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村田沙耶銙 『殺人出産』  〈䟡倀芳の盞察性〉ず私たちの珟実

    幎間読曞人

    曞評村田沙耶銙『殺人出産』講談瀟文庫

    本曞には、衚題䜜の䞭線「殺人出産」のほか、短線「トリプル」「枅朔な結婚」の篇ず、ショヌトショヌト「䜙呜」の、合蚈篇が収められおいる。この篇の共通点は、「生ず性」をテヌマにしおいる点であろう。

    「殺人出産」は、人工授粟技術などの発達によっお、性行為が劊嚠出産ず切り離され、その結果、出生率が倧きく䞋がったために「人生めば、人殺しおもいい。」ずいう法埋が斜行された、未来の日本を描いおいる。

    そこでは「子䟛を産む」ずいう人類の持続可胜性を担保する行為が最も尊いものずされる反面、殺人ずいう行為が、珟圚ほどの吊定的な重みを持たなくなっおいる。
    誰かを殺したいがために「人生む」こずを決意した人は、「殺人出産」法斜行の圓初こそ違和感や嫌悪感を持っお芋られたものの、「産み人」ずしお、埐々に人々の尊敬をあ぀める存圚ずなっおいく。
    芁は、「制床の倉曎」によっお、人々の「䟡倀芳が倉容」しおいったのであるちなみに、人生むずいう「正しい」手続きをずらずに殺人を行なった犯眪者は、男女を問わず「産刑」ず呌ばれる匷制劊嚠出産の刑に凊せられお、人生むこずを匷いられる。

    この䜜品で問われおいる「テヌマ」は「殺人ずは、それほどいけないこずなのか」であり、裏を返せば「人の呜ずは、それほどたでに䟡倀のあるものなのか」ずいう、根源的問いである。

    珟圚、倚くの人は「殺人ずは、それほどいけないこずなのか」ず問われれば「圓たり前じゃないか。あなたはそう思わないのか あなたは、酒鬌薔薇聖斗みたいなキチガむなのか」ず問い返したくもなるこずだろう。
    だが、「殺人」が絶察的に間違い悪なのであれば、囜家が行なう「死刑」も「戊争」も間違った行為であり、それを是認するのは、反倫理的で非人間的な態床だずいうこずになるだろう。しかしたた、倚くの人は「法埋で認められおいるこずだから」ずか「それがないず、瀟䌚の安寧が保おないから犯眪者の呜よりも、瀟䌚の安寧の方が倧事」ずいった「蚀い蚳」をするのではないだろうか。
    仮にこの蚀い蚳自己正圓化のロゞックを認めるずしおも、それではやはり「殺人」は「絶察悪」぀たり「どんな理由があっおも、なされおはいけない悪」ではなく、「盞察的な悪」぀たり「瀟䌚の認める理由さえ぀けば、堂々ず行なうこずのできる、正圓行為ずしお認められるもの」ずいうこずになり、芁は「殺人」は、堎合によっお「善にでも悪にでもなる、盞察的なもの」ずいうこずになるだろう。

    だずすれば、「殺人出産」が描く䞖界における「人生めば、人殺しおもいい。」ずいう「瀟䌚芏範」もたた「正しい」ずいうこずになるのではないか。
    䞀䞀だが、あなたは、これを認めるこずができるだろうか

    これを認めた堎合、あなたは「産み人」から正圓に殺される「死に人」に遞ばれるかもしれない。「産み人」には、殺す盞手ずしおの「死に人」を自由に遞ぶ暩利があり、それが保蚌されおいお、その遞択「理由」は問われない。理由は、䜕でもいいのである。だから、極端な堎合、芋も知らぬ人から、よくわからない理由で「死に人」に遞ばれ、合法的に殺されるかもしれないし、あなた自身ではなく、あなたの芪や子や恋人が、いきなり「死に人」に遞ばれお殺されるかもしれない。
    そしおそれは、瀟䌚が法的に認めた「正圓行為」なのだから、それに文句を蚀うこずは、凊眰こそされないものの「反瀟䌚的な意芋」だずみなされるし、そうした瀟䌚に銎染んで「殺人出産」制床を自明芖するに至った倚くの人からは、「囜家秩序の吊定者」だず癜県芖されるこずにもなるだろう。
    はたしお、あなたは、こんな瀟䌚制床ずその「人呜に぀いおの䟡倀芳」を承認するこずができるだろうか

    しかし、もし「そんなものは認められない」ずいうのであれば、あなたは「珟圚」、法的に認められおいる「合法的殺人」に぀いおも反察しないず、筋が通らないのではないだろうか。
    単に、自分たちが慣れ芪しんでいるずいう理由で、「珟圚」の「死刑」や「戊争」ずいった「殺人」行為を認めるずいうのは、本䜜「殺人出産」で描かれた「人生めば、人殺しおもいい。」ずいう制床を「合理的なもの」だず承認し、「産み人」を厇高な存圚のように賛矎する「䞀般の人たち」ず倧差のない、「気味の悪い人」だず蚀われおも仕方ないのではないだろうか。


    本䜜は、このように「呜をめぐる制床的正矩ず、それを支える倫理芳」の問題を提起しおいるのだが、䜜者は決しお、単玔に「殺人は悪だ」などずいう「挠然たる䞀般論」に䞎しおいるわけではない。

    そうではなく、むしろそうした「䞀般論」が、いかに足堎の定かならぬものなのかを読者に瀺しお、読者が「圓たり前」だず思い蟌んでいる「䟡倀芳正矩感倫理」ずいうものの「䞭身」の問い盎しを促しおいるのではないだろうか。

    本䜜の「仕掛け」は、い぀もどおり比范的単玔なもので、それは䜜者の埗意ずする「極端化」ずいう手法だ。
    ぀たり、私たちの「呜は倧切殺人は絶察悪」ずいう「䟡倀芳正矩感倫理」は、しばしば「きれいごずタテマ゚」であっお、私たちの「ホンネ」は䜜䞭人物たちず同様、しばしば「あい぀を殺したい」「あんなや぀、死ねばいいのに」ずいったものなのだが、この「䞡極的二項」を極端化しお提瀺したのが、「殺人出産」の䞖界なのである。

    ずもあれ、私たちの倚くは、心の䞭で真剣に「あい぀を殺したい」ず思ったずしおも、殺人を実行に移すこずはたずない。殺人の代償を考えれば、本䜜の䞻人公ず同様、心の䞭で殺すに止めるし、それ自䜓は「犯眪」ではないから、瀟䌚的には問題はないのだ内心の自由。
    だが、「心の䞭での殺人」には䜕の問題眪・悪も無いかず蚀えば、無論そんなこずはない。
    たずえば、む゚ス・キリストは『情欲をいだいお女を芋る者は、心の䞭ですでに姊淫をしたのである。』ず蚀い、「情欲をいだいお女を芋る」行為は、実際に「姊淫する」のず同じ眪を犯したこずになる、ずいう厳しい「倫理芳」を提瀺しおもいる。そしおもちろん私たちは、珟実には「心の䞭」でいろいろず良からぬこずを考えおおり、その意味では決しお眪も悪もない枅廉朔癜な人間ではないのだが、そもそも人間ずはそういうものなのだから、キリスト教の理想は理想ずしお、行ないさえ正せればそれでいいず、ひずたずはそう考えるしかない。
    ぀たり、人間ずは「理想ず珟実タテマ゚ずホンネ」のバランスを取りながら、どちらにも偏り過ぎない隘路を歩たなければならないずいう困難に、あらかじめ運呜づけられた「矛盟した存圚」なのである。

    だが、本䜜「殺人出産」で問われおいるのは、「心の䞭の問題」なのだ。
    「殺人」ずいうものを、「呜」ずいうものを、どう「考える」のか。それが、具䜓的に問われおいるのであり、その問いを先鋭的なかたちで瀺すために、「きれいごずタテマ゚」ず「実際ホンネ」を、「人生めば、人殺しおもいい。」ずいう「極端な察照性」ずしお具䜓的に描いおみせたのだ。

    だから、「殺人出産」に描かれた「すべおの人呜の尊重ずいう建前的な、叀い䟡倀芳」ず「人も生めば、人くらい殺しおもいいではないかずいうホンネ的な、新しい䟡倀芳」ずでは、どちらか䞀方を「正しい」ずする、絶察的な「根拠正答」は存圚し埗ない。

    そもそも、この宇宙には「善も悪もない」のは自明であり、人間の考える「善悪」ずは、倧雑把にいえば「人間が皮ずしお生き延びおいくために郜合の良い芏範的䟡倀芳を、進化論的に内面化したもの」でしかないのである。
    だから、的に人間の「存圚属性」を倉曎するならば、おのずずその「䟡倀芳正矩感倫理」も倉わるのが圓然であり、その兞型的な実䜜䟋が、本曞所収の「トリプル」だ。

    「トリプル」では、人間の「生物的性愛関係」が「二者関係オスメスを基本ずしお、同性愛もバむセクシャルも含める」から「䞉者関係トリプル」に移行しはじめた時代の「感芚の倉容」を描いおおり、実際にこのような倉化が起こったずすれば、「ダブル的性愛」ず「トリプル的性愛」の「どっちが正しいのか」などずいう問いは、完党に無意味である。なぜなら、それは「正邪善悪」の問題ではなく、「事実」の問題でしかないからだ。
    ちなみに、本曞所収の他の線、「枅朔な結婚」や「䜙呜」もたた、「性や生」に関する䟡倀芳が倉容しおしたった䞖界を描いおいる

    そしお、話を「殺人出産」に戻せば、その䞖界も「すべおの人呜の尊重ずいう建前的な、叀い䟡倀芳」ず「人も生めば、人くらい殺しおもいいではないかずいうホンネ的な、新しい䟡倀芳」ずを察照的に描いおみせおいるが、実際のずころ、生物孊的には「トリプル」の䞖界の到来は考えにくいように、「殺人出産」制床のある瀟䌚の到来も、人間の「進化論的本胜」からすれば、たずはあり埗ない考えられる。
    しかし、だからこそ本䜜は、「リアルな問題提起䜜品」ではなく「思考実隓的な問題提起䜜品」であり「知的な課題䜜」なのだずいうこずを、私たちは正しく了解すべきであろう。

    本䜜は、単なる「異様な未来䞖界を描いたホラヌ」ではなく「瀟䌚掟」なのだ。単に「怖いお話」ずしお、嚯楜的享受に䟛するために曞かれた䜜品ではなく、「極端化された䞖界を描くこずによっお、珟実䞖界に䌏圚しおいる問題の本質を問う䜜品」なのである。

    したがっお、読んで「怖い小説だった」だけで枈たしおはいけない。そうではなく「仮に、こうした䞖界におかれた堎合、自分なら、どのような䟡倀芳を遞択し、それをおのれに課すだろうか」ず考えなくおはならない。

    そしお、そうした問題意識は、「今ここ」の珟実䞖界においおも、読者に「知的な批評県問題意識」を芁求するこずだろう。
    本曞『殺人出産』所収の諞䜜における問題意識に即しお蚀えば、「呜が倧切だずいうのは、どういう意味ず䟡倀芳においお、そう䞻匵されるのか」ずか「性愛における正垞ずは、䜕か そもそも正垞であるこずに、どれだけの䟡倀があるのか」ずいうような問いを、読者は自身に問いながら、本曞を読たなければならない。
    そうでなければ、それは「村田沙耶銙の小説」を読んだこずにはならないのである。

    初出2020幎4月23日「Amazonレビュヌ」
      2021幎10月15日、管理者により削陀

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