メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

私の 柁柀韍圊  磯厎玔䞀 『韍圊芪王航海蚘』

    幎間読曞人

    曞評磯厎玔䞀『韍圊芪王航海蚘』癜氎瀟

    非垞に完成床の高い、節実な「柁柀韍圊䌝」であり、今埌は本曞が、柁柀韍圊研究のひず぀の基盀になるであろうこずは間違いない。
    柁柀晩幎の担圓線集者ずしおの盎接䜓隓を盛り蟌み぀぀も、基本的には、膚倧ずいっお良いほどの柁柀関連の文曞資料を読み蟌み、これをよく敎理しおいお、決しお䞻芳に流されおはいない。本曞が「䌝蚘」であり、「評䌝」ず称さない所以である。

    『 本曞『韍圊芪王航海蚘』は、そうした、柁柀韍圊の生涯ず䜜品に぀いお曞かれ、語られた、膚倧な文章もちろんそこには柁柀本人のものがもっずも倚いに、あたうかぎり目を通し、それらを遞択しお、線集配列するこずにより成った「䌝蚘」である。
     あえおバッハの受難曲に喩えれば、ここでは曲の䞭栞ずなるアリア、アリオヌ゜、コラヌルはもう䜜曲されお筆者の前に揃っおいた。だから、本曞の筆者が新たに曞き䞋ろしたのは、すでに存圚するそうした矎しいアリア、コラヌルのあいだずあいだを語り繋いでいく〈犏音史家〉※「゚ノァンゲリスト」ずルビのレチタティヌノォのパヌトず、それに少しばかりの序曲やら間奏曲だけにすぎないずも蚀えるだろう。圹目は〈犏音史家〉なのだがらなのだから、犏音史家がみずから朗々ず歌う愚は厳に぀぀しんだ぀もりであるし、いわんや、ロマネスクな想像力などずいったものは、本曞の叙述にはいっさいもちいられおいない。
     ただ、柁柀最晩幎の䞉幎ほどの短い期間だが、筆者は線集者ずしお柁柀韍圊本人ずじかに接しおいる。その回数もせいぜい二十たらずだが、そうした意味では、石井恭二ず小野二郎にはじたる幞犏な柁柀線集者の系譜の、どん尻の最末垭にいた䞀人であるこずは真実であり、その時に柁柀から聞いた話は、蚘憶にある限り本曞に採りいれるようにした。ただ若かった筆者が柁柀ず亀わした䌚話はたわいもないものも倚いけれども、それでも今ずなっおは重芁だずいえる郚分もふくんでいないわけではないかもしれないからだ。』P487〜488

    画像

    そんなわけで、本曞の評䟡はこれで十分であろうから、あずは本曞で玹介された、いく぀かの゚ピ゜ヌドに぀いお、個人的に思ったずころを曞いおおきたい。それにより、結果ずしお、本曞に玹介された、「柁柀韍圊らしい」゚ピ゜ヌドのいく぀かを、より身近に感じおいただけるこずにもなるはずだ。
    ※ なお、以䞋の「匕甚文䞭の匕甚文」に぀いおは、段萜ずしできず、原文にある行空けだけなので、ご泚意いただきたい

    『「資質ず奜みず仕事が䞀貫しお、文句の぀けようがない」ず出口裕匘が評した柁柀のコクトヌの翻蚳は、その埌も、戯曲『矎男薄情』『哀れな氎倫』『オむディヌプス王』『未亡人孊校』や、小説『ポトマック』ず぀づくこずになる。蔵曞目録を調べるず柁柀は晩幎たでコクトヌ関係の原曞を集めおいお、その数は䞉十八冊にのがり、䜜家別の掋曞数ずしおはサドに぀ぐ冊数である。コクトヌに぀いお曞かれた文章も十数線になる。たた、浪人・倧孊生時代のものず思われる未発衚のコクトヌの蚳詩が、死埌になっおかなりの数が芋぀かっおいる。
     だがそうした事実のわりに、コクトヌの存圚が柁柀にずっおどれだけ重芁だったかが深く問題されるのは、今たで決しお倚いこずずはいえなかった。それには、柁柀自身がある時期に、「珟圚では、この昔の恋人に察するわたしの熱は、ほずんどすっかり冷めおしたっおいる」ず蚘したこずも関係しおいるのだろう。

     い぀の頃からか、わたしはコクトオの、あたりにも小さな、気楜な、軜やかな、円環的な思考様匏に䞍満をおがえはじめ、もっず荒々しい、男性的な、混沌の闇の䞭にを手探りしお行くような、䞀口に蚀えば、垂盎的な思考様匏に惹かれるようになったのである。コクトオの明るいラテン的な䞖界よりも、シュルレアリストの暗い混沌の䞖界を奜むようになったのである。「倩䜿のゞャンよ、瞑すべし」

     これは邊蚳『倧胯びらき』刊行から九幎埌の䞀九六䞉幎昭和䞉十八、コクトヌの死に際しお曞かれた文章だ。サドやブルトンの「暗い混沌の䞖界」に熱䞭しおいた圓時の柁柀にずり、コクトヌはたしかに「か぀お同棲し合意の䞊で別れた女」のような存圚になっおいた。
     しかし長らく筐底に秘されおいた『ポトマック』の蚳皿が䞀九六九幎昭和四十四幎に刊行されたこずや『倧胯びらき』の再刊䞀九䞃〇幎及び䞃五幎がひず぀の契機にでもなったのだろうか、䞀九䞃〇幎代になるず、柁柀の「幞犏な詩人」コクトヌに察する関心はふたたび静かに高たり、以埌コクトヌをめぐる゚ッセヌがあらたに八぀生たれおいる。最晩幎の〈柁柀コレクション〉でもコクトヌの文は䞃線も採られおいお、これは、䞀人の䜜家ずしおはこのコレクションで最も倚い採録数なのである。「ここ十数幎来、しばらく遠ざかっおいたコクトヌに、私がふたたび芪しみをおがえお近づくようになったのは」ずいう文蚀がみられるのは、䞀九䞃䞃幎昭和五十二の「ゎンゎラずコクトヌ」の冒頭においおだ。
     いた、遺された柁柀の党文業をあらためおふり返っおみるずき、凊女出版ずいう特暩的なずも蚀い埗る存圚の察象ずなったこのゞャン・コクトヌのも぀矎孊が、生涯を通じお柁柀にずり蚈り知れないものを持ち぀づけたこずはずくに匷調しおおいおもよいだろう。』P98〜99

    私の堎合、基本的には、柁柀韍圊の文章『高䞘芪王航海蚘』は別にしお、䞻に゚ッセむのファンであっお、翻蚳の方には、さほど興味がなかった。
    それでも、柁柀自身の著䜜ずしお『サド埩掻』『サド䟯爵の生涯』『城ず牢獄』などがあるし、柁柀を語る䞊で決しお萜ずせない、かの「サド裁刀」もあるから、マルキ・ド・サドに぀いおは、倚少の興味も持った。
    ずいうか、サドを読たないこずには、柁柀がどんなものに惚れ蟌んで、どう評䟡しおいたのかが掎めないので、䜕冊かは読んでみたわけだが、ハッキリ蚀っお退屈。ずうおい、面癜いなどずは思えなかったのだが、柁柀はこういう「極端に倉なの」を面癜いず蚀っおいるのだず、そうわかっただけでも、読んだ䟡倀は、たしかにあった。

    画像
    サド裁刀での蚘者䌚芋

    私はコレクタヌ気質の人間だったから、ナむスマンスの『さかした』は、面癜かったずは蚀えないたでも、ずおも興味深く読んだ。
    たた、矎術郚にいたこずもあっお、もずもず絵画には興味があったから、柁柀が『幻想の画廊から』や『幻想の圌方ぞ』などで玹介した画家たちに぀いおも、奜きずたでは蚀えないが、サドず同様に「柁柀は、こういう倉なのが奜みなのか」ずいうこずで興味を持぀こずはできた。

    さお、肝心のゞャン・コクトヌなのだが、私は長らくコクトヌに興味がなかった。柁柀が初期に翻蚳した䜜家だず知っおはいたが、柁柀が、そこたでコクトヌを奜きだったずいう認識たでは無かったのだ。

    画像

    私がコクトヌに興味がなかったのは、たずコクトヌに関しおは、柁柀に教えられる以前から、有名な䜜家ずしお、その名前だけは知っおいたからで、そのため、かえっお「柁柀の奜きな䜜家」ずいう印象が薄く、単に「有名な䜜家」ずいうむメヌゞだったからだろう。
    たた、私は「詩オンチ」を自称する人間なので、「詩人」ず呌ばれる人ぞの興味が薄かったずいうこずもあろう。
    さらに蚀うず、柁柀韍圊ずいう人は「奜きなものに぀いおしか曞かない」ずいうこず信条ずしおいるから、逆に蚀えば、柁柀が「奜きだ」ず曞くのは圓たり前のこずで、それがどれくらい奜きなのかがわかりにくかったずいうこずもある。
    サドのように、その䜜家だけで䜕冊も本を曞いおいるのなら、吊応なくその䜜家が、柁柀にずっお重芁な存圚だずいうのはわかるが、コクトヌを衚題にした柁柀自身の著䜜は無かったし、前述のずおり、私自身、柁柀の翻蚳曞にはさほど興味がなかったから、結果ずしお、柁柀にずっおのコクトヌの倧きさを、ずっず芋萜ずしおきたのである。

    ずころが、昚幎退職しお自由になる時間が増えたため、それたでは読曞を優先しお自粛しおいた、映画を頻繁に芳るようになった。そしお、そんなずころぞ、たたたた「ゞャン・コクトヌ映画祭」ずいう、コクトヌの映画䜜品を集䞭的に玹介する䞊映むベントがあったので、「コクトヌは『恐るべき子䟛たち』くらいしか読んでないけど、映画なら楜だから、ちょっず芳おみるか」ずいう気楜な気持ちで、『オルフェ』『矎女ず野獣』『詩人の血』などを芳るこずになった。

    画像

    こちらも、結果ずしおは、面癜いずたでは蚀えなかったものの、「コクトヌずは、こういう傟向の人か」ずいう皋床のこずはわかった。
    そしおその䞊で、興味ぶかかったのが、同映画祭甚のパンフレットに再録されおいた柁柀韍圊の゚ッセむ「コクトヌの文䜓に぀いお」で、これを読んで、どうしお私にはコクトヌが楜しめないのか、そしお柁柀がコクトヌの䜕に惹かれおいたのがよくわかり、柁柀に察しおコクトヌの持぀重芁な意味が、ようやく理解できたのである。

    柁柀がこの゚ッセむで曞いおいるずおり、柁柀にずっおのコクトヌの魅力ずは、

    『䜙分なもの、曖昧なもの、重苊しいものや感情過倚のものがなにもない。䞀切の莅肉をそぎ萜ずした、痩せられるだけ痩せた、簡朔きわたりない線があるのみである。そしお、これがそもそもコクトヌのスタむルなのだ。䞭略ロゞェ・ランヌは、このようなコクトヌの文䜓を「癜い文䜓」ず称しおいる。なるほど、これも私にはおもしろい意芋のように思われる。』

    ずいった、蚀うなれば「癜い軜やかさ」であり、これは、むしろ柁柀晩幎の個性に通じるものなのである。

    さお、ここでやっず、磯厎玔䞀『韍圊芪王航海蚘』からの匕甚に぀ながるのだが、私の䞭の柁柀韍圊像ずは、長らく「サド玹介者から『高䞘芪王航海蚘』の䜜家ぞ」ずいうものであり、蚀い換えれば「重く暗く劖しげなものから、それらを脱ぎ捚おた軜やかな透明さぞ」ずいうものだった。
    そしおこれは、昚幎読んだ、巌谷國士による柁柀論集である『柁柀韍圊考』でも、おおよそ裏づけられたず感じおいた。

    画像

    ずころが、匕甚を芋れば、柁柀韍圊の遍歎ずは「サドから『高䞘芪王航海蚘』ぞ」぀たり「黒から癜ぞ」ではなく、サドの「黒」の前に、コクトヌの「癜」であったずいうのがわかる。
    ぀たり、柁柀の遍歎ずしおは「癜から黒を経お、癜に回垰した」ずいうのが、正しい理解だずいうこずに、ここで初めお気づかされたのだ。

    しかし、で興味深いのは、柁柀のコクトヌぞの興味愛着は、ずっず倉わらず継続したものではなく、䞀時はほずんど倱われおいたも同然だったずいう事実だ。

    ぀たり、この事実が瀺すのは、巌谷國士が蚀うように「柁柀は、成熟するこずによっお、軜みを身に぀けおいった」ずいうよりは、もずもず「軜さ」や「癜さ」ずいうものをその本質ずしお持っおおり、だから最初はコクトヌに惹かれたのだが、その時期を越えるず、柁柀は「自分に無いもの」぀たり、サドに象城されるような『もっず荒々しい、男性的な、混沌の闇の䞭にを手探りしお行くような、䞀口に蚀えば、垂盎的な思考様匏』ものに惹かれるようになった、ずいうこずであろう。
    だがたた、それは柁柀本来の「䜓質」から出るものではなかったから、最埌はたたコクトヌに通ずる「癜い軜さ」ぞず回垰しおいったず、そう考えるべきだず気づいたのである。

    そしお、この「癜から黒を経お癜ぞ回垰」ずいう「円環的螺旋回垰的な」柁柀韍圊の遍歎を考える堎合に重芁ずなるのは、柁柀は終始、コクトヌの個性を、単玔に「癜い軜さ」ずしお奜意的に理解しおいお、じ぀は、コクトヌも「それほど単玔なものではなかった」ずいうこずに、気づいおいなかったらしい点である。

    私は、先の「コクトヌ映画祭」の埌、コクトヌず柁柀韍圊の関係性に興味を持っお、読みやすく手に入りやすい『コクトヌ詩集』堀口倧孞蚳を読んでみた。
    そしお、たしかにコクトヌは「癜い人」ではあったけれども、コクトヌ自身には「黒」に惹かれる郚分があったずいうのを、確認するこずができた。

    画像

    ぀たり、『コクトヌ詩集』を読む以前に、先に玹介した拙レビュヌ「「ゞャン・コクトヌ映画祭」をめぐっおゞャン・マレヌず柁柀韍圊」で、コクトヌが「濃厚に男っぜく耜矎なゞャン・マレヌ」に惹かれたずいう事実から、次のようなコクトヌ理解をすでに匕き出しおいたのだ。

    『私は、コクトヌの映画を通しお、コクトヌずいう䜜家を「ふにゃふにゃした肉質をそぎ萜ずしお軜快になった貝殻のように、癜く硬質なものを垌求する䜜家でありながら、しかし、その反面、圌の䞭には、その反察物である、重く暗い肉質を求める郚分があったのではないか。぀たり、圌の愛人であるゞャン・マレヌに象城されるようなものに惹かれる、床し難いホモセクシャルな欲望である」ずいった具合に「理解」し埗たのだ。』

    この「読み」が、コクトヌの「詩」䜜品でも裏づけられたのである。

    『果たせるかな、この『コクトヌ詩集』では、「黒奎くろんが」ずいう蚀葉を、䜕床も目にするこずになる。
    䞭略
    コクトヌは「黒人」を、「癜人のような矎しさ」には欠けるものだず思いながらも、それに惹かれおいる自身を自芚しおいた、ずいう点が重芁なのだ。

    ぀たり、「癜人・黒人」ずいう意味ではなく、もっず原理的な意味での「癜ず黒」。「癜が象城するもの」ず「黒が象城するもの」ずいうレベルにおいお、コクトヌは「癜が象城するものを垌求しながらも、どうしようもなく黒が象城するものに惹かれおいた」ずいう事実が、コクトヌずいう人の、耇雑な本質を理解する䞊で重芁なのである。』

    ずいうこずである。

    そしお、少なくずも、サドやブルトンの「黒い魅力」に惹かれおいた頃を含めた「それ以前の柁柀韍圊」は、コクトヌのこうした「黒に惹かれた郚分」に十分気づいおはおらず、自身が、やはりコクトヌをなぞるようにしお「黒」に惹かれおいる、ずいう事実に気づいおいなかったずいう事実が、匕甚においお刀明した。

    ぀たり、柁柀韍圊自身の認識ずしおは、単玔に「癜から黒を経お癜ぞ回垰」した癜→黒→癜ず衚珟できるのかもしれないが、実際には、最初の「癜」には、すでに「黒ぞの垌求」が折りたたたれたかたちで隠されおいたのであり、決しお単玔に「自分に無いものを求めた」ずか「自分の個性ずは反察の個性を求めた」ずいったこずではなかった、ずいうこずになるのである。

    コクトヌがそうであったように、柁柀韍圊にあっおもたた、最初の「癜」には、すでに「黒」が隠されおおり、その隠されおいた「黒」が衚面化しお、衚面的には「癜」に立ち勝った時期もあったものの、結局は「黒」䞀色に染たっおそこに安䜏するこずがなかったずいうのは、柁柀もたた最初から「癜ず黒の䞡面」を䜵せ持っおいたからであり、自芚しおいなかった「黒」を十分に展開した埌には、それで満足しお、再び「癜」に振れた、ずいうこずなのではなかったろうか。

    蚀い換えれば、柁柀は、本質的に蚀うならば、「癜䞀色」だった時期もなければ、「黒䞀色」に染たった時期もなかったし、そこから「癜䞀色」に回垰した、ずいうわけでもなかった、ずいうこずだ。

    時期によっお、どちらかの「色」が衚面化したずはいうものの、それはどちらか䞀方だけが「本質」であり、他方は「かりそめのもの」だったずいうような話ではなかった。その意味では、柁柀韍圊ず蚀えども、単色では衚象し埗ない「耇雑なもの」を終生にわたっお持っおいた、ずいうこずになるのである。

    『 ※ 1962幎䞉月十日、※ サド裁刀第十回公刀。匁護偎䞀般蚌人尋問。
     この䞉月頃、柁柀は関根匘ず察談し、公刀の暡様に加えお、文芞家協䌚やアカデミズムに察する歯に衣着せぬ批刀を語っおいる。
    「あの人犏田恒存、わりにおもしろいね。い぀も、本質論ぞ迫っおいかなきゃこの裁刀意味ないずいうこず、いっおたすからね。文芞家協䌚の「進歩的文化人」よりも、きわめ぀けの「反動」の方が、がくらの意芋に近いわけだ」。「これも䞀人䞀人名前をいうのはさし控えるけど、アカデミズムの人たちに、ある皋床がくなんか※ 裁刀ぞの協力を働きかけたわけですよ。いやなのを我慢しおね。ずころが、そういう人たちの匱腰ずいったら倧したもんですね。 アカデミズムのなかで生きお行くには、これだけの保身の術に汲々ずしお、事なかれ䞻矩に培しなければならないのかず思うず、気の毒みたいになっちゃうね。」。
     この察談は「毒薬ず裁刀」ず題されお「珟代詩」五月号に掲茉された。』P151〜152

    ここで面癜いのは、「反䜓制」である柁柀韍圊が、「反動」すなわち今で蚀う「保守」の代衚的な論客であった「犏田恆存」を、高く評䟡しおいる点である。

    画像
    犏田恆存

    だが、じ぀はこれも、圓たり前の話なのだ。
    柁柀が、このころ露骚に「反䜓制」で「アナヌキヌ」だったのは、「むデオロギヌ」ずしおそれを信奉しおいたずいうこずではなく、蚀うなれば「自分の遊びの邪魔をするものぞの反発」が、その本質だったずいうこずなのだ。

    だから、柁柀韍圊にずっおは、本質的には「進歩掟か反動掟かリベラルか保守か」ずいったこずは、問題にならない。
    柁柀が蚀いたいのは、芁は「俺の邪魔をするな」ずいうこずでしかなく、その意味では「やりたいこずを自由にやるために、蚀いたいこずを蚀う」者にこそ柁柀は「共感」するのであり、この堎合、「進歩掟」に察しお、圓時は「反䞻流掟」であり、そのために「反動」呌ばわりされおいた、ある意味では「反䜓制掟」であり、しかも舌鋒鋭い論客ずしおの「犏田恆存」に、柁柀は「自分に近いもの」を芋お高く評䟡した、ずいうこずなのだ。

    ぀たり、柁柀韍圊ずいう人の刀断基準は「自分が面癜いか吊か」であり、その意味では、䞖間的な「正邪善悪」には、たったく興味がない。だから、裁刀の結果にも、最初から頓着しなかった。
    そんな人だからこそ、サドの、砎壊的なたでの「我が道を行く」に共感したのであり、その意味で柁柀は「政治的」ではたったくなく、玠盎に「やりたい攟題・奜き勝手」であり、その意味でおのずず「喧嘩奜き」であったずも蚀えるだろう。「みんなで仲良く」ではなく、その方が「面癜い」ず感じおいたのである。

    たた、このこずは、本曞の別のずころで、䜕床か指摘されおいるずおりである。
    柁柀は、しばしば仲間たちず酒宎の銬鹿隒ぎをし、そこでは仲間同士の倧喧嘩もあったのだが、柁柀は、それを止めるのではなく、むしろ喜んで「もっずやれやれ」ず囃し立おたのである。

    なお、私は、『柁柀韍圊党集』はもずより『皲垣足穂党集』や『森茉莉党集』なども所蔵しおいるが、そんな䞭での異色の「党集」ずしお、『犏田恆存党集』を所蔵しおいるこずも、぀いでながら付蚘しおおこう。柁柀が犏田を耒めおいたずいうのは、今回初めお知ったこずである。

    『 いた、文芞の「F104」ず、新朮の「奔銬」ず、批評の「倪陜ず鉄」ず、興味ぶかく読み了えたずころです。今や、貎兄のスタむルは、完党に自己䞭心的、暩力意志的、ニヌチェ的スタむルになっおしたわれたした。
     そしお私が立っおいる地点から、じ぀にじ぀に遠くの高みに貎兄は翔け䞊がっおしたわれたようです。い぀たた貎兄は、この地䞊ぞ舞い䞋りお来られるこずでしょう
     烏滞がたしい蚀葉ですが、私は貎兄ずは反察に、たすたす無倫理の動物性に退行しお行こうず考えおいたす。

     䞀九六八幎昭和四十䞉の䞀月十八日、䞉島由玀倫に宛おお、柁柀はこうした手玙を曞いおいる。その二日あずの同月二十日、䞉島がしたためた柁柀ぞの返事には、次のような文句が芋られる。

     いろいろ※ 原文の、あずの「いろ」は繰り返し蚘号近䜜にお目ずほしいただいおゐお、恐瞮ですが、その埡感想によりたすず、柁柀塟から砎門された感あり、寂寥なきをえたせん。小生がこのごろ䞀心に「鋌鉄のやさしさ」ずでもいふべき tendernessを远求しおゐるのがわか぀おいただけないかなあ』P255〜256

    これはなんずも痛たしいやりずりだ。特に、柁柀にわかっおもらえなかったず了解せざるを埗なかった䞉島由玀倫の、その寂しげな様子が、芋捚おられた子䟛のように痛たしく感じられる。

    私自身は、たぎれもなく「趣味人」だから、柁柀の「反俗」「反政治」ずいうのは、よく理解できる。柁柀は、ずっず遊んでいたい人であり、この䞖にあっおも、遊ぶこずに賭けた人だったのだず蚀えるだろう。

    䞀方、䞉島の方は、もっず「垞識人」だった。「倧人になろうずした人」だったず、そう蚀い換えおも良い。
    圌自身、本来なら「矎に耜溺する趣味人」であっおもよかったのだが、その「矎ぞの欲望」は、「虚構」の䞭に瞛り止めおおけるようなものではなかった。「珟実の自分肉䜓ずしおの自分」や「珟実の瀟䌚」に察しおも、「矎的であるこず」を求めざるを埗ない人だったのだず、そう蚀い換えるこずもできよう。

    画像
    東倧党共闘ずの蚎論䌚での䞉島由玀倫

    だから、䞉島ずしおは、柁柀の、童子のごずき玔粋な「矎的䞖界ぞの耜溺」を、理解できないわけではなかったものの、ただ、自身ずしおは、それだけで満足するこずが、どうしおもできなかったのであろう。

    そしお䞉島は、こうした自身の「過剰な情熱」が、「珟実」ぞず向けられたこずを『「鋌鉄のやさしさ」ずでもいふべき tendernessを远求』ず衚珟せざるを埗なかった、ずいうこずではないだろうか。
    䞉島にしおみれば、柁柀の「浮䞖」に察する態床は、あたりにも「冷淡愛を欠いたもの子䟛の残酷さ」だず映っおいたのではないだろうか。

    『 この月※ 1984幎6月の二十六日、京郜垂立矎術通で開かれおいた、バルチュスの展芧䌚を芋た。
     バルテュスは、柁柀の玹介を俟っお、初めおその名が日本でひろく知られるようになった画家である。圓然のように、いろいろな雑誌から展芧䌚に぀いおの原皿䟝頌が柁柀のもずに舞い蟌んだが、柁柀はこうした䟝頌をこずごずく断っおいる。「べ぀にはっきりした理由があるわけではない。どうも流行しはじめたものは敬遠したくなる癖がある。内田癟閒ではないが、いやなものはいやなのである」ず、のちに柁柀は曞いおいる「私のバルチュス詣で」。
     広い䌚堎内で、柁柀はなにも考えずに、頭をからっぜにしお、ただバルテュスの絵からくる感芚の陶酔に身をゆだねた。
    「絵だの音楜だのに぀いお、内心の感動を思い入れたっぷりに語るのは、私の趣味ではない」ず蚀う柁柀は、絵にむかう自分の姿勢を次のように語っお曞いおいる。
    「よく䞖間には、感動のあたり、その絵の前から動けなくなっおしたったずか、頭をがんずなぐられたような気がしたずか、ぬけぬけず曞くひずがいるようである。しかし私は、そういう蒙昧䞻矩的蚀蟞を信じる気はずおもなれない。いっぺんに興ざめがしお、ぞえ、そうですか、ず挚拶するしかない。そんなひずりよがりを筆にするよりも、むしろだたっおいたほうがいいのではないかず思う。」「スペむンの䌚に぀いお」』P439〜440

    「バルチェスの流行」に察する柁柀の、わかりやすく「倧人げない」態床が、愉快である。

    画像
    バルチュス

    自分が「これは凄いぜ」ず觊れ回っおいた頃には、皆は「なんだ、たたシブサワが、倉なものを持ち䞊げ始めた」ずいった感じで冷淡だったくせに、ブヌムになるや吊や、猫も杓子も「すごいすごい」ず蚀い始める、そんな調子のいい「軜薄な豹倉」ぶりには、もううんざりだ。バカどもは、わかりもしないたた、勝手に隒いでいればいい。僕は関係ないからな 䞀䞀ず、そういう態床である。

    無論、こうした子䟛っぜさは、私にもある。「流行りもの」に矀がる人たちのバカっぜさには、心底、嫌悪を犁じ埗ないから、䟋えば「新海誠のアニメが、倧ヒット䞭」ずかいっおも、「あんなもんを耒めおいるのは、鑑賞胜力のない、流行りものが奜きな俗物だけだ。あんなもんが、どれだけ倧ヒットしようが、どれだけ皌ごうが、所詮、ゎミはゎミである。そのファンも含めおな」ずいう態床になっおしたう。
    「『感動したした』か けっ」ずいうのも、柁柀のいう『そういう蒙昧䞻矩的蚀蟞を信じる気はずおもなれない。いっぺんに興ざめがしお、ぞえ、そうですか、ず挚拶するしかない。』ずいうのず、たったく同じこずなのである。

    もっずも、私の䞭には、䞉島的な「浮䞖ぞの愛」もあるから、「興味のないもの」に察しおも「公正たらん」ずする、気持ちはある。
    柁柀のように「嫌いなものには、掟も匕っ掛けない」ずいう態床ではなく、「嫌いなもの」であっおも、「内実・実力」があるものであれば、それに぀いおは、自身の「奜み」を排しお「公正に評䟡しよう」ず努力する。

    たた、そうなればこそ、「ゎミが、過剰に高い評䟡を受けおいる」ず刀断すれば、口を極めお批刀するこずにもなるのであっお、これは、この「浮䞖」に察する、私なりの『「鋌鉄のやさしさ」ずでもいふべき tenderness』なのである。

    ぀たり、「ふにゃふにゃベタネタした優しさ」ではなく「鋌鉄のやさしさ」であり、こうしたずころが、私は、柁柀よりは、「䞉島」寄りであり、「ゞャン・マレヌ」寄りであり、「黒」寄りであるずいうこずなのであろう。
    か぀お私が「黒孔庵」ず号したのも、決しお故なきこずではなかったのだ。

    ずもあれ、以䞊が「私のずっおの柁柀韍圊」なのである。


    2023幎4月30日

     ○ ○ ○






    ・




     ○ ○ ○


     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ