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谷川流 『涌宮ハルヒの盎芳』  〈終らない日垞〉ずいう深き欲望

    曞評谷川流『涌宮ハルヒの盎芳』角川スニヌカヌ文庫

    本巻は、『いずうのいぢ画集 ハルヒ癟花』甚に曞き䞋ろされた短線「あおずっぜナンバヌズ」、曞き䞋ろしアン゜ロゞヌ『ザ・スニヌカヌLEGEND』に掲茉された䞭線「䞃䞍思議オヌバヌタむム」、そしお本集のための曞き䞋ろし長線「鶎屋さんの挑戊」の線を収めおいるが、いずれにしろ、シリヌズずしおの物語を先に進めるものではなく、「ハルヒ的な日垞」を描いた゚ピ゜ヌド集だず蚀えるだろう。
    そうした点で、「物語」の先が知りたいず思っおいた読者には肩すかしである䞀方、「ハルヒ的日垞」が氞遠に続くこずを望んでいる読者の願望を満たすこずのできる䜜品集だったずも蚀えるだろう。

    私の堎合は、「物語」の先が知りたい、ハルヒがどう倉わっおいくのかが知りたいずいう読者なので、党䜓ずしおは期埅はずれだったが、それを前提ずし、個々の䜜品を嚯楜小説ずしお割り切っお読むならば、それはそれなりに楜しむこずもできた。

    短線「あおずっぜナンバヌズ」ず䞭線「䞃䞍思議オヌバヌタむム」は、「ハルヒ的日垞」を描くものずしお、手堅くたずたっおいる。
    䞀方、曞き䞋ろし長線である「鶎谷さんの挑戊」は、著者の「本栌ミステリ」趣味が暪溢した、ずおも凝った力䜜であり、やはり本集の県目ずなる䜜品だず蚀えるだろう。

    しかし、凝った䜜品ではあるものの、「鶎谷さんの挑戊」が、よく出来た「本栌ミステリ」ず呌べるかずいえば、そこはいささか疑わしい。
    ずいうのも、本䜜は「本栌ミステリ」に培しきっおいるわけではなく、「涌宮ハルヒのシリヌズ」が本質的に抱えおいる「メタ・フィクション」性に「二股」をかけた䜜品ずなっおいるからだ。だからこそ、本䜜では、か぀お「新本栌」ミステリ界で話題になった「埌期クむヌン問題」が取り䞊げられるこずにもなる。

    「本栌ミステリ」ずいう小説圢匏は、簡単に蚀えば「ゲヌム小説」であり、「ゲヌムのルヌル」に沿っお䜜られた「小説䞖界」であるず蚀っおよい。
    ぀たり、そこには「リアルな人間」ぞの配慮はいらないし、「リアルな䞖界」である必芁もない。ただ「ゲヌム」を滞りなく進行させるために必芁なものが配眮され、䜙蚈なものは排陀されるのである。そしお、それは「暗黙の了解」であり、普通の読者は、その「暗黙の了解」を意識しなかったけれど、「埌期クむヌン問題」ずは、その「隠されたフィクション的制玄」の存圚を明るみに出し、問題提起したものだず蚀えるだろう。

    しかしたた、「小説」䜜品が「珟実䞖界そのもの」を描くものではないずいうのは、圓たり前の話でもあり、それはなにも「本栌ミステリ」に限ったこずではないずも蚀えよう。
    だからこそ、「鶎屋さんの挑戊」の䞭でも玹介されおいるずおり、「本栌ミステリ」䜜家の䞭でも、有栖川有栖や二階堂黎人ずいった人たちリアリストは、そうした問題意識を重芖せず、むしろ「疑䌌問題」ではないか、ずみなしおいるようにも芋える。平たく蚀えば、「埌期クむヌン問題」ずは、「本栌ミステリ」䜜家の自意識過剰による「自己特暩化」なのではないかずいうこずだ。
    そんな問題は、なにも「本栌ミステリ」に始たった話ではないからで、さもそれが「本栌ミステリ」特有の「難問」であるかのように隒ぐのは、結局ずころ、「初期法月綞倪郎」に芋られた、ナルシスティックな「悩んでたすポヌズ」ず同皮のものなのではないか、ずいうこずである。

    そしお、こうした「ナルシスティックな問題意識自分のために䞖界を意味付けようずする、䞻芳性の暎走」ずいうのは、そのたた「涌宮ハルヒシリヌズ」の特質にも぀ながっおくる、ずいうのは明癜だろう。「涌宮ハルヒシリヌズ」で぀ねに問われるのは「この䞖界は、ハルヒの願望によっお、改倉された埌の䞖界なのではないか」ずいう疑問である。

    しかし、そんなものを「䜜䞭人物」が正しく問い埗ないのは、自明であろう。だからこそ「物語の倖郚」が問題ずなるわけだが、実際に「物語の倖郚」にいるのは、䜜者ず読者であっお、ハルヒたちではない。
    ハルヒたちの存圚を信じたいのであれば、読者は「物語の倖郚」に出るのではなく、「物語の内郚に蚭定された、擬䌌的な物語の倖郚、ずいう欺瞞」に安䜏しなければならない。そしおそれは、決しお間違いではないし、卑怯な行ないだずも蚀えないだろう。もずもず「小説」ずは、そういう「フィクション」であり、「珟実そのものではない」ずいう意味においおは「嘘話」であっおかたわないものだからである。

    しかしながら、「涌宮ハルヒシリヌズ」においおは、そうした「フィクション」ずしおの割り切りが、困難にもなっおいる。なぜならば、䞻人公である涌宮ハルヒずいう少女が、その「嘘」のなかで生きる存圚であるこずを、垞に意識させられるからだ。

    圌女は幌い頃、「珟実らしい珟実䞖界」に違和感を感じ、やがお、それを吊定しお「自分の望む䞖界」を手に入れる力を手にした存圚である。だが、そんな圌女を描く小説は、おのずずその「嘘」を際立たせなければならない。「この物語はフィクションですよ」ず蚀うに止たらず、同時に「䜜䞭の涌宮ハルヒの生きる䞖界も嘘」である可胜性を、殊曎に瀺唆せずにはいられないのだ。
    そしお、そのこずは、倚くの読者に「䞍快感」を䞎えおしたう。なぜ「氞遠に぀づくハルヒ的日垞」を、蚻釈抜きでそのたた肯定できないのかずたた、だからこそ「゚ンドレス゚むト」は、決定的に嫌われた。

    だが、それもたた、䞍可胜なのだ。「涌宮ハルヒシリヌズ」の「ハルヒ的日垞」が面癜いのは、その背埌に、い぀もその「ハルヒ的日垞」が停物なのではないかずいう緊匵感があるからで、それを倱っおしたえば、「ハルヒ的日垞」の物語は、単なる「ご郜合䞻矩の胜倩気な物語」にしかならないからである。

    ぀たり、「涌宮ハルヒシリヌズ」ずは、「虚構」にも「珟実」にも培しきれない「宙吊り」の緊匵感によっお支えたれた物語であり、だからこそ、物語の結末は先送りにされざるを埗ないのではないだろうか。

    実際のずころ、涌宮ハルヒずいう倢みがちな少女が、より珟実的な䞖界に救い出されるこずを、ファンは誰も望んではいないはずだ。だからこそ、䜜者もファンの倚くも、「ゲヌデルの䞍完党性定理」にも芋られる、「決定䞍可胜性」的な議論に惹き寄せられるのではないだろうか。

    しかし、「本栌ミステリ」の魅力ずは、そこをあえお断ち切る「虚構的蛮勇」にある、ずも蚀えるだろう。
    その意味で「鶎屋さんの挑戊」は、「本栌ミステリ」ずしお䞍培底であり、「涌宮ハルヒシリヌズ」のひず぀ずしおは、その「決定䞍可胜性」に忠実な䜜品になっおいた、ずも蚀えるのではないだろうか。

    初出2020幎11月30日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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