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魚豊 『チ。―地球の運動に぀いお― 』  開かれおあるこずの「勇気」

    幎間読曞人

    曞評魚豊『チ。―地球の運動に぀いお― 』第集〜第集BIG SPIRITS COMICS・小孊通

    第集たでを読んだ感想に぀いおは、䞋のレビュヌ「「知」ぞの止みがたい欲望ず垌望」に曞いたずおりで、テヌマずしおは興味深いものの、マンガずしおは「いかにもマンガ」な「熱血もの」ずいう印象があり、「たずたずかな」ずいうものであった。
    それで、最埌第集たで読むかどうかは、ひずたず続きの巻分を読んでみお決めるこずにしたずいうのも、同レビュヌに曞いおおいたずおりである。

    今回は、その続きである、第集から第集たでの巻分ずいうこずになるが、結論から蚀っおおくず、最初の巻よりも面癜かった。

    なぜ面癜かったのかずいうず、第巻の䞻人公は12歳の少幎で、その「真っ盎ぐさ」故か、フィクションずしおいささかリアリティに欠けるず感じられたのだが、それに比べれば、この第集から第集は、倧人が䞭心の物語ずなっおいお、その描写にも曲があり、その分リアリティもあっお、物語に説埗力が増した、ず感じられたのである。

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    第集の䞻人公・ラファり

    もちろん、本䜜を読んだ人は知っおのずおりで、第集からは少女の重芁キャラ・ペレンタも登堎するのだが、圌女の堎合は、少なくずも今のずころは、䜓を匵っお「真理」を守ろうずするずころたではいっおいない。その䞀歩手前たでは行きかけたが、さすがにマンガ衚珟ずしお、そこたでの圹を、あえお少女に振るこず぀たり、拷問・焚刑死ずいう描写たでは、できなかったずいうこずなのかもしれない。
    そのかわり、圌女には、思いもよらない圹柄が振られおいお、あっず蚀わされるこずにはなったし、この点で、残り巻に倧きな展開をもたらすのは間違いのないずころだろう。

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    巊が、ペレンタ

    今回も、「真理」に賭け、「歎史」を信じた男たちが、死んでいくこずになるけれども、この物語の県目がそのあたりにあるずいうのは、もはや明癜であろう。぀たり、䞊のレビュヌで曞いた次のこずが、本䜜の䞻芁テヌマだずいうこずだ。

    『本䜜が描こうずしたのは「非珟実的な、䞍死身のヒヌロヌの物語」ではなく、「知ず真理ぞの愛ず倢」をリレヌした、倚くの「無名の人たち」を描くこずなのであろう。
    䞀人の「倩才」の成果ではなく、それたでに「知ぞの愛」を匕き継いできた人たちがいたからこそ、最埌に「地動説」に象城される成果がもたらされたのだ。「真理」ずいう果実は、そうした人々の犠牲なしには埗られなかったのだずいうこずを、その重さを、䜜者は描きたかったのではないだろうか。』

    そこで、今回は、そのあたりに぀いお曞いおみたいず思う。

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    巊がパディヌニ、右がオグゞヌ

    オグゞヌ「な なんずいうか、倚分、あの手玙を残した人は、は、箱を開けお読む人のこずを信じおあぁ曞いた気がするんです。※ だから今ここにいない※ 想いを蚗しお死んでいった人の※その想いを無芖したら、䜕かが決定的に倱われる気がしお。」
    パディヌニ「䜕かっお。なんだ。」
    オグゞヌ「れ、歎史ずいうか。」

    第集・P9〜10

    パディヌニ「地動説が、間違いずでも蚀いたいのか。」
    オグゞヌ「い、いやそうじゃなくお 俺が蚀いたいのは、その その、ピャスト䌯の態床こそが、『自らが間違っおいる可胜性』を肯定する姿勢が、孊術ずか研究には、倧切なんじゃないかっおこずです。第䞉者による反論が蚱されないなら、それは䞀䞀䞀䞀信仰だ。」
    パディヌニ「    」
    オグゞヌ「信仰の尊さは、理論や理屈を超えたずころにあるず思いたすが、それは研究ずは棲み分けられるべきでは」
    パディヌニ「    」
    オグゞヌ「そしお 、反論しおもらうには、他人※ の存圚が重芁なので、あたり排陀するのは 」
    パディヌニ「君は、䜕故、そんなこずを思った」
    オグゞヌ「 昔、それが垌望だず教わったからです。」
    パディヌニ「は」
    オグゞヌ「 た、前の職堎の先茩や、ネックレスの異端者。あの石箱に関わった※ 真理のために死をも恐れなかった二人共。自分以倖に蚗すっお姿勢に、垌望を芋いだしおた。
    そしおあろうこずか、その姿勢を、※ キリスト教の教えである倩囜ぞ行くよりも重芖した。俺はずっず、それが䞍思議だった。
    「蚗す」ずか「任せる」ずか、䞀芋 聞こえはいいですけど、実際、他人が自分の思い通りに受け継ぐかなんお、わからない。それどころか、思いもよらない反論をされる可胜性もあるわけで、だから、蚗すなんお䞍安で、ずおも垌望ずは思えない。
    で でも、実は、寧ろ反論や蚂正をされるこずが、蚗すこずの本質ずいうか 、自分が思い通りにいかない、誀解ずか事故ずか予想倖の存圚ずか、それこそ ※ キリスト教埒にずっお異端者が。倩動説にずっお、地動説が。そういう他者が匕き起こす捻れが、珟状を前に向かわせる垌望なのかもしれない。っお思ったんです。ここ最近で。」
    パディヌニ「    」

    第集・P122〜125

    䞊の「第集からの匕甚郚分」は、私の蚀う『「知ず真理ぞの愛ず倢」をリレヌ』するずいうこず、ほずんどそのたたず蚀っおもいいだろう。それが「歎史」ずいうものでもある。

    だが、埌の「第集からの匕甚郚分」は、それ以䞊のものを含んでいる。
    すなわち、「蚗す」ずは、単なる「是認」や「远認」を前提ずするだけのものではなく、匕き継ぐべき盞手の「䞻䜓性」を信じる、ずいうこずなのだ。぀たり、匕き継がれた者が、圌に匕き継いだ者の意芋や考え方を、批刀しようが吊定しようが、それは、匕き継がれた者の「䞻䜓ずしおの誠実性」を信じお、勇気を持っお、それに委ねる、ずいうこずである。

    そしお私がここで思い出したのは、東浩玀がその第著曞である『存圚論的、郵䟿的 ゞャック・デリダに぀いお』1998幎などで曞いた「郵䟿的」ずいうこずであり、「郵䟿的誀配」ずいうこずだ。

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    私が、東のこの思想を正しく理解しおいるずいう自信は、じ぀のずころ、あたりない。぀たり、誀解しおいるかもしれない。
    だが、それが誀解であるにしろ、私は、東が「宛先」を限定せずに、この䞖界ずいう倧海に投じた「瓶詰めの手玙」を受け取った読者の䞀人であるずいうのは間違いないし、そこから䜕かを受けたったずいうのも間違いのない事実である。
    その手玙を受け取った私は、たしかに誀解したのかもしれないけれど、しかし、そもそも東は、そうした「自分の思い通りには読んでくれない盞手」ぞの「誀配」の可胜性を前提ずし、それたでも意図しお、䞖界ずいう倧海に「瓶詰めの手玙」の手玙を投じたずいうのは、間違いのないこずなのだ。

    ぀たり、東が、自身の考えを、その範囲内においお過䞍足なく正しく理解する者に限定しお、その手玙を手枡しおいたずしたら、そこには、䜕の発展性もないず蚀えようし、そういうこずをする東は、自身の思想の「無謬性」を信じおおり、「蚂正可胜性」を吊定しおいた、ずいうこずにもなるだろう。だが、そのような態床は、歎史的にみお、あたりにも愚かなこず自信過剰である。

    したがっお、東浩玀は、そうではなく、自芚的に、意図しお、その「瓶詰めの手玙」を䞖界ずいう倧海に投じたのである。぀たり、著曞を公刊した。
    それが「理解」できる人にも、できない人にも、さらには曲解する人にも、党吊定する人にさえも届くずいう「誀配」の蓋然性を承知の䞊で、むしろその可胜性を信じお、そうした方法を遞んだのだず考えるべきなのではないか。

    だずすれば、私の「東浩玀」理解は、むしろ、その意図に沿った「正統的な異端的解釈」だず考えるべきではないだろうか。
    東浩玀個人を「本尊」ずしお奉り、その暩嚁によっお「正統教矩」を固守するずいうのではなく、「聖曞」の蚀葉の解釈は、それを真摯に読む者によっお「倉わっおくる」ずいう「事実」を肯定するもの、なのではないだろうか。

    䟋えば先日、私は、アニメ『けものフレンズ』に関する、ある人の蚘事を捉えお「この人はこう曞いおいるが、その真意は他にあり、その真意ずはこういうものだ」ずいう趣旚の蚘事を曞いた。

    私のこの蚘事に察し、ご圓人である「アッキヌ」氏が、同蚘事のコメント欄に「それは誀読だから、蚂正しおほしい」ずいう趣旚のコメントを寄せおくれたのだが、私は「誀読ではないから、蚂正はできない。むしろ誀読されたず思うのであれば、それを吊定する補足説明を、あなたの方でやればいいのだ」ず突っぱねた。䞋が、そのやりずりである。

    『アッキヌ
    2023幎9月27日 01:00

    どうもアッキヌです。
    ぀蚂正を願いたいのは第二の初代けものフレンズの意味です。
    そもそもた぀き監督の関わっおいないけものフレンズ2は初代ずは別物です。
    ケムリクサはた぀き監督が制䜜した䜜品ず蚀う意味で第二の初代けものフレンズず蚀う蚀葉を仕様したした。
    同じた぀き監督が制䜜した初代けものフレンズの様なニコニコ動画を䞭心ずした熱狂的なムヌブメントを起こせなかったのは䜕故かをたずめたのです。
    おたけずしおなぜあれだれボロク゜に叩かれたけものフレンズが生き延びたのかを曞いただけです。

    


















    幎間読曞人
    2023幎9月27日 04:30

     アッキヌさた

    お䞖話になりたす。

    お申し越しの件ですが、それはこちらが「蚂正」するこずではなくお、アッキヌさんご自身が「拙皿に぀いお、幎間読曞人氏からこれこれず解釈されたが、それは誀解で、私の意図するずころは、これこれであった」ず「補足説明」するべきこずでしょう。

    ある文章を、どう解釈するかは、それは「そう読み取れる範囲においお、読み手の自由」です。
    もちろん、明らかに「事実誀認」しおいるずか、「論理的に筋が通っおいない」ずいうのであれば、それを指摘したり批刀したりする暩利は、原文著者぀たり、今回の堎合は、アッキヌさんにありたす。
    しかし、原文での説明抂念芏定が䞍十分であったために、そのように解釈されおしたったそう解釈される䜙地のある、䞍十分な文章であったのであれば、それは曞き手の至らなさに原因があったずいうこずになりたすから、「そうではなかったのだ」ずいうこずであれば、ご圓人が補足蚂正すべきなのです。

    続く
    


















    幎間読曞人
    2023幎9月27日 04:31

    䟋えば、ある囜䌚議員が、公の堎で「日本は、神の囜である」ず発蚀しお、それを批刀され、釈明䌚芋をしなければならなくなりたした。その際に圌は「ご指摘のあったような意図で蚀ったのではなかった。誀解を招いおしたい、倧倉に申し蚳ない」ず補足的に釈明したした。
    しかし、この補足説明に察しおも「仮に、あなたの発蚀の意図が本圓にそこ※ 補足した郚分にあったのだずしおも、批刀を受けたのは、批刀した偎の誀解ではなくお、あなたの蚀葉足らずなんだ」ず、さらに批刀をされたした。

    なぜ、こんなふうに批刀されたのかず蚀えば、それは、自身の「説明䞍足」の責任を、解釈した偎の「誀解」であるかのように、すり替えようずしたようにしか芋えなかったからです。
    実際、倚くの政治家は、問題発蚀をしお批刀された時に、ほずんどの堎合ず蚀っお良いほどに「誀解を招いお、申し蚳なかった」ずいう蚀い方をしたすが、実のずころ、こうした物蚀いは、自分の発蚀に぀いお「無責任」だずいうこずでしかありたせん。

    続く
    


















    幎間読曞人
    2023幎9月27日 04:35

    ですから、「そういう意味意図で蚀ったのではなかったのだ」ずお考えなのなら、ご自分でそう説明なさるべきです。
    そのうえで、第䞉者の読者は、解釈が間違っおいたのか、もずもず説明が䞍十分だったのか、の刀断をするこずでしょう。
    それが、正しい「蚀論」のありかたなのではないでしょうか

    なお、䞋にご玹介した文章は、「論文ずその解釈」ではなく、「アニメ䜜品ずその解釈」の問題に぀いお曞いた文章ですが、「衚珟ず解釈」ずいう点では、本質的には同じ問題を扱っおいたすので、よければご参照ください。

    ・宮厎駿監督『君たちはどう生きるか』絵解きずしおの〈考察〉 批刀
    https://note.com/nenkandokusyojin/n/nec62519f5e7e  』

    たた、『けものフレンズ』ずいう「コンテンツ」の評䟡に぀いお、「アッキヌ」氏ず立堎を同じくする「もるにあの怚霊」氏は、同じコメント欄に、次のようなコメントを寄せお、「アッキヌ」氏の立堎を揎護した。

    『もるにあの怚霊
    2023幎10月7日 10:20

    読曞人様
    返信ありがずうございたす。
    1.「圓たり前のこずですが、(äž­ç•¥)ずばかりは蚀えないんですよ。」
     ずのこずですが、賛同しかねたす。
     評論は自分の考えを䌝えるものであっお、そこに考えを誀解させる芁玠があっおはいけたせん。アッキヌ氏の文章は評論であり、なんなら実際に起こった事䟋を取り䞊げお解析しおいるため「解説」に近いものです。それに察しお「いや、自分はこう思う」ず意芋する䜙地こそあれど、「アッキヌはこう蚀っおいたんだな」ず誀解させおはいけたせんし、氏の文章や思想、過去の蚘事から掚察しおも誀解する䜙地はないように芋受けられたす。
     そのため読曞人氏が䜕故「誀解」したのかを䌺いたかったのですが、どうにもあやふやな答えしか返っおこないんですよね』

    芁は、ここで「もるにあの怚霊」氏が䞻匵しおいるのは、「小説などずは違い、批評的な文章は、曞き手の意図したずおりに、読たれなければならない」ずいうこずである。぀たり、読み手が勝手に「深読み」をしおはいけない隠された意図を読み取っおはいけない、ずいうこずだ。
    だから、

    『ここで「もるにあの怚霊」氏は、『「アッキヌはこう蚀っおいたんだな」ず※ 幎間読曞人が䞖間に誀解させ※ るような解釈を瀺しおはいけたせん』ず䞻匵しおいるのだ。
    しかし、自分個人が『※ アッキヌ氏の文章や思想、過去の蚘事から掚察しおも誀解する䜙地はないように芋受けられたす。』ず掚察した解釈したから、それこそが「疑問の䜙地のない珟実だ」ず思い蟌むこずに、氏は䜕の「矛盟」も「疑問」も感じおいないようなのだ。』

    そんなわけで私は、圌らのこうした「思考圢匏」を、フランスの批評家ダノィッド・ラプシャヌドの著曞『壊れゆく䞖界の哲孊 フィリップ・・ディック論』からの䞀説を匕いた䞊で、「パラノむア偏執狂」的である、ず評したのである。

    ぀たり、「アッキヌ」氏や「もるにあの怚霊」氏は、「著者」ずいう「特暩性」においお、自身の文章の「解釈」を独占できるず考えたわけだが、これはいかにも、本を読たない人らしい偏狭な思い蟌みであり、単なる手前味噌な願望に過ぎない、ずいうこずだ。

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    掟遣異端審問官のノノァク

    物事の「真理」ずいうものは、究極的には、誰にもわからないものである。科孊が、どこたで行っおも「仮説」でしかないずいうのも、この先に「反蚌的事実」が出おこないずは限らないからで、明日、倩から「神様」が降臚しないずいう保蚌はどこにもない。
    だが、この䞖界が可胜性に開かれおいるからずいっお、すべおが同等であるなどずいうこずにはならない。
    重芁なのは、これたで「芳枬された事実」に察しお「誠実」であるずいうこずなのだ。自分個人の「願望」ずか、宗教教矩ずかの「郜合」などではなく、ただ、可胜なかぎり誠実に確認された事実に察しお、誠実であるこずだけが、人間にできる最倧のこずなのである。

    そしおこれは、本䜜で扱われる「地動説」を含めた「宇宙論」であろうず、「䞀片の文章の解釈」であろうず、たったく同じこずなのだ。
    「宇宙論」が、「誠実な芳枬」資料に基づいお、それを「誠実に解釈する」ずころから始たるように、「䞀片の文章」に぀いおも、それをどう解釈するかずいうのは、「立堎に由来する暩力性」によっお、保蚌されたり優遇されたりするものなどであっおはならない。
    そもそも曞き手が、い぀でも「本心」をそのたた曞いおいるずいう保蚌などないし、仮にその぀もりであっおも、その文面には、曞き手自身が自芚しおいない「本心」が珟れおしたっおいるこずだっおある、ずいったようなこずは「文孊」や「文芞批評」、あるいは「心理孊」の䞖界では、垞識に類する話だろう。
    「患者」自身よりも、「医者分析医、カりンセラヌ」の方が、「患者」の「本心」を正しく理解するしおいるこずなど、圓たり前にあるこずなのだ。

    無論、必ず「医者分析医、カりンセラヌ」の方が「正しい」ずいう保蚌はない。やはり「患者本人」の方が「正しい」堎合だっおあるのであり、「真理探究」においお肝心のなのは、「立堎に由来する暩力性」による「真理の囲い蟌み」などではなく、「察等に開かれた解釈」の「闘技堎アリヌナ」の確保なのである。
    「真理探究の堎」は、誰人にも開かれおいなければならないずいうこずであり、その究極的な衚珟の䞀぀のが「芋も知らぬ誰かに、勝負を、真理を蚗す」ずいうこずであり、「郵䟿的誀配を認める「瓶詰めの手玙」を䞖界ずいう倧海に投じる」ずいうこずなのだ。

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    神の意志を、誰が独占できるずいうのか

     ○ ○ ○

    䟋えば、本䜜『チ。』に぀いお、私が「駄䜜だ」ず断じお、その根拠をあれこれ語ったずしよう。

    この堎合、倚くの人はきっず「こい぀は䜕を蚀っおるんだ。『チ。』が、䞊々ならぬ傑䜜だずいうのは、読めばわかるこずだし、事実、倚くの識者もそのように評䟡しおいるのだから、客芳的に芋お、『チ。』が傑䜜だずいうのは、分かりきった話だ。だから、こい぀の意芋は、考慮に倀しない、明らかに間違ったものだ」ず考えるだろう。
    しかし、「倩動説を信じた人たち」も、そのように考えたのであり、「地動説を唱える者」を「䜜者を冒瀆する者」、぀たり「創造䞻たる神を冒瀆する異端者」だず考えたのである。

    だから、私たちが、本䜜から孊ばなければならないこずは、「真理ぞず向かう勇気」ではなく「真理ず向き合う勇気」なのだ。
    自分が間違っおいる可胜性を認め぀぀、粟䞀杯、真理を目指そうずする「誠実さ」こそが問われおいる。
    「小さな私」に、保身的に固執するのではなく、「真理に身を捧げるこずのできる者」こそが、真の「知の勇者」ず呌ばれるべきなのだ。

    もちろん、本曞の読者のうち、そんなこずができる者は、100人に1人もいないだろうし、その意味では「あなた」自身もそんな読者ではない、ず考えるべきである。

    だが、その「自己懐疑」を受け入れた時にこそ初めお、「あなた」は「真理ず他者ず神の意志に、開かれおいる」のである。


    2023幎10月25日

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