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地方映画史研究のための方法論9装眮理論ず映画通②——ゞガ・ノェルトフ集団『むタリアにおける闘争』

    ゎダヌル映画ず地方映画史研究

    特別講座「城は至る所に——ゎダヌルの陰謀論」jig theater

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    特別講座「城は至る所に——ゎダヌルの陰謀論」jig theater

    jig theaterで行われおいる特集䞊映「远悌 ゞャン=リュック・ゎダヌル映画祭」の関連䌁画ずしお、2023幎6月18日日に特別講座「城は至る所に——ゎダヌルの陰謀論」を行なった。圓日の様子はむンスタラむブで配信され、7月9日日の䌚期終了たで芖聎するこずができる。

    「地方映画史研究のための方法論」

    ゎダヌルのレクチャヌは6月頭に急遜決たったこずだったが、『ナリむカ2023幎1月臚時増刊号 総特集ゞャンリュック・ゎダヌル』の原皿執筆のためにゎダヌル䜜品を集䞭的に芋返しおいたのず、ちょうどこの連茉地方映画史研究のための方法論でもゞガ・ノェルトフ集団を取り䞊げるために準備をしおいたため、いい具合にそれぞれを連動させお進めるこずができたず思う。

    「地方映画史研究のための方法論」は、2021幎にスタヌトした「芋る堎所を芋る——鳥取の映画文化リサヌチプロゞェクト」の調査・研究に協力しおくれる孊生たちに、地方映画史を考える䞊で抌さえおおくべき理論や方法論を共有しおおきたいず考えお曞き始めた。杵島和泉さんず行なっおいる研究䌚・読曞䌚でレゞュメをたずめ、それに加筆修正や埮調敎を加えお、このnoteに掲茉しおいる。

    前回は、映画研究における「装眮」理論を理解する䞊での前提ずなるルむ・アルチュセヌルの「囜家のむデオロギヌ装眮」論を抂説した。今回は、アルチュセヌルのむデオロギヌ論を映画化しおみせたゞガ・ノェルトフ集団の『むタリアにおける闘争』ず、映画制䜜のありかたや䞊映のありかたの根本的な芋盎しを図る運動——「映画を政治的に䜜る」こずの実践——に぀いお芋おいきたい。

    ゞガ・ノェルトフ集団

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    1970幎のゎダヌルずゎラン
    コリン・マッケむブ『ゎダヌル䌝』みすず曞房、2007幎、p.231

    ゞャン=リュック・ゎダヌル

    ゞャン=リュック・ゎダヌルJean-Luc Godard、1930-2022はフランスの映画監督。映画批評家ずしお『ラ・ガれット・デュ・シネマ』誌や『カむ゚・デュ・シネマ』誌で執筆掻動を行なった埌、1960幎に初の長線映画『勝手にしやがれ』を監督。1961幎の長線第2䜜『小さな兵隊』で䞻挔を務めたアンナ・カリヌナず結婚し、二人のコンビで『女は女である』1961、『はなればなれに』1964、『気狂いピ゚ロ』1965など数々の䜜品を発衚。䞖界的な人気を博した。

    だが『気狂いピ゚ロ』公開ず同幎1965幎にアンナ・カリヌナず離婚するず、1967幎に『䞭囜女』に䞻挔したアンヌ・ノィアれムスキヌず結婚。『䞭囜女』はパリ倧孊の孊生たちが倏季䌑暇䞭に毛沢東思想を孊び、過激化しおいく様子を描いたフィルムで、翌幎のフランスの五月革呜を予芋したずも蚀われた。ゎダヌルはこの頃から政治的な映画制䜜に没頭するようになり、『りむヌク゚ンド』1967を最埌に商業映画ずの決別を宣蚀する。

    ゞャン=ピ゚ヌル・ゎラン

    1967幎、『䞭囜女』を制䜜䞭だったゎダヌルは、映画批評家むノォンヌ・バビヌが催した晩逐䌚で、ゞャンピ゚ヌル・ゎランJean-Pierre Gorin、1943-ず出䌚う。ゎランは高等垫範孊校ぞの入孊を目指しおルむ・ル・グラン高校の準備孊校に通った時期があり、そこでルむ・アルチュセヌルのマルクス䞻矩や構造䞻矩など圓時の新しい思考法を身に぀けた。ゎダヌルず出䌚ったのは、『ル・モンド』誌で曞評の仕事を始めたばかりの頃。共産䞻矩青幎同盟「マルクス・レヌニン掟」に属する若き新巊翌の掻動家で、たた映画にも造詣の深かったゎランは、ゎダヌルの匷い興味を惹き、䞡者は同時代の哲孊や理論、映画に぀いお察話を重ねるようになった。

    ゞガ・ノェルトフ集団

    1968幎、ゎダヌルはゎランに次の映画『東颚』1969共同制䜜を持ちかけ、それをきっかけに「ゞガ・ノェルトフ集団」Groupe Dziga Vertovを結成。゜連の映画䜜家ゞガ・ノェルトフ1896-1954からグルヌプ名をずり、集団的・匿名的な映画補䜜、マルクス䞻矩的な政治思想、商業的・資本䞻矩的な流通回路に乗せないオルタナティブな䞊映圢態の暡玢など、ラディカルな政治性を志向した映画運動を展開した。

    1969幎にはゞャン=アンリ・ロゞェJean-Henri Roger、1949-2012が加わり、『ブリティッシュ・サりンズ』1969や『プラりダ真実』1969の制䜜に参加。その埌もゞガ・ノェルトフ集団は『むタリアにおける闘争』1969、『勝利たで』1970、『りラゞミヌルずロヌザ 』1971などの制䜜に取り組むが、公開を拒吊されたり、完成にたで至らないこずもあった。1972幎にむノ・モンタンずゞェヌン・フォンダを起甚しお初の商業映画『䞇事快調』1972を公開した埌、出挔したゞェヌンを批刀する短線『ゞェヌンぞの手玙』1972を制䜜。その盎埌にゞガ・ノェルトフ集団は解散する。

    「なにをなすべきか」1970

    ゎダヌルは1970幎 1 月に「なにをなすべきか」ず題したゞガ・ノェルトフ集団のマニフェストを発衚。「政治映画を぀くるべきか」それずも「映画を政治的に぀くるべきか」を問うおいる『ゎダヌル・マニフェスト——むタリアにおける闘争カラビニ゚』所収、深芋耕䞀郎 線、フランス映画瀟創造瀟、1970幎、p.2。

    「政治映画」ずは、珟実の政治状況を題材ずしお、䞖界のありようを描写・説明するこずを目的ずした映画であり、䜜品の制䜜前から配絊を行おうずする、埓来の商業的・資本䞻矩的な流通回路を前提ずした映画のこずである。それはただブルゞョワ・むデオロギヌから抜け出し埗おいない、芳念論的・圢而䞊孊的な䞖界芳を前提ずした叀い思想であるず指摘される。

    察しお「映画を政治的に䜜る」ずは、「具䜓的な状況を具䜓的に分析」p.3するこずで、胜動的に䞖界を倉革しようずするこずである。その実践は「映画の線集を、撮圱前に行い、撮圱䞭に行い、撮圱埌になお行なうこず」、さらには「映画の配絊を行なおうずする前に、たずそれを補䜜するこず」p.4によっお行われる。すなわち、補䜜偎が自ら配絊ルヌトを決めお䞊映掻動を展開するずいうこずであり、こちらはプロレタリア階玚の立堎に立った、マルクス䞻矩的・匁蚌法的䞖界芳に立った新しい思想であるずされる。

    ゞガ・ノェルトフ集団は、ただ「政治映画」を撮るだけではなく、その映画の生産過皋や流通過皋を批刀的に分析し、解䜓しおいくのだず宣蚀する。闘争ず革呜こそが第䞀の目的であり、「映画を぀くるこずは第二矩的な掻動であっお、革呜のなかの小さな「ねじくぎ」」p.5であるず知らねばならない。

    『むタリアにおける闘争』

    『むタリアにおける闘争』1969

    『むタリアにおける闘争』はむタリア囜営攟送RAIからの䟝頌で1969幎12月に制䜜されたが、結局攟映されるこずはなかった。圓時のむタリアでは各地で激しい劎働争議が行われおいたが、ゎダヌルずゎランはその様子を蚘録しに行くのではなく、倚くの堎面をパリのゎダヌルの自宅で撮圱。他にはフランス・リヌル近郊の織物工堎や、ミラノ郊倖の映像が数カット登堎するのみであった。

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    『むタリアにおける闘争』1969

    同䜜の理論的な支柱になっおいるのは、前回取り䞊げたルむ・アルチュセヌルの「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」である。クリスティアヌナ・トゥリオアルタンが挔じる女子倧生パオラ・タノィアヌニが、マルクス䞻矩者ずしお革呜運動に身を投じる䞭で、自らの日垞生掻にも入り蟌んで䜜動する囜家のむデオロギヌ諞装眮の存圚に気づくずいう物語が描かれる。なお、「むデオロギヌず囜家のむデオロギヌ装眮」の刊行は970幎6月なので『むタリアにおける闘争』の公開ず前埌するが、映画䜜䞭に盎接的な文蚀の匕甚も登堎するため、アルチュセヌル本人から盎接原皿を埗たものず思われる。

    以䞋では、『ゎダヌル・マニフェスト』深芋耕䞀郎 線、フランス映画瀟創造瀟、1970幎所収のシナリオを土台ずしながら、映画本線ず適宜照らし合わせ぀぀、ゎダヌルずゎランがアルチュセヌルのむデオロギヌ論をいかに映画化しおみせたのかをたずめおいるシナリオず本線の異同に぀いおは、今回は考慮しおいない。

    第1郚——パオラの日垞生掻

    第䞀郚の冒頭では、女子孊生パオラ・タノィアヌニが芳客に向かっお語りかける。曰く、認識論の歎史䞊、䞖界には二぀の発展法則があった。䞀぀は圢而䞊孊芳念論であり、もう䞀぀は匁蚌法マルクス䞻矩である。そしおパオラは、マルクス䞻矩者ずしおその革呜運動に身を投じおいる。

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    続いお、パオラの日垞生掻が、「闘争」「倧孊」「瀟䌚」「家庭」などの郚門ごずに映し出される。それぞれの堎面の随所には「黒画面」が挿入され、そこにあるべき䜕かが隠されおいるような、あるいは日垞生掻が断片化されおいるような印象を䞎える。

    「闘争戊闘的行動」では、パオラが革呜闘争のためのビラを制䜜したり、共産党の集䌚に぀いお電話で話したり、䞉぀の新聞・雑誌の政治的立堎を読み比べたりする姿が映し出される。パオラはビラを曞くシヌンに重ねられたナレヌションで、各囜の人民闘争を分析しお自らの闘争に掻かすこずがブルゞョワゞヌの囜家装眮譊察や軍隊を攻撃するために有効であり、たたそれゆえにブルゞョワゞヌはそれを恐怖し、取り締たろうずするのだず指摘する。

    「倧孊」では、パオラの埌ろ姿だけが映し出され、そこに講矩を行う教授の声ず、孊生たちの「くたばれ芳念論」ずいう野次の声が重なる。

    「科孊」では、パオラの青幎劎働者に家庭教垫をしおいる。青幎は、そこで教わったこずを自らの劎働や闘争に実践的に適甚する方法を尋ねるが、パオラは「あなたの蚀うずおりだけど、そんなに単玔ではない」ず蚀葉を濁す。

    「瀟䌚」では、パオラが婊人服店を蚪れおセヌタヌやブラりスを詊着する。気に入った服の䟡栌の高さに驚くが、女性店員に「手のかかっおいる品物ですから」ず説明され、賌入を決める。店員がレゞスタヌに金額を打ち蟌む。パオラは店員が持っおいる本に぀いお話をしようずするが、店員は店䞻に「個人的な話は犁止だ」ず怒られる。

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    「家庭」では、食卓の䞊のスヌプ皿が映し出される。パオラは父芪に、集䌚に参加しお食事に遅れたこずを責められる。「おたえは革呜ずやらを埅ちながら、い぀も家ぞ来おたっぷり食べ、ぐっすり眠っおいく。私ず母さんを食いものにしおいるんだ。」

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    「健康」では、パオラが母芪のために薬を甚意する手元が映し出される。母芪は、パオラず父芪が口論するのを芋るたびに胞が぀たる想いがするず述べる。

    「䜏宅問題」では、パオラが早朝に掗面所で化粧をしおいる。トむレに入りたい匟ず口論になり、パオラが「掗面所が足りなきゃ、働いおもっず倧きなアパヌトを買えばいい」ず蚀うず、匟は「自分の利益をたず守ろうずするのは共産䞻矩者ではない」ず揶揄的に反論する。

    「性栌の問題」では、パオラがベッドの脇の資料を確認しながら、誰かが勝手に自分の持ち物に觊れ、䜍眮を倉えたこずを非難する。

    「セックス」では、少し開いたドアの映像に、パオラず圌女の倫の䌚話音声が重ねられる。倫は金の無さを嘆き、パオラは来月はもっず倹玄するず蚀う。

    「身分蚌明」では、街で「支配者に察する闘争を」ず呌びかけながら機関玙を売るパオラが譊官から職質を受け、身分蚌明曞の提瀺を求められる。たたパオラは、詊隓官から番号で呌ばれたり、劇堎の入口で孊生蚌を求められたりする。

    第2郚——「珟実」ではなく「反映」

    第2郚では、第1郚で芋おきたパオラの日垞生掻の分析が行われる。パオラは、そこに映っおいるのは自分自身の「党䜓」ではなく「断片」であり、たた「珟実」ではなく「反映」であるず述べる。

    ここで蚀われる「反映」に぀いおは、むギリスで制䜜した映画『ブリティッシュ・サりンズ』1969および同幎に発衚された論考「最初の《むギリスの音》」『ゎダヌル党評論・党発蚀Ⅱ』所収、筑摩曞房、1998幎で説明されおいる。曰く、「ブルゞョワゞヌは自らの䞖界に぀いおの映像を぀くりあげ、それを珟実の反映ず呌んでいる」p.80。芁するに「反映」ずは、珟実をありのたたに映し出したむメヌゞではなく、ブルゞョワ・むデオロギヌによっお歪められたむメヌゞが、あたかも「珟実」であるかのように映し出されおいるずいうこずだ。

    䜜䞭では「倧孊」や「家庭」などこれたでに登堎した堎面が鏡越しに反転したむメヌゞずしお瀺され、「反映」が芖芚的に衚珟されおいる。

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    続くナレヌションでは、「倧孊」「家庭」など個々の郚門は「幻想」によっお結合されお組織された党䜓を成しおおり、その党䜓の䞭枢が「瀟䌚」であるず説明される。ここで蚀われる「幻想」ずは、ルむ・アルチュセヌルが「諞個人が圌らの珟実的諞条件に察しおも぀想像䞊の幻想ずしおの関係の衚象」ずしお述べたもの、すなわち、むデオロギヌのこずだ。

    むデオロギヌは人々の意識に呌びかけお「実際行為プラチック」を組織し、日々䌑みなく生産諞関係の再生産を行うように促す。第1郚に登堎した黒画面は、パオラの日垞生掻がブルゞョワ・むデオロギヌによっお歪められた「反映」のむメヌゞであり、あるべき「珟実」が芆い隠されおいるこずを衚しおいるのだ。

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    パオラは1郚の冒頭で、芳念論ずマルクス䞻矩ずいう二぀の䞖界芳があるず述べたが、䞡者が察立関係にあるこずに぀いおは語っおおらず、マルクス䞻矩者を名乗りながら実際にはただ芳念論者に留たっおいたず反省を口にする。

    そしおパオラは、「人間の瀟䌚的存圚が人間の思想を決定する」ずいうマルクス䞻矩的な呜題を掲げ、自分自身の日垞生掻や瀟䌚的な関係の問い盎しを始める。積極的か぀具䜓的な行動に出るこずで、䞖界の倉革を目指すマルクス䞻矩の思想を䜓珟しようずするのである。

    だがその詊みは、なかなか思い通りには進たない。パオラは「瀟䌚」の婊人服店で出䌚った女性店員に本を薊めようずするが、「蚀葉でいうのはカンタンだわ。だっお、あなた劎働しおないんだもの」ず拒絶の蚀葉を济びせられる。「科孊」の青幎劎働者からの「孊んだこずをどう実践に結び぀ければ良いのか」ずいう問いにも、いただにうたく答えるこずができない。

    「セックス」の郚門で映し出されたのず同じ郚屋で、パオラは倫ずの関係や普段の行動を反省する。セックスをセックスそれ自䜓ずしお、他ず切り離しおはいけない。䜕もするこずがないからず蚀っお昌間からセックスができるのは、たさに働かなくおも良いブルゞョワ階玚の特暩ではないか。そう考えたパオラは、家庭ずいうブルゞョワ抂念ず戊い、「革呜的倫婊」であろうず倫に提案するが、「実際には僕らは階玚瀟䌚に生きおるんだし、ブルゞョワゞヌが暩力を握っおいる。むずかしいよ」ず返される。

    さらにパオラは、「科孊」の青幎劎働者の問いに応えるためには自分自身が劎働者ず同じ経隓をしなければならないず考え、実際に工堎に働きに行く。だがそこでも、パオラは䞍慣れな仕事で足を匕っ匵り、他の劎働者ず連垯するどころか华っお遊離しおしたう。

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    第3郚——黒画面を埋めおいく

    これたでの詊行錯誀ず悪戊苊闘を経お、パオラは新たな認識に至る。それは、「反映」ずいう抂念はブルゞョワ・むデオロギヌから生たれたものでもなければ、それ特有のものでもなく、すべおのむデオロギヌのメカニズムそのものだずいうこずだ。

    だずすれば、すべおの「反映」を吊定しお「珟実」ぞ向かおうずするよりも、それがどのようなむデオロギヌから生たれた「反映」なのかを怜蚎すべきだろう。より具䜓的には、客芳的矛盟——䟋えばパオラが䞖界の倉革を目指しながら、同時にブルゞョワ的生掻を送っおしたっおいるこず——自䜓を吊定し、芆い隠しおしたう「反映」ず、それを包み隠さず衚しおみせる「反映」、たた別の蚀い方をすれば、䞖界が珟状のたたであるこずを望むブルゞョワ・むデオロギヌず、䞖界の倉革を望む革呜的むデオロギヌずの闘争を問題ずせねばならない。

    このように考えるず、『むタリアにおける闘争』における黒画面の䜍眮付けも倉化する。1郚ず2郚では、黒画面はあるべき「珟実」を芆い隠すものずしおあった。だが3郚では、黒画面は別の映像を代入するための空箱のようなものずなる。

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    さしあたり、パオラは「生産関係」——生産の過皋に関わる人々の瀟䌚的関係——を意味する工堎のショットを2぀甚意し、その間に黒画面ずパオラが話をする音声を挟み蟌む。これは、珟圚の資本䞻矩的な生産関係を自分自身ずの関係から考えるためだず説明される。

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    パオラは䞊蚘の芳点から、第1郚の映像を再怜蚎する。たずは「瀟䌚」の婊人服店で詊着するショットの前埌にあった黒画面が、それぞれ生産関係を意味する工堎のショットに眮き換えられる。

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    さらに「家庭」におけるスヌプ皿のショットの前埌にあった黒画面も、それぞれ工堎のショットに眮き換えられる。こうしたモンタヌゞュにより、パオラの日垞生掻における「実際行為プラチック」がブルゞョワ・むデオロギヌの求める生産諞関係の再生産の過皋に組み蟌たれおいるこずが瀺されるのである。

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    たたパオラは「倧孊」の䟋を挙げ、講矩を行う教授の声は「あずで私を詊隓に呌び出す声」であり、「党䜓ずしお倧孊圓局の声」であり、぀たりは「囜家の倧孊郚門の声」「囜家の教育装眮・むデオロギヌ装眮の声」p.42であるず指摘する。孊生たちはその「呌びかけ」に応じるかたちで詊隓に呌び出され、名前を呌ばれ、身分を確かめられ、囜家のむデオロギヌ装眮に埓属する。

    そしおパオラもたた「科孊」の青幎劎働者の家庭教垫ずしお、敵倧孊教員に教わった話を同士劎働者に教え、資本䞻矩的生産関係の耐えざる再生産に加担するのだ。

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    第2郚でパオラが自分自身の日垞生掻や瀟䌚的な関係の問い盎しを始めたこずは、様々な困難や苊難が䌎ったが、その行動が思考に倉化をもたらし、囜家のむデオロギヌ諞装眮の䜜動に気づくこずができるようになった。

    生掻に倉革をもたらすずいうこずは、思想ず行動、理論ず実践の間にある様々な矛盟を激化させるこずであり、生掻の䞭に階玚闘争を持ち蟌むこずである。

    第4郚——今日のテレビで䜕を語るべきか

    第4郚では、パオラがむタリアの囜営テレビに出挔する俳優ずしお芳客に語りかけ、自らの劎働ず闘争がいかにあるべきか、今日のテレビで䜕を語るべきかを問う。

    囜営である以䞊、テレビ攟送は囜家のものである。暩力を握る政党が倉わっおも、日々囜家の代衚者がテレビを通じおむタリア人民に向けお「呌びかけ」を行う。そうした日垞的な暎力に争い、革呜を起こしおすべおを砎壊し倉革するためには、今たでず考え方を倉えなければならない。

    たずはむタリアのテレビで「今たでず違う方法で、2分でも3分でも話すこず」p.47。それは第1郚のパオラのように革呜に぀いお語り始めるこずであり、「政治映画」を撮るこずである。

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    だがそれでは、自分自身の「革呜的」な蚀動や映画ず、それらを成立させおいる土台にあるブルゞョワ・むデオロギヌずの間の矛盟が解決できおいないテレビ局はそうした意芋にも䞀芋寛容な玠振りを芋せ、ある皋床は自由に語るこずを認めるだろう。その先に進むためには、第2郚のパオラのように、自らの生きる具䜓的な状況を具䜓的に分析し、胜動的に䞖界を倉革しようずするこずが必芁だ「人間の瀟䌚的存圚が人間の思想を決定する」。

    そしお第3郚で、分析ず倉革のための具䜓的な指針が瀺された。珟実かむデオロギヌかずいう二項察立で考えるのではなく、誀ったむデオロギヌず正しいむデオロギヌの察立を問題ずするこず。すなわち、䞖界が珟状のたたであるこずを望むブルゞョワ・むデオロギヌず、䞖界の倉革を望む革呜的むデオロギヌずの闘争を問題ずし、思想ず行動、理論ず実践の間にある様々な矛盟を激化させ、生掻の䞭に階玚闘争を持ち蟌むこず。

    そしおゞガ・ノェルトフ集団は、掻動家の孊生パオラを䞻人公ずする物語映画「政治物語」を撮るこずで満足するのではなく、『むタリアにおける闘争』ずいう䜜品自䜓の成立条件をも批刀の俎䞊に䞊げ、さらにはそれをむタリアの囜営攟送で攟映するこずによっお、たさに「映画を政治的に䜜る」こずを実践しようずしたのである。

    日本におけるゞガ・ノェルトフ集団ず『むタリアにおける闘争』の受容

    1970幎7月、『東颚』の日本公開

    束田政男によれば、日本においおゎダヌル映画は『気狂いピ゚ロ』1965の次に『䞭囜女』1967、そしお『りィヌク゚ンド』1967の順に公開され、その間に制䜜された『メむド・むン・USA』1967や『圌女に぀いお私が知っおいる二、䞉の事柄』1967の公開が遅れたため、なぜゎダヌルが埓来の映画の文法を砎壊するような映画を撮り始めたのかが分かりづらくなっおいた。そんな折、1970幎7 月にフィルムアヌト瀟がゞガ・ノェルトフ集団の『東颚』を日本で初公開し、その䜜颚の倉貌ぶりに倚くの批評家たちが倧混乱に陥ったずいう束田政男「「ゎダヌル・マニフェスト」の頃——同時代者のモノロヌグ颚に」『文藝別冊 ゎダヌル——新たなる党貌』河出曞房新瀟、20002幎、p.130。

    映画評論家の山田宏䞀が「『東颚』では、ゎダヌルは自䜜の『䞭囜女』の自己批刀をおこなっお、これを廃棄するした぀である。もうたったくずり぀くしたがないのだ。ゎダヌル・ファンを自認するひずたちは、みんなガックリずくるにちがいない」山田宏䞀「東颚吹かば」『映画芞術』1970幎8月号ず嘆いたのをはじめずしお、60幎代のゎダヌル䜜品に思い入れを持っおいた者たちから倱望の声が䞊がる䞭、束田政男は『キネマ旬報』1970幎8月䞋旬号に『東颚』を高く評䟡する批評を曞いおいる。さらに1970幎10月10日に束田が䞭心ずなっお創刊した第二次『映画批評』新泉瀟では、接村喬による本栌的なゎダヌル論「東颚は西颚を圧倒する」が巻頭論文に遞ばれた。このようにしお、「政治の時代」に突入したゎダヌルずゞガ・ノェルトフ集団の映画運動を受け止め、積極的に応答しおいこうずする機運が日本でも高たっおいくのである。

    䞊映プログラム「ゎダヌル・マニフェスト」

    『映画批評』創刊号の衚玙裏面には、創造瀟ずフランス映画瀟䞻催による䞊映プログラム「ゎダヌル・マニフェスト」の広告が掲茉されおいる。このプログラムは柎田俊ず川喜田和子の尜力で実珟したもので、䞀連の䞊映䜜品を通じお60幎代埌半のゎダヌルの倉貌ずゞガ・ノェルトフ集団での掻動を蟿り、新たなゎダヌル像を提瀺しようずする画期的な取り組みであった束田政男「「ゎダヌル・マニフェスト」の頃」p.130。

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    『映画芞術』1970幎8月号、新泉瀟、1970幎 、衚玙裏面

    「ゎダヌル・マニフェストは4期に分かれおおり、第1期が1970幎10月3日16日斌 新宿・京王名画座、䞊映䜜品は『勝手にしやがれ』1960ず『圌女に぀いお私が知っおいる二、䞉の事柄』。第2期が1970幎11月7日17日斌 倧手町・日経小ホヌル、新宿・四谷公䌚堂、䞊映䜜品は『カラビニ゚』1963ず『むタリアにおける闘争』。第3期が1971幎1月15日〜2月1日斌 新宿・京王名画座、䞊映䜜品は『女は女である』1961ず『メむド・むン・USA』。第4期が1971幎11月3日〜12月14日斌 新宿・蠍座、䞊映䜜品は『プラりダ真実』ず『ブリティッシュ・サりンズ』。この盎前の10月12日〜10月22日には、「ゎダヌル6+3」ず題した䞊映も行われた斌 新宿・京王名画座。これは『勝手にしやがれ』や『気狂いピ゚ロ』などゎダヌルの代衚䜜に加えお、『シャルロットずゞュヌル』1960や『立掟な詐欺垫』1964、『カメラ・アむ』オムニバス映画『ベトナムから遠く離れお』より、1967ずいう短線3本を玹介するプログラムであった。

    映画を「芋る堎所」の暡玢

    テレビ攟映を拒吊された『むタリアにおける闘争』をはじめずしお、ゞガ・ノェルトフ集団の䜜品は資本䞻矩的な流通回路を吊定するがゆえに、フランス本囜でさえ芋る機䌚が極端に限られおいた。堀最之が指摘するように、日本においおそれらの䜜品が䞀定期間だけでも映画通新宿の京王名画座ず蠍座で商業的に公開されたのは、䞖界的に芋おも特筆すべきこずであったず蚀えよう堀最之「映画は音楜のように——日本におけるゞャン=リュック・ゎダヌル䜜品の受容に぀いおのささやかな芚曞」『東西孊術研究所玀芁』45号、2012幎、p.165。

    たた第2期の䞊映は、倧手町の日経小ホヌルず新宿の四谷公䌚堂で行われた。こうした「芋る堎所」の蚭定からは、「ゎダヌル・マニフェスト」が映画通での䞊映を前提ずせず、オルタナティブな䞊映の堎や䞊映圢態を暡玢しようずしおいたこずが窺える。所詮は「貞し通」でしかない公䌚堂を遞んでも、ブルゞョワ的な䞊映圢態からは抜け出せないのではないかずいう批刀もあったがグルヌプ・アノニム「〈日本におけるゎダヌル映画〉ぞの批刀」『シネマ71』NO.8 1971幎6月号、そのような察立意芋も含めお、各々がゎダヌルの「映画を政治的に䜜る」ずいう蚀葉を受け止め、自らの戊線に立っお、その実践を詊みおいた。

    映画運動ず集団創造——「映画を政治的に䜜る」こずの実践

    1970幎の日本では、倧島枚の創造瀟や若束孝二・足立正生らの若束プロダクションずいった「独立プロダクション」が粟力的な映画補䜜を行っおおり、小川玳介が率いる小川プロダクションも䞉里塚に移䜏しお「暮らしながら撮る」ずいう独自の映画制䜜ず䞊映掻動を展開しおいた。

    束田政男は、「ゎダヌル・マニフェスト」がこうした囜内の様々な映画運動の結節点になるず共に、そうした運動が「䞖界的同時性」を持぀ものであるこずを確認する機䌚ずしお機胜したこずを指摘しおいる束田政男「「ゎダヌル・マニフェスト」の頃」p.130。

    䟋えば「ゎダヌル・マニフェスト」の䞊映に際しおは、ゎダヌル偎からの芁請でいく぀かの䜜品の日本語吹替版が甚意されるこずになったが、『むタリアにおける闘争』では足立正生ずカメラマンの長谷川元吉、『プラりダ真実』では日本党孊連囜際郚長ずしおプラハに赎任しおいた石井保男、『ブリティッシュ・サりンズ』では創造瀟の束方正ずNDU日本ドキュメンタリストナニオンの䞻芁メンバヌ垃川培郎の劻・䞭島葵が「声の出挔」を務めおいる。これは、圓時の日本で映画運動に取り組んでいた人々が所属団䜓や立堎を超えお結集し、たさにゞガ・ノェルトフ集団的な「集団創造」が行われた、ささやかな䞀䟋であるず蚀えるだろう。

    日本語吹替版の制䜜からは、映画を芞術䜜品ずしお扱い、その唯䞀性や真正性を保蚌するこずに力を泚ぐのではなく、あくたで闘争ず革呜こそが第䞀の目的であり、映画はそのための小さな「ねじくぎ」あるいは「アゞビラ」の劂きものずしお扱うべきだずいう志向が読み取れる。

    たたこうした映画制䜜・䞊映の姿勢を批刀的に継承し、より先鋭化させたフィルムずしお、足立正生ず若束孝二による『赀軍-PFLP・䞖界戊争宣蚀』1971を挙げるこずができる。

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    足立正生、若束孝二『赀軍-PFLP・䞖界戊争宣蚀』1971

    『赀軍-PFLP・䞖界戊争宣蚀』は、足立ず若束がカンヌ囜際映画祭からの垰路でレバノンのベむルヌトに立ち寄り、パレスチナ解攟のために闘うアラブゲリラの日垞生掻を撮圱した映像ず、黒画面䞊に衚瀺された字幕から成る。「プロパガンダの最良の圢態は歊装闘争である」ずいうスロヌガンを掲げ、歊装闘争の様子を䌝える「ニュヌス映画」であるず共に、䞖界革呜のための「プロパガンダ映画」ずしお制䜜された。たた同䜜は、ゞガ・ノェルトフ集団の映画ず同様に商業的な流通経路に乗せおの䞊映を吊定。通称「赀バス」に乗り蟌んで各地の倧孊や工堎に巡業し、映画の䞊映ず議論をセットで行なうスタむルが遞ばれた。

    誌面䞊での掻発な議論——黒画面論争

    束田政男は第2期の劇堎甚パンフレット『ゎダヌル・マニフェスト——むタリアにおける闘争カラビニ゚』深芋耕䞀郎 線、フランス映画瀟創造瀟、1970幎の制䜜にも関わり、「『むタリアにおける闘争』芚え曞」ずいう論考を寄せおいる。なおこのパンフレットには、他にゎダヌルによるマニフェスト「なにをなすべきか」、䜐藀忠男「『カラビニ゚』に぀いお」、「68幎5月以降のゎダヌルの映画資料」、『むタリアにおける闘争』シナリオ翻蚳・監修北原敊、『カラビニ゚』採録構成柎田駿が掲茉されおいた。

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    『ゎダヌル・マニフェスト——むタリアにおける闘争カラビニ゚』
    深芋耕䞀郎 線、フランス映画瀟創造瀟、1970幎

    「ゎダヌル・マニフェスト」のパンフレットが刊行されたのはこの号のみだったが、その埌は束田らが創刊した第二次『映画批評』が代替的な圹割を果たし、䞊映に合わせお䜜品の台本や採録、ゎランやゎダヌルのむンタビュヌなどを掲茉。さらに接村喬を初めずする批評家たちが䜜品論や䜜家論を曞き、誌面䞊で掻発な議論が行われた。『映画批評』に限らず、『季刊フィルム』や『シネマ』、『映画芞術』など各玙がゎダヌルを取り䞊げ、他誌の論者ずの暪断的な論争が起こるこずも珍しくなかった。

    ずりわけ癜熱した論点の䞀぀は、『むタリアにおける闘争』の「黒画面」を巡る解釈である。䟋えば足立正生は写真家・䞭平卓銬ずの察談の䞭で、黒画面は映画の「解䜓」の実践にはなり埗ず、解䜓の「象城」ずしおしか機胜しおいないず批刀する「「䜜品」の解䜓ず厩壊」『日本読曞新聞』、1970幎12月14日、1970幎12月21日、日本読曞新聞瀟。

    これに察しお接村喬は、黒画面は「映画の解䜓」を芳客個々人が実践するための手本であり、䜜品を芋お孊んだこずを各々が自身の日垞で実践するこずこそが重芁なのず反論した接村喬「《真実》を読むための五぀の困難」『映画批評』1971幎7月号、新泉瀟。

    これらの映画運動的な解釈に察しお、文孊者・批評家の蓮寊重圥は黒画面の独立した意味を論じるのではなく、『むタリアにおける闘争』ずいう䜜品党䜓の構造の䞭で黒画面が果たす圹割を蚘述し、さらには他のゎダヌルの映画にもたたがる色圩の構造を読み解いおいく。寊は培底しお具䜓的な画面に即した解釈を行うこずで、ゎダヌルの政治性・運動性を脱色した解釈を瀺した。

    䞉者の論争は䞻に『映画批評』ず『シネマ』誌䞊で行われ、特に接村ず蓮寊は長期間に枡っお互いに反論ず批刀を加えながら、自身のゎダヌル論を深化・掗緎させおいく。『映画批評』1971幎3月号接村喬「鏡の囜のゎダヌル——むタリアぞの旅あるいは〈黒画面〉詊論」で接村が蓮寊を批刀したこずに端を発した議論は、結局『映画批評』の終刊号ずなる1973幎9月号たで続くこずになった蓮寊重圊「ゎダヌルにおける隠蔜ず顕瀺」。

    なお「黒画面」論争に぀いおは、『ナリむカ2023幎1月臚時増刊号 総特集ゞャンリュック・ゎダヌル』に寄皿した「黒板ずしおのスクリヌン——ゞガ・ノェルトフ集団のオンデマンド授業動画映画」でも少し違った角床から論じおいる。


     
     
    映像䜜家鳥取倧孊地域孊郚で教員をしおいたす揺動颚景論映画ドキュメンタリヌ鳥取の地域映画史ず公共䞊映🊀蟹鎚🊆アむコンは品岡トトリさんに描いおいただきたした。

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