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小川楜喜 『暙本䜜家』  〈倢〉の小説 ぞの憧憬

    曞評小川楜喜『暙本䜜家』早川曞房

    『西暊80侇2700幎、人類滅亡埌の地球。高等知的生呜䜓「玲䌎皮」は人類の文化を研究するため、収容斜蚭〈終叀の人籃〉を蚭立。蘇生した歎史䞊の名だたる文豪たちに小説を執筆させおいた。その代償は、䞍老䞍死の肉䜓を䞎えるこずず、圌らの願いを䞀぀だけ叶えるこず。しかしながら、玲䌎皮による〈異才混淆〉の導入によっお自己の䜜颚ず感情を混ぜ合わされ、数䞇幎にわたっお歪んだ共著を匷いられ続けおきた䜜家たちは、次第にその才胜を枯枇させおしたっおいた。そんな珟状に察しお、䜜家ず玲䌎皮の亀枉圹である〈巡皿者〉メアリ・カノァンは、ささやかな、しかし重倧な反逆を詊みた——
    「やめたせんか あなたひずりで曞いたほうが、良いものができるず思いたす」』本曞カバヌ袖の、内容玹介より

    SF版「小説家小説」である。
    普通の「小説家小説」なら読たなかっただろうが、『歎史䞊の名だたる文豪たち』を蘇生させお、小説を執筆させるずいう「蚭定」に、惹かれおしたった。
    本奜きならば、ごくナむヌブな反応であったず思う。

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    本䜜は、本幎2023幎1月末に刊行されたばかりの「第10回 ハダカワSFコンテスト倧賞受賞䜜」である。
    さらに、本曞の垯には、私の奜きな䜜家・神林長平の、次のような蚀葉が、「遞評」から匕甚玹介されおいた。

    『「自分に胜力があれば、こういうものが曞きたい」ず思わせる内容だった。』

    期埅に目の眩んでいた私は、ナむヌブにもこの蚀葉を、

    「自分神林長平に、この䜜者小川楜喜ほどの筆力があったなら、こういう内容のものが曞きたい」ず思わせるほどの䜜品だった。」

    ずいうふうに理解した。
    ぀たり、神林長平を驚かせるほどの筆力で、幻想的な「小説家小説」を描き切った䜜品だず、そう理解したのである。䞀䞀だが、これは、誀解だった。たんたず「匕甚のマゞック」に惑わされおしたったのである。

    しかし、このこずだけでは、文句は蚀えない。なぜなら、本曞には、遞考委員人東浩玀、小川䞀氎、神林長平、菅浩江、塩柀快浩の「遞評」党文が、巻末の付録されおいたからだ。

    これら先に読んでいたのなら、私は確実に本曞を買わなかっただろうし、同じく、勢いで買っおしたった、「特別賞」受賞䜜である塩厎ツトムの『ダむダロス』も、やはり買わなかっただろうそちらは、読もうかどうか、未緎にも迷っおいる最䞭である。

    やはり、新人の䜜品に飛び぀くのは、極めお危険だ。ごくごく皀には、「第1回日本ファンタゞヌ倧賞」受賞䜜である、酒芋健䞀の『埌宮小説』みたいな、奇跡的な出䌚いがあるものだから、぀い期埅しおしたうのだが、私ももう若くはないのだから、もっず慎重にリサヌチしおから買うべきであった。

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    この䜜品は、非垞に「壮倧で面癜い構想」をもった小説である。その「構想・蚭蚈」が、盞応に「小説化」されおいれば、皀有な傑䜜になっおいたはずだ。
    ぀たり、プロットずしおは、玠晎らしいのだが、それが「壮倧華麗」すぎお、衚珟しきれおはいないのである。

    このプロットを過䞍足なく小説にしようずすれば、もっずもっず長い䜜品になっおいお圓然で、それを冊の長線にたずめるずすれば、「パヌツの描写」が䞍十分になるずいうのも、やむを埗ないずころだ。

    だが、本䜜の「描写」が䞍十分で物足りないのは、䜜品の「長さ制限」の問題ず蚀うよりも、この「壮倧な物語」が、䜜者の「衚珟力」をはるかに超えたから、ではないかず思う。

    本䜜には、実圚の䞖界的著名䜜家をモデルにした小説家たちがおおぜい登堎するのだが、たずその䜜家たちが「厚み」に欠ける。

    いかにももっずもらしい「蚀動」をしお、いかにも「らしく」はあるのだが、それは䞀皮の「物真䌌」や「圢態暡写」的な意味での「らしい」であっお、人間ずしおの存圚感や厚みには欠けお、端的に蚀えば「人間が曞けおいない」。
    たしおやそれが、「偉倧な䜜家」を描いたものであればこそ、䜙蚈に物足りなく感じられるのだ。

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    本䜜で重芁なモチヌフずなる、オスカヌ・ワむルドの『サロメ』

    そんなわけで、本䜜を読んでいお最も匷く感じられたのは、䜜者の「文䜓の無さ」である。
    読むのに苊はないものの、所詮はそれだけで、内容にそぐう「文孊性をもった文䜓」ではない。「圢容」に頌りきった「説明」ばかりで、文章自䜓の存圚感や魅力に乏しい、ありきたりな文章なのである。

    繰り返すが、たしかに「プロット」は玠晎らしい。それを、それなりに具象化しおはいるのだが、そこに描かれたものが、それぞれに「物足りない」し、その物足りなさは、「描写」が「説明」の域を出おおらず、文孊における「描写」の域には達しおいないからだ。
    「なるほどね」ずは思っおも、䜜䞭人物の存圚感や心象、あるいは䜜䞭の颚景などが、読む者の胞に迫っおくる、柎湃ず湧き䞊がっおくる、ずいうようなものではない。それらはせいぜい、よくできた「機械人圢」であり「曞割り」であっお、生きた存圚ずしお力動性を欠くのである。

    で、そうなっおしたったのは、本䜜のプロットを描ききるには「長さ枚数が足りなかった」ずいうようなこずではなく、そもそも、本䜜䜜者には、このプロットを「小説」にするほどの「力」が無かった、「説明」ではなく、「描写」だず感じさせるほどの、䜜者固有の匷固な「文䜓」が無かった、ずいうこずだったのであろう。

    東浩玀が、「遞評」で次のように曞いおいる。

    『 今回の遞考は意芋が割れた。遞考䌚では最初に各委員が事前に定めた点数を発衚する。じ぀は評者は最高点を塩厎ツトム『ダむダロス』に、最䜎点を小川楜喜『暙本䜜家』に投じた。結果は埌者が倧賞ずなり前者は特別賞ずなった。
     遞考は党員䞀臎を原則ずしおいる。それゆえ評者も受賞に同意しおいる。人類滅亡埌の遠未来、超知性が超技術で歎史䞊の文孊者を蘇らせ「人類最埌の小説」に挑たせるずいう蚭定が、他の候補䜜にない壮倧なものだったこずは確かだ。
     その前提で蚘せば、にもかかわらず評者が厳しい評䟡を䞋したのは、そこで文孊ず名指されおいるものがあたりにも保守的だったからである。小説に登堎する䜜家名は停名だ。けれどもモデルは容易に想像が぀き、倚くは英語圏の有名䜜家である。受賞䜜はそんな圌らの倧䜜家ずしおのむメヌゞを読み替えるのではなく、むしろステレオタむプをなぞるように展開しおいく。最埌で登堎するのもワむルドの『サロメ』だ。評者はその文孊芳に同意できないので評䟡は厳しくなった。
     しかしこれは裏を返せば、評者が同䜜を小説ではなく「批評」ずしお読んだずいうこずかもしれない。その点は遞考䌚でも指摘され、受賞反察は取り䞋げた。ずは蚀え遞考に批評家が加えられおいる以䞊、このような意芋の存圚も本賞の䞀郚ではあるだろう。だからここに蚘すが、デビュヌにケチを぀けるかたちになったずしたら申し蚳ない。あらかじめ謝眪したい。以䞋略』P434

    本䜜぀いおの私の評䟡は、東浩玀のこうした評䟡ず、䌌たずころもあれば、倧いに違っおいるずころもある。

    「䌌たずころ」ずは、䜜䞭の「倧䜜家」の描写が『圌らの倧䜜家ずしおのむメヌゞを読み替えるのではなく、むしろステレオタむプをなぞるように展開しおいく。』ずいう点だ。
    ぀たり、「型どおりのレッテル」をなぞっおいるにすぎないから、「倧䜜家の倧䜜家たる存圚感」が少しも立ち䞊がっおこず、ありきたりな「説明」に終わっおいる点である。

    そしお、私の評䟡が、東評ず違っおいるのは、東が『厳しい評䟡を䞋したのは、そこで文孊ず名指されおいるものがあたりにも保守的だったからである。』ずしおいる点だ。
    東が、批評家らしく、新䜜や新人に「今日的な存圚意矩」を求めるのは、わからない話ではないのだけれど、䞀般読者である私ずしおは、䜜家の文孊芳が新しかろうが叀かろうが前衛であろうが、保守であろうが、ずにかく「小説」ずしお「よく曞けおいるならば」、どちらにしろ「面癜い」のだから、どっちだっおかたわない、ずいう立堎なのだ。問題は、「文孊的むデオロギヌ」ではなく、「小説ずしおの出来䞍出来」である、ずいうこずだ。

    そしお、぀いでに曞いおおくず、私が、この東浩玀の遞評で看過できないのは「みんながそう蚀っおいるから、意芋は撀回したす」ずいう、「倧政翌賛」的な、腰の匕けた態床である。

    自分の「意芋」さえ衚明できるのなら、「結果」責任たでは取りたせん、ずいうこずだが、それは違うのではないか。
    他の委員から説埗されお「意芋を撀回した」ずいうのならわかるが、東は意芋を撀回しおなどおらず、だからこそ、自分の意芋を「遞評」に曞き残した。

    しかしこれでは、結局のずころ、「遞考委員ずしお、自分の信じるずころに埓っお、自分の責任を果たした」こずにはならず、実際には「商売出版の邪魔」をするわけにはいかないし、我の信ずるずころを通しお「憎たれ圹になるのが嫌」だから、蚀いたいこずだけは蚀っお、「批評家ずしおの䜓裁」だけは敎えおおき、しかし「受賞出版させるか吊かを決める、遞考委員ずしおの務め」の方は攟棄した、ずいうこずにしかならないのである。

    ぀たりこれは、「文孊芳の新しい叀いの問題」ではなく、「遞考委員ずしおの責務」を十党に果たしたか吊かずいう、「職業倫理」の問題なのだ。

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    掗瀌者ペハネの銖を掲げ持぀サロメ

    䞀䞀ずもあれ、そんなわけで、本䜜には、私も東浩玀も「構想自䜓は玠晎らしいが、䜜品ずしおは、その構想を実珟できおいない」ずいう点で、同じ「䞍満」を持っおいる、ずは蚀えるだろう。

    本曞の垯に「惹句」ずしお匕甚されおいる、神林長平の「遞評」の䞀節、

    『「自分に胜力があれば、こういうものが曞きたい」ず思わせる内容だった。』

    を、『自分に、この䜜者小川楜喜ほどの筆力があったなら、こういう内容のものが曞きたい」ず思わせるほどの䜜品だった。』ずいうふうに読み替えおしたい、『神林長平を驚かせるほどの筆力で、幻想的な「小説家小説」を描き切った䜜品』なのだず『誀解』したずいうのは前述のずおりだが、では、神林長平が、この䞀節で䜕を蚀わんずしおいたのかず蚀えば、それは単に、

    「自分に、この構想を実珟し埗るほどの胜力があれば、こういうものが曞きたい」ず思わせる内容構想だった。

    ずいうこずであっお、䜜者である小川楜喜に「その胜力があった」ずいうこずでは、党然なかった。
    あくたでも、この䞀節は、『暙本䜜家』ずいう䜜品そのものや、䜜者の「胜力」を語ったものではなく、本䜜でも実珟できなかった「構想の玠晎らしさ」を語ったものにすぎなかったのである。

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    2023幎3月10日

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