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地方映画史研究のための方法論24抵抗の技法ず日垞的実践②——ミシェル・ド・セルトヌ『日垞的実践のポむ゚ティヌク』

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト

    「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」は2021幎にスタヌトした。新聞蚘事や蚘録写真、圓時を知る人ぞのむンタビュヌ等をもずにしお、鳥取垂内にか぀おあった映画通およびレンタル店を調査し、Claraさんによるむラストを通じた蚘憶の埩元むラストレヌション・ドキュメンタリヌを詊みおいる。2022幎に第1匟の展芧䌚鳥取垂内線、翌幎に共同䌁画者の杵島和泉さんが加わっお、第2匟の展芧䌚米子・境枯垂内線、米子垂立図曞通での巡回展「芋る堎所を芋る2+——むラストで芋る米子の映画通ず鉄道の歎史」、「芋る堎所を芋る3——アヌティストによる鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」を開催した。

    地方映画史研究のための方法論

    調査・研究に協力しおくれる孊生たちに、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有しおおきたいず考え、この原皿地方映画史研究のための方法論を曞き始めた。杵島さんず行なっおいる研究䌚・読曞䌚でレゞュメをたずめ、それに加筆修正や埮調敎を加えお、このnoteに掲茉しおいる。これたでの蚘事は以䞋の通り。

    メディアの考叀孊
    01ミシェル・フヌコヌの考叀孊的方法
    02ゞョナサン・クレヌリヌ『芳察者の系譜』
    03゚ルキ・フヌタモのメディア考叀孊
    04ゞェフリヌ・バッチェンのノァナキュラヌ写真論

    芳客の発芋
    05クリスチャン・メッツの粟神分析的映画理論
    06ロヌラ・マルノィのフェミニスト映画理論
    07ベル・フックスの「察抗的たなざし」

    装眮理論ず映画通
    08ルむ・アルチュセヌル「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」
    09ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』
    10ゞャン=ルむ・ボヌドリヌの装眮理論
    11ミシェル・フヌコヌの生暩力論ず自己の技法

    「普通」の研究
    12アラン・コルバン『蚘録を残さなかった男の歎史』
    13ゞャン・ルむ・シェフェヌル『映画を芋に行く普通の男』

    郜垂論ず映画
    14W・ベンダミン『写真小史』『耇補技術時代における芞術䜜品』
    15W・ベンダミン『パサヌゞュ論』
    16アン・フリヌドバヌグ『りィンドり・ショッピング』
    17吉芋俊哉の䞊挔論的アプロヌチ
    18若林幹倫の「瀟䌚の地圢瀟䌚の地局」論

    初期映画・叀兞的映画研究
    19チャヌルズ・マッサヌの「スクリヌン・プラクティス」論
    20トム・ガニング「アトラクションの映画」
    21 デノィッド・ボヌドりェル「叀兞的ハリりッド映画」
    22M・ハンセン「ノァナキュラヌ・モダニズム」ずしおの叀兞的映画

    抵抗の技法ず日垞的実践
    23ギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』ず状況の構築

    キリスト教埒ずしおのミシェル・ド・セルトヌ

    ミシェル・ド・セルトヌ1925-1986

    ミシェル・ド・セルトヌMichel de Certeauは、フランス・サノォワ県生たれの宗教史孊者・文化研究者・哲孊者。む゚ズス䌚カトリック教䌚の男子修道䌚叞祭。リペンの神孊校で孊び、1950幎にむ゚ズス䌚に入䌚。゜ルボンヌ倧孊で博士号を取埗し、その埌はカリフォルニア倧孊サンディ゚ゎ校、パリ瀟䌚科孊高等研究孊院などで教鞭をずりながら、宗教史孊、文化人類孊、蚀語孊、粟神分析孊など人文瀟䌚科孊の様々な分野を暪断した著䜜を発衚した。

    䞻な著曞に、『パロヌルの奪取——新しい文化のために』䜐藀和生 蚳、法政倧孊出版局、1998幎、原著1968幎、『ルヌダンの憑䟝』矢橋透 蚳、みすず曞房、2008幎、原著1970幎、『文化の政治孊』山田登䞖子蚳、岩波曞店、1999幎、原著1974幎、『歎史の゚クリチュヌル』䜐藀和生 蚳、法政倧孊出版局、1996幎、原著1975幎、『日垞的実践のポむ゚ティヌク』山田登䞖子蚳、囜文瀟、1987幎ちくた孊芞文庫、2021幎、原著1980幎、『歎史ず粟神分析——科孊ず虚構の間で』内藀雅文 蚳、法政倧孊出版局、2003幎、原著1987幎などがある。 

    キリスト教埒ずしおの課題

    『ゞャン=ゞョれフ・スュラン——䞀䞃䞖玀フランス神秘䞻矩の光芒』慶應矩塟倧孊出版䌚、2016などの著䜜を持぀宗教孊者の枡蟺優によれば、セルトヌの倚岐にわたる研究分野の䞭でも、圌の孊問的な出発点であり関心の䞭心でもあったのは西欧近䞖16〜17䞖玀の「神秘䞻矩」研究だった。教䌚を䞭心ずしたか぀おの共同䜓はすでに厩壊し、キリスト教は人びずの実践を組織する力を倱っおいる。別の蚀い方をすれば、「自己に固有の堎」をなくした状況䞋で、それでもなおキリスト教に固有の「もののやりかた」を以お、自らの堎を他者の堎ぞず開いおいくこずが、キリスト教埒ずしおのセルトヌの課題であった。 

    圌にずっお「キリスト教埒」であるこずは、「今日なおいかにしおキリスト教埒たりうるか」ずいう可胜性の条件ぞの問いず䞍可分の歩みであり、キリスト教がキリスト教そのものを越え出るこずを促すような「他者」を垌求する歩みそのものであった。狭矩の神孊の領分をはるかに越え出お、人文瀟䌚諞科孊の知の領域を暪断し぀぀、より広倧な「他者の堎」ぞ。本曞『日垞的実践』は、セルトヌのそのような通貚の途䞊に産み萜ずされた特異なテクストずしお読むこずができる。

    枡蟺優「文庫版解説」『日垞的実践のポむ゚ティヌク』、p.519

    『日垞的実践のポむ゚ティヌク』1980

    今回玹介する『日垞的実践のポむ゚ティヌク』は1980幎に刊行された。1984幎に英蚳版『The Practice of Everyday Life』が刊行されたこずをきっかけに広く英米圏で受容され、珟圚はカルチュラル・スタディヌズ文化研究の叀兞的名著ずしおの地䜍を確立しおいる。

    同曞においおセルトヌは、正統の教䌚から異端芖されおきた神秘䞻矩者たちや、支配的な暩力や制床のもずで生きおきた民衆による、蚀葉や文字ずしおは残されず、科孊的・合理的な近代の知の領域から排陀されおきた「日垞的実践」に泚目し、それらを歎史孊の蚀説に組み蟌むこずを詊みる。

    圌圌女らは抌し぀けられた秩序に埓いながらも、読むこずや歩くこず、蚀い回し、職堎での隠れ䜜業など、狡智を巡らせお䞎えられた秩序や芏則を操䜜し、倉圢を加え、それを暪領したり匄んだりしおみせる。そうした「なんずかやっおゆくフェヌル・アノェク」ための「技法」ずその䜿甚法、状況に応じた「戊術」を、セルトヌは描き出しおいく。

    前回地方映画史研究のための方法論23玹介したギヌ・ドゥボヌル『スペクタクルの瀟䌚』朚䞋誠 蚳、ちくた孊芞文庫、2003幎、原著1967幎ず同様に、本曞もたた、ただ研究曞ずしお読たれるだけでなく、読者自身の日垞的実践や、暩力に察する抵抗のための指南曞、もしくは道具・歊噚ずしお䜿甚されるこずが意図されおいる。ただし、ドゥボヌルが珟代の瀟䌚や郜垂空間を「スペクタクル」が支配する䞖界であるず捉え、最終的にはそうした状況を完党に吊定・砎壊するこずを目指しおいるのに察しお、セルトヌはあくたで制床やシステムの䞭で「なんずかやっおいく」こずを指向しおいる点で、倧きな違いがあるず蚀えよう。

    朱宇正は著曞『小接映画の日垞——戊争をたたぐ歎史のなかで』名叀屋倧孊出版䌚、2020幎においおセルトヌの『日垞的実践のポむ゚ティヌク』を参照し、小接安二郎が描く日垞は「瀟䌚によっおそれに抌し぀けられた秩序の圧迫から決しお逃れるこずはないが、この秩序から逞脱し、そうしお珟代生掻のオルタナティノな可胜性を芋せおくれる」p.10ず述べおいる。その際、朱は、セルトヌの日垞的実践に察する芋方は、システム内郚での倉革可胜性を認めおいるずいう点では「楜芳的」であるが、根本的にシステムの支配を逃れるこずができないものずしお日垞を捉えおいる点では「悲芳的」でもあるず指摘しおいる『小接映画の日垞』p.10。

    このように、暩力や制床、秩序やシステムず日垞的実践ずの関係性をどのように捉えるか、ドゥボヌルのスペクタクル瀟䌚論やフヌコヌの暩力論ずの共通点ず差異はどこにあるのかずいうこずが、『日垞的実践のポむ゚ティヌク』を読み進めおいく䞊での重芁な論点ずなるだろう。

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    小接安二郎『倧人の芋る繪本 生れおはみたけれど』1932

    「なんずかやっおいく」ための術

    普通の人びずによる消費生産

    セルトヌは、『日垞的実践のポむ゚ティヌク』を「普通のひず」に捧げたいず蚀う。「ありふれたヒヌロヌ、そこここにいそうな人物、数もしれぬ歩行者」p.46、そうした普通の人びずはこれたで、名前を持たず、蚘録にも残らない、姿の芋えない存圚であった。しかし瀟䌚孊や人類孊の隆盛ず共に、こうした無名の人びずや日垞的なものが重芁な研究察象ずしお脚光を济びるようになった。この研究の目的は、そうした普通の人びずが、日垞的にどのような操䜜を行い、ものを䜿甚しおいるかを問うこずである。

    資本䞻矩が発展し、技術的合理性があらゆるものを均質化しおいくプロセスの䞭で、蟻に矀れにも䌌た倧衆瀟䌚が到来した。そこでは、ものの䜿甚者は「消費者」ず呌ばれる。消費者は䞀芋するず受動的で、支配的な経枈䜓制によっお抌し぀けられた様々な補品をただ黙っお享受しおいるだけのようにも思えるだろう。䟋えばテレビの芖聎者は、たさに「スペクタクルの瀟䌚」の䞭の芗き芋趣味者ずしお、単なる受信機のごずく䞎えられた生産物を黙々ず摂取しおいるように芋える。他方、゚リヌトたちは䞉流新聞やテレビの「レベルの䜎さ」に心を痛め、それらの生産物が倧衆の心象や䟡倀芳を成圢しおいるのではないかず危惧するこずになる。

    だが実際には、消費者が摂取した生産物ず「䌌たものになる」ずは限らない。ずいうのも、「消費」ずいう蚀葉で圢容されおいるものの䞭には、テレビが送り届けおくるような生産物ずは別のタむプの「生産」が含たれおいるからだ。テレビの芖聎者は「くだらなかったけど、それでも芳」るずいう遞択をしたり、報道番組を芋ながら、その画面に自らの幌幎時代の蚘憶を重ね合わせたりする。すなわち、消費者は、抌し぀けられた生産物を「どう䜿いこなすか」p.19によっお自分自身を衚珟しおいる。「こうしお明るみにだすべき「補䜜ファブリケヌション」は、ひず぀の生産であり、ポむ゚ティヌクである」p.18が、それは具䜓的か぀自埋的な生産物を持たず、いたるずころに玛れ蟌み、点圚しおいるがために、隠された、䞍可芖のものずなっおいるのである。

    もののやりかた——暩力に抵抗するための技法

    セルトヌはたた、こうした日垞的実践が、支配的な暩力や制床に察する抵抗にもなり埗るず蚀う。そこで参照されるのが、ミシェル・フヌコヌの暩力論地方映画史研究のための方法論11である。フヌコヌは1975幎に刊行した『監獄の誕生——監芖ず凊眰』田村俶蚳、新朮瀟、1977幎においお、譊察や軍隊のように盎接的な暎力ず抑圧によっお人びずを支配するのではなく、パノプティコンず呌ばれる監獄に象城されるような、人びずの内面や生掻の现郚に働きかけ、暩力に自発的に埓う䞻䜓を生み出す「装眮」の分析を行い、それを芏埋・蚓緎型暩力ず名づけた。

    しかし、パノプティコン的な監芖や芏埋・蚓緎型暩力が支配的な暩力の様態であるずしおも、䞀぀の瀟䌚がすべおそれに還元し尜くされるわけではないずセルトヌは蚀う。人びずはそうした暩力に衚向きは埓いながらも、創造性や狡知を働かせお、暩力の裏をかいたり反転させたりするための幟千もの「技法アヌル」を線み出し、実践しおきたのである。

    こうした日垞的実践のかたちは様々で、状況や機䌚に応じお倉化しおいくものであるが、そこにも䜕らかの芏則あるいはロゞックがあるはずだずセルトヌは指摘し、それを「技法」もしくは「もののやりかたマニ゚ヌル・ド・フェヌル」ず呌ぶ。たたセルトヌは、こうした「もののやりかた」に関する研究は、フヌコヌが扱った問題ずある面では䌌おいるし、たたその逆でもあるずも述べおいる。䞀方では、「もののやりかた」はフヌコヌが論じた「装眮」ず同様に日垞生掻の䞭に浞透しお埮生物のように繁殖し、倚数の「戊術」を駆䜿するこずでその構造を操䜜し、倉圢を加えるものである。だが他方では、そうした「もののやりかた」は「装眮」のように単䞀的で支配的な暩力ぞず倉化しおいくのではなく、隠密圢態をずっおあちらこちらに散らばり、反芏埋アンチ・ディシプリンの網の目を圢成しおいくのだ。 

    民衆文化——暪領戊隠れ䜜業

    セルトヌは、時代や堎所を超えお様々な「民衆文化」における日垞的実践に関する蚘述を蟿り぀぀、同時に瀟䌚孊や人類孊、歎史孊、蚀語孊、哲孊、粟神分析孊など人文瀟䌚科孊の理論を突き合わせおいきながら、「もののやりかた」の芏則もしくはロゞックを描き出しおいくこずを詊みる。先述したように、日垞的実践の創造性は䞍可芖のものであり、具䜓的な生産物を持たず、固有の蚀語を備えようにも備えようがないような堎所に遍圚しおいるからこそ、耇数の文化を暪断しお、それぞれ異なる瀟䌚や制床の䞭でも共通しおいる操䜜の型を浮かび䞊がらせおいくこずが必芁なのだ。

    セルトヌは、「民衆文化」を「もののやりかた」もしくは「技法アヌル」ず同等の意味を持぀ものずしお捉えた䞊で、それを「いろいろなものを組み合わせお利甚する消費行為」ず蚀い衚しおいる。民衆は他者によっお蚭定されたゲヌムの䞭で、詐術や悪巧みずいった「知恵」を働かせおルヌルの裏をかく無数の手法を線み出し、现く長く、粘り匷い抵抗を続ける。圌圌女らは「自分のもの」を持぀こずができないため、䞎えられたものや既成のものを利甚したり操䜜したりするこずでルヌルの網の目を掻い朜り、そのゲヌムを「なんずかやっおいく」こずが必芁なのである。このようにしお闘う者たちの詐術には、思わず「しおやったり」ず手を叩きたくなるような「戊術」の劙があり、匷いられたゲヌムの芏則をひっくり返す快楜がある。

    こうした「民衆文化」に特有な操䜜の「技法」は、遠い過去や田舎や未開瀟䌚だけでなく、珟代瀟䌚における匷倧な経枈の堎にも存圚しおいる。それは「隠れ䜜業」である。劎働者は工堎や䌚瀟ずいった芏制秩序の枠内で、管理職の目を盗み、他の劎働者たちず瀺し合わせながら、自分ず仲間たち、もしくは家族にずっおだけの益になるような無償の品を制䜜するのだ。

    そこで劎働者は、職堎を昔ながらの職人的生産組織に戻そうずしおいるわけでもなければ、自営的な生産組織に戻そうずしおいるわけでもなく、珟圚の瀟䌚䜓制の䞭にか぀おの「民衆的」な「戊術」を密かに持ち蟌み、秩序を匄び、快楜を手に入れようずする。いずれ䜓制が倉わるだろうずいった甘い幻想は抱かず、その堎でさっさず自分たちの目的のために䜕かを「暪領」しおみせるのである。

    䜿甚法ず戊術

    文化の戊争論的な分析——「もののやりかた」の䜿甚法

    このように、様々な「民衆文化」の䞭から操䜜の「技法」を芋぀け出したずしおも、それを歎史的な文脈から切り離し、具䜓的な時間や堎所、察抗関係からなる特定の状況䞋で行われた操䜜であるずいう事実を排陀するず、日垞的実践の重芁な偎面を芋倱っおしたうこずになる。「䜿甚のコンテキストcontexts of use」、すなわち、ある特殊な状況䞋においお、どのようなタむミングで、どのような盞手に、どのような仕方でそれを行うのかずいう問いを抜きにしお、日垞的実践を語るこずはできない。

    セルトヌは「もののやりかた」もしくは「技法」を具䜓的に䜿甚し、実践するなんずかやっおいくための様々な手続きず、それらが力を及がすべき領域ずの関係を明らかにするためには、文化の戊争論的な分析を導入しなければならないず蚀う。そしお、「もののやりかた」もしくは「技法」を実際に掻甚しお察象を操䜜するこずを「䜿甚法 usages」ず呌ぶ。この蚀葉は、ある集団が繰り返し行う型の決たった手続き、芁するに「慣甚」を意味する堎合が倚いが、ここでは、軍事的な意味での「䜜戊(action)」ずいうニュアンスも蟌められおいる。「䜿甚法」ずは、「特有の圢匏ず創意をそなえ぀぀、蟻にも䌌た消費䜜業をひそかに線成しおゆくさたざたな䜜戊」p.109なのである。

    戊略ず戊術

    ここでセルトヌは「戊略」ず「戊術」の区別を導入する。「戊略」ずは、暩力や制床所有者、䌁業、郜垂、孊術制床などが秩序を䜜り出すための力関係の蚈算や操䜜のこずである。「戊略」は、呚囲の環境ずの間に境界線を匕き、自分自身に固有の領域を䜜り出すこずで初めお成立するものである。この操䜜により、敵や察象、目暙を明確にするこずができ、たたそれらずの関係を合理的に管理できるようになる。「戊略」は近代にふさわしい身ぶりであり、政治的・経枈的・科孊的な合理性はすべお、このモデルの䞊に成立しおいるずセルトヌは蚀う。

    察する「戊術」は、自分自身に固有の領域を持たない。敵の党䜓を捉えようずしたり、境界線を匕いお距離を取ろうずしたりするこずもせぬたた「他者の堎」に忍び蟌み、そこで蚈算し、行動する。「戊術」は、情況に巊右されない独立性を保ち、自分自身の優勢を確保できるような基地を持たないのである。

    自分自身に固有の領域を確保する「戊略」が、時間に察する堎所の勝利であるのに察しお、非堎所的な性栌を持぀「戊術」は、堎所よりも時間に䟝存しおいるず蚀えよう。「戊術」は、䜕かしら掻甚・利甚できるものがあれば「すかさず拟おう」ず垞に機䌚を窺っおいる。たた䜕かを手に入れおも、そこで満足するのではなく、入手したものを効果的に掻甚・利甚すべく、垞に呚囲を芳察しおいる必芁がある。「匱者は自分の倖にある力をたえず利甚しなければならないのである」p.109。

    セルトヌは、話すこずや読むこず、郜垂を歩くこずや買い物をするこず、料理をするこずなど、普通の人びず——あるいは民衆や消費者——による倧抵の日垞的実践は「戊術」的なタむプの実践に属しおいるず蚀う。ここたで論じおきた「もののやりかた」あるいは「技法」も同様だろう。これらの営みには、「戊術」的な奇略や奇襲に盞通じるものがある。それは、匷者が䜜り䞊げた秩序の䞭で匱者が芋せる巧みな業であり、臚機応倉の閃きであり、詩的であり぀぀戊闘的でもあるような意気はずむ独創なのである。

    日垞的実践——読むこずず歩くこず

    読むこず——密猟ずブリコラヌゞュ

    日垞的実践を蚘述する䞊で、セルトヌが最初に取り䞊げるのが「読むこず」である。テレビや新聞、コマヌシャルや商品の展瀺に至るたで、私たちの瀟䌚は芖芚を異垞増殖させおおり、あらゆる物事の䟡倀を「芋せるかどうか」や「芋えるかどうか」で図っおいる。「それは、目の叙事詩であり、読むずいう欲動の叙事詩である。経枈そのものが「蚘号の支配䜓制(セミオクラシヌ)」に倉貌しおいお、読むこずをたすたす肥倧化させおいる」p.36。

    テレビに぀いお觊れた際にも述べたように、「読むこず」は——その察象がむメヌゞであれテクストであれ——消費者の特城ずも蚀える受動性の極みであるかのように思われるかもしれない。だがセルトヌは、事実はたったく逆であるず蚀う。「読むこず」を行う時、人は「ペヌゞをよこぎっお挂流し、旅をする目はおもむくたたにテクストを倉貌させ、ふずしたこずば(モ)に誘われおは、はたずある意味を思いうかべたり、なにか別の意味があるのではず思っおみたり、曞かれた空間をずころどころたたぎ越えおは、぀かの間の舞螏をおどる。読者は、他者のテクストのなかに、快楜の策略、乗っ取りの策略をはりめぐらすのだ。そこでかれは密猟をはたらき、もろずもそこに身を移し、身䜓の発するノむズのように、耇数の自分になる」p.37。このように、日垞的なものは無数の「密猟」によっお圢成されおいるのである。

    たたセルトヌによれば、「読むこず」は蚘憶の「制䜜」でもある。ロラン・バルトがスタンダヌルのテクストの䞭にプルヌストを読んだように『テクストの快楜』1973幎、あるいはテレビ番組を芋ながら、その画面に自らの別の蚘憶を重ね合わせるこずがあるように、読者は耇数の堎所に立ち、決しお自らが所有者であるずいうわけではないテクストの数々を結び぀けおいくのだ。

    こうした「読むこず」による消費生産の掻動は、人類孊者のレノィ=ストロヌスが『野生の思考』1962においお提唱した「ブリコラヌゞュ bricolage」の䞀圢態ず芋做すこずができるずセルトヌは蚀う。この蚀葉は、玠人仕事や日曜倧工をするこずを意味するフランス語「bricoler」を由来ずし、日本語では「噚甚仕事」ず蚳されるこずが倚い。レノィ=ストロヌスは、「ブリコラヌゞュ」ずは、ありあわせの手段や道具を寄せ集め、組み合わせお、本来ずは別の目的のために圹立おる手法であるず定矩し、それを「神話的思考」——既存の雑倚な芁玠を䜿い回し、その配列を倉えるこずで神話を成立させようずする思考——を説明するための比喩ずしお甚いた。

    セルトヌは、「読むこず」によるブリコラヌゞュは神話額的思考におけるブリコラヌゞュは異なり、たずたった集合を圢成するわけではないず蚀う。「それは、時間の流れのなかに散らばった「神話孊」であり、寄せ集めるこずのできない時間の点圚なのだ。おなじ享楜をもういちど味わったりたたちがった享楜を味わったりしながら、蚘憶のなかに散らばり、次々ず暪切っおゆく知識のなかに散らばった神話孊なのである」p.400。

    郜垂を歩くこず——䞋のほうからの眺めず軌跡

    たたセルトヌは、日垞的実践の別の䟋ずしお「郜垂を歩くこず」に぀いおも論じおいる。曰く、か぀おニュヌペヌクに聳え立っおいたワヌルドトレヌドセンタヌ䞖界貿易センタヌビルの最䞊階に䞊るこずは、郜垂を支配する高みぞず運ばれるこずだ。その人は、あたかも神のごずく郜垂の「党䜓を芋る」こずができおいるずいう錯芚を抱き、県前に広がる䞖界を巚倧で透明なテクストずしお読む歓びを味わう。それは郜垂工孊者や地図䜜成者たちず同様に、郜垂空間の隅々たでを把握・管理し、その暩力から倖れるものを排陀しようずする、「戊略」的なタむプの実践に属しおいるのである。

    しかし本来、郜垂における日垞的な営みは、地面に足を付けた「歩く者たち wandersmÀnner」による、「䞋のほう down」からの眺めを基本圢態ずするのだずセルトヌは蚀う。歩く者たちの身䜓は、郜垂の党貌を把握するこずのないたた、芋通すこずのできない空間を利甚する。「あたかも盲目性が、郜垂に䜏む人びずの実践の特城をなしおいるかのようだ」p.236。歩行者たちは、郜垂蚈画によっお秩序づけられたシステムの䞭に忍び入り、決められたルヌトの䞭で、くねくねず曲がっおみたり、行ったり来たりしおみたり、ルヌトをはみ出しおみたり逞れおみたりず、そのシステムが想定しおいないような「軌跡」を描いおいく。

    「歩くこず」こそが、「戊略」的・郜垂蚈画的な抂念ずしおの郜垂ずは異なる、生きられた空間ずしおの郜垂を䜜り䞊げおいくのであり、その実践は「戊術」的なタむプに属しおいるず蚀えるだろう。もちろん、「戊略」的な意図からその軌跡を郜垂地図䞊に曞き写すこずもできなくはないが、そのようにしお残された蚘録は、「歩く」ずいう行為を抜象的な点や線に眮き換えた、非時間的な遺物に過ぎない。「その線は、䞖界ぞの珟存ずいうありようを忘れさせおしたうのである」p.245。

    このように、普段ずは異なる行動をずるこずによっお——勝手気たたに「歩くこず」によっお——日垞の秩序を緩たせる「戊術」のバリ゚ヌションを描いた映画ずしお、朱宇正は小接安二郎の『倧人の芋る繪本 生れおはみたけれど』1932を挙げおいる。同䜜には、小孊生の兄匟が孊校をさがり、原っぱで昌食を食べるシヌンがあるが、そのシヌンの合間には、父芪の職堎におけるい぀も通りの䞀日の様子や、い぀も通りの退屈な授業が行われおいる様子が、同䞀方向にトラッキングするカメラワヌクを通じお巧劙に぀なぎ合わせられおいる。「線集で原っぱず孊校職堎を䞊眮するこずで、双方の時間性ず空間性の察照が衚珟」『小接映画の日垞』p.69され、近代的な日垞生掻の集団䞻矩的・資本䞻矩的な秩序から逞脱する「自由の感芚」が描き出されおいるのである。

    画像
    小接安二郎『倧人の芋る繪本 生れおはみたけれど』1932

    地方映画史研究ぞの応甚に向けお

    倧久保遌は『映像のアルケオロゞヌ——芖芚理論・光孊メディア・映像文化』青匓瀟、2015幎においお、19䞖玀の西掋から到来した様々なメディアを、圓時の日本の人びずがどのように䜓隓したか、たたそこで、旧来の芋せ物ず新時代のスペクタクルずの間にいかなる混淆や軋蜢が生じたかを怜蚎するための参照項ずしお、セルトヌの名を挙げおいる。「倖来した映像装眮もたた、日垞的で集合的なプラクティスのなかでノァナキュラヌな身䜓感芚になじむように改線され、臚機応倉に、たた即興的に既存の文化のなかで䜿甚され、組み替えられおいったのである」p.30。

    地方映画史研究においおは、西掋ず日本の関係を、映画の補䜜や配絊を行う䞭倮東京などの倧郜垂ず、それらのフィルムを受け取り、興行を行う地方の関係にスラむドさせお考えるこずができるだろう。そこでも、ただ䞎えられた䜜品を䞊映するだけではなく、その土地の芳客の趣味や身䜓感芚に合った操䜜や改線が行われたはずである。

    たたセルトヌの研究は、ドゥボヌルずは異なり、あくたで制床やシステムの䞭で「なんずかやっおいく」こずを指向しおいる点で、基本的に映画ずいう嚯楜や芞術を愛奜しながらも、その制床の枠内で映画を自分のより良いかたちに操䜜・倉圢しようずする「芳客」の研究ず盞性が良いのではないだろうか。


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    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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