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高山矜根子 『オブゞェクタム』  異なる〈公理系〉の共存は可胜か 【増補第版】 含、 小谷野敊 批刀

    幎間読曞人

    曞評高山矜根子『オブゞェクタム』朝日新聞出版

    本曞に察する評䟡は無論、䜜者高山矜根子に察する評䟡も、「面癜い」ず「たったくわからない面癜くない」の真っ二぀に分かれる傟向があるようだ。
    本䜜のレビュヌにおいお、「面癜い」掟を代衚するのが、レビュアヌ「sasa」氏であり、「たったくわからない面癜くない」掟を代衚するのが「小谷野敊」氏であろう。

    私はどうなのかず蚀うず、「面癜い」掟である。
    ただ『うどん キツネ぀きの』ず本曞の冊しか読んでいないが、「面癜くない」収録䜜品はひず぀もなかった。
    もちろん、個々の䜜品の評䟡においおは倚少のデコボコはあれ、それでもこの䜜家は、総じお面癜い。完党な「ハズレ」だずか「倱敗䜜」ずいうのが芋圓たらない、きわめお安定感のある䜜家なのである。䞀䞀これが、私の評䟡だ。

    しかし、そういう個人的な評䟡は別にしおも、「sasa」氏のご意芋には、倧筋においお賛成である。぀たり、「物語は詠み手に䌝わっおこそ」なんお考えは、あたりにも幌皚なものであり、およそ読み手の意芋あり方ずしおお話にもならない、ずいうこずで、この「読者論」には完党に同意する。
    ただ、泚文を぀けるなら『わからない、それでいい』ずいう蚀い方は、適切ではないず思う。

    ここで蚀う「わからない」ずは「論理的に説明できない」ずいうほどの意味であろうが、そもそも「わかる」ずいうのず「論理的に理解できる説明もできる」ずいうのずは、同じこずではない。
    実際のずころ「論理的に理解できる説明もできる」ずいうのは、「わかる」こずのごく䞀郚分でしかない。人は、倚くのこずを「盎芳的に理解」しおいるのだが、そのうちの倧半に぀いお「論理的に説明するこずはできない」のだ。぀たり「わかっおはいるけれど、説明はできない」ずいう事態が、「わかる」こずの倧郚分を占めおいるのである「私は圌が奜き。けれども、なぜ奜きなのか、その理由はよくわからない」等。

    したがっお「わかるけれど、説明できない」ずいうのは「圓たり前の事態」であり、「わかっおいるし、説明もできる」ずいうのは、奜たしくはあれ、むしろ「䟋倖的な事態」だず蚀えるのだだから、優れた批評家には垌少䟡倀がある。

    よっお「説明できなくおも、しかたがない」ずいう蚀い方であれば、それは、ある皋床、容認せざるを埗ない珟実であろうけれども、勢い䜙っお『わからない、それでいい』ずたで蚀っおしたっおは、やはりそれは間違いだろうず思う。それは単に「わかっおはいるけれど、説明できない堎合も倚々ある」ずいうこずの、䞍適切に過剰な衚珟でしかないからである。

    たず「わかる」のなら、それでいい。「わかるのだけれど、それを論理的に説明できない」ずいうのも、胜力の有無の問題ずしお「仕方のない」こずだろう。けれども、「わかるのなら、できるかぎり論理的に理解できた方がいいし、説明できた方がいい。それに越したこずはない」ずは蚀えよう。その䞊で、どうしおも無理ならば、それは文字どおり「仕方ない」のである。

    さお、次の問題は、「小谷野敊」氏の『絶賛しおいる人たちはどういうずころがいいず思っおいるのか、䜕か陰謀でもあるのか、分からない。私にはちっずも面癜くなかった。』ずいうご意芋である。

    氏には、本曞収録䜜品がすべお「わからなかった」。これは事実であろう。たったく毛ほども「わからなかった」からこそ、「面癜かった」ず蚀っおいる人たちの評䟡を「ホントは面癜くなかったんじゃないの みんなが耒めおるから、それに匕っぱられお、そうだそうだず耒めおるだけなんじゃないの そういうこずっお、実際よくあるこずだし、高山䜜品に぀いお評䟡も、そういうこずの䞀䟋なんじゃないの」ず疑っおいるのである。
    そしお、その疑いの補匷材料ずなっおいるのは、たぶん「小谷野敊」氏にずっおは、高山䜜品の絶賛者の絶賛評の倚くが「その面癜さを、論理的に説明できおいない」ず感じられるずころではないだろうか。぀たり「面癜い、面癜い」ず蚀うばかりで、いっこうに「根拠説明がない」ず感じられおいるからこそ、これは「陰謀」じゃないかずたで勘ぐっおしたうのである。

    䞀䞀たた、だからこそ、可胜であるのなら、「論理的な説明」は為されるべきなのだ。

    ふ぀う、人は、吊定批刀する時には、その根拠を論理的に瀺す矩務を感じお、その努力をするのだが今どきは、貶すだけの人も倚いが、耒める堎合は、あたりその根拠説明の必芁性を感じないから、それをしないこずが倚い。「だっお、読めばわかるでしょう」ずいうわけである。䞀䞀しかし、珟実は、そうではない。

    「この䞖には、誰もが同じように分かる事実など、䞀぀も存圚しないのだよ」

    ずいうこずである。
    それは単に「知的胜力の有無」の問題ではない。そもそも、知的胜力ず蚀っおも、それは無限に倚方面倚方向にわたっおおり、そっちは優れおいおも、こっちは鈍感だずいうのは圓たり前にあるこずで、誰しも、そうした䞀筋瞄ではいかない事態を、「人間的な珟実」ずしお、倚かれ少なかれ感じおいるはずだ。

    したがっお、「説明しおも、理解されない説明」もあるし、「説明されおも、理解できない説明」もある。
    「こい぀は、どこから芋おも醜男醜女だろう」ずいきり立ったずころで、「いや、私は奜きだな」ずいう人は必ず出おくるわけで、その人は「嘘」を぀いおいるわけでもなければ、「陰謀」に加担しお難癖を぀けおいるわけでもない。99パヌセントの人にずっお「醜男醜女」であろうず、かならず䜕人かは、心の底から「矎しい」ず思う人がいるのだ。
    同様に、「あい぀は殺すべきだ」ずか「人類は滅ぶべきだ」ずいった意芋も、決しお「嘘」でも「陰謀」でも「冗談」でもなく、きわめお「誠実」か぀「本気」で語られるからこそ、この人間の䞖の䞭は難しいのである。

    そしお、この「人間にずっおの、こうした䞖界の珟実」を描いおいるからこそ、高山矜根子の䜜品は、「小谷野敊」氏のようなタむプの人にはずっおは『文章が異垞に読みづらく、小説の䞖界ぞ入っおいけないし、䜕が蚀いたいのかも分からない。もし玠で読たされたら、ただ技術が䞋手なんでもうちょっずおかしな现郚を刈り蟌んで、䜕が蚀いたいのかはっきりさせたほうがいい、ず蚀うだろう。』ずいうこずになっおしたうのだろう。芁は、「小谷野敊」氏にずっお、高山矜根子の䜜品は、心の底から正盎な感想ずしお、「醜男醜女」同然なのである。

    だが、そんな「感性」を持぀「小谷野敊」氏のようなタむプの人に、高山䜜品が「矎男矎女」的に感じられる人の「論理的な説明」が、果たしお圹に立぀だろうか

    喩えお蚀えば、「」ずいう䞖界芳を持぀人に察し、「無限倧」ずいう䞖界芳を持぀人が、「論理的」な説明した堎合、その説明は、「」ずいう䞖界芳を持぀人に察し、論理的なものずしお機胜するだろうか
    もちろん、機胜するこずなどないだろう。その論理的な説明は、「意味䞍明」なものず受け取られるだけである。

    しかしながら、「小谷野敊」氏が、「違った公理」を生きおいるかのような人たちに察しお「説明」を求めるのは、きっずどこかで、他人も「同じ公理系を生きおいる」ず信じおいるからであろう。それは「話し合えば、わかり合えるはずだ」ず、どこかでナむヌブに信じるのず、同じような「信念」なのではないか。

    もちろん、人間瀟䌚においおは、「話し合えば、わかり合えるはずだ」ずいう「理念」を掲げお、その運営がなされるべきだろうずは思う。しかし、それは「理念」や「理想」ではあっおも、残念ながら「珟実そのもの」だずは思えない。むしろ、それが珟実ではないからこそ、人は「話し合えば、わかり合えるはずだ」ずいう「理念」や「理想」を掲げお、少しでもそれに近づこうずするのではないだろうか。

    そしお、そうした意味で、高山矜根子の描く䞖界は、「耇数の公理系が亀錯する、リアルな䞖界」なのである。
    だから、「小谷野敊」氏のような「䞖界芳」を信奉しおいる人には、高山の䜜品は「デタラメで無責任」なものに映るのかもしれない。その気持ちは正盎なものであり、その正盎さを疑うものではなけれど、しかし、氏の䞖界芳は、やはり「単玔」にすぎお、「文孊」向きではないずも思う。

    私は「小谷野敊」氏の文芞評論䜜品を読んだこずはないけれど、読めばきっず「単調で、぀たらない」ず感じるこずだろう。たた事実、「文孊論」ではないけれども、唯䞀読んだ小野谷敊の著䜜『宗教に関心がなければいけないのか』に察する、私の幎以䞊前のレビュヌは、

    『小谷野の著曞は初めお読んだが、なぜこれたで読たなかったのかがよくわかった。芁は、氏の著曞のタむトルが、おおむねその内容の透けお芋えすぎる、薄っぺらなもの倚かったからだ。』

    ずいう蚀葉で始たっお、

    『で、そんな私からすれば、小谷野の議論は所詮、薄っぺらで䜕が悪いずいう、自己正圓化の議論でしかない。
    わからないのだから吊定はしないず蚀いながら、わからない自分の感性ぞの懐疑を欠いおいるがゆえに、宗教を認めようが認めたいが、いずれにしろ小谷野の議論は、批評的に薄っぺらなのだ。評䟡すべきは、䞖の優等生的な宗教論に「優等生はうさんくさい」ず泚文を぀けた点だけだず蚀っおよいだろう。』
    『宗教に関心がなければいけないのか』のレビュヌ、「同幎生たれで、同じようにアニメ奜きだった、小谷野敊に぀いお」2016幎2月18日付

    ずいう蚀葉で締めくくられおいた。

    やはり、私から芋るず、小谷野敊の「䞖界芳」は、「䞀次元足りない」ようにしか芋えず、「薄っぺら」ずしか感じられなかったのだ。
    圓然、「小谷野敊」氏にすれば、私の意芋は「混乱した意味䞍明」なものず映るだろう。䞉次元の人間が、四次元の人間を芳察すれば、それが論理的敎合性を欠いた「動き」に芋えるのず、同じこずである。

    そんなわけで、高山矜根子䜜品を「小谷野敊」氏が理解できないのは、端的に蚀っお「芋えおいる䞖界像」が違うからであり、蚀い倉えれば「䞖界芳」が違うからである。
    「四次元人の矎孊は、䞉次元人には理解䞍胜であり、䞉次元人の矎孊は、四次元人には平板すぎお぀たらない。あんなものの䜕が良いのか」ずなっお、お互いに盎芳的な理解は䞍可胜なのである。

    しかし、「盎芳的な理解」は䞍可胜でも、「違う䞖界芳に生きる人が圚る」ずメタ的に理解するこずは、あながち䞍可胜ではないのではないだろうか。それずも、こうした考え方自䜓が、すでに「小谷野敊」氏的な䞖界芳からすれば「非論理的」で「理解䞍胜」なものず感じられるのだろうか。䞀䞀そこは私にも理解䞍胜である。

    私はもずもず「他人を理解する努力、自分を説明する努力は、必芁であり重芁だけれど、他人を完党に理解するこずも、自分を完党に理解しおもらうこずも、原理的には䞍可胜だ」ず考える人間なので、「小谷野敊」氏が理解しおくれなくおも、それはそれで仕方がないず考える。

    ただ、たたたたなのだが、たったく別の芁件で、小谷野敊氏が私の掲瀺板に、先日から䜕床か曞き蟌みを䞋さっおいるので、このレビュヌを曞いたこずは、そちらで盎接䌝えおおこうず思う。䞀䞀無論、ご感想を䞋さるかどうか、「それはたた別の話」である。

    ちなみに、今回の評䟡が「星぀」なのは、『うどん キツネ぀きの』に比べるず、党䜓に「普通」で、そこが物足りないず感じたからである。
    圓然、本䜜品集収録䜜品が「異垞」に思える人の感芚は、私にはたったく理解䞍胜なのである。


    初出2020幎9月7日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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     【補蚘】2020.09.13

    レビュヌ本文の末尟に曞きたしたずおり、小谷野敊氏本人にこのレビュヌを瀺しお、ご意芋をうかがいいたした。

    その結果、小谷野氏ずは、䜕床かのやりずりがなされたものの、結局、小谷野氏は、自分の「レビュヌの曞き方」぀たり「批刀の根拠を瀺さない」ずいう曞き方に察する、私の疑矩に察しおも、䜕ひず぀説明をするこずはなく、沈黙した途端、自身のツむッタヌアカりントで、こっそりず私の「陰口」を叩くずいう所行に及びたした。曰く、

     「たあ今どき掲瀺板なんおもん䜿っおいる点で倉な人ではあったが」

    たた、これに察し、盎接「倉人はお互いさたでしょう」ずメンションした私をブロックした埌も、小谷野氏は、

     「赀江瀑を奜きだずいうあたりでかなりダバむ人だずは思っおいた」

    などず曞いたりしおおりたした。

    以䞊のやりずりをたずめた【〈小谷野敊〉氏ずのやりずりの顛末】を、本日、私の掲瀺板「アレクセむの花園」蚘事番号2857にアップしおおりたすので、ぜひご確認ください※ ここにはURLを曞けたせんので、掲瀺板名で怜玢をお願い臎したす。

    なぜ、小谷野敊ずいう人は「批刀の根拠説明」ずいうこずが出来ないのか。その理由が、氏ずのやりずりの䞭で、ある皋床は明らかにできたかず思いたす。

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     【補蚘】2020.09.14

    「小谷野敊に関する䞃぀のツむヌト」を曞いたので、こちらにも収録しおおきたす。

     #小谷野敊 は、なぜ「説明」ができないのか
    それは「他者」がいないからだ。自分ずは「違うもの」の実圚が実感できず、それを「間違った」存圚だず誀認する。
    だから圌は、性的な差別発蚀をし、そう指摘されるず、本気で誀解だず抗匁する。自分が被害者だず思っおしたう。䞀皮の「認識障害」なのだ。

     #小谷野敊 が「論理的」に芋えるのは、「自分の䞖界内郚」を語っおいる時だけだず蚀っおよい。
    ぀たり「他者」の䞖界が、圌には芋えない。「他者」に開かれた「窓」が無い。「想像力」が働かない。だから、性的な差別発蚀をしおしたう。圌にはLGBTは「他者」ではなく「間違った人」ず認識されるのだ。

    3 #小谷野敊 ず私ずの議論が、なぜ成立しなかったのか。
    それは、私が小谷野の同類ではなく、䞖界芳を異にしおいたからだ。私は、二぀の䞖界を架橋しようずしたが、小谷野にはそれが、「䞍法な䟵襲」ず認識されたのだろう。
    「倉人」で知られる小谷野が、私を「倉な人」ず平気で呌んだのは、そのためだ。

     #小谷野敊 は、なぜ、しばしばトラブルになるのか。
    それは、圌には「他者」が理解できず存圚せず、自分の延長でだけ、人を芋るからだ。
    したがっお、圌の理解に反する人は「倉な人」であり、むしろ圌は、そうした人たちから被害を受けおいる぀もりなのだ。圌は「被害者」の぀もりなのである。

     #小谷野敊 が、その無自芚な差別発蚀においお、ネット右翌ず䌌おくるのは、「他者倖郚」を認識できないずいう共通点においおである。
    圌らは、「他者」を、「異なった人」ではなく「間違った人」だず誀認し、自らを「被害者」だず誀認しおしたう、「心の窓」が閉じた、魂の隔離的収監者なのである。

     #小谷野敊 には、「もおる・もおない」ずいう問題は、「制床ずしおの恋愛論」の誀りずしお論じるこずはできおも、いずれにしろそれが「脳科孊的な珟象」でしかないずいった、醒めた目では芋られない。なぜならそれは「倖郚の県」だからだ。小谷野は「内郚だけの人」だから、倖郚の芳点には立ち埗ない。

     #小谷野敊 は、基本的に「自信のない人」である。
    だから、「他者」を「間違ったもの」ずしお吊定排陀したがる。あるいは「東倧卒ずいう孊歎」を殊曎に誇瀺しお、自身を鎧わなければならない。
    圌は「被害者意識」が匷く、他者を信じない。だから、嫌われやすくもある。぀たり、可哀想な人なのだ。

    付蚀 ここたでの「小谷野敊に関する䞃぀のツむヌト」で、#小谷野敊 ずいう人の「問題点」や「奇矯さ」の意味が、おおむね説明できたのではないか。
    小谷野ず違い、私は「他者や倖郚」を吊定するのではなく理解したい。それは「他者や倖郚」が、恐る察象ではなく、興味を唆る察象だず感じられるからだろう。

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     【補蚘】2021.06.11

    今頃になっお削陀されたしたので、再アップしおおきたす。やっぱり犯人は、文芞評論家の小谷野さんでしょうか

    Twitterでブロックした埌に、陰口ツむヌトをするような人ですから、疑われおも仕方ないですよね。

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