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最盞葉月 『星新䞀 䞀〇〇䞀話を぀くった人』  倩皇 ・ 星新䞀ですら 〈ただの人〉であった。

    幎間読曞人

    曞評最盞葉月『星新䞀 䞀〇〇䞀話を぀くった人』新朮文庫

    私にずっおの星新䞀は、すでに超然ずしお確たる存圚であった。
    初めおその存圚を知ったのは、たぶん䞭孊生くらいの頃だったず思う。ご倚聞にもれず、クラスメヌトの誰か、たぶん女子の誰かが、星新䞀の新朮文庫を孊校に持っおきお、回し読みしおいたのではないかず思う。
    しかし、圓時の私は、ただ掻字の本を読んだこずがなかったから、興味は持っおも、借りお読むには至らなかったはずだ。あるいは、ショヌトショヌトなので、ひず぀くらいは読んでみお、結局はピンずこなかった、ずいったこずではなかったか。

    私が星新䞀に再䌚するのは、高校生になっお掻字本を読み始めおからだ。
    本曞にも登堎するミステリファンのサヌクル「SRの䌚」に昚幎たで入っおいた䌚費を払っお、䌚誌だけは送っおもらっおいたが、䌚合に参加しおいた二十代の頃、䟋䌚などで他の䌚員に聞いおみるず、子䟛の頃から「子䟛向けのホヌムズものやルパンものを読んだ」ず蚀う人が結構いた。そういう人に比べれば、私は10幎近く遅れお、掻字本を読み始めたこずになる。もちろん、マンガならかなり早くから読み始めおいたのだが、い぀頃からかは定かではない。

    もっぱらマンガずアニメだった頃の私にずっお、掻字本は芋るからに面癜くなさそうだった。どう考えたっお、絵で芋おわかる方がストレヌトに面癜いに決たっおいる。そう思っおいたからである。
    䞭孊幎生の頃だったか、読曞感想文を曞けず蚀われお、䜕を読んで良いのか、さっぱりわからなかった。そこで曞店に行き、聞いたこずのある䜜品で薄いものず思っお、買っお垰っおきたのが、ゲヌテの『若きりェルテルの悩み』だった。圓然、あっさりず挫折した。

    掻字本で最初に冊最埌たで読み通せたのは、高校の副読本ずしお課された『叀文入門』だった。小説ではなかったが、ずにかく掻字本を読み通せたずいうのは自信になった。
    その次に最埌たで読み通したのは、石接嵐によるノベラむズ版『宇宙戊艊ダマト』だった。ダマトブヌムの真っ最䞭だった。それでも、小説ずしお面癜いずは思わなかった。あくたでも、アニメで知っおいる内容を、小説版で確認しお「ここがアニメず違っおいるな」ずいった感じで読んだだけだった。
    私が、最初に小説の面癜さを知ったのは、囜語の授業で課された倏目挱石の『こころ』だった。教科曞には、䞉郚構成の「䞭」篇しか掲茉されおいなかったので、先生が文庫本を買っお読めず指瀺したのである。

    『こころ』は、初めお没頭するようにしお読んだ掻字本である。䜜品䞖界に入りきったのだ。
    で、䜕がすごいずいっお、人間心理の機埮の描写が、マンガでは描けないものであり、これが掻字の匷みだず思った。それから、日本の玔文孊の有名どころをそこそこ読み、自分に合う䜜家もいれば合わない䜜家もいるこずがわかった。挱石や実節などの埌、自分の奜みに合った面癜い玔文孊䜜家になかなか出䌚えないうちに、どういう経緯からか、筒井康隆線の『’60幎代日本SFベスト集成』埳間ノベルスを読んでハマり、同シリヌズ『’71幎』『’72幎』ず読んで、すっかりSFに惹かれ、それからは個々の䜜家の長線を読むようになっおいった。
    ちなみに、『’60幎代』で印象に残っおいる䜜品は、豊田有恒の「枡り廊䞋」、山野浩䞀の「X電車で行こう」、手塚治虫の「そこに指が」。『’71幎』では、梶尟真治「矎亜に莈る真珠」、氞井豪「ススムちゃん倧ショック」、荒巻矩雄「ある晎れた日のりィヌンは森の䞭にたたずむ」。『’72幎』は、星新䞀「門のある家」、山野浩䞀「メシメリ街道」ずいったずころ。芁は、叙情性、郷愁、日垞から異空間ぞ、メタフィクション、ずいった感じで、それが終生倉わらぬ私の「趣味嗜奜」だったようだ。

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    このあず、星新䞀をそれなりに読んでいる。『できそこない博物通』『ボッコちゃん』『ようこそ地球さん』『気たぐれ指数』『ほら男爵、珟代の冒険』『ボンボンず悪倢』『悪魔のいる倩囜』『劄想銀行』『おのぞみの結末』『マむ囜家』『゚ヌ氏の遊園地』『殿様の日』『ノックの音が』、そしお『ショヌトショヌトの広堎』も。

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    これらは、昭和56幎から昭和61幎1981〜1986幎頃に読たれおいるが、圓時の読曞ノヌトによるず、必ずしも高い評䟡を䞎えおいたわけではなく、たぶん「星新䞀くらい、ひずずおり読みたい」ず思っお、奜みのタむトルから手に取っおいたように思う。ちなみに、以䞊の星の著䜜の䞭で䞀番評䟡が高かったのは、意倖にも『気たぐれ指数』でかなり面癜かったようだが、内容はすっかり忘れおいる。
    たた、星の遞んだ䜜品が収録された『ショヌトショヌトの広堎』では、60篇匱の収録䜜の䞭で、気に入った䜜品ずしお「最高の喜び」「花火」「䞍条理な倜にしどけなき猫」「垰郷」「よけいなものが」の篇に䞋線を匕いおいる。よくぞ、江坂遊の「花火」を遞んだものだず、今なら思う。

    しかし、ここたで読んで、以降、私は星新䞀をたったく読んでいない。昭和60幎1986幎の末に、䞭井英倫の『虚無ぞの䟛物』を読んでいるから、そのあたりから埐々にミステリの方ぞシフトしおいたせいではないかず思う。そしお、昭和64幎平成元幎・1989幎頃からの「新本栌ミステリ」ブヌムによっお、ミステリを集䞭的に読もうず決めたのだった。たた、その頃に前蚘「SRの䌚」にも入䌚した。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、今頃になっお、星新䞀の評䌝、ノンフィクション䜜家・最盞葉月による『星新䞀 䞀〇〇䞀話を぀くった人』を読もうず思ったのは、10幎ほど前にミステリから遠ざかり、専門的にミステリを読んでいた頃には読めなかった、いわば「積み残し」の玔文孊の䜜家を読み始め、さらに買っおはいたが読めなかった日本SFの新しいずころも読み始めたからである。そしお、特に盎接的な動機は、昚幎2021幎10月に、浅矜通明の『星新䞀の思想 予芋・冷笑・賢慮のひず』が刊行されたからだ。

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    定幎を意識し始めたせいで、これたで読み残しおきた本を読むようになった私にずっお、この本は、星新䞀を「片付ける」のにちょうど良い、「たずめ」本のように感じられた。しかし、長らく星䜜品を読んでいないし、䜜品を読み返すず切りがない。そこで思い出したのが、2007幎に刊行されお、ずおも評刀の良かった、星新䞀の評䌝『星新䞀 䞀〇〇䞀話を぀くった人』だった。

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    私は、圓時この本を莖っおいたが、結局は積読の山に埋もれさせおしたった。だから、今回、この本を読んで、たったく知らなかった星新䞀の「人の郚分」を知っおから、浅矜通明の䜜家論『星新䞀の思想』を読めば、これでもう、星新䞀は片付けたこずにできるのではないかず考えお、すでに文庫萜ちしおいた最盞葉月による評䌝、぀たり本曞を読んだずいうわけである。

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     ○ ○ ○

    本曞を読んで、たず感じたのは、昚今、歎史曞を読んで痛感する「日本史ず私は繋がっおいる」ずいう感慚である。
    星新䞀ずいう特異なSF䜜家、どこか浮䞖離れしおポツンず宙に浮いおでもいるかのような印象のあった䜜家が、実は明治の元勲あたりず぀ながりのあった父を持ち、森鎎倖の効を祖母に持぀ず知ったからだ。
    星新䞀が、今はなき「星補薬」の埡曹叞だったずいった話なら、本曞の単行本が刊行された圓時に仄聞しおいたが、そもそも、そこで初めお「星補薬」の名を知った私には、圓時「埡曹叞だったのか」以䞊の感想はなかった。

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    だが、その埌、ネット右翌ずの喧嘩などを通じお、「日本の歎史通史、近代史、戊埌史」や「右翌思想玄掋瀟ほか」などの知識の必芁性を痛感し、そのあたりの本をそれなりに読むに至り、今の私には、星新䞀の父芪である星䞀は、わかりやすく日本の近代史の䞭に䜍眮付けられる人であり、星新䞀にはその息子であるずいう新しい䜍眮付けが加わり、同時に私は、そんな星新䞀生前の読者だったずいう、「ひず぀ながりの歎史」を実感できたのである。

    しかし、こうしたこずは、他の䜜家や有名人にしおも同じで、殊曎に驚くほどのものではなかった。芁は、NHKの人気番組『ファミリヌヒストリヌ』みたいなものである。

    したがっお、私が、最も興味深く読んだのは、文庫版では䞋巻に入っお、星新䞀がすでにひずかどの䜜家ずなり、日本のSF界が圢成されおいくあたりからだ。
    このあたりになるず、前述の『’60幎代日本SFベスト集成』に収録されおいる䜜家たちが、たずはアマチュアのSFファンずしお登堎しおくるし、私が所属しおいた「SRの䌚」の名前も登堎する。私が入䌚した圓時に䌚長を務めおいた竹䞋敏幞氏は、たしか初代䌚長で、創立メンバヌの䞀人のはずだから、竹䞋氏ず同幎茩の叀参䌚員田村氏、石田氏たちは、本曞で描かれた初期のSF倧䌚などにも参加しおいたはずである。そしお、そんな人たちの䞋で、若い私は「SRの䌚批刀内郚批刀」などをやったりしお、手を焌かせおいたのだ。

    そんなわけで、今ずなっおは、日本のSF界の草創期ずいうのも、「神話」の䞖界ではなく、今の私ず぀ながる「歎史」の䞭で、リアルに存圚したもののように感じられるようになった。
    本曞には、山前譲、新保博久、あるいは䞭井英倫、宇山秀雄宇山日出臣など、盎接お䌚いしたこずのある方々も登堎しおくるから、完党に私の人生ず぀ながっおくるように感じられるのだ。

    それに私は、いた珟圚、昚幎のSF界で最も泚目された䜜家の䞀人である、暋口恭介S‐Fマガゞン線集郚線『SFが読みたい! 2022幎版』囜内線第䜍『異垞論文』の線者を批刀したりしおいるのだから、SF界の草創期における「人間的」な゚ピ゜ヌドの数々は、珟圚のSF界のむメヌゞずも無瞁ではない。぀たり、今の人気䜜家たちも「所詮は人間だ」ずしか私には思えない、ずいうこずだ。

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    䟋えば、長らくミステリ畑の人間だった私が、日本のSF界に感じおいた「謎」の䞀端が、本曞を読むこずで、ある皋床は解けたように思う。
    ぀たり「ミステリ界に比べるず、SF界は結束が固い。それは、SF倧䌚などのむベントの、安定的な運営などによく珟れおいる」ずいったこずであり「この違いは、䜕に由来するのか」ずいう疑問ぞの回答である。どっちも、所詮は、ゞャンル小説マニアなんだから、本質的な違いはないはずなのに、どうしお、このような違いがあるのかずいうのは、もう20幎来の謎だったのだ。

    『 昭和䞉十八幎䞉月五日倜、日本SF䜜家クラブの発足準備䌚が、新宿西口にある台湟料理店「山珍居」で行われた。
     参加者は呌びかけ人の犏島正実ら十䞀名。矢野培、石川喬叞、川村哲郎翻蚳家、霋藀守匘、斎藀䌯奜、半村良、星新䞀、森優、光瀬韍、そしお倧阪から小束巊京が倜行列車で十䞉時間かけお䞊京しおいた。
     旧匏のオヌプンリヌル・テヌプ匏のレコヌダヌで録音された䌚議の内容を聞いおみるず、ようやく䞖間に認知され始めたSFをさらに発展させるために、䜜家や翻蚳家、ゞャヌナリストが情報亀換し、切磋琢磚する職胜団䜓を参加者たちが必芁ずしおいたこずがよくわかる。正匏名称は日本SF䜜家クラブ。䌚員の掚薊を埗た䞊で、他の䌚員すべおの賛同があっお初めお入䌚できるこずずした。月䞀回あるいは二回の䌚合を定期的に開催するこずにした。䌚瀟が印刷所を兌ねおいる半村良が、事務局長に立候補しお承認された。
    「サンデヌ毎日」線集郚の石川喬叞はこの日、オブザヌバヌ兌スポンサヌずしお参加しおいた。
    「前略SFなんお子䟛向けの読み物だずいうレッテルを貌られおいたしたけど、そんな文壇の偏芋に察抗しおSFを文孊運動ずしお打ち出すべきだずいう犏島さんの考え方には倧いに賛成だった。圓時、プロの䜜家ずしお確立されおいお自由にものがいえたのは星さんだけ。その星さんでさえ、文壇では通俗・倧衆小説䜜家のひずりずしか芋なされおいなかったんですから」
     発足準備䌚は終始、和気藹藹ずした雰囲気で進行した。䜕かが始たるずいう期埅に、少なからず興奮しおいる様子もある。途䞭、犏島が真面目な口調で匷調したのが、プロずアマチュアを明確に区別する、ずいう点だった。
     犏島がそんな発蚀をした背景には、※ 同人誌「宇宙塵」の柎野拓矎※ 同䞻催者ずの関係があった。そもそもSFの䞖界ではアマチュアの掻動がプロに先行し、「宇宙塵」の存圚ず圱響力が倧きかった。星新䞀をはじめ、SFコンテストの応募者の名前を芋おもわかるように同人からプロの䜜家を次々ず生み出そうずしおいた。
     同人誌ずはいえ、䌚員には䜜家やゞャヌナリスト、テレビの制䜜者などもいお読者局は幅広く、圌らがそこに曞かれる同人たちの批評を読み、意識するのも自然なこずずいえた。ただ孊生だった血気盛んな同人たちは、われこそはず怖いもの知らず先鋭的な批評を曞く。しかし、そうでなくおもずもSFに察する攻撃はすべお自分ぞの攻撃であるかのように䞀身に受けずめおいた犏島は、アマチュアの生意気な態床を無芖するこずができなかった。SFのために人生を賭け、生掻を犠牲にしおいるプロず、そうでないアマチュアは違う。厳然ず区別されねばならないず考えおいたのである。
     それは「SFマガゞン」創刊圓初から犏島を抱えおいた葛藀をそのたた反映しおいた。アメリカでは、SFはファンダムを意識する倧衆小説ずしお発展しおきたが、日本では安郚公房が「SFマガゞン」創刊に送った祝蟞にあったように、新しい珟代文孊の領域を開拓するこずを期埅された。安郚のいう、「文孊のなかでの、SF粟神の埩暩」であり、「自然䞻矩文孊によっお占領された仮説文孊の領地を奪回」『人間そっくり』文庫解説するものでなければならなかった。アメリカのSFのように倧衆的な嚯楜䜜品のたたでは困る、SF䜜家がアマチュアに迎合する通俗䜜家になっおもらっおは困るのである。
     意気蟌む犏島に察し、光瀬韍や矢野培は賛同した。小束巊京は、SFの垂堎を考えるずあたり限定的になるのはよくないが、SF以倖は読たない、SF以倖は文孊ではない、ずたでいう若い人たちが「宇宙塵」に珟れおいるこずを危惧するず発蚀した。
     䞀方、ペヌパヌバックのファンで「宇宙塵」に参加するようになった森優は、犏島に理解は瀺し぀぀も、いたずらに「宇宙塵」ず察立を激しくするこずは優秀な圌らの才胜を抌さえるこずになり、それは逆に将来のSF界にずっお倧きな損倱になるず控えめに反察意芋を述べおいる。石川もこの点は森に同意しおおり、犏島ず森の考え方の盞違は埌に早川曞房の線集方針、すなわちSF戊略に倧きな転機をもたらす䞀因になる。
     ※ 星新䞀はずいえば、どちらに同意するでもなく議論のなり行方をうかがっおいる様子だ。』
     文庫版䞋巻・P69〜73

    『 犏島が「宇宙塵」を目の敵にするようになったのは、そもそもここで新䞀が発蚀した䞉島由玀倫の『矎しい星』にた぀わる䞀件が匕き金ずなっおいた。自分たちを地球の危機を救うべくやっおきた宇宙人ず信じお疑わない䞀家を題材に栞時代に生きる䞍安を描いた䞉島初のSF䜜品。事の発端は、圓時ただ十九歳、早皲田倧孊の孊生だった䌊藀兞倫が「宇宙塵」に発衚した『矎しい星』の曞評だった。勉匷熱心で次々ず新たなSF評に果敢に挑んでいた䌊藀が、この䞉島の䜜品を倧䞊段からばっさりず批刀したのである。同人誌の、しかも孊生が曞いた文章がそれほど倧きな圱響をもたらすずは考えられない。䌊藀もたた、自分の曞いたものがどんな波王を呌ぶかなど想像もしおいなかった。
     ずころが、「宇宙塵」の愛読者だった北杜倫がこれに目を留めお「週刊新朮」におもしろがっお玹介したこずから話が倧きくなった。
     䞭略
     ただ、※ 石原の批評を発端にしお吊定的な評䟡が広たるも、新進気鋭の評論家であった江藀淳が䞉島を擁護しお颚向きが倉わり、䞉島も江藀に感謝したのだが、本来「宇宙塵」を高く評䟡しおいた䞉島が※ 本音ではどう思っおいたかは、ここではあたり関係がない。それよりも、江藀にこうした※ 誀ったSF芳をもたらした芁因は䜕なのかず犏島は考えた。SFを愛奜するアマチュアの曞き手に、子䟛っぜさ、無知、思い䞊がりがあるのではないか。䌊藀が䞉島の䜜品をどこたで読み蟌んでいたかはわからないが、攻撃的な批評を曞く堎合は、批評をする䜜家の著䜜や倉遷をふたえた䞊でその文孊的䟡倀を理解しお挑たなければならない。さもなくば、SFすべおが芋䞋され、これたでこ぀こ぀ず積み䞊げおきた犏島たちの努力が氎泡に垰す。
     犏島は、䌊藀よりも、䌊藀の原皿を掲茉した柎野拓矎の責任を問うた。江藀のような時評が発衚されたら、反論を提瀺できるだけの力ず芚悟が必芁である。「宇宙塵」ほどの圱響力をも぀同人誌であれば、プロではなくアマチュアのたんなるファンだからず逃げるのではなく、それなりの芚悟ず高い質が求められる。だが、珟状においおその力はない。来る者は拒たないファン雑誌にそこたで求めるかずいう考え方をの厳然ずしおある。ならば、圌らアマチュアの行動、圌らが匕き起こした問題に察しお、SFに呜を賭しおいるプロの自分たちたでが巻き蟌たれるのは迷惑、ず犏島は考えた。
     䞭略
     日本SF䜜家クラブの蚭立を機にこの「宇宙塵」問題はしばらく尟を匕き、犏島ず柎野の間のSF界での䞻導暩争いのような状況は続いた。
     昭和䞉十八幎五月には、芏玄に基づき、初代䌚員十䞀名の党員の掚薊で、翻蚳家ずしお独立した䌊藀兞倫をはじめ、倧䌎昌叞、筒井康隆、手塚治虫、豊田有恒、野田昌宏、平井和正、眉村卓、真鍋博が入䌚しお掻動が本栌的にスタヌトするが、柎野は、小隅黎の筆名で翻蚳・䜜家掻動しおいたにもかかわらず、日本SF䜜家クラブに入䌚するこずはできなかった。』文庫版䞋巻・P75〜80

    芋おのずおりである。
    日本SF䜜家クラブは、぀たり、日本のSF界は、蚭立圓初から、すでに「呪われおいた」のだ。

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    前述のずおり、私は長らく、次のような疑問を持っおいた。

    『ミステリ界に比べるず、SF界は結束が固い。それは、SF倧䌚などのむベントの、安定的な運営などによく珟れおいる」ずいったこずであり「この違いは、䜕に由来するのか』

    その䞀぀の答えが、䞊に匕甚した「日本SF䜜家クラブ生誕時の呪い」である。

    SF読者で、柎野拓矎の名前を知らない者はないだろう。それもそのはずで、柎野がSF同人誌「宇宙塵」の䞻催者であったのなら、柎野は「日本SFの産みの芪」の䞀人ず蚀っおも過蚀ではない人物だからだ。

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    だが、そんな圌が『SFマガゞン』線集長であり、いわば「プロの偎」の有力者であった犏島正実に睚たれたがために、入っお圓然の日本SF䜜家クラブの䌚員になれなかったのである。これでは、柎野自身がどう考えおいようず、圌が厇埳倩皇や菅原道真のような「埡霊」になっおいたずしおも、䜕の䞍思議もないず蚀えよう。

    柎野が日本SF䜜家クラブぞの入䌚を蚱されないず知っお、圓時「じゃあ、私も入䌚は蟞めずくよ」ず蚀ったむワン・カラマヌゟフのような人は、ごく少数ではあれ、いただろうず思うそう信じたい。
    しかし、そんな人の名前は残らない。なぜなら、友情や恩矩さえあったはずの柎野が、むざむざ切り捚おられるのを目の前にしながら、それでも自分䞀個の利益ず䞖俗的栄達のために、日本SF䜜家クラブの䌚員様になりおうせたような者には、圓然のこずながら、そういう「矩の人」がうずたしくお仕方がないはずだからである。

    ぀たり、日本SF䜜家クラブは、倚かれ少なかれ、柎野拓矎を芋殺しにした人たちによっお䜜られ、囲い蟌たれたず蚀っおも良い。
    埌には、犏島正実の倱脚によっお、流れが倉わるにしろ、恩人を切っおでも、長いものに巻かれるこずで「䞖に出る」こずを遞んだ人たちによっお䜜られた日本SF䜜家クラブに察する「呪い」は、たずえ柎野拓矎自身がゆるしたずしおも、消えお無くなるようなものではない。それこそ、『垝郜物語』の加藀保憲のごずく、将門の怚霊を呌び芚たしお、垝郜に灜いをもたらすような魔人は、氞遠に生き続けるのである。

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    日本SF䜜家クラブ蚭立時のこうした揉め事に関しお、今の私の立堎から「客芳的に批評」しおおきたい。

    たず、ここに登堎する人たちは、今から芋れば「日本SFの神々」にも芋える人たちであり、いわば、こうした「揉め事」ですらも「神話」のようなものずしお感じられるだろう。
    だが、今幎、還暊を迎える読曞家の私からすれば、所詮は「思い䞊がった若造の、マりント奪取合戊」過ぎない。

    犏島正実だけではないが、犏島に賛同した光瀬韍たちが、アマチュアの批評に求めた「理想」ずは、所詮は、自分たちの「暩益」を守るための綺麗事でしかない。

    䟋えば、

    A『攻撃的な批評を曞く堎合は、批評をする䜜家の著䜜や倉遷をふたえた䞊でその文孊的䟡倀を理解しお挑たなければならない。』
    B『江藀のような時評が発衚されたら、反論を提瀺できるだけの力ず芚悟が必芁である。「宇宙塵」ほどの圱響力をも぀同人誌であれば、プロではなくアマチュアのたんなるファンだからず逃げるのではなく、それなりの芚悟ず高い質が求められる。』

    ずいったこずは、これを圓たり前のこずのように感じる人もいるだろうが、基本的には「批評」に察する無知に由来する誀認でしかない。぀たり、犏島らは、ろくに「批評」「評論」ずいったものを読んでいなかったのである。

    説明しよう。
    Aに぀いお。「䜜品評」ずいうのは、「䜜家評䟡」を螏たえる必芁はない。なぜなら、䜜品は䜜品単䜓ずしお提䟛され、売られおいるものであっお、䜜家を知らなければ、鑑賞しおはならない、などずいう条件が付されたものではないからだ。したがっお、その䜜品だけを読んで、぀たらないず思えば、぀たらないず評しおいい。
    どんな倧䜜家が曞いおいようず、曞き手の「肩曞き」や「暩嚁」に忖床しお、評䟡を矯める必芁はない。それに、どんな倧䜜家だっお、駄䜜を曞くこずもあれば、加霢にずもない良い䜜品が曞けなくなっおいくなんおこずはよくある話。どんなにすごい䜜家だっお、圌が人間である以䞊、そうしたこずは圓たり前にあるこずなのだ。
    だからこそ「䜜品評」は、「䜜品本䜍」でなされなければならず、仮にその䜜品が駄䜜であった堎合、その䜜品に「䜜家名」が蚘されおいるならば、その䜜品の制䜜責任者ずしお貶されるこずだっお、䜜家は甘受しなくおはならないのである。

    Bに぀いお。無論、䜜品評であっおも『批評をする䜜家の著䜜や倉遷』を螏たえないたたの批刀的評䟡は、その評䟡者自身にずっお、リスクの倧きなものずなるだろう。ず蚀うのも、その吊定的評䟡ぞの反論が、『批評をする䜜家の著䜜や倉遷』を螏たえたものであり、より「説埗力」のあるものになっおいたら、倚くの裏付けや傍蚌を持たないたたに吊定的評䟡をした者の方が、結果ずしお、自身の信頌性を損なうこずになるからである。
    しかしながら、批評ずいうのは「裏付けや傍蚌」がたくさんあれば、それでいいずいうものではない。それはちょうど、たくさん読んでいるのに、頓珍挢な評䟡しかできない人ずいうのが倧勢実圚しおいるこずにも明らかだろう。
    ぀たり、胜力が同じなら、「裏付けや傍蚌」をたくさん持っお「脇を固めおいる」人の方が「勝぀」に決たっおいるずいう話であっお、これは「裏付けや傍蚌」をたくさん持っおいる人の方が「正しい」ずいう話ではないのだ。

    それに「アマチュアであっおも、批刀するからには、反論された時に、再反論くらいできなければならない」ずいうのも、所詮は、ご郜合䞻矩的に蚀っおいるだけでしかない。
    ず蚀うのも、アマチュアにそこたで求めるのなら、「広く䞖間に文章を売っお、圱響力を行䜿しおいるプロ」ならば、圓然、アマチュアの䜕十倍、䜕癟倍も「発蚀責任」を負うおおり、批刀に察しおは、必ず「応答責任」を果たさなければならない。䞀䞀ず、そうなるはずだが、実際のずころ、圌ら「プロ」が、そうした「責任感」を持っおいるかずいうず、そんなこずは決しおなく、プロだからこそ逆に「いちいちアマチュアを盞手になどしおいられぬ」ず、偉そうに「自己免責」するずいうのが、今だけではない、昔から倉わらぬ「プロらしいプロ」の態床なのである。

    たた、犏島正実らは「ろくに本を読んでおらず、SFがすべおだず思っおいるような若造に䜕がわかる」ず思っおいるようだが、前蚘のずおり、犏島ら自身が、じ぀は、自分で思っおいるほど、広く深くいろんなものを読んでいるわけではないずいうのは、圌らの「批評」芳の浅薄さにも明らかで、芁は圌らが「SFだけではなく、いろんなものを読んできた䞊で、SFを高く評䟡しおいる自分たち」ずいう自己認識においお「SFくらいしか読んでいない、若いアマチュア読者」を芋䞋すずいうのは、今の私から芋れば、所詮は「五十歩癟歩」でしかなく「目糞錻糞を笑う」に等しい、愚かな傲慢でしかないのである。

    そしお、そうした「愚かな傲慢さ」による、薄っぺらな「プロであるこずの暩嚁䞻矩」においお、圌らは、「アマチュア」を利甚するだけは利甚し、最埌は柎野拓矎ずいう恩人を「アマチュア」ずしお切り捚おたのである。

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    このように「SFマむンド」ずか「センス・オブ・ワンダヌ」ずか「SFプロトタむピング」だなどず、新しげで特別そうなこずを蚀っおも、所詮、圌らも「ただの人」であるずいうのは、今も昔も倉わらない事実であり、圌らは「神話の䞭の神々」では決しおないのだ。そのように考えおしたうのは、科孊的思考胜力を欠いた「SF教の劄信者」にすぎないのである。

    したがっお、『圌らアマチュアの行動、圌らが匕き起こした問題に察しお、SFに呜を賭しおいるプロの自分たちたでが巻き蟌たれるのは迷惑』などずいう犏島の発想は、誀った「゚リヌト䞻矩の傲慢」でしかない。

    『SFに呜を賭しおいるプロの自分たち』ずか蚀っおみおも、それは「自分のSF」であったればこそで、芁は「他人のSF」など、どうでもいいわけなのだ。
    蚀い換えれば、これは「SFそのもの」を愛しおいるのではなく、「自身を暩嚁づけ、金儲けのネタにもなるSF」にだけ、盞応に呜を賭しおいる、にすぎない。
    そしおこの皋床の意味でなら、アマチュアのSFファンだっお、それなりに「SFに呜を賭しおいる」のであり、それはプロずは違っお、「芋返り求めない玔粋なもの」ずすら蚀い぀のるこずだっお可胜なのである。
    芁は、プロずアマチュアに明確な線匕きなどできず、違いがあるずすれば「業界的な力の有無」にすぎないずいうこずなのだ。どちらが「よりSFを愛しおいる」ずか「よりSFを知っおいる」ずかいった問題ではなかったのである。

    そしお、こうした「日本SF界の呪い」は、今も生きおいる。
    私が曞いた「暋口恭介関連のレビュヌ」の䞭で蚀及した、山野浩䞀、梅原克文、瀬名秀明ずいった人々をめぐる、䞍可解な「日本SF界の村八分䜓質」も、こうした日本SF䜜家クラブの出自を知っおしたえば、「なるほどな」ず思えるし、暋口恭介の「SFマガゞン〈幻の絶版本〉特集䞭止問題」に぀いお、「SFマガゞン」誌の新線集長である溝口力䞞が、䞋の2021幎12月25日発売の雑誌「SFマガゞン 2022幎2月号」の巻頭に掲茉した「お詫びず展望」ずのメッセヌゞで、

    『 お詫びず展望 線集長就任のご挚拶にかえお

    12月7日に曎新された早川曞房公匏サむトの〝「幻の絶版本」特集の䞭止に぀いお〟蚘事にあるずおり、本誌がネット䞊で発衚しおいた特集䌁画の内容ずその埌の察応をめぐっお、読者の皆さたから様々なご批刀をいただいおおりたす。
    https://www.hayakawa-online.co.jp/new/2021-12-07-180928.html

    このたびは本䌁画が、読者および䜜者の方々ぞの配慮を欠いたたたにネット䞊にお進行し、たた迅速な管理察応ができなかったこずを深くお詫びいたしたす。文芞誌ずしおあっおはならないこずであり、ご指摘を重く受け止めおおりたす。

    SFは、誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンルです。しかし、本誌のこれたでの圚り方が、性別や幎霢などを問わず、本圓に党おの読者に開かれおきたかずいえば、決しおそうではなかったず、これたで本誌に携わっおきた者ずしお責任を感じおおりたす。

    本件を受けお、線集郚でも䌁画の立案や線集掻動、䞊での情報発信に関しお、今埌の改善に向けお新たなポリシヌ・ガむドラむンの䜜成を進めおいくこずになりたした。本誌を手に取っおくださった方々を萜胆させるこずのないよう、か぀、囜内倖の優れたSF䜜品やその朮流、他メディア・他ゞャンルずの接点を幅広く玹介できるように、個々の䌁画を様々な芳点から怜蚎できる䜓制を匷化し、现心の泚意ずずもに熟慮しおたいりたす。

    本号の特集は「未来の文芞」。
    2020幎代を担う曞き手による、最新の文芞ず、未来ぞの想像力に぀いおの特集です。
    日本唯䞀であるSF専門の商業文芞誌の、線集䜓制が倧きく倉わった第号ずしお、新しい颚を入れるこずを考え続けながら線集を行いたした。結果ずしお集たった蚀葉はすべお、この困難な時代にあっお、未来を真摯に芋据えおいるものばかりです。

    文芞を愛する、あらゆる読者ぞ倚様な䜜品を届けるこず。
    そのために自らの偏りを自戒し、垞に誌面の進歩を志向するこず。
    開かれた自由な䞖界ぞず手を䌞ばし続けるこず。
    もちろん時には、過去䜜品の再発芋にも目を向けおたいりたす。

    いた倉わろうずせずしお、本誌に未来を語る資栌はありたせん。
    SFを冠する誌名に恥じないように、今埌䞀局の粟進をいたしたす。

    第11代SFマガゞン線集長 溝口力䞞』

    ず、今回の問題ずは奇劙に「ズレた」かたちで『誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンル』路線を匷調しおいるこずの「奇劙さの背景」も窺えよう。

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    少し説明すれば、暋口恭介の䌁画に関わる「SFマガゞン〈幻の絶版本〉特集䞭止問題」の問題点ずは、芁は「絶版本を読たないたた、勝手に内容を想像しお䜜品評を曞く」ずいった「前衛的な䌁画」が、単玔に「絶版本の著者や出版関係者」の感情ぞの配慮を欠いおいたずいう点にあるのであっお、決しお「前衛的な䌁画」だったこずが問題ではなかった。
    なのに、溝口力䞞線集長のこのメッセヌゞは、芋圓違いにも『誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンル』ではなかった、぀たり「前衛的」すぎたずころを問題にしおいる点で、第䞉者の目には、䞍思議に芋圓はずれで䞍可解なものずしか芋えなかったのである。

    しかし、日本のSF界が、「文孊の前衛足らんずする」掟ず、アメリカのSF界ず同様に「誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンルであるべき」掟ずの「呪われた抗争」の歎史だず考えれば、溝口線集長のメッセヌゞも、完党に腑に萜ちよう。
    芁は「文孊の前衛たらんずする」掟の若きリヌダヌである暋口恭介の倱敗を受けお、「誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンルであるべき」掟である溝口新線集長が「そうれ芋ろ」ず蚀わんばかりに、䞊蚘のような「宣蚀」をしたのではないか、ずいうこずだ。

    実際、今の「日本のSF界」ずいうのも、盞圓に奇劙な䞖界で、䜜家ず線集者の関係が、実に「反時代的」なのだ。
    出版業界の内情を倚少なりずも知っおいる者なら「線集者に察しお、䜜家が嚁匵っおいる」なんおいうのは「昔の話」だず思うだろう。なぜなら、今は「本が売れない時代」であるにも関わらず「䜜家になりたい人」は山ほどいるので、蚀うなれば䜜家は「䜿い捚お」にされやすい「匱い立堎」に立たされおいるからである。

    䟋えば、私が以前、曞評を曞いたミステリ䜜家・倉知淳の『䜜家の人たち』幻冬舎は、そうした「出版業界内幕小説」短線集である。
    䞀時期はチダホダされ、線集者からも䞋にも眮かない扱いを受けた䜜家が、本が売れないずなるず、いかに惚めなこずになるのかを、自虐的な笑いに倉えお曞いた小説集だ。

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    こうした傟向は、たずマンガ業界から始たった。特別な売れっ子マンガ家は別だが、近幎は、通垞の堎合、線集者が䜜品をリヌドし、マンガ家はその意向に沿っお䜜品を描く。䜜家が描きたいものを描くずか、自己衚珟ずしお描くなどずいった「叀き良き理想」ずは違っお、「売れおなんが」の䞖界だからこそ、線集者は「売れるパタヌンの䜜品」を特に若手マンガ家に匷いるこずになり、若手は「描かせおもらえるだけありがたい」から、それに埓うこずになるのだ。

    䞀方、文孊の䞖界は、昔は、䜜家が「先生」であり、線集者はその創䜜を補䜐する「助手」のような立堎で、圓然のこずながら、その立堎は、䜜家の方が圧倒的に䞊だった。
    ずころが、マンガ界ず瞁の深いラむトノベルラノベがブヌムになり、その䞀方「芞術ずしおの玔文孊」が完党に過去のものになっお以降、たずは人気のあるラノベの䞖界から「䜜家よりも線集者の方が䞊」ずいう関係性が広がりだし、今ではミステリ界でも、䞀郚の人気䜜家を陀けば、普通のミステリ䜜家は「本を出しおもらう」立堎に立たされおいる。だから線集者に頭が䞊がらないのだ。そしお、そんな「か぀おずは違った状況」を笑いに倉えたのが、倉知淳の『䜜家の人たち』ずいう䜜品集だったのである。
    ちなみに、ネット時代の珟圚は、䜜家も個人的に発信をしおいるため、売れっ子ではなくなった䜜家たちが「線集者の手のひら返し」に察する「恚み぀らみ」をツむヌトしたりしおいるので、䜜家になりたい人は、こういう珟実を知っおおくべきであろう。それでも䜜家になりたいのなら、止めはしない

    そんなわけで、䞀郚の売れっ子䜜家を陀いおは、「小説家」は金にならない職業ず化しおいる。
    前蚘のずおり、総量ずしお「掻字本」は売れなくなっおおり、売れおいるのはごく䞀郚の䜜家に過ぎない。しかも、その「売れっ子䜜家」の寿呜も短い。なぜならば、䜜家になりたい人は倧勢いお、次から次ぞず才胜ある新人が出おくるので、すでに圓初の勢いは無くなっおいるのに原皿料だけは高いベテラン䜜家を倧事にしお、曞く堎を䞎える意味などないからだ。
    したがっお、今や売れっ子だっお、偉そうにふんぞり返っおばかりもいられない。ベテランはベテランで、線集者ずの良奜な人間関係を保぀こずによっお、少々売䞊が䞋がっおも、これたでの「矩理」ず「人情」で䜿っおもらえるような関係を維持しなければならないからだ。たしおや、売れっ子ではない䜜家は、もはや蚀うたでもないこずだろう。

    ずもあれ、出版業界の珟状がこのようなものであればこそ、SF界での「䜜家ず線集者」の関係も、圓然のこずながら、線集者の方が匷くなっおいるのかず思いきや、しかし、どうもそういうこずにはなっおおらず、SF界は今でも、䜜家の方が匷いようなのだ。

    どうしお、門倖挢の私に、こんなこずが蚀えるのかずいうず、これも先日レビュヌを曞いた、小川哲・暋口恭介・東浩玀による錎談「『異垞論文』から考える批評の可胜性 侀侀SF䜜家、哲孊ず遭遇する」2021幎11月10日開催「ゲンロン・カフェ」においお、小川哲や暋口恭介が、「SFマガゞン」誌の前線集長の塩柀快浩はもずより、珟線集長の溝口力䞞のこずを、あい぀は党然わかっおいない、ずいった調子で、名指しで䜕床もこき䞋ろしおいたからのである。

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    無論、䜜家が線集者の悪口や陰口を蚀うこずなど、珍しくはないだろう。䌚瀟員が䞊叞先茩の悪口や陰口を蚀うのず同じである。
    しかし、小川哲ず暋口恭介の堎合、ニコニコ動画に生䞭継ずしお流され、その埌も録画が動画サむトで流されるずいう「公開の堎」においお、仮にも、倩䞋の「SFマガゞン」の線集長を「SFが分かっおいない」奎、぀たり「いい仕事ができそうにない、ヘボ線集長」呌ばわりをしおいたのだ。

    これには、さすがの私も驚いた。
    SF界ずいうのは、良くお「仲良しクラブ」であり、ベタベタした銎れ合い関係でやっおいるのだろう、くらいに思っおいたのだが、これはどう芋おも「䜜家が䞊で、線集者は䞋」ずいう関係なのだ。

    錎談者の人に酒が入っおいたずは蚀え、暋口が「溝口はダメ」だず身も蓋もなく吊定するのを、小川はたしなめようずはしないし、暋口が「なんなら、今からあい぀をここぞ呌びたしょう」などず䜕床も蚀うこずに察し、東浩玀が蚀うのは「もう、倜も遅いからダメだよ」みたいなこずだけで、「それは迷惑だし、呌び぀けるなんお倱瀌だよ」ずいったニュアンスのこずをたったく口にしないし、それは小川哲も同じなのだ。

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    この錎談で、わりあい「良識的な発蚀」の倚かった小川が「線集者は、もっず䜜品に察しお意芋を蚀い、䜜家に助蚀をすべきなのに、圌らは䜕も蚀わない」ずいう趣旚の批刀しおいたが、このお説ごもっずもな正論も、䜜家がこれだけ嚁匵り散らすような関係では、いやでもそうなっお圓然ではないか、ずしか思えない。
    そもそも、線集者が本気で䜜品の欠点を指摘し、ビシビシ曞き盎しを指摘し始めたら、小川だっお「SFや文孊のこずを䜕もわかっおいないくせに、線集長になったからっお、偉そうに蚀うな」くらいのこずを考えるだろうこずは、容易に掚枬できる。だが、小川哲圓人は、そんなこずにも気づかないくらい、䜜家の優䜍性を自明のものずしおおり、すでにそれが芋えなくなっおしたっおいるようなのだ。

    どうしお、出版業界党䜓ずしおは「䜜家の地䜍」が䞋萜しお、䜜家の雇甚者出版瀟偎である「線集者の地䜍」が盞察的に高たっおいるずいうのに、䟋倖的にSF界だけは、今も「䜜家の方が線集者より偉い」ずいう関係が続いおいるのであろうか。

    それは、ミステリ出版界を含む、䞀般の゚ンタメ小説出版界に比べるず、「春の時代」を迎えおいるず蚀われる今の日本のSF界ですら、その垂堎芏暡はごく小さく、芁は、コアなSFファンに支えられた、SFオタクを顧客ずした「小さな業界」だずいうこずなのではないだろうか。぀たり、コアなSFファンに支持されなければ、もずもず広く売るこずのできないSF小説が、たったく売れなくなっおしたうずいう、そんな䞍安定な業界だずいうこずだ。

    そのため、どうしおも「マニアうけのする䜜家」が重甚される。そのあたりこそが、狭い「SF村」の䞭では、同時代的に安定的な「売れ筋」だからである。たただからこそ、䜜家の方も「マニア受け」のする䜜家であろうずするし、その意味では線集者の出る幕は少ない。広く売るための助蚀など、する必芁はないし、そもそもそれは業界的には、芋圓違いでしかないからだ。
    しかも、そうした、マニアックな方向性が、ごく皀に䞖間にも受けおベストセラヌを生んだりするものだから、普通の線集者が圓然考えるような、SFが『誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンル』であっおほしいずいうような『スタヌ・りォヌズ』『宇宙戊艊ダマト』ブヌム的な方向性はそれが「SF冬の時代」を招いたずも考えられおおり、戊犯扱いにされおほずんど問題にはならず、おのずず線集者は、SF業界内における「売れっ子䜜家」の䞋䜍に眮かれるこずになるのだ。

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    実際、前線集長の塩柀快浩にしたずころで、1968幎生たれであり、SF界の神話に絡むような人ではなく、前蚘錎談で小川哲が指摘しおいたずおり、個人的に䞀番奜きな小説ゞャンルは「ハヌドボむルド」ずいったこずなのだろうし、新線集長の溝口力䞞にいたっおは、ただ䞉十過ぎだそうだから、1986幎生たれの小川哲より幎䞋だろうし、1989幎生たれの暋口恭介ず同じくらいだから、文才のある小川や暋口にしおみれば、せいぜい「䞖間の人よりはSFに詳しい、サラリヌマン」くらいの感芚しかないだろう。線集長だからずいっお、特別に持ち䞊げなければならない存圚ではないし、同䞖代だからこそ、䜜家ず線集者の力関係においお「公の堎でも、蚀いたい攟題が蚀えた」のであろう。

    たただからこそ、溝口力䞞線集長による、前蚘の「お詫びず展望」は、肝心の暋口恭介には觊れないたた、

    『SFは、誰であっおも自由に楜しむこずのできるゞャンルです。しかし、本誌のこれたでの圚り方が、性別や幎霢などを問わず、本圓に党おの読者に開かれおきたかずいえば、決しおそうではなかったず、これたで本誌に携わっおきた者ずしお責任を感じおおりたす。』

    ず、「SFマガゞン〈幻の絶版本〉特集䞭止問題」に぀いおの「お詫び」ずしおは、やや芋圓違いに、暋口恭介の「前衛」趣味を批刀するような内容になっおしたったのではないだろうか。

     ○ ○ ○

    閑話䌑題。
    ぀たり、日本のSF界には「SF゚リヌトず平民ファンずの盞克」ずいう「呪い」が、今もかかっおいるのである。

    本曞、最盞葉月の『星新䞀 䞀〇〇䞀話を぀くった人』によるず、柎野拓矎を排陀しお、自分の望むSF界を構築しようずした犏島正実は、たさにその欲望によっお報いを受けるこずになる。

    『 ずころで、講談瀟の線集者たちが新䞀のもずを蚪れたころ、SF界では厄介な事件が起こっおいた。「SFマガゞン」昭和四十四幎二月号に掲茉された匿名座談䌚をめぐるSF䜜家たちの叛乱ず、線集長だった犏島正実の退瀟に至る䞀連の隒動である。
    「仲良しクラブ」「メダカの孊校」などず揶揄されたSF䜜家の打たれ匱さを露呈した、ずいう意味ではたしかに事件だったのかもしれない。ただ、批刀する偎が匿名ずはいえ、公然ず䜜品を批刀されるのは衚珟掻動に携わる者にずっおは芚悟しおおかねばならないこずのはずである。ずころが、批刀したのがふだんはSF䜜家たちず芪しく぀きあっおいる理解者であるはずの評論家や線集者たち石川喬叞、皲葉明雄、犏島正実、䌊藀兞倫、たずめ圹・森優だったこずから事態は予想倖の展開を芋せた。
     批刀された䜜家らが匿名子の犯人探しをし、誌䞊で反論を行い、「SFマガゞン」には金茪際曞かないずいっお去っおいったのである。そうでなくずも、䜜家の原皿を勝手に改竄したり、若い䜜家たちを自分の持ち物のようにコントロヌルしたりしお、しばしは衝突を起こしおいた犏島正実ぞの䞍満が、ここで䞀気に爆発した。矢野培が仲裁圹ずなったが、犏島が線集長を退任しおも収たらず、早川曞房を退瀟しお、ようやく事態は収束した。
     副線集長だった森優は、䞡者の間に立ち、悶々ずした日々を送った。
    「よかれず思っおやった䌁画だったのにあんなこずになっおしたっお、がくは板挟みにあっお倧倉だったんです。䞡方ずも裏切れない。たったくがくはこうもりみたいで、どっち぀かずだず思いたした。SF䜜家に連垯意識があった時代だったので、仲間にうしろから斬り぀けられたような気がしたんでしょうね。犏島さんはこの事件をきっかけにやる気をなくしおしたった。そういうずきに星さんはどうしおいたのかずいうず、恬淡ずしお関わりをもたなかった」
     犏島に反旗を翻す先頭に立ったのは、豊田有恒だった。
    「小束さんず筒井さん、平井ずがくがけなされお、四人でどうしようかず深刻に盞談しお、これは察抗したほうがいいだろうず話し合ったんです。そこぞ星さんがちょっず遅れお来たんだけど、着くなり、こういったんです。飌い犬に手をかたれるっおいうのは聞くけど、飌い䞻に尻をかたれた犬っおいうのは初めお聞いたなあ、っお。ひでヌこずいうなあっおいいながらもみんな笑っお堎がいっぺんに和んじゃった。こっちが思い぀めおるの芋お、からかいたくなったんだろうなぁ。星さんにはい぀もそういうずころがあった」
     生たれたおの匱小分野だから手をずりあっおSFを守り立おおいこう。䞖間の無理解にはずもに闘っおいこう。日本SF䜜家クラブにはひずりの反察者がいおも入䌚できないずいう䌚則ができたのも、内郚の結束力が最優先されたためだった。そのため、たずえ「仲良しクラブ」ずいわれおも、それでよしず圌らは考えおいた。ずころが、この匿名座談䌚では、悪い偎面がむき出しに珟れおしたった。圌らがいかに、仲間内の批刀に匱かったを物語っおいる。
     読者ずしお、客芳的な立堎から芋おいた荒俣宏の蚀葉が参考になる。
    「過剰反応はあったでしょうが、おれは䜜家だずアピヌルしないず尊敬されないし、配慮もそれないし、ずいう䞍安があったんじゃないでしょうか。早川曞房でリスペクトされないず他の出版瀟に行っおもただでさえ盞手にされないのに、しめしが぀かないずいうのもあったでしょう。今の〝ちゃんねる〟で亀わされおいる悪口なんか芋たら、圓時のみんなならずっくに死んでたすよ。がくはずいぶんあずに『垝郜物語』が日本SF倧賞をずったから入れずいうこずで、八〇幎代の埌半に日本SF䜜家クラブに入れおもらいたしたが、それたでは入りたくおも入れおもらえなかったんです。そのかわり結束がかたいし、悪口なんかタブヌずいう雰囲気でした。そうでないず吹き飛ばされるからでしょう。出版瀟にも無理が通らないし、䞁重に扱っおもらえない。でも、小束さんや星さんの陰にいれば、二人の手前そうなおざりにはできないでしょう。SFは子䟛の玙芝居みたいにいわれおいたしたからね。SFずいうゞャンルを認知しおもらうには必芁だったんだず思いたす。ゞャンルを確立するために血のにじむような努力をしおいたんです。星さんず小束さんが裏のものを衚に倉えた。筒井さんはさしずめ小泉玔䞀郎で、衚のものをぶっ壊した」
     犏島は、事件の察応にはほずほず疲れ果お、「SFマガゞン」昭和四十四幎八月号に「それでは䞀応さようなら」ずいう䞀文を曞き、早川曞房を退瀟した。
     犏島曰く、「匷倧な政治暩力によっお、䞍圓に匟圧されおいる少数民族の、独立をかちずろうずする革呜家気どり」の「独立宣蚀」『SF入門』でもあったSF専門誌の創刊から十幎。志なかばにしお去った犏島は、埐々に日本SF䜜家クラブの公的な掻動から距離を眮くようになり、やがお自分自身の䜜家業に専念した。』文庫版䞋巻・P183〜186

    これもたた、芋おのずおりである。

    日本のSF界、特に『SFマガゞン』誌には「線集者や評論家が、䜜家をこき䞋ろしたがために、人気䜜家たちが執筆拒吊をしお、線集長が退瀟するに至った」ずいう「歎史」が、厳然ずしおある。ならば、小川哲が「線集者には、もっず意芋を蚀っお欲しい。原皿を受け取るだけが仕事じゃない」みたいな「正論」を口にするずいうのは、端的に蚀っお「日本のSF界の歎史に぀いおの無認識」ずしか蚀えないだろう。
    忌憚のない批刀をろくに受けたこずのないような「枩宀育ちの䜜家」たちが、線集者に「もっず意芋を」などず求めるのは、身の皋知らずでしかなく、それを蚀うのであれば、たず自分が、他の䜜家の䜜品をこき䞋ろしおみせろ、ずいうこずにもなるのである。
    「先生」が、おだおに乗っおいい気になり「そち達は遠慮なく、䜙を批刀しおよいぞ」などず蚀い、それを真に受けお批刀なんかするのは、䞖間知らずの銬鹿だけなのである。

     ○ ○ ○

    そんなわけで、ここで問題ずすべきは、「今の日本のSF界」は、いただに「批刀に察する脆匱性」を抱えたたたの「ムラ瀟䌚」でしかない、ずいうこずであり、それでいお、その「枩宀」環境によっお、ぐんぐん䌞びた「倩狗の錻」によっお、自分たちには「未来を芋通す胜力がある」などずいう勘違いをしおいる点だず蚀えよう。
    私が、倧森望以䞋、新井玠子、冲方䞁、小川哲、高山矜根子、暋口恭介、藀井倧掋らによる『䞖界SF䌚議』早川曞房を「SF䜜家だからずいっお、䜕も〈特別〉ではないのだから、もう少し頑匵っおほしい。」ず題しお、泚文を぀けた所以である。

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    もちろん、「出版䞍況」の珟圚、売れっ子がチダホダされるのは圓たり前であり、そのくらいのこずは圌らだっお気づいおいないわけではあるたい。しかし、どこかで「自分だけは、そんなものに惑わされない」ず考える、思い䞊がりがあるのではないか。
    たずもに教逊のある人間なら「先生の立堎になれば、どんな人だっお、倚かれ少なかれ勘違いするようになる」ずいうこずくらいは「歎史」に孊んでいるはずで「暩力は必ず腐敗する」のだから、そうなりたくないず思えば、実際に「偉くはならない䞖に出ない地䜍や名誉を、意識的に遠ざける」か、傍目にも明らかなくらいに「謙虚」であるこずを自分に課したはずである。
    ぀たり、逆に蚀えば、それくらいのこずをやらない「普通の有名人」ずいうのは、倚かれ少なかれ「思い䞊がっおいる」のであり、それに気づいおいないのなら、その人は本質的に、銬鹿だずいうこずなのだ。

     ○ ○ ○

    䟋えば、先日、レビュヌ「小束巊京〈利暩〉を確保せよ」で取り䞊げた『珟代思想 2021幎10月臚時増刊号 総特集◎小束巊京 生誕九〇幎/没埌䞀〇幎』青土瀟も、基本的には「小束巊京は、偉倧な䜜家であった」ずいう「ストヌリヌ」を基軞ずした特集で、そこに、二、䞉の「そんなこずはない」ずいう批刀的意芋を加えるこずで、「䞡論䜵蚘」の客芳性アリバむだけは確保しおいた。
    そしお、これに「小束巊京は、偉倧な䜜家であった」ずいう「神話」の远認匷化的な原皿を寄せたのは、蚀うたでもなく、SF関係者が䞭心であり、小束を批刀したのは、䞻に小束の「政治関連倧阪䞇博、花博などの動き」を怜蚌した瀟䌚孊関係の孊者たちであった。

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    小束の「知識人」ずしおの動き、あるいは「未来孊の思想家」ずしおの動きに぀いお、できればそれにあやかりたいず考える人たちは、それを「未来を構想する偉倧な仕事」だず耒めたたえ、䞀方、小束の関わった「政治的倧むベント」の陰で犠牲ずなっおいった「名もなき庶民たちた぀ろわぬ民」の偎に目を向けた者は、小束を所詮は「祭り䞊げられお、勘違いした䜜家先生埡甚知識人」だず芋おいたのである。

    無論、小束巊京ずいう人にも「䜜家ずしおの評䟡」ず「人ずしおの評䟡」の二面性があっお圓然で、どちらか䞀方であるこずの方が無理なのだから、小束は「䜜家ずしおは偉倧であったが、人ずしおは先生扱いによる勘違いも少なからずあった」ずいった評䟡がなされおも、それはなんら矛盟した評䟡にはならない。そしお、そうした「勘違い」の結果が、あの無残な独りよがり映画『さよならゞュピタヌ』ずいうかたちで「䜜品」ずしおも具珟したのだずいう評䟡だっお、あながち間違いではないはずなのである。

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    実際、前述の「匿名座談䌚」事件に察する、小束らの「ナむヌブ」な反応を芋れば、圓時の小束らが、所詮は「思い䞊がった、売れっ子䜜家先生」であり、その意味で「普通の人」でしかなかった、ずいうのは明らかであろう。
    荒俣宏が蚀うように、今の感芚からすれば、あたりにも「ナむヌブ」にすぎ、芁は「過保護」すぎたのだずも蚀えよう。぀たり、圌らの反応は、アニメ『機動戊士ガンダム』の䞻人公アムロ・レむの、

    『芪父にもぶたれたこずないのに』

    ずいう有名なセリフ、そのものの「反応」だった。
    「誰にも公然ず批刀されたこずがないのに」ずいうわけだったのだ。

    そしお、こうした日本のSF䜜家の「ひ匱さ批評客芳評䟡に察する脆匱性」ずいうのは、本曞『星新䞀 䞀〇〇䞀話を぀くった人』の䞻人公においお、端的に「象城」されるものだずも蚀えるのである。

     ○ ○ ○

    さお、やっず星新䞀である。

    前述のずおり、私が星新䞀を読み始めた頃には、すでに星は「メゞャヌなSF䜜家の䞀人」であり、か぀「超然ずしお、ちょっず特異な立ち䜍眮にいる䜜家」であった。぀たり、SF䜜家ではあるけれど、星新䞀は星新䞀であり、䞀䜜家䞀ゞャンル的な䜜家だずいう印象があったのである。

    そしお実際のずころ、星新䞀は、戊埌の日本においお、SF䜜家ずしお最初に自立した人であったし、その意味では、小束巊京や筒井康隆ずいった、その埌に日本のSF界を代衚するようになった䜜家たちの、「倧先茩」でもあった。たた、それに加え、星は「星補薬の埡曹叞」ずいうこずもあっお、日本のSF界においおは、いわば「別栌」的な存圚ずしお、呚囲から䞋にも眮かない扱いを受けおきた䜜家だった。星自身も、その䜜颚どおりに「生な人間関係」からは数歩䞋がった䜍眮に立っお、ニヒルに様子を窺っおいるようなスタンスを採り続けた人だったから、䞀般にも星は「別栌」ずいう印象を䞎えおいたのであろう。
    しかし、そうした「倖芋的印象」は、必ずしも「星新䞀ずいう人」の内面を、そのたた反映したものではなかったようだ。

    本曞の著者・最盞葉月によれば、呚囲から「別栌」扱いにされおいたにも関わらず、星新䞀自身は、自分に察する呚囲や䞖間の評䟡に、぀いに満足を埗られなかったようで、終生「承認䞍安」にずらわれおいたようなのだ。    

    『 私※ 星新䞀は人生に぀いお深く考ぞる事は䜙り奜きではない。我々の生きおいる事に぀いお、䜕故ずか、䜕のためずか考えた事はない。そのような事はなるべくそ぀ずしおおくこずにしおいる。深く考ぞるこずに自分の性栌が堪えられるかどうかが恐ろしいのである。』
     文庫版䞋巻・P163

    これが、星新䞀を考える䞊で最も重芁なポむントずなる、星の自己認識であろう。
    芁は「人間そのものに぀いおは、考えたくない」人なのである。

    なぜ、星新䞀がこうなっおしたったのか、そのいちばんわかりやすい説明ずしおは「望たずに星補薬を匕き継いだ埌に、いやずいうほど䜓隓させられた、信頌しおいた人たちの裏切り」により、深く傷぀いお人間䞍信になった、ずいったこずにでもなるだろう。
    だが、私の興味は、そうしたずころにはない。私の興味は、ずにかくこうしお本人からも自芚的に語られた「人間䞍信」が、その埌、䜜家になった星新䞀に、どのように衚れたのかずいう結果の方である。

    『「わが小説」朝日新聞、昭和䞉十䞃幎四月二日付ずいう随筆で新䞀は、「ボッコちゃん」には「私の持぀すべおが、少しず぀含たれおいるようだ。気たぐれ、残酷、ナンセンスがかったナヌモア、ちょっず詩的たがい、なげやりなずころ、颚刺、寓話ぐうわ的なずころなどの点である」ず曞いおいる。幌児退行の珟れだずいう指摘に察しおは、「自分でもその通りず思う」ず認め、分別のある倧人ばかりの䞖の䞭で、自分ひずりぐらい地に足が぀いおいない人間も必芁だろうず確信犯であるこずを衚明しおいる。
     ※ 「ボッコちゃん」のお䞖蟞をいわない、ずいう蚭定がどこから来たのかはよくわかっおいない。たんなる思い぀きにすぎないのかもしれないが、友人たちが指摘する新䞀自身の姿が重なっお芋える。新䞀が䌚話のなかでもっずも嫌うのがお䞖蟞だった。自分に察し、心にもないお䞖蟞やおべっかを䜿う※ 星補薬の圹員や芪族、䌚瀟関係者の姿をさんざん芋おきたからろうか。新䞀を星補薬の埡曹叞ず知った銀座のバヌの女性たちが、あるいはそうだったのかもしれない。』
     文庫版䞋巻・P331〜332

    「気たぐれ、残酷、ナンセンスがかったナヌモア、ちょっず詩的たがい、なげやりなずころ、颚刺、寓話ぐうわ的なずころなどの点」ずいうのは、たさに星新䞀の䜜颚からもストレヌトに窺える、星の個性だず蚀えるだろう。

    だが、問題は、こうした個性から、か぀おの私は、星新䞀に、ある皮の「匷さ匷靭さ」を芋おいた点だ。
    匷いからこそ、人の顔色を窺うこずなく『気たぐれ、残酷、ナンセンスがかったナヌモア』な振る舞いができる、ずそう考えた。『ちょっず詩的たがい、なげやりなずころ、颚刺、寓話ぐうわ的なずころ』に぀いおは、盎接的な衚珟を奜たない「シャむさ」の衚れではないかず、おおむねこのように「奜意的」に理解しおいたのである。
    䞀䞀ずころが、本曞で知った星新䞀ずいう人は、私の期埅したような「匷い人」ではなかった。

    たた、星が単玔に『心にもないお䞖蟞やおべっかを䜿う』人を嫌ったずも蚀えない。぀たり、人から「持ち䞊げられるこず」自䜓が嫌いだったわけではない。むしろ、そうした「先生扱い」を求めた人だったのだ。
    ただし、それが「心からのもの」であるこずを、星は求めたのだが、それが「心からのもの」かどうかなど、持ち䞊げられるこずを望む圓人が、人にそこたで泚文を぀けるずいうのは、他人ぞの芁求が過倧にすぎるのではないだろうか。芁は「俺を、心から尊敬せよ」ずいうこずなのだから。

    『 人前に出るのが苊手でシャむでおずなしくお品のいい人。そんなむメヌゞを抱く人もいれば、「星新䞀、ありゃあきちがいだ」安岡章倪郎などず仰倩する人もいる。』
     文庫版䞋巻・P166

    私のもずもずのむメヌゞは、前者に近かったず蚀えるだろう。だが、本曞で玹介されたような、ちょっず非垞識ずも顰蹙ものずも蚀えるであろう「星新䞀のゞョヌク」は、星が、星補薬の埡曹叞であるずか、日本SF界の第䞀人者であったからこそ、蚱された郚分が倧きかったずしか思えない。
    その意味で私は、星新䞀の「毒舌ナヌモア」に、䞀皮の「甘え」を芋ざるを埗ない。

    したがっお、星新䞀の「毒舌ナヌモア」は、安岡章倪郎が蚀うような、星の「きちがい非垞識」から出たものずは、評䟡し埗ない。そうであったならば、垞識に抗う「䜜家的な匷さ」ずしおの「毒舌」だず、肯定的に評䟡するこずもできるのだが、星の「毒舌ナヌモア」は、結局のずころ「私だったら蚱される」ずいう「甘え」の䞊に成立したものであり、芁は、星の「特異な育ち」が、星新䞀に、ある皮の「過剰な甘えキチガむ」をもたらした結果だず、そう考えるべきなのではないだろうか。

    『 有名になるこずは、倖から想像するほど優雅なものでものではない。人気クむズ番組「連想ゲヌム」の解答者ずしおレギュラヌ出挔したずきは、戞越銀座を散歩しおいお、「あ、星新䞀だ」ず子䟛に指を差され、それがきっかけで突然、テレビに出るのやめおしたった。アンダヌシャツ䞀枚ずサングラスで散歩するのが唯䞀の息抜きなのに、それさえ奪われるのは我慢できなかった。
     華やかな出版パヌティヌで駆け寄っおくるSF䜜家仲間や線集者に笑顔を振りたいおも、パヌティヌ䌚堎を出れば瞬時に真顔に戻った。さっきたで歯を出しお倧笑いしおいたのが、振り返れば、眉間に皺を寄せ足元を芋぀めおいた。』
     文庫版䞋巻・P167

    私に蚀わせれば『有名になるこずは、倖から想像するほど優雅なものでものではない。』ずいった皋床の認識は、30歳くらいたでには身に぀けおほしい話でしかないが、珟実にはそうでもないようだ。その意味では、私はわりあい早い時期に「有名人」ず接するこずができ、その実際を知るこずができたのは、ずおもラッキヌだったのであろう。

    私がわりあい早い時期に知り埗たのは性栌によりけりずは蚀え、䞀般に「有名になるずいうのは、なった瞬間は嬉しいけれど、あずは重荷になるだけだ」ずいう倧方の事実であり、これをより䞀般化しお蚀い換えれば「地䜍も名誉も欲しいものも、手に入れた瞬間が最高に嬉しく、そのあずは、それが圓たり前の珟状になっおしたい、さほど嬉しくも面癜くもなくなっおしたう。だからこそ、倚くの人は、新たなものを欲しおしたい、欲望は止たるずころを知らず、萜ち着く先を知らない。したがっお、いちばん奜たしいのは、心から珟状に満足しながらも、理想を持っお生きるこずである」ずいったこずになる。

    たあ、䞀皮の「悟り」なのだが、星新䞀には、こうした「人間にずっお、幞犏ずは䜕か」を「突き詰めお考える」習慣が、事実ずしお無かったようである。

    『「星氏のショヌトショヌトの質は䞖界的だ」「五癟線以䞊ものバリ゚ヌションをもち、そのすべおが氎準を保っおいるのは珍しい」「週刊サンケむ」昭和四十䞉幎五月六日号ずいった、自身もショヌトショヌトの曞き手である郜筑道倫の高い評䟡もあれば、初期のころから新䞀の䜜品を読んでいた掚理小説やSFの熱心なファンの䞭には、昭和四十䞉幎に新朮文庫ずしおたずたった『マむ囜家』前埌からマンネリを感じで星䜜品から離れたず語る者もいる。石川喬叞の指摘する「量産によるマンネリ化」は、長幎のりォッチャヌずしおの実感であり、愛情あたっおの叱咀激励だったのだろう。
     始めのころは新䞀にも、マンネリの䜕が悪いず開き盎る䜙裕があった。筒井や平井らSF䜜家仲間たちが発行する「SF新聞」創刊号昭和四十䞀幎二月二十日発行では、批刀を逆手にずっお「マンネリ」ずいう随筆を曞いおいる。挫画家のチャヌルズ・アダムズや加藀芳郎、サザ゚さんの長谷川町子、モヌツァルトや眠狂四郎ずいった名を挙げお絶賛し぀぀、「問題点はマンネリにあるのではなく、その質のほうである」「マンネリこそ成功の条件、偉倧さの特性ではないか」ず指摘。䞀方で、短線の名手だったシャクリィに察しおは、「他人がなんず蚀おうず、平然ず初期のペヌスを守っおいればいいのに」、新分野に挑戊したがために「あたりいい結果ではなかったようだ」ずも曞いおいる。
     ずころが、倧阪䞇博以降、新䞀呚蟺のSF界で埮劙な倉化が生じ始める。
     昭和四十五幎の第九回日本SF倧䌚で、ファン投祚によっお遞ばれる星雲賞が創蚭されたが、たずはその結果に顕著に珟れた。䞀九䞃〇幎代は、䞀郚のマニア的読者の知的な読み物だったSFが、商業化の過皋で小説ばかりでなく映画、挫画、テレビぞず拡散し浞透しおいき、神戞で開催された日本SF倧䌚「シンコン」昭和五十幎八月で筒井が「SFの浞透ず拡散」ず名づけた時代である。星雲賞を䌁画した䌊藀兞倫によれば、その過皋で、星新䞀は「偉倧なるマンネリ期」に突入し、SFファンの星新䞀離れが起きおいた、ずいうのである。
     星雲賞第䞀回の受賞䜜は、長線郚門『霊長類 南ぞ』、短線郚門『フル・ネル゜ン』ず、いずれも筒井康隆である。第二回は、長線郚門が小束巊京の『継ぐのは誰か』、短線郚門が筒井の『ビタミン』。昭和四十九幎の第五回星雲賞は、四癟䞇郚ずいう空前の倧ベストセラヌずなった小束の『日本沈没』が長線郚門に、短線郚門が筒井の『日本以倖党郚沈没』ず、やはり小束、筒井が人気を集めおおり、その間を瞫うように、半村良や広瀬正が受賞。SFファンが新䞀の䜜品を遞ぶこずはなかった。』
     文庫版䞋巻・P204〜206

    『始めのころは新䞀にも、マンネリの䜕が悪いず開き盎る䜙裕があった。』䞀䞀このあたりの星新䞀の心の動きは、きわめお凡庞であり、芁は、ありがちで、子䟛っぜい「負けず嫌い」でしかない。
    それでいお、そんな自身の「ありきたりな心の動き」に気づかないずころに、「人間の心の動きを腑分けする」ような「玔文孊」的なこずを嫌った「星新䞀の匱さ」が、はっきりず刻印されおいたず蚀えるだろう。

    『 のちに「SFマガゞン」線集長を務める今岡枅は孊生時代、星雲賞がスタヌトした前埌から日本SF倧䌚に参加しおいたが、そのころすでにSF䜜家ずしおの星新䞀の魅力はデビュヌ盎埌をほどではなくなっおいたず蚘憶しおいる。
    「圓時は、星さんはSF界の業界の流行ずはもう無関係だったんです。SFずしおそれほどナニヌクだったり実隓的だったりはしなかったし、小束さんのように䜕かが突出しお売れたずいうわけでもない。だらヌっず長く売れおいお、読者の顔がよく芋えない感じだった。青雲賞は時代の雰囲気ず同じ流れにあるものを評䟡しお、ファンも投祚しおいたいたしたから、星さんにはもう賞をあげるきっかけがなかったんだず思いたす」
     SFを牜匕しおきたにもかかわらず、SFが盛り䞊がるころには、SFの読者は自分から離れおいる。なんずも皮肉な話ではないか。』
     文庫版䞋巻・P206〜207

    端的に、星新䞀は、他者からの「高い評䟡」を求めた。「賞賛」を求めた。「別栌扱い」を求めたのである。

    しかし、他人の「評䟡」ずいうのは、所詮は「人それぞれ」だし、自分の䟡倀芳においおの評䟡を、他人にも求めるずいうのは、きわめお初歩的な「勘違い」でしかなく、たしお自分の䟡倀芳を他人に匷いるのは「傲慢」でしかない。
    無論、自分の䟡倀芳に基づく評䟡は堂々ず衚明すべきであろう。その䞊で、それを受け入れるか拒絶するかは「あなた次第ですよ」ず委ねるこずのできる「匷さ」が、人には必芁であり、それがあっおこそ「公正な瀟䌚」も保おるのである。

    だが、星新䞀には、こうした「匷さ」が無かった。「どうしお、がくがもっず評䟡されない」「これだけ貢献したのに」「これだけ高く評䟡する人もいるのに」「あい぀らは開きメクラか」ずいった苛立ちは、他人は所詮他人でしかないず悟れない、星新䞀の幌児性を露わにしおいるず蚀えるだろう。
    だが、無論「こんな人は」倚いず蚀うか、「こんな人の方が」倚い。䜜家などでもそれは同じで、しかも、今も昔も同じなのである。

    10『 SF専門誌が次々に刊行され、有望な新人がデビュヌしお倚くの読者を獲埗し、以前は連日のように銀座や六本朚で隒いだSF䜜家仲間たちが忙しくなっおいく。もちろん圌らは新䞀のこずが倧奜きだったし、酒を飲んだり麻雀をしたりすれば、「倩皇」「殿さた」ずいっお守り立おる。小束はい぀いかなるずきも、新䞀を立おた。新䞀が瀟䌚的な地䜍や瀌儀に厳しい人であるこずを承知しおいたためである。自分がどんなに売れお忙しくしおいおも、肩を組み、笑い合う仲間ずなっおも、公の堎では垞に新䞀に敬意を衚した。それは筒井も同様である。小束ず筒井の二人が新䞀を立おる。その様子をほかの若い䜜家や線集者は芋おいる。ならば、誰が星新䞀に刃向かえるだろう。
    「星さんに睚たれたら、䜜家も線集者も、SFの䞖界では仕事ができなかった」ずいった蚀葉を私はいく぀も耳にしおいる。では、呚囲が持ち䞊げるのは、凊䞖術ずしおの偎面もあったのか。たしかに星新䞀は、新人䜜家にずっおも線集者にずっおも、恐れられる存圚になっおいた。珟圹の䜜家ずいうよりも、他人にお墚付きを䞎える圹割を担わされる。四十代にしお新䞀はSF界の長老だった。それは果たしお、䜜家ずしお幞せなこずなのだろうか。』
     文庫版䞋巻・P237

    『小束はい぀いかなるずきも、新䞀を立おた。新䞀が瀟䌚的な地䜍や瀌儀に厳しい人であるこずを承知しおいたためである。』䞀䞀ずいったあたりは、小束巊京の゜ツのなさがよく衚れおいる。
    おだおおおかないず、ぞそを曲げおしたう星新䞀の性栌を正しく芋お取り、ごく䞀般的な「瀟䌚人の凊䞖」ずしお、「䞊叞」にも等しい「先茩」を、゜ツなく持ち䞊げおいたのであろう。
    小束のその埌の「瀟䌚的な成功」は、䜕も「小説」の力だけに支えられおいたのではないずいうこずが、ここからもよくわかる。きっず「未来孊」関係の諞先生方にも、このように゜ツなく接しお、関係を築いおいったのであろう。その際に「小説家」的な実瞟は、「名刺代わり」ではあれ、「オマケ」であったはずだ。先生方は「SF」など、ほずんど読んでいなかったはずだからである。

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    『小束ず筒井の二人が新䞀を立おる。その様子をほかの若い䜜家や線集者は芋おいる。ならば、誰が星新䞀に刃向かえるだろう。「星さんに睚たれたら、䜜家も線集者も、SFの䞖界では仕事ができなかった」ずいった蚀葉を私はいく぀も耳にしおいる。では、呚囲が持ち䞊げるのは、凊䞖術ずしおの偎面もあったのか。』䞀䞀もちろん、そうだ。それがすべおではないにしおも、それが「圓然の心埗」だったずいうのは間違いない。

    『たしかに星新䞀は、新人䜜家にずっおも線集者にずっおも、恐れられる存圚になっおいた。珟圹の䜜家ずいうよりも、他人にお墚付きを䞎える圹割を担わされる。』䞀䞀こうした話は、「昔話」ずしお玍埗しおいるだけでは䞍十分だ。
    䟋えば、この「星新䞀」の䜍眮を、今なら誰が占めおいるだろうかず考えおみるくらいの批評性は、是非ずも必芁だろう。それができれば、今の䜜家たちの「有力者」ぞの「おべんちゃら」に惑わされるこずもないし、「有力者」の「愚かな人間臭さ」も生々しく実感できるはずだ。それが、「玔文孊」的な読解センスである。

    実䟋で蚀うなら、すでに蚀及した「ゲンロンカフェ」での、小川哲・暋口恭介・東浩玀による錎談「『異垞論文』から考える批評の可胜性 侀侀SF䜜家、哲孊ず遭遇する」なんかで、小川ず暋口が、東浩玀ぞの「リスペクト」を盛んに口にしおいるのも、嘘ではないにしろ、「話半分」に聞くこずもできるだろうし、それを喜んでいる聞いおいる東の、「頭の良さ」だけではどうにもならない、床しがたく「満たされない承認欲求」ずいう「人間的な業の深さ」も、より深く感埗できるだろう。
    この錎談で自分でも觊れおいるように、か぀お東は、「東さん、東さん」ず擊り寄っおきた「才胜ある若い人」たちに裏切られ、深く傷぀く経隓をしおいるのである。それでも、たた「耒めおくれる取り巻き」を求めおしたうずいうのは、なんず「玔文孊的な珟実」であろうか。蚀い換えれば、なんず「SFずは瞁遠い珟実」であろう。

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    「ゲンロン」の䞻催者・思想家の東浩玀

    11『「おもしろいか」「売れるか」
     筒井の䜜品に限らず、新䞀はこのころから、※ この圓時話題ずなっおいた、筒井康隆の『虚構船団』ず同様に話題になっおいる本があれば線集者ずその二点だけを決たり文句のように蚊ねるこずが倚くなった。おもしろいけど売れるかどうかはわからないずいう返事だず、少しほっずした衚情を芋せた。
     玔文孊では、おもしろい、ずいう評䟡は決しおほめ蚀葉ではなく、おもしろいけれどただそれだけ、ずいう吊定的なニュアンスで受け止められる颚朮があった。文孊ずしおのレベルは䜎いずいう意味で、「それぱンタヌテむンメントでしょう」などず蔑む䜜家や文芞評論家はいただに存圚する。
     だが新䞀は、どんな曞評で絶賛されおも、玔文孊の倧家が垯に名を連ねおほめ称えおも、おもしろくなければ読者は買わないのだし、売れなければ意味がないず考えおいた。それは自分の著䜜に察しおも倉わりなく、このころ※ 線集者の加藀が新䞀に少幎時代を曞いおはどうかず勧めおいるが、「そんなの曞いおも売れないから」ずあっさり断っおいる。
     では、『虚構船団』はどうか。はじめおの読者でもすんなり䜜品䞖界に入れる小説家ずいえばそうではない䞀䞀新䞀にはそう感じられたのである。
     䞭略
    前略星新䞀は、筒井康隆の応揎者であり、筒井にずっおは発想の泉であり、最倧の理解者であったずいっおも過蚀ではないだろう。筒井もたた、「先茩ずしおの星新䞀、小束巊京の二巚人を持おたこずは、がくの倧きな幞運であった」「䜜品の䞊での圱響は自分でも蚈り知れぬほどである」『ボッコちゃん』文庫解説ず曞く。筒井を担圓する線集者はみな、筒井は新䞀を深く敬愛し、倧いに埳ずしおいたず語っおいる。
     䞭略
     新䞀の筒井に察する感情があふれ出たのは、筒井が昭和六十二幎に『倢の朚坂分岐点』で谷厎最䞀郎賞を受賞し、さらに、井䞊靖や吉行淳之介らが線集委員ずなった小孊通の『昭和文孊党集』シリヌズに筒井の䜜品が遞ばれるこずが決たり、新䞀には声がかからなかったずきだった。筒井のパヌティヌの二次䌚で、終始䞍機嫌に酒を飲んでいた新䞀は、有名人のおもしろい発蚀を集めた筒井の「諞家寞話」「野性時代」昭和六十幎五月号初出、『原始人』昭和六十二幎九月刊所収に蚀及し、筒井の劻もいる前でずうずうを口にしおしたった。
    「勝手に曞きやがっお  、人のこずを曞いお原皿料皌ぎやがっお  」
     筒井が「諞家寞話」で玹介したのは、二人の間で亀わされた次のようなやりずりだった。

     貫犄
    おれ「星新䞀が原皿料の話ばかりするので倧䜜家ずもあろうものが、あたり金の話をしおはいけたせん」
    星新䞀「倧䜜家だからこそ、平気で金の話をできるんです」

     新䞀の攟蚀は筒井を刺激し、随筆や小説を含め倚くの筒井䜜品に昇華されおいた。発想の泉、ずはそういう意味だ。「諞家寞話」以前にもいろいろな雑誌で新䞀の゚ピ゜ヌドは曞いおきた。筒井が䞉床の萜遞を経隓した盎朚賞を揶揄した『倧いなる助走』にも、その蚀動からみおいかにも新䞀ずおがしきSF䜜家が登堎し、銀座の文壇バヌで線集者盞手に暎れる堎面があるが、それずお新䞀は重々承知であり、筒井の描く星新䞀像は読者の想像力を刺激し、新䞀もたたそれでよしずしおいた。
     だがそれも自分が前を走っおいおこそであった。

     ショヌトショヌト䞀〇〇䞀線達成に察しおは、結果的に、なんら文孊的な評䟡を埗られなかった。蚘録ずしおは残ったが、それだけだった。もはや賞を䞎えるこずのほうが倱瀌にあたるず考えたのか、生前の新䞀に察しおは、日本SF䜜家クラブさえも授䞎しなかった。昭和五十九幎に北海道で開催された日本SF倧䌚「゚ゟコン」で名誉星雲賞を授䞎するずいう案が䌊藀兞倫から持ちかけられたが、「なかったこずにしおくれ」ず新䞀偎から蟞退しおいる。これたで自分を軜芖し続けたSFの若い䞖代に察する静かな講矩だったのだろうか。』
     文庫版䞋巻・P345〜350

    「文壇的暩嚁」を䞎えられなかったからこそ、『「おもしろいか」「売れるか」』ずいう芳点からの自身の優䜍性に「本質的な䟡倀」を芋出すずいうのは、あたりにもわかりやすい「芳念的自己回埩」である。あるいは、でしかない。本圓に星新䞀は、「人間の心」に぀いお「無知」であり「幌皚」であったず蚀えるだろう。

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    筒井康隆に察する感情も、「おもしろさず売れ行きにおいお栌䞋の埌茩に先を越された」ずいう、単玔な「劬み」でしかない。ずおもわかりやすい。わかりやすすぎる。これが、あの「クヌルな星新䞀」かず、信じたくない気分になるが、しかし「人間」ずは所詮、こんなものなのだ。
    匕甚文10に、小束巊京や筒井康隆から、星が『「倩皇」「殿さた」ずいっお守り立お』られおいたずあるが、蚀うたでもなく、「倩皇」は「神さた珟人神」ではなく、日本の「殿さた」は「王暩神授」された存圚でもない。぀たり、我々ず同じ「人間」でしかないのだ。

    むしろ、倚くのSFファンが、星を「神さた」ずしお「偶像」芖しおいたからこそ『もはや賞を䞎えるこずのほうが倱瀌にあたる』ず「劥圓」に考えたのであろう。「神さたを人間が衚地するなんお、思い違いも甚だしい」からだ。䞀䞀だが、星新䞀は「平均的な人間」だったから、圓たり前に「地䜍や名誉」や「ほめ蚀葉」が欲しかった。

    そうした心情に、遅たきながら気づいた䌊藀兞倫が『名誉星雲賞を授䞎するずいう案』を星に提瀺するも、時すでに遅しで、星の傷぀いた自尊心は膿み厩れおおり、「本心を隠し、ニッコリ笑っお、お気遣いありがずう、ず賞を受ける」なんおいう「倧人の察応」など、もはやできなくなっおいたのである。

    12『 吉行から「星さんを掚薊したい」ずいう連絡を受けおいた盎朚賞の件も、その埌なんら音沙汰がなかった。たんにリップサヌビスだったのかもしれないが、ほのめかされただけ、なおさらこれたで蓋をしおいた感情が頭をもたげ、胞底に屈蚗が匵り付いた。䞀〇〇䞀線埌、映画䞉昧だった晎れやかな日々は半幎も続かず、銀座で吉行や線集者たちに䌚えば、酒の勢いを借りお愚痎をこがさずにはおれなかった。
    「なんでがくには盎朚賞くれなかったんだろうなあ」
     賞のこずなどずうの昔に乗り越えおいるず思っおいた圌らには、返す蚀葉もなかった。賞よりも本が売れるほうがいいず公蚀しながらも、それはたぎれもなく、新䞀が線集者たちに䞍満を抱いおいるこずの蚌でもあった。さんざん自分をおおだおお酷䜿しおおきながら、どこかでショヌトショヌトを軜んじおいる圌らぞの抗議のようでもあった。
     筒井は、パヌティヌの二次䌚でのこずを思い出すず今もかなしい、ずいった。
    「屈蚗は  、がくにもありたす。腹の立぀こずを思い出すず眠れない。それはひどかったです。芋蔓匏に぀ながっお頭に浮かんでくる。星さんの堎合、若いころの苊劎がありたすから、そういうこずも党郚぀ながっお、倢でも圢を倉えで出おくる。倢ず珟実が぀ながっお、目がさめお、たた眠れない。よくわかるんだけど、すごくよくわかるんだけど、  たたらんですねぇ」』
     文庫版䞋巻・P353〜354

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    吉行淳之介

    酒を飲んで「クダを巻く」「泣き蚀を蚀う」。なんずも情けない姿だが、これこそが「玔文孊的人間」であり、䞭でも星新䞀の嫌った「私小説」的な人間の姿であったずいうのは、なんずも皮肉なこずである。

    ぀いでに、筒井康隆に぀いおも曞いおおこう。

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    筒井康隆ず蚀えば「毒のある小説」で売り出した䜜家である。したがっお、昔の私は、筒井の堎合も、肯定的に「戊闘的な人」「匷い人」「反暩嚁の人」だず思っおいた。
    だが、私は昔、創䟡孊䌚員だったので、筒井が創䟡孊䌚を揶揄った「堕地獄仏法」や「末䞖法華経」は、そのノリが予想されお読む気にもならず、ただ䞍愉快な気分にさせられただけだった。

    しかしたた、創䟡孊䌚を蟞め、逆に創䟡孊䌚批刀者ずなった今でも、筒井のこれらの䜜品を読んでいないのは、これらが所詮は「本栌的な批刀」ではなく、小説家ずいう優䜍に立った「揶揄的批刀」の域を出るものではないず思うからである。
    根が真面目な私は、喧嘩するのなら、批刀するのなら、真正面から堂々ず、ずいう䞻矩の持ち䞻なので、筒井の、自身の「人気頭数」を埌ろ盟にした「揶揄的批刀」には、共感しかねたのである。

    で、そういうこずがあったので、私は埌幎、盎接、筒井康隆に噛み぀いた。面ず向かっお、噛み぀いたのである。
    それは平成5幎・1993幎3月21日、東京池袋「メトロポリタンプラザ」で開催された、「瞠目 反・文孊賞」公開遞考䌚の䌚堎においおであった。

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    垯に「あの「瞠目反・文孊賞公開遞考䌚」も収録」ずある

    この賞は、芥川賞などの既成の文孊賞に䞍満を持っおいた島田雅圊が、「毎日新聞」に連茉しおいた「瞠目新聞」で提案し実珟したもので、遞考委員は、島田雅圊・筒井康隆・枡郚盎己の人だった。
    この人により候補䜜である、奥泉光「ノノァヌリスの匕甚」、久間十矩「海で䞉番目に匷いもの」、小林恭二『瓶の䞭の旅愁――小説の特異点をめぐるマカロニ法垫の巡瀌蚘』、笹沢䜐保『朚枯し王次郎』、䞭沢新䞀『森のバロック』、山城む぀み「文孊のプログラム」、島田雅圊『圌岞先生』の䜜が遞ばれたが、『圌岞先生』は遞考委員の䜜品ずいうこずで、島田が蟞退。残りの䜜が、公開遞考䌚の䌚堎で、人の遞考委員の蚎論錎談に付され、最終的には奥泉光の「ノノァヌリスの匕甚」が受賞䜜ずなった。

    圓時も今も奥泉のファンであった私は、友人ずずもに䌚堎ぞ駆け぀けた。そしお䌚堎の前列列目の䞭倮の垭に陣取った。最前列の垭に座れなかったのは、最前列䞭倮は「候補者垭」ずしお確保されおいたからで、私はその真埌ろに陣取ったのだ。

    この遞考䌚で、私に火を぀けたのが筒井康隆だった。筒井は、笹沢巊保の『朚枯らし王次郎』を候補䜜に掚しおいたのだが、圓日いきなり「先茩の䜜品を、あれこれ評䟡したりするのは䞍遜なこずだから」ず、候補䜜から取り䞋げおしたったのである。で、私が「事ここに及んで、いたさら䜕を蚀っおいるのか」ず腹を立おた。

    受賞䜜が決たる前、䌚堎からの意芋が求められたので、私は真っ先に手を挙げた。その時、呚囲はただ様子をうかがっお手を挙げおいなかったので、私が指名された。で、私は倧筋、次のようなこずを蚀った。

    「アンチ文孊賞ずいう趣旚の賞であれば、ここで圓たり前に優れた䜜品に賞を䞎えるのでは、所詮は既成の賞の真䌌事にしかならない。だから、アンチ文孊賞ず蚀うのなら、既成の文孊賞こそが非文孊的であるずいう批刀を蟌めお、文孊賞の代衚である芥川賞ず盎朚賞に、アンチ文孊賞を莈呈しおはどうか。それず、筒井委員が、笹沢巊保の䜜品を、先茩の䜜品だからずいっお、いたさら候補䜜から䞋ろしたのは、玍埗できない。そう思うのなら、最初から候補に掚すべきではなかった。これは、他の遞考委員やここぞ集たった人たちを愚匄する行為ではないのか。筒井遞考委員に、そのあたりの説明を求めたい」

    もちろん、堎は䞀瞬、凍り぀いた。筒井の説明もむにゃむにゃ蚀っおいるだけの、誀魔化しの蚀い蚳でしかならなかった。
    そのせいもあり、私に煜られお、䌚堎からは次々ず手が䞊がり始め、蚀いたいこずを蚀う人が続いたので、䌚堎からの意芋タむムは早々に打ち切られお、受賞䜜を決定する遞考委員による投祚に移り、めでたく奥泉の受賞が決たるず、筒井はそそくさず逃げるようにしお、䌚堎を埌にした。
    私の感想ずしおは「なんだ、意倖にヘタレだったな」ずいうものであった。

    ちなみに、公開遞考䌚が始たった際、前蚘のずおり、候補者垭は䌚堎の最前列に準備されおいたが、叞䌚進行圹の島田雅圊が「せっかくですから、候補者に方にも壇䞊ぞ䞊がっおいただきたしょう。空いた垭は詰めおもらっおも結構ですよ」ずいうようなこずを蚀ったので、候補者が壇䞊に䞊がるず、私は真ん前の「奥泉光様」ず曞いた玙の貌られおいた垭ぞず移動し、文字どおり、最前列䞭倮に陣取った。連れの友人は、たしか隣の久間十矩の垭に移ったず蚘憶する。

    遞考䌚終了埌にサむン䌚があればサむンをもらおうず、私は奥泉䜜品の䞭で最も奜きな『葊ず癟合』の単行本を持参しおいたのだが、どうやらサむン䌚はなさそうで、遞考䌚が終了するず、遞考委員ず候補者たちはそのたた舞台の袖ぞず退堎しようずしたので、それたでに䜕床かファンレタヌを送っおおり、䌚堎ぞも行くず䌝えおおいた私は、舞台を去ろうずしおいた奥泉を呌び止め、名乗った䞊で、山口二矢ばりに壇䞊に駆け䞊がっお、無事、奥泉からサむンをもらうこずができた。
    ぀いでに、座垭に貌り付けおあった「奥泉光様」の玙も、蚘念に剥がしお持ち垰り、今もそのサむン本に挟んである。

    䞀䞀芁は、私はそこたでやる人間なので、筒井康隆の「文章䞊だけの匷さ」を、心から芋䞋すこずになったのである。
    そしお、そうした筒井康隆の「䞖間䞊みのヘタレぶり」ず「暩嚁者ぞの゜ツのないゎマスリぶり」を、本曞でも再確認できた。だから筒井が、あの遞考䌚のこずを、䜕床でも倢を芋おくれおいたら「ざたあみろ」なのにず、そう思わずにはいられなかったのだ。

    13『「星新䞀」ずいう筆名も、個性のないモノクロヌムな登堎人物たちも、「深く考ぞる事」や解決できそうにない堂々巡りの問いを遠ざけるための堰だったのだろう。理䞍尜な死や人間のむき出しの感情に苛たれ、なんずか脱出したいずあがいお来たのに、なぜ再び小説の䞖界でわざわざ人の感情にぎりぎりず切り蟌みたいず望むだろうか。過去を思い起こさせる匕き金を匕くたでもない。凊女単行本『生呜のふしぎ』には、科孊的事実を垞に意識におくこずができれば、生々しい珟実に捕らわれるこずなくもっず広い時間ず空間に自らを解き攟ち、死からも自由になれるずいう新䞀自身の死生芳が珟れおいた。生死に関わる困難な問いも、科孊的、合理的に解き明かすこずのできるずころたではずこずん突き詰め、それ以䞊は架空の物語に蚗す。科孊的思考ず物語は、新䞀の心の救いであったはずだ。』
     文庫版䞋巻・P397〜398

    結局のずころ、星新䞀にずっおの「SF的に科孊的で無機質な䞖界」ずいうのは「ドロドロずした人間䞖界」からの逃避だったず蚀い切っおいいだろう。
    星新䞀も筒井康隆も「ブラックな批評性」を持っおいるように芋えたが、それは「攻撃」的なものではなく、その本質は「ヘタレ」の「過剰防衛」によるものだったず考えた方が、事実に即しおいるのではないだろうか。

    無論、䜜家本人が、珟実ず栌闘できない逃避的な「ヘタレ」であろうず、その䜜品の「ブラックな批評性」が「ヘタレの過剰防衛」に出たものであろうず、䜜品は、䜜品さえ面癜ければ、それでいいし、そのように䜜品自䜓は高く評䟡されるべきである。芪が出来損ないであろうず、子がその責任を負う必芁はない。「芪の因果が子に報いる」ような評䟡の仕方は、間違いなのである。

    14『 どうしおあの人はこうなのかしら  。
     銙代子は、新䞀のショヌトショヌトを読み返すたびにそう思う。人がみんないなくなる。䞖界が滅んでしたう。静寂が蚪れる。するず、機械がカタコトず動き出す。そんな物語ばかり。悲芳的で、絶望的で、厭䞖的で、せ぀なくお、かなしくお。
     曞斎に入るずこもりきりで、原皿が曞けずに苊しんでいる姿は家族にさえ芋せたこずがなかったが、銙代子は今、こう思う。
     あの人はきっず、目に涙をいっぱいためながら曞いおいたにちがいないず。

     人を信甚しない人だった。線集者ばかりではない。秘曞はいない。皎理士もいない。育児に远われお家政婊を雇いたいず盞談したずきも、他人を家に䞊あげるこずを嫌い、匷く反発された。女性に察しおはずくに厳しかった。女だからずいっお甘えるなずよくいった。泣かせた女性線集者もいたはずだ。芪戚でも遠い関係ずなるず譊戒した。家で䌚瀟や芪のこずをほずんど話さなかったのも、劻にいえばその母芪に䌝わり、そこからたた誰かに䌝わるず思ったからなのだろう。
     信じられるのは自分ひずり、だった。
     あんなに人が信じられなくお、どれほど苊しかっただろう。』
     文庫版䞋巻・P409〜410

    同情的に蚀えば、銙代子倫人の蚀うずおりであろう。
    結局、星新䞀ずいう人は「人ずしおは、凡庞に、匱い人」だったのである。

    私を含め、倚くのSFファンが抱いおいた「超然ずした人」ずいう印象や、「SF界の倩皇」あるいは「殿さた」ずいった「圧倒的匷さ」を感じさせる評䟡も、所詮は、本人の挔技ず、呚囲の「ペむショ」によっおでっちあげられた「幻想」でしかなかった。

    無論、前述の『䞖界SF䌚議』もそうだが、圓節、䜜家ずいうのも「文士」ではなく「タレント」みたいなもので、「実質」ではなく「倢幻想」を売っおいるようなものなのだから、倚少の「倧物挔出」も悪くはないず思う。
    しかし、倧根圹者では困るのだ。倢を売るのであれば、䟋えば「高倉健」のように、死ぬたで、そのむメヌゞを守り抜いお欲しかったし、そうあるべきなのだ。「倧物」挔技も、プロの圹者ずしおやるのであれば、だ。

    しかし、それが貫けないのであれば、身の皋知らずの「先生扱い」などを求めず、「普通の人」ずしお、ただ「優れた䜜品」か「喜ばれる䜜品」かのいずれか、あるいは䞡方を淡々ず曞いお、「小説補造業者」ずしお生きればいいだけなのだ。
    そうしおいれば、「先生扱いされおいない」「賞がもらえない」「心から尊敬されおいない」などずいう欲匵った望みのゆえに、逓鬌地獄の苊しみを味わうこずにならなくおも枈むのである。

    無論「欲をかかない」生き方ずいうのも、簡単なこずではない。
    だが、ある皋床それを目指すずいうのも、結局は、自分自身の幞せのためであり、他の誰のためでもないのである。

    しかし、「人ずしおの幞せずは䜕か」「人間ずはどういう業を抱えた生き物なのか」ずいった「玔文孊あるいは、哲孊的」的な問題から逃避しお、自分ずは瞁遠い「宇宙」だの「未来」だのに぀いおのご高説を垂れ、人からチダホダされるこずで満足しおいるだけの人には、それも決しお到達できる境地ではなかった。

    そしお、この残酷な事実を、星新䞀ずいう「日本SF界の象城倩皇」は瀺しおくれた。
    しかし、その貎重な犠牲に孊んだ者が、どれほどいるのかずいうず、かなり心もずないずいうのが「珟圚のSF界の実情」であり、倉わらぬ「人間の珟実」なのであろう。

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    2022幎2月23日

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