メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

高村薫論芋えない情炎

    幎間読曞人

    【旧皿再録初出「アレクセむの花園」2005幎2月7日】

    ※ 再録時蚻『マヌクスの山』で盎朚賞を受賞する盎前の1994幎に、私は、高村薫氏ず盎接お䌚いする機䌚を埗た。それたでに、ファンずしお、ファンレタヌに同人誌を同封しお送っおいたからだ。初めおお䌚いした時、高村氏は私を「新本栌の人」ず呌んだが、私はたったく䞍満であった

     ○ ○ ○

    九州の友人から、ひさしぶりに小荷物が届いた。私の奜きな䜜家に関する切り抜きや、お薊め映画の録画ビデオなどをよく送っおくれるのだが、今回送っおくれたのは、高村薫に関する新聞の切り抜きず録画ビデオ『特集 阪神・淡路倧震灜10幎 䜜家 高村薫 思玢の旅』補䜜・2005幎1月15日攟送だった。

    掚理小説関係の同人掻動で知り合い、文通するようになった十幎来の友人だが、圌女は私が高村薫ファンであるこずを気に止め、折々目に぀いた新聞蚘事などを切り抜いたり番組を録画しお、時々送っおくれおいたのだ。本圓に有難いこずである。

    『先日、特集で高村薫さんがずり䞊げられおいたした。
    よろしかったら テヌプ ごらんになりたすか
    もしかしたら 、 ごらんになっおるかも ず 思い぀぀
    送りたす。私は芋おいたすので 返华の必芁はありたせん 
    私は 立朚さんずのやりずりが䞀番興味深かったです。
    高村さんは ぀くづく 〝知〟の人だな  ず感じたした。
    よかったら 感想等 教えお䞋されば 嬉しく思いたす。』

     ○ ○ ○

    私は、叀い高村薫ファンである。デビュヌ䜜『黄金を抱いお翔べ』以来のファンなのだから、それは間違いない。

    私は基本的に、小説は本になっおから読む方なので、高村薫には倚い雑誌掲茉のたた本になっおいない䜜品は読んでいないのだが、高村薫の著䜜は『黄金を抱いお翔べ』から『神の火』『わが手に拳銃を』『リノィ゚ラを撃お』『マヌクスの山』『地を這う虫』『照柿』『レディ・ゞョヌカヌ』『李歐』たでの䜜すべおを、最初の版で読んでいた『李歐』は文庫曞き䞋ろし。それ以倖は単行本。

    『李歐』の埌、2000幎に刊行された、高村薫初の゚ッセむ集『半県蚥蚥』は、刊行盎埌に賌入したものの、積読の山に埋もれさせたしたい、昚幎叀本垂の癟円均䞀でたたたた芋぀けた文庫版で、やっず読んだずいう次第である。この『半県蚥蚥』の次、2002幎に刊行されたのが、高村薫の最新長線小説『晎子情歌』で、これが珟圚のずころ、高村の最新著曞ずいうこずになるのだが、私はこの本も刊行時に賌入しおおきながら、いただに読んではいない。

    画像1
    画像2

    なぜ、『半県蚥蚥』ず『晎子情歌』に限っおは、単行本賌入埌にすぐに読たなかったのか。

    その理由は、前者に぀いお蚀うず、私は高村薫の小説が奜きなのであっお、゚ッセむにはあたり興味がなかったからだ、ず思う。しかし、そこはコレクタヌ気質の人間なので「それたでの本をすべお所蔵しおいるのだから、䞀応これも買っおおこう」ずいうこずなったのである。

    『晎子情歌』に぀いおは、分厚い䞊䞋巻倧䜜で手を぀けかねたずいうのが、たずある。ずにかくその頃たでの掚理小説出版界は、長い分厚い倧䜜が無闇に刊行されおいたので、もずもず長線䜜品が嫌いではなかった私も、圓時はさすがに食傷ぎみだったのである※ 東野圭吟の連䜜短線集『超・殺人事件』には、そのあたりを皮肉った「超長線小説殺人事件」があり、そこにはそうした長線のひず぀ずしお『人間の暗郚に迫る超倧䜜 片村ひかる 怒激の二䞉〇〇枚』ずいう架空䜜品の垯文も玹介されおいる。もちろん『レディ・ゞョヌカヌ』のパロディヌである。
    それから、『晎子情歌』がミステリではなく、か぀曞評によるず、あたり私の興味を惹く内容ではないのが窺えたずいうのも、手を぀けられなかった理由のひず぀であろう。

    画像3

    もちろん私は、ミステリ以倖の小説も読むので、ミステリじゃないから読む気がなくなった、ずいうこずではない。ミステリ・非ミステリに関係なく、高村長線には前䟋のない、䞻人公が「女」であるずいう点に、期埅を裏切られるものを感じたのだず思う。
    端的に蚀っお、私は『黄金を抱いお翔べ』以来、高村薫の描く、屈折を抱えた暗い男たちが奜きだったのだ。だから「老境にさしかかった平凡な女性晎子が、息子ぞの手玙に぀づる自身の人生ず昭和史」ずいった内容には、たったく惹かれなかったのだ。

    『李歐』の刊行が1999幎だから、昚幎読んだ゚ッセむ集『半県蚥蚥』は、じ぀に幎ぶりに読んだ高村薫の著䜜ずいうこずになる。その間にも、『晎子情歌』に関するむンタビュヌ蚘事、折々の事件や瀟䌚問題に察する゚ッセむなどで、時々高村の文章には觊れおいたが、たずめお読んだのはひさしぶりのこずだった。

    さお、倚少の期埅をもっお読んだ『半県蚥蚥』はどうだったのか。䞀䞀ハッキリ蚀えば「ぜんぜんダメ」だった。
    高村薫はこの゚ッセむ集で、生掻のこずや瀟䌚のこずをいろいろ曞いおいたが、いずれもコレずいった冎えが感じられない。たしかに真面目な人ではあるから、問題に真摯に向き合い、自分なりの意芋を披露しおいるのだが、どれも「ふヌん、なるほどね」の域を出ず、䞭には「この考え方は、ちょっず困ったものだな」ずいうものも散芋されたず蚘憶する。ずもあれ、党䜓ずしおは「凡庞な瀟䌚批評゚ッセむ」ずいう感じで、その䞭身はほずんど蚘憶に残らず、その「凡庞」さだけが「期埅倖れ」感ずずもに印象に残っただけであった。

    しかし、考えおみれば、高村薫の劙に物足りない「叀颚さ」「埋儀さ」「狭隘さ」を感じたのは、それが初めおずいうわけではなかった。
    以前に同じ友人が録画しお送っおくれた『真剣10代しゃべり堎 第期卒業スペシャル』補䜜・2003幎3月1日攟送の、高村薫が「仕事っお䜕だず思いたすか」ずいうテヌマを出したパヌトにおいお、高村自身の語った、あたりに王切り型な「仕事芳」「倧人芳」「瀟䌚人芳」「囜家芳」に、出挔者の16〜18歳の子䟛たち同様、正盎やや蟟易させられた蚘憶があったからだ。

    画像4

    どうしお高村薫は、こうも「叀颚」なんだろうか 䞀䞀しかし、そう思いながらも、私が実際に感じおいたのは、どうしおこうも「旧匊」なのだろうか、ずいうこずだったのではないか。だからこそ、その「叀さ」にたったく魅力を感じず、䞍満だけが残ったのではなかったか。

    高村薫が、真面目すぎるほど真面目すぎる人であるのはよく知っおいるし、それには奜感を抱いおいる。
    たた、そうしたこずの延長線で、圌女が「庶民」や「職人」ずいった、「瀟䌚の末端の、名もなき人々」に共感を寄せ、その「すごさ」を描こうずしおいる態床にも共感する。しかし、そうした指向がそのたたこのような「旧匊」さに結び぀くものなのか それは必然的な結び぀きなのか
    䞀䞀そうではない。そうではないはずだから、私はそこに䞍満を感じたのだ。

    それにしおも、䜕が、私にこの「䞍満」を感じさせたのだろう。
    それが、その時『しゃべり堎』を芋た時、『半県蚥蚥』を読んだ時の私にはわからなかったのだが、今回送られおきたビデオ『特集 阪神・淡路倧震灜10幎 䜜家 高村薫 思玢の旅』を芋お、その正䜓が刀然ず了解できたのである。

                        ○

    高村薫は『特集 阪神・淡路倧震灜10幎 䜜家 高村薫 思玢の旅』の冒頭で、阪神・淡路倧震灜の激しい揺れを自宅で経隓した時、「死ぬ」ず思ったず語る。そしお「死に盎面する経隓」をしたこずで「自分のなかで䜕かが確かに倉わった」ず語っおいる。

    画像5

    しかし、同じ倧阪で同じ時間に同じ地震を䜓隓した私は、その時「おおっ、今日の地震は凄いなあヌ」ず思っただけで、むしろその揺れを子䟛のように楜しむ気持ちすらあった。それはそれたで私が、人がおおぜい死ぬような地震の䜓隓をしおいなかったからであるし、たたたたその時に寝おいた倧阪垂内の職堎の仮眠宀が、堅牢な鉄筋ビルの䞀階にあり、か぀倒れおくるような家具が䞀切眮かれおいなかったずいう事情もあろう。
    だが、そうした諞々の事情の違いはあれ、私は高村薫ず同じ震灜を䜓隓した䞀人であるこずに、なんら倉わりはないのである。だから、私が高村薫の「震灜」を語る口ぶりに感じた違和感ずは、ずどの぀たり「あなたはそうかも知れないけれど、私はそうではなかった。そしお私同様の震灜䜓隓者も倧勢いただろう」ずいうこずなのである。

    たしかにあの「倧震灜」は、倚くの犠牲者を出した倧きな事件であり、倚くの人の心に傷を残しおいった。それは事実である。しかし、それは「すべおの人䜓隓者」の心ずいうわけではない、ずいうのもたた事実なのだ。
    だが、高村薫の語り口は、たるで「震灜ずは、それほど倧きな䜓隓だったのだ。誰の心にも倧きな傷跡を残したはずだ」ずいう、いわば「脅迫的」なものだった。それはたるで「倧震灜」が、䜓隓者を非䜓隓者ず差別化しお䞊䜍に眮く、「特暩的な䜓隓」であり「ステグマ聖痕」であるかのような口ぶりだったのである。

    そこで私は「この蚀い方は、おかしい」ず、たず感じ、そしおその「おかしさ」の正䜓が「䞍自然さ」であり、䞍自然な「倧仰さ」、蚀い換えれば「挔技めいたもの」だずわかったのである。

    もちろん、私は、高村薫が「意図しお」、自身を含む震灜䜓隓者を「特暩化」しようずしたのだずは思わない。むしろ圌女は、その持ち前の「生真面目さ」から、震灜の悲惚さを「重く受けずめなければならない」ず考え、あのような蚀い方をしたのであろう。
    ぀たり、圌女は、自分の䜓隓以䞊のものを「匕き受けよう」ずした結果、芋聞した他人の䜓隓を自分に察しお重芁なものずしお玍埗させるために、「震灜䜓隓」ずいうもの䞀般を、芳念的に特暩化したのだ。

    事実、この番組で、高村が自分の䜓隓の次に語るのは、震灜による「倱われた6400人の人呜の重み」ずいうこずである。
    「私たちはその重みをうけずめなければならない」「決しおその死を無駄にしおはならない」「少なくずも私は、その死を考え続けるこずを自分に課しおいる」ずいうようなこずを、高村薫は語る。
    なるほど立掟な心掛けであろう。それは間違いない。しかし、それは本圓に「ねばならない」こずなのか ぀たり「矩務」なのだろうか

    画像6

    高村薫は、それを震灜䜓隓者䞀般の「矩務」だずは、決しお蚀わない。ただ、「私ずしおは」考えないではいられない、ず蚀うに止めおいる。しかし、この蚀い方には『論理的、合理的に蚀っお』無理があろう。

    「6400人の死を無駄にしおはならない」ずいうのは、いったい「誰」に察しおの話なのか

    高村薫は、それを自身の「矩務」であるずしお、他人に課する぀もりはないかのような蚀い方をする。だが、番組が進んで行くうちに、本音はそうでなかったこずがハッキリする。぀たり高村は「6400人の死」の重みが「500キロ離れた東京」には䌝わっおいないず、その苛立ちを露にするのだ。

    もちろん、この「東京」ずいうのは、「東京の政治家」に限定されおはいない。「東京の䞀般人」も含めお蚀っおいるのは、高村薫が『レディ・ゞョヌカヌ』の執筆の関係で䞊京した際、「呚囲」の反応に「500キロ」の距離を感じさせられた、ずいう蚌蚀からも明かである。

    ぀たり、高村薫は「500キロ離れた東京」の人たちの倚くが、「倱われた6400人の人呜の重み」を党然理解しおいないず苛立っおいるわけなのだが、圓然のこずながら、この苛立ちは「500キロ離れた東京」の人たちにも「倱われた6400人の人呜の重み」を担うべき「矩務」がある、ずいう認識を前提ずしなければ、そもそも発生しないものなのである。

    画像7

    しかし、「500キロ離れた東京」の人たちに、そんな「矩務」など、はたしお本圓にあるのだろうか
    もしも「ある」のだずしたら、もはや日本のどこに居ようず、誰もその「矩務」からは逃れられないだろう。いや、事が「実際の距離」に関係ないのだずしたら、その「矩務」の範囲を囜内に限定する理由すら無くなっおしたう。
    だが「䞖界䞭の人々」に「6400人の死を無駄にしおはならない」矩務がある、ず蚀ったのでは、やはり無理があろう。ならば、どこからこのような「無理」が生じおくるのか

    答を蚀おう。
    そのような「無理」が生じるのは、䞀䞀ほかならぬ 高村薫自身が、「無理」をしお、矩務を背負い蟌んでいるせいなのだ。それゆえの「転倒倒錯」なのである。

    本圓は、そんなしんどい「矩務」や「䜿呜」など、背負い蟌みたくはない。しかし、背負い蟌たねばならない。背負い蟌たねば「萜ち着かない」あるいは「埌ろめたい」ず感じお、「無理」に背負い蟌んでいるからこそ、本来「矩務」など課されおはいない倚くの他人にも、同様に「矩務」を課したくなる。
    そしお、「矩務」ずしお「すべおの他人」にそれを課するのであれば、その問題は「特別重倧で普遍的広がりを持぀問題」でなければならず、「特定の地方の」「䜓隓者だけの」問題であっおは「困る」。だから、高村薫は、誰もが軜んじるこずの出来ない「倱われた6400人の人呜の重み」ずいう衚珟で、「阪神・淡路倧震灜」の問題を、フレヌムアップしおみせたのだ。

    画像17

    無論、このような心の動きを、高村薫自身は、自芚しおはいない。ただ、生真面目な圌女は、生真面目にその問題を担わなくちゃず「考えた」のだろう。
    だが、圌女の「本胜」であり「無意識」の郚分は、やっぱり「そんなしんどいこずはむダだ。どうしお私が、あかの他人の死たで担わなくおはならないの」ず䞍満の声を䞊げたので、圌女は仕方なく「ホントは他の人だっおみんな、担わなくちゃならないこずなのよ、これは。だから我慢しなさい」ず説埗せざるをえず、その「無意識の蟻耄あわせ」の結果、高村は、「すべおの他人」も「倱われた6400人の人呜の重み」を担うべきだ、ず無意識のうちに考え・感じおしたっおいたのではないか。

    もちろん、その蚌拠もある。それは、この番組で語られた『あたり倧きな声では蚀えないんです。ずいうのも、自分は家も壊れおないし、家族も亡くなっおないのでね。そんな人間が぀らいっお䜕事かっお蚀われたら、たしかにそうなんです。』ずいう圌女の蚀葉である。
    ぀たり、圌女の「責任感」の源泉は、この「埌ろめたさ」であり「私は恵たれすぎおいるから、みなさんに申し蚳ない」ずいう「劣等感コンプレックス」にあったのだ。

                        ○

    この番組の録画ビデオを送っおくれた友人は、その手玙に『私は 立朚さんずのやりずりが䞀番興味深かったです。高村さんは ぀くづく〝知〟の人だな  ず感じたした。』ず曞いおいたが、このビデオを芋お、私が感じたのは「高村薫は、〝知〟から最も遠い人だ。ぜんぜん知的でない人だ」ずいうこずだった。
    だが、だからこそ圌女は、知的たらんずしたのであろうし、その結果、そのそぶりだけが、たさに殊曎〝知〟の人ずいうものになっお衚われたのであろう。その意味で高村薫を「〝〟」付きの『〝知〟の人』だずいう友人の評䟡は、正鵠を射たものだった。

    しかし、所詮、高村薫の「〝知〟」は、停物である。だからそれは、たいがいの人に、透けお芋える皋床のものでしかない。事実、この番組のなかで、高村薫ず個別に震灜のこずに話し合った人の男性のうちの䞀人、写真家の立朚矩浩は、高村薫のその「停物」性に、厳しく率盎に斬り蟌んでみせた。だからこそ、私の友人は『私は 立朚さんずのやりずりが䞀番興味深かったです。高村さんは ぀くづく〝知〟の人だな  ず感じたした。』ず曞いたのであろう。぀たり、立朚の「本質」的「実質」的な意芋に察し、高村薫はあたりにも無力な芳念性を曝しお、その「〝〟」付きの『〝知〟の人』ぶりを露呈しおしたったのである。

    立朚は震灜の盎埌に神戞入りしお、その惚状を写真に収めたのだが、その時には「人にカメラを向けられなかった」ずいう。ずころが、震灜から五幎埌、ふたたび神戞にやっおきた立朚は、震灜から立ち䞊がった人たちの「明るい笑顔を正面から」写し始めたのである。

    高村薫は、立朚矩浩のこの「心境の倉化」に興味をもっお察談を申し入れた。震灜ずその犠牲者のこずを考えれば、暗く沈みがちになっおしたう自分ずは違い、どうしお立朚にはこんな「明るい写真」が撮れるのだろう。䞀䞀高村は、そのこずが知りたかったのである。

    画像8

     䞀䞀 立朚が銎染みにしおいる神戞のお奜み焌き屋で、立朚の写真をめぐっお。

    高村「私たちはたたたた神戞だっお知っおるからかも知れないですけれど、笑顔が写真の䞭に閉じ蟌められる、氞遠に閉じ蟌められる 。なにかね哀しくもあるんですね」

    立朚「哀しい」

    高村「私の存じ䞊げない方ですけど、笑っおいるこの埌ろに、いろんな蚘憶があるのかなず思ったら」

    立朚「いや、笑おうが笑うたいが、抱えおいるものは山ほどあるわけですよ、みんな」

    高村「それがたたたた笑顔だから䜙蚈に 」

    立朚「うん、だから、えヌっず、悲劇的な事件に青空が䌌合ったりするのず同じなんです」

    高村「ああ、そうですね。  こうヌ、これだけの数の※ 笑顔の写真をお撮りになるず、滅入りたせん」

    立朚「滅入っお、どうするんですか、僕が 滅入っお、もうやれないずいうんですか、じゃあ」

    高村「私だったら蚀っおしたうかも知れたせん」

    立朚「高村さんはそうおっしゃっおもいいですよ。僕がそう蚀っおもしょうがないでしょう」

    高村「しょうがない  。そうするず、もうほずんど  なんでしょう」

    立朚「それぞれの気持ちの䞭のものを、そんなに生掻の䞭で出しおもよきものか、っおのもあるでしょう 〈泣くの嫌さに、笑っお候〉で生きおるわけです、僕も含めお。そりゃ、泣きたいような話はいっぱいありたすよ。事実こう、なんかの切っ掛けでドヌッずしゃべっおくれるんですよ。ず、受けずめようがない。頷くしかない」

    ---------------------------------------------------------

     䞀䞀 震灜でほずんどの建物が倒壊し壊滅状態になった、圚日朝鮮人の倚く居䜏する䞋町地区ずその地元小孊校を蚪れる立朚。詳现省略

    ---------------------------------------------------------

     䞀䞀 枯の岞壁で、神戞での撮圱に぀いお、スタッフの質問に答える立朚。高村は䞍圚の暡様。

    立朚「や、そういう凄さっおのがあるじゃないですか。自分はさ、倧倉なこずにあっお、た、十幎経っおるずは蚀え、『※ 手たねで「あ〜ら」立朚さん、お元気ですか』っお、こういうね、䞋町のおかみさんのさ、ああヌっお思うよな。あの元気さ、いいね」

    スタッフ「楜しいですね、今日の取材」

    立朚「いやあ、そんなに深刻にやっちたえばできるけど、それはなんか぀たんないでしょ それは寝る時に思えばいいわけですから」

    ---------------------------------------------------------

     䞀䞀 再び、先ほどのお奜み焌き屋続き。

    立朚「 困った時に、  ※ 自分の母芪もそうだったけど、そのおばあちゃんっおいうのも、䜕かがあるず、おにぎり、すぐ䜜る、おばあちゃんなんですよ。ずにかく食べお元気を出そうっおいう、そこから始たるずいう。うん、じ぀にシンプルな生き方なんですけど、その凄さっおのは、やっぱり凄いですよね」

    高村「その神戞で、神戞の呚蟺でね、被灜した方、あるいは、その少し倖で、たあ地震による経隓をした䜕癟䞇ずいう人が、みんなそれぞれ圱響をうけお、その埌の人生倉わったず思うんですよね。それがね、私にずっおは、こうヌ、この十幎、もしもあれがなかったらずかね。ねえヌ、い぀もあたり、こうヌ、そんなプラスの方に考えなかったんですけど」

    立朚「プラスでいきたしょうよ」

    高村「うヌん、ですから今日はね、ちょっずホラ、目からりロコ」

    立朚「高村さんがその内なるものでいろいろ悩んだり、痛みをすごく敏感に感じたり、いろいろなさっおいるのを偎で芋おいるず、やっぱり呚りも぀らいじゃないですか そういう぀らいこずっおいうのは、いろいろそれぞれあるんだけど、たあ、なんずかひず぀乗り越えるずいう方法じゃないず、ちょっず、結構しんどいですね。やっぱり、こうヌ、頑匵るっおのもおかしいんだけど」

    高村「いやたあ、普段はね、けっこう明るく生きおいるんですけど、だけど 、明るいんですよ」

    立朚「こず、神戞に関しお」

    高村「うん、なんか  ぀らい」

    立朚「ね。で、こうヌ、そういうのっお」

    高村「うヌん、でも、それ、あたり倧きな声では蚀えないんです。ずいうのも、自分は家も壊れおないし、家族も亡くなっおないのでね。そんな人間が぀らいっお䜕事かっお蚀われたら、たしかにそうなんです。だからヌ、自分にできるのは、せめお、やっぱ、なんか絶察これを考え続けるだず、それしかできない、ず思うんですね」

    立朚「だから、それぞれが考え続けおください。僕は撮り぀づけたす、みたいなこずしかできないんですけど笑」

    高村「それはね、たしかにそうなんですけど笑」

    立朚矩浩の目に「高村薫の苊悩」がどのように映ったかは、想像に難くない。
    立朚矩浩の根底にあるのは『䜕かがあるず、おにぎり、すぐ䜜る、おばあちゃん』『ずにかく食べお元気を出そう』っおいう「庶民の匷さぞの信頌ず尊敬」である。

    画像9

    䞀方、高村薫がどうかずいうず、圌女はその察極にある「意味偏重」の「芳念的むンテリズム」の人でしかない。
    だから、立朚は高村の「自分のためのアリバむずしおの苊悩」に苛立たされ、「貎方は貎方で悩んでお䞋さい。貎方が悩もうず悩むたいず、人々はそれに関係なく、自分たちの力で立ち䞊がっおいきたすから」ずいうニュアンスで、立堎の違いを語らざるを埗なかったのである。

    もちろん、高村薫は、自分が「知的゚リヌト」や「物曞き」であるこずを錻にかけお、こずさら知識人ぶった「苊悩ぶり」を芋せたわけではない。
    前述したずおり、高村は、その「育ちの良さピアニストを目指したような、お嬢さん育ち庶民感芚の欠陀」に「匕け目」を感じおいればこそ「庶民」に憧れ、それずずもにあろうずしたに過ぎない。たしかに『自分は家も壊れおないし、家族も亡くなっおない』し、その意味で「恵たれおいる」んだけど、でも「みなさん」ず䞀緒にありたいんです、だから䞀緒に悩たせお䞋さい。䞀䞀そんな感芚なのである。

    だからたた立朚も、高村の鈍感さに苛立ちながらも「この人は善意でこんなこず蚀っおるんだから、あんたり責めちゃ可哀想だ」ず思っお、倚少は蚀葉に手心を加えおいたのである。

    しかし、高村薫のこうした「鈍感さ」は骚がらみのもので、立朚に少々お説教をされたくらいで治っおしたうような柔なものでない。
    䟋えば、番組は、䞊のシヌンに続いお、次のように進行する。もちろん、珟実の時間関係は定かではないが。

     䞀䞀 神戞・䞉宮の繁華街を歩く高村。道ゆく人・行き亀う車・街の姿に、震灜の爪痕は窺えない。

    ナレヌション「神戞の䞭心地、䞉宮。高村さんは、無名の人ひずりひずりに奥深い人生があるこずを、震灜によっお、あらためお思い知らされたした」

     䞀䞀 陞橋から街を眺める高村。

    高村「街ですれちがう人、あるいは目に芋える建物、車、人。そういう目に入るものをそのたた、  えヌ、なんだ  写真を撮るように眺める 物曞きの目はそういう目ではありたせんので、むしろ芋えおいるものの裏、裏偎、あるいは芋えないものを芋ようずする、そういう目だず思いたす。」

    ナレヌション「愛する人を亡くした喪倱感を抱えお生きる人。䜏み慣れた地を離れ、孀独に生きるお幎寄り。二重ロヌンを抱えながらも懞呜に働く人。䞀䞀衚面には芋えないひずりひずりの哀しみを思う時、想像もできないような奥深い人生が芋えおくるのです。䞀䞀無名の人々を芋぀める。䜜家高村薫さんの堎合、それは䜜颚の倉容に珟れたした。

    デビュヌ以来、高村さんは瀟䌚を描く骚倪のサスペンス小説を曞いおきたした。しかし、震灜埌、高村さんは、人が死ぬようなストヌリヌを曞くこずにも、事件を䜜り出すこずにも、たったく興味が持おなくなったのです。

    震灜埌五幎の歳月をかけお完成させた『晎子情歌』。䞀䞀それたでずはたったく異なる、玔文孊的な䜜颚。䜜家高村薫にずっお決定的な倉容でした」

    ---------------------------------------------------------

     䞀䞀 自宅で語る高村。

    高村「ぞんな蚀い方ですけど、普通の人々の再発芋  でしょうか。人間に、本圓の意味で人間に目がいくようになったず思いたす。もちろんそれを衚珟できるかどうかは胜力の問題なんで、別です。自分に、あたりそういう自信もないですし、曞けるかどうか、それはたたぜんぜん別なんですけど、人間を芋ようずする、その立ち䜍眮ず蚀うんでしょうか、芖線は、震灜を経隓したから、やっお来たんだず思うんですよ」

    高村が、ここで倧真面目に語っおいるのだずいうのは、断るたでもなかろう。だが、ひずこずで評すれば「たったく、いい気なものだ」。䞀䞀人間ずいうものは、そんなに簡単に倉わるものじゃないし、第䞀、高村は震灜で、どれほどの䜓隓をしたずいう぀もりなのだろうか。

    たしかに「死に盎面した」「心のポッカリ穎が開いた」などず自己申告しおいるが、それがその蚀葉に倀するほど深刻重倧なものなのなら、どうしお震灜で家を倱ったり家族を亡くしたりした人たちに「負い目」を感じなければならない

    たしかに、家を倱うずいうのは倧倉なこずだ。家族を灜害によっお倱うのもたたらない経隓だ。しかし、そんなこずは、なにも「阪神・淡路倧震灜」だけで起ったこずではないし、日本に限られたこずでも、珟代に限ったこずでもない。そんな悲劇戊争・灜害・事故等は、人間の歎史ずずもに垞に、䞖界のあちこちであったこずであり、䟋えば「頭数」が問題にもならなければ、「ニュヌスバリュヌ」もない亀通事故によっお、かけがえのない家族を倱う人だっお、日垞茶飯事に存圚するのである。そしお、無論そうした顧みられない個別の「死」が、震灜の䞭での死よりも「軜い」ずいうこずは、金茪際ありえないのである。

    だから、高村薫が、真に人生芳に倉曎を来たすような「経隓」をしたずいうのであれば、高村は家を倱った人や家族を亡くした人に「負い目」を感じる必芁などないし、感じるのは「おかしい筋違いな」のである。なぜなら、どうしお「個人の苊しみ」を単玔に比范考量できるのか、そんな比范考量がそもそも可胜なのか、ずいうこずだ。

    高村薫は、その比范考量の可胜性を、安易に無神経に認めおいればこそ『自分は家も壊れおないし、家族も亡くなっおないのでね。そんな人間が぀らいっお䜕事かっお蚀われたら、たしかにそうなんです。』などず、無責任に蚀っおしたえるのである。
    そんなこずがもし可胜だず蚀うのなら、「歳の子䟛を死なせた芪の方が、80歳の芪を亡くした子の方よりも、哀しみが深い」などず蚀えおしたうだろう。高村の蚀っおいるのは、所詮そういうこずでしかないのである。

    しかし、これは明かに間違いである。人の苊しみを比范考量するこずなど、所詮は䞍可胜だし、それが可胜だず考えるのは「傲慢」でしかない。䞀䞀ここたで説明すれば、いかな高村でも、己が過ちに気づくはずである。

    画像12

    ならば、高村は、それたで『自分は家も壊れおないし、家族も亡くなっおないのでね。そんな人間が぀らいっお䜕事かっお蚀われたら、たしかにそうなんです。』などず考えおいたこずに぀いお、どう反省すればよいのか。

    それは、もし高村の震灜䜓隓が、真に「死に盎面した」「心のポッカリ穎が開いた」ず衚珟するに倀するものであるのならば、「自分は、家を無くした人や家族を亡くした人以䞊に、厳しい䜓隓をしたのだ」ず、自分の䜓隓に「持぀べき自信」を持ち、そのこずで自分の䜓隓に「責任を持぀担う」べきなのである。
    人から責められないためだけに、その堎その堎で、重倧な䜓隓をしたんだかしおないんだかわからないような、そんないい加枛なこずを蚀うのを止めれば良いのである。
    もちろん、これは「物曞き」「蚀論人」ずしおの最䜎限の責任であるに止たらず、それ以前に「䞀個の人間」ずしおも、圓然担うべき責任なのだ。

    画像10
    画像11

    たた、よくよく自分を芳察しおみた結果、「死に盎面した」「心のポッカリ穎が開いた」ずいった自己申告が、実際のずころは、「震灜被灜者ず同苊したい」ずいう願望に由来する、過剰な「思い蟌み」であるこずがわかったのなら、自分は「重倧な震灜䜓隓などしおいない」ずいうずころから出発しお、謙虚に震灜に関わっおいけば良い。
    盎接震灜を䜓隓しなかった立朚矩浩でも、あのように立掟に震灜にかかわっおいけたのだから、震灜に深く関われるか吊かは、自身がそれを䜓隓したか吊かで決たるわけではないのである。むしろ、自分はそれを知らないずいう「珟実」を盎芖し、そこから想像力を働かせおこそ、より深い真実に到り埗るのであっお、高村のように、珟実盎芖を避けお通った手前味噌な芳念優先では、想像力ではなく、立朚を苛立たせたような自分勝手な「ロマンチックな劄想」を膚らたせるのが、関の山なのである。

    『「 『チゎむネルワむれン』を支えるものも、結局はこれだ。早匟きの即興挔奏だけが生みだす、奔攟で華麗な旋埋だよ。最高にスリリングで、砕いたダむダモンドのように矎しい。しかしオリゞナルの゚モヌションが、西掋流の楜譜䞻矩に隠れおしたっお、今たでがくにはよく聎こえなかった。でも䜕故か今、聎こえるようになったんだ。だから解る。これは南の道を通り、スペむンに流れおギタヌに出遭った者たちの音楜ず同じものだ。同じスピリットで、同じ音楜が奏でられおいた。今、はっきりずわかったんだ」

     どうしたこずかキペシは、今日は劙に興奮しおいた。

    「この曲のあちこちに芗く奔攟で華麗な感芚、これを毎床そのたた楜譜通りに挔奏するなんおね、なんだか劙な気がするよ、これは圓時ハンガリヌに存圚しおサラサヌテを打ちのめした、名もなき倩才に垰するべき功瞟だ。圌、  ず思うが、圌のアドリブの腕ずセンスは、千幎先を行っおいたんだ。

     さすらう民の、虐げられた悲しみの旋埋、みんなそんなふうにこれを聎こうずする。ゞャズも同じだ、虐げられた南郚黒人の悲しみ  、ふん、なんお通俗だ そんなこずじゃない。そんなふうにアプロヌチしおも、決しお圌らの音楜は挔奏できない。圌らのこれは、スポヌツなんだ。バスケットボヌルず同じ、䜓が自然に打ちだすリズムだ。これがすべおを、ごく自然䜓でやっおのける。

     パワヌがプレむの奔攟さの理由であり、现かい音笊を産む力だ。理論なんおね、埌でゆっくり考えたらいい。楜しさなんだ、圌らが目指したものはね、むしろそっちなのさ。悲しみは、圌らの䜓から滲む汗のひず滎のようなもの、抑えおも自然に湧く。悲しければ人は楜しさを求める。圌らが目指しおいたものは、悲しみなんかじゃない」』

    島田荘叞『ネゞ匏ザれツキヌ』より

     『ふん、なんお通俗だ』䞀䞀 高村薫の蚀う『䜜家の目』など、所詮は「転倒した自負」の生んだ「劄想」でしかない。
    高村は『芋えおいるものの裏、裏偎、あるいは芋えないものを芋ようずする、そういう目』が『䜜家の目』だずいうけれど、「衚、衚偎、あるいは芋えおいるもの」を『写真を撮るよう』に芋お、正しき認識するこずのできない人間に、どうしお『裏、裏偎、あるいは芋えないもの』を芋るこずができるず蚀うのだろう。

    䞀䞀぀たり、高村薫は「斯くあるべき事あるいは、斯くあっおほしい事」ず「斯くある事」の区別すら、満足に぀いおはいないのである。

    高村薫のこうした「非論理思考」に寄り添った結果、ナレヌションの蚀葉たで論理砎綻を来たしおいる。

    『衚面には芋えないひずりひずりの哀しみを思う時、想像もできないような奥深い人生が芋えおくるのです。』

    『思う』こずず『想像』するこずを、無根拠に「別物」だず語っおしたえる「非論理性」があっお初めお、ここで『芋えない』ものが『芋えおくる』ず語り埗るのである。
    ぀たり、「思い埗る」ずは「想像でき埗る」ずいうこずであり、圓然それらの察象は『想像もできない』ものではあり埗ない、ずいうこずなのだ。

    もちろん、同様に高村薫の蚀う『普通の人々の再発芋  でしょうか。人間に、本圓の意味で人間に目がいくようになったず思いたす。 人間を芋ようずする、その立ち䜍眮ず蚀うんでしょうか、芖線は、震灜を経隓したから、やっお来たんだず思うんですよ』ずいう自己認識も、「ロマンチックな劄想」であり「自分勝手な誀認」でしかない。

    䟋えば、高村薫はここで、震灜で家や家族を亡くした人たちに「負い目」を感じる皋床の震灜䜓隓によっお「人間がより深く芋られるようになった」぀たり「認識胜力が増した」ず䞻匵しおいるわけだが、これが本圓なら、高村が亀通事故にあっお䞡足を切断する䜓隓でもすれば「神のごずき認識力」を身に぀けるこずになるだろう。

    ぀たり、ここでも高村は、自身の震灜䜓隓に「過剰な意味づけ」をしたいがために「人間を芋る目が倉わった」などずいう誇倧劄想を抱くに到っただけなのである。

    高村薫ファンなら誰でも知っおいるこずだが、高村薫ずいう䜜家は、基本的には昔から「人間が描きたい」䜜家であり、だからこそ『マヌクスの山』で盎朚賞を授賞した際、「私が曞きたかったのはミステリではなく、人間だった」ず、正盎か぀無神経な発蚀をしお、ミステリ関係者の顰蹙を買ったりもしたのである。

    画像16
    高村薫コピヌ誌

    ぀たり、高村薫ずいう人は、たったく悪気なく、その時その時の思い぀きを倧真面目に語っおしたう、明晰さに欠ける、無防備無責任な人なのである。

    䟋えば、高村はこの番組『特集 阪神・淡路倧震灜10幎 䜜家 高村薫 思玢の旅』の䞭で、『晎子情歌』が売れなかったこずに觊れお、でも自分の倉化は間違っおはいないず信じおいるので、売れなくおも信念を぀らぬいお曞いおいく、ずいう䞻旚のこずをナレヌションを介しお語っおいる。

    しかし、幎前の『真剣10代しゃべり堎』では、「仕事」ずいうこずに関しお、子䟛たちの察し、今のそれずはたったく正反察の考えを語っおいた。

    すなわち 侀侀 仕事ずいうのは、基本的にはお絊料分だけは最䜎皌ぐ、それだけは䌚瀟に儲けさせるずいうのが基本である。もちろん、それでは赀字になるから䞍十分なのだが、原則ずしおはそういうものだ。物曞きだっお同じで、本を出しおくれる出版瀟に儲けさせおあげなくおはいけない。それがプロだ。けれども、それは予想される売れ線を狙っお䜜品を曞くずいうこずではない。そうではなくお、誰もが考える売れ線の䞀歩か半歩先を行くこずで、良い䜜品を曞きか぀売れるずいうのでなければならない。今たでの自分に安䜏するのではなく、自分を壊し新たに䜜りながら進んでいくずいうのが、本圓のプロの仕事だ。䞀䞀ず倧芁このようなこずを語っおいた。

    この蚀葉に察し、出挔者の女子高生が「でも、その芋極めっお、ずっおも難しいんじゃないでしょうか」ず〈それは誰にでもできるこずではないんじゃないか、そんなこずを皆に芁求しおも無理なんじゃないか〉ずいう疑問をにじたせお問うたずころ、この圓然の疑問に察し高村は「それがプロですよ」ずあっさり応え、今ずなっおみれば「斯くあるべき事あるいは、斯くあっおほしい事」ず「斯くある事」の区別すら満足に぀かない、「売れっ子」だった圓時の「いい気さ」を芋せおいたのである。

    ぀たり、高村薫本人ずしおは、売れおいる圓時は「売れるだけの䟡倀のあるものを曞いおいるから、必然的に売れおいるのだ。売れないものには売れないなりの問題点があるから売れないのだ」ず「論理的・合理的」に考えおいる「぀もり」だったのだろう。

    だが、䞖の䞭そんなに単玔なものでないこずは、少なくずも䞖の䞭の「珟実」を盎芖しおおれば、容易に理解できたはずだ。
    圓時の高村にそれができなかったのは、ひず぀には圓時圌女が「倩狗になっお、䞖間をなめおいた」ずいうこずもあるだろうし、今も昔も倉わらず「珟実が芋えおいない」ずいうこずでもあろう。

    いずれにしろ高村は、今も昔も「斯くあるべき事」ず「斯くある事」の区別が぀いおおらず、そのためにずっず「自身を誀解しおいる」のである。
    そしお、そんな高村にずっおは、「倩狗になっおいるかいないか」などずいう問題は、非本質的で瑣末なものでしかないず、私は考えるのである。

    「物曞きずしおの自認」にしろ「震灜䜓隓者ずしおの自認」にしろ、ずにかく高村薫の問題は、「斯くあるべき事あるいは、斯くあっおほしい事」ず「斯くある事」の区別が぀いおおらず、自分を客芳芖できおいないずいう点に、根本的な問題がある。自分が「䜕」に衝き動かされおいるのか、それもわからずに察象に向き合っおも、察象を正しく認識するこずなど、圓然のこずながら䞍可胜なのだ。
    ぀たり、立朚矩浩を苛立たせた、高村薫の震灜に察する「ピンがけ」ぶりや「独りよがり」の問題は、高村薫がいかに「理性的」になる埗るかにかかっおいるず蚀えるだろう。

    しかし、ここで重芁なこずは、「理性的である」「理性的に自身を保぀」ずいうこずは、いわゆる「頭の良さ」だけでも「真面目さ」だけでも、あるいはこの二぀が揃っおいたずしおも、事実ず自他に察する「厳栌さ」が欠劂しおいるならば䞍可胜だ、ずいう事実である。
    そしお、高村薫には、この「事実や自他に察する厳栌さ」が、決定的に欠けおいるのだ。

    私に蚀わせれば、高村薫ずいう人は、文字どおり「そこいらにいる真面目さず孊歎だけはあるおばちゃん」ず胜力的に倉わりはない、ずいうこずであり、そんな人間なら、身の皋知らずの「批評家」ごっこは止めおおいた方がよい、ずいうこずである。

    高村薫が自ら進んで、あるいは時に求めに応じお、「事件」や「瀟䌚問題」に぀いお、曞き語ったものは、たいがい凡庞で取るに足らないものだず蚀えよう。もちろん、たったく取り柄がないずは蚀わないが、玠人が曞いたものにだっお倚少の取り柄はあるのである。

    もちろん、高村薫がそれを「商売」だず割り切っおやる分には、私はそれをずやかく蚀う぀もりはない。ただ「駄䜜は駄䜜」だず評䟡するだけで、曞くこず自䜓を非難する぀もりは毛頭ないのだ。
    しかし、高村薫が、その事実に気づいおおらず、自分が䜕がしか「非凡」なこずをやっおいるのだず勘違いしおいるのだずすれば、それはファンずしお芋おいられないから「止めろ、止めおくれ」ず蚀いたいだけなのである。

     ○ ○ ○

    私はこの「高村薫論」ず副題した文章で、高村薫が「いかに頭が悪いか」ずいうこずだけを語ろうずしおいるのだろうか

    もちろん、そんなこずはない。
    私がこの「䜜家論」で語りたいのは、「高村薫ずいう人は、ここたで頭の悪い人である。しかし、それにもかかわらず高村薫の小説はすばらしい。これは䜕を意味するのか その答は、高村薫は、その衚面的な知的胜力を超えたずころから、ああしたすばらしい䜜品を生み出しおくる、生たれながらの倩才䜜家、倩然小説家なのだ」ずいうこずなのだ。

    画像16

    だから、高村薫の小説をテレビのナレヌションでもそう評しおいたが「骚倪」「論理的」「重厚」あるいは「男性的」などず評するのは、いかにも「皮盞的」な評䟡ずしか蚀えない。
    高村薫の、真の「矎質」ずは、そうした「意図した郚分」「技巧を凝らした郚分」にあるのではない。
    そうした「構築物」の䞋から噎き䞊げおくる「真っ赀な情念の炎」の非凡な激しさこそが、高村薫ずいう䜜家の本質的な魅力であり、他者の远随をゆるさない、圧倒的な倩性なのである。

    そしお、圓然のこずながら高村薫自身は、そのこずに気づいおはいない。
    だから、自身の創䜜姿勢に぀いお、『特集 阪神・淡路倧震灜10幎 䜜家 高村薫 思玢の旅』の䞭で、次のように語っおいる。

     䞀䞀 『レディ・ゞョヌカヌ』の䞻人公に、ほずんど唐突に「震灜」に぀いお語らせた理由に぀いお、自宅曞斎で語る高村。

    高村「私の䞭に地震はあるんだけど※ 『レディ・ゞョヌカヌ』の仕事で䞊京した際に接した東京の人の心には地震はない。そのギャップが、私の䞭でたぶん宙吊りになっおたず思うんですけども、だからずいっお、私の口から地震地震ず蚀うような空気でも、もちろんない。なんかこうヌ、あたり意識せずに、䞻人公に、地震のこずに觊れさせおいた。これこそ衝動 ふ぀う物曞きは衝動では曞かないんですけど、たあヌたたに珍しいこずが起る。そうヌ、最初で最埌かなヌずも思いたす。そういう衝動を噎き出させお、それの痕跡をあえお残しおおいたずいうのは。ふ぀うは埌で、本にする時にぜんぶ削るんですね。でもなんか、それはヌ、なんか私の䞭で削りたくなかった。衝動だずわかっおたんですけど」

    ここで高村は、自分は「衝動」で曞いおいるわけではない。むしろ普段は、プロずしお冷静に䜜品を組み䞊げ、意識的に文章を曞き぀けおいっおいるのだ、ずいう颚に䞻匵しおいる。
    もちろん、これは嘘ではない。そのずおりなのであろう。だが、だからこそ、高村薫の小説は「真っ赀な情念の炎」が噎き䞊げほずばしる䜜品ずなりえおいるのである。それを抑えようずする力が働けば働くほど、それを突き砎っお噎出する情念の炎は、さらに激しく燃え䞊がるのである。

    『䜜者個人を䞊たわる䟡倀を有する著䜜こそ、優れおいるずいわれおいい。』

    抎䞊重行『危ない栌蚀』より

    ぀たり、高村薫ずいう「小説家」にずっお、自分の実際に぀いお無自芚であるこずは、かならずしもマむナス芁因ずはなり埗ないのだ。
    むしろ、生じっか、自分が「情念の䜜家」だなどず自認しお、情念を曞き぀けようなどずすれば、それは「自堕萜な情念の垂れ流し」ずなり、力のない小説を結果しおしたうこずになろう。その点高村は、芋事なほどに「無自芚」な䜜家であり、その無自芚さが、自身の「矎点」を甘やかさない「犁欲的な自己抑制」ずなっお働いたからこそ、圌女はその「創䜜」においお、圌女の持぀「自芚されおいない非凡な朜圚力」を、最倧限に掻甚するこずに成功したのである。

    画像15

    では、無意識のうちに「自らの頭の悪さ」をも利甚しお自己実珟を果たしおみせた、高村薫の「倩才」であり「情念」ずは、いったいどういうもなのか

    それは、圌女自身が認識し誇瀺しおもいる、衚面的・擬䌌的な個性ずしおの『「骚倪」「論理的」「重厚」あるいは「男性的」』ずいう特城ずは察極にある、「繊现」で「盎芳的非論理的感情的」で「傷぀きやすく匱い」「女性的」な、䞀䞀圌女の、自他に隠された「本性」なのである。

    ぀たり、高村薫ずいう䜜家は、その芋掛けに反しお、叀颚なたでに女性的な䜜家なのである。
    だから、圌女は「愛され」「庇護され」それでいお「過剰に他人に気づかうこずなく小心ではなく」「自由に生きる」人間を、「孀独に絶えうる」「匷い」それでいお「感情的になるこずを怖れない」人間を無意識に描くのだ。

    生掻の堎における自身が、自他から匷く束瞛されおいるこずを、むダずいうほど実感しおいながら、実際にはそれを振りほどけない「匱い」人間だからこそ、高村薫は想像の䞖界においお、その満たされない欲望をほずばしらせるのである。

    もちろん、これは䜜家ずしお、䜕ら恥ずべきこずではない。
    䜜家・小説家は、その「䜜品」においお自己を実珟し、自己を達成すれば良い。
    その意味で、高村薫は、倩性の小説家。小説家になるために、珟実䞖界における、あらゆる匱さを倩から授かった䜜家だず蚀えるのである。

    画像14

    だが、その圌女が今、その凡庞な知恵の導きに埓っお「普通の人間」を描くこずに向かおうずしおいる。
    蚀うたでもなく、これは危険な遞択であり、間違った遞択である可胜性が極めお高い。

    だがしかし、圌女の「秘められた倩才」は、そんな凡庞な知性の賢しらな遞択など、撥ね陀けおあたりある力を持っおいる。だから、この遞択が、高村薫にずっお、道を誀った臎呜的な遞択ずなるかどうかは、ただ刀断できる段階にはない。

    読者よりもむしろ、高村薫本人にこそ「芋えない」、高村薫ずいう䜜家の非凡な倩性。
    その「真っ赀な情念の炎」は、きっず「凡庞な評論家」「匱い人間」ずしおの高村薫の統制など撥ね陀けお、これからもその炎を、より高く激しく燃え䞊がらせおくれるこずだろう。
    高村薫ずいう䜜家は、それほど非凡な䜜家だず、私は信じるし、そう信じるからこそ、圌女の「非本質的な衚局郚分」をずたずたに切り刻んで吊定するこずに、なんら躊躇も感じなければ、䜕を怖れもしかったのである。

    秘められたる我が高村薫よ、今たたその賢しらな仮面を、再び䞉たび焌き぀くすが良い
    私は、おたえの力を疑いはしない。

    2005幎2月7日

     ○ ○ ○

    https://www.amazon.co.jp/s?k=高村薫+本

     ○ ○ ○



     ○ ○ ○































     ○ ○ ○







     ○ ○ ○



     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ