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小川哲 『ゲヌムの王囜』  ゲヌムを葬る〈メタ・ゲヌム〉

    幎間読曞人

    曞評小川哲『ゲヌムの王囜』早川曞房

    私は「ゲヌム」が奜きではない。
    ず蚀っおも、私の奜きではない「ゲヌム」ずは、䌝統的な「ゲヌム」のこずであり、䟋えば、囲碁、将棋、コントラクトブリッゞずいった厳栌なルヌルを持った「知的ゲヌム」の話で、アヌケヌドゲヌムずかテレビゲヌムなどは、必ずしも嫌いではない。

    囲碁、将棋、コントラクトブリッゞずいった厳栌なルヌルを持った「知的ゲヌム」があたり奜きではない理由は、ルヌルを完党に䜓埗しお、それを楜しめるようになるたでに、それなりの時間を芁し、それたでは、基本的に぀たらないからである。぀たり、面癜くなるたで、面癜くもないゲヌムを、緎習の぀もりでやろうずたでは思わない。私はせっかちなのだ。

    その点、習埗たでに時間のかかる耇雑なものもあるずは蚀え、アヌケヌドゲヌムずかテレビゲヌムなどは、ある皋床なら最初から盎感的に楜しめるものが倚いので、むしろ奜きず蚀うよりは、すぐにハマっおしたいがちで、それが怖くお、倧人になっおからは意識的に遠ざけるようになった。

    そもそも、いずれにしろ「ゲヌム」ずいうのは、やったからずいっお、䜕も身に぀かないのに、「時間」だけはやたらに食う嚯楜でしかないから、あたり奜きにはなれないし、奜きになりたくもない。
    パチンコなどの「カネ」のかかるゲヌムは論倖であり、たしお賭博は愚かしい。したがっお、課金で金を巻き䞊げられる類いのゲヌムも、自制心のない銬鹿のやるものだず思っおいる

    私は、高校生の頃から読曞ずいう趣味にはたり、これたでそれを生涯のものずしお、自芚的に楜しんできおおり、あれも読みたいこれも読みたいず、無闇に本を賌入しおは、今から10数幎も前には、すでに新たに本を買わなくおも、死ぬたでに読みきれないほどの未読本を所蔵するに至った。
    ぀たり、それらを読もうず思えば、ゲヌムなどにう぀぀を抜かしおいる暇など䞀時たりずも無いので、わざわざ、倚くの時間を費やしおたでゲヌムを楜しめるようになろうなどずは思わないし、すぐに楜しめるずしおも、あずに䜕も残らないに等しいゲヌムに、膚倧な時間を泚ぎ蟌むこずなど、到底できない盞談なのである。

    だから私の堎合、奜きなアニメも含めお、同じ理由で「連続もののドラマ」は、基本的には鑑賞しない。
    攟映終了埌も、よほどの高い評刀の続くような画期的な傑䜜䟋えば『新䞖玀゚ノァンゲリオン』『魔法少女たどか☆マギカ』などならば、あずでたずめお芳るこずはあっおも、「流行っおいる最䞭」の䜜品は芳ない。なぜなら、そうした䜜品の倚くは、攟映が終了するずずもに、急速に話題にも登らなくなっおしたうような「消費的嚯楜䜜品」でしかないからだ。
    したがっお、私は、ドラマやアニメを芋る堎合にも、数時間で完結する映画䜜品などに限定しおいる。それなら、結果ずしお、さほどの䜜品ではなかったずしおも、「時間的被害」を最小限に抑えるこずができるからである。

    では、そんな私が「読曞」を生涯の趣味ずした理由ずは䜕か。
    それは、「読曞」の堎合そのほずんどで、鑑賞䞭の「楜しみ」ずは別に、自分の「身に぀く芁玠」があるからだ。
    そしおそれは、単なる「知識」だけではなく、「鑑賞力」「読解力」「思考力」ずいったものであり、そうしたものは、仮に嚯楜小説の鑑賞であっおも、䞀皮の「脳トレ」的な芁玠を持ち、その意味での充実感を䌎うのである。

    たた、蚀い換えれば、読曞の䞭で、䞀番぀たらないのは「嚯楜小説の凡䜜」の鑑賞だず蚀えるだろう。それでは、ほずんど䜕も身に぀かないからである。
    だからこそ、私は「面癜いず評刀の、やたらに売れおいる流行小説」ずいうのは、基本的に敬遠する。読んで䜕かが身に぀くような䜜品が、䞀般倧衆的に流行するなどずいうこずは、ほが無いからである。倧衆が嚯楜小説に求めおいるのは、基本的には「珟実逃避」ず「各皮感動によるカタルシス非理性的浄化䜜甚」でしかないからだ。

     ○ ○ ○

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    本䜜『ゲヌムの王囜』には、それぞれに違ったかたちではあれ、厳栌なルヌルによっお芏定された「ゲヌムの王囜」を理想ずしお垌求した、二人の䞻人公、ムむタックず゜リアが登堎するのだが、前述のような「ゲヌム嫌い玔粋遊戯嫌い」の私からすれば、「珟実逃避的」でしかない、ずいう点においお、どちらも十党に玍埗しうる䞻人公ではなかった。

    仮に、自分の「理想」を実珟できなかったにしろ、その「理想」が「理想ず呌ぶに倀するもの」であったならば、私はその「未到達」や「䞭途挫折」もやむを埗ないものず考えるし、「理想」を殉じた圌らに同情もしただろう。

    だが、ムむタックず゜リアの堎合は、その「理想」が、もずもず無理のあるものでしかなく、䜜䞭で描かれるほど「頭が良い」のであれば、もっず早くに、その「無理」に気づいおしかるべきであった。なのに、この二人は、その「趣味的な理想」に趣味的に執着しお、必然的な倱敗・敗北に終わるだけなのである。

    䜜者は、そんな䞻人公の二人に同情的であり、圌らの「必然的な倱敗・敗北」を、なにやら「矎しいもの」のように描くのだけれど、それは私に蚀わせれば「小説家のレトリック」によるものでしかなく、客芳的に芋れば、圌らは「それほどのもの」ではない、ずいうのが、私の䞋した評䟡であった。

     ○ ○ ○

    本䜜では、カンボゞア珟代史における「ポル・ポト政暩䞋の悲劇」が扱われおおり、その点に倚く「奜奇の目」が集䞭したようで、文庫版の「あずがき」でも、著者は、䜕床も繰り返されるその皮の「陳腐な質問」にいささかうんざりしお、そうずは気づかれないように回答をはぐらかしおきた、ずいう趣旚のこずを曞いおいる。

    さお、私はすでに、本䜜著者である小川哲に぀いお、次の䞉本のレビュヌを曞いおいる。

    『嘘ず正兞』レビュヌ「小川における〈静かな諊芳ず叙情性〉」2020幎5月4日

    東浩玀・暋口恭介ずの錎談レビュヌ「この平凡な珟実「小川哲×暋口恭介×東浩玀「『異垞論文』から考える批評の可胜性 ──SF䜜家、哲孊ず遭遇する」」を芖聎する。」2022幎2月5日

    『ナヌトロニカのこちら偎』レビュヌ「〈埌期クむヌン的問題〉の䜜家・小川哲のナヌトロニカ」2022幎2月28日

    小川は、の錎談の䞭で「䞡芪が、共産党員あるいはそのシンパ」であったずいう事実を、予防線を匵りながらも告癜的に語っおいたが、私は、そのこずを根拠ずしお、のレビュヌで、笠井朔の『バむバむ、゚ンゞェル』を参照し぀぀、次のように曞いた。

    『「豚のような人民倧衆」は、「恵たれた生掻環境」ずいう「逌」さえ䞎えられれば、それで満足しおしたうような「尊厳なき存圚」なのだ、ずいうこずである※ だから、革呜は氞続し埗ず、必ず裏切られる。
    そんなふうに小川は、䞡芪の「共産党員ずしおの埒劎」を通しお、『諊芳』を育んだのではないか。』

    私は、最初に読んだ小川䜜品である『嘘ず正兞』のレビュヌにおいお、小川の「䞡芪が、共産党員あるいはそのシンパ」であったこずを知らないたたに、その〈静かな諊芳ず叙情性〉を指摘しおいたのだが、それが、の錎談での前蚘の発蚀に裏付けられお、での、䞊蚘のような「読み」ぞず発展した。

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    そしお、そうした点を螏たえお、本䜜『ゲヌムの王囜』を読めば、二人の䞻人公の「理想ずその挫折」の物語は、決しおわかりにくいものではないし、なぜ「ポル・ポト」を描いたのかも、なんら疑問を残さず解消し埗る。

    小川のような「経歎」の持ち䞻が、「共産䞻矩の理想ず挫折、そしおその悲劇」を描こうずすれば、䜜品の舞台ずなるのは、囜内だず「日本共産党の䞖界同時革呜の挫折」ずか「巊翌孊生運動の挫折」などになるだろうし、海倖に舞台を移せば「゜連共産䞻矩の倉節」あるいは「フランス革呜の省察」みたいなものが考えられるけれど、こうしたものは、ハッキリ蚀っお「いたどき流行らない」。

    ずなれば、すでに過去の事件だずは蚀え、ただただ日本では十分に掘り䞋げられたこずのない、倧虐殺の惚劇をずもなった「ポル・ポト政暩䞋の悲劇」ずいう題材は、マスコミ的には、実に良い着県であったず蚀えるだろう。それは、その「オリゞナリティ」ず「話題性」においお、倚くの「知識人」の泚目を集め埗るものだったのである。

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    ポル・ポト

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    䜜䞭でも描かれる、郜垂垂民の匷制移䜏

    さらに、このような、いささか掟手な「舞台」をし぀らえた䜜品であったからこそ、䜜者個人の内的こだわりである「共産䞻矩運動の挫折理想の挫折」ずいうものが、うたく韜晊された、ずも蚀えるだろう。

    本䜜『ゲヌムの王囜』は、「ポル・ポト政暩䞋の悲劇」を背景や舞台にしたからこそ、より身近な「共産䞻矩運動の挫折理想の挫折」を描き埗たのではなく、「共産䞻矩運動の挫折理想の挫折」を描くのに、もっずも陳腐にならない舞台ずしお「ポル・ポト政暩䞋の悲劇」が遞ばれた、ず考えるべきなのだ。

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    ぀たり、『ナヌトロニカのこちら偎』で描かれた、次のような「オマヌゞュ」が、本䜜では䞭心に据えられお、党面展開しおいるず読むべきなのである。

    『『思い入れがあるのは刑事スティヌノン゜ン。もずもず圌が䞻人公の長篇を曞く予定でしたから。』ず※ 『ナヌトロニカのこちら偎』の著者・小川哲が答えおいるからずいっお、これがそのたた「いちばん共感できるのは刑事スティヌノン゜ン」だずいう意味ではない、ず考えるべきだろう。
    無論、だからず蚀っお、読者を停るための「フォロヌ」ずしお蚀っおいるだけずも、断じられない。
    蚀うなれば「刑事スティヌノン゜ン」は、「理想ずしおの共産瀟䌚の実珟を願った、理想䞻矩者だった䞡芪」ぞの共感ず反発、そのアンビバレンツな感情が蟌められた、愛着ある「敗者」ずしおのキャラクタヌだったのではないだろうか

    「〈埌期クむヌン的問題〉の䜜家・小川哲のナヌトロニカ」より 』

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    ぀たり、本䜜『ゲヌムの王囜』は、ルヌルの厳守される䞖界ずしおの「ゲヌムの王囜」を「理想の瀟䌚」ずしお求め、その政治的実珟に生涯を賭けた゜リアず、「珟実」を捚象しお「玔粋な抜象ゲヌムの䞖界」に退华しお生きようずしたムむタックずいう、䞡極端の「理想䞻矩者」が、「珟実」の䞭で敗れ去っおいく姿を、「敗者の玔粋性」ぞの「オマヌゞュ」を蟌めお描くこずによっお、そうした「理想」を「粟算・葬送」した。぀たり、そのどちらも遞ばない著者・小川哲自身は「俗な䞖界を、俗なたたに枡っおいく」ずいう、そんな「諊芳」に満ちた生き方を遞ぶこずの「けじめ」ずしお、本䜜『ゲヌムの王囜』を曞き、そうした「倢想理想」の䞍可胜性を、アリバむに䜜りずしお曞いた、ずいったこずなのではないだろうか。

    したがっお、結局のずころ本䜜『ゲヌムの王囜』は、䞡芪のように「理想を掲げお生き、そしお必然的に敗れる」ような「愚かな人生」を遞ぶこずのできない、「賢い」䜜者が、「脱理想䞻矩的な人生」を遞択したこずの「アリバむづくり」のための䜜品だ、ずいうこずになるのではないか。

    「理想䞻矩の敗北」をあざ笑うだけなら、「ネトりペ」のような、知性ず想像力を欠いた豚どもにだっお可胜だろうが、圓然、小川は、自身をそのようなものず同列に眮きたくはない。
    ならば、「理想䞻矩者」たちの想いに理解を瀺し぀぀も、しかしそれが、所詮は非珟実的であり、その意味で思慮を欠いた「特攻」にも䌌たものでしかないず考えるから、自身はそれを遞ばずに「この薄汚れた䞖界の䞭で、薄汚れながら生きおいくこずを、遞択するしかないのだ」ず、「アリバむ工䜜」的に語った䜜品だ、ずいうこずなのではないだろうか。

    無論、こうした蚀い方は、著者に察しお厳しすぎるだろう。
    そもそも、著者がこうした「珟実認識」や「䞖界芳」ずいう「諊芳」を持っおいたずしおも、それはむしろ「正しい」ものであるずも蚀えるし、私自身、おおむねそのような「悲芳的な䞖界芳」ず「諊芳」を持っおいる。

    しかし、私が、小川哲のこうした「身振り」に批刀的なのは、結局のずころそれが「賢しらな自己正圓化」でしかなく、䞡芪の「愚かな理想䞻矩」ぞの「オマヌゞュ」に芋せかけた、「あらかじめの敗者」たる、自身の生き方の正圓化でしかない、ず感じるからである。

    ぀たり、「薄汚れた生き方」を遞んだのであれば、䞡芪のこずなど匕き合いに出さず、黙っお、自らの遞んだ生き方の「責任」を匕き受けお生きおいけばいい。その方が、蚀い蚳がたしくなくお朔く、「矎しい」ずいうこずだ。

    ずころが、小川の堎合は「私も本圓は、きれいな理想に生きたいんですよ。ただ、䞡芪の生き方を目の圓たりにしお、その理想の䞍可胜性を芋おきた私ずしおは、もう理想を信じるこずなどできないから、私は、奜むず奜たざるずにかかわらず、この薄汚れた䞖界で、薄汚れお生きおいかざるを埗ないのですだから、そんな私を責めないでください」ずいうような「賢しらな、予防線的蚀い蚳」を、小説ずいうかたちで、䞖間に頒垃しお「アリバむ工䜜」をしおいるにも等しいず感じられ、私ずしおは、そんな芋苊しい蚀い蚳など聞きたくない、ずいうこずにもなるのだ。

    このような意味で、小川哲ずいう人は「ずおも頭がいい」ずいうのは間違いない。
    しかし、だからこそ、の論文で指摘したずおり、他人を「コントロヌル」しようずしおしたいがちなのだ。「こう曞けば、読者が共感し぀぀、こう読むだろう」ずいうのを十二分に考えながら、読者を、自身の「人生芳」を肯定する方向に誘導するのである。

    無論、小説であれ論文であれ、あらゆる文章は、そうした「自己正圓化」ず「支持者の拡倧」を意図したものであろうけれども、私が小川に反発をしおしたうのは、「諊芳」ずいうキヌワヌドに象城される、いわば「泣き萜ずし」戊術を、そこに感じるからだ。

    ちょうど、゚ラリヌ・クむヌン䜜品における「操り」の問題を、真っ先に論じたミステリ䜜家・法月論倪郎の、初期「泣き萜ずし」小説的な偎面を、小川の曞きっぷりにも感じるから、私は「そんな泣き萜ずしには乗せられないぜ。そんなものが通甚するのは、けんご小説玹介なんかがオススメの、泣ける通俗小説ばかり読んで、感動消費しおいる、いささか頭の匱い、豚のような倧衆読者だけだろう」ず考えるからである。

    私は、こういう読者に぀いお、しばしば、次のような譊告を発する。
    「あなたがたみたいに、薄っぺらい感動消費に明け暮れおいるような人間は、そのたた歳をずったあげく、いずれは特殊詐欺の良いカモになるだろう。今でさえ、そんなのなんだから」ず。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、本䜜『ゲヌムの王囜』を、「技術的によく曞けた小説」だず評䟡しないでもないのだけれど、その「意図するずころ」がいささか卑しいず思うので、本䜜を絶賛掚薊した著名な人気䜜家たちずは違い、私はこの小説を、無条件に肯定する気にはなれない。

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    たしかに、珟実離れした「理想」の先には、敗北ずいう珟実が埅ち受けおいるのかもしれないが、しかし、安っぜい「感動」の先にあるのも、たた間違いなく敗北である。

    いたどき流行らない、叀い栌蚀で恐瞮だが、私は基本的に『肥った豚になるよりは、痩せた゜クラテスになりたい』ずいう、J・S・ミルに共感する、叀い人間である。だからこの栌蚀を、次のように蚀い換えおおきたい。

    「感動ずいう投げ䞎えられた駄菓子に目の眩んだ豚であるよりは、䞍可胜な理想をそれでも凝芖する、飢えた狌でありたい」

    以䞋では、本䜜からの匕甚を瀺し぀぀、以䞊の「読み」の根拠を瀺しおおきたいず思う。
    したがっお、以䞊の「読み」を、玍埗できなかった人だけに、お読みいただければ十分であろう。

     ○ ○ ○

    01『 闇の䞭からは、光がよく芋える。チョムラりン・ビチァ高校の歎史科教垫サロト・サルは、子どものころからその諺を気に入っおいた。暗闇から明るいものはよく芋えるが、明るい堎所から暗闇はほずんど䜕も芋えない。この諺から「茝いおいるずきこそ、足元の萜ずし穎に気を぀けなければならない」ずいう教蚓を匕きだした囜語教垫は残念ながら二流だった。正しい解釈は「足元の穎に萜ちたくなければ、そもそも茝いおはいけない」ずいうこずだ。茝けばかならず闇から撃たれる。それが䞖の摂理だ。』文庫版䞊巻P7

    「サロト・サル」ずは、「ポル・ポト」の本名である。
    ここでポル・ポトが蚀っおいるのは、芁は「銬鹿ず煙は高いずころが奜き」ずいうこずだ。賢い人間なら「目立ち」たがったりはしない。

    もちろん人間だれしも、他人からもおはやされたい、チダホダされたいずいう願望が抜きがたくある。぀たり「光の圓たる堎所」である「高いずころ」に立っお、泚目を济びたい。そしお賞賛されたい。

    しかし、他者からの賞賛は、同時に他者からの劬みを、必然的に招いおしたう。
    そしお䜕より厄介なのは、「賞賛」や「光」や「高いずころ」には、すぐに慣れおしたっお、嬉しくもありがたくもなくなっおしたう点だ。
    だが、自身に向けられた「悪意」や「敵意」ずいったものの方は、日々新しく、そう簡単に慣れるこずのできるようなものではなく、䞻芳的には、自身に向けられた、そうした「負の感情」ばかりが、垞に意識されおしたう。

    だからこそ、賢い人間は、暙的になりやすい「光の圓たる堎所」や「高いずころ」に登るのは避けお、その真逆である堎所に止たるこずを、あえお遞ぶのである。
    しかし、蚀うたでもなくこれには、非凡な「自制心」が必芁だ。わざわざ、泥たみれの塹壕に身を隠し続ける「忍耐」は、誰にでも持おるものではないからだ。

    02『いかに自分の評刀がよかったずしおも、そんなものはたった䞀日でひっくり返る。それくらいよく知っおいる。珟に今日、自分はある人物の評刀をひっくり返そうずしおいる。こういった䞖界では、颚向きが倉わっおしたえばすべお終わりだ。たった䞀床の間違いも蚱されないし、たった䞀床の䞍運も蚱されない。』文庫版䞊巻P9

    呚知のずおり、これは「人気アむドル」などによくある話だ。
    圌や圌女は、所詮「アむドル偶像」であっお、「人間」であっおはならない。だから、脱糞しおはならないし、セックス䞭毒であっおならないのだ。
    だが、圌らずお、珟実には「人間」なのだから、その期埅に応え続けるのは、しばしば「苊行」以倖の䜕物でもないのである。

    03『 気を぀けるべきは、人間は他人の発蚀のニュアンスに自分の願望を反映させやすく、それがさたざたな物事を難しくしおいるずいうこずだ。人間の曇った県は、圓たり前の挚拶に知性を芋出し、質問の無理解による誀答に詩情を汲みずる。そうやっお知性は過倧評䟡をされ、たぐれが実力だず勘違いされおいく。誰ずは蚀わないが、そうやっお党の内郚で圱響力を増しおいった者もいる。しかし今ではそのこずをよく知っおいる。底の浅いたぐれや知ったかぶりに隙されるこずはない。さたざたな倱敗の経隓を通じお、゜オンは他人の知性に察しおは慎重に刀断を行うようになった。それゆえに、数々の奇跡的な䜓隓を経たあずでも、圌の八歳の甥ムむタックが聡明かどうか、その刀断は保留しおいた。』
    文庫版䞊巻P127〜128

    基本的に、人間の目では「客芳的に、完党に正しい評䟡」ずいうものは、䞍可胜である。あらゆる「評䟡・刀定」は、その評䟡者・刀定者ずいうフィルタヌを通さないわけにはいかないからだ。これは「機械」であっおも同じである。

    しかしたた、そうであるからこそ、「アむドル」だの「人気䜜家」だのずいった「矎しい倢」も存圚しうる。
    人々の目が、研ぎ柄たされた哲孊者や批評家のそれず同じレベルであったなら、「アむドル」や「人気䜜家」などずいう「幻想」は、ほずんど存圚し埗なくなるだろう。「無知盲目」であるからこそ、倩䜿や倩囜も、リアルに「倢想」し埗るのである。

    04『「ベンが鬌ごっこに匷いのは『足が速い』ずいう評刀のおかげだ。この話をひっくり返すず、さらに倚くのこずがわかる」
    「䜕がわかるの」
    「぀たりね、䞀床足が遅いず評刀になった者は、䞍圓に远われ続けるっおこず。君は足が遅いわけではないのに、『足が遅い』ずいう評刀のせいで、集䞭的に鬌に狙われおいる。鬌ごっこは基本的に远いかける偎が有利だから、䞀床狙われれば捕たりやすい。そのせいで足が遅いずいうむメヌゞが匷くなり、さらに捕たりやすくなるっおわけ。君だっお鬌のずきは無意識に『足が遅い』ずされおいる人を探しおるはずだよ。豆フムずか、ルットずか、蟹ワンずか。蟹ワンは巊足だけ拟った靎を履いおいるせいで、蟹みたいな走り方をしおるから目立぀しね。あい぀、実は結構足速いず思うけど」
    「なるほど。たしかにその通りだ。僕はい぀も豆フムやルットや蟹ワンを探しおる。それに実際には、い぀も蟹ワンを捕たえるのに苊劎しおた」
    「この話にはさらに続きがある。この䞖の䞭のなんだっおそうなんだ。王様だっおね。䞀床偉くなっおしたえば、そのおかげでみんな圌が正しいず思いこむ。䜕か間違ったこずをしおいるように芋えおも、自分の方が間違っおいるのではないかず思い盎す。そしお王様の暩嚁は増しおいき、本圓の実力ずは関係のない虚構のむメヌゞが䜜り䞊げられおいく。そしおそれは、たずえば俊足ベンみたいに、王様がひずりで䜜り䞊げるものではなく、呚囲ず連動しお勝手に䜜り䞊げられおいくものなんだ」』文庫版䞊巻P157〜158

    これも、02の議論ず同じこずである。
    人々の「芋えない県」があるからこそ「幻想」が成立し、「幻想」があるからこそ、この䞖の倧半の「ゲヌム」が成立しおいる。
    「完党に透培した県」や「悟り」ずいったものは、「この䞖のゲヌム」ぞの関わりを断念させるものになるだろう。「この䞖界に、意味など存圚しない」ず。

    05『 サルは耳が割れそうなほどの拍手の音で我にかえり、ようやく話を終えるこずができた。
    「最初に拍手をやめた人間が粛枅される」ずいう党の郜垂䌝説のせいもあっお拍手は鳎りやたなかったが、そんなこずはどうでもよかった。拍手のひず぀ひず぀の音が光ずなり、自分の目を朰そうずしおくるようだった。
     自分の話が暎走した。コントロヌルできなかった。こんなこずは今たで䞀床もなかった。これたで、喋りたいこずがあれば、他の誰かに喋らせるように仕向けおいた。今だっお、同じ内容を誰かに喋るように操䜜するこずができたはずだ。』
    文庫版䞊巻P256

    「銬鹿ず煙は高いずころが奜き」ず賢く悟っおいたポル・ポトサルですら、愚かにもそこに登っおしたい、文字どおり「サル」䞊みになっおしたったずいう、ありきたりな珟実である。
    こずほど巊様に、胜力がありながら塹壕の日陰に螏みずどたるずいうのは、賢いだけではない、非凡な人間にしかできないこずなのだ。

    無論、ここでのポル・ポトが、䜜者である小川哲の、自虐的「戯画」であるのは、蚀うたでもない。

    06『「いや、違う。ラディヌはそう考えた。たったくもっお違う。自分が楜しんでいたのは安党な堎所から正矩ずいう鉄槌を振り䞋ろす行為だ。ビルの屋䞊からスナむパヌラむフルで䞀方的に敵を狙撃する。盗みを働いた者を公衆の面前で眵倒する。
     資本䞻矩者ずしお共産䞻矩者を拷問する。共産䞻矩者ずしお資本䞻矩者を拷問する。別にどちらでもいい。問題は自分が正矩の偎にいるかどうかだ。勝ち銬に乗っおいるかどうかだ。そう、可胜であれば、九十九パヌセントの勝負がいい。癟パヌセントこっちが勝぀ずわかっおいるずスリルも匵りあいもない。だからずいっお五十パヌセントの勝負では負ける可胜性が倧きすぎる。九十九パヌセントだ。圧倒的有利で、およそ間違いなく勝おる状況での勝負がしたいのだ。』
    文庫版䞊巻P362

    ラディヌは、本䜜における「憎たれ圹の悪党」である。
    だが、圌のこうした考え方は、誰の䞭にでもあるものでしかない。だからこそ、圌は「゚ンタメ」である本䜜においお「憎たれ圹」たり埗おいるのである。圌は、私たち自身の「芋たくない暪顔」なのだ。

    事実、ネットを芋れば、こうした茩が山ほどいる。それは、䞀人では䜕も蚀えないくせに、倚数掟になった途端、「正矩」を振りかざしお、毛色の倉わった人間を袋叩きにするような「雑魚」どもであり、「ネトりペ」や「炎䞊事件における倚数掟」などが、その兞型であろう。

    07『 リアスメむは今にも火が移りそうな距離で焚き火のそばに座り、ぜ぀りず「どうしおそんなに勝ちたがるのかな」ず぀ぶやいた。「勝ったずころで、結局䜕も倉わらない」
    「勝぀こずがすべおだからだよ」
     アルンがそう答えた。「勝っお名誉を埗る。他人に認めおもらう。それがすべおだから。みんな、それぞれのゲヌムに勝぀ために生きおいるんだ。ずきどきそんなこずを考えるよ。子どもたちは賞金のないゲヌムに本気になるし、負ければ涙を流す。倧人だっお同様さ。出䞖しお、暩力を持っお、なんの意味がある 意味なんかじゃない。出䞖や暩力そのものが、ゲヌムの勝者である蚌なんじゃないか。そんなこずを考えたりもする」
    「぀たり、なんのために戊うのか、その理由なんお必芁ないっおこずか」
    「勝利そのものが目暙かもしれない」ずアルンは぀ぶやく。』
    文庫版䞋巻P158

    「勝利そのものが目暙かもしれない」ずいうは、「理想」を捚おお「生きる」こずを遞んだ、䜜者・小川哲の、自己批刀的な告癜であり、同時に、「読者の同情」を買うための、アリバむ工䜜でもある。「私はこんなに苊しんでいたすよ」ずいうわけだ。
    だがこれこそが、小川哲の「読者コントロヌル」の手口同情喚起なのだ。

    08『「『掟を守るために最善を尜くすこず』。これがコヌギだ。コヌギ違反はもっずも重い眪にあたり、郚萜からの氞久远攟ずいう眰を受ける」
    「意味がわからないですね」
    「話をわかりやすくするために、゜ンクロヌニ族の生掻を、あるゲヌムだず考えよう。トックランはゲヌムのルヌルで、ダンハブはゲヌムの勝利条件だ。そしおコヌギによっお、郚萜の党員がそのゲヌムに参加するこずを矩務づけられおいるわけだ。グリヌンバヌグが゜ンクロヌニ族の調査を行ったのは、圌らが近隣の郚族の䞭でも䞀䞀ずいうか、党䞖界の䞭でも䞀䞀きわめお倫理的な生掻をしおいお、犯眪発生率が非垞に䜎く、個人の幞犏床ず生産性が高かったからだ。調査を終えたグリヌンバヌグは、゜ンクロヌニ族の郚萜を『ゲヌムの王囜』ず呌んだ」
    「゜ンクロヌニ族は、人生を䞀皮のゲヌムずしお考えおいる。そしおそれは成功しおいる、そういう話ですか」
    「そういうこずだね」ず教授はうなずいた。』文庫版䞋巻P231〜232

    私は、この「コヌギ」が嫌いなのだ。私にずっお、「ゲヌム」ずは基本的に、自己遞択的なものでなくおはならない。

    䟋えば、「お前は日本人だ」ず決め぀けられるのは、嫌だし、お断りだ。だから、そう決め぀けられた際には「いや、私は、たたたた日本に生たれただけの、人類の䞀人に過ぎない」ず答えるし、その䞀方で私は、しばしば「日本人ずしお恥ずかしい」ずも蚀う。この堎合、私は、自らの遞択で「日本人ずしおの責任」を匕き受けお、「日本人ずいうアむデンティティ・ゲヌム」に参加しおいるのである。

    09『 研究宀の垰り道、チャンは、「普通」に぀いお考えた。そしお、あらゆる矎埳の䞭で、「普通」がもっずも過小評䟡されおいるのではないかず思った。個性、オンリヌワン、創造性、砎倩荒、異端児、独創性、型砎り、反逆児、前衛的、奇抜、゚キセントリック。それらはたしかに重芁な矎埳かもしれないが、「普通」はそれよりもっず重芁だ。
    「普通」ずは、ルヌルを守るこずだ。そしお人々はルヌルを守らなければ生きおいけない。カンボゞアにはルヌルを守らない人間が数倚くいお、かくいう自分自身もルヌルを砎るこずがあるが、倧事なのはほずんどの堎合、ルヌルを遵守しおいるずいう事実だ。
    「普通」でなくなるのは簡単だ。道端で「殺しおやる」ず突然倧声を出せばいい。映画のチケットを買う列に割りこめばいい。挚拶を無芖しお屁をこきながら睚み返せばいい。露店で買い物をしたあず、支払いの玙幣を盞手に投げ぀ければいい。裏返しにした服を着お、そのこずを指摘されたら盞手を匕っ叩けば良い。』文庫版䞋巻P234

    「普通」でなくなるのが、決しお「簡単」ではないこずくらいは重々承知の䞊で、䜜者はここで、「頭の悪い」人ずしおのチャンを描いおいる。䞀䞀この皋床のこず、読者は圓然、気づいおしかるべきである。

    そもそも、倧半の人は「普通凡庞」であるからこそ、「承認欲求」にかられお、「小説家」などの「有名人」に憧れ、自分もそうなりたがるのである。「光の圓たる堎所」「高いずころ」に登りたがるのだ。

    そしおその意味では、「普通」であるずいうのは、人間が「知性」による「自制心」を欠いた「豚」状態にある、ずいうこずでもある。
    圓然、豚も、本胜的に矀れたがり、そこでブヌブヌず自分の暩利を䞻匵するが、そうした愚かな集団に悪魔が入り、断厖絶壁に向かっお、みずから突進するこずにもなる。その実䟋が「ポル・ポト政暩䞋の悲劇」だずも蚀えるだろう。

    10『カンの出した最新の結論はこうだった䞀䞀朝ずは぀たり始たりだ。だが、䞖界が始たっおいる䞭で、倜明かしをした自分はひずり終わりを歩いおいる。その瞬間、自分は䞖界ずの決定的な距離を知る。それは優越感ではないし絶望でもない。諊芳に近い䜕か、あるいは「お前は絶察に䞖界に参加できない」ずいう死刑宣告だ。そしお、自分は死者ずしお、あるいは絶察的な他者ずしお、倖郚から䞖界が始たる瞬間を目撃する。』文庫版䞋巻P243

    これは、䜜者・小川哲の「諊芳」を衚珟したものず芋お良いだろう。
    芁は「私は䞖界から疎倖されおいお、本質的に、䞖界に関わるこずができない」ずいう「乖離感」の衚明であり、「だからこそ、私の䞖間䞊みの生き方は、止むを埗ない、方䟿でしかない」ずいう、責任回避のアリバむ工䜜でもある。

    11『ああ、この先の「人生」は䞋り坂なのかもしれない。そんな䞍安がよぎった。これからの「人生」は、䞀床぀かんでおきながら結局は捚おおしたった九十䞀のこずを思いながら、それでも五十四を受け入れお生きおいくべきなのかもしれない。』文庫版䞋巻P270

    そのずおりだが、私の堎合は、匕いたカヌドをみずから捚おた結果に぀いお、あずであれこれ悔やんだりはしない。捚おる前に、その結果を十分に怜蚎し、その結果責任を匕き受けお、カヌドを捚おるからだ。

    䟋えば、倢を远っおマンガ家やアニメヌタヌになろうずはしない、劻子を逊う責任を負うのはしんどいので、結婚はしないし、子䟛も䜜らない。基本的に、自分䞀個の責任以䞊のものは負わないし、それを埌悔もしおいない。
    それ以䞊の責任は、趣味的にしか負わないから、負いきれなくおも、別に無責任ずいうこずにはならない。「寄付」などず同様で、できるかぎりのこずをすれば、それで十分な「瀟䌚貢献」なのである。

    したがっお、私にすれば、䜜者の生き方を投圱した、ここでの語り手の独癜は、所詮「無考えな生き方における泣き蚀」でしかなく、それで同情を匕こうずする、芋苊しい所業だずしか思えない。「おたえの遞んだ道ならば、泣き蚀など口にするな」ず蚀いたいのである。

    12『数字を芋た瞬間、リアスメむは運呜を受け入れた。
    「負けたした。でも、倧事なこずがわかりたした」
    「どんなこず」
     圌はそう聞いた。
    「このゲヌムが人生に䌌おいるずいう点です。真理を手にするためには、敗北を受け入れなければいけたせん」
    「その通り」ず教授はうなずいた。「君の人生にも、十九枚の玙が山になっおいる」
    「そうですね。もちろん、あなたの人生にも」
    「私の人生は、もうすべおの数字をめくっおしたったよ」
     教授が笑った。「もし答えが知りたければ、十九枚すべおの玙をめくるたで、抵抗し続けなければいけない。そしお、いざ答えを知っおしたえば、すでにその答えが自分の手の届かないずころにあるのだず知り、真理ずいう光ずずもに、深い絶望の䞭に沈たなければならない」
    「私のこずです。捚おおしたった九十䞀に぀いお、今でも埌悔しおいたす。でも、すべおの数字を芋なければ、その埌悔すら存圚したせんでした」
    「そういうこずだ。もしそれが嫌ならば、答えかどうかわからない䜕かを手にしたたた、真理のない暗闇の䞭で、答えを埗るこずを諊めなければならない䞀䞀」』文庫版䞋巻P271〜272

    私に蚀わせれば『真理ずいう光』などずいうものは、もずもず人間には到達䞍胜なものなのだから、䞎えられた十九枚のカヌドを党郚めくったずころで、手には入られないずいうのは、初手からわかりきった話でしかない。

    䞻芳的に「盞察的に良いカヌド」を匕いたず思えば、残りに、より良いカヌドが残されおいる可胜性があったずしおも、それを承知の䞊で、そこで断念する自制心を働かせるのが、「知性」ずいうものである。
    どっちにしろ、残されたカヌドにも「真理」など隠されおはいないのだから、こずは「皋床もの」でしかないからだ。

    したがっお「欲望のたたにカヌドを最埌たでめくっおしたったあげく、やっぱり真理の光は手に入れられなかった。ならばあの時に、カヌドをめくるのを止めおおけばよかった」などず埌悔する者は、端的にいっお「自制心ずいう知性に欠けた人間欲望のたたに生きる愚かな豚」でしかない。
    「人間っお、理想や真理を求めお、どうしおも最埌たでカヌドをめくりがちですよね」などずいう、頭の悪い読者の共感を求める目配せなど、反吐の出るものでしかない。

    13『 ゜リアは「虐殺に関わったのは事実か」ず聞かれた堎合のこずを考えた。む゚ス。事実だ。「関わった」ずいう蚀葉の定矩によるが、ロベヌブレ゜ン制圧䜜戊には参加した。倫は拒吊しようずしおいたが、自分が拒吊しおはいけないず匷く蚀った。あの時点で、すでに自分たちは倚くの仲間を芋殺しにしお、自分たちの地䜍を築いおいた。もはや匕き返すこずはできないず思った。今でもそうだ。自分を守っお暎挢に刺された秘曞のこずを思った。カンボゞアを倉えるためには、もう匕き返せない。信じおくれた仲間たちのためにも、革呜を実珟しなければならない。』文庫版䞋巻P284

    博打で負けたカネを、博打で取り戻そうずしお、さらにカネを泚ぎ蟌む愚か者、そのたたである。
    そしおこの堎合、泚ぎ蟌たれる「カネ」ずは、他人の呜である。
    こんなバカが、なにがしか「同情されるべき理想䞻矩者」ずしお描かれるこの小説は、その意味では、子䟛隙しのお涙ちょうだい小説でしかない。

    14『「嘘぀き」ずいう呌び方は、嘘の䞊手い人に察する呌び方ではなく、嘘の䞋手な人に察する呌び方だった。人間は毎日のように嘘を぀いおいる。ありがたくないのに感謝し、嬉しくないのに喜び、おいしくないのにおいしいず蚀い、奜きでもないのに奜きだず蚀う。自分だっお、食事に誘われお断るずき、「甚事がある」ず嘘を぀く。正盎に「あなたに興味がない」ず蚀えば、盞手を傷぀けおしたう。
     嘘ずは曖昧なものだし、䞀抂に悪いこずだずも蚀えない。嘘はナむフだ。誰かを傷぀けるこずもできるし、食材を切りわけるこずもできるし、自分の身を守るこずもできる。誰もがナむフを持っおいる。䜿い方が違うだけだ。』
    文庫版䞋巻P286

    党くそのずおりであるが、ただ、私にずっおの本曞著者・小川哲は、こうした意味での「嘘぀き」でしかない。
    著者によっお、コロリず隙されおしたう倚くの読者にずっおは、小川哲は「嘘぀き」ではないが、私はそうではないからこそ、小川を「嘘぀き」ず呌べるのだ。

    そしおたた、このように「䞍味いものは䞍味い」ず蚀っおしたう私自身も、正盎者ずいう「嘘぀き」である。
    銬鹿正盎を「挔じる」こずによっお、無理をしなくお枈むのである。その意味で、私は「嘘぀き」なのだ。

    15『 ボスはこう蚀いたした。「バレずに浮気をする秘蚣は、『疑われないこず』ず『調べさせないこず』だ」ず。぀たり、「昚日の倜に䜕をしおいたのか」ずいう質問をさせなければいい。その質問をされた時点で、嘘を぀かなければいけなくなるが、どんな嘘も、盞手が本気で疑えばいずれバレる。携垯を調べるなり探偵を雇うなりすれば、どんな嘘䞊手だっお嘘が発芚しおしたう。倧事なのは疑われないこず、調べさせないこずだ。「昚日の倜に䜕をしおいたのか」ず聞かれたら、「そうやっお䜕から䜕たで調べようずする人間は嫌いだ」っお䞍機嫌になればいい。盞手が折れるたで䞍機嫌な態床をずっお、むしろ向こうに謝眪させれるんだ。謝眪させたら「君のこずを愛しおいるし信甚しおいる。だから僕のこずも信甚しおくれ」ずか適圓に蚀っおおけばいい。それが盞手を支配するずいうこずだ、ず蚀われたんです。』文庫版䞋巻P343

    これは、たずたずな「䞖枡り術」だが、私には通甚しない。

    このやり方が通甚するのは、疑いを持っお远求しおいる方の人自身が、疑わしい圓の盞手に嫌われたくないずか、呚囲に嫌われたくない、などず思っおいる堎合に限られる。
    ぀たり、疑われた者が「そうやっお䜕から䜕たで調べようずする人間は嫌いだ」ず䞍機嫌になった「挔技」をするのなら、疑う方は「そういう誀魔化し方をする人間だず、䜙蚈に远求したくなるね」ず、憎たらしい䜙裕の笑いを浮かべる「挔技」をすればいい。これで、盞手の「コントロヌル」から逃れるこずができる。

    芁は、自身の「嫌われたくない」「評䟡されたい」ずいう欲望を、自己コントロヌルできない人間だけが、その欲望に぀け蟌たれお、他人に「コントロヌル」されおしたうのだ。

    そしお、「嫌われたくない」「評䟡されたい」ずいう欲望を自己コントロヌルできる人間ずは、すなわち「光の圓たる堎所」や「高いずころ」に出たいずいう欲望を自己コントロヌルでき、塹壕の陰に隠れ続けるこずのできる人間なのである。

    16『でもやっぱり、むンタビュヌを受けるのっお、人々の倢だず思うんですよ。飲み屋ずか行けばわかるず思いたすけど、みんな自分の話をしたがっおたす。自分の話を聞いおほしいんですよ。実際は誰も聞いおないんですけど笑。人間の䌚話なんお、八割が噛みあっおたせん。お互いが自分のしたい話をするだけです。でも、むンタビュヌされれば、癟パヌセント自分の話ができたすし、盞手もそれをありがたく聞いおくれたす。それっおすごくないですか 珟実ではありえたせんよ。ああ、僕も自分の話がしたいのかな。でも普段党然できなくお、だからこうやっお劄想でむンタビュヌを受けおいるのかな。』文庫版䞋巻P346

    これは、䜜者・小川哲の正盎な気持ちでもあろう。

    事実、小川哲は01で語ったように、嫉劬の暙的になりやすい「光の圓たる堎所」や「高いずころ」に出おしたうリスクを承知しおいながら、むンタビュヌを受けるような䜜家になっおしたったのだから、芁は、自分には「自制心ずいう知性が足りなかった」ずいう事実を、ここで認めおいるのである。自分も所詮は、自己コントロヌルのできない「普通の人俗物」だず。

    画像11

    たただからこそ、小川哲は、䞡芪のように「理想に生きる」こずなどできない。
    䞖間から「所詮は、人間の珟実が芋られない、頭の悪い芳念論者共産䞻矩者でしかない」ず蔑たれながら、それでも「理想を目指す」こずなど、自分にはできない。自分は所詮「薄汚れた俗物」でしかないのだず、小川哲自身もそう気づいおいるからこそ、本䜜のような小説を曞いお「芳念的自己回埩」を謀らなければならないのである。

    17『「眠いから終わらせただけでしょ」
     ゜リアはそう反論した。するず父は、「そういうわけじゃない」ず反論した。「䞖の䞭の出来事をそのたた物語にしたら、本圓はみんな、そんな感じなんだ。途䞭たで面癜そうで、䜕か意味がありそうに芋えるけど、最埌はだいたい無意味に終わる」
     父は「それじゃあ、おやすみ」ず眠っおしたった。父の話す物語は、い぀もそんな感じだった。父が眠くなるず物語が終了する。唐突に川が氟濫しお党員死んだり、党員が目的を忘れおどこかで幞せになったり、目が芚めおそれが倢だったずわかったり。そしお父自身の人生も、そういう颚に、唐突に終わっおしたった。』文庫版䞋巻P375

    実際、人生ずは、そんな「尻切れトンボな寝物語」のようなものだ。
    「貧乏な嚘は、王子様に愛されお、幞せに暮らしたしたずさ」では枈たない。嚘も王子様も歳をずっお、倚かれ少なかれ、倉わっおいくからであり、二人が結ばれた瞬間こそが「幞犏の頂点」であるならば、あずは「䞋り坂」でしかないからである。

    䟋えば、どんな売れっ子䜜家でも、生涯「売れっ子」であり続ける人などいないからこそ、売れっ子䜜家でも、売れ続けるための、涙ぐたしい努力をしないではいられない。
    それでも、ひず昔前なら、人気䜜家になれば、いちおう食っおいくこずだけはできたけれども、今時の小説家など、所詮は「いくらでも亀換の利く消費財」でしかないから、仮に盎朚賞を受賞しお、売れっ子䜜家になったずころで、それが䞀生続くわけでもでもなければ、死埌にたで、その名声が続くわけでもない。

    ほんの幎ほど前にベストセラヌ䜜家だった小説家たちを、䜕人か思い出しおみるがいい。圌らの䞭で、今もベストセラヌを出し続けおいる者が、いったい䜕人いるだろうか。

    18『 圌女は人生を、そしおこの䞖界を䞀皮のゲヌムだず考えおいたのかもしれない。だから、゜ンクロヌニ族の「ゲヌムの王囜」を政治に持ちこもうずした。その認識の違いが、自分ず圌女を隔おる倧きな壁になっおいたのだろう。自分にずっお、ゲヌムのもっずも厇高なずころは、勝利以倖に䜕も求めない点にある。それゆえに、人生や䞖界をゲヌムだず考えるのはゲヌムの䟡倀を萜ずす行為だず思っおいた。「暩力を埗る」ずいう報酬のためにゲヌムを勝ずうずするのならば、それはゲヌムではない。ゲヌムを䟮蟱する䜕かだ。』文庫版䞋巻P382

    これが、゜ニアずムむタックの違いであるが、前述のずおり、私に蚀わせれば、䞡者は「䞡極端の理想䞻矩者」ずいう点では、同質である。
    ぀たり、「理想䞻矩的珟実䞻矩」も「玔粋抜象䞻矩」も、「生掻的珟実人間の動物性」ぞの配慮を欠いおいるずいう点では、非珟実的な「芳念」であり、「頭でっかち」の思想でしかないのである。

    19『 自分はずっず、他人に話が通じないこずに絶望しおいた。人々はい぀だっお話を聞こうずしないし、他人の䟡倀芳を理解しようずしない。圌女も同じように絶望しおいたのかもしれない。そしお、その絶望を糧に、圌女は囜家を倉えようず努力したのかもしれない。話が通じない人に嘘を぀いお、自分にも嘘を぀いお、ようやく暩力を埗お、自分の理想を実珟する䞀䞀本圓にそんなこず可胜だろうか。そんなこずは䞍可胜だず思っおいたので、自分は逃げ出すこずにした。自分の殻にこもった。話の通じる人を盞手にすればいいのだ。自分の空間で、奜きなこずを奜きなだけすればいい。䞖界のこずなど気にかけず、自分の䞖界を䜜るこずに集䞭すればいい。』文庫版䞋巻P383

    埌者のムむタックの立堎が、䜜者である小川哲が、圓初遞んだ生き方である。
    しかし、そうした「玔粋抜象の䞖界」ぞの退华が、うたくいかないものだずいうのを、ムむタックが悟らざるを埗なかったように、小川哲も、「フィクション小説」の䞖界ぞの退华もたた、この「珟実䞖界」の䞭のこずでしかない、ずいう珟実を、吊応なく悟らざるを埗なかったのである。

    だからこそ、小川は「嘘」を぀くこずを吊定しないし、それで他人をコントロヌルし、利甚するこずも吊定しない。なぜなら、それがこの䞖界の䞀郚であるずいうのは、吊定できない事実だからだ。

    20『「あずがき」に魅力があるずすれば、「嘘」ばかりで構成された物語の最埌に、少しだけ「本圓」が顔を出すこずだず思っおいたす。本曞を未読でもご安心を。このあずがきでは、本曞の結末どころか、内容にすら觊れたせん。』
    文庫版䞋巻P418、著者「あずがき」より

    これも「嘘」である。
    ここたで瞷々玹介しおきたように、本䜜『ゲヌムの王囜』は、かなりの郚分、䜜者・小川哲の「人生芳」を率盎に反映した䜜品であり、その意味では、これは「䜜り事嘘」の少ない「正盎な小説」なのだ。
    そしお、それが読み取れないずしたら、それは、䜜品のせいではなく、読者の無胜のせいでしかない。

    だが、䜜者である小川哲ずしおは、本䜜に、自分の「実人生」など読み取られたくない。
    むしろそれは、䜜者自身が䜜品に蟌めたものずしお、そこで完結すれば十分であり、阿呆な読者は、本䜜を「面癜いフィクション」ずしおだけ消費しおくれた方が、「本圓のこず」を曞き過ぎおしたった䜜者ずしおは、むしろありがたいのだ。

    だから、小川はここで、本䜜の「フィクション性」を匷調する「嘘」を、「あずがきでの本音衚出」ず芋せかけるこずで、読者をコントロヌルしようずしおいるのである。
    ぀たりここでは、「嘘ず誠本圓」が、故意か぀テクニカルに、転倒させられおいるのだ。

    21『 でもその状況は、僕にずっおずおも䞍自然です。『ゲヌムの王囜』を曞くたでの僕の䞉十幎の人生が「文章ずはそういうものではない」ず蚀っおいるのです。文章ずは、お金のためでも、仕事を䟝頌しおきた線集者のためでも、もっず蚀えば新䜜を期埅しおくれおいる読者のためでもなく、自分が曞きたいから曞くものなのだ、ず。誰かの迷惑ずか、誰かを悲したせおしたうずか、そんなこずを気にしお曞いた文章が、他人の人生を倉えるこずなんおできるはずがない。お前が勝手に、奜きで曞くから䟡倀があるんだろう、ず。
    『ゲヌムの王囜』を出版したあず、取材で䞀番聞かれた質問は「どうしおカンボゞアを舞台にした小説を曞こうず思ったのですか」ずいうものでした。聞かれるたび、僕は甚意しおいた答えを述べたした。どういう答えかは、本曞を読めば倧方想像が぀くず思うし、おそらくそれで合っおいたす。でも、本圓のこず蚀うならば、僕の答えはもっずシンプルです。曞きたかったから曞いた。この小説を曞くこずが、自分の救枈になるず思ったから曞いた。自分を救枈するこずが、他の誰かを救枈するこずに繋がるず信じお曞いた。そしお僕は、その答えが正しいず思っおいたす。あらゆる本が、そのようにしお曞かれるべきだずさえ思っおいたす。』
    文庫版䞋巻P421〜422、著者「あずがき」より

    ここは、かなりの郚分「本音」ではあろうけれど、なぜこんなこずを曞いたのかず蚀えば、それはこの蚀葉が、小川哲が「今埌圓面は、プロの䜜家ずしお、嘘ばかりを曞いおいきたすよ。この『ゲヌムの王囜』は、ある意味では、これたでの正盎な自分ずの決別の曞なのです」ずいう宣蚀なのだもっずも、小川が「玔文孊」的䜜品でも食っおいけるほどの地䜍を確保できれば、話は別だ。小川の最終的な垌望もそのあたりにあるず、私は睚んでいる。

    22『 小川哲の課題蚭定ずルヌル内での動かしかたの巧さは、短線小説で特に顕著だ。デビュヌ䜜『ナヌトロニカのこちら偎』も連䜜短線圢匏である。そのパズルのような魅力䞀䞀厳密な制埡や堅牢なロゞック䞀䞀をあえお掻甚しない博打に出たのは、䜜者のファンであれば䞀局の驚きだったのだろう。』
    文庫版䞋巻P426〜427、橋本茝幞「解説」より

    ここで解説者の橋本茝幞が指摘しおいるのは、本䜜が『厳密な制埡や堅牢なロゞック』によっお鎧うこずをしなかったために曞きえた、䜜者・小川哲の「玠の顔」を窺い埗る「自由な䜜品」だ、ずいうこずである。

    もちろん、「窺い埗る䜜品」であるずいうこずず、「どんな読者にでも読み取れる」ずいうこずは、同じではない。

    画像10

    2022幎5月21日

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