メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

〈呪う〉文䜓  京極倏圊 ・ 癟鬌倜行シリヌズを䞭心に

    幎間読曞人

    京極倏圊ずいう䜜家が、䞊々ならぬ力量の持ち䞻だずいうのは、もはや異論のないずころであろう。しかし、すごいすごいず蚀うばかりで、圌の「䜕が・どう」すごいのかずいうずころは、意倖に論じられおいないのではないだろうか。

    京極倏圊の魅力は、䞻ずしお「登堎人物のキャラクタヌ性」「博識」「批評性」「文䜓」ずいったこずになろうが、そのポピュラリティを支えおいるのは、「登堎人物のキャラクタヌ性」ず「博識」だず蚀っおもよいだろう。
    圌が、基本的には「゚ンタメ䜜家」であるこずを考えれば、これは圓然。あずの二぀、「批評性」や「文䜓」がメむンだったなら、「゚ンタメ䜜家」ずしお倚くの読者の手に取られるこずは、なかったろうからだ。

    京極倏圊は、䞀般に「ミステリ䜜家」ずか「劖怪小説䜜家」などず呌ばれ、そう理解もされおいる。しかし、京極䜜品が「本栌ミステリ」ずしおの芳点から分析されるこずは、あたり倚くはないように思う。

    デビュヌ䜜『姑獲鳥の倏』に始たる京極倏圊を代衚する「癟鬌倜行」シリヌズは、間違いなく「本栌ミステリ」なのだが、䞊べお語られるこずの倚い、他の「新本栌ミステリ」䜜家たちの䜜品のような、わかりやすい「パズル性」や「圢匏論理性」あるいは「機械的構造」に比べるず、京極ミステリは、その過剰なたでの「博識」「批評性」「文䜓」によっお、そのあたりが目立たないからであろうし、もはやそうした「本栌ミステリ」性が、その「根幹郚分」だず思われおもいないからであろう。

    画像4

    いわゆる「本栌ミステリ」の堎合は、「パズル性」や「圢匏論理性」「機械的構造」がその骚栌を成し、それを芆い、しばしば「隠蔜」するために、「登堎人物のキャラクタヌ性」「博識」「批評性」「文䜓」ずいったものが、道具的に動員される。読者に、その「骚栌」を芋抜かれないようにするために、そうした「小説的芁玠」ずいう「肉質」を纏わせるのだ。
    ぀たり「本栌ミステリ」ずは、「人間」的ではなく、むしろ「人間的な肉質に芆われお、人間を装った機械構造物」ずいった偎面が匷く、トマ・ナルスゞャックがその「本栌ミステリ論」を『読たせる機械=掚理小説』ず題したのも、「本栌ミステリ」のそうした性栌こそが、基本的なものだずしお理解したからであろう。

    画像12

    ずころが、京極倏圊の「本栌ミステリ」の堎合、こうした「読たせる機械」ずいう理解・圢容が、ぎったりずは来ないように感じられる。

    通垞の「本栌ミステリ」が「人間的な肉質に芆われお、人間を装った機械構造物」であり「骚栌が䞻で、肉質が埓」なのだずすれば、京極倏圊の「本栌ミステリ」は「金属的骚栌構造にたずい぀いお、人型を保っおいる肉質の生き物」ずいう感じであり、぀たりは「肉が䞻で、骚栌は埓」なのではないか。
    少なくずも、そのように感じる人が倚いからこそ、京極ミステリの「魅力」を語る者の倚くは、その「本栌ミステリ的構造」ぞの蚀及に重きを眮くこずが少ないのではないか。京極ミステリを、「本栌ミステリ」の偎に囲い蟌もうずする政治的意図でもないかぎり、わざわざ「骚栌郚分」ぞの蚀及に偏った分析をしようずは考えないのではないだろうか。

    無論、京極ミステリは「本栌ミステリ」である。その倚くの䜜品で、「論理的骚栌」ずいう「本栌ミステリ」的基本構造を備えおいるのだから、そう呌ぶのは圓然なのだ。

    だが問題は、「骚栌」ずいう構成芁玠が「䞻たるものか埓たるものか」ずいう点である。
    前述のずおり、党掟性を持たずに普通に読めば、京極ミステリは「肉が䞻で、骚栌は埓」の、「普通小説文孊」的な構造を持った、「本栌ミステリにも分類できる䜜品」ずいうこずになるのではないだろうか。

    ぀たり、京極䜜品においおは「本栌ミステリ的骚栌」は「遞択的採吊芁玠オプション」であっお、むしろ「登堎人物のキャラクタヌ性」「博識」「批評性」「文䜓」ずいった「小説的肉質」の方にこそ、その䜜家的本質があるず考えられるのではないか。それらは「自埋自動的な骚栌」を芆い隠すものではなく、「骚栌構造」を駆動する「筋肉」であり「衚皮」なのだ。それらがあっおこそ「ヒトガタ」であり、「骚栌」は必芁䞍可欠なものではない、ずすら蚀いうる。
    ずいうのも、「骚栌」が無くおも、それは「軟䜓動物」的に生存し掻動しうるずころに、その本質を持぀からだ。

    京極ミステリが、しばしば「劖怪小説」ず呌ばれるのも、こうした性質が感じられるからではないだろうか。
    ぀たり、「人ずいう骚栌」に「劖怪は憑く」のである。

    京極さん03__1_

    「憑き物が、人にたずい぀いお人を骚栌ず化し、人物語を駆動する走らす小説」。それが、京極䜜品の本質なのではないか。だからこそ、「本栌ミステリ論」的な「骚栌論」だけでは、京極ミステリを語るには、いかにも䞍十分だず感じられるのではないだろうか。

     ○ ○ ○

    そこで問題は、その「肉質」ずしおの「登堎人物のキャラクタヌ性」「博識」「批評性」「文䜓」ずいうこずになる。

    「登堎人物のキャラクタヌ性」ずいうのはわかりやすい。それは「小説」を「物語」ずしお構成する䞊で、ハッキリず芋えるかたちで䞎えられる、「䞻たる芁玠」だからだ。

    しかし、「博識」「批評性」「文䜓」などは、そうした「物語内構造物」、぀たり「臓噚」のようなわかりやすい「郚品」ではなく、むしろ「肉質」のようなものだず蚀えるだろう。「登堎人物のキャラクタヌ性」ず、「博識」「批評性」「文䜓」では、その存圚レベルが違う。「臓噚」もたた、その「肉質」によっお䜜られたものだからである。
    蚀い換えれば、「博識」「批評性」「文䜓」が、「登堎人物のキャラクタヌ性」を䜜り出しおいるのであっお、その逆ではない。登堎人物たちが、その「博識」ず「批評性」を披露し、独特の「個性」を発揮したずころで、それは「文䜓」ではない。䜜者である京極倏圊の「博識」「批評性」「文䜓」によっお、そうした「登堎人物のキャラクタヌ性」が䜜られおいるからだ。

    したがっお、京極倏圊ずいう䜜家を語る䞊で、䞭心的な芁玠ずなるのは「博識」「批評性」「文䜓」の方である。
    そしおさらに蚀えば、その「文䜓」によっおこそ匕き寄せられた「博識」や「批評性」ではなく、京極倏圊ずいう䜜家を「思考様匏」でもあれば「䞖界芳」でもあるがゆえに、その本質ず呌んでいい「文䜓」こそが、根柢である。たさに「文は人なり」なのだ。

    画像5

     ○ ○ ○

    京極倏圊の「文䜓」は、かなり個性的で、他の「新本栌ミステリ䜜家」などの、プラスティックな文䜓ずは明らかに違った、緎れた湿り気を垯びおおり、その意味で「文孊的」である。
    意図的に「文䜓」を倉えようずしおも、簡単にそれが成功するほどの「借り物」ではなく、たさに「骚がらみ」の文䜓なのだ。

    その「文䜓」は、ワンセンテンスで、䞀気にその「䞖界」を立ち䞊げるだけの力䞖界構築力呪力を持っおおり、読者に憑䟝する。

    『 どこたでもだらだらずいい加枛な傟斜で続いおいる坂道を登り詰めたずころが目指す京極堂である。梅雚も明けようかずいう倏の陜差しは、あたり枅々しいずはいい難い。坂の途䞭に暹朚など日陀けになる類のものは䜕ひず぀ずしおない。ただただ癜茶けた油土塀らしきものが延々ず続いおいる。この塀の䞭にあるのが民家なのか、寺院や療逊所のようなものなのか、私は知らない。あるいは公園か庭園のようなものなのかもしれない。冷静に考えれば、建物を囲うにしおは面積が広すぎるから、やはり庭園か䜕かなのだず思う。』

     講談瀟ノベルス版『姑獲鳥の倏』・P8

    私は、この文章を初めお読んだ時、「こい぀は、ちょっず違うぞ。本圓にすごいのが出おきたのかもしれない」ず、期埅に胞を躍らせた。

    圓時、所属しおいたミステリマニア同人「SRの䌚」の䌚誌「SRマンスリヌ」に投皿した原皿の件で、圓時、䌚誌を線集した山前譲氏に電話をした際「先日、講談瀟ノベルズから刊行された、京極倏圊ずいう新人のデビュヌ䜜を読んでいるんですが、これはなかなか曞ける䜜家ですよ」などず奚めた蚘憶がある。
    圓時、「講談瀟ノベルズの新人」ずいうず「圓たりはずれが激しい」ずいう評刀だったからで、山前氏がそうであったずいうわけではないけれども、少なからぬ叀いミステリマニアは、必ずしも「新本栌ミステリの新人䜜家の䜜品」に飛び぀いたりはしなかったのだ。

    事実、今でこそ「新本栌ミステリの垝王」的な感じになっおいる綟蟻行人ですら、圓時、別のミステリマニア同人「怪の䌚」の䞻芁メンバヌだった、瞄田䞀男のちに時代小説評論家や長谷郚史芪のちにミステリ評論家などから「そもそも小説になっおいない」「幌皚すぎる」などず培底的にこき䞋ろされおいお、それに賛同する者も少なくなかった。

    画像10

    ミステリ専門誌『幻圱城』のファンクラブから発展した同䌚の叀参メンバヌずしお、連城䞉玀圊、泡坂劻倫、竹本健治ずいった䜜家たちの傑出した䜜品に銎染んできた圌らの目には、「新本栌」の新人䜜家の䜜品は、いかにも「孊生さんの同人誌䜜品」ずいう印象が匷かったのであろう。

    画像14

    ずもあれ、綟蟻自身、のちにこの圓時の「新本栌バッシング」に぀いお、䜕床も蚀及しおいお、ずいぶん傷぀けられたのだろうず掚察される。
    たた、今でこそ「垝王」綟蟻行人に察しお厳しい私も、圓時は「若いミステリファン」の䞀人ずしお、瞄田や長谷郚などを逆に培底批刀した。圓時は「怪の䌚」にも入っおいたから、隔月刊の䌚誌「地䞋宀」に、毎月のように、批刀原皿を送り぀けお、線集人を困らせ、事実、めったに採甚されるこずもなかった。瞄田や長谷郚が「怪の䌚」の二倧巚頭であったからだ。

    ずもあれ、そんな時代であったから、『姑獲鳥の倏』の京極倏圊は、明らかに「異質な新人」だった。
    圓時は私もただ若かったから、「文䜓」ずいうようなこずを、たずもに考えたこずなどなかったはずなのに、

    『 どこたでもだらだらずいい加枛な傟斜で続いおいる坂道を登り詰めたずころが目指す京極堂である。』

    ずいうワンセンテンスを読んだ瞬間に「なんだこれは これはちょっず䜕かが違うぞ」ず感じ、たるで「昔の小説のようだ」ずいう印象を受けたのである。

    しかし、蚀うたでもなく、京極倏圊の文䜓は、単に「叀颚」なのではなく、かなり自芚的に䜜られた、個性的な文䜓で、特に、䞊の冒頭郚などは、最初の個性的なワンセンテンスで読者を捕たえるず、続いお短めのセンテンスをテンポよく繰り出すこずで、読者を、その「文章䞖界」に巻き蟌んでしたう。

    ぀たり、京極倏圊の文章は、芋かけの「叀颚」もさりながら、やはりその「テンポの良さ」においお「今颚」なのであっお、決しお、今の読者が読みにくいものにはなっおいないのだ。
    そしお肝心なのは、この「テンポ」の良さず、その「博識」に裏付けられた意図的な「ペダントリ衒孊」による「黒い字面版面」である。

    京極倏圊は、デビュヌ圓初から「版面」ぞのこだわりを語っおいた。ペヌゞの倉わり目で必ず文章を切るずいうこだわりも、そこから来おいる。蚀うなればこれは「版面におけるテンポ」の問題だず蚀えよう。
    しかし、このこだわりに、いったいどのような意味があるのだろうか。

    それは、「芖芚的な呪い」であり「芖芚的呪文」のようなものだず蚀っおもいいだろう。
    「文章的なテンポ」だけではなく、「版面構成によるテンポ」によっおも、読者を「巻き蟌む」のである。それは䞀皮の「サブミナル効果」を狙ったものだずも蚀えるだろう。
    長短織り亀ぜたテンポのよい文章。黒い掻字ず空癜の織りなすテンポのよい、完結した絵づらずしおの版面。

    䟋えば、それは「どんどんよくなる法華の倪錓」的なものでもあれば、「難しい感じがずらりず䞊んだ経文」の版面にも䌌たものだず蚀えるだろう。それらは「意味」を理解しなくおも、聞いおいるだけで気持ちよく匕き蟌たれるし、芋るだけで魅せられおしたう性栌のものなのだ。

    そしお、特に初期の京極倏圊に぀いおいえば、その「批評性」すら、そうした「テンポ」を構成する芁玠ずなっおいるのである。

    無論これは、自芚的になされたものである。「癟鬌倜行」シリヌズの䞻人公である䞭犅寺秋圊が、戊争䞭に「掗脳」研究に関わっおいたずいう蚭定ず、これは決しお無瞁ではない。
    端的に蚀っお、京極倏圊は「掗脳」に匷い興味を持っおいたし、蚀い換えれば「他者の意識をコントロヌルする技術」に匷い興味を持っおいた。そしお、その結果ずしお「呪う文䜓」ずいうものを自芚的に構築しお、それを䜿っお「゚ンタメ小説」を曞いたのである。

    画像15

    しかし、こうした「暗瀺」による「倖的なコントロヌル」は、時間の経過ずずもに薄れ匱っおしたうこずが倚い。
    本人が「自芚的」に遞んだ遞ばされたものであれば、それは本人によっお繰り返し確認されるこずで、時に匷化されおさえいくから、それを自芚的に解䜓解陀しないかぎり薄れにくいのだが、「暗瀺」は、攟眮しおおけば、自然の忘华効果によっお、おのずず薄れおしたう。そしおそこが、自芚的に遞択する「信仰」ず、匷制的な「呪い」ずの違いだずも蚀えるのだ。

    だが、だからこそ「京極倏圊の文䜓的呪力」は、時間の経過ずずもに「匱たる」傟向にあっお、これは必然である。有り䜓に蚀えば、読者が「銎れおしたう」のだ。

    たた、「呪者斜術者」の方も、その「呪い」の力に自家䞭毒に察する免疫ずしおの「銎れ」を感じるようになっおしたい、その力を心底信じるこずができなくなるので、自ずずその文章からは「力毒性」が倱われお、補完的な「巧さ」に傟いおいくこずになる。
    䜜家の「文章」が、しばしば「初期には非垞な力を持ち、埌期には緎り䞊げられた巧さに倉わる」ずいうのも、そうしたこずからなのではないかず考えられる。䜜家が、その初期に持ち埗た「熱量の高い文章」ずいうのは、技術によっおは氞続させるこずはできず、いずれ䜜家は「枯れお」いかざるを埗ない。倱った「熱量」をカバヌするものずしお、「テクニック」が補填されるのだ。

    このように芋おくれば、京極倏圊の代衚䜜が、初期䜜品に集䞭しおいるその䞀方、䞭期埌期の䜜品が、それなりに高く評䟡されおいるずいうのも、故なきこずではない。
    芁は、初期の異様な「熱量」に重きを眮いお評䟡するか、以降の「䜜家的成熟」を評䟡するかの違いであっお、どの時期の䜜品も、それなりに高く評䟡しうるのである。

    画像15

     ○ ○ ○

    さお、綟蟻行人のデビュヌ以降、䞀䞖を颚靡した「新本栌ミステリ」における、私のベスト䜜品は、

     䜍・山口雅也『生ける屍の死』
     䜍・京極倏圊『魍魎の匣』
     䜍・京極倏圊『鉄錠の檻』

    ずいうこずになる。

    ちょうど10幎前2012幎に䜜った「ブクログ」の本棚「黒いコレクション991」でも、「新本栌以前」の䜜家やミステリ以倖の䜜品、そしお舞城王倪郎『ディスコ探偵氎曜日』を別にすれば、䞊の䜜が「新本栌ミステリのマむベスト」ずいうこずになっおいる※ 『ディスコ探偵氎曜日』を「新本栌ミステリ」ず呌ぶには、少々違和感がある。事実、舞城王倪郎はその埌、ミステリから遠ざかっお、玔文系䜜家ずしお評䟡されおいる。

    画像6
    画像7
    画像8
    画像9

    以䞋は「黒いコレクション991」参照

    ぀い先日、りェブサむト「ねずらが調査隊」が、「京極倏圊「癟鬌倜行シリヌズ」で䞀番奜きな䜜品は」アンケヌト調査を行なっおおり、その結果は、珍しくも私のそれず完党に同じである。
    ぀たり、『魍魎の匣』『鉄錠の檻』『絡新婊の理』『姑獲鳥の倏』『狂骚の倢』の順で初期䜜が䞊䜍を占め、あずはぐっず萜ちる、ずいう感じだ。

    画像1
    画像2
    画像3

    https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/663042/vote_result/#votewidget

    私も、このアンケヌトに応募し、『魍魎の匣』ぞの祚ず、次のようなコメントを投じた。

    『魍魎の匣』ID: e03ca8
    ネタ的には『鉄錠の檻』が奜きなのだが、しかし『魍魎の匣』の、あの「呪う文䜓」の力は半端ではないし、京極倏圊自身、もうあんな文章は二床ず曞けないだろう。テクニック云々以前の、デビュヌ盎埌特有の力なのだろうず思う。

    アンケヌトには、合蚈「1191」祚が投じられたが、コメントは「16」件だけだったようなのだが、そのコメントには「グッド」ず「バッド」の投祚できお、コメントにも順䜍が぀く。

    䞀䞀さお、ここで問題。果たしお、私のコメントの順䜍は、16件䞭の䜕䜍だったであろうか

    答えは、最䞋䜍の16䜍。
    「グッド」が4祚「バッド」が2祚で、「バッド」が付いたコメントは、私のものだけだったからである。

    ちなみに、人気第䞀䜍のコメントは、「グッド」が6祚で、

    『姑獲鳥の倏ID: 354201
    初めお本屋で出䌚い、そしお読埌の衝撃が今でも忘れられたせん。
    ラストの切なさも奜き。
    党おがここから始たりたした。
    あの日以降、倏になるず思い出す䜜品です。』

    ずいう、嫉たしくも、じ぀に「爜やか」なコメントであった。

    それにしおも、なぜ私のコメントだけに「バッド」が付いたのか。
    䞀䞀無論それは、「人を呪わば穎二぀」であり、「呪う者は呪われる」からだ。

    したがっお、私のコメントに「バッド」を぀けた埡二方も、きっず呪われおいるはずだから、甚心なさった方が良いず思う。
    もう「お祓い」は枈たせおおられるだろうかず、少々心配である 。

    2022幎4月19日

     ○ ○ ○








     ○ ○ ○



























     ○ ○ ○







     ○ ○ ○



     ○ ○ ○


     ○ ○ ○


     ○ ○ ○







     ○ ○ ○


     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ