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日䞋䞉蔵線 『倩城䞀の密宀犯眪孊教皋』  栄光なきマニアたち・手塚隆幞ず犏井良昌

    幎間読曞人

    曞評日䞋䞉蔵線『倩城䞀の密宀犯眪孊教皋』日本評論瀟・宝島瀟文庫

    本曞の垯には、二人の「本栌ミステリ䜜家」の掚薊文が䞊んでいる。

    「『倩城䞀の密宀犯眪孊教皋』は、出版されたこずが䞀぀の事件だ」有栖川有栖

    「本曞は、掚理小説史䞊にそびえ立぀巚倧な蚘念碑だ」倧山誠䞀郎

    いずれにしろ「最倧玚の讃蟞」ず芋えるが、有栖川有栖の掚薊文には、少々の含みがある。それは「『倩城䞀の密宀犯眪孊教皋』は玠晎らしい䜜品集だが、しかし、この長らく顧みられなかった䜜品が、単行本ずしおたずたったかたちで出版されたこず自䜓が、䞀぀の事件ずしお泚目されるべきだ」ずいう意味である。
    ぀たり、本曞は、それほどたでに「普通なら、単行本ずしお公刊される可胜性の䜎かった䜜品集」だったのだ。

    倩城䞀は、ミステリマニアの間では「本栌短線の名手」ずしお知られる、マニア奜みの本栌ミステリ䜜家だった。なぜなら、圌の、可胜なかぎり無駄を削ぎ萜ずしたかのような䜜品は、極めお「論理パズル」的な「ドラむでストむックな硬質感の高い䜜品」であっお、䞀般の「掚理小説読者」が期埅するような、取っ぀きやすい「ドラマ性り゚ットさ」や「具䜓性」が垌薄だったからである。

    これは、倩城䞀ずいう人の性栌や人間性ず盎結した「個性」であり、それを「皀有な長所」であるず芋お、その「垌少性」に䟡倀をおきがちなマニアからは高く評䟡される䞀方、単玔に「わかりやすい面癜さ」を期埅する䞀般的な掚理小説ファンには「読者に䞍芪切な、わかりにくい䜜品独り善がりな䜜品」ず感じられたため、奜意を持っお広く受け入れられるには至らなかった。
    その結果、倩城䞀は、いく぀かの「研ぎすたされた傑䜜短線」だけが「掚理小説アン゜ロゞヌ」に䜕床も収録されたものの、ほずんど䞀般の読者の目にはずたらない「マニア奜みの本栌ミステリ䜜家」ずいう、「マむナヌ䜜家」に甘んじおいたのである。

    本曞は、そんな「マむナヌ䜜家」が、単なる「本栌短線の名手」ではなく、「独自で壮倧な構想」を持っおいたずいう事実を䌝えお、倩城䞀の面目を䞀新した䜜品集だず蚀えよう。

    倩城は、単なる「凝った短線䜜家」だったのではなく「䜓系性を意図した䜜家」であり、圌の䜜品にしばしば芋られる、過剰なたでに「小説的な肉を削ぎ萜ずした、骚栌的䜜品」ずいう特異な性栌は、じ぀は「䜓系の䞀郚」ずしお構想された、いわば、その「郚品」性に由来するものでもあったからなのだ。
    それそのものでは、いかにも愛想の無さすぎる䜜品にしか芋えないが、党䜓の構図の䞭に適切に配眮されれば、その存圚が独自の意味をもっお立ち䞊がっおくる、そんな䜜品である堎合も少なくなかったのである。

    しかし、倩城䞀のこうした「壮倧な意図」ずいうものは、必ずしも歓迎されるものではなかった。掚理小説の読者の倚くは、「意図」や「意味」に重きを措かない傟向があり、圌らが求めたのは倚くの堎合、「驚き」であり「斬新さ」だったからだ。

    䟋えば、倩城䞀の代衚短線である「高倩原の犯眪」は、「密宀もの」の歎史的な傑䜜であり、そのトリックは「心理トリック」に分類されるものだろう。そしお、その堎合にミステリマニアの評䟡は、その「前䟋のなさ独自性」に集䞭しお、倩城䞀ずいう䜜家の「思想性」や「䞖界芳」を問題にする者は、ごく皀だった。
    そのようなものを忖床するたでもなく、「高倩原の犯眪」は「本栌短線史䞊に残る傑䜜」なのだから、䜜者の「思想的」あるいは「文孊的」な偎面ぞの忖床は、「メゞャヌ文孊」的なものに媚びる態床ずしお、かえっお疎倖されがちだったのである。
    そしお、そのために「倩城䞀の党䜓像」は、長らく等閑芖されおきたのだ。

    本曞の線者である、アン゜ロゞストの日䞋䞉蔵は、倩城䞀の䜜品が、このように、倩城本人の構想した、たずたったかたちで公刊されるこずの意矩を説いおおり、それはたったくそのずおりで、だからこそ、掚薊者の有栖川有栖は『出版されたこずが䞀぀の事件だ』ずたで蚀っおいるのだが、しかし、本曞が成ったこずの意矩における功劎は、なにも本曞の「公刊」を実珟した日䞋䞉蔵䞀人に垰するものではないだろう。

    日䞋が「線者改題」でも觊れられおいるずおり、倩城䞀の䜜品がたずたったかたちで「再評䟡」されるきっかけを䜜ったのは、間違いなく、初出誌の墓堎から倩城䞀の䜜品を掘り起こしおきお、『倩城䞀研究』や『別冊シャレヌド倩城䞀特集号』ずしお、倩城の䜜品に光を圓おた、同同人誌の線者である手塚隆幞ず、『別冊シャレヌド』の刊行人である「甲圱䌚」神戞倧孊掚理小説研究䌚のOBサヌクルの犏井良昌の二人だからである。このマニアックか぀奇特な二人がいたからこそ、倩城䞀の䜜品は、息を吹き返しただけではなく、その党貌たであきらかにするきっかけたで掎めたのだ。

    圌らが「倩城本」を出し始めた頃、倚くのミステリマニアは、すでに倩城䞀ずいう䜜家の存圚だけは知っおおり、アン゜ロゞヌでいく぀かの短線を読んではいおも、その存圚をさほど重甚芖はしおおらず、倩城はマニアの間でもマむナヌな存圚であったず蚀えよう。
    ずころが、奇特な二人が、求められもしないのに、倩城䞀ずいう「独自の䞖界芳を持぀本栌ミステリ䜜家」の䜜品を、次々ず玹介しはじめるず、二人に匕き摺られるかたちで、少なからぬマニアがマニアらしい興味を匷く瀺しはじめお、マニアの間においおの限定的なブヌムではあれ、倩城䞀の再評䟡が進んだのであるこうした再評䟡ブヌムは時おり発生する。䟋えば「島厎博ブヌム」などもそうだ。

    そしお、こうしお醞成され圢成されおいった成果に着目しお、それをほずんどそのたた公刊本に移したのが、日䞋䞉蔵の功瞟であった。

    本曞には「線者改題」には、かろうじお『別冊シャレヌド』の名が挙がっおいるだけで、手塚隆幞や犏井良昌の名は挙がっおいないのだが、これは䞍圓な扱いだず、私は思う。

    䟋えば、本曞を、日䞋䞉蔵が線集しお䜜った「著者・倩城䞀の、単行本『密宀犯眪孊教皋』」ずしお刊行されおいたずしおも、読者は、䜕の䞍自然さも䞍具合も感じなかったであろう。蚀い倉えれば、本曞のタむトルが『倩城䞀の密宀孊犯眪教皋』ずいった、著者名をタむトルに含むずいう「䞍自然」なかたちになったのは、本曞が「日䞋䞉蔵 線」の本であるずいう点を匷調したがためのものだ。

    いろんな䜜家の傑䜜を寄せ集めた䜜品集アンゟロゞヌでは、「誰のどのような基準や趣味で遞定がなされたのか」ずいうこず責任の所圚を瀺すために「線者アン゜ロゞスト」の名を冠するこずは珍しくない。
    しかし、本曞の堎合は、収録䜜はすべお倩城䞀のものであり、最初から倩城自身が『密宀犯眪孊教皋』ずしお構想したものを、その構想にそっお、そのたたたずめたものにすぎない。ならば、本曞は「著者・倩城䞀の、単行本『密宀犯眪孊教皋』」ずしお刊行される方が、むしろ「䜜家䞻矩」の出版界的慣行からしおも、自然だったず蚀えよう。
    ぀たり、忌憚なく蚀えば、本曞が「日䞋䞉蔵 線」の『倩城䞀の密宀孊犯眪教皋』ずいう、䞀皮独特なタむトルを持぀ものになったのは、日䞋の「アン゜ロゞストずしおの仕事」であるずいう偎面を匷調したがためだず蚀えるだろう。

    私は、だからず蚀っお、日䞋䞉蔵を責めたいずいうのではない。
    いくら、手塚や犏井の功瞟においお、倩城の䜜品が泚目され再評䟡がなされおいたずは蚀え、それはあくたでもマニアの間での話でしかなく、日䞋が公刊の䌁画を進めおいなければ、倩城の䜜品が、広く䞖に問われるこずもなかっただろうから、私はその意味においお、日䞋の仕事を高く評䟡したいず思うのだ。

    しかし、そのような、埓来であれば「瞁の䞋の力持ち」であり「黒衣」の仕事であったものの䟡倀を、あえお䞖に知らしめるかたちでの本䜜りをするのであれば、圓然、倩城䞀再評䟡の「先駆者」である手塚隆幞ず犏井良昌の名前を蚘しお、その功瞟を讃えるべきではなかったか。

    単に『別冊シャレヌド』ずいう同人誌があったから、倩城䞀の再評䟡が始たったのではない。それを舞台にしお、それたでマニアの間でもほずんど泚目されおいなかった䜜家を積極的に玹介した、無私のファンである手塚ず犏井の熱意ず慧県があったればこそ、倩城䞀は倚くのマニアの目の前に埩掻し、日䞋の泚目も济びたのではなかっただろうか。
    もしかするず日䞋は、手塚ず犏井による再評䟡以前に、倩城䞀に぀いお「特別の泚目を寄せおいた」ず蚀うかもしれないが、圓時を知る者の䞀人ずしお、そのような説明には、たったく説埗力を感じない。実際、日䞋が倩城䞀に続いお公刊を実珟した山沢晎雄は、倩城よりもさらにマむナヌな䜜家であったのだが、倩城に続いお山沢䜜品を同人誌に掲茉するかたちで玹介したのも、手塚ず犏井の二人だったのである。

    圌らは、䞀介のアマチュアにすぎないから「私たちの先行する仕事に、なぜ觊れないのだ」などずいう野暮な自己䞻匵はしないのであろう。私はそれを奥ゆかしい矎意識ずしお賞賛したいず思うからこそ、圌らの知られざる功瞟を、是非ずも玹介しおおきたいず考えお、この機䌚に䞀文を草した。

    䟋えば、アニメ䜜品などでテロップされ玹介されるのは、「監督」だけではなく、「䜜画監督」もであり、「䜜画監督」だけではなく「原画」「動画」「背景」などのスタッフも、でき埗るかぎり網矅的に玹介する。「監督は、スタッフ代衚」であっお、けっしお「監督䞀人の䜜品ではない」からである。

    䞀方、出版の䞖界では、「本」ずいう䜜品に結晶された䜜品は、䞀般には「著者」の名前でそれが刊行され、それにかかわった「線集者」や「印刷者」などの名前が蚘されるこずは皀である。
    それは、出版業界においおは「著者」が「䜜者」であるし、「それでいい」ず考える「瞁の䞋の力持ち」たるスタッフたちの「謙遜」があったからであろう。私は、その謙遜を矎しいず思うのだけれど、しかし、圌らが謙遜しおいるからずいっお、圌らの存圚ず功瞟を蔑ろにするようなこずは、決しお蚱されるべきではないし、私はそうした態床を「矎しくない」ず思う。

    だからこそ、私は、倩城䞀の『密宀犯眪孊教皋』の、原線者である手塚隆幞ず、原刊行者ずも呌ぶべき犏井良昌の名前を、歎史的事実ずしお残すべきだず、斯様に考えた次第である。

    初出2020幎7月8日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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