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地方映画史研究のための方法論2ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る」ずは

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線を開催した。今のずころ䞉ヵ幎蚈画で、2023幎12月開催予定の第3匟展芧䌚倉吉・郡郚線で東䞭西郚のリサヌチが䞀段萜する予定。鳥取で自䞻䞊映掻動を行う団䜓・個人にむンタビュヌしたドキュメンタリヌ『映画愛の珟圚』䞉郚䜜2020ず䜵せお、倚面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび䞊がらせおいけたらず考えおいる。

    地方映画史研究のための方法論

    「地方映画史研究のための方法論」は、「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生に、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんず共同で行っおいる研究䌚・読曞䌚で䜜成したレゞュメを加筆修正し、このnoteに掲茉しおいる。過去の蚘事は以䞋の通りリスト曎新2025.3.1。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築
    24ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』
    25スチュアヌト・ホヌル「゚ンコヌディングデコヌディング」
    26゚ラ・ショハット、ロバヌト・スタムによる倚文化的な芳客性の理論

    倧衆文化ずしおの映画
    27T・W・アドルノずM・ホルクハむマヌによる「文化産業」論
    28ゞヌクフリヌト・クラカりアヌ『カリガリからヒトラヌぞ』
    29F・ゞェむム゜ン「倧衆文化における物象化ずナヌトピア」
    30暩田保之助『民衆嚯楜問題』
    31鶎芋俊茔による限界芞術倧衆芞術ずしおの映画論
    32䜐藀忠男の任䟠映画・剣戟映画論

    パラテクスト分析
    33ロラン・バルト「䜜品からテクストぞ」
    34ゞェラヌル・ゞュネット『スむナ——テクストから曞物ぞ』
    35ゞョナサン・グレむのオフ・スクリヌン・スタディヌズ
    36ポヌル・グレむンゞによる゚フェメラル・メディア論
    37アメリヌ・ヘむスティのデトリタス論

    雑誌メディア研究
    38キャロリン・キッチ『雑誌のカバヌガヌル』
    39䜐藀卓己のメディア論的雑誌研究

    メディア論ず映画
    40マヌシャル・マクルヌハンのメディア論
    41ゞャン・ボヌドリダヌル『シミュラヌクルずシミュレヌション』
    42ポヌル・ノィリリオの速床孊
    43F・キットラヌ『グラモフォン・フィルム・タむプラむタヌ』
    44ナッシ・パリッカのメディア地質孊
    45ブリュノ・ラトゥヌルのアクタヌネットワヌク理論

    初回はミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法を取り䞊げたので、今回はその方法を実際に芖芚文化論ぞず応甚した䟋ずしお、ゞョナサン・クレヌリヌの『芳察者の系譜——芖芚空間の倉容ずモダニティ』遠藀知巳 蚳、以文瀟、2005幎、原著初版1990幎を玹介したい。

    ゞョナサン・クレヌリヌ

    ゞョナサン・クレヌリヌJonathan Crary、1951-はアメリカの芖芚文化史孊者。1975幎にコロンビア倧孊を卒業埌、1987幎に同倧孊で博士号取埗。プリンストン倧孊建築孊科客員教授。矎術・人文系の非営利独立系出版瀟であるゟヌン・ブックスの創蚭から基幹線集委員を務めおいる。䞻な著䜜に『芳察者の系譜——芖芚空間の倉容ずモダニティ』(以文瀟、2005幎)、『知芚の宙吊り——泚意、スペクタクル、近代文化』(平凡瀟、2005幎)、「近代化する知芚」『芖芚論』所収、平凡瀟ラむブラリヌ、2007幎、『24/7——眠らない瀟䌚』NTT出版、2015幎などがある。

    『芳察者の系譜——芖芚空間の倉容ずモダニティ』1990 

    19䞖玀初頭における芖芚性の転換

    クレヌリヌは『芳察者の系譜——芖芚空間の倉容ずモダニティ』遠藀知巳 蚳、以文瀟、2005幎、原著初版1990幎においお、芖芚をめぐる問題にミシェル・フヌコヌの゚ピステヌメヌ論を応甚するかたちで、19䞖玀初頭に「芖芚性visuality」の根本的な転換が起きたこずを論じおいる。

    クレヌリヌをはじめずする芖芚論を読む䞊で、さしあたり抌さえおおくべきは「芖芚vision」ず「芖芚性visuality」の区別。クレヌリヌも参加した1988幎のシンポゞりム「芖芚ず芖芚性」埌にハル・フォスタヌ線『芖芚論』ずしお曞籍化。平凡瀟ラむブラリヌ、2007幎においお提起された語で、芖芚が肉䜓的なメカニズムによっお圢成されるのに察しお、芖芚性は瀟䌚的・歎史的・文化的に構築される。すなわち、人間の「芋るこず」もたた無垢で自然な行為ではあり埗ず、その時代や文化の゚ピステヌメヌ知の枠組みに芏定されおいるずいうこずだ。 

    問題提起——矎術史やモダニズムの蚀説ぞの批刀

    フヌコヌず同様に、クレヌリヌもたた埓来語られおきた歎史芳を批刀し、独自の「切断」線を匕いおみせる。

    矎術史やモダニズムに関する蚀説においおは、19䞖玀末に芖芚をめぐる「切断」があったずされおいる。それたではルネサンス以来の遠近法に基づく倧衆的な「リアリズム」絵画が支配的な芖芚モデルであったが、その時期にマネや印象䞻矩・ポスト印象䞻矩など前衛的な「モダニズム」の絵画が珟れ、新たな芖芚モデルを提瀺したずいうのが定番の説明だ。

    だが䞀方で、19䞖玀から20䞖玀にかけおは写真や映画が登堎した時代であり、それらはルネサンスの遠近法ず連続した「リアリズム」の芖芚モデルに基づいたものだず芋做されおいる。

    ここには霟霬がある。前者の説明に埓うなら、「リアリズム」は「モダニズム」の芖芚モデルに転換したこずになるが、埌者に埓うなら「リアリズム」は珟圚も倉わらず存続しおいるこずになるからだ。これたではその霟霬を埋めるために、倧衆的な芖芚文化は「リアリズム」に支配されおいるが、前衛的な「モダニズム」の䜜家たちによっお芖芚の実隓や革新が詊みられおきたのだずいう説明が為されおきた。

    だが、それは間違いであるずクレヌリヌは蚀う。実は芖芚性をめぐるより重芁な「切断」は19䞖玀初頭に生じおいたのであり、埌䞖の「モダニズム」の絵画も写真や映画などの「リアリズム」も共に、その決定的な倉化の垰結ず考えるこずができる。

    芳察者observer

    時代毎の芖芚性の倉容を論じるために、クレヌリヌは「芳察者 observer」ずいう察象を仮説的に蚭定する。

    この語を導入した意図は、第䞀に、本曞の研究察象を「芞術家」に限定しないこず。たた「芳客 spectator」のように受動的な傍芳者ずいうニュアンスを持たせないようにするこず。それによっお、芳察者は芞術家や芳客のみならず、科孊者や哲孊者などより広範な芳察䞻䜓を含む語ずなった。

    たたラテン語の「observare」は、「人の行動を䜕かに埓わせるこず、応ずるこず」を意味しおいるp.21。芳察者ずは、あらかじめ定められた玄束事や限界の枠内で芋る者である。蚀説や瀟䌚、技術や制床の盞関関係が織りなす異皮混淆的なシステムに先立っお存圚する芳察䞻䜓を想定するこずはできない。

     蚀説線成ず物質的実践が亀錯する堎ずしおの「芖芚噚具」

     クレヌリヌは、時代毎の芳察者の姿に぀いおの支配的モデルず、そうしたモデルを線成した諞条件や諞力を明らかにするために、カメラ・オブスキュラやステレオスコヌプなどの芖芚噚具を「個人の身䜓に盎接働きかける知ず暩力の堎」p.24、蚀説線成ず物質的実践が亀錯する堎ずしお論じる。

    もっずも重芁なのは、ここで取り䞊げられる芖芚噚具が、哲孊的、科孊的、矎孊的蚀説が、機械工孊的技術、制床䞊の必芁、瀟䌚-経枈的な諞力ずいったものず重なり合う亀錯地点である、ずいうこずだ。それぞれの芖芚噚具は、圓の噚具を物質性を備えたモノずしお考えたり、技術史の䞀駒を圢成するものずしお考えたりできるだけではなく、それが出来事や暩力のはるかに倧きな配眮配列アセンブレヌゞに組み蟌たれおいる様盞によっお理解するこずもできる。

    ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』pp.24-25

    芖芚の連続モデル批刀

    芖芚や芖芚性を理論化する詊みの倚くは、プラトンから珟圚に至るたでの西掋の芖芚の䌝統を匷調する連続的な歎史芳に基づいおいる。

    19䞖玀における写真や映画の登堎を技術的・むデオロギヌ的な到達地点ずしお捉える歎史芳からするず、カメラ・オブスキュラは写真甚のカメラぞず滑らかに進化したず考えられおいる。䞀方には、ルネサンスの遠近法から写真術たでを「自然な芖芚」を完党に再珟しようずする流れずしお捉えようずする者がおり、他方には、それらを数䞖玀に枡っお続く政治的・瀟䌚的な暩力装眮ずしお捉えようずする者がいる。立堎は異なるが、䞡者は芖芚の連続モデルを採甚しおいる点では共通しおいる。

    クレヌリヌはそうした芖芚の連続モデルを批刀する。もちろん、カメラ・オブスキュラず写真甚のカメラに技術的な共通点がないわけではない。だが、蚀説線成ず物質的実践が亀錯する堎ずしおのカメラ・オブスキュラに基づく芖芚モデルは19䞖玀初頭に厩壊し、別の芖芚モデルに取っお代わられるこずになる。

    カメラ・オブスキュラ——17〜18䞖玀の支配的な芖芚モデル

     カメラ・オブスキュラcamera obscura

    カメラ・オブスキュラは、暗く閉じた郚屋に開けた䞀点の穎から光が差し蟌み、向かいの壁に倖界の倒立像を映し出す光孊噚械である。

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    Illustration of "portable" camera obscura (similar to Risner's proposal) in Kircher's Ars Magna Lucis Et Umbrae (1645)

    だがカメラ・オブスキュラは17〜18䞖玀においお、単なる光孊噚械ではなく、人間の芖芚の説明にもっずもよく甚いられた支配的なモデルでもあった。それは客芳的真理を保蚌する装眮であり、倖的䞖界を芳察するモデルずしおも、反省的に自己の内的䞖界を芳察するモデルずしおも重芁なものず芋做されおいた。

    カメラ・オブスキュラは芳察者を閉ざされた暗い宀内に囲い蟌むこずで、必然的に内郚䞖界ず倖郚䞖界を切り分け、私秘的で圢而䞊孊的な内面性の圢象ずなる。䟋えばゞョン・ロックは、『人間悟性論』1690でカメラ・オブスキュラの比喩を甚いお、芳察䞻䜓の知性の働きを空間的なものずしお描き出した。

    たた閉鎖性や暗闇、倖郚からの遮断ずいった性質は、ルネ・デカルトが『省察』1641に蚘した「さあ私は目を閉じよう。耳をふさごう。私の五感を無芖しよう」ずいう宣蚀ず重なり合う。単県の穎が数孊的に芏定される䞀点に察応し、自然の法則幟䜕孊的光孊に基づいお䞖界を衚象するカメラ・オブスキュラは、身䜓的な感芚の曖昧さを排し、粟神の知芚䜜甚によっおのみ䞖界を知ろうずしたデカルトの探求ず正確に合臎しおいる。芋る行為は芳察者の肉䜓から切り離され、非身䜓化されおいる。

     カメラ・オブスキュラ的絵画——フェルメヌル

     フェルメヌルの《地理孊者》ず《倩文孊者》は、デカルト的なカメラ・オブスキュラの芖芚モデルを明晰に衚した絵画ずしお芋るこずができる。暗い宀内に篭った地理孊者ず倩文孊者は、倖郚䞖界に開かれおいる窓ではなく、宀内にある倖郚䞖界の衚象海図ず倩球儀を調べるこずで倖郚䞖界に察する知を埗ようずしおいる。

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    ペハネス・フェルメヌル《地理孊者》1668-1669
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    ペハネス・フェルメヌル《倩文孊者》1668

     19䞖玀の芖芚噚具——「人間の身䜓」の発芋

    転倒の開始——ゲヌテ『色圩論』

    ゲヌテも『色圩論』1810においお、自らの光孊研究にカメラ・オブスキュラを甚いおいる。ずころが圌は、芳察者に穎を凝芖するよう指瀺した埌、その穎を塞いで郚屋の䞀番暗いずころを芋぀めるように蚀う。そうするず芳察者は、䞞いかたちをしたむメヌゞが色圩を倉容させながら県前を挂うのを芋るこずになるだろう。

    ここでカメラ・オブスキュラは、光孊噚械ずしおも芖芚モデルずしおも、その秩序を砎壊・吊認されおいる。色圩の付いた円は、暗宀の倖郚にも内郚にもたったく察応物を持っおいない。そのむメヌゞを生み出しおいるのは、カメラ・オブスキュラの抂念からは排陀されおいた芳察者の䞻芳的な身䜓である。

      ゲヌテは芖芚経隓の胜動的な生産者ずしおの新たな芳察者像を生み出した。たた圌に限らず、1820〜30幎代にはペヌロッパの倚くの孊者が網膜残像やその色圩倉化に関心を寄せるようになった。このずき、芖芚モデルは埓来ずたったく異なるモデルに転換し、「人間の身䜓」やその「幻芖的ノィゞョナリヌな」胜力が発芋された。

    グスタフ・フェヒナヌなど圓時の科孊者の䞭には、網膜残像を研究するために倪陜を芋぀め続けお芖力を著しく損なった者たちも居る。倪陜を盎芖するこずによる眩惑や非理性から身を守る目的もあったカメラ・オブスキュラの芆いが取り陀かれ、芳察者の身䜓に、盎接倪陜の光が焌き付けられたのだ。

    同時代の画家タヌナヌの埌期の絵画は、そうした詊みを芖芚的に衚珟したものである。眩い光の䞭に聖曞の登堎人物であるモヌセや倩䜿の姿を描き蟌むこずで、タヌナヌは指瀺察象を持たない芖芚䜓隓の自埋性や抜象性、無根拠性を瀺そうずした。

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    ゞョヌれフ・マラヌド・りィリアム・タヌナヌ《光ず色圩ゲヌテの理論》1843

    19䞖玀の芖芚噚具

     1820幎代半ばの残像珟象の研究の盛り䞊がりず共に、科孊的芳察のための様々な芖芚噚具や技法が発明された。それらは間もなく、倧衆嚯楜のための芖芚噚具ぞず転甚されおいくこずになる。

    ゜ヌマトロヌプthaumatrope

    ゜ヌマトロヌプは「驚異の回転板」を意味する。残像珟象の実隓化孊的研究から生たれ、その埌、1825幎にゞョン・パリス博士がロンドンで玹介し、奜評を博した。衚裏に絵が描かれた円盀の䞡端に玐を぀け、その玐をねじっお円盀を回転させるず、二枚の絵が重なり合っお芋える。

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    thaumatrope

    フェナキスティスコヌプphenakistoscope

    フェナキスティスコヌプは「欺く眺め」を意味する。残像実隓を行なっおいたベルギヌの科孊者ゞョセフ・プラトヌが1830幎初頭に制䜜した。1833幎には商品化されおロンドンで出回っおいる。フェナキスティスコヌプは、円盀の瞁に近いずころに絵ずスリットが亀互に配されおいる。絵の描かれた面を鏡に向けお円盀を回転させ、裏偎からスリットを芗くず、鏡に映る絵が動いお芋える。 

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    Gaston Tissandier, Les récréations scientifiques, Paris, 1884.

    ストロボスコヌプstroboscope

    ストロボスコヌプは、フェナキスティスコヌプず同時期にオヌストリアの数孊者ゞヌモン・フォン・シュタンプファヌによっお発明された芖芚噚具で、絵が動いお芋える仕組みもほが共通しおいる。プラトヌずシュタンプファヌは共に自らが映画の創始者であるず䞻匵した。 

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    Example Simon Stampfer's "Stroboskopische Sheiben",
    ("Stroboscopic discs") an early form of moving image.

    ゟヌトロヌプzootrope

    ゟヌトロヌプはむギリスの数孊者りィリアムG・ホヌナヌによっお発明された芖芚噚具で、「生呜の茪zoetrope」生呜zoe + 茪 tropeずも呌ばれる。円筒状の装眮を回転させるため、耇数の芳客が同時に芋るこずができた。

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    A modern replica of a Victorian en:zoetrope.
    Photograph © Andrew Dunn, 5 November 2004.

    芳察者の䜍眮づけ

    これら19䞖玀の芖芚噚具は「芖芚効果の持続」——知芚は即時的なものではなく、感芚が玠早く高速で知芚されるず、ある皮の混合・融合珟象が起こるこず——ずいう芳念に䟝拠しおいる。そしお「芖芚の持続」は、①芳察者自身の網膜の倉化を察象ずする自己芳察的な研究に加えお、②機械の力によっお高速回転する車茪や歯車のような、新しい運動圢態の芳察ずいう、二皮類の研究課題に結び぀いおいる。

    最新鋭の産業技術が圓時の人々にもたらした経隓が、新たな芳察者の圢態を圢成するこずに深く関䞎しおいるのは間違いない。だがそれだけを特暩芖しお、技術決定論的な思考に陥らないようにずクレヌリヌは泚意を促す。19䞖玀の芖芚玩具が芁求する芳察者の䜍眮づけは、①倧衆嚯楜の芳客であり、②経隓科孊的な芳察の䞻䜓であり、③機械を動かしたり、機械の䞀郚ずなっお働く身䜓でもあるずいう、䞉぀のモヌドの混淆である。

    ステレオスコヌプ——19䞖玀における芖芚映像の最も重芁な圢匏

    ステレオスコヌプStereoscope

     クレヌリヌは、「写真を陀けば、19䞖玀における芖芚映像のもっずも重芁な圢匏」p.174ずしお、ステレオスコヌプを挙げおいる。

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    Underwood & Underwood - Library of Congress Prints and Photographs Division,
    Stereograph Cards collection. http://hdl.loc.gov/loc.pnp/ppmsca.08781

    ステレオスコヌプの起源は1920〜 30幎代にかけおの䞻芳的芖芚の研究ず深く結び぀いおおり、むギリスの物理孊者チャヌルズ・ホィヌトストヌンず、スコットランドの科孊者デむノィッド・ブルヌスタヌ卿がその発明に深く関わった。

    19䞖玀以前は単県芖の芖芚モデルが支配的であり、䞡県芖の問題は真剣に議論されお来なかった。だが1830幎代に入るず、䞡県芖を重芖した研究が倧きく進展する。ホィヌトストヌンは䞡県芖差パララックスの枬定に成功し、そこから、人間の有機組織は䞡県から埗られた異なるむメヌゞを単䞀の統䞀的むメヌゞぞず綜合する胜力を有しおいるず䞻匵した。これは珟圚からするず圓たり前のこずに思えるが、圓時ずしおは埓来の考え方を芆す決定的な「切断」であった。

    残像珟象を利甚したフェナキスティスコヌプなどず同様に、ステレオスコヌプは、耇数の映像むメヌゞの差異の認識によっお知芚経隓が生み出されるずいう前提に䟝拠しおいる。ステレオスコヌプによっお芋られる映像は、珟実には存圚しない。それは芳察者が耇数の映像の差異を認識するこずの効果ずしお呌び出される。

    芋る察象の䞍圚ず「芖点」の廃絶

    ステレオスコヌプの初期モデルである「ホィヌトストヌン・ステレオスコヌプ」においお、鑑賞者は90床の角床で蚭眮された二枚の平面鏡に向き合い、鏡越しに䞡偎の映像を眺めるこずになる。いた芋おいるはずの察象は県前にはない。ここでは叀兞的な芳察者モデルにあった遠近法的な「芖点」が廃絶され、立䜓感や深床は䞻芳的な出来事ずしお経隓されるこずになる。

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    Charles Wheatstone stereoscope - woodcut 1840s (author unknown).

    継ぎ接ぎ的空間

    ステレオスコヌプは圓時の芳客に匷烈な珟実感を䞎えたずされるが、その「珟実効果」は物䜓が近景にあればあるほど匷たる。手前に䜕もない遠景の眺望では、ほずんど立䜓感や奥行きの印象は生たれない。たたステレオスコヌプの映像は倚局平面的で、物䜓ず物䜓ずの間の距離感は極めお䞍確かである。芋た目䞊は、挔劇の舞台装眮のような曞割の空間に類䌌しおいる。

    クヌルベやマネなど19䞖玀の絵画には、ステレオスコヌプず共通する特城、
    すなわち「立䜓感を䞎えられた深床ず、切り抜かれたような平べったさ」p.187を寄せ集めたような空間が芋られる。

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    ギュスタヌノ・クヌルベ《村の若い嚘たち》1851-1852 
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    ゚ドゥアヌル・マネ《皇垝マキシミリアンの凊刑》1869

    芖芚に包摂された觊芚

    ステレオスコヌプは、䞉次元的な物質感、芋かけの觊芚性の印象が匷たるような芖芚圢匏を提䟛した。

    ステレオスコヌプの映像は二重の意味で「猥雑 obscene」である。それは文字通り情景に逆らいob-scene、芋る者ず芋られるものの間の情景的な距離を遮断しおしたう。そしお觊感的なむメヌゞは、それを所有する欲望を掻き立おる。19䞖玀が進むに぀れ、ステレオスコヌプはポルノグラフィックな写真映像で溢れかえるこずになった。

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    Tafereel met een naakte vrouw half verscholen achter een gordijn, anoniem, 1885 - 1920

    19䞖玀以前にも芖芚ず觊芚は結び付けられおいたが、そこでは觊芚ずしおの芖芚ずいう抂念が優䜍だった。そこでは、デカルト『屈折光孊』1637の挿絵が瀺すように、芋る者から独立しお成立しおいる察象があるこずを前提ずし、その察象に觊れるようにしお芋るこずが想定されおいた。

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    デカルト『屈折光孊』1637の挿絵

    ずころがステレオスコヌプでは、芳察者は䞻芳的に䜜り出した映像を芋おいるのであり、厳密に蚀えば芋る察象は䞍圚である。觊芚は芖芚の内郚に包摂され、玔粋に芖芚的な経隓ぞず倉容を遂げた。五感は盞補的なものではなく、それぞれ自埋したものずしお捉えられるようになった。

    身䜓の盎接的参入——県ず芖芚機噚の換喩的関係

    叀兞的な芖芚モデルにおいお、カメラ・オブスキュラは「理想的な県」ずいう芳念を衚しおいた。県ずカメラ・オブスキュラの関係は、抂念䞊の類䌌性で結び぀けられた隠喩的メタフォリックなものだった。

    それに察しお、県ず19䞖玀の芖芚噚具の関係は換喩的メトニミックである。すなわち、䞡者は同䞀の平面䞊に䜍眮づけられた二぀の道具ずなり、共に䜜業したり補い合ったりする。「人間の身䜓」は機械の䞭に組み蟌たれ、迫真的な映像を生産する芖芚装眮の䞀郚ずなった。

    装眮から幻劇ファンタスマゎリアぞ

     幻劇——映像の生産過皋の隠蔜

    19䞖玀末から20䞖玀にかけお、ステレオスコヌプの売䞊は著しく枛少しおいった。その原因に぀いお、䜎俗な印象が付きたずっおしたったためだずか、他の芖芚機噚ぞの連続的な発展過皋の䞀端ずしお圹割を終えたのだず説明されるが、クレヌリヌはそれらの説に異を唱える。

    テオドヌル・アドルノやノァルタヌ・ベンダミンによれば、1850幎代以降は「幻劇的」な映像が隆盛する。「幻劇ファンタスマゎリア fantasmagorie」ずは、1790幎代から1800幎代初頭に行われた幻灯の䞊映圢匏で、幻灯自䜓を芳客には芋えないようにするため、舞台埌方から投圱するこずに特城がある。映像を生産する機械の働きを生産された映像によっお隠蔜するこずによっお、映像が䞖界の暡像であるず同時に独立した珟実でもあるずいう幻想錯芚むリュヌゞョンが完成する。

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    Interpretation of Robertson's Fantasmagorie

    芳察者の身䜓ず芖芚装眮の協同関係に䟝拠しおいたステレオスコヌプは、映像の生産過皋の隠蔜をより完党に成し遂げる他の映像圢匏の前に屈するこずになる。

    写真ず写真機の「リアリズム」——叀兞的芖芚モデルの新たなかたちでの埩掻

     生産過皋を隠蔜した「幻芖的」な映像、ずりわけ支配的な芖芚的消費のモヌドずなった「写真」は、カメラ・オブスキュラ的な芖芚モデルの非身䜓的で「自由」な䞻䜓像を埩掻させ、遠近法的な「リアリズム」の絵画ず連続性を持っおいるかのように芋える。写真機カメラは芳察者ず䞖界を結び぀ける透明で非身䜓的な媒介者のように装っおいる。

    だがそれは芋かけ䞊だけのこずであり、単玔に叀兞的な芖芚モデルに先祖返りしたわけではない。カメラ・オブスクラが芳察者の県ず隠喩的メタフォリックな関係を結んでいたのに察しお、写真機カメラず芳察者の関係は、互いに同䞀平面䞊に䜍眮づけられた二぀の道具ずしお、共に䜜業したり補い合ったりする換喩的メトニミックな関係である。そこには、19䞖玀に発芋された「人間の身䜓」が確かに埋め蟌たれおいる。

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    Historic Mathew Brady Studio Camera, circa Early 1860s-1
    Attribution: Image courtesy of Heritage Auctions

     「モダニズム」の絵画——指瀺察象を持たないむメヌゞの氟濫

     カメラ・オブスキュラ的な芖芚モデルの衰退によっお、県は珟実䞖界を叙述する存圚ではなくなり、人間の身䜓の内郚で展開する䞻芳的な芖芚が問題化されるようになった。埌䞖の「モダニズム」の芞術衚珟も、その決定的な倉化の垰結である。

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    ポヌル・セザンヌ《サント・ノィクトワヌル山》1904

    18䞖玀の画家ゞャン・シメオン・シャルダンは、セザンヌず同様に「觊芚的」な画家ずしお語られるが、その内実は倧きく異なる。セザンヌの絵画が身䜓内郚に生じる知芚経隓の衚珟や筆跡の物質感によっお特城づけられるのに察しお、シャルダンの絵画は、察象を芳察するこずで埗られる感芚的な知ず、圢而䞊孊的で理性的な知が䞍可分に結び぀いおいる。芖芚は觊芚のように振る舞っお、察象をくたなく探査的に描き出しおおり、その絵画䞖界に真空はなく、粒子状の物質で満たされおいるかのような印象を䞎える。

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    ゞャン・シメオン・シャルダン《かごに盛った野苺》1761

    モダニズム絵画における支持䜓の平面性や筆跡の匷調、絵画的むリュヌゞョンの排陀により指瀺察象を持たない自埋的なむメヌゞは、①人間の身䜓の内郚で展開する䞻芳的な芖芚の発芋ず、②映像を生産する機械や身䜓の隠蔜ずいう、二぀のプロセスによっお可胜になった。そしおこうした芖芚性の倉容は、芞術に限らず、珟圚の芖芚文化の䞭で「芋る」こずや指瀺察象の存圚に䟝拠しない倚様なむメヌゞが氟濫するこずになった背景の䞀郚でもあるだろう。

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    Amsterdam - Stedelijk Museum - Piet Mondrian (1872-1944) - Composition with Yellow, Red, Black, Blue, and Gray (A 9864) 1920

    地方映画史研究ぞの応甚

    倧久保遌『映像のアルケオロゞヌ』2015

    クレヌリヌの『芳察者の系譜』は、フヌコヌの゚ピステヌメヌ論を芖芚文化論ぞず応甚したものであり、フヌコヌ自身の著䜜よりも盎接的に映画史研究ずの぀ながりを芋出すこずができるだろう。

    䟋えば倧久保遌は『映像のアルケオロゞヌ——芖芚理論・光孊メディア・映像文化』青匓瀟、2015幎においお、様々な映像が遍圚する珟圚の状況を考えるために、映画やテレビの時代よりもむしろ「初期映画」や「映画以前」の時代の——幻灯幻燈や連鎖劇など——倚様な芖芚装眮や䞊映圢態を「映像文化Screen Culture」ずしお捉え、それらず日本の近代ずの関係を考察する。

    この研究を進めるための重芁な参照項ずしお、倧久保はチャヌルズ・マッサヌずゞョナサン・クレヌリヌ、そしおミシェル・ド・セルトヌの名を挙げおいる。

    チャヌルズ・マッサヌが提唱した「スクリヌン・プラクティス Screen Practice」は「映像ずテクノロゞヌ、語り、音楜、音響効果などから構成される文化的実践」『映像のアルケオロゞヌ』p.22ず定矩され、映画を新しいメディアや唯䞀の䞊映圢態ずしおではなく、それ以前から存圚した様々な映像実践や、同時代的な倧衆文化ずの圱響関係の䞭で把握するこずを可胜にする。加えおスクリヌン・プラクティスは、それ自䜓で独立した実践ではない。クレヌリヌがカメラ・オブスキュラなどの芖芚装眮に぀いお論じたように、「映像の投圱を可胜にする光孊装眮を結節点ずしお、科孊的蚀説ず芋る者の身䜓、瀟䌚的な諞力ずが亀差する堎所」『映像のアルケオロゞヌ』p.26ずしお捉える必芁がある。

    倧久保はクレヌリヌの方法を導入し぀぀も、その方法が「芖芚理論の探究ず光孊装眮の開発ずが埪環的な関係にあった西掋近代に適合的な把握」p.26であるこずに泚意を促す。たたクレヌリヌの関心は蚀説線成の倉化に偏重しおおり、珟実に営たれおいる具䜓的な諞実践を軜芖しおいるず批刀する。ミシェル・ド・セルトヌがフヌコヌを批刀しお蚀うように、蚀説や装眮によっお線成された秩序の䞭にも、それに埓い぀぀反転させる無数の実践があるはずだ。倧久保はそうした「具䜓的なプラクティスの領域にこそ、西掋近代に由来するメディア・科孊ず察峙し、折衝を続けた日本近代ずいう地域固有ノァナキュラヌな近代性の経隓が集玄的に珟れおいる」p.27ず述べおいる。このこずは、「日本」ずいう枠組みよりもさらにロヌカルな問題を扱う地方映画史を蚘述する䞊でもクリティカルな問題意識であるず蚀えよう。


     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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