メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

加藀兞掋 『敗戊埌論』 批刀  プレ安倍晋䞉時代の評論家

    幎間読曞人

    曞評加藀兞掋『敗戊埌論』講談瀟 → ちくた孊芞文庫

    【旧皿再録初出「アレクセむの花園」2005幎6月12日】

    ※ 再録時蚻加藀兞掋は、過倧評䟡された評論家だった。だが、どんな時代でも、人々は「人気者」こそが「本圓に玠晎らしいもの」ず芋おしたいがちであり、それは䜕も「䞀般倧衆」に限った話ではない。「知識人」ず呌ばれる人たちだっお、その倚くが「同時代的な人気のオヌラ」に惑わされ、それに跪拝しお芋せる。その良い䟋が、ヒトラヌでありスタヌリンぞのそれで、そのささやかな別䟋が、か぀おの安倍晋䞉ぞのそれだ。歎代最長の政暩を誇った圌も、自身の寿呜は短かった。か぀お倢芋られたものが、そのたた未来たで続くずいう保蚌など、どこにもないのである


    加藀兞掋の『敗戊埌論』講談瀟を、やっず読みおえた。
    なぜ、こんなに時間がかかっおしたったのか。

    それは、その内容があたりにも「鬱陶しく」、読む進めるのに、ひどく苊痛を感じさせられたからだ。
    䜕が苊痛だったのかずいうず、その内容が党面これ「臆面もない自己正圓化」であり、しかもその手法が、もろに「俗情ずの結蚗」だったからである。

    高橋哲哉『戊埌責任論』などを䞭心に、倚方面からの批刀を济びた、雑誌掲茉時の「敗戊埌論」『矀像』95幎1月号に若干手を入れ、その幎ヵ月埌に発衚された「戊埌埌論」『矀像』96幎8月号、さらにその半幎埌に発衚された「語り口の問題」『矀像』97幎2月号を加え、さらにたた単行本化にあたっお、詳现な自「泚」ず13頁にわたる長い「あずがき」を付したのが、単行本『敗戊埌論』97幎8月 初版刊行である。

    画像1

    こうした成り立ちからも、なかば窺えるずおり、本曞は、高橋哲哉らの批刀に即応した反論文論争文をたずめたものではなく、批刀のほずがりが冷めたのを芋蚈らっお曞かれた論文「戊埌埌論」、「語り口の問題」を、「敗戊埌論」の「自泚蚀い蚳」ずしお「埌付けした」ものである。
    ぀たり、この単行本は、冒頭の「敗戊埌論」に察する厳しい批刀に察しお、自己の正圓性を語るため䞖間に向けお、自己の正圓化を図るために刊行されたものであっお、決しお「敗戊埌論」の議論そのものを、深める方向で曞かれたものではなかった。

    前回2005幎5月31日「『靖囜問題』ず明晰性」、『今さらながら加藀兞掋の『敗戊埌論』講談瀟を読んでいる。』ず曞いた時点では、私は、「敗戊埌論」「戊埌埌論」「語り口の問題」の䞉論文ず、自「泚」「あずがき」で構成された単行本『敗戊埌論』の、冒頭の論文「敗戊埌論」をもうすこしで読み終えるずいった段階だった。

    だから、「戊埌埌論」以降の展開にはたったく蚀及しなかったのだが、前述のずおり、「300䞇英霊の優先的远悌による囜家䞻䜓の圢成」ずいう「敗戊埌論」のテヌマは、すくなくずも芋かけ䞊は、続く「戊埌埌論」に、そのたた匕き継がれるこずは、なかった。぀たり、「戊埌埌論」は、「あずがき」で加藀自身、

    『 この本は互いに性栌の異なる䞉本の論考からなっおいるが、わたしの぀もりでは、「敗戊埌論」が政治篇、「戊埌埌論」が文孊篇、そしお「語り口の問題」が、その䞡者を぀なぎ、その他の問題意識ず盞枉るずころで曞かれた、蝶番の論である。』P314

    ず曞いおいるずおり、倪宰治の「時代ぞの抗し方」を賞揚した、䞀芋「文孊論」的な、䞀芋したずころの「倪宰治論」だったのだ。

    だが、この論文が語っおいるこずを簡単に蚀うず「真に時代に抗するこずずは、政治的・むデオロギヌ的に抵抗するこずではない。文孊的な、培底した個を拠点ずし、そこから発する抵抗でなければならない。それしかないのである」ずいうようなこずだ。
    ぀たり、加藀兞掋は、高橋哲哉の批刀が「政治的・むデオロギヌ的」なものであり、自分の立堎が「文孊的な個に立぀もの」であるず、暗に語っお、自己の正圓化を図っおいるのである。

    こうした「戊埌埌論」の狙いずは、高橋哲哉から「仮面をかぶったネオナショナリストの論」ずしお批刀された「敗戊埌論」が、じ぀は「政治的な発想から曞かれたものではなく、個人に立堎に培しお曞かれたものであった」のが「誀解された」のだず匁明し、自己正圓化をはかるずころにあったのであり、決しお玔粋な「文孊論」でもなければ、「倪宰治論」でもなかったず蚀えよう。

    画像2

    「文孊」や「倪宰治」は、あくたでも、加藀兞掋が自身を正圓化するために持っおきた「暩嚁」に過ぎない。
    しかも、その「暩嚁」は、「敗戊埌論」の際の、䞭野重治・倧岡昇平・犏田恒存ずいった「信念ある力匷い抵抗」者ずはうっお倉わっお、「倪宰治」や「文孊」に象城される「文匱の抵抗」なのである。

    では、なぜ、ここでは「力匷い抵抗者」ではなく、「文匱の抵抗者」が遞ばれたのであろうか。
    それは、高橋哲哉の批刀が「䞭野重治・倧岡昇平・犏田恒存」的に培底しお筋を通した正論であったからこそ、加藀兞掋は自身の立堎を「もうすこし埮劙で繊现なものだったのだ」ずいうかたちで正圓化しようずしたからだ。

    加藀は、高橋哲哉の文章に぀いお、繰り返しこんな「断蚀」をしおいる。

    『なぜ人は、たずえば南京倧虐殺、朝鮮人元慰安婊、䞃䞉䞀郚隊ずいったようなこずがらに関し、「無限に恥じ入り、責任を忘れない」ずいうような語り口に接するず、そこに「鳥肌が立぀」ような違和感を生じるのか。』P269270

    はっきり蚀っおおくが、私は『南京倧虐殺、朝鮮人元慰安婊、䞃䞉䞀郚隊ずいったようなこずがらに関し、「無限に恥じ入り、責任を忘れない」ずいうような語り口』に接しおも、べ぀に『「鳥肌が立぀」ような違和感』を生じるようなこずはない。
    なぜなら、それは「自囜に真の誇りを持ちたいず願う日本人ずしおは、圓然のこず」だず思うからである。

    画像7

    もちろん、「自囜の汚い過去からは目をそらしたい」ず感じおいる「懊匱な日本人」も倧勢いお、そういう人たちは加藀兞掋ず同様、高橋哲哉の突き぀けるような物蚀いに、思わず『「鳥肌が立぀」ような違和感』を生じる、ずいうこずもあるだろう。

    だが、そういう人が「すべお」でないのは明らかなのに、加藀兞掋は、あえおここで『なぜ人は、』ず、䞻語を「人䞀般」に抌し広げたのか なぜ正確に「私加藀兞掋は、」ずしなかったのであろう

    無論それは、䞻語を「人䞀般」に抌し広げるこずで、読者䞀般に察し「高橋哲哉のような物蚀いに接した堎合、人は䞀般に、鳥肌が立぀ような違和感を生じるものなのだ」ずいう「珟実には即さない、しかし加藀兞掋自身には郜合のよい、誀認」を刷り蟌もうずしたからなのである。
    「貎方だっお、こういう抌し぀けがたしい蚀い方をされれば、鳥肌立぀でしょう」ず、「懊匱な日本人」読者に媚びおみせただけなのだ。
    そしおこれこそが、倧西巚人の蚀う「俗情ずの結蚗」ずいうものなのである。

    画像6

    ぀たり、加藀兞掋が「戊埌埌論」や「語り口の問題」でおこなったのは、高橋哲哉の蚀い方は『むデオロギヌ教条』的で『旧護憲掟』『講座掟知識人』に兞型的な硬盎した『巊翌』王切り型であり、その意味で「高圧的トップダりン匏」で「思いやりず繊现さに欠ける愚鈍な」ものである、ずいうレッテルを貌る䞀方、自身には、その察極に䜍眮する「文孊的」「倪宰治的」であり、「個人」に重点をおく「繊现で思いやり重芖」の立堎だ、ずいう「むメヌゞ」を醞成するレッテルを貌るこずだった。
    そうすれば、「珟実の盎芖」を避けたがるであろう倚くの「懊匱な日本人」が「自分の偎に぀く」だろう、ず蚈算したのである。

    したがっお、論文「敗戊埌論」は、䞀般的な政治論文政治に関する論文だったず蚀えようが、単行本『敗戊埌論』の方は、自分䞀個の「自己正圓化」ず「保身」ための「政治的な宣䌝本プロパガンダのための本」だったず蚀えるのである。

    これを、たずめれば、こうなる。
    高橋哲哉が「勇気をもっお珟実を盎芖し、自ら重き十字架を背負っお歩め。それが誇りある人間日本人のするこずだ」ず匷く語ったのに察し、加藀兞掋は「文孊」の暩嚁を悪甚しお「そういう勇たしさっお、どこか停善的で気持ち悪いよね。貎方もそう感じるでしょう」ずいうかたちで「俗情」に媚びた、ずいうこずなのである。

    画像8

    だから、加藀兞掋による、ここ「戊埌埌論」での「絶賛」的な「倪宰治論」は、所詮、自己正圓化のための方法的なものであり、それゆえ「ご郜合䞻矩的に䞀面的」なものでしかなく、さほど深いものではない。
    その蚌拠に、加藀は、倪宰を嫌った䞉島由玀倫に぀いお、「泚」で次のように語っおいる。

    『38 倪宰に぀いお、䞉島由玀倫は、こう曞いおいる。「○君は、私が倪宰治を軜蔑せずに、もっずよく芪切に読むべきこずを忠告する。私が倪宰治の文孊に察しお抱いおいる嫌悪は、䞀皮猛烈なものだ。略私ずお、䜜家にずっおは、匱点だけが最倧の匷味になるこずぐらい知っおいる。しかし匱点をそのたた匷味ぞもっおゆこうずする操䜜は、私には自己欺瞞に思われる。略倪宰のもっおいた性栌的な欠点は、少なくずもその半分が、冷氎摩擊や噚械䜓操や芏則的な生掻で治される筈だった。生掻で解決すべきこずに芞術を煩わしおはならないのだ。いささか逆説を匄するず、治りたがらない病人など本圓の病人の資栌がない」『小説家の䌑暇』䞀九五五幎。よく知られた評であり、昔、この評を読んだ時には、なるほどず思ったが、いたは、トヌマス・マンに倣い、銀行員のように毎日決たった時間を小説執筆にあおるこずを自分に課し、倚くの仕事をした䞉島のいわばハヌドな、自分を持したあり方より、「玔癜なシヌツ」にあこがれながら露路に䜎回した「薄汚れ」おだらしない倪宰のほうが、文孊ずしおも、思想ずしおも、広いのではないか、深いのではないか、ず思っおいる。ここにあるのは、非垞に倧切な問題ではないだろうか。』P302303

    読者の俗情に媚びる「お涙ちょうだい」の論だが、私からすれば、これは「語るに萜ちた」ずしか蚀い様のない、お粗末な意芋でしかない。
    加藀兞掋は、ここで自身を倪宰治に仮蚗しお、次のように自己正圓化しおいる。

    「昔、䞉島のこの評を読んだ時には、なるほどず思ったが、いたは、トヌマス・マンに倣い、銀行員のように毎日決たった時間を小説執筆にあおるこずを自分に課し、倚くの仕事をした䞉島の、いわばハヌドな、自分を持したあり方぀たり、たず他者を思いやり自己に厳しくあれ、ずいうような、高橋哲哉的な『いわばハヌドな、自分を持したあり方』より、「玔癜なシヌツ」にあこがれながら露路に䜎回した「薄汚れ」おだらしない倪宰ず同様の私・加藀兞掋のほうが、文孊ずしおも、思想ずしおも、広いのではないか、深いのではないか、ず思っおいる。手前味噌な蚀い分ながらここにあるのは、非垞に倧切な問題ではないだろうか。」

    加藀兞掋の「論」が、このように「薄っぺら」な「ご郜合䞻矩」であるずいうのは、ここでの極端に䞀面的で恣意的な、䞉島由玀倫「評䟡」にも珟れおもいよう。

    䞉島の倪宰に察する『䞀皮猛烈な』嫌悪ずは、結局のずころ、䞉島が倪宰の䞭に「自分ず共通する匱さ」を芋おいたが故の「近芪憎悪」に他ならない。
    だから、そんな䞉島を『ハヌド』な人、倪宰をそれずは反察の「゜フト」な人ずする加藀兞掋の䜜家理解は、「䞊っ面を掻い撫でにしただけ」の極めお浅薄なもの、ずしか蚀えないのだ。

    『治りたがらない病人など本圓の病人の資栌がない』ずいう蚀葉からもわかるずおり、䞉島は自身を『本圓の病人』だず自芚しおいた。぀たり、『匱点』をたくさんもった「匱い人間」だず理解しおいたのだ。
    だが、だからこそ圌は、心底「匷く」なりたかった。「匷く」なろうずしたのだ。「ストむック犁欲的」なたでに  。

    ぀たり、䞉島は「匷い人」だったのではなく、「匷さぞのあこがれが匷かった人」なのだ。
    だから、そんな䞉島からすれば、倪宰は「匱さ」は、半端な停物でしかなかった。぀たり、自身の「匱さ」ぞの培底した「嫌悪」を持たないからこそ、倪宰は、䞉島のように『玔癜なシヌツ』になる努力をせず、ただ『「玔癜なシヌツ」にあこがれ』おいるずいう「ポヌズ」を䞖間にひけらかしながら、䜐藀春倫や川端康成に泣き぀いお芥川賞をもらおうずしたり、女に泣き぀いお心䞭に぀きあわせたりしお自堕萜に『露路に䜎回し』『「薄汚れ」おだらしない』生掻を続けたのである。

    蚀い換えれば、䞉島由玀倫ずいう人は「泣きたい時にも笑っおみせるこずしかできないような、匱い人䞍噚甚な人」だったのだが、倪宰治ずいうのは「さしお悲しくない時でも倧仰に嘆いおみせお同情を買った、匷かな人」だったのだ。だから、䞉島は、倪宰を激しく嫌悪し「おたえなんかに、病人を名乗る資栌はない」ず蚀ったのである。

    画像3

    ぀たり、こうした䞉島由玀倫の「匱さ」や「繊现さ」に぀いおは、故意に蚀及せず、倪宰の衚面的な「匱さ」や「繊现さ」を匷調するためにだけに『トヌマス・マンに倣い、銀行員のように毎日決たった時間を小説執筆にあおるこずを自分に課し、倚くの仕事をした䞉島』ず、䞉島の衚面的な『ハヌド』さを匷調しお芋せた加藀兞掋には、もずもず倪宰や䞉島を「深く」「公正」に評䟡する぀もりなど欠片もなく、ただ自身の「匱さ」「薄汚さ」を正圓化するためだけに、倪宰の「匱さ」「薄汚さ」ずいう䞀面をこずさら肯定的に蚀䞊げしお、倪宰を利甚したに過ぎなかったのだ。

    したがっお、『敗戊埌論』を通読しお思うのは、加藀兞掋ずいう人は、高橋哲哉が蚀ったような「自芚を持ちながら、それを隠しおいる、陰険なネオナショナリスト」ずいったようなものではなく、単に「利口ぶった、目立ちたがり屋の俗物」なのではないか。
    ぀たり、「敗戊埌論」ずいう論文は、䞖間の流れが「反・巊翌」に傟くのを感じ取った加藀兞掋が、「今、これを曞けば、話題にもなるし、䞖間にも受けるだろう」ず考えお曞いた「りケ狙いのトリッキヌな論文」に過ぎなかったのではないか、ずいうこずである。

    画像4

    小泉玔䞀郎銖盞ずブッシュJr.米倧統領・圓時

    䟋えば、この論文の売り物である、敗戊時における『ねじれ』などずいう「アむデア」も、「そもそも個人の人生にも、瀟䌚の歎史にも、ねじれなどずいったものは付きものであり、むしろ䜕のねじれも存圚しないものの方が珍しいだろう」ずいう珟実においお、取るに足らない、勿䜓ぶっただけ「空疎な蚀葉」だず評䟡し埗よう。

    具䜓的に蚀えば、「日本囜憲法は、ありがたい平和憲法だが、アメリカに抌し぀けられたものでもある」ずいう加藀兞掋の匷調する『ねじれ』は、「日本囜民の誰もが、自分で遞んで日本人ずしお生たれたわけではない」ずいう「圓たり前の事実」ず、なんら倉わらない。
    ぀たり、人は䜕もかも自分で遞んだからこそ「ストレヌトにねじれなしに」受け入れるのではない。
    先隓的な所䞎のもの氏玠性・容貌・才胜でも抌し぀けられたもの各皮法埋・身分でも、それが「良きもの」であるならば、人はそれず折り合いを぀けお生きるのだ。
    たた実際のずころ、人間にずっお倧抂のこずは、䞎件ずしおあるのであり、それをいちいち「遞びなおさなければ、たずもに生きられない」などずいったこずは、事実ずしおたったくないのである。

    このように、加藀兞掋は、それたで䞻に「政治的リアリズムの䞖界」で議論されおきた問題に぀いお、文孊的に「無責任の保蚌された立堎」から、興味本意に「ちょっかいを出しおみた」だけなのだ。
    ずころが、これに察し、予想倖に匷硬な反論が、真正面からぶ぀けられおきお、自身の立堎が危うくなった。䞀䞀ず蚀うか、高橋哲哉の批刀に察しおは、正面きっお反論できないほどの、盞圓なダメヌゞを受けおしたった。぀たり「敗戊」しおしたった。

    そこで、加藀は、高橋ぞの正面きった反論はせずにそこを「文孊的に」迂回しお、ひたすら自己の「敗戊」の事実を糊塗すべく、「戊埌埌論」や「語り口の問題」を曞いお、問題を「文孊」ずいう「自分の土俵」に匕き蟌むこずで、読者を煙に巻こうずしたのである。

    加藀兞掋ずいう人が、自分で蚀うほど「繊现」でもなければ「匱く」もないずいうのは、『敗戊埌論』の「あずがき」における、その臆面もない「手前味噌な蚀い分自己賛矎」に明らかだ。

    画像5

    『 むデオロギヌ的な囜民批刀ずは、囜民をたずむデオロギヌずしおずらえ、そのむデオロギヌずしおの囜民に察する批刀の立堎から、いわばトップダりン匏に、さたざたな事象に察凊しおいくありかたをさしおいる。「囜民を単䜍ずした考え方は、構造的にナショナルなものぞの拝跪を内にひめおいる。したがっお、そのような考え方の枠にずらわれおいる限り、最終的にはナショナルな戊前的囜民芳ぞず垰着せざるをえない」。このような圢をずるのが、わたしのいうトップダりン匏の考え方だが、むデオロギヌ的な批刀は、必ずこうした、鳥瞰的芖点ず時間の先取りずいう二重に先取り的な構造をもち、たたそれから自由ではないのである。
     では、なぜこうした先取り的な構造ではダメなのか。
     囜民ずいう考え方は、これだけをずれば、歎史的に、たた地域的に、よい偎面もあれば、悪い偎面もある。むデオロギヌ的な囜民批刀は、この、その぀どよくも悪くもある囜民ずいう抂念を、䞀色で悪ずしおずらえ、そこから刀断を繰り出す。そのため、必ず、いや、囜民ずいうものはいいものだずいう、これも先回り的で䞀色の囜民賞揚のむデオロギヌを、察抗的に産み出さないではいないのである。』P316

    『 さお、わたしは、日本の戊埌の閉塞性を、䞀぀に、岞田秀の指摘しおいる、日本瀟䌚が党䜓ずしお他囜に謝眪できない構造になっおいる状況、もう䞀぀に、日本の䞭で盞察立する意芋の間に議論が成立しない状況を芋る。わたしの論はここからはじたっおいる。わたしに察する批刀は、このわたしの論が、囜民ずいう枠に沿っおいるずいっお批刀するが、こうした先回りするむデオロギヌ的な囜民批刀が、この日本の戊埌の手詰たり状況を䜜ったずいうのが、わたしの論の出発点なのだから、わたしに察する反論は、もし自分をたっずうにしたければ、このわたしのむデオロギヌ批刀に察し、正面からこたえるものでなければならないのである。

     このこずず関連しおもう䞀぀、歎史の問題がある。
     わたしが、これたでの歎史をきちんず受けずめるこずのできる䞻䜓、ずいうほどの意味で「語り口の問題」で䜿った「歎史圢成の䞻䜓」ずいう蚀葉が、ヘヌゲルず結び぀けられ、囜民の倧文字の歎史の創造ずいったナショナルな䞻匵ずしお受けずめられ、そこから、「歎史䞻䜓論争」などずいう蚀葉も生たれおいるが、それは、虚心にこの本を読んで䞋さった読者には明らかなように、わたしの論ずは無関係である。』P318

    『 したがっお、いたわたし達に求められおいるのは、䞖界史、自囜史のいずれずも自分を関係させ、その双方ずの関係の䞭で、その双方をいわば䞲刺しする圢で、これたでず違う歎史ずの関係を䜜りだすこずだろう。そうでなければ、わたし達に歎史ずの関係、぀たり他者ずの関係はもおない。わたしは、このこずを「敗戊埌論」で、自囜の死者ぞの哀悌を先にしお、そのこずが、そのたた、わたし達を他囜の死者ぞの謝眪の䜍眮に立たせるこずぞず続くあり方の創出、ずいう䞻匵ずしお語っおいる。この䞻匵の䞻旚はどちらが先か、ずいうようなこずではなく、この二様の死者の分裂を克服するあり方の創出ずいうこずであるから、そのあり方を䜜り出すうえで、わたしのいう自囜の死者を先にするあり方ではうたくいかない、ずいう批刀が出おくるのなら、わたしずしおは歓迎したい。しかし、本論に觊れたように、珟圚たでのずころ、珟れおいるのは、このわたしの論の基本的なモチヌフを芋ない、いずれが先であるべきか、ずいうたたしおもむデオロギヌ的な立堎からの玠朎な批刀でしかないのである。』P321322

    『どうか、このわたしの䞻匵を、むデオロギヌ的に取らないでほしい。ポストモダン思想ず呌ばれた䞀連の思想は、抜本的なむデオロギヌ批刀の思想ずしお登堎した。しかし、困ったこずに、今床はそれ自䜓が、むデオロギヌ批刀ずいうむデオロギヌに反転したのだった。わたしのこの論は、これずははっきりず察立しおいる。このむデオロギヌ批刀を、そう、「誀りうる圢」に生き生きず保ち続けるこずが、ここでは培頭培尟、極床の现心さで、めざされおいるのである。』P323

    『 ゆっくりずした歩みで自分の関心を远っおきたら、ここたできた。歩きはじめたのはポストモダンの流行がはじたろうずいう時だったが、十二幎もた぀ず、それも終わり、たた次の流行が珟れようずしおいる。塙保己䞀ではないが、「目あきの䞍自由な」時代は、なお続きそうである。
     ペヌロッパに䞀幎を過ごし、ハンナ・アヌレントぞの関心ず、めっぜう奜きになったピヌタヌ・ブリュヌゲルの絵に誘われるようにしお、りィヌン、プラヌグ、ベルリン、ブダペスト、ブリュッセル、デン・ハヌグなど、䞭郚ならびに東郚ペヌロッパの郜垂をめぐり、暗い街灯の䞋、旧ナダダ人街などを歩いた。ベルリンのザクセンハりれン匷制収容所跡地では取り壊されたガス宀跡の前に立った。この十䜙幎、自分なりに考えおきたこずが、ペヌロッパに培われた思考の䞭に、䞀぀の察応した動きをもっおいるこずがわかったこずが、わたしの今回の滞圚の収穫だった。その嬉しい発芋の䜙韻が、この本に底流するわたしの気分になっおいる。
     今回の本がわたしにずっおも぀意味は少なくない。わたしは今回ここに収録する文章を曞いおいお、「ラディカルな思考」の意味を自分でもう䞀床曎新し、取り戻すこずができた。たた自分の䞭の政治ず文孊の分裂を克服できたし、自分の䞭の文孊の意味をさらに䞀歩深めるこずができた。』P324

    『䞀九九䞃幎二月、パリ、サン・シュルピス広堎、六月、志朚、柳瀬川のほずで

    加藀兞掋 』P325

    芋おのずおりで、この「あずがき」で語られおいるのは、次のようなこずだ。

    ・「論敵の、私ぞの批刀はむデオロギヌ的なもので、トップダりン匏の抌し぀け論だ。䞀方、私の意芋はボトムアップ匏で、囜民の珟実を尊重するものだ。぀たり、私の論には、鳥瞰的芖点も時間の先取りもない぀たり、私には䞻芳的芖点ず珟時点に限定された県前の事実しかなく、およそ客芳芖も無ければ予枬を立おるずいうこずもない」

    ・「論敵の思考には自由な柔軟性が無いが、私の思考にはそれがある」

    ・「論敵の珟実把握は、䞀色で善悪を決め぀ける態のものだが、私のそれは色圩埮劙なものである」

    ・「戊埌の日本では、盞察立する意芋の間に議論が成立しない状況がある。私ず私の批刀者ずの間で、議論のすれ違いが生じおいるのは、私の論敵がそういう状況に巻き蟌たれおいるためであり、私の方はそうしたものに巻き蟌たれおはいない」

    ・「私がたぎらわしい曞き方をしおも、論敵はそれを、私の意図どおりに正しく解釈しなければならない」

    ・「私の意芋をむデオロギヌ的なものずしお読んではならない。それは間違いである」

    ・「私は、論敵の意芋を正しく理解しおいるが、論敵は私の論を正しく理解しおいない」

    ・「論敵は、私を私の望むがごずく正しく批刀しなければならない。しかし、論敵の私ぞの批刀は、すべお芋圓違いなものである」

    ・「私の議論は、培頭培尟、極床の现心さが目指されおいるが、論敵のそれは粗雑である」

    ・「私の思想は、ペヌロッパの深い思想ず響き合っおいる。本曞は、そうした深い思想に支えられおいる」

    ・「私の思想はラディカルであるが、論敵の思考は教条的に玠朎である」

    ・「私は、䞖界ず自囜の歎史を䞲刺しにしお透芖する、日本のムラ的な発想の枠を超え出た、䞖界的な思想家である私は、ハンナ・アヌレントず深いずころで響き合う思想家である」

    等々。

    䞀䞀批刀者の「論」ぞの決め぀け的吊定、自己や自説の「過倧評䟡」ず臆面もない自己喧䌝。

    よくもたあここたで曞けたものだず呆れる反面、個人的には、その臆面も無さ厚顔無恥さにおいお「さすがは、笠井朔のお友達」だず、玍埗もしたしだいである。

    ずもあれ、加藀兞掋が「戊埌埌論」や「語り口の問題」で語っおいる「個々の内容」は、「理想論」的な議論ずしお、さほど倧きな間違いはない、ずは蚀えよう。しかし、自身がその「理想論」を䜓珟した論者であるかのように語っおみせるずころに、加藀兞掋の「詐術」がある。

    抜象的に「理想論」を語るこずは、さほど難しいこずではない。
    だが、自身が、その「理想論」どおりの態床で語り行動するのは、決しお容易なこずではない。

    䟋えば「冷静に客芳的に議論しなければならない」ず口で蚀うのは簡単だが、それを実行するのは容易なこずではない。
    人はしばしば「冷静に客芳的に議論しなければならないっお、蚀っおるじゃないか 君はそんなこずもわからないのか、このバカやろう」などず口走りがちなものなのだ。
    䞀䞀で、ここでの加藀兞掋が、たさにそうした「人間らしい人間」なのである。

    加藀は、「理想論」を語り、それを根拠に、盞手の蚀い分に察しお「無い物ねだり」をするが、では、自分の意芋が、自身が他者に芁求したような「理想論」どおりのものなのかずいえば、もちろんそういうわけではなくお、加藀の「論」ずお「無い物ねだり」ができないほどの「完璧な意芋」などでは、決しおないのである。
    たた、事実そういう「䞍完党な意芋誀解されおも仕方のない意芋」だったからこそ、批刀者の意芋は「すべお」誀解であるずか的倖れであるなどず「断蚀」し、そう「決め぀け」るこずで、排陀しなければならなかったのであろう。

    したがっお、このような加藀兞掋による、このような『敗戊埌論』を、高く評䟡しおしたうような人ずは、加藀の『虚心にこの本を読んで䞋さった読者』などずいった「媚び」に、ころりず惑わされおしたう「隙されやすい読者」なのだず蚀えようし、たしおこのような本に文孊賞䌊藀敎文孊賞を䞎えるような遞考委員の文孊者ずは、文字どおり「文匱の開き盲」なのである。

     ○ ○ ○





    ・


     ○ ○ ○

















    ※ 䞊のレビュヌ埌半で玹介しおいる「西岡昌玀」は、「アりシュビッツは存圚しない」論で物議を醞した「マルコポヌロ廃刊事件」の圓事者である。

















     ○ ○ ○






    ・







     ○ ○ ○


     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ