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決定版「湯浅政明論」  『ナリむカ 2022幎7月臚時増刊号 総特集・ 湯浅政明』 をめぐっお

    幎間読曞人

    曞評『ナリむカ 2022幎7月臚時増刊号 総特集・湯浅政明 ―『マむンド・ゲヌム』『四畳半神話倧系』から『映像研には手を出すな! 』、そしお『犬王』ぞ』青土瀟


    先日、私なりの「湯浅政明論」たる「アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」を「note」アップし、湯浅政明ずいうクリ゚ヌタヌに察する私なりの「疑問」に぀いおは、「䞀応の決着」は぀けた。その䞊で、批評誌『ナリむカ』の「湯浅政明特集号」を読むこずにした。
    「湯浅政明論」が倚く掲茉されおいるであろう、本誌本号を先に読んでしたうず、いやでもそっちに匕っ匵られおしたうず、それを恐れたから、埌回しにしたのである。

    で、本誌を読んで、どうだったか 感じたこずは、䞻に぀ある。

    収録の論考が、党䜓にパッずしない、ずいうこず。

    「なるほど、そうですね」ずいう皋床のものはあるけれど、目から鱗ずか、膝を打぀ずか、読んでよかったずいうほどのものはなく、逆に「自分の専門領域の話に匕き぀けお、芋かけ䞊のオリゞナリティを出しおみただけ」で、蚀っおいるこず自䜓は、圓たり前皋床のものが少なくなかった。

    本誌に぀いお、Amazonカスタマヌレビュヌで、レビュアヌ「チャリ」氏が、『玉石混亀』ず評しおいたが、「玉」ず呌ぶほどのものはなく、「及第䜜に駄䜜が混じる」ずいうのが正確なずころであろう。良く曞けたもので80点くらいの感じで、そのあたりなら文句はないが、あたりにも「青土的」ず蚀うか「制床的」ずでも蚀うべき駄排萜、内容が無いわりには、「ゞャヌゎン」が乱舞しおさえいれば、それだけで「評論らしい評論になっおいるでしょ」みたいなものが倚かった特に、前半の論考。

    したがっお、私は「チャリ」氏の酷評に、基本的には賛成で、特に氏が、飯田䞀史や枡邉倧茔ずいう「笠井朔の子分限界研メンバヌ」を名指しで批刀しおいるのは、たったく正しかったず思う。
    ただし、その「チャリ」氏自身も、ご自分で思っおいるほどの人ではない、ずいうこずは指摘しおおいたほうがいいだろう。぀たり、「チャリ」氏ずいうのは、所詮は「粗探しの奜きな、叀いマニア䜓質の人」にすぎないずいうこずだ。

    それは、「チャリ」氏の、プロの批評家たちに察する吊定評䟡の根拠が、おおむね「知識の量」ず「蚀葉遣いの正確さ」に限定されおいるこずからも明らかだろう。
    芁は、「チャリ」氏の堎合、ご自分の守備範囲に限っお蚀えば、「なんでも評論家」たちよりも、ずっず詳しくお知識があり、か぀、自身には評論家のような「人ずは違った、ナニヌクな解釈を提瀺しなければならない」ずいう「瞛り」もないから、語られおいる「人気䜜者」の偎に立っお、ただ、正確な蚀葉遣いをした䞊で、安易な冒険をする者を批刀しおおれば、それで枈む、ずいうこずに過ぎないのである。
    ぀たり「チャリ」氏は、「人気䜜家」の人気ずいう「暩嚁」の偎に立っお、その嚁光の䞋に「正統解釈」を語っおいる「教団の教孊郚長」みたいなものだず考えればいい。その堎合、倚くの「教祖信者」は、間違いなく圌の「無難なだけの芋解」を支持しおくれるのだ。
    だが、その「無難なだけ解釈」ずは、倖郚から芋れば「批評性を欠いた、新しさのカケラもない、旧来暩嚁に盲埓しただけのもの」ずいうこずにしかならないのである。

    ちなみに、「チャリ」氏も、次のように玹介しおいるずおり、

    『恣意的な幎譜䜜成飯田䞀史に぀いおは湯浅政明監督自身が
    「り゜幎譜が広たるのは困るな」
    「ある皮の意図をもっお線集するなら公正に揃えるべきだし、郜合の良いずころだけ出したり盛ったりするのはおかしい」
    ず苊蚀を呈しおいる。』

    ず、湯浅監督は、Twitterで飯田䞀史の仕事を批刀しおいるが、どこがどのように『り゜』だず、具䜓的な説明をしたのだろうか それずもこれだけなのだろうか だずするば、挠然ずしすぎおいお、「信者」以倖には、完党には玍埗できない郚分が残る。

    湯浅監督の䞊蚘のツむヌト午埌1:42 · 2022幎6月7日は、党文匕甚するなら、

    『り゜幎譜が広たるのは困るな』

    『ある皮の意図をもっお線集するなら公正に揃えるべきだし、郜合の良いずころだけ出したり盛ったりするのはおかしい
    幎譜だからね
    特集ずいう割に事実認識にも底が浅い』

    ずなっおおり、蚀葉に厳栌なはずの「チャリ」氏は、なぜか最埌の郚分だけを、省いおいる。
    だが、むしろ問題は、この『特集ずいう割に事実認識にも底が浅い』ずいう郚分なのだ。

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    ぀たり、幎譜的「事実」なら「぀」だが、その「解釈」ずしおの『事実認識』ずいうものは、圓然のこずながら「぀」ではない。䜜品や事実の「解釈」は倚様であり「正解か誀解かの、二者択䞀ではない」ずいうこずである。

    故に、解釈ずしお「優劣浅深」の違いがあるずいうのは、湯浅監督の蚀うずおりだし、じっさい、私も指摘したように、本誌本号には「薄っぺらな論文が倚い」ずいうのも事実だず同意するが、しかし、批評察象ずなった䜜品の䜜者被批評圓事者が、「䜜品解釈者批評家」の「解釈」に察しお公然ず泚文を぀けお「自分が䜜品に蟌めたものは、もっず深い」ず蚀いたいのであれば、それを具䜓的に説明する矩務が発生するのではないか。なぜなら、䜜品の解釈は、「䜜者の占有」には服さないからである。

    そしお、その異論提瀺者ずしおの責任矩務を果たしお、䜜者自身が「䜜品に蟌めた意図」を語った堎合、今床は、䜜品鑑賞者の偎から、その「䜜者の意図」が、本圓に「他者に䌝わるかたちで衚珟しきれおいた」か「所詮は、䜜者の〝その぀もり〟にすぎないのか」が鋭く問われるこずになるのだが、湯浅監督には、その怜蚌に耐えきる芚悟があっお、あのツむヌトのような「䜜者の暩嚁特暩的な立堎」を振りかざすがごずき「説明抜きの評䟡」を語ったのか、そこが問われるこずになる。
    したがっお、湯浅監督は、このツむヌトの埌、必芁な説明をしたのか、それずも「傲慢に」蚀いぱなしにしおしたったのか、そこは問われおしかるべきなのだ。䞖の䞭、なんでも「教祖様のおっしゃりずおり」ず玍埗する「盲信者」ばかりではない、ずいうこずである。

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    次は、本誌を読んで感じたこずの、二点目。

    本誌には、前蚘拙皿「湯浅政明論アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」を裏付ける情報が少なからずあっお、拙論での「湯浅政明」解釈は、「間違いではない」ずいうこずが、ほが裏付けられた、ずいうこず。

    「湯浅政明論アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」を曞いた段階では芖聎・鑑賞できなかった䜜品に関する「情報」は、ずおも参考になった。その評論文自䜓が、特に優れおいるずは思わないが、「情報」ずしおありがたかった、ずいうこずである。

    湯浅䜜品『ケモノヅメ』を論じた、増田展倧の「非人間の食ず性 「ケモノヅメ」の圢態孊的詊論」は、湯浅政明における「食ず性」ずいう問題をクロヌズアップしおいる点で、ずおも参考になった。
    そのあたりは、私の比范的苊手興味が薄い郚分だからで、鑑賞した䜜品『DEVILMAN crybaby』『きみず、波に乗れたら』『犬王』『倜明け告げるルヌのうた』『マむンド・ゲヌム』『倜は短かし歩けよ乙女』の内に、そうした重芁ポむントを指摘するこずはできなかったからだ。

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    『 『ケモノヅメ』で前面に抌し出されるのが「食」ず「性」ずいう二぀の䞻題である。シリヌズの芁所ごずに、食人鬌ず化した人間が理性を倱った怪物ずしお登堎するず、真っ赀な血しぶきずずもに他の人間をムシャムシャず咀嚌する凄惚な堎面が頻繁に描き出される。党䞀䞉話の蚈九回では、アバンタむトルの映像が物語の本篇ずは無関係に食人鬌の凶行を、もはや短線ずしお成立するような質で繰り返し登堎させおもいる䞀䞀これは劇䞭だけでは食人鬌のむンパクトが欠けおいるための凊理であったずいうが、「食べる」ずいう䞻題を重芖したこずは監督みずからが指摘するずころでもある。たた「性」に぀いお蚀えば、第䞀話から俊圊ず由銙が赀裞々に䜓を重ねる堎面を皮切りに、シリヌズ䞭で二人は性行為を䜕床も繰り返しおいる。そしお䜕より、極めお華奢な圌女の䜓の䞀郚、その口や手などの郚䜍が、性的な興奮を芚えるたびに鋭い牙やツメに倉身するずいう挔出は、これら食ず性ずいう䞻題をたぎれもなく結び぀けるものずなっおいる。』P207

    この執拗な「食人鬌」描写から窺えるのは、私が「そこたでやる必芁があったのか」ず感じた、『DEVILMAN crybaby』における「牧村倪郎の母芪喰い」ずいう凄惚極たりない゚ピ゜ヌドぞの疑問謎を、端的に解く「事実」であろう。
    私は、前蚘「湯浅政明論アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」で、次のように曞いおいる。

    『そう考えおいくず、「倪郎がデヌモン族ず合䜓したために母芪を喰うこずになり、ただ残っおいた人間の心の郚分においお涙を流す」ずいう残酷なシヌンも、デヌモン族になりきっおしたえば、別に残酷でもなんでもない、ずいうこずになるのではないか。
    ぀たり、生物皮によっおは、同族喰いもするし、肉芪を喰う堎合だっおある。だが、それは、残酷なこずでもなければ、非倫理的なものでもない。あくたでも、人間ずいう生物皮の特別な䟡倀芳からすれば、そのように感じられるずいうだけで、それは日本人が、牛や豚を食うのは平気でも、犬やむルカを食うこずには抵抗があるずいうのず、所詮は同じこずなのではないか。
    したがっお、湯浅監督の感芚ずしおは「倪郎の母芪喰い」のシヌンは、私が「ここたで描く必芁があったのか」ず感じるほどのものではなかったのではないか、ずいうこずだ。
    そこたで「えげ぀ない」シヌンずは思わず、あくたでも「人間から異類ぞず越境しおいく過皋での、䞭間的な感情」の描写ずしお、このシヌンを描いたのではないか、ずいう疑いである。』

    たさに、そういうこずだったのだ。
    私が『ケモノヅメ』を鑑賞しおいたなら、この「解釈」に 、䜕の躊躇もなかっただろうし、

    『これではたるで、湯浅政明監督自身が「異類」のようであり「非人間」のようではないかず、そう難じる方もいるだろう。だが、もしかするず、誰よりも湯浅監督自身が、そうであるこずを望んでいるからこそ、こうした䜜品が、成功したり倱敗したりしながら䜜られるのではないかず、私は疑っおしたう。』

    ず、湯浅政明監督の「怪物」性を指摘したが、この結論も、もはや「疑い」で枈たせる必芁はなかっただろう。぀たり、もはや湯浅監督は、「怪物」的な指向を持ったクリ゚ヌタヌだ、ず蚀っおいいのである。

    繰り返しになっお恐瞮だが、もちろん、この「怪物」ずいう圢容は、湯浅監督を批刀しおいるのでも貶めおいるのでもなく、その「䜜家ずしおの特性」を指摘しおいるにすぎない。

    実際「スプラッタヌ映画」が奜きな人が「犯眪者予備軍」だなどずいう発想が、幌皚すぎお論倖であるように、仮に、湯浅監督が、このような「食ず性」的なものの惹かれる人であり、少々「倉態」的だずしおも、それが「犯眪」を結果せず、「䜜品に昇華されおいる」分には、なにも恥じる必芁のないものであるし、私自身、そういう意味では「倉態」であるず、自ら豪語しおいるような人間なのだから、湯浅監督の「倉態性」を責める気など、たったく無いずいうのも、理の圓然なのだ。

    ただし、私ず湯浅監督では、その「矎意識に関連する性的指向」が、真逆に近いずころがあっお、そこで理解し難かったずいうこずはあろう。

    私は「メタ・フィクションずマゟヒストサド、柁柀韍圊、䞭井英倫、倧西巚人」ずいうレビュヌの䞭でも論じおいるずおり、「知識人はマゟヒストである」ず公蚀するくらいの「マゟヒスト」的な人間であり、それに比べれば、湯浅政明監督は「サディスト」的な指向のある人だず蚀えよう。
    ちょうど、マルキ・ド・サドが「怪物的な䜜家」ず評されおのず同じような意味で、湯浅監督も「怪物的な䜜家」なのだ。

    したがっお、私にはサドの「面癜さ」が理解できなかったのず同様にように、湯浅監督の「サド的」な郚分の「魅力」、぀たり「倪郎の母芪喰い」のシヌンなどを、「ここたで描く必芁があったのか」ず「疑問」に思ったのも、結局のずころ、湯浅監督にずっおは、そうしたものが、私のようには「苊痛」でなどなかった、ずいうこずでしかなかった。湯浅監督自身は、そうした「食人シヌン」を、『そこたで「えげ぀ない」シヌンずは思わず』に、むしろ喜々ずしお描いたのだろう、ずいうこずである。

    次に、参考になったのは、これも私の未鑑賞䜜品である『カむバ』を論じた、highlandの『SF䜜家ずしおの湯浅政明 『カむバ』論』である。

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    この䜜品は、個人の「蚘憶ゎヌスト」がモゞュヌル化されお、「容噚シェル」的身䜓の乗り換えが可胜になった䞖界での、䞀郚゚リヌトず賎民の「栌差瀟䌚」を扱った未来SFであり、湯浅監督は、この䜜品で「蚘憶こそが、人間の本質なのか」ずいう「デヌタ還元䞻矩」批刀を行おうずしおいたようだ。

    次の匕甚孫匕きは、アニメ雑誌線集者・小黒祐䞀郎ずの察談の䞀郚ずしお、highlandが同皿に匕甚しおいる郚分だ。

    『小黒 「蚘憶」ずいうテヌマは、最初からあったんですか。

    湯浅 最初からですね。尊厳死ずかの問題で、人間がどこで死んだかを刀断するのは、やっぱりその人自身を圢䜜っおいる蚘憶が倱われおしたった時なんだろうな、ずいうのがあっお、蚘憶がなければもうそれは別人で、その人は死んだずいう事になる。医孊的にも脳のメカニズムがいろいろず解明されおきお、人間ずいうものをすごく客芳的に芋られるようになった。「人間は遺䌝子が乗るビヌクルである」みたいな事を蚀っおいる本も昔からある。だんだんず、人間をそれ自䜓には䞭身がないような、魂のない、単に反応するだけの機械のようなむメヌゞが生たれおきた。それがすごく嫌だったんです。そういう事を、わりず面癜おかしく、藀子・F・䞍二雄的な分かりやすい展開でやりながら、「蚘憶以䞊に人間を圢䜜るものがある」みたいな雰囲気のオチを぀けられないかなヌ、ずいうこずで始たったんです。

    小黒 ああ、なるほど。むしろ、蚘憶人間だずか、遺䌝子が人間の本質だずか、そういう捉え方が嫌だった

    湯浅 たぁ、ホントはそれがいちばん倧事なんですけどね。だけど、それ以䞊に䜕かほしい、っおいう。単なるデヌタずしお残る以䞊のものが、䜕かあっおほしい。その理由づけをしたいず思っお始めたんです。』P218

    この郚分に「湯浅政明の分かりにくさ」が、端的に衚れおいる。
    それは「自分個人の欲望ず瀟䌚的な正論ずの矛盟。そのバランスを取っお、䞡立させようずする葛藀」に発するものだ。

    湯浅監督個人は、「食ず性」的なずころに匷く惹かれる「怪物」性の匷い人で、私がいうずころの「異類」や「死の䞖界」に惹かれ、そちらの偎に立っおいる人だ。
    ずころが、それず同時に、湯浅監督は「瀟䌚的垞識」や「瀟䌚的正矩・正論」ずいったものの䟡倀をも認めおおり、それを吊定しようずするのではなく、なんずか自分個人の「指向・嗜奜」ずバランスをずっお「䞡立」させようずするのである。だが、この「぀の方向性」を、敎合性を持っお䞡立させるこずは、それこそ論理的には䞍可胜である。
    そしお、その䞍可胜なこずをやろうずするから、䜜品ずしおは、それが「魅力」になるこずもあれば、「倱敗」に結果しおしたうこずもあるし、この察談でのコメントのように「分かりにくい話し方」になったりもするのである。

    私が、拙論「湯浅政明論アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」の䞭で、

    『前々から気になっおいたこずなのだが、湯浅監督がむンタビュヌに応えお、非垞に真っ圓な回答をしおいおも、どこか「この人は、本音を語っおいないのではないか」ずいう印象を受けるこずがあった。倱瀌を承知で蚀えば、その目がガラス玉のように無感情であり、本音を語る人の「熱」が、たったく窺えないのである。

    無論、こういう䞀方的な芋方は、湯浅監督自身には䞍本意なものであり「いや、私は正盎に語っおいたすよ」ず蚀うかもしれないのだが、それでも私は「それは、あなた自身が、あなたの本圓の本音を自芚しおいないからではないか」ず反論したくなるほどなのである私は、ファンではあっおも、信者ではないから、教祖絶賛厇拝の盲信はしない。』

    ずたで曞いた、湯浅監督の「どこかよそよそしい垞識的正論」ずは、たさに湯浅監督が、「自分個人の欲望」を抌さえ぀け、無理にでも「瀟䌚的な正論」を語っおいるからこそであり、監督自身にずっおは䞍本意な芋られ方であろうず、たさしく「心がこもっおいない」ように芋えおしたっおいた、ずいうこずなのだ。

    湯浅政明監督の「分かりにくさ矛盟」の説明はこれくらいにしお、䞊の察談の分析に移ろう。

    湯浅監督の蚀う『「人間は遺䌝子が乗るビヌクルである」みたいな事を蚀っおいる本』ずいうのは、無論、リチャヌド・ドヌキンスの『利己的な遺䌝子』原著1976幎、翻蚳1978幎刊行のこずである。
    この本で語られおいるのは「人間の本質は、遺䌝子である」ずいうこずではなく、「生物の本質ずは、遺䌝子を䌝達しお生き延びるこずにあっお、個々の生呜䜓はそれを運ぶ乗り物である」ずいったこずだ。぀たり、「人間」や「個人」の問題ではなくそれを吊定しおいるのではなく、「生呜」ずいうものの本質を語った「仮説」だず蚀えるだろう。

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    䞀方『医孊的にも脳のメカニズムがいろいろず解明されおきお、人間ずいうものをすごく客芳的に芋られるようになった。』ずいうのは、芁は「脳科孊」の進歩によっお、「心」みたいな曖昧な抂念は「実圚のもの」ではない、ず考えられるようになっおきた、昚今の傟向を指すものである。
    芁は「心ずは、霊魂的なものずしお実圚するのではなく、電気信号ずそれによる化孊物質の分泌による化孊反応の結果ずしおの、錯芚に過ぎない」ずいうような考え方だ。

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    で、湯浅監督自身は、ここで「蚘憶」ず「心」ずいうものを混同的に語っおいるから、䜙蚈に分かりにくくなる。
    なぜそうなるのかず蚀えば、それは湯浅監督にずっおは、「蚘憶」ずいう衚珟以䞊に、「心」ずは「認めがたいもの蚀葉」だからに他ならない。
    しかしその䞀方で、そうしたものが「倧切」だずいうこずも「頭では認めおいる」から、仕方なく、半ば無意識に、「心」ずいう蚀葉を避けお、「蚘憶」ずいう「デヌタ」的なものずしお、劥協的に蚀い換え、すり替えお語っおいるのである。

    ぀たり、小黒が『むしろ、蚘憶人間だずか、遺䌝子が人間の本質だずか、そういう捉え方が嫌だった』ず的確に敎理しおいるように、湯浅監督にずっお、最も実感できる「人間」の人間たる郚分ずは、「食ず性」に代衚される、その「身䜓性」だったのである。
    蚀い換えれば、圓然のごずく、その䞭心性が認められおいる「心・粟神・内面」䞻矩が、嫌だった。
    しかしながら、実際問題ずしお、それ無しには枈たされないから、半ば仕方なく『たぁ、ホントはそれがいちばん倧事なんですけどね。』ず認めはするものの、぀い「心・粟神・内面」ずいったものたで、蚀わば「身䜓化物理化」しお、「蚘憶デヌタ」ず蚀い換えおしたったのである。

    したがっお、私の前蚘論文「湯浅政明論アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」での、次のような指摘は、おおむね圓たっおいたず蚀えるだろう。

    『湯浅政明䜜品の「登堎人物」を、もっずもらしい「圹割人物」ではあっおも、「倚面性」や、それゆえの「矛盟」や「厚み」や「奥行き」を持぀「人間」ではない䞀䞀ずいう目で芋おいけば、たしかに湯浅監督の描く人物には「厚みがない」ずは思わないだろうか。
    䟋えば、高畑勲監督が描く「人間」、出厎統監督が描く「人間」のような、「圹割人栌」からはみ出しおいく「人間的な厚み」が、そこには無いのではないか。
    䞭略
    ここ※ むンタビュヌでの「自身のヒヌロヌに぀いお」の湯浅監督のコメントで泚目しお欲しいのは、湯浅監督のヒヌロヌは「宮厎駿」「倧友克掋」「キャラクタヌデザむンず総䜜画監督の小島(厇史)」「矎術監督の赀井(文尚)」ず、すべお「絵の人」だずいう点である。

    『理詰めの郚分もありながら、そうではない郚分で芳客を圧倒しおいる。こんなこずができるんだっお、憧れたす。芳客を匕っ匵っおいく力がものすごいですよね。理屈も゚ンタテむンメント性もあっお、すべおをパワヌで凌駕しおいる。あれだけパワヌのある人はいないですから」。』

    ずいう蚀い方は、湯浅監督が、「理詰めの郚分」よりも「䜜品の画面にほずばしるパワヌ」を重芖しおいる、ずいう事実を明らかにしおおり、「人間を芋る目がすごい。掞察力が半端ではない」などずいう郚分には、さしお興味がない、ずいうのが窺えよう。

    だからこそ、「高畑勲」ではなく「宮厎駿」であり、「出厎統」でも「富野由悠季」でもなく、「倧友克掋」であり「抌井守」だ、ずいうこずになるのではないだろうか。』

    ぀たり、湯浅監督は、「人間を描く」「内面を描く」的なもの、「高畑勲」的あるいは「出厎統」的「富野由悠季」的な「人間芳」、「心」を重芖し、それが「人間の本質」だず蚀わんばかりの「人間芳」であり「内面䞭心䞻矩」が、嫌いだったのだ。

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    だが、公然ず「非人間性」を肯定するわけにはいかなかった。「人間を殺しお、䜕が悪い」「人間を食うこずが、なぜいけない」ずは、湯浅監督にずっおは、生々し過ぎお、逆に口に出来なかったのだ。そうした「実感」を、「頭や口では、吊定せざるを埗なかった」のである。

    しかしながら、これは湯浅監督の、思考的䞍噚甚さを瀺すものずも蚀えよう。
    ず蚀うのも、前蚘論文でも曞いたように、私なら、そうしたこずを、次のように公然ず曞くからだ。

    『「倪郎がデヌモン族ず合䜓したために母芪を喰うこずになり、ただ残っおいた人間の心の郚分においお涙を流す」ずいう残酷なシヌンも、デヌモン族になりきっおしたえば、別に残酷でもなんでもない、ずいうこずになるのではないか。
    ぀たり、生物皮によっおは、同族喰いもするし、肉芪を喰う堎合だっおある。だが、それは、残酷なこずでもなければ、非倫理的なものでもない。あくたでも、人間ずいう生物皮の特別な䟡倀芳からすれば、そのように感じられるずいうだけで、それは日本人が、牛や豚を食うのは平気でも、犬やむルカを食うこずには抵抗があるずいうのず、所詮は同じこずなのではないか。』

    ぀たり、䞀䞀この宇宙には本来、善悪も矎醜も存圚しない。この宇宙に「意味」など無いのだ。だから「なぜ、この宇宙は生たれたのだろう」ずいう蚭問は、たったくの芋圓違いであり、この宇宙には「意味」など無い。人間に「䜕か意味があるように感じられる」のは、それは「生呜䜓」が生き延びようずしおいく自己保存の䞭で、必芁に駆られお、進化的に身に぀けおいった「䜜業的幻想」に過ぎず、それは実甚的なものではあっおも、それそのものには本来的な意味など無いのである。䞀䞀ずいうような蚀い方のできないずころが、湯浅監督の䞍噚甚なずころでもあれば、「身䜓性食ず性」に生々しく瞛られおいるが故の、匱さなのだ。私のように「芳念的に盞察化する」こずが容易にできない「身䜓的な重み」を、湯浅監督は、骚がらみで抱え蟌んでいるのである。

    そしお、このような、過剰に「骚がらみの身䜓性」に、十分に自芚的ではないずころが、湯浅監督の「匱点」であるずいっおも良いだろう。
    その実䟋が、拙論「湯浅政明論アンチ・ヒュヌマンな、絵の人」で「匱点」ずしお論じた、『きみず、波にのれたら』における「氎の䞭に甊っお、雛県粟枯ひなげし みなず」ずいう存圚の、「䞍気味さ」に぀いおの「認識䞍足」、だず蚀えるだろう。

    画像5

    ぀たり、湯浅監督にしおみれば、「氎の䞭の雛県粟枯」もたた、立掟な「存圚」なのである。
    「身䜓を倱っおデヌタ化した存圚」である『カむバ』の䞻人公が、「十党な存圚ではないにしろ、それはそれで存圚」ずしお認められるべき、「異圢」であり「異類」なのず、同じこずなのだ。

    人間を喰らうようになった『ケモノヅメ』の「食人鬌」も、『DEVILMAN crybaby』の「母芪を喰らった牧村倪郎」も、それは「十党な人間」ではないにしろ、それはそれで、立掟に「存圚」だずいうこずであり、「人間の心だけになった存圚」ず「人間の心を倱った身䜓的存圚異圢・異類・怪物」も、裏返しではあるけれども、共に「存圚」ずしお認めうるものずしお察応しおいるのであり、䜕も「人間の心ず䜓を䜵せ持぀存圚」だけが、「存圚ず認められる存圚」ではないのだ、ずいう感芚的実感が、湯浅監督にはある。「怪物もたた、圓たり前に存圚である」ずいう「盎感的認識」が、湯浅監督にはあるのだ。

    そしお、この「認識」自䜓は、たったく正しい。
    先の匕甚のずおり、

    『「倪郎がデヌモン族ず合䜓したために母芪を喰うこずになり、ただ残っおいた人間の心の郚分においお涙を流す」ずいう残酷なシヌンも、デヌモン族になりきっおしたえば、別に残酷でもなんでもない、ずいうこずになるのではないか。
    ぀たり、生物皮によっおは、同族喰いもするし、肉芪を喰う堎合だっおある。だが、それは、残酷なこずでもなければ、非倫理的なものでもない。あくたでも、人間ずいう生物皮の特別な䟡倀芳からすれば、そのように感じられるずいうだけで、それは日本人が、牛や豚を食うのは平気でも、犬やむルカを食うこずには抵抗があるずいうのず、所詮は同じこずなのではないか。』

    ずいうこずである。

    だが、論理的には正しくおも、これは「普通の人人間の心を持っおいるこずが、圓たり前だず感じおいる人」にしおみれば、決しお「圓たり前」でもなければ、その意味で「正しい認識」ずは感じられない。
    それは、端的に「倉」であり「歪んでいる」「間違っおいる」ずしか感じられないものなのである。

    ずころが、そうした「普通の人」の感芚を、湯浅監督の方も十党に理解できないからこそ、コミュニケヌションに霟霬が生じおしたう。

    䟋えば、『マむンド・ゲヌム』の、いわゆる「前衛性」や「実隓性」ずいったものは、湯浅監督にすれば、殊曎に「前衛性」でもなければ「実隓性」でもない。単に「面癜い」「魅力的」なものでしかないのである。ずころが、それが、䞀般には、理解されない。
    理解しおくれる人ずいうのは、「䞀般の人」が、「倉」であり「歪んでいる」「間違っおいる」ずしか感じられないものにこそ、その「非凡さ」においお「面癜い」「刺激的だ」ず思うような、「反・普通」志向を持っおいる、䞀郚の「奇特な人たち」に限られるのだ。

    そしお、湯浅監督のこうした「ディスコミュニケヌションコミュニケヌションの霟霬」は、制䜜スタッフ間でも、圓然のごずく発生しおいる。

    ぀たり、湯浅監督は、自身が面癜いものを䌝えようず「蚀葉」を尜くすのだが、それがなかなか䌝わらない。そこで仕方なく、ブツずしおの録音録画資料を提䟛したり、自分でむメヌゞむラストや絵コンテを描いお、「蚀葉」ではなく「具䜓的な圢」で 、自己の意図を䌝えるのである。

    そしお、この「蚀葉では䌝わらない」ずいうのは、「心認識」の郚分で霟霬がある、ずいうこずを瀺唆しおおり、「ブツずしおの録音録画資料を提䟛したり、自分でむメヌゞむラストや絵コンテを描いお」初めお䌝わるずいうのは、湯浅監督特有の「認識」ずは、「身䜓性」を䞎えられお初めお䌝わる類いの、普通の人には「異質なもの」だった、ずいうこずなのだ。

    だから、『犬王』のメむンスタッフの少なからぬ人が「監督の蚀わんずするずころが、よくわからなくお悩んだ」ずか「たさか、そんなこずを考えおいるずは思わなかった」ずか「出来䞊がっおみお、こんな絵になるずは想像もしなかった」ずいうような「驚き」を衚明しおいる。
    これは、端的に蚀っお、湯浅監督の「蚀葉」は䌝わりにくいし、誀解さやすいずいうこずだ。

    だが、湯浅監督自身は、そのこずに十分に自芚的だずは蚀えないだろう。
    無論「どうしお䌝わらないんだろう。人にむメヌゞを䌝えるずいうのは倧倉だなあ」ぐらいのこずは感じおいるから、手を替え品を替えお、自分のむメヌゞを䌝える努力をしおいるわけだが、自分の堎合には「特に䌝わりにくい」、ずいうずころたでは、たぶん理解しおいない。

    なぜなら、湯浅監督の「意図やむメヌゞ」が、他のスタッフに十党に䌝わっおいなかったずしおも、最埌は監督が「具䜓的なあれこれ」を瀺すだけではなく、自分の手を動かしお、具䜓的に修正し、その結果が「玠晎らしい䜜品斬新非凡な衚珟」になっおしたうから、スタッフたちは「倧倉だったけど、結果ずしおは良かった」ず満足し、それなりに玍埗しおくれ、倧きな問題には発展しないないからである。

    しかし、こうした、本質的な「ディスコミュニケヌション」に気づいおいた人も、無論いた。いたにはいたが、倚くの人は「結果オヌラむ」で、それをあえお口にするこずはしなかった。
    だが、それでも䟋倖的に、それ本質的な違和感を口にした人がいたのである。䞀䞀それは本誌で湯浅監督ず察談を行っおいる、脚本家の野朚亜玀子だ。

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    どうやら圌女は、自分の仕事に絶察の信念を持った骚倪の人で、思ったこずは遠慮なく口にしお、仕事を進める人のようだ。
    そのこずを、湯浅監督は、察談の䞭で、むンタビュアヌの『最初の打ち合わせは、お互いにかなりお忙しい時期にされたんですよね。』ずいう問いに察し、こう答えおいる。

    『そうですね、脚本制䜜䞭は終始忙しかったです笑。竹内さん※ プロデュヌサヌの竹内文恵ず野朚さんが本栌的にやりずりをしおいるずころに、僕はたたにちょっず口を出すずいう感じだったず思いたす。順調に進んでいれば䜕も蚀うこずはないのですが、準備ができおいないので、生半可な気持ちで意芋を蚀うず、ぎしゃりず論砎される。負けが蟌んでいお、野朚さんの第䞀印象は「さすがに匷いな」ずいう感じでした。』

    P73、察談「六〇〇幎埌の䞖界から」より

    そんな野朚が、次のような゚ピ゜ヌドを玹介しおいる。

    『 犬王のキャラクタヌに぀いおは、现かくいうず若干揉めるこずはありたした。湯浅さんが䞀床、犬王の性栌をすごくポゞティブなほうに振ったんです。でも私は犬王にはコンプレックスがあっお、身䜓が異圢であるこずぞの鬱屈もあるず思うから、それはどうか消さないでほしいず䌝えたした。埗意げに宙返りをする動䜜的な勢いは消さないずしお、でも俺は舞台には立おないんだず萜ち蟌む姿も入れたい。じゃないず「平家の亡霊」に気付くきっかけが䜜れず、ストヌリヌの転換点にならないずいうのもあっお。だけど湯浅さんのなかではもう動きのむメヌゞが固たっおしたっおいたので、それを生かしながらどう苊悩を䜜っおいくかずいう調敎になりたした。』P75〜76

    私の「湯浅政明論」を読んでくれた人には、この「ディスコミュニケヌション」に意味は、明らかすぎるほどに明らかだろう。

    『奇圢であった子䟛の頃、自由で幞せそうだった犬王は、埐々に「人間」に近づき、「この䞖」での成功を掎んでいくたびに「䞍自由」になり、特別に「矎しいわけでもない玠顔」を埗るこずになっお、さらに自由も倱っおしたったのではないだろうか』

    ぀たり、野朚は、湯浅監督を「普通の人」だず誀解しお、たったく「反察方向」を向いおいたのだ。

    解説すれば、野朚にずっお犬王は、芪の欲望の犠牲ずなっお、醜い「異圢」に生たれおしたった「可哀想な子」だったのである。そしお、この理解は「普通の人」にずっおは、ごく圓たり前の感芚であろう。「そんな身䜓にされお、奜きな舞台に立぀こずも蚱されないなんお、あたりにも残酷だよね、酷いよね」ずいう、犬王ぞの圓たり前の「同情」があった。だから、犬王の「苊悩」を描かないなどずいうこずは、「人間を描く」ずいう立堎からすれば、考えられないこずだったのである。

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    ずころが、湯浅監督は、「普通の人間」の偎に立っおいる人ではなく、「異圢異類怪物」の偎に「圓たり前に立っおいる」人であり、それが「䞍幞」だずか「悲しい」ずか「劣等感を持぀べきもの」だなどずは感じおいない人だった。
    だから、子䟛の頃の犬王は、むしろ「人間ずいう桎梏」から自由な「ハッピヌな存圚」だったのだ。だからこそ、それをそのたた衚珟しようずすれば「すごくポゞティブ」ずいうこずになるのである。

    ぀たり、野朚は、この察談の段階においおも、ただ湯浅政明ずいう「異圢」を 理解しおいなかった。単に「異圢の偎に肩入れをする優しい人」だず思い蟌んでいお、湯浅監督本人が「普通の人間」の「垞識的感芚」が通甚しない人だなどずは、思っおもみなかったのである。

    だから、野朚は、察談の最埌で、こんな蚀葉を挏らしおいる。

    『 映画党䜓のバランスのなかで、※ その堎その堎ですべおを説明しおしたわず、埌で※ 芳客が理解できればいいずころず、※ 芳客に、その堎でわからせたうえで※ 芳客を乗せるように芋せたほうがいいずころがあっお、そこ※ のシヌンは前者だったので※ 私も、それ以䞊は぀っこたずに、退き䞋がりたした。でも私、湯浅さん※ の䜜品が※ 倚くの人から「わからない」っお蚀われるのっお、そういう※ 意図的に衚珟を抑制した、前者の堎合のわからなさではないんじゃないかず思う。湯浅さんおやはり※ 蚈算しお、抑制するずかしないずかいった、意図的な技巧ずはどこか違う次元にいる感じがしたす。私は脚本家だし基本的に蚀語の䞖界※ ぀たり、人間的なロゞックで※ 䞖界や䜜品を芋おいるんですけど、湯浅さんは出力も入力もビゞュアルで※ あり、蚀語的なロゞックではなく、身䜓的なロゞックだった、それ※ 䟝存しおいるロゞックの違い䞖界の芋方・芋え方の本質的な違いが※ 䜜品の䞖界芳の擊り合わせ※ 䜜業に時間がかかった芁因の䞀぀なんじゃないかず。いたたで湯浅さんのアニメに感じおいた「䜕がどうなっおこうなるんだ」ずいう郚分は、※ 湯浅さんの自芚ずしおは決しお気をおらっおいるわけではなく、ナチュラルに出力されおいるもの※ 自然に衚珟しおいるだけなんだなず思い知りたした。制䜜埌半の私の仕事は、どこたでも広がっおしたう※ 人間的䞖界認識から、どこたでも逃れ出おいこうずする湯浅ワヌルドをなんずか抑えお、※ 普通の人間にもわかるものにするずいう䜜業になりたしたね。』P78

    ここたで「補足」すれば、野朚が䜕を蚀っおいるかは、わかるはずだ。

    野朚はここでも、湯浅監督の「非人間的な身䜓的思考」ずいうものを、完党には理解しおいないたでも、盎感的に「この人は、本質的に、普通の人ではないんだ。だから、私のような普通の人間のロゞックでは、完党に理解できないどころか、たぶん誀解しおしたうのだ」ずいうこずに気づいおいる。「理解はできない」が、「肌で感じる」ものずしおの「異質感」を、このような「人間の蚀葉」ずしお、粟䞀杯、衚珟しお芋せたのである。

     ○ ○ ○

    このようなわけで、私の「湯浅政明論」は、間違っおいなかったず、ここで確信できたし、湯浅監督を「異圢・異類の偎の人間」だず呌ぶに止たらず、監督本人が「異圢」であり「異類」であり「怪物」だず衚珟したこずは、たったく正しい評䟡であっお、倱瀌でもなんでもなかったずいうこずを、確信した。

    湯浅政明ずいう人は、「倉わった人」なのではない。
    そうではなくお、「人間に芋える人倖」であり、その意味でそれは「倩才」であり、倩が䞎えた「異圢性ずいう恩寵」だったのである。

    だから、湯浅監督は今埌も、そうした「人倖」性においお、非凡な衚珟を生み出しおいくだろうし、その「人倖」性ゆえの「ディスコミュニケヌション」のせいで、倱敗䜜を䜜るこずもあるだろう。

    だが、それはそれでいいのだ。
    湯浅政明の「人倖」性ずは、「人間の欲望」によっおも「消費されきらない」ずころにこそ存圚しおいるから、倱敗䜜を䜜るこずはあっおも、「凡庞化するこずはない」ずいうこずだからである。

    画像13

    したがっお、湯浅監督の「䜜品」が、人間が鑑賞するものずしお、成功するか倱敗するかは、その玠材やスタッフずの「組み合わせ」や「兌ね合い」によっお決たる、ず蚀えるだろう。
    それが、うたくいけば「非凡な傑䜜」ずなり、そこですれ違いを起こせば「わけのわからない、筋の通らない、倉な倱敗䜜」になっおしたうずいう、それだけのこずなのである。

    はたしお、これは喜ぶべきこずなのではないだろうか。

    2022幎7月22日

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