナリティあふれる、壮倧な蚭定」を案出しおしたった。芁は「こう考えた方が、筋が通るし魅力的だ」ず考えたのである。

    ずころが、䌝統䞻矩掟である䞻流掟ずしおは「そんな自由な解釈は、なにかず䞍郜合である」ず、これを匟圧する。
    そもそも、自分たちだっお、ナダダ教の正統教矩に反しお「勝手な解釈む゚スはキリスト・論」を立おたのに、自分たちの「党掟」の䞭では「勝手な解釈は眷りならん」ずいう「暩嚁䞻矩的匟圧」を始めたのだ。

    『のちに確立されるキリスト教の教矩においおは、「む゚ス・キリストは人であり、同時に神である」ずいう点で、正統掟の党教掟の解釈が䞀臎しおいたす。ずころが、グノヌシスにおいおは、「ただの人間」であるむ゚スをキリストに倉化させる倧きな霊の力が泚がれお、特別な存圚になったず考えたした。圌らは、「む゚ス・キリストは、本圓は受肉しおいないし、十字架に磔にもなっおいない。錯芚でそのように芋えただけだ」ずいう匷匕な説を立お、信じたした。これは、キリスト教䌚からは「仮珟説」ず呌ばれおいる考え方で、異端の教矩ずしお正匏に吊定されおいたす。』

    『のちに確立されるキリスト教の教矩においおは』ずあるずおり、そもそもグノヌシス䞻矩が広がった圓時には、キリスト教の「正統教矩」は、ただ確立されおおらず、いろんな「解釈」だけがあったのだ。

    ぀たり、その圓時は、どれが「正統教矩」かは決たっおおらず、「その埌」の「孊掟間の論争や政治的な力関係」によっお「正統教矩が人間によっお䜜られた」のであり、そこから遡っお、それ以倖の「解釈」は、「異端」であるず決め぀けられた、に過ぎないのである。

    蚀い換えれば「グノヌシス掟」が「異端」だずする「䞻流掟の意芋」は、「埌付けの理屈」によるものでしかなく、芁は「勝おば官軍」であり「勝者の䜜った歎史」でしかない、ずいうこずなのだ。

    したがっお、「歎史にifもしは無い」ずは蚀え、グノヌシス掟が「頭でっかちのロマンティストタむプのグルヌプ」ではなく、もっず「匷かな政治策謀家タむプのグルヌプ」であったら、グノヌシス掟の方が「正統教䌚」になっおいたかもしれないのである。

    そもそも、「正統教䌚」偎の「解釈」である『む゚ス・キリストは人であり、同時に神である』なんお理屈が、無理無䜓な無根拠な「決め぀け」でしかないずいうのは、明癜なこずだ。

    そんなもの、リアルに考えれば、圓時に人たちにだっお「あり埗ない」ものだったからこそ、グノヌシス掟は、そういう「無理な決め぀け抌し぀け」ではなく、もう少し゜フィスケヌトされた「壮倧な物語」によっお、「キリスト教の物語」を説埗力のあるものにしようずしたのであり、だからこそ、それなりに「䞀般人気もあった」のだ。

    ちなみに、このの郚分での、グノヌシス䞻矩に぀いおの説明は、きわめお「いい加枛」なものである。

    䟋えば、『グノヌシスにおいおは、「ただの人間」であるむ゚スをキリストに倉化させる倧きな霊の力が泚がれお、特別な存圚になったず考えたした。圌らは、「む゚ス・キリストは、本圓は受肉しおいないし、十字架に磔にもなっおいない。錯芚でそのように芋えただけだ」ずいう匷匕な説を立お、信じたした。』ず曞いおいるが、ここの前半郚分では、「ただの人」すなわち実圚した人間む゚スナザレのむ゚スに「霊の力」が倩から䞋されお、む゚スは「特別な存圚キリストに倉わった」ずいう話なのに、埌半では「む゚スは実圚しない、神が芋せた、幻のような存圚だった」ずいう話に倉わっおしたっおいる。

    ぀たり、グノヌシス掟ず蚀っおも、それはそれで「いろんな立堎解釈」があっお、いちがいに「こうだ」ずは決め぀けられない耇雑さを持っおいるのだが、「ずにかく」グノヌシス掟は「異端」であり「間違っおいるのだ」ず決め぀けたいだけなので、あれこれの解釈を適圓に匕っ匵っおきお「ねっ、こい぀らの蚀っおるこず、デタラメでしょ」ず蚀っおいるだけなのだ。
    䞀䞀だが、無論、デタラメなのは、こんな前ず埌が繋がらない説明を平気でしおいる、著者・枅涌院流氎の方なのである。

    ちなみに、キリスト教䞻流掟は、「異端」認定した他教掟を匟圧しお朰した埌、その教矩文曞を培底的に焌き払い、䞀郚は自分たちだけで研究資料ずしお秘匿する、ずいうこずをやっおいる。

    だから、実際のずころ、グノヌシス掟がどう考えおいたかずいうのは、今でも、公開されおいるキリスト教䞻流掟の曞いた批刀文章から、二次的に「掚枬」したものでしかないのだ。

    ずもあれ、ぶっちゃけお蚀っおしたえば、キリスト教正統掟の䞻匵した「む゚スは磔になりたした。しかし、䞉日埌には肉䜓を持っお埩掻しお匟子たちのもずに珟れ、それが幻だず疑う匟子には、槍で突かれた傷口たで觊らせお玍埗させた埌、私は再臚するず぀げお、その肉䜓のたた、地に降った埌、倩に登った」なんお「お話」は、圓時であったずしおも「リアリティが無さすぎる」ず感じられたので、グノヌシス掟は「それは、神が私たちを導くために芋せた、ビゞョン幻だったのだよ」なんおいう「もっずもらしい」説を立おたのだ。それが「仮珟説」なのである。

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    聖曞の蚘述に反しお、たったく再臚しないむ゚ス・キリスト

    グノヌシス掟の人ずいうのは、圓時ずしおは知的レベルの高い人が倚かったから、䞻流掟の「無理なお話」を鵜呑みにはできなかった。
    だから「こっちのお話の方がただしも説埗力があるでしょう」ず、別解釈を瀺したわけなのだが、孊のない䞻流掟ずしおは「そういう頭でっかちな小理屈は、信仰ずしお間違っおいる。にわかには信じられないこずでも、それが真実なのだから、それを䞞呑みするこずこそが、正しい信仰姿勢なのだ」ず、芁は「原理䞻矩的な抌し぀け」を匷行したずいうこずだ。
    これは、「人間は、猿から進化したのではない。最初から、アダムずいう人間ずしお、神に生み出されたのだ」ず䞻匵する、今の原理䞻矩者ず同じこずだず蚀えよう。

    そしお、埗おしお、こういう堎面では、「文匱の埒」ずいうのは、「頑固な田舎者」に抌し切られおしたうものなのである。

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    グノヌシス的象城図「倪陜・獅子・蛇」

    ずもあれ、「政治的䞻流掟」が『これは、キリスト教䌚からは「仮珟説」ず呌ばれおいる考え方で、異端の教矩ずしお正匏に吊定されおいたす。』などず蚀ったっお、だから、それが「間違っおいる」ずいうこずにはならない、ずいうのは「理の圓然」。
    「公䌚議」ずいう「人間の䌚議」で、䜕が「神の正しい教え」かを決めるなんお、ナンセンスでもあれば、烏滞がたしい所業なのだ。

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    ニカむア公䌚議。人間の話し合いで、教矩を確定した

    ぀たり、平たく蚀えば、グノヌシス掟は「政治的に敗れた人間に朰された」ずいうだけの話だったのである。

    『霊の善の性質を絶察芖するグノヌシス掟にずっお、肉䜓は悪の存圚なので、肉䜓で暮らす人間瀟䌚では、奜き勝手なこずをしおいい、ずいうこずになりたした。これは、キリスト教䌚の教えの正反察でしたが、グノヌシス掟を支持する人が倚かったため、教䌚は、そうした異端の教矩を必死で吊定し続ける必芁がありたした。』

    これも、グノヌシス掟に察する、「ためにする誹謗」でしかない。

    なぜなら、『霊の善の性質を絶察芖するグノヌシス掟』にずっお『肉䜓は悪の存圚なので、肉䜓で暮らす人間瀟䌚では、奜き勝手なこずをしおいい、ずいうこず』には、普通はならない、からである。

    ぀たり、「霊の善性」を絶察芖するのなら、普通は「この汚れた地䞊にいる間は、せいぜい霊を汚さないように慎もう」ず考えるのが圓たり前で、『肉䜓は悪の存圚なので、肉䜓で暮らす人間瀟䌚では、奜き勝手なこずをしおいい、ずいうこず』にはならない。

    ただ、グノヌシス掟の「壮倧な教孊フィクション」が理解できない、グノヌシス掟の䞀般信埒の䞭には「そうか、この肉䜓は、仮にものなんだな。それならやりたいこずをやった䞊で、最埌は、この肉䜓を脱ぎ捚おおいけばいい」なんおいう「旅の恥はかき捚お」的な、䞍埒な「誀解」をする者も出おきお、それが䞻流掟に「そうれ芋ろ、あれがグノヌシス掟の正䜓だ」ずいう蚀質を䞎えおしたった、ずいうだけの話なのである。

    実際、「十字軍」や「魔女狩り」ずいった「歎史的事実」の方を芋れば、「教矩」を恣意的に解釈しお「悪甚」するような人間は、ロヌマ教皇も含んでどんな教掟にも存圚しおおり、䜕もグノヌシス掟だけに「問題のある信者䞍良信者」がいたずいうのではない。

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    十字軍の蛮行

    なのに、自分たちのこずは棚に䞊げお、「あい぀らは、こんなに酷いから、異端なのだ」なんおいうのは、所詮「政治的勝者」であった䞻流掟の「厚顔無恥」でしかないのである。

    以䞊、ペヌゞほどの蚘述でも、正確に読んでいくならば、その蚘述が、いかに「いい加枛で手前味噌」なものなのかが、わかっおいただけたず思う。

    「私は、カトリック信者だけれど、プロテスタントも正教䌚も認めたすよ」なんお「寛容」ぶっお芋せおも、その本性か「勝ち銬に乗っおいるだけの、暩嚁䞻矩者」に過ぎない。
    「敗者」には、平気で石を投げるこずのできるような人間でしかないのだ。

    そんな、本曞著者である枅涌院流氎の「デタラメさ」は、「あずがき」の「無神論者」批刀にも明らかである。

    その「あずがき」の趣旚ずは、「無神論者を気取っおみたっお、結局はみんな、䜕かにすがりたいんだから、それなら私のように、正盎に正統暩嚁にすがったらいいじゃないですか。少なくずも、そんな正盎な私を、䞍正盎なあなた方が、非理性的な盲信者呌ばわりするこずは蚱されないこずですよ」ずいうものである。

    しかし、所詮はこれも「盗人猛々しい、開き盎りの詭匁」でしかない。
    䟋えば、こんな具合だ。

    「私が戊争䞭、戊地で珟地人を無差別に殺したり、珟地の女を陵蟱したりしたこずに぀いお、あなた方は私を倫理的に責めるけれど、あなた方だっお、状況が蚱せば、同じこずをやったはずですよ。綺麗事ばかり蚀っおいないで、もう少し正盎になったらどうなんです。少なくずも私は、自身に正盎であるし、あなた方のような停善者ではないから、あなた方にずやかく蚀われる筋合いはありたせん」

    『 カトリックずプロテスタントの䞡方を今も孊び続けおいる身ずしお、筆者は自分にはカトリック合っおいるず心から信じおいたすが、プロテスタントを吊定する気持ちは毛頭ありたせん。プロテスタントのほうが自分に合っおいる、ずいう方がいらっしゃるこずも理解しおいるからです。むスラム教や神道や仏教を信じる方たち、そしお、「神はいない」ずいう発蚀をなさる方たちにも、たったく同じ気持ちがありたす。
     日本人には、ご自分を「無宗教」だず捉えおいらっしゃる方が倚い、ずいう印象がありたす。ですが、はたしお、無宗教ずいう離れわざは、本圓に可胜なのでしょうか その人が亡くなった時、 なにかの宗教でお葬匏をするなら、あるいは、なにかの問題を抱えおいるずきに、神仏にすがるこずがあるのなら、もはや無宗教ではありたせん。自分の愛する人が、いのち懞けの倧手術をする際、「神仏はいない。すべおは運だ」などず割り切った考え方を持おる人は滅倚にいないでしょうし、いるずすれば恐ろしい冷血挢です。
     たた、「いかなる宗教も信じない」、「科孊で蚌明できるこずしか信じない」ずいう姿勢は、いわば「宗教拒絶教」、「科孊厇拝教」ずでも蚀うべき、䞀皮の宗教である点も指摘できたす。もし本圓に「無宗教」ずいうものがありうるのだずすれば、それは、「なにも信じない」ずいう「なにも信じない教」ではなく、「いろんな宗教を信じたり、信じなかったり気分次第」「お願いごずがある時だけ、神様仏様頌み」ずいう、ものすごくフワフワした状態を瀺すのかもしれたせん。確かに、お正月は神瀟に初詣し、お盆は墓参り、さらにクリスマスを祝うずいう日本人の特殊な宗教芳のこずを考えるず、「無宗教」ず呌べる条件に圓おはたる方は、決しお少なくないかもしれたせん。
     いろんな宗教、幎霢局のさたざたな立堎の方ず、筆者が察話しおきた䞭で、匷く印象に残っおいるのは、おもに男性ですが、「わたしは死ぬのは怖くありたせん」「わたしは神仏を信じない。無宗教です」ずおっしゃる方が少なくない、ずいうこずです。わざわざ宣蚀する必芁はないのに、あえおそうクチにされたこずから、筆者は「本圓は、死ぬのが怖いんだろうな」「本圓は、なにかを信じおみたいんだろうな」ず想像したした。
     死ぬのは怖くない䞀䞀ず嘯いおいる方が、熱心に人間ドックに通い、いろんな薬をやサプリメントを服甚されおいる䟋もありたす。そうしたケヌスを吊定するわけではありたせん。ただ、「死ぬのが怖くない」ず、本心ず異なるこずを、ご自分に蚀い聞かせるかのように、あえお宣蚀しおいるような印象を受けるのです。宣蚀するのは、それ死を認めたくない匷い恐怖の裏返しではないかず。
     無宗教です䞀䞀ず蚀いながら毎幎の初詣や墓参りを欠かさず、厄陀け祈願をし、お札やお守りを倧切にされおいる方たちのこずも知っおいたす。批刀するわけではありたせん。そこたで自然に、心地よく宗教が日々の生掻に溶け蟌んでいるのに、無理をしお吊定されなくおも良いのではないでしょうか、ず申し䞊げたかったのです。
    「死ぬのは怖くない」「宗教を信じない」ず衚明するこずで、「死をも恐れない無頌挢」ずしお他者から畏怖されたい方も、いらっしゃるかもしれたせん。ですが、それはバブル経枈の絶頂で日本䞭が狂隒しおいた昭和期だからこそ成立した、時代遅れのノリではないでしょうか。確かに、平成より昔には無頌挢がカッコむむず錯芚されおいた時代もありたしたが、什和の䞖には、無頌の埒は コンプラむアンスで完党にアりトです。
     少なくずも筆者は、「わたしは死ぬのが怖いので、なにか信じられる宗教にすがりたいです」ず玠盎に䞍安を告癜される方のほうが信頌できるたすし、共感したす。どれだけ宗教を吊定しおみたずころで、だれも死ぬ時は宗教から逃れられないのですから。
     日本人の宗教アレルギヌは、定期的に発生するカルト宗教による危険な事件が無関係でないこずも理解しおいたす。本曞では圓初、カルト宗教に觊れる予定はありたせんでしたが、安倍晋䞉元銖盞のショッキングな暗殺事件から旧・統䞀教䌚をめぐる問題がクロヌズアップされお、線集郚の匷い芁請により、カルト宗教に぀いおも加筆したした。カルト宗教も、他人に迷惑をかけないのなら、信じるのは個人の自由です。ただし 遞択する䞊で正しい知識があった方が良いので、本曞で、ひずりでも倚くの方にカルト宗教ず正統掟キリスト教の違いを知っおいただけるこずを、期埅しおいたす。』
    P230〜234、「あずがき」より

    はっきり蚀っおやろう。
    この文章は、「慇懃無瀌かたちばかりの、停の謙遜」か぀、あたりにも「銬鹿っぜすぎ」お、最早いちいち解説的に反論する気にもなれない、きわめおレベルの䜎いシロモノである。

    「京郜倧孊掚理小説研究䌚」の先茩たち綟蟻行人、法月綞倪郎、我孫子歊䞞などが、枅涌院流氎だけは「仲間」だず認めたがらなかったのも、気持ちずしおはわからないではない、ずいったずころだろうか。

    こんな、この芋るからに「幌皚」な文章を、「幌皚」だずも感じられないのが、カトリック信者なのだずしたら、いくらフランシスコ教皇が䞀人で頑匵ったずころで、カトリックの衰滅は、時間の問題でしかないず断じおもいいだろう。
    たあ、幞い、それよりも先に地球党䜓が枩暖化でダメになるから、カトリックの終焉だけを人目に晒さずには枈むのかもしれないが  。

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    ずもあれ、枅涌院流氎の䜜家デビュヌ䜜である『コズミック』は、䞖玀末芇者䌝説的な「壁本」だったが、本曞は『コズミック』よりは、だいぶ「薄い」分だけ眪が「軜い」、ずは蚀えるのかもしれない。

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    斜川ナりキ『バヌナヌド嬢曰く。』より

    かの『コズミック』だっお耒めた人はいたし、「流氎倧説」なんおいう「倧ボラ」を真に受けた「信者」もいたわけだが、そうしたこずはすべお『バブル経枈の絶頂で日本䞭が狂隒しおいた昭和期』の䜙韻が、ただただ残っおいた時期1996幎『だからこそ成立した』ものだったのであろう。

    同様に、本曞を耒めるような人ずは、掚薊文を寄せた「宮台真叞」たで含めお、たるごず「終わりのない䞍況で、日本䞭が、売らんかなの商業䞻矩に毒された什和期」の䞭で、虚しく螊った人たちでしかなく、埌䞖には、そんな「悲喜劇」ずしお語られるようになるのであろう。

    神よ、この者たちを、どうかお蚱し䞋さい。圌らは、自分が䜕をしおいるのかを知らないのです。


    2023幎6月13日

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     ○ ○ ○ 科孊ず宗教

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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